2024/10/1 <ある生徒さんの質問に答えるためのメモ 餡子の話>
頭の中を整理するためのメモ。
あるオンラインレッスンの生徒さんからある提案を受けて思案中・・・
その生徒さんは、動功を学びたいということで、動功だけの個人レッスンを不定期で行っているのだが、本人はなかなか上達しないと感じ、「実際には動功は套路と共に学ぶ必要があるのではないか?」と考えだしたという。「動功と套路は相乗効果があるに違いない、ならば、套路(24式)も学ぶ必要があるのではないか?」ということで、私に意見を聞いてきた・・・・
簡単に答えれば、その通り。ぜひ24式も学びましょう!、ということになる。
が、んん? 彼の問いにはどこか立ち止まって考えさせられるところがある。どこだろう?
実は、動功だけ学ぶ人、というのは滅多にいない。
通常、内功を学ぶ人は、タントウ功と動功をセットで学ぶ。混元太極拳のベースは気功法なので、本国では気功法だけ学んで套路はやらない人もいる、と聞いたことがあった。気功法というのが、ここでは”内功”(内側、丹田の開発)と呼ばれ、静功(タントウ功)と動功を指す。
太極拳の套路というのは技を連ねた動作の流れで、一路と二路があるが、二路は実践、一路はその基礎をなすという位置付けがあり、一路は気功法的に学ぶ。気功法的に套路の動作を行うことができるようになるのが一路を学ぶ目的で、その基礎ができた上で二路をやれば、太極拳の実践的な動きになる。が、もし一路で気功法的な動きを学ばずに二路をやってしまうと、少林拳や長拳、空手などの外家拳と変わらないような力の出し方になってしまう。つまり、内功があるからこその太極拳で、内功なしに太極拳をやっても太極拳の技にはならないから、太極拳もどき、にしかならない。
ということで、内功(静功と動功)は套路の動作の”餡子”のようなもの。
そしてこの”餡子”自体は、そもそも太極拳だけに使うものではない。この”餡子”は道家が養生法として編み出した功法、中医学の核心に位置付けられるものだ。
中医学における人体の三宝「精気神」、これらのエネルギーを蓄え、循環を行うのが内功の目的だが、これが太極拳の”餡子”になる。形ができても餡子が少なければ威力がない。生命力が少ない、ということだ。
端的にいえば、生命力を上げる、威力を増す、というのが内功。これなくして武術をやっても踊りにしかならない・・・
AI による概要
中医学における「精気神」は、人体の生命活動の根本を示す「三宝」として知られています。
「精気神」のそれぞれの意味は次のとおりです。
「精」は人体を構成する基本物質で、成長や発育のための生命エネルギーを指します。両親から授かり腎臓に貯蔵された「先天の精」と、飲食物を消化・吸収して得られる「後天の精」があります。
「気」は生命活動の原動力(エネルギー)を表します。気の種類には「元気」「宗気」「衛気」「営気」などがあります。
「神」はすべての生命活動の統率者(こころ)を意味します。広義には人体の生命活動の外的な現れ、狭義には精神・意識・思惟活動を指します。
このように太極拳の練習のあり方を思い出した上で、冒頭の生徒さんの問いを考えると、動功を上達させるために必要なのは、まずは静功だということになる。
動功がただの”動き”にしかならず、餡子が感じられないとしたら、餡子を増やす必要がある。これが静功だ。
ただ、立つ、座る、という功法だが、外側の動きを止めることにより、内側の動きが活発になる。深く眠っている時に新陳代謝、免疫作用が活発になるのと同じだ。疲れた時、病気の時に静かに横になる、眠るのはそのためだ。動いていては傷もなかなか良くならない。
外側を止めて内側の動きを高めて、意識も内側に集中させる。
これが一番の養生法であり、内側のエネルギーを高める方法だ。
そうやって丹田の気(餡子)を増やしてから動功をすると丹田の動き、気の流れを感じられるだろう・・・
が、かといって套路が動功に役立たないとは言えない。
通常は動功→套路、で、動功をやることによって套路の動きが理解できるのだが、套路のある動きがどの動功をベースにしているのかを意識して行うことで、套路自体が動功になる。同じ理屈で、最終的には套路自体が、タントウ功になる(という)のだが、どちらにしろ、その境地に至るにはかなりの年月がかかるだろう・・・
では私はその生徒さんにどうアドバイスをすべきなのか?
まず、タントウ功を積極的にやることを勧める。坐禅も併用するとさらに効果的。いずれにしろ静功はマスト。
その上で24式を学ぶかどうかは、本人の興味次第。太極拳自体に興味があるなら学べばよいし、興味がなければ無理して套路を学ぶ必要はないかなぁ。もしくは、套路を全て学ぶのではなく、練習している動功に関連した式を取り出して、単式を教えてもよいかも。そもそも太極拳の套路は流してやるのが目的ではなくて、単式で取り出して技も研究しながらやるもの。単式をいくつか学んでいくうちに太極拳の套路がどういうものかも分かってくるだろうし。
ということで、結論としては、まず静功、そして興味があれば単式練習。
これでいきましょう!
2024/9/30
足を使うにも丹田が必要・・・というのは、体が落ちてしまうと足の骨も一塊になってしまうからだ。
王子の最近の「浮見」に関する動画はとてもレベルの高い内容だが、「浮身」は太極拳的に言えば胴体の中で丹田が広がった状態だ。丹田を作ることによって内側から骨をバラバラにする、その結果、”浮く”。胴体が気の体となった状態だ。
胴体が浮くときは足に根が生えたようになってどっしりする。上虚下実となる。そして動きは俊敏になる。
王子のような体使いができるのは達人だ。
が、私たちが最初に知っておきたいのは、上の動画の6’45”あたりで話している、腰椎5番と仙骨の癒着、これがあると腿は骨盤と癒着し股関節はうまく機能しない。大人の大部分はそうなっている。だから、太極拳の練習では、まずこのあたりの癒着をとっていく練習が必要になる。これができないまま太極拳をし続ければいつか膝や股関節に支障が出てくる。
太極拳の内功はそのための準備をするものだ。丹田を回すことで、内側から骨と骨の癒着を引き剥がしていく。そしてその前提として、丹田をつくる功法がタントウ功、坐禅だ。気を溜めるにはしばし静止するのが合理的。 20代前半までならタントウ功は少なめでいい。先天の気がまだ多いからだ。・・・<続く>
2024/9/27
体重を足に落とす。当たり前のことのように思うのだけど、それが難しい。
「足に気を下ろせ!」と言われて、それがすぐにできるようになればかなりレベルが高い。最初のうちは、足に気が下りているのか否かが自分で判断できない。
2019年のレッスンでは、師父が生徒さんの弓歩の姿勢を直しながら、最後に、「身体を落とすのではなく、気を降ろせ!」と言っているのが印象的だった。
(https://youtu.be/Qn9a2kLPnpU?si=xP2wUFrcoT9zSvt-)
本人は足に気を下そうとしているのだけれども、そうするとズンズン背が低くなる。体が落ちている。
どうしてよいか分からない・・・
師父の弓歩はこちら。
両脚の張りが上の生徒さんとは違うのがわかるだろう。
脚は弓になる。(五弓:背骨と四肢は弓になる)
弓はしなっている。
=上下に引っ張り合いになっている。
師父の両脚は、上(頭)→下(足裏)の流れだけでなく、下(足裏)→上(頭)という地面の反発力を使った気の流れも合わせもっている。
上の生徒さんには頂勁はないが、師父には頂勁がある。
丹田という観点から見れば一番簡単かもしれない。
上の生徒さんは丹田を失っているが、師父は丹田を保持している。
丹田というのは、上→下と下→上という気の流れ、呼気と吸気を併せもっていないと形成されない。丹田を失わずに体を落としていけば気は簡単に足裏に落ちる。
簡化を練習している人は、「膝をつま先よりも前に出さない」と言われているせいか、前足の膝が前に出るのを故意に止める癖があるようだ。
https://youtu.be/K4K2oekjPkQ?si=P77qVLQKNhJW-UG1
Youtubeにたくさんの動画をアップしているこの先生も「膝で止めるように」と指導している。
が、これは大問題だ。
陸上の短距離走の選手や、サッカー選手が走る時に、前足が着地するたびに膝で止めていたらすぐに膝を壊してしまうだろう・・(というよりも、そんなバカなことを考える人はいない。卓球の重心移動でもテニスの重心移動でも同じだ。)
このような下半身を見れば、これはちゃんとした弓歩での歩法だと分かる。
(https://youtu.be/SYCxT-CUYzQ?si=Pj9TofH-va-ZNh1d)
上の先生の体重は前腿に乗ってしまっていたが、この先生の体重は足に乗っていっている。脛下がしっかり使えているのは上の劉師父と同じ。
上の先生は脛下が使えていなくて足裏から反発力を得られていない。
大きな問題は股が開いていない(円裆)
になっていないこと。股が開かなければ内側ハムストリングスは使えない(運動するのにそこが使えないのは大きな失点になる)。股を開くには仙腸関節が使える必要があるし、仙腸関節を使うには腰椎と仙骨を引き離しておく必要がある・・・・各々の脊椎をできる限り分離させておく必要性(だから丹田を作って練習するのは合理的)。脊椎が癒着している状態で腿だけ使って太極拳をするのは危険かと。
上の4枚の写真の、それぞれの人の靴の中を足の状態を見ようとすると、最初の生徒さんと3枚目の黒いズボンの先生の靴の中の足はのっぺらぼうのようだ。
これに対し、2枚目の劉師父と4枚目の先生の足は靴の中で開いている(足に張りがある)。
弓歩の前足も後ろ足も、その足の足底筋膜は張っていて、中央が引き上がり、全体として吸盤構造になる。これを師父は「足裏を扣にする」というし、腰の王子はそれを「浮き足」という。手の平も労宮を引き込んで”空”にするというが、足裏も手のひらも”空”、”浮かして”おくことができるのが達人だ。
最近のレッスンではもっぱら足首と足、手首と手の関節の開発の重要性が分かるように教えていたが、それは私自身がその重要性を痛感するようになったからだ。
実は、足裏(足底筋膜)がしっかり起動するようになると、腰椎や仙骨が伸び癒着が取れるような感じになる。足裏がドラえもんのようだと、脊椎は癒着してしまっている・・・というように、足と背骨は面白いほどの相関関係があるのだ。
背骨の開発から足を開発できるし、足の開発から背骨の開発もできる。
この対応関係はタントウ功で明らかになるし、そもそも太極拳はゆっくり動くので、足裏を着地させていきながら、自分の足があたかも自分の背骨を踏んでマッサージしているような感覚を確かめることもできる。
師父は、「足裏は体全てを知っている」と言っていたが、タントウ功、内功、套路、いずれも、足裏の感覚は丹田と同様、失うことはない。そのためにも、くれぐれも膝で止めないように。足の中の骨をバラバラにしていけるような攻めの練習ができたらよいなぁ。
2024/9/24
足の関節について説明したレッスンの一部を動画にアップしました。
足の中を動かすのは難しいので、手で導くのがおすすめ。
ということで、手で要領を理解してから足へと進みました。
足・足首が子供のように動くようになれば、膝は足で操作することが分かります。
私たち大人はもはや足・足首が不自由なので太ももで膝を操作している・・・これが膝を痛める理由です。(改めて解説します。)
2024/9/18
前回のメモの続き。
そろそろ結論に入りたいところ。
AさんとBさんの中腰姿勢、注目してもらいたいのは脛から下です。
上半身はほぼ同じようでも、脛の立ち方、即ち、足関節の背屈がどのくらいできて踵を引っ張り出されるかで、立位のバランスは全く変わってしまいます。
しゃがもうとした時に、まず足関節を動かせるかどうか。
小さな子供はとっさに足関節を動かしますが、大人になると足関節は最後の最後。
前に倒れそうになると、腰を曲げてしまって、股関節でさえ動かせない。股関節にロックがかかっているからですが、股関節にロックがかかっていれば、足首はさらにロックがかかっています。
子供を含め体の操作が上手な人は、股関節を使う前に足関節が使えています。
足関節→膝関節→股関節、という感じです。
上の動画の子を見てみると、しゃがむ時に、頭から会陰まで、つまり「胴体」は杭(円柱)のようにまっすぐなまま。円柱の胴体の形を全く変えないまましゃがもうとしているのが分かります。
もう少し大きくなれば、前屈みもできるのでしょうが、最初は前屈みになれないんだ〜(なるほど)
まさにタントウ功のタントウは『站桩』(杭のように立つ)という意味ですが、やっと立ち上がった子供の体は杭にしかならない(折り曲げられない)ようです。
そうすると、どうやってしゃがむのか?
