2019/11/9

 

  昨日が立冬。ぐんと冷えた。

昨夜は自宅で大規模な宴会を開いて夜中に片付けをしたから今日の練習は思いっきり寝不足状態。

運動量を抑え気味にする魂胆で師父に技の説明の動画撮りを頼みました。

 

 技を最初に学ぶ時は頭は使うけど体力は使わない。

 技を習得するとなると気を運用してマジでやらないといけないから慣れないうちは消耗する。

 気の運用の仕方がわからなければ技を習っても会得できない。

 会得しても何度もやって身体に染み込ませないと使えない。

 

 私は技に対してはまだまだ頭の段階・・・

 

 <第26式、第27式の撮影>

 第26式の出だしの拧腰は太極拳の基本。とは知っていても、実際に相手との関係でどう使うかは分かっていない!相手の攻撃を交わして(化してから)反撃、は太極拳の戦い方だけど、交わすためには腰が素早く回転しなければならない。そう、毎日の基本練習は、そんなとっさに交わすための動き、腰の回転とともに全身が一斉に回る、そのための身体を作るためのものでした。応用できないような基本練習じゃダメだ・・・。

 第27式、技の原則は相手の力を利用する(借力)こと。相手の力の出方でこちらの技が変わる。

其々の式には相手がどのように攻めてきているか、という各々の場面設定がある。だから技を教える側としては相手に”そのように”攻めてきてももらわないと技をかけることができない。

(最も困るのは攻めてくれないこと。女性の生徒さんを相手にすると往往にして全く攻める意思がなくてふにゃふにゃの手で握ってきたりするので、すごい先生でも技はかけられなくなる。攻めてこない人相手に打ちに行くことはありえない、のが太極拳。攻めなければ攻めてこられない・・・先手必勝とは真反対・・・ある意味平和的な拳法。)

 で、私はここで師父の手を握って自分の方へ引っ張ろうとしたものだから、話がおかしくなった。そんなバカな自分に不利になる動きをする奴がいるか! 分かれば確かにそう。だけど、実践度素人だとそれさえ気づかない(苦笑) やはり経験則が必要だ。

 

 <第43式雀地竜 第44式上歩七星の撮影>

 この2つの式は実践的につながっている。途中で切れない。套路で2つに分けるのは第43式の定式の箇所で一旦丹田に気が集まり(合)、その力を使って第44式の技が繰り出されるから。気を丹田に集め戻すことをおざなりにしてそのまま第44式に流れ込むと上歩(前に一歩進むこと)した後の打撃に威力が出ない。

 これら二つの式のネーミング、なぜ雀なのか、なぜ7つの星なのか、がまだいまいち分からない。分かったら追記します。

  

2019/11/5

 

 雨の降らない日がなくなってしまったパリの秋。

 毎日の基本練習はこなせても、プラスαー的に師父にお願いしている動画撮影はなかなかしづらくなった。

 

 今日は雨じゃない!続きを頼もう、とやってもらった48式の中の第41式連珠炮。

 46式の中にも入っている技だ。なんで、珠が繋がる、みないなネーミングなのか?

 そんな疑問から切り出して教えてもらったら、なんと、たちまち第42式の白猿献果(白い猿が果物を捧げる、ような形の技)へと突入してしまった。ああ、連続技だったんだ・・・。

 

 連続技にすると師父のようにスムーズに機敏に動けなくなってしまう。もどかしい。

が、待て、よく考えれば分かるはず。套路での練習は、この連続技がスムーズにできるようにするためのコツを学んでいるはずなのだから・・・。と、混乱してしまった頭を落ち着け、套路での動作を、放松を入れて丹田の気の流れを確認しながらゆっくり再確認。ああ、ここで一旦丹田を回して気を下に落とし込むんだった。

 それに気づけば、師父のやってくれたような連続技へと応用が可能。もちろん、あのレベルになるにはもっともっと練らねばならないが。

 

 私の呑み込みが遅くて随分長い動画になってしまいました。(途中どこからか電話がかかってきて動画が切れた。)その3は納得した瞬間。身体はまだまだ躾が足りないけれども、道理が分かった(分からない問題が解けた)のは良かった!

 

 

2019/10/30

 

 第7式斜行を使って弓歩での体重移動を説明してもらいました。

丹田を使って常に中正を失わず体重移動できるようになるには相当な練習が必要ですが、それに少しでも近づくようにタントウ功の個々の基本の要領を見直しながら練習し続けることが大事。

 関節は回る。関節は折り曲げない。普段の歩行でも膝は回転(前進なら内回転)している。チャンスー、螺旋は人体のとても自然な動き。

 

 (以下はLINEで書いたコメント)

 下半身の動きは 拧腰旋膝(順、外回転)   拧踝旋膝(逆、内回転)

 どちらも膝は踵や腰の捻り回転につられてぐるっと一回転回る。

 歩く基本でもあるけど、膝や太腿には力を入れない。

 膝や太腿で踏ん張らない。腰と踵で踏ん張る。

 これができたら太極拳の真髄を掴んだのも同然

   (なぜならそれをするにも丹田が必要....と分かるはず)

2019/10/28

 

 劉先生に習っている様子を動画に撮ったものは今後ここにアップします→「パリでの練習動画」

 私の生徒さんのために、と動画を撮ったのですが、撮ってみると実際には私の復習のための動画になってしまったようです。套路は奥が深い。基本功を実践にまで結びつけるのはまだまだだ(苦笑)。

2019/10/28 <お問い合わせの質問に対しての回答>

 

 先日、このHPの中の『站桩功の考察』の記述についてお問い合わせのメールがありました。

 質問は、「無極タントウ功の形での2番の膝と股関節を緩めると、6番の松胯、屈膝が重なっているのは何か意味があるのでしょうか?」 というものでした。

 

 この部分は随分前に書いたもので私自身それ以来読み直していない。馮志強老師のテキストの記述を参照して書いたから間違えてはいないはずなのだけど・・・と読み直したら、確かに2.の虚霊頂勁と6.の松胯 屈膝、二箇所に”膝と股関節を緩める”という記述がある。

 ふ〜ん、文字をよく読んでいるなぁ、と感心しつつも、この記述はその状態になった時(虚霊頂勁の状態になった時)は身体の各部はこのように調整されていた(膝と股関節が緩んでいた)という経験から書かれたもの、言い換えれば、Qになった時にはPだった、という身体の感覚を書いたもので、必ずしも、PをすればQになる、というものではないからタチが悪い・・・と太極拳を文章で学ぶ難しさを思い出してしまった。

 

 ともあれ、虚霊頂勁をするには、まず、まっすぐ立って頭のてっぺんまで気を上げて(頂勁)頭を”実”にした上で、それから頭に上った気を下に引き抜いて頭を”虚”にしなければならない。そのためには少し股関節と膝を緩めなければならない。膝と股関節を伸ばした状態では気が頭に上ったままで”実”のまま。これではその先の丹田が作れない。

 (虚、霊の深い意味、頭頂の上、外にある2つのチャクラについては割愛。余談ですが下敷きで頭頂をこすってその後下敷きを引き離すと髪が立ち上がるけど、その時の感覚が虚霊に近そう。)

 

 6の松胯屈膝はその上5の要領で中丹田に気が落ちたところを、下丹田にさらに押し込む際に必要となる要領。2の膝と股関節の緩みはちょっとしたものでよいけど、6では本格的に意識的にさらに深く行う。この時くれぐれも会陰を落としてしまわないように。会陰の引き上げを失って股関節を緩めて膝を曲げると丹田が形成されず、(丹田の浮き袋がないので)膝や股関節に負担がかかりそれらを痛めることになります。6の股関節と膝の要領は、5で中丹田を作ったのを前提にそれを失わないように(会陰を引き上げ続けて)慎重に気を下丹田に沈めていきながら行います。

 

2019/10/26

 

 12/5から12/15まで一時帰国します。久しぶりにレッスンする予定。

2019/10/23

 

 あれから二週間弱。やっと体力(気の量)があの日直前の状態に戻った。

 師父に一ヶ月分の功力(功夫の力、量)を失ったとがっかりさせた出来事、それは、ある夜主人の仕事の会食に付き合った時、うっかり歯医者で処方された抗生剤とお酒を同時に服用してしまったことで引き起こされた。

 

 今月初め、一本残っている親知らずが動きだしているのか奥の歯茎に違和感があり歯医者に行ったところ、CTやレントゲンをとった上でそれでも原因が分からないということで、とりあえずしばらく抗生剤を飲んで下さいと言われた。処方された抗生剤はトローチと同じくらい大きく、見た瞬間、こんなのを飲んで良いのか?と疑問に思った。けれども、私に向かって、何度も「食事をしている時に服用するのですよ。食前でも食後でもありません。」と念を押した歯医者の顔が何度も頭に浮かんで、仕方がないかなぁ、と嫌嫌ながら飲むことにした。

 飲み始めて3日目、主人がこちらのアメリカ大使館のカウンターパートの夫妻(女性が外交官、男性は主夫、と言っても米大使館では配偶者の仕事を大使館内で見つけて働けるようにしてくれるらしい。)と日本食レストランで会食をするとのことで同行。が、抗生剤の服用のタイミングが気にかかる。どうしよう?食事の間に気づかれないように飲んでしまわなければいけない。歯医者は食前でも食後でもいけないと言ったのだから・・・、と考えたあげく、ズボンのポケットにトローチのような抗生剤を裸のまま忍び込ませて出発した。

 日本食が好きだという相手の旦那さんに合わせてレストランを選び、コース料理を頼んだ。ワインと日本酒 計4種のペアリング付き。どうせ私はあまり飲めないからどれも一口ずつだけ・・・と、会話と食事が始まった。会話がこなれてきた頃、隙を見てポケットの抗生剤を素早く口に入れて飲み込んだ。これでOK♪ と気がかりが減って一安心。終了したのは23時でそれからタクシーを呼び店の前で立って車を待っているその時だった。何だか頭がぐるぐる回っている気がする・・・料理があまり美味しくなかったからかなぁ、なんて今思えば酷いことを考えたりしながら壁にもたれてどうにか立っていた。早くタクシー来ないかなぁ〜。

 やっとタクシーがきて急いで乗り込む。お店のあるオペラから内までは自転車でも15分かかるかかからないかの距離。が、パリの道は一方通行が多く、大通りに出るまでにタクシーは細道をぐるぐる回る。そのうち私の目も回ってきた。ただでさえ車に弱くすぐに酔ってしまうのにこんなにぐるぐるしたらダメかも・・・やっとオスマン通りに出てギャラリーラファイエットが見えた時にはいつもの車酔いの程度を超え、頭の中の平衡感覚がなくなり三半規管が機能していないのがわかった。もうダメかも・・・、と隣の主人に言って、急いで車の窓を全開にする。そこからはデパート街の照明と車のライトが横滑りする夜の暗がりの中に頭を出して何度も嘔吐を繰り返した。タクシーの人に申し訳ない・・・どうしよう・・・と思いながらも身体の奥から込み上げて来るのを止めることができない。家はすぐ近くなのになかなか着かない。そしてやっと着いたけれども立ち上がれない。立ち上がると頭がくらくらで倒れてしまいそうになる。まるで酔っ払いのようだ、運転手は酔っ払いだと思っただろうなぁ〜、とその時やっと、もしやあの薬?プラス酒?と朦朧としながら気づいた。

 

 主人に助けてもらいながらどうにか家に入り、玄関先でまずは服を脱ぎたい!とよそいきの服を脱ぎ捨てた。その中には前日に買ったばかりの黒のベルベットのジャケット。日本ならメルカリやヤフオクで安く買うのに・・・と悔しい思いで(?)定価で買ったイタリアのジャケット、きっと汚してしまったに違いない。おニューなのに。が、服にこだわってる場合じゃなかった。とりあえず着替えて歯を磨く。それだけでも大変なことだった。フラフラでベッドに倒れ込んだ。そうだ化粧・・・もう一度起き上がってふき取りだけやる。これが限界。

 一晩寝れば治るだろう、と思っていたけど甘かった。水を飲んだだけでも吐いてしまう。下からも出てしまう。師父に連絡をして事情を話して練習に行けない、と言ったら、できればナイロン袋を持って練習に来なさい、という。たくさん水を飲ませて吐かせたいらしい。でも立ち上がるとふらふらで外出どころではない。師父の提案はスルーする。大使館の医務官に電話をして事情を話したら、吐き気止めと胃薬を出してくれるという。毎度のことだけど、師父の言うことと医者の言うことは相反する。師父は吐いて全部出せ、と言う。医者は吐かないように薬を処方してくれる。私の直感は師父を支持。そう、吐くことを恐れてはいけない。身体の自助作用なのだから。

 吐くものがないのに吐くと緑色の液体しか出てこない。もう空っぽなんだと分かる。

 その日は朝も昼も夕方も、2、3時間づつ、ずっと寝ていた。その夜も寝倒した。

 三日目、まだ恐る恐るしか歩けなかった。前日は何も食べられなかった。そろそろおかゆのようなものは食べられるかと口に入れるともう嘔吐感がなくなっていた。良くなっている。が、まだ恐る恐るしか歩けない。その日も練習はお休み。

 その翌日に公園に行く。私を見て師父が、また痩せたなぁ、と言う。体力なくなると口数も少なくなる。余計なことも考えないし、余計なこともしない。自分がとても静かな人になった気がする。肉体の力が落ちた分、相対的に意、肉体の中にある自分の意識、の力が強くなったよう。いや、本当は肉体の力の減退とともに意の力も落ちているのだけど、肉体の力の激減に比べたら意はそこまで急激に失われていないので強くなった気がしているのだと自覚ができる。修行で苦行をしたり断食をして肉体の力を失わせると一時的に意が強くなって悟りに近くなった錯覚を与える、というカラクリと同じだ・・・。

 余計なことができないから余計な反抗もしないし、とても従順な私。

 師父は私以上に心配していたようだ。というのは、なんと、中国にいた頃、抗生剤とお酒の組み合わせて知り合いが3人命を落としていたから。(抗生剤を点滴や注射で入れて、そのあと会食で酒を飲んだという例。皆男性でお酒もそこそこ飲んだらしい。)私は全部でグラスに半分くらいのお酒の量だったけど、あの時、料理が美味しくてお酒がもう少し進んでいたら、本当にやばかったのかもしれない。

 

 その後はいかに体力を戻すか。食べる!

