2024/5/29

 

  先週は海底針における腕の使い方から、”脇を引き出す”とか”腕を引き出す”ということを書いたが、これは、簡単に言えば、<”前鋸筋”を活用して腕を使う>ということだ。

 前鋸筋を使わずに腕を曲げ伸ばししても意味がない。太極拳に腕の曲げ伸ばし(肘の曲げ伸ばし?)というものはない。内側の勁を丹田から脇経由で手心まで押し出していく(ところてんを突き出すように)のが太極拳の腕の使い方。曲げ伸ばしをしてしまうと、関節が閉じてしまうので、押し出すことができないのだ。あるのは、曲げ伸ばしではなくて、伸び縮み。

https://www.bilibili.com/video/BV1Hz411e7SG?p=7&vd_source=17d554944a01492e6c3d58819c8628fb より

      傅清泉老師による解説

 

  体が縮んだ(=腕が縮んだ)ところから、次第に体が開いて腕も伸びている。

  太極拳の核心である、開合(この場合は合→開)だ。

 

  

https://youtu.be/rQkTmB9g3rk?si=o95GVGLzTvjnEAgr

 

残念ながら、多くの老師が左のような腕の使い方をしている。これは打った最後に后撑(背中を張り出して手と引っ張り合いの力を出している)をしているが、太極拳の大きな特徴は、腕が動き出した最初の段階で打てること。(空手のように)腕を伸ばした時に打撃をするものではないところがミソ。だから、太極拳の対練は打ち合いではなくてひたすら推し合い(推手)なのだ。

 ↑左から右へと動作

 

 上段の傅老师は、左の一枚目の状態で自分に接している敵を推す(打つ)ことができる。

 同様に、二枚目から最後の六枚目まで、どこでもその場所にいる敵を打てるような体の使い方をしている。これが太極拳。

 

 下段の老師は、左の一枚目から三枚目までは打てない。脇がつながっていないから打っても手打ち。逆に敵に腕をとられたら上体は崩れてしまう。四枚目あたりでやっと胴体と腕をつないでいるが、そこから先はなぜか前に打ちながら背中を後ろに引いてしまっている。これでは前に打つ力は止まってしまう。最後のポーズだけ辻褄を合わせたのかなぁ、と思う。

 

 本来の太極拳の動きかがは上段です。

 

 最初から前鋸筋をセットして前鋸筋で推していきます・・・(実践ではそうならざるを得ないです。)

 

 ジーに似た前鋸筋のトレーニングを見つけたので試してみると良いかと思います。

 https://ar-ex.jp/sakudaira/652557814209/%E3%82%8F%E3%81%8D%E4%B8%8B%E3%81%AE%E3%83%88%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%82%B0

 

2024/5/28 <後弓歩>

 

    後弓歩は難しい。これができるなら前弓歩は簡単。横の弓歩も問題ないだろう。

 

  なんとなく後弓歩をしてい生徒さんに、「それでしっくりくるか?」と聞くと、首を振る。後弓歩でしっくり”はまる”のが目標だ。なんとなく、ではまだ発展途上。

 

  下は中国のサイトで検索した手挥琵琶の定式。

 

 上段3人は”師”、

 下段3人は”老師(先生)”という人たちだろう。

 

 上段と下段の違いは内側、簡単に言えば、気沈丹田ができているか否か。

二枚を横並びにするとはっきりするが、一般的な”老師”は(丹田=重心を作っていないので)後弓歩の時にお尻に乗ってしまう。

実践では使えないような後弓歩になってしまう。

 

丹田という言葉を使わなくても、腰が使えないような弓歩は意味がない。

「腰胯」を最も重視する太極拳で「腰」が抜けてしまっていてはもはや太極拳ではないだろう。

左は劉師父による混元太極拳の中の後弓歩の動作。

深めに行うことで、しっかり腰(帯脈、丹田)をつかっている。

 

 

普段の練習の時には、この動作をさらに深くして座っていくことで、後弓歩の正しいバランスを確かめている↓

最後まで無理せずに座れるなら後弓歩は正しくできている。上の”老師”たちの後弓歩では尻餅をついてしまうかな?


2024/5/27

   気功や太極拳を始めた時に、「脇に卵を一つか二つ挟んだようにして立つ」と言われたことはないだろうか?
 バレエでも、脇を広げること、先生によっては「脇にサボテンがあると思いなさい」と言ったりする。閉じると刺さるのだ。

 気功や太極拳を少し学んだくらいではその重要性が分からない。
 しかし、バレエでピルエットをしたり、片足爪先立ちで静止したり、アラベスクで後ろに脚を上げて止まろうとすると、嫌でも脇を広げて腕を引き出さなければならなくなる。
 
 テニスやゴルフ、野球で投球するにもバットを振るにも、その直前に胸の中で息が広がり脇が開いて腕が胸の中からがぐーんと引き出される。これができないと手打ちになる。

  結局、脇を開けて腕を胸から引っ張り出すのは上腕を胴体に入れ込む作業なのだ。胸鎖関節から腕は始まるが、胸鎖関節から腕を使おうとするとそうなるということだ。その結果、右腕と左腕は胸の中央で繋がり、一本になる。

2024/5/26 <上腕を引き出す 腋、肩傍の使い方>

 

 海底針で右手を斜め下に突き刺していく時に、”腋を深くして腕を引き出していく”、というのは、そうしないと、丹田が失われてしまう(体の中心を失ってしまう)からだ。

 内功をしっかりやっていると、丹田を失わないような体の動き方が自然に身についてくる。右腕と左腕が胸の中で繋がって一本になるというのも、そうでないと丹田が失われてしまうからだ。

 

 最近のレッスンでは積極的に太極棒を使って、全くの初心者でも丹田の感覚を得られるように指導している。棒を回すと内側で何かが動いている、という感覚、そして、棒の動きに収束をかけて止めていくと、内側で動いていたものが一箇所に集まる、という感覚、その集まった場所のことを”丹田”と呼ぶ、というということ、このくらいは、一回目の練習で分かるようになる。

 練功の経験がある人には、それに加えて、右腋と左腋の感覚を導いてあげれば、右腋と左腋の間が胸の中で繋がる感覚も得られる。しかも、その時に「含胸」にならざるを得ないことにも気づく。

 

 今週の週末の対面レッスンではこの”腋”の感覚を教えた。

 キーワードは前鋸筋を作動させる、ということ。イメージは昔の中国人の合掌だ。日本人の合掌ではない。

 

 腋から上腕が引き出されているのは、上段真ん中の男性とその右隣の女性。

下段左の女性のヨガのポーズは、体を固めているため、形は似ているが腋が使えていない。一方、右側の男性は腋が使えて上腕が引き出されている。(こう見ると、腋を使うには気を流し続ける必要がある)

 

 腋を深く引いて上腕を根っこから引き出す、というのは腋から肩関節を開く、ということだ。(レッスンではガイコツ模型を使って説明しました。)きっと、なるほど、と分かってくれたはず。

 これができると、太極拳の動きが全く変わってきます。

 

 例えば、楊式太極拳の宗師、杨澄莆。若い時と晩年の写真を比べるとその違いは一目瞭然。

https://mp.weixin.qq.com/s?__biz=MzI2MTQzODQ0MA==&mid=2247564340&idx=1&sn=c0e88098d6aa451c1e8f16b1221761e4&chksm=ea59d2b3dd2e5ba570e9685e3c8a3f11c83f07eeaece627e8c13fcc4fe9473f38f5eb3153798&scene=27

  左が晩年、右が若い頃。

  これが同一人物か?と思うほど、晩年は進化している。

 

  腕だけ着目すると、左の写真の右腕が右写真よりも長いのが分かると思う。

  腕の付け根が引き出されているからだ。長くなっているのは上腕(正確には胸や背中が開いて、腕の付け根が胸もしくは腹になっている。いや、足になっているかも?=もはや付け根がない・・・)

 

 これも左右の写真でかなり違う。

 右だけみるとそんなものかと思うかもしれないが、左と比べてしまうと、かなりレベルが低いのが分かる。上腕がしっかり引き出されるというのは、肩関節が開く、ということだが、そうすると、股関節も連動して開くので大腿骨が引き出される。右の写真の上腕と太腿が短く見えるのは肩関節と股関節が内側を内側から開いていないから。左写真と比べると、右側は肘から先、膝から先まで気が通っていない。

 

 腋を引き出すのはジーの時だけではない。いつもそうなのだが、特にその出来不出来が分かるのがジーとアンだ。上はアン(下方へ推す動き)の例。

 今日のレッスンで、生徒さんにアンをやってもらったが、ただ手を下に下ろしているだけでアンだと思っている場合が多い。初心者のうちはそれだ良いが、太極拳では常に勁(内側の内気の流れ)を意識する必要がある。勁がなければただの体操になってしまう。

 

 上の右側の写真では、右手のアンが形だけのアンになっている。この腕は推せていない。

左側が正しいアンだ。

 2つを比べると、右側の身体が左側より”落ちている”のが分かるだろうか?

 右手で下を推そうとして体が落ちてしまっている(頂勁が失われている)。

 体が落ちるとアンの技はかけられない。

 このあたりは、文章だけではピンとこないので、実際に技を体験する必要がある。

 今日のレッスンでは、アンを正しくやった場合と、右の写真のような形でやった場合と、二種類を生徒さんに対してやってあげた。

 「これが正しいアン、これが正しくないアン」と説明しながら、技をかけてあげると、生徒さんはすぐに違いが分かる。右画像のようなアンをしても、生徒さんの体はビクともしない。ちゃんとアンをかければ生徒さんの体は崩れる。相手を崩せないアンはアンではない・・・

 

 相手の体勢を崩せるか否かは、相手の体の中心部、少なくとも背骨に影響を与えられるか否かによる。そのためには、こちらのアンをかける腕もすくなくとも背骨につないでいる必要がある→結局、海底針で説明したようなことになる。

 

 検索をしていて出てきた、中国の神韵芸術団の挨拶に関する説明の中の画像はどれも脇がしっかり使えている。とても中国っぽい。私たち日本人は腋が落ちているので意識的に引き上げる必要があるかも(と私自身が思います。)https://ja.shenyunperformingarts.org/news/view/article/e/1D3xNafXY5A/%E6%8E%A5%E8%A7%A6%E3%81%97%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%A7%E3%81%82%E3%81%84%E3%81%95%E3%81%A4%E3%81%99%E3%82%8B%EF%BC%96%E3%81%A4%E3%81%AE%E6%96%B9%E6%B3%95.html

 

 

 

<付け足し>

師父としゃべっていると、肩のことを「肩膀】と言うことが多い。実際中国人は肩のことを普通に「肩膀」と言っているようだ。「肩」と「肩膀」はどう違うのか?と師父に聞いたら、同じだ、と言いつつも、「肩膀」と言った時の方が「肩」だけよりも範囲が広い感じだった。肩の傍ら、と書くのだからそれはそうなんだろう・・・

 

 肩の大事なツボの一つに「肩貞穴」がある。大体肩甲骨の下角の高さにあるが、師父などは、このあたりを指す時に、「肩」と言って私は驚いたことがある。

 日本人の感覚では、ここは「肩」ではないのではないかしら?

