2020/12/4

 

   主人が気に入ってみているマラソンのYoutubeチャンネル。喋りが芸人のようでテンポが速い。いかに速く走るか、と考えている人だから喋りも速いのか?、なんて思いながら覗き見してみたら、あら、また面白いことをやっている。

 

 動画では、速く走るには腕の振りが大事、腕の振りによって脚が前に出やすくなる、という腕→脚の連動を前提として、ではどのように腕を振るのか?を解説していた。太極拳的に言い換えれば、上が下を引っ張って上下相随をさせる時(例えば白鶴亮翅)、腕をどう使うのか?という問題。

 

 詳しくは下の動画を見てもらえばよいと思うが、ざっくりまとめると、

①腕を肩から振るのではなく、”上半身全体”で振ること。

②しかし上半身全体で振るといっても、ゆさゆさ揺らしてしまってはエネルギーがロスする。厳密にいえば、”背骨の中心から”腕を振ること。

③ではどうやって背骨の中心から腕を振るのか?

 ポイントは3つ 体幹の安定、肘はコンパクトに90度、 拳はグッと握ってリラックス

 

 これまた太極拳の要領と全く同じ。

 表現の仕方は違うけれども同じことを言おうとしているのが分かる。

 ”肘の角度が”コンパクトに90度”→肘が垂れると腕が体幹に連動しない(二の腕=肱が広背筋のスイッチをいれられない)。(太極拳の場合は様々な腕の動きがあるから肘の角度は様々だが、それでも肘がコンパクトに操作できなければならない。)

 ”拳はグッと握ってリラックス”→太極拳の空拳になるが、空拳の意味を改めて気づかせてくれた表現。いったんグッと握ってリラックスさせると二の腕と広背筋の連動がはっきりする!(なぜか分からないけど 苦笑)

 

 <注:以前メモで書いたが、二の腕=上腕の小結節に広背筋が付着している。肘が落ちると付着付着部の筋が緩んで上腕を動かしても広背筋がうまく作動しない。感覚的には、肘が張って二の腕の皮膚が張っていると広背筋が作動する。二の腕が弛んでしまうような腕の使い方では広背筋が起動しないということ。逆にいえば、広背筋、胴体、体幹から腕を使っていれば二の腕は弛まない、ということ!>

 

 そして、どこでも言われる、”体幹の安定”。

 これをどう教えるのかしら?と見ていたら、とてもわかりやすいドリルを2つ紹介していました。

 

 動画のちょうど真ん中あたりに上のエクササイズがあるので是非試してもらいたい・・・

 太極拳は最初から最後までこのエクササイズで起こる胴体のタイトな感覚がある。この締まり、効いた感がないと太極拳とはいえない。ただの中国風体操になってしまう。

 

 そして、このエクササイズではへその向きを固定して上腕を動かすことによって体の捻りを感じさせているが、この時の自分の体を更に詳細に観察すると、確かに体は捻られているのに体の奥の中心は外側の体の捻りに負けまいと踏ん張って止まっているのが見えるはず。捻られいるのに捻られていない。簡単に「体をツイスト♪」と言っても、そのツイストは更に内側の不動点を前提としている。体を雑巾絞りのように捻ってはいないのが分かると思う。

 

ていない、捻られているのに捻られていない、そんなこの時の胴体の動きがさらに細かく観察できたなら、ように動いた時に腹がどう動いているのか、それを観察できれば、太極拳では、腹がどう腕を動かしているのか側を動かすことで腕を動かしている、しながら行えれば、太極拳でそれがどう使われているのか

2020/12/3 <太極拳の身体の使い方を太極拳の外から見る試み>

  

 今日一部の生徒さんに紹介して反響の高かった動画。

 まさか前屈に首が関係しているとは・・・と、私も最初驚いた。

 これは筋膜リリースの理論に基づいた手法だが、身体の背面、足裏から頭頂までは膀胱経が通っているから、このラインを緩めたら前屈がし易くなるのは何も不思議なことではない。ただこの手法が面白いのは、ただ摘んで持ち上げるだけ、というところ。

 硬いスジをひたすらがんばって伸ばすようなストレッチ(拉筋)だと、ともすると一部分のスジだけを無理に伸ばして痛めてしまうこともある。圧腿で膝の裏が伸びないからと無理やり伸ばす前に、膝の裏が伸びないのは膝の裏だけの責任ではないことを知る必要がある・・・これも周家一家の一つの現れ。

 

 筋膜については私も完全に理解はしていないのだが、検索をすると下のような図がイメージ図としてよく挙げられている。(https://be-loved-by.jp/menu_category/releasecutter/ 及び、https://estehigasiku.nagoya/menu/body.html より)

 

 上の右の図を見ると、まさに『周身一家』ではないか! と思う。

 

 太極拳には身体を正しい位置、状態へと調整する”整体”の要素が大きく、経典にはそのための要領が逐一記されているのだが、その言葉は抽象的で分かる人にしか分からない。(できるようになって初めて分かる。できないうちは分からない。できてから分かったのでは意味がないのでは?という議論もあるが、できるようになった時に、ああ、これがあの△△(例えば含胸)なのだ、とチェックするために経典があるとも言われている。ガイドブックの要素よりもチェックブックの要素の方が大きい。)

 『含胸』だの『抜背』だの、分かるようで分からない言葉のオンパレード。

 『松』はその最たるもの・・・

 

 私が子供の頃は足腰を鍛えるためにとすぐに運動場でうさぎ跳びを何周もさせられたけれど、今ではそんな非科学的な量だけをこなすような練習をさせる指導者はいない。身体についての研究が進みますます合理的なトレーニグ、エクササイズが編み出されている。

 上の太極拳特有の言葉のように見える語句も、今では他の分野で別の言葉で、もっとわかり易く説明されていることも多くなっている。そのようなものを参照するのも助けになるのではないかと強く思う今日この頃。

 太極拳を学ぶからといって太極拳だけ見ていては逆に道を逸れてしまいそうな気がする。一生懸命練習しているうちにいつの間にか大会で良い成績をとるのが目標になってしまったりしたら太極の道から逸れてしまってはいないだろうか?

 たまにテレビで小さい子供が、将来の夢は?と聞かれて、「○○のオリンピック選手になることです!」と答えたりするけれど、まあ、子供なのになんて枠に嵌められた小さな夢を語るのだろう?と逆に可哀想になってしまう。幼い頃から私たち大人達に俗なことを吹き込まれたのね・・・と。

 ということで、今は太極拳の外から太極拳の動きを見るような練習をしています。少人数の生徒さんをモニターに使って。

 成果があればまたメモに書きます。

2020/12/2 <周身一家、整勁、靠、上下相随、腕と脚の連動>

 

   太極拳で『周身一家』(全身で一つの家になる)ということは、『節節貫通』(全身の関節を貫通)して身体の内側の力(内勁)が分断されずに丸ごと全体の力(『整勁』 whole energy)になるということだ。

 といってもこの状態は完成形、目標であって、なかなかその境地に達するのは難しい。

 たまに調子の良い時に脚も腕もなくただ自分が思った通りに自分の身体が動く、という感覚があったりしても、それも長続きはしない。ふと気づくと相変わらず、膝がこうだとか、腰がこうだとか、目線はこうだとか、パーツパーツを意識している自分がいて、自分と自分の身体が分裂していることに気づく。

 家には今ちょうど5ヶ月になった子犬がいるのだけど、その子犬の走り方を見ていると、おお、これこそ、『周身一家』と思ってしまう。小さな弾丸のように走るのだ。大きな犬がわっさわっさ揺れて走るのとは全く違う。脚も腕もなくてただ突進!このまま体当たりか?と思うような走り姿。イノシシに近い・・・ 
 

 『周身一家』は言い換えれば『一動而无有不動』(一つ動けば動かないところはない)で、これを『整勁』という。

  鶏が歩く時に首を前後に振るのを止めたら鶏は歩けなくなってしまう。

  一つの歯車が動けば全部の歯車が連動して動いてしまう、そんな構造をしているのが本来の身体だ。

 

  イノシシとか『整勁』から思い出したのは靠。体当たり(靠)は太極拳の八法の一つだ。太極拳が接近戦に強いのはこの”靠”があるからだ。師父も言っていた通り、空手だと相手に抱きつかれたらなす術がないが(もちろんそれは空手のルールに反するのだけど)太極拳であればわざわざ相手に接近して相手の蹴り技を無効にして自分が靠をすることも可能だ。

   そして、靠は”体当たり”だけでなく、胯の靠 頭の靠(頭突き)、膝の靠、スネの靠、肩の靠(肩でも部位によって数種類)、背中の靠(背折靠)、胸の靠・・・と相手に接した場所はどこでも靠ができるようになっている。というよりも、相手に接した場所はどこでも靠ができる、発勁ができる、というように身体を作っている。手が相手に接すればその靠は拳や掌になり、足が接するならその靠は蹴りになる。つまり、拳も肘も蹴りも広い意味での靠の一種に過ぎないということだ。

 

  前回パリに滞在していた時、混んだメトロの中で私がドアに向かって立っていたら私の背中に後ろからたいこ腹を突きつけてくる男性がいた。それは私が師父から靠を習って間もない頃。今こそ靠の出番♪、と私は背中でその男性のお腹に靠をしたのだが、男性は私の靠に対し、後ろから優しく腹の靠で返してきた。なぬ?と私は再度背中で靠。そしたら男性も負けずに腹で返してくる。信じられない!と私はまた背中で靠、男性も腹で靠。これを数往復した時、やっとメトロは次の駅に止まってドアが開いた。私は少し腹が立ってここで降りてしまおうとドアに向かいながら振り向いたら、なんと、そこには顔を赤くした初老のおじさんが、私にグッド👍と両親指を立てて笑っていた。うわっ、ただ遊ばれてた・・・私の靠はあのたいこ腹に対してはマッサージ程度のものだった?と、私も恥ずかしくて思わず笑ってしまった。日本だったら痴漢騒ぎになるのかもしれないのにこっちではジョークになってしまう?

 

  いや、それよりも、今思い出すと、靠であのおじさんを弾き飛ばすとなると、相当な発勁をしなければならなかった・・・靠だけで戦おうとしたらまさに整勁(丸ごとの力)対整勁。おしくらまんじゅうでだれが勝つか、そんな素の力比べになってしまう。

 

  が、太極拳の根底にはその素の力があって、それを土台にして技(の妙)が成り立っている。(一に功夫、二に胆力、三に技巧、と言われる時の”功夫”が鍛えて身につけた整勁。)

 パンチ(拳)にも靠の力を乗せているのが太極拳の拳の特徴で、だから拳の威力の7割は下半身だと言われるのだ。

 

  周身一家になるには、上下相随を達成しなければならないが、腕は足が地面を推さない限りは全く動かないし、脚は腕が動かなければ動かない。足が先か、手が先かと頭で考えると混乱してしまいそうだが、”力は足から、手は力を導く”と思っていれば問題ないはずだ。(『力于脚跟』『梢领中随根节催』)

  

  具体的にいえば、

  腕を回した時、動かした時に脚が動いてしまいそうになる(けれども足で地面を踏ん張って頑張って動かさないでいる)なら上下相随。

  腕を回した時、下半身が石のようにビクともしないなら上下は分断している。

  脚を動かした時も同様。脚を動かしたら腕が動きそうになってしまうのが自然(上下相随)。

  脚を動かしているのに、肩甲骨がピクリともしないようなら(歩いているのに肩甲骨が全く動かないなら)上下は分断している。

 

  腕と脚が連動するかどうかから動きをチェックするのも一つの練習方法。

  どうすれば腕⇄脚になるかを探っていけば、太極拳の様々な要領(沈肩墜肘 含胸抜背 塌腰松胯・・・)そして腹・腰=丹田、に行き当たっていくだろう。

 

2020/11/28  <前腕骨間膜をストレッチすると指に気が通る 回外と回内>

 

  前腕の橈骨と尺骨の間の膜をストレッチさせるには”手首を開く”ようにする。手の指を開いてしまうと手首が締まってしまうからそこは注意が必要。

  楊式では掌が多様されるが、掌でも拳であっても手首を開いて前腕の骨間膜を広げて肩から拳まで捻れなくズドンと貫通するようにする。掌根で発勁できないような弱々しい掌で打っても痛くも痒くもない。手首を開いた時に、掌根のジクソーパズルのような骨達(手根骨たち)がバラバラになって隙間が開くような感じになったら自然に5本の指は開いてしまう。

 

 右上の手のイラストは「いちあっぷ」(https://ichi-up.net/2017/094)に載っていたものだが、イラストを描く人たちはこんなにも人体構造を勉強し把握しているのかと脱帽!私はただただ感謝して参照させてもらっている・・・

 ここで注釈が書かれているように、指の骨は手首を起点に生えている。手首を広げれば放射線状に五本の指は広がる。私たちが間違えがちなのは、手を広げようとして指を広げがちなこと。違いは歴然。

 

  なぜ前腕の骨は2本あるのか? それについては左の図を使って説明してくれているブログ(https://ameblo.jp/lymphcare7shalom/entry-12346246357.html)で簡潔に説明されている通り。2本ないと手首が回転しない。尺骨が肘関節に接着していて、橈骨は尺骨を跨いで回転するような感じになっている。

 前腕を操作する時に尺骨を基軸にする、というのもそこから納得がいく。

 

  親指を外側に向けるようにすると橈骨と尺骨は平行・・・回外

  親指を内側に向けるようにすると橈骨と尺骨は交差・・・回内

 

  太極拳で言うと、順纏は回外、逆纏は回内になるが、逆纏で回内になる時も完全な回内にならないように肘の中や脇の中を開いて隙間をとる(上腕は内側で内旋したようになる。 隙間は死守する。

  こんな使い方はいろんなスポーツやリハビリなどでも指導されていて太極拳に限ったことではないようだ。

オレンジページのネットには左のような古武術の知恵を使って重いものを保つ術が紹介されていた。

理屈は同じ。

 

https://www.orangepage.net/daily/334

 

”手首を返すと、肩甲骨が開き背中に適度なハリが生まれる”

 

→まさに太極拳の腕の作り方と同じ。

 

*骨間膜の機能について

https://physio-fukuoka.jp/startle/archives/6470 より)

『骨間膜の主な機能は橈骨を尺骨に結びつけ、いくつかの手の外在筋に対して安定した付着部を提供するとともに上肢への力の伝達を担うことです。』 上肢への力の伝達! 手首ー肘ー肩 骨間膜はここまで繋ぐ。前腕だけ=小手先で動かないのが身体を崩さない秘訣でした・・・気をつけねば。

 下はアレキサンダーテクニックを使ったマウスの持ち方。

 その他、武道、投球、・・・いろいろあるが、日常生活の細々とした作業で意識的に練習して捻れのない腕の使い方(ということは腕に止まらず身体の使い方になってしまうのだが)を癖にしてしまうのが良さそうだ。

 

 書き終わって、3日前のメモの4人のピアニストの写真を見たら、巨匠二人(ホロヴィッツとルービンシュタイン)の腕は捻れがない。ランランは回内のまま弾いてるような(だから手首がゴツゴツ硬い)。残りの女性は左腕が捻れてる・・・というように、腕の捻れが全くないのは巨匠級かも。

2020/11/28 <前腕から通す ねじれのない腕 骨間膜を広げて使う>

 

 今日のzoomレッスンでは”腕をどうやって作るか”、ということに焦点を当て、腕が作れてしまえば、体幹、腰、腹、脇、肩、すなわち、上半身が整ってしまう、というところまでもっていくのが目標だった。いろんな側面、切り口から試してみたので毎度のことながら生徒さんたちはついてくるのが大変だったかも。

 ちょっと心配なので、私も自分が何をやったのか振り返ってみた。

 以下メモ。

 

①前腕:尺骨の手首側の先端と肘側の先端を意識することによって、前腕が捻れるに真っ直ぐ使えるようにする。手先まで腕を真っ直ぐに伸ばして、尺骨を軸にして前腕を回転させると上腕も連動してひっくり返る。

手・前腕・上腕が、あたかもフライ返しでホットケーキを裏返すようにひっくり返るようになる→肩関節から腕が捻れずに回転→これが太極拳を含めた身体操作の正しい腕の使い方の基礎になる。(やっていることは前腕の骨間膜を適度にストレッチして腕を使うということ。スマホやパソコンで腕が捻れて腕がだるくなったりする人は前腕が捻れて骨間膜が固まってしまている。テニス肘、腱鞘炎の原因にもなる。女性の腕に捻れが多いのは細かな家事が多いからかなぁ)

 腕が真っ直ぐな状態で肩から上腕、前腕、手がズドンと一本の木のようにすることができなければ、肘や手首を曲げた状態で使った時にすぐに”節節分断”になってしまう。

 太極拳は関節を緩めた状態で始めるけれど、その前提として、まっすぐ伸ばした時に脚も腕も突っ張れなければならない(以前のシュナウザー犬の立ち方を参照)。

 脚も腕も突っ張れると胴体が四肢になる。

 そこからその突っ張り感が失われないように恐る恐る手首や肘や肩や背骨、などなどを緩めていくとタントウ功の形になる。

 

 ある程度練習が進んだら、丹田→末端 から、末端→丹田、も組み合わせて練習するのが効果的。トンネルを開通させるために、両方向から掘っていくようなもの? 

