2023年5月

2023/5/31<沈肩と墜肘 その2>

 

  『墜肘』ができるかどうかは太極拳の核心的な問題だ。

  『沈肩』はなんとなくやってるつもりであったとしても、もし『墜肘』ができていなければ、実は『沈肩』はできていないということになる。

 

  肘を墜とすためには、まず、肘の関節がしっかりと引っかかる必要がある。

  

  ”引っかかる”というのは、そこで勁を堰き止めようとすればそうできるということだ。関節は骨と骨の隙間でできていて、その隙間にはエネルギー(気)を溜めることもできる。丹田の気を末端に伝達するには通過する関節に隙間が必要だし、発勁をするには関節に気を溜めておく必要がある。

 

上のような馮老師の『沈肩』と『墜肘』を見た上で、現在よく見かける太極拳の動きを見るとそのあたりが全く抜け落ちているのが分かる。

 

肩甲骨が押さえられずにずるっと前方に滑っていくから腕が流れて肘がはっきりしない。 肩甲骨を押さえておくにも丹田や命門の力が必要だ。

2023/5/27 <沈肩と墜肘 その1>

 

 

  上のような動作は子供の時にやったことがあるのだけど、今やってみると腕が痛い!という人が多いのでは?

なぜ子供の時には簡単にできたこの動作が今はやりにくいのか?

 

  ここをさらに深掘りすると、背骨の位置の調整までできるようになる、というのが私が最近のレッスンで教えていたことだ。

  太極拳の中にもこの動作の原理を使った動きがある(例えば左の『抱頭推山』要はジーの技だが、その直前に上のような両手を重ねて捻る動作を入れることで、”山が推せるくらい”強いジーができるようになる・・・)

 

  上のエクササイズで肘の上げ下げをすることで二の腕(『肱』)の動かす感覚を身につけることができる。『肘』は肘の尖ったところよりも上腕側のツボ(例えば三焦経の天井穴)を意識するのがコツ。肘は上腕にあると意識を入れる!

  そんな『肘』を操るには『沈肩』が必要になるのが分かるのがとても大事だが、それを分からせてくれるのが上のエクササイズだ。

  『沈肩』とはどんな感じなのか、そして、『沈肩』がしっかりできると脇が押さえられること、体側がしっかり整うことが実感できるはず。

 

  レッスンでは、このような、肩、脇、肘の感覚を失わないまま、少しずつ両手を動かしていく練習を生徒さんにしてもらった。腕が動いても整った肩、脇、肘を外さないようにするには、腕の動きに応じて丹田の位置を変えていかなければならないことも分かった生徒さんも多かったと思う。太極拳で、常に丹田から動く、と言うのはまさにそういうことだ。

 

  このようなレッスンをすると、巷では、『沈肩』や『墜肘』ができていない太極拳がとても多いのに気づくのですが、それについては『墜肘』についてさらに説明した後でまた書きます。

 

  参考として腰の王子の動画を貼っておきます。これは前腕の要領についての動画ですが、その前提として『沈肩』『墜肘』をつくる方法にもなっています。とても重要。

2023/5/22 <『沈肩』も奥深い>

 

  先週注目していたのは『沈肩』。

  

  沈肩の程度もさまざまだが、第一歩は肩が上がらないようにすること。

  息を吸って肩を上げて、それから吐くと同時に肩をストンと下ろす。

  このように肩を下ろした状態が『沈肩』の第一歩。知らないうちに肩に力が入って上がってしまわないように気をつける。

 

  肩が上がっていない状態が維持できるようになったら、次は脇(肩甲骨の三角形の下縁)から腕を動かすようにしていく。脇は肩の下縁。ここを使えるようになると肩はさらに下がる。前鋸筋が使えるようになっていくと肩甲骨の可動域も増える。

 

  肩甲骨が意識できるようになってきたら、肩甲骨をぐっと下に下げて腕を使うように練習する。肩甲骨を仙骨で引っ張るようになれば肩は安定する。肩を丹田で引っ張っておく、と言ってもいいが、最初は広背筋のつながりから肩甲骨と仙骨をつなげた方がわかりやすいかもしれない。ここまでできると『沈肩』という感じになる。

