2019/5/15

 

  実は師父来日中の御苑練習時に大ニュースがあった。

 なんと主人の次の赴任先が、またまたフランス、パリ!

 7月にはソウルから直でパリに移るという。

 「次はパリ・・・!」

 練習中の師父と生徒さん達にそう伝えた時の皆の驚いた顔。

 運命はなんて皮肉なほどにドンピシャなのか・・・。

 

 ここ数年、正確には3年前に黒猫の死に直面してから死に対する考え方の大きな違いで私と師父の間には大きな溝ができた。いや、師父は溝ができたとは全く思っていなかった。私一人が溝を作った。死に対する太極拳の無力さを痛感し、そこからヨガや仏教、日本の親である中国の親、まで遡って試行錯誤した。ぐるぐる回って回りきって、やっと太極拳に戻ってきそう、となったところで師父の招へいに踏み切った。

 3年間私がぐるぐるしている間に師父の功夫はさらに磨きがかかり、一度手は届かなくとも見える範囲まで縮まったと思った師父との距離はまた見えないところまで広がっていた。太極拳を教えながらも何を教えているのか分からくなるほど突っ込んでしまう私の癖で生徒さん達が大道を外してしまうのではないかと心配になり師父を呼んだことは大正解だった。武術家とはどういうものか、太極拳とはどういうものか、が生徒さんには分かったと思う。私は武術家を紹介する仲介者なのかもしれない。今は中国でも真の武術家を探すのは本当に難しい・・・武術を教える先生はたくさんいるけれども。

 

 主人がパリに赴任するということは、私はもう一度師父について学べ、ということだろう。行かなくてはならない。ニュースを伝えた時の生徒さん達の表情は行ってしまうことを察知した表情だった。師父が来てせっかくやる気に火がついたのに・・・・。師父の表情は嬉しさと共に残される私の生徒さん達に対する心配で、印象に残るほど極めて微妙だった。

 

 振り返れば2006年から2009年の三年余りを毎日師父との練習に費やし、その後帰国して教え始めちょうど10年になった。自分一人の練習に集中してオーバーホールするのにちょうど良い時期だろう。まだ教わってなかったことも学ぶことができる。

 うちの娘も来年か再来年にはパリのファッションスクールに留学することを考えていたから好都合。

 主人も激務だった韓国の任務から離れ少しはゆっくりして身体を休めることができるかも(?)しれない。

 とても意外な展開だけれども、そうでてきたなら、そうするしかない。

 

 知らせの後で犬の体調が崩れて私がいつ渡仏できるかが不明瞭になったけれども、行くべき時になったら行くのだろう。いつでも動けるように準備はしていかなければならない。

 

 ・・・と、そういうこともあって、練習のメモ的なものを書く気が湧かないまま一か月が過ぎた。箇条書きだけでもしておかないと流れてしまう。

 この一か月間の練習で気づいた点の中には太極拳の核心、松、と関係するものが多い。

 巷の太極拳で誤解されていることがはっきり分かった点

 ➀前クワを緩めるとは? 前クワの松の意味

 ②腕の松とは? 

  (松は脱力とか力を抜くとかではない。中国語で言えば 緊ー松ー懈。

  緩んでも懈してはいけない。)

 ③拘束丹田(吐いて固める丹田)から磁力のある丹田(広げた吸引力のある丹田)へ

  丹田で吸えないと気はたまらない。拘束丹田は吸引丹田を作るための準備段階。

  黒い固めた丹田→白抜き丹田 にするにも、”松”が必要。

  これが丹田呼吸になる。

 ④頭の松 検証中

 ⑤上腕と太ももの関連 これは各論

 ⑥女性は会陰を使わない(使えない)

 ⑦静功における止観法 何を止め、何を観るのか。

 

 まだあったような気がするけれども思い出したのはこんな感じ。

 

 

2019/5/9

 

  師父の来日中学んだことを整理する時間のないまま時間が過ぎている。身体で理解したものを言葉にして表すのがとても面倒くさく感じる今日この頃。

 

 師父が去ってから飼い犬の肝臓病が発覚してあっという間に容態が悪化、連休中は生死を彷徨う日が続き奇跡的に命をとりとめた。その間、私達動物の”命”、生きようとする、意思よりももっと深いところ、私達にはどうしようもない根っ子のところにあるものの身体への執着、をまざまざと見ることになり、これが仏教の言うところの渇愛、存在欲、これを断ち切るためには本当に内側の奥の核心部分に到達しなければならないなぁ、丹田はその表面の入り口に過ぎない、などと自分が太極拳を何故学び始めたのかを再確認していた。

 

 太極拳は生命力をアップすることを目標に練習するが、実はそれがいずれは如何に安穏に身体から離れるのか(如何に安らかに死ぬのか)ということにつながっていく。その道筋が見えてきたのは大きな進歩。死に向かうことに怖れがなくなれば他に恐れるものはなくなるだろう。

 

 いろんな話は割愛して、とりあえず、生命力アップにも、身体のアライメントを整えるにも、自分の内側に入るにも欠かせないタントウ功の要領をまとめた図を紹介。これは今回師父に学んだものを私が頭で整理して図化したのだが、師父に見せたら、「聡明だ!」と笑って褒めてくれた。

 このタントウ功はある意味秘伝。急速冷凍で効果を出す。きついけどやりがいはある。百会と会陰を最初につなげてしまうところがすごい。

 

  バナナはまだ気の操作をしていない段階。

  実際には真ん中のナスが第一段階。

  前クワを緩めた右のナスが第二段階。

  本当はその後に前クワを外さないで後ろのクワに坐れるところまで丹田の気が増えた段階が第三段階。ここまでいけばタントウ功は完成。

  まずは第二段階までいって、この状態で丹田に気を溜めていく。

 

  細かい説明はレッスンの時に。

2019/4/24 <檪ちゃんと手を合わせる>

 

 一昨日の櫟ちゃんとのレッスンです。

 お母様がFBにうまくまとめてアップして下さっていました。

 コメントも正確です。

 

 https://www.facebook.com/yuniko3/media_set?set=a.2194248420652707&type=3

 

 劉老師が来た時に拍打功を学びました。

 腕の力を抜いて両手をパーン!と叩く、最低300回、という単純な功法ですが毎日続ければ思いもよらない効果が出る。(瘀血が手のひらに紫になって出てくる?)

 櫟ちゃんは両手を合わせることがとても難しい。自分で自分の身体を触って確かめることができない。ので、私が代わりに彼女の掌に掌を合わせました。

 掌を合わせる、労宮はいとも簡単に丹田と繋がる。哲学的、抽象的な意味ではなく、本当に繋がるのが分かる。太極拳の防御が攻撃になってしまうからくりも防御の時に自分の手が相手の身体に触れることで丹田を効果的に使えてしまうから。労宮と丹田の繋がりがわかってしまえばいつでもどこでも掌使って自分の丹田を鍛えられます。

 

2019/4/18

 

 劉老師による弓歩の指導の一場面。 

 

 以下はこの動画についてのLINEへの書き込み

 

  劉先生の弓歩のレッスン。これも一種のタントウ功。

  まずは例によって胸を入れさせて背中を開かせる→気が腹の方に落ちる。

  その後、「お尻に座れ! 」と言ったのだけど、Oさんは身体を落として膝に乗ってしまった。先生は、「違う、違う、身体は下に落としてはいけない、気を下に落としなさい!」と指摘。

 

 そこで先生は、身体を落とした状態と身体を落とさずに気を落とした状態を両方やって見せてくれてるのだけど、画面からはみ出てしまってる!

 

  (身体を降ろすと膝に入る。)

「身体を下げずに気をお尻まで降ろすと、ここ、クワが松する。」

 というところから劉先生の弓歩の姿が映っています。

 

 これができれば前に移動しようが後ろに移動しようが問題なし。

 

 ”身体を落とさずに気を降ろす”

  これが分かってできれば太極拳の門に入っている。

 

  太極拳は門に入るまでが難しい。入門まで導くのが師の役割とも言われています。

私の生徒さんの中ではHさんが門に入ってる。その他数名が門にまさに入ろうとしているところ....劉先生の評価です。

 

 来春までに入門済者を10人は作りたい♪

2019/4/16

 

  劉師父の4日間のレッスンが終了し、今日師父は鄭州に戻りました。

 

 やはりさすがの一言。

 生徒さん達は本物の武術家とはどういうものかが分かったと思います。

 皆ものすごい集中力で学んでいました。

 師父の気場に包まれて、知らず知らずのうちに引き込まれていく。

 気の量が多い、気場が大きい、ということはそれだけ人々に影響力を与えられるということ、太極拳はただの拳を学んでいるのではなく、道を学んでいるのだということを改めて思い知らされました。

 中正不偏、中庸、太和を身体でできるようにしながら次第に心もそうなっていく。身体が心になる、身体が心である、心が身体である、それがどういうことかは(頭で考えると分からずとも)師父に接するとこういうことなのかと理解できたのではないかしら? 

 別れ際に涙ぐんでいる生徒さんもちらほらいました。

 

 毎日やらなければならない練習を師父は何度も繰り返し繰り返し私達に言いました。

静功、坐禅、タントウ功、拍打功は特に強調していた功法。

 

 師父との練習についてはまた書きます。

 

2019/4/9

  林先生の初耳学でパリコレ学をやっていたとは。
それを知って娘と第一回から見ていく。
  アンミカ先生の熱血指導、コシノジュンコも現れ、富永愛も加わる。
  そして2/3放送分、富永愛がポージングのお手本を披露。
  息を呑む美しさ。
  「ピタリと止めるところは止める。そしてあの指のしなやかさを見ましたか?」
   とアンミカ先生が興奮気味に生徒達に言う。
 
  そう、あの手、指、は丹田の賜物。
  手首は松、そして指は 垂指。
 
  丹田力がものすごい。
  上丹田までびったり。
 
  ここまでピッタリ入っているのを見ると一般の雑誌のモデルが素人にしか見えない。
 
   説明はいずれ。
   身体の力をどう内側(丹田)に引き込むのか、とても勉強になりました。太極拳の先生でもあそこまで引き込めている人はなかなかいない。私もまだまだだ。
  <この富永愛さんのポージングの動画を生徒さん達に紹介した後のLINEへの投稿>
 モデルが額の目の力を鍛えるという話はとても参考になりました。
 "凝神聚气" という言葉が浮かびます。
      凝神(眼を引き込んで上丹田を鍛えると) 聚气(気が集まる)。
  静功の時は目を軽く瞑りますが、丹田を内視し続けることで密かに凝神をするべきなのでは? と今さらながら思いました。
  動功やトウロの時は目は瞑るべきでない、目線が決定的に大事、とは知っていたしそう教えていましたが、肝心なのは”凝神”だった....
  劉先生来たら観察してみて下さい。
  

2019/4/5

 

 昨夜海外の生徒さんとビデオレッスンをしていてまたまた驚く言葉を聞きました。

「先生、とは言っても、太極拳は膝の裏を伸ばしてはいけないんですよね?」

 弓歩、重心移動の話。

 えっ? 

 

  そういわれてみたら、彼女が現地で習っている楊式太極拳以上に私の練習している混元太極拳の人達にわざわざ後ろ脚(蹴り脚)の膝の裏を曲げている人が多いような。

 

 

 馮志強老師の真似?

 

 丹田の作り方とも関係あるけど・・・説明はまた今度。

 

2019/3/31

 昨夜書いたブログ、師父に写真を見せながら話したら、お尻に坐ってるか否かの問題、と一言で済まされてしまいました。
  確かに。随分簡単(苦笑)

2019/3/29 <”膝はつま先より前に出ない”≠”膝をつま先より前に出してはいけない”>

 

 今日の練習でびっくりしたこと。

 恐らく日本の太極拳界に蔓延している大きな誤解・・・

 

 私が生徒さんの弓歩の前足を形を直していたら、その生徒さんが一言、「でも、先生、膝はつま先より前に出てはいけないのですよね?」

 そう、その通り。だから直しているんだけど・・・・

 彼女の弓歩の前足は、膝の上の太腿の筋肉を固めて体を支えている状態。これでは上半身の力が足裏に落ちず太ももの筋肉だけで体重を支えてしまい、内側の勁がつながらないので脚と腕が全く無関係になってしまう。太極拳の醍醐味が全く失われてしまっている。膝や股関節を傷めてしまうのも時間の問題。

 ・・・と、私が彼女の膝の向きを少し外側に向け、膝裏から彼女の膝を前方に推し出そうとする。すると、「いいんですか、こんなに膝を出して・・・?」と恐れおののいた表情。

  いや、大丈夫。どれだけ深くしゃがんでも膝がつま先より前に出ないのが太極拳の下半身の使い方・・・と心で思いながら彼女に深い弓歩をさせていく。

 「えええ~~」と言いながら彼女の姿勢が低くなっていく。彼女は以前全国展開している××連盟の太極拳を習っていたからそこで叩き込まれた掟に背いてしまうのではないかと気が気でない様子だ。

 そして、私が彼女に尋ねてみた。「どう?膝がつま先より前に出てるかしら?」

彼女が自分の身体を確かめる。「いや、ここ(太ももの裏側の付け根)が伸びていったから膝は出ていません。」

 

 ここで気づいた。

 彼女は膝をつま先より前に出してはいけない、というルールに従うために、(上から見て)膝がつま先にくる直前で膝(太もも)を止めてしまっていた。

 あ~、そんなことをしたら、身体にブレーキがかかって膝上に過剰な負担をかけてしまう。一生懸命太極拳を練習すればするほど太ももが太くなるか膝や股関節が悪くなる(両方とも起こる)のはそんな不自然な力の使い方をするからだ・・・と納得。

 

 「膝がつま先から前に出ない」

 というのは、「膝がつま先から前に出ないようにその手前で止めましょう!」という意味ではない。

 それは、「どんな姿勢でも(タントウ功でも深い弓歩でも馬歩でもしゃがんでも震脚でも)身体が太極拳的に正しく使われていれば、膝がつま先より前に出ないような使い方になる。」ということだ。

 結局、膝がつま先より前に出てしまうというのは全身問題で、丹田を作って腰や股関節の使い方を調整しなければならないということだ。

 膝がつま先より前に出ないということは太もも(前側を特に)固めない、伸筋として伸ばして使う、ということだ。会陰がしっかり上がって両脚の付け根が腹奥にあり、それが腰(命門)と結びついていれば、深くしゃがめばしゃがむほど骨盤の中の両脚の接点が上方に持ち上がるから(会陰が更に上がるようになる)、太ももは付け根に向かって長く伸びたようになって結果として膝はつま先より前に出ることはなくなる。両脚の付け根が腰と結びつかないまま弓歩や馬歩をすれば、力が身体の中に向かって引き上がらず、逆に体内の力が両ひざの方に落ちて抜けてしまうようになる。

 しゃがんでいく時に前面の太腿がギュッとふと短く収縮したら、たとえ”膝がつま先より出てしまう”前に動きを止めたとしても、それは”膝がつま先より前に出てしまう”動きに他ならない。

 

 中国語は一見自動詞か他動詞か分からないことがある。

 『松胯曲膝』

 も、”クワを松して(緩めて)、膝を曲げる” 

 と読んでしまうと大半の人は大失敗してしまうだろう。

 ”クワを松すると(緩めると)膝が曲がってしまう”

 と読むべきでないかと思う。膝を曲げる、と曲げに行った時点で、丹田の感覚を得て内気を養い使う練習をすることは不可能になる。

 

 膝はつま先より前に出ない

 という要領を馮志強老師の本で見たことがないのは、そんな外形の話はしなくとも、丹田を作ってそれを失わないように動けばそうなってしまうから、だろう。

 正確には、”(丹田を失わないように動けば)膝はつま先より前に出ない。”

ということではないか?