 

 他の点についてはまた書きます。

 

 その後 前腕について言い足りなかったこと、撮りました。

2020/11/25

 

  関節を伸ばす時は、もちろん筋が伸びるのだが、その時に意識がスジを伸ばすところにあると、身体の内側の操作ができない。

 外から見ると同じような関節を伸ばす運動であっても、本人がどこを意識しているかで身体の作用する箇所が変わってくる。

例えば、右のように血圧を測る時のような腕の形で、そこから肘を曲げていく時、上腕二頭筋を鍛えて力こぶをつけようと思えば、その箇所を意識して肘を曲げればいい。もし前腕を鍛えて太くしようと思うなら意識を前腕の筋肉に置く。

女性は上腕の力こぶも前腕の太さも要らない・・・と思ってなるべく筋肉を使わないように肘を曲げようとするなら、関節の中を意識してそこをゆっくり曲げていけばいい。速く動かすと筋肉が作用してしまうから、ゆっくり注意深く動かす必要がある。

  関節の中から動かすと全く筋肉は必要ないのか、というと筋肉が全く動かないのに身体が動くなんてことはあり得ない。身体の奥の方で動かそうとすればするほど、身体のコアに近い、自分が意識的には動かせない筋肉が作動することになる。

   

  今では様々な身体のコアを鍛える方法が紹介されているが、太極拳ではそれを「意」を使って「松」することで行おうとした。

 「松」することでお手軽に使える大きな筋肉の働きをブロックして、「意」で内側を見ることでコアに近い部分を作動させる。

 「松」だけでは力なくだらけたようになってしまう。

 「意」でしっかり内側を刺しておく必要がある。

 

  「意」はどう働かせるのか?

  これは目、上丹田と大いに関係があって、凝神から始まってそれを腹の丹田につなげるのだけれども、これがちゃんとできている人はどの分野であってもマスターの域に達しているのではないかと思う。外形的には、百会がぶれない、真っ直ぐ立てる、目が泳がない・・・。

 文章よりも映像で比較するとすぐに分かると思う。

 

  ノリで動いたり、内側に入り込んで酔って動いてしまうと(即ち、無意識的に動いていると)頭がブレる、目がブレる、目が泳ぐ。

 頭を振ると深い意識は使えない。内側にこもって前方を見るのを忘れると酔ってしまう。脳脊髄液は脊髄を通って仙骨まで降りていき循環するようだけれども、マスターたちのお尻はしっかりどっしりしている(立った場合は足がしっかり地面を踏んで仁王立ちになっている)。ここは大きなポイント。下半身がどっしりしていないと頭や目はブレてしまう。

 

 瞑想は百会がきちっとキマらないと瞑想にならない。座禅で頭がブレていたら頭の中は妄想だらけか眠気に苛まれている。

 演奏で言えば、頭(目)がブレるときっちり内側を見られないから、音の粒の表面を聞いて演奏することになる。すると聞いている側も音の中には入れない。ただの音の流れだけを聞くことになる。一方、音の粒の内側を聞いている人の音はアルデンテのよう。内側と外側、両方とも聞くことができる。意識が内側と外側のちょうど良いバランスにいる・・・瞑想と同じ・・・外から見ると目線は鼻先に近くなる。

 

 

 スジの意識なのか、関節の内側の意識なのか、

 音の表面を聞くのか、音の粒の中を聞くのか

外の意識で外を操るのか、内側の意識で外を操るのか、

 

 太極拳の練習は形から始まって気、そして意識へと進んでいく。

 

 バッハのシャコンヌはやはりバイオリン!と見ていたら、ああ、はやりハイフェッツは姿勢からして偉大なるマスターだ。馮志強老師と同類。上のホロヴィッツも同類。ハイフェッツとホロヴィッツと馮老師の夢の共演♪ なんてないのだろうか?

 それに比べ、五嶋みどりは内側に入り込みすぎてちょっと不安。花が一旦開いて、それから頭を垂れてしぼんでいく感じがしなくもない。芸術家にありがちな入り込み過ぎなタイプ。上のランランは心配無用?ノリノリでやっていくかしら? (ピアニストにはうつ病とか精神病がありがちだが、オペラ歌手には滅多にいないと聞いたことがある。やはり観客に向かって真っ直ぐ立って堂々と歌うというのは外向きで陽気な要素がある。ピアノやバイオリン、俯いて観客を見ずに自分の世界にどっぷり入り込んでいくと精神的には不安定になっていく。だから、そういう意味でも姿勢はとても大事。どれだけ内側に入り込んでも外との関連を外さない。紐の切れたタコのようになるとここに戻ってこれなくなっておかしなことになる。瞑想でおかしくなる人のパターンと同じ。)

 

   最後はやはり大好きなハイフェッツ。立ち姿も太極拳のマスター並。足がしっかり地面を踏んで虚領頂勁。 こんなマスターと生で会ってみたかった・・・

 

2020/11/24

 

  関節に息(気)を通す、という意識はとても大事で、これによって、同じ動きが全く別物になってしまう。

 それは何も太極拳に限ったことではなく、ヨガやバレエ、その他スポーツ、楽器演奏、料理人、書道家、お茶、お掃除・・・およそ身体を使うもの全てに共通するものだ。いわゆる達人、名人と呼ばれる人達は、身のこなしがシンプルで力みがない。「松」の境地なのだ。力んで”凄さ”を見せる人達もいるけれど(最近の指揮者とか?)、それは、名人ではなくてパフォーマーなのだ。

 

 私が最初中国武術に興味をもったのは少林寺のリーリンチェイのファンになったからだが、実際に習い始めてしばらくは派手な拳法が好きだった。内家拳は見ても何が凄いのか分からなかったしカッコいいとも思わなかった。その価値観が変わるには10年弱必要だったと思う。そうすると、音楽や絵などの芸術、その他の見方も変わってしまった。

 見たいのは、味わいたいのは、その人の内側、根底の途切れのない意識の透明感のようなものなのだ。表面に現れ見えるものはその意識の現れだ。

 

 内側の意識が身体に現れるまでには相当な修練を積む必要があるが、その修練は”どうやって身体を鍛えるか”、ではなく、”どうやって無駄な動きをなくすか”、”どうやって癖を取り除くか” という消去法のようなものになるのではないかと思う。無駄を落としてシンプルにするうちに身体のコア、内側が鍛えられてしまうのだろう。

 だから、太極拳では、「松しろ」と言うのであって、「丹田に気を溜めろ」とは普通は言わないのか? 松すれば丹田に気が溜まる。松するということは余計な力を抜くということ、削ぐ方向だ。もし、「丹田に気を溜めろ」というと、力んで丹田に気を溜めようとして、結局、隙間が見つからなくなってしまう。・・・・このあたりが、老子の道徳経っぽくないかしら? ・・・そこには自分の力で攻めまくってもどうしようもならない、ギブアップして手放して自然に遵う(太極拳であれば身体に遵う)、自我を手放す、そんな面が隠れている。

 

 

  と書いていたら、随分前の話だが、一時ハマって毎日見ていた書道の動画のことを思い出した。田蕴章という書家の『毎日一題毎日一字』という動画だ。当時は优酷でしか見られなかったけれど今ではyoutubeでも見られる。話の内容もとても豊富で道具や書き方だけでなく、歴史に残る中国の書家の逸話や現代の書家の問題点、中国から日本の書家をどう見ているか、なども含まれていた(といっても全て忘れてしまったが・・・)。

 で、何よりも私が好きだったのは、この老師の筆先の動き。目が吸いつけられて画面を食い入るように見ていた・・・なんて美しいんだろう、と。筆先が生きてる。筆先まで気が達している。濁りがない。

 中国の書法を知って気づいたのは、本当は書道はもっと自由で生き生きした生命力溢れるたくましいものだった、ということ。私が小学校で習ったものは格式張っていて面白みがなかった。形の均整がとれていても勢いがなくスカスカなものは美しくはない、字も気勢なのだ、と知った時、グンと興味が増した。

 動画の第1課で、書道は『永』の字に含まれる八法から始まる、と知って、墨と硯を用意して、第一画目の点を毎晩書いていたこともあったなぁ。老師のような三角の点を毎回同じように書くことはできなかった。 今ならもう少しマシかなぁ? 

 太極拳と書は太極拳とピアノよりも近距離にありそうだけれども、道具にハマると散財するようです(苦笑)

  

2020/11/22 <股関節と踵をダイレクトにつなぐ 関節に気を通すエクササイズ>

 

 昨日のzoomレッスンの目標は”踵と股関節が合うという感覚を得る”、ということだったのだが、そのためには、まず、足首をフレックス(背屈)した状態で、踵まで気を通せるようになることが必要だ。

 それは何故なのか?

 

 まず理解しなければならないこと。

 気を通す、と言っても、通常の練習で意識的に気を通そうとしているのは骨と骨のつなぎ目である関節だ。骨と骨のつなぎ目をつないでいけば、全身が骨のチェーンとなって一斉に連鎖して働くようになる=周身一家になる。これを太極拳の言い方では、『節節貫通』という(節は関節の意)。(骨の骨髄に意識的に気を通すことができるのかどうか現時点では不明)

 では関節に気を通すとはどういうことか?というと、骨と骨の隙間に気息を注いでその隙間をわずかに広げて関節がスルスル滑らかに動くようにすることだ。 

 

 上の図のように関節を構成するところには必ず隙間がある。この隙間が減ってしまうと、骨と骨が擦れて炎症をおこしてしまう。

 

 股関節と踵が合う、というのは、腹の気を股関節に押し込むことで股関節に隙間を開き、それが膝の隙間を開け、そして足首の隙間を開けた時に、得られる感覚だ。

 ただ脚の筋(スジ、筋肉の末端)を伸ばしてもその感覚を得られない。スジよりも内側に意識を向け、その内側に息を通す感覚が必要だ(これを内功という)。そういう意味では、拉筋を目的とする易筋経や八段錦は内功とは言えない。

 

この図は昨日のレッスンで行った足首のフレックスのエクササイズを示したもの。

 

最初は膝を軽く曲げた形で足首のフレックス

 

足首がこれ以上曲がらない(背屈しない)ところまできたら、息を注ぎ込む→ピンクの太い矢印の線

息を足裏の方へ注ぎ込む時に前屈をするように胴体を前傾させるのも可。

 

そうすると次第に緑色の②の脚のように膝裏が伸びてピーンとしてしまう。足首もさらにフレックスしてしまう。

 

 

 この原理は、最近タンクが故障してやむなく購入した、水圧で伸びる伸縮可能なホースにそっくり。元のホースの長さは8メートル。けれども水を注ぐとその水圧でニョキニョキ伸びて、最長25メートルまで伸ばせる。使った後水道の蛇口の栓を閉めるとみるみるうちに縮んでいくから後片付けも楽チン。水がホースの中を流れて水圧がかかっている時だけ伸びるのだ。水を止めてしまうと縮んでしまう。(日本でも売っていました→右図)

 

 と、上の脚が伸びる原理はこれと同じで、息が吹き込まれることで脚はピンと伸びる。(これがそのまま使われるのが蹬脚。体重移動の際の後ろ足もこの動き。圧腿もこのようにやるべき。)

 

 非常に大事なことは、息が膝関節を通る前に膝の後ろのスジを伸ばしきってはいけない、ということ。先に力でスジを伸ばしてしまうと(外側、皮膚の方からスジを伸ばしてしまうと)、内側の関節の隙間が狭まってロックがかかってしまい息を通すことができなくなる。関節の隙間に気が通っていくことで、内側からスジが伸ばされるようになるのがミソだ。

 

 頭の中にイメージが出てきて検索したら・・・

吹き戻し笛とかピロピロ笛とか言うらしいが、今ではこれはリハビリや健康グッズとして使われているらしい。

 

 脚もこれと同じ原理で伸びるのでは?

 肺活量が必要、というよりも、大きな方の用を足す時のように横隔膜を使って下向きに息を押し込む力が必要。

 その時に関門になるのが股関節。力任せに息を吐き込むのではなくて、股関節を通るように”丁寧に”息を通す。股関節の隙間を開ける意識も大事。気持ちも手伝ってあげる。うまく通り抜けたら気づくだろうが、上のエクササイズの図で紫色の☆印をしたあたりに一番力が必要だ(だからここが丹田)。股関節を抜ければその後はそれほど難しくない。おそらく自動的に膝が伸び足首がさらにフレックスして踵が突き出たようになるだろう。

 

 これを蹲踞で踵も床につけた形(カエルの形)で行うと、股関節と踵がダイレクトに繋がる(一致する)のが分かる。腹の気を股関節に通せば跳ね上がってしまう・・・これが動物の歩く、走る、ジャンプの原理だ。

 私達人間は立ち上がってしまっているから、股関節と踵が無関係のように感じられてしまう。が、一度カエルになって腹圧をかけてみると、なんだ、股関節は踵だったのだ、と知ることができる。

 

 関節を曲げた形から伸ばす過程で股関節と踵の一致が感じられる。

 その時同時に足裏は地面を推すことになる。

 太極拳が基本的に中腰で膝も緩めている理由は、関節が少し曲がっている方が隙間に気を溜めておき易いからだ。関節を曲げて中の隙間を潰すようなことをしてはいけない。関節は気の貯蔵庫だという話につながるのだけど、それは次回に書きます。

 

 <おまけ> レッスンに出た生徒さんから、かえるのおもちゃの動画がある、ということだったので・・・私達の身体もこんな単純なものだったのか?!

 

2020/11/20 <左手のシャコンヌのレッスンから学んだこと>

 

 今日は約2ヶ月ぶりのヴィヴィアンのピアノレッスン。

 ロックダウン中なのでzoomでやらざるを得なかったが、録画ができたのはとても嬉しい。

 

 いつものことだけど、ヴィヴィアンの発する言葉は、私にとってこれからの課題となることを示唆している。その時ピンとこなくても、はっきり意味が分からなくても、そのうちすぐに師父も同じことを言ったり、自分で気づかざるを得ないような偶然が重なって、嫌でも直面せざるを得なくなる。

 

 今日の一番のキーワードは、”勢い”。

 その他にも、”手首にエネルギーを溜めておいて解き放つ”、”探る意” ”手首の返し” ”手首が先動く”などがあった。

 

 すぐに(頭で)分かるのは”手首にエネルギーを溜めて解き放つ”、が示唆するもの。

 これは太極拳において、「関節の隙間にエネルギーを溜める」、ということに等しく、理論的には、発勁とは全関節の隙間に蓄えたエネルギーを瞬間的に解き放つことといえる。

 松して全関節の隙間を開けるべく練習するのは関節の隙間はエネルギーの貯蔵庫になるからだ。

 

 手首は指5本を取りまとめた部位。ここを開いてきちんと動かせるようになったら指は正確に動く・・・と言っても私の場合は、もっっぱら足首から足指にかけての実験ばかりしていて、手の方はまだ真剣に開発をしていない。ピアノを弾くと手首が固いのが明らか。そろそろ手首に焦点を当てた練習をするべきかも。

 

 ”探る意”

 これはとても面白い。今回見てもらったのは、最近弾き始めた左手のシャコンヌ。バッハのシャコンヌ(バイオリン曲)をピアノ用にブラームスが左手だけで弾くように編曲したものだ。ブゾーニにが編曲した華やかな両手用のシャコンヌもあるのだけd、左手のシャコンヌを聞いたら、その味わい深さに一聴き惚れをしてしまった(演奏はロシアのダニール君)。

 左手だけで、指をいっぱい広げても届かないような広い音域で和音を鳴らす。隣にある音ならすぐに鳴らせるけれど、届かないからいちいち次の音を探して鳴らしていかなければならない。その不自由さが間をつくり、緊張感と味わいを醸し出す。じゃらじゃら弾くピアノとは雰囲気が全く違う。

 ヴィヴィアンが言っていたけど、バイオリンは弓を返す時に微妙に時間をとらざるをえず、機械のように均一に音を鳴らすことはできない。ピアノはともすると機械のように弾けてしまうのだけど、不器用な左手で、しかも、片手で弾けないようなことをさせることで、音を探っていく意識の強さ、集中力の強さ、を醸し出すことになる。

 ん? これは太極拳にもそんな面があるのでは? 一歩一歩、動作の一つ一つを探りながら出すような練習もあるのでは? 探る時、”意”がはっきりする。”意”の練習には”探る”感覚を使えばよいかもしれない。

 套路も覚えてしまうとさら〜っと気持ちよく動けてしまうけれど、この左手のシャコンヌのような套路もあり得るかもしれない・・・意の太極拳・・・すでに意拳というのもあるなぁ?

 

 そしてメインの”勢い”

 太極拳の套路の一式一式は、もともとは一勢と呼ばれていたというくらいで、”勢”は太極拳のキーワードの一つ。

 けれども、私はまだ本当にわかってはいない。なんでそれが大事なのか、その含意と広がり、など、考えてみるとまだよくわかっていない。

 今回のヴィヴィアンのレッスンの該当部分。 「分かりますか?」と言われて分かったようなふりをしてしまった。ピアノで先に分かるのか、太極拳で分かるようになるのか? これは今後の課題。

 今日のレッスンの一部分を見せます。私がなぜ20歳近く年下のヴィヴィアンを尊敬するのが分かるかと思います。ただピアノが上手なだけではない・・・内側の何か。

 

 そして聴く人を引っ張り込んでしまうダニール君の独特な左手のシャコンヌ
ピンと張り詰めたものがずっと続く・・・ 

2020/11/18 <外旋には内旋を 内旋には外旋を 引っ張り合いをさせることで安定>

 

  踵と股関節が合うのが分かったとして、実際に動く時には、内踵で股関節を探って操るようにする。

股関節は大腿骨の先端の球状の骨頭が骨盤に入り込んで成り立っている。

左のピンクの丸の部分が股関節。ここを踵と合わせるのだが、感覚としては、内踵を、この骨頭の一番内側に合わせるようにする。

間違えても大転子と合わせないように。

 

股関節は球状の関節だから、いろんな方向に動く。

骨頭の球が

立回転(矢状面の回転)は屈曲・伸展

竪回転(前額面の回転))は内転・外転

水平回転(水平面の回転)は内旋・外旋

と言われる。

実際にはこれらの組み合わせで股関節はいろんな方向に動かせるようになっている。

 

 太極拳で特に気をつけなければならないのは、この骨頭が骨盤から外れていくような使い方をすること。中腰で脚を開いて股関節の上に体重をどかっと乗せてしまうと股関節が外旋して外れていくような動きになりやすい。年取った女性で股関節が外に出てしまってガニ股であるいているのも同じ現象。出産などで腰が広がり体幹の力がなくなると、歳をとってさらに腰が広がり股関節が浅くなる危険性がある。男性にはそのようなことが通常起こらないが、太極拳やその他の中国拳法をしている老師に腰の開いた男性がいたりする。腰が開いて締まらなくなると背骨の弾力性がなくなるので安定性はあっても身軽で俊敏な動きはできなくなる。

 股関節を回そうとして股関節でない部分を回してしまうと関節がねじれてひっぱられてしまい痛んでしまう。どこが股関節でどうやれば回せるのか分かるように練習していくべきだと思う(でないと怪我人続出?)

