2022/1/25 <オンラインの少人数グループレッスンをしてみたい!>

 

   内功、基本功、タントウ功など、太極拳のベースになる功夫のためのオンラインの少人数レッスンをしたいと思っています。

  人数3〜5人程度で定期的(できれば週1ペース)に集まれるようなグループができれば理想的。曜日、時間は参加者の都合を調整して決める予定です。

  1レッスンは1時間から1時間半、料金は1500円から2000円(人数に応じてその範囲で調整)になると思います。

   オンラインレッスンは初めてで上手くできるかどうか分からない、という方のために最初の1回目は無料のオリエーテーションレッスンをします。(設定などが分からなければサポートします。)

  まずはどのくらい参加してくれる方がいるのか?が問題。

  このブログをずっと読んでくださっている遠方の方、私としては是非画面を通じてお会いしたい・・・教えてみたいところです。家の中が狭いというのは皆共通する問題ですが、内功などはそれほどスペースがなくてもできます。画面の中に頭から足まで全部映るようにカメラが設定できれば教えることができます。

 

  もし内功やタントウ功などの練習に興味のある方がいたらお気軽に連絡を下さい。全くの初心者から経験者まで、その人に合ったレッスンができるようにします。(そもそも私は決まり切ったレッスンができなくて、その時にその人に合わせたレッスンしかできませんが。苦笑)

  コロナの時代、人と交わることが少なくなりがちです。オンラインでも仲間を作れれば励みになると思います。私も楽しみに連絡をお待ちしています。

   

   お問い合わせはこちらから→

2022/1/24 <引っ張り合い→開合>

 

   ビデオレッスンの生徒さんへのアドバイスのために撮った動画を公開しました。

 力を抜く、というのは、力を引き抜く、ということ。

 開合の意味とは?

 

2022/1/24 <胆経 その1>

 

  「太極拳を学ぶのに経絡やツボの名前を覚える必要がありますか?」と質問されたことがある。太極拳の練習に経絡やツボが欠かせない、というのは事実。老師達は当然のように中医学の用語を使って説明をする。体操や筋トレに経絡やツボは関係ないだろうが、”気”を扱う太極拳には不可欠だ。そもそもツボ(穴位)は武術の世界で発達したとも言われる。いわゆる、急所、だ。

 

  では、どうやって経絡やツボを覚えるのか?

  答えは簡単。老師が練習中にツボの名前を言ったり、経絡で説明をしたら、その時に覚える! その時にはっきりしなかったり覚えられなかったら、家に帰ってから調べて、自分の体でその場所を確認する。

  百会、肩井、ダン中、命門、環跳、陽陵泉、湧泉、労宮・・・

  最初に聞くのはそんなツボの名前ではないか?

  

  百会は頭頂、肩井は肩、ダン中は胸、命門は腰、環跳は股関節(胯)、陽陵泉は膝、湧泉は足裏、労宮は手のひら

  頭から足裏までの代表中の代表のツボたちだ。

  このうち、百会と命門は督脈、ダン中は任脈上のツボだが、肩井と環跳、陽陵泉の3つは胆経のツボだ。

  まっすぐ立つために、任脈督脈だけではなく胆経を使う、というのが初っ端から要求されているのが分かる。

 

  肩井穴は沈肩をするのに使う。このツボをグッと内側から引き下ろせないと沈肩はできない。が、内側から肩井穴を引きおろすには腹の内気(丹田の気)が必要になる。だから、一番最初はなんとなく肩を下げて胸をほっとなでおろすようにして立って、腹に気が溜まってきたらその気を使って更に肩を引きおろす。引きおろすとさらに丹田の気が増えるからその気で更に肩井穴を引きおろす・・・となっていく。沈肩はできる、できない、の二択ではなく、できるにしてもその程度が功夫の高低を示すことになる。

 

 (また話が逸れそうになったけど)

 そういうわけで、ツボの名前を聞いたり、経絡の名前を聞いてよくわからなければその場で老師に尋ねたり、その日のうちに自分で調べて確認しておく。最初はちんぷんかんぷんでも何度も何度も聞いているうちに覚えるし、それが身体で気の感覚として捉えられるようになると更にはっきりする。鍼灸師は外側から見てツボがどこかを判断するが、太極拳の老師たちは内側の感覚としてツボを知っている・・・でないと”使う”ことはできない。

 

で、胆経の話に戻すと・・・

 

胆経で分かりやすいのは股関節ラインの環跳穴より下だ。

環跳穴、そしてその下の推すととても痛い風市(邪気が溜まる場所)、そして膝下外側にある陽陵泉、を繋いでいくと、足の薬指にラインが通るのが分かるはず。神経の走向とダブっているから、感覚がとてもとりやすい。

 

難しいのは、環跳穴より上の胆経のツボたち。

 

胴体部は左図の通りだが、ジグザグになっていて、取っつきにくい。自分の体の感覚もそこまで達していなかったから長い間手づかずの領域だった。

 

が、最近なんとなく帯脈穴がはっきりしてきた・・・と思ったら、その近辺のツボがつながってきた。

 

 

腰、胯(股関節)が確かにこの路線のようにつながっている!

この通り繋げば骨盤が立つ!

 

感動的な驚きだった。

私の左右の帯脈穴の位置がズレていてそれを調整したら腰胯のつながりが格段にアップした。発勁がとても自然にできるようになった。

 

脇のツボは太極拳の技でもよく狙う(狙われる)場所。軽く刺されたことがあるから身体に記憶がある。

 股関節の居髎はアンで相手の体勢を崩す時に狙う場所・・・

 

 週末のレッスンでは左の腰と胯にある胆経のツボを一つずつ教えてその線を繋いでいく実験をしてみた。

 

  胆経をつなぐには下の動画の最初のエクササイズが効果的。

  両足を交差すると筋や筋膜が伸びやすく、経絡のラインも分かりやすい。一つ一つツボを確認しながらじわ〜っと伸ばしていく。(効果を感じるにはレッスンでやったような補助が必要かもしれませんが)一応動画を紹介しておきます。(レッスンを受けた生徒さんたちは復習してください。)

  このエクササイズで一気に弓歩の重心移動が見違えるように上手くなった生徒さんがいたのには私も驚きました。

  

2022/1/23 <胆経へのプロローグ>

 

 昨日と今日は難しいのを承知で私が今注意して練習しているものを教えた。

 それは、胆経の腹部、胯(股関節部)のツボを繋いでいくというもの。

 

 私たちは身体を前・後という二方向から見がちだ。”正中線”や”中正”という言葉もその二方向から見て判断することが多い。目はそもそも二次元的。が、ここに側面を加えると本来の三次元の姿が現れる。この”側面”を走るのが胆経だ。耳は三次元的な機能を持っているが、それが身体の側面についていること、胆経に関わっていることは偶然ではないだろう。

 

 練習である程度、任脈督脈、そして膀胱経をつないだら、次第に胆経を念頭に入れた練習を取り入れていくと効果的だ。任脈督脈、膀胱経だけでは腕が繋がらない。腕は胆経を繋ぐことで胴体と一体化する。

 タントウ功は無極から初めて(腕を自然に垂らした状態から初めて)、ある程度丹田に気が溜まったら更に気を静めながら徐々に腕を腹の高さ、へと上げていく。この時、”腕を上げる”という動作は”胆経をつなぐ”ということに他ならない、と最近気づいた。腹に気を沈めて丹田で腕を持ち上げていくと(胴体と腕を一体化させようとすると)、胆経をつなぐ動作になっていくのだ。

 

 (下の画像:baiduでタントウ功を画像検索したもの。上から無極タントウ功、下環タントウ功、中環タントウ功。手を上げれば上げるほど胆経を長くつなぐ必要がある。


 帰国してから昔の生徒さんたちにはしきりに腕と胴体をつなぐための練習を手を変え品を変えやってきている。私自身がこの2年間パリで習得したのは(完全ではないが)まさにそれだった。

 太極拳の中では、技に『肱』(二の腕)という文字が使われているものがあるが、この『肱』こそ、胴体を腕を一体化させる要になる。『肱』が使われて指先末端まで気が通っている人は只者ではない。何かやってきている人だ。逆に言えば、私たち一般人は普通、腕を胴体からぶらぶらさせた状態で使っている。

 

 胆経をつなぐと上半身と下半身が一体化する。結果として腕が胴体とつながる。胆経がとても大事なのは昔から知っていたのだが、その走向がジグザグなのでどこかややこしそうで長い間頭を使ってツボを辿っていくのを怠ってきた。やっとやる気になって一つ一つツボを辿っていったら、なんと、うまくできていること! 師父が、「私たちは筋肉の話はしない。経絡とツボで説明する。」と言うのがよく分かった。ツボをひとつひとつ押さえてつないでいけば、全身が一つになる理想的な身体が出来上がるのだ。経絡図は設計図だ。問題はツボを一つ一つ順番に外さずに引っ掛けていけるか否か・・・(ミシンに糸を通す作業と同じで、順番に引っ掛けるべきところに引っ掛けていかないといけない。一つ飛ばすとしわ寄せがきてしまう・・・)

 

 と、胆経の話は壮大なので、今日は前置きだけで終わり。明日生徒さんたちへの復習資料を作るつもりで続きを書きます。

2022/1/21 <希望に向かって精進する>

 

 「人はどんな希望を抱くのか? 希望が実現しないのはどうしてなのか?」

 ーーー 

 「全く実現不可能な希望は抱かないのです!」「実現しないのはその人の精進(十波羅蜜)に欠けている要素があるためです!」

 

 そんなスマナサーラ 長老の説法を聞いたばかり。

 「こんな年寄りの私が今から司法試験に受かって弁護士になろうなんていう希望を抱く気がないでしょ!!」「もしそんな夢を抱いたとしたら、それは”希望”ではなく”妄想”です!!」

 

 相変わらずユーモアを交えた辛口の説法。そしてズバリと言い当てる。

 

 その条件下において全く実現不可能な希望は抱かない・・・

 確かに。

 私はバレエダンサーに憧れて、来世は太極拳(なんか)ではなくてダンサーになりたい、なんて思ったりしたこともあったけど、それは来世・・・40になってからバレエを初めてもプロのバレエダンサーにはなれないから初めから”希望”したことはない。頑張ればできる可能性が多少でもないと”希望”は抱けない。

 

 さて、昨晩もビデオレッスンをしていたのだが・・・

 私より少し年上の男性。太極拳歴は長い。

 昨年あたりから膝に違和感を覚え太極拳がやりずらくなってきたという。

 立ち姿を見ると太極拳云々以前に、基本的な体の可動域が制限されてしまっているのが分かる。前屈、長座(両足を前に伸ばして座ること)、このあたりが困難。体育座りができなくなるとかなり重症だがこれは辛うじてできる。ただ両手を話してしまうと後ろに引っくり返ってしまう。

 

 これまでたくさんの人達の体を見てきて分かるのは、老化とともに最初に硬くなるのは腰、股関節。太極拳で言えば、中丹田、下丹田の領域。ここが機能しなくなってくると膝がやられる。膝に違和感を覚えた時は自覚がなくても腰や股関節が機能不全になっている。

 腰や股関節、というけれども、実態は背骨だ。腰椎、仙骨、これがターゲットになる。

←https://www.mcdavid.co.jp/sportmed_anatomy/back-waist/

の図に書き込みをしました。

 

 腰椎部分が腰。この腹側(背骨より前の部分)が中丹田。

 

 仙骨部が股関節。この腹側が下丹田。

 

 

太極拳の練習では

まず腰を緩める=中丹田に気を落とす=気のクッションで腰椎にかかる負担を減らす。

 それから中丹田の気を増やして(=タントウ功)、下丹田まで気が届くと股関節が内側から解される(下丹田まで気が届くと瞬時に足裏に気が落ちて足裏が地面に貼りついたり暖かくなったりする。届いたかどうかのメルクマールになります。)。

 

 そしてタントウ功である程度内側から緩めた上で、腰や股関節を回すような動功をして外からも解していく。

 

 それからやっと套路の練習

 

 という、①静功(タントウ功・座禅)=内側から気でほぐす ②動功=筋肉の動きなどで外からほぐす ③套路(太極拳)

 そんなステップだ。

 

 老師レベルになればいきなり③の套路をしてもそれをやりながら①や②を同時にやってしまうこともできるが、そうはいっても実際にはレベルが高くなればなるほど、③よりも②、①を重視するようになったりする。

 

 上のような膝の痛みや腰の痛みで動きが制限されてくると、③の套路を思いっきり楽しむ希望は抱けなくなる。①と②の基本にたちもどる必要がある。基本的な体の可動域をできるだけ取り戻す必要がある。

 

 昨夜の生徒さんの場合は今が瀬戸際。今頑張って前屈や長座、体育座り、ある程度の開脚、ができるようにしないと、今後膝を引きずってさらに体が硬くなり、次第に太極拳を楽しむ希望はなくなってしまうだろう。歩ければいい・・・そんな希望に変わるかもしれない。

 

 最終的には何も希望しないのが苦しまない方法、仏道なのだけど、私たち一般人は全く希望を抱かずに生きることはできない。死ぬ直前まで体に不自由なく動けるというのは実はとても大きな希望だけれども、今、まだその希望を抱ける人はそれに向かって精進すべきだと思う。既にその希望を抱けなくなっている人はその状況下で抱ける希望を抱いて努力すればよいだろう。最終的には身体は必ず壊れるからいつまでも身体に関わり続ける必要はないというのが私個人の考えだが、身体から心、内面の修行に移ったとしてもするにも、希望に向かって精進するのには変わりないだろう。

 

 

 

2022/1/19 <上下相随になるには・・・>

 

  昨日の気づきは私にとって大きな収穫だった。

  これまで、何かおかしい、不自然だなぁ? と思って見てきたもの、それらに共通することがはっきりと分かったからだ。

 

 「腰が開いていないのに股を大きく開いている」

 これが不自然さの理由だった。

 イメージで表すと↓

 左側は股が開いているが腰(上半身)が開いていない身体。上半身が下半身に乗っかっている。上半身と下半身が分断する。

 

 右側は上半身と下半身が一体化した状態。胴体(腰を含んだ上半身)も膨らむ。そして下半身も上半身に入り込んでいる。どこまでが上半身でどこからが下半身かが分からない状態。上下相随といわれる状態。

 

 太極拳で求められているのは言うまでもなく右側。

 丸みのある幼児の体型のようだ。肉はほわっとしている。

 

 左側は筋肉が発達しないと耐えられない形。筋力に頼る形だ。身体はギュッと締まっている(緊張している)。

 

 太極拳は陸上の水泳だ、と馮老師は言っていたが、水中で浮こうとするなら、右のように胴体に空気をいれて膨らませる必要がある。左のように身体に力をいれて締めてしまうと沈んでしまう。

 

 ↑はAのタイプ。”大会用”のアクロバティックなもの。師父達から見ればこれらはもはや太極拳ではなく、太極拳のポーズを使ったスポーツでしかない。上半身が締まって股だけが大きく開く。筋力が頼りの若者のスポーツ。これを続けると身体に支障が出かねない・・・

 

 ↓Bタイプ。太極拳や八卦掌の師たちは胴体から足までが一体化している。

 

 「太極拳の練習ではまず腰を緩めることから始まる。」そう馮老師のテキストには書いている。

 腰を緩めるから腰に息が入るようになり、腹腰が充実する。さらに息が胯に届くと股関節が内側から開いてくる。

 息(内気)で内側から身体を開くことによって股関節も開く(風船を膨らますのと同じ)。自然な股関節の開き方だ。

 これに対し、息とは無関係で開脚ストレッチばかりすると、上半身と下半身が分断してしまう。

 

 ↓いわゆる肩入れストレッチ

 上段のイチローとその右の女性は胴体に息をいれて胴体全体をストレッチしている。(Bタイプ)

 その下の3枚の画像は息を止めている→胴体を固めてストレッチ。局部しか動かない。全身の一体感がなくなる。(Aタイプ)

2022/1/18 <腰痛の原因は股関節にあり 太極腰 腰胯>

 

   先日会ったアラスカに住む友人から、やはり腰痛が治らない、zoomを繋ぐからレッスンしてほしい、と現地から連絡してきた。

 

 この前は食事の後にほんの少し腰回しを教えた程度だった。あの程度じゃあ、彼女の石のように固くなった腰やお尻は解せないだろう・・・タントウ功も教えた方がよい。いや、そもそも、タントウ功をして丹田に気を沈めた状態で腰回し(動功)をしないと腰をほぐす効果は薄い。タントウ功を教えよう・・・

 そう思ってアラスカとzoomを繋いだ。

 

 タントウ功をさせるにもただ中腰になればいいというものではない。ただ股関節や膝を緩めてしまうとかえって腰に負担がかかる。大事なのは、まず息が腹まで届くようにすること。<①息を腹まで届くようにするために><②股関節や膝を緩める>のだ。

 といっても、初心者の場合は①の感覚を掴むのが難しいから、まず少し股関節や膝を緩めて安静に立って、徐々に(時間をかけて)息が腹に届くのを待つということになるだろう。

 今日は、息を腹に届くとはどういう感覚なのか、丹田というのがどのように作られるのか、というのが体感できるように彼女の呼吸を導いてタントウ功の形を作っていった。

 

 腹に息が届いて丹田が作られた状態。動き(動功や套路)はここから始まる。

 丹田が形成されていない状態で動いても内側から身体をほぐすことはできないし、太極拳にもならない。

 彼女の場合は太極拳には興味がないから、丹田の気を使って体を内側からほぐす、というところを体験してもらおうと導いた。

 

 タントウ功で息を腹まで落として丹田を作り、それから丹田の気と手の労宮のツボを合わせるところまでやれば、その手(労宮穴)を使って動功が効率的にできる。基本の3つの動功(腰回し)をその要領でやるところまで教えた。

 

 が、最後に腰を下げていく双腿昇降功(スクワットのようなもの)を教えた時、彼女の股関節が予想通りとても硬いことが判明。ああ、これじゃあ腰痛はなかなか治らない、

と、いくつかの基本的な股関節のストレッチを教えたのだけど・・・問題は、彼女がそれらのストレッチをとても嫌がるということ。これはできない、これをすると腰が痛い、別のものならできる・・・とか言って彼女の股関節に効きそうなストレッチをことごとく拒絶してきた。できるものをやっても仕方がないのだけど・・・できないから毎日少しずつやらせようとしているのだけど・・・ 相手が友人だと私に強制力が働かない。相手が家族だと教えるのはもっと難しくなる・・・

 

 ということで、友人は、とりあえず、できる腰回しをする、と言って股関節のストレッチは除外してしまった。まず腰をも少しほぐしてから追い追い股関節のストレッチをしていってもよいかも、と私も納得してしまった。

 

 


 レッスンが終わって、やはり股関節が気になる私。きっと、前回メモに載せたイラストが頭にこびりついていたから。股関節が硬いと腰痛になる。

 

 股関節の硬さと腰痛の関係はいろんな人が指摘している。

 左のイラストのサイト(https://myrevo.jp/fitness/396)では股関節が硬いと骨盤が立たない、という点から説明されていた。

 