最初のトライは失敗。お尻を落とそうとしてひっくり返りそうになる。
そして再度トライ。
↑画像①
お尻を落とそうとして、胴体が足首の上にまっすぐ乗った時、よし、いける!、という感触。この時、脛下は準備完了(足関節と膝関節はこの位置でOKと確認)
↑画像②
あとは①でセットした脛下を頼りにお尻を落とす(股関節の屈曲をする)だけ。
そして下の4枚は、立ち上がり方。
大人がしゃがむと左のような姿勢が途中に見られるが(https://youtube.com/shorts/HjMlQfNnTj4?si=NY1H6ym74sL97MIE)、赤ちゃんの姿勢の中に左のようなものはありません。
赤ちゃんは裏腿(ハムストリングス)も未発達なので、もっばら”足”(脛は足指の延長です)で立ち上がっています。
(「膝下はfoot , 腿はleg 」 by腰の王子)
大きな違いは背骨の柔軟性。背骨が自由に動いているか否か。大人はしゃがむ時に背骨の形を変えられないので、”スクワット”になってしまいます。
スクワットをすると体が分断し、膝下、足先まで気が通らないので太極拳では使いません。腹から足先まで経を通すようにしゃがみます(動功の双腿昇降功です。)
上の大人のしゃがみ方では、”膝がつま先からでないように”という意識が強過ぎて、太ももに過剰な力をかけて膝を固めてしまっています。膝を固めれば足関節も固まる。股関節だけに頼ったしゃがみ方になってしまう。本当は赤ちゃんのように、膝関節と足関節のロックを外してから股関節を緩めるべき・・・ (急いて結論だけ書きました)
2024/9/13 <AさんとBさんのしゃがみ方から学ぶこと 子供と大人の違い>
昨日の最後の問いに対し、私なりの回答を書いてみます。
まず、昨日の左の画像を見て、
「Aさんはきれいにしゃがめるだろうけど、Bさんは途中で引っかかるなぁ。」
と直感的に感じます。
なぜそう感じるのか、その正確な理屈を私は書けないのですが、「もしこういうポーズをとった人間像があったとしたら、このまま自立するか否か?」と問いながらAさんとBさんを見た場合の答えの導き出し方と同じだと思います。
「自立しなか否か」という観点から見た場合、Aさん像は、自立するかも、しかし、Bさん像は尻餅をつきそうだと分かると思います。Bさんは重心線がまっすぐ足の裏に通っていないような感じです。。もし立たせるなら、足の踵をもっと後方に引き伸ばす必要がある・・・・踵の長さが足りない、とい印象。
こんな印象を前提に、実際に二人がしゃがんだらどうなるのか予想して図を書いてみました。
まずAさん。
Aは子供的なしゃがみ方。
しゃがもうとすると頭は前に出ます。
そしてBさん。
Bは大人のしゃがみ方。
しゃがもうとすると、頭は後ろに動こうとします
太極拳に限らず、それなりに体を使おうとするなら、子供のようにしゃがめる必要があります。でないと、パフォーマンスがかなり下がります。Bさんがひたすらジョギングをしたらいつか膝や足首、その他に支障がでる可能性は大きいです
太極拳の場合は、基本姿勢が”腰を落とした”姿勢なので、正しくしゃがめる必要は大です。
腰を落としているつもりで、体を落としてしまっている(尻餅状態になっている)のが実際には多いのが現状。それはそもそも正しくしゃがめないからです。Bさんのようにしゃがんでいては正しい馬歩や弓歩はできません。しゃがむ練習はバレエのプリエと同じ、基本中の基本功です。
”しゃがむ”というのは、”体を緩めてエネルギーを溜めている姿勢”。
太極拳の虚霊頂勁から始まる一連の要領は何も太極拳だけの要領ではありません。
全身を連動させて一つにして動くための要領、すなわち、子供のような体の使い方をする要領です。
しゃがむ時にも沈肩は必要だし、含胸、抜背、塌腰が必要です。
大人はしゃがむという動作を下半身の動作だと思いがち。
かがむ、とか、しゃがむ、という動作は全身の動作です。
太極拳の弓歩や馬歩も全身動作です。下半身だけではどうにもならない・・・
腕は上半身の動き、脚は下半身の動き、といつまでも上半身と下半身を分断して考えていると太極拳の動きにはなりません。
最近、腰の王子の「ここからクルン♪」体操が、実は下半身で腕を回す練習でもあることを知りました。実はあの体操は太極拳の腕の動きにそのままなっています。
『力は踵から出る』、すなわち、拳の力は踵、足から繋がっている。
膝から下でしゃがめるようになると、とたんに質が変わります。
下半身の力、というとすぐに股関節や腿を思い浮かべますが、脛から下を開発しないことには土台ができません。
ということで、またここで問います。
そもそも、AさんとBさんは、何を違えて描かれたものでしょう?
上半身は全く同じです。下半身のどこを意識的に変えて描かれているのか? そこがポイントです。
2024/9/12 <背屈と底屈は下肢を制す 脛下で膝が曲がる しゃがみ方 その1>
足の背屈・底屈が子供の時と同じくらいできれば、膝が痛むことはないだろう。
股関節や腰が悪い人も必ずといってよいほど背屈と底屈が苦手だ。
背屈と底屈は赤ちゃんの時に訓練してきたもの。手足のグーパー、グーパー、そしてずり這い、ハイハイなどで足の指や足底筋膜を鍛えている。これができるから赤ちゃんはその他の筋肉が未発達でも立つことができるようになるのだ。
背屈と底屈、というのは、左の図の「足底筋膜」を伸ばしたり、縮めたりすることに他ならない。
「足底筋膜」は踵の骨と中足骨の先端を繋いでいる。
だから、背屈や底屈をする時に、足の指を使って反らしたり、戻したりしてはならないのだ。
太極拳の虚歩というのは、背屈と底屈に他ならない。
この時、背屈の虚歩(踵をつけてつま先を上げた形)にしろ、底屈の虚歩(踵を上げてつま先を地面につけた形)にしろ、いずれにしても、踵がスッこ抜けてはならない。
というのは、背屈で足底筋膜が伸びたにしろ、底屈で縮んだにしろ、踵の骨にはアキレス腱が付着していて、どちらもアキレス腱に連動し、それは膝裏まですぐに連動する。膝裏までいけば、そこにはハムストリングスが付着していて、それは坐骨まで繋がってしまう。
つまり、足の背屈底屈という形は膝裏の操作の準備であり、すぐに坐骨まで、ということは股関節まで連動させてしまう形なのだ。だから、虚歩の足は相手にとって脅威になる。どこからどんな脚技が出てくるか分からない。(太極拳の中で虚歩は技を隠した”暗脚”になっている)
太極拳の虚歩というのは、背屈と底屈に他ならない。
この時、背屈の虚歩(踵をつけてつま先を上げた形)にしろ、底屈の虚歩(踵を上げてつま先を地面につけた形)にしろ、いずれにしても、踵は絶対にスッこ抜けてはならない。
というのは、背屈で足底筋膜が伸びたにしろ、底屈で縮んだにしろ、踵の骨にはアキレス腱が付着していて、どちらもアキレス腱に連動し、それは膝裏まですぐに連動する。膝裏までいけば、そこにはハムストリングスが付着していて、それは坐骨まで繋がってしまう。
つまり、足の背屈底屈という形は膝裏の操作の準備であり、すぐに坐骨まで、ということは股関節まで連動させてしまう形なのだ。だから、虚歩の足は相手にとって脅威になる。どこからどんな脚技が出てくるか分からない。(太極拳の中で虚歩は技を隠した”暗脚”になっている)
背屈と底屈の練習の仕方もいろいろあるが、それは割愛して、話を進めて書いてしまいます・・・・
背屈をすると、膝の裏は伸びる。”膝の裏を伸ばして背屈をするように”と言われることもあるが、本当は、”膝の裏が伸びるように背屈をする”。背屈で膝の裏が伸びる=連動するようになれば足から膝までは、まさに腰の王子が言うように 『foot』になる。膝から下は足の指で操作できる。
背屈で膝の裏が伸ばせるようになったら、底屈も膝の裏が抜けないようにやる。すると、底屈で膝の裏が動くのが分かるだろう。実は、底屈をすると膝が抜けて膝が曲がる。
これを”膝抜き”と呼んだりするそうだが、これこそが『提膝』だ。
膝は太腿で操作をするのではなくて足➕脛で操作する。
膝を上げようと思って太腿で上げるからおかしなことになる。
膝を曲げるのに太腿を使う意識は子供にはない。
膝下を曲げればよいのだ。
←https://youtu.be/IcUvn7C9BHc?si=HSgnK5iii9ETlCBZ
子供達が頭を倒さないようにしてそろりそろりとしゃがむ練習をしています。
前にいる二人組の右側の女の子が上手です。降りる時に脛が前に倒れてしっかり背屈になっています。
彼女の相手(黒いタイツの子)は途中までは良いのですが、最後にそれ以上脛が動かなくなってお尻が落ちてしまいました。(背屈:足の中の骨が使い切れていない)
その後ろの二人組のグレーのタイツの子は、完全に尻餅をついています。
よく見ると最初からつま先が浮いてしまっています。足がうまく使えていません。
足の中が使えないと背屈ができないので脛が動きません→膝を動かせないので上体が落ちてしまいます。
最近の子供はしゃがめない子が増えたといいます。もしかするとそれを憂えた大人立ちがこんな運動を子供達にさせているのかもしれません。が、実は私たち大人こそ、こういう練習が必要です。
大人はうまくできても前列の黒タイツの子程度です。
例えば https://youtube.com/shorts/-rPDnkMWXCc?si=LJcC-i7UXegDqsMb
やはり背骨が硬いかな。もっと放松して自然に座れるようにしたいところ。
私は絵を描くのが苦手なので伝わるかどうかわかりませんが・・・
左のような、AさんとBさんがいます。
途中までしゃがんでいるところを描いています。
さて、この二人がそのまましゃがんでいったらどうなるでしょうか?
少し考えてみてください。
続きはまた書きます。
2024/9/10 <全てを緩めては行けない 健康法の原点>
あるシニアの友人が子宮脱になったという話を聞いて、最近考えていたことの回答が見つかった。
オンラインで教えている生徒さんの多くは現地で簡化24式を学んでいる。
昨日のレッスンでは背屈・底屈を丁寧に教えていたが、そこから発展して、搂膝拗步の拗步の仕方を細かく見せてもらった。レッスン後もいくつか動画を見てみた。
簡化の教える時には、「腰を緩める」とか「腰を落とす」、そして「付け根を緩める」(股関節を緩める)といった、”緩める”や”落とす”という言葉がよく使われている。
なるほど〜
”緩める”とか”落とす”とだけ言われるものだから、ますます体が落ちていくのかも。
肝心なところまで緩んでいるのだ。
それは、そう、会陰や肛門だ。
ここは絶対に緩めない。引き上げておく。
引き上げができれば引き下げもできるようになる。
引き下げは”緩める”のとは違う。
結局、『放松』の仕方の問題。
私が師父にタントウ功を学び始めたころは、師父は女性の生徒さんには最初から恥骨を持ち上げろ、と言っていた。私は日常生活で気づいたら引き上げる、落ちていたら引き上げる、という練習を癖がつくまで繰り返すように言われた。
ただ当時の師父は男性に対しては、全身がある程度緩んでから、会陰や肛門を引き上げるように教えていた。最初から上げさせると力が抜けない、という理由だった。
が、最近師父と話していたら、今は男性に対しても最初から提会陰や提肛を要求するらしい。そこだけ閉めて、それ以外の全身は緩める。そうすれば丹田に気が溜まる。
実は、『提膝』も一番大事なのは会陰、下を引き上げることだ。
ここが引き上がらないと腿上げになってしまう。
下げたまま太極拳をやると、痔になったり膝や股関節を壊す結果になりやすい。
”緩める”という下向きのベクトルばかりが強調されるが、実は、その反対の”引き上げ”という上向きのベクトルの要領も多いのだ。
先週は、眉毛を上げると提膝が簡単、腰椎が伸びる、と面白おかしく伝えたが、眉毛を上げると会陰は引き上がる。
提膝には足の背屈底屈が正しくできる必要がある、と今週は教えているが、足の背屈底屈も会陰と連動する。もし足首を動かしても会陰の奥が動かないとしたら、背屈と底屈は正しくできていない。
昨夜のレッスンで搂膝拗步をしてもらった時、「踏实」というような要領がある、と生徒さんから教わったが、この足を前に踏み込んで、しっかり踏んだ時は、必ず会陰は引き上がっている。というのは、しっかり踏んで足裏から地面へと気が流れる時は土踏まずは必ず上がっているからだ。土踏まずが下がっている時は会陰が落ちている。夕方になって足がむくんで大きくなるのは、体の力が減って会陰が下がってくるからだ。
簡化でほとんど見られない『圆裆』も、言われてみれば、会陰を引き上げた結果できるものだ。ただ股を開いただけではどれだけ開いても『圆裆』にならない。
上のいわゆる”師”というレベルの人たちは必ず会陰がものすごく引き上がっている。
上の崔老師や馮老師は、ぴちぴちのズボンを履いているから股間が見やすく、キュッと引き上がっていて美しい。下の劉師父は前後開脚をしているが、前後開脚をするには会陰をかなり引き上げる必要がある。
私は以前、馮老師は睾丸を動かしてみせたことがある、と聞いたことがあるが、それを劉師父に言ったらそれは周天をしていれば自ずからできるようになる、と言っていた。私の勝手な憶測だが、男性は股間に意識がいくことが多いだろうが、女性は股間に比較的無意識なのでは?問題があって初めて向き合うようなところがある。日頃から背屈や底屈をしながら内側の筋肉を動かして子宮が落ちてこないようにするのはどうだろう?
加齢とともに内臓は落ちていく。太極拳が養生法と言われるのは、下を引き上げないとできない拳だからだ。会陰の引き上げというのは、健康法の原点だ。会陰を引き上げないでスクワットをしていたら意味がない・・・筋肉をどれだけ肥大化させても内臓を養うことはできないのだ。
放松(力を抜く)というのはただ力を抜くのではなくて、体の内側が伸びるようにすること。それには上向きと下向きのベクトルが必要になる。ただ下に引っ張っても内側の隙間は開かない。
↓先月使った画像。
上段のヨガのポーズ。
左は会陰が引き上がっている。右はほとんど引き上がっていない。やはり左が良い。
(引き上げないと背骨が伸びない。実際、左の方が背骨が伸びている。)
下段の練功服の広告写真。ただの真似っこのポーズだと分かるのは会陰がみな落ちているからかも。
2024/9/8 <『提膝』から学ぶこと>
今週は引き続き『提膝』絡みの練習。
『提膝』を教えようとしていたら、結局、下肢全ての関節を総動員しなければならないことに気づいてしまった。
結論から言えば、『提膝』がきちんとできるなら、
①骨盤(寛骨)と大腿骨を分離して使えている
②膝のお皿が大腿骨と分離して動いている
③足首の背屈と底屈が足の指の力ではなく距骨の動きで行われている
つまり、股関節、膝関節、足関節が全て構造通りに動いている、ということだ。
教えていて気づいたのは、練習をするなら、③の足首の背屈・底屈の練習からすべきだということだ。いきなり①をやろうとすると、そもそもそれができているのかどうかが自分で判断できない、という生徒さんが多い。
面白いのは、「できているのかどうか分からない」という時は、ほとんどの場合ができていない。できている時は、できているのが分かる。(「私は悟っているのでしょうか、どうなのでしょうか?」と聞く人は悟っていない、というのと同じ?)
