2021/2/25

 

  やはり現在の自分自身の関心は推手。師父にむりやり肩甲骨を引っ張り出されたり痛い思いをしながらも次第に肩の隙間を空ける感覚が掴めてきた。うまくできないと師父は、「なぜできない!こうだろうが。」とやって見せてくれるが、見せてくれても分からないものは分からない。たとえ裸になって見せてくれたって分からないものは分からない。眼だけで分かるものもあれば眼では分からないものもある。私は、「それなら私の身体に手を置いたまま肩の隙間だけで連続で推してみて下さい。」と頼んだ。師父はすぐに分かったと、私の小胸筋のあたりに手のひらをつけたま

まま、何度も繰り返し推した(遠くからみたらどつかれていると思うかも? 左画像のように掴まれたわけではありません、が、動きは似てる。もっとも左画像は引っぱる方に力をつかっていますが。笑)

 

ふーん、師父の力を感じると、肩から力が出ているのは分かるのだけど、それより下の力が不明だ。そこで、私は「今度は腰の力で推して下さい。」と頼んだ。師父は「分かった、けど、力は大きくなるぞ。」と言って今度は腰で推してきた。ああ、腰を使うと、肩に腰がプラスされて、推し幅がさらに大きくなるんだ、別に肩の力(肩の隙間の力)が消える訳ではない。これにクワ(股関節、骨盤)の力も加えたらさらに力が大きくなるのは目に見えている。さらに脚の動きも使って、膝、足首、それから踵も足していけば「整勁」(身体丸ごと全部の力)になる。

 

  今日の師父の力の感じを図で表してみようとして、はて、どこから説明したらよいのか?と悩む。というのは、そこに達するまでに経なければならない段階があって、私が現在理解できる師父の段階を説明して役立つのはその一歩手前の段階にいる人だけかもしれないからだ。だけれども、巷で言う所の丹田(腹腰の丹田:中丹田)だけではまだまだ完成しないということ、まだ先があることを知っていたら、練習の仕方も変わるかもしれない。

 

 とりあえず私が描いた図を見せて、そこから遡って説明してみたい。

 まず一番左が師父の力の出し方、真ん中が私の力の出し方。

 師父がジーの時に手と肩甲骨を引っ張り合いにしろと私に教えようとしているのは、実は単に肩甲骨の話ではなく、気を足裏から頭頂まで繋げ、ということ。最初の頃はそれが分からず、肩甲骨をどう動かすのだろう?と肩や胸、そして背中あたりをいろいろ操作していたが、ある時師父が「含胸をもっときつくやれ、会陰を肩まで引きあげろ」と言ってそんな風にやった時に初めて師父からOKサインがでた。腕が胴体のように自分でも面白いほどくるくる回って、師父の腕とぴったり魚が戯れるように動いていた。腕が腕でなく胴体のよう、と感じながらも、一方で自分の腕が他人の腕のようでその動きを他人事のように見ていた。自分の意思とは無関係に身体が勝手に師父の動きに随っている。ぴったり吸い付いたように二本の腕が絡んでいるとお互いに攻撃をしかけるような気持ちがおきない。師父は「やっと粘连粘随ができたな。」と言った。私が思っていた粘连粘随とは随分感覚が違う・・・身体が自分から乖離してしまった、いや、自分が身体から乖離してしまったような感覚だ。手を通して自分の身体の中を見て見たら、内側が空間になっていた。実(内臓とか骨とか肉)がなくなってしまったようだ。手を通して師父の身体の中も見てみる(感じてみる)と同じように空間になっていてどこに力があるのか分からなかった。

 

 比較をして分かったのは、普段の私の気の使い方は足裏から中丹田までは常に気で満たしている上の②ようだということ。師父は①のように足裏から頭頂まで”常に”気を通してしまっている。私は打つ時(ジーの時)に中丹田から手に向けて力を出すが、師父は肩甲骨から力を出す。肩甲骨から突っ張って出された力は真っ直ぐ突き出された棒のように相手に届く(直力)。相撲の突っ張りと同じはず。肩甲骨から突っ張って真っ直ぐに出された手は戻って来る時に出された時以上の速さで戻ってこられる(輪ゴムを伸ばして手を離すとピチンと瞬間で戻るようなもの)。推す時はゆっくり、戻る時は速く、という推手の要領が自然にできてしまう。

 もし私のように、中丹田から力を出していると(足裏から中丹田までは既に気で満たしている=足裏で地面を踏めば同時に中丹田から発勁ができる状態)中丹田の力が手に届くまで時差がありその間にスキが出てしまう(肩甲骨、上腕、肘がちゃんと使えないから突っ張れない)。戻るのも意識的に戻らなければならない。腕が自動巻きにならず自分で操作しなければならない。套路の練習だとこの②の状態でもそれほど困らないかもしれないが、推手になると、中丹田よりも上まで気で満たす必要があるのが実感できる(ただし、相手のレベルのよる・・・)。

  

 ①のように肩甲骨を気の停留所(貯蔵池)としてそこから発勁するには、その前提として足裏から肩甲骨、胸あたりまで気で”満たす”(上図の水色の部分)必要がある。そのためには、既に頭頂まで気を通しておく必要がある(薄緑部分:虚の状態で溜めておく感じ?)ようだ。(頭頂まで満たすと脳梗塞や脳溢血になりそう・・・ 太極拳では虚霊頂勁というように胸から上の気は虚状態に置いている) ①のような状態だと腰でも腹でも股関節でも発勁できる。気の停留所がたくさんある。

 ②だと①に比べて停留所が減る。

 そしてまずいのは③状態。よく見かける俗称武術太極拳がこの状態。足裏から股関節(下丹田)までしか気が満たされていない。これだと腰が落ちて下半身が重く、上半身と下半身が分断する。手の力は足裏の力と無関係だ。脚が太くて立派になるが、推手をすると脚力が活かされない。

 そして、ジーをした手と反対の手(この図だとアンの右手)に自動的に力が出るのが①。②は意識をしないと片手打ちになりがち。③では無関係になる。引き手で打つ、という原理を体現できるのはやはり①・・・。

 

 以上、現段階の私の問題意識を綴ったけれども、私の生徒さんを含め読者の方に注意してもらいたいのは、気を通すとか、気で満たすとか、という以前にやらなければならない作業があるということ。

それは、左図の紫のラインで示すような大まかな通路を作ること。

上の図から色付き部分を取り除いたもの、原型だ。

つまり、その後気を通したり、気を満たしたりすることのできる”空間”を身体の中に作る必要がある。

 

水道管を作ってしまえばあとはそこに水を流すだけ。

蛇口(丹田や肩甲骨、その他関節などの気の停留所)をひねれば常に蛇口から水(気・力)が出て来るような状態、それを、水道管が水で満たされている、という。師父のような①の状態だ。

一方、もし、蛇口を捻っても、水が出てくるまで時間がかかるとしたら水道管は水で満たされていない。捻って初めて水が通ってくる。これは②の状態だ。足裏で地面を踏んでから手で発勁するまでに時間が存在する。

 

  しかし前提として、身体の中に空間、管がないと、気を満たすどころか、気を通すにも通す場所がない。

 その通路開通のための作業を「築基功」といって昔は男性が100日間精を漏らすような行為を謹しみ毎日タントウ功を行った(師父の師はそのようにして築基功を成し終えたものだけを弟子にしたらしい)。今ではそこまでやるのはかなりマニアックな人だろうが、通路を開けるにもある程度の気の量が必要だ。ダムに溜まった水の量が多ければ、それを一気に流せば土を押し分けて川が作られるだろうが、溜まった水の量が少ないといざしきりを外して水を流しても障害物を押し分けて川を切り開いていくことができない。

 

 通路を開通させるにも気を溜めて流す必要があるから、結局、通路が開通するころにはかなりの丹田力(気の量)がついている。つまり、開通してしまえばその後の作業は開通のための作業ほどは難しくない。気の量を減らさない=身体のポン(膨張力)を失わない、身体を萎ませない、そんなことが太極拳で最も大事なことだと分かってくる。

 結局はそれしかない・・・とうっすら分かるのだけど、その認識はまだまだ馮老師や師父とは比べ物にならない。そのあたりが功夫の差になって現れる。

 

 

 <追記:通路を開通するにあたって誰もが一度は失敗する点について>

 

 

 気の通る道を開けることによって気は通る。気を通そうとしても気は詰まるだけ、通らない。

 気を通そうとしてはいけないというのは何度も注意されるのだがそれでもやってしまう落とし穴。気は放っておく、自分は離れていなければならない。気の中に入っていってはいけない。これは古来から伝わる『力者折、気者滞、意者通』という言い方に表現されている。馮老師の本にもあるものだ。

 練習を積み重ね気の動く感覚が分かってくるとどうしても気を動かして詰まっているところを気の勢いで開けてしまいたくなる。その誘惑は強い。しかしそれをやると結果は詰まってしまう。気だと滞る、と表現されている通りになる。結局は意で通すしかないのだが、その”意”の使い方が分からない。その時キーワードになるのが、運気ではなく行気だ、という言葉(本来は中国語)。運気というのは気を運ぶ、ということ。行気というのは、気を行かせる、ということ。つまり、気を運ぼうとするのではなく、気を行かせてあげるように自分は(放松して)内側を開いてあげる、通路を作ってあげる、ということだ。隙間を開けてあげる・・・それが女性的といえば女性的で、馮老師が晩年、太極拳を長年やって自分も幾分女性らしくなった、と言って周囲の人を絶句させたという逸話もある。

 

 

2021/2/23 <ドローインとブレーシング>

 

   昨日は会陰の引き上げ・引き下げの観点から分析をしてみたが、実はそれも呼吸の仕方の違いなのかもしれない・・・と、なんとなく検索していたら、ボディトレーニング界において以前は吐きながらお腹を引っ込めるドローインが主流だったのが、今では吐いてお腹を固めるブレイシングへ移行してきていることを知った。

 ドローインという言葉は聞いたことがあったけれど、ブレーシングというのは初耳。英語だとbracing。braceとは支える、補強するという意味で、brace yourself! というと自分自身を支えろ→準備して身構えろ!→覚悟しろ!という意味になる。ブレーシングをすると呼吸によって胴体全体が支えられるようになる(繋がる)。

 ブレイシングは相手にお腹を殴られそうになった時の反応。ぐっとお腹に力を入れてお腹をパーンと張って固める。もしお腹を殴られそうになった時にドローインしてお腹をぺちゃんこにしてしまったら・・・内臓がやられてしまう。危険。

 同様に、スクワットをする時やベンチプレスを持ち上げる時、間違えてドローインしてしまうと腰を痛めてしまう。腰を守るのはブレーシング。

 普通に考えても、卓球でもテニスでも球を打つ時は呼気とともにお腹は張って固まる。ボールを投げる時だってお腹は膨らむ。つまり発勁の時は呼気とともにお腹は膨らんで硬くなる(注:お腹というのは胴体周り一周。前も横も後ろ=背中側も膨らむ。前方にだけ膨らむのはブレーシングができていない)。

 

 太極拳やその他のスポーツをしていると普通にブレーシングをやってしまっているから、今更、ドローインか、それともブレイシングか?と悩むことはない。というか、ドローインをする場面が思い浮かばない(相手の力を躱す時などに一瞬腹を凹ますことがあったりしてもそれは動きの流れの一部分)。しかし筋トレ業界では タックインorブレーシング? と議論がなされていたするようだ。検索をしていて知ったのは、かつて松井秀喜選手のトレーナーが彼にドローインのトレーニングを勧めたそうだが松井選手自身、それがバッテイングのどこで使うのか分からずずっとブレーシングの練習をしていたという話。理屈は分からなくても自分の感覚としてドローインじゃ打てない!と分かっていた。が、その当時のトレーナーはことごとくタックインをさせていたという。今ではドローインでは腰を痛めてしまうことが理屈上も分かってきたのでボディビルダーとか腹筋を割って見せたいという人たち以外はそれほど使わないのかもしれない。

 

 ドローインとブレーシングの呼吸の仕方については検索をすればいろいろと出てくる。

説明が分かりやすいと思ったのは

https://ameblo.jp/tasuku3809/entry-12523617518.html

 

ドローインは腹横筋だけの収縮、ブレーシングは体幹に関わる筋肉が同時に一斉に収縮、とある(左図)これに横隔膜と骨盤底筋も関係するはず(横隔膜が下がって骨盤底筋が上がる)

 

ペットボトルの例もよく出される。

ぺしゃんこのペットボトルはしなやかに動きやすいけれど外圧に弱い。

 

上のブログの方の動画もある。

 ぎっくり腰の癖のある人や腰に自信のない人はブレーシングができていない(=体幹の円柱がしっかりしていない)。太極拳の練習で腰が強くなるのはタントウ功で次第にブレーシングができるようになってしまうからだと思うが、逆にブレーシングができているかどうか動画などを見てチェックしてみるのも良いかもしれない。

 私が見てとても参考になったのは下の動画。上の動画よりは少し専門的になるが前半の解説も興味深い話が多かったし、7分半あたりからのクランチの実技はドローインとブレーシングの違いがはっきり分かる。

←このようにクランチした時に腹直筋(腹の真ん中の縦のラインの筋肉)が盛り上がるようならドローインになっている。

←ブレーシングだとお腹は全体的にぺったんこのまま。横に広がっている。

 

太極拳的にやるとこちらになってしまう。上のようなドローインだと力まなければならない=息が通らない。不自然な感じ。

 

以前腹斜筋のトレーニングや骨盤を立てるエクササイズの時に同じような体勢をとったが、それも全て同じ原理だ。動画では全く言及されていないけれども、私の感覚としてはブレーシングの時は会陰や肛門を少し開けて引き上げる(風通しを良くする)必要がある。ドローインだと肛門を完全に締めてしまう(同時に鼻もつまんだ感じ・・・息できない!)。ブレーシング、ある意味腹は固めても風通しがいい(鼻から会陰までがスースー通る)。ドローインは鼻も会陰もつまんで閉じている=無呼吸。

 そう言う意味では、昨日のブログの冒頭の紐トレも、肩甲骨を完全に上げてしまった万歳は鼻で息がし辛いし会陰の感覚も消えてしまって息が通らない。やはりどこか通じているところがあるなぁ、と思うところ。

(ちなみにタントウ功だと、安静状態で立つことによって自然に息が深くなり胸の呼吸から横隔膜や腹の呼吸筋を使った呼吸になっていく。横隔膜が下がりやすくなる。そのうち骨盤底筋も連動、会陰を引き上げることでブレーシング状態=上のクランチでブレーシングをしている状態を立位にしたようになる。動画でも言っているように脊柱の反りをなくす=脊柱を丸くできるか=命門を開けられるか、がポイント。昨日の会陰⇄命門に繋がっていく話。)

 

 ブレーシングには横隔膜の収縮が必要、という観点からの記事も多い。(例えばhttps://hoopcom.net/article/%E7%A5%9E%E8%A9%B1%E3%81%AE%E3%82%A6%E3%82%BD%E3%80%8C%E3%83%89%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%80%8D.html)横隔膜の収縮は含胸の一つの作用だと今では理解できる。腹は緩めて横隔膜と骨盤底筋で挟み撃ち、結果的に円柱の壁面にあたる腹筋群が内側からストレッチされるのでは?(ん?上で紹介したブログでは収縮としてたけど、どうなんだろう?感覚的にはストレッチだけどアナトミー的には収縮とか言ったりするのだろうか? このあたりの専門の生徒さんに聞いてみよう♪)

 

  

2021/2/22 <腕を上げる 会陰の引き下げ 周天へ>

 

  昨日のパドリングのための肩甲骨の鍛え方のブログを見ていて思い出したことがあった。

 手の上げ方。

 以前、紐トレについて書いた時に使った写真。紐を使って両手を上げると紐がない状態よりもずっとスムーズに上げることができる。筋紐で心地よく引っ張られることで筋膜ストレッチに似た現象が起こって筋肉の連動がうまくいくからだと思うのだが、両手を上げた写真が興味深かった。

 紐トレをする人たちはことごとく左写真の右側の女性のように肩甲骨が持ち上がっているのだが、なぜか考案者の小関氏だけは太極拳の時のような腕の上げ方。中正を崩していない。

何も意識せずにこのように両手を上げる人は素人ではない・・・いや、両手の上げ方というよりも、その力の使い方が素人ではないのは一目瞭然だ。

 

 これは少し前に話題にした会陰の引き上げと関係があるのだが、少し話がややこしくなるのでその時には書かなかった。が、昨日のサーフィンのブログの中の写真を見て思い出してしまった。書いてみようと思うけどうまく説明できるかどうかは書いて見ないと分からない・・・

 

 

左は昨日紹介したブログの中の画像に私が矢印をつけたもの。(https://surfinglife.jp/technic/14929/

 

サーフィンのパドリングでは右が◯で左が✖️とのこと。右の方が肩甲骨の可動域が大きくなるというのが理由。あら?太極拳なら左が◯で右が✖️なのに・・・何故に?

 

と一瞬思ったのだが、パドリングの映像を見て納得。

 

 まず右側の写真では、肩甲骨(肩)が上がっていて、矢印は全て上向きに走ることになる。パドリングは板の上に腹ばいになってひたすら前に進むものなので、このような上向き(寝ていれば前進)の力が必要になる。足は根ざさない、脚は軽く尾びれのようになる。魚の感じだ。

 これに対し、左側の写真は手を上げているが肩甲骨が下がったまま。太極拳やその他の陸上スポーツで必要になる力の使い方だ。この時下向きの力と上向きの力が共に存在するのだが、手を脇より上に上げる時に意識的に必要となるのは下向きの力だ。

 

  順番に話すなら、腕を下に垂らした状態から上に上げていく時の力(気)の使い方は二段階存在する。

 まずは腕を垂らした状態から脇の高さまで上げる第一段階。

 太極拳は手を高く上げるのを嫌うから多くの動きはこの範囲内で行われる(ポンは腋下の高さまで、リューもジーも腋下の高さが多い)。

 腕を垂らしたところから上げていく時は(ポンする時は)会陰を引き上げていく。ポンは会陰、と言われる所以だ。腋下の高さでリューやジーをする時にはすでに会陰が引き上がっている。この会陰の引き上げの矢印が上の左側の図のお尻の三角内にある上向きの矢印だ。それに伴い両足の内側も上向きの矢印が現れる。(注意が必要なのは、腕を垂らした状態、ポンをする前に、すでに頭頂から足裏まで落ちる下向きの矢印がベースとして存在しているということ。下向きの力、気の流れを前提にしてのポンの上向きの力)

 

 問題なのは脇下よりさらに高く腕を上げる時。第二段階目。

 この時は上げた会陰を引き下げていくことで腕が上がっていくようにする。

 試してみると分かると思うが、腕の高さが腋下に達した後も引き続き会陰を引き上げたまま腕をさらに上げていくと肩甲骨が上に逃げていって肩が上がってしまう。それに伴い足が地面から引き離されていってしまう(根っこがなくなる)。これは人さらいに腕を引っ張られて連れて行かれてしまうような体勢だ。しかし、この万歳状態になる時に会陰を思いっきり引き下げるとそれに伴い肩甲骨が下がり足が根付く。人に手を引っ張られても簡単には引っ張っていかれない。

 按でも引き上げた会陰を引き下げるような力を使う。腕を腋下より上に上げる時と按の時の内気の使い方が似ているのはとても面白いのだが、ここで会陰を引き下げるというのは、会陰を落とすことでないことに注意を要する。

 引き上げた会陰の先を保持したまま引き下げる。ポンの時に会陰を命門まで引き上げていたなら、命門を掴んだまま会陰の方へ気を引き下げていく。腋下からさらに手を上げていく場合は会陰を落としても腕は上がらない(腕の動きと連動しない)が、会陰をゆっくり下げていくと腕が連動して上がっていくようになる。逆に言うならば、腕が上がっていくように腹の中の気を会陰の方へ下げていけたなら(足はさらに根付いていく感じ)ならうまく行っているはず。

