2019/8/20

 

 パリでの劉師父との練習開始。第一日目。

師父は案の定私よりも随分前に公園に着て、私が到着した時には樹に脚を引っ掛けて圧腿をしていた。挨拶もそこそこ、「もう自分は拍手功を脚付きで既に1000回やって済んでるから、あなたもやりなさい。」と言われた。

 拍手功は春に師父が来日した際に生徒さん皆に教えた基本功。全身の余計な力を抜き落とし、力を丹田に集中させられる。邪気を労宮から排出させ未病を出してしまうような効果もある。

 どうせなら手だけでなく脚も、と一方の脚のふくらはぎの承山のツボをもう片方の足の足首の解ケイ穴の部分で蹴る方法を組み合わせてやる。

 もっと強く!もっと松!と拍手を300回近くやると手が腫れて赤く熱を持った。

 「非常好!」

 手がじんじんする。今こそ腕を松して気の流れを感じる時。と、しばし軽くタントウ功。

 

 その後は転腿。回転の悪い左足だけで1時間近く。そして右足20分。

 師父とやると効果が全く違う。2時間やっても疲れない。やればやるほど体が馴染み、使ったことのない場所が開発されていく。二人で転腿しながらおしゃべりをする。ほとんど師父の話を聞いているのだが、質問もできる。十数年前にパリで習い始めたときは、こんな時に師父が話してくれる言葉を理解できないのが残念で、必死に中国語を練習した。今では松しながらおしゃべりもて練習もできる。そのぐらい余裕があると、気が流れやすい。集中し過ぎると、”頂”、”抗”となり、柔順という太極拳の原理に反してしまう。”道”から外れてしまうのだ、と師父が話してくれた。

 真面目すぎて硬すぎては失敗。意が強過ぎると硬くなる。頭は攻撃的。心で理解する。

 

 ”心平気和”

 今日学んだ言葉。

 心が落ち着いて気が和む。

 これが目指すべきところ。

 だから

 ”柔順” 

 柔らかく、順う。

 

 そういう意味ではパリはなにか柔らかい。

 東京は皆イライラして時間に追われてるけど、ここは時間にもっと余裕がある。

 昨日もスーパーでどのコーヒーを買おうかと迷っていたら私のせいで通路を通り抜けられなくなっていたムッシュがいたのだが、私が慌てて道を空けようとしたら笑顔で、どうぞゆっくり選んで下さい、と笑顔でジェスチャーをしてくれた。日本のおじさんはそうはいかないだろうな〜(苦笑)

 

 身体は柔らかくありたいけど、心ももっと柔らかくありたい。

 身体の硬さと心の硬さ、身体の柔かさと心の柔かさ、どのくらい相関関係があるのだろう?

 身体が柔らかくて石頭、身体は硬いけど心が柔らかく寛容、というのもあり得るのか?

 太極拳の練習では、身体の松→開→沈穏→柔→軽霊、の順で身体を開発していくが、おそらく、それと同時並行的(あるいは少し遅れて?)に、心の松(緊張していない)→開(心が広い)→沈穏(落ち着いている)→柔(柔軟性がある)→軽霊(執着がない)と進んでいくのではないか?

 いや進んでいかなきゃダメだ!

 結局は心の修行

 身体で終わってしまったら”道”とは言えない!!

 

 初日、スタートはそんな気づきと目標から始まった。

 

 最後は師父と二回、ゆっくり24式。柔らかく、そして、収功した後は5分間Iの意守丹田。

 時間に追われずに練習できるのはとても幸運なこと。

 師父といると時間が消えるよう。

 

 

2019/8/5

 

 やっと家の立ち上げの目処がついたので夕方、初めて中心街に繰り出した。

と言っても最初のお目当は、マレ地区にあるBHV。東急ハンズのようなデパートで、中に混んでいないカフェとトイレがあるので昔からお気に入りの場所。ギャラリーラファイエットやプランランのように観光客でごった返していないのも魅力的。

 入ると様々なお掃除グッズ、おしゃれなブラシがあって心が踊る。生活用品がおしゃれだと生活にもハリが出る? と思いながらも、目は、セール品ばかりに向く。モップも欲しいし、テーブルの上のパンくずをとる”ダストパン”も欲しい。テーブルクロスも、日本にはない柄でおしゃれで安い・・・と歩き回って、手で持って帰れる必要なもの、と最後に買ったのはエプロンと時計。どちらも必需品。

 私は料理をする時はエプロンをする。でないとお腹のあたりが汚れてしまう。身体の前面を守るためにもエプロンは大事で、それが気に入ったものなら料理をするモチベーションが上がる。

 セール中のBHV。半額以下のものがずらりとあって、3つ買って15ユーロ!可愛くて安くて嬉しくなる。時計もMoMAのセール品をを迷わず購入。真っ暗なところで数字が浮き出るというアイデアものらしい。(家に帰って調べたら日本の人が作ったものだった!)

 そして3階の新しいカフェに直行したら窓の外はパリ市庁舎。空が見えるのがとても嬉しい。

 

 BHVを出てパリ市庁舎を過ぎ(冬に娘を連れてスケートに来ていた広場はビーチバレエをする人で賑わっていた)、あのノートルダム大聖堂へ。

 セーヌ川の対岸から見えた尖塔が見えないのは悲しい限り。正面には無数の顔写真のコラージュで作られたノートルダムの絵が飾られていた。

 

 ノートルダムがこのような姿になっても、セーヌ川にはバトームッシュが走り、道では流行りの立ち乗りスクーターが行き交い、ベンチでは友人、カップル達がパリのまだ明るい夏の夜を満喫していました。


 ノートルダムからの帰り道、やはり癖で撮ってしまった男性の立ち姿。公園に行くと脚を出している人が多いから良くわかるが、こちらの人は基本的に膝の裏が伸びている。特に子供の場合は膝の裏の伸びがすごくて膝小僧が引っ込んでいるほど。日本人の膝が曲がってしまうのは腰が縮んでいるからで、太極拳の時も命門を開くというのは決して腰を丸く縮めてしまうのではなく、腰を外側に(腰を反らして伸ばすのと反対向きの弧線で)伸ばすはず。腰を縮ませて(腰椎の間隔を狭めるように)丸くしてしまうと膝の裏が伸びず、膝小僧側に負担がかかり膝や股関節を痛めてしまう。膝裏は伸ばして曲げる!(とレッスンの時も言って皆に笑われましたが)

 

 あり合わせの夕食。日本食は高くて刺身やお魚もなかなか食べられないのだけど、こちらのものは、当たり前だけど、廉価で質の良いものが手に入る。

 生ハム、肉屋で削いで貰えば200円ちょっとだったし、ワインは1000円足らずでかなりの美味しさ。

 郷に入れば郷に従え・・・か。

 

 なお、劉師父は8/18までバカンスでパリ不在のため、それまでは近くのモンソー公園で一人で練習している。

 バカンス気分の人たちが大勢集まる公園で楽しいのだけど、昨日はカンフーずきのお兄さんに絡まれて暫し練習中断(苦笑)が、最後はタントウ功させました。

 

 

 

 モンソー公園に向かう道沿いは邸宅が並ぶ。ファサードや柵のデコり具合がものすごい。かつてこの国にはどれだけのお金と建築家、アーティスト、そして労働者がいたのだろう? もう現代でこのようなものを作れる場所はないだろうなぁと思う。

 

 そして忘れてはならない昨日カフェで見かけた目の透き通ったイケメンの男の子。カップルで現れた時は映画の一シーンかと思った。デートのためかきっちりスーツ姿で決めていたが、こなれた風でどこか緊張しているのが分かってとても初々しかった。彼のようなテロリスト風の髭もじゃがパリの若者の流行りだとか。これだけきれいだと髭もじゃも悪くないなぁ〜、なんて思う私はれっきとしたおばさんだと思う。 

 が、美しいものは美しい。若い時だけのものであっても。

2019/7/30

(以下グループLINEへ投稿するつもりで書き始めた文章)
 昨日は動物3匹、ダンボール5箱、スーツケース1個を携えてシャルル・ド・ゴールに到着。そこから家に荷物を運んで怯えて家のどこかに隠れてしまった猫たちを探したり、勝手の分からない家の構造を把握して近くにあると言われたスーパーまで随分歩いて買い出しに出たり、と、結局の寝たのは日本時間の朝6時ごろ。そこから7時間寝たら時差ボケあるのかないのか分からなくなってしまったのは良かった。
  パリはますます治安が悪くなり荒んでる様子。家はギャラリーラファイエットやプランタンのあるデパート街まで一本道で行ける地区。シャンゼリゼにも歩いて10分、大使館にも歩いて10分。住宅街ではなくて古い建物をオフィスとして使っているところが多く比較的治安の良いエリア。が、スーパーに歩いていく途中で大きなショーウインドーが割られたままになっているのを見かけるとどこも安全じゃないと思う。パリは光と影の街。観光客は光の部分を見て帰るけど、住んでいると私には影の部分が目立って見える。汚いのにゴージャス。ハッタリは日本のはるか上をいく。
 家はパリに入る前に物件を写真だけ見て雰囲気で決めてしまったのだけど、実際来てみると、容積がやたら大きく(天井が3.4m)、重くて大きいものが多い。(ダイソンの掃除機、5キロはある。日本では販売してないだろう。)
 見かけは良い。けど使い勝手は良くない。ここにもハッタリが効いている。
 日本にいる時から憧れていた広くて天井の高い家。夢のようだけど、日本の狭い家に慣れている私は部屋から部屋へと裸足でバタバタ移動し続けているうちに体力消耗。硬い床のせいもあって足首が痛くなってきてしまった。少しソールのあるスリッパやルームシューズを履いたら家の中での歩きごごちが全く違う。中国武術は靴が大事、と言っていた太極拳のマスターがいたり、ダンサーこそ普段はちゃんとした靴を履いている、という話を聞いたり、暑い夏でも靴下は決して脱がない、という師父のような人がいたり・・・裸足が一番良いとは必ずしも言えない環境があるのは確かなようだ。
  お風呂も深くて長さが2m近くあり、やっとお風呂に浸かって寝られる、と喜んで入ったら、身体と頭まで全てお湯の中に浸かってブクブク沈みそうになって眠気が吹っ飛んだ。大好きなあのオフィーリア状態になってる〜、と、もがいてる自分を笑いました。

2019/7/22

 

 昨日、一年で最も緊張するピアノの発表会を無事終了!

 年齢も年齢だからトリを任される。太極拳の演武はそれほど緊張しないのになぜピアノはこんなに緊張するのだろう?

 ピアノの先生に言わせると練習量の差。

 確かに、ピアノは気分転換で弾くくらいで太極拳の練習のように根を積めたりしない・・・

 

 ピアノは好きだけどそこまでのめりこまない。

 太極拳は好きとも何とも思わないけどやらざるを得ない。気が付いたら考えているかやっている。

 太極拳の練習のためにピアノをやっているのか、ピアノのために太極拳をやっているのか?

 両方やるから面白い・・・套路と推手の関係みたいなところがあるような。

 

  太極拳の練習はそのままピアノ演奏に反映してしまう(私の場合は)。

  指先は気の流れの末梢部分。ここのコントロールがしっかりきいているためには神経、気の流れをきっちり整えなければならない。末端ばかり練習して身体の中心からの流れを無視していると雑な雰囲気だけの演奏になるだけでなく、腱鞘炎になったりイップスになったり故障をしてしまう。

  ピアノ(楽器)は全身運動をして弾くべきのはず。

  なら太極拳が関係ないわけがない!

 

 師父も毎年私のピアノ演奏での身体の使い方をチェックしてアドバイスをくれる。

 昨年は曲の最後でやっと丹田でピアノを弾けたが、そこまでは虚霊頂勁も×で、右手が固まっていた。(右の写真)

 

 この一年、右手をどうにかしようと練習していたが、結局それは骨盤のゆがみや腹斜筋の縮み、その大元を辿ると若い頃にやりこんだ卓球での不正確な動きの蓄積、から来ているから、そんなに簡単には直らない。元をただすにはやはり地道にタントウ功などで上書き修正していかなければならない・・・。

 練習時間が思ったほどとれないまま一年過ぎてしまったが、右手は以前よりも使いやすくなった。そして下丹田に気を落としたままでいられるようになったら肩が前よりもフリーになった・・・が、ピアノの演奏をみると、肩は課題。今開きかけている肩や胸の中が練習で更にバキっと開いたら肩が翼を広げるように自由になるだろう・・・。

 

 今年は一目惚れならぬ一耳惚れ?したバッハのオルガン曲をリストが編曲したものを弾いた。

好き過ぎて半年以上この曲しか家で弾いていなかった。ショパンやリストだの、ロマン派の曲に全く興味がなくなった一年だった。人間の感情などという俗っぽいものと関係のないところの崇高な音楽、決して酔わない音楽、覚醒した音楽・・・このあたりは太極拳とどこか通じるものがあると思った。

 

 上丹田が少しでもブレると不安がよぎる。

 酔わずに最大限の覚醒を長時間続けるには腹底の丹田に気を引っ張り続ける求心力が必要だと思いました。

 それにしてもほとんど闘っているような演奏・・・聞いている人が疲れてしまいそう(苦笑)

 

 

2019/7/14

  和室練習、どうなるかと思いましたが思った以上のやり甲斐と手応え。
まずはA君のメモを頼りに含胸を作る
 ①初めに胸を開いて鎖骨を広げておく(以下の動作で鎖骨が緩まないよう=前肩にならないように気をつける)
②前の肋骨は閉じて後ろの肋骨を広げる
(→胸郭のニュートラルを作る)
③(①を保って②をやれば)前鋸筋と腹斜筋がオンになる(僧帽筋と菱形筋がオフになり肩甲骨の自由度が増す)
後部肋骨を広げた時に肺の息が背中から左右に広がる感じになると前鋸筋と腹斜筋がオンになる→胆経が起動し出す)
④胸郭と骨盤が垂直にストンとつながれば自然に胸の息が腹に落ちるようになる。腹底まで息を落とし横隔膜と骨盤底筋の間の圧で呼吸してるような感じになる。
⑤頭と首が下から自然に立ち上がってしまったなら含胸大成功♪
そのあと前鋸筋と腹斜筋の意識を使って肘を動かすとはどういうことかを探索。前腕で肘を動かすのではなく上腕で動かすのがミソ。すると結局は肩や肋骨、脊椎など胴体部を総動員しなければならなくなる。
以下説明ややこしいので
とりあえずLINEの投稿を貼り付けます。

2019/7/8

 

 月末のパリへの移動の前に、と普段やっていなかった家の雑事をし出したらキリがない。断捨離はタチに合わないからときめきの・・・とこんまり方式で始めたけど、やっているうちに、なんでこんなに捨てなきゃならないのか?と疑問が湧いてきた。宇宙は現在膨張期。ものが増えるのも自然な流れ。宇宙が収縮期に入れば自然と物も活動も減っていく・・などと勝手に結論づけて要らない、と思うものだけ処分することにした。そうしてみると分かるのは、めったに使っていないけど何かいつかに備えて持っているものの多いこと! 着るオケージョンのない余所行きの服、アクセサリー、雑貨、書籍・・・。あまりないのは食べ物や日常雑貨。以前主婦の友達数人を家に招いた時、うちにお菓子や保存食を含め食品のストックがあまりにもないこと、トイレットペーパーや洗剤などのストックもない(これらにストックが必要とは思っていなかったけど)ことに驚いていた。そう言われてみたら食べ物は毎日ちょこちょこ買っているから家にストックはあまりない。冷凍食品も買わないからうちの冷凍庫は生ごみの保管庫になっている・・・。

 

 書籍の整理をしていたら中国語の太極拳や気功、中医学関係の本がとても多くなっていることに気づいた。買ってペラペラめくった程度でちゃんと読み切っていない。時々参照するから捨てられないけどパリに持って行くのは疑問。と、中を開いてみると、やはり、いいこと書いてる。何かの宝庫で、胸がわくわくする。これが、ときめき? じゃあ、捨てられるわけがない。ピアノの楽譜も小学生の時に使っていたものからほとんど残っているが、やはり捨てられない。やはり宝物。

 先日文京区にある東洋文庫ミュージアムに行ってモリソン蔵書を見たが、迫りくる本、しかもどれも100年以上保管するに値する質の高い本、に囲まれると自分の奥がシンと静かになって本たちから発せられるエネルギーもしくはメッセージを吸おうとしているのが分かる。ゴッホやフェルメールの美術展人込みの中で絵を見てやろうというあのいやらしい目にはならない。聞くと観るのバランスがとれる時、静、になるのかもしれない。見てばっかりは出過ぎ、聞いてばっかりは引きすぎ、その両者のバランスが・・・と、推手で学んでいるのは結局そこでは?