 

 肩甲骨と仙骨をつなぐ、あるいは、もっと内側で肩と丹田をつなぐ、というところまでいって『沈肩』になるとすれば、『沈肩』のためには、『含胸』『抜背』『塌腰』『敛臀 』全てが必要になってしまう。どれか一つが抜けると『沈肩』は成り立たない。同様に、『沈肩』ができなければ『含胸』は成り立たないし、その他の要領も成り立たない。タントウ功に必要な要領(立つ要領)は全てが手をつないで成り立っているようなものだ。

 

 最初はできる範囲で肩を下げ、できる範囲で含胸をし、そして塌腰もする。全ての要領をちょっとずつ満遍なくやる。すると、もう少し『沈肩』ができるようになる。するともう少し『含胸』ができるようになる、・・・以下連鎖反応が起こる。

 あきらめずに少しずつ練習していくしかない。

 

 すると、今まで『沈肩』だと思っていたものが甘かったことに気づき、新たな『沈肩』の境地を得られることがある。どの要領も、まだできる、と思って練習すべきだ。できる、できない、の二者選択のようなものではないからだ。グラデーションがある。

 

  <参考 比較>

 左:https://youtu.be/1xnTVFnS9Ww

 右:https://youtu.be/PyhKMkuubrQ

 

 腕と肩の密着感の違いが分かるだろうか?

 

 簡化の場合は仕方ないところもあるけれど、比較として取り上げます・・・

 

左のような腕の使い方はよく見かけるけれども、これではすぐに右手をとられて引っ張られてしまう。というのは、腕が胴体、足まで繋がっていないからだ。

 

この場合、肩は上がってはいないが『沈肩』にはなっていない。仙骨や丹田の碇に繋がっていないからだ。

胴体のど真ん中(青丸の場所)に力がなく、腕と脚で動いているところに根本的な問題がある。

 

 馮老師の場合は、肩甲骨が丹田で引っ張られ沈んでいる。結果として、腕は胴体(脇)から生えたようになる。

腕を引っ張ってもその腕は足裏まで繋がっているのでびくともしないだろう。

 

 比較すると上の老師の脇が甘すぎるのが分かる。といっても、それは腕、肩だけの問題ではなくて、ちゃんと丹田を中心に身体を作っているかどうかという根本的なも音大。

  上のように線を引いてみると、右の馮老師の場合は頭頂から背骨を通って足に達するラインが一直線になっているのに対し、右側の老師の場合は脚が後ろに流れてしまっているのが分かる。足で地面を踏んだ力が手に達するには、馮老師のように背中を張り出す(つまり、肩甲骨を下げて(沈肩)、含胸、命門を開く(塌腰))をする必要がある。腰が凹んで力がないのが一番の問題。腰が張り出せるくらい力がないと(=丹田の力がないと)、本当の『沈肩』はできない。

 2023/5/19

 

  太極拳を教えることが「身体のこうあるべき使い方」を教えることになってしまっている。

  太極拳を学び始めた頃は、太極拳のポーズと動きに興味があった。中国的な音楽にのって流れるようにゆっくり動く、それをやってみたかった。

  動きがある程度できるようになると、意識の使い方を知りたくなった。この動きの中にもっと深いものが隠されていると感じて、それを知りたくなった。ただ、日本にいる間はそれを教えてくれるような先生には出会わなかった。

 

  パリで偶然に劉師父に出会って、一から学び直した。

  太極拳には全く関係ないようなタントウ功をずっとやらされ、長い間理解不可能だったが、結局、その基礎があって丹田、そして気の運用ができるようになっていった。そうなると套路の動きも意味をもつようになってきた。日本でただ”身体を動かして”いたものが、”内側から身体を操るような”動き方に変わっていった。

  丹田で身体を動かす、それがある程度できるようになって初めて太極拳の技が意味をもつようになった。技を学んでも内側の使い方を知らなければ技にならないことがわかった。

そして、多くの人が踊りのように使っている套路も、実は技を連ねたものであること、そして昔の人はそのようにして次の世代に伝授していったことに納得がいくようになった。技が分からずに太極拳を学んでも入り口付近でウロウロしているようなもの。技を全てできるようになる必要はないが、一通り知っておく必要はある、と劉師父は言って、套路の一式一式ずつの技を教えてくれた。

