2020/6/2 <用法解説 第14式双推手、第16式肘底捶と倒巻肱>

 

   用法解説は頼めばやってくれるけれど、特に頼まなければスルーされる。

 套路の練習で形がおかしいのを指摘され直されるが、なぜそれがそうなのか、その動作の技撃的意味が分かっていないとただの猿真似になってしまう。 

 

 修練があるレベルを超えると実践にそれほど重きをおかなくなる。

 若い頃にさんざん打撃、実践をしてしまえば、その後は相手を打ち負かすことよりも、己の内側の修練に重点が移っていく。師父は最低限の防御ができれば良い、と言ったりするけれど、馮志強老師であれ陳項老師であれ、そして私の師父であれ、あるレベル以上に達した修練者は歳を取っても武術家ならではの独特の気勢があるから、ただ立っているだけで相手が怯んでしまう(のを私は知っている)。いや、それが実力、実力があるから手合わせをせずとも勝ってしまう。動物の世界と同じか?(苦笑)

 

 私は技を学んでも一生実践的に使うことはないと知っているけれど、技を学ぶのはとても楽しい。毎回、凄いなぁ〜、賢い!! と感動してしまう。人間の身体、意識の使い方を最大限に使い、そしてその裏をかいたりしながら、巧妙にさばく。

 そしてまさにこの”巧妙”さこそが太極拳の技の真髄。

 巧みでもない、妙でもない、ただ力任せの技は太極拳の技とは言えないのだ。

 粋な技、だからそこに美を感じるのは私だけではないはず。

 掴み合いをして力任せのドロドロの取っ組み合いとは真反対。

 汗をかかずに一発で躱して終わらせてしまう。こめかみに青筋立てたり睨んだり怒鳴ったりはしないのだ。極めてクール。

 そのためにせっせと気を溜めて経を通して・・・他のスポーツから見ると不思議な練習をコツコツ積むのです・・・。

 

 第14式と第15式、お願いしてやってもらいました。私の出来が悪すぎなのが恥ずかしい(苦笑)。用法解説動画は私自身のために撮影しているようなもので、将来必要な時に参照できるようにと思っています。

2020/5/31 <第15式三換掌の技の説明>

 

 簡単に見える技。

 だけど、この引き手が曲者。タントウ功がちゃんとできているかいないか、タントウ功の応用になる。急発進で引かれるから相手は引かれてしまう。この突然の動きを可能にするのが足裏から掌まで繋いだ勁。相手の手を掴んだ掌は足裏でもあり、足裏を踏んだ時には同時に掌が引けている。膝を不用意に曲げたら勁が途切れてしまうのは相手を引っ張ってみると分かる。このあたりは一人で套路だけ練習していてもなかなか分からない。私の師父は技をそれほど重視しないけれども、太極拳の師の中には対人練習を最も重視する人もいるのは、一人では正確に”勁”を感じることがほぼ不可能に近いからだ。力は対象物があることで認識が可能になる。自分一人では自分のことが分からない、相手がいて初めて自分が分かるようになるのと同じことだと思う。

 師とは機会があれば手合わせしてもらうに限る。

 その力を驚くことなく身体に記憶させておけば、いつか、その身体の記憶が役に立ち、ああ、あの時師父はこう力を使っていたのか、と分かる時がきたりする。力の感じ、身体の感じ、気の感じ、全て身体に記憶させておく(脳ではないからそんなに頑張らなくても覚えているものだから面白い)。

 師父の力には、無理やり、と言う感じが全くない。無理やり引っ張られる、とか無理やり連れ回される、のではなく、いつの間にか引っ張られている、いつの間にか打たれてる、そんなものばかり。太極拳は瞬間技。瞬間技のためにあんなにゆっくり練習する。まあ、ピアノの練習もそんなところがあるかなぁ。極遅で完璧に弾けるなら極速で弾けるとか。

 とはいえ、オンラインでは対人練習ができないのが残念・・・いつか対人練習するために一人の時は一人でせっせと一人でできる練習を積み重ねるしかない。あとは縁を待つ。

2020/5/29 <期間限定オンライン個人レッスンのお知らせ>

 

 6/6(土)〜6/14(日)、オンラインレッスンが可能です。

 時差があるため、開始時間は日本時間16時〜20時になります。

 zoom、LINE、skypeなど使用できます。

 レッスン料は40分まで3000円、60分まで5000円です。

 レッスンご希望の方はお問い合わせから連絡をお願いします。

 

 

 〜裸足族、少しずつ増えている? 私を含めて皆が口を揃えて言うのは、足元がポカポカ。足からポカポカする感覚は練習後も続きます。丹田がポカポカでなくて足がポカポカ。足元が冷えやすい女性はその違いは顕著なはず。婦人科系の病気は冷えからくるので足元がポカポカする裸足練習は本当におすすめです。靴を脱いでここまで感覚が違うなら、いっそのこと、服も脱いでしまいたい! とまで思ってしまいます。小さな子供が服を着せられるのが嫌で真っ裸で走り回る気持ちが理解できるよう。

2020/5/28 その2 <そして、今朝、ブログの読者の方から嬉しいメールが届きました!>

 

 早速裸足練習を試してみたら効果覿面だった、という話。

 裸足練習の具体的な効果が良く分かる文面なので、本人に了承を得て一部ここに紹介します。

 

 『いつもありがとうございます。

  今回の裸足練習も私には、またまた満塁ホームランでした。
  庭に出て裸足で太極拳の練習をすると、すぐに下丹田が地の氣で満たされ頭がすっきりしました。(著効でした)この裸足で土の上で動作する時の感覚が周身一家というものなのかと、少しつかんだと思います。
  裸足で動くときは体丸ごと移動しないと足の裏が痛くて動けませんしかも提肛門、会陰の合というのでしょうか、自然とそのようなポジションとなるのですから驚きました。スタジオで基本姿勢をとるのにあんなに苦労していたのが嘘みたいでした。
  また、靴を履くことに何の疑問も持たずに50年以上生きてきましたが、もしかすると関節の不具合などは靴を履くことにより起因しているのではないかと深く考えさせられました。土というイレギュラーなところを裸足で歩くことで土が身体を微調整してくれているのではないかと。関節の不具合も裸足で土の上で動作をすることで改善できる可能性も見えてきました。

  裸足の可能性にワクワクしています。もう裸足はやめられない、と思いました。(そして裸足でに土の上を歩くと、なんだか優しい氣持ちでそろそろと歩いている自分が自分で微笑ましかったです。
  本当にありがとうございました。』

 

 

 色をつけたところは私が強調したいところです。

 その後のメールでも、靴を履くことによって足裏から脳に伝わる刺激が激減し、様々な身体の不調の原因になったかもしれないとの指摘や、裸足で練習した後に足裏がずっとポカポカして身体が喜んでいるのが分かる、ということも書かれていました。

 

 足裏ポカポカはまさにその通りで、私は套路練習で足裏ポカポカしてくると、その後馬力が生まれてきて身体がもっともっと動きたくなるのが分かります。足裏ポカポカは馬力を生む、そんな感じ。馬力、みなぎるパワー、それは下から生まれてくるよう。これが大地の気の効用なのか?

 私の今住んでいる家は3階。タントウ功をほとんど家ではやらないのは足裏が大地の気を捉えにくいからかもしれない。以前11階の部屋でタントウ功しようとしたことがあるけど、その時は下がすっこ抜けているようで5分くらいでやめてしまった。坐禅はそこまで感じないかなぁ(お尻は鈍感?笑 実際にどうかは分かりません)。

 

 私は今、ヨガをやる友人の影響で太陽礼拝もどきのことも試しにやっているけれど、太陽にしろ、大地にしろ、どれだけ使ってもタダのものは使うべきだ、と思う。自分一人で頑張ってエネルギーを産出しようだなんて思う必要はない。人の力も借りて、太陽の力も借りて、大地、水、食べ物、木々の緑、空気、良い言葉、良い音、良い笑顔、良い話・・・自分のエネルギーを高めるものはなんでも利用すべきだと。逆にエネルギーを下げるもの、悪口陰口批判やダークな話題からは離れるべき。このご時世、不安にさせる報道やSNSなども多いので要注意。自然に寄り添っていればまず安心。不安になりそうだったら自然に戻ろう。

 

2020/5/28その1 <裸足練習 4日目>

 

  裸足練習4日目。今日は最初から裸足。裸足で師父と転腿を始めた。

 ムムム・・・私の方が優勢ではないか?と脚を合わせて回し出した瞬間にそう感じる。いつもは自分の脚を回すのに精一杯なのに、今日は師父が身体のどの部分の力で脚を回しているのか察知できてしまう。ああ、今はお尻あたりから繋いでるのね、それなら・・・と私は一気に両肩甲骨の間、胸のだん中のツボの背中側(神道ツボあたり)まで繋いで膝を回してみる。案の定、そこまでまだ繋いでない師父は重心を逸した後回転してどうにか戻ってきた。

 私は悦に入って、「中心軸が長くとれてないから侵入できてしまう、含胸が足りませんね。」と笑いながら言ったら、「私はまだ股関節を調整していたからそこまでは繋いでない。」と師父。ああ、そういえば転腿は別に相手を倒すものではなく、相手の力を気遣いながら相手に合わせて徐々に気を通していくもの、相手の状態を無視して一方的に力で攻めるのは太極拳の原理と反することだった。裸足だと一気に背中まで繋げられたので、嬉しくて思わず相手のことを考えずに攻め込んでしまった・・・相手が生徒さんだったらそんなことはしないのに、師父だから思いっきりやってしまったのだけれども、不意をつかれて重心を逸してもとっさに転腰して(腰を回転させて)元に戻ってこれるのはさすが師父。いずれにしても、通常なら私の力はこのくらい、と師父が思っていた以上の力が出たのは間違いない。

 

 (靴を履いて足を踏ん張って太ももに)力をこめて太く短く力を出すよりも、(裸足になって=足裏を空にして)勁を長くする(身体の中で脚のラインを長くつなぐ)ことによって細く長い力を出す方が、実際に労少なくして相手を崩すことができる。それは、前者だと筋肉対筋肉:力の対決になるのに対し、後者だと直接相手の中心軸を崩すことができるからだ。今日、はっきりとそれが分かった。

 

 そして套路練習。24式からやり始めたが、裸足、痛くな〜い!

 えっ、今日は痛くな〜い。痛くないどころか、地面が友達、支えになってくれているようにさえ感じる。安心して地面に着地できる。足指が土を掴む、蹴る感じもとても心地よい。擦っても痛くない。

 4日目にして地に対して安心感が生まれたかなぁ。不思議。

 24式、48式、46式、とやった後で、師父が私に、(私が苦手だった)二起脚がえらく上手になったなぁ、と褒めてくれた。私も気づいていたけれど、裸足だとジャンプがとてもしやすい。ぴょ〜んといつもより軽くジャンプできるのは足指先端が使えるおかげ。靴を履いていると私はとても不自然な二起脚しかできなかった。

 なんで今日は足裏が痛くなかったのだろう?と師父に尋ねたら、師父は、身体が松してきたから足裏に気が降りて、その結果足裏が痛くないのだろうと答えてくれた。私は、足裏が痛くないから身体が松したと思うのだけど・・・また、卵が先か鶏が先か、のあの話(苦笑)

 

2020/5/27 <裸足練習 扣になる>

 

  今日の裸足での套路練習、なんだ、足を扣(お椀をかぶせたような形)にすれば痛くない。土踏まずは足の中央は浮いていて、地面に着いているのは(上手くできていれば)踵と足指先端(足指べったり、ではなくて先端のみ)、それに足の外側のラインが少し。

 足指の先端は地面をしっかり蹴っても痛くない。足裏全般は小さい砂つぶを踏んだだけでも気になる程皮膚が敏感なのに、足指先端は比べ物にならないほど強力。足指がべったり地面に着いていると先端の力が使えない。扣にして足指先端だけ地面に着いた状態でいることによって、しっかり蹴りきれ、他の部分に負担かけることなく重心移動ができるのだと納得。以前師父にビデオで指導してもらった時に、なぜ足の指が伸びているんだ!と何度も叱られたけど、確かに、足の指が伸びていては正確な動きはできないのだと裸足になってやっと納得した。

 靴を履いていると自分の足が扣になっているかどうかはチェックし辛い。きっと足全体が覆われていて全体に刺激があるから、自分の足のどこの部分を使っているのか特定の刺激を感知できないのだと思う。ましては、クッションが入ったり機能性を高めた靴など履いていたら、自分の足の感覚は薄まってしまう。足はとても敏感な部位だけれども、足を守ろうとするばかりに足の感覚が麻痺させられてしまっているのかもしれない。

 

 裸足でやると、バカみたいに足を踏ん張れない。靴を履いていると知らず知らずのうちに足を踏ん張って、足首を固めてしまっているようだ。

 今日の師父との転腿の練習では、最初は靴を履いてやっていた。靴を脱いだら師父の力に耐えられないと思っていた。師父の腿は重いからそれに対抗しようとすると足を踏ん張りがちになる。踏ん張ったら回しづらくなって更に踏ん張らなければならなくなる。足を踏ん張らずに、徐々に腰や背中、丹田、と上部まで繋げていって(クワから下の脚ではなく)繋いだ長い線を回すようにすれば足、や腿を頑張らなくてもいつの間にか師父の力と釣り合うようになる。そう頭では知っているのだけど、身体はそう簡単についていかない。頭は一瞬でわかっても、身体が分かるには時間がかかる。

 30分回してくれれば身体が徐々にそこまでもっていってくれていただろうけど、師父は最近15分くらいで転腿を終了してしまう。私は不満足なまま。15分で繋げ、ということなのかもしれないけど・・・。と、そうだ、と靴と靴下を脱いで、師父にあとも少しだけ転腿をしてくれ、と頼んでみた。師父は裸足でやるのか?と怪訝そうな顔をしたが、私は実験してみたいからお願いします、と頼み込んだ。

 で、裸足で転腿。あ〜、足首が回りやすい。足裏が地面を突っ張ってくれるから、上半身まで脚が繋がりやすい。さっきまで靴を履いてやっていたから、その違いは明らか。靴を履くと力は足裏へ下向きに落ちる。足裏が地面を踏みしめて動かなくなる。が、靴を脱いで裸足になると、足裏から上向きに力が通るようになる。地面を蹴ってジャンプする直前の足裏だ。だから土踏まずや足裏中央が上がって踵と足指先がメインで地面を蹴るような感じになる。アキレス腱が長くなり足首や膝が回りやすい。膝に負担がかからなくなる。

 

 裸足練習後なんでこんなに疲れるのだろう?と師父に聞いたら、それは松してないからだということ。足元が気になっていつものように力が抜けない。それはあたかも、スケートをしたことのない人がスケートリンクに上がって恐る恐る滑り出す、そんな感じだとか。凍った地面を歩く時も疲れるだろう?同じ原理だ、と。が、一度慣れればスイスイ滑れる。そのためには全身を調整しなくてはならない。そういうことだとのこと。

 

 だからかなぁ、屋内で裸足で練習したことはあったのだけど、その時は特になにも感じなかった。検索してみたら、芝生で太極拳をやってとても気持ちよかった、というブログもある。私が今回全く違った感覚を得ているのは、地面、土の状態がそれほど良くないから? まだまだ分からない裸足練習・・・。

 

 

2020/5/26 <裸足で練習して気づいたこと>

 

  少し前から土の上で裸足で立つ時間をとるようにしている。

 裸足だと何が違うのか? よく言われるようにグランディングが良くなるのか? 地の気を感じるのか?地の気を吸えるのか? 試してみよう、と思った。

 

 土といってもパリの公園の土だからか、砂利っぽくて土がそれほど深くは感じられない。少し湿っていたり、小さな尖った石ころもあったり、枝が落ちていたり・・・まずは立つ場所の土をきれいにならして、そこで動功をしていた。

 靴を穿かないと、まず、足首が動きやすい(周りやすい)。靴を履いていると足首の動きが制限されるようだ。(別にショートブーツを履いているわけでもないのに。なぜだろう?)

 

 そして昨日、24式を師父についてやった後、そうだ、試してみよう、と続く48式は裸足になってやってみた。師父は私の前でやっていてこちらを振り返ることもほとんどないから気づかないだろうし・・・まあ、気づかれても困ることにはならない・・・と、動き出したら、足裏、痛い!