 目と耳を同時に使えばよいということ?

 ・・・・ああ、これが三性帰一・・・今気づいた。

 

 昨夜見たパリコレ学。やはり百恵ちゃんがダントツだったけど、あの人のウォーキングの素晴らしさは腹の丹田(下丹田と中丹田)がちゃんと目の奥の上丹田と繋がっていること。目の弾き具合が他のモデルさん達と全く違うとは思っていた。が、これは耳と関係あり?

 昨夜審査員のデザイナー(ザック・ボーゼン)がしきりに”目”が魅力的でなければならない、と言っていたが、日本の女の子たちはどんなに化粧をしても目が活きてないからただの人形、フィギュアみたいになりがち。フィギュアが好きなオタク的な男性には受けがよいかもしれないけど、それは世界的基準の女性の美ではない。それは・・・もしや、鏡ばかり見ていて、耳を働かせていないから?

 目が活きてくるのは、目が内側のエネルギーを発するからで、その時目はかなり奥に入って耳や喉、鼻とつながっている(上丹田の位置にいる)。耳も内側に引いて澄ましたようになっている(→霊性)。耳の”霊性”目の”見性”がつながって(それに心の”勇性”がつながるのが、三性帰一。収功の度に行うもの)目の奥が生き生きしていればそれだけで目は美しく、目に縁取りをしたり人工的なまつ毛をつけるのは舞台メークとしてはありとしても日常的にそれをしているのは滑稽にしか見えない。(もちろん、自分の顔をいじって遊びたい年ごろ、そのままでは外に出られないと思うお年頃、もあって、習俗としてのメークを遊びとして楽しむこともできるから全否定はできないけど。)

 そうみると、男性の方がメークをしない分、目、そのものの魅力が際立つのかもしれない。良い生き方、充実した生き方をしてきた、している男性の目はとても味わい深く魅力的。番組に出ていたザック・ボーエンの目は、それを久しぶりに思い出させてくれた。これも上丹田のなせる技(アーティストは特に奥深くなる。瞑想者は更に深い。逆に言うと、俗っぽいことしか考えていない人、見てばっかりいる人の目は浅い。猫の目が美しいのは耳がとてもよく働いているから?)

 

  両目が奥で一つになっているのは一流モデル→目と耳、両方使っている。

  2つの眼球が目になっているのはカタログモデル→目だけ。耳で聴く意識なし。

(卓球の真剣試合と温泉卓球の違いと同じでは?温泉卓球で真剣勝負の目でやったら、おかしいでしょ!!)

 

 

 静功はなおさら。目を閉じると余計に目の深さが分かる。目の深さは入静の深さ。

 ヨガナンダと弟子の写真が顕著だが、上丹田は身体の中正がとれていないとしっかり機能しない→腹の丹田が非常に充実している必要あり。

 

 ・・・と、本当は最近の練習のメモだけ手っ取り早く書いておこうと思ったのに、気づいたらこんなに書いてしまった。

 最近の練習。

 

 ➀息を通して套路をやっている人とそうでない人の違い。

 私のところに来る前に別の教室で太極拳をそこそこ学んできた人に共通するのは、息が自分の中を通っていないこと。外の空気を吸って外に吐いてしまっている。これではいつまでも体操の域をでない。

 内功から入った人は、自分の中で吸って吐いて息を通そうとするから、身体にうねりが出る。最初は形がきれいではないけれど、そのうち真っ直ぐになってくる。

 ②その息。教え方としては、胸郭の操作(下のブログ)の説明をした方がうまくいくようだった。

 ③首の立て方

 いや、首は立てたらもうアウト。

 首は立つ。自然に立ってしまうのが目標。

 これには以前紹介した墙蹲功を復讐、分析するのが役立つ(2015年7月のメモ)

 

 下の動画はとてもよい背骨の柔韧性のお手本。

 最後の1分間の動きを見ると、首がどう立ち上がるかが分かる。

 

 これは、タントウ功の要領ができているかどうかのテストのようなもの。

 含胸、抜背、松腰、松クワ、曲膝、虚霊頂勁・・・これらができていればできる。

 

 途中で引っかかるとしたらどれかができていない。

 ④足の扣の作り方

 <LINEの投稿を貼ります>

  昨日今日と教えた足の関節をつないで立つ方法。これをすれば自然な扣になる。

  つま先、tips から意識していくのが踵を使い切るコツ。

    ①つま先先端(指の腹ではない!)

   →②MP 関節→③リスフラン関節→④ショパール関節

   →⑤アキレス腱下の踵先端

    で、特に、③と④が扣、アーチをつくる要。

   まず片足のつま先を地面につけて、➀から⑤の順番で、一個ずつ折って静止しながら次第に踵を床に降ろしていく。関節ごとにペダルを踏むように降ろしていけば、⑤まで行った時に足が自然な扣になる。③と④のところがアーチとなって力がかかるのがミソ。最近のしっかりしたスポーツ用のソックスはこの部分が補強されている。この足のホールド感がなくならないように動けるようにするのが目標。常に体重が真っ直ぐ脛下に降りている。

   あとはこれらの骨をバラバラに動かせるように....でないと足首が回らない。捻挫の元。どんな体勢でも足裏がピッタリ床から離れないのはこの足の中の関節の柔軟性。

 

 

 ここから先の話は私の今後の整理の課題。とても大事なことが含まれている。生徒さん達はおそらくチンプンカンプン(笑)

<LINEから貼り付けます。)

足の着地を調べてたらこんな動画が。韓国語だけど元は日本の番組のよう。

 

  山本さん、踵から着地 ショパール→リスフランへ それから爪先へと抜ける

  が、それでは遅いらしい!

 

 マカウ選手、スネの立ち具合が全く違う。そしてなんと美しい脚!

 マカウ選手は足を振り出して空中で爪先まで勁を通し、その劲が踵方向に戻る時に着地。爪先から踵方向へ地面を撫で蹴って(蹴り戻して)いる。

  踵から着地する山本さんは劲が一旦踵で切れるので、踵から爪先までの力が身体に伝わらない→脚が腰に届かない。

  逆に言えば、マカウ選手は腰高で脚が細くて軽く、跳躍力のある身体だから、空中で振り出した足の爪先まで操作できてしまう。

  足の爪先まで操作しようとすると嫌でも命門まで腰を引き上げなきゃならない=会陰をぐっと引き上げなければならない。

 今日の練習で、絶対に足の爪先先端を意識すべし、と言った理由はそこにあります。

  踵→爪先 だけでなく、爪先→踵 も大事。

 

 この動画についてのブログhttp://blog.livedoor.jp/ikejimasekkotuin/archives/46177936.html

 外側の現象について分析しているけど、核心を突いていないような・・・。

 

2019/6/29

 

 携帯に保存した画像の整理をしていたら、むむむ・・・

 

 あれれ?ああ、丹田呼吸だ! 

 以前ブログで紹介したはずの画像とサイト(https://itami-setumeisho.com/archives/2106

 

 今見ると全く違って見える。

 太極拳が開合拳と言われた所以。開合はまさにこの動き。

 丹田呼吸になると、吸ってるのか吐いてるのか分からなくなって、それでもどうなっているのだろう?とよ~く自分の身体の中を観察すれば、吸ったまま吐いて(吐き込んで)いたり、吐き込んだまま吸っていたりするようだったりする(太極拳で動いているときは。静功なら呼吸がもっと静かになるので呼気と吸気の差が見えなくなる)。

 

 それが分かって、早速、昨日、今日と生徒さん達に試させてみました。

 さずがに初心者には分からないにしても、練習をそこそこやって、足裏から息が吸えるようになっている人(足裏下まで気を落とせている人、足が根付いている人)には効果抜群!これで24式をやってみると、なんだ、ずっとその繰り返し。腕を一回転するにもそれをせずには回らない。(先に胸郭の動きをやってから腕が動く、ということ。)息で、息を吹き込み引き戻すことで、身体は動いていた・・・細胞の伸び縮み・・・当たり前なのに衝撃的なのは何故?

 

 肋骨の上を拡げて下を絞る・・・(息を入れて胸郭広げ、肋骨の下側を絞って吐き込む時には胸郭を閉じずに胸骨を胸椎の方に押して両脇が膨らむようにするのがコツ→こうすると横隔膜を下げたまま吐き込める→実は胸には空気を含んでいる、だから”含胸”では?)

 

 ポンプのような身体。どこかで見たような。

 

 胸郭をポンプとしてつかって息を腹に落とし込むと丹田ができる(→仁王像)。

この中に2枚、間違った例がありますが、すると、表面の筋肉を鍛え過ぎて内側のポンプが機能しなくなる。見せるだけで使えない身体になる。

 空気を入れると背中側も膨らむことに注意。

 

 実は太極拳だと肉の質は水泳選手に近くなる(太極拳している時に、このまま水の中に落とされても浮くんじゃないか?というような身体が理想。馮志強老師は、太極拳は地上での水泳である、と言っていたけど、本当にそのようだ)。ブルースリーのように肉は割れない。

 が、水泳選手のように上半身を大きくしない。魚と違って地上に立たなければならないから足裏が決定的に重要になる。

 

 足裏から胸への逆流ポンプも必要→仁王像の下半身に近い。が、ジャンプや、素早い動きもできなければならない。実際問題、仁王像のように突っ立っているだけでは困る→ブルースリーの下半身

 息は足先まで吹き込む。

・・・なんて贅沢!(苦笑)

 

 ともあれ、結局は、息!(そのためにいろんな練習をしています。)

2019/6/27

 

 三匹の動物を連れて海外に行くのは手続きがとても煩雑。

 犬に狂犬病の注射が必要なのは当たり前にしても、猫にも必要で、それも1か月空けて二回、その後しばらくして抗体検査がある。

 うちは車がないから、一匹ずつ運ばなければならない。一匹当たり3回獣医通いをしなければならないから、累計9回の往復。3匹まとめて運べれば3回で済むのに・・・。

 そこで先日猫2匹入れる大きさのゴロゴロ引っ張るキャリーケースを購入した。

 フランス生まれで日本に連れて帰ってきた虎猫モモは13歳。私が生後2週間もたたない頃に家の近くで保護した子猫のミーは今や4歳。私がマイフェアレディ―のように育てたので一見貴婦人のように見えるがDNAは野良なので野性的。家の中のヤモリやクモの死骸はすべてミーの仕業。

 以前、モモと一緒にフランスから連れて帰ってきたキングのような雄の黒猫が健在だった時は、この雌猫2匹の関係はそれほど険悪ではなかった。いや、モモはミーのことを面白くないと思っているようだったが、まだ子猫だったので知らんぷりしていた。が、黒猫が癌で逝ってしまった後、ミーはモモを相手に攻撃を仕掛ける遊びをするようになった。もともとフランスチックなのんびりした気性のモモはミーの遊びが遊びとは思えない。本当に攻撃をされていると感じて真剣に唸り防御にはしる。こうしてモモはミーを避けるようになった。ミーが食卓に来るとモモは食卓から退席、ミーが寝室に来ればモモは扉から出ていく。

 それなのに、私は2匹を無理やり一つのキャリーケースに押し込んで獣医さんへとゴロゴロ15分引きずっていった。その間、野性のミーは絶え間なくギャーコギャーコと叫びちらすものだから、道行く人も私の方を見るし、道すがら野良猫までもが後ろを付いてくる。病院でもギャーコは止まらず、他の人達が苦笑いして、元気な猫ちゃんですね、と言ってくれる。そう、他の飼い主たちは自分の愛猫や愛犬が病気で苦しんでいるから来ているのだ。なんだか申し訳ない気がした。

 さて予防注射、とキャリーケースのジッパーを開けたら、モモは亀のようになって全く動かない。大嫌いなミーと一緒に閉じ込められて無になってしまったのだろう。かわいそうに・・・。

 

  あれから10日間を経て、モモの抗体検査をしなければならない日がきた。フランスに入国するには狂犬病の抗体検査は必要ないが、日本に戻ってくることを考えると先にやっておいて数値をクリアしておいた方がよい。(ミーに関しては、手順を間違えてマイクロチップを入れる前に第一回の予防接種をしてしまったために、検疫所の方から第二回目の予防接種と同日に抗体検査をするよう言われたので二匹一緒に運んだ日に済ましてしまっていた。第二回目の予防接種から10日以上たたないと抗体価が上がらず検査をクリアできない可能性があるのでやりたくない、という獣医を説得。規則ですから・・・・と検疫所。)

 

  一昨日、モモの抗体検査の日に老犬アリの狂犬病注射を一緒にすれば、一回の往復で2つの仕事ができると計算して、二匹をキャリーケースに無理やり詰めた。ミニチュアシュナウザーの老犬アリは中型犬。そこに猫をいれたら、布製のソフトなキャリーケースがパンパンになって、手を離したら横転してしまった。けどそれでも行く!と決めて玄関を出発。しばらくズンズン進んだら、次第にバックの引手が軽く感じるようになった。車輪の滑りが良くなったかなぁ~、なんて思ってネット越しに真っ暗なケースの中をよーく覗いてみたら、あれ?、モモがいない!顔の血の気が引いたようになって即家に引き返した。モモは隣の家の庭で避難いていた。もう暫くは私を信用してくれないのは必至。外では猫は捕まえられない・・・、とその日は断念。

 

  そして今日。

 今日こそはモモを連れて行く、今日行かなければ間に合わなくなるかもしれない、と朝から心の中で繰り返し、その心の声をモモに悟られないようにと怪しげに見えないように努力をする。外に出したらもう捕まえられないから、家の窓は閉めて、淡々と出かける準備をした。

  いざ獣医さんへ♪

   

 <以下、LINEで友人に送ったメッセージ>

 

  今日こそモモの抗体検査に行かなくては、とキャリーに入れていざ出発!と歩きながら、やはりアリを入れた時と重さが違う、モモちゃん軽いねぇ〜♪  なんてゴロゴロ歩くこと数分。階段でキャリー持ち上げた時に、あれ? と、中見たらいなかった。

 

  うそ、また脱出された〜

と急いで家に帰ってモモ探し。

かなり探してベッドの下に潜っているのを発見。が、手が届かない。

今日連れて行かないと間に合わない、人間ナメるなよ〜 、おりゃーっ!

とベッドひっくり返してモモを引っ掴む。

キャリーに押し込めようとしてまた格闘。入りたくないモモの爪が私の腕に突き刺ささってる〜

 

 

  が、絶対に行く、それも12時までに、と覚悟を決めた私は非情。そんなの構わず連れて行ったのでした。

 

  

  モモに負けない!