①ができているのかどうか判断する一つの方法が、②だが、これも、膝のお皿が動いているのかどうか分からない、という人がいる。この場合は、単純に膝回しをしてもらう。普通、膝回しをする時は膝のお皿と大腿骨や脛の骨の間に隙間をとろうとしているはずだ。膝をゴリゴリさせて膝回しをする人はいないだろう・・・
『提膝』は歩行時の後ろ足の蹴り足の動きに他ならない。
←https://www.tokushukai.or.jp/treatment/orthopedics/shitsugai-kansetsusyo.php
この図には、
「脛骨大腿関節」=いわゆる”膝関節”
と、
「膝蓋大腿関節」(膝のお皿と大腿骨の隙間)
の2つの関節が記されています。
詳しい解説は上のリンクの説明を読んで下さい。
膝のお皿が動く、というのは、「膝蓋大腿関節」が機能しているということです。
前腿(大腿四頭筋)の膝上あたりにいつも力瘤を作ったようにしていると、お皿が固定され動かなくなってきます。大腿骨も前へ前へと押し出されるので、次第にお皿と大腿骨の距離が近づき、膝を痛める原因になります。
膝のお皿は上向きに引っ張っておく必要があります。
大腿四頭筋(前腿)は上向きに引っ張る、ということです。
③の足首の背屈と底屈は、正しく行えば膝関節と連動します。
”正しく”というのは、距骨と脛骨・腓骨からなる「距腿関節」を動かす、ということです。
詳しくはこちらのサイト参照
→https://mysole.jp/kyokai/column/archives/571/
残念ながら、左の図のように、つま先を剃り上げて背屈をすると、距腿関節はほとんど動きません。背屈が距腿関節で行われると、脛の骨が後方へ動くので、膝の中で膝が伸びるような動きが連動します。
そして、その背屈を前提として、反対向きに動かせば(底屈をすれば)、膝の中で膝が曲がるような動きが出ます。
この連動を使った有名なポーズが、マイケルジャクソン ポゥ!です。
足首の底屈と膝の屈伸が連動すれば、自ずから、股関節も連動し体が安定します。
底屈を足の指でやっているようでは連動はしません。
上の画像は、私が2024/6/11のメモで使ったものです。
背屈・底屈に着目した場合、ここにでている大人は誰も正しく足首を使えていません。
”足の指を使って蹴る”という意識をもつと距骨はすっ飛ばされてしまうからです。
距骨は踵の骨の上にあります。
踵の中を使うような意識が必要です。
大人達の膝が不自然に伸びているのは足首と膝が連動していない証拠です。
それに比べて、左上の子供が歩いている姿はお手本。
膝が連動で曲がって前に振り出されています。
足首の距骨の運動で膝の屈伸が起こり、それによって大腿骨が振り出されると自ずから大腿骨と寛骨が分離して動きます(股関節が関節として機能します)。
左は2024/6/14のメモで使った画像。
ここで岡田くんは「お尻を落とすことで膝が前にでない」と説明しましたが、
言い換えればそれは、「骨盤を動かさずに大腿骨を動かす(屈曲をする)」ということです。
「膝を曲げると膝が前に出る」と言っているのは、「骨盤を動かして膝を曲げると膝が前に出る=膝のお皿と大腿骨が引っ付いてしまう=関節として機能しない」ということ。
「尻を落として打つの武術的」の中の「尻を落として」というのは、「骨盤を立てたまま=仙骨を伸ばして気を下ろして」ということ。「尻を落とす」時は大腿骨を前方に押し出さないこと。大腿骨はそのままで、尻だけ落とす(つまり、骨盤と大腿骨を分離する)ということです。結果、大腿骨の付け根を後方に引いたようになるので、大腿骨の付け根から膝までの距離は長くなります=坐骨、ハムストリングスが使われます。
そして、「お尻を落とした」時、カチッと足首の関節がハマる、といった関係になります。
そういう目でみると、ボクシングの世界チャンピオンの形は本当に完璧です。
今週は、上の①②③をそれぞれなんとかして理解させるのが私の課題。
①が分かる方法は今日の練習で発見したので試してみます。
<追記>
岡田くんと二人で写っている画像の二人の後ろ足をみると、世界チャンピオンの方がしっかり床を蹴っている(推している)のがわかります。岡田くんの後ろ足は膝で少し力が漏れているかなぁ?きっと腰の問題・・・(世界チャンピオンと比べるのは酷ですが、ついでに書くと、チャンピオンは命門(腰)が開いていて、足の力が背骨を貫通しています。岡田くんは命門が甘い。)
2024/9/3
股関節を緩める前には必ず腰を緩める必要がある。腰と股関節は密接な関係がある。師父はいつも腰と股関節をセットで扱う。
それは何故?
腰の王子も、腰痛の原因は股関節がうまく使えないことだ、として、おじぎ体操を推奨する。
今週のレッスンでは、生徒さん達に尋ねてみよう。
なぜ股関節がうまく使えないと腰痛になるのか?
そしてまた、なぜ腰が緩まないと股関節が使えないのか?
自分でよーく考えてみるのも練習になる。
2024/9/2
今週のレッスンの題目。
先週からの流れで 『提膝』がらみ。
提膝というのは、結局『単腿』(片足立ち)。
ただ、”片足立ち”といっても、重心は体の中心。文字通り、”片足だけ”で立っているわけではない。
結論から言えば、左右の腸腰筋が働いて重心を体の中心に通して立っている。
<下の画像>
右 https://mainichigahakken.net/health/article/32-1.php
左 https://ourage.jp/karada_genki/exercise-stretch/346820/
上のような片足立ちは太極拳では行わない。(やっても実際の運動の役に立たない。)
というのは、
左側は片足のみで立ってゆらゆらしながらバランスを取る練習。太極拳やスポーツでは(サッカーをイメージすると分かりやすい)、ゆらゆらするような立ち方はするわけがない。
これに対し右側は、片足で立った時にバランスをとるために、上げた足の足首と前腿にロックをかけている。これは上げた足を固めることによってバランスをとっているのだが、こうすると、上げた足の股関節やその他の関節は自由に動くことができなくなる。上半身も固まっている。『抬膝』の典型的な姿だ。
では下のような片足立ちはどうだろう?
https://gooday.nikkei.co.jp/atcl/column/20/060500006/010600037/
こちらは上に比べて随分安定している。特に右側の足のあげ方は足首も抜けていて上半身も放松していてとても良い。このように上げるには腸腰筋を使う必要がある。腸腰筋は左右についているので、右を上げようとすれば左は降りる(連動する)。
ただ、右側の膝上げは、「90度に上げよう」と思ったせいか、膝を上げる軌跡を間違えてしまっている。『提膝』なら膝は胸に近づくように上げる(そうすると腸腰筋が使える)。
左の画像に比べて右の画像の上半身の胸が前に出て放松がなくなってしまったのは、足の上げ方を間違えたせいだ。
『提膝』であれば、上半身は放松したままのはず。
と、このあたりは復習。
気づいたかもしれないが、提膝の時は足首の力を抜くのがポイント。
ここが固まると膝も固まる。膝が固まると膝のお皿が滑ってくれない。
膝が上がる時にお皿が上に滑らないと、寛骨(骨盤)が太腿と一緒に動いてしまう。
寛骨と大腿骨が引っ付いて動いてしまうということは、股関節が使えない、ということだ。
参考までに。
左はバレエの基礎レッスンだが、そこでは、股関節から足を上げる訓練を徹底的に行う。
つまり、骨盤を動かさずに大腿骨だけを動かす練習だ。
やってみると分かるが、そのためには、体幹部にかなりの力(内力)が必要だ。太極拳でいうところの、「丹田を失わない」ということと同義だ。
ゆるい体で足を上げると骨盤と大腿骨は分離できない。
ただ、”蹴り”の場合は、ただ太腿で蹴っても大した出力にはならない。
骨盤と太腿を分離して太腿を出した上で、その上に骨盤の力、そして胴体の力を乗せていく(加えていく)。
力を乗せていく(連動させていく)には、まず、分離させておくことが必要。
←このような上げ方は(本当の)太極拳ではあり得ない。高く上げようとして骨盤を必要以上に動かしてしまい、相手を蹴るという、”出力”ができない状態になってしまっている。
観客に見せる(何を?)ための太極拳?
本当の蹴りを見たくなってブルースリーの動画を探しました。
太極拳の蹴り方とは少し違うけれども、骨盤と大腿骨の分離は当たり前。でないと、こんな蹴りはできません。
片足立ちのオンパレード。
普段私たちが両足でしか立っていないのとは対照的。蹴りをしようとすると嫌でも体幹部を使います。腰は要。
脚が腕のようだ・・・爽快!!
(大腿骨と骨盤を分離することで、脚を使う時に大腰筋にスイッチが入ります。普段の歩きも同じ。 このあたりをレッスンする予定。 )
2024/8/31
提膝の大元は虚歩だ。
虚歩から膝の位置を高くしたのが提膝だ。
どうやって正しく虚歩をするのか?
虚歩を間違えると提膝はできない。
簡化24式の起式、并歩から左足を虚歩にして膝を上げ、そして開歩になって着地、この部分に『提膝』が含まれている。
ランダムに動画を拾ってみました。
左上:https://youtu.be/XM5xnwPcNR4?si=T7WOB9cbu_4H0Ce8
右上:https://youtu.be/0DEc7anh2Ts?si=la8536eGjM4YL15a
左下:https://youtu.be/ILMj840r3sU?si=LpUxMcMI-my7X5pU
右下:https://youtu.be/RxQhocwB568?si=vy3aGTVIRMSr0uJ_
この部分の動作は、相手と搭手(手を合わせた)状態で、相手に気づかれることなく回り込む時などに使われます。片足を動かした時に、合わせた腕や手を通して相手に察知されてはいけない。つまり片足を動かした時に体が動いてはいけません。
骨盤が動くと体が動きます。
だから、こここそ、大腿骨から動かす必要がある。
上のクリップを見ると、右下の老師以外は、皆、左足を上げようとした時に体が右に動いています。これは骨盤が動いている証拠。骨盤から足を上げようとすると上げる前に体は反対側に移動させなければならない。骨盤を止めて太ももの付け根から動かせると、左足を上げようとする=虚歩になる(足首の底屈運動が起こる)と同時に、右足は地面を踏む(右足首の背屈)になる。右足と左足の入れ替え運動だ。
右下の老師は左足を上げようとして背が低くなっている。これは骨盤を落としてしまっているせいだ。これでも正しく動けない。
虚歩のなり方、虚歩については改めて書く必要があると思うが、とても大事な点は、虚歩になる時は距骨が滑る必要がある、と同時に、膝蓋骨も滑る。
提膝の時も膝蓋骨が上向きに滑る。
膝蓋骨が滑らないと腿上げになる。
股関節を緩める、というのは、寛骨と大腿骨骨頭の距離を開ける、ということだが、そうすると、必ず、膝のお皿は上方に滑る。
膝のお皿の滑りが悪いと膝を痛める。
と同時に、動く時に、膝のお皿が動くように動く、というのも大事だ。
2024/8/27 <提膝 骨の上端と下端、隙間の武術>
『提膝』(膝を吊り上げた(結果吊り下がる))と『抬膝』(膝を上げる)の違いをはっきりさせようというのが先週からのレッスンの目標。
実はこの違いが太極拳の核心に関係する。
今すぐにできなくても、頭で理解をして、あとは、”それ”ができるように訓練していけばよい。
ちなみに、『提膝』と『抬膝』の中国語での違いをchat GPTで調べたら、『抬膝」は日常的に行われる膝盖を持ち上げる簡単な動作、『提膝』は武術など特定の運動で行われる膝を意図的に上に引き上げる動作、とのこと。
ん〜、”意図的に引き上げる”というところに恐ろしげな含みが入っていますが・・(苦笑)
とりあえず、よく見る『抬膝』は下のような動画で紹介されていました。
下の左側:https://youtu.be/jnMTejEW8VY?si=RgaChW7CRjEs0vE_
右側:https://youtu.be/yjrNmL8R4H8?si=Eyp-pZgPpLSypasG
←https://youtu.be/0D0SIcjLwNA?si=RcP1sW4wx-HQeKcD
この椅子に座ってやる方法は、医者がよく勧める方法。
大腿四頭筋を固める方法です。
ここを固めると大腰筋が使えない・・・結局、腰が使えず全身の連携が途切れます。
では『提膝』は?
とざっと動画を調べても的をついたものは出てきません。
唯一、やはり、ここでも腰の王子が核心をついた話をしています(提膝について語っている訳ではありませんが。)
結論から言えば、『抬膝』では股関節が使えていない。
というのは、寛骨(骨盤)と大腿骨を一緒に動かしてしまっているから。
(股関節が使えないということは、大腰筋が使えない、腰も使えない、ということ)
「いや、膝を上げれば股関節は屈曲運動しているではないですか?」と思うかもしれないのですが、王子が動画で説明しているように、”膝”を上げよう、と意識した時点で、膝(という本当はないもの)を固めてしまっている→股関節も固まってしまう=寛骨と大腿骨骨頭が一緒に動いてしまう。
では『提膝』は?