 言い方を変えれば、会陰を引き上げて作った丹田(上から下げた気とドッキングさせて作る)を失わないように会陰を下げていくということだ。

 こうすると下向きの力が働き、その下向きの力が腕が上に上がる力と常に拮抗しているので中正が崩れない。が、意識は二つの力の拮抗に置くのではなく、引き下げる方に重きをおく(二つの力は同時には意識できない)。引き下げれば上がる、そんな道徳経的な言葉が体験できる箇所だ。

 (なお、上の左図の下向きの力は通常陽面=背中側、上向きの力は陰面=前面、内腿側に現れる。)

 会陰の引き下げは会陰の引き上げを前提としているので、レベルとしては少し高くなる。混元太極拳なら円の下弧が下丹田を使ってちゃんと描けるようになった後で練習するようになる。

 これが無意識でできるようになると上の紐トレの小関氏のようになる。太極拳の老師も万歳をして肩甲骨が上がってしまうようなことはまずありえない(腹がすかすかになって気持ち悪い→丹田がなくなるということだなぁ)。

 

 

https://www.kango-roo.com/learning/5415/
https://www.kango-roo.com/learning/5415/

最後に私がよくイメージする注射器のピストンを例に使うと・・・ピンとこなければスルーしてください。

 

引き下げは左の図のように内筒を引いていくような感じ。血を抜く時の感じ?注射針はしっかり血管に刺したままにしておく。

 

一方、引き上げは右図のように内筒を推していく感じ。通常の注射の仕方だと思うが、会陰はダイレクトに推すというよりも巻き込んで推していく感じかなぁ(以前玉ねぎ袋で説明しようとしました。)

 

 

http://company.catincup.com/hotnews?fr=articletag&kw=%E5%B0%8F%E5%91%A8%E5%A4%A9
http://company.catincup.com/hotnews?fr=articletag&kw=%E5%B0%8F%E5%91%A8%E5%A4%A9


 いずれにしろ、大事なのは注射針の先をどこに刺すのか。下丹田を養うなら子宮・前立腺につなぐが、それだけではその他の部位と繋がらないので築基功ではまず命門に刺して中丹田と下丹田をドッキングさせるようにする。これで小周天の基礎を作る。

 注射針を内側から命門に刺して会陰ー命門を開通させる。  図に書くと分かりやすいが、会陰ー命門間の引き上げは逆回転(督脈↑任脈↓)、引き下げは順回転(督脈↓任脈↑)ということになる。

 

 垂らした腕を上げていく時、会陰を命門へと引き上げている。その時任脈側は下がっている(ヘソ→会陰)が意識は会陰の引き上げにある。

 また、腕を腋下より上に上げるときは命門→会陰へと気を下げる(通路は開通させたまま下げる、命門を失わない)。この時任脈側は会陰→ヘソへと気が上がっているが、こちらの部分は通常意識しない。

 

 熟練すれば、会陰を真上に上げたり前に上げたり左右に上げたり自由自在だが、まずは命門にしっかりと上げられること。会陰と命門、この2駅を作ってその間を開通させられればその後の練習はとても簡単になる。

2021/2/21 <立甲を使うのか?>

 

  昨日の立甲についての疑問を父に尋ねてみた。

  結論から言うと、立甲でジー(推す)はできないということ。

  

 

  というのは立甲の時の力は肩甲骨を突き出す方向に働くから推す手の力がなくなってしまうから・・・(右のGIF画像はジーの時の手、指先の力を示している。説明は最後にします。)

 

 と言われてもすぐにピンと来なかったのだけど、図で示すと下の左の図のようになる。

矢印で示したのが立甲の時の力の方向。(写真にリンクが貼ってあります)

確かにこれでは手で推せない。(上の師父のような手の力は使えない。)

 

じゃあ、ジーの時、肩甲骨はどうなっているのか? と師父の背中をチェックした。肩甲骨は立甲の時のように外側にスライドして多少立っているが、立項の時のようには両肩甲骨の間が窪んでいない。なだらかだ。

 

師父は「夹脊を出せ!肩甲骨を意識するのではない。」と言う。

 

経穴では夹脊穴とは背骨沿いの複数のツボを指すようだが、太極拳もしくは道家の修行法言うところの夹脊とは、胸のだん中の裏側、ツボでいえば神道穴のあたりだ。

 

ここを出せ、ということは、結局、含胸をしろ、ということになる。

が、含胸と言っても、これまたピンキリ。

含胸ができているか否か、という二者択一的ではなくて、含胸が全くできていなくて胸に気が溜まって腹に落ちないという状態から、少しだけ含胸ができている状態、もう少し含胸になっている状態、もっと含胸の状態、・・・とあって、完全に含胸の状態、とグラデーションになっている。

今になってみれば、1年前の私の含胸の状態はまだまだ甘かった。含胸だからといって胸から含胸をしても対した含む胸にならない(ともすると猫背のようになってしまう)。本当は眉間から含胸をかけていかなければならない→目を内収するのも舌を上顎に貼るのも、そして含胸も、大きな意味での開合の合の働きだ(いずれ開合について面白い話を書きます)。

 

  含胸をする、というのは軸を通すということだから、やはり昨日のサーフィンの人の立甲に関するブログの記述と共通するのがわかる。肩甲骨を肋骨から話して自由に動くようにするには、まず身体の軸を通す必要がある→これがタントウ功や坐禅の役割なのだろう(動く練習ばかりでは気を中心に集められないので(丹田を作る:合:求心力がかかりにくいので)軸を通すのが困難。)

 

  そしてジーの話に戻って、師父に下の写真を見せて撑(引っ張り合いにする)というのはこういうことなのかと聞いてみた。

 

https://surfinglife.jp/technic/14929/

 

このサイトもサーフィン。パドリングに肩甲骨の滑らかな動きが必要らしい。

 

トレーニングの仕方はサイトを参照してもらうにして、左の写真をみると、肩甲骨を後ろに引っ張り出した(夹脊を撑した)下側の写真は上側よりも腕が長くなっている。

男性の身体は全く前に傾いていない。中正を保ったままだ。

 

肩甲骨を後ろに突き出すとなぜ腕が長くなるのか? 私の頭の中ではそのあたりの解剖学的な身体の構造が不明でなんだかスッキリしない。

 

 

そしたら師父がこの男性のような姿勢で実際に私を推してくれた。それが冒頭のGIF画像。

実際のジーの時は重心移動をしたり、もっと全身をしならせて使うからさらに飛ばされることになる。拳で発勁する時も最後の寸勁はこの力が入っている。

 

足腰はかなり鍛えてきたけれど肩甲骨、胸は未開発ゾーン。足が腰に繋がり足腰の連携ができたら体側、脇、肩甲骨ゾーンに入っていく。腕が本当の意味で使えるようになるのはその後だ。

 

2021/2/20 <肩甲骨打法?>

  

  師父との推手の練習は毎日最後の20分から30分行なっている。最もシンプルな単推手の平円で力の使い方をチェックし、双推手からは簡単な技をかけてもらってその捌き方、すなわち化勁の基本を教えてもらっている。師父のように相手がどう出てきても咄嗟に身体が反応して捌けるようになるには昔の卓球並に対練をする必要があるかも・・・ちょっとそれは無理?なんて頭にふと雑念が起こったりするのだけど、とにかくチャンスのあるうちにやれるところまでやるのみ。

 

 もともと右腕の右半身との繋がりが悪く師父にそれじゃあ力が混ざっている、と駄目押しされていたのだが、今日はお互いの右手を合わせて動き出した瞬間に師父が「おや、どうしたんだ?全くちがうじゃないか!」と驚いた声を出した。私も、あら、今日は楽!、いつもの師父の腕の重みが自分の脇で支えられているのを確認できた。師父になぜ肩を引っ張り出せないんだ!と無理やり引っ張られたりしていたけれど、師父がやらせようとしていた肩甲骨を後ろに引き離しながら手を前に引き伸ばす(撑 突っ張る)、そんな動きの出発点は肩甲骨の三角形の下の角を自分でコントロールできるということだと実感した。

ツボなら肩貞穴だと思うのだが、腕を使うにあたってこの場所の重要性を論じている人はいないかしら・・・とざっと調べたら、いました! コントラバスを弾く鍼灸師さん? 「肩甲骨下角ロックを解除するとコントラバスが弾きやすくなる」と左図を載せていました。https://www.btune-hariq.com/contrabass/13545/

言われれば今日は確かにその角をゆるゆるにしたまま推手をした・・・でもそこをゆるゆるにしておくには自分で操れなきゃならない、というか、そこを肋骨から剥がしておかなければならない。

立甲ができる人なら簡単?

 

とここまで書いて、はて?と疑問が。

 以前師父が見事な立甲を見せてくれたことがあったのだが、それを真似できない私が師父に、「立甲は太極拳で使うのか?」と聞いたら「使わない」と答えたのだけど、本当にそうなのかしら?

 というのは、ここ2週間で私の肩甲骨は確実にニョッキっと出てきた。今はまだ肩甲骨の下の角付近をゆるく(肋骨から引き離しておく)ことができる程度だが、もう少ししたら、肩甲骨の内側の縁を肋骨から引き離して推すことができるようになりそうだ。が、これは立甲とは違うのか?

 

 そもそも立甲はいつ使うのだろう?立甲で肩甲骨が肋骨から引き離されたらどんなことが可能になるのだろう? (これまで「立甲のやり方」という観点でしか調べたことがなかった)

 そうしたら、とてもよく説明してくれているサイトがありました。今度はサーフィン♪https://www.revwet.com/%E7%AB%8B%E7%94%B2%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%A9%E3%82%93%E3%81%AA%E6%99%82%E3%81%AB%E4%BD%BF%E3%81%86%E3%81%AE%EF%BC%9F/

 

 以下抜粋

 立甲すると肩甲骨と肋骨が分離して動く。

 右手を上まで上げた時に肋骨まで動くなら肩甲骨と肋骨は分離していない。立甲すると肋骨はそのままで腕が上がる。

 立甲は肩甲骨がそれぞれ外旋して離れている状態。前鋸筋が使える。

 肩甲骨が寄っているとアウターマッスルやみぞおちにに力が入りやすい。

 立甲ができると肩に負担がかからない、インナーマッスルを繋げて使える

 

<そして最後に書かれているのが>

 立甲は軸を通さないとできない!

 みぞおちは腕と股関節を繋ぐ要の場所。

 まずは最初の基本である軸を通してみぞおちを緩めること。

 

 あら〜、結局はタントウ功の話のようだ・・・ が、サーフィンまず軸を通さなきゃ始まらない。けど、きっと波の上で軸を通そうとする時にみぞおちを固めてしまう人もいるのだろうなぁ(と自分がサーフィンをしたらどうなるか?と想像)。ここでみぞおちの力を抜いて、代わりに足から頭頂まで繋いで軸にできたら(周身一家)・・・そこで初めて立甲が可能になる・・・

 立甲は腰が反っていたり胸を張っていたらできない、とも書いている。

 実際、師父には推手の時にこれでもかというくらい含胸をさせられた。感覚的には鼻の付け根(眉間)から含胸をかけるくらいでやっとOKがでる。が、眉間から含胸にすると頭頂が現れ全身一つにまとまる→つまり、これも立甲への道筋。

 


 前回3枚の赤ちゃんの写真をアップした時に気づいたけれど、③の赤ちゃんくらい立ち上がって=軸が通って、初めて肩甲骨がフリーになる。①や②では肋骨に貼り付いている。(もちろん赤ちゃんだから貼り付いてはいないけれど、大人がずっとこのままの姿勢なら前肩で肩甲骨が貼り付いてしまう。) 馮老師や師父の肩(肩甲骨)は③の赤ちゃんのようだ。前足と後ろ足の四足動物のようだ。①②は二足でピョロんと二本の腕が生えている・・・恐竜?

 

 自分の両脚と両腕のバランスはこの恐竜みたいなものかもしれない。

もともと脚に比べて腕(上腕)が貧弱・・・それは②の赤ちゃんくらいの状態でずっと腕を使ってきたせいかもしれない。③になれば嫌でも二の腕(肱)が使える=肩甲骨が腕になっている=肘がコントロールできる=体側が立つ=骨盤が立つ

 

 卓球をやっていたあの頃にこのことを知っていたら・・・と今更悔やむことはないけれど、改めて現在の日本と中国の卓球選手のフォームを見てみると、今でも肩甲骨で打てる選手は日本にはいない。みな腰打ち=腕打ち。

 

  左は日本の張本選手 右は中国の馬龍選手。

  日本の選手は腰と胯を同時に回転させて打つ→肩(肩甲骨より上)が遅れて合わせたようにして打つ:球を比較的身体の近くで打つ 腕の伸びがない(腕が短い感じ)

 これに対し馬龍選手は肩甲骨打法とも呼ばれるだけあって、胯、腰、肩甲骨までが一斉に回転。胴体がねじれることなくブーンと回る。

馬龍選手の場合バックスイングを取った時にすでに肩甲骨の下角=脇に支点を設定済み。後はそこを支点にブーンと振る。

一気に振り抜ける=全身の力を一気に使った整勁となる。

一方張本選手を始め多くの日本選手はまず腰・胯。バックスイングの時にはまだ肩は繋がっていない。(バックスイングの時、馬選手は腕が伸びきって四肢状態VS張本選手は恐竜状態?)

で、ここで腰股の回転を肩に合わせている。肩甲骨が思いっきり外旋していない(立甲していない?)から腕の伸びが馬龍選手ほどはない。

 

ただ、卓球の場合、この打ち方にも利点はある・・・

様々な使い分けができるのが理想 

 

馬龍選手と水谷選手の名ラリー。

馬龍選手の打ち方が師父の卓球のフォームにそっくり。師父のフォームを見た時、最初それは違う、と思ったのだけど、軸を頭まで通すと腕は私たちが思っているよりも外にある感じだ。身体の中の軸が中心に一本ではなく、左右に二本のようにも見えるし、中心に円柱のように太い空間的な軸があるとも見える。

一方日本人の水谷くんの腕の付け根はかなり内側→軸がぐにゃぐにゃ けど、それはそれで相手にとっては打ちづらい。

 

最後に馬龍選手の練習の時の打ち方。

 

脚から肩甲骨下側、脇まで繋いで打つ基本練習。こうすると肘(=二の腕)が安定する。

足裏の力がダイレクトで肩甲骨まで達するのが中国的打法。太極拳も同じ。

ただ、ここまで達するには足裏から腰までが完全に繋がっていなければならない。

 

以上、馬龍大好きなのでたくさん書きました。馬龍みたいに打ちたい! いや、今は卓球ではなくて太極拳・・・

 

 

 

2021/2/18 <坐禅で気を下ろす→引き上げる>

 

   最近の会陰の引き上げについてのブログを読んだ読者の方から、「会陰を引き上げようとすると腹が凹んで力が入ってしまいます。どうすればよいですか?」という質問をもらった。

 結論からいえば、まだ気が下まで落ちきっていない(立位なら足裏、坐禅なら坐骨あたりの臀部)段階で会陰を引き上げようとすると腹が凹んでクッと息が詰まったようになる。

 

 身体の気を下げる(重力に随う)ための要領としては、まず、呼吸をゆっくり深くすること、呼気がヘソよりも下、気海穴、そして理想的には関元穴近くまでまで届くようにするのが目標(先月に書いた腹圧についてのメモも関係します)。

https://www.photolibrary.jp/img173/104027_987965.html
https://www.photolibrary.jp/img173/104027_987965.html

  そしてそのためには沈肩や松腰、松胯が必要になるはず。身体は長く伸ばすのではなく少し丸めにして鼻から会陰までの距離を縮めるようにする(←左の赤ちゃん①の座り姿)

 棒立ちやしっかり背筋を伸ばして座った姿勢では息が関元穴(膀胱、子宮、前立腺の位置)まで届かない。

 ここまで息が通れば、会陰は目と鼻の先。少し会陰を内側に引き込めば(内収)関元穴で上からの息とドッキングして下っ腹が安定する。眠気がなくなる(坐禅で眠たくなるのは放松して会陰が緩むから。左の赤ちゃんのような坐禅をするとウトウトしそうだが、これで会陰を引き上げればウトウトは途端に消える。が身体は放松したままになる。

 

 ここまで緩んだら、会陰をさらに引き上げていく。すると・・・

https://amanaimages.com/info/infoRF.aspx?SearchKey=10131072993 https://imagenavi.jp/search/detail.asp?id=11560753
https://amanaimages.com/info/infoRF.aspx?SearchKey=10131072993 https://imagenavi.jp/search/detail.asp?id=11560753

 

上の赤ちゃんよりもお尻の割れ目が沢山見えている。上の赤ちゃん→左写真の左の赤ちゃん②→右の赤ちゃん③ の順番で会陰が引き上がって行っている。

それに伴い骨盤も立っていく。最後の赤ちゃん③は座っているけど立ち上がっている(?)ようなもので、頭頂の頂勁が現れ、肩関節が自由になっている。

 

https://www.quora.com/Why-is-a-snake-used-to-represent-the-Kundalini
https://www.quora.com/Why-is-a-snake-used-to-represent-the-Kundalini

 

 

  タントウ功や坐禅で周天を行えるようにするための築基功は、まず最初の赤ちゃん①のような丸くしょぼい形から始めて、次第に最後の赤ちゃん③のように立ち上がっていく。それはヨガでクンダリーニが上がっていく様子を蛇がとぐろを巻いて頭を擡げる図で表すのと同じだ。(道教の修行法はヨガに由来しているだろうから当然といえば当然)

 

  ヨガではムーラダーラチャクラ(第一チャクラ:会陰)からダイレクトに上に向かって開発していくが、道教の修行法では下丹田(精 ヨガの第1第2チャクラ)を補充するために中丹田(ヨガの第3第4チャクラ)の後転の気(食べた物と息)を一旦下向きに落として使う。そのため道教の修行法では坐禅は上の赤ちゃん①のように丸い状態から始める(一番上の赤ちゃんが俯いて行なっている作業は、放松、つまり、胸の息を下向きに、腹の穀物の気を第1第2チャクラの方へ落としている)。しっかり坐骨まで落ちたらここから改めて上むきに気を上げていく(会陰を引き上げていく)。第1、2チャクラを立ち上がらせたのが赤ちゃん②。頭頂まで引き上げると赤ちゃん③のようになる(最も開いた状態)。そしてまた最初の赤ちゃん状態に戻ってぐるぐる循環する。無極から太極へ、そしてまた無極に戻って太極へと循環を繰り返す。

 これを初めから最後の尻で立ち上がった赤ちゃん③のような姿勢で練習しようとすると失敗する。仏教の道場でよく見かけるのがそのタイプ。ただ、仏教の坐禅は周天が目的ではないのでそれ以上なんともいえないが、タイやビルマの僧侶の坐禅姿に比べると日本のお坊さんの坐禅は背骨がえらく真っ直ぐだ。。日本の武道も背骨を棒のように真っ直ぐにする嫌いがあるけれど、それは日本の文化なのかしら?(小学生の時に学校で背中に30センチの物差しを入れられて授業を受けさせられたことがある・・・) 背骨はしなって真っ直ぐにもなる、という中国武術と、背骨はいつも真っ直ぐ、という日本武道と、ん〜、何か国民性の違いも感じるところ。

  けれど、背骨という骨はないから、脊椎の全ての関節が動くのが理想的なのは今では常識。背中に物差しを入れられたままだとしゃがむこともできないし走ることもできない。

 

 なお、冒頭の読者からの質問に対しては、「まだ気が十分落とせていない、すなわち、腰が緩んでいない、あるいは股関節が緩んでいない可能性が大きいと思われます。」と答えたのだけど、それに対しては「腰を緩める」「股関節を緩める」とは具体的にどういうことか?という疑問を提示されてしまったのでした。きっとこれまでにもメモで書いたことがある要点だと思うのだけど、現時点でどのように説明できるのか、初心者の人たちがきっと苦労する点なので近いうちにそのような基本要領を簡単に動画で説明できたらよいと思っています。

 

 

<追記>

 一休さんはどんな坐禅だったっけ?