 

 「肩傍」という”肩”の感覚だと、この「肩貞穴」の位置は”肩”になる。

  逆に言うなら、ここを肩にして腕を使う必要がある。そうすると、腋を深くして上腕が引き出されることが分かるだろう・・・(もちろん、「沈肩」ができないと腋は引き上がりません・・・)。

 

 

  この肩や腋の使い方をそのまま股と股関節の関係に応用すると、ハマりにくい(しっくりこない)後弓歩もハマりやすくなります。

  今週のオンラインではこのあたりを教えることにチャレンジします・・・

2024/5/24 <海底針の用法 その2>

 

  海底針に注目してみているが、どの式も技のバリエーションはいくつもある。伝承されている技もあれば、師がオリジナルで自分なりの技を作り出すこともある。

 

 

  簡化24式の海底針の用法説明を見ると、多くの場合が、左手で相手の手を払って、右手で相手の急所を刺す、というもののようだが、本来の海底針は、昨日のメモで紹介したように、外し技から始まるもので、相手の出方によって技が変化する。太極拳の攻防は空手のように相手との間に距離を保つのではなく、ほとんど接触するかのように絡んでいる。しかも、防御が攻撃になる、というスタイルなので、一方的に打つ、というよりも、相手に打たせてそれを逆手にとる、ということが多い。

  空手に”外し技”はあり得ないが、太極拳に外し技が多いのは、そんな攻防のスタイルかに起因している。

  

  とみると、やはり、海底針の用法は、昨日メモに書いた楊式に伝わるものが本質的だろう。

 

  海底針は陳式の套路にはないので、一体それがどのように相手に作用するのか、私自身が試してみたくなった。

  そこで、今日の練習の時に、生徒さんに右手首を握ってとってもらい、それを外せるかどうかやってみた。

  

 とりあえず、引き抜いて外す方を動画に撮りました。引き抜くにしろ、突き刺すにしろ、相手の手を外すには、自分の手を背骨につなぐ必要があるのが(やってみると)分かります。それができないと、うまく外せない。結局、太極拳のいつもの、含胸だの抜背だの塌腰が必要になる。

 腕を背骨につなぐためには、腕をぐ〜んと脇から引き伸ばさざるを得なかったのだけど、それは、杨澄莆が書いていた通り。刺すにしろ、引くにしろ、脇を広げないと技にならない。そして、左足は完全に虚歩、つまり、右足一本足にならないと技にならないのも実際にやってみて分かりました。

 

  と自分で検証してみて分かったのは、5/22のメモで載せた七枚の画像のうち、海底針の技がかけられるようになっている定式の形をとっているのは

左の杨澄莆(楊式太極拳創始者)と右の杨振铎(杨澄莆の息子)。

そして下段は上段の杨澄莆の青年時代の写真。

 

脇がしっかり引き伸ばされて右手が背骨になっている。

上段左の杨澄莆が完璧なのは、頭部から足裏まで(督脈)が一本の線でつながり、腕がそこから生えているように作られていること。この腕は背骨同様だ。指の末端まで気が達している。

それに比べれば、右の杨振铎は頭部の勁が切れているが(左のお父さんの写真と比べないと繋がっていないことが分からない程度)、それでもやはりマスターの域。

下の青年時代の杨澄莆は背中の上部から上の経が通っていない。青年期まで練習をサボっていて、その後喝を入れて頑張って、一代宗師となったという。上下の写真を比べるとその努力が見て取れる。

宗维洁老師は説明が明瞭で分かりやすい。

 

海底針では、相手の急所を刺す、という技の説明をしていた。

もっぱら前に刺す、という意識でやっているため、上の二人のマスターのように、脇を広げて腕を伸ばす、という作業をしていない。腕を引き伸ばすと背中はもう少しまっすぐになる。

 

左の二枚は左足に乗ってしまっている。こうすると右腕の脇は伸びず、腕が背骨と繋がらない。

技はかからなくなる。

左の左側は、動きを途中で止めてしまっている。気沈丹田ができていないのが原因か?

 

右側は、お尻に座ってしまっている。

腕は前に伸ばせても脇が広がらない(肩甲骨と肋骨の間にある前鋸筋が稼働しない)

2024/5/23

 

  套路の動作が正しいか否かを見るには、その動きの”意味”を知ることが不可欠。

  何をやっているのか分からないまま動いていると、ただの踊りになってしまう。

  形を大体覚えたら、各々の式の基本的な用法を知る必要がある。

 

  

  楊式の有名なマスター達が書き残した技の説明を見ると、海底針は、「右手首を相手に握られて取られてしまった時に、どう対処するか?」、という観点から書かれている。(https://mp.weixin.qq.com/s?__biz=MzA5OTc4MTA5OQ==&mid=2657638078&idx=1&sn=861d606313dcd81d1074afdc45ebbb53&chksm=8b61e63abc166f2c697543af260fea10db2a6dfdba9b79d1f42c50da9b1a9e4ec15518785ea4&scene=27

  というのは、楊式の伝統的な套路では、海底針は、左楼膝拗步の次の式で、左楼膝拗步の最後に右手で相手を打ったところを、相手に右手を取られてしまった、というシナリオが描かれているからだ。

 

  この時、右手を前方下方へ突き刺すように相手の手を外すやり方と、逆に、右手を後方に引き抜いて外すものもある。引き抜いただけでは外れなかった場合は、腰を沈めて外す。

  

 <杨澄莆>

      ・・・身足往回缩劲,右手用力往下伸肱直送下,

   (身体と脚を後ろに戻す力を使って、右脇を伸ばし右手を真っ直ぐ下方へ突き刺す)

 

  <杨振铎>・・・设对方以右手握我右腕,我即屈右肘坐右腿,向右转体将右手向右侧提回。

   (相手が自分の右手首を握った時、自分は右肘を曲げて右腿に坐り、右に体を回して右手を引き抜く)

 

  推したり引いたり沈めたりする、海底針の用法を説明している動画の例:https://haokan.baidu.com/v?pd=wisenatural&vid=12211334758092201153

 

 

  技は研究する必要があります。うまくできると楽しいのでハマる人もいるかも。

 

   

 

2024/5/22 <太極拳の基本要領の套路動作への適用>

 

  今日のオンライングループレッスンでは両腕を一本にして背中を使う要領を教えようと頑張りました。このグループレッスンでは日本(プラスオーストラリア)の様々な場所から集まった4人をまとめて教えていますが、グループ結成から2年半近くになり、内側を使う、感覚を実際の套路の動きで応用していくこともできるようになってきました。

  私は普段陳式の混元太極拳を教えているのだけれども、生徒さん達のほとんどは混元を知らないので、簡化の動きで説明。簡化は動きがシンプルなだけに、ある意味陳式よりも高度になります・・・

 

  なぜか24式の最後の式から逆行して検証をしているのですが、十字手、如封似闭、搬拦捶、 闪通臂、 海底针などは、特に腰や背中を開いて両手を一本に繋げておくことが必要になります(もちろん、最初から、右腕と左腕は一本につないでおくのだけれども、このあたりはそれができないと形にもならない)。

 

  例えば、海底针。

  各々の老師が各々の形でやっているけれども、本当はどうなのか?

  単純にいえば、下の海底针の定式の時、右足は実、左足は虚です。

  その点だけ見ると、下の画像のうち2枚は脱落します。   <続く>

2024///5/19 <円裆 松胯の関係 その4 四股を参照>

 

 ポイントだけメモ

 

 弓歩や馬歩の時に、体重を股関節には乗せません。

 股関節に乗ると股関節が自由に動きません。

 

 そもそも、体重を股関節やお尻に全て乗せてしまう、ということ自体が問題。

 

 四股は決して股関節に体重を乗せません。裆(股、骨盤底筋)まで”気”を下げます。

 お相撲さんの四股を見ると、首が短くなって肩が上がったように見えるのが、脱力によって(体を下げずに)気を下げている(丹田を骨盤底筋まで下げている)証拠。

 上段はhttps://www.instagram.com/sumokyokai/p/CBSKja4hv4U/?img_index=2

より阿炎力士の四股

 

 下段は左:https://dietplus.jp/public/article/news/20170725-075171

    右:https://my-golfdigest.jp/training/p36335/

 

上段と下段はどこが違うだろうか?

  下段左は、気が股まで落ちていない。股関節でストップしている。股関節のストレッチの意識? 

  片や、下段右は、股(骨盤底筋)まで落ちようとして体を落としてしまった。これでは和式トイレスタイルだ。

 

  そして上段と下段の最大の違いは、上端の本当の四股のポーズなら、そのまま両股関節をクルクル回すことができるのだが、下段のポーズでは、股関節に乗ってしまっているので股関節を回すことができない(動かせない)ということ。

  太極拳や相撲など、ここから、動く、という場合は、下段のようなポーズは使えない。

 

 なぜ股関節に乗っかって股関節にロックをかけてしまうのか?

 その根本的な原因は何か? 

 股関節を開こうとするのではなく、股関節が開いてしまうように体を使うのが相撲や太極拳での体の使い方だ。

 それには、股関節を開く前に、別の場所を開く必要があります。

 それはどこでしょう?

 

 ↓太極拳ではどのくらい深く腰を落とすかによって、浅い高架、標準的な中架、そして低い低架とよばれる架子がある。

 四股に近いほど深く腰を落とすのは低架。

 馮老師は低いのを勧めていなかったが、馮老師の師、陳発科の息子、陳照奎は低架式だった。下の上段は陳照奎とその弟子、楊文笏。

下段の馮老師に比べて一段姿勢が低いのが分かると思います。

 

 低いのは足腰を鍛えるため、と言われますが、実践ではこんなに低い姿勢はとりません。

 相撲でも実際に相手と戦う時には、四股で深くしゃがんだ姿勢よりもずっと高い姿勢でいることが普通です。

 つまり、四股は全身を開発するトレーニング方法。股関節だけを狙ったトレーニングではありません。

 上半身の放松、含胸、抜背、塌腰は必須。

 

 

2024/5/17 <円裆 松胯の関係 その3>

 

    結局のところ

  円裆は、股を緩めない、ということ。

   そして、

  松胯は、股関節を緩める、ということ。

 

  問題は股と股関節がはっきり区別できていないことではないだろうか? 

 

  股とは骨盤底筋の部分。関節ではない。

  股関節は寛骨と大腿骨骨頭で作られる関節。

 

  太極拳で常に言われる放松、すなわち脱力とは、関節の隙間を開けること。骨と骨の隙間を開くこと。

  放松の手順として、まず腰の関節(腰椎1番と2番、2番と3番、3番と4番、4番と5番の間の隙間)を少し開く、というのが馮老師のアドバイスだ。太極拳の要領を正確に体現するなら、頚椎(頭部の様々な要領 ここでは割愛)から順番に、胸椎上部(含胸)、胸椎下部(抜背)、腰椎(塌腰)、と進んでいくのだが、そのようにできるのは内気を操れる上級者だ。普通は操作しやすい腰から入り、息を深くし腹圧を徐々に高めて、内気を操って含胸や抜背を実現していく。

 

  ここで、注意が必要なのは、早い段階で松胯をしてしまうと、股が緩んで内気が漏れ胴体が一塊の石のように重く股関節に乗っかってしまうというこだ。

  実はこのような状態こそが、歳を重ねた私たち中年以上の体の特徴だ。

  子供の頃は、背骨が数十個の関節(正確な説明は割愛)として働いていて、胴体は”浮いて”いる。 股関節に上半身の重みがそのままストレートに乗ってはいない。上半身の浮力によって分散されている。

  歳をとってくると次第に使われなく関節が増えてきて、使われる関節だけを使う、という状態になってくる。歳をとると、腰痛や膝痛、股関節痛が増えるのは、腰椎、股関節、膝関節ばかりを使っているからだ。足腰が弱くなった、というよりも、足腰以外の場所を使っていないから足腰に負担がかかっている、というのが本当だろう。

  太極拳はまさにそのような認識に沿った体づくりをさせている。

  丹田を作るのは、脊椎間の関節を開、体を浮かすため、とも言えるのだ。

  

  本来の太極拳は、その”体づくり”に時間をかける。

  それが内功というものだ。

  内功なくして、套路だけ練習すると、使える関節だけを使うような練習になってしまい、使えない関節、使えない部位を使えるようにはならない(天才的にセンスの良い人以外は)。

  現在世界的に普及している太極拳の主流は、胴体を固めて重くして、下半身を酷使するようなものだ。年配の人に合うような形だが、これではますます膝や股関節を壊してしまう。

 

  胴体を浮かせるために必要なのは、股を緩めない、骨盤底筋を緩めない、ということだ。胴体の底が抜けてしまうと、体は落ちてしまう。

 

  このあたりは説明するといくらでも書けてしまうのだが、まずは、股と股関節をしっかり区別する、ということが大事だ。

 

  股関節を緩める、のと、緩めないのとを区別してやってみる。

  そして、股を緩める、のと、股を緩めない、のを区別してやってみる。

 

  それぞれの違いがしっかり体で示せるのであれば、円裆と松胯の関係が理解できるだろう。

 

  難しいのは、股を緩める、と緩めない、の違いかなぁ?