『提膝』を行うときは、ダイレクトに膝を上げようとはしません。
「膝が上がるように」します。
どうやって膝が上がるようにするのか?というと、
背骨を長く下に伸ばして骨盤を立てたまま股関節屈曲をする、という感じです。
言い換えれば、気を腹底の方まで沈めながら、含胸・抜背・塌腰をするということ。
<骨盤を立てたまま=骨盤を動かさずに、大腿骨を動かす>というのがポイント。
(提膝で発勁をする際は、大腿骨を動かした後で寛骨を動かして、力を加えます。速い動きではそれを瞬時に行います。)
上で紹介した王子の動画で説明していることですが、
<膝を上げよう>とすることは、<大腿骨下端と脛骨上端をくっつけて上げよう>としていることに等しく、その場合は、”必ず”、股関節を構成する<寛骨と大腿骨骨頭>がひっついてしまい、膝を上げようとすると骨盤までずるっと動いてしまいます。
つまり、<膝を上げよう>とすると股関節(という隙間)は使えません。
股関節に隙間がないと骨盤はブレて、上半身と下半身の連動は断絶します。
全身をいかに連動させるか(周身一家)を核心としている太極拳にとっては避けなければならない動き方です。
王子の説明であるように、<大腿骨の上端を動かすことによって、大腿骨下端を動かす>ことができれば、全身の連動を開始させることができます。大腿骨の上端や大腿骨の下端という”骨の端っこ”を意識できるならば、隣り合う次の骨の端っこも意識できる=動かせるはず。すると骨が次々に連動して全身に連動がかかる。これが全身の連動の原理です。
太極拳は”隙間”を重視しますが、それは<関節>が骨と骨の隙間だからです。隙間が見れるなら、2本の骨の端っこと端っこが意識できる。まさに王子の言うところと同じです。
『節節貫通』、というのは、関節が貫通する、という意味ですが、これによって『周身一家』が完成します。
が、まずは、<関節>、すなわち、骨と骨の隙間、が意識できるようにならなければならない。<内視>の練習が必要になるのはそういうことだからです。
タントウ功や内功には必ず『内視』の練習が含まれています。
套路でも内視をし続ける必要がありますが、最初は静止状態や簡単な動きの中で内視を失わない練習が必要です。
内視によって丹田を作り、丹田が失わないように動く=内視を外さない、練習をすることで、関節などの”隙間”も見えるようになります。
丹田自体が大きな隙間。
腹の中に伸縮可能な隙間を開けておくと、体の中の関節も隙間として見えてくる(意識できるようになる)。勁もその隙間を通れるように隙間を開けておきます。「気を通そうとする者は滞る、意で通そうとすれば通る」という言葉は、勁を通す際に陥りがちな過ちを正してくれます。気を通そうとすると隙間がなくなります。意で隙間を開けて気を通す。「気を運ばずに、気を行かせる」(運気ではなく行気)というのも同じことです。
結局、太極拳は”隙間”の拳。少林拳や長拳、空手などと違う、内家拳の特徴です。
2024/8/23 『<抬膝』と『提膝』>
https://youtu.be/6DSK3bUjehk?si=xyhcI_rm3fPCcf3g
いわゆる”カンフー”系でやられている右のような膝上げは、正確には『抬膝』です。
『提膝』では軸脚が地面を踏むと連動してもう片足が上がります。”足踏み”現象が起こります。左右の腸腰筋の連動です。胴体で立っているという感じで、腸腰筋を通って腕と脚もつながります。
”平衡を保つ”といった感覚は、前提としてぐらぐらするからですが、きちんと『提膝』ができると足を上げ始めた瞬間から連動がかかるのでぐらぐらしません。平衡を保つというよりも、体内の気を膨らましておく、という感覚。
2024/8/19 <大腰筋と内転筋の連動、『提膝』の意味>
股関節を屈曲させる時には、お腹から内腿に走る縦線(ライン)が消えないように・・・と生徒さん達に教えている。
言い換えれば、股関節から脚を使わない、お腹から繋げて使う、ということだ。
実は、これは大腰筋を使って脚を動かす、ということに他ならない。
お腹から鼠蹊部を縦断して内腿に達する線・・・これは、大腰筋と内転筋を連動させる、ということだ。
←https://sennrioka-nakamoto.net/archives/3413
腸腰筋(大腰筋➕腸骨筋)が内転筋につながっていく様が見られる。
太極拳で丹田で脚を動かす、というのは、まさにこの筋肉の連動を引き起こさせている。
この点については、腰の王子のブログが非常によく説明してくれている。さすがだ!!
https://ameblo.jp/tategoshi-japan/entry-12412434109.html?frm=theme
大腰筋と内転筋を繋いで立たなければしっかり立てない、ということだ。でないとぐらぐらする。
片足立ちでぐらぐらするのは、足を上げた瞬間、大腰筋がOFFになるから。
太極拳では足を上げる時には、まず膝を上げる(提膝)。
太腿を上げるのではなく、”膝”=大腿骨の下端、をちゃんと上げられれば、大腰筋にスイッチがはいる。
ここで問題なのは、どうやって、(大腰筋にスイッチが入るように)膝を上げるのか?ということ。
ここで太極拳の要領に使われている語句がヒントになる。
『提膝』という言葉の意味だ。
普段は<膝を上げる>と訳しているが、正確にはそうではない。
<膝を上げる>と中国語で言うなら、【抬起膝盖】だ。,<持ち上げる>には『抬』(tai)という漢字を使う。
なぜ 『抬膝』ではなくて『提膝』なのか?
『提』は、<提げる>という意味だ。
ショルダーバッグは「提包」だ。
私の頭の中には、酔っ払ったお父さんがお土産を提げて帰ってくる、といった場面の画像が・・・
適当な写真が見つからなかったので、左のようなカプセルトイの画像を載せます。(https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2311/04/news046.html)
つまり、『提膝』は「膝を提げる」という意味。
「えっ?どうやって膝を提げるの?」と聞かれそうですが、ふふふ・・・それは今週のレッスンで生徒さん達にやってもらいます。
試しに家で主人にやらせてみました。
まず、膝を上げてもらう。それから、私が補助をして、「膝を提げ」させました。
「どう違う?」と聞いたら、「最初のは腿に力が入る、後のは腹筋に力が入る」と思った通りの答えが返ってきました。
すごいすごい!
これを体験すると、上で紹介した腰の王子のブログの中に埋め込まれている動画の中で、王子が大腰筋を使う要領は、一言、「△△」と言っていたのが腑に落ちるでしょう。
レッスン楽しみ〜。
2024/8/17<股関節の緩み お腹を伸ばせるか、腸腰筋が要>
今日のレッスンでも鼠蹊部を緩める練習。
ヨガのチャイルドポーズから始まって、正座、正座からの膝立て座り、立ち上がり・・・と基本的な動きを、”下腹部を引き伸ばして太腿(内腿)につないだまま行う”という注意のもとにやってもらいました。
私はヨガのプロではないのですが、”股関節の屈曲”という観点から見た場合、下の2つのチャイルドポーズは全く質が異なって見えます。
、ちょうよう 左側が正しい股関節の屈曲。このように屈曲できる人は、必ず、伸展も得意。
右側は屈曲が不完全なので、伸展は不得意。
ヨガのポーズも太極拳と同じで、そのポーズを作る過程がとても大事です。(過程で経をつないでいきます。ポーズを作った後で繋ぎ直すことはできない。)
左側の説明はhttps://yogajournal.jp/pose/80
なるほど。
まず、足の両親指をつけるのが一つのポイント。
そして、「ああ、そうだよね」、と思わせる記述が、最後の文章。
『両手の中指をまっすぐ前に向け、お腹を内側に引き入れて背骨を長く伸ばす』
”お腹を内側に引き入れて”:そう、これができないと股関節の屈曲は不完全。
そしてこの”お腹を内側に引き入れる”には会陰や肛門を引き上げる必要があります。
すると、伸ばした両手の中指と会陰や肛門が引っ張り合いになって背骨が伸びる・・・
太極拳の『抜背』になります。
ということは、背骨を引き伸ばさないと股関節の屈曲は不完全ということ・・・
これに対して右側ポーズ。この説明はhttps://www.hotyoga-caldo.com/home/pose024.php
なるほど。ここでは、背骨を伸ばしているわけではなくて、背中や腰を丸くしてリラックスさせているとのこと。ならこれで良いのかも。
私が今日生徒さんにやってもらおうとしたのは左側の要領。
お腹が伸びるのが分かるはず。
実は、種明かしをすれば、有名な「腸腰筋(大腰筋と腸骨筋)」を使う、ということです。
太極拳が『腰と胯』を最大の武器としている(そのために丹田を使う)というのは、言い換えれば 『腸腰筋を武器とした武術』ということのはず。
腸腰筋を人一倍使う、いや、常に使う、指一本動かすにも腸腰筋を使わせよう、というくらいの拳だといえるでしょう。
だからか腸腰筋が抜けているようなものをみると、あれ?と思ってしまう。
このチャイルドポーズは立位になるとお辞儀になります。
あ〜、だから、腰の王子はおじぎ体操をやたらマニアックに教えるのね・・・
狙っているところは同じ。
が、動画を見ても、肝心なところは全て伏せられています(苦笑)
講座をとらないと教えてくれない・・・
ただ、私たちがおじぎの姿勢でどうなりがちで、本当はどうしたいか、ということは、下の動画の方が説明してくれています。(最初のイラストで全てが説明されています。イラスト上手!羨ましい。)
しかしながら、どうすればそうできるのか、については少し曖昧。(最終的には”脱力”)。その点、王子はものすごく細かく眼目を定めています。が、それを一つずつクリアしていくのはなかなか大変。
私自身は現場で生徒さん達を導いて、狙ったところが少しでも使えるように頑張ります。少しでも”そこ”が使えれば、その感覚を生徒さんに覚えてもらう。いつも無意識で動いた時の感覚と、”そこ”(この練習なら腸腰筋)が使えた時の感覚の違いを脳で認識する。そこから徐々にそこに入れるように練習すればよいと思います。これまでついた癖をとるのはなかなか大変ですが、差異が分かれば癖をとるための道が開けます。
腸腰筋を使って足の上げ下げをする練習は室伏長官が簡単なエクササイズを紹介してくれています。できているか否かが分かりやすいのがグッド。動画の前半の動きです。
腸腰筋を使って足の上げ下げをする練習は室伏長官が簡単なエクササイズを紹介してくれています。
足を下げていく時に腰が浮かない、というのがポイント。お腹に力を入れるというよりも、お腹を下向きにどれだけ引き伸ばせるか、がポイントです。お腹が伸びて鼠蹊部を縦断して太腿まで繋がればOK.
できるか否かが分かりやすいエクササイズ。下の動画の前半の動きです。股関節の屈曲、伸展、股関節の緩みを作るには腸腰筋の活用がマストです。
2024/8/16 <股関節を緩めるとは? 正しい中腰? 定義>
今週は「股関節を緩める」ということを少し違った観点から教えようとしています。
太極拳で「股関節を緩めて!」というと、それは膝と股関節を曲げること(=中腰姿勢になること)と思いがちです。
でも、膝と股関節が曲がっていれば股関節は緩んでいるのだろうか?
<中腰について 脱線>
中腰は「膝と股関節を曲げて腰を落とした姿勢」と定義されるようだが、アレキサンダー・テクニックの教師の方のブログには、おやっと思う図がある。
https://miwazado.com/advantageuse/ch7sec4.html
説明は専門用語が多く全ては理解できていないのだが、左図の右側のような姿勢は太腿(膝)に余計な負担をかけるので良くない、体の前面と臀部を使って中腰姿勢になるべきだ、ということが書かれているようだ。右側の姿勢は「モンキー」と呼ぶそうだが、実際、多くのスポーツでとられる「アスレティック・ポジション」(前傾姿勢)はこの「モンキー」姿勢だ。(テニスやスキー、レスリング・・・)
ということは、太極拳のようにわざわざ背骨を垂直に立てるような姿勢は、よほど気をつけて行わないと体に負担をかけるということ。ただ”立つ”練習があるのは、この立ち姿勢をマスターするためだろう。つまり、訓練が必要だということだ。
本題に戻る。
では中腰姿勢になれば股関節は緩むのか?
私が少し考えて出した結論は、「股関節を緩める」というのは、「その状態なら、股関節の屈曲、伸展、内転、外転、内旋、外旋が全て可能である」というもの。
車で言えば、ニュートラルの状態。そこから前進もバックも可能だ。決してエンジンを切っているわけではない。
←https://asmake.jp/blog/3954.html/
例えば左のような前肩姿勢。
前肩になれば、必ず骨盤は後傾する。
骨盤が後傾すれば、股関節の伸展は不可能だ(腿を後ろに上げる=蹴る ことはできない)。
つまり、この姿勢は股関節が緩んでいない。
一方、上に載せた、アスレティック・ポジションの中腰姿勢では、背骨に対し骨盤が真っ直ぐ入っているので、前にも後ろにも脚が上がる(屈曲・伸展が共に可能)。必要なら内転・外転・内旋、外旋もできるだろう。
このような状態なら股関節は緩んでいる。
師父は、準備体操で、提膝の状態で、膝を回すことで股関節の内旋、外旋をさせる。それはちょうど、肩関節を回す時に、肘を折って肘を回すのと同じだ。(膝=大腿骨下端を回すことで、股関節=大腿骨上端が回る)。
そして、内功では常に股関節を回転させる。套路でも、股関節は常に回転させる。
股関節を回せる状態にしておけば、股関節の屈曲やら伸展やら、全ての動きが可能(腰の王子も同じことを言っていたことがあります)。
つまり、「股関節の内旋・外旋ができる状態にする」というのが、「股関節を緩める」ということだということです。
とはいえ、レッスンでいきなり内旋外旋から入ると理解し辛いかもしれないので、レッスンでは、<伸展>(大腿骨を後ろに上げる動き)で股関節を緩める感覚を導くことにしました。<伸展>で股関節の隙間を見つけることができれば、その延長線上にある屈曲もどんな屈曲が正しくて(緩んでいて)、どんな屈曲が正しくない(緩んでいない)かが分かるようになります。
今週前半のオンラインレッスンではそれを教えましたが、手応えは十分ありました。
2024/8/14
そもそも、「股関節を緩める」(松胯)とはどういうこと?
そもそも、起式で松胯がきちんとできているのだろうか?
松胯の定義は?
少し考えてみるとよいかも・・・
2024/8/13 <股関節の緩め方に注意!>
今日のオンライングループレッスンの内容。
一つ目は、鼠蹊部(前胯、股関節の前側)を”緩める”(=松song)ということの理解を深める練習。
太極拳の基本姿勢は股関節を”緩めた”状態だが、この、”股関節を緩める”というのが曲者。間違って、老人のような股関節の使い方をしているケースはとても多い。膝を痛める原因だ。
下は加齢による歩き方の変化を示したイラスト。
←http://jusei.or.jp/?p=2771
加齢とともに歩幅が小さくなるのは結果であって、歩幅を大きくすれば姿勢が戻るわけではない・・・
脚力をつければ良いというものでもない。
問題は、加齢とともに私たちの体は萎んでいくというという事実だ。萎む、というのは、体を内側からパーンと膨らませていたもの、すなわち、体の中の気の量が減る、ということだ。
中国では古来より、この”気”をとても重視してきた。生まれた時に気が最も充満していて、次第に少なくなり、ついに無くなってしまった時に命が尽きる。長寿を何よりも尊いとする文化だから(私の偏見です)、気をいかに増やすか、無くならないようにするか、ということが内丹・外丹術として研究された・・・
↓老人の典型的な姿勢
背中が丸くなったり、膝が曲がったりするのは、体内の気の量が減って萎んでしまった結果の現象だ。
ちょうど、植物と同じ。人間も蕾から満開になって、そのあと萎んで枯れていく、その過程をたどる。この萎んでいく時に、できるだけ、萎まないように内丹を煉って気の量が減らないように頑張る・・・これが内功だ。
日本人は若いうちに既に腹圧が減ってしまっているようなところがある。
いつもお辞儀をするからなのか、謙遜するからなのか、よくわからないが、中国人・韓国人と日本人はそっくりだが、姿勢が全く違う。中国人や韓国人はもっと偉そうに胸を張って歩いている。中国でもそしてフランスでも、店に入った時は見くびられないように、自分を大きく見せるようにする。(私が癖で、「すみませ〜ん」とお辞儀をしながら店に入ったら、現地の友達にそんな入り方をしてはいけない、と中国でも、フランスでも直されたことがあります。)すぐに腰が曲がってしまう(丸くなってしまう)のも、常に身を低くしようとする文化のせいかもしれません(最近の子は違うのかな?)