 

 大腿骨の骨頭はしっかり骨盤の中に差し込まれていなければならない。

 だから太極拳では、内踵で大腿骨骨頭の内側をすくい取るように動く。

 注意して套路をやってみると、足を動かして着地するたびに内踵を股関節(の内側)を合わせ、そこから踵の回転とともに股関節を回転させているのがわかる。それこそゆっくり動かないとそのメカニズムはわからないが、だから太極拳はゆっくり練習するのだ・・・いまさらながら。

 

 内踵と股関節を合わせて動いていく時は、脚の内側の経や内転筋をしっかり使う必要がある。脚の内側のラインが抜けると股関節と踵の一体感は消えてしまう。

 が、生徒さんの中には、足首が倒れていたり、足の内側(親指側)に力が入らないために脚の内側の力が使えない人がとても多い。

 

 ということで、外旋に内旋を加える、ということをアドバイスしようと思って分かりやすいように短パン姿で動画を撮ったのでした。その後師父とそのままビデオで自分の言っていることに間違えがないか確認をとった上で撮ったのが下の動画。

 見えない順逆チャンスーで身体は真っ直ぐホールドされている・・・

 

2020/11/17 <足裏握りや足首フレックスで腹の気を足裏に通す練習>

 

  『力は踵から』というのは、”足裏が地面を推す力で拳を推し出す”ということで、これが太極拳の基本的な力の出し方、特徴になっている。

 

 簡略化したイメージは左図のようになるのだが、やってとても面白い、奇妙?なのは、①と②が同時だということ。

(①は腹から踵へ気を押し込む力=地面を推す力 ②は①によって得られる反発力)

 

 この同時性については、昨年パリに来てからの練習での最初の課題だった。劉師父もピアノのViviane先生も口裏を合わせたかのように、この二つの力の同時性を私に説いたものだから、一時期私はとても混乱してしまった。最終的には師父が、「蛇口はひねればすぐに水が出るのと同じだ」と例をくれたことで、ああ、注射器やところてん突きと同じ・・・ということは身体の中は気で満タン、気で満たされていないとならない、と頭で理解してそのまま放っておいたのだが、今では考えなくても当然そうなっているようだ。

 

 

 ①ができれば②は起こる。

 ①の出来具合、すなわち、腹(丹田)の気をどれだけ漏れなくズドンと足裏まで押しこめるか、これが②の出来具合を決めることになる。

 

  最近数人の生徒達を集めて実験的な練習をしてもらっているが、その中で明らかになったのが、バレエのフレックスとポワント(背屈と底屈)の練習はただの足首の曲げ伸ばしではなかったということ。巷のバレエのレッスンでそこまで教えられているかどうかは疑問の余地があるが、少なくとも一流のプロはちゃんと腹圧を使って股関節、膝、足首に息を通していた。

 

 

何度も登場させているオペラ座のジェルマンくんの写真。

 

よく見ると足首のフレックスの時に踵が浮いている。

ただ足首をフレックスしただけでは踵は浮かない。なぜ?

 

そんな時、生徒さんたちが、フレックスをすると膝裏が床から離れてしまう、という問題を提起。

それは、足首の表面で足首を折り曲げてしまっていて、足の中の骨(距骨)を回転させていないから。骨を動かすには、骨と骨との隙間(=関節)に息(気)を通せばよい・・・

 理屈はわからなくても、動作としては次のようにする。

 一旦足首をフレックス。行き止まってそれ以上曲がらなくなったら、息を大きく吸って、それからその息を腹から股関節を通すように吐きこみながら踵を前方に推し出していく。身体は前屈の時のように少し前傾させる。さらにフレックスができているはず。

 

  

 このように指示をしたら、「腰から踵まで力が通って自然にフレックスがよくできるようになった。膝裏がびた〜っと床について踵が上がるほどです。」というコメントをくれた生徒さんがいた。

  実は、二段階目に息をつかってさらにフレックス(=踵を推し出す)する動作は、上の図の①の力の使い方。腹から踵まで気を押し込んで地面を踏む、その力。

 

 ジェルマン君の脚を横向きに上げたならそれは蹬脚だ(膝の裏が伸びきるのは発勁の瞬間)。

 師父が片足ずつ木に脚をひっかけて毎日やる圧腿の実態もこれだ。

 

 外形的には同じようでも、内側を気が流通しているか否かで次元が変わってしまう。

 

 直立で腹から足裏に気を押しこむよりも、座って行った方が気の通し方が意識しやすいのは確か。生徒さん達には足裏をぎゅーっと握ってグーにするエクササイズも行ってもらったが、これも二段階に分けて二段階目には息を導入している。

 

 腹から踵に息を吐き込む、というと、途中に股関節と膝関節があるので長い道のりに思うけれども、一昨日のメモに書いたように、股関節=足首、であれば、腹の気が股関節を通り抜けたとたん、気は足首を通り抜けて踵に達する

 ということは、①の地面を踏む力を培うための練習は、

 (1)腹の気が股関節を通り抜けられるようにする(骨盤を立てる、腹圧を増やす)

 (2)股関節=足首 になるように 脚のねじれを調整する(ねじれていない人の方が少数派)

 に分けて行うこともできるかと思う。

 

 フレックスを使った地面を推す力の練習は今週末(土曜日夕方)のzoomグループレッスン(無料)で取り上げてみてもよいかと思っている。興味のある方は簡単な自己紹介を添えてお問い合わせより連絡を下さい。

 

2020/11/15 <踵と股関節の関係>

 

  踵と股関節が合う、という話は随分前に整体師かつ鍼灸師の生徒さんから聞いていた。

 発生学的に股関節は踵と近い位置にあったというのがその理由らしく(カエルを想像)、その途中にある膝関節は方向転換のための部位だったということだった(右はカエルの骨格)。

 猫もおすわりしたら股関節と踵の位置が合っているし、私たちもしゃがんだ時はそうなる。右の蹲踞やバレエのおおきなプリエ姿はその良い例だ。

 

 「踵と股関節は合って同時に動きます。同時に動けば膝は痛みません。」確かその時彼はそのように教えてくれたと思う。ただ、しゃがんだ時は膝が使えない分、踵と股関節がダイレクトにつながって動かすことができても、立ち上がってしまうと股関節と踵は遠く離れている。立って動いている時に常に踵と股関節を合わせて動くということはできていなかった。

 

 最近、バレエの身体の動きを勉強していたら、内踵で股関節を操れる、という記述がありどうやってそれを可能にするのだろうと興味を持った。

 そしてわかったのが、そのためには、立位であれば足首のフレックス(背屈)が”足首(スネ)の中を開けられるほど”しっかりできる必要がある、ということ。そうすると、ひざ下から足先までが一体になって力が出る。こうやって足首で分断されていないスネが一体化した足、の内踵は股関節を操縦できるようになる。 足首から下だけのふにゃふにゃした足の内踵は股関節を操れない。

 

 これは上肢でも同じことが言えるのだが、手首のフレックスをして掌や手首を開くことによって前腕を通し手先から肘までを一体化させて強くすると肘や肩がとても使いやすくなる。肩から指先まで力を引き抜くことができるようになる。

 具体的な練習方法は時間のある時に紹介できたらします。

 

 周身一家を目指して丹田から外向きに身体を開けていくのに加え、末端→丹田、すなわち、足先、手先から股関節や肩に向かって開けていく練習も意識的に取り入れるべきではないと思う次第。拍手功もそのように使える。それも併せて紹介できる機会があればよいなぁ。

 

 

 

 

2020/11/13 <扣は足裏のグリップだった>

 

  ロックダウンでかれこれ2週間師父と会っていない。

  私はロックダウン、ラッキー♪とばかり、これまで練習で潰れていた午前中を4ヶ月になった仔犬の公園デビューに充てたのだが、他の犬達を見ては吠えて泣き止まないという問題が発覚し、毎日公園に連れて行ってはたくさんの犬達のなかに入れて吠え癖をなくすという課題ができてしまった。犬は躾なければならない。が、躾ければ賢くなる。猫よりも数倍躾甲斐があるのだけれど、その分私の荷は重い。ただ可愛い可愛いとペットとして犬は飼っていてはいけないのだとこちらにいると感じる。犬は人間の伴侶。伴侶になり得るように厳しく躾ける、その裏には双方の信頼がある。

 

 ・・・そんな風なことで太極拳のいつもの練習はとても少なくやっていて、私は師父と一緒にできない自分の課題に対する練習をいろいろやっていた。生徒さん達の中から私のバレエ的な練習実験に付き合ってくれる人を募ったのもその一貫。人を教えてみて分かること、理解が深まることはいろいろある。早速それらの生徒さん達にバレエで使うような足のエクササイズを試してもらおうと自分が試してみてびっくり。あれ?足先から足首までぐるぐる巻きになってるようだ。これは纏足? いや、これこそ師父が言っていた 扣(kou)なのか?

 

 

 そして今日、久しぶりに師父とビデオ会話の日。

 私は会話が始まるやいなや、師父に、「ちょっと見てください!」と言って右の写真のように私の足を見せた。

 まあ、私としては(まさかこれが扣ではないと)半分冗談でやったのだけど、師父はそれを見るなり「おお〜!灵活になったじゃないか!(よく動くようになったじゃないか)」とストレートに褒めてくれた。

「これは私の感覚では纏足のようなんですが・・・」と言ったら、笑いながら「そんな風に感じてもおかしくない。が、これは扣だ。」と言う。

 この”扣”は一般的には「足裏のグリップ力」と表現されるものだろうが、足裏が足首を包むところまで握り込めた時、その踵からつま先までが身体の隅々までをコントロールできるようになる、ということを一番よく知っているのはバレエダンサーだろう。

 

私はダンサーには全く及ばないけれど、このくらい握れると踵から股関節は一本の棒ごして時間差なしで動かせる。股関節から腰や背中、首も繋いでおけば、踵から頭までが時間差なしで動くことになるのが分かる。

今改めて、以前紹介したオペラ座のエトワールの彼がやっていた準備体操の動きを見て見たら、これは

ポワント→ドゥミポワント→フレックス

フレックス→ドゥミポワント→ポワント

の繰り返し。

扣の場合はフレックス(足首をしっかり背屈させて脛の中を開く)をした上で、ドゥミポワントで反らすMP関節を反対側に曲げている。

 扣 (フレックスで踵近くまで握り込む)ができれば、ポワントからフレックスまで動かせるし、逆に動かすのができれば扣もできる。

 もちろん、その出来上がりの程度はいろいろあるけれど。

 エトワールの彼は、太ももが押し込めていてひざ下が全く浮かないけれども、私が真似てやると、動いた時に少し膝が浮いてしまう。彼の踵は余裕でお尻まで掴んでいるなぁ・・・

 

 と、一人で感動していても面白くないので、そんな足裏のグリップ力を高めるような練習を生徒さんにやらせてみて、足の力と丹田力の連関、そして足裏が身体全体を操るところまで確かめてみたい・・・とプログラムを思考中。

  

 まずは内踵と股関節を合わせるところから始めていますが、内踵で股関節を操るにもこのグリップ力が必要。

 導入としては股関節の位置をきちんと把握すること。下の動画が役立ちます。

 私も勘違いしていましたが、股関節は思っているよりも内側にあります。

 内踵で股関節を操ることについてはまた次回にでも。

 

 

2020/11/11 <蹴らずに推す、沈まない>

 

 パリはそもそもジョギングをする人数が増えていたようだが、今年のロックダウンでさらに倍増? というくらい、近所の公園はマラソンのレース会場のようになっている。ゆっくり犬を連れてお散歩♪なんていう雰囲気ではない。

 うちの主人も3月のロックダウン中にジョギングを始め、それが今では癖になってしまって仕事から戻るとまず走りに出かける。今日は何キロで何分だった、と毎日記録をつけて他人と共有するアプリがあるらしくて、いいね♪ をもらいたいから毎日頑張っているようだった。

 

 今日はフランスは祝日。夕方ジョギングに出た主人はなかなか帰ってこなかった。1時間以上経って汗だくで戻って来たが、話を聞いたら、今日はゆっくり走るフォームに変えた、ということだった。

 「蹴らずに推すんだ。蹴るとふくらはぎばかり発達する。推せば全身の力を使える。実際にこうやって走ったら、いつもの倍の時間を走っても疲れないし、トータルでは長い距離を走れる。」

 ほら、やっぱり”推す”んでしょ? と弓歩の重心移動を思い出して言いたくなったが、そんな言い方をしたら相手はいい気がしないのが今では分かっているから、代わりに、「どこでそんな走り方を知ったの?」と尋ねてみた。そして教えてもらったのが下の動画。

 

 説明がはきはきしていてとても分かりやすい!

 やはり若い子のしゃべりは速くて明瞭。Youtubeは若者に任せたほうがよいかも、なんて余計なことも考えましたが(苦笑)

 太極拳と同じで、とても大事なポイントは、

 ①蹴るのではなく推す→沈み込んでは推せない、脱力もポイント

 ②指で地面を掴まない

 

 蹴るエクササイズを3分過ぎから紹介してくれていますが、このニーアップは第二式の金刚捣碓の膝蹴りと原理は同じ。

 昔、師父は膝上げをするたびに、上げた脚のスネをぶらぶらさせて脱力を確認していたけれど、そうすることによって腸腰筋が使えていることを確認していたのだと今になって理解できました。(尤も西洋的なアナトミーにそれほど興味のない師父にとっては丹田で脚を上げていることの確認だっただろうけれども)

 

 推した瞬間にもう片足が上がる、というピストンのような動き、これがそもそも備わった動物の身体の動きのメカニズム。

 上の動画の言葉では”沈み込む”、太極拳的にいえば”丹田が使えていない”、さらに詳しくいえば、”丹田で身体が浮かせられていない”と推せないし瞬間的な反発力が得られない。

 

 最後の3分くらいはフルマラソン中の補給の仕方の話だったが、このくらい走るにはいかにエネルギー補給をするのか・・・エネルギー切れ、というのがとても恐ろしいというのが分かる。エネルギー切れ、というのを普段の生活ではなかなか経験しないけれども、そんなことになったら、地面を推すやら反発力(これも張力・・・)どころの話ではなくなる。丹田がすっからかん、腹がスカスカで力がなくなったら・・・とぼとぼ歩くのが精一杯。

 太極拳の老師たちが絶対にやらなさそうなフルマラソン・・・師父は先天の気を傷つける可能性が高いと言って私には絶対やらないように、と言いました。マラソン系はそもそも好きじゃないのでそんな心配はないのだけど。

 

 話を戻すと、上の動画のエクササイズは試してみる価値ありです。

 その他の動画も非常に参考になるものがあります。
 説明が理論的な上、しゃべりが芸人なみに滑らか〜 聞いてて楽しい♪

 

2020/11/9 <六封四閉 チャンスーを使って気の流れ掴む>

 

  生徒さんが、套路の中で”キマらない”箇所がある、と言って例に出してくれたのが第四式の六封四閉。

 六封四閉は、腰を落として右から左に大きなリュー、そして左上から右下への斜めの按(アン)、この2つの動作でできている。

 混元太極拳はある意味親切心から、その他の動作をいろいろ付け加えているが、余分なものを取れば、この式はたった二つの動作に過ぎない。

 大リューと斜め下へのアン。

 この最後のアンが定式になるが、この決めポーズがキマらないという。

 

 多くの場合、原因はその前の動作に遡る。

 なぜ馮老師が混元太極拳に多くの余分な円を描く動作=丹田を回す動作を付け加えたのか・・・

 これがその後の動作が”キマる”鍵、あるいは、ヒントになっている。

 

 その直前の丹田の回転がどうその次の動作に結びついていくのかはチャンスーを誇張してかけると分かりやすい。

 ということで、内輪向けのラフな短い動画を撮りました(中途半端なマスクの装着姿なのはそのせい・・・)

 もしかしたらブログの読者の方でも参考にできるかもしれないかも?と思ったのでここに載せておきます。

 その他の式も気の流れの視点から分析してみると面白そう。

 

 

2020/11/7 

 

  今日のzoomレッスンでは、ツボを使って腹圧を上げるというバレエ整体の本に載っていたエクササイズを皆に試してもらって、その後、チャンスーで同様のツボが引っ掛けられることを確認してもらおうと試みた。

 これがうまくいけば、チャンスーは腹圧を上げるものであることである一方で、チャンスーは腹圧が上がらないとチャンスーにならない、ということが分かる。

 結局、チャンスーと腹圧がツボ(経穴)を媒介に繋がる という話。

 

 現時点で私が感じる(気づく)のは、「丹田を作る」というのは腹圧を上げていくタネ(厳格に言えば、”タネ気”を植える場所)を作るに等しく、そのタネ気を練って拡げていくことで丹田の範囲が広がり、次第に腹圧が上がってくる。それが上は鳩尾、下は骨盤底筋まで広がれば、理想的な腹圧となる。腹圧が高く腹の中が風船のように膨らんでいれば各々の内臓どうしの隙間があり、臓器は十分なスペースを持って機能できる。子供の時は先天の気によって腹の中がパンと張っているが、加齢とともに先天の気は減り何もしなければ腹の中の圧力は減っていく。これを後天の気を使って意識的に補充していくのが太極拳の内功だ。丹田を作って気を練り拡げていくことにより腹圧は増していく。丹田と腹圧にはそんな関係がある。

 

 普通、太極拳で腹圧という言葉は使わない。丹田、気の量を多くする、腹が風船のように膨らむ、身体がポン(膨らむ)する、そんな表現だ。が、もし、それらの伝統的な表現が曖昧で理解不可能な場合は、最近流行りの”腹圧”という観点から分析をするのも役立つかもしれない・・・

 

 そんな風に思って腹圧を上げる方法を今日試してみたけれど、実際に生徒さん達がどの程度感覚を得られたかはよくわからない。いまいち感覚をとれませんでした、と正直に言ってくれた生徒さんもいた。

 考えてみたら、まだ横隔膜呼吸(丹田呼吸)ができない人に対し、「あるツボ(たとえば鳩尾)を指で押さえて息を吐き咳を数回して、その部分が硬くなったのをを維持しながら深呼吸し続ける(そうすれば横隔膜呼吸になる)」とやってもらっても、”その部分が硬くなった状態を維持しながら深呼吸し続ける”、ということができる人は何割くらいいるだろう?