2019/6/23

 10個の要領、注意してみると物凄い拡がりがある。
 先人はその一つ一つの解剖学的、生理的、医学的な根拠を知らずに感覚的に捉えていたのだろうが、今では様々な"身体論者"が同じことを理屈で説明してくれている。
   生徒さんが貸してくれた 藤本靖さんの『身体のホームポジション』。
   あらあら、あー、そうだったの....と太極拳が別の角度から理解できる。先人の呪文なような言葉が解読できてしまう。太極拳しか練習していない人にはできない説明....目からウロコ。
  例えば第四章の『口を緩めて内臓空間を開く』。
下顎の緩みが身体の緩みにつながること、上顎のドームを拡げる重要性、が説明されている。
  なぬ?
  これが④⑤の要領の意味、そのもの。
  それを知らずに歯を合わせても、舌を上アゴに付けても意味なし!
   なぜ、発勁の時に、ハッ! と言って咄嗟に舌を下げるのか、それも納得。
  虚霊頂勁ができている太極拳の先生は驚くほど少ないが、これは筋膜を緩めてテンセグリティが現れた時の一つの現象。それにはプラスマイナスの皮膚感覚が決定的に重要になる。何も相手の勁を"聴く"のは推手の時に限らなかった。いや、推手で皮膚感覚の訓練をしていたんだ....ここから究極的にはGrace(神からの恩寵)へと自然に進んでいくのだろう。
  なぜ太極拳が悟りへと向かう一つの修行法になり得るのかがまた一つはっきりした。
  松も皮膚感覚のプラスマイナスの釣り合い、かなぁ。 
  この本を太極拳的観点から読めば、全ての論点が一つの点、丹田、に集約できそう....  全ての論点は丹田に結び付けられる。雑多な知識を覚えるのではなく一点集中させるのが"使う"コツ。

 

 

2019/6/13

 

  どうやったら脳の圧を抜けるのか?

 そんな質問をビデオレッスンの生徒さんがしてきた。

 

 脳の圧を増やすのは簡単?脳の血管が切れるような身体の使い方を想像してみるとよい。顔を真っ赤にして怒った状態、トイレで踏ん張った状態、頭に血が上って顔が赤くなった状態だ。これはとても身体に悪い。脳梗塞、脳溢血、脳卒中、みな脳の圧が増えた結果起こる。精神病患者も脳の圧が高そうかなぁ、みな足が浮いている。足元がどっしり頭がスッキリ、は健康体。千鳥足に赤ら顔は万病の元。

 普段私達は脳の中でああでもないこうでもない、と煩くヒートアップしているから、一時その働きを止めて脳の圧を抜くと、思った以上に腹に気が落ちる。脳の松。身体中をパトロールして松できるところを松していくと一つ松すればその分だけ腹の気が増えるのが分かる。そのくらい私達は日常生活では身体の周辺を使っている。

 

 冒頭の生徒さんの質問を受けて、グループラインで私とベテラン生徒さんが書き込みをしたのを少しここに載せます。(全文は仲間のページに貼っておきます。)

 

  <延> 日曜に引き続き、昨夜は高速で10の要領の説明をしました。

で、今日、Hさんからこんな質問。

    グループラインに書いてあった脳から力をスッと抜く方法とはどうしたらいいのでしょう?

 

<K> 百会を開ける、かな~?

        より、繋げるかな~?

        私の場合、目をつぶって目と耳繋げて喉開けたら自然と脳の力が抜ける気はしますが。

         脳の力抜けないと、百会が開かない。

          鶏が先か、卵が先か

 

<延> Kさん、さすが!

         私が自転車ヘルメット型の脳の力を引き抜く話をした時に、試してなるほど~♪と手ごたえを得たようなのは、日曜のほっちさんと火曜の穂刈さんでした。(他にもいたのかもしれないけど私の視野には入っていなかった。)

         目と耳つなげて喉開ければ(➀~⑤)、気がすっと腹に落ちるとともに頭頂が涼しくなる。

 

<K>「拳理」のお話は、タントウ功するとき必然の話で、このタイミングでこのお話が聞けて、良かったと思いました。

        まだ自分の場合は、一つ一つ身体の中を確かめながらやる必要があるけど、劉先生とか北川先生とかのレベルだと、立った瞬間でこの10の拳理をクリアするんだろうなぁと想像しました。

 

その後、質問してきたHさんから喉を開くのが苦手かも、とメッセージがありました。

 

がKさんがあまりにもうまくまとめてくれた要領。目と耳を合わせた後、"喉を開く(④と⑤)"のがとても大事です。

これができないと腹に気が落ちないし脳の圧が減らない(百会が開かない)。

 

 腹話術の彼女の喋り方の真似をしてみると喉の要領がはっきりします(私ははっきりしました! 目からウロコ♪)

 

<K>

目と耳を「水平に」合わせるのがとても大事

喉を開けるには舌で上顎を軽く押すのと頸椎が首のどこを通っているのかを意識

さらに頚椎がどう頭蓋骨と繋がっているかを意識

この時百会も意識

「喉」は当然頚椎の前にあるのを意識

すると喉が開くと思います。

  喉は肩とも繋がっていますね!

 

<延> すごいですね。

私の代わりにブログ書いてもらいたい....

 

  というか、私以外の人が説明できると他の人の助けになります。先生の説明より先輩の説明の方が分かりやすいことが多々あるので。

 

<K> 私は耳鳴り持ちで、耳鳴りは、耳というより頭蓋と関係があるだろうと思っていたので、タントウ功中、頭蓋の要領を自分なりに探っていたのが役に立っているかもしれません。

 

< 延> そうですね。が、やはり毎日練習を続けているからだと思います。ただ頭の中で原因を探っていたらこんな理解は不可能。私も驚きの進歩。

 

 

 

2019/6/12

太極拳を学ぶ者なら知らなければならない身体の要領。
虚霊頂勁から始まり上から下へ。
今までは 沈肩墜肘 含胸抜背 塌腰 松胯 圆裆 とか適当に覚えていたけど、こうやって改めて10個通して検討してみると、最初五つが頭部、上丹田の要領であることに驚いた。
生徒さん達に一つ一つ要領を試させてみる。案の定、皆、一語一語、その漢字の示す意味が分かっていない。だからこそ解説する意味が出てくる。経典を一人で読んで全て自明の理ならばその人はもうそれをクリアしている。読む必要はないのだ。読んでも今ひとつ分かりそうで分からない、掴めそうで掴めない、そのレベルの人にこそ解説が意味を持ってくる。あとひと押しの人。
私の生徒さんのレベルはまちまちで、それを一緒くたに教えているから特に初心者の人にはチンプンカンプンのことが多い。でも中に混ざって踏ん張ってきた生徒さんは進歩が速い。分からないなりにどこかに記憶が残っているのか何なのか....強い部活で練習するといつのまにか上手くなるのに似ているかもしれない。
で、虚霊頂勁は実は⑩までできて初めて分かるものだから最初は深く追求させずにヨガのチャクラで2つだけ体外にあるものが、道教系でいう、虚と霊だということだけ話しておいて次に進む(精→気→神→虚→霊)。
次の、②両目平視内収、ここで、両目で平に視るとは? 平ら、まっすぐ? とやらせてみる。その時、目は耳と水平、という別の言葉を知っていれば簡単。だけど、普通私達が真っ直ぐに見る時は斜めになっている。小さな子供の眼差し、卓球でボールを打つ時の目の要領、座禅で鼻の頭を見る要領....全ては眼を上丹田(視床の方)に引き込むようにして行われている。だから平視すると内収になる。
③双耳封閉とは? これは静かな自然の中でタントウ功をする時に、両耳を澄ます、と言う要領と同じだ。耳を塞ぐのと耳を澄ますのとなぜ同じなのか?やってみれば、なるほど、と分かる。
②にしても③にしても、どうしても分からなければスルーさせる。まだ分かるレベルに達していないので、他の練習をしながら、いずれ、なんだ、このことだったのか〜、と感動する日が来るのを待つ。
④と⑤の要領も決定的に重要。
下の動画の女の子が完璧にやっている。(日本語の発音の口、顎、舌の使い方と真反対!)
今回教えていて、頭部の要領が決まらないと丹田になかなか気が落ちないことを発見。逆に言えば頭部の要領をクリアしただけで(直立のままでも)そこそこ丹田に気が落ちる。中でも、脳の圧を抜いて空にすると一気に腹が膨らむのにはびっくり。

 

 

 両眼平視!

 

 中づり広告の平野美宇ちゃん。

2019/6/9

 

 明日の坐禅のクラスに備えて師父の口からすらすら出てくる静功の要領を書き留めておくことにした。

 ➀虚领顶劲

   ②两眼平视内收

   ③以意封闭双耳

 ④牙齿微扣

 ⑤舌抵上颚

 ⑥沉肩坠肘松腕垂指 

 ⑦含胸拔背塌腰

 ⑧会阴上提

 ⑨曲膝圆裆松胯

 ⑩十指微扣

 

 タントウ功は➀から⑩。 坐禅は➀から⑧。

 

 今更ながら、あるレベルになったら坐禅なしの練功は考えられない。脚の勁を通すにも坐禅は必須。が、坐禅のすごさが分かるにはタントウ功以上に時間がかかるのかもしれない(少なくとも私はそうだった)。坐禅をしている人としていない人は顔を見れば分かる。同じ武術家でもただ腕っぷしが強く粗い人もいれば、修行僧のような静かさと鋭さ、内面の深さを湛えた人がいる。武術を一つの修行の道と捉えれば、ヨガ行者や僧侶が必ず行う坐禅がマストなのは納得がいく。

 

 師父から、順は養う・・・静功は順で周天(任脈上がる、督脈下がる)。

             武術の時(気を使う時)は逆になる。

2019/6/3

 

  腎の開合が分かると丹田呼吸の理解も深くなる。

 臍と命門と両腎、これは帯脈の高さ、中丹田の中の更なる区分け。

 中丹田を活性化させるにはこの中で開合をさせなければならない。

 通常は自然な呼吸で待っていればいつの間にか開合してしまうのだが、あまりにも正しい姿勢を意識し過ぎて入静できないと1時間立ち続けてもその自然な呼吸が現れてこない。

 松しろとは、頭の中も松しろ、頭の中を空っぽにしろ、ということなのだけど、頭の中で、ここはこうして、ここはこうしなきゃ、と考えているうちは自然な呼吸にならない。姿勢を調えている段階はあくまでもタントウ功の準備段階。どれだけ早く準備段階を終えて本段階=入静状態に入れるかがタントウ功の質を決める。(坐禅も然り。楽に坐れるようになって初めて本当の坐禅が始まる。)

 

 とはいえ、毎日身体や精神状態は異なるので、いつも同じように簡単に入静状態に入れるものではない。そういう場合には自分で気を導いたり、内功をしたりして、本来の気の状態(上虚下実など)へと自分自身を導いていく。

 同じ動功でも所謂腰回しをするのか、それとも中の気を回すのかで外の練習になるか内側の練習になるか変わってしまう。内外双修といって、筋肉や骨などの外側も動かさなければならないし、内側の気も動かさなければならない。内気だけ練って外側の練習を怠ると俊敏な動きができなくなる。スジも伸ばさねばならない。股関節や肩関節も開くようにしなければならない。身体の可動域が減らないように毎日広げなければならない。その一方で開いてもスカスカにならないように内気を培わなくてはならない。

 

 スポーツ選手は若い頃は内外共に一般の人達よりも優れた状態にある。(だからスポーツ選手になる。)が、スポーツをやり込むと、往々にして外を傷め、内側を消耗する。とても注意してやらなければ結局一般の人よりも身体を悪くしてしまうこともある。小さい頃から身体の弱い人が健康に留意して無理をせず暮らしていたら結局長生きして、身体に自身のある人が無茶なことや不摂生をして早々に身体を傷めてしまう、というのもよくある話。生まれてきたときに携えてきた命のボンベの大きさ(気の量)は人それぞれ。大きいボンベだからといって見境なくバンバン消費していたら早く無くなってしまう、そういう単純な話。

 

 臍と命門、命門と両腎の関係、その開合についてはレッスンでは説明しましたが、皆がどれだけ理解できたかは不明。図にしてみると良く分かるかもしれない・・・また気の向いた時に描きます。

 

 

2019/6/3

 

 以下は今朝のグループラインへの投稿。

 前丹田、これが中丹田の中の一番前。臍近辺の丹田。腎は吸う。

 二路で連打の練習をするようになると吸った息で打つようになる。そのためには丹田に気の蓄積が必要。

 みまちゃんは吸ってパンチしているんじゃないかと思います。(ボクシングのトレーニングをしているようだし。)後で調べてみよう♪

 

 <私>昨日の伊藤美誠ちゃん、丁寧との試合凄かった。その後準決勝で負けちゃったみたいですが。

  みまパンチ☆ まさにその名の通りのスマッシュが凄い。前丹田の賜物。

  昔の日本の卓球選手にはあり得ない打ち方。(たまたまそうなってしまうことがあったにしても故意にはやらなかった。)

 

<私>順足....

  この打ち方は私が中学生の時北京で中国のコーチに指導を受けて当時びっくりしたもの。当時は逆足で打つ(右利きなら左足前)のが鉄則。腰の回転で打っていたからそうしないと足を戻して次の打球に備えることができない。

 この打ち方を日本に戻ってやったら先生に怒られるなぁ、とその時思った記憶があります。

 

 この打ち方に納得がいったのは太極拳を学んでから。なんだ、こっちが太極拳の基本じゃん♪と。

  が、そのためには腰の回転に頼らない前丹田の爆発力が必要。

<卓球部先輩>

  呼ばれて久々に登場(笑)

  準決勝ワンマンユ戦は徹底的に・単調にバックに集められ多彩さ発揮できず

 

<私>

 美誠ちゃん若いから丹田の充実感がしっかり。帯脈が見て取れる。年配の丁寧はそこが既に弱いかなぁ。技術力やその他の力でカバー。

  準決勝は相手の戦略勝ちかな?

<卓球部先輩>

   ミマ、ゴムまりみたいよね。 それこそ丹田力の現れ。

   丹田の気の量が多いと弾力が出る。

   以前劉先生に、太極拳で一番大事なのは重さ?速さ? と尋ねたら、迷わず"弾性"と答えて意外に思ったことがある。今はそれがよく分かります。

   拘束丹田だけだと身体は硬くなる。拘束丹田と自由丹田、行ったり来たり、丹田の吐く吸うの繰り返し、開合....太極拳が開合拳と呼ばれていた所以。

2019/5/31

 丹田の感じさせ方はいろいろあるけれど、一番手っ取り早いのは対練。手を合わせて丹田の位置を見つけられるように調整してあげて、丹田の位置に力が集まった時に、そう、そこが丹田ですよ、と指摘してあげること。
  誰だってそこに力を集められるし知らないうちに集めたりしているのだけど、通常は無意識に行なっているから頭では分からないだけ。練習中、たまたまそこの力を使っているその時に、そこが丹田と俗に言われる場所ですよ、と教えてあげて、本人が、ああ、ここなんだ....と(頭で)認識する。そんな作業を何度も繰り返しているうちに、次第に一人でも、指摘されずとも、場所が自分で分かるようになる。

   丹田はそこに気を集めて始めて認識できる場所だから、そこの気を使っている時にしか認識はできない。しかも認識しようとしないと認識できない(意が必要)。別に丹田と言う恒常的な場所があるわけではなく、そこにエネルギーが集まった時にその集まった場所を丹田と呼んでいる。もちろん練習を積めば常に丹田にエネルギーを集めておけるように癖がつくから、マスタークラスの師はいつも丹田の気が充満している。驚かしても動揺しない、地震が発生してもビクともしない、そんな不動心が現れる。それまでは長い道のりで、練習で丹田に気を集める要領を掴んだら、歩いても座っても立っても寝ても、丹田に気を集める練功に励む。

   師が弟子に教える功法は生徒に教えるものとは異なる場合が多い。テキストには書かれていない、独特な方法を使ったりする。師の弟子に対する要求、期待は生徒に対するそれよりも当然高い。
   今回劉師父が教えてくれたタントウ功は、全てを諦めて気を落とし切ってはじめるナス型のもので、これは私の生徒さん達にとってはかなりキツイもの。最初の、諦め、松、がなければスタート時点に立てない。
   立ってそこから緩めていくと、座り込んでしまわないように私達の身体は無意識でいろんな場所にしがみつく。
   どこにしがみついているのか、それをよ〜くチェックしてその箇所、そして更にチェックして次の箇所、と、順番に一箇所ずつ力を抜いていく。これが松の作業。抜いていった時に最後に残るのはどこ? 
   ここで、丹田! なんて答えたら、それは頭で答えてる。自分でやってみて松しきった時、どこにも引っかかりのない時に自分の身体の中を観察してみるといい。丹田なんてあるかなぁ?