 

また別のサイト(https://dime.jp/genre/1031474/)では、『腰痛の原因は股関節にあり』と銘打って、腰の痛みは胸腰筋膜にあるセンサーが働くためで、その胸腰筋膜は大臀筋などと繋がっている、ということ等から説明をしている。

 

 探せばその他にも腰痛と股関節の硬さの連関を論じているものがでてくる。

 

 なお、太極拳は拳法の中でも特に腰に特徴がある拳で、中国では『形意拳、八卦歩、太極腰』と言われる(形意拳は拳、八卦掌は歩法、太極拳は腰)。どの拳よりも腰が柔らかくしなやかなのが太極拳。空手と比べるとその違いは明らかだ。

 

 

  そして思い出したのが、太極拳の練習ではしきりに、”腰、胯、腰、胯” と、腰と胯(kua=ヒップ)が強調されるということ。腰と胯はセットなのだ。

  というのは・・・上の人体のイラストで見ると、胸腰筋膜は腰、大臀筋は胯。つまり、腰を柔らかく使うには、胯が柔らかくなければいけない、つまり、腰と胯はセットにならざるを得ない、ということなのだ(と新たな視点!)。

 

  逆に、胯が柔軟になるには腰が柔らかくなければならないか? というと、そうでなければならないのだけど、特に女性(そして熟練の男性)は腰を開かずに股関節だけを開くようなことができてしまう。ヨガをやりこんで腰痛になるのはそのような場合だろう。つまり、股関節を開く時は一緒に腰を開くように注意をしなければならない。

  この腰と胯の連動、一体化は通常、息、丹田によって行う。だから今日、彼女に息の話を長々としたのだけど・・・消化不良だったよう(苦笑)

  息、そして気、これを通して腰や股関節を開く。このあたりは教え方が難しい。

2022/1/16 <タントウ功の誤解 背骨で立たない 腰で立たない>

 

  タントウ功で腰椎・仙骨・尾骨を一直線にして立とうとしていたら腰が痛くなった、という男性からビデオレッスン依頼のメールをもらい早速ビデオレッスンをした。

 

 その男性はタントウ功に関するよくある勘違いをしていた。

 タントウ功で背骨のS字カーブが減って直線に近くなるのは腹の内気(腹圧)が変わるから。腹の気が増える結果腰椎も後ろに押し出される。まずリラックスして立ち腹まで息が降りて腹が充実してから徐々に腹圧をかけて腰を押し出していく=腰回りを充実させていく、というのが正解。腹の気が増えていないのに腰を一直線にしようとすれば腰椎に過度な負担をかける。

 

 そもそも腹をぺちゃんこにして腰椎を後ろに押し出したような姿勢は腰にとても悪い。

 最近みたサイトの画像をみると、それは一目瞭然。(https://myrevo.jp/fitness/396

 

このサイトでは、<股関節が硬いと骨盤が立たない→腰に負担、ヘルニアやぎっくり腰の原因>

と、股関節を柔らかくする必要性を解いているもの。

 

が、画像内の左側の女性の立ち方でタントウ功をさせるところもなきにしもあらず・・・以前私のところに来た武術の好きな若い男性は鳩尾から腹が凹んでしまっていて身体に不調を訴えていた。それまで習ってきたタントウ校が左の画像の女性のような立ち方だったらしい。

 画像検索して出てきた左のような立ち方も似ている。(https://ameblo.jp/kikou-nai/entry-12126909171.html)

 

 まあ、この体勢だと後ろにひっくり返るはずだが、それにしても、先に背骨をまっすぐにしてスクワットをしたら上半身は固まってしまい腹筋は鍛えられるかもしれないが腹に弾力のある気のボールが作れない(丹田が作れない)。

 

 この手の太ももブルブル、腹筋も割れるようなタントウ功は少林拳などの外家拳かと思う。

 

 太極拳のタントウ功でよく見かけるのは左の画像のようなものかもしれない(https://amichi-biz.com/tantoukou/)

 

 前から見た図は腹の感じは良さそう・・・(スネがまっすぐでないのが気にかかるけど)

 

 が、横から見ると問題がある。顎が上がってしまって虚霊頂勁になっていないのはここでは無視したとしても、身体が後ろに出すぎていて腰に乗っかりすぎている。そこからお尻を入れているので骨盤が寝てしまっている。結局、上のヘルニアやぎっくり腰の予備軍の姿勢になってしまっているようだ。

 (加えて、これでは膝に負担がかかるのは必至・・・骨盤が寝ているから仕方がないか。)

  一番右に師父のタントウ功の画像を合わせた。

 左から右にいくごとに、腹の気が増えている。腹に気がたまりしっかりすれば腰に乗ることもなくなる。

 

 

 似たような比較は下のジーの動きでも同じようにできる(10/1のメモで使った画像)

 一番左のオレンジ色の男性は骨盤が寝ていて腰や背中に乗っている。真ん中の女性はも少し腹側にいる。そして右端の馮老師になると腹側にいる。背中がスッと通り腰が軽い。後ろ足の蹴りが頭頂や手など末端へと貫通している。

 

  腹に気が溜まると上の図で書き込みがされていたように、腹横筋が作動する。このコアマッスルで立てると体幹がしっかりする。呼吸が深くならないとこの腹横筋は起動しない。筋トレでは鍛えられないといわれる筋肉だ。

 

今回のビデオレッスンではまずその男性の誤解を解くように説明をした。

 

タントウ功(に限らず、人が立つ時)は、背骨や背中で立たないこと。

背骨で立とうとしたり背中(背筋)で立とうとすると腰や股関節、膝を痛める結果になる。

立つのは腹側の空間で立つ。腹腔、丹田、と言われる場所だ。

腰椎が後ろに押し出されるのは腹腔の気が背骨を後ろに押すようになるから。しかし、後ろに押しても、そのカウンターとして腹を前に押し出す圧が働くようになっている。最初は腹が凹んだり、膨らんだり、行ったり来たりするけれども、息が深くなり強くなるにつれて腹の気が背骨を後ろに押してもそれほど腹が凹まなくなる。息を吸っても吐いても腹が膨らんでいるような状態=丹田呼吸、になってくる。

 

具体的にどう練習するかは、シンプルな内功を使って教えてみた。すぐに足裏がとても熱くなりそのうち腹も熱くなって腰に負担をかけないタントウ功の要領が掴めたよう。

 なぜ丹田という概念を使うのか、それは背骨、関節を守るためでもある。息がしっかり腹まで届く、腹がしっかり動く。胃も腸も息を通すことで働きがよくなる。立つ時、歩く時、座る時、しっかり腹に息をいれる、そんな地道な努力を重ね、それが当たり前になるようにしていきたい。

 

 <↓ 陳項老師や劉師父の立ち姿>

 二人とも腹側に立っている。しっかり立っているのに胴体が少し浮かんでいるようにも見えなくもない?腹の空気、気の作用です。日本にはこのように立てる老師を滅多に見かけない。現代中国でも少なくなりました。筋肉に頼った太極拳が主流になりつつあるのかも。

2022/1/15

 

  今日の午前のクラス

 養老のツボ(昨日のメモで紹介したツボ)を押さえたまま腕を動かすと、前腕から二の腕→肩甲骨→腰、すなわち体幹が連動するのを確認してもらう。

そのベースには尺骨と上腕骨のつながりがある。

 

これを逆手にとると、右のような擒拿術になる。尺骨に刺激をいれられるツボ(通常は手の甲の薬指と小指の間のツボ)を掴んで相手の手をひねると相手の身体は簡単に崩れてしまう。もし、頭骨側のツボ(例えば親指と人差し指の間の合谷穴など)を掴んで捻っても相手の身体は崩れない。

 

 

 

←上腕骨と尺骨でヒジ関節を作るhttp://grit-bb-academy.com/arms/

 

バスケのシュートを安定させるにはなぜ小指側の押しが大事なのか・・・左の図を示すことで理解を促している。

 

自分で一方の腕の尺骨を別の手で握って腕を回して見ると肘が安定して二の腕が一緒に回るのがわかる。肩甲骨も一緒に回る。

それを確かめたあと、握った手を外して自由に腕を動かすと、いかに普段”外して”動かしているかがわかる。

 

ちなみに、上の擒拿の技は、相手が手、前腕から体幹までをつないでいないのが前提。素人だ。もし相手が実践の練習をある程度していれば手を捻られた瞬間にその体幹につながってチャンスーで反擒拿をしてしまうだろう。

手を捻られて身体が崩れるのはこれ以上捻られると肘が折れてしまうから身体を崩さざるを得ないのであり、もし捻られてもそれに応じて内側で身体の形を変えられれば相手の力にうまく対処ができる。

 

 私が一人目の生徒さんに擒拿をかけて身体が崩れてしまうのを体験してもらった後、「もし経を体幹まで繋いでいれば簡単には崩れませんよ、」と言ったら、そのあと、二人目、三人目は私が技をかけようとしてもうまくかからなかった。あれ、どうして? と聞いたら、「先生が経を繋げばいいといったのでそうしました。」と平然と答えた二人。なんと、見よう見まねでそこまでできてしまうのね、と驚いた。

 

  技は実験として使える。これがわかったら、それを日常生活に生かす技を身に付けたいところ。尺骨と橈骨の間の骨間膜はピッと張っておくことで腕の使い勝手がよくなる。肘、肩の連動がとてもよくなる。養老のツボを押すと骨間膜を起動させられるようだ。

 養老穴は文字通り老化に伴う疾患の予防に良いツボだそう。

 上の左の手の甲の図で緑丸で囲った中渚穴が擒拿の時によく掴まれる場所。私も師父にしょっちゅうそこを掴んで捻られて嫌〜な感じがした(苦笑)

 

 尺骨と橈骨のアライメントをきちんと整えると身体全身が整う。腕にねじりがあったり怠さがあるのは女性に多いのでは?と思うが、その調整に養老のツボを押したまま動くのはとても有効だ。

2022/1/14 <今日の練習からもろもろ>

 

 今日は御苑で3人の生徒さんを教えた。彼女達との付き合いは長い。私が不在だった2年間私の帰国を待って戻ってきてくれた生徒さん達は30人ほどだが、その中でも意欲の高いグループに入る人たちだ。

 生徒側が意欲的だとその意欲に引っ張られて教える意欲も高まる。その意欲にまた学ぶ側も応える。そうなると意欲の相乗効果で学びの場がとてもよい気場になる。一人で練習している時には理解できないことが理解できてしまったり、できないようなことができてしまったりする。新境地の体験。教える側も学ぶ側も高揚感を覚えるような充実した時間がもてる。

 こんな贅沢な学びの時間をもてるのは幸せだ。

 私からすれば、そんな私の意欲に応えてくれる生徒さん達に出会えて教えられるのは本当に光栄なことだ。これまで教えながらどれだけ学ばせてもらったことか・・・教えるのが一方通行的だったら面白くないだろう・・・教える、学ぶ、これも陰陽の関係、推手で遊んでいるのと似ているのかもしれない。

 

 今日は3人それぞれにアドバイスをしていったので指摘した点が多岐に渡った。

 少し思い出してみると・・・

 

 ・足首の調整には腓骨筋の走行を使う→土踏まずまでつながる、というのがミソ

 

 ・四股姿勢、もしくはイチローの肩入れストレッチで丹田の気をしっかり腹底に押し込む→体側を含めた体幹が杭のようになって股関節、股が開く(=タントウ功の原理と同じ)

  (気になることがあったので画像検索してみた↓)

  

 やはり、思っていた通り。

 練習の時は生徒さん達に肩を落として腕をつっかえ棒にする、腕を弛ませない、ということを強調したのだけど、案の定、イチローはそうやっているが、検索したほとんどの画像ではそれが甘い。肩入れする前の四股姿勢の出来具合でその後のストレッチの出来具合が決まってしまう。イチローと他の画像の大きな違いは丹田の気を腹底へ沈められているか否か。

 上段右側の男性は全く丹田に気を集めていないので、その後肩入れをしても少ししか肩が入らない。下段の女性は一見肩がたくさん動いているように見えるが、太極拳的に見ると、体幹が連動していないのでとても不自然な肩。イチローは気を沈めることによって、肩に広背筋や腹斜筋、腹横筋など、体幹を連動させてストレッチしている。股関節もその連動によって開いていく。太極拳的な身体の使い方だ。

 両手で太ももを押した姿勢でさらに身体を下げていくと、途中から手が太ももを押す力が減ってしまうかもしれない。そこが気を意識的に沈めるべき課題の場所。息を頑張って通す!息で身体を貫通させる。

 

 ・退歩の練習 退歩はつま先で地面を弾くようにするのだが、この動作が鈍い人はを腹の一番下、恥骨付近の力が弱い。おそらく爪先立ちで歩いたりするのが苦手。爪先立ちで下っ腹に気を溜める練習をする。椅子に座っている時も爪先立ちをしているかのような腹にして腹で立ち上がる。

 

  ・腰の動きが悪い人は中焦と下焦をそれぞれ別々に回す練習をする。適当に”腰”を回すのではなく、分けて回してみる。

  胸椎10番から12番を回す→腰椎1、2番を回す→腰椎3番→腰椎4番(骨盤の上縁の少し下)→腰椎5番→仙骨(も4つに分かれる) ここまで分けて回せれば腰はかなり柔軟だろう

 

  ・養老のツボは腰痛に効く、という動画を見たら、ピンときた。この原理は擒拿での常套手段。尺骨から上腕、肩甲骨、広背筋へ、というつながりを使っている。上腕を通すにも良い方法。動功にも日常生活にも使える。なぜこのツボが腰に届くのか解剖学的な観点から説明した上でこのツボを押したまま動功をしてもらうと皆がその違いに驚く。体幹と手の連動がとても分かりやすい。

 

  ・今日の練習で一人の生徒さんに手首の回転を”ちゃんと”するように厳しく指導したら、”ちゃんと”回転させようとするうちに、手首の回転が肩、身体、と連動して、足首の回転にまで引き抜いてしまった。手から足まで回転が引き抜けるとチャンスー(纏絲)になる。私の生徒さんの中でチャンスーで勁を引き抜いた第一号だと思う。引き抜くにはそれなりの内気の量が必要。彼女はある意味、馬力があるからできたかなぁ。そんなに馬力がない生徒さんの場合は、毎日少しずつ練習して通路を開けていく。開いていれば通すのにそれほど馬力がいらない。通路が狭いところを通すには馬力がいります。

  彼女が引き抜いたところを目撃したのは楽しかった(笑)

2022/1/12

 

  久しぶりに高校時代の同級生と電話で話したら、親の介護で疲れて肩こりは凄いし頭痛もする、自律神経も乱れてあまり眠れなくて困っているとボヤいていた。昔は新体操の選手だった彼女、今では太って身体も硬くなり前屈もできない、という。運動する暇がないらしいが、さすがにこのままではヤバイ・・・「どうしたらええん?」と私に聞いてきた。

 腰痛や肩こりなど問題が筋肉レベルでとどまっっているならまだしも、それが自立神経を乱すほどになってくると問題はやっかいだ。中国で”神医”というのは精神病を含む神経の疾患を治す医者だ、と聞いたことがある。治療がとても難しくなる。

 

 こんなとき気功法は有効だ。大雑把に言うなら、気は神経と筋肉、心と身体を結びつける。気をしっかり通すことで神経の暴走、心身の暴走を免れることができる。反対に、気がしっかり通せていない時は無意識的な脳(神経)の動き、身体の動きになってしまう。忙しさに翻弄されている時は呼吸も浅く気が通らない。充実感のないまま一日が終わってしまい脳には消化不良の残像が残り、体は酸欠状態、寝ても疲れがとれない。こんな毎日が長期間続いたら心身がまいってしまうのも不思議ではない。

 「一日に一回は身体を開けて(ほぐして)息(気)を頭のてっぺんから足まで通すべきだよ。」そう私は彼女に答えた。「でも、どうやってやるん?」

 

 彼女は太極拳には全く関心がない。でもタントウ功と内功はできる、し、ビデオでも教えられる。最初は10分間のタントウ功と内功3〜5種くらいから始めるかなぁ・・・。結局一度ビデオをつないで教えてあげることになった。

 

 昨日はアラスカに半ば移住状態になっている友人と会った。日本に戻ってきたら家の中が寒くて足の指がしもやけのようになった、と言ったのを聞いて私は笑った。実は私もこちらに帰ってきて足の小指がしもやけっぽくなったから。私がこれまで住んだことのあるヨーロッパの国、そして韓国は冬の気温が東京よりもずっと低かったけど家の中はぬくぬくだった。東京の冬の日中の気温が零下になることはめったにないが暖房の設備が中途半端で家の中が寒い。アラスカの冬なんてほんとに寒いだろう・・・と、彼女に尋ねたら「ああ、マイナス40度くらいになるけど、大丈夫よ。家からほとんど出ないし家の中では半袖。」 マイナス40度! 絶句。しかもほとんど日がでない・・・  たくましい!!