 師父は私のために牛テールのスープや牛すじ、雑穀のおかゆ、そしてウコン丸ごとを用意してくれた。食べるのがこんなに大事だと思ったことはなかった。が、一週間、身体の気の損失を補う食品を多くとっていたら、みるみるうちに回復。いろんなことに対するやる気も戻ってきた。ハァ〜。

 昨日は踵のホールドの良い新しい靴で師父と転腿をしたら、自分の脚の力がこれまでになく強くなっているのにびっくり。私が優勢?なんて錯覚をしたほど。

 身体が弱って気の量が減るとどんな症状、どんな感覚になるのか、身を以て知った一連の経験でした。

 もう同じ間違いは繰り返しません・・・薬も酒も薬=毒。触らぬに越したことなし。

 

 

 

2019/10/7

師父との練習、約1ヶ月半。
毎日転腿と拍手功を繰り返し、さてどのくらい変わったか? まだどこが足りないか?
自分で確認しなさい、と撮ってくれました。
やはり右肩、右半身....
中が貫通してないからよじれる部分がある。
結局、腰奥開ける→踵アキレス腱まで巻いて引っ掛ける....タントウ功やトウロを漫然と繰り返してもここまで繋がる、節々貫通は無理だなぁ。
完璧は狙う必要ないとしても、やはり師の引導は必至。
追記
 午前中この独り言をメモって、午後はこちらでVIVIANEに初めてピアノのレッスンをしてもらいました。彼女については以前練習メモで紹介したことがある。詳細省くにしても、気持ち悪いくらい師父が指摘する箇所と同じところ、同じことを指摘された。腹からどこにも当てずに指先、爪の際の指先から垂直にピアノの中に力を届けこむ(バッハの場合)。子供の時に砂浜で指を砂に突っ込んで穴を作って遊んだような感じで、と彼女は言った。
 そしてもしや、と思って彼女に身体の中と指先から出る力には時差はない?と聞いたら、そう、その通り。時差なし、と言う。先日師父との練習で足裏から力が出た瞬間に手は力が出ていなきゃならない、途中の気の流れを見てはいけない、と言われ、あれ?それじゃあ節節貫通ができないじゃない?と頭にはてなマークがついてしまった。家でお相撲さんの突っ張りみたいな格好を壁相手に試して静止してみて、確かにもし内側が完全に開いてしまえば身体の内側は一つの無の空間となり、一つの場所で起こったことは同時に別の場所で起こりそうだ・・・と思ったけれど、まだ完全には理解できていない。手先で打つ(弾く)のと腹(身体の奥)から手先に気を送って打つ(弾く)のと、どちら(の反応)が速いのか? 前者の弾き方をVIVIANEもシフト同様、”筋肉で”弾くと表現していた。筋肉で弾かれてきたピアノを弾こうとすると全くピアノと繋がらなくてうまくいかない、なんて話もあったほど。筋肉で打たない、弾かない、で、意で打つ、弾く。そのために身体の中を開ける練習が必要になる。筋肉は関節ごと、あるいはいくつかの関節を跨いでごとついているから、筋肉を使って打ったり弾いたりすると筋肉疲労が起こる上に、脳の指令から筋肉が動くまでの時間がかかってしまう、ということなのか?時差なし、とは身体の内側でワープしているのか?この練習はワープの道を作る練習なのか? なんかとても重大なことに迫っているみたいなのだけど、私にはまだはっきりしない領域・・・。
 いずれにしろ、内側を極めていくと、道は違っても皆似た様な事を言うようになる。とてもおもしろい。
追記2
 そう、最近の練習で革命的だったのは、首、腰、足首は立つ!ということ。
 いや、立たなければならない。
 中国の中医学の講義だったのか馮志強の本の中で見たのか忘れたけれども、「人には腰が3つある。それは、頚、腰、足首。これらは皆、身体の枢軸だ。」というような表現があったけれども、それらはトイレットペーパーの芯の様な形(細長い円柱)という意味だろうなぁ、と思っていた。 
 が、脚回し(転腿)で、自分の足首がちゃんと回っていないことを痛感して、それを治すために股関節、骨盤の中を開く様に転腿をし続けたら、やっと先週半ばから足首、足指が安定してきだした。足首が完全に回れば、足の5本の指からものすごい力が出ることだろうことも判明。足首はアキレス腱を絡め取って回して初めて回っていることになる(→5本の指も絡め取ることになるから結局足=フィートを全て絡め取ることになる)。結局、足裏の力は足首がちゃんと回るかどうかにかかっている!
 そして足首が回ると足首は立つ!立って初めて今まで寝ていたのが分かる。
 立つ、とはこういう感覚だ、と足首で知ったら、それを腰で、そして頚椎で同様にやってみると、腰や首を立てることができる。ああ、本来、こうやって立っているべきなんだ〜、普段は寝てる=立ってないことを発見。
 でも、この首と腰と足首を立てたら、結局タントウ功の要領、虚霊頂勁から沈肩墜肘、含胸抜背・・・・をクリアしていくのと同じことになる。詳しく説明できたら面白いのだけど、またいつか。

2019/9/27

 

 この10日間も毎日毎日新たな気づきがあったのだけど、言葉にしてみようかと思ったその時に言葉に変えないと言葉にする契機を失い記憶は自分の身体に残って行くのみ。真のマスターはブログなんて書かないし、HPを開設するはずがない。見せてくれるかせいぜい短い単語で示してくれるのみ。そのくらい言葉はこの世界から乖離している。

 が、もし誰もその体験を言葉にしなかったならば、本当に貴重なものは伝達することなく消えてしまうだろう。言葉にしても本当には伝達できないことを知りながら敢えて言葉という記号に変えて伝えようとする努力、それは何も太極拳に限ったことでなく、まさにお釈迦様や老子がそうだったのだと、沈黙に浮かぶ意識的な言葉の美、というようなものがあるのを知る。

 

 とは言え、私にはまだまだそんな言葉の使い方ができないので、ああやこうやとまどろっこしい説明をするしかない。言葉にする前には頭の中に画像があるのだが、もしその画像がそのまま頭の中から取り出せたら言葉にするよりももっと分かりやすいのに、と思う。画像を言葉にする作業は立体を線に、あるいは繭を糸に変えて行くようなもので、リニアに変えてしまった瞬間にそこに時間の流れと因果関係が現れてくる。本当は全部同時なんだけど・・・いや、全部同時にに違いない!

 

 師の中には全てが同時に現れているのだけど、弟子はそれを分けてい一つ一つ学んで行くしかない・・・

 

 で、今週は東京に残した生徒さんとの間で、太極拳の一つの大事な要領、『円裆』(丸い股ぐら)が問題になったので、それについて劉師父と話をした。

 円裆の反対は尖裆。股が三角形でとんがっているのはいけない。

 生徒さんは円裆を集中的に練習してたら腰が痛くなってしまったと私に連絡をして来た。

 ああ、股を開こうとして、会陰を引き上げ(提会陰)仙骨を入れる(斂臀)を忘れていたに違いない、とピンと来た。以前ヨガを真剣にやった女性に腰痛の人が案外いるのに驚いたことがあるが、それも同じこと。股だけ開いて提会陰と斂臀を忘れると、会陰から腰への気の繋がりを失うので腰が弱くなってしまう。180度開脚で内腿の筋だけ伸ばしてもなんの意味もなく、会陰を引き上げ腰からつなげて骨盤の中から股関節を回転させて身体を割らないと使える身体にはならない。

 この辺の、円裆、松胯、提会陰、斂臀、命門を開く、塌腰などの一連の要領を総動員して繋がらないと想定された効果が出ないどころか身体を痛めてしまう。一つの要領をクリアしたら次の要領の練習、という訳にはいかないのが太極拳の面白さ。一つの課題に長い間取り組まず、適当に回しながらぐるぐる様々な課題を練習して行く。AのためにはBが必要でBのためにはCが必要・・・最後にZのためにはAが必要、と戻って来てしまうのだから。いや、AのためにはBが必要でBのためにはAが必要、と隣り合わせでもそんな風になってしまっていることもしばしば。鶏が先か卵が先か、そんなことばかりが起こる。リニアなものはないと思っていた方が安心。

 (似たようなことで、もっと後ろ後ろ、とおもったら、前だった、とか、もっと左左、と思ったらもっと右だった、とかそんなこともしばしば起こる。思ったのと反対になる。感覚と客観のズレもしばしば起こる。)

 

 円裆について劉師父の説明を動画に撮りました。

 これを見てなぜ円挡にしなければならないのか分かるかしら?

 

 

 円裆にしないと気が下(会陰、骨盤底筋)まで沈みこませられない。

が、逆にいうと、気を下に沈み込ませると円裆になってしまう。

 

 円裆は正面から見て馬に乗っている時のように股座が丸い、というだけでなく、後ろから見ても、またを下から覗いても丸い。そのためには会陰の引き上げが重要(提会陰とともに”閉二便”:小便と大便の穴を閉める)。会陰を開いて円裆にすると気が下から漏れて腰を失ってしまいます。

 下の動画ではその流れで 拧腰坐臀という打撃の時によく使う腰の使い方に言及・・・師父に師範してもらったのを撮ったらもっとカッコ良かった。が、完璧でなくても私の身体の方が動きは見えやすい、かな。教材向き(苦笑)

 

2019/9/17

 

 劉老師は文化大革命前の生まれ。武術のメッカの鄭州で警察がまだ十分機能していない時代、本当の実践(決闘?)を随分やってきた。今でも鄭州に行くと、若い頃にお世話になったという男性達が、師父を見るなり「大哥,大哥,(兄貴、兄貴、)」と寄ってくる。弱いものイジメは許さない。敵討ちで一人または少人数で、複数、大人数を相手に闘ってきて負けなし。が、相手に負傷を与えたことも多く、その反省もあって今では全くと言って良いほど実践に興味がない。自分の身は守らなければならないが、手を出せばどちらかが傷つく。腕っ節を強くする武術から心身の修養に転換して行くのは自然の流れのように師父を見ていると感じるけれど、現代の中国国内の武術は必ずしもそうなっているようには見えない。

 

 とは言え、太極拳の練習で実践、技撃を知らないと、なぜ気を丹田に落とし込むのか、なぜ含胸抜背なのか、なぜ虚霊頂勁なのか、という基本的なことも真には納得できない。技を習うと、ああ、だからそうなのか〜、といろんなことが腑に落ちる。そして套路での意識も全く変わる。技を知らずにしている動きは踊りに過ぎない。套路は技をつなぎ合わせて後世に伝えるもの、技、技、技、のオンパレード。

 ビデオレッスンで生徒さんに套路を教えるときに最も困るのが技の説明。技は相手がいないと説明できない。

 と、そう、せっかく劉師父と毎日一緒に練習しているのだから、師父に頼んで一式、一式、時間のある時に技の説明をしてもらって動画にしてはどうだろう?