 同じ場所で重心移動しているくらいなら痛くはないけれど、一歩前に出たり後ろに退いたりするたびに足裏が痛くて辛くなる。あ〜失敗!24式の時に裸足でやればよかった、と後悔。48式は飛んだり跳ねたり蹴ったり、脚を使った動きが多く、足が着地した時に足裏を擦る可能性がある。芝生だったらマシだったのかしら?と思ったところで時遅し。師父の立っている場所の方が土がきれい、もっと土のきれいなところでやるべきだった・・・と後悔の心が出てきたけど、一旦始まったら最後までやるしかない。仕方ない、と足裏が痛くないように気をつけながら48式を続けた。

 と、48式が終わりに近づいた頃、足裏が痛くないような着地の仕方を発見!どろどろ順番に動くのではなく、一気に動けばよいんだ! 力は足裏から発する、とか思って、足から動いていたら足裏が痛くて仕方がない。足から動くのではなく、全身丸ごと同時に動けば足裏の痛みはほとんど感じない。身体の中に時間差があると足裏の痛みを感じるんだ・・・。

 その次の46式もそのまま裸足で続行。

 無事全部終わって師父が振り返り、私の裸足姿を見て、うん、それは良い練習だ、と言った。

 

 今日は24式、48式、46式、一通り全て裸足だやったけど、頭でどう動くべきかは理解できたものの、全身丸ごと同時に”ゆっくり”動く、というのは骨が折れる。疲れる。

 昨日も今日も、練習の後家に戻ったらへとへとで昼ご飯食べながら眠たくて仕方がなく、箸持ったまま寝てしまいそうだった。子供のようだ・・・と心の中で笑ってました。それほど疲れた。

 

 足(踵)から力が発してそれが腰に伝わってそこでターボがかかりエネルギー(気)が増幅して手(拳)に伝わる

 そう聞くと、力が 足→腰→手 と順番に伝わるように理解しがち。

 意気力も意(will)→気(energy)→力(power)と理解しがち。

 私はずっとそう思っていたけど、今回パリに戻ってきてから師父やピアノの先生に真っ先に学んだのが”時差なし”、同時、ということ。

 足腰手、や、意気力、は横並びに書くべきでなくて、三文字重ねて書くべきだった、という大発見。もちろん、そのためには気が全身に満タンになっていて、蛇口をひねれば水が出てくる、という師父のたとえのようになっていなければならない(*これも図をかけば簡単に説明できるのだけど・・・)

 

 裸足で練習していることを友人に言ったら、エチオピアのアベベは裸足で走ってマラソンの金メダルを取ったことを思い出させてくれた。エチオピアでは裸足で走っている子供も多いようだが、靴が買えないという事情もある一方で、訓練として裸足で走る方法を取り入れている場合もあるようだ。

裸足で走ると”足裏全部で着地する”ことが分かるという。

 足裏全部で着地する、これは言い換えれば、足裏どこにも均等に力がかかるように着地する、ということ。踵からつま先に向けて順次に体重を移動させない、ということだ。

 着地する時には着地する足の上に全身が乗っかってなければならない。

 ほとんどジャンプの連続?

 そして初めてアベベの走り方を見たけれど、虚霊頂勁がずっと維持され頭頂がブレない、顎もしっかりひけて、肩は沈み、胸も突き出さず(胸郭が大きい、肺活量が大きい)、丹田が収して(会陰引き上がっている証拠)、中正がしっかりとれている。乱れない。それは走り終わった姿、表彰台に上がった姿でも一目瞭然。

 

 少し調べたら、実際に裸足で走る練習をしているアスリートの方のブログがあった。

 https://www.zerobaserunning.jp/%E3%82%BC%E3%83%AD%E3%83%99%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%81%A8%E3%81%AF/%E3%81%AA%E3%81%9C%E4%BB%8A-%E3%81%82%E3%81%88%E3%81%A6%E8%A3%B8%E8%B6%B3%E3%81%AA%E3%81%AE%E3%81%8B/

 

 このブログに書いてある裸足練習の末の気づき、それはまさに私がこの2日間で感じたこと、そのものでした。

 ①胴体を使って走ること

   =(私)胴体を使って動くこと(脚で動かない、手で動かない、丸ごとで動く)

 ②人間としてあるべき身体の使い方ができているのかどうかを身を以て知ることができること

  =(私)丸ごと使えていないと足裏が痛い、もしくは足裏かばって膝が痛い、屁っ放り腰になる、そして足裏かばって着地するとよけいに足裏が痛い結果になる。

 

 裸足でやると足裏にしっかり体重をかけることになるだろう、と思っていたけれど、やってみると真反対。足裏に乗る体重を減らすために胴体を軽くしようとします。会陰はもっと引き上げて、上半身はもっと軽く。知らなかった〜、上半身を軽くするための含胸、含胸で肺の中の空気量は増大する、浮きやすくなる。水泳なら肺は浮き袋。肺に溜めていないと沈んでしまう。

 そう気づいて、隣の芝生で練習していた年配の太極拳サークルの人たちの動きを遠目にみたら、肺がしぼんでしまっていて上半身がどかっと下半身の乗っかって、下半身が重圧に負けまいと必死に頑張っているようだった。こうやって膝などをこわしてしまうのだなぁ、と。上虚下実の意味を見直さなければならない。下実になるために一旦は肺の気を下に落とし込むようにするが、動く時には肺に戻さないと下半身が重すぎて動けない。身軽な動作はできない。そのあたりはまたいつか整理します。

 

 と、明日も裸足・・・足裏痛いし気づきもあったからもう良いかなぁ、と思ってたら、帰り際に師父が1ヶ月も続ければ足裏がしっかりして痛くなくなる、と一言。ああ、1ヶ月は続けなきゃならない・・・やり出したのだから足裏がへっちゃらになって、裸足でも靴ありでもどっちでも構わないと思えるまでやれ、ということかなぁ。

 

2020/5/24 <扣kouの正体、指先から気が出る、会陰と太ももは頑張って引き上げる>

 

 今日たまたま見たバレエダンサーの家練の動画。あ〜、なんて手足が長くてきれいな男の子・・・としばらく見ていて、あれ? あー、そうだったのか〜、とずっともやもやしていた足の”扣”の要領が頭の中ではっきりしました。

 

 足はつま先に力を入れない、お椀を被せたようにする(扣kou)、と何度も師父に注意されてきたが、つま先に力を入れないとべた足になるし、足裏の湧泉や土踏まずをを引き上げて扣にしようとすると足(foot)全体が亀の甲羅のように固まってしまったりつま先に力が入ってしまったりする。

 実験してみると分かると分かると思うけれど、もしべた足で前後や左右の重心移動や馬歩をすると間違いなく膝の上に重さがかかってくる。太ももがグッと固まって太いソーセージのようになる。べた足は間違いなくNG!

 

 土踏まずや湧泉は引き上げなければならないが、会陰を正確にきちんと引き上げていればそれらも引き上がるはずだが、直立した時に土踏まずや湧泉が引き上がるように会陰の引き上げを調整して双方から調整していく必要がある。

 最終的に目指すのは、足の中の骨が総動員されてアーチを描き、内踵に落ちて来た身体の重さが指先から地面へと流れ出ていくような使い方。東京タワーの体重がアーチを描いた土台によってうまく地面に分散して抜けていき、それによってとても安定する、倒れない、そんな原理に近いと思っている。骨盤がアーチ構造なのと同様、それぞれの足もアーチ構造のはず。

 

 2018年の練習メモで、バレエのチャコットの「つま先を伸ばす」というブログからこんな写真や記事を紹介していました。

https://www.chacott-jp.com/news/useful/lecture/detail001174.html

 

 

 「やはり趾はパーに広げて伸ばす」と上中央の平筆のような足をよしとして、

 「趾を丸めて縮めるグーはNG」と、右端のような足をバツとする。

 

 記事を読んでもっともだと思ったのだけど、その時の疑問は、「扣にしたら指先が熊手のように開いたままにはならない、趾は丸くなる。でもグーはダメだなんて、じゃあどうなる?」というものだった。

 

 そして今日、たまたま見た美しい動画で、あ〜、そうだったのか!といろんなことに同時に気づいた。

注目したのは最初に出てくる足の曲げ伸ばし。ポワント(つま先まで伸ばす)とドゥミポワント(半分のポワント)。

 

 あ〜、これが扣だ!(左の写真)

上のチャコットのグーの写真との違いは分かるかしら?

きっと足(foot)だけ見たらどちらも同じに見えてしまう。けれど、気の流れは全く違う。

左の足は指先からうっすら気が流れ出て行くような使い方。

チャコットのグーは気の逃げ場がなく足にこもってしまう。

 

 

 

それがはっきり分かるのがこの左のポーズ。

 

足首、踵が床から離れているのに注目!

(踵が床に着いていたらグーになりがち。離しておくとグーになれない。)

 

このポーズを真似したら謎が解けました。

 

だから師父はああいう風に圧腿を厳しく指導するのだなぁ、と。膝裏が伸びない、太ももが押し込めないと怒鳴られる(苦笑)

 

もちろん会陰の引き上げもマスト。彼のように両手をあげると会陰は引き上げやすい。

 

 

 足の扣は全身で作るもの、足のグーは足で作っただけでした。べた足は論外。

(扣にしてしゃがんでいくと膝にかかる力が削がれていくのが分かる)

 

 

 内功の11番目の乾坤開合法を紹介した動画の中で、手足を大きく開いた形が星型(頭と両手、両足)になると言ったと思うのだけど、この5点は身体の末端でどこも通路がわずかに開いていて外界と気の出入りができなければならない。頭(百会)が”虚霊”と言われるように、手足の先端も頭頂と同じように外界に通じている必要がある。バレエダンサーだけでなく気功法やヨガでも、指を更になが〜くして、とか、指先から水が出ているイメージで、というのはそのため。拳を握っても空拳。自分の中で気を堪えない。外に抜く。溜めるのと同時にそれを抜けないと圧がこもってしまう。(下痢も便秘も好ましくないのと同じ?)

 中医の先生が、家族が脳溢血になった時は救急車を待っている間にその人の手指の先を針で突いて少し血を抜いてあげなさい、と言っていた。手先足先が詰まっていると心臓や脳にかかる圧力が高まってしまう。

 

 それにしても上の彼のような美しいポーズはなかなかとれません。会陰や股間、太ももの押し込みに使う力が半端ない・・・この太ももの力の使い方は(完璧にできないにしても)覚えておくべき。ほとんどの人が反対向きに太ももを使っている。太ももは引き上げて股間に近い側の力を使う。膝は引き上がる。しゃがんだり中腰になる時も太ももは(腹や股間やお尻に向けて)引き上げ続けなければならない、緩めてはいけない。太もも一周、前も後ろも内も外もすべて引き上げられていたら、その時は足は彼のように扣になっているだろう・・・少しでも近づきたい。

 

 ロックダウン中、たくさんのダンサーが家練の動画を出していたけれど、彼は格別きれいだ、誰だろう?とその後調べたらなんとオペラ座のエトワールでした。なるほど。バレエダンサーの中でもピカイチ。足もきれいなはずだ。ロックダウンだからこそ見せてくれた生足。感謝です♪

2020/5/23 <第9式 前蹚拗步の技の説明>

 

 昨日の続きで第9式。

 字幕をつけたので説明は動画を見てください。

 

 何気ない太極円の中に挒(リエ)が隠れているとは思いもしなかった・・・。

 挒(リエ)は関節を痛める技で対人練習する時は十分気をつけなければならない。が、相手を使って練習したことがないと力の使い方が全く分からない。動画撮った後で、挒のツボは中丹田だったと思い出しました。相手がいると目先に気が奪われて肝心なことを忘れてしまう。

 靠もまだまだ練習の足りない技。46式にたくさん登場するから少しは慣れてきたけれど。

 

 生徒さんに師弟漫才のようだと指摘されましたが、実際私も自分で見て笑ってしまいました。

 師父はいつも大真面目で全く笑わない・・・。歯車がズレて噛み合っているようです(苦笑)

 

 

2020/5/20 <言葉とイメージと体験>

 

 はっとする絵。

 自然と一体になるとか無為とか無我とか言いながら、無意識にそうなっていないか?

 言葉、コンセプトは、絵や図、イメージになって初めて意味が鮮明になる。

 太極拳、その根底にある中国文化はイメージ=象(xiang)の文化。漢字がその代表格。

 

 私たちはイメージでコミュニケーションしている。

 言葉はイメージを作るのを助けるためのもの。イメージの浮かばない言葉は無意味では?

 

 無我を絵に書きなさい

 と言われてどんな絵が描けただろう?

 

 正しいイメージが描けられるような学び方、教え方が大事になる。

 正しいイメージのない空の言葉を使ってはいけない。

 

 とはいえ、イメージは体験に基づいている。体験がなければイメージが浮かばない。(にんにくを食べたことのない人はその味や匂いをイメージできない。)

 まずは正しい(真の)体験が必要なのでは?

 結局は先に体験ありき。 

 新たな体験をもたらせてあげられるような指導ができるのが指導者の醍醐味。

 そのためには自分が毎日新たな体験をしていかなければならない。常にフレッシュであるように。

 

2020/5/19 <笑うは百薬の長 舌抵上顎 衛気>

 

  あるサイトで目にしたこんな言葉。

  

 One minute of anger weakens your immune system for 4 to 5 hours.

 One minute of laughter boosts your immune system for 24 hours.

 1分怒ると免疫システムは4~5時間の間弱くなる。

  1分笑うと免疫システムは24時間高められる。

 

 笑うのは身体に良い、というのはよく聞く話。怒りや笑いが免疫システムにどう影響してそうなるのか詳しくは分からないにしても、そうなっていてもおかしくないだろうなぁ、と思う。

 以前中国のテレビ番組の中で中医の先生が、女性でよく怒る人は乳がんになりやすく、怒りやストレスを堪えがちな人は婦人科系の病気になりやすい、と言っていたが、じゃあ、どうやって怒りやストレスを発散するのか?という問いに、「笑ってください」と答えていたのを覚えている。

 笑いは百薬の長。

 今更ながらだけど、思い出さなければならない。

 

 今日早速その話を師父にしてみた。そうしたら、

   笑一笑,十年少。

   愁一愁,白了头。

   (笑っていると10年若くなる。憂えていると頭が白くなる。)

 という言葉を教えてくれた。中国語で読むと抑揚、リズムが一致していて歌のよう。

 

 ヨガをやっていると、そのインドのマスターはポーズを持続して辛くなってきたころに「はい、ここでhappy smile♪」 「Happier!」と声をかける。そして辛いけどそうしてみると、不思議なほど楽になる。どうしてだろう?と身体を観察していたら、happyをやると胸(肺)が広がって胸から上がふわっと浮いたようになる。苦しくなってぐっと堪えていた力がふわっと外に抜けていく=つまり、一種の放松になる。外に抜けるとhappyになる(決して内側の気がなくなるわけではない、放射線状に限りなく伸びていく感じ)。身体の内側にこもっているとキツく重くなる。

 太極拳や気功法で、虚霊頂勁して百会を抜いておく、足裏の湧泉を開けておく、両手の労宮のツボを開けておく、というのが同じことなのだけど、それを達成するにはまず丹田の気の量を増やして、最低でも、頭や両手両足の末端まで気を送り出しても中心の丹田が消えてしまわないくらいの丹田力が必要になる。が、そもそも丹田の気を養う時に”むっつり”していてはいけないことをこれまで指摘するのを忘れていなかったかしら?

 

https://yogafirebyjo.com/2019/03/08/nouvelle-video-energie-vitale-prana-et-vayus/
https://yogafirebyjo.com/2019/03/08/nouvelle-video-energie-vitale-prana-et-vayus/

 

 口がへの字になっていたら丹田に気は溜まらない。

 やってみるとわかると思うが、会陰が引きあがらないから、気が沈み込んでしまう。下が重くなると同時に上半身が死体のように下半身に乗っかってきてしまう。子供が嫌々ながらふてくされて片付けをするような感じ? この下半身の重さは上虚下実の”下実”ではない。

 

  気功法では、少し口角を上げて、と指示されることがよくある。

 内側で面白くなくても、口角を少し持ち上げると、ふてくされ感が減少する。胸の気が持ち上がって軽くなる。

 

 

 

 

    太極拳の上顎に舌を貼り付ける、上顎を舌で支える、という要領も口角を持ち上げ微笑したようになる。

    これで胸から上の気、プラーナ(胸の気=宗気)やウダーナ(首から上、頭部の気)をふわっと持ち上げる。するとその気が身体をとりまくようになってヴィヤーナ(全身を取り囲む気)を形成する。ビィヤーナは衛気に相当するようだから、これによって外界から邪気が体内に侵入するのを防ぐことができる。

 

 腹の丹田に真剣に取り組む時に微笑を忘れない。

 うまく行かなくても笑う。うまくできない自分を笑う。

 笑うと気が増える。

 真剣でも深刻になってはいけない

 

 <今パリで見かける広告>

 パリ市の広告ですが、さすが、色、デザインが良くて絵もかわいい。そしてユーモア・・・

 決して脅したり命令しない。街を見るとマスクなしの人もかなり多く、緩すぎる感も否めませんが(苦笑)

 ①パリでは私たちはタッチなしで挨拶します。

 ②パリでは私たちは良い習慣を実行します。(手洗いや殺菌・・)

 ③パリでは私たちはその”流行りのアクセサリー"なしでは外出しません。

2020/5/18 <呼吸法 喉を開いておく 舌抵上顎 口で吸う>

 

 今日は時間が空いたのでzoomで生徒さん達と練習・・・と言いつつ実は私は皆を実験台に使っているような面もある(苦笑)

 

 早速試して見たヨガのウジャイ呼吸法。Ocean Breezeのように喉でスーと息の音を立てて呼吸をする。吸う方は難易度高くすぐに太極拳には応用できなさそうなので、簡単な吐くほうだけ、とやってみてもらった。喉でocean breezeのような息の音を立てて吐き続けると、無意識に息を止めてしまう、ということが回避できる。内功の第一番目の降気洗臓功で、両手を頭の上から下に降ろして行く際、息は当然吐いていくのだが、よ〜く注意していないと、両手が胸の位置からさらに下に降りる時には息が”んっ”と喉で飲み込んだように詰まってしまいがち。息を止めてしまうと腹まで息が通らない。それを回避する一つの方法として、ヨガでは、喉で音を出し続けることで喉が開いた状態を維持する、という方法が考案されているようだ。

 以前ブログに書いたかどうかは忘れたけれど、立位で膝を伸ばしたまま前屈する時にマスクをつけてやってみると、マスクをつけないでやるよりも楽に前屈できる。それは確かロルフィングか整体の人が本に書いていたのだが、そこにはなぜそうなるのかの説明はなかった。が、私が自分で試してみて気づいたのは、マスクをしていないと、前屈していって胸が曲がったあたりで呼気が一旦止まって(詰まって)そこでさらに息を強めて吐いていかなければならないのに対し、マスクをすると、息がつまりそうになったところで自然に吸気に変わっていく、ということ。マスクをすると、俯いていくうちに鼻呼吸がし辛くなって身体が勝手に喉を開いて息を取り入れようとしてしまう。喉が開くと身体(背骨)の柔軟性は高まり結果として前屈がやりやすく感じる。

 一方、マスクをつけないで前屈をした場合、通常は呼気で前屈を始めるが、前屈とともに首が曲がって喉が詰まると詰まったまま鼻から強烈に息を出そうと頑張ってしまう。息が喉から下に通らないので背骨は硬くなり、硬いものをむりやり曲げようとするからキツく感じる。

 つまり、息を喉で詰めない、喉を貫通させることがとても大事、ということだ。

 舌を多少巻き舌のようにして上顎に貼り付けるのも喉を開くため。舌が落ちると喉が閉じてしまう。

 口呼吸はだめだ、とか言うけれども、”吸”という漢字には”口”がある。赤ちゃんがおっぱいを吸うのは鼻でなくて口。口で吸うのが吸う基本。ただ、赤ちゃんが舌と上顎の間におっぱいを挟んで吸うように、舌は上顎に付いて唇は軽く閉じていなければならない。口の中で吸えば鼻も吸っている。口の中の陰圧(口の”収”、後ろに引く)が大事。臍や目と同じ要領だ。

 

 と、話は逸れたけど、喉を閉じない、のはとても大事。閉じると頭と胴体が分断されてしまう。

閉じると頭が一人歩きする。私が感じる限り、喉を開いたままにしておくと、妄想はできないのではないかしら? 脳が開きっぱなしになったようで簡単な足し算もできない・・・今・ここ、にいることしかできない・・・喉を開くことで丹田から脳まで一つになってしまうからかと思うけど。試してみてください、是非。

 

 で、今日試したウジャイ呼吸法。私自身はヒット作だと思って紹介してみたけど、一人生徒さんがそのせいで頭がぼおっとして気分を悪くしてしまった。後で気づいたのは、この呼吸法の時には、腹はキュッと押し込んでいなければいけないということ。もし、腹を膨らませながら喉から息の音を出して吐いていったら・・・と試したら、私も頭がぼおっとした。

 強力なメソッドはとても正確にやらなくてはならない。反省。

 気功や太極拳ではそこまで無理に息を入れたり出したりしないから、少し間違えても許容範囲に収まる。やはり時間はかかっても自然にやっていくのが安全なのかしら?