 が、帰り際、彼女が私に、歩くと腰骨あたりがとても痛いのだ、と相談してきた。ん? じゃあ、歩いてみて、と言って、彼女の歩く姿をよく見てみた。なるほど、右脚が外回りしている。と、そこからビルの片隅で、歩き方、立ち方のレッスンが始まった。腰骨のあたりが痛いというから大腿筋膜張筋のラインを使うように、と教え、なぜ腰骨が痛くなるのかを理解させた。使えないスジがあると、その他のスジにしわ寄せがくる。彼女の場合は対対筋膜張筋のラインが使えていない。

 そして彼女の身体を触って言った時、腰とお尻が纏足をしたように(?)ギュッと塊のようになっているのに気づいた。ああ、こんなに硬いと細かく腰や股関節(脚)を動かすことができない・・・とその場で指圧マッサージをしてあげた。「痛いけど気持ちいい〜。どこか寝そべってやってほしいなぁ。」そうだろうなぁ・・・

 このくらい硬いと誰かにほぐしてもらった方がてっとり早い。もちろん自分でできる限り放松して腰回しとかでほぐす作業も必要だが、自分一人だとなかなかほぐれなくて次第に諦めてしまうかも。変化、進歩があれば人は諦めずに続けることができる。身体を人に触ってもらうのも身体を解いたり覚醒させる一つの重要な方法。

 結局、時間いっぱい彼女を教えて昨日は別れた。彼女はアラスカに戻ったらレッスンをしてほしい、と言い残して今日アラスカに戻った。

 

 50歳を超えると大なり小なり身体に不具合が出てくる。どうにかしたい、と思う箇所がある。

 

  明後日は医者になった同級生と約5年ぶり会う予定だが、彼女は前回会った時にすでに腰痛がひどく靴下を履くのが大変、と言っていた。その時もカフェで彼女の肩揉みをしてあげたっけ・・・医者は患者の身体をケアするが、必ずしも自分の体をケアしているわけではなさそう・・・今回はどうなっているだろう? 何もしていなかったらひどくなる一方だ・・・

 

  今日は突然一人の生徒さんから尿結石の治療、予防に効果的な気功法、ツボ押しを教えてほしいとメッセージが入った。八段錦の最後のかかと落としが石を砕くのに良いと教わったことがあったのを思い出した。あとは水をたくさん飲む。でもやはり師父に聞いたほうが良いだろう、師父は経験と中医学、気功法の知識からその手の方策はとてもよく知っている。夕方になって聞いたら、まず座禅、そして水をたくさん飲んで尿を溜めて一気に排出する、そして震脚を両足ともども何度か強くやる、とアドバイスをくれた。八段錦のかかと落としより震脚の方が強力!なるほど。師父は「この程度のアドバイスがさっとできなければ太極拳の老師とはいえない」と一言。

 

 身体の不調を訴える人たちに対してさっとアドバイスしなければならない場面も徐々に増えるだろう。震脚を技としてではなく健康法として捉えられるように、太極拳の中の動きはそれぞれ具体的な健康法としての効用がある。それらに気づいていくような練習の仕方も考えていく必要があるかもしれない。

 

 <友人たちの身体を改善するための手順メモ>

 まずホッとして体をほぐす。(ホッとしないと体がほぐれない)=タントウ功→腰回し数種

 それから、気が足りないところに気を充填していく=呼吸法(収功)

 呼吸法と体の動作を合わせて動功 →内功になる

 

 ※ほぐすには筋膜剥がしが良いかなぁ

 

 

2022/1/9

 

  今日の練習でも足首、崑崙穴、腓骨筋を使う重要性を知ってもらおうと頑張った。

  (参考:腓骨筋→https://ameblo.jp/imanami-kaibou/entry-12684085660.html

 膀胱経の一部でもあるが、くるぶしを回り込んで足裏を通って親指の方までつながる。

 このスネ後ろの部分でしっかり立てると”踵”が使えるようになる。足の小指が覚醒すると同時に手の小指が覚醒する。套路をする人の手を見ればどのくらい身体を覚醒させているのか概ね検討がつくが、小指はここから繋がっている。

 

 といっても、ここから手の小指まではとても遠くて、途中に何箇所かツボを引っ掛ける必要がある(膀胱経を通す)。今日の練習を見ていると、腰の志室穴を外す人が多いような感じだった。腰のツボを外すと爆発力がでない(発勁ができない)。この腓骨筋に沿った部分(要所としては崑崙穴)を使えないと太極拳の技はすべて不発に終わる・・・ということをいくつかの技を例に示してみた。逆に言えば、ここを通して手までつなげられれば、太極拳の技は真似をすればできてしまう。

 ただ、ここに立って踵を使えるようにし続けるのは至難の技だ。普通の人はこの位置に立つと後ろにのけぞりそうになる。そのくらい崑崙のツボは後方にある。頭で思っているより後ろにあるから、この場所を身体に覚えさせるには絶対に手で触るべきだ。頭で考える位置と実際の位置がズレているのはよくあることで、ペインクリニックはその差異を逆手にとって治療をしている。肘を操るのなら肘がどこにあるのか、脳に正しい位置をインプットさせる必要がある。膝もくるぶしも、からだの至る場所は触って再確認していく。ズレに気づいておく。そのような作業は身体を正確に操るのにとても大事になる。

 

 手で触って確認する。

 手は脳だ。センサーだ。バレエダンサーがバーを握ってレッスンするのも、バーに寄っ掛かるためではなく、バーを握る手のひらのセンサーを使って脳から身体の各部位への神経のつながりを広げていくためだ。だからぎゅ〜っと握ってはいけない。手のひらのセンサーを起動させるような握り方をする。太極拳で拳をギュ〜っと握らないのも同じ理由だ。空拳にすることによって手のひらのセンサーを覚醒させている。(ギュ〜っと握ると身体の中が暗闇になって神経のつながりが分からない)

 気功の上には神功がある、というが、神功とは神経の操作だ。脳の領域だ。腹の丹田は気功の中心となると同様に、脳と手は神功の中心になる。神経だけでは馬力が出ないが、神経に気(エネルギー)が合わさればコントロールの聞いた通った力が出る。

 

 手の力を抜くと腹や下半身に力が出る。

 そんな実験を今日の生徒さん達にやってもらった。

 やり方は簡単、何か手に握って持って(今日は水筒を手に持ってもらった)、徐々に握った手の力を抜いていく、というもの。落とさないようにぎりぎりまで力を抜いていく。もうこれ以上は抜けない、というところで、も少し抜けないか?、そしてまたも少し?・・・と抜いていくと、力が身体の中心部へ移動し、そして下半身、足まで届くのが分かるはず。

 

右のように携帯を持ってやってみてもよい。

用心して少しずつ力を抜いていく・・・

 

そう指示して今日の女性の生徒さん達にやらせたら、皆足に根が生えたようになった。上虚下実の状態だ。大成功! 

が、男性陣に同じ実験をさせたら、なんと、水筒を落としそうになった。なぜ?

手のひらのセンサーが粗雑なのか、徐々に力を抜くことができないのか、よくわからない。なぜ女性陣はできて男性陣はできなかったのか? 今日は時間切れでそれ以上追求できなかった。

 

 私がパリを去る直前、師父が練習の帰りに「今日は手の力をまだ抜けることに気づいた。とても良かった。」と言ったことがあった。私は意味がよくわからなかったので、「ああそうですか。」と相槌をうっただけだったのだが、その後も、あれはどういうことだったのだろう?と気になっていた。 そしてしばらく経った時、套路練習の途中であの師父の言葉を思い出し、私も手(手のひら)の力をもっと抜いてみよう、とやってみた。その時、気づいた。手のの力を(勇気をもって)抜いてみると丹田に気が戻ってくる、充満してくるのだ。丹田の気が充満して足の方に流れると下半身がとても安定する。手の放松は丹田の気を増やす。同様に、どの部分を放松させてもその分丹田の気を増やせるのだが、手は力の入りやすいところでかつ意識的に抜きやすい場所。ここで放松と丹田の関係、上虚下実の関係がはっきりと体験できるだろう。

 

 放松→中心に気が集まる

 が、その一方で、コップを落とさないようにコップを持った手の力を緩めるには、それに見合った中心の力、下半身の力が必要だというのも事実だ。手と中心に通路が開通している必要がある。通路がないのに手を緩めたらコップは落ちてしまう。通路があって中心に力があれば手を緩めてもコップが落ちないのを身体が感覚的に知っているから手を緩めることができる。身体には身体の知恵があるのだ。水たまりを飛び越せるかどうかは飛ぶ前にだいたいわかる。身体ができない、と感じるものは意思で命令してもうまくいかない。身体が安心してできるような環境が必要だ。

 ん?ということは、水筒を落としそうになった今日の男性陣、その問題点は通路が閉じていることだったのかな?手を緩める時に手ばかり気になって、意識を中心、下方へとずらしていく、もしくは内側の視野を大きくすることを忘れていたのかも? 意識は神経や気のさらに上部に位置するもの。意の持ち方で神経や気の状態が変わる・・・来週男性陣に再チャレンジさせてみよう♪

 

2022/1/8

 

  「武術は師がいないと学べない、師と共に過ごしその立ち居振る舞い、息遣いを身を以て知ることが必要だ・・・オンラインでは学べない。」

 そんな声を(久しぶりに)聞いた。そう言えば師父もそんなことをよく言っていた。けど、本当にそうだろうか? 真の武術家になるならまだしも、健康法もしくは武術の体の使い方、呼吸の仕方、気の導引の仕方などは、師が傍にいなくても学ぶことは可能だろう。実際、私のオンラインの生徒さん達は対面レッスンの生徒さん達と比べても勝るとも劣らない進歩をしている。

  

  遠方に住んでいるためにオンラインでしか学べない生徒さん達の熱意はとても高い。田舎にいると東京や大阪に住む人たちの恵まれた環境が羨ましいもの・・・私も田舎で生まれ育ったのでその感覚はよく分かる。田舎で独り学び続けるには相当な熱意がいる。

  が、今は遠方の人と簡単にオンラインで繋がることができる時代。オンラインで何が学べる? と懐疑的な人がいるかもしれないが、実際にレッスンしてみるとかなり細かいところまで見えてしまう。マンツーマンでオンラインレッスンをすると、対面で5人を相手にするよりもその一人のマンツーマンの生徒さんの課題が浮き彫りになる。レッスンはオーダーメイドになる。

  

 実は「武術は師がいないと学べない。」という時の”師”は師弟関係を結んだ師、弟子は内弟子を意味する。教えは一対一、マンツーマンの関係だ。これに対し、一対大勢で教える時は”師”ではなく”先生”になる。先生と生徒の関係だ。先生と生徒の関係では各々の生徒に即した教え方はできない。カリキュラムに沿った教え方になる。武術はカリキュラム的に学べるものではない。オーダーメイドだ。それが学校の勉強とは異なるところだろう。

 

 そういう意味ではマンツーマンのオンラインレッスンは”師弟”でしか教えられないことも教えられたりする。オンラインだから余計に一般の大勢のレッスンでは見せられないものも見せて理解を促したりすることもできる。想像以上に利点は多い。

 が、当然欠点もある。一つは息抜きがないこと。集団レッスンだと適度に息抜きの時間ができる。生徒同士でちょっとした言葉を交わす時間もある。けれどマンツーマン、しかも画面の中通しだと逃げ場がない。

 そしてもう一つは他の生徒さん達と一緒に動く機会がないこと。団体で套路をするのと一人で套路をするのは当然気場が異なる。人数が集まるとそれだけ気場も大きくなる。その気場に包まれて動くと波動が高まる。心身に良い影響がある。たとえ拙い動きでも皆と一緒に動いているだけで気持ちよくなる。”学ぶ”というよりもその場にいることによって得られる心身への効果だ。残念ながらオンラインやマンツーマンではその感覚はあまり得られない。

 

 お決まりの集団レッスンは初心者には良いが、そこから先に進もうとすると壁に当たる。私はスポーツクラブで簡化24式を習い始めたのがこの道に入るきっかけだったが、半年もしたら、もっと深く学びたい、と思うようになった。そのスポーツクラブでは日替わりで北京体育大学出身の先生が教えてくれていたのだけど、その先生達に、「意識の使い方を学びたい」と言ったら、どの先生も、「ここでは無理だ、東京の私たちの武術館に来なさい」という答えだった。当時私は小さい子供がいたから東京まで出ていくことができずがっかりしたものだった。

 

 今の師は質問すればいつでもオンラインで教えてくれる。

 人は現在の環境を最大限に生かすしかない。

 私のオンラインの生徒さん達は私の東京や横浜の生徒さん達のことを羨ましがったりするが、いつでもレッスンに行ける環境にあるとそこまでレッスンに対し意欲的でなくなったりする。ちょっとしたハングリー精神はいつでも必要だろう。いつでも今日が最後の日になり得るのだから。

 

 そして”武術”といってもそのほとんどは身体の操り方の習得。

 そしてその身体の操り方は決して特殊なものではなく人間の身体を最も合理的に使う方法だ。それはどのスポーツでも楽器演奏でも歩き方、立ち居振る舞い、全てに共通するもの。秘伝でもなんでもなく大公開されているものだ。

 太極拳の”技”なるものはそんな合理的な身体の使い方の上に成り立っている。

 すなわち、身体ができていれば、技は学べばできてしまうのだ。(その技をもって本当に戦うのならそれなりの反復練習、実践経験が必要。それはサッカーやテニスなどのスポーツと同じ。)

 逆に言えば、身体の可動域が制限されていたり変な力が入っていたりしたら、技を学んでも技にならない。(師父に技を教えてもらっても技がかからなかった経験は多々ある。その時、ああ、まだこの部分ができていない、身体作りの至っていない部分が判明したりする。)

 そして、基本的な身体作りの仕方はどのスポーツも共通したものがあるし(前屈や開脚などは基本中の基本)、太極拳に特有の功夫の方法は馮老師が公開している。公開されたものは必ずしも師が傍にいなくても練習可能だ。オンラインでも意欲と根気があれば十分に習得できる。逆に対面で練習しても毎日の積み重ねがなければなかなか習得できないだろう。(一週間に一回前屈や開脚をしてもできるようにはならない。毎日欠かさず少しずつやる必要がある。同様に一週間に一回内功をしても身につかない。)

 

<今日のレッスンでの収穫>

  今日のレッスンでは足関節のことを知りたいという要望があったので、いろいろやってみた。試した結果、皆が一番分かり易かったのは腓骨筋を使ったエクササイズ。それによって、いかに自分の足首が”回って”いなかったかを痛感できる。そして、腓骨筋を使えるか否かが『力は踵から』の出来不出来を決める、ということが分かった。ただ、腓骨筋をひっかけて立つには皆一苦労・・・なぜタントウ功が必要になるのか、さらに理解が深まったかも。 明日のレッスンでも教えてみよう♪

 

  

 

2022/1/6 <足関節 背屈と底屈に功夫の差が現れる?>

 

  足関節(足首の関節)の重要性は見落とされがちだけど、とても重要だ。私自身、この足関節の調整に随分苦労してきた。が、足関節の調整、矯正はほとんどの人に必要のようだ。生徒さん達や街で見かける人の足関節を観察してみると、足関節のアライメントが正しく可動域を保っている大人は滅多にいない。

  

  足関節が歪んでいる(アライメントが崩れている)、可動域が少ない、ちゃんと回転しない、と気づくのは太極拳の練習がある程度進んでからだと思う。初心者の頃は足関節まで気が回らない。他に意識することがたくさんあるからだ。

  太極拳の練習(タントウ功や内功)で足関節を調整していくには足まで気をおろすことができるのが前提になる。気を下ろすことができずにただ足首、足に体重を乗せてしまうと、足首、足が重さで潰れてしまって足を構成する骨たちのアライメントを調整することができない。そして足に気を落とすにはその上にある胴体のアライメントをある程度修正しておく必要がある。

 

 (例えば、右の写真のように足首が曲がってしまっている(外反している)生徒さんがいた場合、それをどう治していくのか?いきなり足首を治すことはできない。全身をだいたいまっすぐに立たせた上で、腰、股関節から始めていかなければならない。放松して内気をためさせて徐々に息を足まで届かせるような練習を根気よく導く必要がある。導きなしに一人で修正することは不可能だろう・・・)

 

 足関節の問題は足関節だけの問題ではない。上に乗っている胴体の歪みの表れだ。ある程度練習が進んでいれば、足関節を意識的に調整することで股関節や腰など、胴体の調整をすることも可能になる。

 

 足関節をどう調整するかは専門家の話を参照した方が良さそうだ。

 底屈と背屈がしっかりできないと足裏や踵の力を胴体に繋ぐことはできない。太極拳においては致命的な問題になる。

 

 レベルの高い太極拳の老師の足、足関節(足首)をよく見れば、その柔らかさ、可動域の大きさに気づくはずだ。この支えのもとに太極拳が成り立っている。

 

 左は馮老師と王老師。当時はその功夫の差が歴然としていた。

 どこに注目してもその差が見えるのだが、足関節に注目すると

 

 

 

ちゃんとした太極拳の老師の足、足関節(足首)をよく見れば、その柔らかさ、可動域の大きさに気づくはずだ。この支えのもとに太極拳が成り立っている。そういえば、いわゆる修行者の足はとてもしっかりしている。上虚下実になれば足は分厚くしっかりする。頭や胴体の力を抜けるだけの足になっている。逆に言えば、頭や上半身の力を抜く練習をしていれば自然に足はしっかりしてくる。

 

  (足関節の調整はかなりややこしい 参考 https://reha-basic.net/anklerom/

 

 <赤の矢印>

 左の画像は王老師の右膝がつま先を越えて出てしまっている。右の馮老師の膝と足首を繋ぐ脛は地面に垂直。

 →足関節の背屈(フレックス)の差

  王老師の場合は足関節に背屈制限があるため代償措置として膝が前に出てしまう。馮老師は背屈がしっかりできてカチッとはまっている。足首安定。

 

 <青の矢印>

 後足に体重をかけた時の前足の状態。

 左画像の馮老師は太腿前面、脛前面、足首甲側、甲、そしてつま先まで、勁が通っている。これに対し、右画像の王老師は右太腿、脛前面に力がなく、足首から甲、つま先に勁が貫通していない。後ろに体重移動する時に前脚(右脚)の力が抜けてしまっているのはGIF画像で見ると明らか。

  →足関節の底屈(ポワント)の差

 

 足関節の使い方を変えれば当時の王老師の全体的な動きも変わっただろう・・・

 が、足関節の使い方を変えるために、内気が必要になるだろう。

 

 いつものことだが全体と部分は入れ込んでいる・・・部分を集めても全体にはならない

 部分→全体→別の部分→全体→さらに別の部分→全体→・・・→最初の部分→全体・・・

 一巡、二巡、三巡・・・そんな練習の仕方になる。

 

 

 ともあれ足関節の調整はかなりややこしいです。私もまだ勉強中。例えばこのブログを見ると、自分の背屈が甘いのに気づくかもしれません。https://reha-basic.net/anklerom/ 

 

 

 

2022/1/5 <血海穴から足首のフレックス、股関節の回転、圧腿へ>

 

  血海穴の動画を見た生徒さんから質問があった。

 「そもそも私の膝は体重を支えているようなもので動く感じがしません。血海穴を膝として意識したら動くどころか固定されてしまいました。血海穴を膝として使う、というのはどういうことですか?」

  

  膝が固定されてしまうとしたら、股関節に問題がある。股関節が起動していないのだろう。そう思って短い文章でコメントをしようかと考えたのだが、やはり質問に答えるにはこの生徒さんの体の使い方を見て、股関節の使い方を個別に指導する必要があるだろうと思い早速単発のビデオレッスンを組んだ。

  いざビデオレッスンをしてみると・・・

  ん? 股関節も問題だが、それよりも足首のフレックスが気になる。

  足首のフレックスができていない、ということは、足首で経が分断してしまっているということだ。”足首のフレックス”は”踵を出す”ということとイコールだ。踵を出せなければ踵の力(反発力)は使えない。踵は股関節にダイレクトに力を伝達する。踵の力が使えなければ胴体の反発力は得られない・・・生徒さんを導きながらそんなことを確認した。

 

  生徒さんには足首のフレックスの仕方を細かく指導。それからそれを元にして、足首を回すことを教えた。足首回しは足首の後ろ側の力を使えるかがポイント。普通の人は、足首を回しているようで、足の甲側の足首部分だけを行ったり来たりさせていたりすることが多い。ちゃんと回せれば股関節の回転もついてくる。回転を、前、右、後ろ、左、というように4方向に分けて、それぞれの箇所で止めてみると、ちゃんと回っているかどうかが確認できる。うまく回っていないところは股関節との連動が切れているところ。そこを指摘したあとは股関節の回転を指導した。

  それは最終的には圧腿に集約されていったのだが・・・(このあたりの流れは文章で説明しづらいので省略)

 