 ということで、昨日、第二式金剛捣碓の説明をしてもらいました。

 昔教えてもらった技じゃないのも教えてくれた。私は技を習うのは大好き。教わるたびに、太極拳ってほんと、賢い!と身震いするのです。

 師父に技かけられて飛ばされている自分を動画で見ると、これはお笑いか?と思ってしまうけど、師父の表情を見て分かるように、真剣な練習です!

 技を知ると動作が理解できるはず。

 

 ただ、技を師父のようにかけようと思っても、基本功やって丹田の力と節節貫通ができていないとかかりません。真似てかからない経験をすると、ああ、功夫が足りない〜、と分かります。

せっかく教えてもらった技がかかるように、またまた、タントウ功や坐禅、動功、といった地味な練習をすることになります。技の練習をいくらやっても技にならないことが分かるためにも技を学んで試してみるべき。・・・練習方法も、サークル(円)、さすが太極拳!

 

 (パリでの練習の光景は下の動画のチャンネルにアップして行く予定です。劉師父にリクエストあれば・・・可能ならやってもらいます。)

 

2019/9/13

 

 今週頭に師父から、21日でここまで身体が変化したのは予想以上のできだ、と言われ、褒められたことよりも師父が日数を数えていることに驚いた。

 が、師父からすれば、日本でついた私の身体の歪みを取るために毎日1時間は私と一緒に転腿をし、その後も基本功をじっと見てチェックして直してくれている。ここまでつきっきりで教わってそれで変化がなかったら申し訳ない。私はただただ、師父が言ったこと、直したことをそのままダイレクトに身体で聞いて身体に覚えてもらうことを心がけている。頭を使ったら覚えられない・・・いや、身体で覚えるのは得意のよう。師父に言わせれば、私の身体は頭より賢いらしい。

前日何を注意されたのか思い出せなくても、動いて練習しているうちに身体が思い出してくれる。

昨日から24時間経っても身体は覚えているものなんだなぁ、と不思議に思う。

こうして昨日の記憶を持った身体に今日の練習を重ね、その重なった記憶を持つ身体にまた翌日の練習を重ねていくという作業を繰り返すと、身体の記憶が立体的に書き換えられ新しくなってくる。

 身体の癖、神経の癖、意識の癖、癖を元から変えていくにはそのくらいしつこく同じことを繰り返すのが必要なのだと身を以て知る。

 師父の予定では約一ヶ月はひたすら同じ基本練習を繰り返し、ある程度大きな癖(背骨、骨盤の歪み、左右の体重のかけ方の偏り)を正した後に初めて套路のチェックをするらしい。タントウ功もそれまでお預け。代わりに基本功の合間、24式や48式を一通りやり終えた後に長めに意守丹田をやっている。

 

 生徒さん達との間ではしばしばLINEで様々な論点を出しているけれども、ブログで詳細を説明する余裕がなかなかない。

 書かなきゃ、と思っている話題は、舌の位置の誤解、陰圧の意味、男性の提会陰の段階(女性は厳密には提会陰できない)、沈肩の段階、旋腰・転腰・拧腰の違い、旋腰の効用、など色々ある。

今後書く時間があるのかは疑問。

 書きたい、と思った時に書かないと、みるみるうちに書く意欲が消える。

 食べ物と同じ、フレッシュなうちに書いてしまわないと・・・。

 そういえば、時機、という言葉を師父が話していたことがあったっけ。太極拳とどんな関係があったかしら? 明日また聞いてみよう。

 

2019/8/29

 
  師父に腕を掴んでみろ、と言われて掴んだら、「そんな外行(素人)のような掴み方じゃ(外し方の)練習にならないだろ。ちゃんと穴位(ツボ、急所)を押さんか!」と言われて逆に両腕をガシッと掴まれた。とその瞬間、手首に激痛が走った。「内関だ。どうだ、動けないだろう?」
 動けないどころか、動こうという気もおきていない。 
 
 ああ、十数年前もここで同じように師父との会話中に腕を握られ中指で内関を押し込まれたことがあった。師父は自分が私の手首を物凄い力で押し込んでいるのも忘れて、その時もそのまましばらく話をし続けた。私は心の中で「松、松、松・・・」と念じていた。痛い!といったら、松してないからだ、と叱られるのが分かっていたから絶対に痛い!と言ってはいけないと必死だった。痛みに耐えながら師父の話が早く終わってくれないかと待っていたが、そのうちその痛さで涙が流れてきてしまった。師父が私を握ったままだったのを気づいたのはその時。私の手首、内関の位置には爪痕がしっかり残っていた。その時師父がどう反応したのかもう忘れてしまったが、その日は夜もまだ痛みが残り、翌日はしっかり内出血していた。
 今日もあの時の再現のようだった!
 あの時と同じように松すれば良いのか?下手に動いても外せないことは身体が良く分かっている。外そうと手首を回そうとしたらさらに指を押し込まれるだろう。何も抵抗する気がない私をいきなり握ってどうさせたいのか? 痛さの中でそんなことを思っていた気がする。
   松したって痛いものは痛いし....と、もう痛さに耐えられずどうしようもなくなった時、突然怒りが爆発した! 私は師父に向かって、「何をしてよいかわからない生徒相手に脈絡なく本気で掴むのは不条理だ!」と怒鳴って腕を振り払った!(今思えば、怒りで相手を驚かせて腕を振り払えたのだ!)
 師父は、私は10年も日本で教えているのだから当然どう払えばよいかはわかっていると思ったし、私の気はちゃんと手に達しているからそんなに痛くないはず、しかも自分は本気で握ってはいない、せいぜい60パーセントの力だ、と弁明した。
 私はせいぜい回転させて解くことしか知らない、回転させたらさらにダメージを得るような握り方(それこそ玄人、武術家の握り方!)をされていきなり試されても凍り付くだけだ、先に道理を知ってから技をかけてもらいたい、と師父に言った。
 それから師父は、「これは太極拳の基本の理、借力、不抗不頂、とても簡単な道理。下から上向きに力をかけられているなら上向きに外せばよいではないか!」 と内関穴を押さえながらさまざまな向きに私の手首を握って、それぞれ振り解く腕の動作の方角を教えてくれた。
 私は私の悪い癖でしばらく不機嫌だったけど(苦笑)、説明を聞いているうちにその道理が、火を避けるのと同じじゃないか! だから本来は考えずにとっさにできるはずのことなのだ、と理解できて嬉しくなってきた。それを師父に言ったら、そう、その通りだ、と、内関穴以外にも、腕や手首を握る時に点する(押し込む)ツボをいくつか教えてくれた。リューもツボを点せずにすることはあり得ない。蹴りもちゃんと相手の急所を狙う。そう、本来はツボ、経穴、インドのマルマは攻撃する時の急所。どうやったら相手を効果的に倒せるか、という研究で知った身体の秘密をその後転換させて治療に使うようになったと聞いたことがある。としたら、兵器を開発することで副次的に科学技術が発達するのも同じ?人間が最も力を発揮するのは自分の生存のために相手をうちのめす場面?人間の哀しき性....
 そのあと、私は師父に怒ってしまったことを謝り、師父も先に説明すべきだったことを少し謝ってくれた。そして帰り道、二人で痛いツボを叩きながら歩いた。毎日痛いくらい叩いていれば、叩かれてもそんなに痛くなくなる、という。痛さをこわがってはいけない。武術の基本なのにそれを忘れて甘えていた自分が恥ずかしくなった。ヴィパッサナ―の観察によって自分と身体、自分と感覚を引き離す、という仏教の修行法よりも、今日のような練習で安全な痛さと自分を引き離す練習の方が私に合っているのかもしれない。
 でも、ツボは痛い。
 痛いからツボ。
 「痛くなかったら意味がないだろう?違うか?」という師父の別れ際の言葉がしばらく残った。
 
<追記>
 夜になってパリの東急ハンズ的なデパートBHVに電球の調達に行く。そしてまたお掃除グッズのコーナーでしばし遊ぶ。この一か月ですでに5回もここに来て遊んでいる。ブラシが素敵。毛並みがものすごくいい。掃除は苦手中の苦手なのに、なんでここのお掃除グッズコーナーはこんなに気持ち良いのだろう。日本の家では大きすぎる、本格的すぎる掃除道具。でもこんなグッズでお掃除したら楽しいだろうなぁ。ああ、魔女はこんな箒に乗ってたに違いない…。空想が空想を読んでブラシやはたきが動き出しておしゃべりしそうな気までしてくる。どこか生きてるお掃除道具たち。
 

2019/8/27

 

 劉師父と練習を初めてちょうど一週間。

毎日師父との練習は転腿で始まる。最初のうちは回転の悪い左足だけで1時間近くやっていたが、その後は両足で1時間ちょっと。その後、拍手功と足蹴り(歩きながら後ろ足の解ケイ穴で前足の承山穴を蹴る)を組み合わせて、公園を一周100回ペースで3周する。

 動功は柔勁を高めていくために、腕の動きと腰の動きが”对拉(引っ張り合い)”になるように、注意深く正確に動く練習をしていた。

 動功は単純な動きだけども、何を意識するかでいろんな練習ができる。

 クワの回転とは腸骨の回転・・・左右の腸骨をそれぞれ別々に回転させるなんて意識したことがなかった。

 

 24式と48式を師父についてゆっくりやる。

 動きが正確でないところの修正。

 

 今日の練習が終わって、師父が私に、なぜあなたにタントウ功をさせていないか分かるか?と聞いて来た。私が答えようとしたら、先に師父から、まずは二週間で集中的に癖を取る、それからだ、と言われた。一週間でもかなり修正はされつつあるのが分かる。マンツーマンでここまで仕込まれて上達しなかったら申し訳ない。2、3日前にNetFlixで見たジャッキーチェンの「ベスト・キッズ」を思い出した。師が心から弟子を育てようとする気持ちと、そして、外から見たら武術の練習とは思えないような練習をしているところがとても良く似ている。

 ここまで来るともう何故自分がこの練習をしているのか良く分からなくなっているが、これも流れ、運命、カルマ、業なのだろうと、せざるを得ない何か、という、明るい諦めでやるしかなくなっている。

 15年ほど前はあれほど学びたくて仕方がなかった太極拳。必死に師父に食いついて練習していたが、10年日本で教えて再びパリに戻って来ると、師父との練習も随分のんびりとしたものになって太極拳で目指す境地の一つ”太和“の”和”が少しだけ分かるような気がする。太極拳は本来はレッスンを受けるものでもなければ、練習するものでもなく、その流れの中でそうしているうちにそうなってしまうものだったのだろう。

2019/8/22

 

  今日は八法(八勁)のうちの采を学んだ。

 本気でやられてたら腕や指がちぎれてただろう。

 十三勢を会得して套路を練習している老師がどのくらいいるだろう?

 漫然と套路を練習していても十三勢は永遠に会得できないだろう。

 技を知らずに太極拳の練習をすることはできないが、技を知るとやはり功夫が必要だと分かる。

 功夫が足りないとせっかく技を教えてもらっても技にならない。

 また基本功に戻る・・・が、その時はその基本こうで足りない何を養うのかが明確になっている。

 基本功、套路、単式練習、技巧の研究、推手、武器・・・これらをぐるぐる循環させながら徐々に太極拳たるもののレベルを上げていく。

 

 

2019/8/20

 

 パリでの劉師父との練習開始。第一日目。

師父は案の定私よりも随分前に公園に着て、私が到着した時には樹に脚を引っ掛けて圧腿をしていた。挨拶もそこそこ、「もう自分は拍手功を脚付きで既に1000回やって済んでるから、あなたもやりなさい。」と言われた。

 拍手功は春に師父が来日した際に生徒さん皆に教えた基本功。全身の余計な力を抜き落とし、力を丹田に集中させられる。邪気を労宮から排出させ未病を出してしまうような効果もある。

 どうせなら手だけでなく脚も、と一方の脚のふくらはぎの承山のツボをもう片方の足の足首の解ケイ穴の部分で蹴る方法を組み合わせてやる。

 もっと強く!もっと松!と拍手を300回近くやると手が腫れて赤く熱を持った。

 「非常好!」

 手がじんじんする。今こそ腕を松して気の流れを感じる時。と、しばし軽くタントウ功。

 

 その後は転腿。回転の悪い左足だけで1時間近く。そして右足20分。

 師父とやると効果が全く違う。2時間やっても疲れない。やればやるほど体が馴染み、使ったことのない場所が開発されていく。二人で転腿しながらおしゃべりをする。ほとんど師父の話を聞いているのだが、質問もできる。十数年前にパリで習い始めたときは、こんな時に師父が話してくれる言葉を理解できないのが残念で、必死に中国語を練習した。今では松しながらおしゃべりもて練習もできる。そのぐらい余裕があると、気が流れやすい。集中し過ぎると、”頂”、”抗”となり、柔順という太極拳の原理に反してしまう。”道”から外れてしまうのだ、と師父が話してくれた。

 真面目すぎて硬すぎては失敗。意が強過ぎると硬くなる。頭は攻撃的。心で理解する。

 

 ”心平気和”

 今日学んだ言葉。

 心が落ち着いて気が和む。

 これが目指すべきところ。

 だから

 ”柔順” 

 柔らかく、順う。

 

 そういう意味ではパリはなにか柔らかい。

 東京は皆イライラして時間に追われてるけど、ここは時間にもっと余裕がある。

 昨日もスーパーでどのコーヒーを買おうかと迷っていたら私のせいで通路を通り抜けられなくなっていたムッシュがいたのだが、私が慌てて道を空けようとしたら笑顔で、どうぞゆっくり選んで下さい、と笑顔でジェスチャーをしてくれた。日本のおじさんはそうはいかないだろうな〜(苦笑)

 

 身体は柔らかくありたいけど、心ももっと柔らかくありたい。

 身体の硬さと心の硬さ、身体の柔かさと心の柔かさ、どのくらい相関関係があるのだろう?