 

  師父について練習している時は、いかにして内気を増やすか、そこが一番の課題だった。加齢とともに気の量は減っていく。それをどうやって維持するのか、いや、増やしていくのか。それが道家の養生法、内丹術と関連するところだった。気が満タンになれば自ずから通る、そういうことだった。(が、当時の私は、あまりよくわかっていないまま、言われたとおり練習していた。)

 

  二度目のパリ滞在の時の私の課題は身体の使えないところを使う(特に肩)、そして自分で感じる身体の歪みをとることだった。

  それは、ただ漫然と今までの練習を繰り返していても解決できないと私は感じて、太極拳以外のところで方法を模索していた。

  目をつけたのは、ヨガとバレエだった。

  ヨガは気功法の原点。気(プラーナ)が欠かせない。内側から身体を通していく静的な運動だ。バレエは身体の軸を正さないとできないような難易度の高い動きだけれども、その基本功(バーレッスンなど)には身体開発の知恵がつまっている。これらを参照したり実際に体験することによって、太極拳での身体の使い方の理解が格段に進んだ。

 

  例えば、『沈肩』という中にどれだけの意味が含まれていたのか、それは、バレエのレッスンを通じて痛感することになった。『沈肩』をしないと腰は活きてこないのだ(活腰)。『沈肩』は『斂臀』と直結するし、『墜肘』とも直結する。『沈肩』ができないと、『肘』が意識できない、意識できなければ操れない。『肘』が操れなければ太極拳の技は使えない。素人は『肘』を操れず『手』で動いてしまう。

  これらは全て、手を体幹から使うための要領だ。

  ほとんどの人達の腕は体幹から外れてぶらぶらしている。歩いている人の肘は無意識に伸びていたり曲がっていたりする。

 

  こんな記憶がある。

  中学2年生の頃、授業中に机に座って先生の話を聞いている時に、自分の手をどこに収めてよいのか分からなくなった。膝の上においても収まりが悪いし、ぶらぶらさせても収まりがわるい。なんか変だなぁ、という感覚。

  この記憶が蘇ってきたのは、『沈肩』と『含胸』そして『塌腰』、『敛臀 』によって腕ががっしりと体感部に埋め込まれた感覚が出た時のことだった。胸から、いや、丹田から腕が生えているような感覚。

  この時、気づいたのは、中学2年の時に、私の腕は胴体から外れてしまったということだった。きっと卓球を必死にやっていて、一気に姿勢が崩れて前肩になってしまったからだろう。それまでは『沈肩』だったのに、それが『前肩』になって腕が胴体から離れてしまって、収まりが悪くなった、そういうことだったのだ・・・

 

  今の時代は、小学生の低学年ですでに前肩になっている子が珍しくない。前肩になった全身のつながりは失われる。それを筋力で埋め合わせていくようになるのだが、大人になった頃にはかなり身体は崩れている。それをまた筋肉肥大で調整しようとすればさらに歪になるだろう。腰痛持ちや膝を痛める人はもうずっと前から身体のつながりが失われている人だ。

  太極拳を養生法として行うには、身体の内側のつながりを無視することはできない。

そしてそのつながりを見つけるのに役立つのが、丹田、気、だ。身体の内側でのつながりは、身体の内側に空間をとらなければ見ることができない。その空間をとるための、丹田、気。背骨を後ろに押すのも、身体の中の空間を広げるためだ。

  ぺったんこの身体ではなく膨らんだ身体(太った身体ではありません)。

  師父が、気が満タンになれば自ずから通る、と言ったのは、身体が気で膨らめば、身体の内側は”空”で繋がってしまう、ということ。線でつなぐのは二点間の話だけど、空間にしまえば至る点と至る点が繋がってしまうということ。だから気をひたすら溜めろという・・・大谷翔平くんの身体をみればそれが分かる気がするのです。・・・

  とはいえ、練習では一歩ずつ進んでいくしかありません・・・

2023/5/14 <背骨を立てることと骨盤を立てること コラムの再考>

 