2024/5/13 <円裆 松胯の関係 その2>

 

  中国のサイトを検索してみると、圆裆松胯と言う人と、松胯圆裆という人がいる。

 圆裆と松胯という条件を単純に並列的に捉えていると、どちらでも良いと思えるが(以前の私のように)、圆裆と松胯の関係が分かっている人は、前者、圆裆松胯という言い方をしている。

 

 例えばこんな文章がある。(https://mp.weixin.qq.com/s?__biz=MzA5NDE2NDYwNQ==&mid=2651929803&idx=3&sn=5baee3308fc51852b82f5b5c7726dda2&chksm=8bb75fd9bcc0d6cf8f7cb885ba75e54fe36fe098bd3e13c6e23b6c5108e7af0bf8f93942a63f&scene=27)

 

 タイトルは「太極拳の圆裆松胯とはどういう意味なのか?」

 

 まず、<园裆とは何か?>について説明

 

   园裆の”裆“とは下肢の両股の内側、腹と股の溝を通って会陰部に連結する部分。

  ”圆裆”は太極拳の練習においての特殊な要求で、すなわち、裆部は円形のアーチ状であるということ。摘んで狭くなっていたり、逆に開いてしまっているのも良くない。適度な円形の張りがある状態が必要である。

 

 そして、そうでなけれなならない理由として、頭頂の百会と裆に位置する会陰の間を気を上下に貫通させるにあたって、会陰が引き上がり、会陰部(骨盤底筋)がしっかり張っている必要があるという。

 

 骨盤底筋に張りがないと気が下に漏れてしまい股のアーチを通って足裏に気が届かない。

 圆裆とは会陰と骨盤底筋の要領だとも言える。

 

 引き続き<松胯とは何か?>?について説明がある。

 ここで興味深いのはその一文目。

 「松胯の目的は、园裆を更に良くできるようにすることである。」

 

 確かにその通り!

 松胯することによって圆裆は完成する!

 

 これは自分自身の体で体験するしかない。

 まずは丹田の気を骨盤底筋近くまで沈めることができるようになること。

 いわゆる「気沈丹田」だが、その丹田を骨盤底筋近くまで沈めることが必要だ。

 気を下げる、とか、気を沈める、という感覚が分からないまま太極拳を練習している人(教えている人)もいるようだが、上の中国サイトの文章でも書かれているように、太極拳の「沈穏」や「中正」は気を沈めずして得られることはない。太極拳で強調される放松も気を沈めるための要領だ。

 

 虚霊頂勁という頭部の感覚も、圆裆松胯をすることによってはっきりする。骨盤底筋から頭部に向かっての気の流れが頂勁をもたらすからだ。

 

  

  最近使用した画像で検証すると・・・

 

  

  上の左側の画像のような股(骨盤底筋)は緩んでしまっていて股の力で足を引き寄せられない。右側の陳項老師の股は力がある。股で左足を右側へ引き寄せて相手の足をすくえる。(股の力が腰に連結している、というのが大事。そのためには骨盤が立っている必要がある。左側の画像の例では、そもそも胴体部の含胸抜背塌腰ができていないので気沈丹田ができていない。圆裆になる前提が欠けている。 胴体部の要領をクリアして気沈丹田がある程度できないと股はすかすかで足裏が地面に貼り付かない。)

 上の二枚の画像を比較。

 野球のバッティングでは圆裆にならない。(というのは、ボールを打つのは前方に限られていて、気は足から腕の方、下から上向きのみに移動するからだ。太極拳はどこから推されても動かないような安定性(中正)を求めているからつねに上下、左右、前後の気の流れを拮抗させている。その股の現れが圆裆。恥骨側の前側の股も肛門側の後ろ側の股も張っている。大谷選手の打ち方は、前側の股を狭めて肛門側の股を開いているような形だ。)

 

  バッティングの時は园裆でないにしても、股の力は使っている。決して”脚(腿)”の力で打っているのではない。足と股を連結させるのが脚だ。そして股(骨盤底筋)は腰(帯脈:骨盤の上縁一周)と連動する。足→股→腰(帯脈)→胸部、肩の捻り→腕・手 と連動がかかる。

 

  大谷選手の形を見てから、右側の形をみると、足の力が股で切れて、それより上の腰、胴体に連動しないのが分かるだろう。このような足は力がない。

 

  このようなことは、実際に人の足をひっかけて運んでみる練習をすればすぐに理解できます。文章だけではちょっとわかりづらいかも。

  太極拳初心者でも相手を使って力を出す練習をすると、体はこのように連動するのか・・・と気づくことができる。套路の練習だけではまず無理です。(野球の素振りを何十年やっても、実際に打つ経験を積まなければ打つ感覚が掴めないのと同じです。)

2024/5/12 <円裆 松胯の関係 その1>

 

  腿の根っこを使う、ということに関連して、太極拳の基本要領である、<松胯>と<円裆>について動画を撮りました。

  論点は、「松胯と円裆はどちらを先にするのか?」というところです。

  ここを間違えると太極拳の基本姿勢が崩れてしまいます。

  

  虚霊頂勁は一番始めにやるべきこと(完璧にはできないにしても、頭は上に掲げて始めます)。

  肩から腕、手にかけては、沈肩→墜肘→松腕(手首)→垂指 です。

  順番は変えられません。(沈肩ができなければ、その先はできません。)

  胴体は、含胸→抜背→塌腰 です。

  これも、含胸がなければ抜背はできないし、この2つがある程度できなければ塌腰もできない、という関係です。

 

  そして含胸→抜背→塌腰 を前提にして下肢の要領が続きます。

  

  <円裆> <松胯> <曲膝>

 

  これら3つをどの順番で行うのか? 

  それが問題です・・・

 

  動画ではそれについて前半で簡単に説明しています。

  後半は理解を深めるための話、実際のレッスンの時のように生徒さん各自が試してみるべき材料を与えています。

2024/5/8 <股関節の使い方=腿の使い方>

 

  なかなかメモを書く時間がとれず、書き記したいことが溜まってしまいました・・・

  

  5月に入ってからのレッスンで私が教えようとしたことの一つは、「太ももの根っこを使う」ということ。

  それより以前は、 「前腿を使わずにハムストリングを使う」と言っていた。

  ただ、本当は前腿も使う。そして、ハムストリングと一緒に内転筋群を働かせることは必須だ。

 

  股関節を回転させてしっかり使えば太ももの筋肉達は正しく使えるのだけれども、股関節の使い方自体が狂ってしまっている。関節を回転させずに、脚をぶらぶらさせている。

  すなわち、<股関節という腸骨と大腿骨の間の隙間>を動かしているのではなくて、股関節ぶら下がっている<大腿骨>を動かすことで、<股関節を使っている>と誤解している人が(特に太極拳愛好者に)多い。

 

 

 股関節自体を使わずに<腿>を使ってしまうと、前腿(大腿四頭筋)が発達する(左図:https://t-balance-gym.com/fcul/thigh-muscle-name/)

 

 太極拳をやりこんで、前腿が異常に発達するか、あるいは、膝を壊す人はとても多い。

  腿が上半身に比して太く短くなってしまっているという現象は太極拳指導者にもよく見られることだ。

 

 (ちなみに股関節の関節を使うには<引き上げ>が必須。体が落ちてしまうと股関節の<隙間>が潰れてしまうので、股関節は使えません。この点はまた別の論点)

 

 

 上の大腿四頭筋をモリモリにすると、パワーがあっても俊敏さはなくなります。というのは、大腿四頭筋は前進する力にブレーキをかけるからです。

 

 地面を蹴るのは後ろ脚のハムストリング(左図:https://t-balance-gym.com/fcul/thigh-muscle-name/)

 

 大腿四頭筋では地面は蹴れません。

 

 また、ハムストリングは背骨のラインと繋がって、直立した時の軸を作ります。

 背骨が胴体の真ん中よりも背中側にあることを感じて立てれば、ハムストリングスが軸なることも感じられるはず。前腿は軸を作りません。

 

 

 そして、ハムストリングと並んで、体のコアとして絶対に使いたいのが、内転筋群(左図)

  

この筋肉群は骨盤底筋と連動し骨盤を安定させて、丹田を支え、体幹を強化します。

  ここが弱いと体がゆらゆら、ひょろひょろします。

 

 

 

 太ももはできるだけ内側の筋肉が衰えないように頑張ります。加齢とともに内側の筋肉が衰えて両腿の間の隙間が大きくならないように注意。

 バレエの訓練では、この内転筋群を最も重視して、両腿がしっかりくっつくようにさせます。  骨盤底筋を緩めないためにが必須。太極拳の動きも正確にやれば内転筋群が鍛えられます。<円裆>というのは、まさに股(骨盤底筋)と転筋群を働かせた状態です。

 

 以上を前提にすると

 私が以前、<前腿を使わずにハムストリングを使う>と書いていたのは、<前腿を収縮させ続けて硬くしていると、ハムストリングが使えず地面も蹴れないので、前腿の力を抜いてハムストリングスを使えるようにする>、といった意味でした。

 

 今回、その言い方を変えて、<腿の根っこを使う>つまり、<腿の3分の2から下、膝に近い側に乗らない>と生徒さんに教えたのは、特に内転筋に重きを置いた言い方です。

 内転筋が使えるようになれば、自然に前腿の過剰な緊張は取れ、前腿、ハムストリング、内腿のバランスのとれが使い方ができるようになるはずです。そして、股関節も自然に使えるようになります。股の感覚も分かるようになり「円裆」がもたらす効果に感動する・・・

 

 そんな感動を生徒さんに与えようと頑張って教えています。

 レッスンで導いてあげると、うまくそこに入れて、円裆で動くとどんなに楽か、しゃがむのも全く苦にならない、という感覚を得られる生徒さんも多いです。問題は、それを自分一人でできるようになること。再現できるようになること。

 生徒さん自身の悟性にも頼るところがあります。

 

2024/4/30 <扣脚から学ぶこと>

 

  生徒さんから送られてきた画像で気になったものがあったので少し書きます。

  送られてきたのは、簡化24式の第8式右揽雀尾から第9式单鞭に移行する時の右足の扣脚。扣した右足を完全に体(背骨)から分離させているのに驚いた・・・・

  結論を先に図示するとこんな感じ。

 

  そもそも、簡化24式の問題点は、下半身と上半身を分離させてしまっていること。上半身を固めて下半身だけで動かす、という、わざわざ股関節や膝関節を酷使する動き方を強いている。歳をとって背骨が動かなくなった年配の人たちに合わせたのか、もしくは、老化は腿からと本当に信じている人たちが腿を鍛えるために作り出したのか、そこは謎だが、背骨が動かないから腰や膝を痛めるという簡単な論理が分からずに、ただ腿を鍛えるという健康法を推進するのは本当の太極拳のスタンスからすれば無知に等しい。

  太極拳は腿でやるのではなく、背骨を使う。

  背骨に息(気)を通して、一つ一つの脊椎を分離して動かすようにする(これが周天の目的)。

 

  上の画像のように背骨を完全に止めて、股関節だけ内旋させると脚と背骨の連動は切れる。すると本当の扣脚はできない。

  

  今年の1月終わりのメモでは、いくつか脚技を紹介した。

  例えば・・・

 

 左:馮老師は左足を扣して相手の右足をひっかけ逃げられないようにした上で、膝を曲げて脛で相手の脛を推し倒している。

 

 右:陳項老師は左足を扣して相手の右足をひっかけ逃げられないようにした上で、急に閉歩(左足を右足に寄せる)して相手を倒している。

 

 実は、上の簡化24式の第9式单鞭の最初の扣脚にも同じような技が入っている。

 (参照: https://youtu.be/i8kMrJmAfjU?si=JpOZGbClIzLuDodq)

 

 

 