 もしすんなり指示通りできるなら、その人はすでに丹田呼吸ができていたか、できる直前の段階にいただろう。まだ丹田呼吸に入る段階から程遠い人がやっても、横隔膜を起動させられずむせて頭に向かって気が上ってしまう(踏ん張って顔が赤くなるふう)。そうなったら心臓や脳の血管に非常に悪い影響を及ぼしてしかねない。

 

 ということで、外から借りてきた解剖学的な見地からのメソッドは少し試して役に立つなら参考にして、効かないなら捨てて、逆になぜ効かないのかを分析してその前段階の練習(結局は基礎!)に戻る、ということをしなければならないことを確認したのでした。これは私、教える側の反省点。グループレッスンの限界もある・・・処方箋は個別でしかあり得ない。

 

 ともあれ、チャンスーで腹圧を上げる、上がることが確認できれば目的達成なので、最初の腹圧を上げるエクササイズは忘れてもOK。ただ、横隔膜の鳩尾、腹横筋の章門、骨盤底筋に効く関元などのツボを手で押さえながらチャンスーをするとツボを引っ掛ける感覚が取りやすいのは事実。

 手で押さえる、といっても、本当に押さえてしまうのではなく、医者が触診をするように、手指でツボの感覚を察知するように触れておく。これは推手の要領でもあるし、太極拳のとても重要な要領(粘连粘随)に繋がる話。ピタッとくっつく感・・・ピアノを弾く時の指先端、バスケ選手の手がボールに吸い付いたようになっている感じ、・・・触り方、いや、そのように触れられるか・・・気が手から出るのか気を手で吸うのか・・・この話題もとても面白い。が、こんな”手”を作るにも前提として腹圧が必要。

  

 最後に、誤解のないように書くと、腹圧が高くないと太極拳ができないのではなくて、太極拳を正しく練習していけば自然に腹圧は増していく。

 たまに、巷で見かける腹圧とか体幹の強度のチェックをしてみると、練習がどのくらい進んでいるのか、どの部分がまだ弱いのか等が確認でき、練習を見直すことができます。(自学でなければそのあたりは指導者が導くべきところですが。)

 

  次回のzoomグループレッスンはもう1つ前に遡った基本的な大事な練習、”下に抜く”練習をしてみるとよいかなぁ。円裆がなぜ必要になるのか、が分かるような。(円裆ができないと骨盤底筋が十分に起動しないから腹圧が高まらない)

 

 

2020/11/6 <zoomによるグループレッスンのお知らせ>

  

 明日11/7(土)の17時(日本時間)よりzoomで内輪のグループレッスンをします。

 チャンスーで様々なツボを引っ掛けていくことを試みながら、最終的には、腕や脚にチャンスーをかけるには胴体の様々なツボを引っ掛ける(=胴体にチャンスーをかけていく)必要のあることが理解できるようになる、というのが目標です。

 チャンスーで腹圧が増す、いや、腹圧を増さないとチャンスーがかからない、のも分かればよいかな、と。

 今回はブログの読者の方も参加可能にしています(参加料は無料)。

 参加希望の方は簡単な自己紹介を添えて日本時間の7日15時までに連絡を下さい→お問い合わせ

 

2020/11/5 <二種類のチャンスー(纏糸)>

 

  11/1にチャンスーで全身を絡める要領についての動画を撮った後、チャンスーには大きく分けて二種類、基本は内旋と外旋、それしかない、ということまで説明しなかったことに気づきました。

 今日は快晴で人が溢れる公園の中で(ロックダウン中なのに)、そのあたりを説明できないかなぁ、と動画を撮りました。

 その1を撮った後でやはりうまく説明できない、とまた撮り直したりしましたが、やはり伝えたいことを全て収めるのは無理・・・その辺りを汲み取ってもらうしかない・・・何か少しでも参考になることがあれば撮った甲斐あり。

 楊式は陳式の発展形だからチャンスーを経た方が楊式のスタイルをさらに深く理解できるだろうに、と私は常々思っています。絵でも書道でも文章でも、シンプルなものはとても高度な技術と完成が必要。饒舌で複雑なものを削ぎ落として大きな幹だけズドンと通してシンプルになる。陳式のチャンスーを経て、そしてチャンスーを捨てる。すると楊式のようになる。実際、馮老師も若い頃はチャンスーで絞ったような動きだったのが、歳とって大らかな開いたスタイルになっている。

 

 ともあれ、チャンスーを使うと経をつないで勁を感じることが容易になります。

 

2020/11/3  <腹圧を高めるために必要なもの>

 

  (この日のイントロ部分が編集時に飛んでしまいました。書いた内容を復元できない・・・

  ある生徒さんのビデオレッスンをした時に、うまくタントウ功をしているのだけれども、下丹田まで気が溜まらないうちに身体を前に寄せようとしてうまくいかない、ということに気づいたのがこの日のメモを書いた理由。

 なぜ下丹田まで気を溜めなければならないのか、なぜ股関節を緩めなければならないのか、なぜ股関節を緩めた時に中丹田の気が逃げないように注意しなければならないのか、それが肋骨、二の腕と関係する理由、そのあたりについて「腹圧」という観点から説明したかった。

 「腹圧(IAP)」については様々なブログで説明されているので調べてみるとよいと思う。

 私は、リハピラティス協会のサイトの説明が簡潔で分かりやすかったので参照しました。

 下の図は上のサイトに載っていたものに筋肉の名称の日本語訳と中丹田下丹田の位置を書き込んだもの。

 「腹横筋」に注目!

  

 

 腹圧とは、上下は横隔膜と骨盤底筋、横は腹横筋、後ろは多裂筋、(前は腹直筋、腹斜筋)で囲まれた空間の圧力だが、それを高めるには、股関節(大腿骨骨頭)の位置より下まで気を溜めなければならないのが分かる。中丹田に溜めただけでは骨盤底筋に届かない。股関節を緩め、腰椎から仙骨へと気を落としていく必要がある。(だから上で腹横筋がよく使われる感覚が中丹田より下まで息を吐き込んだ時だったのだ・・・)(なお、これらを確認するには、時折手で自分の仙骨や股関節部分を触って位置を確認するのをおすすめします。(頭の)感覚だけでやっていると誤解する可能性が大ありです。)

 

 そして下丹田の方まで気を膨らませていく)時は、中丹田の気を失わないように気を付けなけれ亜ならない。中丹田の気を失えば横隔膜の蓋が機能しない。もし中丹田から下丹田に気を落として中丹田の気が減ってしまったら、下丹田から中丹田に気を補充していく必要がある。

 最後の出来上がり図は上の図の通り。上は横隔膜、下は骨盤底筋まで。この上下を収縮・引っ張り合いさせる(ことでつりあう)。

 

 今日の生徒さんには椅子に座った状態で 前鋸筋・広背筋に連動させた二の腕をゾウの耳のように動かし呼吸と共に身体をポンプにして息をお尻(骨盤底筋)まで届くかどうか試してみた。股関節まで息が届くと、床に置いた足裏が突然床を踏めるようになるのが面白いところだ。

 

 股関節、骨盤底筋まで息が届くとどんな感じがするのか、それは立位よりも座位の方が分かりやすい。足と股関節の連動が分かると、下丹田の重要性が再認識される。

 

 また、中丹田と下丹田を1つにするには、肋骨が下がらないように最初のうちは腕で肋骨を引き上げておくことが必要になるようだ。(頂勁を失わなければ肋骨も落ちないのだが、頂勁がはっきりするのはかなり上の段階。)二の腕や肘と胴体の繋がりがしっかりしていないと腹圧が逃げてしまう。

 二の腕・肘が胴体に繋がっていない、というのは、言い換えれば、肩の位置、姿勢が正しくない、ということに他ならない。姿勢が正しくないと腹圧が高まらない→以下のようなブログがあります。参照して下さい。

https://mizushima-seikotuin.com/nekoze-mechanism/

https://ameblo.jp/izumi-houmonkango/entry-12599828547.html

 

 ん?

 姿勢が正しくないと腹圧が高まらない、と言うけれど、腹圧が高まらないと姿勢が正しくならない、とも言えたりするのでは?

 外形→中身 or 中身→外形? いや、外形⇆中身 だろう。

 どちらからも練習できるとも言えるし、どちら向きにも練習する必要がある、と言えそうだ。

 

 

2020/11/2 <脚の力を抜くということの意味 溜める(順)と発する(逆)>

 

  先日、套路の時に手が冷たくなるのは何故か?という質問に対して考えられる原因を書いたが(10/26のメモ)、その後質問をしてきた人から、「ラジオ体操のようにやった時はそうでもないのに、うまく動けたと思った時に手が冷たくなる」という追加情報をもらった。

 

 それから考えられるのは2つのパターン。

 1つ目は、ラジオ体操のような身体の使い方からただ上半身だけを脱力をして動いたというケース。

 両手、両腕だけ力を抜いてひらひら、ゆらゆらと動かした場合、手を団扇のようにつかっている両手は風を浴びて冷たくなる。さらに胴体の力を意識的に緩めて、けれども脚の力まで抜けていない場合は丹田が機能しないのでしばし手は冷たくなる。

 

 <脚の力を抜く、についての補足説明>

「脚の力を抜いて下さい」と言ったら、「脚の力を抜いたら立てない」と言った生徒さんが過去にいたが、上半身の力が抜けるようになると、死体のように重くなった上半身が下半身に乗っかっってくるから下半身はそれまで以上に重くなる。今まで片足立ちはなんてことなかったのに、なぜ急にやりにくくなってしまったのだろう? と思ったことがあったが、その時師父は、「上半身の力が抜けてきた証拠だ」、と褒めてくれたと同時に、「これからは下半身の力も抜く練習をするように」と指示をくれた。脚の力なんて抜けるの?抜いていいのか? なんて頭をよぎったかもしれないが、その後のタントウ功の時は脚が重くなってきたらどうやって脚を軽くするか試行錯誤しながら立った。結局、会陰を引き上げたり、土踏まずを上げれば脚は軽くなる。上半身の重さが股関節や胯のアーチで分散されて両足に落ちていくような感じになる。

 脚の力を抜くというのは、脚を軽くする、脚を機敏に動かせるようにするということで運動には不可欠の要素だが、そのためには、会陰を上げる・土踏まずを上げることが不可欠になる。

 上半身の力を抜いて腹まで気を落としてきたところで、会陰を引き上げ↓と↑を合体させることで気の集まる場所=丹田が形成される。

 

 2つ目のケース。

 質問者が、”うまく動けたと思った時に手が冷たくなる”と言うその”うまく動けた時”というのが、”丹田をうまく使えたと感じた時”だとした場合。

 この時に考えられるのは、松によって丹田に全身の気が戻る力が働き、それに比べて、丹田から末端に発する力が弱かったということ。

 太極拳の中には小架式など動作を小さく行うスタイルもあるが、動きをこじんまりをやる方が丹田で気を引き込む感覚を強く得ることができる。丹田集中型だ。

 冬など寒い時は套路の動作もこじんまりさせて丹田で熱を作り出しやすくする。反対に夏は動作を大きくさせて発散させる。

 丹田に気を引き込むのを重視する時は手が多少冷えることもあるのかもしれない。凍えるほど冷たくて異常を感じるのなら指導者に見てもらってアドバイスを受けるべきだと思うが、それほどでなければ気に病むことはない。(太極拳の練習では練習過程で痛みが出ることもあるのだが、それが痛めて痛いのか、開いて痛いのか(進歩の証拠)、最初の頃はその区別が自分ではできないので指導者に見てもらう必要があったりする。)

 

 ただ、丹田に気を引き込む練習を一時期やったら、やはり、発散の練習もすべきだ。

 血管で例えていえば、静脈だけでなく、動脈の流れも大事。

 静脈(末端→中心)のような気の流れが、合、順。

 動脈(中心→末端)のような気の流れが、開、逆。

 

 中心から末端への気の流れを練習するなら、拍手功や発勁がおすすめ。発勁で声を出せばなおいい。

 エネルギーは出して溜める、溜めて出す。

 思いっきり出すことで新鮮な気が取り入れられる。

 

 一路(24式 48式)は溜めて循環。

 二路(炮捶)は発散。

 ・・・日本を出る前に生徒さんたちに46式(炮捶)を教えてくればよかった。コロナで発散の重要性が更に高まっていると思うので。

 

2020/11/1

 

  昨日のzoomレッスンの後、参加した生徒さんから「足を踏んで張力で上に上がる感覚が分かった。」とか「全身を巻き込む感じが分かった。」という感想をもらった。「全身のチャンスーは効きました!」という声もあったが、チャンスーは”効いた”感があって手応えがあるので、ただ気を通すよりも、できたかできてないかが自分でも分かりやすい。

 その後参加できなかった生徒さんから残念だったというメッセージも届いたので、昨日のレッスンを思い出しながらざっと動画を撮りました。

 ロックダウンとは言っても公園はジョギングや運動をする人で賑わっていた(苦笑)

 

 動画を2つに分けました。

 前半①は、全身をつなぐチャンスー功(单臂螺旋缠丝)の形の説明。

 後半②では、チャンスーを効かせるために必要になる内側の要領を収功を使って説明しようとしましたが、これはかなり難しかった・・・見て頭で理解しようとしても無理なので、是非一度は画面を見ながら真似してやってみて下さい。(それでも全く分からなかったらスルーして下さい。)

 

 

 

 後半の内容は結局のところどうやって丹田に気を溜めるか、という練習過程の説明にもなっている。本来はタントウ功を積み重ねて自然に会得していくものだろうが、呼吸を意識して収功を行うことで丹田に気を溜める要領を会得することは可能だ。要領を掴んだら、あとはそのままタントウ功で持続させ、丹田の気の量を増やす。(溜め方が分かってもそれを使って溜めなければ同じチャンスーでも強さ、馬力がでない。そのうちチャンスーをかけ続けるスタミナも必要になってくる。)

 最後は丹田に集約。

 单臂螺旋缠丝は上→下、下→上の二種類あるが、紹介したものは上→下で全身が引っかけやすいと思う。(上→下は雀地龙、下→上は金鸡独立ではそのまま使われている。注意すればその他いろいろな箇所で使われているのに気づく)

 

 下は馮老師のチャンスー功の動画の一部(https://youtu.be/IQKjQGyYNbI)

2020/10/31 <チャンスーから逆算したら収功を見直すことになった>

 

 今日は久しぶりにzoomでグループレッスンをした。

 チャンスーで全身が繋がる感覚を少しでも味わせられないか、そこまで導くのが目標。

 集まってくれた生徒さん達の中には、日本で直接教えていた人達だけでなく、ビデオレッスンのみで教えている生徒さんも混ざっている。全くの初心者はいないけれども、レベルは様々だ。

 

 チャンスーがかかっている感覚を得られるには、前提として何が必要なのか? 

 

 

 

 まず全員にこの前の二の腕の動画①で二の腕と胴体を繋げる方法として紹介したチャンスーの動作をやってみてもらった。

 練習歴が長い人はなんとなく腕のチャンスーが胴体に絡んでいるが、練習歴の短い人は、ただの腕の回転運動になっていてスカスカになっている。

 

 ここからどうやって(胴体に絡む)チャンスーに持っていくのか?