  結局、この足首の回転と股関節の回転の連動、というのが血海穴を膝として使う効用だった・・・そうはっきり分かったのはその一人の生徒さんを教えた後。嬉しかったのは、その生徒さんも足首の回転が目の鱗でとても嬉しがっていたということだ。教える方も学ぶ方も、得ることのあるレッスンはとても楽しい。

  

  足首のフレックスの重要性についてまとめる必要があるなぁ。

  質問歓迎します。

  

2022/1/2 <血海穴を使う効用ー続き 螺旋勁・纏糸勁へ>

 

 12/28の動画「血海穴を膝として使う効用』(https://youtu.be/xHRYB5YH2fk)の補足説明の続き。

 

 動画の中では、<血海穴を使うVS使わない> を、③前屈、④屈伸、⑤両足を開いた状態、⑥重心移動、⑦両足を開いて腰を落とした状態、で比較した。

 

 ③前屈では、太腿を内旋させて血海穴を使うことにより上半身と下半身が分断されずに丸くなることができる。実はこれは、全身に逆チャンスーをかけたに等しい。これに対し、太腿を内旋をさせずにそのまま前屈させると身体は”折れた”ようになる。上半身と下半身は分断される。

 

 ④屈伸においても、太腿を内旋させて血海穴を使うことにより足裏に反発力がでる。内旋させずにただ膝を折り曲げた場合とは足裏の感覚、全身のつながり感が全く違う。この場合も全身に逆チャンスーがかかっている。このまま足裏でピョンピョン飛べるはず→本来、うさぎ跳びはこうやってやるべきでは? 膝を折った状態でうさぎ跳びをすれば膝が痛むのは当たり前だと分かる。

 

 前屈と屈伸の実験で、明らかに上半身と下半身の繋がり方が違う、と分かればしめたもの。ここから螺旋勁、纏糸勁が太極拳だけでなく合理的な身体の使い方として本来内在しているのだと気づく可能性がある。成長とともに筋肉で体を分断させてしまうような体の使い方に慣れてしまっただけだと。こわばってしまった体を本来の伸びのある体にするにはチャンスー、螺旋勁が必要・・・ただ直線的にストレッチしても伸びないだろうと。

 

 そして

 ⑤両足を開いた状態、⑥重心移動、⑦両足を開いて腰を落とした状態、というのは結局、弓歩での違いを見せているにすぎない。ポイントとしては、

 

 ・両足を左右や前後に開いた時には、両脚は外旋させつつ内旋している / 内旋させつつ外旋しているということ。内旋と外旋が拮抗状態になることで膝がつま先の向きと揃う。

 

 ・血海穴を使ったまま弓歩を深くしていくと、股間(裆)が開いていく(開かざるを得ない)。使わなければ、裆は広がらず膝がつま先より前に突き出ていくようになる。→円裆にはチャンスーが必要。纏糸や螺旋勁をかけずにただ股を広げても円裆にはならない(尖裆や裆になってしまう)。

 

 ・弓歩の重心移動の際、前脚だけではなく後脚も血海穴を維持すれば自然に後ろ足が地面を蹴るようになる(反発力が得られるようになる。というのは、後脚にも螺旋・纏糸勁がかかるから。後脚にそのような勁がないと足は死んでしまう。→『力は踵から』の前提としてその脚の螺旋・纏糸勁が必要

 

 

  動画では締めくくりをしなかったが、改めて締めくくると、血海穴を使おうとする練習は螺旋勁・纏糸勁を使わせようとする試みだということ。体感できれば太極拳の面白さが倍増するはずだ。

  (なお、動画を見て真似をしただけでは分からない場合、単発のビデオレッスンでアドバイス、コーチをすることもできます。お問い合わせから連絡を下さい。)

 

2021/12/31 <血海穴を膝として使う効用>

 

 12/28の動画「血海穴を膝として使う効用』(https://youtu.be/xHRYB5YH2fk)に簡単な見出し字幕をつけました。

 

 以下、動画の見出しに沿って補足説明します。

 

 

 ①血海穴の位置

 

  右の画像を参考。

  血海穴は脾経上のツボ。

  血の海という通り、血、女性の生理と関係が深い。「男は気、女性は血」、気血のうちの「血」。

  足の親指、内くるぶし、ふくらはぎ、太ももの内側。衰えさせたくない部位。

  女性は特に注意。

 

 ②血海穴を使う感覚を掴む

 

  両足を揃えて立ち、太ももをわずかに内旋させる。膝が上に持ち上がるような感じになる。

 

 ③前屈で違いを確認

 

  パリでのロックダウン中に昨日紹介したヨガの先生(ヴィシュワジ先生)のオンラインクラスを受けたりしていたのだが、その中で前屈をする際、まず、(1)揃えた両足のつま先を少し上げてから下ろして"happy toes"にし、(2)太ももを内旋させてタイトにする 、という注意があった。私は何のためにそんな指示をしているのか分からないまま真似をしていたのだがずっとその指示が疑問として残っていた。

 

  その後、太極拳の練習で師父に血海のツボを使え、と言われそう練習していたら、ああ、あのヴィシュワジ先生のあの前屈の時の指示はそういうことだったのか〜、と気づいたことがある。太極拳でもヨガでも、マスターは同じことを言っていた。全身の関節をつないで勁を貫通させて動くのだ・・・

 

  血海穴を入れて前屈するだけでも、その感覚が少し味わえる。入れずに前屈と入れて前屈、全身のつながりが全く違う。もちろん、太ももを内旋させて血海穴を入れて前屈した方が深く前屈できる(し、気持ちいい)。

 

 ④屈伸で違いを確認

 

  動画でやって見せている通りだ。

  太もも内旋で血海穴を入れてしゃがめば自動的に足裏が地面を蹴れる、いや、蹴れるというより反発力が出てしまう、と言った方が正しいかもしれない。跳ねれる。蹴らなくていい。

  身体にチャンスーがかかると自然に跳ねられるようになる。血海穴を入れて脚に螺旋を描かせるだけでもそれが少し分かる。全身に螺旋がかかれば・・・足の反発力は半端ない、と想像できるのでは?

 

 ⑤両足を開いた状態で確認

 

 <年を越えました。続きはまた書きます・・・>

 

 

2021/12/30 <松と勁 松の前提条件>

 

 動画の説明をしようと思ったのだけど、後回し。

 今日頭に浮かんだ教訓を忘れないうちに書いておこう。

 

 『太極拳は松に始まり松に終わる』というのは馬虹先生が初めて言った言葉ではなく昔から言い伝えられている言葉。それほど、”松”(力を抜く)というのは太極拳の核心になっている。

 

 が、これがなかなかの曲者。

 私たち人間は生まれてからずっと”力を入れる”ということを教わってきたのだ。急に、”力を入れるな”と言われても・・・まあ、なんとなくぶらぶらやってみる、くらいのことしか最初はできない。

 けど、あまりにもぷらぷら、ぶらぶらやっていると、それはそれで”松”ではなく”歇“(お休みモード)だと叱られる。”没勁”(内側の力がない)と言われるのだ。

 ”松”とは、「外側の力は抜いているけれども、内側の力(=勁)はある状態なのだ」と頭の中で整理する段階がくる。

 それが、「いや、外側の力を抜くから(松するから)、内側の力(=勁)が現れるのだ」という理解に変わるのは、”勁”がはっきり感じられるようになった段階。松をしないと勁で動けない、松しないで動くということは筋肉に頼って動くことなのだ、と分かるようになってくる。

 

 そこまで”分かって”も、練習中は「もっと”松”しろ!」とか「上半身の”松”が足りない!」とか言われ続ける。そう言われてもどこをどう抜けばよいのか分からない。松の正体が分かることと、実際に身体の隅々まで松できるか、というのは別物。ここからは私の場合。”勁”を頼りに練習してきた。

 勁が通らない箇所に気づいてその箇所の勁を通そうと試行錯誤すると、別の箇所の”松”が足りない、松ができていない、ということに気づくのだ。ある部分の勁が通らないのは別の部分の松ができないから。その部分の松ができるとある部分の勁が通るようになる。

 実際、師父や馮老師などがやっている内功は外から見ると何をやっているのか分からなかったりする(実際に馮老師が一人で内功している姿を目撃した人はそのように言う。生徒さん達に教えるものと全く違うのだ)。それは内側の勁を通していく作業で、身体の中に通路を開通させることだ。これは多くの人が分断された”力”を使うのと一線を画する方法で、より洗練された力の使い方、世の中の”達人”と呼ばれる人たちが意識的、無意識的にやっている体の使い方だ。

 

 そして今日、改めて認識したのは、「松できるには、松できるだけの体のアライメントが必要」ということだった。身体には身体の知恵、安全装置がある。例えば私が、「膝の力を抜こう」と思っても、身体の方で「今膝の力を抜いたら姿勢が崩れてしまう」と思ったら、私がいくら力を抜こうと思っても力は抜けないのだ。その部分の筋肉が緊張していて松できないのは、そこが松した時に姿勢を保てるだけの他の部分の補完的機能が期待できないからだ。

 整理すると、松は勁の前提条件で、勁を探ることで松せざるを得なくなったりもするけれど、松、それ自体にはそれを可能にするための体全体の補完性、協調性が必要だということ。身体全体の補完性、協調性は、身体のアライメント(骨組み、筋膜のつながり、経絡など)がガイドになるだろう。

 ただやみくもに”松”しようとしてもうまくいかないのはそんなところにあるかと思う。

 

 下はAkhanda yoga ヴィシュワジ先生によるdownward facing dogポーズ。

 そしてその下は画像検索で探した同じポーズ。

 

 

 このポーズは肩の柔軟性が極めて高くないとできないとヴィシュワジ先生は言うが、先生とその他の画像を比べると、先生の肩の柔軟性はその腰、お尻、脚、首、すべてとつながって成り立っているのが分かる。例えば、下の一番右の画像の女性だと、腰、仙骨の柔軟性が協調していないから肩甲骨の柔軟性も足りない。このままむりやりお尻を引いていったら腕が外れてしまいかねない・・・としたら、身体はこの位置でロックをかける。これ以上肩は緩まない。下画像一番左の女性もこれ以上肩を柔軟にするなら、仙骨をヴィシュワジ先生のように柔軟にする必要がある。それなしに肩だけ引っ張って伸ばすと、これも腕、肩を炒めることになる→身体はロックをかけてそうさせないようにする。

 

 身体の防御反応を引き出さないような身体の全体的な環境が必要。

 これは太極拳やヨガに限らず、日常動作、ただの立ち姿、座り姿を含めて、全ての体の操作、姿勢に当てはまること。

 だから、股関節ができたら、腰、腰ができたら、肩、とは練習できない。常にぐるぐる少しずつ練習せざるを得ない。ぐるぐるといろんな箇所の”松”を少しずつ何循環もさせて行うような練習になるということです。循環自体が太極拳的です・・・

 

2021/12/28

 

 今日撮った動画3本。 説明は後日書きます。

2021/12/26 <『左顾右盼』での脊椎の回旋>

 

 今日のレッスンはとても良かった。私も十分学べた。

 今日は寒波で気温が低かったけれど、御苑の芝生では陽光を浴びてとても快適に練習できた。冬でも日焼けを気にしなきゃならないなんてパリでは考えられない! 冬の太平洋側は陽気に恵まれる。

 

 まずは血海ツボを膝として使うことを復習。内旋で使いやすい。ここをしっかり意識できると股関節が起動する。二の腕の骨も連動する。膝も守る。血海については先週教えたのだけれども、先週おやすみだった生徒さん達のために復習した。弓歩の時も血海を譲らない。そうすれば太ももの前側の筋肉が硬くなったり膝を痛めたりしない。

 

 二の腕の起動のさせ方に新しい手法を試して見た。効果はてきめん。二の腕が入っている状態と、二の腕を外している状態、生徒さんそれぞれがこの区別をはっきり認識することができた。(二の腕が入っている入っていない、というのは正確な言い方ではない。腕が肩甲骨にしっかり連動している状態とそうでない状態、そう言った方が良い。普段私たちの腕はぶらぶらしている。)

 二の腕が入ると肘がしっかりする、と一人の生徒さんがコメント。その通り。

 肘が使える、ということは二の腕がしっかり肩甲骨に連動している、ということ。太極拳には肘技、二の腕を使う技が多いが、ここが使えると体幹で手を操作できる。(倒巻肱でその応用をやってみせた)

 

 背骨、いや、脊椎の回旋は足の動きにダイレクトに直結する。半身に構えると脊椎の回旋がはいる。そうすると後ろ足が常に地面を推せる状態になる=いつでも動けるようになる。

 もし半身にならずにまっすぐ前を向いてしまうと、後ろ足の動きが止まってしまう=次に動き出す時に膝や股関節に負担をかけてしまう。

 半身に構えると左目、あるいは右目、どちらかが主導になる。左目右目がお人形さんのように揃って前を向いている状態では脊椎に回旋が起こらない→脚の関節が揃わず動きが止まる。

 『左顾右盼』は眼法でもあるし歩法でもある。

 これによって脊椎は回旋し、足が動くようになる。

 それがはっきり分かったのが今日の練習。

 

 『左顾右盼』を練習するために雲手(運手)をやってもらった。雲手は両手交互の外旋。混乱しそうであれば、右手、もしくは左手だけの重心移動を伴った外旋を練習すればよいと思う。どう目を使うのか?

 ここで両目で手を見ているような人は完全にアウトだ。

 膝に乗って足の運びを阻害してしまう。というのは、脊椎の回旋が得られないからだ。

 右を向く時はまず右の目玉をぐっと右に向けてから顔を右に向ける。

 以前メモに書いたことがあるが、目玉を向けてから顔を向けると頚椎一番から順番に回旋がかかる。

 このあたりの練習を皆にさせて顔の向け方、目の使い方と足運びの関係を体感してもらった。おもしろ〜い!と言ってくれた生徒さん達。 一人の生徒さんが、結局、右目と左目は別々に使うのですね? と言ったのを聞いて、そういう言い方もあると思った。左目も右目もしっかり使う。顔を向ける前に目を向ける。当たり前のことのようだけど、私たち大人は特に、目を向けるべき時に顔を向けてしまう。巷に普及した健康体操の太極拳にも是非目玉の動きを取り入れて脊椎の回旋を入れたいもの。でないと、関節に余計な負担がかかってしまうと思った。

 

 『左顾右盼』についてはこれまで納得する説明を得たことがなかったので、今日は記念すべき日。明日師父に報告してみよう。『左顾右盼』は決して”左を見て右を見る”なんていうものではなかった!!(といっても言葉で説明できるかしら?)師父は無意識でやっているので説明ができなかったのだろう。実践をやっている人なら無意識でできることも、実践の機会ができない人にとっては学ぶしかない。

 上に書いたポイントについて動画を撮って説明できればよいのだけど・・・。

 

<下の画像>

 顔から向いてしまうと首と胴体が断絶。脊椎に回旋がかからず背骨が棒状→膝にロックがかかってしまって動きが止まってしまう。(戻れないし、かといってそのまま前方にもう一歩動くことができない。)

 『左顾右盼』で目から回旋させていくと脊椎が満遍なく回旋→膝にも角ができない(脚が弧になる=円裆になる)。足が動き続けられる。

 

 どの画像が『左顾右盼』で脊椎回旋しているでしょう?

  

 

 

2021/12/25 <平視 凝視 凝神 内収 合 中正 眼力>

 

 昨日『平視』ということを書いたら、早速今日のレッスンで一人の生徒さんが「で、先生、『平視』とは一体何ですか?」と尋ねてきた。

 実は昨日メモを書いた時にそれが見て分かるような画像がないかと探していたのだが、結局適当なものが見当たらずに放っておいてしまった。文章だけではやっぱり理解できない・・・

https://meguri-seitai.info/bodycare/fat-stand/
https://meguri-seitai.info/bodycare/fat-stand/

 ということで、私が平視とそうでないのを見せることにした。

 横顔で見た方がはっきり違いがわかるだろうと、生徒さん達には横に立ってもらった。

 

 

 まず普通に立って普通に前を見た場合。

 左の画像の女性のようになるのだろう。

 この時、目と耳は水平線状にない。

 

 ここから平視にすると・・・

(と、ピッタシの画像がないので困るのだが)

ちゃんと前方の対象物を凝視したような目になる。

 

 生徒さん達に見せて比較させると、「平視だと結局下顎を引くんですね。」とか、「サッカーのFGの時に見るような目の使い方ですね。」というコメントをくれた。思っていたより違いは一目瞭然だったよう。

 できるかできないか、はともかくも、見て、そうかそうでないのか分かる、というのもとても大事。

 

 動物が獲物を見つけてそれを見ている目も平視のはず。そのくらい平視には力がある。ただ前を向いている目、ではない。

 スポーツ選手なら普通そんな目になっている・・・ここで久しぶりに大好きな馬龍を見てみよう♪

 一枚だけ平視でないのはすぐ分かると思う。

 

 平視はタントウ功や起式のはじめに使われる。

 タントウ功だと、馮老師のテキストでは、「まず遠くを平視して何か対象物(樹木など)を注目し、しばらく凝視する」とある。

 平視、注目、凝視、と言葉が並ぶが、やってみると分かるが、平視自体に注視や凝視の状態が入っている。(最初平視せずにただ遠くの木を見たとしても、それからその木だけを注視してさらに凝視すると、自然に下顎や引けて平視の状態になるはず)

 

 ただ平視のままでは目の光(気、神)が外向きに出ているので、太極拳では、その後、その木に向けた目の光を眉間にグッと引き戻してくる。目を内収する、というものだ。引き戻した先、眉間の奥は上丹田で、ここで目と耳が一体化する。この上丹田から視線を下方の丹田の方に落とすことによって中丹田や下丹田を連動させていくのがタントウ功や起式の役割だ。

 

左は演武に入る直前の馮老師。

眉間に光を集めているのが分かる貴重な映像。

これは『凝神』とも言われる。

これをやって、神、気が漏れないように動き続ける。これが太極拳だ。外に発散してしまわない。内側に引いているからこその体の中正。ただ体がまっすぐ、という外側の中正ではなく、内側で引っ張っているからこその中正が見て取れる。心も体もブレない。https://youtu.be/J4w_62WX9Rk

 

目を内側に引っ張っている時は口の中もへそも会陰も全て”内収”になる・・・どんなに開いても合が残る、その核心部分。

 上の馮老師は内側に目光を集めた後、丹田に下ろしている。口元も吸っている。

 劉師父は平視になっている。獲物を凝視して飛びかかっていく寸前の目。

 そして昔の私の写真。目線がぼやけているのが明らか。上の二人の老師と比較すると一目医療然。目が入っていないと首も立たないし頭も立たない。

 

 眼力で功夫も知れてしまう。気が満タンになると神に溢れ出る=身体の気がいっぱいあると目にも力が出る、頭も冴える

 

 そして掩手肱捶。

 馮老師は軽々やっているが、目は引きっぱなしでブレない。

 右側の生徒さんは後ろ姿から見えないけれど、右腕を引いた時に目線が外れているのが分かる。目の内収が全くない→体の奥で引っ張り続けるものがない→筋肉や骨で動く外家拳(空手?)のようになってしまう。

 

 内収があるからこそ気(隙間)で動ける。内収がないと筋骨皮で動くしかない。

 そんなことがわかる映像だ。

 

2021/12/24 <目VS耳 平視の意味 胆経>

 

 前回のメモに関して付け足し。

 

 電車に乗って気づくのは、日本の電車(といっても私が乗っているのは横須賀線や東横線)の中にはスマホを”見ている”人がとても多い。乗客の中に占めるスマホをしている人の割合は7割は超えていると思うけど、そのスマホをしている人の中で”見ている”人の割合は9割以上のようだ。滅多に”聞いている”だけの人はいない。例えイヤホンをしてもスマホを見ていたりする。

 パリのメトロを思い出すと、スマホをしている人は多かったが日本ほどではなかった。(電車内やホームでスマホに気をとられていたらスられたりして危ないかも?)そして電車の中では(そして路上でも)イヤホンをして音楽を聴いているような人が多かった。

 

 近い物ばかり見ていると姿勢は崩れる。耳を使おうとすると頭は立つ。

 人間は視覚から7割の情報を得ている、とか言われるけれど、私たち日本人は欧米人に比べて視覚に頼っているかも、と思ったりする。30年前にロンドンにいた時、本屋にオーディオブックがたくさん売られていたのをみて驚いた。本は目で見るもの、と思っていたからだ。イギリス人の英語の先生が「イスラム系の生徒達はとても耳がいい、それはコーランは読んで聞かせて覚えさせるからだ。これに対して、日本人の生徒達は読むのが得意だ、が、聞くのと喋るのが苦手だ。」と言っていたのもその頃の話。劉師父は漢詩が好きでたくさんの漢詩を暗唱するが、中国でも小さいうちに漢詩などを読んで聞かせて覚えさせたりするらしい。

 

 目と耳、とても大事。

 太極拳には『双眼平視』いう要領があるが、この『平視』は何が平らかというと、耳と目(耳の穴と目玉?)が水平線上にある、ということだ。普段私たちは目が耳よりも微妙に上にある。顎を引いて頭蓋骨を回すと目と耳が合う場所がある。そこが『平視』だ。私たちがしっかり見ようとする時はこの『平視』になる。(例:野球でバッターがボールを捉えようとボールを見る時)ぼおっと見ている時はそうならない。

 『平視』になった時は耳の穴も開いたようになる。つまり、目、耳、ともに覚醒させるのが『平視』ではないかと思う。

 

 欧米人が私たちより無意識的に耳をよく使う、というのはもともと狩猟民族だったから? と勝手に推理。耳をすましてよく聞く、というのが狩猟ではとても大事。これに対して農耕民族は目重視?耳はそんなに必要ないのか?