 身体が柔らかくて石頭、身体は硬いけど心が柔らかく寛容、というのもあり得るのか?

 太極拳の練習では、身体の松→開→沈穏→柔→軽霊、の順で身体を開発していくが、おそらく、それと同時並行的(あるいは少し遅れて?)に、心の松(緊張していない)→開(心が広い)→沈穏(落ち着いている)→柔(柔軟性がある)→軽霊(執着がない)と進んでいくのではないか?

 いや進んでいかなきゃダメだ!

 結局は心の修行

 身体で終わってしまったら”道”とは言えない!!

 

 初日、スタートはそんな気づきと目標から始まった。

 

 最後は師父と二回、ゆっくり24式。柔らかく、そして、収功した後は5分間Iの意守丹田。

 時間に追われずに練習できるのはとても幸運なこと。

 師父といると時間が消えるよう。

 

 

2019/8/

 

 モンソー公園に向かう道沿いは邸宅が並ぶ。ファサードや柵のデコり具合がものすごい。かつてこの国にはどれだけのお金と建築家、アーティスト、そして労働者がいたのだろう? もう現代でこのようなものを作れる場所はないだろうなぁと思う。

 

 そして忘れてはならない昨日カフェで見かけた目の透き通ったイケメンの男の子。カップルで現れた時は映画の一シーンかと思った。デートのためかきっちりスーツ姿で決めていたが、こなれた風でどこか緊張しているのが分かってとても初々しかった。彼のようなテロリスト風の髭もじゃがパリの若者の流行りだとか。これだけきれいだと髭もじゃも悪くないなぁ〜、なんて思う私はれっきとしたおばさんだと思う。 

 が、美しいものは美しい。若い時だけのものであっても。

2019/7/30

(以下グループLINEへ投稿するつもりで書き始めた文章)
 昨日は動物3匹、ダンボール5箱、スーツケース1個を携えてシャルル・ド・ゴールに到着。そこから家に荷物を運んで怯えて家のどこかに隠れてしまった猫たちを探したり、勝手の分からない家の構造を把握して近くにあると言われたスーパーまで随分歩いて買い出しに出たり、と、結局の寝たのは日本時間の朝6時ごろ。そこから7時間寝たら時差ボケあるのかないのか分からなくなってしまったのは良かった。
  パリはますます治安が悪くなり荒んでる様子。家はギャラリーラファイエットやプランタンのあるデパート街まで一本道で行ける地区。シャンゼリゼにも歩いて10分、大使館にも歩いて10分。住宅街ではなくて古い建物をオフィスとして使っているところが多く比較的治安の良いエリア。が、スーパーに歩いていく途中で大きなショーウインドーが割られたままになっているのを見かけるとどこも安全じゃないと思う。パリは光と影の街。観光客は光の部分を見て帰るけど、住んでいると私には影の部分が目立って見える。汚いのにゴージャス。ハッタリは日本のはるか上をいく。
 家はパリに入る前に物件を写真だけ見て雰囲気で決めてしまったのだけど、実際来てみると、容積がやたら大きく(天井が3.4m)、重くて大きいものが多い。(ダイソンの掃除機、5キロはある。日本では販売してないだろう。)
 見かけは良い。けど使い勝手は良くない。ここにもハッタリが効いている。
 日本にいる時から憧れていた広くて天井の高い家。夢のようだけど、日本の狭い家に慣れている私は部屋から部屋へと裸足でバタバタ移動し続けているうちに体力消耗。硬い床のせいもあって足首が痛くなってきてしまった。少しソールのあるスリッパやルームシューズを履いたら家の中での歩きごごちが全く違う。中国武術は靴が大事、と言っていた太極拳のマスターがいたり、ダンサーこそ普段はちゃんとした靴を履いている、という話を聞いたり、暑い夏でも靴下は決して脱がない、という師父のような人がいたり・・・裸足が一番良いとは必ずしも言えない環境があるのは確かなようだ。
  お風呂も深くて長さが2m近くあり、やっとお風呂に浸かって寝られる、と喜んで入ったら、身体と頭まで全てお湯の中に浸かってブクブク沈みそうになって眠気が吹っ飛んだ。大好きなあのオフィーリア状態になってる〜、と、もがいてる自分を笑いました。

2019/7/22

 

 昨日、一年で最も緊張するピアノの発表会を無事終了!

 年齢も年齢だからトリを任される。太極拳の演武はそれほど緊張しないのになぜピアノはこんなに緊張するのだろう?

 ピアノの先生に言わせると練習量の差。

 確かに、ピアノは気分転換で弾くくらいで太極拳の練習のように根を積めたりしない・・・

 

 ピアノは好きだけどそこまでのめりこまない。

 太極拳は好きとも何とも思わないけどやらざるを得ない。気が付いたら考えているかやっている。

 太極拳の練習のためにピアノをやっているのか、ピアノのために太極拳をやっているのか?

 両方やるから面白い・・・套路と推手の関係みたいなところがあるような。

 

  太極拳の練習はそのままピアノ演奏に反映してしまう(私の場合は)。

  指先は気の流れの末梢部分。ここのコントロールがしっかりきいているためには神経、気の流れをきっちり整えなければならない。末端ばかり練習して身体の中心からの流れを無視していると雑な雰囲気だけの演奏になるだけでなく、腱鞘炎になったりイップスになったり故障をしてしまう。

  ピアノ(楽器)は全身運動をして弾くべきのはず。

  なら太極拳が関係ないわけがない!

 

 師父も毎年私のピアノ演奏での身体の使い方をチェックしてアドバイスをくれる。

 昨年は曲の最後でやっと丹田でピアノを弾けたが、そこまでは虚霊頂勁も×で、右手が固まっていた。(右の写真)

 

 この一年、右手をどうにかしようと練習していたが、結局それは骨盤のゆがみや腹斜筋の縮み、その大元を辿ると若い頃にやりこんだ卓球での不正確な動きの蓄積、から来ているから、そんなに簡単には直らない。元をただすにはやはり地道にタントウ功などで上書き修正していかなければならない・・・。

 練習時間が思ったほどとれないまま一年過ぎてしまったが、右手は以前よりも使いやすくなった。そして下丹田に気を落としたままでいられるようになったら肩が前よりもフリーになった・・・が、ピアノの演奏をみると、肩は課題。今開きかけている肩や胸の中が練習で更にバキっと開いたら肩が翼を広げるように自由になるだろう・・・。

 

 今年は一目惚れならぬ一耳惚れ?したバッハのオルガン曲をリストが編曲したものを弾いた。

好き過ぎて半年以上この曲しか家で弾いていなかった。ショパンやリストだの、ロマン派の曲に全く興味がなくなった一年だった。人間の感情などという俗っぽいものと関係のないところの崇高な音楽、決して酔わない音楽、覚醒した音楽・・・このあたりは太極拳とどこか通じるものがあると思った。

 

 上丹田が少しでもブレると不安がよぎる。

 酔わずに最大限の覚醒を長時間続けるには腹底の丹田に気を引っ張り続ける求心力が必要だと思いました。

 それにしてもほとんど闘っているような演奏・・・聞いている人が疲れてしまいそう(苦笑)

 

 

2019/7/14

  和室練習、どうなるかと思いましたが思った以上のやり甲斐と手応え。
まずはA君のメモを頼りに含胸を作る
 ①初めに胸を開いて鎖骨を広げておく(以下の動作で鎖骨が緩まないよう=前肩にならないように気をつける)
②前の肋骨は閉じて後ろの肋骨を広げる
(→胸郭のニュートラルを作る)
③(①を保って②をやれば)前鋸筋と腹斜筋がオンになる(僧帽筋と菱形筋がオフになり肩甲骨の自由度が増す)
後部肋骨を広げた時に肺の息が背中から左右に広がる感じになると前鋸筋と腹斜筋がオンになる→胆経が起動し出す)
④胸郭と骨盤が垂直にストンとつながれば自然に胸の息が腹に落ちるようになる。腹底まで息を落とし横隔膜と骨盤底筋の間の圧で呼吸してるような感じになる。
⑤頭と首が下から自然に立ち上がってしまったなら含胸大成功♪
そのあと前鋸筋と腹斜筋の意識を使って肘を動かすとはどういうことかを探索。前腕で肘を動かすのではなく上腕で動かすのがミソ。すると結局は肩や肋骨、脊椎など胴体部を総動員しなければならなくなる。
以下説明ややこしいので
とりあえずLINEの投稿を貼り付けます。

2019/7/8

 

 月末のパリへの移動の前に、と普段やっていなかった家の雑事をし出したらキリがない。断捨離はタチに合わないからときめきの・・・とこんまり方式で始めたけど、やっているうちに、なんでこんなに捨てなきゃならないのか?と疑問が湧いてきた。宇宙は現在膨張期。ものが増えるのも自然な流れ。宇宙が収縮期に入れば自然と物も活動も減っていく・・などと勝手に結論づけて要らない、と思うものだけ処分することにした。そうしてみると分かるのは、めったに使っていないけど何かいつかに備えて持っているものの多いこと! 着るオケージョンのない余所行きの服、アクセサリー、雑貨、書籍・・・。あまりないのは食べ物や日常雑貨。以前主婦の友達数人を家に招いた時、うちにお菓子や保存食を含め食品のストックがあまりにもないこと、トイレットペーパーや洗剤などのストックもない(これらにストックが必要とは思っていなかったけど)ことに驚いていた。そう言われてみたら食べ物は毎日ちょこちょこ買っているから家にストックはあまりない。冷凍食品も買わないからうちの冷凍庫は生ごみの保管庫になっている・・・。

 

 書籍の整理をしていたら中国語の太極拳や気功、中医学関係の本がとても多くなっていることに気づいた。買ってペラペラめくった程度でちゃんと読み切っていない。時々参照するから捨てられないけどパリに持って行くのは疑問。と、中を開いてみると、やはり、いいこと書いてる。何かの宝庫で、胸がわくわくする。これが、ときめき? じゃあ、捨てられるわけがない。ピアノの楽譜も小学生の時に使っていたものからほとんど残っているが、やはり捨てられない。やはり宝物。

 先日文京区にある東洋文庫ミュージアムに行ってモリソン蔵書を見たが、迫りくる本、しかもどれも100年以上保管するに値する質の高い本、に囲まれると自分の奥がシンと静かになって本たちから発せられるエネルギーもしくはメッセージを吸おうとしているのが分かる。ゴッホやフェルメールの美術展人込みの中で絵を見てやろうというあのいやらしい目にはならない。聞くと観るのバランスがとれる時、静、になるのかもしれない。見てばっかりは出過ぎ、聞いてばっかりは引きすぎ、その両者のバランスが・・・と、推手で学んでいるのは結局そこでは?

 目と耳を同時に使えばよいということ?

 ・・・・ああ、これが三性帰一・・・今気づいた。

 

 昨夜見たパリコレ学。やはり百恵ちゃんがダントツだったけど、あの人のウォーキングの素晴らしさは腹の丹田(下丹田と中丹田)がちゃんと目の奥の上丹田と繋がっていること。目の弾き具合が他のモデルさん達と全く違うとは思っていた。が、これは耳と関係あり?