 決して”膝がつま先より前に出ないように動く”ではない。強いて言えば”膝がつま先より前に出ないように身体全体(腹腰クワ)を調整しなさい(できないなら気を溜めて基本功をやりなさい)”ということだろう。

 膝がつま先より前に出ないように・・・と脚で調整して動いていたら、太極拳の門には入れないどころかその前に身体を傷めてしまう。気を付けなければならない。

  

 武術大会は内功ではなく外形を見せるものだから膝に負担のかかるような目立つ派手な姿勢をとっていることが多いようだ。歳とってやるものじゃない。

 膝に負担をかけないような坐り方ができればかなりの功夫。腰と腹とクワの開きに尽きる。

 

 上の中の大会系の選手たちは膝がつま先から出ないように股関節を広げてお尻に坐れているが、丹田を作っていないため股関節に多くの負担がかかりそうだ。内功系の太極拳はともすると丹田(腹)の意識が強くてなかなか坐れない(重心が下がらず、股関節やお尻が開かない)。

  

 なお、下のイチロー選手のストレッチは究極の馬歩や弓歩。

 このように身体を使えば、どれだけしゃがんでも”膝はつま先より前に出ない。”

・・・・お尻のはっきりとした割れが印象的。

2019/3/28

 

 やっと胸、小胸筋の使い方が分かってきた。含胸がないと立甲(肩甲骨が立つ)しない。含胸と力行で胸、肩、胸郭が決まる。

 ・・・と師父に報告をしたら、「じゃあ、そこの動きは・・・。」と少し考えて、この馮志強老師の動画を見れば良く分かるから、と勧めてくれたのがこの動画。

 

 馮老師はいつも手がぶらぶらしていたけど、それは胸や肩がきちんと決まっていて肩関節が自由に動くから。若い時に通背拳をやっていたこともあり人一倍肩関節が緩んでいる。肘技の名手だったのもそのため。

 が、今見ると、その肩関節の抜きのためには極めて強固な体幹、丹田、が必要なことが分かる。

そして胸郭がしっかり丹田とつながること。

 46式、炮捶の練習をすると胸郭の重要性がとても良く分かる。

 そして震脚。

 太極拳で炮捶を知らずに一路だけ練習するのはもったいない。

 以前は炮捶は女性がするのはかっこよくないと実は思っていたのだが(優雅さ、優美さに欠ける?)、教えてみると思いの外女性にウケがいい(男性にウケがよいのは当たり前としても)。

 気を溜めてばかりでなく、発散も大事。

 花見も始まる季節。春はことのほか発散が大事。こもると五月病(心身症)やら身体がだるくなる。

 ・・・がこんな炮捶の練習をしていたら小胸筋が盛り上がってぴくぴく動かせるようになってしまいそうで心配(苦笑)。

 

正しい直立姿勢を忘れてスポーツばかりしているとスポーツをしない人よりも身体のズレが大きくなる危険性は大きい。実際私もかなりずれていた。

 

詳細は省くにしても、足を揃えて正しい直立姿勢を練習(?)してみると、びっくりするほど胸を盛り上げなくてはならない。(左の図を参照)。そこから胸の気をぐっと丹田まで落とし込めば(含胸)、子供と同じような自然な直立姿勢ができる。この含胸の感じは胸をぺったんこにするのではなく、逆に胸筋を鍛えることになってしまう勁の流れだ。これまで思っていた含胸と全く違う感覚にびっくり。胸筋ぴくぴくさせる男性スポーツ選手の姿が頭に出てきて、なんだかなぁ~、と微妙な感じ。

 

 いずれにしろ、この姿勢を維持するにはずっと丹田に息を注ぎ続けなければならず、身体の中はビンビン勁が通るような感じになる。そのビンビンした感覚を失わないように更に丹田に気を溜めていこうとすると、股関節を緩めたり膝を緩めたり、身体の各所を緩めなければならなくなる。するとその姿勢はいつでも伸びて元の姿勢に戻りたくなるような構えの姿勢になる。それはあたかも猫がとびかかる前に身を小さくして気が逆立っているような感じ。

 結局、太極拳の構えをして全身の毛が少し立つかのような、全身のビリビリ感、電気感がないなら、真の構えとは言えないだろう。

 真剣で勝負する時に構えた姿、あのビリビリ感、を一人の套路練習で持たせるのは無理にしても、潜在的にそれにつながるような内側の勁の流れがある。それにはちゃんとした直立姿勢をもう一度見直すのが良いのではないかというのが最近の私の大きな気づき。

 実際に私自身が直立姿勢を見直してみたら、それに伴い腰、膝、太もも裏、足指、胸、肩、喉、顎、舌・・・と様々な部位に連鎖反応のように変化が出てきた。人体がどのように二足で立つのか、立てるのか・・・いろんな箇所の引っ張り合いが一線、一点に集約する・・・と自分の身体の感覚を感じていたら、空に飛ばす凧を思い出した。凧はどのように作ると高く舞うのか?糸のかけ方はどうなっていたっけ?・・また余計なことを考え出してしまった。

 タントウ功はまず直立姿勢を学んでからやった方が良いのではないかしら?

 

 それにしても本当に身体はうまく作られている。本来は最小限の力、最小限の意識で立ってしまえるようになっている、アライメントが正しければ。が、アライメントを正しくするのに、中身をその位置にもっていかないと、外から作ったアライメントはすぐに崩れてしまう。正しいアライメント(形、器)を教えてもらったら、そこに自分の中身を合わせて中身の感覚を覚えてしまうと、中身の方から外向きにアライメントを調整していくことが可能。そうすれば馮志強老師や子どものような柔らかい正しいアライメントができあがる。形だけ正しくすると無理をしているので疲れるし身体が硬直してしまう。そしてその中身の位置を自分で確かめて調整するのに不可欠なのが丹田。丹田の感覚なしに中身の話は始まらない(それは何故なのかが分からないけど、丹田無くしてしまうと中身の感覚がゼロになるから不思議。丹田なくして手首の”中”の感覚はとれないなぁ。)

 

 (上の図はhttps://stretchpole-blog.com/slight-stoop-causes-10410からのもの)

 正しい直立姿勢における内側の勁は子供達のジャンプ姿から見ることができました→次回に。

2019/3/27

 

 

 練習していなくても毎日何かしらに目が留まって、なるほど、と気づきがある。もうそれは癖。

 それが練習材料になってしまうのだからキリがない。尽きない。

 一週間ぶりに練習に来るともう次の話題に移行してしまっている。生徒さん達も大変・・・。

 

 ここ1週間余りの中で、うわっ、なるほど、そうだったのか・・・と思った材料で覚えていものを列挙してみよう。

 

 

➀7点を支える枕 

 youtubeを見ようとして流れた広告動画。およよ・・・肩はともかくも、肘!

 タントウ功の時にここを軽く使うんだ、と昔師父が押さえてくれた場所。調べたら三焦経の天井あたりだった。その時はそこのツボをどう使ってよいのか分からなかったが、なるほど、肘のここが決まらないと上半身、肩、首が決まらない・・・。

 待ちゆく人は歩いている時に肘の感覚が皆無・・・肘が分かっている人はある意味、曲者、ただ者じゃない。

 

 

 

  

②日本人と欧米人の頭の形、顔立ちの違い

 

 日本人と欧米人の骨盤の傾きが違うこと、日本人の骨盤は後傾しているから背骨の本来のS字カーブが少ないこと、それなのに太極拳でさらに背骨を真っ直ぐにするのはとてもおかしいこと、は知っていた。

 まずは背骨のS字カーブをちゃんと取り戻してから背骨を弓のように下に引き下げないと(抜背)、何のために背骨のS字カーブを緩やかにして引き伸ばしているのか分からない。弾力をもたせるためにやっている抜背が、ただの硬直した板状の定規のようになってしまっている。

 なぜ背骨を真っ直ぐにしなければならないのか?

 それを知らずに真っ直ぐにしている人の如何に多いことか・・・(ほとんどチコちゃん  笑)。

 本来はS字。それを真っ直ぐにさせるとはどういうことなのか?(各自考えてみて下さい。)

 

 太極拳では真っ直ぐにとは言わず弓にすると言います。その含意は?

 

 

 

 

 そしてその先の話。

 このブログを見ていたら、なんと、この骨盤、背骨カーブの違いで頭の形も変わってしまうのが分かった。https://www.cosme.net/beautist/article/2023796

 気を逆回りに周天(督脈上がり任脈下がる)させると、たしかに欧米人のようになる。

 

 順回転で周天させると(任脈上がり督脈下がる)、日本人のようになる。

 

 太極拳での攻撃に限らず、馬に乗って前に突進するとか、100メートル全力疾走、卓球で打球する時、スキーで滑走する時、などはどれも気を逆回転させる。すると骨盤でだけでなく頭蓋骨も後ろ上がり前下がりに回転、結果として目は下方に(目と耳が同線上)、顎が引ける。眉間の位置に両目が集まる(から目の焦点がきっちり合う。)攻撃系の身体の使い方。

 通常人体の気は順回転。のんびりしている時は顕著。すると前上がり後ろ下がりで、日本人のような顎が上がって目の位置が上がり後頭部が凹む頭部になる。

 気がどう流れるかによって時間の経過とともに外形が作られてくる。

 洞窟の中の水の絶え間ないしたたりで岩が削れていくようなもの・・・かな?

 

 道教で修行者は逆回転で周天させるが、それは人間の通常の回転は順回転だからそれを逆回しにすることによって時間を逆回しして赤子に戻る・・・なんて説明を聞いたことがある。

 逆回転させて若返るかは疑問が残るけれども、運動的には逆回転は攻撃系(前歯で噛みつけるような肉食系の顎になる)、交感神経優位、覚醒系、順回転は守備、リラックス、副交感神経優位、怠惰?になるようだ。

 

③ピアニストに見る気の使い方 修練度

 大師とは何かがはっきりした劉師父との会話

④子供のジャンプ 足

 

 ③④はまた日を改めて書きます。

 

2019/3/22 <胯の回転、二階か地下一階か、虚歩の意味、足の甲ではなく足の裏

 

  その後クワを盛って肩甲骨とつなげることを生徒さん達に試してもらいながら、いろんなことに気づいてきた。

 

 クワ(股関節)を回転させるには、まず股関節、即ち、太ももの先端の円い骨と骨盤の接触するところに隙間を空けなればならないが、ここに隙間を空けるための一つの方法が虚歩、即ち、踵を浮かせることだ。隙間を空けずにゴリゴリ関節を擦り合わせて使ってしまうと当然関節が痛んでしまう。年寄りになって股関節や膝の関節がダメになってしまうのは隙間を空けておくために身体(内臓)を引き上げておく力(会陰の引き上げ等の力)が減ってしまうから。 

 武術には虚歩というすばらしい歩法があり、これを使えば股関節がスムーズに使えて素早く動けるようになっている。踵を両足とも上げてしまうと身体が不安定になってしまうところを、片足だけ上げることによって、機敏さと安定を兼ね備えることができる。

 

 タントウ功で踵を少し浮かせたり、踵に薄皮一枚挟んだようにしておく、というのは股関節をつぶさないために有効な方法。そうすれば腰に隙間ができ、身体が固まらない。ここを間違えると硬直した石のような身体になってしまう。タントウ功で失敗するのはここ。

 

 で、生徒さん達にクワを盛って回転させる動作をさせていたら、あたかもベリーダンスのようになってきた。クワを浮かして(隙間を空けて)回転しようとすると、それに連動して腹が回転する。ベル―ダンスの時にダンサーが虚歩(片足を前に出してつま先をつけている)になっているのは、そのようにしないと腹が回らないからで、腹を回そうとすればクワが回ることになる。クワを回そうとすると往々にしてお尻や太ももが回ってクワが回らない。膝を回す時は膝の上の太腿を回しているはず。関節を回す時は関節の上の骨を回すようにするのがとても大事(肩を回す時は肩を回そうとすると腕が回ってしまう。胸から肩を回そうとすべき。)

 

 (ベリーダンスのイメージが浮かばない人は下の写真をご覧ください。)

 

 

 このような形で動いていると肩甲骨が開きやすく、肩甲骨がクワに乗って、肩こりがなくなってしまうのではないか?と思ってしまう。が、踵を地面につけると、とたん、いつもの姿勢にもどり、肩の解放感がなくなってしまう。

 地上から2階身体を引き上げて股関節を回す。そんな感じだとうまくいく。

 が、太極拳は両足が地上についていることの方が多い。その時股関節を回すにはどうしたら良いのか・・・・と、いつもの動功をやってみたら、なんだ、足の裏を地面の中に埋め込ませてしまえば股関節に隙間が空いて、クワがスルスル回転している。

 

 早速生徒さん達に、足の裏から地面に気を落とすことを教える。

 が、ほとんどの場合、足の裏に落ちているようで、足の甲で気が止まっている。

 足の甲ではなくて足の裏!

 と何度もしつこく言わないとピンとこないよう。

 足の甲と足の裏の違いがはっきり分からないと足の裏に気は落とせない。

 足の裏が鮮明に分かれば、その気が地面に潜った後戻って上がって来るところを足の裏で捉えてそれによって動くことができるようになる。

 ジャンプにしろ体重移動にしろ、地から戻ってきた力を使わずに自分の筋肉だけで行っていると身体が強張ってしまう。放松するのもその微妙な感覚を使うため。まずは足の甲まで気を落として、そこからひと踏ん張り足の裏に落とすことを学ばなくてはならない。(通常タントウ功で練習する。)

 ここにいればクワはスルスル回転する。

 この状態はあたかも地下一階に降りたような感じ。

 結局、二階か地下一階で動かないと関節は回らない。グランドフロアーで動くことはご法度なのだと理解(これを劉師父に語ったら、そんな風に考えたことはなかったと苦笑いをしていた)。

 

 二階で動くのがクラッシックバレエやベリーダンス。そもそもは天に届こうとしたり、天や神に捧げようとした踊り。

 地下一階で動くのは、タンゴやランバダかなぁ。下に落ちて動くと、クワとともに臀部が回る。

お尻を強調するなら地下一階?

 

 なお、ハイヒールを履くのは二階に上がることになり腰の可動域が増える。が、その分腹の丹田がしっかりしていないと腰を痛めてしまう。

 

 冒頭の絵は馮志強老師の言うところの18の球のうち胴体部分のもの

 二階に上がると腹、腰からクワが回転。

 地下一階だとクワから臀部、脚(膝、足首)が回転する。

 二階から地下一階まで通してしまえば、腹腰(丹田)から足裏までが貫通し、太極拳の要の下盤は完成する。(18の球のうちの胸と首に関しては頭蓋骨の回転の話題を書く機会があればその時に。周転は頭蓋骨の回転をもって完結すると最近体感したばかり。)

 

 ランバダってどんなかったかなぁ?と写真検索してみました。地下一階系はお尻や太ももを強調するなぁ。

ハワイアンはどうだったかなぁ?、と見たら、踵外してた。二階系。

 

 太極拳は二階も地下一階も合わせてやる・・・そして全身を一つの気で包んでしまう。

 ”大気は大師の印” ・・・・これについては次の独り言に書こう。

 

 

2019/3/18 <胯と肩甲骨の連結←胯の回転←胯を緩める←胯に空気を入れて盛る?>

 

 <昨日の練習後のグループLINEへの投稿>

 

今日の練習の要点は、後ろの股関節(後ろの胯kua、お尻の上部。)の上に肩甲骨を乗せ、後ろの股関節の回転で肩甲骨を巻きつけて腕を使うことでした。

自然にできてしまうのが望ましいですが、少し意識した方が良いかと思います。

 

クワ(股関節、骨盤)と肩、が合う、というのは大事な太極拳の要領。

股関節を使う、股関節に乗る、というのは感覚的にはお尻の中を使うこと。関節を回して身体を動かせば関節は痛まないが、関節と関節の間の骨から動かそうとすると関節が傷んでしまう。筋肉の太いところから使わずに関節に付いている筋肉のスジから使うような細かな意識が必要になります。

 

股関節、お尻がよく使えているのは馮老師と陳項老師。お尻(クワ)と腰のつながりが幼児並。

 

  赤丸の部位に注意して動画を見ると身体のバネ、柔らかさ、力強さがよく分かる。

 

  馮老師を見てから普通の老師を見ると違いが一目瞭然....見えるかしら?