 

 耳は胆経が通る場所。脇も含めた身体の側面。肩の肩井のツボも胆経上にある。胆経を意識できると頭がまっすぐ立つようになる。

2021/12/22<太極拳的な観点から座り姿を分析>

 

  冬至。

 電車に乗っていたら、おやっと目が釘付けになる姿をキャッチ。 すかさず近寄った。

 

やはり外人・・・(写真のAの男性)

この肩、上半身、身体の枠組みのしっかり感は日本人にはなかなか見かけられない。

一人だけ座り方が違うのが遠くからでも分かる。

 

勉強のため、と心で言い訳をして写真を撮ったのだが、あとからじっくり見ると気づくことがいろいろある。

 

座っている人たちの中で頭頂が立っている(頂勁)人は彼一人。となりのBの男性のような傾き具合の人が一般的で、中にはもっと俯いている人もいる。

Bのように頭が前に出た姿勢はストレートネック、あるいはスマホ首につながりやすい。

 

スマホ首についてはいろんな人が説明をしているが(例えばhttps://time-space.kddi.com/digicul-column/suguyaru/20180314/2267)、その防止法として一般的に言われるのは、スマホを高い位置で持って視線を下げないようにすること、だ。

 確かに、Aの男性を見るとスマホを高めに持っている。(実際には”視線を下げないようにする”というよりも”頭を下に向けない”というのが大事では?A氏は頭を下げずに目玉を下に向けている。それに対しB氏など大多数の人は目玉を動かさずに頭を動かしている。)

 

 けど、Aさんは別にスマホ首にならないようにこのような姿勢をとっているのではないようだ。というのは、全身のアライメントが自然にハマっていてとてもリラックスしているからだ。

 私は最近、生徒さん達に腕から全身のアライメントを整えるような方法を教えているが、その観点から見ると、肩脇がキマっているから二の腕がキマって自然にスマホが引きつけられているのが分かる。

 二の腕(肱)がキマる、というのは上腕三頭筋がしっかり作動する、ということだ。そうすると前腕から先のアライメントも整う(橈骨と尺骨の間の骨間膜のハリがでる)。そして広背筋などを介して骨盤も立つようになる。腹がしっかりする。足まで気が届きやすくなる。

 

  Aの男性の足は床にぴったりと付き、必要であれば上半身を前に倒して座面を擦り、そのまま立ち上がれそうだ。座面に接した部分=裆、の面積が広いこと(太極拳の円裆に相当)は足裏の力に直結する。A氏の足裏の床への貼り付き感は彼の裆の状態を反映している。そして裆力は骨盤が立つことによる結果、そして骨盤が立つのは脇が締まる結果・・・(肩)→二の腕→脇→骨盤→裆→足裏(脚力)、というような流れが見て取れるのだ。

 

 ここでCの女性の足元を見ると、ひざ下にすでに力がないのが分かる。

 脚力の問題? いや、全身の問題なのは見て明らかだ。上半身がすでに萎んでいる。肩や背中は丸く、内臓の入っている部分(胴体)が凹んでいる。身体の調整をする時にはまず内臓の入っている部分から行う、というのは私たちの老化の仕方を見ると納得ができる。

 

 Bの男性の足元は明らかではないが、椅子に座ってB氏のように少し前かがみになってスマホをすると、足は少し床から浮いたようになる。A氏のように座れば足は床を突っ張ったようになる。が、腹を保つ必要=腹圧が必要だ。腹圧を抜いてしまうと身体が萎れてすぐさま前肩、もしくは首が折れて顔が前に出てしまう。

 つまり、

    (肩)→二の腕→脇→骨盤→裆→足裏(脚力)

  と書いた時の、肩の前には、 腹圧=丹田の気の充実 が必要ということ。

  

  丹田の気の充実→首・肩→二の腕→脇→骨盤→裆→足裏(脚力)

 

 このうち、

 脇と骨盤(上半分)をつなぐのは中丹田の練習(臍下から鳩尾の間)

 骨盤と裆(骨盤下半分)をつなぐのは下丹田の練習(自動的に足裏までつながる)

 そして、私がやっと練習を始めたばかりなのが上丹田。

 

 上丹田は腕、手、肩首、顎、頭部を含む。

 二の腕のつながりの練習をすると”肩”や”首”の認識が変わる。

 

 

  ある時、上焦は胸下、ブラジャーの紐ラインから頭のてっぺんまで、と感じてそれを師父に言ったら、その通りだ、と言われたことがあった。

  このブラジャー紐ラインについては、師父から『隔兪』というツボで教わった。ここを意識できると、上の若い女性達の背中が理解できる。肩甲骨がしっかり出てくる。腕は胴体よりも後ろに落ちるようになる。肩がはっきりして首が立つのだ。(生徒さんによっては自動的に下顎が内収するという声あり。)

 ここで沈肩を意識的にすると脇がさらに締まって含胸になるの。この時、含胸はただの凹んだ胸ではなく空気を含んだまま息を下に吐きこみ続けているような感じだと、また新たな感覚が生まれてくる。

 

 上丹田までざっとでも繋げていくようにすると、中丹田や下丹田の重要さを改めて認識できる。そうやって循環させながら練習していくのだと思います。

2021/12/19 <46式から内功へ>

 

 今日の御苑でのレッスン。

 24式、48式を一通り学んだ生徒さん達を相手に二路の46式を教え始めている。

 

 太極拳の套路には一路と二路しかない。どの流派でもその大元は変わらない。

 一路をコンパクトにして〇〇式とか××式とか流派ごとにアレンジされている。例えば、混元太極拳の場合は、48式は一路に含まれる全ての技を重複なく連ねたもの、そして24式は女性や年配の人に配慮して48式から蹴り技などを省いて一路の入門的な内容になっている。言い換えれば、48式を学んでやっと一路を一通り学んだ、ということになる。

 

 一路を学んで二路に入って最初に面食らうのは、常に行ったり来たり、と足がせわしなく動いているということだ。その場で体重移動、というのが少ない。いつも足は動いている。これが実践の動きだ。

 実践重視の老師がタントウ功を嫌うのは、それが”居つく”ことになりかねないから、というのを聞いたことがあるが、二路で初めてその言葉の意味が納得できるようになる。

 では、なぜ一路で、その場で(進歩や退歩せずに)重心移動をさせるのか?

 それは足裏までしっかり根を下ろさせるためだ。

 一路でそれを学ばずに二路に進むと、動き回りながら足から腕まで勁をつなぐことができずに力で打つことになってしまう。

 

 生徒さん達を教えていて気づくのは、内功を長年やっている人たちは、勁をつなぐ、という体内の感覚を知っているため、形が多少歪でも、勁を頼りに形も良くなっていく。一方、内功があまりできていなくて形に頼っている生徒さんは、なかなか勁の感覚を掴めなくて太極拳なのに少林拳のような動きになってしまうということだ。

 師父が以前言っていたのは、「一路は気功、内功のようなもの。内家拳である太極拳のミソを習得するもの。もし、一路を学ばずにいきなり実践的な二路を学んだら、それは少林拳と変わらなくなるだろう。」 そういうことだ。

 

 太極拳のちょっとした不思議さ(これを”巧”という)は勁にある。勁が分からなければ太極拳にならない。丹田は勁を通すために必要となるエネルギーの貯蔵庫だ。

 

 46式を教えていると、やはり内功が大事だ、と思う。そう気づいて、徐に傍で内功の練習を始めた生徒さんもいた。それで良いのだと思う。こうやって練習は循環する。これもとっても太極拳的だ。

 

 内功のクラス、というのを設けられたらよいのだけどなぁ、本当は。

 

2021/12/18 <二の腕を使う 回内・回外 上腕三頭筋 丹田功>

 

 練習で教えたことをブログに書くのを怠たりがちなのだけど、少しでもメモに残しておこう。

 

 先々週は皆に、前腕ではなく二の腕を使う、ということをいろんな形で試してもらった。が、なかなかうまくいかない。私たちは無意識で前腕から腕を使う癖があるからだ。

 私たちの脳のセンサーはその多くを手、末端につなげている。手を使おうとするとき、肩や二の腕を動かさなくても、手先でいろんな動きができてしまうのだ。私たちの手は他の動物達と比較にもならないほど器用だ。その器用さを作る一つの要素が前腕が2本の骨で成り立っていること。2本の骨が回転して交差したりして前腕を含めた”手先”が自由に使える。私たちが日常生活で行う多くの動作は、ともすると前腕以下の手先で終えてしまいがちになる。

<参考>http://www.alexanderswim.net/html/alexander/alex_fr.html

 

  手のひらを上に向ける動き=回外 

  太極拳の順纏に相当?

 

  手のひらを下に向ける動き=回内

  太極拳の逆纏に相当?

 

  ?としたのは一見同じようだが、纏糸(チャンスー)にはただの回内や回外にはない重要な要素がある。それは、その回旋が身体の内側、丹田まで繋がること。

 

  上の図には回外、回内それぞれに使われる主な筋肉が書き込まれているが、それらを見ると、上腕につながっているのは回外の上腕二頭筋(力こぶの筋肉)のみだ。試しに手のひらを下向きから上向きに回すと、確かに力こぶの筋肉が使われる感覚がある。逆に、手のひらを上向から下向きに回すと肘より下だけでスルッと回転する。上腕の筋肉は全く使われていない。

 

←回外で使われる上腕二頭筋(https://rehatora.net/%e4%b8%8a%e8%85%95%e4%ba%8c%e9%a0%ad%e7%ad%8b/)

 

起始が身体の前面にある→胸の筋肉と連結し得る。

  

 

 

 

 

 

 

 

←問題なのはこの上腕三頭筋

 

通常の回内、回外では使われない。

が、腕と肩甲骨をしっかり結びつけるにはこの筋肉を使うのが必須。

 

回内、回外の時にこの上腕三頭筋(いわゆる二の腕)をしっかり使うことがチャンスーの条件になる。

(太極拳の技の名称でよく使われる『肱』は二の腕=上腕三頭筋を表しているといってもよい)

 

 

お箸をもとうが、スマホをやろうが、歯磨きをしようが常に二の腕の(女性ならすぐにお肉がたるんでしまう箇所)が使われている=鍛えられている、ような身体の使い方が理想的な身体の使い方。

 

  実際には、この上腕三頭筋を起動させるにはそれなりの姿勢が必要になる。それが頂勁、沈肩、墜肘、塌腰・・・と、結局タントウ功の姿勢になってしまうのだが、タントウ功だけでなく動きの中でもその姿勢を保持できるように動功を組み合わせて練習する必要がある。

 

 以前私が撮った動画のポーズ、両手の手の甲を合わせる動作、は紛れもなく上腕三頭筋を起動させる動きだった。が、それを武術大好きな男性生徒さんに教えた時に、あれっ?この格好はどこかで見たような・・・と二人でピンときてしまった。それは心意拳の丹田功にそっくりだったのだ。

 なるほど、こうやって丹田を作るのね。腕を締めた方がわかるのかもしれない、と納得。

 

 そしてその生徒さんが併せて見せてくれた有名な老師の基本練習の動画を見てみると、その老師の二の腕、肩がしっかりと入っている(足までつながっている)がために、一緒に練習する生徒さんたちの動きとは全く別物になっている、というのも見て取れる。

 

 上の動画白いシャツの徐谷鳴老師とその動きを真似する生徒さん達。

 身体と腕がしっかりつながっている(=全ての動作が上腕三頭筋を巻き込んで使われている)老師と、ただ腕の動作を真似ている生徒さん達。パッと見は似ていても、その違いが一目でわかる箇所がある。

 右の写真でそれがどこだか分かりますか?

 

 

 続きはまた書きます・・・

 

2021 /12/17

 道具が身体に与える影響について初めて関心が向いたのだけど、その矢先、私の生徒さんの一人がスプーン職人となって自作のスプーンを売り出したことを知った。
 
 どんなスプーン? 早速マーケットで彼のスプーンを購入してきたという別の生徒さんに尋ねたら、「すごいんでよ。スプーンの先まで気が通ってるんです。とても使いやすい。」と言う。生木から切り出して作るらしく相当手間暇かけているのが分かる。以前にも草鞋を作ってくれたりしていたからもの作りの職人になっても不思議ではない。私も彼のスプーンを使ってみたいなぁ。

 そしたら明日、18日土曜日に青山のクラフトマーケットで出品することを知りました。早速義母を誘って行くこと決定!

 スプーンを作る過程で太極拳をやっているようなところがある、と言っている彼。正しく自然な動きをすれば必ず太極拳と結びつく...
     
  明日が楽しみ♪

 〈スプーン職人のインスタはこちら〉
  https://www.instagram.com/p/CXX1WySLi5Z/?utm_medium=share_sheet

  
  素晴らしい山桜が手に入りました。長さも十分なので、久しぶりに柄の長いクッキングスプーン、スパテラが作れるので盛り上がってます💪💪

  来週18日土曜には、青山の国連大学で開催されるINTO CRAFT OUR LIVES vol.7に出店します。青山散歩のついでにどうぞー
  以下詳細です。

  INTO CRAFT OUR LIVES vol.7
  好みを、モノを、暮らしへ。
  日々の暮らしに素敵なモノを取り入れる事によって、日常を豊かにすることをコンセプトに、クラフトを中心としたマーケットを青山の地にて開催いたします。
  生活工芸を始め、ファッション、家具などのインテリア、クラフトに通ずる様々なモノの需要が高まり、好みが素直に暮らしへ現れるようになった近年。
  素敵な作り手の方や、お店の方と共に、心に響くモノをこの場からお送りさせていただきます。
  当日は全国各地から新鮮な野菜や果物など、食の素材が多く並ぶ「Frmer's Market@UNU」や、古き良きモノを現代の生活に浸透させる事を目的としたAntique Market「青山古市」も同時開催となります。

ACCOUNT
@into_tokyo

▽DATE&TIME▽
12/18(sat).12/19(sun)
10:00〜16:00
※雨天開催

2021/12/14 <前かがみ姿勢 腹圧、目玉>

 

 今気になっているのは、前かがみ。

 

 日本に戻ったくると道がきれいでびっくりする。パリなんて200メートルごとにゴミ箱があるみたいな気がするほど、ゴミ箱がいたるところに設置されている。そして大きな清掃車が道を塞いで清掃をしている光景は日常的だ。なのに道はゴミが至る所に捨てられている。私の犬はいつも道で宝探しをするかのように食べ物を探して歩いていた。

 が、日本に戻ってくるとサンドイッチの食べかけや骨つきチキンの切れ端が道に落ちている、なんてことは滅多にない。外国人が日本に来て一番困るのはゴミをどこに捨ててよいのかわからないことだ、というのはよく分かる。師父が来日した時も道にタバコの吸い殻が落ちていないのでタバコが吸えない、とボヤいていた・・・

 

 で、なんで日本の道にゴミが落ちていないのだろう?清掃車が道を掃除している姿はみかけないのに・・・ と、見てみると、近所のおばさんがちょくちょく箒で道を掃いている。うちの家の前も落ち葉が積もっていた、と思ったらある時きれいになっていたりする。近くの人が掃いてくれていたのだ(感謝!)

 そんな風に思って道で箒を持って掃いているおばさん、おばあちゃん達を注視することが多くなって、あれっ?と気づいた。

 すごい前かがみ!!

 


 パリでも掃除のおばさんが掃除をする姿をよく見ていたけど、そんな前かがみは見たことがない。そのくらい、日本でおばさんやおばあちゃんが箒とちりとりを片手に道を掃いている姿は前かがみ。これじゃあ、お腹が潰れてしまう・・・と、背骨が丸くなっていた祖母を思い出した。歳をとって前かがみになって乳母車を押さないと歩けなくなる比率は日本人の方が欧米人よりずっと高いのではないかしら? 日本女性は若い子を見ても総じてお腹が弱く(腹圧が少なく)これじゃあ内臓が潰れてしまうのではないか? なんて心配してしまうことがしばしばあるのだけど、それに加えてこんな前かがみの動作をやっていたら腹圧はもっと減ってしまう・・・

 

  家で「なんであんな前かがみで掃除してるのだろう?」と主人に話したら、「そりゃあ、箒が短すぎるんだよ、日本のは。」と一言。

 ああ、そうそう、箒の柄が短すぎ!! あんな短い柄の道具を使っていたらますますこじんまりした身体になってしまう! そう思えば日本の道具、前かがみにならなきゃ使えないもの、多くないか? 日本の家や道は狭いから、なんでもコンパクトにするうちに私たちに前かがみを強いるものが多くなっているのかも。

 

 

 これに対しレレレのおじさんのような竹箒なら前かがみにならない(欧米の道具はこのタイプ)・・・屋内でもこのくらい頭を上げて家事をしたいもの。

 

 そこから、およっ?と、太極拳の『虚霊頂勁』を思い出した。

 『虚霊頂勁』は裏返せば、「前かがみにならない」ということ。

  前かがみになると(ここでいう「前かがみ」はお腹をくしゃっとしてしまうような姿勢。正しい「前傾」姿勢とは違う)、内臓に負担がかかる。胃が圧迫され脊椎に負担がかかる。

 頭に王冠をつけて掃いてみたらどうだろう?