 昨夜審査員のデザイナー(ザック・ボーゼン)がしきりに”目”が魅力的でなければならない、と言っていたが、日本の女の子たちはどんなに化粧をしても目が活きてないからただの人形、フィギュアみたいになりがち。フィギュアが好きなオタク的な男性には受けがよいかもしれないけど、それは世界的基準の女性の美ではない。それは・・・もしや、鏡ばかり見ていて、耳を働かせていないから?

 目が活きてくるのは、目が内側のエネルギーを発するからで、その時目はかなり奥に入って耳や喉、鼻とつながっている(上丹田の位置にいる)。耳も内側に引いて澄ましたようになっている(→霊性)。耳の”霊性”目の”見性”がつながって(それに心の”勇性”がつながるのが、三性帰一。収功の度に行うもの)目の奥が生き生きしていればそれだけで目は美しく、目に縁取りをしたり人工的なまつ毛をつけるのは舞台メークとしてはありとしても日常的にそれをしているのは滑稽にしか見えない。(もちろん、自分の顔をいじって遊びたい年ごろ、そのままでは外に出られないと思うお年頃、もあって、習俗としてのメークを遊びとして楽しむこともできるから全否定はできないけど。)

 そうみると、男性の方がメークをしない分、目、そのものの魅力が際立つのかもしれない。良い生き方、充実した生き方をしてきた、している男性の目はとても味わい深く魅力的。番組に出ていたザック・ボーエンの目は、それを久しぶりに思い出させてくれた。これも上丹田のなせる技(アーティストは特に奥深くなる。瞑想者は更に深い。逆に言うと、俗っぽいことしか考えていない人、見てばっかりいる人の目は浅い。猫の目が美しいのは耳がとてもよく働いているから?)

 

  両目が奥で一つになっているのは一流モデル→目と耳、両方使っている。

  2つの眼球が目になっているのはカタログモデル→目だけ。耳で聴く意識なし。

(卓球の真剣試合と温泉卓球の違いと同じでは?温泉卓球で真剣勝負の目でやったら、おかしいでしょ!!)

 

 

 静功はなおさら。目を閉じると余計に目の深さが分かる。目の深さは入静の深さ。

 ヨガナンダと弟子の写真が顕著だが、上丹田は身体の中正がとれていないとしっかり機能しない→腹の丹田が非常に充実している必要あり。

 

 ・・・と、本当は最近の練習のメモだけ手っ取り早く書いておこうと思ったのに、気づいたらこんなに書いてしまった。

 最近の練習。

 

 ➀息を通して套路をやっている人とそうでない人の違い。

 私のところに来る前に別の教室で太極拳をそこそこ学んできた人に共通するのは、息が自分の中を通っていないこと。外の空気を吸って外に吐いてしまっている。これではいつまでも体操の域をでない。

 内功から入った人は、自分の中で吸って吐いて息を通そうとするから、身体にうねりが出る。最初は形がきれいではないけれど、そのうち真っ直ぐになってくる。

 ②その息。教え方としては、胸郭の操作(下のブログ)の説明をした方がうまくいくようだった。

 ③首の立て方

 いや、首は立てたらもうアウト。

 首は立つ。自然に立ってしまうのが目標。

 これには以前紹介した墙蹲功を復讐、分析するのが役立つ(2015年7月のメモ)

 

 下の動画はとてもよい背骨の柔韧性のお手本。

 最後の1分間の動きを見ると、首がどう立ち上がるかが分かる。

 

 これは、タントウ功の要領ができているかどうかのテストのようなもの。

 含胸、抜背、松腰、松クワ、曲膝、虚霊頂勁・・・これらができていればできる。

 

 途中で引っかかるとしたらどれかができていない。

 ④足の扣の作り方

 <LINEの投稿を貼ります>

  昨日今日と教えた足の関節をつないで立つ方法。これをすれば自然な扣になる。

  つま先、tips から意識していくのが踵を使い切るコツ。

    ①つま先先端(指の腹ではない!)

   →②MP 関節→③リスフラン関節→④ショパール関節

   →⑤アキレス腱下の踵先端

    で、特に、③と④が扣、アーチをつくる要。

   まず片足のつま先を地面につけて、➀から⑤の順番で、一個ずつ折って静止しながら次第に踵を床に降ろしていく。関節ごとにペダルを踏むように降ろしていけば、⑤まで行った時に足が自然な扣になる。③と④のところがアーチとなって力がかかるのがミソ。最近のしっかりしたスポーツ用のソックスはこの部分が補強されている。この足のホールド感がなくならないように動けるようにするのが目標。常に体重が真っ直ぐ脛下に降りている。

   あとはこれらの骨をバラバラに動かせるように....でないと足首が回らない。捻挫の元。どんな体勢でも足裏がピッタリ床から離れないのはこの足の中の関節の柔軟性。

 

 

 ここから先の話は私の今後の整理の課題。とても大事なことが含まれている。生徒さん達はおそらくチンプンカンプン(笑)

<LINEから貼り付けます。)

足の着地を調べてたらこんな動画が。韓国語だけど元は日本の番組のよう。

 

  山本さん、踵から着地 ショパール→リスフランへ それから爪先へと抜ける

  が、それでは遅いらしい!

 

 マカウ選手、スネの立ち具合が全く違う。そしてなんと美しい脚!

 マカウ選手は足を振り出して空中で爪先まで勁を通し、その劲が踵方向に戻る時に着地。爪先から踵方向へ地面を撫で蹴って(蹴り戻して)いる。

  踵から着地する山本さんは劲が一旦踵で切れるので、踵から爪先までの力が身体に伝わらない→脚が腰に届かない。

  逆に言えば、マカウ選手は腰高で脚が細くて軽く、跳躍力のある身体だから、空中で振り出した足の爪先まで操作できてしまう。

  足の爪先まで操作しようとすると嫌でも命門まで腰を引き上げなきゃならない=会陰をぐっと引き上げなければならない。

 今日の練習で、絶対に足の爪先先端を意識すべし、と言った理由はそこにあります。

  踵→爪先 だけでなく、爪先→踵 も大事。

 

 この動画についてのブログhttp://blog.livedoor.jp/ikejimasekkotuin/archives/46177936.html

 外側の現象について分析しているけど、核心を突いていないような・・・。

 

2019/6/29

 

 携帯に保存した画像の整理をしていたら、むむむ・・・

 

 あれれ?ああ、丹田呼吸だ! 

 以前ブログで紹介したはずの画像とサイト(https://itami-setumeisho.com/archives/2106

 

 今見ると全く違って見える。

 太極拳が開合拳と言われた所以。開合はまさにこの動き。

 丹田呼吸になると、吸ってるのか吐いてるのか分からなくなって、それでもどうなっているのだろう?とよ~く自分の身体の中を観察すれば、吸ったまま吐いて(吐き込んで)いたり、吐き込んだまま吸っていたりするようだったりする(太極拳で動いているときは。静功なら呼吸がもっと静かになるので呼気と吸気の差が見えなくなる)。

 

 それが分かって、早速、昨日、今日と生徒さん達に試させてみました。

 さずがに初心者には分からないにしても、練習をそこそこやって、足裏から息が吸えるようになっている人(足裏下まで気を落とせている人、足が根付いている人)には効果抜群!これで24式をやってみると、なんだ、ずっとその繰り返し。腕を一回転するにもそれをせずには回らない。(先に胸郭の動きをやってから腕が動く、ということ。)息で、息を吹き込み引き戻すことで、身体は動いていた・・・細胞の伸び縮み・・・当たり前なのに衝撃的なのは何故?

 

 肋骨の上を拡げて下を絞る・・・(息を入れて胸郭広げ、肋骨の下側を絞って吐き込む時には胸郭を閉じずに胸骨を胸椎の方に押して両脇が膨らむようにするのがコツ→こうすると横隔膜を下げたまま吐き込める→実は胸には空気を含んでいる、だから”含胸”では?)

 

 ポンプのような身体。どこかで見たような。

 

 胸郭をポンプとしてつかって息を腹に落とし込むと丹田ができる(→仁王像)。

この中に2枚、間違った例がありますが、すると、表面の筋肉を鍛え過ぎて内側のポンプが機能しなくなる。見せるだけで使えない身体になる。

 空気を入れると背中側も膨らむことに注意。

 

 実は太極拳だと肉の質は水泳選手に近くなる(太極拳している時に、このまま水の中に落とされても浮くんじゃないか?というような身体が理想。馮志強老師は、太極拳は地上での水泳である、と言っていたけど、本当にそのようだ)。ブルースリーのように肉は割れない。

 が、水泳選手のように上半身を大きくしない。魚と違って地上に立たなければならないから足裏が決定的に重要になる。

 

 足裏から胸への逆流ポンプも必要→仁王像の下半身に近い。が、ジャンプや、素早い動きもできなければならない。実際問題、仁王像のように突っ立っているだけでは困る→ブルースリーの下半身

 息は足先まで吹き込む。

・・・なんて贅沢!(苦笑)

 

 ともあれ、結局は、息!(そのためにいろんな練習をしています。)

2019/6/27

 

 三匹の動物を連れて海外に行くのは手続きがとても煩雑。

 犬に狂犬病の注射が必要なのは当たり前にしても、猫にも必要で、それも1か月空けて二回、その後しばらくして抗体検査がある。

 うちは車がないから、一匹ずつ運ばなければならない。一匹当たり3回獣医通いをしなければならないから、累計9回の往復。3匹まとめて運べれば3回で済むのに・・・。

 そこで先日猫2匹入れる大きさのゴロゴロ引っ張るキャリーケースを購入した。

 フランス生まれで日本に連れて帰ってきた虎猫モモは13歳。私が生後2週間もたたない頃に家の近くで保護した子猫のミーは今や4歳。私がマイフェアレディ―のように育てたので一見貴婦人のように見えるがDNAは野良なので野性的。家の中のヤモリやクモの死骸はすべてミーの仕業。

 以前、モモと一緒にフランスから連れて帰ってきたキングのような雄の黒猫が健在だった時は、この雌猫2匹の関係はそれほど険悪ではなかった。いや、モモはミーのことを面白くないと思っているようだったが、まだ子猫だったので知らんぷりしていた。が、黒猫が癌で逝ってしまった後、ミーはモモを相手に攻撃を仕掛ける遊びをするようになった。もともとフランスチックなのんびりした気性のモモはミーの遊びが遊びとは思えない。本当に攻撃をされていると感じて真剣に唸り防御にはしる。こうしてモモはミーを避けるようになった。ミーが食卓に来るとモモは食卓から退席、ミーが寝室に来ればモモは扉から出ていく。

 それなのに、私は2匹を無理やり一つのキャリーケースに押し込んで獣医さんへとゴロゴロ15分引きずっていった。その間、野性のミーは絶え間なくギャーコギャーコと叫びちらすものだから、道行く人も私の方を見るし、道すがら野良猫までもが後ろを付いてくる。病院でもギャーコは止まらず、他の人達が苦笑いして、元気な猫ちゃんですね、と言ってくれる。そう、他の飼い主たちは自分の愛猫や愛犬が病気で苦しんでいるから来ているのだ。なんだか申し訳ない気がした。

 さて予防注射、とキャリーケースのジッパーを開けたら、モモは亀のようになって全く動かない。大嫌いなミーと一緒に閉じ込められて無になってしまったのだろう。かわいそうに・・・。

 

  あれから10日間を経て、モモの抗体検査をしなければならない日がきた。フランスに入国するには狂犬病の抗体検査は必要ないが、日本に戻ってくることを考えると先にやっておいて数値をクリアしておいた方がよい。(ミーに関しては、手順を間違えてマイクロチップを入れる前に第一回の予防接種をしてしまったために、検疫所の方から第二回目の予防接種と同日に抗体検査をするよう言われたので二匹一緒に運んだ日に済ましてしまっていた。第二回目の予防接種から10日以上たたないと抗体価が上がらず検査をクリアできない可能性があるのでやりたくない、という獣医を説得。規則ですから・・・・と検疫所。)

 

  一昨日、モモの抗体検査の日に老犬アリの狂犬病注射を一緒にすれば、一回の往復で2つの仕事ができると計算して、二匹をキャリーケースに無理やり詰めた。ミニチュアシュナウザーの老犬アリは中型犬。そこに猫をいれたら、布製のソフトなキャリーケースがパンパンになって、手を離したら横転してしまった。けどそれでも行く!と決めて玄関を出発。しばらくズンズン進んだら、次第にバックの引手が軽く感じるようになった。車輪の滑りが良くなったかなぁ~、なんて思ってネット越しに真っ暗なケースの中をよーく覗いてみたら、あれ?、モモがいない!顔の血の気が引いたようになって即家に引き返した。モモは隣の家の庭で避難いていた。もう暫くは私を信用してくれないのは必至。外では猫は捕まえられない・・・、とその日は断念。

 

  そして今日。

 今日こそはモモを連れて行く、今日行かなければ間に合わなくなるかもしれない、と朝から心の中で繰り返し、その心の声をモモに悟られないようにと怪しげに見えないように努力をする。外に出したらもう捕まえられないから、家の窓は閉めて、淡々と出かける準備をした。

  いざ獣医さんへ♪

   

 <以下、LINEで友人に送ったメッセージ>

 

  今日こそモモの抗体検査に行かなくては、とキャリーに入れていざ出発!と歩きながら、やはりアリを入れた時と重さが違う、モモちゃん軽いねぇ〜♪  なんてゴロゴロ歩くこと数分。階段でキャリー持ち上げた時に、あれ? と、中見たらいなかった。

 

  うそ、また脱出された〜

と急いで家に帰ってモモ探し。

かなり探してベッドの下に潜っているのを発見。が、手が届かない。

今日連れて行かないと間に合わない、人間ナメるなよ〜 、おりゃーっ!