  両手で相手をリューしながら、本来なら、右足は相手の左足を扣してひっかける。

(動画の中で老師もそのように言っているのだけれども、生徒は扣脚の技をやらずにただリューだけやっています。)

  太極拳は接近戦が基本。リューする時にこの動画のように、相手との距離を大きくはとらない。上の馮老師や陳項老師のように、相手とくっついた中で、足をひっかけてリューをするのが基本。(手と足を同時に使う。相手は手の方に意識がいくので、足をひっかけられると簡単に倒れる。太極拳が足技が妙である、というのはそういうこと。)

  ただ、手足同時に技をかけるのは初心者には難しいので、ここではまず手のリューを教えているのだと思います。

 

  私はレッスンでは、生徒さんに扣脚で相手の重心を失わせる練習(実験?)をしてもらったりしています。ちょうど上の陳項老師のような動きです。相手の両足の間に自分の片足を差し込んで、その足を閉歩して相手の足を払えるかどうか? やってみればわかりますが、股関節以下で足を払おうとしても無理です。体全体で足を動かす必要があります。つまり背骨を踵、つま先までつないでおくということです。

 

  下の左は杨振铎老師(https://youtu.be/q98HVJCiz_o?si=np9x8Q6M2oqE0Ryu)

    右はよく見かける24式示範(https://youtu.be/90WYI-Pys-c?si=OMUx6zSONZ6KvFiO)

 

  左は体に対して両足を大きく開き過ぎているので、両足が体からはみ出ています。

  こうすると背骨は使えず腿ばかり使うような動きになります。

  右の杨振铎老师は(達人級なので)歩幅が狭くても気を落とせるのですが、私くらいのレベルならもう少し両足を開いて背中を弓にしないと背骨を両足先まで繋げないと思います。いずれにしろ、足払いができるくらいでないと扣脚とはいえないかと。

 

 杨振铎老师の動きを分解してみると、背骨を回しているのが分かります。背骨の軸の回転につれて右足が扣をしています。

 

 右の動画の方を分解して見ると、背骨の軸を回しているのではなくて、体の前面を前に向けただけだというのが分かります。体が西向き(右向き)から南(正面)へと90度回る時は、胸、腹側(胴体の陰面)の向きを変えるという意識では太極拳にはなりません。太極拳のシンボルは球、体は球体であることを忘れないことが大事。背骨の軸を回す、あるいは、背中側を回して体の向きを変える、という意識が非常に大事です。

 背中側を回すことで体の向きを西→南に変えるとそれだけで、脚と背骨の連携が出て、勝手に扣脚 が作れます。

 扣脚の前提として、やはり、含胸、抜背、塌腰をして、背中をポン(膨らましておく)ことが必要です。簡化だけでは習えないのが背骨の使い方、なのかもしれません。

2024/4/23 <肩関節の扱い方>

 

  実際に生徒さんたちにチャンスーを教えていて気づくのは、肩関節の位置の意識がズレているということ。肩関節を回してください、と指示した時に、腕を回している・・・

  確かに、腕を回せば肩関節もそれなりに使われるのだけど、きちんと、肩関節を回転させないと、その先の関節(胸鎖関節や肩甲胸郭関節など)に連動をさせて背中や脇、腹の筋肉を経由して股関節や鼠蹊部、膝、足首・・・とつなげることはできない。

 

  肩関節は自分が腕を回している時にここが肩関節だ、と思っているところよりももっと内側にある。

  この週末のレッスンでは、一人一人の肩関節をぐるっと回してあげた。(私の腕の上に、腕を載せてもらい、十分力を抜いてもらった上で、私が腕をぐるり、と回す。生徒さんが腕を十分に放松していれば、私が肩関節を回すと、その連動が生徒さんに伝わる。生徒さんは驚いて後ろに転けそうになる・・・体が飛びそうになるのだ。)

  肩関節を回すと、体は動きそうになる。それを止めておくだけの腹圧(丹田の力)が必要になる。

   

  関節は二つの骨の間の隙間だ。

  隙間をどうすれば動かせるのか?と思うかもしれない。

  要領としては、二つの骨のうち、体の中心部に近い方の骨を動かすような感覚で使えば、結果的にその関節を動かした感じになる。

 

  例えば、肩関節は、上腕と肩甲骨の接するところの隙間だ。

  この場合は、肩甲骨側の方を回す意識が必要だ。

  上腕骨をだら〜んとして肩から引き離すようにして(腕抜き)、肩関節を開いてその隙間を感じる。隙間を開いたまま、もう片腕も同じようにする。両腕とも肩から引き離せたら、「沈肩』になっているはず。腕を回す時にはとの隙間を回す(というのが理想)。脇の奥の方、タンクトップの腕ぐりのラインあたりを動かす感じになると思う。そこを動かすなら、結果的に胸の方から関節回すことになるだろう・・・腕から肩関節を回そうとするよりも、胸から肩関節を回す意識で動かすことになるはず。(そもそも、腕を抜いて沈肩を作る時点で、胸を操作=含胸が必要になる)

  

 

  ↓https://r-body.com/blog/20220401/6492/ の画像に説明を追加しました。

 

 動かすのは、左のベージュのタンクトップ(https://www.sunfast.jp/YY-STBA1505)の腕ぐりのラインあたりです。

 

 黒のタンクトップの腕ぐりラインでは外すぎます。それでは上腕骨を回す意識しかなく、胴体部と連動しません。

 

 太極拳で沈肩にするのは、この肩関節の意識をはっきりさせるため。

 この肩関節の位置が正しく把握できないと、肘関節も曖昧になって、墜肘ができません。肘関節が正しく把握できなければ、手首も出てこない・・

 

 逆に言えば、肩関節が見つかれば、ドミノ式に体幹部の関節も、腕の関節も見つけられる可能性がありそう。

 

 ということで、肩の開発は優先順位がとても高いです。

 

 (肩が正しい位置に戻れば、腰痛や膝痛に悩まされることも激減するでしょう。というのは、姿勢が最初に崩れるのは、首、肩です。小学生になるとすでに崩れ始めます・・・)


2024/4/16 <順チャンスー、逆チャンスーのイメージ>

 

  今週はチャンスー(纏糸)を教えていますが、チャンスーは簡単にいうと、関節を回転させることで勁を伝達させることです。体の中心から末端に向かう勁の流れを生み出すのは逆チャンスー、体の末端から中心に向かう勁の流れを生み出すのは順チャンスーです。

  

  チャンスーには関節の意識が不可欠です。関節を次々と回していかないと、勁の流れが途中で止まってしまいます。

 

 

 

←https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/304829 

 

左はガッツポーズをする大谷君。

この姿は順チャンスーを大袈裟に表現した感じでとても分かりやすい例です。

 

拳は小指から巻き込んでいて、その握り込んだ力は体の中心部(腹腰)に流れ込んでいます。含胸になっているのがよく分かります。

足は写っていませんが、足首もきと多少外旋しているはず。股関節は外旋し、お尻は内側に入ります。

  声は出していますが、意識は内側に向かっています。外に向かって声を張り上げている、というよりも、内側に向かって吠えている、といった感じです。

  これが、順チャンスーの極み、合の極み、といった姿です。

←https://twitter.com/nek_12/status/694032226950840321

 

左のような、演歌歌手にみられるこぶしポーズも上のガッツポーズに似ています。

やはり意識は内側に向かう。

 

 

拳を握り込む、掌が自分の方に向かう動き、というのは、単に手の動きだと思うかもしれませんが、ちゃんとやれば全身に連動がかかります。

 

 

比較として載せますが、左の画像のような表面的な拳の握り込みでは、チャンスーはかかりません。

 

本気の時のように内側に気(勁)の流れる隙間がない・・・偽っぽい? 


 

 今度は、逆チャンスー。

すぐに思いつくのは、バスケットのパスです。

http://www.db291.com/izumida/lesson/pass.html

 

 ボールを受け取った後、手首を返してスナップをきかせてボールを放つ動き。

 

 このブログに書かれているように、”胸を張って腰を十分にいれ””足で地面を蹴る”のが大事。これは中心(腹腰)から末端へ、外向きに勁が流れます。太極拳のジーと似た動きになります。違いは、太極拳は前方だけに意識を向けるのではなく、丹田に気を沈めて最後まで下半身の力を抜かないことです。

 

 

 

 逆チャンスー系で他に思いつくのは、空手の突き。https://sorush.info/2019/12/29/karate-fist/

 

 拳が腰にある時は、掌が上を向いていますが、それを前に出す時には回転して掌が下に向いた拳になる。太極拳と同じです。

 ただ、空手の場合は、関節の中を連動させているわけではなくて、(外の)腰を回転させることで、筋肉を連動させているようです。太極拳の時の”腰”はもっと内側の腰、=腎です。

 

 実は、腰の王子の「おはようおやすみ体操」は、「おはよう」は逆チャンスー、「おやすみ」は順チャンスーの、骨盤、胸郭、頭部、の連動の原理を教えてくれています。太極拳の節節貫通というのはまさに関節を次から次へと連動させることですが、関節、というのは隙間のことなので、かなり体の内側を見る必要があります。内視が必須ということです。同様に、おはようおやすみ体操で、三つの玉(腰玉、胸玉、頭玉)を連動させるにも内側の意識が必要になります。一方、上の空手の場合は意識は完全に外です。関節の隙間の意識は皆無です。空手は意や気ではなく、力で動いている感が強いです。よって、上の空手の順逆のチャンスーはチャンスー勁として全身を貫いているものではないですが、腕のチャンスーで肩甲骨や広背筋、などのある程度の連動はかかっているようです。

 

 太極拳の中でも、陳式はチャンスー勁がとてもよく見えますが、それをシンプル化した楊式になるとチャンスーが見えづらくなります。しかし、太極拳である限り、シンプルな腕の動きにも、必ず関節の回転と連動が入っています。関節が回らずに動くということはない・・・沈肩をして、墜肘をする、この墜肘と言う動きは、まさに、肘関節の回転運動です。

 

 ということで、今日は、チャンスーを少し身近に思える例を挙げましたが、次回は、チャンスーの要になる、腰(腎)の回転、について書きたいと思っています。

 

 

2024/4/13 <開合とチャンスー その2 太極図で図示>

 

   昨日の話はちょっとぐちゃぐちゃしていたと思うので、陰陽太極図を使って簡単に図示してみました。

 

 陰陽太極図の簡単な見方↓

   

   上の図をそのまま開合とチャンスーに当てはめると下の図のようになります。

2024/4/12 <開合とチャンスー その1>

 

  今週のレッスンでは、簡化24式を真の太極拳にバージョンアップするにあたって必要になる『開合』の話を総合的に教えました。いや、教える、というより、説明した、と言った方がよいです。私自身がやっとはっきり説明できるようになったばかりで、聞いている生徒さんたちがどのくらい理解できたのかは謎。けれども、一回で全ては理解できなくても、何度も繰り返しているうちに徐々に分かるようになるでしょう・・・。

 

  

  『開合』は手足を開いたり閉じたり、という意味ではありません。『開合』は丹田の開合、言い換えれば、丹田が大きく膨らむのが『開』、丹田が縮小するのが『合』です。太極拳の『太』という漢字が、<大>と<小>を合体させたもので、意味は「大よりも大きく、小よりも小さい」、つまり、極大から極小までを示したものだと言われます。これは太極拳においては、丹田が、宇宙よりも大きくなることもあれば、丹田が砂粒よりも小さくなることがある、というような例で示されたりします。

  私たちの心身は開いたり閉じたりしています。良いことがあって気分がいい時、心は開き、体も外界との境目がないかのように広がります。反対に、調子が悪い時は、心は閉じ、体は外界を遮断する壁のようになり、自分は体の中に閉じ込められたようになります。開と合(閉)の例です。

  丹田を作ると、丹田を広げることで自分が広がりますが、丹田の中心点は維持するので、自分の中心の”点”は残ります。これが、ただ嬉しくて有頂天になって心身が開く、という状態との違いです。どれだけ開いても、中心の一点は残る。これが、「開の中に合あり」と言われるものです。逆に、丹田を縮小させた時、エネルギーは中心に集まっていきますが、その分、外界のより広い範囲が意識されるようになります。ちょうど、耳を澄ませた時の感じです。これが「合」。本当に閉じてしまうのではない。「合の中には開あり」。「合」と「閉」の違いです。