 レレレのおじさんなら問題なし。けど、上のベルメゾンカタログの主写真のような箒ちりとりセットで掃除する場合は? 頭を上げたまま小さな箒で掃くのは功夫がいる。そうとう腹圧がないと無理だ・・・(腹圧を使わずに膝を曲げたら太ももがパンパンになってしまいます)。  

 

 そしてもう一つ、とても大事なことを発見!

 目玉をしっかり下に向ける必要あり!

 

 私もそうなってしまっているが、俯く時に首から俯くと首こり、肩こり、もしくは猫背になってしまう。正しいのは目玉を下に向けて下を向くこと。

 そう気付くと、ホロビッッツやルービンシュタインなどの巨匠はそうなっていた!

 https://narushare.com/vladimir-horowitz/

 https://kirakuossa.exblog.jp/27686752/

  

 

 動きはまず目から始まる、というのが動きの基本。動物を見ているとそれがよく分かる。目玉がしっかり動く。目玉が動くから脊椎がてっぺん(頚椎)から下まで連動して動くようになる。目玉の動きは太極拳の眼法で学ぶものだが、その眼法がそのまま歩法に直結してくるのを今週のレッスンで生徒さん達に少し紹介したりしていた。

 

 前かがみ、頭を下げる、という動作は再考に値する。

 フランスでは絶対に頭を下げちゃいけない、とフランスに長年住んでいる日本人のおばさんから教えられたことがあった。お店に入る時も絶対頭を上げて胸を張って堂々と入るべき、でないと見下されて対等に扱ってくれない・・・・ということなのだ。

 自分を大きく見せる、というのが動物の世界、そして大陸では当たり前。この島ではそれが嫌われ謙遜が美德とされる。けど、二足歩行の私たちは頭を上げているからこそバランスがとれている。頭を下げる代わりに目を下に向ける、目玉を活用する練習を私もしなきゃならない。

2021/12/10 <脚を胴体と連動させる 広背筋と腸腰筋の連動 横隔膜>

 

 一昨日犬を連れて広場に行った時に思い出して撮った動画は映った自分の姿といい説明といい、決して満足できるものではなかった。

 

 言いたかったのは、膝に負担をかけるのは「上半身を繋いでいないから」。あるいは、「胴体と脚を連結させていないから」。下半身が衰えた、ということ(だけ)ではないということ。

 

 そして、「上半身・胴体を脚とつなぐ」ということは「背骨を脚にする」ということ。そうすれば背骨の蛇腹による微調整によって股関節や膝関節などにかかる負担が激減する。(子供の時はきっとそうやって歩いたり跳ねたり走ったりしていたのだろう。)

 

 動画で紹介したのは、そのような「背骨を脚にする」ための一つの実験的方法。

 両手の甲から肘までをピタッと合わせた時、<入った>かどうか分かる。手応えがなければ<入って>いない。繋がっていない。

 

 この形をやって分かるのは、「背骨を脚にする」と『塌腰』になるということ。腰が下に伸びる。そして背中から脚までロックがかかる。すり足しかできなくなる。『塌腰』は腸腰筋を使うための要領だったのだ。

 

 その後、背骨を脚化したまま腕を動かそうとすると、ものすごく大変なことになっていることがわかる。全身作業になるのだ。ここから順纏、逆纏が生まれてくるのも分かる。チャンスーは全身を繋いでいるからこそできるもの、そして、やればやるほど、ねばくなる。体のポンプが活性化する。

 

 ここまでが動画の補足説明。

 

 

 

昨日、本棚の整理をしていたら、楊進先生が共著で出されている『太極拳と呼吸の科学』という本を見つけた。そういえばほとんど読んでいなかった、とページをめくってみたら、上の動画のからくりを学術的に説明してくれているような箇所がありました。

 

(以下p97より図をお借りしました。)

 

 横隔膜ー腸腰筋ー大臀筋ーハムストリングス

 

 というつながり。

 ハムストリングスの終点が膝。

 

 

 脚を引きつける(持ち上げる)のは腸腰筋(腹側)

 

 脚を蹴り出す(遠くに出す)のは大臀筋、ハムストリングス(背中側)

 

上を前提として、腕を使う場合。

 

腕を引き下ろすのは広背筋。

腕を前方へ持ち上げるのは僧帽筋や三角筋。

 

同著の記述でなるほどと思ったのは、私たちが四肢で歩いていた時に、四肢を引きつける動作は広背筋、腸腰筋など、背骨の前側(腹側)に付着する筋肉、これに対し、四肢を伸ばす動作は僧帽筋や大臀筋・ハムストリングスなどの背中側に付着する筋肉主導、ということだ。

 

引きつける動作の時に使う筋肉は胸椎の下部、腰椎の上部の体の中心=”腰”に付着している。左の図の赤星で示している位置だ。

 

(四肢を伸ばす時の僧帽筋や大臀筋などは肩や骨盤など、中心から少し離れた位置に付着している。)

 

 

 

 このような記述を前提に、改めて、私が動画で撮った動作を分析してみると、私が両手の甲から肘をぴったりくっつけようとしたのは、腕を思いっきり下げることで広背筋と腸腰筋をしっかり連動させようとしていたのだということがわかる。つまり、赤星のポイントを掴もうとしていたのだ。ここが入れば、上半身と下半身が連動する(広背筋は上腕に、腸腰筋は大腿骨に付着する)。

 そして赤星のポイントが起動すると塌腰になり命門が開く。

 タントウ功の第一の関門が命門を開くことだ。命門は腰椎2番と3番の間だが、そこをきちんと開くためには赤星の胸椎11、12番、腰椎1、2番を動かすことが必要だということだろう。

 

 ここで何よりも大事だと思うのは、この赤星の位置には横隔膜が付着するということ。

 だから、最初、腕を胴体と連動させるために息を使う必要があったのだ・・・(動画の中でも息が・・・と言っている部分があったはず)。 横隔膜が動いてくれないと赤星の連動がうまくいかない=広背筋と腸腰筋の連動が起こらない。

 そして、一旦連動すれば、腕脚を動かせば動かすほど横隔膜が動いて体はポンプ化する。チャンスーも横隔膜が連動していたのだ〜

 横隔膜の動きは私にはまだ自覚できないのでこうやって勉強して初めてその動きを知ることになるのでした。

   とすると、塌腰も、そして沈肩も墜肘も、横隔膜の動きが必要だ・・・太極拳は横隔膜呼吸とも言われるのがそのことかな。

 

 

2021/12/5 <帰国して>

 

 日本に戻ってきて既に三週間が過ぎた。

 最初の二週間は自宅隔離。とはいっても、買い物や犬の散歩には出ていた。横浜の自宅周辺はアップアンドダウンが激しく車が通れない道も多い。おかげでパリでは味わえなかった自然の匂いが味わえる。家も薄っぺらい木造で、窓を開けると家の中も屋外のよう・・・室内と室外の温度が変わらない? 

 2年留守にしていると家もかなり劣化している。プラスチック製品は黄色くなっている。家には既に物が溢れている。持ち帰った荷物をどこにしまえば良いのか?

 と、帰国直後から掃除と断捨離が始まった。

 凝り性の私はいったんハマるとそればかり考える。様々な汚れをそれぞれどう落とすのか? 的確な洗剤が必要だ。どう収納するのか?いや、収納の前にものを減らすべき。何が必要で何が必要でないのか?

 今後こんなにたくさんの食器は必要ではないのでは? 洋服もこんなに必要でないのでは? 不要だと思ったものは娘が欲しいといって引き取ってくれたりする。欲しい欲しいと拡大していく年代もあれば、人生身軽に生きていきたいと思うようになる年代もある。今はその転換点なのかもしれない。

 

 先週から日本の生徒さん達のレッスンを始めた。

 しばらくは最小限。これまで教えてきた生徒さんだけ教えることにした。

 2年半私の帰りを待ってくれた生徒さんがいることはとても嬉しい。

 今回のパリ修行で学んだことを教えながら私自身復習していくのだと思う。

2021/11/16 <パリから帰国>

 

  パリを出る前の3日間は練習どころでなかった。借りていた家を元の状態で戻す、これだけのことをするのに相当なエネルギーを使った。

 猫が引っ掻いてできたソファーの傷。かなり酷かったが地道に修復作業をしたらかなり目立たなくなった。いつの間にかできていたカーテンのシミ。これはシミをとろうとしてかえって広げてしまった。IHコンロも毎日磨きに磨いた。結局、最後の点検で、これは磨き過ぎて却って痛めている、と指摘された。 けど、この引越し作業で、私は片付けは苦手だけれども、汚れ落としには精が出てしまうことを知った。昔、クリーニング店でバイトをしたことがあったが、染抜き職人に憧れたことを思い出した。染抜きは化学作業、と言っていたっけ。汚れがスルッと取れると爽快だ。

 が、私の欠点は一点集中し過ぎること。意が強くなり過ぎる。一点集中し過ぎると全体を逸する。シミ取りで失敗するのも太極拳で失敗するのも同じ原因。

 

 こんな話がある・・・

 学校の先生が教室のホワイトボードの真ん中にマジックで黒い点を描く。それから生徒たちに「ここに何が見えますか?」と聞く。すると普通は皆、「黒い点が見えます」と答える・・・ 「ホワイトボードが見えます」と答える人は滅多にいない。

 それが私たちの目、意識の使い方だ。

 99.9パーセントが白くてもそこに一つの黒い点があると目はその黒い点に集中する。白い部分は忘れ去られてしまう。

 太極拳ではそのような人間の特性を利用しているようなところが多々ある。

 陳項老師が実践の説明をしている動画の中にも、「私たち(太極拳の者)は”点”を狙わず”面”を切っている」と言っている場面がある(下の動画の冒頭)。相手が拳を打ち出してきていてもその拳だけを見るのではなく相手の体全体を見ていれば防御+反撃、もしくは、相手の拳が届くよりも速く攻撃することが可能というこだ。劉師父は多少相手の拳が当たってもどうってことない、恐る必要なし、と言っていた。恐れたら意は集中してしまう。

 意の使い方はこれからまだまだ学ぶ必要がある。

 

 


 先週金曜日に日本の戻ってきてからも片付け掃除が続いている。14日間の隔離期間があってよかったと思った。計3匹の犬猫たちはスッとこちらの生活に馴染んだ。が、私たちが留守の間にこの家で娘が買い始めた雄猫は、私たちがドッと押し寄せたために天井裏の部屋に隠れたまま出てこない。どうするかにゃ〜・・・

 

 戻ってきて最初に感じたのは空気のきれいさ。パリの空気が悪いのは知っていたけれど、本当に悪かったのだと知った。鼻がスッとして気持ちいい(マスクをとって呼吸すれば)。

家の近くの広場で少しだけ練習してみたら、しっかり根付く感覚があった。パリでは”土”が浅くて地下深くに根付く感覚がなかった。砂、岩の多い土地と土の多い土地では感覚も違う。そして何と言っても日本に戻ってくると安心感がある。

 

 ただ、気になるのは日本人の歩き方。目が慣れるまでは皆が股下から脚を動かしていてその場足踏みをしているように見えた。腰を使わないで歩くようだ。だから腕がぶらりと垂れてしまって欽ちゃんのような横振りをしている人も案外いる。肘が落ちている、すなわち、肩甲骨が滑っていしまっている。同じアジア人でも、中国や韓国の大陸の人たちとは異なる歩き方だ。

 私も太極拳を練習していなかったら今頃かなりの猫背で前肩になっていただろう。まだ完璧ではないにしても、随分マシになったと思う。ちゃんと立ってちゃんと歩ける、そしてちゃんと座れて、ちゃんと寝られる。 それができたら完成ではないか?

 太極拳を練習することでそんなことが可能になるはず。 

 太極拳を練習する意味が変わりつつある。

2021/11/7 <慢と松の関係、松と丹田の関係>

 

 今週気になったのは、ゆっくり動くこと(慢)と力を抜くこと(松)の関係。慢と松は必ずしも結びつかないのでは?という疑問。

 

 太極拳の大きな特徴はゆっくり動くこと(慢)。

 空手や少林拳ではそんな風な練習はしない。スローな動きだから誰でも真似しやすく、手軽な健康法として世界に普及したという感じもある。

 そして太極拳のもう一つの大きな特徴は力を抜くこと(松)。

 常に放松、放松、力を使うな! と言われる。力を使わない運動? 筋トレとは無縁の運動だ。

 

 ゆっくり動いて(慢)力を抜く(松)。

 慢と松はいつもセットで言われるから、なんとなく、ゆっくり動けば松する、松できているような気がしていた。

 が、この前メモを書く時にある老師の動画を見たら、ゆっくり動いてはいるけれど体が強張っていて松できていないことを発見、そこから、ずいぶん前に師父が”暇松”(偽の松)という言葉を使ったことを思い出した。ゆっくり動いていると力が抜けているように見えたりするけれど、実は力が抜けていない。こんな状態を”偽の松”と評していたのだ・・・

 

 そうやって自分の動きをよく観察すると、ゆっくり動いたからといって体の余分な力が抜ける訳ではない。丁寧に動こうとしてかえって身体が緊張していたりもする。『意』が強すぎるようだ。『意』が身体の動きの輪郭を包むように張り出ている。身体のバリアを張っている。こうなると動きの中に自分が溶け込めず”一体化”ができなくなる。無心になれなくなる。スポーツの世界なら自分の実力を十分に出せない状態だ。カメラで撮影されたり人前で演武すると緊張するのも同じような現象・・・自分(意)が自分の動きの中に溶け込めない状態・・・すると身体は放松できない。

 そう見ると、放松とは、自分が自分の中に溶け込んでいる状態、では? 周囲が気になって神経がピリピリしているような時は身体は緊張している。心が緊張しているのだから仕方がない。それに対して、トイレで一人で座っている時はほっと安心する。安全だから自分は自分の中に溶け込むことができる。

 

 自分が自分の中に溶け込んでほっとしている状態、この時”自分”は自分の腹、丹田にいないだろうか?

 右の馮老師の腹の中心の円の中に”自分”が入り込んでいる時、私たちはほっと一安心している=放松している。

 これに対して、周囲に危険があったりする時、”自分”は身体の外周に意識を張り巡らす(緑の点線)。真ん中の丹田は空っぽになる、もしくは、身体と意(自分)が分離する。そんな時私たちは緊張している。ストレスがかかっている。この状態が続くと身体に影響が出てくる。

 

 理想的な外敵、外的ストレスに対抗する方法は、真ん中の丹田の気を意で外周まで押し広げて身体を包むことだろう(丹田が身体を包むことになる、もしくは丹田がなくなる:意と気が離れない)。太極拳では腹の丹田に気を溜め、それを押し広げたり、また腹の丹田に戻したり、を繰り返すことで(開合の練習)、随時状況に対応させられるようにしている。弾性が太極拳の特徴となる所以となるところだろう。

 

  つまり、放松は丹田と結びついている。立ったらまず『三性帰一』をする(目で丹田を見、耳で丹田を聴き、心で丹田を想う)。これは自分を丹田に戻す、溶け込ませる作業、すなわち、放松の作業に他ならない。

 

  これに対して、ゆっくり動く、という『慢』は必ずしも丹田と関連がない。

  小学校の時に自転車競技会というのに参加した時、ある区間はとても道が細くて、そこを何十秒か忘れたけれども、長い時間かけて通らなければならない、というのがあった。自転車でほとんど静止状態、ゆ〜っくり動く、というのはとても難しい。全身力が入って腕がブルブルしていたのを覚えている。達人なら力を抜いてそんなことも可能なのかもしれないが、多くの場合は、必要以上にゆっくり動くことでかえって身体が緊張したりする。そう書きながら、パソコンを打つ手の速度をずっと遅くするとどうだろう?・・・身体の力が抜けて放松するだろうか? いや、リズムに乗ってブラインドタッチしている方が脱力が簡単だったりするのだ。

 ゆっくり動いて、松するのは、難しい。

 実際、ゆっくり動いて、松している老師を見つける方が難しい。

 ヒップホップをしている若者の方が簡単に放松できる。慎重になればなるほど身体は硬直する。

 

 まずタントウ功や内功で丹田を使う練習をして、それを套路の動きの中でも再現しようとするとゆっくり動かざるを得なくなる。

 慢→松、というよりも、松→慢 なのかも? 