とベッドひっくり返してモモを引っ掴む。

キャリーに押し込めようとしてまた格闘。入りたくないモモの爪が私の腕に突き刺ささってる〜

 

 

  が、絶対に行く、それも12時までに、と覚悟を決めた私は非情。そんなの構わず連れて行ったのでした。

 

  

  モモに負けない!

2019/6/23

 10個の要領、注意してみると物凄い拡がりがある。
 先人はその一つ一つの解剖学的、生理的、医学的な根拠を知らずに感覚的に捉えていたのだろうが、今では様々な"身体論者"が同じことを理屈で説明してくれている。
   生徒さんが貸してくれた 藤本靖さんの『身体のホームポジション』。
   あらあら、あー、そうだったの....と太極拳が別の角度から理解できる。先人の呪文なような言葉が解読できてしまう。太極拳しか練習していない人にはできない説明....目からウロコ。
  例えば第四章の『口を緩めて内臓空間を開く』。
下顎の緩みが身体の緩みにつながること、上顎のドームを拡げる重要性、が説明されている。
  なぬ?
  これが④⑤の要領の意味、そのもの。
  それを知らずに歯を合わせても、舌を上アゴに付けても意味なし!
   なぜ、発勁の時に、ハッ! と言って咄嗟に舌を下げるのか、それも納得。
  虚霊頂勁ができている太極拳の先生は驚くほど少ないが、これは筋膜を緩めてテンセグリティが現れた時の一つの現象。それにはプラスマイナスの皮膚感覚が決定的に重要になる。何も相手の勁を"聴く"のは推手の時に限らなかった。いや、推手で皮膚感覚の訓練をしていたんだ....ここから究極的にはGrace(神からの恩寵)へと自然に進んでいくのだろう。
  なぜ太極拳が悟りへと向かう一つの修行法になり得るのかがまた一つはっきりした。
  松も皮膚感覚のプラスマイナスの釣り合い、かなぁ。 
  この本を太極拳的観点から読めば、全ての論点が一つの点、丹田、に集約できそう....  全ての論点は丹田に結び付けられる。雑多な知識を覚えるのではなく一点集中させるのが"使う"コツ。

 

 

2019/6/13

 

  どうやったら脳の圧を抜けるのか?

 そんな質問をビデオレッスンの生徒さんがしてきた。

 

 脳の圧を増やすのは簡単?脳の血管が切れるような身体の使い方を想像してみるとよい。顔を真っ赤にして怒った状態、トイレで踏ん張った状態、頭に血が上って顔が赤くなった状態だ。これはとても身体に悪い。脳梗塞、脳溢血、脳卒中、みな脳の圧が増えた結果起こる。精神病患者も脳の圧が高そうかなぁ、みな足が浮いている。足元がどっしり頭がスッキリ、は健康体。千鳥足に赤ら顔は万病の元。

 普段私達は脳の中でああでもないこうでもない、と煩くヒートアップしているから、一時その働きを止めて脳の圧を抜くと、思った以上に腹に気が落ちる。脳の松。身体中をパトロールして松できるところを松していくと一つ松すればその分だけ腹の気が増えるのが分かる。そのくらい私達は日常生活では身体の周辺を使っている。

 

 冒頭の生徒さんの質問を受けて、グループラインで私とベテラン生徒さんが書き込みをしたのを少しここに載せます。(全文は仲間のページに貼っておきます。)

 

  <延> 日曜に引き続き、昨夜は高速で10の要領の説明をしました。

で、今日、Hさんからこんな質問。

    グループラインに書いてあった脳から力をスッと抜く方法とはどうしたらいいのでしょう?

 

<K> 百会を開ける、かな~?

        より、繋げるかな~?

        私の場合、目をつぶって目と耳繋げて喉開けたら自然と脳の力が抜ける気はしますが。

         脳の力抜けないと、百会が開かない。

          鶏が先か、卵が先か

 

<延> Kさん、さすが!

         私が自転車ヘルメット型の脳の力を引き抜く話をした時に、試してなるほど~♪と手ごたえを得たようなのは、日曜のほっちさんと火曜の穂刈さんでした。(他にもいたのかもしれないけど私の視野には入っていなかった。)

         目と耳つなげて喉開ければ(➀~⑤)、気がすっと腹に落ちるとともに頭頂が涼しくなる。

 

<K>「拳理」のお話は、タントウ功するとき必然の話で、このタイミングでこのお話が聞けて、良かったと思いました。

        まだ自分の場合は、一つ一つ身体の中を確かめながらやる必要があるけど、劉先生とか北川先生とかのレベルだと、立った瞬間でこの10の拳理をクリアするんだろうなぁと想像しました。

 

その後、質問してきたHさんから喉を開くのが苦手かも、とメッセージがありました。

 

がKさんがあまりにもうまくまとめてくれた要領。目と耳を合わせた後、"喉を開く(④と⑤)"のがとても大事です。

これができないと腹に気が落ちないし脳の圧が減らない(百会が開かない)。

 

 腹話術の彼女の喋り方の真似をしてみると喉の要領がはっきりします(私ははっきりしました! 目からウロコ♪)

 

<K>

目と耳を「水平に」合わせるのがとても大事

喉を開けるには舌で上顎を軽く押すのと頸椎が首のどこを通っているのかを意識

さらに頚椎がどう頭蓋骨と繋がっているかを意識

この時百会も意識

「喉」は当然頚椎の前にあるのを意識

すると喉が開くと思います。

  喉は肩とも繋がっていますね!

 

<延> すごいですね。

私の代わりにブログ書いてもらいたい....

 

  というか、私以外の人が説明できると他の人の助けになります。先生の説明より先輩の説明の方が分かりやすいことが多々あるので。

 

<K> 私は耳鳴り持ちで、耳鳴りは、耳というより頭蓋と関係があるだろうと思っていたので、タントウ功中、頭蓋の要領を自分なりに探っていたのが役に立っているかもしれません。

 

< 延> そうですね。が、やはり毎日練習を続けているからだと思います。ただ頭の中で原因を探っていたらこんな理解は不可能。私も驚きの進歩。

 

 

 

2019/6/12

太極拳を学ぶ者なら知らなければならない身体の要領。
虚霊頂勁から始まり上から下へ。
今までは 沈肩墜肘 含胸抜背 塌腰 松胯 圆裆 とか適当に覚えていたけど、こうやって改めて10個通して検討してみると、最初五つが頭部、上丹田の要領であることに驚いた。
生徒さん達に一つ一つ要領を試させてみる。案の定、皆、一語一語、その漢字の示す意味が分かっていない。だからこそ解説する意味が出てくる。経典を一人で読んで全て自明の理ならばその人はもうそれをクリアしている。読む必要はないのだ。読んでも今ひとつ分かりそうで分からない、掴めそうで掴めない、そのレベルの人にこそ解説が意味を持ってくる。あとひと押しの人。
私の生徒さんのレベルはまちまちで、それを一緒くたに教えているから特に初心者の人にはチンプンカンプンのことが多い。でも中に混ざって踏ん張ってきた生徒さんは進歩が速い。分からないなりにどこかに記憶が残っているのか何なのか....強い部活で練習するといつのまにか上手くなるのに似ているかもしれない。
で、虚霊頂勁は実は⑩までできて初めて分かるものだから最初は深く追求させずにヨガのチャクラで2つだけ体外にあるものが、道教系でいう、虚と霊だということだけ話しておいて次に進む(精→気→神→虚→霊)。
次の、②両目平視内収、ここで、両目で平に視るとは? 平ら、まっすぐ? とやらせてみる。その時、目は耳と水平、という別の言葉を知っていれば簡単。だけど、普通私達が真っ直ぐに見る時は斜めになっている。小さな子供の眼差し、卓球でボールを打つ時の目の要領、座禅で鼻の頭を見る要領....全ては眼を上丹田(視床の方)に引き込むようにして行われている。だから平視すると内収になる。
③双耳封閉とは? これは静かな自然の中でタントウ功をする時に、両耳を澄ます、と言う要領と同じだ。耳を塞ぐのと耳を澄ますのとなぜ同じなのか?やってみれば、なるほど、と分かる。
②にしても③にしても、どうしても分からなければスルーさせる。まだ分かるレベルに達していないので、他の練習をしながら、いずれ、なんだ、このことだったのか〜、と感動する日が来るのを待つ。
④と⑤の要領も決定的に重要。
下の動画の女の子が完璧にやっている。(日本語の発音の口、顎、舌の使い方と真反対!)
今回教えていて、頭部の要領が決まらないと丹田になかなか気が落ちないことを発見。逆に言えば頭部の要領をクリアしただけで(直立のままでも)そこそこ丹田に気が落ちる。中でも、脳の圧を抜いて空にすると一気に腹が膨らむのにはびっくり。

 

 

 両眼平視!

 

 中づり広告の平野美宇ちゃん。

2019/6/9

 

 明日の坐禅のクラスに備えて師父の口からすらすら出てくる静功の要領を書き留めておくことにした。

 ➀虚领顶劲

   ②两眼平视内收

   ③以意封闭双耳

 ④牙齿微扣

 ⑤舌抵上颚

 ⑥沉肩坠肘松腕垂指 

 ⑦含胸拔背塌腰

 ⑧会阴上提

 ⑨曲膝圆裆松胯

 ⑩十指微扣

 

 タントウ功は➀から⑩。 坐禅は➀から⑧。

 

 今更ながら、あるレベルになったら坐禅なしの練功は考えられない。脚の勁を通すにも坐禅は必須。が、坐禅のすごさが分かるにはタントウ功以上に時間がかかるのかもしれない(少なくとも私はそうだった)。坐禅をしている人としていない人は顔を見れば分かる。同じ武術家でもただ腕っぷしが強く粗い人もいれば、修行僧のような静かさと鋭さ、内面の深さを湛えた人がいる。武術を一つの修行の道と捉えれば、ヨガ行者や僧侶が必ず行う坐禅がマストなのは納得がいく。

 

 師父から、順は養う・・・静功は順で周天(任脈上がる、督脈下がる)。

             武術の時(気を使う時)は逆になる。

2019/6/3

 

  腎の開合が分かると丹田呼吸の理解も深くなる。

 臍と命門と両腎、これは帯脈の高さ、中丹田の中の更なる区分け。

 中丹田を活性化させるにはこの中で開合をさせなければならない。

 通常は自然な呼吸で待っていればいつの間にか開合してしまうのだが、あまりにも正しい姿勢を意識し過ぎて入静できないと1時間立ち続けてもその自然な呼吸が現れてこない。

 松しろとは、頭の中も松しろ、頭の中を空っぽにしろ、ということなのだけど、頭の中で、ここはこうして、ここはこうしなきゃ、と考えているうちは自然な呼吸にならない。姿勢を調えている段階はあくまでもタントウ功の準備段階。どれだけ早く準備段階を終えて本段階=入静状態に入れるかがタントウ功の質を決める。(坐禅も然り。楽に坐れるようになって初めて本当の坐禅が始まる。)

 

 とはいえ、毎日身体や精神状態は異なるので、いつも同じように簡単に入静状態に入れるものではない。そういう場合には自分で気を導いたり、内功をしたりして、本来の気の状態(上虚下実など)へと自分自身を導いていく。