 

 そこでチャンスーがスカスカの一人の生徒さんをターゲットにし、彼女の動きをよく見て、そこから逆算してみる。

 

 

   足裏の踏む力が全く使えていない・・・これではチャンスーはかかるはずがない。

 まずは足裏まで気を落とさせなければならない。

 

 そこで、動きをただの収功の動作(降気洗臓功の簡略版)に切り替えてやってもらうことにした。。

 収功は丹田に気を戻すための動作だが、その中には足に気を下ろす動作が含まれている。(丹田に気を戻すためには足裏まで気を下ろすことが前提条件となる。なぜ? 収功の動作の中にその回答が含まれているはず。)

   

第一段階。手を上から下に降ろす時に息を吐いて足裏まで気を届かせる。

何度も繰り返し、膝を通り越し、足首を通り越し、やっと”足”が現れて、

そして足裏が床にピタッと貼り付いたようになったら収功の第一段階が終了だ。

 

次に第二段階に進む。

今度は収功の動作の、吸気で手を下から上に上げる動作に意識を向けさせる。

 意識すべきなのは、呼気で足裏まで気を降ろしそれが反転して吸気に変わった瞬間。この時に息が吸気に変わっても足裏は引き続き地面を推し続けなければいけない。鼻は吸っているのに足裏は吐いているような、そんな感覚だ。両手が上がり膝が伸び身体が伸びていっても、ずっと足裏は床を推し続ける、ということだ。

 

 手が上がり身体が上に伸びていくのに伴い足が地面から離れていくのではなく、

 手が上がり身体が上に伸びていくのに伴い、全身が伸びをするように突っ張って足が地面を踏んでいくようにする。

 これはまさに”張力”を効かせるということに他ならない。

 

 この全身の上下の引っ張りあいの感覚が取れれば、この収功の動作を上のチャンスーの動作に戻していけば大まかな全身のチャンスーの感覚は取れるはず。

 

 が、実際に今日の生徒さん達の動きを見て気づいたのは、上の収功の第二段階の脚の突っ張りが皆不十分で、そのままだとチャンスー(のようなもの)がゆる〜く身体の一部分にしかかからないということ。(上の猫の収功のような感じではまだまだ不十分・・・娘がお遊びで作ってくれた画像 苦笑)

 zoomレッスンでは、皆に、いきなりジャンプ、の練習をさせたりしました。

 ジャンプは第二路(混元太極拳だと46式)ではとても大事になるし、第一路はそのための準備になっているのだが、ジャンプは結局、どれだけ脚が地面に向けて突っ張れるか、”蹴る”というのは突っ張ることに他ならない。そういえば、天突き体操というのがあるが、両足で地面を突っ張って踏んで両手が天井を突っ張って支えている、というように、自分が天と地の突っ張りになるようなものだ。この時、丹田が消えると突っ張りがなくなってしまう、というのは、張力の科学的な定義からも導かれそうだが、そのあたりはまた次の機会に。

 

 天突き体操は刑務所でやられている体操だそうで、ホリエモンがこれで痩せた、なんていう記事もあるが。動画検索して見てみたら、ほとんどは膝の屈伸運動になっているようだ。下の右側の動画の白いジャンパーの男性は突っ張り感ありそうな感じ(はっきりは分からないけれど)。

 

 最後に馮老師の動画の一部を載せておきます。(https://youtu.be/KSbx2eM-TnA)

 ねばさ、チャンスー、突っ張り・・・そのベースに丹田あり。

2020/10/28

 

  明日からとうとうロックダウンになってしまった。

 当たり前といえば当たり前、第一回目の春のロックダウンが終わった後、バカンスなど何やらなどと次第にコロナは消えた?みたいな生活をしていたのだから。日本のような”自粛”という言葉は意味をもたない。国が法律で罰則まで設ける必要がある。

 今日は最後の日、ということで、夕方の繁華街の人混みはものすごかった。車の渋滞もひどかったけど、一番長い行列があったのはおもちゃ屋だったことに驚いた。レストランも人で溢れて、引っ付き合って盛り上がっていた。最後の晩餐、みたいな悲壮感はなくて、わいわいガヤガヤ、なんだか楽しそう。このまま深夜に花火が打ち上げられそうな勢い。

 もし日本で明日からロックダウン、ということになったら、きっと「明日からどうするか?」という話で今日一日が終わってしまいそうだけど、こちらでは「どうやって今日一日を楽しみ尽くすか?」で皆忙しかったのでした・・・。

 

 さて師父との(最後の)練習は剣の第35式左右托千斤までの復習。

 私がいちいち、この動作は何をしてるのか? 何でこんな名前なのか? 何でここで一歩下がるのか?、とか聞いてしまうから思ったほど早くは進まない。けれど、歳をとったせいか、ただ丸暗記ができなくなっている。いちいち頭の中で意味づけが必要になる。拳の経験からも、套路には余計な動作がないことを知っているからなおさら意味が分からない動きが気になってしまう。

 剣は刀と違って中心軸を細くとる必要がある。仁王立ちになって真正面に向いてしまったら簡単に相手に斬られてしまう。両足を交差する動作が多いのもそのため。バレエでいうなら5番ポジション。軸を通すという意味ではもっとも合理的な立ち方(歩法)だと思うが、ただ丹田に中心を集めるよりも難易度は高くなる。左右の足の置き場と向き、それによって身体の使い方が大きく変わる。

 そこから思うのは、真っ直ぐ立った時に既に足が外向き(外八字)や内向き(内八字)になっていたりしたら中心軸を通すのはかなり難しくなるのではないかということ。脚が真っ直ぐではないのは生まれつき、と放っておかないで、歯の矯正と同じようにすべきなのか?

 

 

なんと、中国のサイトを見たら幼児用の矯正グッズが売られていた(苦笑)

チャンスーになってる♪

後ろ姿も見せてほしい・・・

 

日本のサイトで出てくるのはもっぱらインソール。が、インソールではガニ股や内股の根本的な解決は難しいだろう。

肋骨・腹から調整していく必要がある・・私自身、こちらに来てそのあたりを意識的に練習することで脚の形がかなり変わって来たことに鑑みると、6−10歳でなくてもまだ矯正は可能だろう。

というよりも、正しく太極拳をやろうとすれば、正しい身体になるはず。(そういうものだと私は信じている。)

 

 これから1ヶ月は一人練習で時間に余裕もできるので、いろいろ試そうと思っています。

 zoomで無料公開レッスンをやってみても面白いかもしれない。興味のある人がいたらお問い合わせから連絡をください。

2020/10/26

 

  「始める前は冷たくありませんが、とうろを終えた後手だけが凍えるくらい冷たくなる時があります。体を動かした後なのに冷えるのはどうしてでしょうか?」

 

 そんな質問をもらいました。

 私も似たような経験がある・・・と言っても、それは気温が零下での練習の話。

 ただ、原理は同じ? と、思い起こしながら書いてみることにします。

 

 東京の冬の練習はからっ風が厳しいものの気温が高めなので外での練習は夏よりずっと楽だ。冬の練習の醍醐味は、凍えないように気を溜め、かつ、それを漏らさないように動くことを知れることだが、そんな練習ができるのは5度以下、0度あたりだ。

 10数年前にパリで練習していた時は、冬の気温が大体2、3度〜零下2、3度のことが多く、しかも雨が降っていたりしてかなり寒かった。タントウ功をすると気が溜まって身体が暖かくなるのだが、袖から出た手はどうしても凍えてしまうのが辛かった。風が吹くと手が痛くて耐えられない、ということもあった。が、そのうちそれにも慣れ(袖の長いジャンパーを着て少し手を袖の中に隠したりする技も使ったが)、タントウ功なら零下8度までなら耐えられることを経験した後、次に問題になったのは、タントウ功で暖まった身体で動功を始めるとみるみるうちに身体が冷えていくことだった。

 

 2006年に始まったパリでの師父との練習の1年目の冬の課題は、タントウ功で手を凍えさせないこと、そして2年目の冬の課題はその後の動功で寒くならないこと、だった。そして3年目の冬の課題は套路で手が凍えないこと、そう進んでいった。

 

 なぜそうなるのか、当時師父に質問をしたことがある。

 それを今、整理しながら書くと次のようになる。

 

 まず、タントウ功で気を丹田に溜めると、自分の中心に熱が作り出される。発電機なのか発熱機なのか、そんなものが丹田なのだと分かるのが冬の練習。(夏では身体が開いて熱が外に逃げるので丹田で発熱している感覚はそれほどない。)

 ただ、タントウ功で気を丹田に集めようとすると、身体の末端の気が中心に引き戻されるので、一時的に手が冷えてしまったりする。すぐに丹田からの熱が手の末端まで送り届けられれば良いのだが、そもそも中心の気の量が少なかったり、途中の通路に障害があったりするとなかなか手まで届かず手が凍える経験をする。しかも、手が外気に晒されていると手の熱は始終失われ続けているから、それに見合った量の気が中心から補充されない限り、手が暖かくはならないことになる。

 

 タントウ功で丹田にある程度の気を溜められるようになり、それをある程度末端までコンスタントに送り届けられるようになった後、第2年目で動功時の寒さが問題になった点について。

 身体が動き始めると、筋肉で熱を作り出し始める。

 が、それと同時に、動いた分、体内の(丹田の)エネルギーが失われる。

  

 動功の場合は、運動量自体は大きくないので、筋肉で作られる熱は多くない。

 しかし、動いてはいるから、体内のエネルギー(気)は消費されていく。

 こうして、全体として、失われたエネルギー(熱)の方が多ければ身体は冷えていく。

 ここで学ばなければならないのは、動功をしながら、せっせと丹田に気を溜めて発熱させること。もしラジオ体操のように筋肉体操をしてしまったら、相当元気よく号令でもかけて発憤させて動かない限り零下の環境で身体を暖かくはできないだろう。

 動功でゆっくり動いて(エネルギーを消費しながら)、同時に丹田で気を練って発熱させ続ける。丹田で発熱させられる量が増えれば増えるほど身体は暖かくなる。

 

 そして最後に問題になった套路の時の手の冷え。

 套路は動功に比べて動きがダイナミックなので筋肉による発熱量が増える。特に下半身には全身の筋肉の7割があると言われる(どこから下半身?腰以下?という疑問は残るのだが)、下半身を動かすと発熱量が多くなる(寒い日に走ると暖かくなる、静止して上半身だけを動かしてなかなか暖かくならない)。 

 ただ、套路は動功以上に動くので消費される体内のエネルギー(丹田の気)も多くなる。しかも気温の低い時は外に奪われる熱も多くなる。

 第3年目の冬、零下8度の中で練習をした時は、タントウ功では鳩のように丸く膨らむことで熱を作り出し、動功ではその熱(気)を漏らさないように丸くなったまま動き熱を保てたものの、套路になったら身体が開いて熱が逃げ、24式を一度やり終えたら手は凍え寒くなってしまった。その後48式を続けてやり、運動量が増えて筋肉発熱が増えたせいか身体は暖まったが、手は凍えてジャンパーのジッパーを握ることができなかったのを覚えている。

 当時はまだ套路をしながら丹田で気を錬ることができなかった頃。

 套路はもっぱら筋肉発熱に頼っていたと思う。

 もう1度か2度、套路を繰り返せば、筋肉発熱の発熱量で手までカバーできたかもしれない。(できたはずだと師父は言っていた)ただ、もう疲れてしまって(零下8度の中で既に3時間近くいた)もう1度套路を繰り返して暖かくなるよりも、早く家に帰って熱いお風呂に浸かりたかった・・・

 

 筋肉発熱で手先まで暖かくするには、下半身の大きな筋肉による発熱が手に届くまで運動量を増やす必要がある。手を動かせば動かすほど手先から熱は漏れていく。それを上回る以上の熱の算出と伝達が必要になるが、そのために失われる中心のエネルギー量はとても多くなる。状況によっては手先まで暖かくなる前に中心のエネルギーが枯渇してしまうこともある。

 そうは言っても、スパルタな先生なら、まだ手が冷たいのか、じゃあ、もう一回! とさらに套路をさせたり、走らせたりして運動量を増やすかもしれない。先天の気がまだ多い若者ならその手も使えるが、年配の人にその手は使えない。

 

 これに対し、丹田で発熱させながら動くというのは、末端(手先足先)から中心(丹田)に気を引き戻し(これを合という:順纏でやる)、丹田で呼吸を使って発熱させ(気を煉る)、それをまた末端に送り返す(これを開、逆纏を使う)、この繰り返しで動くことだ。こうすると、手先から外に漏れる気が最小限になり、かつ、中心から呼吸に乗って確実に末端(手先足先)に気が運ばれる。

 太極拳の套路はこれができるように作られている。開合の繰り返しだ。

 

 最初の質問に戻ると、考えられるのは、①運動量、特に下半身の運動量が足りない。②丹田で気を煉ながら動けていない(丹田を使わずに動いている)、③丹田から手先までのルートが開通していない、ということ。

 そして②に関連して、④開合ができていない、⑤呼吸の強さが足りない(か、呼吸と無関係に動いている)ということも考えられる。

 ①はしっかりと重心移動をすること。腰を膨らませて、足裏まで気を下ろすこと。

 ②については、丹田に気を溜められるようになったら、次の段階として動功で気を錬る練習をしてそれを套路に活かしていくことが必要だ。以前紹介した内功はそのような気を錬る練習をしている(開合や呼吸が大事になのがやってみると分かると思います)。

 気を溜めるのはもっぱら静功(タントウ功や座禅)でやります。

 ③については拍手功がおすすめです。

  特に手足の冷えが気になる人はやるべき。

  動画を撮ったことがあったかなかったか忘れましたが、近いうちに撮ります(明後日からロックダウンとの報道がさっきあったので、そうすれば動画撮る時間ができそう・・・)

 

 以上、自分の経験からはそんな回答になりました。

 

 

2020/10/23 <眼で頭を回す 首と胸椎の連結>

 

   胸椎から首を立てる要領は眼法を使って首を動かしてみると分かりやすい。

 

 太極拳の眼法には、『左顾右盼』というのがある。

   顾も盼も”見る”という意味だが、左を見て右を見て、警戒態勢を保つような状態を指している。

 そんな両側に注意を怠らないような眼・・・そんな眼をイメージ。

 

 左、右、ん? 左に怪しい影が・・・なんだ?

 と、さっと咄嗟にそちらに向いて対峙する。

 

 套路の中には顔の向きを変えて方向転換をするそんな場面が数多くある。

 最初の方なら、第2式金鸡独立、第5式单鞭。

 それまで正面なり右前を向いていた顔を、急に左に向ける。

 この時の顔の向け方が問題。

 

 やってはいけないのは、顔や頭をそのまま左に向けてしまうこと。

 顔や頭、首から回すと首でねじれて顎が上がるだけでなく、首から下が繋がらなくなってしまう。

 まずは目を左に向け、それから頭を回す。

 眼で頭を回し、それから手や身体を引っ張ってくる。

 

 眼をしっかり左に寄せて左方向を見てから頭を回すと首が胸あたりまで繋がるのが分かるはずだ。姿勢も良くなる。

 

  しっかり眼から動かす!

  

  太極拳の眼法では、目が全てを先導することを学ぶ。実践であれば当たり前のことでも、套路の一人練習では忘れがちになる点だ。

  

  卓球でもテニスでも、目標とするところに球を打つ時は、まずそちらに目線を定めて、それから打つ必要がある。バスケやサッカーのシュートでもそうだし、弓道やアーチェリーはまさにそれを使っている。

 

 眼の位置は頚椎のてっぺんにあるから、眼から動かすことで頚椎が上先端から回旋しまっすぐ胸椎へと繋がりやすくなる。眼を意識せずに頭から回すと頚椎2番3番4番という途中から回旋し回旋が胸椎まで連動しなくなる。

  

  左90度に頭を回す時に、上の図の上段のように”頭を回す”のと、下段のように”眼から回す”のと2つを試してみるのがお勧め。”眼から回す”、”眼で頭を回す”には、まず顔の向きはそのままで両目だけ左に向けてしっかり焦点が定まったら、眼が頭を引っ張るようにゆ〜っくりと顔を左に向けていく。首筋がぐぐっと回転しながら伸びて胸近くまでつながれば成功。

  

 これは何も太極拳に限った話ではなく、日常生活上でもそうやって眼を使わなければならない、ということだ。が、日常生活では、なんて無意識に動いていることだろう! がっかりするほど全く眼を使っていない! 眼から動いていたらそう簡単に視力は落ちないのではないか?