 初めに松ありき。 

 

 最後に・・・

 松するために、時にはいつもより速めに動いてみる、というのも有効、太極拳だからといっていつもゆっくり練習するわけではない・・・

 『慢而不散 快而不乱』

 という言葉を師父が教えてくれました。

 

 

 

2021/11/2

 

 帰国まであと10日。

 振り返ればこの2年は身体の歪みを調整することに費やされた。

 日本を出る時はそれほど自分の体が歪んでいるとは思っていなかった。けれどもパリで練習を始め師父の与える課題をクリアしようとしたらことごとく壁に当たった。原因は身体の歪み、言い換えれば、経絡のラインがちゃんと繋がっていない、あるいは、筋膜の歪み、というようなもので、これが整えば『節節貫通』が可能になる。

 

 太極拳の太極拳たる所以、太極拳に人が惹かれる最大の理由はその神秘性、不思議さにあるのではないかと思う。太極拳で「妙なる」というものだ。「妙」にして「巧み」、それは『用意不用力』(力を用いず意を用いる)というところから発生する。力任せでないのに相手を負かしてしまう、”力”ではなく”気”を媒介にして”意”で”勁”を通す。そんな風な”勁”で技をかけられたことのある人なら、技をかけられた時に”無理やり倒された”という感覚が全くないことを知っているはず。『あれ?」という間にやられている。何をどうされたのか分からないのだ。

 この”勁”は勢いのある内側の気の流れだが、このような”内気”の流れを意識的に作り出せるような練習はまぎれもない気功法で、だからこそ、太極拳のベースは気功法だ、といわれるのだ。気功法だけでは武術にはならないが、太極拳は気功法抜きには成り立たない。太極拳の”内功”はまさに気功法で、それによって身体中どこにでも内気を通せるような身体=『節節貫通』によって『周身一家』になった身体、を作ろうとしている。

 

 そして私のこの2年間は『節節貫通』を課題として、その時その時、貫通しない箇所を開けるためのさまざまな練習がほとんどだった。技も習ったけれど、私の意識は常に”繋がらない”ところをどうやって繋げるのか、そこにあった。こんなに歪んでいたのか・・・と気づいたのもそんな練習をしていたからで、もしこの2年がなかったらずっと気づかないまま練習を続けていただろう。

 

 『節節貫通』させるには身体の歪みがとれて身体が整理整頓されている必要がある。中医学の経絡図は地下鉄マップならぬ人体マップといえるだろう。通常私たちの体は完璧ではないからその人体マップの中の路線が途中で途絶えていたり狭くなっていたりして電車(気)が通れなくなっているような場所があったりする。これを自分の内気で貫通させていくのが内功で、そのためには内気の流れにある程度以上の勢いが必要になる。(詰まったパイプに勢いよく水を流して詰まりをとる、そんなイメージ) 勢いをもたせるためには貯蔵池(丹田)に気をたくさん溜めておく必要がある(ダムのイメージ)。だからタントウ功や座禅で気を丹田に溜める練習をする。

 

 体の歪み、と一言でいってもどこがどう歪んでいるのか具体的に知るのは指導者の力を借りる必要があるかもしれない。太極拳の外三合(肩ー胯 肘ー膝 手ー足)、あるいは、四正勁(右肩ー右胯、左肩ー左胯)をやってみるとどのくらい身体の中が繋がっているのか分かる。それらが完璧にできるようになれば『節節貫通』はほとんどできていることになるのでは? と、もう少し、もう少し、とやり続けて、そろそろ時間切れ。日本に帰ってからも同じような練習を自分で続けることになるようだ。でもトンネルの先の光は見え始めてる。手探り状態の段階は過ぎた。家の中も体の中も整理整頓してスッキリできるようにしたい・・・そう、心の整理整頓もありました。引っ越し準備で頭が乱雑にならないようにするのが目下最大の課題。

 

 

2021/10/30 <「膝を回す」時の『膝』はどこなのか?>

 

  「もっと膝を回せ!」24式の第11式披身捶で師父に注意された。披身捶は腕、脚ともに内旋する動き。脚の内旋がうまくできていないのが膝の動きに表れていたようだ。

 その後、脚の内旋を練習、細かく見てもらった。分かったのは右の胆経がうまく繋がっていないということ。節節貫通にはまだ時間がかかる・・・が、少しずつ完成形が見えてきた。

 

  昨日は初心者の生徒さんがいたのだが、師父は彼女にも「膝を回せ」と言っていた。横でそれを見ながら、そもそも、なぜ動く時に膝を回さなければならないのか? とこれまで疑問に思ってこなかったことについて疑問が湧いた。

 早速師父に質問。

 すると師父は一言、「チャンスーのためだ」。

 私が「チャンスーのためだけなのか?」 と聞いたら、「実践ではいつ膝を攻撃されるか分からない。膝を回していつでも躱せるようにする必要がある。それに膝が常時回せる状態になければ瞬時の方向転換はできない。」と師父は答えた。

 ・・・確かに、いつでも膝を回せる状態であることはとても大事。バスケットボール選手の動きを思い出しながら・・・納得。

 

  その後、師父が別の生徒さんの膝を回す指導をしているのを見て、気にかかったことがあった。師父は「膝を回せ」と言って、その生徒さんの血海穴を押さえていた。

  あら?膝って血海?

  私は驚いたのだけど、たしかに、血海穴のある膝上の内腿を回そうとすると膝が気持ちよく回る。膝のお皿の位置を回そうとするとひっかかってうまく回らない(回しているつもりでもただ左右に行ったり来たりしているだけ)。私が師父に「膝のツボとして陽陵泉を使わないのか?」と念のために聞いたら、「膝を回す時には使わない」と言った。陽陵泉は膝のお皿より下にあるツボ。ここを回そうとしたら膝は回らない・・・

 

  つまり、「膝を回す」と言っても、その『膝』が一体どこなのか? が問題。

 『肩』といっても範囲がとても広いように、『膝』も範囲が広い。「膝を回す」と言った時に、通常私たちが意識するのは膝のお皿あたりではないだろうか? 「膝を曲げる」時もおそらく膝小僧あたり。

 膝というのは大腿骨とスネの骨のつなぎ目。

 骨のつなぎ目をドンピシャで意識する、というのは無理だから、少し上(大腿骨)か少し下(スネ)、もしくは少し前(膝の皿)を意識することになりそうだ。

 膝の皿を意識して膝を回すと膝の後ろ側が回らないから膝全体がうまく回転しない。

 スネ上のツボ(陽陵泉)を意識して回すと足首が固まって膝が回らなくなる感じ。

 やはり師父が教えていたように、大腿骨上のツボ(血海穴)を意識して膝を回すと膝が一番よく回る。膝にかかる負担が少ない。そして、この時は、大腿骨が回るから嫌でも股関節が回らざるを得ない。足首もよく回って足裏に気が通るのが分かる。

 

 膝を回すことによって股関節や足首に回転が連動するのは、大腿骨上のツボ、血海のラインを回した時 → 関節の連動、節節貫通が発生。チャンスー勁が可能になる。

 膝小僧やスネの回転では節節貫通が起こらない(と言ってよいと思う。試してみてください。)

 

 

 ここで、馮老師と陳小旺老師の二人の膝を比べてみる。

 左側の馮老師は体重移動の時に膝のお皿より上、大腿骨上の血海穴あたりを回転させているように見えないだろうか?

 それに比べ右側の陳老師の膝はほとんど回転していない。そして体重移動とともにダイレクトに膝のお皿に乗っていっている。特に左膝の負担が大きそうだ(左の股関節が開いていない)。

 左は前の曲げた膝の負担を減らすための補助の一例だが、縄をかけて内腿を引っ張り出すことで膝への負担を減らしている。

内腿が伸びると股関節が開きやすくなり股間に伸びが生まれる(円裆)。

 

 血海穴を意識的に動かそうとすると内腿、股間が活性化する。

 

 早速私もそうやって練習しよう♪

と、立つ時や歩く時も血海を使うようにすると足裏と股の連関がよくなるのが分かります。

 套路の時に意識し続けられるか・・・明日挑戦してみます。

2021/10/27

 

  前回のメモの最後に陳小旺老師の写真を使ったところ数人の方から驚きの声を頂きました。

 陳小旺老師は陳家溝の四大金剛の一人で現在の太極拳界のトップの座を占める方だと言っても過言ではありません。ただ、同老師が膝を痛めて手術をし一時その復帰が心配されたこともあったのは周知の事実。太極拳で膝や股関節を痛めて手術をしている老師は私が知っているだけでもかなりいます。養生、健康法として広まった太極拳ですがやり方を間違えれば体を痛める可能性がある。薬は毒にもなる。

 同老師がなぜ膝を痛めたのかはその演舞を見ると納得できます。

 ”松”(力を抜く)とはどういうことか? ゆっくり動くのと”松”とは違う。

 足裏まで気を落とすとはどういうことか? 同老師は膝で気が止まってしまってひざ下が固まってしまっているように見受けられます(結果として重心移動が不十分)。

 

 ここからは独り言・・・

 師がいるうちは師が問題点を指摘してくれるが、自分が師になってしまうと自分で気づくしかない・・・これほどの高手になると誰も指摘してくれない。自分の問題点を指摘されるといい気はしない、傷つく、腹が立ったりする。けれども、誰も何も言ってくれなくなったら気づかないまま脇道に逸れていくかもしれない。

 私が理想とするのは、一緒に練習する仲間を作ってお互いにお互いを見て気付いたことをざっくばらんに指摘し合えるような環境を作ること。そのためには、”目”も養わなければならない。相手が誰であれ客観的に見られる目が必要だと思う。

 

2021/10/25 <内側→外形 脚を開くVS股を開く 脚の形>

 

  街は面白いもので溢れている・・・

 

  先週からメトロのホームに貼られているテニス選手のポスター。

  太極拳の要領が浮かび上がる。

 左の写真を師父に見せたら、「含胸が良くできている」、とコメントをくれた。

 含胸をしないと足にしっかり気が落ちない。この選手はこれから重い球を打ち返すところ・・・しっかり腰を落として足裏に気を落とし、下半身の力で打ち返す。

 含胸にしようとするなら下顎は収めなければならない。

 含胸にして体内の気を上から下へと通していくと、順次、抜背→塌腰→敛臀、になっていく。

 太極拳の外形の要領は内側の気の状態の現れ。

 

 

 右側の選手、パッと見て、裆がよく開いてるなぁ〜、と思った。脚が開いているんじゃない。股の開きが良いのだ・・・これを太極拳では『円裆』と表現している。

 両脚を開く VS 股(裆)を開く

 股(裆)は胴体だ。股(裆)を開くということは胴体を開いている→丹田を広げて股まで落とし込む必要がある。

 脚を開いても胴体は開かない。丹田には全く影響がない。

 

 

 

この選手のポスターでは脚の形に注目。

この股関節に対して、膝、足首の角度がピッタシ。だから足裏が地面に貼り付いている。

ひざ下、スネが真っ直ぐ。これが正しい脚の使い方。太ももの筋肉が上に引き上がっていて膝も引き上がっている。これが『松胯 曲膝』。その前提に 『提会陰』がある。

 

速く走ったりジャンプしようとすると会陰は引き上げざるを得ない。テニスの選手は『提会陰』を特段意識していないはずだ。

ゆっくり動いて力を出すような動作は踏ん張ったりきばったりして会陰を上げるのを忘れがちだ。力を出さずにゆっくり動くだけなら会陰は緩みがち。

太極拳の練習でゆっくり動く時は意識的に会陰を上げる必要がある。無意識だと下がりがち。

結果として太ももが引きあがらず膝に太ももが覆いかぶさるような筋肉のつき方になって膝を故障する。

 下のようにテニスの選手の活きた脚を見た後で太極拳の脚を見るとどこか不自然。足裏に力が抜けずに膝に溜まりがち。これを回避するためにも上の含胸の要領はとても大事になる。(左端のテニスの選手は含胸がしっかりできている。右の二人は含胸、下顎内収が不十分含胸と脚、もしくは膝との関係についてはいつか書きたいと思っています。。)

2021/10/21 <手の冷えと経絡の関係 拍手功>

 

  生徒さんの一人から冬場の屋外の練習で手が冷たくなるのをどうすればよいか?という質問をもらった。

 師父に言わせれば、それは「督脈が通っていないから、すなわち、手三陰三陽が通ってないから」という。

 タントウ功ではまず任脈・督脈という人体の大動脈(地球で言うなら0度経線と180度経線のようなもの?)を開通させ、その後、漸次十二経絡を開通させていく。

経絡は地球の経線と同じく縦線だ。

スイカの模様の方がイメージしやすいかも?

 

まずは真っ二つに割るような線(体の前面の任脈・背面の督脈)を通して、その後でその他の縦線を通していく。このような体のラインを通すために必要なのが内側の気だ。内側で気を流すことによってその圧力でラインを形成していく。気の流れる圧力が弱いと詰まっているところが開かない。だから丹田にできるだけ多く気を溜めておく必要がある。

丹田に集めた気の量が多くなれば(貯水池の水の量が多ければ)、それを一気に流した時に多少の詰まりは突破できて経絡の道が貫通する。

 

 では師父がなぜ手の冷えと督脈を関連づけたのか?

 それはその後の言葉、「手の三陰三陽」を思い浮かべると理解できる。

 

手には3つの陽の経絡と3つの陰の経絡が通っている。

陽の経絡は手の甲側、陰の経絡は手のひら側を通っている。

 

ここでは割愛するが、足にも同様に三陰三陽、計6本の経絡が通っている。

これら、手三陽三陰、足三陽三陰、6本づつの経絡を合わせて12経絡になり、それぞれ五臓六腑(プラス三焦)に対応している。

 

 手が冷えるというのは手の経絡が通っていないということ。どこかに詰まりがあるということだ。が、そもそも手に問題があるというよりも、手に気が届く手前に問題があることがほとんどだ。

 

  そもそも12経絡の流れというのは、肺経(陰)を出発点に、以下のような循環が想定されている。

  肺経が手の親指末端に向かって流れ、その親指末端から隣の人差し指末端から大腸経が流れる→それから足の経絡の胃経(陽)で足の人差し指まで気が流れ、末端まで達したら→隣の親指から脾経(陰)となって体を上昇→そして手の心経(陰)で小指末端へ→末端で小指陽面に移って小腸経(陽)となって頭部へ→足の膀胱経(陽)で小指へ→足裏湧泉から腎経(陰)で上昇→手心包経(陰)となって中指末端へ→隣の薬指から三焦経(陽)で頭部へ→足の胆経(陽)で足の薬指末端へ→親指内側から足の肝経(陰)となって体中心へ→肺経へ・・・

 

 知っておくべきことは、足と手の指先は陰陽の転換点になっているということ。指先はとても大事だ。

 

 そして、手の経絡の流れは手の経絡だけで完結するわけではないということ。

 手の陰の経絡が指先へと気を運び、手の陽の経絡が指先から頭部に向かって気を運ぶ。

 上の12経絡の循環経路を見て気づくのは、指先へと気を運ぶ手の陰の経絡(肺、心、心包)の直前には足の陰の経絡が位置している(肝、脾、腎)。

 即ち、足の陰の三経絡の力が弱いと指先に流れる気量が少なくなるということだ。

 しかし、この足の三陰経絡が体を上昇していく力は、その直前の足の三陽(胆、胃、膀胱)の経絡がどのくらい頭部から足まで気を落とせるか、そのパワーにかかっている。

 足の陽の経絡が勢いよく滝のように落ちればそれに続く足の陰、そして手の陰の経が重力に逆らって気を手に向かって流してくれる。パワーは陽面にある。太極拳の打撃でも陽の力が主流になるのはそのためだ。(病気を未然に防ぐのは陽面、背中。膀胱経が突破されると(寒気がするのはそのため)、次は胆経が頑張る(頭痛は鼻水)。これが突破されると胃経(お腹の調子が悪くなる)、いよいよ陽が突破されて脾や腎、肝とより内側の陰に入っていくと薬を処方してもらわないと治らなくなる・・・というのが中医学の考え方)

 

 久しぶりに経絡のことを書いたので多少くどくなったが、言いたかったのは、手の冷えは手の問題ではない、ということ。気を溜めて気の量を増やすことに加え、陽の経絡の通りをよくする必要がある。しっかり足裏まで気を落とせるようにする。足が温かくなるようにする。足が温かければ手も温かくなる。女性は足首を冷やさないようにするのも大事(冷え性、婦人科系の問題・・・これについてはまた別の機会に。)

 

 手の冷えと陽の経絡との関係は以上の通り。

 そして陽の経絡の大元が背中側の督脈。だから師父は、手の冷えは督脈の問題、と言ったのだ。

 

 そしてそれらの経絡を貫通させるのにとてもよい練習が拍手功。師父が毎日欠かさずやる練習だ。師父は本来の拍手功をアレンジして、手足同時に練習しているが、足の蹴りによって足の陽の経絡を刺激している(一方の足の甲の胆経で別の足の外くるぶし(膀胱経)を打っている)。

 見た目ほど簡単ではないのですぐには真似できないかもしれないが毎日継続して少しずつ開発していくことが大事だと思う。

 

 師父の拍手功、そしてその要点説明の動画を撮ったので参考にしてください。

 

 

2021/10/19 <調息と調身 額まで息を入れる>

 

 今日54歳になった。

 が、54歳直前の数日は散々だった。

 まず家の高い棚に置いていた犬のケージを棒でつついて取ろうとして失敗、落ちてきたケージが額に直撃した。打撲は大したことがなかったが額が少し切れた。そして翌日は家の壁の修理で使った巨大な脚立が後方から倒れてきて振り返った瞬間に額に直撃。そのまま倒れてしばらく動けなかった。

 二日続けて同じ額の右上を打撲、幸いその場所にある硬い骨が脳を守ってくれているから頭の中身には問題なさそうだが、もし後ろから倒れてきた脚立が後頭部に当たっていたら・・・と思うと恐ろしくなる。

 事故って突然起きるんだなぁ。

 不注意が原因、というのも事実だけど、仕組まれているような感もなきにしもあらず。業(カルマ)かしら・・・ 太極拳の範疇を超えた問題がちらつく。

 

 怪我の後しばらくして痛みが減ってきたのでゆっくり歩いて公園に行った。一応師父には頭を怪我したことを伝えておこうと思った。他にも生徒さんがいたので、私は一人で少しだけ練習して帰ろうと思った。タントウ功がよいかな?とし始めて、いや、そのまま24式にしよう、とゆっくり24式を一通りやった。面白かったのは、その時タントウ功をしようと考えたのは私の頭(マインド)。額を打っているからあまり動かない方が良いと考えてタントウ功をしようと考えた。しかし、その直後、「いや、24式をやった方がいい」、と思ったのは私の体、あるいは私の頭(マインド)よりももっと内側にある私。こちらの声には理屈がない、ただ、その方がよい、と知っている。

 案の定、24式をやり始めたら、体はいつもよりすう〜っと動いて頭に血が登らないような呼吸の仕方にしてくれた。呼吸の”勻”(均一性)が動作をすうっと、”結”(結び目、滞る箇所)をつくらないようにしてくれるのだと感じた。普段元気一杯の時にはそのような”慎重な”息遣いはしない。こんな息があるんだ、とまた一つ発見した。こんな動作をしたい、と思うとそれに従って息遣いが変わる。息遣いが変われば動作が変わる。息⇄動作。

 

 息⇄動作、と書いて、気功の3つの側面を思い出した。

 調息、調身、調心。

 息と動作の関係は調息と調身の関係として表されているのだろう。

 動作をゆっくりにすればいやでも呼吸はゆっくりになる。動作を速くすると呼吸は速くなる。呼吸をゆっくりにしたければ動作をゆっくりにすればよい。ただそれだけ。

 もともとせっかちな私は、体の動きをゆっくりにせざるを得なくなって初めて呼吸がゆっくりになる。ゆっくりになると息が深くなる。酸素がしっかり取り入れられる。体の新陳代謝が良くなる、治癒力が高まる・・・

 

 そしてもう一つ、この額の怪我で気付いたこと。それは、息が深く入るとそれは鼻から鼻筋→額の中まで入っていくということだった。息を深くした時に額が痛くなって気付いた事実。深い息は眉間まで入れる、と思っていたけれど、いや、本当は額から脳の中に息を入れていた。

 「良い匂いをかぐように息を吸って〜」と指導していたボイストレーナーは(過去に動画を紹介しました)、息を脳まで入れるように指導していたんだ・・・ 匂いを嗅がして意識を失わせたりできるくらい鼻と脳は通路で繋がっている。しっかり鼻呼吸をするように、というのはそういうことかもしれない。

 (よく観察するとわかるが)鼻から脳まで吸える時は、同時に鼻から会陰まで吸えている。つまり、太極拳で会陰まで気を落とす(=息をつなぐ)練習をさせるのは、それによって脳まで息が入るようになって全身が一つの息で繋がるするためだ。

 

 この先、筋肉、骨の練習から呼吸の練習に比重が移っていくのかもしれません。

 

 2021/10/16 <指の力を抜く 手指の放松 放松と歇>

 