  ( 太極拳で言うところの『松』は仏教で言うところの『捨』と結局同じこと....先日そう師夫に話したら強く同感、とのことでした。)
2019/5/26

 教えるのに精一杯で全く書く気がしないのだけど、全て忘れてしまう前にメモ。パリに行ってからの方が書く時間が取れるかなぁ。

 ①昨夜生徒さんから来たメール
 股関節の松(緩めること)を試行錯誤しているうちに、丹田がないと松できないのではないか? と思い出したとのこと。
   
 『もしかしたら丹田の気がないと松できない!?
その気が内から広がって緩めているという感じもあるのですが、合ってるのでしようか?
松は外からゆるめることではないのではないか?』

   普通は松することで腹に気が落ち丹田ができる。松→丹田。
   では 丹田→松 はどうなのか?

   ふふふ.... 生徒さん達に尋ねてみよう♪

② 圧腿で学ぶこと

    巷の圧腿はただスジを伸ばしているだけでは? 頑張りすぎると太ももの付け根のスジがブチッ! となるかも。
    今回師父に詳細に学んだ圧腿は目から鱗。
これで太極拳の脚の使い方がはっきりした。
  脚は突っ張って使う!
  だから弓歩で重心移動するにも蹴り足の力のみで動くことになる。前足の力は使わない。
  よく見れば犬も馬も動物はそう歩いたり走ったりしている。先日のアンミカ先生のパリコレ塾でも、ウォーキングの審査をしていて後ろ足で歩けている人は2人(本当にきちんとできているのは1人)だけだった。二流モデルでは無理かもしれない....というのは、アンミカ先生が何度も口にしてする体幹、太極拳で言うところの丹田が必要になるから。
  が、それには実は命門を開く、すなわち会陰の引き上げが決定的。これ無くして体幹や丹田はできない。
   圧腿がちゃんとできれば、片足立ち、蹴り技は至極簡単になる。フラミンゴや鳥のように片足で眠れないにしても、片足立ちの方が両足立ちより疲れないのが分かる。(片足立ちだと丹田の気が失われにくいから。)

③2種類の丹田
  拘束丹田→吐く、開、
  吸引丹田→吸う、合

   しっかり吐いた丹田が作れないと丹田で吸うことはできない。
   丹田の気を溜めるメカニズム。
   結局、丹田呼吸。
  棒を使ったタントウ功をさせたら初心者でもその感覚の片鱗を掴むことができる。
  スポイトで水吸い上げる仕組みと同じ。最初に押し出した分だけ、そのあとじわ〜っと水が吸い上げられてくる。吸い上げた量が足りなければもう一度押し出して、再トライ....基準値に達するまで何度も繰り返してたっけ? 検尿検査を思い出しました(苦笑)

④上の2種類の丹田は実は腎の開合。
  腰兪のツボを吸うように使えれば丹田呼吸が帯脈呼吸になりそう....続きはまた。

   

2019/5/15

 

  実は師父来日中の御苑練習時に大ニュースがあった。

 なんと主人の次の赴任先が、またまたフランス、パリ!

 7月にはソウルから直でパリに移るという。

 「次はパリ・・・!」

 練習中の師父と生徒さん達にそう伝えた時の皆の驚いた顔。

 運命はなんて皮肉なほどにドンピシャなのか・・・。

 

 ここ数年、正確には3年前に黒猫の死に直面してから死に対する考え方の大きな違いで私と師父の間には大きな溝ができた。いや、師父は溝ができたとは全く思っていなかった。私一人が溝を作った。死に対する太極拳の無力さを痛感し、そこからヨガや仏教、日本の親である中国の親、まで遡って試行錯誤した。ぐるぐる回って回りきって、やっと太極拳に戻ってきそう、となったところで師父の招へいに踏み切った。

 3年間私がぐるぐるしている間に師父の功夫はさらに磨きがかかり、一度手は届かなくとも見える範囲まで縮まったと思った師父との距離はまた見えないところまで広がっていた。太極拳を教えながらも何を教えているのか分からくなるほど突っ込んでしまう私の癖で生徒さん達が大道を外してしまうのではないかと心配になり師父を呼んだことは大正解だった。武術家とはどういうものか、太極拳とはどういうものか、が生徒さんには分かったと思う。私は武術家を紹介する仲介者なのかもしれない。今は中国でも真の武術家を探すのは本当に難しい・・・武術を教える先生はたくさんいるけれども。

 

 主人がパリに赴任するということは、私はもう一度師父について学べ、ということだろう。行かなくてはならない。ニュースを伝えた時の生徒さん達の表情は行ってしまうことを察知した表情だった。師父が来てせっかくやる気に火がついたのに・・・・。師父の表情は嬉しさと共に残される私の生徒さん達に対する心配で、印象に残るほど極めて微妙だった。

 

 振り返れば2006年から2009年の三年余りを毎日師父との練習に費やし、その後帰国して教え始めちょうど10年になった。自分一人の練習に集中してオーバーホールするのにちょうど良い時期だろう。まだ教わってなかったことも学ぶことができる。

 うちの娘も来年か再来年にはパリのファッションスクールに留学することを考えていたから好都合。

 主人も激務だった韓国の任務から離れ少しはゆっくりして身体を休めることができるかも(?)しれない。

 とても意外な展開だけれども、そうでてきたなら、そうするしかない。

 

 知らせの後で犬の体調が崩れて私がいつ渡仏できるかが不明瞭になったけれども、行くべき時になったら行くのだろう。いつでも動けるように準備はしていかなければならない。

 

 ・・・と、そういうこともあって、練習のメモ的なものを書く気が湧かないまま一か月が過ぎた。箇条書きだけでもしておかないと流れてしまう。

 この一か月間の練習で気づいた点の中には太極拳の核心、松、と関係するものが多い。

 巷の太極拳で誤解されていることがはっきり分かった点

 ➀前クワを緩めるとは? 前クワの松の意味

 ②腕の松とは? 

  (松は脱力とか力を抜くとかではない。中国語で言えば 緊ー松ー懈。

  緩んでも懈してはいけない。)

 ③拘束丹田(吐いて固める丹田)から磁力のある丹田(広げた吸引力のある丹田)へ

  丹田で吸えないと気はたまらない。拘束丹田は吸引丹田を作るための準備段階。

  黒い固めた丹田→白抜き丹田 にするにも、”松”が必要。

  これが丹田呼吸になる。

 ④頭の松 検証中

 ⑤上腕と太ももの関連 これは各論

 ⑥女性は会陰を使わない(使えない)

 ⑦静功における止観法 何を止め、何を観るのか。

 

 まだあったような気がするけれども思い出したのはこんな感じ。

 

 

2019/5/9

 

  師父の来日中学んだことを整理する時間のないまま時間が過ぎている。身体で理解したものを言葉にして表すのがとても面倒くさく感じる今日この頃。

 

 師父が去ってから飼い犬の肝臓病が発覚してあっという間に容態が悪化、連休中は生死を彷徨う日が続き奇跡的に命をとりとめた。その間、私達動物の”命”、生きようとする、意思よりももっと深いところ、私達にはどうしようもない根っ子のところにあるものの身体への執着、をまざまざと見ることになり、これが仏教の言うところの渇愛、存在欲、これを断ち切るためには本当に内側の奥の核心部分に到達しなければならないなぁ、丹田はその表面の入り口に過ぎない、などと自分が太極拳を何故学び始めたのかを再確認していた。

 

 太極拳は生命力をアップすることを目標に練習するが、実はそれがいずれは如何に安穏に身体から離れるのか(如何に安らかに死ぬのか)ということにつながっていく。その道筋が見えてきたのは大きな進歩。死に向かうことに怖れがなくなれば他に恐れるものはなくなるだろう。

 

 いろんな話は割愛して、とりあえず、生命力アップにも、身体のアライメントを整えるにも、自分の内側に入るにも欠かせないタントウ功の要領をまとめた図を紹介。これは今回師父に学んだものを私が頭で整理して図化したのだが、師父に見せたら、「聡明だ!」と笑って褒めてくれた。

 このタントウ功はある意味秘伝。急速冷凍で効果を出す。きついけどやりがいはある。百会と会陰を最初につなげてしまうところがすごい。

 

  バナナはまだ気の操作をしていない段階。

  実際には真ん中のナスが第一段階。

  前クワを緩めた右のナスが第二段階。

  本当はその後に前クワを外さないで後ろのクワに坐れるところまで丹田の気が増えた段階が第三段階。ここまでいけばタントウ功は完成。

  まずは第二段階までいって、この状態で丹田に気を溜めていく。

 

  細かい説明はレッスンの時に。

2019/4/24 <檪ちゃんと手を合わせる>

 

 一昨日の櫟ちゃんとのレッスンです。

 お母様がFBにうまくまとめてアップして下さっていました。

 コメントも正確です。

 

 https://www.facebook.com/yuniko3/media_set?set=a.2194248420652707&type=3

 

 劉老師が来た時に拍打功を学びました。

 腕の力を抜いて両手をパーン!と叩く、最低300回、という単純な功法ですが毎日続ければ思いもよらない効果が出る。(瘀血が手のひらに紫になって出てくる?)

 櫟ちゃんは両手を合わせることがとても難しい。自分で自分の身体を触って確かめることができない。ので、私が代わりに彼女の掌に掌を合わせました。

 掌を合わせる、労宮はいとも簡単に丹田と繋がる。哲学的、抽象的な意味ではなく、本当に繋がるのが分かる。太極拳の防御が攻撃になってしまうからくりも防御の時に自分の手が相手の身体に触れることで丹田を効果的に使えてしまうから。労宮と丹田の繋がりがわかってしまえばいつでもどこでも掌使って自分の丹田を鍛えられます。

 

2019/4/18

 

 劉老師による弓歩の指導の一場面。 

 

 以下はこの動画についてのLINEへの書き込み

 

  劉先生の弓歩のレッスン。これも一種のタントウ功。

  まずは例によって胸を入れさせて背中を開かせる→気が腹の方に落ちる。

  その後、「お尻に座れ! 」と言ったのだけど、Oさんは身体を落として膝に乗ってしまった。先生は、「違う、違う、身体は下に落としてはいけない、気を下に落としなさい!」と指摘。

 

 そこで先生は、身体を落とした状態と身体を落とさずに気を落とした状態を両方やって見せてくれてるのだけど、画面からはみ出てしまってる!

 

  (身体を降ろすと膝に入る。)

「身体を下げずに気をお尻まで降ろすと、ここ、クワが松する。」

 というところから劉先生の弓歩の姿が映っています。

 

 これができれば前に移動しようが後ろに移動しようが問題なし。

 

 ”身体を落とさずに気を降ろす”

  これが分かってできれば太極拳の門に入っている。

 

  太極拳は門に入るまでが難しい。入門まで導くのが師の役割とも言われています。

私の生徒さんの中ではHさんが門に入ってる。その他数名が門にまさに入ろうとしているところ....劉先生の評価です。

 

 来春までに入門済者を10人は作りたい♪

2019/4/16

 

  劉師父の4日間のレッスンが終了し、今日師父は鄭州に戻りました。

 

 やはりさすがの一言。

 生徒さん達は本物の武術家とはどういうものかが分かったと思います。

 皆ものすごい集中力で学んでいました。

 師父の気場に包まれて、知らず知らずのうちに引き込まれていく。

 気の量が多い、気場が大きい、ということはそれだけ人々に影響力を与えられるということ、太極拳はただの拳を学んでいるのではなく、道を学んでいるのだということを改めて思い知らされました。

 中正不偏、中庸、太和を身体でできるようにしながら次第に心もそうなっていく。身体が心になる、身体が心である、心が身体である、それがどういうことかは(頭で考えると分からずとも)師父に接するとこういうことなのかと理解できたのではないかしら? 

 別れ際に涙ぐんでいる生徒さんもちらほらいました。

 

 毎日やらなければならない練習を師父は何度も繰り返し繰り返し私達に言いました。

静功、坐禅、タントウ功、拍打功は特に強調していた功法。

 

 師父との練習についてはまた書きます。

 

2019/4/9

  林先生の初耳学でパリコレ学をやっていたとは。
それを知って娘と第一回から見ていく。
  アンミカ先生の熱血指導、コシノジュンコも現れ、富永愛も加わる。
  そして2/3放送分、富永愛がポージングのお手本を披露。
  息を呑む美しさ。
  「ピタリと止めるところは止める。そしてあの指のしなやかさを見ましたか?」
   とアンミカ先生が興奮気味に生徒達に言う。
 
  そう、あの手、指、は丹田の賜物。
  手首は松、そして指は 垂指。
 
  丹田力がものすごい。
  上丹田までびったり。
 
  ここまでピッタリ入っているのを見ると一般の雑誌のモデルが素人にしか見えない。
 
   説明はいずれ。
   身体の力をどう内側(丹田)に引き込むのか、とても勉強になりました。太極拳の先生でもあそこまで引き込めている人はなかなかいない。私もまだまだだ。
  <この富永愛さんのポージングの動画を生徒さん達に紹介した後のLINEへの投稿>
 モデルが額の目の力を鍛えるという話はとても参考になりました。
 "凝神聚气" という言葉が浮かびます。
      凝神(眼を引き込んで上丹田を鍛えると) 聚气(気が集まる)。
  静功の時は目を軽く瞑りますが、丹田を内視し続けることで密かに凝神をするべきなのでは? と今さらながら思いました。
  動功やトウロの時は目は瞑るべきでない、目線が決定的に大事、とは知っていたしそう教えていましたが、肝心なのは”凝神”だった....
  劉先生来たら観察してみて下さい。
  

2019/4/5

 

 昨夜海外の生徒さんとビデオレッスンをしていてまたまた驚く言葉を聞きました。

「先生、とは言っても、太極拳は膝の裏を伸ばしてはいけないんですよね?」

 弓歩、重心移動の話。

 えっ? 

 

  そういわれてみたら、彼女が現地で習っている楊式太極拳以上に私の練習している混元太極拳の人達にわざわざ後ろ脚(蹴り脚)の膝の裏を曲げている人が多いような。

 

 

 馮志強老師の真似?