 そういえば、OSHOはヨガは男性の道、気功は女性の道、と言っていました・・・。

 自分で道を切り開くか、道が開くのを待つか・・・

 

2020/5/17 <ヨガ、そしてカラリパヤット・・・>

 

  昨日の”震”はまだまだ広がりと深みのあるものに違いない・・・

 

 このロックダウンの時期に昔から友人に勧められていたインドのマスターのオンラインのトライアルコースを受けだしたのだが、ポーズもさることながら、様々な呼吸法が凄すぎる!

 気功や太極拳ではもっばら自然呼吸、そして次第に腹式呼吸、と進めて行くところを、様々な呼吸法を駆使して息を増やし息を隅々まで吹き込んでいけるようにさせていく。その中には声を低くならせたり、オームやその他の音、マントラを使うものも多い。

 

 ヨガの一つ一つの呼吸法にはそれぞれ目的がある。最終的には息が全身隅々までいき渡り、最終的には左の風船人形のように”周身一家”(身体が一つの空間で満たされる)ようになることことを目標にしている。

 

 私たちは普通、四肢は胴体から離れているように感じたり、頭とお尻は別物だと感じたり、そもそも、私は手ではない、と思っている。しかし、もし ”私”=丸ごとの身体、になってしまうと、もはや、「私が脚を上げる」という論理はなりたたなくなってしまい、”上げたら脚が上がっていた”となるだろう。もはや、意→気→力、と時間差はなく、意気力は時間差なしで同時になる。

(実は馮老師が内功の動画でも何度もそのようなことを示唆していたが、それは丹田の気が身体の外枠まで広がって身体全体を一つの気で満たした時に感じられること。広義のポンの正体。)

 

 ヨガで力強い呼吸を練習すると、その呼吸があたかも高い水圧でパイプの詰まりを吹き飛ばすかのように、身体の内側の開かない部分を突破することがはっきりと分かる。タントウ功ではそこまで無理やり圧をかけないけれども方向性は同じ。じんわり起こるのを待つか、自分の呼吸で積極的に道を貫通させるかの違い。上の風船人形を膨らますことを想像したら分かると思うけれども、胴体を先に膨らまして次に頭を膨らますところで息を一段強く吹き込む必要があるだろうし、そこから手や足を膨らましてぴょこっと出させるには顔が赤くなるほど頑張って息を吹き込まなければならない。それを一気にやろうとして血管が切れるようなことがないように、今日はここまで膨らまして見て、明日はまた最初からもう少し先まで膨らまして・・、と行ったり来たりさせながら、最終的には一気に全部膨らませられるようにする。 それが身体(フィジカル体)の目標で、そこから先は次の体の練習に重点が移って行く。

 

 身体の練功については、それが息で完全に膨らめば、柔軟性や可動域も見違える様に向上する。内側からうにょ〜っと伸びてくれるので、外側の筋を引き伸ばした身体とは質の違ったしなりが出てくる。

 

 と、インド武術、カラリパヤットの動画を見たら、うわ〜、柔らかい!

 中国武術や日本の武道の祖先とは聞いていたが、日本に到着するまでに随分硬質になったようだ。

 テコンドーや日本の空手をみると背骨がほとんど棒のように真っ直ぐだが、師父が言っていた様に、暖かい地域の人の身体は柔らかいから、気候によって身体の使い方が変わるのもある意味当然かもしれない。が、背骨はガチガチよりも子供の時のようにしなる方が運動面でも健康面でも良いというのは周知の事実。私たち日本人の背骨はなぜか固まっていてガチガチ(私の背骨も決して柔らかくない)。おそらく社会、文化、教育、いろんなものが関係するのだと思うけれど、固い人ばかり見ていると固いのが当然だと思ってしまう。強い部活に入れば自ずから上手になる、ということで、武術の祖先はこんな感じ、と脳に覚えさせておくのも無駄ではないと思います。特に太極拳は柔らかさとしなりが特徴。背骨や関節がガチガチではチャンスーはできない。

 こんな風に動けるんだ〜動いてたんだ〜、とイメージで練習。

 固めない、うにょうにょ動く・・・考えただけで笑える♪

 

<下の写真>

 https://youtu.be/oI84oM_bJeg

 上段の左背骨、肩甲骨が・・・

 上段の右 足上げはもはや足上げではない。バッタになる。

 https://youtu.be/EnsG0l41gf8

 下段の左の女性は習いに来た西洋人。なかなか腰がしなれない(反れない)

 下段の右側は先生。腰のしなりがものすごい。

 

 

 左はイノシシの動きだったと思う。

 真ん中が先生だとすぐ分かる。このくらい”尾骨から頚椎”までが繋がれば、腿に負担がかからない。お尻がここまで割れてやっと会陰まで使える。

 右の女性は腰がしならない(=命門が活性化していない)ので背骨が首の下から腰椎までしか繋がっていない(だからしゃがんだ時に腿や膝に負担がかかる)。仙骨、尾骨まで使えるようになると首も繋がってくる。仙骨尾骨を活性化(動けるようにする)には命門、中丹田が操作できるようになる必要あり(左の先生と比較すると一目瞭然)。→太極拳の内功では採気功や開合法、帰丹田法などでそのあたりの練習を地味にしています。

2020/5/16 <拍打功 震の意味 十常四勿>

 

 今日早速師父にお願いして拍打功(paida gong)をやってもらいました。

 動画に字幕をつける作業をしていたのだけど、終わる直前に全て飛んでしまったのでギブアップ。私が師父の言葉を繰り返しているので動画を見れば分かると思います。

 

 師父が強調していたのは叩き方。

 ”震”(zhen)という言葉を使っている。震脚の震。打ったらその震動、じ〜ん、というのが内側に響かなければならない。じじ〜んと鈍い感覚が響くよう、震動を中に入れ込むように叩く。叩く腕を放松して重力で重くして打つとうまくできる。太極拳の拳の打ち方と同じ。重い拳。相手の身体の中に衝撃が染み渡る・・・悪く使えば人を傷つけてしまうが、上手く使えば身体を養う、ドラッグと同じ?

 ここで”震”の感覚が掴めたら”震脚”のやり方が変わるはず・・・地面の中に震動させて気を入れ込まなければならない。降ろした足が地面から跳ね返って来てはいけないということ。地面がじ〜ん・・・そして自分もじ〜ん

 

 動画を見たら分かるけど、下半身は外側は胆経をたどればいい。内側は脾経をたどっていました。女性は特に脾経に気をつけて。婦人科系の疾患、冷え性などに関係ある。夜なら叩かずさする方がよい。

 

 師父が紹介している三字熟語の連発

 頭常理 面常洗 頚常擦  胸常摸 腹常揉 腰常转 四肢常揺・・・

 

 原点は中国で最も長生きした乾隆帝の養生法”十常四勿”かな?

 https://takeichi3.exblog.jp/28041014/

 中国語だと三字熟語なので簡潔で覚えやすい。

 <十常> 

 齿常叩 津常咽 耳常弹 鼻常揉 睛常转 面常搓 足常摩 腹常旋 肢常伸 肛常提

 <四勿>

 食勿言,卧勿语,饮勿醉,色勿迷

 

 

 そして動画の中の丹田のハッ!

 

 でんでん太鼓は心腎相済(火と水の相済→気の発生)を狙っていました。

 

2020/5/15 <拍打功の思い出 自分で自分を叩くと身体はどう反応するか?>

 

  拍手功は最初師父から教わったが、北京で陳功老師に個人レッスンをしてもらった時も最後は拍手功でしめくくった。あの時はまず師父とは違った形のタントウ功を教わり、そのあと二人で向かい合って一時間弱立ったあと、次第に両手首の回転から腕のチャンスー、次第に太極円となっていった。当時は理解できないままただ真似をしたが、今振り返ると、あれが無極から陰用に分かれて太極になるさまをそのまま練功で再現したのだと分かる。

 最後に拍手功を真似してやったが、両腕、両肩から胸腹。腰に移ってお尻から脚の後ろ側を下に降りて足をぐるっと回って前側を上がってくる・・・それは師父に教わったのと同じやり方だった。が、私たちが自分の身体を叩く時、どうしても自分では叩けない場所がある。それは背中。その時、陳項先生と言葉を交わしたような覚えはないからおそらくジェスチャーで、お互いにお互いの背中をパンパンと叩きあった。背中を叩いてもらう・・・野球やサッカーの選手がフィールドに出て行く時、コーチが後ろから、よし、行ってこい!と叩いてもらうのも背中ではないかなぁ?

背中を押してもらう、ではないけど、背中を叩いてもらうのはなんとも言えない気持ち良さがある。しかも陳項先生に叩いてもらえるなんて〜!

 

 と、その後の御苑練習でも拍手功の最後に皆で列になって前の人の背中を叩いたりしていた。一人の練習では味わえない楽しさ。やはり気場を高めるには仲間がいた方がよい・・・ロックダウンではそれもできない。残念! 平常に戻ったら是非試してほしい、し、私もやりたい。練習はしかめっ面で一生懸命やるものではない。オリンピック選手の練習とは違う。少しお遊びがあると気が増える。

 

 拍手功はパンパンと気を身体の中に入れ込むように叩くのがコツ。

 パンパンほこりを出すようにはたくのではない。

 練習の後で気の循環がよくなり皮膚が開いた状態のところで外の気を内側に入れ込むつもりで叩くのだ、と教わった。パン!と叩いたら叩いた手のひらで気を中に押し込むようにする、手のひらが多少ピタッと叩いた面に貼り付いたような感じだ。(台湾のサイトで、拍手功で死亡?なんていうのがあったけど、それは叩き方を完全に間違えている! )

 

 中国のサイトを調べてみると、馮老師がやっているものは道家の拍手功だということが分かる。

下の老師はテレビ番組でそれを紹介していた。

 

 しかし動画を検索していたら上の老師を除いて拍手功の模範になるものがほとんどなかった。馮老師や陳項老師、そして師父の動きを知っているからどうしても比べてしまう。

左の男性はまだ背骨が通っていない(命門が閉じていて上の老師のように頭頂から背骨、太もも裏、ふくらはぎ、アキレス腱 足裏、のラインが張っていない)から、帯脈(胴体の筒)がなく、くにゃくにゃしてしまう。頭が前に出て首が立っていない。上の老師のように”でんでん太鼓”になるようには身体が気で膨らんで”ポン”しなければならない。

 

自分で叩くことの素晴らしさは、自分である部分、例えば腹(丹田)を両手の拳で叩こうとすると、叩く前に腹が勝手に鼓のように膨らんで気のクッションを作ってくれるところ。ここには紹介していないが、師父は拍手功の最後はぽんぽこダヌキのように両拳で腹を3回、ハッ!ハッ!ハッ!と叩くことで締めくくる。ハッ!と言えば腹の気がぐっとさらに増えるのが分かる。しかも放松した柔らかい膨らみだ。もし、んっ!と言って叩いたら、腹の筋肉が硬くなってしまい気のクッションが少なくなる。実際に打たれた時はハっかハ〜で力を抜いた方が衝撃は少ない。注射をされる時に、んん〜と堪えるよりもは〜っと息を抜く方が注射針もスムーズに入るし痛みがすくないのと同じ。

 腹がわかりやすいけど、身体の他の部分も同じ。太ももの胆経の風市を叩けば、太ももの側面が叩いてくる手を迎えるように膨らむのが分かる。叩いた箇所叩いた箇所がポンするのに気づくと自分の身体とはいえ自分の身体ではないような気がする。自分ではどうしようもできない部分の身体の反応をうまくつかうのが太極拳。だから、有意無意が真意、と言われる。太極拳は一生懸命やりすぎると掴めないのはそういうところ。意を使う、といいながらも、身体に任せることが大事。その辺りの塩梅はまだ模索中。

 

2020/5/14 <拍手功 ツボを叩いて身体で覚える>

 

  今日は師父がお休みだったので一人でゆっくり練習。

 昨日に引き続き内功は裸足でやってみる。足裏で地に立つと頭までまっすぐにそびえ立てるような感覚がある。天の気、地の気を真剣に意識できる。自分の足(feet)がどう使われているのか見ることもできる。どの足指がつかえていないのか、足のどのあたりの骨がつかえていないのかもよく分かる。足(feet)の中の骨、26個が全部使えていたらマスターレベルだろう。

 足の中のある骨が使えていないから右腰が使えない(つながらない)、首が伸びない、というように、原因はくるぶし以下にあることが分かる。けれども、そんな足になってしまったのは、上部の身体の使い方が間違っていたからだろうから、これもまた、どっちを先に直せばよいのか、卵が先か鶏が先か、の議論になってしまう。結局、双方向から攻めていく(調整していく)しかない。

  

  思った以上に身体が歪んでるなぁ〜、と自分の足や身体を観察しながらちょっとがっかりしたけれど、生まれてから今までずっと頑張り続けてくれたのだから労ってあげなければならない。古くなって多少傷があったり凹んでいたりしても一点物のアンティーク。丁寧に使って手入れをしてあげよう。身体は自分のもののようで自分のものではないのかもしれない。天からの借り物。使えなくなったら返還。借り物だと思ったらぞんざいには扱えない。

 

 そんな風に思ったら、保健功がとっても意味あるものになった。

 単純で簡単で、身体が喜ぶ。

 今日は拍打功をやりながら、なんて賢い功法! と感動してしまった。

 ただ身体や身体のツボをパンパン叩いていくだけなのだけど、身体がスッキリするのみならず、そのツボがなぜツボなのか、経絡の繋がりも感じられる。叩いた瞬間にその部分がポンするので本来の正しい位置に調整される。

  

 身体を上からパンパンしていってみてください。

 ここをパンパンするとどんな感じでどこに反応が出るのか・・・

 <たとえば内関、手三里、曲池>

  肘を開き(曲池)、力がこもりがちな前腕をほぐし(手三里)、手首を開き(内関)指まで気を通します。

 特に下半身はツボを意識できてツボにひっかけて立つ、動くのが大事。

 ツボを無視して使うのは故障のもと。

 胆経の環跳、風市、陽陵泉は足の薬指へ、胃経の足三里は人差し指と中指へ、と叩けばその繋がりが感じられる。

←膝より下の大事なツボ 

https://ananweb.jp/news/189722/

 

 ツボは病気を直すために使うと思われているけれど、実は人間の身体が動く時にそれらのツボが刺激されているのだということが分かる。

 動いているのにスルーして刺激されないツボがあったら動き方が自然ではないということ。

 動き方が真に自然な人(癖がない人)は皆無に等しいにしても、目標は”自然”。

 癖がなければ使いやすいし美しい。叩くと身体の癖も分かる。少しはとれる。

 

 下のGIF写真を真似して是非やってみてください・・・

 名称の入っていない4番目は極泉穴(腋の奥)、6番目は腎兪、11番目(血海ツボの次)は陽陵泉と陰陵泉を交互に叩いています。

 ツボについて続きを書けたらまた書きます。

 

2020/5/13

 