 良く見ていると、子供は眼から動いているが、大人になると、眼でしっかり見ずに感覚的に適当に物を掴んだり、パソコンを打ったり、改札でタッチをしたり・・・眼で最初から最後まで見届けられると全てが意識的な動作になるのだが。太極拳で学んだものを日常生活、24時間に広げて練習していかなきゃならない。頭では分かっているのだけれども・・・また初心に戻る必要ありだなぁ。


2020/10/21 <胸椎から首を立てる>

 

  今日は娘を師父のところに連れて行った。彼女はこちらに留学にやって来てから毎日ものすごい量の課題に追われていてほとんどゆっくり外に出ることもできない。他の国の学生達に遅れを取りたくないと自分で自分にプレッシャーをかけ続けて体調を崩してしまった。

  今日は彼女自らが私と一緒に公園に行ってタントウ功をしたいと言い出した。(彼女は以前に少しやったことがある。瞑想も

 

  せっかくなら師父に直接直してもらおうとお願いした。

 

  横で先生が調整しているのを見ていたが、たまたま撮った連続写真を見たら、見事に胸椎から首を立てる調整をしていることに気づいた。実は含胸が首を立てる鍵になる。

  含胸は胸の気を丹田に沈める(胸椎の下半分が下向きに引き伸ばされたようになる)だけでなく、それによって胸椎上部から頚椎を引き伸ばす作用もある。これはこれまでメモに書いたことはない点。胸椎上部から頚椎の調整はかなり上級者レベル、と思っていたけれども、師父が初心者の娘に行なっていたから一応メモに載せておこうと思う。

 

 上の二枚の写真は左の写真を一部拡大したもの(3枚とも同じ写真)。

 

 

娘のタントウ功の姿勢が大体整った後に首の調整をしている。

  

 

 

 ①で胸を後ろに推すと、頭が垂れて②の部分が盛り上がって来そうになるのを(ここが盛り上がると駝背になる)、師父が掌根で止めている。

 同時に頭が前に垂れそうになるのが、それは次のステップで調整・・

 

 この調整によって胸椎上部が上下に引き伸ばされるのが狙い。

 ただ、娘がそれを感じたかどうかは疑問。

 というのは、ここでキーになるのは、師父が②で首下を前方に押し込むように支えているのにたいし、娘がその部分(胸椎1、2番)を師父の力に逆らって押し返すような力を働かせられるかどうか。(しかも胸椎の背中側からではなく胸側から押すことが必要)

 もしそれができれば、胸椎1、2番から下部の頚椎が引き伸ばされて、胸椎上部から頚椎下部が引っ張り合いになる。

 

 

 

 

そして仕上げ。

 

上の写真で頭が前に垂れて行ったのをおでこを抑えて元に戻している。

 

この時、上の写真の②の手を効かせていることに注意。

この支えがないと、おでこを押さえられたことで娘の首が後ろにカクッと曲がってしまうかもしれない(顎が上がってしまう)。それをさせないように師父の右手が彼女の胸椎1番、2番あたりを押して支えている。

 

 これによって頚椎の上部が伸び、結果として頚椎が胸椎と合体、首が胸椎からすっと立た頭が乗ったようになる。

 胸から首にすると首に負担がかからない。

 首が胸椎から始まるような頭の位置を探す必要がある。

 

 頭の位置を探すには、眼を先に動かして身体をつけていく、という練習をしてみるといいと思うのだが(太極拳で言えば、『手は眼に従う』(目が先、手が後)という眼法)、これについてはまた近いうちに紹介します。

2020/10/20

 

 ある生徒さんから、二の腕を回転させて套路をしたら方向転換の時(第8式から第9式?)に全身がクルッと一斉に回って驚いた、というコメントをもらった。二の腕を回転させると広背筋がもれなくついてくる。腕の回転によって胴体がクルッと一緒に回転する。脚と腰が繋がっていれば全身が”時差なく”一斉に回ることになる。

 

 このような感覚が得られたのはとても良いこと。

 が、いつまでも二の腕ばかりを意識していてはいけない。

 二の腕を意識している、というところで既に丹田への意識が欠けてしまっている。丹田から意識を外してしまうと、次第に全身の繋がりが消えてしまう。最初に得られた魔法のような感覚が消え去ってしまうかもしれない。

 

 そこで私はその生徒さんには、(二の腕が分かったなら)次は太ももを回す練習をしてみるようにアドバイスをした。

 四肢で考えれば二の腕と太ももは本来同じもの。連動して当たり前だ。

 

 外三合では肩と胯、肘と膝、手と足、という大中小の関節のセットで考えるが、まず、肩と胯の合の感覚が正確に得られるようになるのはかなりの高レベル。

 私たちは身体の中心に近づくほど意識をすることが難しくなる。反対に、中心から離れた位置にある部位はよく意識することができる。手や足を意識するのは難しくないが、背骨を意識するのは難しい、というように。

 二の腕が意識できるようになったら、それと太ももを連携させてしまうのが練習方法としては理に適っている。なぜなら、二の腕と太ももの両方を意識することで内視した時の視野が広がるからだ。内側の視野が広がれば、身体の内側の空間が広がる。身体がポンする。丹田が大きくなる。

 

 

 左は以前紹介した馮老師の套路の中の披身捶。

 肩肘手首、胯膝足首、全てが一斉に内旋するのだが、それらを全て同時に注意することはできないので、二の腕、そして太もも、それから、二の腕と太ももを合わせて意識をして動作を行う練習をしてみる。

 

 生徒さんには、同じ披身捶でも、太ももを回そうとした時、膝を回そうとした時、股関節を回そうとした時で、どのような違いがあるのか感じてみるといいと言っておいた。

身体の中心に近いところ、二の腕と太ももで”合”をすると、肘と膝の”合”よりも体幹がしっかりするのでは? 

 

 「合」について言えば、手と足を”合”のようにするのは初心者でも感覚的には可能だが、本当の意味で「合」にさせるには、中心から手足までのラインを内側で思いっきり引き伸ばして置く必要がある(張力をきかせる。ハンマー投げの時のよう?) たるんだ「合」のようなものは「合」ではない。その間に張力がなければ、「合」とは言えない。「合の中に開あり」という言葉はその二点間の張力を示している。

 

 

 

 

 

 もう1つ、面白いのは呼吸。

 二の腕と太ももを合わせようとすると、息は、吐きながら吸っているような感じになる。ただ単純に吐いてしまうと二の腕が落ちてしまう、引っかからなくなりそうだ。呼吸はあまり意識しすぎない方がよいのだが、もしうまく繋がらなかったら、吸気でやってみるとうまくいく可能性が高いと思う。 (ただ前提として横隔膜呼吸ができるようになっていて、吸気で足まで息を通せることが必要だと思う。)

 馮老師の呼吸は吐いていても吸ってる(飲んでいる?)ようでやはり別格。このような呼吸や眼神の使い方のできる老師は現在なかなか見つけられないので、見て雰囲気だけでも覚えておくべきだと思う。呼吸がわかりやすい動画を載せておきます。動画があって本当にありがたい!

 

  

2020/10/18 <二の腕を胴体につなぐ要領の動画>

 

  こちらの師父の生徒さん達を見ていても二の腕をちゃんと使えている人はいないようで、上下相随までもっていくのはなかなか大変なのがわかる。師父にそのことを言うと、「ちゃんと松することができるようになれば、いつか繋がる。」と言う。それは確かに正しいのだろうが、”ちゃんと松”できるようになるのに一体どのくらいの時間が必要だろう? いや、時間が問題というよりも、”松”という雲を掴むような目標一本で練習をしてそこに到達できる人はどのくらいいるだろう? 「空になれ!」と言われてひたすら座禅をして悟りを目指す、そんな類の話だ。

 

 生徒さんがある段階に来たら、次の段階に進むための助言が必要だ。

 「松すれば自ずから通る」と言う師父ではあるが、実際には細かな指示を繰り返してその段階で止まらないようにしてきてくれた。

 確立されたメソッドはないとはいっても大まかな筋はある。

 

 腕と胴体を繋げるのが課題になるのは、腰(胴体)と胯(脚)がおおよそ繋がった後(=中丹田と下丹田が一つになった後)。腰から脚として動かせることがある程度できていることが前提になる。

 

  今日、師父の生徒さんに二の腕と胴体を繋げる要領を教えたついでに、動画を撮ってみました。

  15分ほどの長さになったので2つに分けました。

  前半は、腕を胴体にはめ込むための2つの方法。

  後半は、その腕を套路や推手で活かす例。

  前半の2つの方法を試してもまったく繋がらないとしたら呼吸を整えて腹圧をあげ丹田を作る必要がある。(もしその動作の呼吸の説明が必要なら教えてください。呼吸をもう少し詳しく説明します。)

 

 

  <補足>

 興味本位で、腕が胴体にしっかり入っているかどうか(=二の腕が使えているか、手が腰や足と引っ張り合いになっているか、張力が働いているか)写真で分かるのかどうか見てみた。

 面白いことに気づいた。

 二の腕が使えている人たち(上段)は腰の位置が高くて円裆になる。

 そうでない人たち(下段)は腰の位置が低くなり、上半身の重さで脚に負担がかかっている。裆に力がない(骨盤底筋が緩んでいる感じ)。腕を引っ張っられたら(リューされたら)躱すする)ことができず力づくて抵抗せざるを得ないだろう・・・

 張力という言葉を使うなら、上段は全身の張力が効いている。頭頂と足裏の引っ張り合い→頂勁がある。下段は下向きのペクトルが強くて上向きが少ない→頂勁が得られない(顎が上がるか、首筋を立てて頭を立てている)

 

 結局、たかが二の腕、が、されど二の腕。全身のアライメントが変わってくる。

2020/10/16 <結局は張力か?>

 

   一昨日のメモを読んだ生徒さんが、「突っ張った四肢を見て、今読んでいる本とつながりました。」と右の本を紹介してくれた。

 

  題名がまさに太極拳での身体の使い方。早速アマゾンで試し読みを見てみたら、既に前書きで深く同感。そして目次を見たら、どの章もキーワードだらけ。日本にいたらすぐに本を注文して読んだだろう・・・・(kindle版もあるがやはり紙の本が欲しい!)

 

   そしたらyoutubeにこの方の動画がありました。声を出すことで身体に空間を開け、エネルギーを貫通させる。身体を一つにする方法だ。発勁の時の発声の意義を再検討できそうだ。

 

 

 

 声を出している時と出していない時、どんな違いがあるか写真で分かるかなぁ?

 上の左側の写真は、静止で堪える練習か、このまま腕立て伏せに入る?という風だが、これに対し、右側は、エネルギーが前方へ移動しているように見える。望めばシュナウザーのように足を突っ張って身体を前方へ移動できるだろう。逆に、このような遠吠えをしながら腕立て伏せは不可能なはず(腕を縮めることはできない)。

 

  ところで、以前のメモを整理していたら、今年の8/16のメモで、「内側の気の膨らみ(ポン)には”後ろ足の突っ張り”が必要なのではないか?」と考察していたのに気づいた。

 

 

 内気が増えれば増えるほど後ろ足の突っ張りは大きくなる。

 後ろ足の突っ張りが大きくなればなるほど内気は増える。

 

 ・・・またまたよくある鶏が先か卵が先かの図式なのだが、それは

 後ろ足の突っ張り⇆内気の膨らみ

 と行ったり来たりするわけではなく、この二つを間をぐるぐる周ることにより、1周目よりも2周目、3周目となるごとに、後ろ足の突っ張りも内気の膨らみも拡大していく。

 太極拳は練習の仕方自体が円なのだ。

 

 

 ついでに、本のタイトルにある『張力』について検索をしたら、高校物理で分かりやすく説明しているページがありました。https://wakariyasui.sakura.ne.jp/p/mech/tikara/tyouryoku.html

 張力は引っ張り合い。師父がしょっちゅう言う”对拉”。

 このサイトでは、ロープのいたる箇所で引っ張り合いがなされて、結果としてロープの先端と先端の引っ張り合いの均衡が取られていることが説明されていた。

 なるほど〜

 ロープを背骨に置き換えるなら、全ての脊椎がその隣の脊椎同士と引っ張り合いになる必要がある。一箇所くっついていただけでも均衡が崩れて背骨は動いてしまう(下に動けば虚領頂勁ができないし、上に動けば仙骨や尾骨が使えない)。

 全身で言うなら、頭と足をそのまま引っ張り合いにすることは不可能で、途中の骨と骨の間で引っ張り合いをさせる必要があるということだろう。これが、上で紹介した本の、”関節の隙間を作る”ということに他ならない。

 

 そのうち、本を入手して読んでみたい。

2020/10/14 <足の踏ん張りから上下相随へ なぜ沈肩になってしまうのか?>

 

  10/4のメモでは腕を胴体と繋げる時のポイントとなる二の腕と広背筋、二の腕の回転について書いた。

  生徒さんの中には、二の腕を意識し続けて套路をしたら全身の協調性が高まり、苦手だった方向転換もすんなりできるようになった、という人もいた。

  

  身体を、腕(上肢)、胴体、脚(下肢)、と三つに分けた場合、太極拳の練習では、まず、胴体と脚を繋げる練功をする。

  胴体は中丹田、脚は下丹田が中心だ。(脚は骨盤の股関節ラインから下)

  タントウ功で中丹田と下丹田を合わせて一つの丹田とすることができると胴体と脚はほぼ連結する。言い方を変えれば、腰(胴体)と胯(脚)の連動だ。

  

 胴体と脚(中丹田と下丹田、腰と胯)がある程度繋がったら、次は、胴体と腕(上肢)を繋げる練功をする。

  ここで初めて、”二の腕”の話や、”肘を落とさない”、”身体を薄くする”など、最近書いたトピックがとても大事になってくる。

 

 胴体と脚、胴体と腕、がつながれば、いよいよ、脚→胴体→腕 となり、上下相随、が現れてくる。理想とする周身一家、全身が一つ、一斉に動く、ということの基礎ができる。

 

 先月から子犬を飼いだした。今年3月に逝ってしまった老犬と同じ、シュナウザー。しっかりした体つきと弾丸のような走りっぷりが好きだ。生後2ヶ月半で飼いだしたのだが、1ヶ月経ったら見違えるほど逞しくなって獲物を追いかけるハンターのように家中を駆け巡るようになった。そして小さいながらも、四つ足で踏ん張ったように立つその姿の頼もしいこと!

 

 と、シュナウザーは特に後ろ足の踏ん張りが顕著なことに気づいた。

 ついでに、今フランスで大人気の柴犬も。

 やはり後ろ足が突っ張っている。

  

 後ろ足が突っ張ることによってぐっと胴体が推し上げられ、前足に体重がのる、というような構図だ。結果、後ろ足の力が前足に伝わっている、と見えないだろうか?

 それはまさに太極拳で言う、上下相随、周身一家だ。

 

 

 では、これらの犬の立ち方を見て、それから以前(2017年6月)に載せた下の写真を見てみると?

 

 ん? 後ろ足を蹴って前に進めそうな人は、最後の二人だけ?

 最初の三人はドン!と言っても、前に進めなさそう・・・

 その差は後ろ足が突っ張ることによって上体が前に突っ込み、肩甲骨から指までまっすぐに力が落ちているか否か。

   机のように四肢がついていたら動けない。動物ではなく静物になる。

 

 もう一度下の二枚を見ると、左は肩甲骨から腕になっているのに対し(胴体と腕が一体化している)、右は背中がのっぺらぼうで肩甲骨が腕として使われていない(腕で胴体の力を支えようとして、後ろ足が胴体を前方に進ませようとする力にブレーキをかけてしまっている)のが分かる。

 左は頭のてっぺんまで一体化(全身が弾丸)、右は顎が上がって推進力を止めてしまっている。

 

 そしてハイハイをする赤ちゃん・・・ 上体がぐんと前に伸びて腕が下の方から出ている感じ。

 肩甲骨から腕として使っている→首筋が伸び、沈肩になり、二の腕・肘がしっかり使えている。そして手首から手のひらへ。

 左端の写真の子は足の親指で突っ張ってるかな?

定本 基本の動物デッサン
定本 基本の動物デッサン

 

これはデッサンの本の一部分だが、右下の四つ足の人が立ち上がっていくとどのようになるか考えてみると面白い。

 

 

 

  実際には上で見たように、長方形ではなくて、上体が前に出てくる平行四辺形のはず。

  後ろ足を踏ん張ることによってぐんと身体が前に出る。そうすると肩は沈み、首が長くなる。

  腕のつく位置は普段私たちが考えるよりずっと下だ。

 

 

  後ろ足を踏ん張ったまま立ち上がると、少し前のめり、ムーンウォークのようになりそうだ。

 

  短距離走でもスタートを切った直後は前のめり、次第に直立になって、ゴールする時には胸が開いて身体が反るようになる。

 

 スタートから身体が立ち上がるまでのダッシュの時間が動物のような周身一家になる時。完全に立ち上がると上下相随を維持するのは難しくなる→丹田の力、重さの必要性

 

 足の力を手に届けるには、足の踏み込みで身体を前に進ませる推進力、勢いが必要になる。

 腕と胴体を繋げる時(二の腕を広背筋で動かす時)、その前提として胴体と下肢の一体化が必要というのは、そのような足のつっぱりによる胴体の持ち上げ(直立の場合)が必要になるということに他ならない。胆経をつなげる、身体を薄くして立つ、も同じことを別の角度から言っているに過ぎない。

  にしても、私としては、沈肩が足の踏ん張りからきている、というのが大発見♪(ただ、そのためには前足に体重が落ちる必要あり=腕の重さ、手まで気を通す必要あり 前足がぶらぶらしている直立の私たちにはここは大きな課題かも?)