 

 丹田の作り方とも関係あるけど・・・説明はまた今度。

 

2019/3/31

 昨夜書いたブログ、師父に写真を見せながら話したら、お尻に坐ってるか否かの問題、と一言で済まされてしまいました。
  確かに。随分簡単(苦笑)

2019/3/29 <”膝はつま先より前に出ない”≠”膝をつま先より前に出してはいけない”>

 

 今日の練習でびっくりしたこと。

 恐らく日本の太極拳界に蔓延している大きな誤解・・・

 

 私が生徒さんの弓歩の前足を形を直していたら、その生徒さんが一言、「でも、先生、膝はつま先より前に出てはいけないのですよね?」

 そう、その通り。だから直しているんだけど・・・・

 彼女の弓歩の前足は、膝の上の太腿の筋肉を固めて体を支えている状態。これでは上半身の力が足裏に落ちず太ももの筋肉だけで体重を支えてしまい、内側の勁がつながらないので脚と腕が全く無関係になってしまう。太極拳の醍醐味が全く失われてしまっている。膝や股関節を傷めてしまうのも時間の問題。

 ・・・と、私が彼女の膝の向きを少し外側に向け、膝裏から彼女の膝を前方に推し出そうとする。すると、「いいんですか、こんなに膝を出して・・・?」と恐れおののいた表情。

  いや、大丈夫。どれだけ深くしゃがんでも膝がつま先より前に出ないのが太極拳の下半身の使い方・・・と心で思いながら彼女に深い弓歩をさせていく。

 「えええ~~」と言いながら彼女の姿勢が低くなっていく。彼女は以前全国展開している××連盟の太極拳を習っていたからそこで叩き込まれた掟に背いてしまうのではないかと気が気でない様子だ。

 そして、私が彼女に尋ねてみた。「どう?膝がつま先より前に出てるかしら?」

彼女が自分の身体を確かめる。「いや、ここ(太ももの裏側の付け根)が伸びていったから膝は出ていません。」

 

 ここで気づいた。

 彼女は膝をつま先より前に出してはいけない、というルールに従うために、(上から見て)膝がつま先にくる直前で膝(太もも)を止めてしまっていた。

 あ~、そんなことをしたら、身体にブレーキがかかって膝上に過剰な負担をかけてしまう。一生懸命太極拳を練習すればするほど太ももが太くなるか膝や股関節が悪くなる(両方とも起こる)のはそんな不自然な力の使い方をするからだ・・・と納得。

 

 「膝がつま先から前に出ない」

 というのは、「膝がつま先から前に出ないようにその手前で止めましょう!」という意味ではない。

 それは、「どんな姿勢でも(タントウ功でも深い弓歩でも馬歩でもしゃがんでも震脚でも)身体が太極拳的に正しく使われていれば、膝がつま先より前に出ないような使い方になる。」ということだ。

 結局、膝がつま先より前に出てしまうというのは全身問題で、丹田を作って腰や股関節の使い方を調整しなければならないということだ。

 膝がつま先より前に出ないということは太もも(前側を特に)固めない、伸筋として伸ばして使う、ということだ。会陰がしっかり上がって両脚の付け根が腹奥にあり、それが腰(命門)と結びついていれば、深くしゃがめばしゃがむほど骨盤の中の両脚の接点が上方に持ち上がるから(会陰が更に上がるようになる)、太ももは付け根に向かって長く伸びたようになって結果として膝はつま先より前に出ることはなくなる。両脚の付け根が腰と結びつかないまま弓歩や馬歩をすれば、力が身体の中に向かって引き上がらず、逆に体内の力が両ひざの方に落ちて抜けてしまうようになる。

 しゃがんでいく時に前面の太腿がギュッとふと短く収縮したら、たとえ”膝がつま先より出てしまう”前に動きを止めたとしても、それは”膝がつま先より前に出てしまう”動きに他ならない。

 

 中国語は一見自動詞か他動詞か分からないことがある。

 『松胯曲膝』

 も、”クワを松して(緩めて)、膝を曲げる” 

 と読んでしまうと大半の人は大失敗してしまうだろう。

 ”クワを松すると(緩めると)膝が曲がってしまう”

 と読むべきでないかと思う。膝を曲げる、と曲げに行った時点で、丹田の感覚を得て内気を養い使う練習をすることは不可能になる。

 

 膝はつま先より前に出ない

 という要領を馮志強老師の本で見たことがないのは、そんな外形の話はしなくとも、丹田を作ってそれを失わないように動けばそうなってしまうから、だろう。

 正確には、”(丹田を失わないように動けば)膝はつま先より前に出ない。”

ということではないか?

 決して”膝がつま先より前に出ないように動く”ではない。強いて言えば”膝がつま先より前に出ないように身体全体(腹腰クワ)を調整しなさい(できないなら気を溜めて基本功をやりなさい)”ということだろう。

 膝がつま先より前に出ないように・・・と脚で調整して動いていたら、太極拳の門には入れないどころかその前に身体を傷めてしまう。気を付けなければならない。

  

 武術大会は内功ではなく外形を見せるものだから膝に負担のかかるような目立つ派手な姿勢をとっていることが多いようだ。歳とってやるものじゃない。

 膝に負担をかけないような坐り方ができればかなりの功夫。腰と腹とクワの開きに尽きる。

 

 上の中の大会系の選手たちは膝がつま先から出ないように股関節を広げてお尻に坐れているが、丹田を作っていないため股関節に多くの負担がかかりそうだ。内功系の太極拳はともすると丹田(腹)の意識が強くてなかなか坐れない(重心が下がらず、股関節やお尻が開かない)。

  

 なお、下のイチロー選手のストレッチは究極の馬歩や弓歩。

 このように身体を使えば、どれだけしゃがんでも”膝はつま先より前に出ない。”

・・・・お尻のはっきりとした割れが印象的。

2019/3/28

 

 やっと胸、小胸筋の使い方が分かってきた。含胸がないと立甲(肩甲骨が立つ)しない。含胸と力行で胸、肩、胸郭が決まる。

 ・・・と師父に報告をしたら、「じゃあ、そこの動きは・・・。」と少し考えて、この馮志強老師の動画を見れば良く分かるから、と勧めてくれたのがこの動画。

 

 馮老師はいつも手がぶらぶらしていたけど、それは胸や肩がきちんと決まっていて肩関節が自由に動くから。若い時に通背拳をやっていたこともあり人一倍肩関節が緩んでいる。肘技の名手だったのもそのため。

 が、今見ると、その肩関節の抜きのためには極めて強固な体幹、丹田、が必要なことが分かる。

そして胸郭がしっかり丹田とつながること。

 46式、炮捶の練習をすると胸郭の重要性がとても良く分かる。

 そして震脚。

 太極拳で炮捶を知らずに一路だけ練習するのはもったいない。

 以前は炮捶は女性がするのはかっこよくないと実は思っていたのだが(優雅さ、優美さに欠ける?)、教えてみると思いの外女性にウケがいい(男性にウケがよいのは当たり前としても)。

 気を溜めてばかりでなく、発散も大事。

 花見も始まる季節。春はことのほか発散が大事。こもると五月病(心身症)やら身体がだるくなる。

 ・・・がこんな炮捶の練習をしていたら小胸筋が盛り上がってぴくぴく動かせるようになってしまいそうで心配(苦笑)。

 

正しい直立姿勢を忘れてスポーツばかりしているとスポーツをしない人よりも身体のズレが大きくなる危険性は大きい。実際私もかなりずれていた。

 

詳細は省くにしても、足を揃えて正しい直立姿勢を練習(?)してみると、びっくりするほど胸を盛り上げなくてはならない。(左の図を参照)。そこから胸の気をぐっと丹田まで落とし込めば(含胸)、子供と同じような自然な直立姿勢ができる。この含胸の感じは胸をぺったんこにするのではなく、逆に胸筋を鍛えることになってしまう勁の流れだ。これまで思っていた含胸と全く違う感覚にびっくり。胸筋ぴくぴくさせる男性スポーツ選手の姿が頭に出てきて、なんだかなぁ~、と微妙な感じ。

 

 いずれにしろ、この姿勢を維持するにはずっと丹田に息を注ぎ続けなければならず、身体の中はビンビン勁が通るような感じになる。そのビンビンした感覚を失わないように更に丹田に気を溜めていこうとすると、股関節を緩めたり膝を緩めたり、身体の各所を緩めなければならなくなる。するとその姿勢はいつでも伸びて元の姿勢に戻りたくなるような構えの姿勢になる。それはあたかも猫がとびかかる前に身を小さくして気が逆立っているような感じ。

 結局、太極拳の構えをして全身の毛が少し立つかのような、全身のビリビリ感、電気感がないなら、真の構えとは言えないだろう。

 真剣で勝負する時に構えた姿、あのビリビリ感、を一人の套路練習で持たせるのは無理にしても、潜在的にそれにつながるような内側の勁の流れがある。それにはちゃんとした直立姿勢をもう一度見直すのが良いのではないかというのが最近の私の大きな気づき。

 実際に私自身が直立姿勢を見直してみたら、それに伴い腰、膝、太もも裏、足指、胸、肩、喉、顎、舌・・・と様々な部位に連鎖反応のように変化が出てきた。人体がどのように二足で立つのか、立てるのか・・・いろんな箇所の引っ張り合いが一線、一点に集約する・・・と自分の身体の感覚を感じていたら、空に飛ばす凧を思い出した。凧はどのように作ると高く舞うのか?糸のかけ方はどうなっていたっけ?・・また余計なことを考え出してしまった。

 タントウ功はまず直立姿勢を学んでからやった方が良いのではないかしら?

 

 それにしても本当に身体はうまく作られている。本来は最小限の力、最小限の意識で立ってしまえるようになっている、アライメントが正しければ。が、アライメントを正しくするのに、中身をその位置にもっていかないと、外から作ったアライメントはすぐに崩れてしまう。正しいアライメント(形、器)を教えてもらったら、そこに自分の中身を合わせて中身の感覚を覚えてしまうと、中身の方から外向きにアライメントを調整していくことが可能。そうすれば馮志強老師や子どものような柔らかい正しいアライメントができあがる。形だけ正しくすると無理をしているので疲れるし身体が硬直してしまう。そしてその中身の位置を自分で確かめて調整するのに不可欠なのが丹田。丹田の感覚なしに中身の話は始まらない(それは何故なのかが分からないけど、丹田無くしてしまうと中身の感覚がゼロになるから不思議。丹田なくして手首の”中”の感覚はとれないなぁ。)

 

 (上の図はhttps://stretchpole-blog.com/slight-stoop-causes-10410からのもの)

 正しい直立姿勢における内側の勁は子供達のジャンプ姿から見ることができました→次回に。

2019/3/27

 

 

 練習していなくても毎日何かしらに目が留まって、なるほど、と気づきがある。もうそれは癖。

 それが練習材料になってしまうのだからキリがない。尽きない。

 一週間ぶりに練習に来るともう次の話題に移行してしまっている。生徒さん達も大変・・・。

 

 ここ1週間余りの中で、うわっ、なるほど、そうだったのか・・・と思った材料で覚えていものを列挙してみよう。

 

 

➀7点を支える枕 

 youtubeを見ようとして流れた広告動画。およよ・・・肩はともかくも、肘!

 タントウ功の時にここを軽く使うんだ、と昔師父が押さえてくれた場所。調べたら三焦経の天井あたりだった。その時はそこのツボをどう使ってよいのか分からなかったが、なるほど、肘のここが決まらないと上半身、肩、首が決まらない・・・。

 待ちゆく人は歩いている時に肘の感覚が皆無・・・肘が分かっている人はある意味、曲者、ただ者じゃない。

 

 

 

  

②日本人と欧米人の頭の形、顔立ちの違い

 

 日本人と欧米人の骨盤の傾きが違うこと、日本人の骨盤は後傾しているから背骨の本来のS字カーブが少ないこと、それなのに太極拳でさらに背骨を真っ直ぐにするのはとてもおかしいこと、は知っていた。

 まずは背骨のS字カーブをちゃんと取り戻してから背骨を弓のように下に引き下げないと(抜背)、何のために背骨のS字カーブを緩やかにして引き伸ばしているのか分からない。弾力をもたせるためにやっている抜背が、ただの硬直した板状の定規のようになってしまっている。

 なぜ背骨を真っ直ぐにしなければならないのか?

 それを知らずに真っ直ぐにしている人の如何に多いことか・・・(ほとんどチコちゃん  笑)。

 本来はS字。それを真っ直ぐにさせるとはどういうことなのか?(各自考えてみて下さい。)

 

 太極拳では真っ直ぐにとは言わず弓にすると言います。その含意は?

 

 

 

 

 そしてその先の話。

 このブログを見ていたら、なんと、この骨盤、背骨カーブの違いで頭の形も変わってしまうのが分かった。https://www.cosme.net/beautist/article/2023796

 気を逆回りに周天(督脈上がり任脈下がる)させると、たしかに欧米人のようになる。

 

 順回転で周天させると(任脈上がり督脈下がる)、日本人のようになる。

 

 太極拳での攻撃に限らず、馬に乗って前に突進するとか、100メートル全力疾走、卓球で打球する時、スキーで滑走する時、などはどれも気を逆回転させる。すると骨盤でだけでなく頭蓋骨も後ろ上がり前下がりに回転、結果として目は下方に(目と耳が同線上)、顎が引ける。眉間の位置に両目が集まる(から目の焦点がきっちり合う。)攻撃系の身体の使い方。

 通常人体の気は順回転。のんびりしている時は顕著。すると前上がり後ろ下がりで、日本人のような顎が上がって目の位置が上がり後頭部が凹む頭部になる。

 気がどう流れるかによって時間の経過とともに外形が作られてくる。

 洞窟の中の水の絶え間ないしたたりで岩が削れていくようなもの・・・かな?

 

 道教で修行者は逆回転で周天させるが、それは人間の通常の回転は順回転だからそれを逆回しにすることによって時間を逆回しして赤子に戻る・・・なんて説明を聞いたことがある。

 逆回転させて若返るかは疑問が残るけれども、運動的には逆回転は攻撃系(前歯で噛みつけるような肉食系の顎になる)、交感神経優位、覚醒系、順回転は守備、リラックス、副交感神経優位、怠惰?になるようだ。

 

③ピアニストに見る気の使い方 修練度

 大師とは何かがはっきりした劉師父との会話

④子供のジャンプ 足

 

 ③④はまた日を改めて書きます。

 

 

 このような形で動いていると肩甲骨が開きやすく、肩甲骨がクワに乗って、肩こりがなくなってしまうのではないか?と思ってしまう。が、踵を地面につけると、とたん、いつもの姿勢にもどり、肩の解放感がなくなってしまう。

 地上から2階身体を引き上げて股関節を回す。そんな感じだとうまくいく。

 が、太極拳は両足が地上についていることの方が多い。その時股関節を回すにはどうしたら良いのか・・・・と、いつもの動功をやってみたら、なんだ、足の裏を地面の中に埋め込ませてしまえば股関節に隙間が空いて、クワがスルスル回転している。

 

 早速生徒さん達に、足の裏から地面に気を落とすことを教える。

 が、ほとんどの場合、足の裏に落ちているようで、足の甲で気が止まっている。

 足の甲ではなくて足の裏!

 と何度もしつこく言わないとピンとこないよう。

 足の甲と足の裏の違いがはっきり分からないと足の裏に気は落とせない。

 足の裏が鮮明に分かれば、その気が地面に潜った後戻って上がって来るところを足の裏で捉えてそれによって動くことができるようになる。

 ジャンプにしろ体重移動にしろ、地から戻ってきた力を使わずに自分の筋肉だけで行っていると身体が強張ってしまう。放松するのもその微妙な感覚を使うため。まずは足の甲まで気を落として、そこからひと踏ん張り足の裏に落とすことを学ばなくてはならない。(通常タントウ功で練習する。)

 ここにいればクワはスルスル回転する。

 この状態はあたかも地下一階に降りたような感じ。

 結局、二階か地下一階で動かないと関節は回らない。グランドフロアーで動くことはご法度なのだと理解(これを劉師父に語ったら、そんな風に考えたことはなかったと苦笑いをしていた)。

 

 二階で動くのがクラッシックバレエやベリーダンス。そもそもは天に届こうとしたり、天や神に捧げようとした踊り。

 地下一階で動くのは、タンゴやランバダかなぁ。下に落ちて動くと、クワとともに臀部が回る。

お尻を強調するなら地下一階?