 

  『陰陽開合を真剣に求めるべし』

  馮老師の陳式太極拳入門の本では、入門の手引きとして「開合」についてその原理から応用まで細かく論じられています。まだまだ全ては消化しきれていませんが、やっと、なぜ太極拳において開合がそれほど大事なのか、ということが分かってきたところです。

  太極拳において、開合がないところはない。そう書かれていますが、結局は、生命自体が、呼吸、すなわち、開合なしには存在しない、とういうことです。吐くは開、吸うは合です。

 

  レッスンでは、この『開合』と『纏糸(チャンスー)』の関係を教えました。

  順チャンスーは合

  逆チャンスーは開

  です。

  

  順チャンスーとは、腕で言うと、掌が自分の方に向いていくような腕の自転。小指を手動に尺骨を回転させ、肩関節を外旋させるような動きです。肩関節を外旋させると肩甲骨は引き下ろされて背中に貼り付くようになり、腰や仙骨が前方に推されたようになります。股関節は内旋になり、気は末端から中心(丹田)に向かって流れます。(手先→丹田、足先→丹田) 

  腕のチャンスーの課題は、指や手の動きがしっかりと肩甲骨まで連動することです。(ここは練習が必要)肩甲骨が動かないことには上半身と下半身の連動が起きません。

 

  逆チャンスーとは、腕で言えば、掌が外に向いていくような腕の自転です。親指を手動に回転させ、脇が広がるように動かします。肩関節は内旋、肩甲骨は左右に開いて背中から浮くような感じになります。これにより、腰は丸くなり、背中の弓がきつくなります。股関節は外旋になります。この時、気の流れは丹田→末端になります。発する、開になります。

  

  例えば、簡化24式の「如封似闭」の動きであれば、①前に出た両腕を交差させて両掌を上に向け、両腕を左右に開きながら自分の方にひきつける動作。

左は混元太極拳の第14式「双推手」です。(https://youtu.be/Gr8v8YNWVbU?si=iviy6POqfEsOdm91)

簡化24式の「如封似闭」と似たような動きになります。

 

①前に出した両腕を円を描きながら自分の胸の前に集めていく動き → これは順チャンスー、『合』の動きです。呼吸は吸っているはず。

丹田に気を溜める(戻す)動き。

 背中がまっすぐに近づいて体の前後の幅が狭くなっているのが分かると思います。

 

 ②胸の前で自分の方に向いた掌を外向きにひっくり返した動作

  →これは順チャンスーから逆チャンスーへの転換です。

  太極拳では、この”転換点”がミソです。ここがうまくできるか否かが、開合がうまくできるかどうか、技が決まるかどうか、を決めます。

  たかが、掌をひっくり返しただけに見えますが、実は体の中が全てひっくり返っています。オセロゲームでほとんど白だったところに、黒を一ついれたら、全て黒にひっくり返った、そんな感じ。丹田をひっくり返すとも言います。その現れとしてわかりやすいのは、足裏の気の流れる方向の転換。順の時は吸って足裏も吸う(下から上向き)だったのが、逆にひっくり返すと、足裏が吐く、すなわち、地面を推す動きに変わります。これによって、地面を蹴る(推す)ことが可能になります。

 

 ③前方に推す動作→逆チャンスーのまま推し出します。気は丹田から末端、四方八方へ広がります。前方だけでなく後方、下方にも気は膨らみます。その結果、背中の弓がきつくなります。

 

 左は楊式の「如封似闭」ですが、スタイルは違っても、息の使い方、内気の使い方は原則、上と同じです。(https://youtu.be/q98HVJCiz_o?si=iWERjh_NakFzI696)

 

 

 順で溜めて(合)、逆で発する(開)。

 

 発する時は(吐く時は)、一気に吐かないで、丹田の気を残したまま吐いていきます=「開の中に合あり」

 そのためには、吐く息は腹底に向かってはいていきます。前方に吐き出しては絶対にダメです。気沈丹田をしていきます。背中が弓になるのは、息を下向きに吐き込んでいるからです。

 左の弟子が上の師と違うのは、まさに、「開合」がない、ということです。

ただ、体が前後に動いているだけで、上の二人の師のように体自体の開合、膨らみ、縮みがありません。

 

  体が前に出てジーをしている時も、背中が弓にならないのは、「おやすみ〜」ができていないから。呼気が腹底におちていません。よく見ると、肩甲骨も動いてなさそう・・・上の②の動作、順チャンスーから逆チャンスーへの転換が、ただ外形の動きのみで、内側の気の流れの変化が伴っていません・・・息かな? 

2024/4/7 <勁によって上体の形が変わる その②>

 

  昨日は上体が少し傾く例を出しましたが、実は、それは、両手が前に出る技の場合です。ジーやアン、搂膝拗步,搬拦捶などがその例です。注意は前方にあります。この時は、含胸抜背で背中を撑して(張って)弓状にした上で、上体は少し前方に傾いたようになります。上体を垂直に立ててしまうと、前方に推す力が途中で止まってしまい、推しきれません。  

  太極拳の原理に、『无过不及』(「過と不及、が無い」=過ぎすのも及ばないのも不可)というのがありますが、上体を垂直に立ててジーをすると、必然的に「不及」になってしまうということです。後ろ足で地面を推した力が掌に達して抜けないようにするには、背中を縦横に張って上体を少し傾ける、実際には、勁を通して推そうとすると、そうなってしまう、というのが本当です。練習の中で実際に推す練習をして会得すべきところです。

 

  続いて、杨振铎老師の動画では、上体が前方に傾かない例を説明してくれています。

 

左は单鞭。

この時は、上体は真っ直ぐです。傾きません。

自然にそうなってしまっていればそれでよし。私は無意識でやっていましたが、老師の説明を聞いてなるほどと思いました。(動画44分あたり)

 

 この場合は両手が左右、もしくは前後に分かれています。

 太極拳は右手、左手、ともに、何か役割があってそうなっています。右手の技に見えても、左手も意味がある動きを必ずしています。

 

 

  单鞭の場合は左手が立掌、右手が勾手もしくは吊手。左右ともども技を使って、複数の相手と対峙しています。注意は左右、もしくは前後、目は広く使っています。

 

 左右の手は体の中で一本としてつながっています。その結果、左右の手が強力になり、一人で二人の相手を打つことができます。 左のGIF動画で老師が確認しているのは、両手が体の中でしっかりとつながっているということです。

 

   もし、この時、体を前傾させたら、右手と左手は力がなくなってしまいます。

   動画の中で老師が言うように、このように、同じ弓歩でも上体の形が異なるのは、どのような勁を使っているのか、その用法によるということ。形は勁の現れです。

2024/4/6 <勁によって変わる上体の形 ①>

 

 下のどちらの姿勢が正しいでしょう?

 

 

  上は以前紹介した杨振铎老師の動画の一場面です。(https://youtu.be/q98HVJCiz_o?si=Zt0Oy9whd5cY26bv 42分あたり)

  弓歩で前に移動した時、この場合はジーをした時の姿です。

  

  背骨をまっすぐに、というと、左のような姿勢をとってしまう人がいるけれども、それは間違いだ、と動画では説明しています。正しいのは右の姿勢です。

  左の姿勢では腿が突っ張れない。力がでません。

  右のように少し前傾姿勢になるのが自然です。(といっても、背中の弓があまりうまくできていませんが。)

  

  私の印象では、簡化では左のような姿勢をしている人が多いイメージです。胴体が前に進んでいないので重心がうまく前に運べず、結果的に前腿でブレーキをかけてしまっている、そんな状態です。円裆になっていない、というのは、股(骨盤底筋)が使われていない証拠。脚だけで動いているので股関節や膝に過剰な負担がかかかります。注意が必要。

 

  相手の力にどれくらい耐えられるか、という実験↓

  上段が少し前傾姿勢で後ろ足を突っ張っているもの。

  下段が、胴体を垂直に立てた姿勢です。

 

 股の力が使えるように立つと、上段のような立ち方になります。

 

太極拳は球状に力を使います。

地球儀を思い浮かべた時に、経線のような縦の勁だけでなく、緯線のような横の勁も必要だということです。動画の中では、杨振铎老师は横澄劲(横に張る力)と説明しています。(

 

上半身を垂直に立てると緯線の力=横に張る力が使えません。背中が開かない、股が開かない、というのが具体的に分かりやすい欠点です。

 

 

 左下の陳式の馮志強老師も同じような上半身の傾きです。

 

 

 私の師父は、地球と同じように23.4度傾ければよい、と言ったことがありますが、大体そんな感じなのかと思います。

 

 

 

 

  左の二枚の画像を見てから、左下の画像を見ると、これでは本当には相手を打てない、と分かるのでは?

 打つには体がもっと乗り込んでいく必要があります。 

 

 

 重心移動がちゃんと最後までできていない(右足に移動しきっていない=右前腿がブレーキになっている)。

 中途半端に重心移動をすると膝を痛めます。

 

  ちなみに階段を登るときも、下を向いて脚であがろうとせず、目線を上げて、脚よりも先に胴体を前に運んだ方が、結果的には脚に負担がかかりません。さっさと上がれます。脚で重心移動しようとしない。重心移動の結果、脚が動きます。

 


2024/4/5 <プリセツカヤに見る胸椎の回旋>

  

   最近、昔のバレエダンサーは凄かった、ということに気づいたが、それはちょうど、昔の太極拳のマスターは凄かった、というのと同じ感じだ。体が今よりも活き活きしている。そんな時代だったのだろうか? 現代はテクニックは上がっているようなのだけど、末端が発達して中核の弾けるような感じが失われているようだ。時代・・・何が変わったのだろう?

 

 下は腰の王子も絶賛するプリセツカヤと、現代バレエのトップに君臨するザハロワの比較。プリセツカヤの胸郭の開きを見ると王子が絶賛するのも分かる。ここが開くことで、無理なく脚も上げられる。ここが開かずに脚を高く上げると必ず腰を痛める。プリセツカヤの体の捻りも見事で、男性ダンサーと絡まったように見える。比較するとザハロワは男性ダンサーがいても一人で踊っている感じ。太極拳の粘黏连随,ねばくひっついていく感じは体が開いているからこそ可能になる。アメーバーのように液体に近くなるのも体が内側から開くから。体が縮こまると個体になる。

2024/4/4

 

  レッスンの振り返りと課題

 

  直近は昨日のグループオンライン。

  簡化24式の動きでこれまで教えてきたことがどのくらい使えるのか実験。

  簡化は太極拳の入門として編成されていて、多くの場合は動きが真似できればそれでよし、となるが、実は、太極拳の套路は技を連ねたもの。技を知らずに動いても、意味を知らずにお経を読むようなもの、あるいは、意味を知らずに外国語の音を真似てしゃべっているようなもの。どれだけ上手に読めても、中身はありません。

  そこで、太極拳の通常の練習では、ある程度、動きが真似できるようになったら、一っ式ずつ技を解説して、それに沿った意識の使い方、力の出し方を学びます。ここからが内側の中身の練習です。

 

  昨日は一人の生徒さんからリクエストのあった、簡化24式の「如封似闭」と「十字手」「収式」、を深掘りしました。

  「如封似闭」が「揽雀尾」と異なるのは、ジーが前後だけでなく左右にも広がること。つまり 「如封似闭」は典型的な開合の動きです。

  ①右腕の下に左手を差し込む動作、実はこれは「十字手」の一つの形です。

   「十字手は万能の手」と師父から教わったことがあります。

   「十字手はなぜ強いのか?」これが分かれば、太極拳で太極円が隠れて多様されていることに気づきます。まさに十字手は太極拳の核心的存在です。このあたりを昨日は解説しました。