太極拳の話に戻すと、中腰姿勢になる時=股関節を緩める時には、決して腹圧を抜いてはいけません。丹田が分かる人なら、”常に丹田を失わない”ということです。(ただ、丹田を固めて作ってしまわないこと→拘束丹田に注意!参考:
https://www.undoukagakusouken.co.jp/seminar_SI.html このページの「下丹田 初級」の説明)
(腹圧を抜かない、というと、ただ吐いて腹圧を上げるような気がしますが、ただ吐いて腹圧を上げると最後に息が止まり、腹が固まります。ウッとなったら拘束丹田になっている。息が止まらないように吐いたり吸ったりしながら丹田を作ります。)
まずは、股関節を緩めた時に一緒に腹圧が抜けてしまいがちなのに気づくこと!
腹圧を抜かずに(お腹を凹ませずに)しゃがめるように研究します(これが幼児のしゃがみ方)。タントウ功や坐禅、内功の時にもそれをチェックします。そして普段の生活でも、屈んで物を拾う時など、お腹が凹まないように注意してやってみるとよいかと。
今日の練習では、腹圧や丹田の説明はゼロで、ただ、腹から鼠蹊部を縦断して太もも前側に繋がる内側のラインを見つける練習をしてもらいました。脚を後ろに上げると比較的簡単に見つかります。うまくいけば、足が扣になる!
この内側の繋がるラインが見つかったら、それを失わないように、中腰姿勢になる練習をする。丹田から脚を使った感じが分かれば、それまでの姿勢がおかしかったことに気づく・・・実際、今日の生徒さん達は皆、その違いに気づいたようでした。
あとは、それを定着させていくこと。
二つ目は、腕立て伏せで腕の生え方を知る。そしてそれと同じことを股関節で行う、という課題。これについてはまた今度書きます。
<付け足し>
高齢者系の中腰姿勢は、特に太極拳の衣装の広告で顕著に見られます。若いうちはまだ先天の気が多く残っているので、太ももを鍛える感覚で練習していれば良いかもしれませんが、遅かれ早かれ限界が来ます。太極拳の全身の勁をつなげる動き方はできないので、太極拳風のスポーツ競技の域は出ません。
2024/8/10 <引き上げと引き下げ、内臓を引き上げる!ヨギーでもある師父?>
太極拳で難しいのは、体を落とさずに気を落とすこと。
太極拳の基本姿勢が中腰なので、気は落としやすい。
しかし、体まで一緒に落ちてしまうと、背骨が伸びず(脊椎間の関節の隙間が開けられず)脊椎一つ一つを動かすことができない(背骨運動ができない)。
太極拳は四肢運動ではなくて背骨運動。そのための準備が基本姿勢。
頭頂を下げず(顶劲)気を下ろすことによって背骨の関節の隙間を開けていく。
<参考>
バレエの場合は中腰にならずに(股関節や膝を緩めることなく)背骨を伸ばしていく。結果、背が高くなったようになる。左の図を参照。https://miyanishizono.com/lesson/ballet-for-athlete-2019-2
これに対し、太極拳の場合は頭頂の位置を変えずに膝や股関節を緩めることによって、下向きに背骨を伸ばすような形になる。
同じように背骨を引き伸ばすが、その方法が異なっている。
バレエの場合は、まずは”引き上げる”ことが強調される。
太極拳の場合は、まず”落とすこと”が強調される。
が、最終的には、どちらの場合も、引き上げと引き下げは同時に必要になってくる。
上げているだけでは地面の気を掴むことができない。浮いてしまう。
下げているだけでは、足裏から地面の反発力を得て勁力を得ることができない。
というよりも、そもそも、引き上げるには地面を踏まなければならないから引き下げが前提で、落ちずに下ろすには引き上げておく必要がある。(片足立ちで膝を上げた状態からゆっくり足を下ろしていくには腹の中を引き上げておく必要がある。)
実は丹田を作ると、引き上げと引き下げが同時にできる。
というのは、丹田は下を引き上げて、上から息を下ろす、つまり、↑と↓が同時に存在しないと作れないからだ。
『気沈丹田』というと、気を”沈める”のだから、当然下向きに気を下ろすのだが、それを”丹田”へと沈める、というと、”引き上げ”という上向きの力はマストになる。引き上げずに下ろすと、”漏れる”。
加齢とともにただでさえ漏れているのに、太極拳の練習をしてさらに漏らしていたら意味がない。気が漏れるのは九窍(9つの穴 口・両目・両鼻孔・両耳・尿道口・肛門)から。練功の時は尿道口と肛門を閉める。その他の穴は閉めずとも内側に引き込んでおく。9つの穴から気を引き込めば丹田に集まる。
先週までやたら”帯脈”を強調したが、帯脈を使うにはかなり引き上げる必要がある。脚をウエストの位置まで引き上げておくような感じだ。
坐禅をしっかり組めれば会陰が腰まで引き上がる感覚が得られるが、そうでなければ体験するのがなかなか難しいかもしれない。
オンラインの生徒さんから、引き上げができません・・・・という声があったので、どうしたものか?と考えていた。
すると、バレエの先生がこんな言葉を発しているのに出会した。
「お腹を引き上げる、程度では足りません。お腹の中の内臓を持ち上げて、それから骨盤自体を持ち上げて下さい!」
骨盤自体を持ち上げる、なんて考えたことがなかったので、早速師父に意見を聞いてみた。師父は、「骨盤自体が持ち上がる、というのはよく分からないが、少なくとも、内臓は引き上げる。」といって、お腹を出して、小周天をやってくれた。
そのお腹を見ていたら、あれっ?と気づいた。これはいつぞやヨガの先生がやっていた動作と同じだ。ヨガでお腹をペタンコになるまで引き上げる練功があるが、それと原理は同じだった。やはり、気功法のルーツはヨガ。クンダリーニをあげるヨガの行法が内功に取り入れられている・・
会陰や肛門を引き上げる、というのがよくわからなかったら、内臓を引き上げる、ということを試してみたらどうだろう?下に私が信頼するヨガの師の動画を貼ります。冒頭の動作が小周天を早くやっているものです。真似してお腹がペタンコになるまで引き上げてみる、そして放松、これを繰り返せば”引き上げ”の練習になるかと。内臓は落ちてくるので、引き上げる練習は必須。
この動画を師父に見せたら、「冒頭の第一番目は小周天、それから帯脈回し、どちらも大変良くできている!」との評価。その上で、「この動画の中のヨガのポーズは、最後の一つを除いて全て自分が若かった頃にはできました。」と一言。え〜〜〜!と驚いた私。こんなポーズが全部できるなんて、どんな体?私には想像できません。どうりで師父の体があんなにも自由自在・・・とうてい及びません・・・
2024/8/3 <レッスンの振り返り 帯脈 後半>
帯脈に関するレッスンの動画の後半をアップしました。
拍打功や套路への応用、提膝(膝上げ)との関連についても説明しています。
2024/7/31 <レッスンの振り返り 帯脈 前半>
先週のレッスンの振り返り動画を撮りました。
長い動画なので前半、後半に分けました。
前半は、「帯脈」を起動させる重要性を理解させようと試みたレッスンの要約版です。
帯脈は中丹田の中にあります。中丹田の中心は臍ですが、そこを取り巻くラインなので、人体の赤道とも言えるのが帯脈です。
「胴体を手のように使う」というのが太極拳の本来の姿。
「全身が手になる」と言います。『周身一家』を具体的に表現した言い方です。
胴体を動かすための取っ手が帯脈。
女性の重心は気海穴で、骨盤の中にあるため、帯脈は女性にとっては思っているよりも上の方に位置するので起動させるのは少し大変です。かなり”引き上げ”が必要です。
男性の重心は臍なので、帯脈を起動させるのは女性ほど難しくないかと思います。
動画では便宜的に帯脈を起動させる方法を紹介しています。
私が面白いと思ったのは、帯脈が意識できないと(帯脈で胴体をホールドできないと)、お尻が下がって股がはっきりしないということです。男性よりも女性のお尻が垂れてお尻と太ももの境目がはっきりしなくなる(坐骨、承扶穴が曖昧になる)のは、女性の重心が男性よりも低い位置にあるため帯脈が意識し辛いからかと思います。
私自身の経験としても、気を中丹田に溜めるのはなかなか大変で、下っ腹に気は溜められても、胃の位置(臍から鳩尾の範囲)を気で満たすことができず、師父に「女性には無理ではないか?」と弱音を吐いたことがあります。特に日本人の女性は胃が凹んで下っ腹が出ている、というお腹が多いのでは?
←https://halmek.co.jp/beauty/c/bbody/3861
このようなぽっこりお腹を凹ませるのに、ドローイン(内側に引き込む)という方法を使うのが一般的ですが、それでは中丹田は弱いまま・・・根本的な解決方法にはならないかな?
そして帯脈が落ちてしまう(というよりも帯脈の身体意識がなくなる)と胴体と腿の境目の意識がなくなる、というのもレッスンでは実験して体感してもらいました。
まずは、その問題点を意識すること。
帯脈を使えるのはかなり高度で私もまだ完璧ではありません。
けれども、その体の位置に対して注意を向けられるようになることはとても大事です。
でないと股関節がきちんと使えないからです。
丹田を作らずに太極拳をしていると体は落ちてしまう、というのはそういうことのようです・・・逆に言えば丹田を作らなくても帯脈が意識できていれば体は落とさずに気を落とすことができます。
まず入り口は動画をご覧ください。
動画の最後の方には、「お尻を入れるとは?」についても説明を試みています。
結論を言えば、帯脈を保持したままお尻を入れる必要があります。帯脈を失ってお尻を入れても意味はありません。
2024/7/29 <拍打功のレッスン風景動画から>
最近の屋外でのレッスン風景。
この日は師父にやれと言われた拍打功を生徒さんたちに教えていました。
「誰がやっても思いもよらない利益がある」と何度も言っていた師父。どんなメリットがあるのか?と私が尋ねると 「どんな利益があるかは言えない。自分でやって私に報告しなさい。」
とりあえずやってみる。
肘、脇、鼠蹊部、膝の裏、いずれも凹んでいる場所。ここを手のひらを窪ませて打つ。
窪みを窪みで打て、と師父は言った。
私の癖で、なぜ? と聞きたくなったが、やってもいないのに聞くのはおかしい。とりあえずやってみよう。
私ひとりでやっている時はこんなもんかな、と思っていたけれど、生徒さんに教えてやらせると、<思いもよらなかったこと>に幾つも気づくのだ。
「力を入れて打て!」と言った意味も、「窪みで窪みを打て!」という意味も、生徒さんたちの動作を見たら謎が解けた・・・
練功というのは単純なものが多いけれど、奥が深い。
この動画を見たら、昨日のメモとの関連がありました。
私自身の立ち姿です。
昨日紹介した師父との推手の動画はコロナ期、そして帰国してまもなく撮ったと思われる動画、そして最近撮影した上の動画の中の私。立ち姿が変わったのが分かります。
こういうものは比較をすると分かりやすい。
2021年の私の無意識での立ち姿(太極拳中ではありません)は、頭が前に出て、胸が前傾、骨盤後傾で膝が曲がっています。(師父との推手の時は出っ尻でした)
が、最近の動画をみると、随分真っ直ぐ立つことができるようになってきている!
足の裏の踏んだ力がそのまま真っ直ぐ頭頂に貫くような感じになりつつある・・・虚霊頂勁ができるようになってきた!
虚霊頂勁は基本姿勢を作る時の第一項目なのだけど、それはなんとなくイメージでそうするだけで、本当の虚霊頂勁を作るには、沈片や含胸や抜背、斂臀・・・などなんやかんややって足裏にきちんと勁が落ち、今度はその踏んだ力が地面で反発して頭頂の方に登ってくる必要があります。最初の項目だけど、本当は最後の項目になる、という。(というのは、基本姿勢の要領は円でつながっているから・・・太極拳らしい!)
2021年の写真を見て思い出すのは、そういえばよく師父から「頭はもっと後ろ!」と言われたこと。でも、頭を後ろにしようとすると、胸が出てしまい、こんどは「含胸をしろ!」と言われる。そして含胸をすると頭が前に出る、この繰り返し・・・
胸郭の上に真っ直ぐ頭蓋骨を乗せているのは幼い子供くらいで、小学生低学年ですでに頭は前に出てしまう。最近の子はゲームやスマホで早いうちから遊ぶから、頭が前に出て前肩になるのは私たちが子供の頃よりも更に早期だ。
大人で頭蓋骨と胸郭と骨盤を並べている人は必ずと言ってよいほど何らかの修行(練習)をしている。毎日忙しくて体のケアをしていなければ老化による気の量の減少とともにすぐに姿勢は崩れる。生まれた時はマヨネーズの容器にいっぱいいっぱいマヨネーズが入っているが、生後活動をしていくうちにマヨネーズの量は減っていく。マヨネーズが半分に減った時、マヨネーズの容器も真っ直ぐに立たなくなる。体の内側の状態も同じようなものだ。だから歳をとるとともに外側の体は縮んでくる。高齢になると、お腹がぺったんこになって内臓がどこに行ってしまったのだろう?と思うような状態も珍しくない。
冒頭の動画の中で紹介していた拍打功。自分で自分を打つことで、体は奮起する。うまく打てば体の内側は充実して(腹に気が溜まり)シャキッとする。
そしてなんといっても、私が得られた効果は、肘を打つことで頭蓋骨と胸郭、脇を打つことで、胸郭と骨盤、鼠蹊部を打つことで、骨盤と足首、のアライメントを整え、最後に膝裏を打つことで脛を真っ直ぐにし足首や足の中の関節、ショパール関節、やリスフラン関節がしっかりする(足が扣になる)。もしかしたら、この拍打功で随分形が整ったのかも?