  骨盤を立てるというのは背骨を立てることとほぼ等しい・・・

 

  それを頭で理解しやすくするには、もう何年にも前に書いたコラム(背骨の調整)の画像を参照するとよさそうだ。

 

  ここでは汤鸿鑫老師制作の画像を紹介していた。

  もう一度整理し直してみよう。

まず、

←これが出来上がり図。

 

最初のS字カーブが上下に伸びて一直線になる様子。

 

頚椎から尾骨までが一直線に伸びる。

 

太極拳の場合はこの背骨の伸びが緩やかなカーブ(弓状)になるが、脊椎間の隙間が開いて背骨が伸びることには変わりない。

(剣道や空手など、一般的に日本の武道はこの左のイメージ図のように一直線になると思います。)

 

  背骨は頚椎、胸椎、腰椎、仙骨(そして尾骨)、と前弯と後弯が組み合わさっているので、単純に伸ばしても伸びない。パーツごとに伸ばして組み合わせていく必要がある。

 

①これは骨盤の回転

 

太極拳なら『斂臀』で表されている要領だ。

②腰椎の進展

 

太極拳なら『塌腰』。

 

 

実際には ②をやってから続けて①をすることになるだろう。

 

②『塌腰』をするには、腰を緩めて開く(命門を開く)必要がある。

タントウ功で<腰を緩める>のが必須になる理由だ。

 

  腰を緩めるのは『塌腰』=腰椎を引き伸ばす、ため。腰を丸くすることではないことに注意。

③胸椎下部の進展

 

 

実際には、②の『塌腰』をやる前提となる、『命門を開く』(=腰を緩める)際に、胸椎の下部はある程度進展することになる。

というのは、命門は腰椎2番と3番の間にあり、ここを伸ばそうとすると胸椎の下の方も伸ばす必要があるからだ。命門を開く感覚は”腰”を開く感覚よりも、”背中”を開く感覚に近いかも。といって、くれぐれも、胸椎上部を丸くしてラクダのようにならないように注意。

 

  そして、<骨盤を立てる>という感じが生まれるのが②③と①がほぼクリアできた時点から。

  画像だけ見ると、①ですでに骨盤が立つように見えるが、やってみると、①のように骨盤を回転させるには腰椎を操作する(②)必要がある。しかし、②だけでは仙骨が伸びが足りず骨盤が後傾してしまう。やはり少なくとも胸椎下部から引き伸ばし始める必要がある(③)。

そして④胸椎上部の進展

 

胸椎上部が伸びるようになると、首が動いてくる(伸びてくる)

 

胸椎上部まで伸びるようになると骨盤はもっとしっかり立つようになる。

 

 

続いて⑤頚椎下部の進展

最後に⑥頚椎上部の進展

 

 頚椎は難関だ。

 実際には、①の骨盤の回転の際に仙骨と尾骨が完全に引き伸びる必要がある。

仙骨が引き伸びれば頚椎下部が、尾骨が引伸びれば頚椎上部が引き伸び、頚椎と頭蓋骨の間に隙間が感じられるようになる。

 

  骨盤が立つだけでなく、尾骨まで意識できないと頚椎は完全には立たない。

 首は立てると硬直して失敗する。

 首は立つもの。首が立つようにそれより下の背骨を引き伸ばしていく必要がある。仙骨に力がないと首は立たない。

 上級者のレベル。

 

  以上、コラムを再検討したが、<骨盤を立てる>には①②③が必要になる。④ができれば骨盤はもっとしっかり立つ。今週のレッスンでは腕の使い方だけを取り出して練習してもらったが、腕を正しく使えると④の胸椎上部が引き伸ばされる。そのため骨盤も立ちやすくなる。頚椎も調整され始める。

  いずれにしろ、②と①は土台だ。これが崩れるとその上は成り立たない。

  ②と①を維持し続けるためには常に気を沈めて置く必要がある(気沈丹田)。

  そして、脊骨を伸ばすには息を通すのが必須になることに注意!」

2023/5/11 <骨盤を立てる 気沈丹田>

 

  前回のメモで取り上げたエクササイズに関する補足を動画で撮りました。

 