   ②右手の下に左手を差し込む形、これは、両手を前に差し出していた時に相手に手首を掴まれた時の典型的な外し技です。陳式の混元太極拳では「上歩七星」の中で同じような動きがあります。並行に前に差し出した両手の手首を取られた場合、まず、やるべきことは両手首をクロスにする=十字手にすることです。そうすれば両手首を回転させることが可能になります。簡化24式の「如封似闭」の場合は両手首を引っ付けたまま外旋させて、そのまま左右にポンして開くことで相手の手を外せます。十字手の合から、回転ながら左右に開くポン=開です。合→開の動き。しかも、その過程でチャンスー(腕、肩関節、腰、股関節、足首などが連動して回転)が入っているので、チャンスーがセオリー通りに完璧にできればものすごい力が出ます。まずは、手首の回転が肩甲骨まで連動するよう練習することが必要です。(前腕しか回転しないのは不味い。少なくとも上腕は回ってほしい。十字手になって両手首を軽く押さえつけるように回転させれば肩関節の中が動きやすいはず。十字手は関節の連動が起きやすい。)

 

  ③そして、両腕を開いて後ろの弓歩になっていく時の両腕は、相手の両腕を左右に開いているという、相手との絡みを”情景”として想像することが大事。そうすれば、両手はただ開いているのではなくて、”撑“している(内側からプッと膨らまして両腕の外側を突っ張っている)という内気の感覚が得られるだろう。 太極拳の経典の中で、” (情)景”が大事だと言われる所以です。

 

  ④後弓歩は大問題。前腿に乗っているようではダメです。ハムストリングスを使ってください。ここはレッスンでもひっかかりました。

   ほとんどの生徒さんがハムストリングスを上手に使えません。

   最近はっきりしたのは、前肩では絶対にハムストリングスは使えない。

   肩甲骨は下方に引っ張り落とさなければなりません。

   昨日は、ハムストリングスがほとんど使えていない生徒さん達に、ある腕の形をさせることでハムストリングスを使って歩く感覚を味わってもらいました。肩が正しい位置にくれば嫌でもハムストリングスを使うことになります。

   肩が問題・・・

 

 

 

https://youtu.be/-xQd1zxkAy8?si=bXKAbebgt0Fvx8VP より

 

弟子は腹圧が抜けてしまい、上半身と下半身が分断。ちゃんと地面を蹴れない(蹴った力が腕に達しない)。 後弓歩になる時も凹んでしまって膝に乗ってしまう。

 

これを解決するのが大きな課題です。

 

 

 

2024/3/30 <1960年代と現代のバレエの違いから学ぶ>

 

     体の内側の連動=関節の連動=骨で動く、ということを極めているのがバレエかと思う。私も今年に入ってレッスンに通うようになったが、現時点で分かってきたことは、バレエは体をturn out (en dehors) 、簡単に言えば、両腿を外旋させ体を薄くして開くと同時に軸を中心にギュッと集めることにより、体の連動、太極拳で言えば『節節貫通』を可能にしている。遊園地にある回転ブランコのようなイメージだ。

  

 

単純に言えば、

 

中心部に集める力:求心力(水色ライン)と、

外向きに引っ張る力:遠心力(ピンクライン)

 

この2つの力が接するところ(オレンジ円)の関節は両方向に引っ張られて開くようになる。

   求心力をつけるには、背骨を開発(頚椎から尾骨までを引き抜く:脊柱間の隙間を開く)必要がある。そして、指先、足つま先までピンと伸ばすことにより、四肢で遠心力を働かせる。肩関節や股関節はこの両者の力で開いて可動域が大きくなる。

 

 太極拳の場合も求心力と遠心力を使う。

 が、求心力の中心は脊柱という棒一本ではなく、腹だったり胴体だったり、と球状に作る。しかも、技によって支点となる部位が異なるため(どこから発勁するかが異なるため)その求心力の働く範囲の大きさは可変的だ。

 同様に、遠心力がかかる範囲も可変的。

 実は、丹田というもの自体が、求心力と遠心力から成り立っている。

  お腹を固めても丹田にならないのは、そこには求心力も遠心力も働かないからだ。

  丹田を作るのに呼気と吸気が必要なのは、まさに求心力と遠心力を併存させるから。

  開合という概念も求心力と遠心力の話に他ならない。

  「開の中に合あり、合の中に開あり」と言われるのは、求心力は遠心力なしには働かないし、その逆もそうだからだ。遠心力よりも求心力が大きくなると”合”になる。求心力よりも遠心力が大きくなると”開”になる。

  丹田が腹にあるうちは中心と末端という感覚が成り立つが、丹田を広げて体全体を包んでしまうと(丹田がない、という状態=太極状態)になると、末端と中心がなくなる。どの部位も同時に動く、ということになる(上の二枚目の回転ブランコの画像はそれを示そうとしたものです。)(最近そのことについての腰の王子の動画を見た記憶があるので、リンクを探せたら貼ります。)

 

 

   で、ここで、私がずっと紹介したかった衝撃動画を紹介します。

 

   ロシアのマリンスキーバレエのダンサーの踊りの変遷。

 最初の1960年のダンサーの踊りと、最後の2017年のダンサーの踊りを見ると随分変わっているのがわかる。

 

   私が見慣れていたのは、2017年系。 昔、マーゴット・フォンティーンやマヤ・プリセツカヤなどの1960年代頃の動画を見た時は、なんだかあまり足が上がってないなぁ、と物足りなかったかた覚えがある。

 が、今回、この動画の1960年のSvetlana Efremovaの動きを見て衝撃を受けた。なんて活き活きしているのだろう、心の中から踊っている。これを見てから2017年の現代の踊りを見ると、脚は高く上がるが、活き活き感が少ない。表面でニコニコしているような感じだ。 

 私の娘に見せたら、現代の方がいいんじゃない?と言ったが、劉師父に見せたら、案の定、1960年のダンサーを絶賛した。比較すると現代は劣っていると。私の主人にも見せてみた。すると、1960年の人は「人間じゃないみたい。別の生き物のようだ。」と言った。現代の人は”人間”だそうだ。

 

 上のyoutube動画のサムネイル画像で二人を見比べると分かることがある。

 左側のEfremovaは軸を見てしまうと、右側の2017年のダンサーの軸はまっすぐでない。

 比較をしないと分からないが、比較をすると分かる。

 Efremovaは頸椎から尾骨まで完璧に分化している。

 が、下のGIf動画を見ると、2017年のダンサーは頸椎がまだ分化していない→首が足首までつながっていない。

 Efremovaは太極拳の達人レベルだ。2017年のダンサーは普通の老師程度だ。

 

 

 

  

  Gif動画のコマをランダムに抽出して静止画像にすると、どこを切り取ってもEfremovaの軸は完璧だ。それに比べると、2017年のダンサーはポーズをとっている時はある程度軸があっても、ポーズとポーズの間で軸がなくなって美しくない形が見えてしまっている。

 

 

  1960年代の有名なダンサー達は軸が恐ろしくまっすぐで、体の線が関節の可動域を逸脱せず、無理に曲げたり、伸ばしたり、をしていないのだ。それに比べると、現代のダンサーは無理に筋を引き伸ばして脚を上げたり、腕を動かしたりしている。上の空中ブランコの画像の例で言うと、現代は一枚目、中心と末端が分かれていて、かつ、求心力と遠心力で得られる関節の可動域以上の肩関節、股関節の動きを目指している。一方、1960年代のダンサーは、空中ブランコの二枚目の画像になっている。胴体と四肢が分離していない。体丸ごとで一つだ。

 

  下の左はMargot Fonteyn (https://youtu.be/5MGYgDkoHQs?si=IaJpEirda0JMfOfb)

     右は最近のウクライナ国立バレエ。現代のトップレベル。(https://youtu.be/tpSMO2yasY4?si=2FUE5f6d-bV2dRSj)

 

  右のような白鳥を見慣れていると左のMargot FOnteynの白鳥は物足りない感じがするかもしれないけれど、よく見ると、とても正確で、内側からの表現が行われているのが分かる。バレエがアクロバティック的になってしまったのを嘆く人がいるのはこういうところだ。私の想像では、一般大衆ウケするには多少アクロバティック的なことをしないとならない・・・上流階級相手から大衆相手になると変わらなければならないところがある。

  現代のバレエダンサーが体を痛めるのはそういうところかもしれない。昔のダンサーの踊り方なら(ちゃんとメソッド通り体を開いていけば)体を痛めなさそうだ。

 

 

2024/3/26

 

 今日のオンラインの個人レッスンでは、坐骨を使った体重移動から、それに肘技の要領で体側の連動を加味し、最終的には、丹田回しの時に全身を連動して動けるようにするところまで持っていきました。

 かなり長い道のり。肘技の要領を使うと肩甲骨、脇、体側が使いやすい。肘(上腕)が使えるかどうかが上半身の要です。ここがうまくできないと、重心移動もちゃんとできない。逆に言えば、肘がちゃんと使えれば、重心移動はうまくできるし、しゃがんだり、片足立するのの楽ちんになります。蹴り技も然り。 肘というのは上腕であり、肩甲骨であり、鎖骨であり、体側です・・・

 

 夜のオンラインのグループレッスンは、2時間まるごと上腕、肩の練習に費やしました。

簡化だけ学んでいると肩甲骨はほとんど忘れ去られています。ただ腕だけで腕を使っている。これを根本的に是正したい・・・両腕を一本にする、というのは、まず、腕を肩甲骨と鎖骨と連動させて使えるようにするのが第一歩。今日のレッスンの目標は、脇の締め感を失わずに腕を動かす、ということでしたが、なかなか困難でした。

 

 腕で逆チャンスーをかけてから順チャンスーをかけると、自然に脇が絞まります(前鋸筋が稼働する?)=腕と肩甲骨が密着して動くようになる。太極拳の腕の使い方には本来的に腕を肩甲骨とと鎖骨に連動するような要領が入っています。チャンスーはその基本的は要素。

  少し前に紹介した加藤修三氏は、順チャンスーを尺骨を外側、小指側に回すこと、逆チャンスーを橈骨を内側、親指側に回すこと、と説明していたような記憶があります。

  

 腕を前にまっすぐ伸ばして、まず腕を内旋させる=正確には肩関節を内旋させます。逆チャンスーです。

  腋が深くなるような感じになります。襷掛けをした時の前の肩の斜めのラインが深くなるでしょう。

  その後、腕は指先までまっすぐに伸ばしたまま腕を小指側へと外旋させます。肩関節の外旋、順チャンスーです。注意を要するのは、この順チャンスーです。この時しっかり、尺骨を回して、尺骨と上腕骨の連動を通して肩関節まで回すことが必要です。肘が弛んでしまうと、尺骨の回転が上腕の中途半端なところまでしか伝わらず、肩関節がしっかり回転しません→肩甲骨が連動しない、動かない。

  今日のレッスンでも、この外旋、順チャンスーを教えるのが大変でした。指先までピンと”力を入れずに””引き抜く”のが難しいよう。手は放松する、と習って、幽霊のような手をしていると、何も連動はかかりません。かといって指に力が入っているのもだめ。手首と手のひらの中を通す必要があります。一人の生徒さんには、ぜひ、腰の王子の「一流の腕使い」の練習を試してみては?と進めました。手首の中と手の平の中の骨を動かす練習ができます。ちなみに、前腕は指でできています。肘から指先まではhand、肩から肘まではarm。腰の王子の言葉ですが、なるほどその通りです。

2024/3/25 <坐骨を使って重心移動の感覚を捉える 坐骨と踵の関係>

 

  昨日の話の続きはちょっと置いておいて、今週のレッスンの内容について少し考えよう。抽象的な話も、まずは体を構造通りに動かせるように努力すること=眠っている関節を目覚めさせ、本当の関節からズレて動かしているところを修正すること。 そのために必要なのが、内気(エネルギー)と体への気づき(意あるいは神経)だ。

  体の全ての関節が構造通りに動けば節節貫通となり、体は丸ごと一つ(周身一家)となる。体には癖があり偏りがあるので、歳を重ねていくうちに使えない関節の数は増えていく。使えるところばかりを使うという偏りから腰痛や膝痛などさまざまな支障が生まれる。   太極拳の本来の練習過程には内側から自分の体を観て、内側から体を動かすものが必ず含まれている(内家拳の特徴)。その中でも脊椎関節を意識的に動かせるようにすることは練習の大黒柱だ。周天というのも気を回しながら背骨を一節一節ばらばらにする効果がある。背骨が内視できるようになれば肩関節や肘関節、股関節、膝関節などを内視することも難しくなくなる。関節は内側から意識して初めて構造通り動かすことができる。腕を回しても肩関節は構造通りには回らない。

   太極拳の技はそのように内側から体を動かさないとかからないようなものだ。外から見るととても簡単だが、その動きを真似ても技にはならない。それは節節貫通した体を前提としているからだ。逆に言えば、そんな体ができてしまえば、技は次から次へと繰り出されてくる。私自身は中途半端な域にいるが、そのカラクリはよく分かる。師父が私に、「技を教えなくてもいずれ技はできてしまうようになる。」と言ったのは本当だった。ある段階がくれば、套路の中の技が浮き出てくる。技が技にならないとしたら、どこかまだ開発しなければならない体の箇所がある。技から基本功に戻る。としたら、やはり、技を知らずに套路の動作だけなぞるのは、意味を知らずにお経を唱えるようなもので、どこか心を落ち着けられても真の深みには至らないだろう。

 

  書くと頭が整理される。

  

  で、生徒さんたちには何をどう教えよう?