 

 

お尻(クワ)から動かずに太ももから動くと膝でつっかえてしまう。中正もとれない。

 

馮老師の場合はどこでもまっすぐ。

https://reraku.jp/studio/ariokashiwa/blog/38056
https://reraku.jp/studio/ariokashiwa/blog/38056

 

 

 

巻き上げるのは中臀筋位置https://reraku.jp/studio/ariokashiwa/blog/38056

 

 

 

 

 

  

   練習中、お尻のパットを入れたように、なんて適当に言いましたが、調べてみたら、巷のお尻パットは盛り上げる位置が違う! 用途が違う....(苦笑)

  こんなところもっても何の意味もない....肩甲骨が繋がらない。

 

 回転させて盛るのはここ♪

 

 

 股関節回転させるには少しかかとを持ち上げてペダルを踏んで回すみたいに・・・と思ったら、あれ?自転車が同じでは?と気づきました。競輪で検索してたら、あった!パンチの前に気を丹田に溜める前の動作はこんな感じ(縮めた方を上げる?と生徒さんが面食らっていますが、太極拳ならそこで”合”になって丹田に気が集まるようになる。このやろう~!と手を振りかざした位置?

2019/3/15

 

 下のブログ、昨日携帯で書きっぱなしにしていて、今日パソコンで読んでみたら、致命的な間違いを発見!!

 あららら・・・、と訂正しようかと思いましたが、あまりにも明白な間違いなのでそのままにしておきます。適宜直して読んで下さい(苦笑)

 

 修行系の経典にはわざと間違いを混ぜていて、弟子がちゃんと自分で修行しているか試すのだと聞いたことがありますが・・・。別に狙ったわけではないし、ただのコモンセンスのレベル(言い訳・・・苦笑)

 

 良い動画がありました。

 震脚はそもそも推力を増加させるもの。実践用途を知っていれば間違えない。

2019/3/14 <震脚 何が震えるのか?>

 一人練習していたら火曜日の御苑練習で出てきた震脚の問題を思い出してしまった。
地面から跳ね返らない震脚はもはや震脚ではないのだけども、少林寺の子供達の演舞の印象が強いのか、地面に脚を踏み落とした瞬間に頭がガーンとなって脳にダメージを与えかねないやり方が普及しているようだ。
   なぜ震脚というのか? 何が震えるのか?
まさか頭がガ〜〜ンと震える訳ではないだろう(苦笑)
    震脚は半身ごとに気を通して松させる作用がある。足裏まで気を下ろして邪気を抜く。   うまくできれば、足が地面に降りた時に、パーン!と公園に響きわたるような明快な音がする。ドスッ、とか、ベタッ、とした響かない音は失敗の印。
   震脚は自分の耳でよく音を確かめながら練習する。注意せずに漫然と繰り返しやっても益はないしかえって身体を痛めることになる。
 右足で震脚をする時は右足重心、左足の時は左足重心。右足を降ろした時に左足に体重を移すことは跺脚(duojiao 踏む)。これをすると上記のように、頭、特に後頭部にダメージが出る。震脚はそれとは別物。右足を地面に降ろした瞬間に右足が地面から跳ね上がってくるような力が働くのが震脚。地面から跳ね上がってくる力があるのに足を跳ね上がらせないからこそ、身体の中身が震える。しかも足裏は地面に落ちた瞬間だけでなく、跳ね上がった力が身体を震わせている時間ずっと地面を同じ圧力で踏み込み続けたようになる(倒れた相手を均等な圧で効果的に踏み続けられる)。
   
 右足で震脚をすれば、右半身を緩める(松)ことになる。左足やれば左半身の松ができる。
 何が”震”えるのか?といえば、それはもし右足で震脚をしたなら、右足、右脚の中身、右側の腰の中がワワヮンと震えるのが分かるはずだ。うまくいけば、右側の胸、肩あたりまでも内側で振動するのが分かる。(頭の中は振動しない。)このワワヮ~ンを味わうと、ああ、確かに内側がほぐれるなぁ、と分かる。踏み方をいろいろ調整すればいろんな箇所が震えるし、完璧な形で脚を落とせたなら、一発で、あたかもお寺の鐘を鳴らした後の余韻のように、身体の半分の中身が震えて、余分な力が足裏から抜けるのが分かる。
    地面の奥から跳ね戻ってきた気を掴むのはジャンプや歩行に必要だが、震脚はそれをしっかり意識する練習になる。
     地気を掴むには全身の気がまず地下に落ちなければならない。タントウ功でまずは足裏まで気を下ろすのはそのためだ。地の気を借りて立てれば自分で立っている感覚が薄れて立たされたようになる。自分でしっかり立っているうちは力が抜けない。
    ....立たされる、腕も挙げられてしまう、脚も挙げられてしまう、そんな他律的な動きの感覚の中で動けるのが太極拳の醍醐味。
    意から心へというのも自動詞から他動詞への移行。頑張るのではなく、信じて任せる意識。
   震脚も落とすのではなく落ちる!(と師父に何度も言われたのを今思い出した。)

2019/3/9 <上虚下実の”虚”とは?>

  今日の練習が終わって書いたLINEの文面
<今日の練習では下半身を正しく使うには上半身が必要→上半身は浮く、という話から、『上虚下実』、なかでも"虚" の意味にはたと気づいてしまいました。
虚は無ではない....
とても大きな発見のような気がする....ドキドキするのを生徒さん達にバレないようにしていました(苦笑)>
   これじゃあ何のことか分からない。
「虚とは空ですか?」なんていうクイズをしてるかのような反応もあったが、虚にしろ空にしろ無にしろ、それが膝とか股関節などを実感するような感じで実感できなければ論じても意味がない。
   
   指を外からではなく内側から感じる、そんなところから始めて、腹の中の感覚をつかんでいく。腹の中に何か力の終結したような粘いものがある実感を掴むのは初めの一歩。肩を内側から感じたり肘を内側から感じたりするのは難しくなる。内側から動かすためにはその箇所の内側の感覚を知らなければならない。鍼灸のツボは治療目的、武術のツボは急所攻撃目的かもしれないが、太極拳で自分の身体を開発するにはそのツボを内側から感じて、それを使って身体を動かすから、まさにツボは内側の身体の地図になる。
   身体を内側から探索していけば、そのうちそこを流れるもの、気だの勁だのに気づくようになる。気が途中で滞ったり、消えてしまったりするのをどうにか流そうと試行錯誤していくうちに、ある時、"意"通すことを知る。
    意を通そうとするならば、その時、意を通そうとしている自分がいる。それが、太極拳では、心、というようだ。
     先日師父に意と心の隙間が分かったと伝えたら、なら、心が先で意はその後につけろ、と言われた。意が先ではいけない、あなたは特に注意する必要がある、と。
    言われた直後はピンとこなかったが、確かに意が先走ると視野が狭くなり特攻隊のようになってしまう。心を先に持っていけば、広い深海のような心の中に火の意が溶け込んだまま推し出すようになり冷静な自分の中心を失うことがない。
    この手のものは日常生活が良い練習の場になる。気づいていなければならない。
 
2019/3/8
 
  ほぼ2週間ぶりの櫟ちゃんのレッスン。
  前回は何をどうして良いか分からないまま、とりあえずは身体が動かせるようにと思いつく動きをアドリブ的にやっていきました。
  今回は、前回のレッスンで櫟ちゃんの身体のことが少し分かってきたので、その理解を更に深めようと、櫟ちゃんがやったことのない動きに挑戦しました。
  
   やったことのない動きをやる場合、意が決定的に重要になる。健常者の私達でも、右利きの人が左手で箸を持って豆を一個一個摘もうとすると、手が思うように動いてくれなくて歯痒くなる。"思うように"というのが、まさに"意の通りに"という意味で、"動いてくれない"というのが"力"の部分。
   すなわち、意(意思)が力(パワー)となって外部に現れない時、私達はとてももどかしく歯痒い思いをする。
    太極拳の練習は結局、どのようにして意を力へとスムーズにロスなく転換するか、それに尽きる。
   そのためには意→力へのドカンと開いた経路を開通させなければならないのだが、意はそのままでは力にはならず(指よ動け!と頭の中で思っただけでは指は動かない)、途中、その意(脳の指令)を、体内を流れるエネルギー(指よ動け!と思って本当に動かそうとした時に指に向けて流れていく体内の暖かなもの)=気の流れ、が必要となる。
   この気の流れる道が開通していれば、思えば動く、思わなければ動かない、というように、身体はいつも頭の指令下に統制される。身体がいつも頭の統制下に置かれていれば無駄な動きはないし、おかしな行動を起こすこともない。身体を修める頃には心も脳の統制下に置かれるから邪念も浮かばなくなる....というのが、本来の武道なり茶道なり、"道"と名乗るとものの修行法。
 
    話を戻すと、気の経路が開通すれば、身体の末端まで気を届けておきながら、外向きの力としては発しない、ということも可能になる。外に出さなければ体内の気は減らないし、ここで気の発生元である丹田をグツグツ練った状態にしていけば更に内気を増やすことが可能だ。武術であれば、溢れ出んばかりの気をギリギリでせき止めて、最後に爆発して出す(発勁)ということが可能になる。
常にちょろちょろ出していては必要な時に爆発的な力は出ない。35歳を過ぎたら溜める方に比重を置いた練習をするのはその頃までには生まれ持った元気を随分使い込んで減らせてしまっているからだ。
 
    そして櫟ちゃん!
    外向きに"力"としてエネルギーを出してきた量が少ない22歳の女の子の身体には、思った以上の気の量があった。
   今日は本格的に単推手をやってみた。まず準備として、手の順纏と逆纏を教える。発するのは逆纏(親指の根っこを出すようにする。丹田→末端への気の流れを導く)、順纏は小指の根っこを自分の方に向けるようにすることで気を末端から丹田へ戻す。太極拳はこの順纏逆纏の転換の連続。推手も然り。
   櫟ちゃんも私達同様、右手は推す動作(逆纏)の方が得意。一転して私が推す番になったら櫟ちゃんは右手を順纏に変えなければいけないのだが、それがなかなかできない。が、補助して覚えこませたら、徐々にコツを掴んだ! そこからは相手の気と自分の気を合わせる練習。
   普段車椅子にずっと座っていて、自分自身は自分の身体の奥深くに閉じ込められたようになっている。自分の身体を隅々まで動かせれば自分(という感覚、エーテル体)は肉体の大きさと同じところまで広がるが、本当にエーテル体(気の身体、第2身体)を喜ばせるにはそれを肉体以上に広げる必要がある。(自分が身体の内側にある限りは本当の自分が身体ではないことが分からない。自分が身体以上に広がり身体を突破できれば自分が身体でないことが分かる....自己と身体の同一視を打開するのはどの修行法も同じ。仏教系のように苦(無)で突破するか、道教系のように快感(広がり、無限大)で突破するか、は好みの問題)
 
   櫟ちゃんと気が繋がったのを確認して、櫟ちゃんが推してくる時は彼女に私の身体まで入ってくるように、私が推す時は私を彼女の身体の中に吸い込むように、一回一回声をかける。2人で1つの円、1つの身体のようになれば、彼女にとって私の身体は彼女の一部となる。彼女は普段の小さな身体から飛び出ることができる。
   手を推したり引いたりしながら、そのうち、推した時は私の身体を通り越して私の後ろの空間まで自分を広げてごらん、と、試してみた。私も彼女の後ろの空間まで自分を広げるように推していく。そうしたら、なんて櫟ちゃんの楽しそうな表情。横でお母様も喜んで写真を撮ってくれていた。
   

 

 
 櫟ちゃんを観察していて、やっとはっきりした"心意混元太極拳"の肝心な"心"と"意"の関係。
これまでどれだけ太極拳や仏教の経典を読んでも腑に落ちなかったけど、そう、あの、櫟ちゃんの気合いの入っ時の、これでもか!と見開いた目。あれが意のパワー。心が焦点を絞って意のパワーになる、その過程が彼女からははっきりと見て取れる。
   そう見ると、私達も心でいろんなことを思っても、それを、よしやるぞ!という熱い想いにまで昇格させられないことがよくあること。加齢とともに熱のある意が少なくなる。意は火。目の光。やる気。これが減れば気は当然減ってしまう。なんだそーいう単純なことだった....
   
 櫟ちゃんの意のパワーはものすごい。この調子だとそのうち彼女と推手をして新宿区まで2人を広げることも可能だったりしないだろうか?
  意のパワーはどうやってつけるのか?
  なまっちょろくぬるま湯で毎日生きていたら身体を突破出来るような意のパワーは生まれないだろう。なんだかやる気がでない〜 とか引きこもっている場合ではないのだ....なんだかまた別の課題を見つけてしまった。
 

 

 

特に動きの悪い左手を上げていくには、顔を右にして目も右方向。すると左胸が開き左肩が開いて腕が上げやすくなる。

檪ちゃんはいよいよ上げようという時になると顔が左から右に回転していって目が次第に大きくなっていました。

 

最近練習の時にもよく注意しますが、目線、はとても大事。背骨の自転(回転と旋回の違いに注意。説明ここでは省きます)と関連する。

2019/3/6

 

  昨日の御苑練習は一段レベルアップした内容になりました。

 丹田を作らない意識の方が重心移動がしっかりできるのは何故?と、狐につままれたような表情の生徒さんを見るのは痛快! 

 守破離の守から破に移行する段階に入りつつあるのか?いや、それもまだ丹田なのか?

 そのあたりはしばらく生徒さん自身に考えさせて追々話していく予定。

 

 

 以下グループラインへの投稿を貼り付けます。

 

 今日の久しぶりの御苑練習では、腿内側の勁の甘さが目立ったことから、虚実をはっきりさせて正確に重心移動する練習をしました。

 太極拳において虚実分明(分けて明らかにする)は基本中の基本。が、実際にやるのは難しい。

右足重心から左足へ移動するには、実の右足の力しか使ってはいけない。虚の左足の力を少しでも使えば、" 错!"(間違い!)と言われる。(注:なぜ虚の足の力を使ってはいけないのか→中正が失われるから。虚の足の力を使うと重心移動の正確さが崩れ膝や股関節などに余計な負担がかかる。これを正確にやるには二人組で練習するのが効果的。重心移動は非常に大事なトピックなのでどこかでまとめてとりあげたいところ。)

 

 普段の歩き方も、前に降り出した脚ではなく後ろ足で蹴るのが正しい。前に降り出した脚の膝裏は伸びているはず(伸びて、伸びたまま膝裏が緩む)。

 

 これと丹田がどう関係するのか....Hさんに試してもらいました。

 丹田を作って回すと股関節が引っかかる。丹田を作らない方がうまく重心移動ができる。

 ...なぜ?