<付け足し>
私が保存版とみなしている腰の王子の動画があります。
https://youtu.be/WyNFimfigpk?si=B_sBUA6U9zUVIhn_
ここで腰の王子は、体を変える入り口を5つ挙げてくれています。
姿勢(形)、呼吸、脱力、重心、身のこなし(体の使い方)
この五つはどこから入ってもいい。得意なところからやればいい。
この五つはつながっていて、たとえば脱力を極めれば姿勢も整ってしまう。
普通は一つだけを極めるのではなくて、複数併用して体の開発をしていきます。
太極拳の練習で言えば、
タントウ功では姿勢、呼吸、脱力、重心の練習になるけれど、丹田に気を溜める意識でやると、姿勢よりも呼吸と脱力の練習になる。
套路は身のこなしが大事になるけれど、身のこなしが分かるには、技を意識できないとただ体を動かしているに過ぎなくなる。多くの場合は套路は姿勢、形の練習になっているような気がします。
推手は脱力と重心。
そして拍打功は姿勢と重心が整うような。
2024/7/28 <師父との推手の動画から学ぶこと>
数年前、パリで練習していたころの懐かしい動画が出てきました。
師父と推手(単推手と四正手)をしている短い動画。
今見ると、私と師父の違いがとてもはっきりわかります。
推手はそれによって自分の内側の勁を通したり調整したりすることができます。と同時に、相手の勁がどのように使われているのか探る練習にもなります。
最初の単推手はどれだけ放松して腕を重くしていけるか、が一番の課題になります。
二人の実力差が大きければ、レベルの上の人が下の人に合わせてあげる必要があります。でないと推手が成立しないからです。それなりに合わせてあげて、相手を導いてあげるのも推手の練習になります。相手の実力が上がれば、自分にとっての良い練習相手になるので、お互いにとってメリットがあります。
やりずらいのは、両方とも初心者の場合。お互い何をやっているのかわからないまま推手をすることになりがち。
上の動画ではもちろん師父が私に合わせています。合わせながら、腰回し(丹田回し 帯脈回し)をやっていたようです。動画の中の会話で、師父は「あなたには私の勁がどこから発しているのか分からないだろう。」「それは私が腰を回しているからだ。」と言っている場面があります。逆に言えば、師父にとって、私の勁がどこから発しているのかは簡単に分かること・・・それが分かると簡単に相手の隙が見えて崩すことができるのです。
この動画の前半を見て思ったのは、私は師父のように真っ直ぐ、すなわち、骨盤の上に胸郭、その上に頭蓋骨、と三つの球を並べたまま動けてはいないということ。が、実は、そのように体を整えるには気の量を増やしたり、内側のつながりを変えたり、と基礎的な訓練をもっと積む必要があります。結局、パリから日本に戻ってきてからこの数年間は、根本的な練習ばかりに取り組んできました。推手はそれによって自分の欠点、課題がわかりますが、推手によって体の根本的なアライメントを変えるのはほとんど無理と言えるからです。
下↓は私と師父の体のアライメントの違いを示した画像
師と呼ばれる人たちは、皆、頭蓋骨、胸郭、骨盤が真っ直ぐ揃っていて、頭頂から足裏へとズドーン、と真っ直ぐ重心の線(ちょっと適当な言い方です)が落ちています。
普段の立ち姿、立ち居振る舞いで、普通の人とは違うのがすぐに分かります。
下は馮志強老師とその弟子の長女ですが、やはり同じような差異があります。
上の画像のように分析すると分かるのは、女性は骨盤が大きく、重心が骨盤の中にあるため(男性は重心が骨盤よりも上、臍あたりにあることが多い)、臍下丹田だけを意識すると、左右の腸骨を張り出すように使ってしまい骨盤が広がったようになってしまう、ということです。大腿骨骨頭を引っ張り出してしまうので、股関節、膝、足首に捻れが起こるという問題です。
女性は骨盤は裹(小包をぐるぐる巻きするように纏めて使う)、男性は骨盤を内撑(内側から外向きに張り出して使う)というというのが鉄則だと師父から教わりましたが、太極拳に限らず、踏ん張ることの多いスポーツ競技をする女性は、男性のように腹(ここで言う腹は中丹田、鳩尾から骨盤までの腹)を使わずに、骨盤の位置の腹(ここは下丹田)を使う傾向が高く知らず知らずのうちに会陰が緩んでしまう危険性があります。(この問題についてはまた改めて説明します。)
本来は丹田を作っても、左の馮老師のように、骨盤は丸く纏まっている必要があります。
馮老師の会陰は腰(命門)の高さまで引き上がっています。
すると骨盤の一番下から一番上までが一まとまりになる・・・そうなれば股さばき、脚さばきが軽快になります。
それは最初に挙げた私と師父の動画を見ても同じ。
師父の足は軽快に重心移動していますが、私の足は止まっています。
上の馮老師とその長女も同じです。
地面に気を下す時に、真っ直ぐ下ろせないと、膝や足首は硬直します。
このあたりについてはもう少し説明が必要かもしれません・・・
とりあえずメモしておきます。
2024/7/25 <師父の開脚>
オリンピック開会式目前。
パリの劉師父の基礎功。
2024/7/22 <太極拳への入門 その2>
<昨日の続き>
中国にはこのような言い方がある。
『师傅领进门,修行在个人』
(師は入門へ導く、その後の修行は各々による)
もともとは道家の修行の話のようだが、今では広く、「学校の先生は教えてくれるけれども、その後は自分で努力して勉強しないと身につきません」という感じで使われているようだ。つまり、教えてもらっても努力しなければ身につかない、という意味。
ただ、修行に関しては上のような解釈では単純過ぎるかな?
私がこの言葉を師から学んだ時は、もっと意味深い感じがあった。
まず、①入門するには師の導きが必要だということ。
裏返せば、独学では入門できない、ということだ。
学校の勉強なら先生がいなくても本を読んで理解して進めることができるかもしれないが、修行の世界ではまず独学はあり得ない。お釈迦さまも修行時代は何人もの師について修行した。修行の世界に入るには師が必要だ。
そして②修行の方法を学んだら、自分で修行する必要がある。
お釈迦さま(ゴータマ・シッダールタ)の例で言えば、彼は何人もの師について修行したものの、最後まで導いてくれる師はいなかった。最後はそれまでの師の教えを捨てて一人で修行をし解脱に達した。最後は自分の努力だ。
ここでこんな疑問が湧くかもしれない。
どの師の教えも解脱に導いてくれず、結局自分一人で修行して解脱に達したのなら、最初から一人で修行した方がゴールに達するのは早かったのではないか?
その答えは、 『师傅领进门,修行在个人』という言葉の中にあるだろう。
師はあくまでも、その道に入れてくれる人、なのだ。
師は最後まで導いてくれるとは限らないのだ。
しかし、その世界に入る、入門する、というのはとても難しい。
もし自分がピアニストになりたかったとする。あるいは、サッカーの選手でもよい。
この場合、然るべき時に、然るべき師と出会わないならば、将来その夢は実現しないだろう。
逆に言えば、然るべき時に然るべき師と出会ってしまうと、その道への扉が開いてしまうのだ。
ただ有名な先生、コーチにつけばいい、というのではない。
自分に合う、自分の能力を引き出してくれるような師、だ。
大谷翔平選手も師に恵まれていたはずで、相性の悪い師についたり、価値観の違う師についてしまうと、自分の目指す道には入れず別道に外れてしまう。つまり、入門できずに終わってしまう。
然るべき時に然るべき師に出会えるか、というのは、縁の問題でもあるのだけれど、そういう師に出会えたら、一生懸命学んで吸収する必要がある。時間は永遠ではない。いつその縁が終わるかは分からないのだ。
私自身で言えば、もしパリに行かなかったら、日本でずっとウロウロと太極拳をやって、これでもない、あれでもない、と欲求不満になってそのうち止めてしまっただろうと思う。というのは、日本で出会う太極拳が、解脱や悟りと全く無関係だったからだ。健康のためでもなく、競技会のためでもなく、最終的には解脱や悟りに繋がる修行としての太極拳を求めて、師が見つからない・・・と絶望した時に現れてのが劉師父だった。
2024/7/21 <太極拳への入門 その1>
はっきり言ってしまえば、国家に制定された太極拳をやっている限り、太極拳に”入門”することはできない。
そもそも太極拳は自分達を守るための武術として家の秘伝として継承されてきた。次第にそれが様々な流派として枝分かれしていったが、太極拳の核心=幹は変わることなく、文字通り”枝”が分かれただけだった。核心部分は師弟関係で教えられ、”生徒”には教えられなかった。
先週紹介した中国のテレビ番組『太極拳秘境』は、中国には未だ、<現在広く普及している国家制定太極拳ではない、知られていないもの、秘密にされているもの>、が、残っている、ということを私達に教えてくれるものだ。
国家制定太極拳は、<国民の健康のため>という目的と<競技として>という二つの目的のために制定された。この番組で各流派の師を訪ねて回っていた邱慧芳は中国でも有名な太極拳の世界冠军(チャンピオン)だが、これは<競技太極拳>のチャンピオンということだ。言うまでもないが、本来の太極拳にはチャンピオンはいない。
およそ武術や武道には秘伝というものがあり、それは師弟関係において伝授されていくものだったが、今ではお金を出せば誰でも学ぶことができるような感じがないともいえない。
昔聞いた話では、少林寺武術の秘伝を学ぶために中国に渡った日本人のグループは、一人50万円支払ってタントウ功のやり方を教わったという。
これはとてもトリッキーだ。
私も似たような経験をしたことがある。
それは劉師父に巡り合う直前の話。
主人の転勤でパリに住むことになり、せっかく始めた混元太極拳の練習が中断されて悔しい思いをしていた時のことだった。パリで太極拳の先生を探していろんな道場に行ってみたが、総じて日本のレベルより低い。中国人の先生もいたのだが、体育大学卒の制定拳を教える人しか見つけられなかった。しかも、フランス語・・・
パリに入ってから半年も経たずに、私は北京の馮志強老師のところにいって一週間集中レッスンを受けることを決意。中国語でメールを書いて問い合わせをした。すると、事務局から、馮老師本人は忙しくて教えられないが、その三女の先生が代わりに教えてくれるとの返事が来た。
今思えば、あの大先生、マスターの、馮先生本人が、一人の太極拳の初心者を教えるなんてあり得ない話だ。しかし、若い時は恥知らず。なんとしても本当の太極拳を知りたい・・・当たって砕けろ、の精神だった。
北京では三女が午前中一週間に渡って内功と24式をマンツーマンで教えてくれた。午後は道場にいた若い男性の生徒さんが追加でレッスンをしてくれた。
太極拳漬けで一週間過ごし、何か学んだ気がして満足してパリに戻った。
パリでは混元を教えているフランス人の先生のところで学ぼう・・・そう決めて2度ほどその先生のところに行った時にその先生の中国人の師のワークショップがあるから来ないか、と誘われて行って出会ったのが劉師父だった。
北京から戻って1ヶ月も経っていなかった。劉師父の動きを見た瞬間、あー、本物だ、とすぐに分かった。私がずっと探していた師がこんなところにいたんだ・・・
そして劉師父とのレッスンが始まったのだけど、次第に気付いたのは、私が北京で教わった内功や套路は、教わっただけでは何の秘伝やらエッセンスやらは身につかない、ということだった。
秘伝は、知識ではないのだ。
身につくには、手取り足取り時間をかけて直してもらわなければならないのだ。
上に書いた少林寺でタントウ功を学んだ話も同じだ。
一日でタントウ功を学んでも、10中8、9はものにならない。
やり方だけの問題ではないのだ。やり続けるうちに変化が出てくる。その変化に応じて、その次の段階に行くように師が一言、導いてくれる。少しずつ導いてもらう。師から学ぶのと、弟子を育てるのと、それは二人三脚だ。全く放って置かれて一人で学び切れる弟子は滅多にいない。腰の王子の話の中にも師匠の話はよく出てくる。師匠のよく分からない言葉で頭がクエスチョンマークでいっぱいになりながら、進んでいく。学校の先生のように分かるまで教えてくれる訳ではないのだ。
ではどこまで師は弟子を育てるのか?
それについてのことわざがある・・・<続く>
2024/7/15 <崔仲三老师の示範から>
昨日紹介したテレビ番組に現れた師の一人、楊式太極拳第5代継承人の催仲三が、自ら発勁の仕方を見せているショート動画がありました。
https://mbd.baidu.com/newspage/data/videolanding?nid=sv_4515983414974668852&sourceFrom=qmj
先日私自身も発勁についての動画をアップしましたが、原理は同じ。太極拳はいつでも発勁できるというのが特色。だから常に丹田を失わないように動きます。
少し説明を補充すると、太極拳の対練はもっぱら「推手」。少林拳や空手のような「突き」(打つ)練習がありません。それは何故か? 推手では自分の手がずっと相手に接していますが、相手に接している間中、どこでも発勁ができるように推しているからです。必ずしも相手を推し切った時に発勁をしている訳ではなく、どのタイミングでも発勁が可能です。
私自身は若い頃に卓球の選手だったので、推手の練習の賢さがとてもよく分かります。
卓球では常に自分にとって最も打ちやすい体勢で球を打てる訳ではありません。相手は必ず打ちにくい場所を狙って返球してきます。体勢が崩れた状態で打たなければならないことはとても多いのです。上手な人というのは、どんな体勢でも威力のある球を正確に打てる人です。どこでも打てる、つまり、これが、推手の練習と共通するのです。どんな体勢でも自分の中心を逃さずに打てる、というのは如何なるときも丹田を外さない、ということになります。もし私が太極拳を先に学んでいたら、卓球はもっと上手になっていたに違いない・・・と今更ながら思うところ。
さて催仲三老師のショート動画↓
←は右揽雀尾の中での発勁の例。
この腰や胯を見れば本物だと分かる。
空手をしている私の主人にこの動画を見せても、「強そう!」という。別に大きな動きをしている訳ではないが、その立ち方、気勢、腰腹の感じから武術家であることが分かる。
←は悪い例を示している。
後方にリューをする時に腰が引けてしまっている(=丹田が失われている)。これではリューはできない。
←正しい前後の重心移動の方法を教えています。
催仲三老师の動作を見てから、学院派の簡化24式の動きを見ると、体のどっしり感が違うのが分かると思います。
腹腰(丹田)があるかないか、ここが太極拳の核心ですが、そこを省いてしまったものが広く普及しているのが現状のよう・・・うちの主人に下の動画を見せたら、「弱そう」と一言。
改めて、劉師父に習い始めた第一日目に、師父から「太極拳はまず強くなければならない。」というのを思い出しました。
上の動画の女性などは、とても身体能力が高い!