  このエクササイズを通してはっきりするのは、

 「骨盤を立てる」ということが、単なる「骨盤の角度」ではなく、「全身の繋がり」だということ。

  また、「骨盤を立てる」というのを、太極拳の世界では、「気沈丹田」で行わせているということにも気づきました。同じことを違う角度から表現している。(気沈丹田しなければ骨盤は立たないし、骨盤を立てようとすると気沈丹田になってしまう)

 

 しかし、「骨盤を立てる」も「気沈丹田」もかなり抽象的な表現で体得するのはなかなか大変。体得したとしても、誰かに、「その状態が、骨盤が立っている状態だ」もしくは、「その状態が気沈丹田だ」と指摘してもらわないと、この状態がそうなのか、と認識ができない・・・だから指摘してくれる指導者が必要になるということなのだと思います。一度指摘してもらって認識できれば、自分でその状態を覚えて再現できるようになっていきます。

 

  結局、タントウ功自体が骨盤を立てる練功で、また、骨盤を立てることで丹田にしっかり気を溜められるということ。

  骨盤を立てる練習というのは、他のスポーツにおいても様々なメソッドで行われているけれど、太極拳はそれをエネルギーの損失の少ない静的な手段で行わせているところが特徴的。若くてエネルギーがいっぱいのうちはスパルタ的な特訓にも耐えられるかもしれないけれど、中年を過ぎるとそうはいかない。意識を最大限に使って体力の消耗を控えて内気を養いつつ身体の可動域を増やしていく。改めてタントウ功の奥深さを知ったのでした。

 

  紹介したエクササイズを毎日300回やるのと、タントウ功を毎日30分やるのとではどちらが良いですか? と、生徒さん達に聞いたら微妙な顔をしていました。どちらもそこそこ苦しいですが、雑に身体を動かすような練習は避けるべき。意識を最大限に使って丁寧に動くのが成熟の道。毎日少しずつ前進したいもの。

2023/5/6

 

 右は5/1のメモに載せた動画のエクササイズ→

 

 これはタントウ功の要領、すなわち、丹田を沈めて腰を落としていく要領と全く同じなのだが、生徒さん達はいまひとつ意味が分からないよう。

 やってもらうと、ただ膝を立てた位置からお尻を下げて上げて・・・

 確かに、それでは何の練習だか分からないだろう。

 

 言い方を変えれば、骨盤を立てて座るエクササイズ。

 が、骨盤は立てようとして立つものではない。

 感覚としては、骨盤が締まる感覚に近い(女性の場合=外裹。男性の場合は骨盤を内气で押し広げ続ける感覚になるのだと思う=内撑)

 

 この動画を提供しているのはインドのヨガの団体で、女性向けには骨盤を締めるエクササイズがいくつか紹介されている。

 大事なことだが、女性は骨盤をゆるゆるにしてはいけない。

 太極拳は放松するものだ、といって、骨盤までゆるゆるにしてしまうと、必ず身体に支障が出てくる。太極拳を練習して太ももが肥大してしまったとしたら骨盤が緩んでいる。いわゆる”引き上げ”が足りない証拠だ。太極拳は元々身体の締まった男性が練習していたものだから、緩めて開くことに重点が置かれるが、もともと緩んで開きやすい女性は”合”をいつも忘れないことだ。これは私自身の練習を通じて(苦い経験を通じて)得た教えだ。

上の動画の冒頭には左のような骨盤がギュッと引き締まる画像が埋め込まれている。

 

したがって、このエクササイズは、骨盤が締まるように行わなければならない。

両腕をしっかり上げて体側を伸ばし、お尻を落としていくと同時に骨盤の中がギュッと引き締まっていくようにする。

ゆっくりやれば、お尻が落ちてしまうまでのどの部分でもそこで止まって丹田に気を溜められるタントウ功の姿勢になっている。

太極拳の姿勢も高い姿勢から低い姿勢まで、それを全てカバーするのが上のエクササイズだ。

 

 