  11日(月)に外出禁止令が解除されたがパリの公園は相変わらず閉鎖中。ほぼ2ヶ月ぶりにメトロに乗って練習場所に向かったら、練習場所の公園は部分的に開いていた。久しぶりに会った師父はマスクをつけてフードも被って拍手功をしながら登場。一瞬誰か分からなかったが、あんな風に拍手功できる人は師父しかいない。

 その日は10度以下まで気温が下がって風も強かったから短めに練習。

 けれども、師父について練習すると一人でやるのとは全く違う。

 横に立っているだけでその気配がこちらに影響する。あるレベルに達すると立ってるだけで普通の人とは違うのが分かる。修行者だと分かる。削がれた感がある。余計な雑なものが普通の人より格段に少ない。すがすがしい。

 公園は全く手入れされていなくて荒れていたけど、それはそれで清々しい。

 やはり外で練習するべき。

 空と大地、太陽、そして緑。

 コロナだのconfinementだのに全く無関係の自然界。

 私たち人間だけがあたふたしている。

 上からアリの集団を見て、あんなに慌ててどこに行くんだろう? と私たちが見るように、

 私たちは見えているに違いない。

 上を見上げれば全く違う世界があるのに、私たちの目は水平にしか見ない。

 視野を高く広くするには心が広がる必要がある。心が広がるには身体のスペースが広がる必要がある。身体のスペースを空けて開けること、これが気を溜め気を通すことで、それが、”ポン”。

 身体を萎縮させずに広げる。

 ちまくなってはいけない・・・(こちらでNHK見るとそう思わざるを得ない 苦笑)

 

 <下の写真>

 練習場所。2ヶ月前は葉っぱがほとんどなかった木々が見違えるように葉を茂らせていました。

 真ん中の写真:二人のうちの一人が猫を散歩させているらしく、猫は近くの大木を駆け上がっていったり降りてきたり・・・右写真はその拡大写真。猫が見えるはず。

 犬は綱なしで散歩がこちらでは当たり前だけど、猫まで可能だとは・・・。驚きました。

2020/5/11 <目を引いて出す 丹田に引っ張り込んで出す 開合>

 

  今日の生徒さんたちとのzoom練習でお遊び的に紹介した目をすっきりさせる功法。

 テレワークやオンライン会話などで目ばかり酷使してしまうから特に大事。

 子供の頃からすでに目が悪くなってしまっている異常な環境。上丹田ばかりが酷使される生活。

 

 目をギュ〜っと引いて、突然パッ!と開く

 それだけなのだけど、そんな単純な功法が効く♪

 と、皆に紹介してやってもらったら、あれ、思ったほど効いてない・・・効いた、と感じないということは効いてない、ということ。よく見たら、パッと開いた手のひらの労宮も開いてない。

 グッと握る、パッと開く

 そんな単純な気功法はやるまでもないと思っていたけど、それが必要かもしれない

 

 グッと握る、絞るのは肝の気、と中医学の講座で言っていたような気がする。

 赤ちゃんはグッと握って開かない。指の間にほこりがたまる・・・

 これは先天の気の強さの証拠。

 グッと握れないとパッと開けない。

 開合力、は、丹田力。握り込むのは丹田の気。目を引き込むのも丹田。丹田が目を引き込む。

 目が上丹田まで引き込まれるのだけど、実は、上丹田は下の中丹田と下丹田へと引き込まれている。

 覚者の目は下の丹田まで繋がっているから目の奥が深くてなんともいえない色合いがあると効いたことがある。瞬きをせずに目を見開いたままにする練習があるが、目を開いてその奥を腹の丹田の方まで引き込むと、確かに、瞬きをせずに長い間いられる。

 

 本当はそんな難しいことを説明するつもりはなかったのだけど。

 下の二つが馮老師による功法の紹介。

 

 そしてこの下が、生徒さんに分かってもらおうと私がかき集めた材料。

 ピンクレディはどの曲も全てマスターして踊ってたのを思い出しました。朝礼台に乗って皆に指導していたし、夏祭りで櫓の上でも歌った。ちびっこものまね歌合戦にも出たっけ(笑)

2020/5/9

 

  昨夜書いた一文、
 

 ”一番下”は会陰・裆ではなくて足の裏では?

 という質問はナンセンスなのにも(やれば)気づくのでは?

 

 があまりにも無責任かと思い、朝、再度自分の動画を見直してみた。

 

 中丹田と下丹田をつないで、命門から会陰(裆)まで気を下ろす(貫通させる)と足裏はどうなっているか?

 骨盤から下で背骨をほぐしながら回した時の足裏はどうなっているか?

 

 命門から会陰までつなぐと、足裏はしっかり地面を踏み突っ張っている。

 足裏が地面に貼り付いて地面を推しているから、足首が”立って”回る。(足首は縦軸として立ってないと回らない。*身体の3つの縦軸:首、腰、足首)

 

 骨盤から下でぐるぐるすると、足裏がぺらぺらして地面に着いてるところと浮いてるところがでてくる→足首がはっきりしない。足首が寝てる。(気は足首より上、ふくらはぎの下の方までしか降りていない)

 

 そんなことがはっきりします。

 とはいえ、自分の動画を見ると、左足首の回転が不十分。これは股関節がまだ開き切っていないため、自覚あり。

 

 足裏がしっかり地面に貼り付いて腰柔軟に動かせる人は節節貫通ができている。

 足首以下を見ればその人の功夫が分かります。

 少しずす少しずつ練習するしかない。

 内功の練習も丹田を作り動かしながら、徐々に(丹田を失わずに)下半身のクワ、膝、足首を回転させて通していけばいいと思います。

 

 ↓2つ並べると違いがよく分かる。

 頭頂のブレ、肩の水平のブレ、体幹のブレ、裆(股、骨盤底筋)、腿の力の違い・・・

 そして足首以下の違いも明らか。

  

 なお、一番右は太極拳で打ったりする際の、腰、胯、裆(そして腿から足裏までの下肢)の動きの連携。この中丹田と下丹田の発動機で拳が出てくるのが太極拳の特徴。丹田がしっかりしていると腰が自由に動く。”太極腰”(太極拳は腰!)と言われる所以。) 肩がまだ抜け切ってないのが私の現在の課題・・・

  そして下はノリで太極拳的に動いた時の丹田や腰の動き。左は打撃、連打、右は化勁で使うような速い丹田の回転。いずれも、腰、胯、裆(そして腿から足裏までの下肢)の動きが連携する。

 この中丹田と下丹田の発動機で拳が出てくるのが太極拳の特徴。丹田がしっかりしていると腰が自由に動く。”太極腰”(太極拳は腰!)と言われる所以。帯脈回しの時の沈肩が不十分だ(苦笑)

2020/5/8 <バランスボールで中丹田と下丹田を使ってみる 裆劲>

 

  ビデオレッスンで内功の復習をいていたら、生徒さんの弓歩の形がどうしても決まらない・・・身体がまっすぐ立たない。中丹田がしっかりしていない。中丹田がしっかりしないと頭が立たない。

 生徒さん自身に自分の姿勢を見てもらおうと画面録画を始めたらそのまま撮りっぱなしになって私自身の教える姿も録画されてしまいました。教える時はアドリブが多いのだけど、今日も、そうだ!と転がっていた小さめのバランスボールを使って即興指導。生徒さんに動きを見せながら、そうそう、そうなんだ〜、と自分も学んでいるのがおかしい。自分で髪切ったこともあって頭ももじゃもじゃ、音声なしだとほとんどギャグ動画。何を教えているのか分かるかしら?

  が、やはり上の動画では説明不十分かと思い、レッスンの余韻が残っているうちにバランスボールを使った動画を撮りました。

 

  胴体を上中下に分ける(中医学の三焦の上焦・中焦・下焦に相当)。

  

胴体を上中下に分ける(中医学の三焦の上焦・中焦・下焦に相→ヨガの言い方だと、5つの広義のプラーナのうち、上焦の気(宗気)は(狭義の)プラーナ、中焦の気(中気)はサマーナ、下焦の気はアパーナに相当する:左の図参照)。

 

プラーナは呼吸器で取り入れる空気、酸素、軽い気。

中焦で食べ物を消化して下焦で吸収、排泄。

下にいくほど”気”は重くドロドロしてくるイメージ。

→上虚下実が正しい。

 

バランスボールに乗ると股間(裆)をしっかり使わざるを得ないので重い気が下に落ち、上虚下実になりやすい。気が会陰に向かって落ちると背骨が動きやすい、胴体が自由に動けるようになる。

 

 

 中丹田は胴体を操る。

 下丹田は脚(腿)を操る。

 中丹田と下丹田を一体化させて一個の丹田にするのが目標。

 これができれば上焦の気(プラーナ)は自然に入るようになる。中下を重点的に=体幹

 

 動画でやったのは帯脈回し。中を回す。それには中下をつないで置く必要あり。

 打撃も抖动も、動画の中では試していないけれど、きっと重心移動も、バランスボールに乗ってやれば比較的簡単にできるのではないか?

 バランスボールを股でしっかり挟みこんでいれば裆劲がしっかり使える。分かりやすい。立位の馬歩や弓歩で裆劲を得るにはかなり内功を積まなくてはならない。腰とクワの要点をクリアして仙骨よりさらに下、長強穴や会陰、承扶穴あたりを使う(が、このあたりを使う頃には使った感がなくて股が浮いたように感じる)必要がある。バランスボールを使うとお尻=クワ(股関節)が開くので気が一番下(=会陰、裆)まで落ち切った感覚を経験しやすい。

 

 ”一番下”は会陰・裆ではなくて足の裏では?

 という質問はナンセンスなのにも(やれば)気づくのでは?

 

 だから古来からこの練習は命門から会陰までを下向きに開発していく、という手順で行われてきた。会陰までこぎつけば、下は足裏まで、そして上は頭頂まで気の道は開通する。裆劲を使えるということは虚霊頂勁ができている、ということ。そしてその頭頂と会陰に挟まれた部分の他の要領、沈肩やら含胸拔背 塌腰敛臀やらは全てクリアされているということだろう。

 

 と、やってみるとそんなに難しい話ではないので、動画の中の説明を聞いてバランスボールで遊んでみて下さい。そっくりそのままできなくても乗って帯脈回しするだけで松して腰や股関節、背骨をほぐす効用やすぐに得られるはず。

  

2020/5/6 <保健功は面白い>

 

   保健功が思いの外面白くて馮老師の歳を召されてからの動画をチェックしてみました。

 

  ブルブル(抖动)の前に腿の放松の功法が2種類紹介されていましたが、この2つは劉師父が公園で一人でテキトーにやっているような動き。毎日何気なくやっていれば気がついたら片足立ちがふらつく、ということもないだろう。この程度は言われなくても毎日テキトーにやっておくべき。ちゃんと真剣にやるとこれは48式の蹬脚になる。

 

 あのブルブル(抖动)については、膝と前後に関してはノーナレーション、金の鶏のブルブル(

金鸡抖翎)は”腰の放松”と言い換えられていました。そしてその後に、肩の放松が付け加わって、その中に爪先立ちから踵を下ろす動きが入れ込まれている。高齢になっても馮老師のブルブルはキメが細かい。ワサワサ震えずにさざ波のように震えられるのがレベルが高い(骨肉分離が進んでいる証拠)。

 

 

 最後の『練眼神』=眼神(眼の奥の気)を出す練習は絶対にした方がいい! 

 スマホ老眼なのか本当の老眼なのか、老眼になるまえに近眼になる子供もとてもおおい現代、目を養うのはとても大事。ここで紹介されている功法は簡単だけど効く。

 手の動きと合わせて馮老師を真似てやっていてください。

 

 中医学で目指すのは、老齢になっても見えて聞こえること。簡単なようでこれをクリアできる人は少ないのではないかしら?

足がふらつかず、目がよく見え耳がよく聞こえる。

若い時には当たり前だったことがとても価値あることになってきた。

それぞれの器官のにはそれぞれ気(エネルギー)が割り当てられていて(先天の気)、気を使い果たした器官は衰え機能が止まる。大元の気の貯蔵庫である丹田の気を養いながら、身体の各器官に割り当てられるように導引する。それが内功であり、内功としての太極拳だと再認識しました。

2020/5/5 <保健按摩 その他>

 

  内功13番目の保健按摩とその他2種類の(見かけは)簡単な功法を紹介します。

馮老師の動画に字幕をつけたので見てください。

 

 1番目の保健按摩では大事なツボがいくつか出てきます。太極拳ではツボの知識が不可欠ですが、本来これは鍼灸師のように本で覚えるわけではなく、常にツボや経絡の名前を使って(太極拳の)指導を受けているうちに自然に身についてしまうようなものです。ここで紹介されているような叩いたり揉んだりするのもツボの体感を得る一つの方法なので実践してみるとよいと思います。ツボを叩くとビンとくる・・・

 

 2番目の功法は踮脚踮背。踮脚(dianjiao)は踵を持ち上げて爪先立ちになるという意味。持ち上げた踵を下ろすことで身体を振動させる。踮背という言い方は普通はしないようだが、踵を持ち上げると背中も持ち上げたようになるのでそう表現したのではないか? 大事なのは降ろした時に身体が震えること。”震脚”は足の裏全体が同時に落ちるから身体の前面まで震えるが、これはつま先が固定されたまま踵のみが落ちるので背中側が震えるようになる。

 

 3番目の抖动は3種類。両膝→前後→全身(有名な金鸡抖翎 )、右にいくほど難易度が高くなる。

 やってみると分かりますが、抖动は見た目ほど簡単じゃない。

 両膝を震わせるにしても、太ももではなく、膝、膝そのものを震わせるには、会陰や湧泉の引き上げ(脚の扣:土踏まずをしっかりあげること)が必要になる。私は左膝が不完全。(若い時に前十字靭帯を切ってそのままにしているから仕方がないのかもしれないけれど。)

 前後の震えは下半身が前後に細かくふるわせられないとできないかな?

 そして金鸡抖翎。鳥がブルブルっとして羽についた水を吹き飛ばす動きですが、これは腕や手を使って上半身をうまく震わせる必要がある・・・・昔師父からも習いましたがなかなか上手くできないのでずっと放置していました。改めてやってみると上半身がうまく震えない。どこから震えるのか?足裏からか?丹田からか? よくわからないので今日師父にビデオで指導を受けました。なんと、これは手と腕を使って上半身から下半身へ震えを伝えていく・・・師父から下半身の抖动は很好と褒められたけど上半身は今ひとつ。道を歩きながら、料理をしながら、思い出したら、抖、ブルブルっとできないか半日そればかりやっていました。ブルブル、っとするには・・・その前にタントウ功の形にならなければならない。骨肉分離できていない箇所はブルブルしない。課題が分かる。

 

 子供ならそんなことも考えずに簡単にブルブルっとできるだろうに・・・が、老人になってもまだスキップしてたり、ブルブルっと震えられたりしたらさぞかし身も心も軽いことだろう。

2020/5/4 <抖动(ブルブル)から胯の松、松の意味へ>

 

 週末土日にzoomで生徒さんたち十数人と練習してみた。

 内功のおさらいが目的だったが、案の定、やってみると注意したいことがたくさん出て来てなかなか最後までたどりつけない。

 一つ教えたかったのは含胸の重要性、と、その感覚を得る方法。

 私自身、師父がなぜあんなにしつこく含胸を私に注意してきたのか、それが分かったのが今回パリに来てからだから、皆がその重要性を気づかないのは無理もない。けれども、その意味を知ってしまうと、一刻も早く教えてしまいたくなってしまう。性急すぎるのが私の欠点。

 含胸ができるくらい首や肩や胸骨、胸椎まわりが柔軟だったら肩こりとは無縁だろう・・・そういう意味でとても大事。肩や首に力を入れずに頭部が支えられている大人なんてまずいないから、これができるようになるだけでもものすごいことになると思う・・・この点についてはまたいずれ書くことにして・・・

 皆と練習すると気づくことがいろいろあったのだけど、その中でちょっと驚いたのは、練習の最後にお遊びがてらやった、身体をブルブル震わせる動き。内功の最後の保健功の中にある動きだ。

 

 

 

内功の動画の中で馮老師が膝をブルブルさせた後にやるのが、左のような動き。前後に身体をブルブルさせている(抖动)。

 

 

この動きのためには太ももを前後にブルブルさせられないとどうにもならないが、その太ももブルブルが思いの外皆うまくできていないのに驚いた。

案外多かったのは、股がカクカクして太ももが開いてガニ股と内股を繰り返すような動きになっているケース。太ももブルブルはスポーツをする前の準備として無意識にやりそうな動きだから教えるようなものではないと思っていたけれど・・・ん?何が難しいのか分からなくてどう教えて良いのか分からなくなってしまった。

 が、練習後、グループラインで私との練習期間が最も長い生徒さんの書き込みを読んで、私も問題点が納得できた。

 ①ブルブルは前クワ(胯)の”松”ができるかどうかが問題。

 ②そして前クワの”松”のためには・・・・が必要。

 そして、③”松”とは・・・・のような状態。

 と、そんなことが分かるようなやりとり。

 以下参考のため、適宜引用して紹介します。(ミソとなる点を太文字で強調しました。) 

 

 私「太腿ブルブル、案外難しいのですね。知らなかった...」

 Aさん「うまく出来ませんでした😿」

 Bさん「前胯パカッと開いている、会陰が引き上がってないとブルブルできないのでは?