けれども、太極拳か?と思ってしまうのは、馬力が感じられないから
静止画像にしてみると(下の画像)、腹が緩んで丹田が作られていないのが分かります。これでは力が出ないかな。 ただ観賞用としては面白いです。
2024/7/14 <『太極拳秘境』 民間派と学院派>
10年以上前、師父と一緒にいた時にたまたまテレビで見た太極拳に関する興味深い番組を探し当てました。
もう一度見たいと思っていたもの。
『太極拳秘境』というタイトルで第1集から第8集まであります。
私たち日本人は中国に住む中国人のようには太極拳のことを理解していないのが現実。
それは、日本人の私たちがたとえ空手や柔道を本格的に習っていなくても、外国の人よりはなんとなくその伝統や雰囲気を知っているというのと同じだと思います。
空手や合気道、茶道や華道に流派があるように、太極拳にも流派があります。
そもそも太極拳は陳式という流派から始まり、そこから、楊式、呉式、武式、孫式、という併せて五大流派というのが生まれました。これに和式(赵堡)を加えて、六大流派と言うこともあります。空手や茶道を学ぶ時にどの流派の先生につくか、というのが大事なように、中国では太極拳を学ぶ際に、どの流派の太極拳を学ぶか、というのがとても大事な選択になります。
中国では1956年に国家主導で上に挙げた伝統的な太極拳の流派を統合した(中でも楊式の要素を最も濃く残した)簡易的な太極拳の套路(簡化24式太極拳)が編成されました。それは、それまで限られた師弟関係でのみ教えられていた太極拳を、広く国民の健康保健に資するような体操として編纂したもので、主に各地の体育大学を主導に広がって行きました。上の伝統的な太極拳の流派達が<民間派>と呼ばれるのに対し、国家主導で編成されたものが<学院派>と呼ばれるのはそういうところからです。
中国では気功・武術を深めた者は国家から危険人物としてマークされるような時代がありました。実際、馮志強老師の師の胡耀贞先生は四人組に捉えられ処罰されました。太極拳も神秘性があれば危険とみなされる中、伝統的な太極拳の師達も国に対し安全な”体操”を作ることに積極的に貢献したという話もあります。
中国武術に興味のある日本人の一部の人が陳式太極拳などの伝統太極拳を日本に伝えましたが、多くの外国人は集団でゆっくりとダンスのように動く(国家に制定された)太極拳をを先に見て、そこから太極拳に入る、という経路を辿ることが多いと思います。
私もスポーツクラブで簡化24式を学ぶところから太極拳を始めましたが、半年も学ぶと、その形よりも、意念や勁についてもっと知りたくなりました。そのスポーツクラブは毎日日替わりで北京体育大学の先生が教えに来ていたので、毎日通って全ての先生と仲良くなってご飯を一緒に食べたりしながら質問をいっぱいしていました。結局、先生方は、スポーツクラブでは深いところは教えられない、と言ってその先は教えて貰えなかっがのですが、そこから私の太極拳を探る旅が始まったと思います。
さて、冒頭で紹介したテレビ番組、この面白さは、<学院派>、つまり、競技太極拳の有名な世界チャンピオンである邱慧芳が、本当の太極拳を知りたくて、六第流派のそれぞれの師を訪ねて回る、という設定にあります。
世界チャンピオンになって、その後体育大学の教授となって太極拳を教えていた彼女が、生徒から太極拳について様々な質問を受けるうちに、自分はまだまだ足りない、ということに気付いた、ということです。それまでは、太極拳の運動員、つまり、アスリートに過ぎませんでした。太極拳の形はアスリートでも真似できますが、その中身、核心(技)は真似できない・・・謙虚に学ぼうとする邱慧芳に対し、それぞれの流派の師達が丁寧に教えてあげている光景が微笑ましく、そして美しい・・・
全編 https://mp.weixin.qq.com/s/q-LmhK8VIOAtRttO7Gf2cw
第1集↓
↓登場人物
2024/7/12
動画を撮ったので、こちらに貼り付けます。
一つは双手揉球功とその応用について。
今週のオンラインのグループレッスンで取り扱った内容の一部ををまとめています。
もう一つは対面レッスンの一場面をショート動画にしたものです。
通常発勁はしないですが、常に発勁できるような状態にもっていく=丹田の気が爆発させられるような状態にしておく、というのが太極拳の特徴です。套路の中で丹田呼吸が自然に身についていくのが理想です。
2024/7/8 <腕の放松から学ぶこと>
先週のレッスンでは、基本の基本に戻って、腕の放松!を皆にやってもらった。
そう、放松は全身放松、なんだけれども、まずは腕を放松するところから始めるべき。
太極拳の起式はどれも腕を十分に放松させたところから始める。
どのくらい放松させられるかは功夫の差。
冯志强老師や劉師父、そして腰の王子がたまに見せてくれるように、肩がなくなってしまうほど放松できたらものすごくレベルが高い。
『太極拳は松に始まり松に終わる』というのは亡き馬虹老師の言葉。
『谁松谁赢 』(松したものが勝つ)という言葉もある。
放松は「脱力」と訳されるが、ニュアンスが違うと思う。
「脱力」という言葉はどうしてもそこに”私”がいる。
「私が脱力をする」というのは私が能動的に(努力して)力を抜こうとしている。
すると、抜こうとしても何をどう抜いて良いのかわからない・・・
『放松』の<放>という漢字は日本語と同じ、放っておく、そのままにしておく、というニュアンスだ。そして<松>というのが、緩い状態、緊張していない状態、伸びやかな状態だ。合わせると、「伸びやかで緊張していない状態に放っておく」という感じだ。これを、地球の重力が自分を引っ張り続けている事実に合わせると、「重力が自分を引っ張り続けているがままにしておく(抵抗しない)」という風になる。普通は重力に身を任せる、自分の筋力を使おうとしないで、重力を使って体(腕)を動かす、というように習うはずだ。
気功法なら、天の気、地の気の話をする。私たちの体は地の気に引っ張られ、そして天の気にも引っ張られる。上下に引っ張られることで均衡をする。
これら、天の気、地の気に心身を委ねる、というのが本当の意味での放松だろう。
拳であれ、修行であれ、最も高い境地はすべてを委ねた境地だ。せこせこしないのだ。心は寛くそこらへんのものにしがみ付かないのだ・・・
まあ、そんな境地は絵空事のようで自分が達成できるような気がしないが、次のような腰の王子のお話なら理解できるだろう。
ちょうどオンラインの生徒さんが私に、「車の運転の時に骨盤を立てて良い姿勢をしようとしていたら、運転がし辛くうまく行きませんでした。本当はどのような姿勢で車を運転すべきでしょうか?』
私にも同じような問題があった。私はソファーに座るのが苦手。骨盤後傾をして座り続けるのが苦痛だ。映画館のソファーも飛行機の中の椅子も、初めからリクライニングがつけられている。ここに真っ直ぐ座ると一人だけ座高が高くなるし、飛行機なら目の前のモニターが近づきすぎてしまう。この世は骨盤後傾優位になってしまったよう〜 と悩んでいたことがあった。
腰の王子はそのあたりをどう答えてくれるのだろう?
調べてみると、王子はまさにドンピシャの質問にこんな風に答えていた。(あくまでも私の要約です)
世の中の椅子はもはや姿勢の悪い人用に作られている。ソファーで骨盤を立てて座るのはとても難しい。そのような椅子に座る時は、正しく座れないものに座っているのだと自覚をして、決して胸骨を落とさないで座るべき(私の注 胸骨を落とさなければ丹田が残ります)。
しかし、僕は(腰の王子は)どんな椅子にも自分を合わせられるので問題はありません。
どこでも座れるしどこでも寝られます。
王子の最後の言葉に私はハッとしました。
相手に自分を合わせる。合わせられる。無形である。
これこそが太極拳の奥義だし、修行の奥義なのでしょう。
自分はどうにでも変えられる。こだわりがない。
太極拳は形がない、と師父が言っていた意味はくなっていくのはそういうことからでしょう。
構えるということ自体が本来、太極拳に反する、と言うのも納得がいきます。
放松、というのはその最初の一歩。
一人で練習する時は地球なり空気なりに身を任せて安心する。
相手がいる場合は相手の中に寛ぐ。相手を敵だとみなすのではなく相手も自分の中にとりこんでしまう。合気道の「合』は「愛」である、とか言われるのも同じことでしょう。
どんな状況でも(天候が悪かろうが、不幸が起ころうが)、そこで放松できる人=寛げる人は、真の達人、でしょう。俗離れしているはず。
話がまた究極に向かっていったので、出だしに戻します。
そう、腕の放松。
腕、手は人間が日常的に最も使う場所。恣意に満ちています。
この腕、手の恣意を抜く。
まだ腕や手を使ったことのないような無垢な状態にする・・・これが放松のはず。
そこまで知って、腕の放松ができればまた新たな境地に入れる・・・・
腕はとても重くなります。
この重さが太極拳の特徴です。
一発で撃ち抜く重さです。
推手、特に単推手ではこの重さを培います。かなり苦しい推手になりますが。
例↓
上のような推手の構えはよく見かけますが、腕が放松していない・・・という以前に目がバチバチしている時点でおかしな感じ。相手の劲を聴いていない、自分が行くぞ〜と対抗しあっています。『抗』は太極拳での禁句、放松できていないとこうなってしまいます。十分放松できれば相手の力を取り込んで『粘连粘随 』というくっついて離れない感覚になります。自分の気配を消すようにするのがコツ。
これに対して、上の画像の中の老師(何静寒老師というらしい)の左手は十分放松して重さがあります。この腕に乗っかられたら、手前の白いシャツの男性はもう耐えられないでしょう・・・
こんな腕を作るには、放松が必要ですが、放松するには気を沈める勇気が必要です。
「敢松」、そう、松するにいは勇気がいる、腹が要ります。
2024/7/2 <丹田と節節貫通・テンセグリティ(对拉 )の関係>
昨日の説明への追加。
両脚の引っ張り合いや突っ張り合いができている時は、下丹田が形成されている、ということに関して。
弓歩では常に両脚が突っ張り合いになっている、と書きましたが、それは弓歩に限らず、立っている時も座っている時もそうです。
これを太極拳では、『不离丹田练太极』(常に丹田から離れずに練習をする)とか、『时时刻刻意守丹田』(常に意で丹田を守る)
常に丹田が失われないように動く、ということと、常に両足の引っ張り合いがある、突っ張り(对拉がある)というのは、表裏一体です。
私が面白いと思うのは、
丹田を見ると、両足の引っ張り合い、突っ張り合いは見えません。
逆に、両足の引っ張り合い、突っ張り合いを見ると、丹田は見えません。
丹田を作らなくても全身の至る所で引っ張り合いや突っ張り合いを意識できる人は知らないうちに丹田(体の中心への求心力)ができてしまっています。
ですから、別に丹田を作る練習をしなくても節節貫通をして全身をつないでしまうことは不可能ではない、ということです。
指導者の中には、丹田を作ることをさせると、腹を固めていわゆる<拘束丹田>を作ってしまう可能性があるとして、丹田の話をしないという人もいるようです。特に、太極拳でも対練メインで実践系の練習をする人たちは、あまり丹田云々の話をしません。実際、推手の時に丹田を作ってしまうと打てません。体は丹田を作らないほど通顺にしなくてはならない・・・100メートル走で丹田を失わないように走ったら、遅い!!!
しかし、本番では丹田を使わなくても、練習では丹田を作って意識することは有効です。(腰の王子は最近になって丹田を推奨しているような動画を出していますが、それまでは丹田に対しては否定的な見解を述べていたように思います)
私が思うには、最終的には全身が至る所で引っ張り合いになる、テンセグリティ構造になることを目標にするのだけれども、そこに至るために丹田という身体意識を活用するのが有効なのだろう。テンセグリティ(对拉构造 )が作られてしまうと、丹田は自然に消失し、内側は空になる。
丹田があるうちは空を感じられないが、節節貫通してテンセグリティ構造が作られれば内側はすっからかんだ。
推手なども、丹田を作って推すと相手はどこから力が来たのか察知してしまう。節節貫通させてすっからかんで推せば、相手はどこから力が出ているのか分からなくて対処しづらくなる。節節貫通で空、すっからかんになった状態は、天地人、空になった自分によって天と地が一体になるような感覚を呼び起こすのかと思ったりします。
2024/7/1 <弓歩の質問から 両脚の突っ張りはどこでどうやって生まれるのか?>
先週、オンラインの生徒さんから、弓歩の体重移動に関して、かわいい絵付きの質問をもらいました。
こんばんは!質問です。
先々週に練習した、後ろから前、前から後ろの弓歩についてです。
<絵1>①カカトから押して ②すぐ前膝折れて進む、
のはダメなので
<絵2>
①カカトから押して、
①'後ろ足の行き先を骨盤内でU字描いて、前に移動しようにも前膝はまだ伸びきったままであるならば、両足は共につっぱり
②足から動かないように慎重に膝まげながら
③前に進む
と理解しました。
足で動かないようにするには、①'の両足つっぱる、と言う過程はありますでしょうか?
これに対しての回答です。
先週は生徒さんの図の肝心なところを見落としていました・・・
まず、両足は突っ張っている、というのは正しいです。
が、それは、一瞬そうなるのではなくて、常にそうなっています。
私も同じような絵で示してみようと描き始めて気づいたのですが、そもそも、脚の付け根の意識を誤解しているかも?
脚の付け根は、私たちが脚の付け根と意識するところより、ずっと身体の奥・・・
それを、混元太極拳では、『下丹田』、と呼んでいます(いわゆる臍下丹田ではありません)。ツボで言えば、関元穴、ヨガの第2チャクラです。子宮口、前立腺、膀胱のあたりだと思ってもよいです。
ちょっと雑な手描きになりましたが、両脚は左のようについているのではなくて、右のような感じでついています。両脚は下っ腹の中で繋がっていて、一本!になります。これが、2本バラバラになってしまうと腿の力だけで胴体を支えることになり、胴体はますます一つの塊になってしまいます。
まずは丹田に両脚を引き込んで、両脚を胴体の中で繋げてしまう練習をします。
→これが丹田回しの内功です。
同様に両腕も引き込んで一本にしていくのですが、それが感覚的に分かるようになると、本当の意味で、肩と股関節の連動が起こるようになります。四正勁がはっきりしてきます。すると、身体意識は下の図の左側から右側のようになります。(おそらく、四つ足動物はそういう身体感覚のはず)
ちょっと、話が先に行ってしまいましたが、例えまだ四正勁が分からなくても、両脚が腹の中で連結している感覚が出てくれば弓歩はだいたいできます。
最初の生徒さんの図との違いが分かりますか?