 と見てみたら、やはり子供だから丸い坐禅。

 

面白いのは、左のように頭を両手でくるくるさせながらとんちをひねり出そうと真似してみると・・・会陰が上がる!  試してみては?

 下の一休さんのように真面目に坐禅すると会陰は下がりがち(この目の感じだとおそらく下がっている・・・漫画ですが 苦笑)。

 

 上のように手を上げて頭をくるくるすると目も上に上がる。目が上がると会陰も上がる。目を上げる要領は目の内収、上丹田(眉間の奥のツボ)に収める要領で表されています。

2021/2/16 <会陰の引き上げについての補足>

 

 昨日の玉ねぎネットを使った画像を師父に見せたら、很好!と言って、そこからまた会話が始まった。

 私:「無極タントウ功は気を丹田に溜めるものではなく足裏、湧泉まで落とすものなのに、やはり会陰は多少引き上げて内収するのですね?」

 師父:「そうだ。会陰は上げた方が気がよく落とせる。会陰を緩めてしまうと気が太ももや膝のあたりで止まってしまう。」

 私:「けれども初心者に会陰内収を意識的にさせたら身体に力が入ってかえって気が落ちなくなりませんか?」

 師父:「それはそうだ。ある程度練習をしてからの方がいいかもしれない。人それぞれだから適切な時期に適切な指示をするのが良い。一律的に練功はできない。」

 私:「以前、男性は会陰を引き上げようとすると女性よりも身体に力が入りやすいから、その時期を遅らせる、というようなことを言っていたと思いますが・・・」

 師父:「女性は身体の特徴として会陰(膣)が緩みやすいから早いうちから引き上げさせた方がいい。男性はしっかり放松する必要がある。」

 

 それから玉ねぎネットで私が気づいた点を話した。

 私:「この模型を作ってみて、改めて、会陰を引き上げるにはまず全身の気を下げなければならないことが分かりました。」

 師:「それは良かった。身体の四方八方の気が落ちて会陰が引き上がっていく。そして会陰を引き上げることで身体の気が下がる。循環になる。」

 

 昨日のブログではそこまでは書かなかったので補足、いや、加筆・・・

 会陰の引き上げをするにはまず放松して気を下げること。

 慣れてくれば気を下げる作業(下向きベクトル)と会陰の引き上げ(上向きベクトル)が同時にできるようになる(から、馮老師のテキストで無極タントウ功は最初から会陰内収で行う)。

 もし自分が会陰内収ができているかどうか分からなかったら、逆に会陰内収を外した状態を作ってみるといい。会陰を上げたり下げたり、両方できるのであれば上げた状態が作れるということだ。

 どんな要領でも、”それ”とその反対ができるのであれば、”それ”は大体のところできている(完璧でないにしても練習の方向性は合っている)

 例えば”抜背”にしても、”抜背”とそうでない背中を両方やってみせることができるなら、おそらく分かっている。含胸、塌腰、松腕・・・すべてそうだ。その反対が分からないものはそれも分かっていない。もちろん、反対が分かったからといってそれが完全に合っているとは保証されないのだけど・・・ が、会陰の場合は上げる下げると単純なものだから分かりやすいはず。

 

 会陰の引き上げについてネットで検索をしても使えそうなものがないので、最も原始的で日常的にできる中医学的健康法を紹介します。

 それは、大小に関わらず排便をした後はそこ(小なら尿道口、大なら肛門)を9回引き上げてからトイレを出てくるということ。

 会陰はこの二つに挟まれているから同時に引き上がる。

 そして特に大の時はしっかり引き上げる。これは提肛の練習。

 排便は身体が放松して気を下に落とさなければできないので、その後に肛門を引き上げると上の玉ねぎネットの画像のように、空間を保ったまま引き上げられる(直腸が引き上がる)。巷では肛門を締める、といって肛門の入り口だけを締めてお尻を固めるような要領が教えられていたりするが、それは全く意味がないので、その過ちを避けるのにとても良い方法だ。

 肛門の入り口を締めるのと、肛門を引き上げる(提肛門)のと、両方ができれば両者の違いがはっきりする。ひょっとしたら昨日のブログに載せた空手の表演者や多くの太極拳の愛好家は肛門の入り口を締めているのかもしれない・・・?

 

 提肛門の要領がわかれば提会陰の要領も同じなのでそこから入るのも一つの方法。

 もう一つのおすすめは、坐禅を組んで、そこから飛ぼうとすること。飛べなくてもよいので飛ぼうとして、その時に自分の身体と気がどう動くのかしっかり観察する。「じゃあ、今から坐禅で飛びます。」と言うと生徒さんたちはびっくりするのだけど、まずは坐禅をして、「さあ飛ぶので用意して・・・」というと、皆、身を小さく丸めるようにして飛ぶための準備の体勢をとる。よ〜い、の姿勢だ。この時は皆、急速に身体の気を下に落としている。そして私が「はい、飛んで!」と号令をかけると、ほとんどの人は上に飛ぶことに意識を奪われてお尻や会陰を見るのを忘れてしまうのだけど、飛び上ろうとする時に自分のお尻や会陰がどう動いているのか、あたかもスローモーションで見ているように観察できれば、まず自分のお尻が床を踏んでそれからすかさず会陰が引き上がって床からお尻が離れるのが分かる。お尻が床を踏み切り板を踏むように打つのが身体中の気がお尻まで下がってそれが床の反発力を得ようとしている状態、そしてその反発力は会陰や肛門で受けて身体を持ち上げる。

http://unseiji.or.jp/zazen/inquiry.php
http://unseiji.or.jp/zazen/inquiry.php

 

 左のお坊さんのような坐禅姿のままでジャンプすることは無理だ。このまます〜っと身体が宙に浮いたら奇跡だ。この世の人ではない。

 

 

 

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%90%E7%A6%85
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%90%E7%A6%85

 しかし、たまたま画像検索で見かけたこのタイの僧侶の坐禅姿、これならこのままの姿勢から少しジャンプ(浮く)することも可能そうだ。奇跡ではない。

 なぜそう思えるのか?

 

 分析してみると、上のお坊さんは気が下に落ちていない→会陰内収が弱い。これに対して下の僧侶は気が下に落ちている→会陰がしっかり内収している。

 

 では、なぜ上のお坊さんは気が下に落ちていないと分かるのか?

まず最初に目線が違う=目が内収していない→肩が’(本当の意味で)沈んでいない。含胸ができていない・・・息が胸かせいぜい腹までしか届いていない。

一方、下のタイの僧侶は目の内収がしっかりできていて、沈肩、含胸で息が腹底(会陰近く)まで落ちている(会陰の引き上げと息が合体している)。

 

 実は太極拳でよく出てくる「内収」という言葉。これは皆連動している。目を内収すると会陰も内収になる。足裏も内収になるし手のひら(労宮)も内収になる(もっとも、目の内収をかなりしっかり、奥の方までする必要があるけれど)。 そのあたりはまた別の機会に。

2021/2/15 <会陰内収と提会陰の違い>

 

  昨日のメモに関して生徒さんから下のような質問がありました。

<無極タントウ功の時は会陰は引き上げていないのでしょうか?>

 以下、この質問に関連することを書いていきます。

 

 総論からいえば、”会陰の引き上げ”、といっても程度がいろいろある。ある意味、ピンキリ。

 

 ①まず、馮老師の無極タントウ功(下の左端の写真)の説明には『会陰内収』という言葉が使われている。

   [・・・松腰下榻 尾闾微向下 向前收敛 会阴内收 裆开圆 后腰命门处松开・・]

  腰を緩めて下に垂らし(塌) 長強穴(尾闾)を僅かに下、前方向に収め、会陰を内側に収める。(すると)股(裆)が丸く開き、腰の命門のあたりが緩んで開く

 

 ②そして下の真ん中の中丹田に意を集中させる中環タントウ功もそのあたりの要領は上の無極と同じ。会陰内収だ。

 

 ③しかし、右端の下丹田に意を集中させる下環タントウ功の場合は要領が少し違う。

 {・・・塌腰敛臀身微坐 提尾闾 提会阴 ・・・}

  身体は座ったような形になり、尾骨と肛門の間にある長強穴と会陰を引き上げる(提)。

 つまり、どれも会陰を少し引き上げているのだが、その程度は③が最も大きい。

 下丹田は精を煉る場所で会陰を引き上げて生殖器官を刺激する必要があるから、写真のようにしっかり股関節を緩めて少し椅子に座るようにする。

 

『Asana Pranayama Mudra Bandha 』より
『Asana Pranayama Mudra Bandha 』より

(もう少し深入りしていえば、馮老師のテキストにも書いているように、下丹田は”会陰穴の深いところ”、すなわち、男性なら前立腺、女性なら子宮口の位置にある。会陰を引き上げるのはその場所を刺激するためで、それはヨガの第1チャクラ(ムーラナーダチャクラ)を刺激する方法と同じだ。

 

会陰は骨盤底筋を引き伸ばした方が引き上げやすい。(180度開脚に近づけば近づくほど会陰は上がりやすい。会陰を上げずに筋だけを伸ばして開脚をするような練習をするとコアの筋肉が使えず腰痛などに悩まされることになる。女性のヨガ愛好家に以外と多い問題のよう。) そのため、上の①のような棒立ち姿勢や②のように股関節がしっかりと開いていない姿勢では会陰は上がり辛い。そこで、会陰の引き上げの時のポーズはヨガのように坐禅の形で行うか、立って行う場合は③のように両尻を割って姿勢を低くする。

 

  以前師父が会陰の引き上げについて網袋でイメージを教えてくれたことがあった。

  面白そうなので、家に玉ねぎの入っていた袋があったので、それで『会陰内収』と『提会陰』のイメージを早速作ってみた・・・

  左端が会陰が下がっている、落ちている状態。何も意識していないとこうなっている場合が多い。

  そして真ん中が少し引き上げた『内収』、そして右がもっと引き上げた『提会陰』。

 そして提会陰がもっともっと進むと、それで身体の中に空間の柱が立っていくようになる(最初は下丹田を刺激していたものがそのうち中丹田と合体し会陰を引き上げるとどこまでも引き上げられるような感覚になる。これで喉や頭頂まで達するのがマスタークラス。)

 

 私たちが練習をする時は、まず普段から会陰内収を心がけること。時々自分の会陰が落ちていないかチェックしてみる。横断歩道の赤信号で立っている時、椅子に座っている時、掃除をしている時、テレビを見ている時・・・とチェックして意識的に引き上げる。椅子に座っている時は最もわかりやすい。

http://news.line.me/issue/oa-womenshealth/dc969361babb
http://news.line.me/issue/oa-womenshealth/dc969361babb

 

会陰の状態は外から見てもだいたい分かる。

左のような姿勢では意識的に上げようとしても上がらない。骨盤を立てる必要がある。

 

また、本当に腹から笑っている時は会陰が上がっている。怒っている時不機嫌な時、口がへの字になっている時は下がっている。口角を上げると少し上がる。嫌々ながらする、気持ちを重くすると会陰は下がる。ウキウキすると会陰は上がる。会陰を上げていると怒れないのでは? 悲しくなろうとしてもなれないかも? (是非試して見てください)

 

  ジェットコースターに乗って漏らすのは恐怖で会陰が落ちるから。咳やくしゃみでも会陰は瞬間的に落ちる。

 

  中国では相当高い割合の坊さんが痔を患っているという統計が出ていたことがあったようだが、坐禅をする時に会陰を上げるのを忘れていると痔になりやすい。同様に、中国のサイトでは、太極拳をすると痔になる、という書き込みもあって驚いたことがあるが、確かに、低い姿勢で気を下ろしているのに会陰を上げていなければ痔になる可能性もある。

 

 普段の生活では会陰内収を心がけることにして、練習では、毎日少しは③のように深く座って意識的に会陰を引き上げる練習をするべきだ。会陰の引き上げを保持してしゃがむ練習(双腿昇降功)もとてもよい。そしてイチローがよくやっていた肩入れストレッチ、これは股割り、会陰の引き上げの練習にもってこい・・・が、股が割れないと会陰の引き上げは難しのかもしれない。

  

 下は気になった画像(以前ブログに載せたことのある画像を含む)

 上段2枚はイチローの肩ストレッチ、といっても身体を割っている。会陰、肛門が開いて引き上がって、それが頭頂までつながっているようにもみえる(→上の玉ねぎネットの理屈)

 これに対し下段の2人の有名な空手選手達の型の姿は、同じように大股開いても会陰が落ちているように見える(なぜだろう?)呼吸が違うし、身体が石のように硬くなっているから会陰が落ちていると分かるのかもしれない。しかし最後の1枚の写真、顔は写っていないけれど、これは会陰が上がっている! 誰だろう?と調べたら大山茂という極真会館の最高師範だった。実践の人はやはり会陰は上がっている・・・

 

 開脚、股割りのコツは会陰を引き上げていくこと。会陰を引き上げることで股関節が内側から使いやすくなる。しゃがむ時、座る時は意識的に会陰を引き上げること。無意識に座ると会陰は下がりやすい。座った状態で会陰を上げたり下げたりする練習は中医学の養生法の定番。そして両脚を大きく開いて意識的に肛門と会陰を引き上げる練習もマスト。高い姿勢では骨盤底筋がストレッチされ辛いので低い姿勢でも練習してみる。両脚を閉じても『会陰内収』程度は引き上げられるようになるように。癖がつけば、無意識、放松状態でも内収になる。寝ている時に内収が外れないようになったらマスタークラス。

 

2021/2/14 <気沈丹田の意味 天の気と地の気の合流>

 

  前回紹介した推手の重心移動に関する動画を撮った時に、しゃべりながら、あれ? と思った箇所がある。それは『気沈丹田』という言葉。

  動画の中で私は、「気沈丹田と言って息を腹まで落としているのに会陰を引き上げていない場合は(重心移動をすると否応無しに膝に乗っかるような動きになる)」といった言い方をしたのだけど、それを言いながら、「あれ? 気沈丹田の中には既に提会陰(会陰を引き上げること)が含まれていたんじゃなかったっけ?」と思ったのだった。

 

  そして今日師父にそこを確認したら私の思った通りで、『気沈丹田』のためには会陰が引き上がっていなければならない。息を腹(ヘソ下)まで落としただけでは『気沈丹田』とは言わない。が、今では丹田と言う言葉が一般単語のように広まっていて、ただヘソ下に力を入れただけで”丹田を使っている”と思っている流派(おそらく外家拳のことを念頭に置いた言葉だろう)も多くなっている、と師父はぶつぶつ言っていた。

  ともあれ、丹田は気を煉る場所(丹:仙薬を作り出す田んぼ)。丹を作り出すには相反する気を合流させて火を加えて煉る必要がある。最初に作る中丹田(ヘソの丹田)でいえば、中医学で心腎相交(水火相済)というように、心の神と腎の精をドッキングするすることだ。中医学において『心』は脳も含んでいて、意(神)を下方へ向け息を深する一方で、先天の精が宿り生殖器官と密接に関わる『腎』に対し、会陰を引き上げて内側から下丹田の場所(前立腺、子宮口)を刺激することで腎の水と心の火が中丹田で合流して新たな気の渦(流れ)が発生することになる。

  具体的には、①眉間(鼻の頭)から息を腹の方へ落としていき(心の火を下ろす)、それと同時に②会陰を引き上げて腎(命門)を内側から刺激する(腎の水を上げる)のだが、ここで注意を要するのは、会陰を引き上げるには足裏の力が必要ということだ。というのは、心の火と腎の水、と形容されている2種類のエネルギーは、もっと大きな視野で見れば、天の気と地の気という2種類のエネルギーに他ならず、心の神(火)を下ろすというのは天の気を身体に落としてくること、腎の精(水)を上げるというのは地の気を身体に引き上げてくること、そして地の気を身体に取り入れるには実際に地に接している部分を使う必要があるからだ。

  

 つまり、会陰を引き上げる、というのは、立位の場合、足裏を引き上げる、足裏で地面の気を吸い上げる、ということ。足裏は左のようなトイレのスッポン(ラバーカップというらしい)状態になる。

 これを、私は初心者には”土踏まずを上げる”とか”上がる”と表現しているが、注意が必要なのは、上の①の過程(息を下ろす過程)で土踏まずを意識的に上げてしまうと、息が十分下まで降りなくなってしまうため土踏まずを上げても地の気を吸い上げることができない。ただ足が硬くなるだけだ。身体が十分脱力してドロ〜っとするくらい重くなって(死体のように)地面に身体がひばりついたようになってから土踏まずを上げるべきだ。

  もう少し練習が進んでいれば、土踏まずとは言わずに湧泉を引き上げるようにと言うこともできる。

  ①の過程がちゃんとできていれば、湧泉を引き上げればダイレクトで会陰が引き上がるはずだ(逆にいえば、会陰を引き上げようとしたら湧泉が引き上がってしまう)。この連動が起こらないとしたらまだ①の気を下ろす過程がちゃんとできていないので気を落ち着けてゆっくり立ち続ける必要がある。(タントウ功のまま寝ようとしたら気はすぐに落ちるのでは?)

  練習を積んで慣れてくれば①と②をほぼ同時にできるが、それでも毎回短時間でも①をやってほっとしてそれから②をして気を溜めていくことになるはずだ。

 

  タントウ功、太極拳の要領は下向き=重力に随うものがほとんどだ。沈肩、墜肘、松腕、含胸、塌腰、松胯・・・これらは全て①の過程に使う。これに対し、上向き=重力に逆らうもの、は、提会陰、湧泉の引き上げ、舌貼上顎、頭頂の頂勁、と数が少ない。これらが②の過程で付け加えるものだ。

  地の気を吸い上げるためにはまず地に根ざす必要がある。

  上に上げるためには下に下げる必要がある。下げとは重力に随うこと、重力に逆らわないこと。これが放松だ。重力に随い地に落ちていくと思ったら反転して天に向かう。相手の力に逆らわない動きから反撃が生まれる・・・太極拳の化勁の原理そのものだ。

  逆らわなければどこかで反転が起こる。最も自然でよいのは①をやっていたらいつのまにか②に移行していた、という流れ。身体に任せていれば自然にそうなるはずなのだろう・・・昔の人たちのように時間をかけてゆっくり修行できれば。 静心慢练。

 

 

 

2021/2/12 <身体に備わった機能を最大限に利用する 会陰の引き上げと重心移動>

 

   零下での練習3日目。今日はマイナス3度。風があったので手が冷たくなるが体内の気が流動しだすと内側からじんわり暖かくなる。太極拳の練習を始めてから手袋をすることがなくなった。このくらいの気温で手袋をすると手袋の中で却って手が冷えてしまう(経験済み)。師父と練習を始めたその年に、冬でもマフラーや手袋は付けないように言われた。男性は帽子はつけてもいい、が、女性はつけないのが好ましい(男性は足が暖かくて頭が寒い、女性は真逆。もし男性なのに足が寒いとか、女性なのに頭が寒いとしたら健康に問題あり。中国の諺にあるそうだ。)

 これまで師父になぜ手袋をつけてはいけないのか?とダイレクトに聞いたことがないが、経験的に手袋を付けない方が手が内側から暖かくなる(表面は冷たかったとしても)から、付けない方が良いのだと思っている。たまたま主人にそのようなことを言ったら彼も手袋をつけると手が冷えるというからそのように感じる人は案外多いのではないかしら?

 そういえば寝る時に靴下を履いてはいけない、と子供の頃に言われずっとそうしてきた。冬など、最初足が冷たい時は靴下を履きたいと思ってそうしたこともあったけど、どこかで気持ち悪くて脱げ捨ててしまっていた。

 でもなぜ寝る時に靴下を履いてはいけないのか? そんな質問をしたことがなかった。太極拳の練習の時に手袋をしてはいけない、というのと通じる回答があるのかも?