 本人も納得がいかないようでした。

 

 あるレベルに達すれば、『有意無意真意』(意が有るような無いようなところが真の意)

の意味が身体で分かるようになる。

 

 そういえば日曜日のM君も腕に気を通そうとする意識を削がせることでやっと一段抜けましたが、本人は、「何にもやってないようで実感がない。」と言ってました。

 

 同時期に練習を始めてしばし一緒に練習していたHさんとM君が、現在練習日が離れても練習の進度、内容が何かとシンクロするのは教えていてとても面白い。

 

 <以下このHさんやM君のようなある程度内気を動かせる生徒さん達の陥りやすい罠、次への一歩に関しての記述>

 

  『気を操る者は滞る』『気を運んではいけない』(全文は『意通気滞力折』)という言葉も、丹田の感覚が得られ内気を動かせるようになった人達には納得のいかないところ。「気に関わってはいけない!気は放っておけ!」と何度言われてもやはり気を追いかけてしまう・・・そして気がつまってどうしようもなくなる痛い経験を私自身何度か繰り返した。”気”ではなく”意”を通せ、と言われても、その差異が分かるようで分からない。結局、目から鱗となったのは、昨年初期仏教のヴィパッサナ―瞑想合宿に行って長老に思いっきり叱られたことだった。仏教は”気”ではなく意の元となる”心”が出発点。心は常に気を観察していなければならない。気の中に心を溶け込ませて一種の恍惚感(サマーディ)を引き起こしてはいけない。(なぜなら実践だとその状態はただ無我夢中で戦っている状態。中心の冷静な自分の核を失っているから隙だらけになる。中心は冷めていつもその周辺(内気も含む)を観察、見守っていなければならない。)

  まずは身体の動きを内側から観察できるようになるのが初めの一歩。

  そして次の一歩は身体の中の動き(=気の動き)を観察できるようになること。

  更なる一歩は気が動く前の自分の意の動きを観察できるようになること。ここで、『意が通る』、即ち、心で意を操ることによって気、そして身体が動くようになる。

  (・・・・最後の境地はまだ実現していないので少し憶測が入っています。)

 

 なおHさんの重心移動の様子はLINEの仲間のページに動画で紹介します。

 丹田を作った重心移動と作らない虚実分明の重心移動。どちらがきちんと重心移動できているか、見れば分かると思います。

 

 

2019/3/2

      ソウルに4日滞在してこれから帰国するところ。こちらは空気が悪くて外での練習はきつかった。花粉とは違うケミカル物質で鼻は詰まるし目はチカチカする。毎日警報が出ているくらいだから事態は深刻。中国に近いからだと思うけれども、文在寅が習近平に控えめな指摘をしたら、韓国国内の汚染も酷いだろうとピシャリとやられたという。韓国は日本には強い態度は見せても中国には低頭を保つ。中韓の長い歴史を感じる。

 

     と、そんなこともあって、先週末のステキな出会いを独り言に書くのが遅れてしまった。

    先月独り言で女性クラスを開きたい、と書いた後に舞い込んだマンツーマンレッスン。相手は重度の心身障害のある22歳の女の子。

   彼女の写真や送られてきた動画を見ながら、果たして彼女にどう太極拳を教えるのか、何が教えられるのか、しばし頭の中で想像を巡らした。彼女は私の娘とほぼ同じ歳。お母様も同年代に違いない....私にこのような娘がいたらどうしたい、どうしてあげたいかしら? 私に依頼をしてきたお母様にはそれなりの意図があるはず。何とかして応えてあげたい....あとは行って会って、その時自分から出てくるものでやってみよう。

 

    その日のレッスンが終わった後に書いたグループLINEの投稿を以下に貼り付けます。檪(れき)ちゃんのお母様もFBに投稿して下さってました。檪ちゃんのことをもっと皆に知ってもらいたいというお母様の希望でここに紹介します。

 

 <LINEの文面>

 先週舞い込んだ個人レッスンの依頼。初めての体験でした。何ができるのか? その場でやるしかない。感染症が非常に心配なので少しでも風邪をひいたらキャンセルして下さいとの依頼でした。体調整えて....心配だった意思疎通。

大丈夫だぁ。蹴りやパンチを教えて最後は軽く推手もしてきました。

 

   実は前もって劉先生に彼女の動画を見せたのですが、当然太極拳は無理だと言われました。が、お母様は何か考えがあって私を指名したのだしこれも縁。レッスン料頂かずに私の体験だと思って遊んでこよう、うまく意思疎通できて遊べたら上出来、と腹をくくって行きました。

   結局、30分しか体力がもたないと聞いていたにも拘らず結局1時間近く遊んでいました。硬直して折りたためない腕や脚はツボを押すと難なく曲げられてしまう。動けると上機嫌になる。動くのがこんなに嬉しく楽しいんだ〜 動くことの意味を再認識しました。当たり前のことが当たり前じゃない。

  檪(レキ)ちゃん、やはり目が澄んでた...生まれてから一度も邪念を抱いたことのない目。

私まで気持ちが明るくなって帰途に着きました。

      

 

   (その後生徒さん達に檪ちゃんと一緒に写した写真を見せたら、私の顔がいつになく澄んでいると褒められました。これも檪ちゃん効果⁈  が、ということは普段は濁りまくっている?)

 

 

 

 

    檪ちゃんの様子はここで見られます。

2019/2/18 <タントウ功 ちょっとしたコツとタイムラプス動画>

 

 先日ビデオレッスンを受けた男性からタントウ功について質問がありました。

 今日はいい天気で近くの広場に練習に行ったついでに動画を撮ってみました。

 説明はしゃべるよりも文章の方が得意かも?

 が、動作、形は見せた方が分かりやすい。

 一応動画を貼り付けます。

 文章での説明はまた後程。

  タントウ功は立ち始めてから気が腹に落ち、溜まって、沈み込ませていくのにかなり時間がかかる。初心者のうちはなおさらで、熟練者だと長く立てば立つほど緩んで気が溜まっていくのがわかるので、結局長く立ってしまう。
 
 最初の説明動画を撮った後で実際にタントウ功をやっているところを撮ってはどうだろう?と思った。が、30分や1時間もずっと動画を撮り続ける気もしない。それではとすぐに動かなければならない時用の速攻のタントウ功(意識的に気を早く溜めて丹田に落とし込ませていく)をしてみることにした。
 
 とはいえ、5分は撮ったはず・・・だが出来上がったら20秒ちょっとの動画。あれ?とみたら間違えてタイムラプスという撮り方をしていた。なんだこれは?と娘に見せたら大笑い。かなり笑い転げた後冷静に見たら、これはこれで面白い! タントウ功の時、こんなに動いているのかと驚いた。丹田の気は動くからなかなかじっとはしていられない。が、内側(気)がどんなに動いても外側は止めていなければならない。けど、こんなに動いてたとは知らなかった。
 
 その後師父にこの動画を見てもらった。
 このような短縮動画を撮ったために、内動がかえって良く分かると褒めてくれた。
 下半身がしっかり根付いて内気が湧いて動いている、周身一家(全身が一つになっていること)も良くできている、と久しぶりの誉め言葉。外不動求内動(外側を止めることによって内側が動くようにする)というタントウ功の目的がよく果たせている。内動があれば外も少しは動いてしまう。寝ている時に呼吸で腹が膨らんだり凹んだりするのと同じだ、とコメントしてくれた。一安心。
 タントウ功で石のように固まってしまったら間違えている。いわゆる”居つく”、という武道、武術では許されない状態になってしまう。実践を熟知している太極拳の老師にはタントウ功を嫌う方がいるのも今ではよく理解できる。そのくらいタントウ功は難しい。固まってはいけない。外側の動きを止めたようにしているのは内側を活性化させるため。タントウ功は動功の動きを微分して限りなくゼロに近づけたもの、というのが正しいと思う。決してゼロにしてはいけない。
 そのためには骨や筋肉ではなくて気で立つ感覚でなくてはならない。
 呼吸、息、松がとても重要になる。脚で立つ感覚はダメ出し、かと言って、本当は背骨で立ってもいけない。
 股関節、膝云々は内側の気がいずれどうにかしてくれる。
 どの筋肉にも骨にも当たらないところを探す・・・隙間、空間・・・それが丹田になる。

 

 最後に付け足しで、”丹田で動く”のと”脚で動く”のとの違いを見せるような動画も撮ってみた。

 カメラが下から見上げているので多少足長(苦笑)

2019/2/17 <お知らせ>

 以前より出産後のママ達のためのレッスンを依頼されて行ってきましたが、今後クローズドのクラスではなく女性なら参加可能なクラスにすることができるようになりました。
 
 これまでは出産後で小さな子供を連れたママ達向けに、目黒区の会場にて月曜午前か木曜午前、隔週ペースでクラスを開いてきました。
  そこでは太極拳の型こそ教えていませんが、身体の気になるところを整えるために太極拳のベースとなる内功、動功を教えていました。するとママ達はみるみるうちに丹田や気の流れが分かるようになってしまう。それは出産後だから、というのがキーなのですが、教えていくと師父がなぜ女性は男性に比べて有利なのか、というのがよく分かります。(逆に言うと、男性は本当に努力しないと気の感覚が掴みづらい。女性は大した努力がいらない。)とは言っても、子育て中で忙しいとなかなか型を覚える余裕はなく、せいぜい太極拳の単式の型を使って身体に効くようなレッスンをしてきました。
 今年に入って主催者が都合でクラスを運営できなくなったため、今後繋がりのあるママ達を核に私がクラスをアレンジして女性の基礎クラスにしてはどうかと思うようになりました。
 
 師父もよく言いますが、身体の構造上、女性の方が男性よりも圧倒的に速く気を溜める感覚を掴むことができます。婦人科の問題は太極拳の内功がそのまま効くので、出産後のママ達に教えるには打って付けでした。が、特に出産後に限らず、女性なら皆同じような悩みがあるので年齢を問わず一緒に練習できます。
  もし女性クラスに興味のある方がいましたら是非連絡を下さい(クラス開催を希望する曜日や時間帯があれば合わせて教えて下さい)。太極拳の基礎の基礎練習、とても大事な練習(秘伝も含む?)になります。
  日程を合わせて近々女性クラスを開催してみたいです。
  想像すると、なんか楽しみ....(笑)
   

2019/2/12

 

   足=feet の”松”!

 目から鱗でしばらく悦に入っていた。

 

  ああ、これまでなんとfeetに酷いことをしてきたのか?

 あの中学、高校の卓球時代。ただただ無我夢中にボールを追いかけていた。

 もともと運動神経は良いし特に脚が強かったのであっというまに上達した。が、大学に入ってほどなく親指が変形しているのに気づいた。

 

 大学時代、バタフライの道場で練習をしていたら、元世界チャンピオンの伊藤繁雄さんが私をちらっと見て、一言、「お前は太ももで打ってるなぁ~」と言って笑いながら隣を通り過ぎて行った。どういう意味?と思いながらそのままになり、そのシーンが蘇ってきたのは太極拳を本格的にやり始めてから。ああ、あの時伊藤さんは、私は腰ではなく脚で打っている、腰(胴体)で打たなきゃだめだよ、と言いたかったんだ・・・・もうあれから20年も経っていた。

 

 日本では臍下丹田が一般的で、中丹田(中気、胃の気のあたり)や腰(日本語の腰ではなくて、腰椎1番から5番の位置。感覚的には胃の高さ。日本語なら背中の感覚)の概念が希薄だ。だからどうしても胴体の力が弱く脚力に頼りがち。脚は太く短くなり、足は押さえつけられて幅広になる。

 それには日本語の発音からくる舌の位置の問題も絡んでいるような気がするが(これは呼吸の時に大問題になる)、頭蓋骨は肩の上に乗らずに前に落ち、肩の位置もずれて腕が肩から外れてしまっているから、どうしても腕や脚に負担がかかる。

 子供は大人の真似をして育つから、日本人の中で育つとどうしてもそのような姿勢、身体の使い方になる。フランスから日本に戻ってきた後、当時小学6年生の娘の姿勢があっという間に猫背に変わった。バレエも習ってきてとてもきれいに立てていたのに何故だろう?と理由を聞いたら、皆んなこうしてるし、真っ直ぐ立っていると生意気に思われる、と答えた。正しくなくても多数派に合わせなくてはならない....子供の世界ではそれが残酷なほどに顕著だ。

 大人になれば一目を気にして姿勢を悪くすることは考えられないが、もう既に狂ってしまった姿勢を元に戻すには地道な努力が必要になる。身体の躾けは要領ではどうにもならない。しぶとく毎日躾けづけるしかない。

 

 ・・・と、私もそんな中で運動をしてきて、結局足(feet)を傷めてしまった。最近の卓球の選手は皆中国のコーチについているから、身体の使い方も随分昔とは違う。

 私は中学3年生の時(1982年)卓球交流で北京にいったが、その時向こうのコーチが教えてくれた、右足を踏み出して右で打つ、というなんば歩き的な打ち方は、当時の日本ではふつうやってはいけないという打ち方だった。右手で打つなら左足が前、そして身体を回転させる、それを順守させるようなところがあった。が、中国選手や欧米の選手はもっと自由な打ち方をする。一見変な恰好でも打ってしまう。それが腰の軟らかさ、胴体(丹田)で打つことだ、と分かったのは太極拳のおかげ。最近の大阪なおみ選手の打ち方をみると動物的で躍動感があり、四肢に頼らない胴体運動の威力を感じる。(その点錦織君は体格のせいもあるが四肢に負担がいきがち・・・丹田が倍あれば・・・)

 

 feetを傷めない、という観点から練習すると、本来身体の中心がどこにあるのかを再認識することができる。

 足を傷めない、足を押し付けないで太極拳をやるとどうなるのだろう・・・とゆ~くり注意深く試したら、ああ、これは私の師父の拳、そして馮志強老師のような拳に近づいている。本来重心移動はこうやってやるのだ(=全身でやる、腰でやる、脚ではやらない)・・・と感動するのだけど、難しくてそうは簡単にできない。このままやるには全身が丹田にならなきゃだめだなぁ、とそこまで分かったところでギブアップ。まだ丹田が足りない、あるいは、全身がまだ一つになっていない・・・丹田が身体を包む大きさになって全身が一つの球のようになった時には足は軽く、けれどもしっかり根付いて立ったり動けたりするのだろう。

 足が軽くすぐにでも走り出したり跳べたりするには、しっかり地面に根付かなくてはならない。

 足が軽くなるにはまず重くならなければならなくて、重くて軽い足(脚)ができたとき、重いと軽いが矛盾しないことに驚いたりする。このあたりはとても太極拳っぽくてまたまた感動的。

 相矛盾するようなものが矛盾ではなく補完しあう、というのはよく言われることだが(男女の例がよく用いられるかなぁ)、実際に自分で重くて軽い感覚が分かると、本当にその通りだとびっくりしてしまう。練習が進めばそんなことだらけなのだろう。

 

<補足>

 足を傷めない、足を押し付けない、という意味について

 以前ある足の治療家が、私達の足幅は本来Dサイズだと言っていた。足を持ち上げて垂れたfeetは確かに足幅が狭い。そして、その足を一度地面に置き、そしてその上に乗って立った瞬間、足がぎゅ~と押し潰されてしまったとしたらその立ち方は間違えている、歩く度に足feetが押しつぶされずDサイズを保ったままでいられるのが理想だということだった。

 実際に裸足になって、重心移動をしている時の自分の足feetをじっと観察すれば、どの時点で足に力が加わって足が押し広げられていくのかが分かる。足feetに負担がないようにするには、全身の体重がダイレクトに足裏に伝わらなければならない(足の甲が固まらない)が、それをするには会陰の引き上げと丹田の形成が必須になる。歳をとると足幅が広くなり足裏や踵が痛くなったりする人が多くなるのも納得できる。会陰の引き上げができない(=丹田が形成されない)と膝や足に負担がでる。(注:会陰を引き上げる代わりに胸や肩で身体を吊り上げている場合は膝や足の異常は免れても、代わりに肩こりや呼吸の浅さ、緊張が取れない、自律神経の異常、など、別の疾患が生ずるだろう。)