私は先週までできなかった… 先週、鼠蹊部パカッと開かないように(内旋してます)」みたいなこと先生にLINEでやりとりして、その後自分をよく観察してみたらできてなかったという…自分のことは中々わからないものですね。

 Aさん「前クワパカっと開いていてはいけない?」

 Bさん「前胯開いていても鼠蹊部がきゅーっと引き込まれていれば、なおかつ前胯が力なく凹んでいないで引き離されていれば良いのだと思っています。

    前胯が凹んでいても突っ張っているというか…

    胃経が通っているというか…」

  Aさん 🤔

 

 

 私「 ”前胯が力なく凹んでいないで引き離されていれば”

    ”前胯が凹んでいても突っ張っているというか”

   Bさんのその表現がまさに 前胯(鼠蹊部)の  "松"

   というか、実は、それが"松"の正体でした。」

   お尻(後胯 環跳穴)の要領も同じ。

   おしりのエクボ作ってるようだけどお尻の表面は膨らんだまま

   これに気づくと、実は丹田もそうだったと気づく。

1    凹んでるけど凸してる

    凸してるけど凹んでる

 

            これが太極拳の原理。

            結局、その隙間の中に居続ける...

 

            まず隙間を開けるのが第一歩。

            開けて隙間が見えてきたら、そその隙間を広げていけば良いです。

           →結局それが丹田の気を増やすことだったとまた後で気づく。

 

 

   私「話戻すと、Aさんだけでなく他の人も、前クワバカっと開いちゃダメです。

   まあ、その時は会陰が緩んでる=漏れてる

   内側の経、内踵側を繋げる必要あり→内旋が有効」

 

 Bさんより思い出話・・・

  「スキー⛷のウェーデルンの動きにそっくりだなーと思っています。学生のころを思い出しました🙂  コブ斜面を膝で吸収して滑る姿が印象的なウェーデルン。

ただ「膝を抜け」と教える先生もいるけれど、インストラクターからは「急斜面では前傾しろ!腹から足先までを突っ張れ!コブでは突っ張ったまま膝を曲げろ!そうすればコブを超えたら弾力で膝が伸びる!」と教わった。

   不思議に思ったけれど、実際に滑って膝は曲げちゃいけないんだな、曲がるのだなーと納得した。腹で足先を突っ張って遠ざける感じを保ったまま膝を曲げても雪面を押し続ける、と当時は理解したのを思い出しました。懐かしいー🙂

 

 私「過去の体験とつながってきましたね。」

   

  皆どこかで体験してきている身体の使い方。気づくと、なんだ、あれと同じだ、と戻ってくる。実は、”戻る”、”思い出させる”ための練習なのかもしれない。

 

 

2020/5/1 <放松→丹田→節節貫通→放松→丹田 勁を通す>

 

   太極拳は内功をその核心とするからこそいずれ”拳”を落としても内側での修行を続け”太極”の道を進むことができる。

  馮志強老師が著書の冒頭で「私は太極拳を修めたが、太極の道に関して言えばやっと入門したばかりである。」と書いていたのはそういうことだろうと思う。太極拳は太極の道、自然との一体、存在との一体、この現意識をもっともっと膨らましたところにあるタオの入り口まで連れて言ってくれる身体の動きを使った修行法。無事に門にたどりつけば”拳”は捨ててさらに内側の修行に移行していくもの・・・・そんな風に頭では理解してそのように進みたいと思っていた。

 

  と、今日、天気が今ひとつで気温も下がっていたため、家の下の箱のような中庭で練習する気になれず、運動目的の外出禁止でも買い物途中の散歩のふりをすれが大丈夫だろうと、近くにある公園に向かった。門が閉ざされた公園。いつもは門の近くに緑を求めて来るフランス人が結構いるのだが、さすがに天気が悪いと誰もいない。門の中の公園の樹々は数日見ないだけでさらに背が伸びたようだし葉っぱもびっしり詰まっている。放っておくと森になりそう、そうここは森の国・・・なんて思いながらしばらく緑を見ながら鳥の声を聞いていた。気がついたら(本当に気がついたのは終わってからだが)タントウ功をしていた。以前も感じたが、鳥の声から入ると自然に上丹田が放松して頭の北半球(頭部を耳のラインで横に切った時の上側=脳)の中がパカっと白くなって広がるのが分かる(これが”空白”か?)。それからその脳の空白を残したまま下向きに気を少しずつ落としていく・・・すると確かに、放松していくだけで自然に腹がしっかりし下半身が充実し両足が地面をしっかり掴んだようになる。どのくらいそこで立っていたか分からないけれど、戻ってきた(入静状態から)後感じたのは、いつかこれだけ(ただ立って放松するだけ)で十分になるだろう、ということ。さらに内側に入るには身体は要らない・・・帰り道歩きながら、最終的に身体を不要にするためにこんなに身体を鍛錬しなきゃならないなんて逆説的だなぁ〜、よくある太極拳的パラドックスだ、なんて考えて少し可笑しくなった。

 

 ここがまだ緩められる、と気づいた箇所を緩めると、その分だけ腹に気が増える、という法則は最近はっきり意識できるようになったばかり。面白いくらいそうなっている。套路の時も、おっとここに力が入ってる、と気づいたらそこの力を抜いたり、生活の中の動作でも、ん?と気づいたら気づいたところの力を抜いたりしている。が、その作業がキリなく続くのが分かると、なんでこんなにひっきりなしに余計なところに力が入ってしまうのだろう?とがっかりしてしまう。ただはっきり分かるのは、段無意識で身体を使う時は、力を筋肉という身体の表面に移動させているという事実。そして②その筋肉の力を意識的に抜くとそれが腹に集約されるという事実。加えて、③筋肉の力を使って身体を動かしている時は腹に集約されたものが無くなっているという事実。そして更に言えば④意識的に丹田の気を保持させたまま身体を使うと筋肉が緊張しない(緊張できない)=力まない=放松している、という事実

 

 これらの自分の身体で起こっている事実を合わせると、腹⇄筋肉 で”何か”が行ったり来たりしているということが分かる。 筋肉で”ぎゅっ”と感じるものを”力”と呼ぶとしたら、筋肉の”力”を抜いたときに腹に集まって重く感じるものを”気”と名付けたのかもしれない。”気”が筋肉に流れると”力”になるのだとしたらそれはエネルギー・・・といっても、エネルギーとは一体何か、は誰もわからない。エネルギーは仕事をさせるもの、エネルギーはパワーに転換されるもの、とその作用を介してしか定義できないように、気もそのようにしか定義できない。結局、気にしても丹田にしてもそれが使えるようになるのが大事で、(学者でもない限り)それが何かを知る必要はないということだ。

 

 こんな簡単な放松と丹田の気の増加の関係、なぜこれまでそこまではっきり分からなかったのだろう?と不思議に思って早速師父にその現象の報告をした。そうしたら、師父が、「また一段進歩したなぁ。」と褒めてくれた。私はてっきり、「そんなこと、昔からずっと言ってるだろう!」と言われると思っていたので驚いたが、よく考えれば、ずっと昔の私が手の拳をぎゅっと握ってその拳を突然緩めたからといって腹に気が溜まるのを感じ取れたか?といったら、無理だっただろう。なぜなら、腹から拳までの通路が開通していなかったのだから。

 結局、放松しても丹田の気が増えないの節節貫通がまだ達成されていないからだということ。

 それを達成させるには丹田の気を溜めておいてそれを末端に向けて押し出す運動で内側から関節を開かなければならない。

 それはあたかも最初ぺったんこだったホースに勢いよく水を流すことでホースの内側が広がるようなもの。折りたたまれた消防ホースがポンプから勢いよく出された水の水圧によって丸く広がる様は勁(丹田から末端にエネルギーを運ぶ道)を通す様にそっくり。

  そして右の写真は、このような状態でホースを使ってはいけないという例。折れ曲がっているところでホースが破れてしまうらしい。

  この折れ曲がったところを関節と見立てると、丹田から末端に気を送り出した時、こんなに曲がっていたら気は関節のところで止まう。ここに気を通して道を開通させるには鈍角、なだらかなカーブにしなければならない。一方、前にならえ、のように肘を伸ばして腕をまっすぐにのばすと肘の関節は緩みがないので気は貫通しない。緩みがある状態、関節に隙間がある状態、鈍角であれば、水圧でホースがピンとまっすぐになるように、関節も勁が通って節節貫通となる。これも”関節を緩める”という要領で示されているところ。

 

  あとは、ポンプの馬力を上げて=丹田の馬力を上げて、水圧=気の圧、を増やすこと、そして、身体を動かすことによって気の通り道を開けていくことが必要。気の通り道を開けるためには、その外側にある筋肉の筋の伸縮を高める必要がある。これは拉筋(筋を伸ばす)として八段錦や易筋経などの気功法でもよく行われている”外”の練習。内側(丹田や内臓)の練習は外側(筋骨皮)の練習と並行して行う必要がある所以。

  馮老師の編纂した内功は、まさに、丹田を作り、その馬力を上げ、そして筋の伸縮を高めるとともに内側の勁を通すことを目的としている。それがある程度できると、放松が丹田の気と直結するようになる。が、最初の”丹田を作る”ためには放松が必要・・・馬虹老師が「放松に始まり放松に終わる」と言った意味が分かりだした気がする。

2020/4/30  

    

   これまでに内功15法のうち主要な動功12法を紹介しました。

 あとは保健按摩をして収功、そのまま丹田を見守る、の3ステップで全過程終了。

 

 12法の順番に関して、私が紹介した順番が馮老師の表演と異なるけどどちらが合っているのか?という問い合わせがあったので動画で少し説明しました。

 ざっくり言えば、内功の、①降気洗臓功②三丹採気功③三丹開合功、この3つは一番最初にこの順番にまとめてやる。そのあとは④双手揉球功で丹田の気を立円で回す練習をし、⑤日月旋転功と⑥収気帰丹功はオプション、⑦帯脈磨盤功はマスト、⑧单臂伸缩功と⑨单腿升降功はできたらやる(私は⑧をやってから⑦をするのが好み)、⑩双腿升降功はマスト、そして太極拳の套路を練習しない人は⑪環形伸縮功と⑫環形開合法を必ずやる。もちろん全部するのが良いのでしょうが、私自身12法続けてやってみたら功法数が多過ぎて途中で混乱しました(↓下の動画 苦笑)。内功に特化する人なら全部するべきでしょうが、套路も練習しなければならないという場合は内功は多くても5つくらいまでにした方が継続しやすいかなぁ、と思います。

 とは言え、絶対にこうしなければならない、というのはないので、まずは一通り試してみて手応えのありそうなものをいくつか絞ってやってみてもよいかと思います。しばらくして別のものをやりたくなったらやればいい。内功をやって収功したらそのままタントウ功をしたくなってしまうようになれば練習が進んでいる証拠。

 

2020/4/29 <乾坤開合功>

 

  保健功を除けば最後の内功となる12番目の『環形開合功』を紹介します。

 

 実際にはこの功法は『乾坤開合功』という名で呼ばれることも多く、乾=天、坤=地、ということから、天地の開合(天を開いて地を合する、天を合して地を開く)を意識して行います。自分の身体は天と地にを繋ぐもの、その身体の中心は中丹田であることを意識して開合を行うのがポイント。途中お相撲さんの土俵入りを思い出させるような動きです(と書いた後で、横綱の土俵入りの動画を見てみたらまた面白い現象を発見→最後に余談として付け足し)

 

 説明は動画の中でしたので参照して下さい。

 手を交差するかしないか、手を開くか拳を握るか、意識を手足に置くのか丹田に置くのか、それらを変えることによって気の流れが変わったり、引き込む気の量が変わったり、丹田の大きさ(広がり)が変わったりすることを感じられればと、少し欲張って説明しました。

 

 内功は丹田の気が育つに従って次第に効果が現れてくるものなので、最初は手応えがなくても毎日続けて練功して下さい。内功は歯磨きのように毎日やる必要があります。たとえ毎回全部できなくても毎日そのうちのいくつかをやって、最後に収功したまましばらくタントウ功をすることをおすすめします。内功で丹田を使って動いた後にタントウ功をすれば丹田に気の溜まる感覚が強く得られると思います。

 一日に一回は心身をリセットして素の状態に戻す癖をつければしないと気持ち悪くなる。それは毎日お風呂に入らないと気持ち悪いのと同じ。そして浄化プラスアルファで丹田に気を蓄えられたなら心がしっかりして日常生活でのブレが少なくなるのは必至。

 

<余談> 横綱の土俵入り

 大鳳、北の湖、千代の富士、貴乃花、白鵬、(そして還暦の北の湖)と並べたら、大鳳、北の湖は腹、丹田、千代の富士から後はお尻(胯)から背中、脚、の筋肉力を使ってる。土俵入りにも型があるようだから型の違いかもしれないけれど、出来上がったからだをみると、筋肉系の人たちは首の付け根や肩周りに筋肉が盛り上がるようについて首が短く窮屈な感じ。白鵬がその代表例。

 一方、丹田の腹を使った大鳳は、立ち上がる時も姿勢がまっすぐで前かがみにならない、そしてすらりとした感じ。肉がごつごつもりもりしていない。立ち上がる時も上半身に力みはなく、丹田から気が足裏に向かって落ちているのが分かる。顔も涼しいまま。上虚下実。北の湖も腹を使っているのだけど、身体が重すぎて追いつかなそう。下半身に負担がかかり過ぎて痛めそうだ。

  千代の富士はキン肉マンの代表。顔にも力が入っている(まあ、それがウルフでかっこ良いと当時は私は思っていた)。貴乃花も丹田の人ではなかったようだ。白鵬は丹田無関係で立ち上がってきてる。そして還暦の北の湖、丹田ブレてる(引退後鍛錬を続けてはいなかったかな?)

  昔のお相撲さんの方が丹田を使っていたのかしら?

  丹田を使うと身体に伸びやかさと柔らかさでる。どこか冷静で涼しい感じが残る。筋肉に頼り過ぎると身体が硬く縮こまる。心も身体も熱くなり勝負一辺倒になりそうな。

2020/4/27 <環状伸縮功 周天の練習>

 

  内功の11番目、『環形伸縮功』の動画をアップします。

 

  功法のネーミングに注意! 環形”前後”功、ではなくて、環形”伸縮”功です。

 では、何が伸縮するのか?

 もちろん、丹田です。

 丹田が膨張したり縮小したり、それに伴い身体が伸びて大きくなったり縮んで小さくなったり。

 

 

 中国語の説明では

 

身形犹如龙身前后环形伸缩展蓄,如在大海波涛之中隐现起伏」

 

 身体はあたかも大波中から龍が立ち現れてくるかのように、蓄えたエネルギーが展開しまた戻ってくる・・・左の馮老師の動き、確かに龍っぽい。

 エネルギーの展開と蓄積、それが伸縮となって形に現れ何度も繰り返されます。

 

 

 実はこの伸縮は気の周天です。

 任脈督脈を一周させる周天は、たとえ静功(坐禅やタントウ功)でやったとしても、この伸縮功と同様に丹田の伸縮として行われることになります(気は電車の線路のような軌跡として動くものではないので。)。内功で身体を動かしながら足裏を使って丹田の気の圧を操作することを会得すると静功で周天する時に役立ちます。  

 丹田の気の操作は集約すると、前丹田→(中丹田)→後丹田→下丹田→前丹田、という順回転と、前丹田→会陰→後丹田→(中丹田)→前丹田、という逆回転、この2種類です。これがしっかりできるようになるのが第一歩、それから気の量をさらに増やして回転をさせていくと次第に中丹田と下丹田が一つにまとまるようになり(精気が一つになる)、腹腰から全身に気を届けて気で身体を動かすことが可能になってきます。

 

 動画である程度説明したので見てください。上の馮老師の龍のような意気込みと身体のうねりを真似して何度もやってみて下さい。

 (馮老師の内功の動画はyoutubeスタディタイチ・チャンネルの再生リスト「内功」にまとめています→こちら

2020/4/26 <太極拳の目標?>

 

 昨日のブログを読んで、似たような境遇にある複数の方からメールをもらった。

 共通するのは、皆、点数をつけて競い合うような大会に参加しているということ。

 試合に出ることを目標にすると熱意も違うし一生懸命練習するので早く進歩するのは確かだけど、その試合の基準が太極拳の真価を測るものではない別物であった時は大きく道は逸れてしまう。

 

 競わせて進歩させる、というのは人間社会の常套手段で、子供の時もそうやって勉強させられる。勉強が好きでダントツでできてしまう子は試験に照準を合わせる必要もなく突破してしまう。が、ほとんどの子は試験に向けて勉強せざるを得なくなる。点をつけられ競争させられ親から目標を埋め込まれ、気がついたら塾に放り込まれ頑張る轍に入れ込まれ・・・そして頭の中が知識と理屈でいっぱいになって晴れて某一流大学に受かったとしても、社会に出ると、発想力がないだの、独創性がないだの、社交性に欠けるだの、いろいろ批判されてしまう。振り返れば、自分で判断できない子供の時に与えられた狭い目標に向かってしっかり努力してきただけなのだけど(苦笑)

 

 そんな例があるにしても、大人になってからの目標は自分で作るもの。自己責任で目標を立てなければならない。立てる目標によって進む道が変わってしまう。得る資質も変わってくる。どんな目標を描くことができるか? 結局はヴィジョン(vision)の問題。どのくらい視野を広げ高い目標を思い描くことができるのか? 現時点で思い描ける最高のvisionを目標にして、進みながらさらに高いvisionが見えたらそれに変更していくしかないと思う。

 