 同じ動功でも所謂腰回しをするのか、それとも中の気を回すのかで外の練習になるか内側の練習になるか変わってしまう。内外双修といって、筋肉や骨などの外側も動かさなければならないし、内側の気も動かさなければならない。内気だけ練って外側の練習を怠ると俊敏な動きができなくなる。スジも伸ばさねばならない。股関節や肩関節も開くようにしなければならない。身体の可動域が減らないように毎日広げなければならない。その一方で開いてもスカスカにならないように内気を培わなくてはならない。

 

 スポーツ選手は若い頃は内外共に一般の人達よりも優れた状態にある。(だからスポーツ選手になる。)が、スポーツをやり込むと、往々にして外を傷め、内側を消耗する。とても注意してやらなければ結局一般の人よりも身体を悪くしてしまうこともある。小さい頃から身体の弱い人が健康に留意して無理をせず暮らしていたら結局長生きして、身体に自身のある人が無茶なことや不摂生をして早々に身体を傷めてしまう、というのもよくある話。生まれてきたときに携えてきた命のボンベの大きさ(気の量)は人それぞれ。大きいボンベだからといって見境なくバンバン消費していたら早く無くなってしまう、そういう単純な話。

 

 臍と命門、命門と両腎の関係、その開合についてはレッスンでは説明しましたが、皆がどれだけ理解できたかは不明。図にしてみると良く分かるかもしれない・・・また気の向いた時に描きます。

 

 

2019/6/3

 

 以下は今朝のグループラインへの投稿。

 前丹田、これが中丹田の中の一番前。臍近辺の丹田。腎は吸う。

 二路で連打の練習をするようになると吸った息で打つようになる。そのためには丹田に気の蓄積が必要。

 みまちゃんは吸ってパンチしているんじゃないかと思います。(ボクシングのトレーニングをしているようだし。)後で調べてみよう♪

 

 <私>昨日の伊藤美誠ちゃん、丁寧との試合凄かった。その後準決勝で負けちゃったみたいですが。

  みまパンチ☆ まさにその名の通りのスマッシュが凄い。前丹田の賜物。

  昔の日本の卓球選手にはあり得ない打ち方。(たまたまそうなってしまうことがあったにしても故意にはやらなかった。)

 

<私>順足....

  この打ち方は私が中学生の時北京で中国のコーチに指導を受けて当時びっくりしたもの。当時は逆足で打つ(右利きなら左足前)のが鉄則。腰の回転で打っていたからそうしないと足を戻して次の打球に備えることができない。

 この打ち方を日本に戻ってやったら先生に怒られるなぁ、とその時思った記憶があります。

 

 この打ち方に納得がいったのは太極拳を学んでから。なんだ、こっちが太極拳の基本じゃん♪と。

  が、そのためには腰の回転に頼らない前丹田の爆発力が必要。

<卓球部先輩>

  呼ばれて久々に登場(笑)

  準決勝ワンマンユ戦は徹底的に・単調にバックに集められ多彩さ発揮できず

 

<私>

 美誠ちゃん若いから丹田の充実感がしっかり。帯脈が見て取れる。年配の丁寧はそこが既に弱いかなぁ。技術力やその他の力でカバー。

  準決勝は相手の戦略勝ちかな?

<卓球部先輩>

   ミマ、ゴムまりみたいよね。 それこそ丹田力の現れ。

   丹田の気の量が多いと弾力が出る。

   以前劉先生に、太極拳で一番大事なのは重さ?速さ? と尋ねたら、迷わず"弾性"と答えて意外に思ったことがある。今はそれがよく分かります。

   拘束丹田だけだと身体は硬くなる。拘束丹田と自由丹田、行ったり来たり、丹田の吐く吸うの繰り返し、開合....太極拳が開合拳と呼ばれていた所以。

2019/5/31

 丹田の感じさせ方はいろいろあるけれど、一番手っ取り早いのは対練。手を合わせて丹田の位置を見つけられるように調整してあげて、丹田の位置に力が集まった時に、そう、そこが丹田ですよ、と指摘してあげること。
  誰だってそこに力を集められるし知らないうちに集めたりしているのだけど、通常は無意識に行なっているから頭では分からないだけ。練習中、たまたまそこの力を使っているその時に、そこが丹田と俗に言われる場所ですよ、と教えてあげて、本人が、ああ、ここなんだ....と(頭で)認識する。そんな作業を何度も繰り返しているうちに、次第に一人でも、指摘されずとも、場所が自分で分かるようになる。

   丹田はそこに気を集めて始めて認識できる場所だから、そこの気を使っている時にしか認識はできない。しかも認識しようとしないと認識できない(意が必要)。別に丹田と言う恒常的な場所があるわけではなく、そこにエネルギーが集まった時にその集まった場所を丹田と呼んでいる。もちろん練習を積めば常に丹田にエネルギーを集めておけるように癖がつくから、マスタークラスの師はいつも丹田の気が充満している。驚かしても動揺しない、地震が発生してもビクともしない、そんな不動心が現れる。それまでは長い道のりで、練習で丹田に気を集める要領を掴んだら、歩いても座っても立っても寝ても、丹田に気を集める練功に励む。

   師が弟子に教える功法は生徒に教えるものとは異なる場合が多い。テキストには書かれていない、独特な方法を使ったりする。師の弟子に対する要求、期待は生徒に対するそれよりも当然高い。
   今回劉師父が教えてくれたタントウ功は、全てを諦めて気を落とし切ってはじめるナス型のもので、これは私の生徒さん達にとってはかなりキツイもの。最初の、諦め、松、がなければスタート時点に立てない。
   立ってそこから緩めていくと、座り込んでしまわないように私達の身体は無意識でいろんな場所にしがみつく。
   どこにしがみついているのか、それをよ〜くチェックしてその箇所、そして更にチェックして次の箇所、と、順番に一箇所ずつ力を抜いていく。これが松の作業。抜いていった時に最後に残るのはどこ? 
   ここで、丹田! なんて答えたら、それは頭で答えてる。自分でやってみて松しきった時、どこにも引っかかりのない時に自分の身体の中を観察してみるといい。丹田なんてあるかなぁ?

  ( 太極拳で言うところの『松』は仏教で言うところの『捨』と結局同じこと....先日そう師夫に話したら強く同感、とのことでした。)
2019/5/26

 教えるのに精一杯で全く書く気がしないのだけど、全て忘れてしまう前にメモ。パリに行ってからの方が書く時間が取れるかなぁ。

 ①昨夜生徒さんから来たメール
 股関節の松(緩めること)を試行錯誤しているうちに、丹田がないと松できないのではないか? と思い出したとのこと。
   
 『もしかしたら丹田の気がないと松できない!?
その気が内から広がって緩めているという感じもあるのですが、合ってるのでしようか?
松は外からゆるめることではないのではないか?』

   普通は松することで腹に気が落ち丹田ができる。松→丹田。
   では 丹田→松 はどうなのか?

   ふふふ.... 生徒さん達に尋ねてみよう♪

② 圧腿で学ぶこと

    巷の圧腿はただスジを伸ばしているだけでは? 頑張りすぎると太ももの付け根のスジがブチッ! となるかも。
    今回師父に詳細に学んだ圧腿は目から鱗。
これで太極拳の脚の使い方がはっきりした。
  脚は突っ張って使う!
  だから弓歩で重心移動するにも蹴り足の力のみで動くことになる。前足の力は使わない。
  よく見れば犬も馬も動物はそう歩いたり走ったりしている。先日のアンミカ先生のパリコレ塾でも、ウォーキングの審査をしていて後ろ足で歩けている人は2人(本当にきちんとできているのは1人)だけだった。二流モデルでは無理かもしれない....というのは、アンミカ先生が何度も口にしてする体幹、太極拳で言うところの丹田が必要になるから。
  が、それには実は命門を開く、すなわち会陰の引き上げが決定的。これ無くして体幹や丹田はできない。
   圧腿がちゃんとできれば、片足立ち、蹴り技は至極簡単になる。フラミンゴや鳥のように片足で眠れないにしても、片足立ちの方が両足立ちより疲れないのが分かる。(片足立ちだと丹田の気が失われにくいから。)

③2種類の丹田
  拘束丹田→吐く、開、
  吸引丹田→吸う、合

   しっかり吐いた丹田が作れないと丹田で吸うことはできない。
   丹田の気を溜めるメカニズム。
   結局、丹田呼吸。
  棒を使ったタントウ功をさせたら初心者でもその感覚の片鱗を掴むことができる。
  スポイトで水吸い上げる仕組みと同じ。最初に押し出した分だけ、そのあとじわ〜っと水が吸い上げられてくる。吸い上げた量が足りなければもう一度押し出して、再トライ....基準値に達するまで何度も繰り返してたっけ? 検尿検査を思い出しました(苦笑)

④上の2種類の丹田は実は腎の開合。
  腰兪のツボを吸うように使えれば丹田呼吸が帯脈呼吸になりそう....続きはまた。

   

2019/5/15

 

  実は師父来日中の御苑練習時に大ニュースがあった。

 なんと主人の次の赴任先が、またまたフランス、パリ!

 7月にはソウルから直でパリに移るという。

 「次はパリ・・・!」

 練習中の師父と生徒さん達にそう伝えた時の皆の驚いた顔。

 運命はなんて皮肉なほどにドンピシャなのか・・・。

 

 ここ数年、正確には3年前に黒猫の死に直面してから死に対する考え方の大きな違いで私と師父の間には大きな溝ができた。いや、師父は溝ができたとは全く思っていなかった。私一人が溝を作った。死に対する太極拳の無力さを痛感し、そこからヨガや仏教、日本の親である中国の親、まで遡って試行錯誤した。ぐるぐる回って回りきって、やっと太極拳に戻ってきそう、となったところで師父の招へいに踏み切った。

 3年間私がぐるぐるしている間に師父の功夫はさらに磨きがかかり、一度手は届かなくとも見える範囲まで縮まったと思った師父との距離はまた見えないところまで広がっていた。太極拳を教えながらも何を教えているのか分からくなるほど突っ込んでしまう私の癖で生徒さん達が大道を外してしまうのではないかと心配になり師父を呼んだことは大正解だった。武術家とはどういうものか、太極拳とはどういうものか、が生徒さんには分かったと思う。私は武術家を紹介する仲介者なのかもしれない。今は中国でも真の武術家を探すのは本当に難しい・・・武術を教える先生はたくさんいるけれども。

 

 主人がパリに赴任するということは、私はもう一度師父について学べ、ということだろう。行かなくてはならない。ニュースを伝えた時の生徒さん達の表情は行ってしまうことを察知した表情だった。師父が来てせっかくやる気に火がついたのに・・・・。師父の表情は嬉しさと共に残される私の生徒さん達に対する心配で、印象に残るほど極めて微妙だった。

 

 振り返れば2006年から2009年の三年余りを毎日師父との練習に費やし、その後帰国して教え始めちょうど10年になった。自分一人の練習に集中してオーバーホールするのにちょうど良い時期だろう。まだ教わってなかったことも学ぶことができる。

 うちの娘も来年か再来年にはパリのファッションスクールに留学することを考えていたから好都合。

 主人も激務だった韓国の任務から離れ少しはゆっくりして身体を休めることができるかも(?)しれない。

 とても意外な展開だけれども、そうでてきたなら、そうするしかない。

 

 知らせの後で犬の体調が崩れて私がいつ渡仏できるかが不明瞭になったけれども、行くべき時になったら行くのだろう。いつでも動けるように準備はしていかなければならない。

 

 ・・・と、そういうこともあって、練習のメモ的なものを書く気が湧かないまま一か月が過ぎた。箇条書きだけでもしておかないと流れてしまう。

 この一か月間の練習で気づいた点の中には太極拳の核心、松、と関係するものが多い。

 巷の太極拳で誤解されていることがはっきり分かった点

 ➀前クワを緩めるとは? 前クワの松の意味

 ②腕の松とは? 