2019/2/2

 

 足首以下、英語でいうところの”feet"は、身体を支える土台だけれども、あまりにも”下”にあって目が届かない=意識がとどかないし、ともすると汚いもののように扱われて、知らず知らずのうちに酷い使い方をしてしまいがち。気が付いたら外反母趾になっていた・・・と気づいたのは大学1年生の時。卓球をしていてなんだか親指に力が入らない、と思った時には症状が随分進行していた。おそらく中高時代に一生懸命練習している間に徐々に変形していたのだろう。試合で勝つ、というのを目標にして運動するとありがちなケース。

  外反母趾をどうにかしたい、というのは太極拳を始めた当初から思っていたが、丹田から初めて実際にfeetまで意識が届くまでには相当な時間がかかった。が、一度分かりだすと、feetの重要さがますます感じられるようになってくる。feetになんら変形のない生徒さんを羨ましいと思う一方で、せっかく変形していないのに全くfeetを使い切っていないのはなんてもったいないのだろう、と思ったりもする。

 feetが最大限に開発され使えているとすれば、もうそれは達人。

 本当は丹田が全身まで広がるからfeetが最大限に使えるのだろうけれども、逆にfeetをメルクマールに丹田を作っていけば間違えた丹田形成、身体の開発にはならないだろう。

 で、右は数日前、思い切って買ってみた大山式の指パット。

薬指が使える使えないは太極拳にとってもピアノを弾くにとっても死活的問題。胆経、身体の側面、ここが使えないと身体を全体的には使えない。これを装着すればはっきりと手ごたえがあるかもしれない・・・

 と、装着してみたら、なるほど、と納得。

 なんで師父が私にfeetの扣(コウ、お椀を被せたようにすること)をさせたのか、なぜ抓(掴む)ではいけないのか、そして、踵に乗るのかつま先を使うのか、重心はどこにあるべきなのか、なぜ整体のプロの私の弟子が私の脛を内旋させるように矯正したのか・・・様々なここ数か月の疑問が解けた。

 

 がこのパットを外してその位置に立とう、その位置で歩こうとすると、あ~、丹田が足りない!

丹田が頭まで包まないとそうはならない・・・feetが腰につながるのは当たり前として、背中やら肩、首、頭部まで、前も後ろもfeetとつないでいなければならない。凄く注意してパットをつけた感覚を維持したまま24式をやろうとしてみたら、なんと、feetは完全に”松”! feetに力が入ってはいけない、そういうこと?!  が、そのためには腰や腹のみならず、体中に空気をはらませておかなければならない。まさに一個の気球状態。が、これだと関節に当たらない、もっと言えば関節がないかのように動ける。確かに馮志強老師はこんな感じの動き方だ・・・。

 足指、指先先端からまで使いながら同時に踵の端、アキレス腱まで伸ばして使えればfeetの中に全身が入ってしまう。ただそれが可能なのは全身が気球になった時。筋肉に当たってしまうとそこで途切れてしまう。

 幼児は簡単にそうやって立って歩いているのに、大人になると、どんなに”正しく”歩いても、どこか硬くぎこちなく不全に見えてしまうのは、どうしても筋肉にのってしまうからだろう。

 

 

 いろいろ説明し出すとこれまた本一冊書けそう。上の写真で分かるポイントだけ列挙。

 ➀指→踵→アキレス腱→膝裏→お尻→腰→( → → 後頭部)

  幼児は後頭部までつながってしまっているけれど、私達はとりあえず腰までつなぐ!

 ②つま先は丹田に合う 逆にいえば、丹田がないとつま先(指の本当の先端)は使えない

 ③このように立つ、歩くと、腹がしっかりしながら(一枚目)腰がしっかりする(二枚目)。

 ④虚領頂勁は自然にできてしまっている。

 

次の写真も私の宝物。オランダの女の子。上の男の子よりも小さい(2歳半~3歳くらい?)

 

 幼児たちは自然体で何も考えずに上手に歩けるが、私達は一度失った自然体を取り戻すためにかなり努力をしなければならない。

 力を抜く、筋肉に頼らない、呼吸を健やかに楽しく・・・このあたりから自然体を始める(タントウ功の第一歩)。すると上の女の子の三枚目のような”ぽんぽこ丹田”が現れる(笑)

 

 下は歩き方講座の先生達。太極拳の目で見てしまうと、どれも腰が弱い。後ろから腰を蹴ったら一発で終わり(特に左の女性二人)。右の男性は肩甲骨のあたりを後ろから推せば倒れるなぁ。

 幼児たちは力はないけれど、スキのない立ち方、歩き方、をしている。それが太極。

 

 

2019/1/29

 ある生徒さんから、先生なら分かるかもしれません、とこっそり渡されたタオの本。タントウ功に関係ある部分を写メって生徒さん達に紹介しましたが反応は、ゼロ。そのまま放っていました。
  今電車の中で写真のフォルダーの整理をしていて、久しぶりに遭遇。ん? とも一度じっくり見たら、あー、謎が解けた。なぜ師父がしきりに、男性は会陰だが女性は会陰ではなく恥骨、というのかが。あと、息に不可欠の"舌"の要領、ふーん、ちゃんと図示はしている。
  男性版も見てみたい....
2019/1/27  

<練習後のLINEへの投稿>

  日曜組の久しぶりの室内練習。何を教えるか、24式をやりながら皆の動きを鏡でチェックして教えるべき箇所を絞りました。

  腹の浮き輪が膨らむことが太極拳の技の秘密。拳て打つのも掌で推すのもリューで弾くのも膝蹴り、回し蹴り、横蹴り、進歩退歩、全て丹田力=胴体の幹力を使う。ある意味ワンパターン。
  この幹力養成が、站桩功。まさに、杭、幹になる練習。一見しゃがむような基本功も実は幹を膨らます練習(本当は脚に気を通す練習。だけどそのためには幹を膨らます必要がある)。

  が、幹を膨らますことだけ考えていると重心移動がおざなりになる。中丹田の膨らみで形成される幹力が、下丹田と脚が繋がることによってさらに伸びのある勁となる。これは相手を使ってジーや打つ練習をゆっくり注意深くやれば理解することができる。
  (自分の力がどう使われているのか知るには相手の力が必要。対練なしに一人でトウロだけ練習していると勁が分からない、あるいは誤解する。他人がいて初めて自分が分かる。知彼知己。)

  練習では第十式掩手肱捶を使って、中丹田、幹の膨らみと体重移動による樹液の流れのようなものを体感してもらおうとしました。

  胴体力(中丹田)と脚力(下丹田)をいかに合体させるかが課題。(多くの場合、分断するのは腰骨の上縁。
  五輪書の中に、帯に刺した短刀が落ちてこないように腹を充実させておく、ということを書いてあったと記憶しているが、まさにその通り。ただここを固めすぎると脚が動かなくなるので注意。膨らましてももっと内側は会陰を上げることによって空洞にし脚の力を抜いていなければならない→脚の力を抜く、はまた次の課題。)

  そしてもう一つ、昨年末に一度数人の人に教えて、それから教える機会のなかった
  "ザ・松のための呼吸"
をやっと教えられました。
  これは知ってしまうととても単純なことなのだけど、知らないと、どうして力が抜けないのか、どれだけやっても分からない、とゆうに数年は棒にふれてしまう(変な日本語)。
  松は太極拳の核心。
  が、松をしようと腕や手をぶらぶらしても松にはならない。
  太極拳では松をすることによってこちらの力を相手に察知されないようにしている。相手の手を掴んで引っ張っている時、相手は自分が引き摺り込まれているのが見えて分かっているのにそれでも抵抗ができない。それはそれは不思議な現象。皆が狐につままれたような表情をする。しかしそれには理屈がある。こちらの手に何ら力が働かないと(松したままだと)、相手は掴まれた手に私の手の力を認識できないから、頭や目は知っていても腕には抵抗する力が生まれない。これは私達の神経構造がそうなっているのだろう。
  熱いやかんに手を触れたら咄嗟に手を離すが、じんわり焼けている時などはしばらく気がつかず気がついたら火傷していたということもある。反射的に逃げるにはその部位に対する刺激が必要だが、その部位に刺激がないと頭で刺激を感じるまでに時間がかかってしまう。神経系統の学術的な説明は私は分からないが、その辺りの構造を逆手にとったのが太極拳の技だと言えそうだ。
  相手の技を交わしたと同時に攻撃している、といった、ワンテンポ速い動きは気の働きというよりは神経の働き。気功の上には神功がある、とある老師が教えてくれたことがあるが、まさに松はその領域にも跨ってくる。


  話が逸れてしまったけれど、なぜ力が抜けないのか、それは呼吸が間違えているから。
  これを教えるには、実際に力が抜けなくて困っている場を作り出して、そこで、息の仕方を少し変えるようアドバイスしてあげれば、目から鱗、すぐに腑に落ちるはず。
  困ってない場でとってつけたように教えてもあまり効果がないかなぁ、と。
(しゃがんだ姿勢から重い荷物を持ち上げる動作でも教えられそうな気はしますが、どうだろう? この息のコツ、数年前の呼吸についての学会で発表していれば凄かった....日本人が総じて緊張しやすく、また、前肩猫背になりやすいのは日本語の発音にあるかもしれない....話が広がりすぎ)

  また機会が出たら教えます。
2019/1/27

 東京に向かう横須賀線内、ドア際に立つと必ず目の高さに広告が貼られている。窓の外には富士山が見えることもあるというのに、やたらベタベタ貼られた広告、天井からゆらゆら垂れ下がった紙切れ、電車は洗脳の隔離室.... スマホに集中するか寝てしまうのは悪くないかも。
  で、中でもこの予備校広告は訳わからない。グロい、と以前はなるべく視界に入れないようにしていたが、よく見ると面白い。

  そう、日本人と西洋人の姿勢の特徴が浮き彫りにされてる。
   忍者の2人は西洋人の立ち方(モデルは日本人のようですが)。腰が伸びて腹がしっかりしている。
  カッパ二匹とくノ一は日本人。
   西洋人のように立ち上がって、かつ、腰が反らないようにするには丹田が必要。
  だからタントウ功....

2019/1/23

 

 今朝ビデオレッスンで教えていて気付いたが、最近の課題の半分以上は体重移動に関連する。

体重移動、重心移動を脚の運動だと思ったり、脚の筋肉を鍛えれば速く走れる、高くジャンプできる、老化が防げる、などと思っていたらかえって脚を壊してしまう。

 脚は丹田で操る。が、丹田、というと良く分からない人には、脚は腸腰筋で操る、と言い換えている。腸腰筋が命門あたりから斜め下方に骨盤に沿って大腿骨の内転子にまでつながっているところをみると、そこに囲まれた空間はまさに中丹田+下丹田だから、筋肉を見るか、筋肉で囲まれた空間を見るか、という大きな違いはあるが、最初のうちはそれでも良いかと思っている。

 

 バレエのダンサー達がバーレッスンで練習しているのも脚を腸腰筋で操る練習。彼らの場合はもはや肋骨から脚を生やそうとしているのかもしれない。

 幸い、私達には彼らにない”丹田”があるので、最終的には全て丹田で操作してしまう。

 丹田を回すことで脚が運ばれれば、いつ足裏が地面に着地するかとか、どうやったら膝に負担をかけずに動けるか、どうやって股関節を緩めるか、どうやって胴体と脚を同時に動かすのか、という個別の問題はクリアされてしまう。

 先週感動して教えた、しゃがむ際、脚を上げる際の”股関節と踵の合致”、でさえ、実は丹田を回せばそうなってしまっている。

 身体を正しく操作するために様々な要領があるが、(例えば、膝はつま先より前にでない、とか、外三合:肩と股関節の合、肘と膝の合、手と足の合、松腰、松クワ・・・)、最終的には全て丹田一本に集約されてしまう。丹田さえちゃんと整えて動かせられれば、身体(フィジカル体)の動きは内側から調整されてしまう。フィジカル体をフィジカル体の意識だけで調整するのは同レベルの生徒同士で問題解決するようなものでグルグル回って永遠に解決できない。そこにワンランク上の人物が現れればより高い意識、視野から一言で問題が解決され得る。この身体のどこに分かるか分からないような、感覚のみ頼りの丹田の存在は、それがエーテル体に属している(と私は思っている)がために一つ上の次元(内側、よりコアに近い場所)から身体を操ることができる。すると一つの命令で何千何万もの身体のパーツがそれに従ってしまうかのような作用があるように感じてしまう。だから古来から太極拳の師たちは「坐っても立っても歩いても横になっても、常に丹田から離れない」と言い続けてきたのだろう。

 太極拳の練習を身体のパーツを動かす意識で練習していてはいつまでも丹田を感じることはできない。エーテル体は感覚の中にあるから、感覚を十分に捉える意識で練習できるかどうか、そこが丹田で動く太極拳になるか、身体の体操、もしくはスポーツ競技としての太極拳になるかを分けることになると思う。

 

 上はお馴染みの太極拳の技であり動きであり核心であり円たる所以。

 推手の時はこれを使って攻防をするが、そんな高度な技以前に、これは丹田の動きであり、即ち、腕の動きであり、脚の動き。丹田の中ですでにポン、リュー、ジー、アンが行われている。

 

 重心移動も然り。この丹田の回転がなければ脚は全く動かない。

 

 細かい説明は省きますが、脚が動くというこごは股関節が動くということ。股関節は骨盤の中にある。下丹田の中心、関元ツボは脚を操ると言われるのは下丹田が脚をまとめているから。

 丹田の下弧線が脚の動きになる。

 

 付け足し。

 女性が年取って股関節が開いてガタガタ歩きになるのは下丹田の合の力がなくなるため。

 男性は骨盤が開いていないので、おじいちゃんになってもそんな歩き方にはならない。女性で靴の外側が減りがちな人は気を付けなければいけない。下丹田の合は、裆の力を使う練習でクリアできそう。昨日やった股関節を正しい位置に入れる要領がすなわち裆力を使う要領。

 裆力が使えていないと師父に何度も注意されてきましたが、やっと裆力が何なのか分かってきた!(続く・・・)

2019/1/21<話題⑤~⑨>

 

 思い出せるうちに列挙。

⑤股関節と踵のシンクロ

 これは発生学的な事実。身体のスペシャリストの生徒さんから聞いて目から鱗。

 カエルもバッタも猫もそうだった・・・

 <LINEの投稿>

 股関節と踵がシンクロする意識を持って動けば膝や股関節は壊れない!太極拳の中腰姿勢で膝や股関節(や腰)を痛める人が多い根本的な理由は私達が二足歩行になると膝の意識で動いてしまうことでは?

しゃがむ動作=膝を曲げる、股関節を緩める=膝を曲げる、という感覚を改める必要あり。レッスンで試してみますね。

  が、昨夜Sさんが言ったように、丹田入れてぐるぐるしてればそうなってるしまう。最終的には丹田一本で行きます。様々な要領は(丹田がちゃんと使えているかどうかの)確認事項として使えば良いと思います。

 腕パイプも丹田....