 私が日本で武術(少林拳系)を習っていた30代、やはり試合にでて試してみたい、という気持ちがあった。運動能力にはそこそこ自信があったし、努力すれば成果が結果で表れるだろう、と思っていた。最初に大会に参加したのが中国鄭州で行われた世界武術大会での団体演武。次回は個人演武で参加したい、なんて少し思っていた折、そこで行われていた個人試合を観覧していて、だめだ、40歳過ぎての武術はどうやってもそれ以下には敵わない、と気づいてしまった。先が短すぎる・・・この時、まだ可能性があると思ったのが唯一太極拳だった。太極拳に転向することを決めたのはその時。当時の老師には「あんなかっこ悪い太極拳をやるのか?」と皮肉を言われたが、歳とってやる少林拳の方がイタいと思ったので何の未練もなかった。

 そして太極拳へ。幸いすぐにそれまでにお世話になったことのあった気功の星野稔先生の教室で混元太極拳が学べることを知りその教室に通い出した。陳式は陳式で北京体育大学出身の若い先生のクラスに参加したりしていたけれども、その先生がよくキレては壁を蹴るのを見て行くのをやめてしまった。星野先生の気功の本の中に「気功はインデックス付きの悟りへの道」という言葉あって心に深く染み入っていたし、同じく、同先生が紹介していた混元太極拳も道家の修行法が根幹にあるというのが一番の魅力だったから、私にとっての太極拳や気功は、”身体の修養から初めて心(精神)、そしてその奥の魂(のようなもの)まできれいにする”、ものだという位置付けがその頃にはできていたように思う。このあたりで、”競う”という感覚が以前より随分減って、それよりも、本当の気功、本当の太極拳を知りたい、という目標に目標が変わっていた。

 

 そんな願いが通じたのか、パリで偶然にも劉師父と知り合い一から叩き直されて1年半ほど過ぎた頃、今でも覚えているが、ふと、パリの試合に出てみたい、という気持ちが起こった。少し自信ができた頃だったのかもしれない。早速それを練習の時に師父に言ったら、師父が一言、「まだそんなものに興味があるのか?」と不思議そうな顔をした。えっ?と師父の顔を見返して、しばし、どういう意味だろう?と考えたが、その時ははっきり分からなかった。帰り際に師父が、「どうしても出たかったら出てもいいけど、どうせ出るなら40歳になった時に40代の部で参加した方が有利だと思うからそうしたらどうか?」と言ってくれた。けれどもやはり「まだそんなものに・・・」の言葉が引っかかって出る気が失せてしまった。

 師父の「まだそんなものに・・・」の意味(感覚)は、その1年半後帰国する頃にははっきり分かるようになっていた。ああ、まだ幼かったんだなぁ、とそんなことを考えた自分を少し懐かしく恥ずかしく感じてるようになっていた。それは子供の時にどうしても欲しいと思っていたおもちゃが大人になると不要になって、そんなものを欲しがっていた子供の時の自分を少し懐かしく思う感覚と同じかと思う。matureになった(成熟した)、というのがぴったりの表現かな?

 

 人は大体自分に欠けているものを目標にするようだ。

 随分昔、お問い合わせで「太極拳は痩せますか?」というメールをもらった。当時の私は揶揄っって出されたメールだと判断して返信を出さなかった。痩せる、なんてそんな目的で太極拳をするなんて太極拳を冒涜している、みたいな感覚があったのだと思う。が、師父はその時、「ちゃんと、”痩せますよ”と返事してあげなさい。」と私を諭していた。顧みると、その時の私の心は師父ほど相手を呑み込めず、心の底でイラっとして相手を弾いていた。

 道教のイメージは何でも呑み込む大きなお腹。太極拳の理念がそれだ。全部を包み込んでしまう、相手の打撃も包み込んで自分のものにして返してしまう、”対抗”しない、円や球で包み込みトンがったものを嫌う。身体でそれを学んでいるうちに、心もそんな風に以前より丸く大きくなっていく(から不思議)。まあ、私の場合、スタート時点が人一倍負けず嫌いで戦闘心が強いから、今やっと人並みになった程度の気がするけれど(苦笑)。寛大になってイラっとすることが減れば減るほど修行が進んでいる証拠。どんなに技がすごくてもイライラしている老師は修行者とは言えない。

 

 ともあれ、練習とともに目標は変化する。

 身体の調子が悪い時は身体の調子を調えて元に戻すのが目標になるだろう。

 身体の調子が特段悪くない人は別の目標になるだろう。

 けれども覚えておいた方がいいと思うのは、進めば進むほど、目標はさらに高くなること。それは肉体次元の目標ではなくなる。いつまでも肉体に縛り付けられていては無意味なことを知ってしまう。それは肉体と気の練習(中丹田と下丹田)を通過して意(上丹田)から先の練習に入っていった時に自然に分かってくることのようだ。

 まだまだ限りなく先がある、無限、と思って練功できるものを”道”と呼ぶ。

 

 

2020/4/25 <内功:「足で踏む」の意味>

 

   昨日アップした内功⑧の動画を見て、読者の方から読んで嬉しくなるメールをもらいました。

 

 太極拳歴は私より長意と思われる、日本の大きな太極拳の組織で熱意をもって太極拳を探求し続けている女性から。教室でどれだけ指導を受けてもなにかしっくりこない。疑問が残る。そこで個人的に模索をして陳式へ、そして私のブログに行き着いたらしい。

 私の練習メモはあっちに行ったりこっちに行ったりで付いてくるのはなかなか大変だろうと思うのだけど、そこを彼女は理解しよう、消化しようと頑張ってきたようだ。太極拳に対する疑問、問題意識がとても強いのは、本当の太極拳、巷に広がった”あの”太極拳ではない、もっと深遠なるもののある真の太極拳、その核心を知りたいからに他ならないだろう。

 

 昨日紹介した『旋肩探臂功』は肩と腕の練習法のように見える(聞こえる)。が、これが”内功”である、と言うことは、丹田の気の運用の練習であることは言わずもがな、だろう。しかも内功練習も後半になり、ここで初めて太極拳の歩法である弓歩が登場した。弓歩の要領については以前動画も撮ったけど、この馮老師の内功を最初からやっていくと、ああ、こうやってそれまでに育てた丹田の気を使って弓歩で動けるようにするのね、と感心してしまう。確かに、腕をこのように使った方が弓歩の前後移動はやり易い。

 

 太極拳にはつねに”対拉”(引っ張り合い)がある(*ここはもっと説明が必要かも)。

 そして一番大きな分かり易い”対拉”は足裏と手先。

 足裏がさらに下へ下へと地下深く踏んでいけばいくほど腕は伸びていく。

 (足裏がさらに踏んでいく、という感覚は、外側の筋の感覚で言えば、ますますアキレス腱が伸びていく、ということになる。実際にはアキレス腱が伸びきらない中でマックスに伸びる感覚だと足裏から地面に気が注入される。)

 太極拳は伸びて力を出す。ここが通常の体操と逆の力の使い方になる。長くする。縮めない。伸びやかな動き、寛容な心になる。力を入れてぎゅっと固めて身体を使っていたら心もきつくなる。それでは修行にならない。天人合一なんて不可能(そんなことを考えて太極拳をする人も減っているのかしら?)

 

 今日もらったメールを読んだら、一般の教室で先生が正しい言葉を使っているのに、先生自身が意味を知らないために間違えて教えていることがあることにまた気づいてしまった。これまでにもそんな話をいくつか聞いていたからもう驚かないけれども。

 メールをくれた女性の教室の先生も、しきりに「足を踏む」「足を踏んで~」と言うそうだけれども、実際には ”膝に力が入った形で、カッチン、カッチンに固まった姿勢で床に足を押し付けている感じです・・(>_<)”とのこと。これで10年も20年も練習をしているそうだから、太極拳を一生懸命やればやるほど膝や股関節、腰に支障がでないほうが不思議。が、この女性は私が動画で伝えたかったことを明確な言葉で表現してくれました。

 

 ”中丹田、下丹田が一つになった丹田の気を足裏に降ろす、押し込むことが「踏む」ことですよね。”

 はい、その通りです!

 ”また、そのちゃんとした「足が踏むこと」ができること(反弾力)によって、自然と重心移動がすっぽ抜けずにできる、ということになるのですよね‥
 足裏に降ろすことで、脚、腰、腕が伸びていく...よく感じられるようです‥"

   本当に分かっているのが分かる表現。

 彼女自身もとても嬉しくてメールを書いてくれたようだし、もらった私もとても嬉しい。

 

    知りたいことを知った嬉しさと、伝えたいことが伝わった嬉しさ。

 そして知りたいことが伝えたいことだった、という一致があるから嬉しさ極まりないのだけど、さらに一歩踏み込んでみると、実は”知りたい”という片方の気持ちが他方の”伝えたい”という気持ちを引き出しているような気がする。

 弟子がいなければ師は存在しない、という言葉を師父から聞いたことがある。

 いわゆる”先生”と”生徒”は一方的な関係。先生が教え生徒は学ぶ。そこが師弟関係と大きくことなるところ。

 ブログやメール上のやりとりだけで、ここまでできるというのは驚き。すべてオンライン化しない方が良いとは思うけれど(苦笑)

2020/4/24 <旋肩探臂功>

 

 内功の第8番目。

 

 弓歩の姿勢から肩を旋回させて腕(臂 bi)をつないで(探して?)指先まで気を通す。

 

 ただの腕の曲げ伸ばしでも腕の旋回でもない。

 『旋肩探臂功』とは本当にうまく表現したものだと思う。

 『单臂伸缩功』では内側の勁の伸びが感じられないだろう。

  

 探臂:(探りながら)手を差し出す、という意味だが、この内功の中には、腕を伸ばしながら腕を探す、あるいは、腕を探しながら腕を伸ばす、というような感覚が込められている。

 このあたりの微妙な感覚が取れたら、これが体操ではなく内功だということ、すなわち、丹田の気の運用であることがはっきりする。

 

 動画の中で強調したのは

 (命門を開いて)中丹田と下丹田の気をまとめて足裏に押し込む

 →足が地面を踏み続ける間、地面から戻ってくる力を使って脚や腰、腕が伸びていく

 という流れ。

 

 これまでの①から⑦の内功で育てた丹田の気を使って大きく動く練習になる。

 この内功をやれば 知らず知らずのうちに弓歩の重心移動が上手にできてしまっているかも?

 

<補足:練習の進んだ生徒さんへ>

 足を踏み続けて気が上がっていく(根節の催)が分かるようになったら、指先のビームを少し意識する。気の行き先を決めないと流れが途中で止まってしまう。これが『梢领中随根节催』の”梢领”。”中随”は腰を空、開けておく、ということ。足裏から指先までうまく通った時は腰は空のはず。(丹田は感じられない)

 

 

2020/4/22 <雁の飛び方からタントウ功を見直す 按、気沈丹田と虚霊頂勁>

 

 昨夜は『世界で一番美しい国』とタイトルのついた、フランスの自然の中で住む動物たちのドキュメンタリー番組があった。CGかと思うような映像でびっくりしたが、あとで調べて分かったのはこれは2013年の番組の再放送だった。パリにいるとフランスにこんな大自然があるとは気づかないけど・・・それは東京にいると日本の大自然に気づかないのと同じかぁ。

 それにしても動物は羨ましいくらい美しい・・・身体が縮こまっていない。自然な美しさ、機能美がある。

 番組の初めの方にでてきた雁の群、その飛び方には見入ってしまった。あ〜、この飛んでる姿を90度回転させて垂直にペンギンのように立てたら、開合功。

 

 羽を降ろす時にぐっと腹底に気を沈みこませている→すると命門が開く→首は前方向に伸び、身体全体がさらに浮上する。

 羽が上がった時、気は中丹田に戻る。

 下げると下丹田そして後丹田(命門)へ。この繰り返し。

 開合功をきちんとできるようになると、合で中丹田、開で中丹田から下丹田と後丹田まで気の球ば膨張するようになるのと同じ原理だ。

 面白い! タントウ功の原理そのものだ。

 

  中丹田から下丹田に気をさらに沈めるから、結果として首がさらに伸びるようになる。

  気を沈めれば沈めるほど頭頂が出てくる→虚霊頂勁が分かりやすくなる。

  百会まで気を通すために丹田から上むきに頭に向けて気を流してはいけない、だからこそ、個人は「虚」と表現して「実」と表現しなかったのだ、ということが実感しやすくなる。

  首は尾骨と関連する。

 

  このあたりは動物は自然にやっている。私たちも幼い頃はそうしていたのだけど、俗世間でもまれているうちに心や身体は自然でなくなってしまう。太極拳はそれをまた自然に戻そうとする試みに他ならないということを再認識したのでした。

 

 調子に乗って遊び心で動画も撮ったので軽い気持ちで見て下さい.....

2020/4/21 <手首を開く要領>

 

  一昨日(4/19)のメモの最後に手首や足首を開ける話を書いたのは、その日のZoomを使った練習で生徒達の開合功の動作を見た時に、手首がほとんど使えていない(手首に気が通っていない)ことが気になったためだった。

 

 以前、師父から「十字手は万能の手だろ!」と言われた時は呆気にとられたけれども、そう言われれば太極拳は開合拳、そして開合の”合”は両手が合わさる時に感じられるようになっている。両手が合わさる形が最も明瞭に現れるのが、両手首を合わせて両手を❌にしてしまうこと。十字にして掌を自分の方に向けると順(気が丹田に戻る)、それをひっくり返して両掌が外側に向くようにすると逆(気が末端に流れる)、発勁が可能になる。十字手にすると丹田の力が入りやすいから丹田と手(首)の連結が分かりやすい。

 

 ・・・と、そこから手首、手の使い方について、動画を撮りました。

(肩を開けて肘まで繋げるには“肱”の使い方が重要だということは以前ブログで書きました。そして今回はその先、)肘から先、手首を開けるには橈骨と尺骨を引き離すように使うのが要点。

 

 これは何も太極拳に限った話なのではなくて、どんなスポーツ、楽器演奏、日常動作にも共通する要領なのだけどその教え方は様々かもしれない。太極拳だとチャンスーで相手に持たれた手を解く時にそれができていないと技にならないからその時に気づいたりする。普通は、「節節貫通、指先まで気を通せ!」の一言で終わってしまいがちだけど、関節関節が関門となるので、それぞれの関節をどう突破するのか意識して練習しないといつまでたっても進歩がみられない。意だけではなく気を通す。なお、気が通った時、気が貫通した時は物理的な実感があるから自分で分かる。あるいは、気が通らないなぁ(もう少しなのに〜)、と分かる。自分で気が通ってるか通ってないかわからない、という時は(多くの場合)まだ通っていない。子供みたいに通っちゃってるけど意識できない、という状態は我々大人には想定しずらい。通すために、いちいち”開ける”前作業が必要になる。意と気を別々に扱える(昨日の動画で気と身体をずらす練習を見せたけれども、それと同じように意と気をずらして使う練習をするとさらに”気”の感覚がはっきりする。でもそのためにはまず肉体と気を引き離して見れるようになるのが第一歩。)

 

 

 楊式太極拳では”拳”よりも”掌”が多いけど、その時は特に注意して手首を開く練習をすればよいと思う。左の図の1と2の骨を開くようにすると、掌根のA~Hまでの骨が開くように作用する。このA~Hがばらばらになって初めて指が開く仕組みになっている。

 手首や掌根を開かずに、初めから指を開こうとすると手首が閉まってしまうから要注意。実は”拳”の時も手首は開いている。拳は強く握らず空拳にする、すると手首は開いておける。賢い!

  

 前腕のこの二本の骨が交差しないよう、平行にして引き離して使うのはピアノでもパソコンでも洗い物をする時も同じ。手や腕を痛めないために必要な要領です。やろうとしたらきっと丹田から肩→肘へと気を注ぎ込まなければならないはず。ぜひ試してみて下さい。

 

 動画の最後の足首、足(フィートの骨)を開くところの説明は少し不十分かもしれません。スルーしてもらって構いません。足首、足は非常に大切なので、また改めて説明する機会があるはず。

2020/4/20  <脚はどこから? 脚に気を通す内功 気と身体のズレ>

 

   内功の続きの動画を一つ飛ばしてその5を撮ってしまいました。その4はあとで埋めます。

 下半身に気を通す功法2つを先に紹介します。

 

 で、どこからが下半身か?

 真夏は家の中で全裸でタントウ功をするように言われて仕方なくやっていた頃、最も大きな気づきはパンツを履かなければ上半身も下半身もない、ということだった。

 パンツを履いた瞬間から上半身と下半身が分かれる。

 それも、どんなパンツを履くか、で随分感覚は変わってしまう。

 ハイレグパンツを履けば、脚は腰骨のあたりから伸びているように感じるし、ブルマ型パンツを履けば股ぐりのところからが脚のように感じる。私は苦手で履かないが一分丈や三分丈を履くともっと短く感じるだろう。

結局、どこからが脚かは自己申告制、各自の感覚によるものではないか?