 

 ・・・と、人間としてスタートを切ってもう長い時間の経ってしまった私たち大人には、直立で四つ足の時の身体の使い方を再現するのはとても難しいのだが、たとえすぐに完璧に再現できずとも、犬のイメージはどこか頭の片隅に置いておくと良いと思う。これが太極拳の時、いや、理想の直立歩行、直立姿勢の基本になっている。

 ここまで書いて、ゆる体操の高岡氏の著書の中の四つ足歩きの練習のポイントもそこにあったことを今思い出しました(やらせてみると机が歩くように四つ足歩きをする人がとても多いのが事実。犬や虎のように四つ足になるには背骨の柔軟性も大事でした)。

2020/10/12

 

   やっと剣を習い始めた。

 刀は前回の滞在(2006-2009)の時に一通り習ったのだが、日本では公園で刀の練習がし辛くてそのまま放っておいてしまった。

 剣は刀よりは小ぶりで、畳むと小さくなる簡易剣もあるようなので、機会があれば習ってみたいと思っていた。興味を持ったのは、方角が拳以上に重要視されているように見える点と、剣を持たない手が常に”剣指”である点。

 

 方角は八卦で表され、太極拳においてもとても重要だが、正直言って私の方角に対する意識はまだまだ低い。馮老師や陳項老師、劉師父が套路をする時の歩法を注意して見ると、足を置く場所が正確で、身体の方角、拳の方角、目はどの方角、とぴったり決まるようになっているのが分かる。

 

『教拳不教步 教步打师傅』

(拳を教えても歩法は教えず 歩法を教えると師父は打たれてしまう)

 そんな言い方があるように実践では歩法が鍵になる。 足運びが悪ければいくら拳や蹴り自体に威力があっても意味がない。

 

 普段の生活では私たちはほとんど前進ばかりだ。後ろに進む(退歩)ことも滅多にないし、ましてや運手(雲手)のような横歩きや回転する機会はない。十字路で道を右に曲がったとしても、感覚的にはずっと前に向いて歩いている。十字路で急に身体を90度くるっと回して方向転換する人はいないだろう・・・ 套路の中では身体はずっと真正面(南)を向いているのではなくて、様々な方角に向いていく。これは敵が、ここにもいる、あそこにもいる、からで、どこに敵がいるかという想定は式ごとに異なっているからで、時には、自分の周りを敵がぐるりと囲んでいるということもある。

 前だけ見るなら二つの目で足りるが、死角になる方角までもを意識しようとすると、気配を察する耳と皮膚が必要になる。起式で南を向いていて、それから東を向いて、それからまた南、そして西、それから北・・と套路の中で身体が向く方向が変わっていく時に、南の感覚を残したまま東、それらを残して西、そして北・・・と方角を加算していけば、套路が終わる時には身体がぐるっと目になるようになるのかもしれない。全身の皮膚が活性化するかもしれない。南から東に向いたらもう南のことを忘れてしまって正面の東だけが自分の世界になってしまったとしたら、結局、ずっと前進しているのに他ならなくなる。それはあたかも携帯のナビに頼って目的地に向かうようなもの。ただ道をひたすら前進していくのはトンネルを進むようなもので、頭の中のセンサーは一方向にしか向いていない。それでは自分の意識が狭められ身体に拡がりが感じられないだろう(エーテル体:気の身体が広がらない)。パソコンやスマホ、読書でさえも、同様の目の使い方だ。そう考えると私たちは本当の意味での”目”を使っていない・・・

 

 まだ剣を少し習っただけだが、既にそんな方角に対する感覚が生まれてきた。

 剣は怖い。刺されたらそれこそ致命傷を負う。常に四方八方に注意しておく必要がある。刀よりも間合いが小さいから機敏に方向転換し続ける必要がある。早速今日も、右足と左足をそれぞれどこに置くのか、進む時にきっちりと45度の線を進むように厳しく教えられ、できないと何度もやり直しさせられた。方角も適当じゃだめ・・・身体が歪んでいるといつのまにか方角もズレてしまっている。

 

 左手の剣指の作用についても面白い実感があるのだが、またこれは次の機会に。

 指をどう使うか(手型)によって身体の使い方が変わるよい例だ。

 立って前屈をする時に両手を拳にしていたら・・・が、剣指にして思いっきり人差し指と中指を伸ばしながら前屈したら背中がぐ〜んと伸びるはず。なんで五本の指をパーで開くとそこまで伸びないのかなぁ?

 

2020/10/9

 

  テニスが凶暴に見えたことに自分でも驚いて、私が若い頃に見たテニスはもっと優雅そうだったけど・・・、もしかしてテニスが変わった?と調べたら、まさにそのようでした。

 テクノロジーの進歩でラケット自体の性能も変わっている。今は高速、高回転(高スピン)が可能でオールラウンドで走り回るプレーヤーでないと勝てないらしい。昔は前に出てボレーとかで点をとることが多かったとか。(http://textview.jp/post/hobby/20696を参照しました。)

 要は、相手の球に”合わせて”いくよりも、パワー対パワーでぶつかっていくようになったから昔のプレーヤーよりも筋肉ムキムキだしとても過酷なスポーツに見えるのかなぁ?と。

 

 ただ、凶暴に見えた一番の原因は、打ち終わった後の怒り露わな表情だったのかもしれない。スポーツがもはや”気晴らし”(ラテン語のdeporte)ではなく”生きるか死ぬか”みたいな戦いになってしまったように映る。

 

 テニスプレーヤーが声を出すことに関して師父に意見を聞いたら、「気を通す作用がある。太極拳と同じだ」ということだったが、腹の気を手足に貫通するように発声しているのか(腹圧をマックスに高めていたのが拡散して多少下がる)、所謂”気合い”のように腹圧を上げるために発声しているのかは選手によって違うのかもしれない。

 

 と、この辺りは、私も初めて疑問として取り上げたばかりの点だから、師父に確認をしてみなければならないが、太極拳でも、まずは”気合い”のように腹圧を高めて発力できるような練習をするが、そのうちさらに丹田がしっかりしてくると、発力の前に丹田を満タンにしておいて(腹圧を上げておいて)打ち出したら丹田の気を手足へと広げて”打ち抜く”ように変わってくる。

 前者では呼気で発力、後者では吸気(っぽい)で発力になっている。

 

 これは何も打撃に限ったことではなくて、例えば、重い段ボール箱を持ち上げる時、「(せーの、)フン!」と持ち上げたなら、持ち上げると同時に息が止まって腹圧が上がる。これは最もぎっくり腰になりやすい持ち上げ方、全く素人の持ち上げ方だ。

 次に、同様に持ち上げる場合でも、フン!気張らずに「ハッ!」と声を出せば腹圧が瞬間的に上がって体幹が強張るのを防いでくれる。腰も多少守られる。これは気合いで打つような段階。

 さらに、段ボールに手を回して持ち上げる準備をした時に呼気で腹に力を入れてから段ボールを持ち上げようとすると、(呼気のままでは身体が動かないので)鼻から吸わずとも丹田は吸ったようになる。腹の範囲が広がって腹圧が拡散したようになる感じだ。これは丹田の広がりで打つ、打ち抜く時の気の使い方で、最も腰に負担をかけない持ち上げ方だ。(腰は空になる)

 

 力を使う前に腹圧をマックスにして(丹田の気を最大にして)、その腹の気を使って手足の運動をするのが最も身体に優しい身体の使い方だ。(というか、本来、そのように身体は作られている。→下の先天の気の話に繋がる)

 

 少林寺の「ハ!ハ!ハ!」はそもそも丹田の気が充実している若者たちの練習法。先天の丹田の気を使って手足を使っている。空手や外家拳も同様で、その場合は、上に書いたような第一段階の練習をせずにすぐに第二段階目の練習をすることができる。

 太極拳で言えば、巷に広まっている一路(混元太極拳なら24式と48式)は第一段階、丹田を充実させる練習。そして二路(炮捶 46式)は第二段階、少林拳などの外家拳と同格になる。単純に言えば、一路は気功(気を溜める)、二路が武術(気を発する)だ。

 ある程度の歳になったら第一段階目の練習が必須になる。

 先天の気だけに頼れるのは30歳過ぎまで(ほとんどのスポーツの選手が30そこそこで引退するのはそのため。イチロー選手のように選手生命を伸ばすには独特の練習が必要。)

 

  馮志強老師が個人レッスンで掩手肱捶を教えているシーンを思い出したので載せます。

 左の生徒さんと右の馮老師と、発力の仕方が違う。

 結果として、生徒さんは脱力ができず”打ち抜けない”。固まっている。(形が空手っぽい?)

 馮老師の場合は腰から鞭のように拳が出てくる。打ち抜く。(写っていない足裏も拳のように地面を打ち抜いているはず。)

 

 

 そして下は馮老師が(これではだめだと)丁寧に教えている場面。

 

 

 馮老師は、

 ①手を大きく広げて回しながら「息を吸って〜」、

 そして、②腹の前で両手を合わせた時に「合〜」と言っている。

 それから ③発力(発勁)。

 

 よく見ると、馮老師は①で息を吸って、②で息を吸ったまま保持、③で息を吐きながら拳を伸ばしている。

 しかし生徒さんは①で息を吸って、②で吐いて腹を固めてしまっているよう。だから拳を出す前にまた微妙に息を入れなければならない。せっかく馮老師が①の動作を大きく誇張して、その吸気によって②で丹田を膨らます(腹圧を上げる)要領を教えているのだけど、生徒さんは②で間違えてしまっている。②で丹田を膨らませられていないから、股が”尖裆“になっている(腰が落ちている=腰の力が使えない、下半身の力が上半身に繋がらない)。馮老師の股はアーチ型(円裆)=腰が高い。

 

 馮老師の③で拳が上あがりの弧線を描いていっているのは、呼気で打っても次第に吸気が混ざったようになっているからだろう。これは声楽家が声を伸ばし続ける時に吸気筋を使うのと同じだろうと思う。が、それは順を追って正しく練習しているとそうなっていくのであまり理屈にとらわれない方が良いかと思う。ただ、そんなことがあるんだと頭の片隅に置いておくと、いつかその時期がきたらピンとくるはずだ。 

 

 打った時に”ウッ”と苦しくなるのではなくて、馮老師のように舒畅(のびのびと)打てるようになりたいものだ。いや、それは(私の場合は)ピアノを引く時もそうなるのが理想だし、どんな動作をしていても同じことなのだろう。のびのびとした動作には、丹田の気と呼吸、そして心を高めに機嫌よくしておくことが必要かと、馮老師の姿を見て思いました。(憎しみで打たない、朗らかに打つ?)

 

2020/10/7 <息が止まるということ>

 

  最近テレビをつけるとテニスの試合ばかり・・・

 私がテレビをつけるのは、専らインドの古典ドラマの動画をテレビ画面で見るためなので、テニスの試合の放映には全く関心がなくずっとスルーしていた。

 昨日になって、なんで、こんなに毎日テニス? と思って調べたら、ああ、全仏オープンをやっていたんだ・・・錦織君、もう負けたのね、というか、フランスに来てたんだ・・・新聞もニュースも見てないから、毎日のフランスの新規感染者数以外は外界で何が起こっているのかよく分かっていない(苦笑)

 

 全仏オープンだと知って、今日は放映していた試合をちょっとだけ見てみたのだが、驚いたのはその凶暴さ。いや、驚いたのは、テニスの試合を凶暴だと感じた自分の感覚。以前はそんな風に感じなかった。が、今日見たら、ボールを打つ瞬間の力みと動物のような吠え声に怖ろしさを感じてしまった。選手の顔にも怒りが見える。格闘する二人を周囲から見ている観客達。ローマ時代の剣闘士を見物するローマ市民と構図は変わらない?なんて思ったりして。

 

 すぐに見るのをやめてしまったのだが、夜になって、なんであんな風に感じたのだろう?と思い起こしたら、呼吸?と思い当たることがあった。

 息を止める、堪えると、凶暴な、きつい、感じになるのでは?

 ボールを打つ瞬間に、ウッ!という感じになると、見ているこちらも、ウッ!という感じになる。選手がボールをウッ!とかオ〜!とか打つたびに、こちらの身体も収縮する。手に汗握る、というのは身体が緊張して収縮している証拠だ。

 

 じゃあ、太極拳は? というと、発勁する時に発する哼(heng) 哈(ha)は、息が体内に詰まる(憋:閉じ籠る)のを防ぐ目的と作用がある(hengは頭頂へ抜く、haは足へ抜く)。

 

 Haはハだけど、同じ”ハ”でも、もしため息をつくように”ハ〜”と言ったら力が漏れて打撃はできない。

 一方、少林寺の「ハッ!ハッ!ハッハッ!」は気を胸の方に上げる。見ている方は興奮して心拍数が上がりそうだ。今日見たテニスもこれに近い。スポーツ競技で選手が声を発する時は気を上に上げるため(=腕に力を届けるため)ではないかと思う。

 これに対し、太極拳の「ハ」は気を腹底、もしくは足へと落とすように発する。だから、師父は何度も、「haの時はしっかり舌を下に押し付けるように」と何度も私に注意してきたのだ(と今はっきり理解した)。中途半端に舌を下げても気は腹底まで落ちない。舌を引いてしかも舌に押し付けなければならない。

 

 見ていてこちらの息が止まるようなもの、身体が緊張するようなものは、その対象となるものが緊張している。凶暴さが内在している。ハエ(や生き物)を殺す時、私たちの呼吸は一瞬止まるし、怒った時も一瞬息が止まる。息を止める時、私たちは自然から乖離している。生活の中でも、ゴミ出しで息がとまり、電車で嫌な人が隣に座ると息が止まり、そしてこんな風にただパソコンを打っていてもしらないうちに息を止めていたりする。

 自然の中にいると身体がのびのびとするのは、息がのびのびとするからだろう。青々とした樹々、紅葉などを見て心拍数が上がる人はいない。心は平安になる。

 

 太極拳が自然との一体化を大事にするのは、自然と共にあれば呼吸は自然だからということが大きいのかもしれない。呼吸は私たちにとっての生命だ。呼吸が止まれば死んでしまう。呼吸は大らかであるべきのもの。呼吸はゆっくり。これは誰もが知っている心身の健康法だ。

 

 力むと呼吸が止まる。

 だから「松」、脱力、が重要になる。

 

 

 

 ここで、もしや?とイチロー選手の打撃姿を調べてみた。

 きっと、「ウッ!」という感じでは打っていないはず・・・

 

 と見たら、以前気づいた大谷選手のほっぺと同じ、頰を膨らませてインパクト、そして、走り出す直前にプ〜っと抜いてる?

 ああ、そうだ、頰を膨らませると、体内の気が膨らんで(ポンする)クッションができるから息が詰まらない(インパクト時の衝撃を内側で吸収できる)。そして、その後、頰の息を抜きながら気を蹴り出す足へと下ろしている。これがダッシュの速さにつながっているのね・・・ 原理は太極拳の呼吸と同じ。決して息を止めない(詰まらせない)(注:けれどホールドする)。それから息は通して抜く。(ホールド、と、通して抜く、については別の機会にまとめるかなぁ。)

 

野球選手はみなほっぺを膨らませて打撃するのかと思ったらそうではなさそうでした。

ほとんどは「ウッ!」と打っているのかしら?

 

大谷選手はイチローや松井選手の真似をしたのでは?というブログもありました。

 

いずれにしろ、インパクトの時にこのように身体の中を膨らませれば、奥歯を噛みしめる衝撃も減るしとても良いと思う・・・背骨は柔らかくないとできないだろうけど(含胸をとっさにしないと頰を膨らませられない。背骨の形を変えないで打ったら奥歯に力が入る=力む)

 

 いずれにしろ、力むとウッとなって見てる側がドキドキする。

 ドキドキ、血湧き肉踊る、が好きな人には快感(若い頃の私はそれがとても好きでした・・・)

 

 が、それを越えていくと、もっと起伏のない安定した開いた心身の状態を心地よいと思うようになっていくのかなぁ。ドロドロした演歌よりももっとスッキリしたもの。愛憎の絡まないもの。

 太極拳は本来見て興奮するようなものではない。だから、大師の練習を見ても退屈だと思う人の方が多いはずだ。見ていて平凡すぎて面白くない・・・いや、その平凡な動きの中に凄さが見え始めたら自分もその道を進んでいる、ということ。

 

 下は若い時にハマった「少林寺」

 息が止まるほど興奮しました!(笑)

 

2020/10/5 <イチローの筋トレ>

 

  昨日書きながら思い出したイチローの筋トレ姿。検索したらYoutubeに動画がアップされていました。

 初動負荷理論の小山氏については、以前懇意にして頂いたある太極拳のマスターから度々話を聞いたことがある。そのマスターと小山氏は意気投合してよく意見交換をしていたようだ。筋肉を分断して鍛えるような筋トレではなく、太極拳の全身まるごと一つとして使う「周身一家」を可能とするようなトレーニング法を考案し数々の有名スポーツ選手を影で支えているような存在とのことだった。

 

 イチローのトレーニングの様子は下の動画の8分53秒あたりから始まる。

   

お〜、チャンスーの時の全身の動きを誇張してやっているようなトレーニング。

足から腰、背中、そして脇、肩甲骨、二の腕から手まで、全てが筋肉連鎖で繋がって動く。

これを見ると、チャンスーをかけるには肩甲骨がしっかり動かなければならないのがよく分かる。

腰が気持ち良さそう・・・主導力は腕ではなくて腰。これが普通のジムにあるマシンとの違い。

 これは脚のチャンスー。

 捻りこみだ。

よく見るとわかるが、これも主導力は腰。腰の捻りが股関節の捻り、膝の捻り、そして足首の捻りへと伝わり、足裏が(地面に)捻じ込まれていく。

イチローのダッシュが人一倍速いのはこの捻りこみだろう。(膝と足首の回転が羨ましいほど美しい♪)

前進する時はこのような内旋の捻りこみが必要にある。斜行や搂膝拗步で前進する時の後ろ足はこのような捻りこみをすることによって地面からの反発力を得て結果として身体が前に移動することになる。

 

この開脚マシン、内腿で脚を開かせるようになっている。普通のマシンなら外側で開かせるようになっているのではないかなぁ?