 

⑥腕パイプの話

 これは②と関係する要点。両腕で一本の腕にする。右腕と左腕が二本の腕としてばらばらに動くことは太極拳ではあり得ない。大戸屋で隣に坐った男性が左腕をぶらりとテーブルの下に垂らしながら右手だけでごはんを食べていて唖然としたことがあったけれど、たとえ左手がテーブルの下にあったとしても左腕と右腕は鎖骨の中心(喉の下)か胸の奥で繋がっていなければ背骨が真っ直ぐ立たない。

 どこまでが右腕でどこまでが左腕なのか?

 うまくやれば右足裏まで右腕になるかもしれない・・・どこまでが脚なのかと同様、そんなものは自己の感覚、自己申告制。尾骨まで首だったり、首まで脚だったりなってしまう(笑)

 

⑦今になって思い出しましたが、松腰と丹田とどちらが先なのか、という大きな話題がありました。見事間違えた・・・年末の話。

 そこからいろんな課題が出てきた・・・(略)

 

⑧昨日の練習は前脚(中国語。意味は足裏の前の方。湧泉のある一帯)と踵の関係を細かく見ました。

 前脚は手のひら、丹田と結びつく。(陰)

 踵は腰、背中側、腕の外側、甲側に結び付く。(陽)

 歳をとって使えなくなるのは腹や腕の内側や掌側。こちらは”気”が必要。

 手の甲側や背中は筋肉メイン。加齢とともに陽側の力一辺倒になって弾力性のない硬い身体になる。

 第十六式肘底捶で腕の内側の方に気を通す練習をして感覚を確認。

 

⑨そして気づくのが虚歩の大事さ。

 なぜ虚歩にするのか。これがないと中丹田の力がとても使いづらい。

 虚歩で本来の動物の運動形態に戻ることができる。踵をつかないのが基本姿勢。すると身体の中心は臍、ウエストレベルになる。中丹田はスタマック、胃の位置、と思った方が良いかもしれない。臍下丹田だけで練習すると膝や股関節を壊しやすくなるのもこれと関連している。

 

 

 以上、レッスン受けた生徒さんは確認してください。(受けていない人は箇条書きでは理解できないかもしれません。どうしても知りたい話題があったら催促してください。書ける話題もありますが書けないものはビデオレッスンで教えることも可能です。)

 

2019/1/21 <最近の話題④>

 

  昨日の④から続きを書かなくては・・・

と、午前中、カナダの生徒さんとラインでレッスンをしていたら重心移動をわざと止めることで丹田の力が鮮明に感じられるということに気づいた。教えていたのは第13式の背折靠。左足から右足への重心移動をほとんど無くして、胴体の回転を止め臍が前を向いたまま左から右に腕を引っ張り上げていくと、腹の中の気が膨らんで腹で腕を引っ張っている感覚が得られる。本来はこの丹田=腹=胴体の力を重心移動によって更に増大させなければならない(胴体+下半身の力になる)のに、多くの場合、重心移動、脚を使うことによって胴体力(丹田力)を減少させてしまっている。

それも膝や股関節を壊す原因となっている。

 

 そういえば、和室などで坐禅や正座のまま24式をお遊び的にやってみた時、生徒さん達が、その方が立ってやるより丹田の動きがはっきり分かると言っていた。脚をブロックすることによって丹田の力が浮き出てくる(というか、脚が使えないから腹でやるしかない)。

 

 以前、陳中華という先生の不動中推手という動画を見て、動かないことで力が出る、というのはどういうことなんだろう?とぼんやり考えて劉師父に動画を見てもらったことがありました。今見ると、それは丹田の力を最大限に使うための言い方だったのだと分かります。ただ、足裏にゆったり気を降ろすことをしないので(実践系の先生の特色)、教えながら息切れがすごい。馮志強老師や陳項老師にはあり得ない。そこが武術として練習するか、無為自然に帰っていくことを目標とするかの違いなのかもしれません。

 (結局、十分脚を使いながら丹田の気を逃がさないために③の要領が必要になるのだろう。)

 ご参考まで。

 

 この話題を④とするならまた⑤から続けなければ。

2019/1/20<最近の話題 ➀②③>

 

 練習メモが全く追いつかない。項目だけでも洗い出して置かなくては・・・。

 

➀お問い合わせで、話の続きを知りたいと催促のあった、松と息の関係。

 ポイントは鼻の奥、軟口蓋の開き。ここが閉じていると力が抜けない。

 日本語をしゃべっているとどうしてもふさがりがち。というのは日本語は下あごと動かすことによって発音をする特殊な言語。中国語や英語を話すときはそこを開けておかないと発音ができない。オペラ歌手はそのあたりの問題点を知っていて、私が以前歌手グループのレッスンをしていた時彼女らはいかに上顎で発声するかを研究していた。要は息を腹まで貫通させる要領。喉の奥の便を開けっぱなしにしておく。これができないと、今日練習していた、肩の関節の球を感じることもできない。

 (解説はレッスン形式で行うか、文章なら図を描いて説明する必要あり。)

 

②肩の球を出す。両腕を引っ張ると分かりやすい。

 肩の球が分からないと腕の松ができない。

 上腕や前腕の骨(棒)を動かしていては太極拳にならない。動かすのは関節=球。関節の球を意識できるようになるのにタントウ功は必須なのかもしれない。というのは、結局丹田(の膨らみ)なしには関節を意識する、即ち、二つの骨のつなぎ目を広げることができないから。

 今日の練習では更にすすんで、肩の球を出すには、股関節の球を出す=股関節の緩み、が必要ということまでやろうとしたが、分かった生徒さんは半分くらいか?結局これば四正勁や四隅勁になる。

 師父が言っていたが、私達は身体の末端(手足)を意識しやすいが、身体の中心に向かうほど意識しづらい(意識的に使うことができない)。手よりも肘、肘よりも肩、肩よりも胸の奥、それよりも腹のなか、内臓、と内側に行けば行くほど意識するのが困難。究極は、その意識しようとしている”私”・・・(ここまで練習をやり込んだ台湾の師の話を聞いたことがあるが、今もまだそのような師がどこかにいるのだろうか?太極拳は結局そこに行きつくものだというのが私の感覚。身体を鍛えているうちはまだ表面的。)

 

③体重移動の恐怖

 体重移動、何気なくやっているけれども、ちゃんと見たらびっくり!そんな体重移動をしていたら確実に膝や股関節を壊すだろう。

 太極拳を大真面目にやって身体を壊してしまったという話はとても多い。膝を傷めてサポーターをしてまで大会に出る人達もいるという。今日本で普及している太極拳はかなり歪なスポーツになってしまった。

 右足から左足に重心移動をする時、左足は踵から着地するにしても、どの時点で左足の足裏が指先まで全て地面に着地するのか?

 生徒さんに質問したら、はたと動きが止まってしまった。

 まさか踵をついてすぐに足先まで着地はしてない、よね?、と私が睨んだから(笑)

 もし体重移動が終わっていないのに、左足を全部着地していたら太腿や膝が体重移動を阻んだままむりやり移動することになるだろう。それを回避するのが丹田。もし最初から足裏がすべて地面に付いていたとしても体重は踵からつま先まで徐々に移動していなければならない。

 足裏と地面の間に薄紙一枚分の隙間をあける、とか言われるのもそうするため。

 足裏べったりで左右に体重移動していたら身体は痛んでしまう。

 (これは動画で説明した方が分かりやすいポイント。普段の歩行も同じ。日本人が総じて歩き方がおかしいのはここに問題がある。)

 

④ ・・・続く

 

 

2019/1/15

 

 今年に入ってずっとHPの更新を怠ったまま。太極拳の練習はいつも通り進んでいるのだが、家に戻ると太極拳以外の興味あるサブジェクトに浸ってしまいわざわざメモを書く気がしない。

 

 太極拳は教えるたびに新しい発見、気づきがある。いや、朝起きて犬を連れて散歩した時に既に身体の新しい感覚をチェックしてしまう。ああ、ここがこーなってるんだ~、なんて思いながらしばらく歩いて寝ている間に上がってしまった気を下げていく。肩や胸を意識的に下げながら丹田をしっかり作ると抜背ができて足が阿修羅像のようになる。夜しっかり寝た時は目が覚めた時、腰がとても充実しているのが分かる。冬になると腰から足まで気が溜まるから、なるほど、気は夏よりも冬の方が溜まりやすいのだと実感する。腰に気が溜まっていると、膨らんだ腰でベッドを押して勢いよく跳ねてベッドから起き上がれる。そんな時、頭の中には、寝技で羽交い絞めにされたプロレスラーが、ワン、ツー、そしてスリー、になる前に覆いかぶさっている敵を腹で払い飛ばす、そんな光景が浮かんで、私はプロレスラーか?と笑いがこみあげてしまう。が、寝不足の時などは全く腰に気が溜まっていないから、ベッドから起き上がるのも垂直腹筋系ではなく横向きにゴロんと転がっている。大人になると、目が覚めて、がばっと起き上がる人は減るだろう。せいぜい寝過ごして、やばい、がばっ!、そんな感じ? がばっと起きるにも丹田が必要。

 

 年始から今日までの練習を振り返って思い出せる要点だけ列挙してみよう。

 

<無極タントウ功>

 年末最後に無極タントウ功を習いたいという男性の個人レッスンをした。

 本当の無極タントウ功は武術のタントウ功とは違い馬歩ではやらない。構えたとたん”構え”を作ってしまうから”無極”ではなくなる。

 無極タントウ功を学ぶなら、馮志強老師の師、気功法の父と呼ばれる胡耀贞先生の方法に随うのが良いだろう、と改めて胡耀贞先生のテキストを紐解いた。その中の築基功の中の意守丹田法が馮志強老師のテキストの中で無極タントウ功として紹介されているものだが、胡耀贞先生の説明の方が丁寧で親切(?)だ。

 そしてその箇所を読んでみたら、なんと、中丹田は臍の奥、臍下一寸三分は丹田ではない、という記述がある。意念は臍奥、臍下には持って行かない、ということ。あら?では気海ツボや関元ツボは見ない?日本の武道で使う臍下丹田を内視すべきではない?

 少し驚いて、自分で臍奥を内視するタントウ功を試してみると、臍より下のツボを内視する時とは全く違う結果になることが判明。これで、なぜ陳項老師が北京で私にあのタントウ功を教えたのかも腑に落ちたし、なぜある陳式の権威の先生が私に何度もタントウ功は居つくからすべきではない、と言ったのかも納得できた。武術、武道でタントウ功をすると身体を固めてしまうのは所謂臍下丹田を固めてしまうからだろう。そうすると腰が硬くなり背骨が定規の入ったように真っ直ぐに硬直してしまう姿勢にもなりかねない。臍下のツボを内視しても太ももに力が入らないように裆(股)を広げる要領はなかなか初心者には分からないかもしれない。

 ・・・・が、臍奥を内視することから始める正攻法のタントウ功については書き出すと長くなるのでここでは割愛。(説明するならレッスンで、もしくは動画で細かく説明する必要あり。胡耀贞先生のテキストの抜粋は仲間のページに貼り付けます。)

 

 

 

 

 

 

2018/12/31

   

  今年も何を教えたのか分からない一年だった。

  初心者用のレッスンを設けていないので初心者にはついてくるのが大変なはずなのだけど、それでもしがみついてきてくれた生徒さんが今年も数人いた。教わりたい気持ちが続く、中国語で言うところの、恒心、のある生徒さんを教えるのはとてもやりがいのある仕事。

 丹田が分からない、気が分からない、と言い続けていた生徒さんが、あるところから何も言わなくなって、違和感なく丹田やら気やらの操縦をしているのを見ると嬉しいとともにおかしな気持ちになる。

 テレビの中身がどうなっていて、どうしてテレビが映るのかが分からなくても操作することはできる。丹田や気が一体何なのか、ははっきり分からなくても、自分で操作することができるようになる。

 それ自体を知ることと、それを操ることには違いがある。

 学者は一体それは何なのか、と知りたがり、修行者はそれを操る術を学ぶ。操っているうちに分かることも多いが、それが知り得ないことであることも分かってくる。なぜならそれは限りのない深淵だから。

 太極拳の練習をしていてとても面白いのが、深く進めば進むほど、いろんな分野のものとのつながりが出てくるから。最終的には全てのものが集約されていくその方向に向けて練習は深めていくのだろう。

 来年はも少し落ち着いた練習、口数の少ない練習を目指したいところです・・・。

 

 

2018/12/28 <今年最後の練習の後のLINEでの独り言>

 

 年末最後の御苑練習はポカポカ陽気の中でとても気持ちよくできました。

 

 ♂一匹の参加のお陰で、力む原因は鼻の奥にあり、と気づいたのは大収穫。吸ってるといいながら実は止めていました、と皆、衝撃を受けた様子。これをみて、私もこの原理は♂だけでなく皆に当てはまると確信が持てました。弁は全開、鼻のホースは腹まで直結。

やはり最後は呼吸、息に集約されそうです。

 

 ♂さんが帰った後もさらに練習は展開し、48式の第26式小擒打を教えながら、"浮きながらしゃがむ"ということまで発見。肺に沢山空気を入れなければしゃがめない。肺の気(宗気、狭義のプラーナ)を多くするには鼻の奥を開けてかつ含胸にして左右の肺を引き離しておく必要がある。

 

 要領が分からなければ、両腕を広げて双方の腕を左右に八つ裂きの刑のように引っ張ってもらうと良い....肩の外し方(剥がし方)、丹田へ気の落ちる様、足が仁王様のようになること、腕が鉛のホースになること、などが体験できる。

 

 放松は結局重力に乗っかること、他者があっての放松、外界→上丹田(目)→丹田(腹)、そんな引っ張り合いの話、それが丹田に没入せずに意で気を操る要領であることもざっと説明しました。

 

 あと、着地に用心♪

 脛はいつでも相手の膝崩しができるようなスネに。要は脛の棒は立てておく。

 これは膝に自信がない人にオススメ

 

最後に。

 

気の種類分けはインドのものを見た方が分かりやすかったりする。ヨガの人達にはお馴染み。

(画像の出典:http://moyashiken.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/post-45b5.html)

 

プラーナ 肺 宗気 

サマーナ 中丹田 中気 

アパーナ  下丹田 の気 (脚を含むことに注意)

ウダーナ  上丹田の気(腕はここの気)

ヴィヤーナ  衛気

 

このインドの語を昔は中国でも漢字にして使っていた。気功法の原理、インド由来かなぁ?

2018/12/26 のLINEの独り言

 

 太極拳では残念ながらフォースを使うものは"折れる"(苦笑)

 

 気を使うものは"滞"り、意を使うものは"通"ります。

 

 力者折、気者滞、意者通

 

 これは今朝Hさんにも教えたばかりですが、気が分かるようになった生徒さん達の次のハードルは気を扱いにいかない、気から離れて傍観者になっておく(=意を使う)練習です。その段階にいる代表格は松本君、穂苅さん、しーさん。気を動かせるがために動かしにいってしまうと失敗する。放松の放、放っておく、仏教の捨、どれも同じ態度です。

気は運んではいけない、気は行かせる。

let go

無我

これらと同じ

 

 Sさんが火曜の練習で肩を開けた状態で肘を使わせたらとてもうまく動けていましたが、私が褒めたら、「自分では何もしていません....」と戸惑っていました。実はそれが正しい。自分で正しくやってやろうという時(我がある時)はうまくできない。うまくできる時はうまくできてしまっている....