 骨盤の締め感と内腿の伸びが骨盤が立っている証拠になる。

 (骨盤を立てられたとしても、本人は骨盤が”立って”いる、という感覚はない。感覚としては、そのあたりの充実感、締め感、あるいは丹田の充実感、そして内腿の伸びが得られて、それが、骨盤が立っているということなんだ、と後から教えられて知る。)

 

  骨盤を立てる、というのはどんなスポーツにも必要な要領だ。

上はラグビーの基本練習だが、左と真ん中の画像を比べてみてほしい。

  

 左のお父さんはしっかり骨盤をたてたまま腰を落としている。

 が、真ん中の息子は何度やってもただ膝を曲げてしゃがんでいる。これでは身体が安定しない。

 

 右端の画像はまた別のトレーニングだが、これはいわゆる”腰割り”だ。

 腰が割れないと骨盤は立たない。だから、骨盤が立てばそれほどキツくない動きが、必要以上にキツくなる。

 

 いわゆる、”足腰を鍛える”ということの根幹は、腰を割り、骨盤を立てることをいう

 スクワットをしたりして足腰を鍛えるのもそのためだ。

 もしスクワットで腿だけを鍛えているとしたらとても的外れなことをやっている。

 

 骨盤が立たないと全身の連携は生まれない。

 骨盤が立つ状態にするには腰の操作は不可欠だ。

 

 20代や30代前半までなら上の親子がやっているような特訓も役に立つかもしれない。

 が、中年以上になると、あまりハードなことをすると体力を消耗しすぎる。そんな時、内家拳の練習方法が役に立つ。若者がハードな練習で骨や筋肉を”鍛”えて得るものを、内気を育てて内気を使って”錬る”ことで得ていくのだ。

 私自身も、タントウ功をして丹田の気を錬るうちに、身体の柔軟性が高まり、腰も割れて骨盤が立つようになった。卓球をしていた学生時代にそれができていたら、卓球はもっと上手くなっていただろう・・・当時はもっばら”太もも”で動いていた。

 

 

 生徒さん達に冒頭のようなエクササイズを試してもらったのは、それによって、タントウ功で目指すところを少しでも知ってもらうためだ。ただ立っていても身体は開発されないからだ。骨盤がたつには背骨が引き伸びる必要があるのがわかれば、タントウ功でもそのように立たなければならないことに気づくだろう。上のエクササイズを一日300回やるのと、タントウ功を30分やるのだったら、どちらを選ぶだろう? どちらにしろ、”正しく”やるのが大事だ。

 

2023/5/4 <鍛錬の意味 放松するもの 筋を練るには気を練る必要あり>

 

  腰の王子のショート動画↓

  王子によれば

  『骨を鍛えて筋肉(スジ)を錬る』→骨は硬く、筋肉(スジ)は柔らかく

  それが古来の日本人の身体の使い方の極意だったということだ。

 

 なるほど〜 骨と肉にしっかり分けて身体を使えるかどうか

  肉は柔らかくしないと骨は意識できない

  肉が硬いと骨が浮き出てこない・・・・

  

  頭では理解できても、ではどうやってそのような身体にするのか?

 

 <王子は公開動画でそのためのメソッドを紹介するつもりはないようなので、私は太極拳なら・・・と以下思いつくところを書いてみました>

 

  筋肉を柔らかくする、太極拳では「放松」によって筋肉の強ばりをとらせようとしている。

  そして肉を放松することで骨が意識できるようになる。

  骨は放松してはいけない。骨はしっかりしなければならない。

 

  太極拳は「放松」が大事だといって、骨まで力がなくなったら腑抜けになってしまう。

  このあたりが難しいところで、また、誤解しやすいところだ。

 

 実際には、太極拳では骨と筋肉の話はあまりしない。ただ、「骨肉分離」という言葉はある。肉をつまんで骨から剥がれるような身体にしていく(食べる時に肉が簡単に骨から剥がれる骨付き肉をイメージ)

 骨も筋肉もまとめて”外”のものだ。(皮、筋肉、骨は身体の外枠を構成するもの)

 では”内”は何かというと、骨よりも内側にあるものだ。内臓や空間、そして髄、血管、リンパなど。外を放松することで内側をエネルギー(気)で満たすようにする。

 エネルギーを内側に引き込むのが太極拳の極意だ。

 