 

 なお、ハイヒールを履くのは二階に上がることになり腰の可動域が増える。が、その分腹の丹田がしっかりしていないと腰を痛めてしまう。

 

 冒頭の絵は馮志強老師の言うところの18の球のうち胴体部分のもの

 二階に上がると腹、腰からクワが回転。

 地下一階だとクワから臀部、脚(膝、足首)が回転する。

 二階から地下一階まで通してしまえば、腹腰(丹田)から足裏までが貫通し、太極拳の要の下盤は完成する。(18の球のうちの胸と首に関しては頭蓋骨の回転の話題を書く機会があればその時に。周転は頭蓋骨の回転をもって完結すると最近体感したばかり。)

 

 ランバダってどんなかったかなぁ?と写真検索してみました。地下一階系はお尻や太ももを強調するなぁ。

ハワイアンはどうだったかなぁ?、と見たら、踵外してた。二階系。

2019/3/22 <胯の回転、二階か地下一階か、虚歩の意味、足の甲ではなく足の裏

 

  その後クワを盛って肩甲骨とつなげることを生徒さん達に試してもらいながら、いろんなことに気づいてきた。

 

 クワ(股関節)を回転させるには、まず股関節、即ち、太ももの先端の円い骨と骨盤の接触するところに隙間を空けなればならないが、ここに隙間を空けるための一つの方法が虚歩、即ち、踵を浮かせることだ。隙間を空けずにゴリゴリ関節を擦り合わせて使ってしまうと当然関節が痛んでしまう。年寄りになって股関節や膝の関節がダメになってしまうのは隙間を空けておくために身体(内臓)を引き上げておく力(会陰の引き上げ等の力)が減ってしまうから。 

 武術には虚歩というすばらしい歩法があり、これを使えば股関節がスムーズに使えて素早く動けるようになっている。踵を両足とも上げてしまうと身体が不安定になってしまうところを、片足だけ上げることによって、機敏さと安定を兼ね備えることができる。

 

 タントウ功で踵を少し浮かせたり、踵に薄皮一枚挟んだようにしておく、というのは股関節をつぶさないために有効な方法。そうすれば腰に隙間ができ、身体が固まらない。ここを間違えると硬直した石のような身体になってしまう。タントウ功で失敗するのはここ。

 

 で、生徒さん達にクワを盛って回転させる動作をさせていたら、あたかもベリーダンスのようになってきた。クワを浮かして(隙間を空けて)回転しようとすると、それに連動して腹が回転する。ベル―ダンスの時にダンサーが虚歩(片足を前に出してつま先をつけている)になっているのは、そのようにしないと腹が回らないからで、腹を回そうとすればクワが回ることになる。クワを回そうとすると往々にしてお尻や太ももが回ってクワが回らない。膝を回す時は膝の上の太腿を回しているはず。関節を回す時は関節の上の骨を回すようにするのがとても大事(肩を回す時は肩を回そうとすると腕が回ってしまう。胸から肩を回そうとすべき。)

 

 (ベリーダンスのイメージが浮かばない人は下の写真をご覧ください。)

 

 

 太極拳は二階も地下一階も合わせてやる・・・そして全身を一つの気で包んでしまう。

 ”大気は大師の印” ・・・・これについては次の独り言に書こう。

 

 

2019/3/18 <胯と肩甲骨の連結←胯の回転←胯を緩める←胯に空気を入れて盛る?>

 

 <昨日の練習後のグループLINEへの投稿>

 

今日の練習の要点は、後ろの股関節(後ろの胯kua、お尻の上部。)の上に肩甲骨を乗せ、後ろの股関節の回転で肩甲骨を巻きつけて腕を使うことでした。

自然にできてしまうのが望ましいですが、少し意識した方が良いかと思います。

 

クワ(股関節、骨盤)と肩、が合う、というのは大事な太極拳の要領。

股関節を使う、股関節に乗る、というのは感覚的にはお尻の中を使うこと。関節を回して身体を動かせば関節は痛まないが、関節と関節の間の骨から動かそうとすると関節が傷んでしまう。筋肉の太いところから使わずに関節に付いている筋肉のスジから使うような細かな意識が必要になります。

 

股関節、お尻がよく使えているのは馮老師と陳項老師。お尻(クワ)と腰のつながりが幼児並。

 

  赤丸の部位に注意して動画を見ると身体のバネ、柔らかさ、力強さがよく分かる。

 

  馮老師を見てから普通の老師を見ると違いが一目瞭然....見えるかしら?

 

 

お尻(クワ)から動かずに太ももから動くと膝でつっかえてしまう。中正もとれない。

 

馮老師の場合はどこでもまっすぐ。

https://reraku.jp/studio/ariokashiwa/blog/38056
https://reraku.jp/studio/ariokashiwa/blog/38056

 

 

 

巻き上げるのは中臀筋位置https://reraku.jp/studio/ariokashiwa/blog/38056

 

 

 

 

 

  

   練習中、お尻のパットを入れたように、なんて適当に言いましたが、調べてみたら、巷のお尻パットは盛り上げる位置が違う! 用途が違う....(苦笑)

  こんなところもっても何の意味もない....肩甲骨が繋がらない。

 

 回転させて盛るのはここ♪

 

 

 股関節回転させるには少しかかとを持ち上げてペダルを踏んで回すみたいに・・・と思ったら、あれ?自転車が同じでは?と気づきました。競輪で検索してたら、あった!パンチの前に気を丹田に溜める前の動作はこんな感じ(縮めた方を上げる?と生徒さんが面食らっていますが、太極拳ならそこで”合”になって丹田に気が集まるようになる。このやろう~!と手を振りかざした位置?

2019/3/15

 

 下のブログ、昨日携帯で書きっぱなしにしていて、今日パソコンで読んでみたら、致命的な間違いを発見!!

 あららら・・・、と訂正しようかと思いましたが、あまりにも明白な間違いなのでそのままにしておきます。適宜直して読んで下さい(苦笑)

 

 修行系の経典にはわざと間違いを混ぜていて、弟子がちゃんと自分で修行しているか試すのだと聞いたことがありますが・・・。別に狙ったわけではないし、ただのコモンセンスのレベル(言い訳・・・苦笑)

 

 良い動画がありました。

 震脚はそもそも推力を増加させるもの。実践用途を知っていれば間違えない。

2019/3/14 <震脚 何が震えるのか?>

 一人練習していたら火曜日の御苑練習で出てきた震脚の問題を思い出してしまった。
地面から跳ね返らない震脚はもはや震脚ではないのだけども、少林寺の子供達の演舞の印象が強いのか、地面に脚を踏み落とした瞬間に頭がガーンとなって脳にダメージを与えかねないやり方が普及しているようだ。
   なぜ震脚というのか? 何が震えるのか?
まさか頭がガ〜〜ンと震える訳ではないだろう(苦笑)
    震脚は半身ごとに気を通して松させる作用がある。足裏まで気を下ろして邪気を抜く。   うまくできれば、足が地面に降りた時に、パーン!と公園に響きわたるような明快な音がする。ドスッ、とか、ベタッ、とした響かない音は失敗の印。
   震脚は自分の耳でよく音を確かめながら練習する。注意せずに漫然と繰り返しやっても益はないしかえって身体を痛めることになる。
 右足で震脚をする時は右足重心、左足の時は左足重心。右足を降ろした時に左足に体重を移すことは跺脚(duojiao 踏む)。これをすると上記のように、頭、特に後頭部にダメージが出る。震脚はそれとは別物。右足を地面に降ろした瞬間に右足が地面から跳ね上がってくるような力が働くのが震脚。地面から跳ね上がってくる力があるのに足を跳ね上がらせないからこそ、身体の中身が震える。しかも足裏は地面に落ちた瞬間だけでなく、跳ね上がった力が身体を震わせている時間ずっと地面を同じ圧力で踏み込み続けたようになる(倒れた相手を均等な圧で効果的に踏み続けられる)。
   
 右足で震脚をすれば、右半身を緩める(松)ことになる。左足やれば左半身の松ができる。
 何が”震”えるのか?といえば、それはもし右足で震脚をしたなら、右足、右脚の中身、右側の腰の中がワワヮンと震えるのが分かるはずだ。うまくいけば、右側の胸、肩あたりまでも内側で振動するのが分かる。(頭の中は振動しない。)このワワヮ~ンを味わうと、ああ、確かに内側がほぐれるなぁ、と分かる。踏み方をいろいろ調整すればいろんな箇所が震えるし、完璧な形で脚を落とせたなら、一発で、あたかもお寺の鐘を鳴らした後の余韻のように、身体の半分の中身が震えて、余分な力が足裏から抜けるのが分かる。
    地面の奥から跳ね戻ってきた気を掴むのはジャンプや歩行に必要だが、震脚はそれをしっかり意識する練習になる。
     地気を掴むには全身の気がまず地下に落ちなければならない。タントウ功でまずは足裏まで気を下ろすのはそのためだ。地の気を借りて立てれば自分で立っている感覚が薄れて立たされたようになる。自分でしっかり立っているうちは力が抜けない。
    ....立たされる、腕も挙げられてしまう、脚も挙げられてしまう、そんな他律的な動きの感覚の中で動けるのが太極拳の醍醐味。
    意から心へというのも自動詞から他動詞への移行。頑張るのではなく、信じて任せる意識。
   震脚も落とすのではなく落ちる!(と師父に何度も言われたのを今思い出した。)

2019/3/9 <上虚下実の”虚”とは?>

  今日の練習が終わって書いたLINEの文面
<今日の練習では下半身を正しく使うには上半身が必要→上半身は浮く、という話から、『上虚下実』、なかでも"虚" の意味にはたと気づいてしまいました。
虚は無ではない....
とても大きな発見のような気がする....ドキドキするのを生徒さん達にバレないようにしていました(苦笑)>
   これじゃあ何のことか分からない。
「虚とは空ですか?」なんていうクイズをしてるかのような反応もあったが、虚にしろ空にしろ無にしろ、それが膝とか股関節などを実感するような感じで実感できなければ論じても意味がない。
   
   指を外からではなく内側から感じる、そんなところから始めて、腹の中の感覚をつかんでいく。腹の中に何か力の終結したような粘いものがある実感を掴むのは初めの一歩。肩を内側から感じたり肘を内側から感じたりするのは難しくなる。内側から動かすためにはその箇所の内側の感覚を知らなければならない。鍼灸のツボは治療目的、武術のツボは急所攻撃目的かもしれないが、太極拳で自分の身体を開発するにはそのツボを内側から感じて、それを使って身体を動かすから、まさにツボは内側の身体の地図になる。
   身体を内側から探索していけば、そのうちそこを流れるもの、気だの勁だのに気づくようになる。気が途中で滞ったり、消えてしまったりするのをどうにか流そうと試行錯誤していくうちに、ある時、"意"通すことを知る。
    意を通そうとするならば、その時、意を通そうとしている自分がいる。それが、太極拳では、心、というようだ。
     先日師父に意と心の隙間が分かったと伝えたら、なら、心が先で意はその後につけろ、と言われた。意が先ではいけない、あなたは特に注意する必要がある、と。
    言われた直後はピンとこなかったが、確かに意が先走ると視野が狭くなり特攻隊のようになってしまう。心を先に持っていけば、広い深海のような心の中に火の意が溶け込んだまま推し出すようになり冷静な自分の中心を失うことがない。
    この手のものは日常生活が良い練習の場になる。気づいていなければならない。
 
2019/3/8
 
  ほぼ2週間ぶりの櫟ちゃんのレッスン。
  前回は何をどうして良いか分からないまま、とりあえずは身体が動かせるようにと思いつく動きをアドリブ的にやっていきました。
  今回は、前回のレッスンで櫟ちゃんの身体のことが少し分かってきたので、その理解を更に深めようと、櫟ちゃんがやったことのない動きに挑戦しました。
  
   やったことのない動きをやる場合、意が決定的に重要になる。健常者の私達でも、右利きの人が左手で箸を持って豆を一個一個摘もうとすると、手が思うように動いてくれなくて歯痒くなる。"思うように"というのが、まさに"意の通りに"という意味で、"動いてくれない"というのが"力"の部分。
   すなわち、意(意思)が力(パワー)となって外部に現れない時、私達はとてももどかしく歯痒い思いをする。
    太極拳の練習は結局、どのようにして意を力へとスムーズにロスなく転換するか、それに尽きる。
   そのためには意→力へのドカンと開いた経路を開通させなければならないのだが、意はそのままでは力にはならず(指よ動け!と頭の中で思っただけでは指は動かない)、途中、その意(脳の指令)を、体内を流れるエネルギー(指よ動け!と思って本当に動かそうとした時に指に向けて流れていく体内の暖かなもの)=気の流れ、が必要となる。
   この気の流れる道が開通していれば、思えば動く、思わなければ動かない、というように、身体はいつも頭の指令下に統制される。身体がいつも頭の統制下に置かれていれば無駄な動きはないし、おかしな行動を起こすこともない。身体を修める頃には心も脳の統制下に置かれるから邪念も浮かばなくなる....というのが、本来の武道なり茶道なり、"道"と名乗るとものの修行法。
 
    話を戻すと、気の経路が開通すれば、身体の末端まで気を届けておきながら、外向きの力としては発しない、ということも可能になる。外に出さなければ体内の気は減らないし、ここで気の発生元である丹田をグツグツ練った状態にしていけば更に内気を増やすことが可能だ。武術であれば、溢れ出んばかりの気をギリギリでせき止めて、最後に爆発して出す(発勁)ということが可能になる。
常にちょろちょろ出していては必要な時に爆発的な力は出ない。35歳を過ぎたら溜める方に比重を置いた練習をするのはその頃までには生まれ持った元気を随分使い込んで減らせてしまっているからだ。
 
    そして櫟ちゃん!
    外向きに"力"としてエネルギーを出してきた量が少ない22歳の女の子の身体には、思った以上の気の量があった。
   今日は本格的に単推手をやってみた。まず準備として、手の順纏と逆纏を教える。発するのは逆纏(親指の根っこを出すようにする。丹田→末端への気の流れを導く)、順纏は小指の根っこを自分の方に向けるようにすることで気を末端から丹田へ戻す。太極拳はこの順纏逆纏の転換の連続。推手も然り。
   櫟ちゃんも私達同様、右手は推す動作(逆纏)の方が得意。一転して私が推す番になったら櫟ちゃんは右手を順纏に変えなければいけないのだが、それがなかなかできない。が、補助して覚えこませたら、徐々にコツを掴んだ! そこからは相手の気と自分の気を合わせる練習。
   普段車椅子にずっと座っていて、自分自身は自分の身体の奥深くに閉じ込められたようになっている。自分の身体を隅々まで動かせれば自分(という感覚、エーテル体)は肉体の大きさと同じところまで広がるが、本当にエーテル体(気の身体、第2身体)を喜ばせるにはそれを肉体以上に広げる必要がある。(自分が身体の内側にある限りは本当の自分が身体ではないことが分からない。自分が身体以上に広がり身体を突破できれば自分が身体でないことが分かる....自己と身体の同一視を打開するのはどの修行法も同じ。仏教系のように苦(無)で突破するか、道教系のように快感(広がり、無限大)で突破するか、は好みの問題)
 
   櫟ちゃんと気が繋がったのを確認して、櫟ちゃんが推してくる時は彼女に私の身体まで入ってくるように、私が推す時は私を彼女の身体の中に吸い込むように、一回一回声をかける。2人で1つの円、1つの身体のようになれば、彼女にとって私の身体は彼女の一部となる。彼女は普段の小さな身体から飛び出ることができる。
   手を推したり引いたりしながら、そのうち、推した時は私の身体を通り越して私の後ろの空間まで自分を広げてごらん、と、試してみた。私も彼女の後ろの空間まで自分を広げるように推していく。そうしたら、なんて櫟ちゃんの楽しそうな表情。横でお母様も喜んで写真を撮ってくれていた。
   

 

 
 櫟ちゃんを観察していて、やっとはっきりした"心意混元太極拳"の肝心な"心"と"意"の関係。
これまでどれだけ太極拳や仏教の経典を読んでも腑に落ちなかったけど、そう、あの、櫟ちゃんの気合いの入っ時の、これでもか!と見開いた目。あれが意のパワー。心が焦点を絞って意のパワーになる、その過程が彼女からははっきりと見て取れる。
   そう見ると、私達も心でいろんなことを思っても、それを、よしやるぞ!という熱い想いにまで昇格させられないことがよくあること。加齢とともに熱のある意が少なくなる。意は火。目の光。やる気。これが減れば気は当然減ってしまう。なんだそーいう単純なことだった....
   