 と、早速検索したら、頷ける回答がありました。https://epark.jp/medicalook/remove-socks-when-you-sleep/

 

 足指を自由にうごかせなくなり、ますます足先に血液が届きにくくなります。

 また皮膚感覚が麻痺し、脳からの体温を調節する司令が伝わりにくい状態になります。

 睡眠時に体の中心の温度を下げるために熱を放射しますが靴下はそれを妨げてしまいます。

 汗が足の皮膚の温度を外へ逃し、ますます足が冷たくなります。

 

 上の回答の中の”皮膚感覚が麻痺し、脳の司令が伝わりにくい”というのは私が想定してたもの。冬はただでさえ分厚い衣服を着ていて露出されている部分が顔と手のみ。顔には目鼻耳口がついていて、手は脳の延長と言われるほど敏感なセンサーを持っている。これらのセンサーを働かせることによって外界に身体を適合させる調整を行なわれる。もし顔も覆って手袋までしてしまったら、身体のセンサーは眠ってしまいメリハリのない鈍感な身体になってしまうだろう・・・。温室の中で育つ野菜と外気に晒されて育つ野菜、活き活き感は全く違う。太極拳の練習の中にはそんな基本的な身体の鍛錬が含まれているということだろう。

 自然との一体化、天人合一、などというのはまず外気に触れないと始まらない。室内練習だけではテクニックは学べても身体の真の強さ、功夫はつかない。春夏秋冬全ての季節を味わうのが身体を鍛えることになる。

 

 

 と、書き始めたら話がズレてしまいましたが、今日の練習の後に重心移動について動画を撮りました。会陰を引き上げる重要性を再確認してもらうのが目的。話が退歩に及んだあたりから雑談のようになっている嫌いがありますが、それらを知っているのと知らないのでは重心移動の仕方が変わると思います。 動画に関する話はまた後日書きます。

2021/2/11 <胴体を使って推手をする練習 どの部位の力を重点的に使うのか>

 

 今日は私の方から単推手の練習方法について師父に提案をした。

 それはできるだけ近づいて前腕を接した状態で適宜押し引きをしながら自由に動く練習から始めるということ。いつも同じように手首を接した状態での推手ばかり練習をしていると肝心の胴体の力で推し引きしている感覚が取りづらい。かなりレベルが高くない限り、お互いの腕の力だけを感じ合うような結果になりがちで、結局四肢運動で終わってしまう。四肢運動を打破するには、究極的にいえば、二人でおしくらまんじゅう状態の推手ならぬ推体(?)に近いことをすればよいのでは?と思ったからだ。

 昨日久しぶりに馬龍のフォアハンド打ちのフォームを見て、ああ、こんな世界チャンピオンもまずは肘を固定して(足ではなく)腰から打つ練習から始めるのだ、と感動した。腰(胴体)があっての足(脚)。まずは定歩、それから活歩、腰がしっかりできてから足(腿)を動かす練習をする。足(腿)のことばかり考えていると腰がおろそかになる。体重移動は足のように見えて実は腰(胴体)で起こっている。だから推手もそのような順番で練習した方が誤解が減るのではないか? ・・・師父に馬龍の画像を見せながらそんな風に話した。私の話した師父は、私の言うことも筋が通っている、じゃあそうしよう、と言って接近してお互いの前腕をくっつけたまま動く練習をしてくれた。

 肘から先を使わないで推し合うと相手の身体の力がとてもよく分かる。手首を合わせた時には分からなかった師父の身体の中の気の動きも肘のあたりをつけていればよく分かる。よく分かるとそんなに怖さがない。(そこから推されたにしても、掌で突然推されたり掴まれて引っ張られたりした時ほどのダメージがないのが感覚的に分かるからかな?)

 そしてお互いの身体の動きがシンクロし始めてきてから徐々にお互いの距離を広げていった。最後はいつもの推手の位置へ。身体の中の動きのリズムが壊れないように注意する。自分の足が今どう動いているんだろう?と観察しようとするとリズムが崩れてしまいそうなので今日はただ師父の身体のリズムに合わせて動いただけ。途中、師父が、「肩の撑をやれ」とか「膝を回せ」とかいろいろ言うので 「腰ではダメなのか?」と聞いたら「もちろん腰は常に使っているけれども、重点を変えていくことはできる。例えば、今私は肩で推している」と肩を押し広げてグイグイ直線的に推してきたと思ったら、「そしてこれは腰の力だ」と言ってさっきとは違って塊のような重さで推してきた。「そしてこれは膝だ」と言った時には、腰の重い力は消えて私がいくら推しても力がどこかに消えてしまうような感じになった。 「膝の回転を意識的に使うと相手の力を消せますね?」と私が言ったら、「そうだ、力の重点を置く場所を変えていくことでいろいろなことができる」と師父は答えた。

 常に、足裏から力を発して腰で打つ、というわけではなく、それができるようになるのがまずは先決だけれども、それ(整勁、身体全身の力を使う)ができるようになったら、気を自由に移動させてどこでも使えるようにする(関節はどこでも発力できる)ということのようだ。随分前にも同じような話は聞いたことがあったのだが、その時はスルーしてしまった。ただ当時師父が「例えば仰向けに倒された状態で相手を打つ時にどうやって足裏の力を使うというのか?それは無理だ。そんな時は肩を根節として発勁ができる。」と語った話は覚えている。そして「少しの力で済むところを全身の力を使うなんてバカなことはしない。」といったことも言っていた。その話を聞いて、私は、家のタンスの引き出しを開ける時にてっきり中身が詰まっていて重いものだと勘違いして思いっきり引っ張ったら引き出しがすっこ抜けて私も尻餅をついたことを思い出したのだった。相手に対応した力で臨まないとかえって自分が怪我をする羽目になる・・・なんでも力任せにやればいいってものじゃない。これが相手の力を聞く、ということなのか、と。

 

 家に帰ってきて、今日師父とやった密着系の推手は実は肘の推手に似ていると思い出して、馮老師の動画を再度見てみた。これは胴体のみならず肩と二の腕を使う練習にもなる。明日これを師父にやってもらおう。(上段は外肘の挤捋,下段は内肘の挤捋 https://youtu.be/OXJgqLo9gkk)

2021/2/10 <卓球から思い出したこと 楊式2つのタイプ>

 

   体重移動の際の8の字は足で描くのではなくて腹腰、帯脈で描く。

 今朝、卓球ではどうやって重心移動していたっけ?と、卓球の推手ともいえるフォアハンド打ちの連打を思い出してそんな基本的なことを思い出した。相手に合わせて打つ時は思いっきり振り切ったりはしない。合わせて打つことができるようになったら(1000本ミスせずに打ち続けられるとか)相手に隙を突いて打ち込む、というような練習もあった。合わせている時は特に、そして打ち込んだ時でさえも、すぐに基本姿勢に戻る、というのがお約束だった。打ったらもう戻っていなければならない。師父が「推すのはゆっくり 戻るのは速く」と言ったあの言葉は何も太極拳に限ったことではなかった。な〜んだ。

 上の青色シャツの馬龍選手。左はただ相手に合わせるフォア打ち。肘をしっかり腰に合わせ腰で打つ練習(これこそ基本練習)をしている。体重移動は?とみると、足の動きはあんなもの。腹腰で体重移動してそれを腕に伝えている。では足の役割は? と見ると、足裏はしっかり床に貼り付いて(気が足裏まで落ちて)床からの反発力を得ている(足裏から胴体に向けて気が跳ね返ったようになっている)。『力は足から』と言われる通りだ。(『力は腿から』でないことに注意 腿に力が入ると足裏からの反発力が使えなくなる。)

 そして右側の画像は、合わせる練習から攻撃を仕掛ける練習に変化したところ。定歩推手が活歩推手になった感じか?振り抜くようになると歩幅も大きくなるし腿の動きが重要になる。しかしどんなに足が動いても打つ時の支点は腰。これは変わらない。 私が大学生の時に伊藤繁雄元世界チャンピオンから「お前は腿で打っとるな。」と言われたことがあったけれども、それは「腿で打たずに腰で打て」ということだった・・・と知ったのは太極拳をかなり練習した後のこと。当時はもう卓球で全日本を狙おうという気も全くなかったから伊藤さんも私には適当に笑って声をかけてくれるくらいで真剣に教えるという関係ではなかった。「腰で打て」と言われても当時の私にできたかどうかは怪しい・・・

 

 久しぶりに卓球の動画を見ていたらハマりそうになったので意識的に太極拳に戻る。そういえば今日師父が中国サイトにある太極拳の動画を送ってくれていたような。と開けてみたら、その中に楊式だけれども、あれ?これは馮老師や師父の推手の動きに通じるものがある、と思うようなものがあった。体重移動が終わったと思われる箇所からさらに少し腕が伸びるような感じのものだ。

 この二人を見てから、巷でよくみかける楊式の動きを見てみると・・・

 あ〜、なんで下段のタイプが普及して上段が普及しなかったのだろう?

 上段の動きは丸みと伸びがあってまさに太極拳。体重移動が終わっても肩がさらに伸びでいく・・・転換はgraduallyに行われる。転換点が折り返し時点になってしまったら太極拳ではなくなる(陰陽図で陰陽転換がどのように行われるか? 転換点も円か球、決してとんがってはいない)

 下段は腿や膝で詰まってしまうのと同時に肩や肘も詰まってまったく伸びがなくなっている。

 師父はその原因を、下段が四肢運動で胴体運動になっていないからだという。

 胴体が箱のように動かない。上段の二人が前進しながら命門を意識的に後方に推している(腹と腰の“撑“=引っ張り合い、を作る)のと対照的だ。下段の二人は後ろから腰を蹴ったらすぐに前につんのめってしまうだろう(腰、背中が隙だらけ)。上段の二人は後ろからも攻めにくい。

 

 そして、胴体で動くといやでも内腿を使って重心移動をすることになる。(命門を開いて仙骨を引き伸ばすから内転筋が起動する)四肢運動にすると内転筋は使えない。どんなに注意しても前腿運動にならざるを得ない。

 胴体で動く→命門を開く+会陰を引き上げる→内転筋で動く

 

 命門を開いて腰で発勁できるようになれば腕の発勁(腕のしなりと伸び)はその沿線上にある。まずは命門の張りを失わないまま体重移動する練習が必要かと思う。命門の張りを失わないように移動し続けると、常に進歩の中に退歩が含まれてくる。前進中いつでもバックできる状態を維持し続ける・・・推手にはそれも含まれているのではないかしら?

 

 最後に馬龍の命門の発勁によるバックハンドをお見せします。(https://youtu.be/Kzyl6-owLB0

  相当な腹圧がかかっています。腹の気が多くないと腰痛めそう。馬龍の馬歩、かっこいい♪

 

 そして蛇足ですが、太極拳的には左のようなスクワットは無意味。馬龍の馬歩と比べれば違いは一目同然。

これは腿を鍛えるだけで腹圧が高まらない→腹腰を鍛えられない。

 どんなに下がっても腰は落とさない。

 最初に揚げた楊式の2つのタイプも腰の高さに違いがあります。

2021/2/9 <推手 転換点の動きから8の字=2つの円をを推測>

 

 昨日の単推手の練習で師父が少し褒めてくれたこともあり、今日は練習の最後に確認用に動画を撮ってみた。今日はマイナス3度。套路よりも推手の方が暖かくなって楽しい・・・

 

 撮った動画をみて、あれ? 師父と体重移動が違う、何かおかしい、と気づく。師父は撑が少しできていると褒めてくれたけど、そのやり方が師父と比べて間違っているのが分かる。私は身体全体を後ろに引くことで腕を前に伸ばしてしまっている(身体全体と手を引っ張り合いにしてしまっている)。そのため前後の体重移動が消えてしまっていた。

 師父に、私は間違えている、と撮った動画を見せたら、「そうだな。間違っている。けれど、松はできているし身体の力も使えている。ただ肩から撑ができていない。」と言った。

 

 


 師父の動きを動画で見ると、馮老師同様、前方へ重心移動しながら腕も前方に推していくのだが、最後のフィニッシュの時には足(身体)はすでに後方へ退きつつある。

 ん〜、どうなっているんだろう・・・と家に帰ってから動画をスローで再生してゆっくり真似をしてみた。

 要は、ジーからリューへの転換点(前方から後方への転換)、そしてリューからジーへの転換点(後方から前方への転換)の力の使い方の問題だ。

 師父のようなタイミングで動くには・・・ああ、8の字だ! あのような動きになるには8の字を描かざるを得ないはず。

 

 下のように整理をした。

8の字と言っても2つの円が引っ張り合いになるように重心移動がなされている(開合、中心から共に離れ、中心に向かって戻ってくる)。

進歩になると股(裆)がますます開き、退歩になると股が狭くなるはずだ。

これが進歩の時はゆっくり(軽く)、退歩の時は速く(重く)、といわれる所以だとおもうのだけど・・・

丹田、胴体の切り口がみな8の字、それも遠ざかる2つの円と近づく2つの円(でないと撑にならない)・・・

 

もう少し練習して確かめる必要あり。(読者の方、まだ鵜呑みにしないでできれば8の字で試してみてください)。

2021/2/8 <今日の推手の練習>

 
   今日から本格的に冷え込んでやっと本来のパリの冬の姿になった。2度から零下2、3度あたりで練習をするのはとてもいい。気が引き締まるし身体の中でどのようにエネルギーが作り出されるのかがよく分かる。逆に言えば、どのようにするとエネルギーを逃すのかもよく分かる。これから1、2週間は特にしっかり練習するようにと師父からも言われた。
 
    今日はこっそり紐トレの中の胸紐を装着して練習に行った。套路の練習が終わって、最後に昨日うまくできなかった双推手の、相手のアンを躱してポンに転じる(化勁)ところをもう一度やりたいと師父に頼んだ。昨日はポンのところで会陰を引き上げて含胸をしろと言われ、そのようにしたら身体が下がってしまってうまくいかなかった。 けれども、昨日家に帰ってから、この数ヶ月の間に練習したバレエ整体で学んだ胸郭、肋骨の使い方、その呼吸との関係、そして、この前日本から持ってきてもらった高岡英夫氏の著書の中に書かれている『ベスト』の身体意識、そして紐トレの中の胸紐で呼吸が深くなるという事実、それらが推手の馮老師や師父の胴体<胸郭+腹腰+骨盤>の一体感と結びついて、会陰を思いっきり引き上げて腹の気を胸腔にまで広げて肋骨と肩甲骨の隙間を埋め、肋骨を動かすことで肩甲骨を滑らせるようにして腕が上がるのではないかしら?と気づいた。 胸紐があった方が腹の気を胸まで繋げやすいのが家での装着でわかったので、それをつけて練習に赴いたのだった。
 
   師父と手を合わせて、「昨日のように私の腕をアンで押し込んでみてください」と頼んだ。まずはジーで滑らせそれからポンにする。ポンの時は会陰を特に引き上げ息を骨盤底筋から鎖骨あたりまで一杯にしてみた。私が「これでどうでしょう?」と聞いたら、「おや、昨日より随分うまくできている。含胸がちゃんとできているなぁ。」と師父が答えた。私は心の中で、これが含胸なのか? とクエスチョンマーク。まだ自分の動きとその言葉がぴったり合わない。腕を回し続けて、また師父のアン、私のジーポンの場面。もう一度やってみる。「そうだ、それでいい。含胸がうまくできている。けど、頂勁が甘いな。」と師父に言われた。
 なるほど、自分の身体の中を観察したら、骨盤底筋から鎖骨あたりまでは一つの空間になっているけれど、首から上は別人格のように胴体の上に乗っかっている。私は上方から首より下を見下ろしているようだ。ああ、まだ首や喉が胴体とうまく繋がっていないのだ・・・とそこまでは瞬時に分かったのだけど、胸郭をそれより下の部分と繋げるのに意識が使われて、それより先に進む余裕がなかった。師父は休むことなく推手を続けてくる。私もそれに応じながら、「今日は含胸で胸郭まで気を満たすのが精一杯なので、頂勁は後日練習します・・・。」と断った。師父は、「もちろん、それでいい。一歩一歩だ」と答えた。
 
   推手のあと、しつこいとは思ったが、師父に今日の私は昨日よりうまくできていたか?と確認を求めた。師父は、「うまくなった、推手の時の引っ張り合い(对拉 撑)も大体できるようになった。」と言ってくれたが、すぐに「更に言うなら、推す時はゆっくり、戻る時は速く戻れ。それで推手はねばくなる。」と付け加えられてしまった。どういうことだろう? と師父に少しだけ一緒にやってもらった。推す時はゆっくり、戻る時は速く・・・けど、私がゆっくり推そうとすると師父は素早く戻ってしまう。そのあと私が速く戻ろうとしても、推す時にのれんに腕押し状態にされてしまっているので戻る時に加速ができない。 師父に、「師父が速く戻るので私はゆっくり推せません。」と言ったら「まあ、次のレベルに向けて少しずつやりなさい」と言われた。まだまだ先は長そう・・・パリにいる間にそこそこ師父の相手ができるくらいにはなりたいのだけど。
 
  自分の古い動画を整理しよう(今見て恥ずかしいものは破棄しよう)としていたら3年ほど前に師父が推手を教えてくれている動画があった。当時の私は見よう見まねでやっているだけで、その理屈が全く分かっていなかった。師父の腕がぐーんと伸びてくる、それはあの馮老師の推手と同じだ。これはおそらく高岡英夫氏のいう『ベスト』(簡潔に説明しているのは例えばこのようなブログhttps://www.axis-lab.jp/backnumber/10306/)。以前本でその箇所を読んだ時はチンプンカンプンでスルーしてしまったけれど今再度読むとも少しで掴めそうな感じがする。自分が体得すればもっと違う表現で説明できるのだろう。
 太極拳の一路では『ベスト』を意識できない。推手で『ベスト』に気づいてをそれを二路炮捶で活かすことになる、というのが練習の順序か? いずれにしろ二路はもはや足腰で打つのではなく、肋骨、肩甲骨で打つ練習になっている(例えば一路で震脚で打っていた连珠炮が二路では震脚なしで打つようになる)。二路は一路で培った基礎を使って実践的な練習をする。一路のように止まったまま打つのではなく移動しながら打つのでいちいち足から打ってはいられない。となると、足腰から打つのではなく、その支点が肩甲骨、肋骨、胸のあたりになる。高岡氏の『ベスト』の記述にも同様のことが書かれていた。といってもこれは私自身の現在の問題意識であり課題だ。生徒さん達とシャアするのは時期尚早・・・混乱させるから言ったり書いたりしない方がよいのかもしれないが、先に知っていた方が良いかも(だっていつまでも書いたり教えたりし続ける訳ではないだろうから)、と思ったりもする。
 ともあれ、太極拳は巷に広がっている一路で完結するものでない。一路は二路の準備。視野が広がれば広がるほど、なぜ自分がそんな練習をしなければならなかったのか、なぜ今これをしなければならないのか、納得がいくようになる。
 <参考:以前の推手の動画 https://youtu.be/BHd0KBWRoMM

2021/2/7 <紐トレ 中正と全身のポン 遠心力と求心力>

 

 紐トレ(ヒモトレ?)と検索すればどんなものか分かると思う。紐の使い方としては、ただ身体に巻いておくというものと、紐を両手にかけて運動をする、という2種類のものがあるようだ。

https://style.nikkei.com/article/DGXKZO09925230V21C16A1W13001?channel=DF140920160919&n_cid=LMNST016
https://style.nikkei.com/article/DGXKZO09925230V21C16A1W13001?channel=DF140920160919&n_cid=LMNST016

 

ただ身体に巻いておくタイプのもの(左の図の中の「へそひも」や「お尻ひも」のようなもの)は経絡や筋膜の繋がり、アナトミートレイン等と関係がありそうだ。

例えば「へそひも」は八脈の一つである「帯脈」を起動させる。身体を地球に例えるなら帯脈は赤道。赤道を垂直に走る経線は身体でいえば経絡だ。中医学で帯脈が重要視されるのは、それを開通さえればそれに交わる12経絡を起動させることができるから。だからまず腰回し(帯脈回し)から運動を始める(と中国の気功の先生がテレビ番組で言っていたのを聞いたことがある。)

 

身体のいろんな箇所に紐を巻くとそれぞれ違った効果が現れるようで、試してみるととても面白い。

 

 紐を巻くのと巻かないのと、どうしてこんな差が生まれるのだろう? と不思議に思うのだが、その理由を科学的にしっかり説明している人はいないようだ。分かるのは、皮膚のセンサー、神経が反応して身体、脳のAIが私たちの意識とは無関係に勝手に働いているということだ。スイッチを入れればそうなる、身体はそんな風に作られているところが多分にある。そのスイッチを入れる役割をするのが紐の刺激のようだ。

 

 紐を使ったエクササイズをすると更に紐トレの核心的作用、太極拳との接点が見えてくるようだ。

 例えば上の図にある、両手首に紐の輪っかをひっかけて両手を上に上げ、紐を左右で引っ張り合いさせたまま身体を横に倒すエクササイズ。

https://youtu.be/u3LkkPXQCH8

 

紐のテンションを使うと身体の中正を保ったまま身体を倒すことができる。 私も試してみたら、なるほど、こうすると左右の手首陽面が引っ張り合いをする結果、そこから面で繋がる両脇、両腰、うまくいけば両お尻、両腿、両スネ、両足首が引っ張り合いになる。身体の中で左右の引っ張り合いが起こるため結果として中正が生まれる・・・中正を作ろうとすると中正はとれない、中正は身体のポン、あるいは、撑(膨らんで左右、上下、前後、全てにおいて引っ張り合いをする)の結果生まれてくる・・・太極拳の原理がこの簡単なエクササイズで体験できる。

 

と思ったのだが、画像検索したら、あれ? これでは中正はとれない。ムムム、どれだけ肩甲骨を上げられるか、そんなエクササイズになっている・・・?