 

 バレエダンサーのように胸下、鳩尾ライン(左図の⑤)から脚にしてしまうこともできるし、裆のライン(①)から脚を作ることもできる。

 

  日本人は腿を鍛えることに重きを置くきらいがあるから脚はどうしても短く作る(①か②)の傾向があるように思う。が、これでは胴体部と繋がらない。太く重い脚になる。

 

 これまで何度も書いたように、太極拳の腰は③から⑤(薄黄色の位置)。胯は①から③(薄水色の位置)①のラインは裆にあたる。

 そして太極拳が最初から最後まで練習するのは、この腰と胯、その連結

 そのために丹田に気を溜めて、④の命門ラインから②の尾骨、そして①の会陰へと気を回して貫通させる。

  太極拳をする人にとっての脚は少なくとも④のライン(命門、腎のライン)から始まる。

腰を回すのはすなわち足先まで回すことに他ならなくなる。

  

  下の動画で紹介した2つの内功をするにあたっては、よ〜く注意して手を使って気を④、あるいは⑤近くまで導いてください。足裏から③まで上げただけでは不十分です。臍よりも上、そして左右に分けた時には肋骨に少しひっかかるところまで引き上げます。

 

  なお、昨日紹介した馮志強老師のあの足さばきの凄さは、頭頂から脚になってるからだとも言える。(脚も胴体になってしまっている、とも言えるし、全身が脚になってる、とも言える。すなわち、身体に上半身だの下半身だのの境目がない、ということ=周身一家。)

 

  紹介した双腿昇降功を呼吸をつけてうまくやれるようになると、脚が首や胸あたりから始まる感覚が得られる可能性大。身体と気を同時に下ろすのではなく、先に気を降ろして身体がそれを追いかけてなぞるように、気と身体(力)のズレが感じられるようになれば内功の効果がでます。集中してやってみて下さい。

2020/4/20 <肩を開いた状態から含胸をする>

 

  4/17のメモに書いたツィスカリーゼの立ち方(→左の写真)に関して、説明補足する動画を撮ったのでアップします。

 

 肩が開いた状態を保持したまま、含胸→塌腰→丹田、の流れ。

 タントウ功、動功、太極拳、いや、人間の姿勢の基本です。

2020/4/19 <馮老師の足(feet)>

 

  今日は日本の生徒さん十数人とZOOMを使って練習してみた。

 お互いに外出規制中だからやりやすい。内功をやりま〜す!、と呼びかけて、やり始めたら案の定そこからバリエーションの連鎖。なかなか終わらない。皆室内で汗をかいているのが分かる。室内でほとんど動く場がなくてもきっちりやると内功はきつい。1時間半やっても私はまだ教えたいことが残ってた・・きりがない(苦笑) 来週もZOOMで遊ぶかなぁ。

 

 その後、グループラインに送った動画を載せます。

 ツィスカリーゼのFeet(足)の強さの分かる写真が脳裏にこびりついていて、馮老師を見ても足(feet)ばかりが気になる。動画の真ん中あたりで、馮老師が陳項老師の足を素早く払う箇所があるけど、あの足の素早いこと。そして足の力のすごいこと!頭頂から足先までが一つの気、丹田になっているのが分かる。

 

 

 

  グループラインにはこんなコメントを載せました。

 

 「馮老師の足がどこに差し込まれるか良くみてみて。

  膝下の差し込み方、体重の乗り方が陳項老師より格上(演武ではあるけど)。

  だから足首以下の一瞬の払いで相手を倒してしまう。

  頭頂から足裏までが一つの球の中にあるお手本。

  足首先だけ物凄い力が出るように、今日少し教えた手首先だけでも同様に大きな力がでる。

  テコの原理。

  馮老師の足払いがカッコ良すぎ。

  足に着目してると足(feet)から力が出てるのがよく分かります。feetのバネ。」

 

 少し付け加えると・・・

 

 Feet(足)の開発度は足首を見れば分かるし、同様に手(指)の開発度は手首にかかっている。

 今日生徒さんに指摘したけれど、内功の開合功をした時に、その手首の使い方を見ればレベルがすぐにわかってしまう。手首と足首の中を開いて気を通せるようになるために、丹田側から開発すると手なら肩と肘、足なら胯と膝の関所をまず貫通させなければならない。最終ゴールになるから開発に時間がかかる。けれども、末端から開発するならスタート時点、だから両方向から練習することが必要。

 手や足から開くための練習は、拍手功、そして震脚。生徒さん達にはすでに教えているけれど、拍手功や震脚でどこが開いてどこに気を通せるのか分からないでやっているんじゃないかしら?と今更ながら不安になった。拍手功や震脚は10分くらいでできるから欠かさず毎日やってほしい。手首や足首が詰まると血圧が高くなったり冷え性になったり健康上とてもまずいことになる。手足の指の先が陰陽の転換点だからそこまでちゃんと気血を運ばなければならない。手首や足首は思っている以上に締まっていて通りが悪くなっているのは私自身経験済み。(手首や足首が開いているのが分かる幼児の手や足の写真を見せたいのだけど、どこにいったか探し当てられないのが残念。足首の感じは上の馮老師の動画でも分からないことないけど見辛いかも。)

 

 なお、上の動画の中で馮老師が両手をパーに開いて技をかけているのも手首を開けて全身の気を貫通させる=周身一家にする一つの方法。テニスの選手とかよくやってる→右の錦織君)

 

 明日は脚から足まで気を通す2つの内功の動画を撮ろうかなぁ。

 気を通す時は丹田発で最後まで丹田を忘れないことが大事。

 

2020/4/17 <ツィスカリーゼ見まくった結果気づいたこと>

 
 実は太極拳は私にとっての息抜きにならない。息抜きはピアノを弾くことと、動画でピアノ演奏かバレエの踊りを見ること。今はもっぱら、あのツィスカリーゼ(現ワガノワの校長、3/7と3/8のブログでも書きました)。寝る前の1時間はほとんど彼の動画ばかりを見ている。彼がロシアバレエの問題点について語っている動画もあったりして、ロシア語ができたらどんなに世界が広がるだろう〜、と少し残念。
 
 ところで彼はグルジア出身。
 グルジアと言えば世界最古のワインの産地。グルジアはクヴェブリと呼ばれる土器で作られる伝統的な製法が残っていて、そのワインの土臭さと複雑な有機的な味わいは洗練されたフランスワインよりも味わい深いと思えるほど。グルジア料理も素朴で繊細。巨大な餃子のようなのもあって日本人にはとても馴染みやすい味。グルジアは昔から注目の国でした。
 
 で、ここでツィスカリーゼ。
 彼の踊りは普通の男性ダンサーと全く違う。柔らかさが女性より上。トウシューズで余裕で踊れるだろうと思う。筋肉のつき方もモリモリしていなくて力ではなく気で動き跳んでいる、ということは少し前のブログで紹介した。彼の踊りを見てしまうとヌレエフやポルーニンでさえ硬く見える・・・ロシアではヌレエフよりツィスカリーゼの方が有名、というのが納得できてしまうのだ。
 何が違うのだろう?
 と、私は夜な夜な彼の動画ばかり見ていた。踊っている動画だけでなく、教えている動画、喋っている動画、などなど。で、すぐに分かるのは、彼の身のこなしが女性っぽい(オカマっぽい?)ということ。そしてひたむきで熱血、厳しいけど冷たい厳しさじゃない。見てて楽しい〜!(https://youtu.be/9qUQqpvR3no)

 

笑いながら動画を見ていて、それでふと気づいたのは彼の通常時の立ち姿。

それは左の写真のような感じ。

 

だからオカマっぽく見えるのだけど、ムムム・・・これは・・・?

 真似して見ると分かるけど、このように肩を外旋させて手のひらが前を向くようにすると、力が丹田に集まる(下手すると腰が反ってお尻が出そうになる:←彼はちゃんと命門を開いてまっすぐな背骨を保っている)腕に力こぶができない。女性がハンドバックを腕に引っ掛ける時のような姿勢だ。

 

 

  じゃあ、逆に、肩を内旋させて手のひらが後ろを向くようにしたら?・・・ボディビルダーのポーズだ。こうすると腹筋を割ってシックスパックにできそうだし、力こぶも入る。筋肉に力を入れることができやすい姿勢→丹田よりも筋肉に重視。各々の筋肉がそれぞれ鍛えられていて、強い筋肉達の群雄割拠状態。(だから胸の筋肉だけピクピク動かしたり、太ももだけピクピク、など見せることができる。)

 

  一方、上のツィスカリーゼの女性形の立ち方は腹部の力が末端に流れるように伝わっていてそれぞれの筋肉の独立運動が見られない状態。流れるような立ち方・・・日本の女形に見られる身体の使い方だ。(俗に言う伸筋優位の身体の使い方、ボディビルダーは屈筋優位)

 

 そしてここで思い出すのが経絡図!

 ああ、経絡図は女形の立ち方で描かれているのだ・・・

 

 これも真似をしてみると分かるけど、このように①肩を外旋させて手のひらが前に向いた状態で、②胸がまったくつきでず(含胸)、③両肩甲骨の間がゆったりと開き(抜背)、④腰が反らない(塌腰、命門を開く)、⑤足裏にどっしりと体重が乗る、という状態で立てるようになるには丹田を沈み切らせないとならない。ある程度訓練をした人ではないと自然にはとれない姿勢だ。

 

 ということは・・・

 伸筋優位な身体を使い方をするには気沈丹田が不可欠。また、伸筋優位=気を使って身体を使うと同義?

 

 屈筋優位で身体を使うということは筋肉、力で動くということに他ならない?

 

 まあ、師父に伸筋優位だの屈筋優位だの聞いても太極拳の語彙ではないから分からないといわれそうだけど、太極拳を深めると”秀”(秀美の秀)になると言っていたムキムキマンになることはあり得ない。腹筋も割れない。ツィスカリーゼのお腹は中年になってかなりゆったりしたかなぁ(笑)

 

 

そして極め付けのこの足(feet)の強さ。 

太極拳でもその功夫は最終的には足に現れることが次第に分かってきた最中、思った通り、彼のFeetはとても強い。(男性ダンサーでも女性のようにトゥで立てる人はとても少ない。トロカデロバレエ団の男性ダンサーが苦労している動画を見たことがある。)

 

丹田とFeetの関係は細かく解説できないけど、大きな関係があるはず。

 

グルジアダンスやコサックダンスではこの足と足首の強さで膝から下りて膝で立ち上がる動作を繰り返している。Feetだけで跳び上がれたられたら舞い上がったかのように跳べる。

 

 足首から下に注目♪

 

 日本人の彼、頑張ってるけど、屈筋つき過ぎで重い。筋肉ではなく丹田で身体を持ち上げなきゃ・・・言うのは簡単だけどやるのは大変。師父なら「もっと放松しろ」と言うかな? なんでも放松一言で済ませてしまう(苦笑)

2020/4/16 <内功前半の復習>

 

 これまで説明した功法①から⑦までを続けて行った動画をアップします。

 

 この先⑧から⑫は前半これまでに得た基本的な丹田の感覚を失わないように動くことが大事になってきます。それがないとただの体操になってしまい内功になりません。

 是非①から⑦まで動画を見ながら一緒に動いて復習して下さい。

 

 ・・・動画に簡単な字幕をつけていて気づきましたが、うっかり③三丹開合功をすっとばしていました。適宜補充してやって下さい(苦笑)

 

  内功は丹田の感覚が分かってやると意義が感じられる。

  

   思えば私が劉師父に出会う直前、パリで太極拳の先生が見つからないことにがっかりした私は思い切って北京に行き馮老師の三女の老師にマンツーマンで一週間習ったのだけれども、そこで学んだのがこの内功一式と24式太極拳だった。内功はメモをとりながら自分なりには一生懸命学んだのだけど、正直言って、何も残らなかった(苦笑)。当時の私には動きが地味すぎて物足りない。今思えば当時はまだ丹田やら気やらの感覚がなかったから仕方なかったのだろうけど。

  ただ、欲を言えば丹田の感覚が得られるような練習、導きをして欲しかったかなぁ。一週間もあれば丹田への入り口は教えられるのだから・・・(うまくやれば1日かからない。15分でも導けてしまう。入り口まで連れていくのが老師の仕事。その後その入り口を自分で再現して持続、発展させるのは生徒さんの仕事。)。

  

 動画はレッスンで生徒さんを導く時のことを思い出しながら撮ったので、動画を見ながら一緒にやれば少しは丹田の感覚が得られるはずと期待しています。

   折しも外出自粛時期なので家で毎日やって見て下さい。もちろん屋外の方が息が深くなり身体が開きます。やってみた感想、意見があれば是非メールを下さい。

2020/4/15 <内功その3>

 

 混元太極拳内功十五法のうちの、以下の3つの功法を説明しました。

 

 ⑤日月旋転功 

   心と肺の機能を高めるのが目的。

   動きの結果として 胸腹折畳→肋骨を緩める、含胸がやりやすくなる。

   肩甲骨の動きもよくなる。

 ⑥収気帰丹功(引気帰丹功)

   気を丹田に戻す功法→2020/4/6 のメモで紹介しました。

 ⑦帯脈磨盤(小と大の2種類)

   説明は動画を見てください。

 

 動画の中で

  中医学における五臓と六腑の捉え方

  なぜ運動をする前に帯脈を開く必要があるのか、

  帯脈と中丹田の関係

  等についても簡単に言及しています。

  

2020/4/14<無極象図vs太極象図 円裆へ>

 

  昨日動画を撮りながら、突然頭の中に陈鑫の『太极拳图说』のあの2つの図が浮かんでいました。

 調べたら2014/12/4付のブログで私はこの図を紹介している。けど当時はこの2つの図の違いの意味が分かっていない・・・こんな風に書いている。

 「下の左が”無極”。右が”太極”。 違いは? 

  太極では脇、股間、そしてボタン(身体の中心軸?)が開いている。

  無極の時にあった丹田の気が体中に回って全身を膨張させたような様相。

  髪の毛がなくなってしまったのは何故?・・・・これが良く分からん。」

 

 確かこのブログの後、グループラインで一人の生徒さんが鍵になるようなコメントをしてくれて、そこから理解がぐぐっと進んだのを覚えている。

 

  <左側の無極の男性 VS  右側の太極の男性>

  無極には丹田があるが太極にはない

   ・太極になるとボタンが開いている/脇が開いている/股が開いている

   ・無極にあった男性を囲む円が太極では消えてしまっている

   ・無極は髪の毛があるが太極では髪の毛がなくなってしまっている

  私の解釈

  丹田が大きくなって身体を膨張させ頭頂・足裏も突破、髪の毛もふっとんだ。

  自分の丹田が自分を包んでそれが限りなく大きくなっていった時、自分と外界の境界線もなくなった。

 

 

  最終的には腰が空=ない、どころか、丹田がない、と師父から聞いたのはこの図の意味がなんとなく分かってからまだ先のこと。

  タントウ功で丹田が大きくなって自分と同じ大きさくらいになったことがあるが、その状態だと頭も骨盤も足裏も同じ位置で一体化して感じになる。目が元の丹田の位置にあってそこに頭も足もあるから視野に自分が全て入ってしまう。視野に全てが入っていると意と気と力の間に時間差がなくなる。想ったらもう打てている、ことになってしまう。

  その時は丹田がもうなくなっていることには気づかなかったが、その時の自分は丹田に包まれているようだったから普通考える腹に位置する丹田はなくなってしまっていたはず。この状態をさらに推し進めれば、丹田は無限に広がって宇宙大になることも可能だろう。天人合一になるのは丹田が育って自分より大きくなって天をも含んでしまうからかもしれない。天が降りてくるのではなく丹田が天を征服(?)してしまうのか?