 櫟ちゃんの意のパワーはものすごい。この調子だとそのうち彼女と推手をして新宿区まで2人を広げることも可能だったりしないだろうか?
  意のパワーはどうやってつけるのか?
  なまっちょろくぬるま湯で毎日生きていたら身体を突破出来るような意のパワーは生まれないだろう。なんだかやる気がでない〜 とか引きこもっている場合ではないのだ....なんだかまた別の課題を見つけてしまった。
 

 

 

特に動きの悪い左手を上げていくには、顔を右にして目も右方向。すると左胸が開き左肩が開いて腕が上げやすくなる。

檪ちゃんはいよいよ上げようという時になると顔が左から右に回転していって目が次第に大きくなっていました。

 

最近練習の時にもよく注意しますが、目線、はとても大事。背骨の自転(回転と旋回の違いに注意。説明ここでは省きます)と関連する。

2019/3/6

 

  昨日の御苑練習は一段レベルアップした内容になりました。

 丹田を作らない意識の方が重心移動がしっかりできるのは何故?と、狐につままれたような表情の生徒さんを見るのは痛快! 

 守破離の守から破に移行する段階に入りつつあるのか?いや、それもまだ丹田なのか?

 そのあたりはしばらく生徒さん自身に考えさせて追々話していく予定。

 

 

 以下グループラインへの投稿を貼り付けます。

 

 今日の久しぶりの御苑練習では、腿内側の勁の甘さが目立ったことから、虚実をはっきりさせて正確に重心移動する練習をしました。

 太極拳において虚実分明(分けて明らかにする)は基本中の基本。が、実際にやるのは難しい。

右足重心から左足へ移動するには、実の右足の力しか使ってはいけない。虚の左足の力を少しでも使えば、" 错!"(間違い!)と言われる。(注:なぜ虚の足の力を使ってはいけないのか→中正が失われるから。虚の足の力を使うと重心移動の正確さが崩れ膝や股関節などに余計な負担がかかる。これを正確にやるには二人組で練習するのが効果的。重心移動は非常に大事なトピックなのでどこかでまとめてとりあげたいところ。)

 

 普段の歩き方も、前に降り出した脚ではなく後ろ足で蹴るのが正しい。前に降り出した脚の膝裏は伸びているはず(伸びて、伸びたまま膝裏が緩む)。

 

 これと丹田がどう関係するのか....Hさんに試してもらいました。

 丹田を作って回すと股関節が引っかかる。丹田を作らない方がうまく重心移動ができる。

 ...なぜ?

 本人も納得がいかないようでした。

 

 あるレベルに達すれば、『有意無意真意』(意が有るような無いようなところが真の意)

の意味が身体で分かるようになる。

 

 そういえば日曜日のM君も腕に気を通そうとする意識を削がせることでやっと一段抜けましたが、本人は、「何にもやってないようで実感がない。」と言ってました。

 

 同時期に練習を始めてしばし一緒に練習していたHさんとM君が、現在練習日が離れても練習の進度、内容が何かとシンクロするのは教えていてとても面白い。

 

 <以下このHさんやM君のようなある程度内気を動かせる生徒さん達の陥りやすい罠、次への一歩に関しての記述>

 

  『気を操る者は滞る』『気を運んではいけない』(全文は『意通気滞力折』)という言葉も、丹田の感覚が得られ内気を動かせるようになった人達には納得のいかないところ。「気に関わってはいけない!気は放っておけ!」と何度言われてもやはり気を追いかけてしまう・・・そして気がつまってどうしようもなくなる痛い経験を私自身何度か繰り返した。”気”ではなく”意”を通せ、と言われても、その差異が分かるようで分からない。結局、目から鱗となったのは、昨年初期仏教のヴィパッサナ―瞑想合宿に行って長老に思いっきり叱られたことだった。仏教は”気”ではなく意の元となる”心”が出発点。心は常に気を観察していなければならない。気の中に心を溶け込ませて一種の恍惚感(サマーディ)を引き起こしてはいけない。(なぜなら実践だとその状態はただ無我夢中で戦っている状態。中心の冷静な自分の核を失っているから隙だらけになる。中心は冷めていつもその周辺(内気も含む)を観察、見守っていなければならない。)

  まずは身体の動きを内側から観察できるようになるのが初めの一歩。

  そして次の一歩は身体の中の動き(=気の動き)を観察できるようになること。

  更なる一歩は気が動く前の自分の意の動きを観察できるようになること。ここで、『意が通る』、即ち、心で意を操ることによって気、そして身体が動くようになる。

  (・・・・最後の境地はまだ実現していないので少し憶測が入っています。)

 

 なおHさんの重心移動の様子はLINEの仲間のページに動画で紹介します。

 丹田を作った重心移動と作らない虚実分明の重心移動。どちらがきちんと重心移動できているか、見れば分かると思います。

 

 

2019/3/2

      ソウルに4日滞在してこれから帰国するところ。こちらは空気が悪くて外での練習はきつかった。花粉とは違うケミカル物質で鼻は詰まるし目はチカチカする。毎日警報が出ているくらいだから事態は深刻。中国に近いからだと思うけれども、文在寅が習近平に控えめな指摘をしたら、韓国国内の汚染も酷いだろうとピシャリとやられたという。韓国は日本には強い態度は見せても中国には低頭を保つ。中韓の長い歴史を感じる。

 

     と、そんなこともあって、先週末のステキな出会いを独り言に書くのが遅れてしまった。

    先月独り言で女性クラスを開きたい、と書いた後に舞い込んだマンツーマンレッスン。相手は重度の心身障害のある22歳の女の子。

   彼女の写真や送られてきた動画を見ながら、果たして彼女にどう太極拳を教えるのか、何が教えられるのか、しばし頭の中で想像を巡らした。彼女は私の娘とほぼ同じ歳。お母様も同年代に違いない....私にこのような娘がいたらどうしたい、どうしてあげたいかしら? 私に依頼をしてきたお母様にはそれなりの意図があるはず。何とかして応えてあげたい....あとは行って会って、その時自分から出てくるものでやってみよう。

 

    その日のレッスンが終わった後に書いたグループLINEの投稿を以下に貼り付けます。檪(れき)ちゃんのお母様もFBに投稿して下さってました。檪ちゃんのことをもっと皆に知ってもらいたいというお母様の希望でここに紹介します。

 

 <LINEの文面>

 先週舞い込んだ個人レッスンの依頼。初めての体験でした。何ができるのか? その場でやるしかない。感染症が非常に心配なので少しでも風邪をひいたらキャンセルして下さいとの依頼でした。体調整えて....心配だった意思疎通。

大丈夫だぁ。蹴りやパンチを教えて最後は軽く推手もしてきました。

 

   実は前もって劉先生に彼女の動画を見せたのですが、当然太極拳は無理だと言われました。が、お母様は何か考えがあって私を指名したのだしこれも縁。レッスン料頂かずに私の体験だと思って遊んでこよう、うまく意思疎通できて遊べたら上出来、と腹をくくって行きました。

   結局、30分しか体力がもたないと聞いていたにも拘らず結局1時間近く遊んでいました。硬直して折りたためない腕や脚はツボを押すと難なく曲げられてしまう。動けると上機嫌になる。動くのがこんなに嬉しく楽しいんだ〜 動くことの意味を再認識しました。当たり前のことが当たり前じゃない。

  檪(レキ)ちゃん、やはり目が澄んでた...生まれてから一度も邪念を抱いたことのない目。

私まで気持ちが明るくなって帰途に着きました。

      

 

   (その後生徒さん達に檪ちゃんと一緒に写した写真を見せたら、私の顔がいつになく澄んでいると褒められました。これも檪ちゃん効果⁈  が、ということは普段は濁りまくっている?)

 

 

 

 

    檪ちゃんの様子はここで見られます。

2019/2/18 <タントウ功 ちょっとしたコツとタイムラプス動画>

 

 先日ビデオレッスンを受けた男性からタントウ功について質問がありました。

 今日はいい天気で近くの広場に練習に行ったついでに動画を撮ってみました。

 説明はしゃべるよりも文章の方が得意かも?

 が、動作、形は見せた方が分かりやすい。

 一応動画を貼り付けます。

 文章での説明はまた後程。

  タントウ功は立ち始めてから気が腹に落ち、溜まって、沈み込ませていくのにかなり時間がかかる。初心者のうちはなおさらで、熟練者だと長く立てば立つほど緩んで気が溜まっていくのがわかるので、結局長く立ってしまう。
 
 最初の説明動画を撮った後で実際にタントウ功をやっているところを撮ってはどうだろう?と思った。が、30分や1時間もずっと動画を撮り続ける気もしない。それではとすぐに動かなければならない時用の速攻のタントウ功(意識的に気を早く溜めて丹田に落とし込ませていく)をしてみることにした。
 
 とはいえ、5分は撮ったはず・・・だが出来上がったら20秒ちょっとの動画。あれ?とみたら間違えてタイムラプスという撮り方をしていた。なんだこれは?と娘に見せたら大笑い。かなり笑い転げた後冷静に見たら、これはこれで面白い! タントウ功の時、こんなに動いているのかと驚いた。丹田の気は動くからなかなかじっとはしていられない。が、内側(気)がどんなに動いても外側は止めていなければならない。けど、こんなに動いてたとは知らなかった。
 
 その後師父にこの動画を見てもらった。
 このような短縮動画を撮ったために、内動がかえって良く分かると褒めてくれた。
 下半身がしっかり根付いて内気が湧いて動いている、周身一家(全身が一つになっていること)も良くできている、と久しぶりの誉め言葉。外不動求内動(外側を止めることによって内側が動くようにする)というタントウ功の目的がよく果たせている。内動があれば外も少しは動いてしまう。寝ている時に呼吸で腹が膨らんだり凹んだりするのと同じだ、とコメントしてくれた。一安心。
 タントウ功で石のように固まってしまったら間違えている。いわゆる”居つく”、という武道、武術では許されない状態になってしまう。実践を熟知している太極拳の老師にはタントウ功を嫌う方がいるのも今ではよく理解できる。そのくらいタントウ功は難しい。固まってはいけない。外側の動きを止めたようにしているのは内側を活性化させるため。タントウ功は動功の動きを微分して限りなくゼロに近づけたもの、というのが正しいと思う。決してゼロにしてはいけない。
 そのためには骨や筋肉ではなくて気で立つ感覚でなくてはならない。
 呼吸、息、松がとても重要になる。脚で立つ感覚はダメ出し、かと言って、本当は背骨で立ってもいけない。
 股関節、膝云々は内側の気がいずれどうにかしてくれる。
 どの筋肉にも骨にも当たらないところを探す・・・隙間、空間・・・それが丹田になる。

 

 最後に付け足しで、”丹田で動く”のと”脚で動く”のとの違いを見せるような動画も撮ってみた。

 カメラが下から見上げているので多少足長(苦笑)

2019/2/17 <お知らせ>

 以前より出産後のママ達のためのレッスンを依頼されて行ってきましたが、今後クローズドのクラスではなく女性なら参加可能なクラスにすることができるようになりました。
 
 これまでは出産後で小さな子供を連れたママ達向けに、目黒区の会場にて月曜午前か木曜午前、隔週ペースでクラスを開いてきました。
  そこでは太極拳の型こそ教えていませんが、身体の気になるところを整えるために太極拳のベースとなる内功、動功を教えていました。するとママ達はみるみるうちに丹田や気の流れが分かるようになってしまう。それは出産後だから、というのがキーなのですが、教えていくと師父がなぜ女性は男性に比べて有利なのか、というのがよく分かります。(逆に言うと、男性は本当に努力しないと気の感覚が掴みづらい。女性は大した努力がいらない。)とは言っても、子育て中で忙しいとなかなか型を覚える余裕はなく、せいぜい太極拳の単式の型を使って身体に効くようなレッスンをしてきました。
 今年に入って主催者が都合でクラスを運営できなくなったため、今後繋がりのあるママ達を核に私がクラスをアレンジして女性の基礎クラスにしてはどうかと思うようになりました。
 
 師父もよく言いますが、身体の構造上、女性の方が男性よりも圧倒的に速く気を溜める感覚を掴むことができます。婦人科の問題は太極拳の内功がそのまま効くので、出産後のママ達に教えるには打って付けでした。が、特に出産後に限らず、女性なら皆同じような悩みがあるので年齢を問わず一緒に練習できます。
  もし女性クラスに興味のある方がいましたら是非連絡を下さい(クラス開催を希望する曜日や時間帯があれば合わせて教えて下さい)。太極拳の基礎の基礎練習、とても大事な練習(秘伝も含む?)になります。
  日程を合わせて近々女性クラスを開催してみたいです。
  想像すると、なんか楽しみ....(笑)
   

2019/2/12

 

   足=feet の”松”!

 目から鱗でしばらく悦に入っていた。

 

  ああ、これまでなんとfeetに酷いことをしてきたのか?

 あの中学、高校の卓球時代。ただただ無我夢中にボールを追いかけていた。

 もともと運動神経は良いし特に脚が強かったのであっというまに上達した。が、大学に入ってほどなく親指が変形しているのに気づいた。

 

 大学時代、バタフライの道場で練習をしていたら、元世界チャンピオンの伊藤繁雄さんが私をちらっと見て、一言、「お前は太ももで打ってるなぁ~」と言って笑いながら隣を通り過ぎて行った。どういう意味?と思いながらそのままになり、そのシーンが蘇ってきたのは太極拳を本格的にやり始めてから。ああ、あの時伊藤さんは、私は腰ではなく脚で打っている、腰(胴体)で打たなきゃだめだよ、と言いたかったんだ・・・・もうあれから20年も経っていた。

 

 日本では臍下丹田が一般的で、中丹田(中気、胃の気のあたり)や腰(日本語の腰ではなくて、腰椎1番から5番の位置。感覚的には胃の高さ。日本語なら背中の感覚)の概念が希薄だ。だからどうしても胴体の力が弱く脚力に頼りがち。脚は太く短くなり、足は押さえつけられて幅広になる。

 それには日本語の発音からくる舌の位置の問題も絡んでいるような気がするが(これは呼吸の時に大問題になる)、頭蓋骨は肩の上に乗らずに前に落ち、肩の位置もずれて腕が肩から外れてしまっているから、どうしても腕や脚に負担がかかる。

 子供は大人の真似をして育つから、日本人の中で育つとどうしてもそのような姿勢、身体の使い方になる。フランスから日本に戻ってきた後、当時小学6年生の娘の姿勢があっという間に猫背に変わった。バレエも習ってきてとてもきれいに立てていたのに何故だろう?と理由を聞いたら、皆んなこうしてるし、真っ直ぐ立っていると生意気に思われる、と答えた。正しくなくても多数派に合わせなくてはならない....子供の世界ではそれが残酷なほどに顕著だ。

 大人になれば一目を気にして姿勢を悪くすることは考えられないが、もう既に狂ってしまった姿勢を元に戻すには地道な努力が必要になる。身体の躾けは要領ではどうにもならない。しぶとく毎日躾けづけるしかない。

 

 ・・・と、私もそんな中で運動をしてきて、結局足(feet)を傷めてしまった。最近の卓球の選手は皆中国のコーチについているから、身体の使い方も随分昔とは違う。

 私は中学3年生の時(1982年)卓球交流で北京にいったが、その時向こうのコーチが教えてくれた、右足を踏み出して右で打つ、というなんば歩き的な打ち方は、当時の日本ではふつうやってはいけないという打ち方だった。右手で打つなら左足が前、そして身体を回転させる、それを順守させるようなところがあった。が、中国選手や欧米の選手はもっと自由な打ち方をする。一見変な恰好でも打ってしまう。それが腰の軟らかさ、胴体(丹田)で打つことだ、と分かったのは太極拳のおかげ。最近の大阪なおみ選手の打ち方をみると動物的で躍動感があり、四肢に頼らない胴体運動の威力を感じる。(その点錦織君は体格のせいもあるが四肢に負担がいきがち・・・丹田が倍あれば・・・)

 

 feetを傷めない、という観点から練習すると、本来身体の中心がどこにあるのかを再認識することができる。

 足を傷めない、足を押し付けないで太極拳をやるとどうなるのだろう・・・とゆ~くり注意深く試したら、ああ、これは私の師父の拳、そして馮志強老師のような拳に近づいている。本来重心移動はこうやってやるのだ(=全身でやる、腰でやる、脚ではやらない)・・・と感動するのだけど、難しくてそうは簡単にできない。このままやるには全身が丹田にならなきゃだめだなぁ、とそこまで分かったところでギブアップ。まだ丹田が足りない、あるいは、全身がまだ一つになっていない・・・丹田が身体を包む大きさになって全身が一つの球のようになった時には足は軽く、けれどもしっかり根付いて立ったり動けたりするのだろう。