実は、両脚はいつも突っ張っています。逆に言えば、突っ張り合いが消えないように動いています(太極拳をやっている間中ずっと)。
股で突っ張っている、という表現もありますが、股で突っ張れる(=骨盤底筋が突っ張れる)としたら、その時は既に下丹田が形成されているはずです。
両足は立って静止している時も、歩いている時も、つねに引っ張り合い、もしくは、つっぱり合いをしている。この左右の引っ張り合い、つっぱり合いこそが、陰陽図の陰陽の関係で、太極拳の核心をなすものです。
腹の気が充実しているが筋力のない幼少期は、このつっぱり合いでしか立てません。歩けません。が、立位で過ごす期間が長くなればなるほど、身体の中でのつっぱり合いの力よりも個別の筋力に頼った体の使い方が優位になりがちです。もとの四つ足時代に身につけたような全身の連動を取り戻すのが太極拳の道ですが、それには、まず腹の中に四肢を引き込めるようなブラックホール(丹田)が必要です(ブラックホールというのは、開合の合の時の丹田の様子です。開の時は丹田から外に向けて気が流れるので、ホワイトホール?のようになります。これが、開合の正体。)
いずれにしろ、これらは全て身体で体験するべきことで、考えてもどうしようもないので、私としては、生徒さん達が両脚が腹の中で繋がる感覚を早いうちに体験できるように導いて、その結果、生徒さん各々が、「この感覚はなんだろう?」と興味を持って深めてくれれば、どこかで、「ああ、だからタントウ功なのね」、あるいは、「ああ、だから内功が必要だというのね」と自ら気づくことがあるのではないかと狙っています。
ただ漫然とタントウ功や内功をしても、その効果、効能を知るまでに数年かかってしまう。下手すれば間違った方向に進んでしまう。なぜ、先人がそのような功法を編み出したのか、それに早く気づけばやる気も継続するかと。
両脚が連動する感覚は先週、別のオンラインのクラスで2時間かけて誘導しました。
その際は、その連動には、命門が鍵になっていることを覚えさせようとしました。そう、命門が開かないと、上のような両脚のつっぱりは生まれない・・・というのも、命門が開かないと丹田自体が形成されないからです。
書くととても難しくなりますが、やればそれほどでもないかも。
今週のレッスンでも両脚の連動と命門(腰)、そして丹田について試行錯誤させてみます・・。
2024/6/29 <筋トレと脱力について 塩田剛三の著書から>
今日の練習の帰り道の生徒さん達との会話。
合気道をやっていたことのある男性が参加していたので合気道について少し話を聞いてみる。合気道は太極拳と同じで、”力”を使わない、と私は思っているのだが、その男性が言った言葉が面白かった。「脱力、脱力、と言う割には、達人は鍛えています。塩田剛三先生もものすごく腕立て伏せをしていました・・・」 なるほど。
横から別の生徒さんが言った。「腰の王子だって、筋肉隆々。あれはものすごく鍛えている身体。」 たしかに。私も王子の上半身裸の画像を見た時は驚いた。
お釈迦さまのことが浮かんだ。
お釈迦さまだって、ものすごい苦行をした末に行き着いた結論が、苦行では解脱できないということ。だけど、もし、最初から苦行を避けていたら最終的な境地に辿り着かなかったのでは?・・・
結局、会話の最後に私たちはこんな言葉で話を締め括った。
「やっぱり、力を使って鍛えまくった末に行き着く境地が”脱力”なのではないか?」
家に帰ってから塩田剛三のことを検索。
すると、あるブログに塩田剛三の『合気道修行』の中からこんな引用文が載せられていました。 https://fullconkarateaikido.seesaa.net/article/97421510.html より
腕立て伏せなんかも毎日ガンガンやっていました。二百五十回くらいは軽くこなしていたのです。懸垂もその気になれば三百回はできました。片手懸垂なんかは朝飯前です。私は中ニの頃、器械体操の大会に関東代表として出場したこともあるくらいですから、もともとそういう腕力には自信があるのです。
(中略)
若いうちは、とにかく肉体を徹底的にいじめてみることです。そうした中から、自分というものが分かってきますし、精神的な強さが身についてくるわけです。そうして、齢を取って行くうちに、次第に力が抜けていきます。そうなったとき初めて筋力に頼らない呼吸力というものの効果を実感することができるのです。
ただし、それも若い頃の徹底的な鍛錬があったからこそ、そこまでたどりつけるわけで、最初から力を抜いた楽な稽古をやっていたのでは、何も生まれません。
植芝先生も、私たちには力を使うなと言っていましたが、本当は若い頃に相当鍛えているわけです。その下地があったからこそ、晩年のあの神技ともいえる境地にたどり着くことができたのだと言うことを忘れてはなりません。
この著書では塩田剛三の師の植芝盛平開祖についても触れられているが、また別のブログには同書における植芝開祖の言葉や逸話の記述が引用されている。https://www.aikidoshibuya.tokyo/post/2020/10/02/muscle-training
植芝先生がどんな体をしていたかを振り返ってみましょう。先生の場合、全体的には太いのですが、 筋肉隆々という感じではありませんでした。肖像画なんかではゴツゴツした体のように描いてありますが には少し違います。 ゴツゴツしているのではなく、 全体的にスーツとなめらかなのです。
そんな先生に手を握られると、やはりちょっと違った感じがあります。
開祖である先生がこういう体質だから、 合気道をやる人間が皆、同じような体を作るべきかというと、そうではありません。先生もよく言っていました。
体を作るというのは自分の心構えであって、自分に即した体を作る、それでいいんだと。
「だから塩田はん、ワシと同じ体を作ったとしたら、あんたは自然には動けん」
とも、おっしゃっていました。 つまり、植芝先生が言うには、合気道は自然であることを最高とする武道だから、自分が無理になるような体を作ってはならないということなのです。
ただし、この自然ということを皆さん勘違いしていることが多い。たとえば、齢を取って体が硬くなってきたからといって、無理矢理に若いころと同じような柔軟体操をやったんじゃ、筋をおかしくしてしまう。
あるいは、体が小さいからというので無理矢理にウエイトトレーニングで 必要以上の筋肉をつけるとしたら、体にリキみがついてしまいます。こういったことは不自然なことなのです。無理が生じてしまえば、たとえ力が強くなっても合気道の奥義に達することはできません。
上のブログにはこの先の引用文も載せられているので、興味のある方は読んで見て下さい。
塩田剛三先生が、「では、結局、筋力の鍛錬は必要なのか否か?」という問いに答える形で綴っています。
そして、腰の王子。
どこかで見た腰の王子の上半身裸の画像を探し出すことはできなかったのだけど、2019年に「立腰筋トレ講習会」を開催した際の広告画像がありました。https://www.facebook.com/p/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%AB%8B%E8%85%B0%E5%8D%94%E4%BC%9A-JAPAN-Tategoshi-Association-100064825089887/
右の裸はおそらく王子本人。ちゃんと腹筋が割れている・・・と言うよりも、私自身が目を惹かれたのは、おへそ。臍に力がある!臍が活き活きしているのは、筋肉だけではない、内側の力が強いから。臍で呼吸しているからだ。
対照的なのはボディビルダー。
筋肉をつければつけるほど臍が貧弱になる。
王子の筋肉は弾力がありそうだ。
上の塩田剛三の著書の中で植芝盛平の体つき、その弾力性について記されていたが、筋肉をつけるにしても、それは弾力のある筋肉、つまり、臍を使いながら筋肉を鍛える、ということだと私は思う。
上の王子の左側の画像の中に、「筋肉量と筋力をupさせながら、脱力と体の使い方を高める唯一無二の筋トレ法!」と書かれている。
筋力をつけることと、脱力をすることは、矛盾しないということだ。
これは、太極拳の言葉で言えば、いわゆる、「内功』だ。
息を吹き込みながら内側から動かす。
本当にしっかりと内功をするとかなり疲れる。
家に帰って一眠りしないともたない、という感じにもなる。
汗は全くでないのに、キツイ。
先週の練習で、両足をそろえて立ち、壁に両手をついて脇を引き上げたまま、片足ずつ横に45度上げる、というエクササイズを紹介したが、それをきちんとやった人は、2度ほど足を上げただけで、疲れた〜、と辞めてしまった。それは、内功がうまくできた印。 反対に、横に何度足を上げても全く疲れない、というのは、内側が使えていない。ただ足を上げてしまっている。 言い方を変えれば、丹田を使わずに足を上げている=全身の連動がかかっていない。
こう見ていくと、筋肉をつけるのと、脱力するのは矛盾しない。
脱力する、というのは、外側の力を抜くことによって内側の力を使うためだ。内側まで脱力してしまって腑抜けのような体になっては何のための脱力かわからなくなってしまう。(それを中国語では、歇xi=休憩 と表現する。 放松は歇ではない)
脱力しないと丹田が作れない。内側に気が集まらない。
そして塩田剛三先生が書いているように、年齢によっても鍛錬の仕方は変わってくる。
若いうちは苦しいことができる。少し苦しいくらい鍛錬しないと根性がつかない。精神力が鍛えられない。歳をとってきたら、汗だくになって鍛えるのはかえって体を損ねてしまう危険性がある。鍛え方は内功重視にする。
師父も、20代の若い子を教える時は、まず、走らせて疲れさせてからタントウ功をさせる、と言っていた。すぐにタントウ功をさせてもエネルギーが余りすぎていて落ち着かないからだ。40代半ばにもなったら気の量は減っているので、わざわざ走って漏らすのはもったいない。漏らさないように鍛える。でも、鍛える、鍛錬は必要だ。
太極拳の套路だけをやっていてもただ一通り動いているだけで、中国風のラジオ体操をやっているのと変わらない、としたら、鍛錬が足りない。臍が鍛えられていない、ということだろう。
2024/6/24 <丹田と腸腰筋 腰を開く必要性>
今日のグループオンラインは、弓歩での重心移動の問題解決をすることを期待されていたのだけど、まず、重心移動、と言う時の、”重心”がはっきりしないとその先に進めない・・・いつまでも後ろ足が云々、その時前足が云々、と両足間の移動の議論になって、肝心の”重心”の移動の話が置き去りになってしまう。
そもそも歩くこと自体が、重心移動の連続なのだけど、歩きを脚だけで考えることがナンセンスだ。胴体が行くから脚が進む。動きは、目や耳などの感覚器官→頭部→胴体→下肢の順番に動く。(感覚器官→頭部 は感覚神経の働き、これを受けて、頭部からでた動きの指令が脊柱管の太い神経から枝分かれして手足の末端へと届く=運動神経)。
神経の伝達には時間がかかるが、脳が出した指令が足の末端まで瞬時に届くのが使い勝手の良い体だ。未だ使えない部位は、未だ神経経路が開発されていない部位だ。この使えない部位を開発するのが太極拳の醍醐味だ。
使える部分を鍛えてさらに使えるようにしても、真の意味での身体開発にはならない。
脳が老化して思考回路が定まってしまい、いつも同じ思考パターンに陥るのと全く同じで、身体も同じパターンでしか動かなくなってくる。使ったことのない未知の領域を見つけるのが体の内側の旅になる。体の外側(筋肉や骨)だけの練習ではなかなか未知の領域に入り込めない・・・
ということで、今ある運動神経で重心移動の練習をしても、おそらく無駄。問題は下半身にあるのではなくて、上半身の開発度にあることが多い。いや、上半身が開発されていれば下半身は自然にうまく使えてしまう。
腋や脇を使うのは胴体をうまく使うコツ。
実は、脇を使えるのなら、その時丹田が使えている。裏表なのだ。
丹田ができていれば弓歩は自然にできてしまう。
丹田は腸腰筋を使わせるような役割がある。丹田が使えるなら腸腰筋が使える。腸腰筋が使えるなら丹田が使えている。
↓丹田と腸腰筋の関係。
丹田を収縮させたり(膨らませたり、縮ませたり)、あるいは、丹田を回す(丹田回し)ことによって、腸腰筋の伸縮をさせている。
腸腰筋の使い方については、藤野暢さんのこのブログがとても参考になりました。
https://www.chacott-jp.com/news/useful/lecture/detail001661.html
ブログにある、左のイラストが使い方を図示してくれています。
<股関節を前方にキープして、持ち手の骨盤と腰椎を引くことで、腸腰筋の「手綱が張った状態」になり、下腹部を中心にしっかりした土台ができあがります。イメージとしては股関節が出発したがっているトナカイ、骨盤と腰椎が綱を引っ張っているサンタさんです。>
上の腸腰筋の図には、それに従って『背中を後ろに推す=命門を開く』、という矢印と、『股関節を後ろに引かない』という矢印を書き込みました。
つまり、命門を開く、というのは腸腰筋、胴体と下半身をつなぐためのバイタルな筋肉を起動させるための不可欠な要領だったのです。
この時、腰を開こうとしてお尻を突き出すようにしては腸腰筋は起動しません。腸腰筋にハリを持たせるには、股関節はできるだけ後ろに引かないことです。
↓下は蹬脚。簡化でよく見るのは、”片足上げ”、のタイプです。蹴るつもりよりも、上げるつもりで足を上げているようです。その結果、腸腰筋ではなく、体を固めて足を上げている感があります。(https://youtu.be/SifVN3vlhiA?si=V4iPToi-ijAEUyNI)
一方、陳式の場合は発勁をすることが多いので、丹田を使わざるをえない。
両手両足が連動します。
下は弓歩での定式。
左は気沈丹田ができていない例。体を固めているので(放松ができていないので)腸腰筋が使えません。
右は気沈丹田の例。
両者を比較すると、体の伸びに大きな差があるのがわかると思います。
太極拳は放松が大事、というのは誰でも知っているようですが、それは丹田を作る、腸腰筋を作動させるのに表面の筋肉の力を抜く必要があるからです。
上の蹬脚も息を殺したように足を上げるとしたら力が抜けていません。
下の弓歩も然り。
良い例をたくさん見ることが大事だと思います。