 無為を創り出す?というこの矛盾は、身体を内側から開けることでクリアしていくのかなぁ、と試行錯誤中です。

 でもその辺りが実は太極拳の醍醐味ではないかと私個人は思っています。

 頭ではどうしようもない身体の世界、いや、頭も身体の一部だから頭を含めた身体から始めてどこまで内側を掘り下げられるか、探求の面白いところ。

 

 と、話を発展させてしまいましたが、明日は今年最後の御苑練習。予定では美系(?)女性3人が練習に来る予定....ゆっくり練習できそうで私も楽しみです。

 

 <追記>

 その後、A氏より生体マトリックス、テンセグリティ理論との相似を指摘されました。

 

2018/12/21 その2

 

 結局、松腰よりも丹田が先、ということで、再度、胡耀贞先生のテキストを見直しました。

馮志強老師のもう一人の師父。気功法の父とも言われている胡耀贞先生。そのベースは道教の修行法。そしてこれが混元太極拳の核心をなしていると言っても過言ではありません。

 胡耀贞先生については津村喬先生のブログに少し紹介があります。http://www.kikoubunka.com/1-4.roushi.html

 

 内丹術、やはり教えるのに苦労するんだ・・・・だから日本の気功は導引ばかり・・・納得(苦笑)

 

 胡耀贞先生のテキストの築基功の部分を生徒さん達に紹介しましたが、その素晴らしさと効果を実感するには毎日たゆまない努力、継続が必要。

 私が1981年に初めて北京に行った時は空気がピンと張りつめた広大な土地の彼方で、朝、気功をしているらしき人影を見たけれども、今の中国は資本主義国家と同じくざわざわしていて、落ち着いて静かに練功するのがなかなか難しくなっていると思います。

 

 

2018/12/21 (Lineの独り言)

 

 今日の練習では私のこれまでの理解の訂正をしました。

 松腰、腰を緩めること、と丹田に気を集めること、この関係。

 劉先生と話したら、まずは丹田に気を溜めろ、松腰は丹田に気が溜まってから、ということでした。

 それを聞いて私はびっくり。先生は私に最初から命門を開かせて腰を緩めることを教えたのになぜ今になって?と、その点を尋ねました。

 

 私がパリで初めて先生のワークショップに参加した際、30人くらいいる生徒さんの中で私の身体は気が充満していたのですぐに先生の目に止まったらしい。(が、上丹田、神がふらふらしてるなぁ、と思ったらしい)

 私は当時38歳。その前に日本で気功や太極拳の練習をすでに7、8年やっていたし自分では意識していなかったけれどもそこそこ基本的な丹田の力はあったよう。

そこで劉先生は私には最初から命門を意識する練習をさせた、ということでした。

逆に言えば、丹田がない、腹に気が溜まっていない、虚弱な状態で腰を緩めさせると、さらに腹が凹んでしまう。

だから最初は真っ直ぐに立って少し身体を緩め、心を腹に置くかのように意念を使って腹に気を落として溜めていく。

ある程度溜まって自然に動くようになるまでは頑張って溜めなければならない。

そのうち自然に丹田が前後に動いて命門に届き出せば命門を意識する練習、そして松腰を行う、との手順でした。

 

 この基本的な気を溜める功法(腹と腰を一個の大きな丹田で繋ぐ、中丹田と下丹田を1つの丹田にする功法)を築基功といい、昔は冬に入門して寒い時期3ヶ月、100日で行う(毎日1時間以上立つ)というのが習わしでした。

(100日というのは30代前半の男性の標準期間。)

今はそこまで真剣にやる武術愛好者は....ドイツ人くらいだ、と馮老師は苦笑いしていた....今の中国でもそんなことをする余裕のある人はなかなかいない。

 

が、本格的な武術家や修行者にならなくとも、毎日立ったり座ったりして少しずつ気を溜めるのは心身の健康にとってとても大事。

 

....と、話は長くなりましたが、本当は練習に来られないO君に書こうと思って書き始めたものをここに載せました。

冬は気を溜めるのに最適な期間。年がら年中暖かかったら気を溜める意義や感覚もなかなか分からない。

 年末年始、一人で練習する場合は是非気を溜めることを念頭において練習してください。(以上、O君を思い浮かべて書きましたが、もし、食べて寝てばかりで動きが少ない人は是非外で動いてください。)

2018/12/19

 

  昨日の練習では腰を緩めることが今一つ分からない生徒さんにそれを理解させるのに四苦八苦。

 そして今日のビデオレッスンでは、練習が進んでいるにも拘わらずタントウ功をしても脈拍が下がらない、という生徒さんの問題に直面。かなり気のことも分かっている生徒さんなのに一体どんなタントウ功をしているのか?と不思議に思い、ビデオをつないだまま30分立ってもらった。

 すると、30分立っても、そのまま!

 腰も緩んでいない、から、気も落ちていない(気沈丹田)。

 これでは入静どころか安静にもなれない・・・。

 

 最近実験的に生徒さんにやらせていた、意で身体を足裏まで包む(意で身体を包み込みながら足裏を内視できれば気が付いてくる)練習にしても、腰が緩まないと、腰より下を見る(内視する)ことはできない。

 

 馮志強老師のテキストに、まず”松腰”から始める、というフレーズがあったのを鮮明に覚えているが、松腰ができなかったら丹田に気も溜まらないし、丹田に気が溜まらなければ更なる松腰もできない。松腰が進めば進むほど丹田の気は増える関係にある。が、松腰を進めるためには丹田の気を頼りにしなければならない。

 鶏と卵の関係?のように思えるけど、おそらく、スタートは松腰、のはず(これは夜にでも師父に確認してみよう)。

 もし丹田から始めたら、うまく松腰につながるかもしれないけれども、間違えた丹田(ギュッと力を入れた丹田、高岡英夫さんの言うところの”拘束丹田”、私の感覚では黒い塊丹田)を作ってしまう可能性もある。丹田は白抜き空間。最初は点のような粒だったりするがそれが膨らんで空間になり、時にはそれがまた一粒丹田に戻ったりする。気の量がとても多ければ大きさは自由自在に変えられ得る(少ないと膨らませると薄くなって分からなくなってしまう)。

 

 今晩の練習でもう一度原点の”松腰”を試してみよう。

 生徒さん達の理解が以前より進んでいますように・・・。

 

2018/12/18

 

 今日は12月中旬とは思えない暖かさ。

・・・と、生徒さん達の丹田への集中は弱くなってしまう。

 

 この前の週末、特に土曜日は北風が吹いてかなり寒かった。子供が現れて元気に走り回ってくれるとほっとする。どうやってサバイブするか・・・そんな練習をすると丹田のありがたさが一気に分かる。頑張った後の生徒さん達のコメント。そして私のメモ。

<以下グループラインから>

 私:今日のイコット広場の練習、強風の中皆よーく頑張りました....強くなった(は)(ず)

 

Tさん:先生のおかげで北風の中でも元気に遊ぶ子どものようになれました!イコット広場に感謝💕

 

Aさん:途中で跳んだ!

まさか、この歳になって、北風に立ち向かう術を習うとは、思いもしませんでしたー。

強くなった私を誰かに見せたい!^ ^

 

私:太極拳の功夫が上がるのは冬。冬の練習があってこその太極拳。自然に立ち向かうと身体は自然に強くなる。温室育ちでは植物も動物も弱くなる。

寒い時に、寒い、ではなく冷たい、で止まれればどうにかなります。丹田に止まれれば自分と冷たいと感じる自分の表面との間に距離がとれるので、寒い、と感じなくて済むはずです。

逆に、寒い、と思ってしまったら丹田から意識は外れてしまってる。

....そんな実験が冬の練習では可能です。

痛みや暑さや寒さと自分との間にクッションを作る、それが丹田を作ることとも言えます。仏教のヴィパッサナー瞑想では観察によって自分と感覚の間の隙間を発見しますが、太極拳、道教の修行法では丹田を作ることによって隙間を作ってしまう。

外側の身体を内側の私が見ている....外側の身体の中の気の流れをその内側の私が見ている....と、徐々にマトリョーシカのようになっていきそうです。

 

2018/12/13

 今日初めてドイツに住む生徒さんとビデオレッスンをした時に書いた図。
  ドイツで簡化24式を習っているとのことでしたが、こんなイメージで太極拳してるのでは? と書いたのが上側、下側の一見しょぼいのが周身一家の太極拳、柔らかく秀美な本来の太極拳です。

ついでに書いたのはお馴染みの丹田図

2018/12/12

 

 先週末は年に一回の皆の集まり、忘年会を開いた。

 本当は時々皆が集まれる機会を作れば良いのだろうが、私が面倒くさがりかつ組織嫌いだからなかなか音頭をとれない。練習の曜日が違うと会う機会があまりないのだが、もう4、5年練習している生徒さん達も増え、いつの間にか気を張らずにしゃべれる仲間になってきた。これならそのうち私が不在でも皆で集まって練習も可能だろう、と嬉しくなった。

 

 練習は相変わらず核心に迫るための寄り道のような練習ばかりしている。

 套路の型も催促されないと教えるのを忘れてしまう。

 毎回毎回、新しいことに気づいてしまうから、一週間経って練習に来ると私がまた違うことを教えていてこんがらがってしまう・・・という声もあるが、もう、それが当たり前、と諦めてしまった生徒さんがほとんどでは?(苦笑)

 

 太極拳の練習は学校の勉強と違って、ステップ1ができなければステップ2に進めない、というものではない。虚霊頂勁ができないと沈肩墜肘ができない、とか、含胸抜背ができないと松腰や松クワができない、とか、全ての要領がマスターできなければ丹田ができない、というようなものではない。全ての要領は円でグルグル繋がっているから、どこからでも始められるし、どこから初めても不完全にしかできないのは仕方がない。どこか仏教の十二縁起のようではないかしら?

 

 

 (図がうまく描けない・・・)

例えばAが虚霊頂勁、Bが沈肩、Cが墜肘 Dが含胸、E抜背、F斂臀、G曲肘、H垂指、I提会陰、J提湧泉・・・

 

などと様々な要領を掲げた場合、最初はなんとなくそれっぽくして全ての要領を回し(一番内側の小さな円)、すると再度同じ要領の練習に戻った時には以前よりももっとしっかりできた感覚が現れる。そして二周目、三週目にやると、あら?これまで思っていた含胸と今回の含胸の感覚が違う、と理解がまた更新され、こうやって、ぐるぐる回しているうちに、全ての要領の感覚がしっかり確実なものになってくる。実際には要領を”クリアした”ということはあり得ないのだろう・・・まだまだ更新される・・・

と、それが面白いところ。

 

 だから同じ練習を初心者とベテランが一緒にすることが可能になる。理解の深さはその人それぞれ。

 昔師父とパリで練習している頃、並んで一緒に動功(双手揉球)をしていてら師父がおもむろに私の方を向いて、「私達は一見同じ動作で練習しているが、やっていることは全く違う。」と言ったことがあった。そして、「同じ練習をしていて、今日と一か月後の感覚が全く同じだったら、それは全く進歩していないし、今と一年後、同じ練習をしているとしたら、進歩どころか退歩しているかもしれない。」と言っていた。

 今はその師父の言葉がとても良く理解できる。

 

 先週、今週、太極拳を練習する人(先生、老師レベルの人も含めて)に多い”脚のねじれ”に注目していた。

 それはまた時間があれば書くことにして・・・

 

 と、今日のビデオレッスンで、ひょんなことからラジオ体操第1の2番目の動作は本当にあれでいいのか?と疑問が起こった。一体あれは何の運動だったのか?太極拳的には、提会陰で身体の軸を整えるタントウ功への準備運動のように思える。このまま手を上げていくと自然にしゃがめてしまう・・・なんて良い運動♪

 と調べたら解説があった。

https://www.jp-life.japanpost.jp/aboutus/csr/radio/abt_csr_rdo_dai1.html#infoBlock2

 

 太極拳をやる人ならこんな屈伸運動はできない・・・身体が拒否する(苦笑)

2018/11/4 
<練習後のLINEへの投稿>

結局Hさんのリクエスト答えられぬまま時間切れ....三節回しやると話が広がり過ぎて収拾つかなくなります。
 
(太極拳では)動きは関節を回すことによって行います。
骨や筋肉で関節を回すのではなく、関節を回すことによって骨が回るようにします。(子供も達人もこの動き方。中枢神経から末端に向けて順序正しく神経が繋がっていけばそのような動きになる。)

それは当たり前のことなのだけど、
私達は無意識のうちに筋肉(の太いところ)に力を入れて骨を動かしがち。すると筋肉の末端=スジが十分に伸ばされず、骨の末端=関節が十分に動かなくなる→可動域が狭まり伸びのない縮こまった硬い身体になります。ボディビルダーはその典型。

太極拳で最も大事なのはバネ力。発勁は身体中のバネを総動員したもの。
バネはスジの伸び=関節の隙間=その隙間を可能にするだけの丹田力(気の量)です。

関節に気をめぐらして回せるようになるためにも気をためる必要がある。

踵(足首)の球が回りそれが膝に連動→股関節→尻→腰 腹→胸→首 と一気に全18個の球(関節のようなもの)が回転することにより気は節節貫通=関節から関節へと貫通、していき、周身一家=全身が一つ、と、身体が出来上がります。

練習は少しずつしか進みませんが、その行き着く先を雰囲気だけでも知ってもらおうといろんな生徒さんの身体を掴んで矯正しました(苦笑)

今日見せた膝回し、腎経のラインは復習しておいて下さい。膝の裏が伸びるよう毎日膝裏伸ばし(圧腿をすれば良い)をするのはマスト。認知症防止の本にも膝裏伸ばしが勧められていました....。

肩の球の位置も思い出して→股関節の球の位置と合うはず。
この計4つの球の連動が分かれば四正勁や四隅勁が分かります。

今日冒頭で練習したリエは四隅勁の1つ。斜めの腰回しは毎日必ず練習して下さい。これはやって慣れるしかない。

<関節を回すコツ>
使いたい関節に気を押し込む→関節の球の周りを気のクッションで巻く→関節周りに隙間ができる→関節が回せる

以上

2018/11/1

 

 昨夜のレッスンでは奥の手を使いました。

 例の三節回し。

 膝回しの甘さは二人組で膝を交えて転腿(推手の脚バージョンのようなもの。足相撲?)をすると暴露される。

 膝を内旋させる人も外旋させる人も、相手の膝で自分の膝を入れ込まれて倒れないような場所で膝を回転させなければならない。膝を推されてガクッと押し出されてしまうような位置は正しくない。

2018/10/30

 

 下肢の三節回しを引き続きやっていますが・・・

 やればやるほどそのが重要度が分かり、これができずにして二本足で立ち上がっていたこと、立ち上がっていることが恐ろしくなってくる。

股関節、膝、足首(踵)が回転できない場所で立ち上がっている、ということは、土台が傾き崩れたまま建物(胴体)を積み上げているようなもの。

土台となる下半身がしっかりしなければ、そのうえに乗る胴体が放松するはずがない。

結局、腰に負担がかかったり、肩、首に負担がかかる。

腰痛や肩こり首こりが絶えないのは下半身、土台の軸のズレだったのか・・・と今更ながら知る。

 

 まずは膝回し。

 ここで、膝裏の、委陽、委中、陰谷、この3つのツボでしっかり回れるようにしつける。

 この3つのツボを外さないように膝を曲げるのが非常に大事なところ。

 この3つのツボを外さないように膝を曲げ続けていけば、太腿の筋肉を縮めて太い塊にすることなく、余裕でしゃがみ切れてしまう。下に坐っていけばいくほど、腕が上がってしまう、はず。下にしゃがんでも腕がなんら影響を受けないとしたら、膝裏を使ってしゃがめていない。

 ・・・・これは太極拳の中腰体勢の基本となる。

 だから節節貫通となって、最終的には足と手が繋がってしまう。

 

 基本功ではそんな身体づくりを目指す。

 丹田の気の量がないと膝裏のラインで立ち上がることはできないから、丹田の気を徐々に増やしていくことになる。

 タントウ功で身体の内側が貫通した身体を作るのだ・・・とやっと全体像がクリアになった。

 

 今日のビデオレッスンの生徒さんには、踵、膝裏、股関節の球を回した後に、そのうえの、お尻、腰、腹、胸と、胴体部分を下から繋げていくことに挑戦してもらった。

 馮志強老師の18の球が一斉に回る、という話。ここに来てやっと現実味を帯びてきた。

 球とは紛れもなく、関節。

 関節は球のごとく回る。折れないし折らない。

 股関節とお尻の球の違いが分かるか?お尻が回ればそのうえに腰がある。そして腹は腰の前。そして胸(胸椎)はその上、そしてその上に首の球。

 胴体部分の関節、は腰、腹、胸、首。これらも関節。回る!