 この前套路を一通りやった後に、師父が私に「今日は雲手の時にさらに指の力を抜けることが分かった。」と言ってきた。私は、う〜ん、だから? と、どう反応してよいか分からずただ頷いただけ。そこからしばらくそのことが気になっていた。

 

 「さらに指の力を抜ける」とどうなるのだろう? さらに指の力が抜ける、ということがなぜそんなに大それたことなのだろう? そもそもいつも「もっと放松しろ、もっと力を抜け!」と言っているし、指の力を抜く、というのも当たり前のことなんだけど・・・

 

 そんな風に思いながら、夜ご飯の支度をしながら、包丁を握っている手の力を少しずつ抜いてみた。むむむ・・・包丁の柄を手のひらに密着させたまま力を少しずつ抜いていく・・・包丁が落ちないギリギリのところまで・・・すると肘の隙間、肩の隙間が生まれて力が丹田の方に逆流していく(集まっていく)。もっと抜けないか・・・と引き続き握力を小さくしていく・・・丹田(腹)に集まっていた気がさらに下に落ちていく・・・鼠蹊部やお尻の方の股関節の隙間を少し作ると気は足裏へと流れていった。ぎりぎりまでやれば、足裏と手のひらが合体するようだ(足裏が手のひらになる)。

 

 そこでやっと師父が、「さらに指の力が抜けることが分かった」と格別なことのように伝えてきた意味がわかった。指の力をさらに抜くことができる、ということは、裏返して言えば、まだ節節貫通(周身一家)が完成していない、ということ。そして「さらに指の力を抜くことができた」というのは、節節貫通にさらに近づくための体の条件が整った、ということで、進歩している、という証だ。

 

   ここで注意しなければならないのは、指(手)の力を抜く、といっても、それは指や手をぶらぶらにすればいいわけではない、ということ。本当に脱力してしまうのは”歇”と表現して”放松”とは違う。放松はいつでも力が出せる状態、車のニュートラルの状態でエンジンはかかっている。手指にエネルギーが通っている。”歇”だとエンジンがオフ 状態、手指にエネルギー(気)が流れていない状態だ。

左のような手タレの手は美しい(と言われる)けれど、内側のエネルギーが先端まで達して”活”(活き活き)していない。

これは太極拳でいう”放松”の手ではない。

 

”放松”の手指、というのは、職人、達人に見られる手指。

 

左は少し前に紹介したロストロポーヴィッチの手だが、手首が貫通して指先先端までエネルギーが伝わっている。指先から中心に向かって針金を通していったらどこにも引っかからずに腹まで、もしくは足裏まで貫通してしまうかもしれない・・・というのが大家、巨匠。

若いチェリストの手指を比較すると、これからまだまだ”力が抜ける”余地がある・・・上達の余地がある、のが分かる。

 

太極拳でもピアノでも習字でもお茶でも絵画でも、いや、日常生活のいかなる仕草、手指の使い方にその人の本質的なものが現れてしまう。

 

私はもともと力で無理強いしてしまうタイプだから、なおさら太極拳の練習が大事になっている。もともと力の弱い人は力を抜くことよりも気を通すことを心がけるとよいかもしれない。手がガチガチで強張っている人は手の筋肉をほぐす必要がある。どのタイプであっても、師父が毎日やるように勧める拍手功が有効だろう(目的意識が必要だと思う。無駄な力を削ぐ目的なのか、手に気を通す目的なのか、手を目覚ませて動き良くする目的なのか、毒素や邪気を排出する目的、など)

 

 そして私が歩きながらできるとても有効だと思う練習かつ実験は、片手でスマホを握ったまま徐々に手の力をぬいていく、というもの。

立ったままの方がやりやすいかな?

 

スマホを落とさないように徐々に握っている手の力を抜いていく。そして身体の中をよ〜く観察する。

 

力を抜いていくと手のひらがスマホの密着感が徐々に鮮明になっていく・・・これが『粘连黏随』の第一歩(仏教の五蘊の『受』の時点)。

この密着感を頼りにしてさらに手の力を抜いていくと、その抜いたエネルギーが手のひらから肘、肩に向けて動いていくのが感じられるのでは?その先、肩を突破できるか、そしてそれが胸から腹まで繋がるか、さらに下半身へと繋がるか・・・突っかかるところが課題の場所。

 

 指も腕もアルデンテ状態(スパゲッティ、外が柔らかいけど芯がある状態)が放松状態なのかと思ったりする。内側の芯は気(エネルギー)だ。



2021/10/13

 

 46式炮锤の中の『斬手』の中の動作の意味を教えてもらったのがとても面白かった。

 とても太極拳らしい、見た目はなんてことない技。

 師父は技とも言えない・・・と言ったけど、あの身体、放松して節節貫通した身体を作っていないと真似できない。私は左肩がひっかかってうまくできませんでした。

 技の練習をすると自分の体のひっかかっている(貫通していない)部分が露わになる。さらに放松が必要になる、気を下ろすことが必要になる、と気づかせてくれる。

2021/10/11 <バランスVS 踏ん張る>

 

  パリの地下鉄(メトロ)はガタガタと揺れる。

  今日メトロに乗っていたら、前に立っていた二人の女の子(姉妹)がそんなメトロの中で手放しで立っていられるかどうか試していた。

←(こっそり撮影)

 右側に写っているお姉ちゃんは真剣モード。中腰になってしっかり踏ん張っていた。

 左の妹ちゃんはあまりやる気がなくて、突っ立ったまま。私がシャッターを押した時にはもう面白くなくなったのか手すりに体をつけてしまっていた。

 

 写真では分かりにくいかもしれないが、二人の立ち方は対照的だった。

 そしてお姉ちゃんは必死に倒れまいと始終踏ん張り続けていたのだが、妹ちゃんはというと、ただ普通に立ったままでほとんどバランスを崩すことがなかったのだ。

 

 私は面白いなぁ〜、と思いながらそんな二人を見ていた。

 お姉ちゃんは中腰になって重心を下げた”構え”をとっていた。身体を固めていた。

 妹ちゃんは身体全身でバランスをとっていた。頭のてっぺんから足裏まで、全身のセンサーを働かしていた。

 絶対に揺れまいとするお姉ちゃんと、多少ゆらゆらしながらバランスを取り続ける妹ちゃん。

 ここにも太極拳の正解と誤解が見てとれるようだ。

 

 

 バランスを取る(軸を通す)には体は伸びている必要がある。中腰になって体を固めてしまうとバランスを取る感覚(軸の感覚)は失われる。

 が、身体が伸びきってしまうと軸は通らなくなる。伸びきると身体は硬直してしまう。

 

 伸びきる手前、縮みの兆候のあるマックスの伸び、の時にもっとも良く軸が感じられる。

 左の太極図の真上てっぺんがそんな位置だ。(季節でいうなら夏至か?)

 

 この太極図の中でのマックスの伸びの時、即ち、ほんの少しだけ関節を緩めたほぼ直立姿勢でまずは軸を通す。バランスを取る。頭から足裏まで、全身のセンサーをオンにする。綱渡りをするなら? とイメージすれば上の妹ちゃんのような姿勢になるだろう。

 

 軸を通してから重心を下に下げると揺れにさらに強くなる。

 股関節や膝を曲げるのは軸を通してからだ。

 軸を通さずに股関節や膝を曲げると身体は”縮む”(合)のではなく硬く固まってしまう。曲げた関節の弾力性が失われてしまうからだ。

 関節は”緩める”からこそ伸縮性、弾力性が出る。これが身体全体の伸縮(太極拳用語では開合)になる。

 

 軸を通した後重心を下げようとする試みが丹田に気を集めていく動作になる。腹から骨盤へと気を下ろして集めるとただ軸を通した時よりもさらに身体が安定する。ふらふら感が減っていく。

 伸びた身体を縮めるような方向に進んでいくが、どんなに丹田に気を溜めて身体を小さく纏めようとも内側での伸びは失われない。合(縮み)の中に開(伸び)あり、になる。

 

 身体中の気を丹田に集結させた状態は上の太極図の真下の点、合(縮み)の極まった点だ。この丹田の気を頭頂⇄足裏まで広げると、太極図の真上の、開(伸び)の極まった点になる。この開合の反復を繰り返せば繰り返すほど、太極図の円自体の大きさが大きくなっていく(気の量が増える)のだと思う。

 

  上の写真の妹ちゃんはまだ”力を入れて踏ん張る”ということを知らない年齢。筋力もなくただバランスだけで立っている。筋力のついてきたお姉ちゃんは、すかさず力で踏ん張って重心を下げようとした。が、全身のセンサーでバランスを取ることを忘れてしまったので重労働を強いられていた。”構え”た時点ですでに硬直している。だから師父は太極拳に構えなし、と言ったのだと今更ながら納得。

 

  ここから先、バランスをとったまま重心を下げる、という道を選べば、力を抜いて丹田に気を集める、という太極拳的な方向に進むだろう。

  バランスを取る、ということを忘れてしまって、ただ力に頼る道を選んでしまえば重力に引っ張られ軽妙さ、巧妙さ、”妙なるもの”とは無縁になるだろう。

 

<追記>

  (例えば平均台に乗って)バランスを取ろうする自分をイメージすると、そこには一瞬息を吸って自分の体を広げようとする自分がいる。水中で浮こうとする時も息を吸って体を膨らましている。

  一方、力を入れようとする時、力で踏ん張ろうとする時、そこには息を吐き止めている自分が想像できる。

  無意識に行う呼吸、息が身体の状態、使い方に大きく作用しているのに気づくことが多くなりました。

 

 

2021/10/8 <内側の蠕動と外側の収縮>

 

 そういえば数日前に師父が、「運動には一般的に行う身体を動かす運動の他に"ルー動"というのがある。実はこの"ルー動"がとても大事だ。我々が内功で行なっているのは実はこの"ルー動"運動だ。」と言っていた。 "ルー動(rudong) ?”・・・漢字が分からなくて意味不明のまま話が流れてしまっていた。

 

 昨日、実はすべての運動は伸縮運動に尽きてしまうのではないか? と思ってメモを書いた。そして今日、師父に私の図を見せて私が書いた内容を説明した。師父は、ふんふんと頷いて聞いてくれていたが、突然私の頭の中で、あの”ru動”という言葉は”蠕動”に違いない、と閃いた。なぜなら、伸縮運動の原点は蠕動に違いないから。それを内功で練習している、といっても不思議ではない。

 師父に、「蠕動」と言う0言葉を見せて、この前私に説明していたのはこのことか?とすぐに聞いた。師父はその通りだ、と言った。

 

 Baidu(中国の検索サイト)で『蠕動』と調べると下のような画像が出てくる。

 

 ウィキペディアでの『蠕動』の意味:

 「蠕動は、筋肉が伝播性の収縮波を生み出す運動である。 蠕虫などの体壁筋や、動物体内の消化管などの中空器官で行われる。前者では動物体の移動のため、後者では内容物の移送のために行われる。 」

 

 つまり、蠕動が見られるのは私たちの消化管:食堂や胃、小腸、大腸の動き、と、ミミズ系の動物の動きということだ。

 消化管はミミズのようなもの? 私の体の中には巨大なミミズを飼っているようなものだ・・・そのミミズが元気だと内臓が元気、つまり健康、ということになる。この体内のミミズが元気がなくて蠕動が少ないと、不健康、になる。

 そして内功は、このミミズの蠕動を誘発しているようなもの。だから師父は一般的な老師よりも多少くねくねと動いているのだ・・・太極拳の技をかけるときなどは全くくねくねせずにとても硬質なのに、練習の時はえらくくねったりする。套路でもわざとくねらせたりする。それは”蠕動”を誘発させていたんだ・・・ と初めて理解できた。

 

 そして、蠕動が「筋肉が伝播性の収縮波を生み出す運動」という点は、太極拳での力の伝達方式に合致する。”伝播性の収縮波” ・・・収縮の波が次々と伝播していく・・・だから、ギュッと力をこめたり、このやろう!と拳を強く握ったりしないのだ。どこもかも力を抜いて波動が自分の中を通り抜けるようにする・・・と頭の中で次々と理屈がつながっていく。

←模式化した消化管の蠕動https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A0%95%E5%8B%95

 

”力”と”勁”の違いをわかりやすくいうと、”力”は動作を止めてもそこに止めておけるが、”勁”は動作を止めた途端消えてしまう。(外側を静止させても体の内側で勁を流すことはできるが、そのためにはさらに、そしてさらに、外側の力を抜いていく=動かす、必要がある。)

 

太極拳で使われる”勁”が、左の模式図で示されるような”伝播性の収縮波”=蠕動の類だと考えると、上のような力と勁の違いも納得がいく。

 

 ↑ なんかとても面白い。

 消化管はこんな風に動いているのかと。血管や気の通る道が蠕動運動をするのかどうかは定かではないが、たとえ管や通り道自体が蠕動運動をせずとも、それを取り囲む筋肉の収縮運動がなされているだろう。蠕動運動が活発だと通りがよい 新陳代謝も良いだろう。

 

 ともあれ、私がイメージ的に捉えたのは、伸縮運動の原点に蠕動運動があるのではないかということ。内側の蠕動運動は外側の伸縮運動になって現れる。カエルのジャンプ、猫の疾走、赤ちゃんのくねくねや伸び、若者のHiphop、いたるところに伸縮運動が見てとれる。私たちの直立歩行もカエルのジャンプ、伸縮運動の延長線上にあるはず・・・子供の頃の私は歩いている時でも跳ねているようだと言われていたのを思い出した・・・跳ねていたんだ、昔は。足を引きずるように歩く頃には内臓の蠕動運動も減っているんだろうなぁ。逆に言えば、内側の蠕動運動が活発だと足取りも軽くなるに違いない。内功、そしてタントウ功は内臓の蠕動運動を活発にするのに最もよい方法(外側を激しく動かしていると内臓は活発には動けない)・・・練功をする時の意識がまた変わりそうだ。

2021/10/7 <伸縮運動に尽きる>

 

 今日の套路練習中、左右の重心移動をしながら、あれ、カエル?、と思った。

 それは、例えば左から右に重心移動する時に、”左足踵が地面を踏み込んでその力(地面からの反発力)が足から胴体に向けて伝わっていく”のではなく、”胴体が右に移動しようとする時に左腹がポンプとなってそれまで曲げていた左脚の関節(股関節、膝、足首)が順次押し伸ばされていく”ような様だった。

 左はよく見かける太極拳の移動のイメージ。

 上半身は真っ直ぐ、下半身で動け!と言われるので、下半身が荷車として動いて上半身がその上に乗った荷物のようになっている。

 こうすると上半身の力が抜けて『上虚下実』になっていると思いがちだが、実は、下半身の荷台が動くのに伴い上の荷物(上半身)は崩れないように頑張らなければならない。結果として上半身はギュッと硬くなってしまう。これは太極拳の言う所の(中医学が言う所の)『上虚下実』ではない。

 

 右は上半身の気を腹に落として圧縮した上で(丹田を作る)、動く時には、その圧縮した気をお尻、太ももに向かって注ぎ込む。するとまず太ももが伸び、そして脛が伸び、足首が伸び、脚がバネとなって地面を押すことができる。このままビョ〜んと飛んだらカエルのようだ。結局、縮んでいたものを伸ばすのにエネルギーが必要だということでは? 伸ばしていく時に脚は突っ張ってる力が必要、それに伴いもう片方の脚は曲がっていく(縮んでいく)。縮むのは放松だ。 乳母車に乗った赤ん坊を見ていても、普通は腕や脚が曲がっていて、力を出した時(発勁した時)は手足を伸ばして突っ張っている。腹のエネルギー(気)を伸ばす力、突っ張る力として使っている。力を抜けば(腹にエネルギーを戻すと)また腕脚は縮む。

 

 ヴィパッサナー瞑想をすると、身体の動きは究極的には伸び縮みしかない、と分かる、と聞いてはいたけれど、歩くのも実は伸び縮みだった。発勁も縮めたものを伸ばす動作。身体を五弓だというのも伸び縮みを前提にしている。太極拳が最終的に得ようとしている運動の質は弾性だ、という時の”弾性”は他ならぬ”伸び縮み”でした。当たり前のことなのに、なんだかとても新鮮に感じた今日の気づき。

 

 思わずカエルのジャンプを超スローで見てしまいました。

 飛ぼう!と思った時に、まず頭から飛んでいってるように見ることもできるし、足裏から飛んでるように見ることもできなくもない。

 太極拳で言う『梢節領 中節隨 根節催』というのがこのカエルの状態を示している。

 ここでの梢節は頭部。頭部が動きをリードする。真っ先に動く。

 中節、胴体・腰、は”随”う。空だ。

 そして根節が足。これが”催”(急き立てる,促して始動させる)、力を与えて動きをもたらす部分だ。(力は踵から、というのはこの根節の働きを表現した言葉だろう)

 

 つまり、末端から根っこまで、すべてが一体にならないと伸縮運動はできない、ということだ。下半身だけで飛ぶのは無理だ。バスケットボールで空中で少しでも長く止まりたい時に「相手よりも先に落ちない、という気持ちでしがみついている」と答えてくれた人がいたけれど、そういう人達はジャンプが脚力だけでないことをよく知っている。

 

 下半身を荷台にしてしまうと平坦な動きしかできない。上半身という重い荷物を持って動き続けたらいつか下半身が悲鳴をあげてしまう。老人が股関節や膝を痛めるのは下半身が弱くなるから、というよりも、上半身の気が減って重くなるから。まさに下半身に乗っかる荷物のようになってしまうからではないかなぁ? 上半身は気を蓄えることで浮かびやすくなる=伸縮がしやすくなる。水中で浮かぶような身体をイメージすれば分かるが、それには息(気)をいっぱいとりいれる必要がある。

 

  

  この下は8月のメモで使った画像。肩がうまく使えている人といない人と・・・肩甲骨が先に動いて肩が動き終わった後に二の腕が動くのか、肩甲骨が動く前に腕が動いてしまっているのか・・・そんな観点で比較することができる。  

 

 最初の2枚、馮老師と劉師父は体重移動とともに胴体が膨らんで肩の靠→肘(の靠)→手首→手(同時に下半身は胯の靠→膝(臑)の靠も可能)と技が繰り広げられる。

 その他の老師たちは、腕だけ、手だけ開いている。

 胴体の膨張=気の膨らみ=”開” がベースとして必要なのも見て取れる。

 

 

2021/9/23<師父の発勁 弾ける力>

 

  発勁の箇所をいくつか見てみました。

 まずは第10式掩手肱捶。

動画適宜アップ中! 

YouTubeチャンネル『スタディタイチ』→こちら

『今日のメモ』毎日の練習は気づきの宝庫。太極拳の練習の成果が何に及ぶかは予測不可能。2012年9月〜のアーカイブは『練習メモアーカイブ』へ

練習のバイブル本

 『陳式太極拳入門』

   馮志強老師著

お問い合わせはこちらから

 

2012/3/20

日本養生学会第13回大会で研究発表をしました。

発表の抄録、資料はこちら