 足が軽くすぐにでも走り出したり跳べたりするには、しっかり地面に根付かなくてはならない。

 足が軽くなるにはまず重くならなければならなくて、重くて軽い足(脚)ができたとき、重いと軽いが矛盾しないことに驚いたりする。このあたりはとても太極拳っぽくてまたまた感動的。

 相矛盾するようなものが矛盾ではなく補完しあう、というのはよく言われることだが(男女の例がよく用いられるかなぁ)、実際に自分で重くて軽い感覚が分かると、本当にその通りだとびっくりしてしまう。練習が進めばそんなことだらけなのだろう。

 

<補足>

 足を傷めない、足を押し付けない、という意味について

 以前ある足の治療家が、私達の足幅は本来Dサイズだと言っていた。足を持ち上げて垂れたfeetは確かに足幅が狭い。そして、その足を一度地面に置き、そしてその上に乗って立った瞬間、足がぎゅ~と押し潰されてしまったとしたらその立ち方は間違えている、歩く度に足feetが押しつぶされずDサイズを保ったままでいられるのが理想だということだった。

 実際に裸足になって、重心移動をしている時の自分の足feetをじっと観察すれば、どの時点で足に力が加わって足が押し広げられていくのかが分かる。足feetに負担がないようにするには、全身の体重がダイレクトに足裏に伝わらなければならない(足の甲が固まらない)が、それをするには会陰の引き上げと丹田の形成が必須になる。歳をとると足幅が広くなり足裏や踵が痛くなったりする人が多くなるのも納得できる。会陰の引き上げができない(=丹田が形成されない)と膝や足に負担がでる。(注:会陰を引き上げる代わりに胸や肩で身体を吊り上げている場合は膝や足の異常は免れても、代わりに肩こりや呼吸の浅さ、緊張が取れない、自律神経の異常、など、別の疾患が生ずるだろう。)

2019/2/2

 

 足首以下、英語でいうところの”feet"は、身体を支える土台だけれども、あまりにも”下”にあって目が届かない=意識がとどかないし、ともすると汚いもののように扱われて、知らず知らずのうちに酷い使い方をしてしまいがち。気が付いたら外反母趾になっていた・・・と気づいたのは大学1年生の時。卓球をしていてなんだか親指に力が入らない、と思った時には症状が随分進行していた。おそらく中高時代に一生懸命練習している間に徐々に変形していたのだろう。試合で勝つ、というのを目標にして運動するとありがちなケース。

  外反母趾をどうにかしたい、というのは太極拳を始めた当初から思っていたが、丹田から初めて実際にfeetまで意識が届くまでには相当な時間がかかった。が、一度分かりだすと、feetの重要さがますます感じられるようになってくる。feetになんら変形のない生徒さんを羨ましいと思う一方で、せっかく変形していないのに全くfeetを使い切っていないのはなんてもったいないのだろう、と思ったりもする。

 feetが最大限に開発され使えているとすれば、もうそれは達人。

 本当は丹田が全身まで広がるからfeetが最大限に使えるのだろうけれども、逆にfeetをメルクマールに丹田を作っていけば間違えた丹田形成、身体の開発にはならないだろう。

 で、右は数日前、思い切って買ってみた大山式の指パット。

薬指が使える使えないは太極拳にとってもピアノを弾くにとっても死活的問題。胆経、身体の側面、ここが使えないと身体を全体的には使えない。これを装着すればはっきりと手ごたえがあるかもしれない・・・

 と、装着してみたら、なるほど、と納得。

 なんで師父が私にfeetの扣(コウ、お椀を被せたようにすること)をさせたのか、なぜ抓(掴む)ではいけないのか、そして、踵に乗るのかつま先を使うのか、重心はどこにあるべきなのか、なぜ整体のプロの私の弟子が私の脛を内旋させるように矯正したのか・・・様々なここ数か月の疑問が解けた。

 

 がこのパットを外してその位置に立とう、その位置で歩こうとすると、あ~、丹田が足りない!

丹田が頭まで包まないとそうはならない・・・feetが腰につながるのは当たり前として、背中やら肩、首、頭部まで、前も後ろもfeetとつないでいなければならない。凄く注意してパットをつけた感覚を維持したまま24式をやろうとしてみたら、なんと、feetは完全に”松”! feetに力が入ってはいけない、そういうこと?!  が、そのためには腰や腹のみならず、体中に空気をはらませておかなければならない。まさに一個の気球状態。が、これだと関節に当たらない、もっと言えば関節がないかのように動ける。確かに馮志強老師はこんな感じの動き方だ・・・。

 足指、指先先端からまで使いながら同時に踵の端、アキレス腱まで伸ばして使えればfeetの中に全身が入ってしまう。ただそれが可能なのは全身が気球になった時。筋肉に当たってしまうとそこで途切れてしまう。

 幼児は簡単にそうやって立って歩いているのに、大人になると、どんなに”正しく”歩いても、どこか硬くぎこちなく不全に見えてしまうのは、どうしても筋肉にのってしまうからだろう。

 

 

 いろいろ説明し出すとこれまた本一冊書けそう。上の写真で分かるポイントだけ列挙。

 ➀指→踵→アキレス腱→膝裏→お尻→腰→( → → 後頭部)

  幼児は後頭部までつながってしまっているけれど、私達はとりあえず腰までつなぐ!

 ②つま先は丹田に合う 逆にいえば、丹田がないとつま先(指の本当の先端)は使えない

 ③このように立つ、歩くと、腹がしっかりしながら(一枚目)腰がしっかりする(二枚目)。

 ④虚領頂勁は自然にできてしまっている。

 

次の写真も私の宝物。オランダの女の子。上の男の子よりも小さい(2歳半~3歳くらい?)

 

 幼児たちは自然体で何も考えずに上手に歩けるが、私達は一度失った自然体を取り戻すためにかなり努力をしなければならない。

 力を抜く、筋肉に頼らない、呼吸を健やかに楽しく・・・このあたりから自然体を始める(タントウ功の第一歩)。すると上の女の子の三枚目のような”ぽんぽこ丹田”が現れる(笑)

 

 下は歩き方講座の先生達。太極拳の目で見てしまうと、どれも腰が弱い。後ろから腰を蹴ったら一発で終わり(特に左の女性二人)。右の男性は肩甲骨のあたりを後ろから推せば倒れるなぁ。

 幼児たちは力はないけれど、スキのない立ち方、歩き方、をしている。それが太極。

 

 

2019/1/29

 ある生徒さんから、先生なら分かるかもしれません、とこっそり渡されたタオの本。タントウ功に関係ある部分を写メって生徒さん達に紹介しましたが反応は、ゼロ。そのまま放っていました。
  今電車の中で写真のフォルダーの整理をしていて、久しぶりに遭遇。ん? とも一度じっくり見たら、あー、謎が解けた。なぜ師父がしきりに、男性は会陰だが女性は会陰ではなく恥骨、というのかが。あと、息に不可欠の"舌"の要領、ふーん、ちゃんと図示はしている。
  男性版も見てみたい....

2018/12/31

   

  今年も何を教えたのか分からない一年だった。

  初心者用のレッスンを設けていないので初心者にはついてくるのが大変なはずなのだけど、それでもしがみついてきてくれた生徒さんが今年も数人いた。教わりたい気持ちが続く、中国語で言うところの、恒心、のある生徒さんを教えるのはとてもやりがいのある仕事。

 丹田が分からない、気が分からない、と言い続けていた生徒さんが、あるところから何も言わなくなって、違和感なく丹田やら気やらの操縦をしているのを見ると嬉しいとともにおかしな気持ちになる。

 テレビの中身がどうなっていて、どうしてテレビが映るのかが分からなくても操作することはできる。丹田や気が一体何なのか、ははっきり分からなくても、自分で操作することができるようになる。

 それ自体を知ることと、それを操ることには違いがある。

 学者は一体それは何なのか、と知りたがり、修行者はそれを操る術を学ぶ。操っているうちに分かることも多いが、それが知り得ないことであることも分かってくる。なぜならそれは限りのない深淵だから。

 太極拳の練習をしていてとても面白いのが、深く進めば進むほど、いろんな分野のものとのつながりが出てくるから。最終的には全てのものが集約されていくその方向に向けて練習は深めていくのだろう。

 来年はも少し落ち着いた練習、口数の少ない練習を目指したいところです・・・。

 

 

2018/12/28 <今年最後の練習の後のLINEでの独り言>

 

 年末最後の御苑練習はポカポカ陽気の中でとても気持ちよくできました。

 

 ♂一匹の参加のお陰で、力む原因は鼻の奥にあり、と気づいたのは大収穫。吸ってるといいながら実は止めていました、と皆、衝撃を受けた様子。これをみて、私もこの原理は♂だけでなく皆に当てはまると確信が持てました。弁は全開、鼻のホースは腹まで直結。

やはり最後は呼吸、息に集約されそうです。

 

 ♂さんが帰った後もさらに練習は展開し、48式の第26式小擒打を教えながら、"浮きながらしゃがむ"ということまで発見。肺に沢山空気を入れなければしゃがめない。肺の気(宗気、狭義のプラーナ)を多くするには鼻の奥を開けてかつ含胸にして左右の肺を引き離しておく必要がある。

 

 要領が分からなければ、両腕を広げて双方の腕を左右に八つ裂きの刑のように引っ張ってもらうと良い....肩の外し方(剥がし方)、丹田へ気の落ちる様、足が仁王様のようになること、腕が鉛のホースになること、などが体験できる。

 

 放松は結局重力に乗っかること、他者があっての放松、外界→上丹田(目)→丹田(腹)、そんな引っ張り合いの話、それが丹田に没入せずに意で気を操る要領であることもざっと説明しました。

 

 あと、着地に用心♪

 脛はいつでも相手の膝崩しができるようなスネに。要は脛の棒は立てておく。

 これは膝に自信がない人にオススメ

 

最後に。

 

気の種類分けはインドのものを見た方が分かりやすかったりする。ヨガの人達にはお馴染み。

(画像の出典:http://moyashiken.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/post-45b5.html)

 

プラーナ 肺 宗気 

サマーナ 中丹田 中気 

アパーナ  下丹田 の気 (脚を含むことに注意)

ウダーナ  上丹田の気(腕はここの気)

ヴィヤーナ  衛気

 

このインドの語を昔は中国でも漢字にして使っていた。気功法の原理、インド由来かなぁ?

2018/10/17

 パリに戻って練習始まったら既にオランダが遠い過去になりつつある....
  とりあえず写真だけアップ
   2日目夜明け前に(といっても7時!)ホテルで自転車を借りて昔住んだ家、そしてその向かいに広がる森(クリゲンダールの森)に行く。これがこの度の最大の目的。
   出勤の前によくジョギングをしに行った....

2018/6/30

 

 明日で最終日のターナー展。

3月頃駅の広告で見てとても惹かれていたのに、実際に足を運んだのはついこの前。

20代にロンドンで住んでいた頃、少なくとも3回はテート美術館に連れて行かれたけど、全くピンとこなかったターナーの絵。天気の悪いイギリスの気候のようなぼやけた絵ばかり・・・なんて思っていたくらい。当時の私はバレエの公演ととピアノのリサイタルが大好きで、絵画に対しては全く興味がなかった。

 が、今回ターナーの絵を見たら、そのすごさが分かる!と言っても、絵画の技術的な事は全く分からないのだけれども、その視点、ミクロからはいってマクロへ抽象へと向かっていくその流れ、それは4月に大感動したルドン展と同じ。

 微細な所までありのままに観察する。。。

 観察・・・最近挑戦しているヴィパッサナ―瞑想、そのものではないか?

 その目は我で汚れていない。

 ターナーの絵を見た後で、写実主義の言われるミレーの落穂広いや晩鐘を見たら、そこにミレーの意図、我のようなものが見えてしまって、そういう意味ではターナーの方が水墨画的な無我の境地に近い気がした。我がないのに、これはターナーの絵、と分かる個性はしっかりある。面白いなぁ、と思う。

 ぱっと遠くから見ると滲んだ色のグラデーションの絵に見えるのだけど、近づいてみると、とてつもない細かさと正確さで物や人を描いている。こんなに細かく、どうやって筆を使うのか?いや、視力が跳び抜けてよいのか?

 絵に顏をひっつけて見たくなる。あら~細かい・・・あらら、人の顔がピーターラビットになってる?

 そしてまた遠くから見てみる。そしてまた近づいて楽しむ。

 そうやって繰り返し見ていると、眼の体操をしていることになるのか、自分の目が良くなって焦点が合いやすくなった気がする。

 焦点が合う・・・ほんとに、ぴったりと焦点が合う。

 画家の眼の焦点がきっちり合っていたところに私の眼の焦点も合ったのか?

 ターナーの絵を見ると眼の焦点、いや、上丹田に焦点が集まる。目が良く見えるようになる。

 画家自身もそこに焦点を集めて描いていたのではないか?

 

  その美術館には常設でゴッホのひまわりがあったけれども、ターナー見た後でそれを見たら、大雑把過ぎて素通りしてしまった。おそらく上丹田で味わう絵ではないのだろう。焦点が合わなかった。去年ゴッホ展に行った時はとても感動したことを思うと、きっと見る絵に応じて自分をチューニングしているのではないかと思う。

 時代性、その背景もあるし・・・。

 

 でも、ルドンとターナーはフランスとイギリスの大きな違いはあるけど、私にとってはとても共通点がある。極小から極大まで、無為自然、太極拳的。

 

 

2019/7/30

グループLINEへ投稿するつもりで書き始めた文章、こちらに載せます。

 昨日は到着後てんやわんやで寝たのは日本時間の朝6時ごろ。そこから7時間寝たら時差ボケあるのかないのか分からない状態。

  パリはますます治安が悪くなり荒んでる様子。家はギャラリーラファイエットやプランタンのあるデパート街まで一本道で行ける地区。シャンゼリゼにも歩いて10分、大使館にも歩いて10分。住宅街ではなくて古い建物をオフィスとして使っているところが殆ど。物件を写真だけ見て雰囲気で決めてしまったのだけど、実際来てみると、容積がやたら大きく(天井が3.4m)、重くて大きいものが多く(ダイソンの掃除機、5キロはある。日本では販売してないだろう)使い勝手が良くない。部屋から部屋へ移動するだけで体力消耗。
お風呂も深くて長さが2m近くあり、やっとお風呂に浸かって寝られる、と喜んで入ったら、身体と頭まで全てお湯の中に浸かってブクブク沈みそうになって眠気が吹っ飛んだ。オフィーリアになってしまう〜、ともがいてる自分が笑えました。

番外 4月のルドン展

 
番外
今年1月頭にパリのディオール回顧展最終日に駆け込んで写した写真。

8/16(金)午前は戸塚地域センター多目的ホールで練習会を開きます。

 

『今日の独り言』結局何でも太極拳に関連してしまう頭の中。その日の気づきや疑問点、頭の中のお掃除と整理。アーカイブは練習メモ

練習メモ』

毎日の練習は気づきの宝庫。太極拳の練習の成果が何に及ぶかは予測不可能。私自身の学びのメモ。

『LINEの話題』 グループLINEにリアルタイムで書き込んだ内容。LINEだと情報が流れてしまうので適宜ここに移します。

(パスワードをかけますので閲覧希望の方は簡単な自己紹介をつけてお問い合わせ下さい。)

★初心者随時受付中

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練習のバイブル本

 『陳式太極拳入門』

       馮志強老師著

ようせいフォーラム2017プログラム
3月4日(土)にパネリストとして参加しました。
ようせいフォーラム2017プログラム.pdf
PDFファイル 3.1 MB

 

2012/3/20

日本養生学会第13回大会で研究発表をしました。

発表の抄録、資料はこちら