 

  そもそも紐トレの宣伝の出発点が「紐をかければ楽に手が上がる」というところだったようで、モデルさんも思いっきり肩甲骨を上げて腕を上げている。この状態で両腕を倒すと、上段右端の画像(これが本の表紙のよう)のようになり、肩甲骨から先の運動になってしまう。胴体は取り残されるので中正はとれない。・・・とちょっとがっかり。(身体を倒すことにより片方の体側が伸び、片方の体側が縮むのは中正がとれていない。脊椎のしなり=実は旋回、で身体を倒すと、片方の体側は凸、片方の体側は凹、で共に伸びるが、この状態を中正がとれている、という) ただ、肩甲骨が固まって動かない人には良い運動なのかなぁ、と気を取り直す。

http://bibien.tv/tv/7533
http://bibien.tv/tv/7533

 が、右の画像の中にいる、紐トレ考案者の小関さん。腕を上げても肩甲骨は上げていない! そして最初にGIF画像で紹介したトレーナーの女性も肩甲骨は上げていないのだ。

 このように肩を沈めたまま腕を上げれば、その後、紐の張力を失わないように腕を倒せば胴体から脚まで自然に倒れて中正を失わずに動くことができる。

 

 また、両手に紐をかけた状態で、両手を腰の高さで前に伸ばしそこから左右に振るような動き(腰の回転)をしてみると、胴体が筒になってそのまま筒ごと回転するのが分かるはずだ。紐を外して同じ動きをするとウエスト捻りのようになる。

 

 このように、多少運動の仕方に注意は必要だが、紐によって外向きへの引っ張り合い=外撑を使うと身体に膨らみが出て結果として中正が現れる。

 太極拳で言えば、丹田を表皮まで広げた状態だ。

 全身に均等に広げられれば大きな太極の球になる。

 

太極拳で言うところの全身のポン(膨らみ、緑の矢印)は、丹田(ピンクの丸)が大きくなることによって起こる。丹田の気が少ないと表面まで広げられず全身のポンができなくなる。そのため気を養うような生活、練功が必要になる。

 

 紐トレは必ずしも丹田からポンさせるものではないが、身体の表層をポンさせることで身体の枠取り、アライメントを正しく整える作用があるようだ。身体の内側は手付かずだ(直接的に内臓を養うものではないが、外形を整えることで間接的に整えることは可能だろう。)。

 

 昨日のメモで、足裏で地面を踏みしめないようにすることについて書いたが、実は、これは強制的に上図のような全身の(表層の)ポンを作り出させることになる。足で地面を踏みしめないように注意すると足裏と地面の間にほんのわずかな隙間があるような感じになる。これが足裏のポンになる。そして足裏のポンを意識的に作り出そうとすると全身はポンせざるを得なくなる。全身をポンさせたまま動くと膝一点に体重が乗ったりすることはあり得ない。全身を均等に動かさなければならなくなる。

 

 ただ、この外側に張り出した力だけでは片手落ちで、これに拮抗する内側に引っ張る力、すなわち、丹田の吸引力も養う必要がある。遠心力に対する求心力、という関係だ。

https://www.genkimai.com/himotole2/
https://www.genkimai.com/himotole2/

それには、紐をこのように八の字にして上で紹介したようなエクササイズをしてみるといいかもしれない。紐をこのようにしてやると、外に向けてのポンの力に加えて身体の内側に絞る力を意識しやすくなる。こちらの方が太極拳的?

 

といっても、これで丹田の気を煉ることはできない。煉るならやはり太極棒がよい。労宮を使わないと練るのは難しそうだ。

なぜ労宮? 

・・・また疑問が湧いてしまった。<続く>


2021/2/6 <足裏で地面を踏みしめないようにするとどうなるか?>

 

  今日のビデオレッスンの最中、生徒さんから「・・・でも、足は杭のようにするんですよね?」と、私の教えていることがちょっと分からない、といった反応があった。

 私が教えていたのは、弓歩の時にどうしても前腿に乗ってしまって、なかなか内腿や挡を使えないという、これまで楊式の太極拳のみ練習してきた女性。その姿はまさに前回前々回のメモで登場させた表演タイプの推手の弓歩姿だ。

左の水色の人のように前腿に乗って進歩(前進)していった場合、どこかで膝につっかえてしまう。そして膝につっかえて膝で前進へのブレーキがかかった途端、即座に足裏のつま先側がグッと地面を掴んで膝が前にでないようにブレーキをかけることになる。

気持ちや身体は前に行きたいのに、膝や足裏はブレーキをかける、そんな相矛盾した動きが生まれる。

膝は折り曲がり、足首も捻れる。足首が立っていないから足裏が垂直に地面を押せない→地面の反発力を得られない→身体が沈む(気を丹田に沈ませる、のとは違うことに注意。気沈丹田をすると身体は軽くなる、浮く、というのは、地面から反発力を得られるから。)

 

 ではどうしたら内腿や挡を使えるか?

 それには様々な入り口があって、各々の生徒さんがそれぞれ分かりやすい方法を使うのがいい。今日の生徒さんには、まず爪先立ちから脚を長く使う方法(腸腰筋から使う方法)や意識で脚の内旋や外旋をし続けながら重心移動やしゃがんだりするやり方を試してもらったが、最もしっくりきたようだったのは、バレエのrond de jambeのように足裏で床を擦り続けながら脚を自由に動かしてもらうエクササイズ(片手は椅子の背もたれなどを持って身体を支えて可)。

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Santavuori-balettia-kaikille-ronddejambe.png
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Santavuori-balettia-kaikille-ronddejambe.png

←rond de jambe

 

バレエではポワントで擦るが、これを足裏全体をべったりつけて行う。足裏のセンサーを全起動させる。

 

 

 このような動きをすると、脚が股関節からではなく腹の中、あるいは腰の中から始まっているのが分かる→大腰筋が起動する。

 

 ちなみに、「足裏で床を擦る、大腰筋」と検索をかければ必ず何かヒットするはず・・・とやってみたら、下のような記事がヒットした。すり足は能の基本の動きらしい。

 

  https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20130728-OYTEW56573/

 

 

  大腰筋は腸骨筋と合流しし(腸腰筋)、命門あたりから内腿にかけてつく胴体と脚をつなぐ筋肉となる。大腰筋はヒレ肉、とても強力な筋肉だ。大腰筋から脚として使えれば、腰、背中から脚となるので、冒頭のような問題点は解決してしまう。(腸腰筋を使うと内腿を使わざるを得なくなる。使う筋肉の経路が変わってしまう。)

 

 ただ、上のようなエクササイズをして、腰(命門)から脚にする感覚を少し掴めたとしても、それを保持して太極拳の弓歩をするのはそれほど簡単ではない。膝を伸ばして直立姿勢で得られ感覚が、股関節や膝を緩める太極拳の姿勢になった瞬間に失ってしまう例はこれまでにもよく見かけた。(直立姿勢の時よりも会陰を引き上げたり腰を開く(緩める)必要がある。)

 ということで、今日は別の角度から教えてみた。それは、床を擦った時の足裏の感覚を保持したまま弓歩で動いてみること。

 足裏で床を擦った時の足裏は、床には接しているが決して床を踏みしめてはいない。ある意味、床を踏まないように立ち、床を踏みしめないように動く。足裏は砂つぶ一つでも気づく敏感なセンサーのある箇所、床を擦った時の足裏の感覚を保って太極拳の弓歩に移行するのはそれほど難しくない。

 そうすると、身体全体が宇宙遊泳のようになる。

 楊式太極拳は全体を膨らましたまま動くようなスタイルだから、とても合っている感じだ。(陳式だとそのようにもできるが、チャンスーをかけたりして凹凸が出てくることもある。)

 全身を総動員して足裏が床を踏みしめない、踏みにじらないようにする・・・私が夏の頃ずっと試していた土の上で裸足で練習していた時のようになりそうだ。足裏をそのように保つと周身一家になる。するとどこか一点、膝や前腿に乗っかることがない。角がなくなる。

 (ここから先に進むには、この宇宙遊泳状態=気が広がった状態から息を丹田に沈めていって気沈丹田する必要がある。気沈丹田しても身体は沈んでしまわないように気をつける→会陰をさらに引き上げていく必要があるのが分かるはず。)

 

 今日の生徒さんはこのような動きがうまくできたのだが、そこで出たのが冒頭の質問だった。

「足(脚)は杭のようにしなくて良いのでしょうか?」

 タントウ功のトウは杭の意味だが、それは脚を杭にするわけではない。脚が杭になったら動けなくなってしまう。杭になるのは胴体だ。けれども、胴体を杭にするわけではない。胴体を杭にしようとしたら胴体が硬直して広がり(ポン勁)引っ張り合い(撑)がなくなってしまう。

 杭は身体の内側から外側への広がりと内側が外側を引っ張る、二つの相反する力の釣り合いで生まれるものだろう・・・

 このあたりは、先日生徒さんからたまたま聞いた「紐トレ」(随分前に流行ったもののようだが私は全く知らなかった)のからくりと関係ありそうなので、続きはまた次回に。

 

2021/2/4 <松する順番 腰を緩める+股関節を緩める=骨盤が立つ=内転筋が使える>

 

  下半身の使い方に関して、松する順番としては 

①腰を緩める→②股関節を緩める→③膝が緩む→④足首が緩まる→⑤足裏に気が落ちる

 となるのだろうと思うが、これを、①を省いて②から始めようとすると

①’股関節を緩めようとして膝が曲がる→②’足首が締まる

 と二段階で終了。股関節と足首のクッションが効かないから腰や膝に負担がかかりそうだ。

 上の左画像の馮老師は、腰を緩めることによって頭から足裏まで繋げてしまう(緩めた腰の赤弧線はピンクの緩めた腰の弧線は頭頂から繋がっている→目や顎の要領、含胸や沈肩の要領)。

これに対し右画像の二人は腰を緩めていないから股関節が緩まず膝にダイレクトに乗ってしまう(前腿に乗ってしまう)。前腿に乗ると膝と足首にブレーキがかかる。足裏に体重が落ちず大事な足裏のクッションが使えない。

 

 股関節は骨盤と大腿骨で構成されるから、意識は股関節に置くのではなく、股関節より上、骨盤を意識する必要がある。

https://www.kracie.co.jp/kampo/kampofullife/body/?p=5069
https://www.kracie.co.jp/kampo/kampofullife/body/?p=5069

 

 左図で股関節は緑色の丸で囲った場所。寛骨臼と大腿骨頭で作られている。

 もしこの二つの骨の隙間を開けようとするなら、寛骨臼を構成する腸骨のアライメントが変わるから、それに伴いその上の腰のアライメントも変わる必要がある。

 

 関節を緩めるにはその関節を構成する両側の骨に付着する筋を緩めなければならない。(例えば手首をぶらぶらさせようとする時に自分がどのように手首を緩めるのか観察するとそれが分かると思う。片方だけ緩めることはできない。)

もし股関節を緩めようとして、背骨(腰)や骨盤を固定して、大腿骨頭のみの動かしたら・・・これでは股関節を緩めたのではなく、その下の膝関節を曲げる形になってしまう。関節を緩めるには、その関節を構成する上部に位置する骨の方から緩める必要があるのでは?(このあたりは解剖学に詳しい専門家の人がよく知っているはず。)

 

  そして面白いことに、この”腰を緩める””股関節を緩める”を同時に行うと骨盤(仙骨)が立つ

  腰を緩める+股関節を緩める=骨盤(仙骨)が立つ

 

  逆に言うなら、骨盤(仙骨)を伸ばして立てれば腰と股関節は緩んでいる。

 

  骨盤(仙骨)を伸ばして立てる、ということについては今年の1/5から1/14までのメモで考察をしたばかり。

  結論的には、骨盤(仙骨)が伸びて立つというのは、①斂臀+氾臀、もしくは、②内転筋(Vライン)を起動させる、という2つの方向から実現できるということ。

  そして、①の斂臀+氾臀というのが、上の、腰の松(斂臀)+股関節の松(氾臀)ということになりそうだ。

  もし①がわかりにくいなら、②の内転筋から取り組むことも可能だ。

 

 ここで、昨日私がちらっと書いた、「爪先立ちのまましゃがむ」という方法だが、昨日は股関節を緩める感覚(膝を曲げるのではなく膝が緩まる感覚)が分かると思って紹介したのだが、この同じ方法で意識する場所を変えれば、内腿(股間)を使う感覚、あるいは、骨盤を立てる感覚も得ることができるはず。

 

こんな簡単な方法、きっと誰かがブログに書いているはず、と調べたら、美脚を作るエクササイズとして紹介されていました。

 https://news.mynavi.jp/article/20150525-a665/

 

太腿のボリュームを落として脚のスタイルをすっきりさせるのが目的らしい。

つまり、前腿の大腿四頭筋がムキムキにならないよう、内腿を使う、というエクササイズだ。

 

なぜ爪先立ちだと股関節が緩んで内腿が使えるのに、べた足で立つと即座に前腿に力が入ってしまうのか?

足首がフリーだと腰もフリーになる。以前、ビヨンセのbeautiful ladiesの動画を見て、あんな高いハイヒールでよく腰を回しながらしゃがめるなぁ〜、と驚いていたら、一人の生徒さんから、「いや、ハイヒールだからしゃがめるんですよ、平靴だとあんな風にはしゃがめない。」と言われてなるほど〜。師父もその生徒さんと全く同じコメントをしていました。足首フリー、足首を緩める、それは膝に乗っかってしまっては無理。足首を突破しないと足裏にまで体重は落ちない。

←脚からしゃがむ意識なし。腰回してたら胴体杭のように地面に向かって真っ直ぐ落ちていった、そんな感じ。

2021/2/3 <前腿 VS 内腿・ハムストリングス>

 

   昨日一昨日のメモに関して頂いた読者からのコメントの中に中に私もなるほど、と思うような指摘がいくつかありました。(以下 ”・・・”の部分に読者の言葉を使わせてもらいます。)

 

 そのうちの一つが体重移動の際に使っている脚の部位の違い。

 表演タイプの推手(①)の場合は太ももの前側(大腿四頭筋)を使っていて、”膝から突っ込んでいく”感じ。馮老師に比べて体重移動の幅が大きく”行ったり来たりのギッコンバッタン”に見える。

 一方、馮老師の実践型の推手(②)は、内腿を使って体重移動していて体重移動の幅が狭く見える。

 

 一昨日の画像で確認・・・

   

  後ろ足の踵と前足のつま先のラインを引いて水色の人と馮老師を比較しようと思った。

  

 が、馮老師の画像にラインを引いた時に、すでに、あれ?と気づいた。

 馮老師の身体は2本のラインの中にすっぽりと収まっている。

 上段の攻撃(ジー)の時は頭から胸腹、膝まで、身体の前ラインがつま先のラインに近づかないような動きをしている。肩から先の腕を相手に突き刺しても身体はこちらに残っている、そんな体勢だ。これなら相手にリューされても身体を持って行かれない。相手を推しながら身体は既に退いている、そんな風にも見える。

 そして下段の相手のジーを躱す動きでは、手は退いているけど身体は既に前に向かっている。後ろに退いても決して前を譲らない、そんな体勢だ。退いた時でも背中と踵のラインには隙間(余裕)がある。腹は凹ませない。

 

 馮老師を見てから水色の人の動きを見るとその違いがはっきり分かる。

 水色の人の身体(胴体)は2本のラインの端から端まで動いている。

 太ももの前側で動くから前に弓歩になった時にどうしても膝が出てしまう。

 太極拳の要領で、「膝はつま先よりも前に出ない」、というのがあるが、それは前方に体重移動して膝がつま先より前に出そうになるところを膝上の筋肉でぐっと堪えろ! ということではない。大腿四頭筋(太もも前側の筋肉)はブレーキの筋肉、ブレーキをかけながら前に動くのは故障の元だ。

 「膝がつま先よりも前に出ない」の真意は、馮老師のように、内腿、内転筋、ハムストリングスで体重移動しろ、ということだ。内転筋については先月骨盤(仙骨)を立てる考察で登場したが、内転筋を使うということは仙骨を立てる=骨盤を立てる、ことにつながり、それは腸腰筋を起動させ脚と腰、胴体を結びつけることになる。ハムストリングスは背骨に繋がりをもつ。つまり、内転筋やハムストリングスで動けば胴体がもれなく付いてくる、ということで、それらを使って体重移動すれば(歩いたり走ったりすれば)どれだけ歩幅を大きくしても膝がつま先より前に出ることはない。逆に言うなら、体幹と結びつかない前腿を使って歩くと歩幅が狭くても膝がつま先より前に出てしまっている。

 

 前腿で動いてしまう癖は特に私たち日本人に強くて、膝裏に伸びがない。膝は曲がっていても膝裏に伸びがある、膝裏のバネがあるのが正しい脚の使い方だ。それには膝ではなく股関節を起動させなければならないのだが、股関節を起動させるには腰を緩める必要がある。腰が硬直していると相当お尻を突き出さないと(よく見るスクワットのように)股関節が使えない。太極拳のように頭を真っ直ぐ上に向けた状態のままで股関節を緩めようとするなら、まず腰を緩めなければならない。頭頂を維持して腰を固めたまましゃがもうとしたらどんなに頑張っても前腿でしかしゃがめない=股関節は緩められない。 

 股関節を緩める、というのは太極拳の基本の基本で起式でそれを学ぶのだが、前腿、膝に乗ってしまう癖をとるのがなかなか難しい。感覚がとれなければ、一度爪先立ちのまましゃがんでみると股関節が屈曲してしゃがむ感覚=ハムストリングスや内腿を使う感覚が分かると思う(テーブルなどに手をついてやってみるのがおすすめ)。べた足で股関節を緩めてしゃがむのは案外難しい。爪先立ちで感覚を掴んだら、徐々に踵を下げていって、同じように股関節を使ってしゃがむ練習をする。うまくできれば、土踏まずが上がる、とか、股間が開くとか、腹の力が必要だとか、骨盤が伸びる必要があるとか、太極拳で必要となる様々な要領がそれに連動して分かるはずだ。

  

 馮老師は太極拳でまず行うのは、腰を緩めること、と言っているが、腰を緩めないと股関節も緩まない。股関節が緩まないと内腿やハムストリングスが使えないから、体幹が使えず、丹田も作れない。そこからどれだけ套路の練習をしても体操の域から出られず、太極拳の醍醐味を味わうことができない。

 このあたりは生徒さんと一緒に丁寧に実技を通して導く必要のあるところ。ここが押さえられればその後はとてもスムーズに進む。間違えると、やり込めばやりこむほど道が遠ざかる。

2021/2/2 <二つのタイプの推手>

 

  今日は師父に昨日のメモの推手の画像を見せて、私の理解が間違っていないかを確認をした。

 まず私が師父に、「私にやらせようとしているのはこの馮老師の推し方、腕の”撑”ですね?」 と聞いたら、「そうだ。その通りだ。」と答えて、「ほら、馮老師もこうやっているだろう。これが正しい。」と言った。それから私が、「この推手は?」と水色と白色の服の二人の推手のGIF画像を見せたら、苦笑して、「これは良くない。まったく松していない。こういうのを”假松”(偽の松)と言う。」と言った。私が、「これは身体が真っ直ぐだけれども中正が取れていないからすぐに引っ張られてしまうし推されてしまいますね?」と確認をしたら、「その通りだ。良く分かっているじゃないか。こうやって比較して学ぶのはとても良いことだ。」と言ってくれた。頭を使わずにただ言われた通りやることも必要だけれども、その一方で、果たして自分は何を学んでいるのか、どこに進んでいるのかを確認するには頭を使った作業も必要だと思う。

 

 

 師父の機嫌が良かったので、その流れで、二つの推手がどのように違うのかやってもらいました。師父は馮老師のようにしか推手はしないので、表演会タイプのものはちょっと無理やりやらせた感がありますが(苦笑)

 

 内功の双手揉球功は球を大きくしていけば推手の動きになる。

 やり方は2つ。

 まず練習するのは、下の動画で師父が初めに回数をカウントしながらやっているような、腕の回転とクワの回転が同時である”順”タイプ。

 これができるようになったら、腕の回転とクワの回転をずらしていく。(後半に師父がやっているもの)

 回転をずらすには丹田の内気がある程度以上必要・・・

 

 表演タイプの推手は前半の双手揉球功の動き方がベース(丹田、腹のスペースがなくてもできる動き)で、馮老師や師父のような実践型推手は後半の双手揉球功の動きがベースになっている(丹田、腹のスペースが一定以上必要)。

 動画を見て師父の動きを真似してみると分かると思うのだけど、後半の動きは見た目以上にやってみるとややこしい・・・見た目簡単でも実は簡単ではないのには理由があります。

 動画に字幕はつけていませんが、師父の動作を見ながら、今師父がどちらの動きをやっているのか分かるかしら?