 

  一つは、坐骨。先週も一つのグループクラスでとりあげた。椅子に座って坐骨に乗る練習。坐骨の後ろ、坐骨の上、坐骨の前、そして坐骨の左、右、と座り方を変えてもらった。これは重心移動の際の丹田(腹の内気)の使い方の練習になる。頭を揺らしたり、体をくねらせずに左坐骨から右坐骨へと移動。これは左から右への重心移動になる。

  先週はここまでの練習だったが、これを立位で行うようにする。

  それには、坐骨と踵を合わせて座れるようになる必要がある。

  ん〜、きっとここが難関なのかも。

  王子のコマネチスリスリがそれをやらせている。が、ほとんどの人が踵を外して座っている。それではハムストリングス(腿裏)が伸びない。

  ハムストリングスは坐骨から膝裏まで繋がっている。そして膝裏からアキレス腱、踵までは足底筋で繋がっている。

  坐骨と踵を結びつけるのに難関になっているのは”膝裏”か・・・

  膝裏を伸ばすストレッチは圧腿。いわゆる前屈。

  これで、坐骨から踵まできちっと伸ばせればよいけど・・・

  それには股関節の引き込み(前胯の緩み)が必要。

  そこから教える必要がありそうだ。

  きっと鼠蹊部の松は大きく誤解されているもののの一つ。

  いけるところまでやってみよう。

 

  最終的には、座位で坐骨でやったことが、立位では踵で行われる。ハムストリングスがきちんと起動すれば坐骨と踵は一緒に動く。太極拳で「踵から力が出る」と言われるのは、それがハムストリングス経由で坐骨に届き、体幹部に力が伝わるからだ。重心移動の蹴り脚の動き。

 

  ということで、まずは坐骨と踵の連携を目標に、レッスンをしてみよう。どこまでいけるか楽しみ。

 

  も一つはやはり肩。いや、首かもしれない。

 

  (ここで休憩・・・)

2024/3/24 <気功と神功 肉感と霊感>

 

  3/18のブログに載せた、杨振铎と弟子の画像比較だが、中には、その違いがあまり分からないという人もいたようだ。

  

  違いは感覚的に捉えられるが、それを分析して説明することもできる。

  私が感覚的に似ていると思ったのは、少し前のブログに載せた鏡獅子。

  片や呼吸をしている、動いている。片や息を止め固まっている、止まっている。

  太極拳には、伸びやかな(舒畅)という要素があるが、それは息によるものだ。長い息がいる。踏みしめたり、肉を固めない。常に動いている、現在進行形だ。

 前回載せた画像だが、左端の師は前方へと現在進行形。

 が、真ん中と右端の弟子たちはお尻や腿に座ってしまって前方へいく力にブレーキをかけている。体が固まっている。師父はそのまま後ろ足を離して前に運ぶことができるが、弟子たちは後ろ足を離すことはできない=虚実不明、だ。

  上の二枚の画像も同じような違いがある。

  カンフー映画や漫画の中では右のようなムキムキで描かれることがあるかもしれないが、本当の太極拳はもっとふわっとした空気感がある。(そう言う意味では武術太極拳と言われるもの太極拳の動作を使ったアクロバティック競技だろう。太極拳の武術的な技の要素は含まれていない。)

  上のどちらが好みか?と好みの話で言えば、私は30代の頃は断然カンフー映画で見るようなカッコ良い動きだった。左のほわっとした感じよりも、ギュッとした力みなぎる感じが好きだった。気功と少林寺武術を学んでいたのはそんなところからだ。

  が、鄭州で開かれた国際武術大会に団体演舞で参加した時、別フロアでやっていた太極拳を見て、40歳を超える前に太極拳に転向した方が良いと感じた。速く動いて高く飛ぶのはどうやっても20代の若者には敵わない。歳をとって速さと高さを追求するよりも、別のベクトルで心身を開発した方が良いと思った。太極拳にはきっとその開発の方法が隠れていると直感的に思った。

 

  その後劉師父に出会うまでしばらく時間がかかったが、練習を積んでいくと、ものの良し悪しの判断基準が変わってきた。好みも変わった。 

  そして次第に、なぜ、それが良いと思うのかの理由もわかってきた。

 

  劉師父に、鏡獅子のモデルになった6代目尾上菊五郎の画像と、そこから作られた試作彫像の画像を見せた時、師父は、ただ、前者は霊感、後者は肉感、とコメントをくれた。

  太極拳は肉感的な次元から霊感的な次元へと向かうもの。

  言い換えれば、フィジカルからアストラル的なものへと向かう練習だ。

  フィジカルな次元から見れば、ちょっと不思議な感じだ。何をやっているのか理解し難い・・・・日本の例だと、宮本武蔵なども(私のイメージでは)肉肉しい感じではなく、どこか精神的なもの、アストラル的なものがあると思う。力で押し倒すのではなくて、もっと妙に、粋に相手を倒す。・・・前回紹介した腰の王子が見せている技もそのようなものだ。

  つまり、筋肉を強くするというのではなく、体を隅々まで構造通り動かせるようにする→神経を開発する、ということだ。神経を開発する練功を神功と言い、気を開発する練功を気功というが、太極拳は気功を行いながら神功も行っている。気というエネルギーを流すことで、神経を生やし伸ばしていくのだ。これまで使ったことのない体の部位に気が流れることで新たな神経が開発される。意識的に使える体の部位が多ければ多いほど、体は精妙な動きになる。太極拳の技はそんな体を前提に作られている。

 

  粗雑な体から精妙な体に・・・

  体を鍛えるといっても、いろんな鍛え方がある。

  力技の多いプロレスやレスリングは太極拳からとても遠い。合気道や弓道は近いだろう・・・(続く)

  

2024/3/22

 

 最新の王子の動画。

 太極拳の奥義をそのまま見せてくれています。丸ごと使う、そのための関節の意識、関節の連動。鮮やか!

 その動きは、過去に紹介した陳項老師の動画と同じ。

 前回の楊老師の推手はその動きの基本練習。

 改めて太極拳の向かう道を思い出させてもらいました。

2024/3/18 <重心移動 師から学ぶ>

 

  再度、杨振铎とその弟子の動画。

  

上の動作の一部。

後ろにリューしたところ。

 

弟子の画像だけ見ると、どこもおかしくないと思うかもしれない。

しかし隣の師と比べれば、その問題点がはっきりする。

 

目立つのは、後ろ足の膝にがっつり乗ってしまっていること。

  重心は体の中心、会陰のほうに降りて、両股を経由して足首の下、土踏まずが一番上がったところ、に下りる。途中のお尻や膝には乗らない。

 

 

ここでも、弟子だけ見ると真っ直ぐに立っているようだが、師と比べると、重心が正しくないのに気づく。

 

そもそも、胴体の中に重心を感じられていないので、腿にガッツリ乗ってしまっている。

  これに比べ、師の方は、前回の赤ちゃんが立ち上がった時のようなバランスで立っている。股から内腿を使っている。(弟子は前腿を使っている)

  

  太極拳は特に上半身をうまく使う必要がある。空手のように上半身を固めない。

  しかし、実際には上半身を固めて四肢運動になっているケースが圧倒的に多い。背骨を真っ直ぐにするように指示されているのか、もしくは、含胸や抜背を教わらずに放松だけ教わっているのか、背骨の操り方が間違っている(というよりも、そもそも背骨がコントロールできていない)。

 

 上半身は師のように空気を含んで浮かぶようにする。上半身が『虚』だからこそ、下半身は自由に動く。上半身が石のように重いと、下半身の関節は悲鳴を上げる。太極拳は陸上の水泳である、と馮老師はいったが、この楊老師を見ると、水中で浮かびそうな気がする。弟子は沈むだろう・・・

 

下段には以前使った画像も加えてみた。

上段が本来の太極拳、下段は四肢運動になった太極拳だ。

 

上段の師の形はそのまま前に歩いていけるだろう。と同時に、後ろに下がりたければ(退歩したければ)、前足を踏んで下がれるだろう。

 

これに対し、下段のような形だと、ここからさらに前にするんで歩こうとすると膝に引っかかってしまう。後ろに下がろうとしても前足が踏めず下がれない。

このような形が普及してしまったのは、太極拳の練習に不可欠な推手を学ぶ機会のないまま、演舞、あるいは演武 のみを学ぶからかもしれない。

  実践的な練習をすると、上半身と下半身を分断して考える余裕がなくなるからか、体重移動はもっと自然にできるようになる。

 

←杨振铎老师の推手。

 

進歩と退歩を繰り返すものだが、重心移動も鮮やか。

 

本来の太極拳は足捌きが絶妙。

知らないうちに嫌なところに足が差し込まれている。足に目があるかのよう。

私自身はそこまで練習が至っていないけれども、師父には随分やられたので知っています(苦笑)

 

  この動画の推手を見ても、相手の男性の足はもたついている・・・杨振铎の足は全く迷いなく差し込まれていく。腕と脚、手と足は同時。ついでに言うなら、体も手も足も丸ごと同時です(最終的には)。相手の男性の方は手足胴体が少しバラバラなのが見えるでしょう・・  太極拳が最終的にどこに向かっているのかを知っていると、練習の仕方も間違えないと思います。くれぐれも、大会で良い成績をとろうと思わないように。大会には大会特有のルールがあって本来の太極拳からは乖離するので。

2024/3/15 <重心移動についての根本的な考え方 私見>

 

  体重移動あるいは重心移動というのは二足歩行の私たちにとってしばしば問題になるところだ。水中にいる魚類にとって体重移動は問題にならない。足がないからだ。では爬虫類や四つ足動物は?と考えると、体重移動はしているのだろうが、人間ほど問題にならないだろう。

  ムカデと犬、そして人間を想像すると、脚が短く本数が多ければ胴体が歩いている感覚に近づき、脚が長く本数が少なくなるほど脚で歩いている感覚が強くなるだろう。胴体で歩いている感覚(人間なら腹這いで這っている状態など)の時は重心移動は問題にならない。重心移動が問題になってくるのは、”脚で歩いている”感覚が強い場合だ。

 

  私たちは皆、ハイハイ時代を経由して立ち上がって歩き始めた。

  最初立ち上がった時は、立ち上がって静止することさえ困難でゆらゆらしていた。歩き始めた時もやはりゆらゆら不安定だった。どうにかして立っていられるバランスを見つけ、歩いても倒れないバランスを見つけ、練習を繰り返し歩けるようになった。

  

 

 この頃は、重心”移動”の問題よりも、重心そのものを保つことが問題。2本の足(首)の上にどう頭や胴体を乗せるのか・・・

 

 

  腿やふくらはぎの筋力は未発達のため、頭や胴体を足首以下の足にダイレクトに乗せるバランスを見つける(←左の赤ちゃんの画像参照)