 

内腿(内転筋)の力を使おうとすると同時に骨盤の中や腹の筋肉(丹田周辺)を使うことになる。

 

このようなトレーニングをすると身体に酸素が入ってくる、とイチローがコメントしているが、それはこのような身体の使い方をすると吸気が優位になるから。特にこの内転筋での開脚は呼気ではできない。いやでも吸わなければならない。太極拳も2路に進む頃には吸気で発力するようにしたりして吸気を優位にしていくが、そうすることによって体内のヘモグロビンの量が増えるのか・・・なるほど。

 

これも肩甲骨、上腕三頭筋(二の腕)、広背筋、そして脊柱起立筋などを動かすもの。太極拳で要になるラインだ。

 

どれも負荷がそれほど大きくなくて繰り返しできるようなもののようだ。やっていて気持ち良さそう〜

 

 

 

 これと似たようで非なるものが下のような筋トレ

 

 バーが前にあるものは肩甲骨を動かし辛く二の腕を長く引き伸ばして使えない。肩関節の可動域が広がらない(筋肉固めるので可動域がかえって狭くなる)。

 バーを後ろに下げるものでも、こんなに筋肉に力をこめたら肩関節が動かないだろう。

 上の2つとも、吐きながらしかできないような動き・・・いや、実際には吐きながら、ではなくて、息を少し吐いたところで止めてしまっているに違いない。すると筋肉は固まって一つ一つが分断したようになる。

 

これはイチローの上から2番目の筋トレのよくある版だが、これは脚を真っ直ぐ折りたたんでいたを押し上げている。こうすると捻りがないので、太ももの筋肉だけが頑張ってモリモリになる。腹腰とは無関係の一点集中型の筋トレ。

 

イチロー型だと捻って前進を繋ぐから細マッチョな感じになる。身体の仕上がりも変わる。

 と、それよりも何よりも、呼吸が違うなぁ〜と。

 息を止めない、というのはよく言われるけれど、知らないうちに止まっていることがある。

 このマシーンでも、身体の力を抜いてゆっくり息を吐きながら(吐き続けながら)脚を伸ばしていけば骨盤や腹の中の筋肉は作動する。

 

 下にYoutube動画を紹介します。

https://stretchpole-blog.com/upper-arms-stretch-21728
https://stretchpole-blog.com/upper-arms-stretch-21728

2020/10/4 <二の腕と広背筋、二の腕の回転>

 

 今日のズームレッスンでは、最初に、腕を胴体とつなげるための腕の回転を皆にためしてもらった。

 

 腕を胴体と繋げるというのは、以前(9/3)のブログで触れた”広背筋”を起動させるということを指しているが、広背筋によって腕が動くように腕を作ることによって太極拳の上下相従、足裏の力が脚、胴体を通過して腕から手へと伝わることが可能になる。

 

 でも、なぜ広背筋が腕に関係するのか? 

 が、下のような解剖図を見るとそれが明らかになる。

 広背筋の終点は上腕、もっと言えば、腋窩筋膜を通じて上腕三頭筋、すなわち、いわゆる”二の腕”に繋がっているのだ。

 

 

 なるほど、どおりで、太極拳の技の名前には 『肱』(二の腕、上腕)という文字の入るものがいくつかある。第10式の掩手肱捶はその代表例だが、ここでは拳が”二の腕”で出されることを技の名前が暴露している。第16式の倒卷肱も然り。

 

  解剖学的には腕は広背筋で動くようになっているのだが、実際にそうなっている成人はとても少ない。というのは、私たちは常に手を身体の前に出して様々な作業を繰り返すうちに(台所仕事、パソコンを打つ、読書をする、ものを持つ・・)直立の姿勢が崩れて”二の腕”が機能しなくなっているのが大多数の現実だからだ。二の腕が霜降りになったとかいうのは女性の会話ではよくあるし、男性でも上腕二頭筋で力こぶはできても裏側の上腕三頭筋はどうだか?

 

 二の腕は捻ると使える。イチローが特製の筋トレマシーンを自宅に備えてトレーニングしているのを見たことがあるが、彼は腕や脚を捻りながらストレッチして、この二の腕やその他の所謂”伸筋群”を起動させていた。太極拳のチャンスー練習と相通じるなぁ、と見た覚えがあるが、二の腕を起動させようとすると広背筋がもれなくついてくる、ということなのだと改めて知ったところだ。

 

 さて、この広背筋と二の腕の繋がりをどうやって取り戻し、どうやってその繋がりを四六時中保持し続けるか、というのが実際的な問題。

 日常生活では腕は腕、背中は背中、と分断して使っていたとしても、太極拳の練習で意識的に繋ぐ練習をするうちに次第に日常生活でも使えるようになるだろう。そうなるころには、理想的な直立姿勢にかなり近づいているに違いない。肩こりや首こりなどの不調もなくなっているだろう。

 ”二の腕”が使えているというのは直立の姿勢、アライメントがうまくできている証拠。

 

 二の腕が使える、というのは、脇が立つ、前鋸筋が使える、ということ。

 二の腕が使えるには肩甲骨も回転する必要がある。

 二の腕ー広背筋との連動から仙骨までつなごうとすると命門を押しひらく必要もある。

 そしてなんといっても、腹腔内圧=丹田の膨らみ=腹のポンの力、が必要になる。

 

 このあたりを、一つ一つ実感できるように練習していくのはどうしたらよいだろう?と手探りしながら今日も教えてみていた。

 

 二の腕を広背筋と繋げて起動させるためには、腕を内旋させてから外旋、というメソッドがある。太極拳で言えば逆纏から順纏、という動きだが、これで肩甲骨を動かして二の腕を背中と連動させる。

 ・・・が、これを教えても、? と何をやっているのかわからない人も出てくる。

 よく見ると、腕を回しても上腕、二の腕が回っていない・・・

 結局、二の腕を回転し続けられるか、というのが纏糸ができているか否かのメルクマールだとわかったのだが・・・

 

 

 生徒さん達には、右腕の二の腕を左手で握ったまま腕を一回転してもらって、その間常に二の腕が動くようにしてもらったが、逆纏→順纏の間は二の腕が回転できても、順→逆の間は二の腕が”落ちてしまって”回転が滞ってしまっている(右手の外旋なら上弧の間は二の腕は回転するが、下弧の時は二の腕が落ちてしまっている)。

 二の腕が落ちると回転はできない。

 二の腕が落ちる、というのは肘が落ちる、に等しい→肘が意識できない、ということになる。

 

 

 まずは下の馮老師の若い頃の半袖演武の動画を見てもらって・・・

 二の腕に注目してください。

 二の腕が決して”落ちない”。

 脇や肩甲骨と二の腕が一体化している雰囲気が感じられるかしら?

(肩甲骨も浮いて見えるような服装。腹横筋=コルセット筋もしっかりしているのが見える。身体の線が分かるような服装でやってくれているのは有難い限り。貴重な映像です。)

 

 次回は動画や画像でもう少しわかりやすく説明するつもりです。

 

 

2020/10/2 <抜背と脊椎の回旋 ”勢”の話へ>

 

  バレエで脚を後ろに高く上げるアラベスク。

 さぞかし股関節がよく開いて、腰もよく曲がるのだろうなぁ、と思ったら大間違い。実は解剖学的に見て、股関節と腰椎の反りだけでは脚の上がる角度は90度に遠く及ばないということだった(40度くらいだったかなぁ、具体的な数字を忘れてしまいました)。

 

 じゃあ、どうやってあの人たちは脚をあんなに高く上げているのかというと、実は、胸椎や腰椎の側屈を伴う回旋を使っているとのこと(解剖的な詳しい説明は省略)。

 

https://www.biteki.com/life-style/body-care/345978
https://www.biteki.com/life-style/body-care/345978

 

 

 左のように背骨を真っ直ぐにして脚を後ろにあげるとこの程度しか上がらない。

 (ちなみにこれはヒップアップのためのエクササイズの写真)

 

 これを見てから下のダンサー達の上半身を見ると、捻られているのが分かる(厳密には胸椎は側屈+回旋した上で、身体が開かないように肋を締めているらしい)。

 

 

 これを知った時、あ〜、そうだったのか、と目から鱗。

 アラベスクのような開脚の時に胸椎や腰椎を回旋させなければならないということは・・・・あっ!師父の圧腿はまさにそうなっていた! だから足裏から背骨が繋がってストレッチされていたのだ。ただ腰から折り曲げて脚裏だけをストレッチしているような圧腿ではなかった。

 

 下の左は師父の圧腿。写真ではあまり明らかではないけれど、普段見ている師父の圧腿は、上げた脚の足先が外に向いている→すると前に倒した胴体の脊椎は回旋する。さらに師父は身体を上げた脚の方向(下の写真なら右方向)へ捻っていき、身体を完全にべったりと脚にくっつけてしばらく静止している。

 これに対し右の老師の圧腿は背骨の回旋がないもの。この場合はハムストリングスや膝裏のストレッチになる。

 

 背骨の回旋が入るメリットは、回旋させようとすることで脊椎間の隙間が開くこと。これが背骨の力を抜く、ということに繋がる。背骨を固めると回旋ができないからだ。

 

 抜背は背骨を垂らすようにして脊椎間の隙間を開くことだが、結局、これによって、脊椎の回旋がしやすくなり、身体の可動域が大きくなる。無理のない動きが可能になる。

 

 じゃあ、しゃがむ時は? と閃いて、いつもやっている双腿昇降功で試して見たら、ああ、確かに、背骨は回旋している。自分の身体がどう動いているかは言われないと気づかないものだ・・・

 当然、套路の中の低くしゃがむ動作は、すべて脊椎を回旋させてやっている。そのために、そのような動作は片手は高く上げていたりして、脊椎間が開き回旋しやすいような腕の形になっている!

 

 太極拳の套路の動作はやはりとても賢く作られている!なぜ腕がその位置にあるのか、なぜ顔がその向きなのか、すべて計算済み、合理的。脚を上げるにしろ、深くしゃがむにしろ、そうできるような姿勢を全身で作っている。しゃがみたくなるような状態、脚を上げたくなるような状態を作って、初めてしゃがんだり、脚が上がったりするのだ。しゃがみたくもないのにしゃがまなきゃならない、とか、とってつけたように脚だけを上げたりはしないのだ・・・新たな発見!

 

 そうしてみると、前に一歩進むにも、進みたくなる姿勢になって初めて一歩進む、重心移動も右に行きたくなって初めて右に動く・・・動くためのモーメントを全身で先に作っていなければならないということだ。

 起式の最初のポンにしても、手を上げるのではなくて、手を上げてしまうようなモーメント、上げて終わざるを得ないようなエネルギの流れに押されて手が上がってしまう・・・

 その動きが始まる前にすでに青写真ができている、そんな感じだ。

 

 今では套路の第一式、第二式と”式”と書かれているものも、元は第一勢、第二勢、と”勢”と言われていたという(”式”と”勢”は中国語では発音が"shi"と同じなので口伝で”勢”が”式”となった?)。

第一式というと静的な”形”という感じがするが、第一勢というと動的なエネルギーの流れ、という感じになる。一つ一つの”勢”で学ぼうとしているのは、その中でのエネルギーの流れ。腕を上げたり、脚を上げたり、ではない、全身のエネルギーの流れの中で脚が上がってしまったり、脚が一歩前に出てしまったり、腕が回転してしまったり、拳が出てしまったり・・・そういうことなのだろう。

 

 脊椎の回旋から始まって、エネルギーの流れの中でその動きが出てくる、という”勢”の話までつながってしまったが、このあたりは生徒さん達に一つ一つ教えていく必要があるだろう。(動画も必要かなぁ)

 

2020/9/30 <足裏で地面を踏み込み続ける ”力は踵から”は”丹田で動く”こと>

 

   昨日書いた”身体を薄くして立つ”について動画で説明してみました。

 

 説明しながら気づいたのは、結局、”身体を薄くして立つ”というのは、”アライメントを正しく”とか”アスレチック・ポジション”と言われるものと同じで、足裏にストン、いや、ズドンと気を落として足裏と地面の間で力のやり取りをし続ける状態だということ。この地面と足裏の間の力のやり取りがそのまま身体、上半身、手へと連動して発力として現れる。

 

 ただ、このようにアライメントを正しく、身体を薄くして立つことを意識する前提として、まずは足裏に気を落とせないとならない。だから練習の第一歩は、身体の力を抜いて足裏に気を下ろすこと。これは初心者の練習という意味もあるけれど、熟練者でも毎日の練習の始まりはこの松して足裏に気を落とすところから始まる。

 足裏に気が落とせて足裏が地面に貼り付いたようになったら、第二歩目として、会陰を引き上げて丹田に気を溜め足裏から丹田を繋げる。

 (熟練者なら、松して気を足裏に下ろす時に同時に会陰を引き上げて丹田に気を溜めながら足裏に気を下ろせる。が、初心者の場合は、会陰を引き上げると足裏に気が落ち辛いので、第一段階で全身の気を足裏に落とし、そして第二段階で初めて会陰を引き上げて丹田に気を溜め始める=足裏と丹田を繋げる、とした方が結局は近道。)

 

 いずれにしろ、足裏が使えないと(足裏が地面を踏み込むことによって得られる地面からの反発の力を使えないと)丹田に気を溜めることはできない。会陰を引き上げる=足裏を引き上げる、になっている(身体の構造上そうなっている)。

 

 動画の最後の方に、足裏で地面を踏み込んでいる間だけ動ける、という話を少ししているが、これが太極拳で特に大事なところ。足裏で地面を踏み込める=丹田を使い続ける、ということになるのが実感として得られると、”力は踵から”と言われるのが”丹田で動く”と矛盾しないどころか、同じことだということが分かる。

 

2020/9/29 <身体を薄くして立つ、という意味>

 

  背骨のS字カーブを減らして背骨を真っ直ぐ引き伸ばすののは太極拳に限ったことではない。

 私たちが普通に立っている時、頚椎は前弯、胸椎は後弯、腰椎は前弯、仙骨は後弯、と、S字を二つ連ねたようなカーブを描いている。

 しかし、私たちが急に走りだそうとか、ジャンプしようとか、しゃがもうとかする時は、バネばかりを伸ばすかのように脊椎を引き伸ばす。これは一気に地面を踏んでバネを起動するための準備の姿勢だが、これを以前紹介したNBAのスーパースターのステファン・カリーは”アスレティック・ポジション”と呼んでいた。

 

 子供の時のかけっこの「よ〜い、ドン!」の「よ〜い」の時の姿勢。「ドン!」と言われたら一気に走りだすためには腹腰股関節に”タメ”を作って足に気を下ろしておく必要があるが、そんな構えはは先生から特に教えられる必要がない。猫でも似たようなことをしている。動物なら自然にやってしまう構えだ。

 

 ただ、この誰でもやる構えも上手下手がある。絶妙に構えられる人は運動能力が高くなる。

 

 時々太極拳の演武の動画を見て変だと思うのは、足腰のバネ力を増やすために背骨を引き伸ばしているのではなく、ただ背骨を真っ直ぐに硬直させている人が多いということ。これはきっと、なぜ脊椎を引き伸ばすのか、ということを考えずに、ただ”背骨は真っ直ぐに”と指導されてその通りやっているからだと思う。背骨を固めて棒のようにしてしまったら所謂老人の身体と変わらなくなってしまう。すぐに股関節や膝を痛めてしまうだろう。脊椎を構成する椎骨が関節として機能しなければ運動による衝撃が下半身の関節に集中してしまう。

 老人の股関節や膝が悪くなるのは下半身が弱くなるからではなく、上半身、背骨が硬くなるからではないか?100メートル走の選手がなぜあんなに上半身を鍛えるのか?太極拳で蹴りやジャンプやしゃがむ動作を練習すると良くわかるが、足の技は腕を含めた上半身の使い方が決定的な役割をもつ。

 下半身は上半身に依存し、上半身は下半身に依存する・・・

 

 そして脊椎のS字カーブを引き伸ばし全身のバネ力を起動させる準備をする時、身体は”薄く”なる。薄くなることで、重力に身体が邪魔されなくなる。ジャンプする時、しゃがむ時、ダッシュする時、私たちの身体は(前後に)”薄く”なる。

 馮老師や劉師父の套路を横から見ると、薄いのだ。後頭部から背中、踵までが揃っているのだが、かといって、膝もそれほど前に出ていない。

 実践をやっている人は”薄く”構えないと速く動けず不利なことを知っている。

 坐胯だからとお尻に坐って”居着いて”しまってはいけないのだ。

 静止して立っていてもいつでも動き出せるような足裏の”もぞもぞ”(虫様筋のイメージ?)を保持するには仙骨を収めて身体を薄くする必要がある。

 

 逆に言えば、身体を薄くしてすっきり立てるのは功夫が高い。丹田力がないと腰が反ってしまう。目指すイメージだけでも頭に置いていると役立つはず。間違えたお手本をお手本にしないように・・・

 

 <下の写真、ブルースリーと対戦者。対戦者もなかなかだが、比較すると、身体を”薄く”しているブルースリーの方が、構造物としてスッと真っ直ぐだ。足裏がペタッと地面に貼り付いている。(二人を揺れる電車に乗せた時、ブルースリーは身体の力を抜いて足裏でバランスをとるだろうが、対戦者は様々な筋肉に力を入れることでバランスをとろうとするのではないかしら?)

 

 

 そして下の馮老師の決闘(?)動画。馮老師が身体を”薄く”構えているのは他の人たちとの比較で分かるのではないかと思う。太腿に乗っからずに、あくまでも腹や腰という高めの位置でさばいている。套路ではもう少し低く練習するが、それでも太腿には乗っからない。ある程度丹田が使えるようになったら、素早く動くために身体を薄くする意識が必要になると思う。

 

 あ〜、これが扣だ!(左の写真)

上のチャコットのグーの写真との違いは分かるかしら?

きっと足(foot)だけ見たらどちらも同じに見えてしまう。けれど、気の流れは全く違う。

左の足は指先からうっすら気が流れ出て行くような使い方。

チャコットのグーは気の逃げ場がなく足にこもってしまう。

 

 

『今日のメモ』毎日の練習は気づきの宝庫。太極拳の練習の成果が何に及ぶかは予測不可能。2012年9月〜のアーカイブは『練習メモアーカイブ』へ

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練習のバイブル本

 『陳式太極拳入門』

       馮志強老師著

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ようせいフォーラム2017プログラム
3月4日(土)にパネリストとして参加しました。
ようせいフォーラム2017プログラム.pdf
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2012/3/20

日本養生学会第13回大会で研究発表をしました。

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