 

 関節を意識できるか?

 まずはそこが最初のハードル・・・。

 

 

2018/10/26

 
<LINEへの投稿>
 
 今日の練習もたくさん言うことがあって時間が足りませんでした。口が2つあれば同時に2つのことが喋れるのに、と、途中もどかしく感じたほど(苦笑)
下肢の三節の回転は太極拳の、というよりも、実は人間の下肢の使い方の基本。関節は回転=隙間なしには機能しません。関節を折りたたむものとして使っていると直ぐに磨耗して傷んでしまいます。
1つの関節を動かす((回す)とジャラジャラと連動して身体中の関節が動く(回る)ことになる。これが太極拳で言うところの『節節貫通』です。
 パリで映した劉師父の準備運動。
 実はこれがチャンス―の基礎になる。
 下肢の根節(クワ、股関節)、中節(膝)、梢節(踵、足首)を、中節から順番に外旋、内旋100回ずつ、クワ外旋内旋100回ずつ、踵外旋内旋100回ずつ廻す。
 膝がちゃんと回るか(膝裏の3点、委陽、委中、陰谷をちゃんと使えるか)がポイント。
 回す、のは見たほど簡単ではない。こんなに後ろですか~?というのが生徒さん達の共通した感想。結局、タントウ功でしっかりとした丹田を作る必要があることが分かることになる。
https://hanakomama.jp/topics/25156/
https://hanakomama.jp/topics/25156/

2018/10/25

 

  帰国してから通常の練習に戻り生徒さんを教えていると次から次へと課題が出てくる。

 劉師父がいとも簡単に普通に、なんの凄さもなくやっていたことが、いざ私達が再現しようとするととてつもなく難しいことになってしまう。

 

 劉師父の動画を見て、どこが凄いのか分からない、とか、動作が地味過ぎて内側(内気)の動きが分かりません、という感想を発したのは5年近く練習をしているベテラン系の男性生徒さん達。

 本当に功夫の高い老師は、普段の練習の時はとても謙虚な動きでどこが強いのか分からない。陳項老師もそうだった。(玄人ではなく一般人から見て)初めから明らかに強そうな人、は、実は弱い・・・というのは時代劇でも同じでは?武術の中でも特に太極拳はそんな感がある(少林拳等の外家拳との大きな違い)。

 私のバイブル漫画の『スワン』の中で、マーゴットフォンティーンか誰かが「技を隠すには技を見せる以上の努力が必要です」と言ったセリフをよく覚えているが、派手に技術をアピールするよりも正確さを極めることの重要性に気づいた真澄が一見地味な踊りでコンクールに臨む姿は印象的だった。

 

 そして今回の師父との練習で、形を正確に作るためには、それを内側から形作るための内気が必要なこと、即ち、外形というのは外枠の線をなぞるのではなく、内側から内気で身体を膨らませて正しい形を作るのだということ、それはあたかも、動物型の風船を膨らまして動物型に仕上げるに末端まで空気を吹き込むようだ、と分かった。だから、内気の量を増やしておかなければならないのだ!(→冒頭写真を参照!)

 一般の人用に広まった太極拳の練習では内気を増やす練習はしない(できない?)から、とりあえず外形を正しく動かす練習をする。これは太極拳の形を使ったゆっくりとした体操になる。

 が、真の太極拳は内気で行う。内気が身体の形、動作を作る。内気が足りなければ身体という風船が膨らまないから関節(骨と骨の隙間)も開かずに動けば動くほど磨耗してしまう。

 

http://korikiku.com/?p=2514
http://korikiku.com/?p=2514

 

 ところで、一週間旅行をして日本に戻って愕然としたのは、私達日本人の萎んだ身体だった。まず、肩がない!

 肩が肩先まで(上腕骨とのつなぎ目、肩ぐうや巨骨のツボまで)意識を通している(=空気を吹き込めている)人はまず皆無(が、外人でも完璧にはできていない、がまし。沈肩が本当にできるのは修行している人だけ・・・?)一般的な日本人は腕が肩井あたりからぶらさがっているような感覚のよう。だから前肩、猫背で貧弱な身体になる。

 

https://www.oricon.co.jp/news/52765/full/
https://www.oricon.co.jp/news/52765/full/

 

 ・・・が、という私自身が若い頃卓球ばかりしていたせいかどうか、えらく猫背で前肩だった。その頃はそんな意識はなかったけれどこも、太極拳の練習をする課程で星飛雄馬の大リーグボール養成ギブスをつけているのではないかという想いを随分しながら(苦笑)、徐々に徐々に肩の位置を矯正していった。それでもまだ劉師父から見れば沈肩が不十分。沈肩とは肩をただひげダンスのおじさんのように下げることではなく、肩関節を全て(幾つある?その全て!)を開けた状態だと分かったのはつい最近・・・。

 

 そして、肩関節、を開くにも内気が必要。中でも、肩の末端まで空気を吹き込むには相当な腹の気(丹田)が必要になる。

 大谷選手やイチロー、松井選手がバッティングの時になぜ揃って頬を膨らましているのか・・・ やってみると分かるが、こうすると首や胸、肩関節まで息が入って膨らみ、重い球に対抗できるような身体になる(本当は肺を空気でいっぱいいっぱいにしている)。

 肩に空気がはいるような呼吸も必要なのではないか?(とすると頭を上げても少し後ろに引く必要あり。携帯見て立っていては肩に空気がはいらない・・・)

 

 ・・・このあたりはタントウ功で徐々に躾けていく予定。

 

 その他、お問い合わせで馬歩の時の足先が前を向くのか外を向くのか、という質問がありましたが、これについては脚の三節の旋回、チャンス―で説明した方が良さそう(文章よりもデモンストレーションした方が分かりやすいはず。近いうちに説明の動画が撮れれば撮って見ます。)

 似たような質問に、手足の順纏、逆纏の関係、というのもありました。

 そして、坐禅の要領。坐禅とタントウ功の要領は同じか?なぜ坐禅をするのか?坐禅の効用は?というような問いもまだちゃんとは答えていないでそのまま。ただ、これは答え出すと本一冊書けそうなテーマ・・・。

 

 丹田呼吸、即ち、丹田を臍の方に膨らまして(前丹田)、それから中間、そして後ろ丹田(命門)へ、というのをやって見せろと師父に言われ写真を撮ったりしていました。

 

 それはそのうちLINEの仲間のページにアップするかどうか・・・。

2018/10/19

 

 昨夜ソウル経由で帰国。

 たった1週間の旅だったのに1か月は留守にしていた気がする。そのくらい密度が高かった(チコちゃんで、大人になると時間が経つのが早くなるのはなぜか?、というのをやっていたけど、まさに子供の時は時間の流れが遅いというその状態!)

 

 後半3日間の劉師父との練習では非常に細部に至るまでチェックを受けたが、ここまで正確にやって初めて真の功夫になるのか、とその正確であることの難しさを痛感した。正確であることには派手さがなく、一見ふつうにしか見えないのだが、いざ真似してみようとするとできない。漫画のスワンの中でもそのようなことが描かれていた場面があったことを思い出した・・・どんな芸術、職人技でも同じだろう。

 

 細かい練習内容については追々にして、48式の動作を直された時に、私の動作がなぜいけないのか?を私に納得させるために師父がやってくれたその動作の実践的用法。太極拳はその動作の実践的意味が分かっていないと原理を外してしまう。それにしても、強い!(強くなければ太極拳とは言えない、と私は師父に出会った第一回目の練習で言われました。”強さ”は武術家(あるいは男性?)にとって一番得たいもの(らしい))

2018/10/17 続き

 

 そして最後はマウリッツハイツ。

  もちろんフェルメールの絵、2点。
 
 この2点を鑑賞するためにデルフトに行ってきたばかり。
 そしたら、なぜフェルメール、そしてレンブラントが光にこだわったのか、分かってしまった!
 
 パリに出てくる前、ちょうど上野でフェルメール展が始まったので、それならマウリッツハイツに行く前に見ておこうと予約をして見に行ってきた。9点集まった!という史上稀なる展覧会、ということだが、貴重過ぎるのか、9点が一つの真っ暗な部屋に閉じ込められ、人だかりの中、監視されながら見る絵は呼吸もままならない。ただ息を呑むばかり。絵はこんな風に鑑賞するものなのかしら?と、狐につままれたような気持ちで会場を後にした。
 が、ここハーグの美術館はこじんまりとした宮殿を美術館にしたもの。明るく柔かな光の中で見るフェルメールの絵はとても自然で、見て微笑ましい気持ちにさえなった。デルフトでフェルメールハウスを訪れた時、初めて彼の作品の中にはウィットがあるというのを知ったが、そういう目で見ると、午前中に見たエッシャーにまで繋がってしまう?、オランダ人はそもそも陽気・・・(ゴッホはパリに行っておかしくなった?)なんてと勝手に想像して可笑しくなってしまった。
 
 ハーグからデルフトへはトラムで20分足らずだが、その途中、線路に並行して水路が流れているのを見ていた。と、あれ?と今更ながら気づいたのは、水位がとても高いこと。オランダは土地が海面よりも低いのだから当たり前といえば当たり前なのだが、改めて見ると、日本なら避難勧告がでかねない水位の高さ。ちょうど午後の日差しが水路の水に反射して明るく輝いていた。
 デルフトも水路が張り巡らされた町。日光が水に反射してとても明るく感じられる。
 そう言えば、私がロンドンで2年研修をした後オランダに移動して感じたのは、明るい!ということだった。緯度は高いし天気も変わりやすいのだが、ロンドンのような陰鬱感、パリのような陰湿感がない。その時は国民性?とか思っていたが、いや、それはこの”水”、水に反射する光のお陰かもしれない。
 そう気づいてハーはりグのビネンホフの前の池を見ると、や。はりキラキラしている。子供の時に好きだったキャンディキャンディの終わりの曲で”キラキラ光る~風の向こうで~”の時に画面に宝石のようなキラキラが出るのがとても印象的だったが・・・似てる。キラキラがさらに目立つ理由は緯度が高いから日光が傾斜して水面に反射するから?
 フェルメールも、そしてレンブラントも、デルフトという当時の大海洋国オランダの最も先進的な場所に集まった画家達がその”光”をどうにかして絵に描き込もうと一生懸命になったのも不思議ではない気がする。ここには至る所に光がある・・・・パリではフェルメールもこうは描けなかっただろう。
 人は時と環境の産物、改めてそう思いました。
 デルフトの風景は柵も何もないので一人ビッタシくっついて見ることも可能。真珠の耳飾りの少女だけ柵があったが、それでもかなり近くで見える。乳母車で普通に見に来られる、それほど絵が身近にあるのは羨ましい。
  
2018/10/17

 パリに戻って練習始まったら既にオランダが遠い過去になりつつある....
  とりあえず写真だけアップ
   2日目夜明け前に(といっても7時!)ホテルで自転車を借りて昔住んだ家、そしてその向かいに広がる森(クリゲンダールの森)に行く。これがこの度の最大の目的。
   出勤の前によくジョギングをしに行った....

2018/6/30

 

 明日で最終日のターナー展。

3月頃駅の広告で見てとても惹かれていたのに、実際に足を運んだのはついこの前。

20代にロンドンで住んでいた頃、少なくとも3回はテート美術館に連れて行かれたけど、全くピンとこなかったターナーの絵。天気の悪いイギリスの気候のようなぼやけた絵ばかり・・・なんて思っていたくらい。当時の私はバレエの公演ととピアノのリサイタルが大好きで、絵画に対しては全く興味がなかった。

 が、今回ターナーの絵を見たら、そのすごさが分かる!と言っても、絵画の技術的な事は全く分からないのだけれども、その視点、ミクロからはいってマクロへ抽象へと向かっていくその流れ、それは4月に大感動したルドン展と同じ。

 微細な所までありのままに観察する。。。

 観察・・・最近挑戦しているヴィパッサナ―瞑想、そのものではないか?

 その目は我で汚れていない。

 ターナーの絵を見た後で、写実主義の言われるミレーの落穂広いや晩鐘を見たら、そこにミレーの意図、我のようなものが見えてしまって、そういう意味ではターナーの方が水墨画的な無我の境地に近い気がした。我がないのに、これはターナーの絵、と分かる個性はしっかりある。面白いなぁ、と思う。

 ぱっと遠くから見ると滲んだ色のグラデーションの絵に見えるのだけど、近づいてみると、とてつもない細かさと正確さで物や人を描いている。こんなに細かく、どうやって筆を使うのか?いや、視力が跳び抜けてよいのか?

 絵に顏をひっつけて見たくなる。あら~細かい・・・あらら、人の顔がピーターラビットになってる?

 そしてまた遠くから見てみる。そしてまた近づいて楽しむ。

 そうやって繰り返し見ていると、眼の体操をしていることになるのか、自分の目が良くなって焦点が合いやすくなった気がする。

 焦点が合う・・・ほんとに、ぴったりと焦点が合う。

 画家の眼の焦点がきっちり合っていたところに私の眼の焦点も合ったのか?

 ターナーの絵を見ると眼の焦点、いや、上丹田に焦点が集まる。目が良く見えるようになる。

 画家自身もそこに焦点を集めて描いていたのではないか?

 

  その美術館には常設でゴッホのひまわりがあったけれども、ターナー見た後でそれを見たら、大雑把過ぎて素通りしてしまった。おそらく上丹田で味わう絵ではないのだろう。焦点が合わなかった。去年ゴッホ展に行った時はとても感動したことを思うと、きっと見る絵に応じて自分をチューニングしているのではないかと思う。

 時代性、その背景もあるし・・・。

 

 でも、ルドンとターナーはフランスとイギリスの大きな違いはあるけど、私にとってはとても共通点がある。極小から極大まで、無為自然、太極拳的。

 

 

番外 4月のルドン展

 
番外
今年1月頭にパリのディオール回顧展最終日に駆け込んで写した写真。

月の練習日程→こちら

 

平日の女性クラス2/17の独り言(次回は5/13日開催検討中。参加者募集中)

『今日の独り言』結局何でも太極拳に関連してしまう頭の中。その日の気づきや疑問点、頭の中のお掃除と整理。アーカイブは練習メモ

練習メモ』

毎日の練習は気づきの宝庫。太極拳の練習の成果が何に及ぶかは予測不可能。私自身の学びのメモ。

『LINEの話題』 グループLINEにリアルタイムで書き込んだ内容。LINEだと情報が流れてしまうので適宜ここに移します。

(パスワードをかけますので閲覧希望の方は簡単な自己紹介をつけてお問い合わせ下さい。)

★初心者随時受付中

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練習のバイブル本

 『陳式太極拳入門』

       馮志強老師著

ようせいフォーラム2017プログラム
3月4日(土)にパネリストとして参加しました。
ようせいフォーラム2017プログラム.pdf
PDFファイル 3.1 MB

 

2012/3/20

日本養生学会第13回大会で研究発表をしました。

発表の抄録、資料はこちら