 

 この動き方についてはまた後日整理するかなぁ。

2021/2/1 <推手 腕の撑に戸惑う>

 

 今日から師父との推手の練習が始まった。

 最初は単推手から。腕ではなく身体の力で推すことができるようにと身体をかなり接近させて右左100回ずつ。推し切った時に手のひらと肩を撑(引っ張り合いさせる)させるように注意される。肩から手までの距離を最大限に引き伸ばして推し切るということだが、なかなかうまくできない私の肩と腕の隙間(たすき掛けのひもが当たる場所)に手を差し込んでくる「ここを松して引き離せ!」と言う。それは突っ張って推し切りながら、同時に中正を保つために必要なことで、教則本型のお決まり単推手とは違っている。

 (どう違うのか画像を見ながら頭の整理・・・)

 上が国家に制定された太極拳の典型的な推手。下は民間派と呼ばれる本来の太極拳の推手。

 うちの主人に二つを見せて何が違う?と聞いたら、下は武術で上はおままごと、上は体重移動の幅が大きくて膝に乗っているが下(の馮老師)は膝に乗っていない(足に乗っている)、と答えた。

 上は推手の外形の練習だからか力が感じられないのは仕方ないのかもしれない。けれども伝統的な推手の練習は内外双修で内があっての外形、内がない外はない。内側の丹田の重さ、沈みが体重移動、腕の重さになって現れてくる。

 

 推手では放松による腕の重みが決定的に重要になる。

 二人が手を合わせた時に(搭手)、腕の重さで功夫の差(実力の差)がはっきり感じられてしまう。相手の腕の方が自分の腕より重ければ、もうこちらに勝ち目はない。推手をすればするほどこちらの腕に相手の腕がのしかかってきて辛くて仕方なくなる。下段の馮老師とお弟子さんの実力の差は歴然としていて、それは重さとブレで見て取れる。

 

 また、今日師父に注意された腕の”撑”(肩から手までを引き伸ばすこと)は下段右の馮老師の右肩からぐいっと伸びていく腕に現れている。これを瞬間的にやれば発勁になる。

 上段の推手では腕が伸び切る前に膝につかえてしまうから腕が伸び切る瞬間がない。発勁の可能性がない。馮老師が言うように体重移動を腰で行わず脚で行うとこのような結果になる。

 馮老師の体重移動は他の人たちよりも小さく見えるのは体重移動を腰で行なっているから。その結果、他の人たちより重心が高く(身体が落ちていない)見える。丹田を沈ませることでかえって丹田に浮力が与えられたようだ。そしてこれが中正を保った重心移動なのだ。

 

 上段の推手は二人とも胴体は真っ直ぐだが、推し切った時、後ろに引いた時に中正を失っている。↓下の写真の比較を参照

 どちらも推し切った瞬間。違いを図示したつもり。

 ジー(前に推す)した時は相手に手をとられてリューをされる可能性が常にあるのだが、右のようにジーをすると簡単にリューで身体をもっていかれてしまう(腰の隙間、腹の隙間=丹田を作っていないので脚が股関節から出発している。脚を短く作っているから膝で力がぶつかる。)
 一方、左の馮老師のようにジーをすると相手がリューをしても身体はもっていかれない(背中や腰、肩を後ろに引いている→頭も含めて胴体が弓状になっている、丹田=腹圧もくずれない=腹がすっこぬけない、体重移動は丹田内。)

 

 後ろに引いた時も同様の違いがある

 左はこのままジーで本当に推されたら後ろに倒れてしまうだろう。身体を回転しきれない(胴体が後ろに行き過ぎている、背水の陣?)。

 馮老師はというと、身体はまだ後方に余裕がある。この位置で身体を回転して攻撃に転じることができる。しかも、相手の腕が撑するよりも前に切り返すので相手は常に不完全燃焼、タイミングを完全に持っていかれる。

 

 線を書き込みながら確認できたのは、違いはやはり丹田をしっかり作っているか否か。丹田がないと脚の付け根の位置が低くなり不必要に脚や膝に負担をかける。紫の線で書いた円裆が作れるのも丹田があってのこと。腹側と背中側が一つの球の中に入っているから腕の撑も可能になる。

 ・・・が、自分が実際に師父と推手をやっていると師父の力に推されて胸のあたりを守るのが精一杯、身体の中に奥行きをとれなくなる。

 

 が、なんとなく撑のイメージができたので、明日再び挑戦してみよう・・・

2021/1/31 脱臼しやすい肩関節 腕と胴体をしっかり繋ぐ 脇を締める 沈肩+墜肘

 

 肩関節は、それが私たちの自由自在に動く”手”に繋がることもあって、進化の過程で関節の安定性よりもに可動域に重きを置くような構造になったという。身体にある関節の中で最も脱臼しやすいのはそんな構造にあるそうだ。(http://www.hitsujigaoka.com/shoulder/dislocation/)

 

 私たちの腕は普段とてもゆるく肩関節に付いているような状態だ。だから、もし手を差し出して握手をしている最中に急に相手が自分の手を引っ張ったら(リューされたら)・・・あっ!と腕を引っ張られて肩関節から抜けそうな体勢になる。身体(胴体)はこちらに残って、腕から先が向こうに引っ張られたような形だ。

 では、もし相手をキックしようと右脚を上げたところをその足をとられて引っ張られたら?(提収のシーン)

 きっと、おっとっと、と左足でけんけんしながら身体は相手の方に近づいていかざるを得ないだろう。(提収だとここで相手に両手でドスンを胸を推されて尻餅をつく羽目になる。)

 

 伸ばした腕を引っ張られた時はとっさに胴体は引かれまいとして胴体と腕が引き離されたようになる。これに対し、伸ばした脚を引っ張られた時は胴体も一緒に引っ張られてしまう。脚と胴体の間には引き離れる隙間が存在しないかのようだ。

 これから分かるのは、肩関節は股関節に比べて外れやすい、関節としてはとても緩い構造をしているということ。

 しかし、肩関節は骨と骨のアライメントという点において不安定な構造をしているが、その周りの靭帯や筋肉の働きで安定性を増すことができる。だから、私たちは「ここは気合いをいれて(腕を使う)!」という時は、無意識に脇を締めるのだ。

 

 脇を締めるシーンはとても多い。走る時はもちろん、ラケット競技でも水泳のストロークでも気を登るのでも、そろばんもそうだったし、パソコンでも気合いをいれて速打ちするなら脇は締めているだろう。

 脇を締める、というのは別に脇を胴体に密着させることではなく、それによって腋下に深さと広がりが出て、体側がキュッと立ち上がるようなものだ。これをすると息が丹田に落ちるし肩も下がる(胸ではなく腹で咳をしようとすると同じような状態になりそう→腹で咳をするのは息を腹まで吐いて腹圧を高める練習として有効)。

 そして脇を締めるとそれまで存在感のなかった肘が突如ニョッと顔を出す。それは腕をまっすぐ下に垂らした状態で脇を締めるとよく分かる。最初は真っ直ぐで目立たなかった肘の後ろの肘頭が脇を締めると角度がついてこっそり肘鉄をやっているような風になる(満員電車の中で後ろの人にこんな微妙な肘鉄(肘のアン?)をやり続けたら相手をとても嫌な気にさせるだろう・・・)。

 

 こんな肩や肘の状態が「沈肩+墜肘」で、一体その時、肩や背中や腕、いや、全身の筋肉や骨は解剖学的にどんな状態になっているのだろう?というのがここ数日の私の疑問。

 バレエで「肘が下がってはいけない」というのと、太極拳で「墜肘」というのは文字で見れば真反対のようだけれども、腕を胴体と一体化させる、腕が身体を引き上げ脚の動きを助けることができる、という効果の点では全く同じだ。「墜肘」は決して「肘を下げる」ということではないのは明らか。

 私のこれまでの「沈肩+墜肘」のイメージは普段の師父や以前見た馮老師に共通した姿で、普通に立っている時に横からみると上腕が体側(胸郭)よりも後ろに垂れていて腕自体はぶらぶらしている。けれど、いつでもどの方向にでも肘鉄(肘技)を繰り出せそうな姿勢・・・だから後ろから不意打ちできない雰囲気だ。街行く人々の歩く時の姿はただ腕が適当にぶらぶらしているだけで、肘打ちが即座にできそうな人は見たことがない。

 また、冒頭に設定した、急に伸ばした腕を引っ張られるシーンにおいて、師父などは、腕とともにそのまま胴体が相手に寄って行ってそのまま相手に肘技か肩技をくらわすことになる(腕をリューされた時の典型的な防御→攻撃の仕方)。つまり、腕と胴体がしっかり密着していて、肩関節が股関節のようになっているということだ。

 

 脇を締める、というのは特に剣道をイメージするとわかりやすいかと思うが、同じようなことを太極拳の「沈肩+墜肘」でやっている。その効果は、腕が胴体としっかり密着する、ということ、その結果、最終的には足裏の力が手先まで繋がる、節節貫通となる、ということだ。

 では、その「沈肩+墜肘」をどうやって作り上げるのか?

 生徒さんたちに教える際になにか一発で分かる秘訣みたいなものはないのかしら? といろいろ調べてはいたのだけど・・・

 最終的には気が満ちれば自ずからそうなる、松→松沈の延長線上に「墜肘」がある、というのが今日の師父の回答でした。

 

 ・・・けど、これじゃあ禅問答みたいだ。

 自分自身の感覚としても身体の内気がある程度ないとそうならない(身体のポン、膨らみが必要)ということは分かるけれど、なぜ内気が必要になるのか、というところを生徒さんが理解できるところまで(「ああ、ここで内気が必要になるんだ、けど、今はその内気が達さないからその状態にならないのだ」、と類推で分かるところまで)導けないものなのだろうか? 

 沈肩にしても墜肘にしても、息がそこを通らなければならない。外から肩を沈めたり、肘を墜落させても”それ”にはならない。やはり呼吸は決定的だ。

 

 肘の話をしていたら次第に師父が調子付いていろんな肘技を私にかけだした。久しぶりの技の話で面白く、それらを教えてほしい、と言ったら、それらは通常、推手の展開で練習するようなものだという。結局、沈肩や墜肘は、推手をすれば自分ができているかどうか、自分の甘さも痛感できるし修正もできる。一人で套路だけ練習していても本当にできているのかどうかはなかなか分からない。「身体は接触させて初めて学べる、当たり前だろ!」 「前肩カオと後肩カオでは相手に与えるダメージが全く違うというのも、自分で木を相手にカオを練習して分かったことだ。」・・・話はだんだんズレていった(苦笑)

 

 最終的には推手で相手と接触してお互いに相手の、そして自分の力(勁)を知ることが必要。これで太極拳の練習は客観性をもつものになる。でないと、抽象的な観念論のようなものになりかねない。師父といる間に練習すべき課題がはっきりしたようだ。日本に戻ったら生徒さんたちに教えて皆で推手で遊べる(遊びながら学ぶ)くらいにはなりたいもの。その頃にはコロナ騒ぎまも収束してる、はず。

 

 

 

 

2021/1/29

 

 横浜の自宅は空き家にならないよう、娘の彼氏が愛猫と一緒に住んでくれている。

 以前私がピアノを弾いたことのない彼に、「たまにはピアノを弾いてあげてね。ピアノは放っておくと狂うし傷むみたいだから。」と冗談のつもりで言ったのを真に受けたのだろうか? 今日彼は自分がピアノを弾く動画を撮って送ってきてくれた。

 弾いているのはドビュッシーの月の光。娘が大好きで一生懸命練習していた曲。が、何個も♭があって楽譜を読むのに苦戦していた。結局転調するところでギブアップ、続きは私が弾いてあげていた。

 彼氏はピアノは弾いたことがない。けど、耳で曲を知っている。楽譜もどうにか読める。大学もオンライン授業でほとんど家にいるから時間もあったのかな? 頑張って出だしの9小節を何度も繰り返し練習したらしい。

 

 動画を見てびっくり。これまでたくさんのピアニストの演奏を聞いてきたが、彼のような本当の初心者の演奏にはピアニストにない純粋な気持ちがにじみ出ていた。心の中には歌がある。心の中にあるものをそのままピアノで表現したい。けれども指はそこまで器用じゃない。下手すると間違えた鍵盤を押してしまう。間違えないように意識を最大限に集中させる。心(感覚)と頭(意識)のハーモニーが見て取れる。とても新鮮♪ 忘れかけていたものを思い出させてくれた。

 

 訓練を繰り返して技術に長けてくると、無意識で身体を操れるようになる。鍵盤を弾くのも、キーボードを叩くのも、車を運転するのも、そして太極拳の套路をするのも、半ば機械的に身体が勝動いてくれるようになって、それをしながら別のことを考えることもできてしまう。意識が100パーセントでなくなる。

 ピアニストになってしまえば上の月の光は技術的には簡単な曲。そうなると、そこに余計な感情や表現が盛り込まれて、時には大げさな身振り手振り、悲痛な顔の表情までセットになってくる。酔った状態だ。

 酔うと(陶酔すると)意識は減る。意識が100パーセントだと酔えない。

 個人的には人が陶酔する姿を見ても美しいと思えないので、できるなら”意識型”の表現、意識を拡大してくれるの表現に触れたいと思っている。それに触れることによって目が開く、目がはっきりするようなものだ(陶酔すると目が奥に行って眠りに落ちるとか夢の中にはいっていくような感じになる)。

 ミケランジェリとかホロヴィッツ、そして指揮者のムラヴィンスキーが大好きなのは決して陶酔しないから。常に意識100パーセント。私自身ピアノを弾いたり套路をしていて時々気づくのは、今、ここに集中しているつもりなのに、時折フラッシュバックのように別のことが頭に浮かんでいるということ。馮老師も含め、どの分野でも巨匠と呼ばれる人たちはそんな隙間がない、意識で照らされ続けているはず。

 

 もっとも、そもそも武術や武道の場合は隙のない意識を目指すもの(陶酔していたら討たれてしまう)。道のつくもの、茶道や合気道や柔道・・・はどれも”意識を開く”道。 芸術の場合は陶酔型もあるし意識型もある。テクニックが難しいと陶酔してられないから意識的になる。テクニックが簡単だと陶酔できやすい。私がいつも自分の実力より上のテクニックが必要な曲ばかり選んで練習しようとしていたのはその方が集中し続けやすいからだったからなのかなぁ?

 

 今日の娘の彼氏の動画は、陶酔せずに心の中のものを”そのまま”出してくる(表現、という言葉自体がすでに態とらしく感じてしまう)、という大事なことを思い出させてくれた。内側のものをそのまま外に出すには内側と外側を結ぶ通路が開通していなければならない。彼の場合は、心の中のものが手首まで達して来ているのだが、その先の掌や指が開発されていないから思ったようには指先に達していない。けれど、彼の思いは十分感じ取れるし、しかも、その不自由さがとても感動的なのだ。不自由さの中に意を感じるからだと思うが、それは、私自身が練習している左手だけのシャコンヌと同じだろう。

 

 と、娘の彼氏の月の光を聞いたらホロヴィッツのトロイメライが聞きたくなりました。テクニック的に全く問題のない人が意識で弾く演奏。1986年モスクワ、60年ぶりの祖国。気沈丹田で静功をしているようなホロヴィッツの姿、そしてそれを食いいるように見る観客、涙を流す男性・・・普通のコンサートとは雰囲気が違います。(以前ロシアで演奏会に行った時にも感じたのは、ロシア人の観客はただ楽しみのために鑑賞する、という感じではなかった。もっと切迫感のある、それをどうしても必要としている、そんな感じがありました。戦時中は音楽がとても大事だったというから・・・?)