 

 

  頭と胴体をダイレクトに足首に乗せようとすると、膝は曲がり、股は丸くなる(园裆)。(↓下の画像)

 


 

  <上の立ち方はタントウ功にとてもよく似ている。いや、タントウ功はこの原点の立ち方を取り戻そうとしているのだろう。筋力ではなくバランスで立つ、腿ではなく、足で立つ。タントウ功にはゆらゆらしながら固まった筋肉を解いていく役割もある。>

 

   こうやって重心を保って立てるようになるとほどなく歩き出す。

  ゆらゆらしながら危なっかしげに歩いている赤ちゃん。前に進みたい、という気持ちが胴体を前に運ぶ。けれど脚がうまくついてきてくれない。頭と胴体が先に歩いて後から脚が追いかけるような姿が特徴的だ。

   (動物もハイハイ時代の赤ちゃんも同じだが、動物が動く時は、頭から動く。目や耳、鼻などで得た情報をきっかけに、こっちに向いて動こうという意思が生まれ、それによって頭の向きが変わり、そちらに向かって前足と胴体が動く。後ろ足はすかさずついていく。)

   このような歩き方の時は重心移動は問題にならない。

   転ばないようにただ重心を保つ意識だけだ。

 

 

   以上のように考察をした上で、改めて、何故私たちが歩行や太極拳の時に「重心移動」を問題にするのか?と考えると面白いことに気づく。

  本来は、二本足で立つ私たちにとっては、「どうやって重心を保つのか?」というところが大問題。鉛筆を寝かせて置くのは簡単だが、鉛筆を立てたままにしておくのは難しい。

赤ちゃん時代はその課題をクリアするために頑張ってきたのだが、あるところから、立って歩くことが自然になって「重心を保つ」ということは問題にならなくなった。子供時代、体は自分が思うように動いてくれる。上半身と下半身という区別はない。そして、大人になる頃には、上半身と下半身の区別ができる。ジャンプしても体が重いとか、脚が思うように動いてくれない、という感覚が起こるようになる。

  「重心移動」という概念が生まれるのは、上半身と下半身が分断した後の話だ。

  全身が丸ごと一つになっている幼児時代は、魚類と同じで、胴体で動いているようなもの。その時には立位に伴う「重心を保つ」という感覚はあったとしても、「重心移動」という感覚はなかったはずだ。「重心を保ったまま移動すれば進めてしまう」のだから。

 

  では太極拳の練習で、「重心移動」として教えているのは何なのか?

  左から右に移動する時は左足はこうこう、右足はこうこう・・・と論じたりするのだけど、実際には、「重心を保ったまま移動すると左足や右足はこのように動く」というところの下半身の部分だけを論じているに過ぎない。そのように動くのは、”重心を保とうとして動いている”からなのだ。

 

  赤ちゃんの時はゆらゆらしながら重心をとっていたが、幼児になる頃にはそのバランスをとる術も身につき苦労もなくなる。が、その後、様々な活動をするうちに、ゆらゆらバランスのセンサーは消え、筋力で背骨を立て、脚力で歩くような体になっていく。大人になれば、体は筋肉の固まり、ゆらゆらバランスのセンサーは皆無になっている。

 

  ここから逆行するかのように、またあのゆらゆらバランスを戻そうとするのが、本来の太極拳の道だ。道教となじみが深いのは、それが老子の無極に復帰する、原点に戻る、という言葉と合致するからだ。ガチガチの体を柔軟にする、ガチガチの脳を柔らかくする、既成概念にとらわれない道・・・

 

  3/12のブログで楊振铎老師の動画を紹介したが、その中の弓歩での重心移動の教えは、動画の中の弟子には(その時点では)伝わっていなかった。

  

 

   上の師徒の画像を比べると違いがあるのに気づくだろう。

   残念ながら、現在、ほとんどの太極拳の先生が左の弟子のような重心移動をしている。が、馮志強老師も含め、本当の師は右のような体重移動をする。

 

          というのは、重心を保って移動していくと、どの時点でも進歩・退歩が可能なはずだからだ。 https://youtu.be/q98HVJCiz_o?si=cOM-wZ1x8NlFWGml この動画の35分あたりで説明されているように、後ろ足が踏んで前足が突っ張っている状態(前に進める状態)と、前足が踏んで後ろ足が突っ張っている状態(後ろに下がれる状態)が常に転換可能な状態にあるからだ。

つまり、左の画像のように、弓歩であれば、この場合は前後(横の弓歩なら左右)に揺らすことができる。

これは体の重心を保っている証拠だ。

 

これに対し、上の弟子のような形だと、前に進めても急に後ろに下がれない。胴体の重さを赤ちゃんのように股で支えず、代わりに腿で支えているからだ。これは上半身が固まっているのが原因。

 

  師と弟子の根本的な違いは胴体だ。

  師の胴体は赤ちゃんのように放松している→胴体が先に動いている

  弟子の胴体は硬直している→上半身は固まって、脚で体重移動をしている

 

  ↓下のGIFでその違いが分かるかな?

 

 

  師の体は水中でも沈まずにいられるような感じ。それは冒頭の立ち上がった赤ちゃんと同じ。胴体が気で膨らんでいるのだ。

  これに対し、弟子の方は、力が入り過ぎて水の中に入れたら沈むだろう。胴体が重過ぎて脚に過度の負担がかかる。素早く動けない。(太極拳はゆっくり動くのを目標にしているのではなくて、ゆっくり正確に動く練習をすることで、素早く動くことができるようにするのが目標です。)

 

  結局、体を固めていては重心がどこにあるのかわからない。ゆらゆらするのが怖いからといって固めたままでは本当の養生法にはならない。体を固めて重心がないまま歩けば脚だけで移動することになる。上半身はただの荷物になる。本来は頭、胴体から動くもの。そのあたりの誤解を解く必要がある・・・

2024/3/14

    昨夜のオンラインでは、腕の付け根の使い方の要領を2時間(も)かけて教えました。
 腕の付け根を上手く使うと脇が引っ掛かる、あるいは脇が伸びる。
 この感覚を教えるために、腰の王子の仙骨コスリをやってもらったり、ヨガのチャイルドポーズを使ったり、両手を上げて壁につけ、スパイダーマンのようになったまま両手の位置を変えずにしゃがもうとする練習、そんなことをしながら、脇が伸びて肩甲骨下縁ならあたりに引っ掛かるのを確かめてもらいました。(ちなみに王子のコマネチスリスリの上腕使いもそれを狙っています)

  ここが引っ掛かることで、腰を緩めて中腰になった時に背骨が伸び(抜背になり) そのまましゃがんだ時は下半身に負担がかかりません。
  脇が引っかからずに中腰になると上半身が重くなりその重みが股関節に乗って股関節の隙間が潰れてしまいます。その結果、膝に過度な負荷がかかります。

  上半身を軽くするには脇を引っ掛かる、肩甲骨と鎖骨、上腕からなる肩包体を肋骨から引き離す必要があります。
  それには含胸と抜背が必要です。
  が、なかなか含昔と抜背の感覚ははっきりしないので、先に脇の引っ掛かりを会得した方が簡単だと思います。肩甲骨下縁横の脇が引っかかった時は含胸になっている、そのまま脇を外さずに腰を伸ばしていけば(緩めれば)抜背です。

  実は脇が引っ掛かる時は肩甲骨が下方に引き摺り下ろされています。これが沈肩です。
  肩甲骨の動きが悪いと脇が引っ掛かかりづらいですが、少しでも引っかかったら、そこから少しずつ感覚を強くしていくように練習していくことが大事です。

   少しでも隙間が空けば、そこから隙間を広げていけます。そして別の隙間と合体、連動していきます。
   隙間を見ていくこと、これが内視です。
   筋肉だけを見ていてはいつまで経っても内視はできません。

2024/3/12 <杨振铎老师を見つけた!>

 

  先に紹介した師の名前は杨振铎。なんと楊式太極拳の大师 杨澄莆の息子、楊式太極拳始祖の楊露禅の曽孫でした。亡くなったのは2020年(95歳)。つい最近・・・

 

  楊式太極拳は最も普及しているのだけど、本当にすごいと思う師を見たことがなかった。杨澄莆は写真を見るとすごいのがわかるが、残念ながら動画がない。今日、杨振铎の動きを見て、初めて正しい楊式太極拳の動きを見られた!と感動したのでした。

 

  ラッキーなことにこの師が細かく教えている動画が残っています。

  一言一言が私にとっては宝石のよう・・・感動的。

 

 気になる箇所をいくつか抜き出してみました。

 

ここは抜背について説明しているところ。

含胸をしないと抜背ができない、背中の力が使えない。

腕は抜背によって支えられている。

 

 しかし腕の力は含胸・抜背だけでは足りない。下半身が繋がらなければ根っこがなく弱い。

 そこで松腰、松胯をして、上半身と下半身を繋ぐ腰の部分を上下に伸ばし腰椎の凹んだところが突出する(命門が開くということ)。

 

 それができれば、腰が身体を動かす主宰となる。

 

そして注目すべき弓歩の説明・・・

<弓歩の前腿について>

 

虚足を前に出す時は、踵から地に降ろす。

踵が地面に着いたら次第に重心は前に移動し、

足首が平らに地面を踏んで

五本の指が地面を掴んだら

膝を前方に突き出す。

足全体がゆっくりぴんと張ったら脚は弓になる。

これが弓歩だ。

 

 どのくらい弓になるのかというと

 膝と足首は垂直ではない、膝は少し前だ。

 しかし、足先は越えない。

 

 

 

<弓歩の後腿について>

 

後腿は前腿に対応している(ばらばらではない)

 

右腿が蹬(ペダルを踏むように踏むこと),左腿に重心移動

→実になった左腿が蹬(踏む)

→実腿は”蹬”   虚腿は”正”になってから

→右腿に坐る

 

 

右腿重心で、虚の左足が地面につたら

実の右腿は(地面を踏むことによって)その全ての勁を左腿に送り出す。

左腿はその勁を接受しなければならない。

左腿が送ったなら、右腿はそれを受けなければならない。

それができないと、「空蹬」(無駄に地面を蹴った)だ。

現在の生徒さんたちは、弓歩の”弓”が”弓”ではなく真っ直ぐだ。これは空蹬垂直だ。

 

 

 この左腿が弓として出された後、その膝頭は足先を越えてはならないが、それだけでなく、後腿は蹬出去(踏み切る)必要がある。後腿には伸びと拡がりがある。

 

ただ”展”(拡がる)といっても、「不挺」(真っ直ぐに伸ばしきってはいけない)。

 

真っ直ぐに伸ばしきらないことで、

「前蹬后撑」(前が踏んで後ろが突っ張る)あるいは「 前撑后蹬」(前が突っ張って後ろが踏む)となり、前後ろが一緒になって、少し揺すればとても安定感があり気持ちがよい。

 

 

  

  これらの弓歩の、特に赤字で書いた部分はとても重要、太極拳の要で、現在忘れ去られているのかと思われる箇所だ。

 実際、楊振铎と一緒に出ている生徒さんはまさにそれができていなかった・・・・どういうこと? (日本人の私が言うのは憚れるが)本家本元で継承されるべきものが継承されなくなっていくのは残念・・・

   

2024/3/12

 

  本来の太極拳と現在普及している太極拳(体操)との違いが分かる動画を見つけました。https://youtu.be/CPfZRKD81j8?si=3y90rSN0bcgWnQzJ

 

  師と生徒は全く違う体の使い方をしています。

  師は普遍的な合理性のある体の使い方、生徒は太極拳競技の中でしか通用しない体の使い方。なぜ放松が必要と言われるのかが見て取れるはず。形は内側の現れです。

動画適宜アップ中! 

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『今日のメモ』毎日の練習は気づきの宝庫。太極拳の練習の成果が何に及ぶかは予測不可能。2012年9月〜のアーカイブは『練習メモアーカイブ』へ

練習のバイブル本

 『陳式太極拳入門』

   馮志強老師著

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2012/3/20

日本養生学会第13回大会で研究発表をしました。

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