  (松は脱力とか力を抜くとかではない。中国語で言えば 緊ー松ー懈。

  緩んでも懈してはいけない。)

 ③拘束丹田(吐いて固める丹田)から磁力のある丹田(広げた吸引力のある丹田)へ

  丹田で吸えないと気はたまらない。拘束丹田は吸引丹田を作るための準備段階。

  黒い固めた丹田→白抜き丹田 にするにも、”松”が必要。

  これが丹田呼吸になる。

 ④頭の松 検証中

 ⑤上腕と太ももの関連 これは各論

 ⑥女性は会陰を使わない(使えない)

 ⑦静功における止観法 何を止め、何を観るのか。

 

 まだあったような気がするけれども思い出したのはこんな感じ。

 

 

2019/5/9

 

  師父の来日中学んだことを整理する時間のないまま時間が過ぎている。身体で理解したものを言葉にして表すのがとても面倒くさく感じる今日この頃。

 

 師父が去ってから飼い犬の肝臓病が発覚してあっという間に容態が悪化、連休中は生死を彷徨う日が続き奇跡的に命をとりとめた。その間、私達動物の”命”、生きようとする、意思よりももっと深いところ、私達にはどうしようもない根っ子のところにあるものの身体への執着、をまざまざと見ることになり、これが仏教の言うところの渇愛、存在欲、これを断ち切るためには本当に内側の奥の核心部分に到達しなければならないなぁ、丹田はその表面の入り口に過ぎない、などと自分が太極拳を何故学び始めたのかを再確認していた。

 

 太極拳は生命力をアップすることを目標に練習するが、実はそれがいずれは如何に安穏に身体から離れるのか(如何に安らかに死ぬのか)ということにつながっていく。その道筋が見えてきたのは大きな進歩。死に向かうことに怖れがなくなれば他に恐れるものはなくなるだろう。

 

 いろんな話は割愛して、とりあえず、生命力アップにも、身体のアライメントを整えるにも、自分の内側に入るにも欠かせないタントウ功の要領をまとめた図を紹介。これは今回師父に学んだものを私が頭で整理して図化したのだが、師父に見せたら、「聡明だ!」と笑って褒めてくれた。

 このタントウ功はある意味秘伝。急速冷凍で効果を出す。きついけどやりがいはある。百会と会陰を最初につなげてしまうところがすごい。

 

  バナナはまだ気の操作をしていない段階。

  実際には真ん中のナスが第一段階。

  前クワを緩めた右のナスが第二段階。

  本当はその後に前クワを外さないで後ろのクワに坐れるところまで丹田の気が増えた段階が第三段階。ここまでいけばタントウ功は完成。

  まずは第二段階までいって、この状態で丹田に気を溜めていく。

 

  細かい説明はレッスンの時に。

2019/4/24 <檪ちゃんと手を合わせる>

 

 一昨日の櫟ちゃんとのレッスンです。

 お母様がFBにうまくまとめてアップして下さっていました。

 コメントも正確です。

 

 https://www.facebook.com/yuniko3/media_set?set=a.2194248420652707&type=3

 

 劉老師が来た時に拍打功を学びました。

 腕の力を抜いて両手をパーン!と叩く、最低300回、という単純な功法ですが毎日続ければ思いもよらない効果が出る。(瘀血が手のひらに紫になって出てくる?)

 櫟ちゃんは両手を合わせることがとても難しい。自分で自分の身体を触って確かめることができない。ので、私が代わりに彼女の掌に掌を合わせました。

 掌を合わせる、労宮はいとも簡単に丹田と繋がる。哲学的、抽象的な意味ではなく、本当に繋がるのが分かる。太極拳の防御が攻撃になってしまうからくりも防御の時に自分の手が相手の身体に触れることで丹田を効果的に使えてしまうから。労宮と丹田の繋がりがわかってしまえばいつでもどこでも掌使って自分の丹田を鍛えられます。

 

2019/4/18

 

 劉老師による弓歩の指導の一場面。 

 

 以下はこの動画についてのLINEへの書き込み

 

  劉先生の弓歩のレッスン。これも一種のタントウ功。

  まずは例によって胸を入れさせて背中を開かせる→気が腹の方に落ちる。

  その後、「お尻に座れ! 」と言ったのだけど、Oさんは身体を落として膝に乗ってしまった。先生は、「違う、違う、身体は下に落としてはいけない、気を下に落としなさい!」と指摘。

 

 そこで先生は、身体を落とした状態と身体を落とさずに気を落とした状態を両方やって見せてくれてるのだけど、画面からはみ出てしまってる!

 

  (身体を降ろすと膝に入る。)

「身体を下げずに気をお尻まで降ろすと、ここ、クワが松する。」

 というところから劉先生の弓歩の姿が映っています。

 

 これができれば前に移動しようが後ろに移動しようが問題なし。

 

 ”身体を落とさずに気を降ろす”

  これが分かってできれば太極拳の門に入っている。

 

  太極拳は門に入るまでが難しい。入門まで導くのが師の役割とも言われています。

私の生徒さんの中ではHさんが門に入ってる。その他数名が門にまさに入ろうとしているところ....劉先生の評価です。

 

 来春までに入門済者を10人は作りたい♪

2019/4/16

 

  劉師父の4日間のレッスンが終了し、今日師父は鄭州に戻りました。

 

 やはりさすがの一言。

 生徒さん達は本物の武術家とはどういうものかが分かったと思います。

 皆ものすごい集中力で学んでいました。

 師父の気場に包まれて、知らず知らずのうちに引き込まれていく。

 気の量が多い、気場が大きい、ということはそれだけ人々に影響力を与えられるということ、太極拳はただの拳を学んでいるのではなく、道を学んでいるのだということを改めて思い知らされました。

 中正不偏、中庸、太和を身体でできるようにしながら次第に心もそうなっていく。身体が心になる、身体が心である、心が身体である、それがどういうことかは(頭で考えると分からずとも)師父に接するとこういうことなのかと理解できたのではないかしら? 

 別れ際に涙ぐんでいる生徒さんもちらほらいました。

 

 毎日やらなければならない練習を師父は何度も繰り返し繰り返し私達に言いました。

静功、坐禅、タントウ功、拍打功は特に強調していた功法。

 

 師父との練習についてはまた書きます。

 

2019/4/9

  林先生の初耳学でパリコレ学をやっていたとは。
それを知って娘と第一回から見ていく。
  アンミカ先生の熱血指導、コシノジュンコも現れ、富永愛も加わる。
  そして2/3放送分、富永愛がポージングのお手本を披露。
  息を呑む美しさ。
  「ピタリと止めるところは止める。そしてあの指のしなやかさを見ましたか?」
   とアンミカ先生が興奮気味に生徒達に言う。
 
  そう、あの手、指、は丹田の賜物。
  手首は松、そして指は 垂指。
 
  丹田力がものすごい。
  上丹田までびったり。
 
  ここまでピッタリ入っているのを見ると一般の雑誌のモデルが素人にしか見えない。
 
   説明はいずれ。
   身体の力をどう内側(丹田)に引き込むのか、とても勉強になりました。太極拳の先生でもあそこまで引き込めている人はなかなかいない。私もまだまだだ。
  <この富永愛さんのポージングの動画を生徒さん達に紹介した後のLINEへの投稿>
 モデルが額の目の力を鍛えるという話はとても参考になりました。
 "凝神聚气" という言葉が浮かびます。
      凝神(眼を引き込んで上丹田を鍛えると) 聚气(気が集まる)。
  静功の時は目を軽く瞑りますが、丹田を内視し続けることで密かに凝神をするべきなのでは? と今さらながら思いました。
  動功やトウロの時は目は瞑るべきでない、目線が決定的に大事、とは知っていたしそう教えていましたが、肝心なのは”凝神”だった....
  劉先生来たら観察してみて下さい。
  

2019/4/5

 

 昨夜海外の生徒さんとビデオレッスンをしていてまたまた驚く言葉を聞きました。

「先生、とは言っても、太極拳は膝の裏を伸ばしてはいけないんですよね?」

 弓歩、重心移動の話。

 えっ? 

 

  そういわれてみたら、彼女が現地で習っている楊式太極拳以上に私の練習している混元太極拳の人達にわざわざ後ろ脚(蹴り脚)の膝の裏を曲げている人が多いような。

 

 

 馮志強老師の真似?

 

 丹田の作り方とも関係あるけど・・・説明はまた今度。

 

2018/10/17

 パリに戻って練習始まったら既にオランダが遠い過去になりつつある....
  とりあえず写真だけアップ
   2日目夜明け前に(といっても7時!)ホテルで自転車を借りて昔住んだ家、そしてその向かいに広がる森(クリゲンダールの森)に行く。これがこの度の最大の目的。
   出勤の前によくジョギングをしに行った....

2018/6/30

 

 明日で最終日のターナー展。

3月頃駅の広告で見てとても惹かれていたのに、実際に足を運んだのはついこの前。

20代にロンドンで住んでいた頃、少なくとも3回はテート美術館に連れて行かれたけど、全くピンとこなかったターナーの絵。天気の悪いイギリスの気候のようなぼやけた絵ばかり・・・なんて思っていたくらい。当時の私はバレエの公演ととピアノのリサイタルが大好きで、絵画に対しては全く興味がなかった。

 が、今回ターナーの絵を見たら、そのすごさが分かる!と言っても、絵画の技術的な事は全く分からないのだけれども、その視点、ミクロからはいってマクロへ抽象へと向かっていくその流れ、それは4月に大感動したルドン展と同じ。

 微細な所までありのままに観察する。。。

 観察・・・最近挑戦しているヴィパッサナ―瞑想、そのものではないか?

 その目は我で汚れていない。

 ターナーの絵を見た後で、写実主義の言われるミレーの落穂広いや晩鐘を見たら、そこにミレーの意図、我のようなものが見えてしまって、そういう意味ではターナーの方が水墨画的な無我の境地に近い気がした。我がないのに、これはターナーの絵、と分かる個性はしっかりある。面白いなぁ、と思う。

 ぱっと遠くから見ると滲んだ色のグラデーションの絵に見えるのだけど、近づいてみると、とてつもない細かさと正確さで物や人を描いている。こんなに細かく、どうやって筆を使うのか?いや、視力が跳び抜けてよいのか?

 絵に顏をひっつけて見たくなる。あら~細かい・・・あらら、人の顔がピーターラビットになってる?

 そしてまた遠くから見てみる。そしてまた近づいて楽しむ。

 そうやって繰り返し見ていると、眼の体操をしていることになるのか、自分の目が良くなって焦点が合いやすくなった気がする。

 焦点が合う・・・ほんとに、ぴったりと焦点が合う。

 画家の眼の焦点がきっちり合っていたところに私の眼の焦点も合ったのか?

 ターナーの絵を見ると眼の焦点、いや、上丹田に焦点が集まる。目が良く見えるようになる。

 画家自身もそこに焦点を集めて描いていたのではないか?

 

  その美術館には常設でゴッホのひまわりがあったけれども、ターナー見た後でそれを見たら、大雑把過ぎて素通りしてしまった。おそらく上丹田で味わう絵ではないのだろう。焦点が合わなかった。去年ゴッホ展に行った時はとても感動したことを思うと、きっと見る絵に応じて自分をチューニングしているのではないかと思う。

 時代性、その背景もあるし・・・。

 

 でも、ルドンとターナーはフランスとイギリスの大きな違いはあるけど、私にとってはとても共通点がある。極小から極大まで、無為自然、太極拳的。

 

 

2019/7/30

グループLINEへ投稿するつもりで書き始めた文章、こちらに載せます。

 昨日は到着後てんやわんやで寝たのは日本時間の朝6時ごろ。そこから7時間寝たら時差ボケあるのかないのか分からない状態。

  パリはますます治安が悪くなり荒んでる様子。家はギャラリーラファイエットやプランタンのあるデパート街まで一本道で行ける地区。シャンゼリゼにも歩いて10分、大使館にも歩いて10分。住宅街ではなくて古い建物をオフィスとして使っているところが殆ど。物件を写真だけ見て雰囲気で決めてしまったのだけど、実際来てみると、容積がやたら大きく(天井が3.4m)、重くて大きいものが多く(ダイソンの掃除機、5キロはある。日本では販売してないだろう)使い勝手が良くない。部屋から部屋へ移動するだけで体力消耗。
お風呂も深くて長さが2m近くあり、やっとお風呂に浸かって寝られる、と喜んで入ったら、身体と頭まで全てお湯の中に浸かってブクブク沈みそうになって眠気が吹っ飛んだ。オフィーリアになってしまう〜、ともがいてる自分が笑えました。

番外 4月のルドン展

 
番外
今年1月頭にパリのディオール回顧展最終日に駆け込んで写した写真。

『今日の独り言』何でも太極拳に関連づけてしまう頭の中。その日の気づきや疑問点、頭の中のお掃除と整理。アーカイブは練習メモ

練習メモ』

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練習のバイブル本

 『陳式太極拳入門』

       馮志強老師著

ようせいフォーラム2017プログラム
3月4日(土)にパネリストとして参加しました。
ようせいフォーラム2017プログラム.pdf
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2012/3/20

日本養生学会第13回大会で研究発表をしました。

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