 ともあれ、巨匠83歳、亡くなる3年前の演奏。シンプルに戻っていく・・・ある年齢を越えたら初心に戻っていく・・・彼氏の月の光でホロヴィッツのトロイメライを思い出したのはそのせいかもしれない。


 ん?息はどうなってるだろ? まあいいか(苦笑)

 

 

2021/1/27 <息を止めない 秘伝か?>

 

  呼吸についていろいろ質問したこともあって、今日は隣で師父が「吸」「吐 」の号令をかけながら一緒に24式をやることになった。

 

 起式のポンはやはり「吸」。実践の技ならポンは「吐」だけれども24式ではそのままジーに続くので、ジーを技とみなして「吐」。ポンとジーの連続技なら「吐」「吐」。だけど通常套路をそうやってやる人はいない。

 第三式懒扎衣の定式に向かう右手の左から右への弧を描いた動きは「吐」。定式(最後のポーズ)で吐いた気が丹田に落ち着いて(気沈丹田)、それから第四式へと向かうその瞬間に「吐完(吐き切る)」とともに放松が入る。 そうしたら次は当然「吸」、丹田を回すところは「蓄気」、そして西へジーの時は「吐」。そして次の動作に向かう瞬間に「吐完」(放松)。

 至る所で、吸→蓄気→吐→吐完(吐き終わる、吐き下ろす)→吸→・・・・ の流れになっているのが分かる。

 師父と呼吸が反対だったのが「蹲」(しゃがむ)の時。私は最近はもっぱら吐いてしゃがんでいたが、師父は「吸」だった。

 「吐」でしゃがむ(身体を降ろす)と一気にしゃがめるが、立ち上がって来る時に吸わざるを得ず動きがそこで分断される。しゃがんで立ち上がるまでを一つの動作としてつなげるなら「吸」でやる必要がある。吸えばその後しばらく腹に「蓄気」して気を運用することができる。吸いながらしゃがむと、立ち上がる時は腹の気が身体をぐっとプッシュしてくれる。これが「蓄気」の作用だ。尤も「吸」の時に腹まで吸えているのが前提となる。

 

 「蓄気」には 「腹に吸」えなければならないし、腹に吸うには、「吐完」=吐き終える、吐き降ろす、吐き切ることが必要になる。 「吐完」にはその前段階の「吐」が必要で、この構図はやはりあの「デルデル呼吸」の2段吐きと同じになる。

  吐→吐完→吸→蓄気

 という順番に並べた方がよいかもしれない。

 意識的に吐かないと腹の呼吸筋が作動しないということに関係すると思うが、私は自分が「吐いているのか」、それとも「吐き終えようとしているのか」を注意して見た方が良いと思った。「吐いている」だけでは腹まで達していないことが多く、次の「吐き終えようとする」時にギュッと腹圧がかかって腹に気が落ちるのが分かるからだ。もしくは、昨日のメモの最後に追記で載せた画像の馮老師の口のようにして細く長く吐くか・・・・ただ、あの画像を師父に見せたら、あの口は静功の時の呼吸だ、と言っていた。静功の時の呼吸を套路や推手の時にも行なえるのは理想的だと思うが、それは非常にレベルの高いこと。

 

 一連の観察を通じて思い知ったのは、自分がいかに息を止めることが多いかということ。それは太極拳の練習の時よりも普段の生活時に甚だしい・・・・が、私だけかな?と思って周囲を見てみると、息を吐ききっている人など小さな子供以外はほとんど見当たらない。街でせかせか歩く人たちは皆胸のあたりに息を詰めているし、メトロの中だって腹まで息を入れている人は見当たらない。優雅に歌を歌ったり楽しく口笛を吹きながら料理でもすれば腹で息ができそうだが、そんな余裕がなくてせかせかしているとやはり息は詰まっている。

 

 デルデル呼吸を試した生徒さんから、「初めはあまりうまくいかなかったけどけ2回目はアレ?って思うほどうまくいきました。何故今まで息止めてたんですかね?」というコメントをもらった。

 

 「何故今まで息止めていたんですかね?」

 

 彼女のその一言があまりにも絶妙で頭の中で何度も反芻してしまった。

 ほんと、何でだろう?・・・

 

 その後彼女が「犬や猫はどうなんですかね?」と聞いてきたからうちの犬や猫の排泄を見てみたら、やっぱり息んでるように見える。2段吐きしてるとも思えない。 犬が唸っている時は息を堪えている。動物たちも少しでも緊張していると息は通顺(通りの良いこと)ではなさそうだ。野生の動物も常に危険に晒されている。としたらやはり息を堪えたり息を止めることもよくあるだろう。

 

 としたら、「息を止めない」という練習は実は簡単そうでとても難しい、動物の性に反する、あるいは超えることをしようとしているのかもしれない。「深呼吸」なんて使い古された言葉で何の新鮮味も感じないけれど、実態は”秘伝”そのものなのかも?

 

 あまりにもシンプルで私達が見落としてしまいがちなところに”秘伝”ともいえるものが隠れている・・・公に大公開されているから却って見落とされてしまう。

 

 呼吸を調えて、息を乱さずに生きられるようになったら、もう覚者だ!

 

<追記>

 デルデル呼吸の2段吐きについての考察

 

 なぜ一回で吐き切らないかというと、一回で吐くと胸→腹→骨盤底筋 の胸→腹 までしか吐けないから。吐いて、さらに吐くと腹の筋肉が動いて骨盤底筋まで起動する。

 

 吐くと「松」する。

 デルデル呼吸では「吐くと緩むから出口も緩む」と言うが、吐いて緩む(松する)には、ほっとした時のように舌を下げておく必要がある。

 が、(排泄時を含め)腹圧を高めようとする時は、舌は上顎の方に上がっている(下げると空気が抜けて腹圧が高まらない)。舌を上に上げたまま吐いて腹圧を高めると骨盤底筋がギュッと収縮して持ち上がる。こうなると出口は閉まる。通常は身体の7つの穴はどれも閉めておくからこの状態が正しいのだが、排便の時はその出口を開く必要がある。

 

 

 デルデル呼吸では1回目に吐いたあと、続けて吐いて横隔膜、多裂筋、腹横筋、を収縮させながら底辺の骨盤底筋にある出口(肛門)は緩めてしまう→左の図

 

確かに、歯磨き粉のチューブは蓋を外して絞るからペーストが外に出てくる。蓋をしたまま絞ったらいつまでたっても出てこない(当たり前)。

 

 これがデルデル呼吸の素晴らしさは、吐く息を二段階にすることでしっかり吐きながら腹の円柱の上(横隔膜)と横(腹横筋・多裂筋)で腹を絞って腹圧を高めるかのように見せかけて下の出口(肛門)から抜いてしまう、そんな技の妙。

 

 面白いのは、出口を緩めるには舌を少しずつ下げていく必要がある。舌を上げたままでは緩まない。

 

 原則として吐くと横隔膜と骨盤底筋は上がるのだが、この2段吐きの際に緩めたのは肛門。骨盤底筋が上がったまま肛門を緩めているのか? そのあたりははっきり見極められていない。にしても、舌と骨盤底筋は絶対にリンクしている・・・

  もしや?と思って、「骨盤底筋と舌」と検索したら案の定、いくつかのサイトがヒットしました。尿漏れと舌の位置の関係、あっかんべーで舌で骨盤底筋を引っ張り上げる、など。

 https://mainichigahakken.net/health/article/40-3-1.php

 https://ameblo.jp/karada-link/entry-12600472311.html

 

 ふ〜む、私達の生理的な身体の運動は太極拳の動作よりも解読するのが難しそうだ・・・。

2021/1/26 <動きながら自分の呼吸を観察して気づいたこと>

 

  今日は師父と一緒に套路をしながら自分の呼吸を観察してみた。

 吸って吐いて、というのは今までも注意してやったことがある。しかし、どの程度吐いているのか、どこまで吸っているのか、そしてどのくらい溜めているのか、という細かいところまでは意識して套路したことはなかった。

 

 やってみて気づいたのは、吐くのが中途半端。吐いた途中、丹田に届く前に息を止めてしまっていることもあって、あれ?これはまずいだろう?、と、途中から意識的に丹田まで丁寧に吐くようにした。丁寧に吐くと唇の形がいつもと変わって、套路をしながら、こんな口の形をどこかで見たなぁ? と馮老師の動画の一場面が頭に浮かびそうになったが、とりあえず呼吸を見守り続けなければ、と観察を続けた(→翌朝ざっと調べて出てきた画像は追記へ)。当たり前のことだが、呼吸は鼻から腹底の間をエレベーターのように上下するだけ。手の方に流れたりはしない。では、これまで手足に流れていると思ったものは何なのか? そんな疑問も湧いたがあとで師父に聞こうとそのまま套路を続けた。

 知りたくなったのは、自分が無意識に息を止めるのはどのような時なのか?ということ。しゃがんだ時に息を止めるのではないかと思ったけど、実際にはうまく息を吐きながら繋いでいた。では、ジャンプする時は? と二起脚で見てみようと心に決めて、二起脚にさしかかって右足を踏んで左足を上げた時、瞬時に、「以前だったらこの瞬間息を堪えて(止めて)いたなぁ。だから跳んだ瞬間に自分の上げた左足をしっかり目で目撃できなかったのだなぁ。」と感じた。怖い時に目を瞑ってしまう、そんな時は当然息も止めてしまっている。自分の動き全てを目撃する(意識的に行う)には呼吸は止めてはいけない、ということなのだ・・・発勁できる箇所で発勁しない時もそうなのか?とまた疑問が湧いた。

 

 套路の練習が全て終わって、忘れないうちに、と師父に呼吸に関して疑問点を尋ねた。そしたら師父は開口一番、「あなたは発勁の吐く時の『哈 ha』ができていない。『哼 heng』に近くなっている。舌をちゃんと下げて『ha』と言って丹田に気を落とさなければならない。」と言った。そう、発勁の時は舌貼上顎ではない。これも中途半端だった。

 そして呼吸は止めてはいけないことも確認した。太極拳の呼吸は一般的に、吸気→蓄気→呼気→吐き切る、の4ステップで行われるが、息を止めることと『蓄気』は別物だ。吸って息を止めると胸に息が溜まって『憋气』(息苦しい感じ)になるが、『蓄気』の場合は吸った息が腹に入って腹で息が気に転換していく。

 最後の「吐き切る」がなぜ必要なのか?といえば、腹を使って呼吸をしている場合、「吐いた」後、そのまま「吸う」ことはできないからだ。「吐く」から「吸う」に転換する間に必ず「さらに吐く」という感じの息(=吐き切る)が必要になる(今日の套路でも確認した。) あら〜、ここでも二段階で吐いていた・・・・デルデル呼吸と同じだ・・・

 私たちの通常の呼吸なら吸って吐いて、吐いて吸って、の繰り返しだが、腹を使って内気をつくりだしながら呼吸をするなら、上記のように 吸って→蓄めて→吐いて→吐き切る、になる。吐き切ることで骨盤底筋を作動させるから、そのあと吸う時は会陰を使って吸うようになる。蓄気には骨盤底筋の働きが不可欠なのがここでも分かる。

 そういうことで、気を溜める、気を煉る練習をする前提として、まず、「吐き切る」ことができるようになる必要がある。口笛を吹くように長く細く吐いていけばうまくいくと思う。静止状態でできるようになっても、私のように、套路の時にその息を忘れてしまっていることもある。日常生活でも (ん? 今、パソコンを打っている最中も)ちゃんと吐き切ることができていたら、ストレスはほとんどゼロなのでは?なぜなら、吐き切ると頭の中、身体の中がすっからかんになるのだから、考え事をしてる時は吐ききれないだろう・・・吐き切ることは私の新たな課題になりました。

 

 今日の呼吸を観察する練習を通じて知ったのは、呼吸をregulate、調整する大事さ。中国語では『勻』という感じを使う。それには唇のコントロールが必要ではないかなぁ〜・・・口笛を吹くのも唇のコントロールが必要。管楽器を吹く人ならよく知っている話だろう・・・そのうちもう少し深掘りすることになりそう。

 

 呼吸のコントロールができるためには貯水池ならむ貯気池が必要。今日師父は、発勁で『ha』と息を外に出してしまうにしても、3回くらいは連続で発勁できるだけの気は丹田に溜めている、と言っていた。私は一回発勁したら息を吸わないと再度発勁できないなぁ。

 呼吸が乱れない、コントロールが効いている、ということは、丹田の貯気池にいっぱい気が溜まっている証拠。呼吸がコントロールできるということは意識が目覚めているということ。呼吸を見守ってコントロールする練習は日常生活でできるものだが、それは身体を名一杯動かす練習よりも骨が折れる。体力をつけ運動能力を高める練習とは次元の違う練習に入っていく。動きながらの瞑想になる。

 

 

追記

←例えばこんな口唇

2021/1/25 <まず吐いてから溜める 臍と気海と関元の距離は思った以上に大きい>

 

   息を吐き切る、といってもその感覚には個人差がある。

 

 太極拳の基本功となるタントウ功ではまず第一段階として、(全身放松して)足裏まで気を落とすことから始めるが、この<足裏まで気を落とす>というのは<足裏まで吐ける>ということで、それは<息を股関節、関元穴まで吐き切る>ということとほぼ同じになる。

 足裏まで気を落とす、というタントウ功の第一段階では意識的に会陰を上げようとはしない。というのは特に男性に多いことだが、会陰を上げろと指示された瞬間に上半身に力が入ってしまうからだ。上半身の力が抜けて下半身が重くなる。身体は泥、あるいは液体のように重くなったように感じることもある。両足がべったり地面に貼り付いたらこの第一段階目はクリアする。

 

 第二段階でやっと丹田に気を溜め始める。

 ここで会陰を引き上げると連動して足裏の土踏まずも持ち上がる(土踏まずを持ち上げて会陰を引き上げても良い)。

 ここから下半身の気の流れが足裏→丹田、下→上となる。上半身の気の流れは相変わらず上→下。丹田が上半身、下半身の気の合流点となる。

 第三段階以降は、溜まった気を練り丹田の気の量を積極的に増やしたり、意を用いて導くようになる(行気)。

 

 初心者は第一段階をクリアするのに何週間か数ヶ月かかるかもしれないけれど、一旦クリアすれば、それまで60分かかって足裏に気が落ちていたところが40分に短縮、そして30分へ・・・と練習毎に第一段階をクリアする時間が短縮されていく。

 もしタントウ功に1時間時間を割けるとしたら、一段階目をクリアするのに必要な時間が短縮されればされるほど、第二段階の気を溜める時間が増えることになる。

 築基功としてタントウ功をやっていた頃は、師父から1時間から1時間半タントウ功をするように指示されていたが、決めた時間が来て収功しようとすると師父がやってきて、あと10分延長しろ、と言うこともしばしばあった。それは、「せっかく長い時間をかけて第一段階をクリアしてやっと第二段階の気を溜め始めるようになったのに、今やめてしまってはもったいない。」という考えに基づいていた。

 

 熟練してさっと足裏に気を落とせるようになれば、すぐに気を溜め始められる。

 

 自分で足裏に気が落ちたのかどうか、最初はわからないこともある。指導者が「足裏に気が落ちましたね。」と言ってくれれば、自分で、「ああ、このような状態のことを”足裏に気が落ちた”と言うのだ。」と認識が可能で、脳で認識し記憶できれば次回同じような状態になった時にこれがそれなのだ、と再認識し、そのうち自分でその状態を再現できるようになる。しかし独りで練習していると客観的な認識を得られないので自分勝手な判断をしてしまうこともある。

 一つの判断方法として言えるのは、自分の呼吸を観察した時に、息が細く深く、ヘソ下指4本分あたりにある関元穴のあたりまで届いていれば足裏まで気が落ちているはずだ。

http://www.aimy-ss.jp/NINMYAKU.html
http://www.aimy-ss.jp/NINMYAKU.html

 

 関元穴は子宮の位置、そしてほほ股関節の高さに位置する。

 以前のブログで書いたと思うが、股関節と踵は直結する(カエルの図を載せた)。

練習で何度も感じてきたことだが、気(息)を股関節に吹き込めば簡単にしゃがむことができる。股関節=踵へとワープする。

が、問題は、股関節まで息を吐き込むには、私自身の感覚で言えば、”勇気がいる”のだ。

套路の中でしゃがむ時(低姿勢になる時)に、思い切りや勇気がなくておどおどしていしまうと、息が上の方に残ってしまってしゃがんだ瞬間に”しまった!”と太ももや膝に乗っかってしまう。股関節を曲げてしゃがむべきところが膝を曲げてしゃがんでしまうのだ。

 使いたいその箇所に息を届けられるか?

身体の使い勝手はそれで決まってしまうのではないかと思ったりする。

 話の流れでついでに書くが、任脈のヘソ(神闕穴)の少し下にある気海穴は最も気が溜まっている場所だ。腹に力を入れるとぐっと盛り上がるのはこの気海穴(だから気の海)。

 第二段階目で丹田に気を溜める時は通常この気海穴を起点にする。ヘソのツボとはそれほど離れていないけれども、ヘソまで気が満ちてヘソを前後に動かせるようになるには女性の場合はかなり時間がかかると思う(体験上)。男性の場合はそれほど難しくないかもしれない。

 逆に、男性の場合は上の関元穴を膨らます(息を届ける)方が難しいかもしれない。

 

 いずれにしろ、これら任脈上のお腹のツボは距離的にそれほど離れていないのだけど、息を届けるとなるとかなりの距離がある。

 

  どれだけツボを内側から意識的に使えるようになるか、それは自分の身体をどれだけ細かく操作できるようになるか、ということ。脳での認識と身体の感覚を一致させながら少しずつ開拓していく。タントウ功は無闇矢鱈に身体を動かさずに身体を内側から開発していく・・・神経とエネルギーの流れを使った極めて現代的なテクニックのようにも思える。

 

  先週のズームレッスンでは腹圧をかけるエクササイズを皆に試してもらったのだが、腹圧をかけるのは太極拳の練習なら気を煉る時。気をある程度溜めた後の話だ。

  太極拳では常時パンパンに腹圧をかけて動くわけではなく、いろんなかけ具合をしながら動いていくのだが、注意しなければならないのは、高血圧や心臓、肺の疾患がある人はまず吐く練習をするということ。吐き抜けないのに腹圧をかけるのは危険だ。留学中の若い頃、ホームステイ先で便秘になったのだが、それでも出されたものを食べなければと頑張って食べていたら顔が真っ赤に火照ったことがあった。それを見たそこの奥さんが漢方のような下剤をくれてそれですぐに治ったのだが、下が詰まっているのに上から物を詰め込むと上から溢れ出る・・・パイプが詰まっているのに水を注ぎ続けたら溢れてしまう・・・身体も同じ仕組みだ。

 まずは上から下の流れをよくして開通させてから、その中で少し堰き止めてみたり溜めてみたり動かしたりする。

 流れをよくするにはゆっくり吐く、ゆっくり吐きながら動功や套路を行う。

 下の記事では太極拳の師範でもあるという雨宮医院長の呼吸に関する話や簡単な体操が紹介されているが、通りをよくする、第一段階目の練習はこのようにゆっくりしっかり吐き切る類のものだ。

 https://bizgate.nikkei.co.jp/article/DGXNASFK0902S_09072012000000?page=2

 

 太極拳で用いられる内気や内勁はこのような吐く練習を経て丹田に気を溜めることから生まれてくる。

 タントウ功の第一段階目で足裏に気が落ちた時、よく注意していれば、足裏に気が落ちる頃に自然に骨盤底筋が起動して会陰が勝手に引き上がって吸い始めるのが分かる。自分は吐いていたつもりなのに同時に吸っているような。こうなれば自然に第二段階に移行して丹田に気が溜まり始めている

 もし、足裏に落ちているのにいつまでたっても骨盤底筋が起動せずに下から吸った感覚が得られないとしたら、吐いている過程で腰が落ちてしまっている(膝に乗っている、斂臀が足りない、身体が落ちている、頭が落ちている)可能性が高い。その時は指導者から立ち方を直されるとともに土踏まずと会陰を上げるように指示をされるだろう。

 

 以前バレエダンサーがラジオ体操をしたら?というようなタイトルを見たことがあったけれど、同じように、ラジオ体操を第一段階の状態(呼気重視 気を溜めない)でやるのと第二段階(気を溜めたり煉る状態)でやるのとでは随分違う。套路も第一段階的にやってから第二段階的にやったり・・・ただ、真冬に外で第一段階的な呼吸で套路をやったらしばらく寒いだろうと思う。このあたりの話についてはまた次回に。

2021/1/22 <ただゆっくり長く吐く 内側の観察 デルデル呼吸>

 

  太極拳の呼吸云々の前に、是非やってみると良いと思うのは、ただ吐いてみること。

 呼吸法というと腹式だの逆腹式だの腹圧だのややこしく考えがちだが、ただ自然に長く細く、ストローを使って吐いていくように吐いてみる。

 

 ず〜っと吐いていくと自分の体はどうなっていくのか?