 そもそも中国語における『鍛錬』の意味は

 ”鍛”は金属を熱してから叩いて形を変えること、

 ”錬”は加熱などの方法によってそこから純粋な物質(精)を抽出し、坚韧にし、濃縮するようなものだ。

 

 叩いて形を変える(=鍛)のは骨や筋肉などの身体の外枠

 これに対し、内側の丹田の気はひたすら”錬る”。

 内丹術は、火を焚べて純粋な気の種つくりだし、それを固くて(坚固 )かつ柔らかくて伸びのよい(柔韧)、決して折れることのないようなものに練り上げていくが、まさにこの作業が”錬る”だ。

 

 中国では、身体は”鍛錬”する。丹田の気は”錬る”。と表現する。

 スジ(筋)は一般的には錬るものではなくて”拉“(引き伸ばす)もの(=拉筋)。

   (「筋骨鍛錬」という言い方もあるが、これは南北朝時代に達磨大師が伝えた易筋洗髄法(筋を柔らかくして髄を巡らす方法)を示していたりする(大成拳?)。これになると”外”ではなく”内”の練功になる。)

 

 

 ここからは私自身の感覚だが、筋を柔らかくして引き伸ばしたり縮めたりしながら強いゴムのようにしていくには、身体の内側の気(内気)と息が不可欠だ。ただストレッチをして筋を伸ばしても”強く”はならない。タントウ功で丹田に気を溜めて内功でその気を練っていくうちに次第に筋も練れるようになる、というのが練功の進み方だ。(そのうち、骨と肉が分離するようになれば骨が搓できるようになる)

 

 上にも書いたように、『錬』の中には坚韧、つまり坚固と柔韧という”固くて柔らかい”という性質がある。これが筋の性質だろう。硬いとすぐに折れてしまうし、軟らかいと力が弱く突っ張ってられない。放松して筋肉の緊張をとりながらも、内側に息を吹き込んで内気を培いその内気で内側から筋を伸ばしていくことで、筋は坚韧になる。

 前回のブログに載せたザハロワの身体はまさにそんな坚韧なスジの集合体だろう・・・

2023/5/1 <筋(スジ)の繋がりは足に現れる>

 

  私自身の関心事が身体の調整や身体の繋がりにあるため、見るものも太極拳以外のものが多くなる。

 

  太極拳の動きはそれほど激しくないから、すこし大袈裟なものの方が印象に残りやすいかも? と、生徒さん達に見てもらいたい動画があった。

 

  まずはこれ。

   腰を折ったり丸めたり(お腹を出したり凹ませたり)しないで、真っ直ぐに昇降する。これができるなら全身を一つの気で充満させることができている(周身一家)。丹田の気が足りないと全身を一つにしてこのように動くことはできない。

  仙腸関節がしっかり動くのも内気の力。

 

  私たちが練習するなら、こんなに速く動かずに、ゆっくりと呼吸に合わせて動くべきだ。

  劉師父にこの動画を見せて意見を聞いたら、

  「①下がる時に吸って上がる時に吐く ②下がる時に吐いて上がる時に吸う

   ここまでは小学生レベル

   あなたは ③下がる時も上がる時も吸う ④下がる時も上がる時も吐く

   で練習しなさい。」

  というコメントが返ってきた。④は確かに難しい・・・

 

 この運動がうまくできるか否かは 足🦶がポイントです!

 スネから足先までに力がないと腹や骨盤が安定しない・・・・

 

  次のザハロワの冒頭のコンテンポラリーの動きの時の足🦶に注目!

  足先まで勁を引き抜くからこそ全身が一つに繋がる。

 

  ザハロワは筋(スジ)の繋がり、引っ張り合い(→テンセグリティ)で身体を保っている。一方体操選手は、主に上半身の筋力で身体を支えている。

  太極拳は体操競技よりもバレエに近い身体の使い方をしている。

 

 <テンセグリティ> 例えばhttps://rehacon.net/tensegrity-body-yoga-pilates-fascia/ 参照

動画適宜アップ中! 

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 『陳式太極拳入門』

   馮志強老師著

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2012/3/20

日本養生学会第13回大会で研究発表をしました。

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