 

  ともあれ、この太極の状態になっている男性の股間に注目。

  この股間の開き=円裆、がないと骨盤底筋が張らないから会陰がしっかり引き上げられない。

会陰が引き上げられないと丹田を着火できない。丹田を育てるには意念の火と会陰の引き上げで活性化された腎(腰)の水が必要だ。(内功動画で説明した周天の基本:会陰→命門→丹田)

  

  昨日の動画で、開脚をした方が肛門や会陰を引き上げやすい、と言った後で、両足をぴったり揃えて立って見せたところがあるけれど(動画の5'10~5'20"あたり)、ここがまさに上の無極VS太極おじさんを思い浮かべていたところでした。

 手すりを掴まず両足ぴったり揃えた状態で電車に乗ったらバランスをすぐに崩してしまうけれど、その時一生懸命股間を開いて会陰を引き上げれば、無極が陰陽二義に分かれて(左右の足に力が分かれて)少しはバランスがとれるようになる。 

 両足の足幅が狭いと骨盤底筋を引っ張り辛い(円裆がし辛い)ので会陰の引き上げが難しい→腰(命門・腎)に気を繋げない→丹田が育てられない、ということになる。足幅が狭くてもそれができる人はマスター♪ 

 尻尾があればそれをぐっとあげれば骨盤底筋を引っ張れる。動物が痔にならないのは尻尾があるからだとテレビでお医者さんが言っていたことがあった。円裆は決して両脚を左右に開くだけでない・・・ 前後にも引っ張らなければならない・・・説明が足りないかなぁ。円裆もおそらく多くの太極拳愛好者が間違えたイメージを持っていそうだ。続きはまた。

2020/4/13 <内功 その2>

 

  混元太極拳の内功十五法のその2の動画をアップします。

 

 今回は

 ③三丹開合功

 ④双手揉球功(劳宫旋转功)

 どちらも基本的な功法です。

 

   ・命門を開いて胴体を幹にする

   →開合は左右だけではなくバームクーヘンの内⇄外の開合

 ・会陰を引き上げ命門と繋げる要領

 ・円裆になってしまう理由:会陰や肛門が引き上がる構造

   (おしりはすぼめない、お尻の桃(?)を割る→骨盤底筋をピンと張る:)

 ・意と気と動作を合わせる

   →意を繋いで気を煉る要領→丹田呼吸

 などについても言及しています。

 

 字幕をつけたので参照して下さい。

 (例によって声が小さめなので)

 

2020/4/12 <大師のお手本>

 

  昨日私が撮った内功2つをを馮志強老師が示範している動画を紹介します。

 内功のレベルが上がれば上がるほど、他人が外から見てもその人が何をやっているのかますます見えなくなる・・・初心者がいきなり大マスターの真似をしても何も得られない理由がそこにあります。大監督に学ぶよりコーチに学んだ方が分かりやすい。けれども、そのコーチの先、最終的な目標がどこにあるのか、少しはその雰囲気、味わいを知っておくことが必要だと思います。

 ということで、大マスターの動き、雰囲気、息遣いを見てください。

 半年後、1年後にまたこの動画を見た時に、今見えなかったものが見えたとしたら進歩しているという証拠。

2020/4/11 <内功の動画 その1>

 

 何人からリクエストされていた内功の動画を撮りました。

 

 まずは三丹採気からやりなさい、と師父に言われたこともあり、馮志強老師の内功十二法の順番に従って、①降気洗臓功と②三丹採気功をやってみました。

 ②から周天の練習へと繋がる立円の回転も紹介しました。

 

 最初のうちは気だけを動かすことができないので、身体も動かしながら気を動かしていくのが良いと思います。そのうち身体と気を引き離すことができるようになったら、身体を動かさずに中の気だけ動かせばよいです。太極拳の中身は気功だとはいっても外の筋肉や骨が動かないのでは話にならないので、太極拳では内外双修といって内側の気と外側の筋骨皮は共に練習します。

 

 中庭が静かで声が響きそうだったので小声になっています。

 字幕を少しつけたので参照して下さい。

2020/4/7

 

 昨日撮った『引気帰丹功』の補足。

太極拳の呼吸の基本(吸→蓄→吐→松)を加味しました。レベルが上がりますが、丹田に引き入れた後、命門で吐いて、腎で吸えたら完璧です。

 

2020/4/5 <肱と胴体をつなぐ 肘、胆経、そして丹田を外さない呼吸>

 

  今日はzoomを使って東京近辺の生徒さん達とおしゃべりをしてみた。

 テレワークが主流となってきてるこのご時世、そうなると国内だろうが海外だろうが距離は変わらない。

 

 おしゃべりの最後にせっかくだから一人の生徒さんの動きをチェックさせてもらった。

 套路のどこでも良いから少しだけ見せて、といってやってもらう。

 第五式单鞭をやってくれたが、出だしの左肘を見ただけで、あ〜、甘い!と思ってしまう。

 ポンが足りないのだけど、それは単なる外形の話ではない。内側が繋がっていないのが原因。

 少し教えてあげれば分かるはず・・・と、簡単な肘回し的な動作から説明。

 

 太極拳の套路の中には、(gong) という文字の使われている式がいくつかある。すぐに思い出すだすのは、掩手捶 や 倒卷

肱は上腕骨のこと。

太極拳の腕の使い方の要になる部位。太極拳の腕の特徴的な使い方(人体的にはとても自然な使い方)だ。

推手を練習もこの肱の練習だと言い換えることができる。

 

巷の人を見ていると、上腕骨をきちんと使いこなしている人はとても少ない。

歩き姿をみれば一目瞭然。

肘の使い方でわかってしまう。

 

 上の図を見れば分かると思うが、上腕骨がきちんと使える、ということは、肩関節と肘関節がきちんと使える、ということに他ならない。そして肩関節がきちんと使える、ということは、肩甲骨がしっかり機能しているということ、そして肩甲骨がしっかり動く、ということは、肩甲骨が肋骨に貼り付いていないこと、そしてそのためには、→肋骨がしなる(含胸)→背骨がしなる→脊椎がバラバラに→丹田という重みのある不動点の形成、・・・と結局そこまで遡ってしまう。

 

 肱、すなわち上腕骨で打てる、ということは、既に肩や肘の要領がクリアされている、ということでレベルとしてはとても高い。含胸、沈肩や墜肘はもはや問題にならない(当然できてしまっている)。

 が、含胸、沈肩、墜肘などの感覚がはっきり分かっていない段階でも、上腕骨の胴体(腰)との繋がりが分かれば、その時の感覚を元に含胸や沈肩の感覚が会得できるだろう。(私が今回使った肘回しの動作を使った練習の場合は墜肘の感覚は得られない。肘は上腕骨と前腕を構成する骨の間にあるから、墜肘の感覚を得るには、前腕の動き、すなわち肘から手首までの使い方を会得する必要がある。)

 

 肱を胴体と繋げると、感覚的には体側と繋がったようになる。肘は腰、腎と繋がったような感覚になる。肱の回転は、大腿骨の回転と連動していく。

 

 以下かっこの部分は読み飛ばして構いません。興味ある人のみ参照してください。

 (これらは胆経のラインの繋がりとして意識できるので、肱を意識する段階にきたら、タントウ功をそれまでの膀胱経を重視した姿勢から胆経へと変えていく。具体的には上体、特に骨盤をぐっと前に移動させる(走るのが遅い子供を早く走らせるために、コーチが後ろからお尻を押しながら走ってあげる、というのを見たことがあるが、まさにそんな感じ。腰が前に出ると丹田が使えるが、丹田に十分な気がないと腰が沿ってしまうので、タントウ功の最初の頃は少し後ろ目に立って丹田に気を溜めるようにする。膀胱経重視→胆経重視 へと立ち方を変えていくタイミングは通常指導者が指摘してくれるのだけど、胆経で立てるようになっても立ち始めは膀胱経で立って気が溜まったら徐々に立ち方を変えていく。)

 

 文章で書くとややこしいので、とりあえず動画を見て真似してやってみて下さい。

 途中で息について説明していますが、息を間違うと肱が繋がらずただの肘回しになるので十分に注意。太極拳の息は吐こうが吸おうが丹田から外しません。

 

2020/4/3 <開合と呼吸 太極拳のルール>

 

  太極拳の開合と呼吸に関する基本的なことを動画に撮りました。

 

 太極拳はその昔、開合拳と呼ばれていたこともあったとか。

 太極拳は開合の繰り返し。開合なくして太極拳は成り立たない。

 

 開ー吐く 合ー吸う

 開は丹田→末端 合は末端→丹田 への気の流れ

 

 吐いて開、吸って合

 試してみれば分かるけど、そうするにはある程度丹田に気が溜まっていなければならない。

 丹田に気が溜まってないうちは、開きながら吸って、合しながら吐いて、徐々に丹田に気のタネをつくていく。呼吸をひっくり返せそうになったら、原則の ”吐いて開、吸って合” に転換させる。

 

 開の中に合あり、合の中に開あり、と言われるのはこの呼吸と開合の組み合わせが前提。

 これで気を練っていけるようになる=丹田の気が増やせるようになる。

 

 この開合を練習していけば丹田呼吸の要領が分かるはず(と期待)。

 

2020/4/2

 

  呼吸と気の運行は・・・実は関係ない、と師父と確認をとったら、しばらく呼吸の話はお預けにしようかと思い出した。呼吸は追いかけ過ぎると逃げていく(不自然になる)。不自然になると気は扱えない。

 再度原則に戻ると、気は呼吸で動かすものではない。

 気は意で導くもの(以意通气)。それも導くものであって動かすものではない。

 

 気を無理に動かそうとすると(運気)気が詰まって動かなくなる(気者滞)。

 気は行かせる(行気)。もしくは”通す”(→”通す”には先に通路を開けて置く必要がある。通路が開通していれば意で気が通ってしまう。通路が開いていない箇所、関所については、頑張って気でこじ開けようとせずに通路自体を開くように=その部分の力を抜いて内側の空間を空けるようにして気を通してあげる。この、他律的なところ、自力でごりごり推し進めなられないところが、太極拳的なところ。)

 

 気を動かそうとして詰まって痛い思いをするのは練功者皆が通る道。

 気が溜まって動かせるようになると動かしたくなってついつい気自体を背骨沿いに上げていったり、気が詰まって気持ち悪い場所から気を逃がそうと意識をその場所に持って行って気を動かそうとしてしまう。そして、結果は、うまくいかない。帰って詰まりがひどくなってしまう。

 そんな時、指導者や共に学ぶレベルの似た者がいれば、一言アドバイスをくれるはず。

「気を追ってはいけない。どんなに気が動いても丹田を外してはいけない。」

 (が、悲しいのは、何度同じ注意をされても、また知らないうちに気を追って動かそうとしてしまうこと。気が動かせるようになると(そんな気がしてくると)ついつい動かしたくなってしまう。私も何度も失敗して痛い目にあったし、師父の失敗談も聞いたことがある。痛い思いを通じて身に刻み込まれる教訓。

 

 そう、気を動かそうとすることの問題点は、気を動かすことに集中して丹田がおざなりになることにある。丹田には常に意という火を注ぎ続けなければならない。心の火と腎の水を合わせる(相済する)ことで気が発生する、という言い方がされたり、意の火を丹田の水につける、みたいな言い方がされる。(実際にはそんな抽象的な表現ではどうして良いか分からないから、練功の現場では師が弟子にもっと実際的な方法を教えることになる。)

 

 「丹田呼吸ができてしまえば、気を動かすのは簡単、問題にならない。」と私が昨日書いた点、師父も全くその通りだと言ってくれた。

 その上で、「気をどの向きに動かすにしろ、吸ってでもできるし吐いてでもできる。吸う吐くは関係ない。ただ、例えば、采(cai)は吐かないとできない。」と話してくれた。采? ああ、確かに、吸ってはできない。ポンは吐いても吸ってもできる(会陰を引き上げるのがポンの核心)。リューは・・吸っても吐いても可能。ジー、アン、リエ、肘、カオ、どれもどっちでもできる。采だけかしら、吐かないとできないのは? 考えたことがなかったけれど。発勁(寸勁)は吐かないと無理、のはず。明日師父に確認してみよう。

 

 結局、繰り返しになるけれど、丹田呼吸、すなわち、吸いながら吐いている、吐きながら吸っている、という状態が生まれるところまで漕ぎ着ければその後の道はそれほどややこしくない。

 そして今更ながらだけれども、丹田呼吸は気が丹田に十分に溜まった時に自然に起こる現象。

 (逆に言えば、腹に十分気が溜まっていないのに丹田呼吸が発生することはない。)

 としたら、どうやって丹田の気を増やすか、話はいつものそこに帰着する。

 

 ①丹田の気を十分に増やせば→

 ②丹田呼吸発生→③気の動きが発生(気を導ける、気の動きをコントロールする)

 

 この中で手間と時間がかかるのが①の過程

 上手に気を育てなければならない(昔流行ったたまごっちみたい?親鳥が卵を孵化させるのと同じ?孵化してしまえばあとは自然に成長が進む)。

 この①の孵化期には、時に呼吸を工夫したりして火加減を変える。呼吸はその程度の役割。

 丹田の気が多くなってくると自然に息の入り方も変わってくる。呼吸よりも息が大事だとわかるようになってくる。

 

 息? そう息。胎息、丹田呼吸を絞って言って臍呼吸にした時の息・・・吸ってるか吐いてるかわからないような・・・また師父に確認したいことが出てきたなぁ。

2020/3/27 <ポンの先 重心移動は缠だった>

 

  師父に3/23に載せた私の動画を見せたら、「(日本語は)何と言っているか分からないにしても何を教えようとしているのかは大体察しがついた。教え方としてはとても良いと思う。」と言われた。その後、私が動画で何を言おうとしていたのか師父に説明したのだが、その先の会話は例によっていろんな話題に連鎖していく・・・そしてまた新たな一歩へ。

 下に書き綴ってみると・・・

 

 結局のところ、重心移動にしろ、しゃがむにしろ、跳ぶにしろ、胴体全体にに空気を含ませて気球のように膨らませることが大事で、それが、八法(掤捋挤按、采挒肘靠ポンリュージーアン ツァイリエヂョウカオ)のベースにある広義のポンと言われるものになる。

 

 この身体の”ポン”が太極拳の基本の動きである八法ができないのだから太極拳にならない。

 

 この身体の”ポン”を作る作業が築基功。昔は入門するとまず築基功をさせられ、それを終えないと套路は教えてもらえなかった。築基功では丹田の気を溜めてその内気の圧で体内に気の道を開通させる(周天)。全身に重要な幹線が通れば(細い道はまだ開通していなくても)築基功は完成。(百日築基功とも言われ、若い男性で約100日。毎日タントウ功をして気を溜める。この間精を漏らす行為は禁止。年齢が上がると精気が減るので築気功に要する期間が増える。その場合は気長にやる。)

 

 全身に主要な気の通り道を開けられるならば、全身はポンになっている。逆に言えば、全身が膨らんでポンにならないと内側の通路は開通させられない。つまり、全身が膨らんで(丹田が膨らんで)ポン(空気の詰まった気球やタイヤのように張っている状態)になることと、体内のに気の道を作る(任脈督脈、そして主要な経絡を通す)ことは同義になる。

 太極拳を練習すると嫌でも経絡上のツボを覚えてしまうことになるのは、内気を通す時に詰まって痛くなったり、ある場所から先に気が流れない時にその先にあるツボを教えてもらうことで通過できないツボを通過できたりするからで、身体で知った場所を後で経絡図で確認すると、ああ、ここが△△穴だったのかぁ、と納得することになる。鍼灸師がまず経絡図でツボを暗記してその後実践で体感を得るのとは反対の順序になる。

 

 身体のポン、で難しいのは、腹側の丹田だけ見ていると腰側の命門が凹む。命門に空気をいれて膨らますと腹が凹む。臍と命門の間を一つの気の球でつなげられれば、腹も腰も凸になる→これでやっと太極図の円になる=太極拳の象徴は円。三日月でもダンボールのような直方体でもない。幼児の身体のようなもの・・・

 

 そしてここから新たな展開・・・

 

 私は動画で、重心移動は詰まるところ”身体のポン”だ、ということを言ったのだが、師父は頷きつつも、「詰まるところ、馮志強老師が言うように重心移動は”纏”(チャン)だ。」と言い換えた。

 チャン? チャンスー勁(纏糸勁)のチャン?

 何故に重心移動がチャンなのか? 纏わりつく?

 私が訳分からない様なのを見て、師父は、「無処不纏」と一言。

 無処不纏?また二重否定だ・・・と頭の中で漢字を書く。ああ、どこも纏わりつかない箇所はない、どこでも纏わりつく、ということね、と理解。「相手に接した処は全てチャンできる。」と師父が捕捉してくれたものだから、ああ、だから相手の力を削いでそのまま攻撃に転じることができるのね(化勁)、となんとなく納得。チャンは何も四肢の話ではない。胴体のどの部分もチャンできるようにする・・・なら、確かに、その前提として身体は膨らんでいなければ纏わりつけない(と身体の感覚として納得)。馮老師と弟子の肘の推手の動画を思い出した。推手も転腿も実はチャンの練習だった。

 

 師父が教えてくれたのは「転換如缠绕  开合似抽丝」。

 太極拳のバイブル的存在である陈鑫の太極拳図説の中に「太极拳,缠丝法也。」という有名な言葉があるが、重心移動が纏绕だとは思ったことがなかった。本当かなぁ?と師父と会話を続けながら軽く身体を動かして試してみる。確かに、そう言われれば、中で気を畝らせてる。畝らせないと行ったっきり戻ってこれない。缠(chan)はどこでやってるのだろう?と身体の中をよく観ていると腰のよう。丹田でチャンは出来なさそう...  绕(rao)は胴体の外側の8の字を描くような動きをさしているのだろう。いずれにしろ、その動力の源は腰(馮老師の文献の中には腰脊とある)。どうりで太極拳は腰が命になるはずだ。腰が畝らせなければ太極拳にならない。ぎっくり腰なんてやってるようじゃ太極拳は無理なんだ・・・・と、料理中も腰回しをしている師父の姿を思い出した。太極拳をやる物は腰を錆びつかせてはいけない、四六時中ゆるゆる解して蛇や猫のような動きができるような腰を維持したいのだ。

 

  会話の後考えたことだが、太極拳の重心移動は、行ったら戻ってきて、戻ってきたら行かなければならない。後ろから前に行って終わり、なんていうことはあり得ない。打ったら打ったで、前に出した手を取られないように戻ってこなければならない。実践練習では打ったらその勢いで下がる、というのもある。卓球でさえ、トドメだ、と思ってスマッシュしても返されることがあるのだから、打ってもすぐに基本姿勢に戻らなければならない。

 後ろ重心から始まって前重心になったところからバックに転じるその転換点、そして後ろ足重心になってまた前進に転じるその転換点、それらの転換点で力の断絶がないよう(隙がないよう=身体に余計な負担のないよう)あたかも身体の中で小さなタイヤの向きを変えるように小さな円を描いてスムーズに行うためには、身体の中で缠丝劲をかけることが必要になってくる。内側に缠丝劲がないと転換点が行ったり来たりでバッタンバッタンして、その度に膝や股関節に負担がかかってしまうだろう。現時点での感覚では、缠丝劲はある意味、前進中にいつでもバックに転じることができるような身体の中のエネルギーの畝り、車のアイドリング状態のようなエネルギーを引き伸ばして使おうとしている時に感じられる劲のようだ。

 

 ともあれ、ポンの先にチャンがあったとは・・・未知の世界はどこまで広がっているのだろう?

 

2019/8~パリにて再修行中

『今日のメモ』毎日の練習は気づきの宝庫。太極拳の練習の成果が何に及ぶかは予測不可能。過去(2012年9月〜)のアーカイブは『練習メモアーカイブ』へ

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練習のバイブル本

 『陳式太極拳入門』

       馮志強老師著

ようせいフォーラム2017プログラム
3月4日(土)にパネリストとして参加しました。
ようせいフォーラム2017プログラム.pdf
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2012/3/20

日本養生学会第13回大会で研究発表をしました。

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