 自分で自分の体の内側を観察してみる。

 最初は喉のあたりで吐いていたのが次第に胸になって胸がしぼんでいく。ああ苦しくなった〜、と思ったらあら不思議、そこから胸より下の胃のあたりが動き出して呼気をバトンタッチしてくれる。腹の出番なのね♪と見守ると、萎んでいく場所が徐々に下に移動していく。臍付近まで萎んだ時に二度目のああ苦しい〜。ここでギブアップか? と思いながらも少しだけ、と踏ん張ると、そこから突如、会陰もしくは骨盤底筋が下から盛り上がってきて、そこから下から吸い上げて吐き続けるような呼吸に変わってしまう。こうなると苦しさはなくなってかなり長い時間吐いていられる(下は吸っている?)。

 

 上のように書いてみるとよくわかるが、同じ呼気でもギアチェンジが3回ある。喉から胸に移る箇所、胸(胸郭)から腹に移る箇所(みぞおちのあたり)、そして骨盤を越えて下腹移る箇所だ。(右図でそれぞれ横ラインを入れてみました。)

 

 喉から胸に以降する時は通常特に苦しさがないと思うのだが、そこから先はちょっとした関門になる。

 というのは、鳩尾より下で(下に)吐こうとするなら呼吸筋、特に腹横筋が働いてくれる必要があるからだ。

 緑線を突破してからはウエストが絞られていく。腹横筋が頑張っている。

 これでしばらく進んで骨盤に引っかかった頃(ピンク線)ににもうこれ以上ウエストが絞れなくなる。代わりに骨盤(お尻)が膨らんでいく(会陰が引き上がる)。

 

 そんな線引きをしてみると、道教の修行の見取り図では中丹田、下丹田を上の図のように捉えているのが納得できる。

 

 そんなただゆっくり長く吐いた時の身体の観察を踏まえた上で、次のサイトで紹介されている『デルデル呼吸』をやってみるととても面白いことが分かる。

  https://kenka2.com/articles/183

 

 

 

 

 軽く吸ったあとに2段吐き。

 

 これまでの話に沿って説明すると、一段階目は吸った時に収縮した横隔膜が弛緩して戻るだけの反射的な吐気(上の図なら緑線まで)、そして、それから行う二段階目の吐きでは腹横筋が作動して腹が絞られていく(緑線からピンク線まで)。

 

 そしてそこからが面白い。

 デルデル呼吸は便を出すためのもの。

 ピンク線から下、会陰や肛門は松して緩めたままにしておかなければならない!

 

 考案者の荒木先生が書いていらっしゃるように『息を吐くことで出口が緩む』というのが自然な身体の反応。吐くは”松””開”、逆に吸うのは”緊””合” というのは太極拳の原理そのものだ。

 

 デルデル呼吸、排便の時に誰でもやっている方法ではないか?と思ったのだけれども、実際に試してみて、あれっ?と気づいた。息む時に無意識に息を堪えている・・・。

 二段階目に絞って吐いた時に無意識的に会陰や肛門が引き上がって出すまいとしているような動きをとっていた。上の記事には『私が100人の病院関係者にとったアンケートでは、8割以上の人が「息を吸ったところで止めて」息んでいました。』と書かれていたけれど、私も似たようなもの。

 なぜ出そうとして出口を緊張させているのだろう???

 その理由は(まだ)わからないのだけど、とりあえず指示通り、二段階目に絞って吐いた時に意識的に肛門を緩めてみた。結果は荒木先生の体験談そのもの。驚いた。

 

 このデルデル呼吸の2段吐きを使うと、師父が言っていたように、大は小よりも素早く用を足せてしまうかもしれない。「トイレに長い時間入っているのは小の時で、大は時間がかからない。」そう師父から聞いた時、大が出る瞬間の時間は小よりも短いけれど、そこにたどり着くまでの準備で時間がかかるのだから・・・と思ったけれど、デルデルを使うと準備の時間もあっけないくらい短くなってしまうのだ。せっかくトイレに入ってゆっくり落ち着いたのにあっけなく終わってしまうとなんだか物足りない、と思うのは私だけ? ・・・最近は公衆トイレで携帯を弄って遊んでなかなか出てこない若者が多いと娘から聞いたけど分かる気がするのです。密室で誰にも邪魔されず一人でいるのはホッとする。まさに松するひととき。ただ用を足すだけではないトイレ時間・・・

 

 と、話がそれましたが、私が大事だと思ったのは、自分が無意識に息を堪えたり緊張させたりしている瞬間を目撃すること。意識的に緩めることができれば、意識的に締めることもできる。師父が「会陰は引き上げておくべきだが、その中でも松緊がある。いつもキツくしておけば良いというものではない。身体が硬くなってしまう」そう言っていたのを思い出したのでした。

 

2021/1/21

 

①今更ながら呼吸について勉強して知った基本中の基本の事実。

 「呼吸の7割を担う筋肉は横隔膜」

 「横隔膜は吸う時に収縮する吸気筋。無意識的に吐くと下がった分が戻る(横隔膜の弛緩)」

 「安静時は吸気筋(横隔膜、外肋骨筋、内肋骨筋)は働くが、呼気筋は働いていない。」

 「意識的に吐いた時は筋肉の運動が起こる→腹横筋など腹筋群」

 (例えば https://namimail.net/archives/376 )

 

 そして、横隔膜の膜は私たちがリラックスしている時は下がっているけれども、緊張すると上がって肺を圧迫し、一回の呼吸で得られる酸素が減ってしまうという事実。(https://www.joho.or.jp/column/column-10

 都会生活でせかせか生活していると横隔膜は上がりっ放しなのか?と心配になってしまう。

 

 

②望まれるのは横隔膜が下がった位置にあり、そこから筋肉がしっかり収縮して吸気を行えること。

 ではどうすれば横隔膜がそのような位置になり、そこからしっかり動いてくれるようになるのか?

 いろいろ検索した中で見つけたワコールのサイトの中にある柿崎ドクターの記事にその答えとなるような方法が挙げられていた。

 https://www.bodybook.jp/doctor/117661.html

 

 

 

左のような図で説明されているゆる〜いエクササイズだが、やってみるとじわっ〜っと気持ちいい。言われれば確かに横隔膜が下がっているし、なんか気持ち良いからゆっくり呼吸をしてしまう。そのうちお尻の中がほわ〜んと痒くなったり・・・これを生徒さん達にやってもらったら、骨盤の中が痒い、と表現した人もいたけれど、それは骨盤底筋が動き出したからに違いない。

 

上の柿崎ドクターの記事に書いているように、横隔膜がしっかり働くにはサイド(腹横筋と多裂筋)と底(骨盤底筋)がしっかりしていなければならない。この体勢をとらせることでサイドと底を良い位置にくるようになっているから横隔膜も下がって気持ちよく動いてくれる。

 

 ・・・と、この体勢、どこかで見たような?

 そう、骨盤を立てるエクササイズ(2021/1/6のメモ)に似ている。

 命門を開いたまま敛臀と泛臀を行った形だ。

 お尻の下に5センチから10センチの厚さのタオルを入れているのもミソで、試しにタオルを外してやったら骨盤底筋が作動しませんでした(腰が落ちてしまって仙骨が伸びた感がなかった。やはり呼吸でも仙骨の伸びはキーになるよう)→横隔膜も下がらない。気持ち良さも低減。

 この微妙な腰や腹、骨盤の中の気持ち良さ、広がり、呼吸、リズムを味わってそれを立位で再現できるようになれば理想的。

 屋外の緑の多い場所で落ち着いてタントウ功をするのはそのような状態に次第になっていくのを待っていたのかなぁ、と思う。

 これはとても自然な方法。時間を気にぜずにゆったりやる。

 

 一方、このような自然な他力的な(無我的な)練習で手応えのない人は積極的に呼吸法を試すことも悪くはないかと思う。前回言及した「腹圧呼吸」などはその例だ。

 ただ、「腹圧呼吸」の難点はリラックスできないこと。前回紹介したスタンフォード式のものは実際に本を読んだわけでなく紹介する記事を読んだだけで断言はできないが、もしあの記事の中のイラストの指示のように吸気から始めるのだとしたら太極拳的にはお勧めはできないと思った。

吸う前には必ず吐く、吐いてから吸う、が健康上も大事なことだし太極拳の原則だ。

 たくさん吐けるようになればたくさん吸える。

 まずはちゃんと吐けるようになる。

 腹圧はその次の段階の話。

 もし未だ吐ききれない人が吸う練習を始めると体が緊張してガチガチになって動けなくなってしまう。

 

 太極拳では第一路で放松してしっかり吐く練習をする。

 しっかり足裏まで吐けるようになると足裏から自動的に息が戻ってくる(呼気が骨盤底筋にバウンドして吸気として戻ってくるような感じ 骨盤底筋は足裏と連動)。

 これができるようになると、套路で呼吸をひっくり返すことができるようになる→第二路(炮捶)の練習に進む目安になる。

 

 しっかり吐く、ということはコアの筋肉の腹横筋をしっかりと使うこと。

 太極拳をちゃんとやっていれば自然にコアの筋肉は強くなるから、いわゆる体幹トレーニングをやってもそこそこできてしまう。太極拳を長年やっているのに体幹が弱いとしたら呼吸の仕方の指導(すなわち丹田に気を溜めるための指導)をしっかり受けていない(指導者側からすればしっかり教え込んでいない)可能性がある。

 ・・・ということで、私も日本にいる生徒さん達に今更ながらどのくらい腹圧がかけられるのか簡単なテストをしています・・・

 次回のzoomレッスンでは皆の状態を確認した上で、腹圧と丹田の回転の関係、腹圧トレーニングをせずに太極拳の動きで自然に腹圧が高まってしまうようにするための要領を整理できたらと思案中。

2020/1/19 <静かな息→息の溜め→丹田・腹圧 >

 

  太極拳の練習では呼吸、息については細かい指示はない。

 大事なのは均等で乱れのない、相手に察知されないような静かな息だ。発勁する時は発声して呼気を強くするが、それ以外は静かだ。ブルースリーのように始終発勁して声を上げるようなことはしない。

 

 随分前の話だが、第一路の48式で蹴ったりしゃがんだりがとても調子よくできて自分自身うまくできたと悦に浸っていたら、すっと師父が来て、「呼吸が乱れてる。どんなに跳ねても息は乱すな。」と叱られたことがある。言われてみて、確かに顔は上気して、運動しました〜、いい汗かきました♪ という感じになっていた。言われてはっとした。 それからしばらくしてまた48式を師父と一緒にやった時、直後に師父が近づいて来た。「ああ、やばい!」とっさに乱れている息を隠そうと必死に堪えた・・・師父は何も言わずに通り過ぎていったけど、絶対バレている、そう心の中で思った、そんな記憶がある。

 

 朝の電車に乗り遅れまいと猛ダッシュで飛び乗った後、シーンとした車内でどうやって猛ダッシュしてなかったかのように呼吸を収め平静を取り戻すのか・・・一度ハアハア呼吸を乱してしまうと元に戻すのはとても難しい。走っている最中にできるだけ呼吸を乱さないよう、取り乱さず、クールに息をするしかない。

 

 静かな息、とは言っても、それは弱い息ではない。

 自転車を今にも止まりそうなぐらいとてもゆっくり操縦する時は、息を飲み込んだかのように腹の奥の方でし〜ずかに呼吸しなければならないが、その時の息は静かだけれども全身の息を一点に集めたかのような集中度、強さがある。(息を止めてしまうと腕がガチガチになってバランスを崩してしまうしペダルをうまく漕げない・・・子供の頃自転車の競技会に参加した時にかなり練習しました。)

 かなりやりこんだ卓球でも今思えば息はとても大事だった。台について相手の構えを見た瞬間に、「この相手なら大丈夫」、「この相手には敵わない」とはっきりわかることがある。これは犬同士でも同じだと思うのだが、目の鋭さ、落ち着き、雰囲気などで自分と相手のレベルを瞬時に比べ、一戦交えずに勝負が決まってしまうこともしばしばある。このような表面に現れる目の鋭さ、落ち着きの内側には必ず息の溜めがある。目線を反らさず対峙している間は呼吸はしない。我慢できなくなって目線をそらした瞬間に息は漏れている。隙が出る。”息を漏らさずに呼吸する”そんな場面だ。呼吸は腹の奥の方で行われていて鼻や口や肺の動きに現れない。腹の動きもほとんどない。そんな呼吸のことは丹田呼吸とか臍呼吸とか呼ばれてきた。

 

 現在。呼吸についての科学的な研究も進んで、大事なのは腹圧(IAP)を高めることだ、という見解が一般的になった感がある。丹田もそのようなものなのかなぁ、と思う(丹田は動かすことができたりなくすこともできるから全く同じ概念ではないだろうけど。腹圧を高める場所が丹田で腹圧が高まった時に丹田が感じられるようだ。)
 太極拳の練習をして腹圧を高めようと思ったことはないけれど、タントウ功のある段階で息をひたすら吐き続ける練習や吸い続ける練習をさせられたこともあったし、上述のような息を上げない練習、内功で吸気と呼気の割合を変えてみたり套路も呼吸を意識的に変えてやってみたり、そんな練習をしているうちに一般の人以上は腹圧が高くなったようだ。実際、気功を学び始めた頃、星野稔先生の教室で六字訣を息の続く限り発声するということを繰り返し行なっていたが、いつも最後まで残る声は星野先生の声で、私は星野先生の半分くらいの時間で息が途絶えてしまった。なんで先生はあんなに息が長いのだろう?と不思議に思ったものだ。けれども、同じ練習を今生徒さんたちとやってみると、私の息が皆より長くなっている。吐きながら吸っているような技(?)を身につけたからだろう。正直に吐き続けたらすぐに息が枯渇してしまう。

 吐きながら吸っている、というととても奇妙に聞こえるが、腹圧を下げないように吐いて吸っている、といえば何も不思議なことはない。ある程度は腹圧の話でクリアできるのではないか?

 タントウ功で自然に気を溜めて徐々に腹圧が高まっていく(丹田が形成されていく)というのが理想的だけれども、その過程の要領を外すとうまく丹田が作れない(ただ力を込めただけの石のような丹田を作ってしまったり、逆に、腹がいつまでたってもゆるゆるで気球のようにならないということもある)。少し腹圧について学んでみると、太極拳の練習が順調に進んでいるのかどうかわかると思う。自転車で止まりそうなぐらいスローで進むにもかなりの腹圧が必要で、腹圧が高いからこその静かな息なのだ・・・

 

 腹圧(IAP)と検索すればたくさんヒットします。タントウ功よりずっと即効性があるさまざまなエクササイズがあります。尤も、タントウ功は腹圧だけを狙っているのではないから仕方がない・・・ 腹圧を高める要領が分かったら、それをタントウ功や坐禅、そして動功、最後に套路に埋め込んでいけば良いのでは?(と簡単に言いましたが、丁寧に時間をかけて落とし込んでいく必要があります。)

 腹圧について 例えば https://www.lifehacker.jp/2018/05/book_to_book_stanford.html

 冒頭から、腹式呼吸と腹圧呼吸の違いが書いてあってわかりやすい。

 

 

2021/1/17 <「踵まで息を吐き切る」のに必要なこと>

 

  ブログの読者からとても嬉しい報告メールを頂いたのでその一部を紹介します。

 

 『北川先生、こんにちは。
   本当に素晴らしいブログを書いてくださり感謝でいっぱいです。ありがとうございます。

ここしばらくのブログを読ませていただいて、私史上最大の身体認識の更新が出来ました。
それは、息を吐き切った時の息の出口が踵だった…!!!ということです。座っているときも(正坐であっても) 息を踵まで吐き切る。というのが本当の息を吐き切るということだった。思えば《踵で呼吸をする》という言葉に初めて出会ってから、これは何のこと?と思って探求を初めて十数年経ちました。やっとこの言葉を体感することが出来ました。本当にありがとうございます。これは日常のありとあらゆる動作をするとき意識しようと思っています。歩くときも息を踵まで吐き切って一歩一歩歩くと、まるでジェットエンジンが踵についているようで面白いように進みます。
普段私たちは一息一息踵まで息を吐き切って生きている人はどれだけいるのでしょうか。せいぜい胸あたりくらいでしょうか。踵まで息を吐き切っていないから、下丹田が使えない。私も収臀が甘いのは息を踵まで吐き切っていないからだとやっと理解しました。・・・・』
 ここしばらくは「骨盤を立てる」ということについて様々な角度から書いていたけれど、この読者の方はそれを「息を踵まで吐き切る」「息を吐ききった時の出口は踵だった」とまとめてしまえたことに私自身感心してしまった。
 
 「息を踵まで吐き切る」ことができるようになるには「骨盤(仙骨)が立って伸びる」必要がある。敛臀と泛臀がうまい具合にできて仙骨に広がりができた時、それも、腹側から仙骨が広がるような状態を作り出すことが必要だ。
  では、上のような条件が整えば「息が踵まで通る」のか? 
  
  実は、いくら仙骨を絶妙な状態に引き伸ばして立てられたとしても、そこを流す「息の力」がないと息は踵まで届かないのだ。なんとなく呼吸をしていても(子供ではない私たちの身体では)踵まで息は通らない。そこには「息を通そう」「息を吐き切ろう」という「意」も必要になる。
  ブログの中で内腿、裆の力を使うには内踵の力、内踵まで気を通す必要がある、と書いたけれど、それには「息」、それも「意識的な息」が必要だったことを上のメールでで気付かされたのでした。
  実際にタントウ功で気を踵まで通す過程を考えると、まずは(中)丹田に気を溜めて、貯水池ならぬ貯気池のダムを作り、それを必要に応じて末端に流すことになるのだが、特徴的なのは、まず丹田から下向きに足裏まで気を通すことによって丹田よりも上に位置する部位に気を流せることになるということだ。
 臍や気海穴あたりの中丹田から初めて下っ腹の関元穴、股関節の高さ(下丹田)以下まで気を落とし込めるようになると足裏に気が落ちる。中丹田と下丹田を一つの気でまとめられるようになるのが築基功の目的だったことに対応する。
 中丹田のダムから下丹田へと気を流して行く時のルールは、絶対に中丹田を枯渇させないこと。(一般的に骨盤の広い女性は下丹田に気を落とすことができるが中丹田を失ってしまう。反対に骨盤の狭い男性は中丹田からなかなか下丹田に気を落とせなかったりする。)
 中丹田のダムに十分な気の量が溜まっていれば、そのダムから落とし込む気(息)の勢いで内側から仙骨を伸ばして立ててしまうこともしばしばある。骨盤の中でどこかが開く音(ポキッとかめりっとか)がするのもしばしばある。外から形の微調整を加えてもらうのも必要だが、最終的には内気で内側を開通させることになる。外の形だけ整えても息が通らなければ内側は貫通しない(当たり前のことを言っている?)
  と、そんなことを読者のメールから考えたのでした。
  この方は随分長い間太極拳の練習をされてきたに違いない、私の”形に関する記述”で一気に内側の感覚を掴んだのだから・・・。
  それにしても自分の書いたことが実際に役に立っているのを知るのはとても嬉しいこと。見えないところで同じような問題意識を持っている仲間がいるのを実感します。
  私の関心が既に呼吸に移ったそんな矢先のメールでした。
  意識的に吐く、それがどんな意味をもつのか、そして太極拳でどのように使われているのか、そのあたりを次回から徐々に書いていこうと思います。

 

2021/1/14 <球体であること 腰を落とさない>

 

   1/7付のメモで股(裆)に力があるか否か?と5人の太極拳の老師の写真を載せたが、私の目では馮老師と陳項老師以外は裆の使い方のお手本にはならないと感じた。今では陳式でも参考になる老師は少なくなっているのだが、世界的に最も普及している楊式ではさらに太極拳の原則が曖昧になってしまった感がある。が、それは無理もないことで、そもそも師弟関係を結んで一対一で学ぶような技芸を広く一般的に普及させようとすれば一対一でしか学べないようなものは落とさざるを得ない。一般の人が真似できるような形だけが伝達されることになる。結局、伝言ゲームの末端に位置している私たち愛好者は出発点の真正な形から随分変化してしまったものを学ぶしかない。その中で太極拳の真髄を知りたいと思う人たちは、手探りで大元の”真正な太極拳”を追い求めて行くしかない。それはある意味で探求の道になる。

 探求の過程で、この人は知っている、と思えるような老師に出会えれば幸運だが、それでもある段階からは自分自身で経典などを紐解いて何が本当なのか何が間違っているのかを自分で見極めていく必要がある。太極拳のシンボルは陰陽図。それに相矛盾するものは太極拳ではないのだと私は思ってきた。どんなに素晴らしい動きでも、突出するような形、直線的な形は太極拳ではないだろう。

 私も若い頃はただのカンフーファンだったから、ジェットリーのように動くのがカッコいいと思っていた。真似ごとをしていた時期もある。何が外力で何が内劲かという区別があることさえ知らなかった。が、太極拳を真剣に学び出すとまず内劲で動くことを学ぶことになる。今になって分かることは、太極拳の形が球体なのは内劲で動くからということ、外の形は内側の現れなのだ。外側からどんなに球体に似せようとしても球体にはならない。内側からの膨らみによってしか形は球体にならないということだ。

 様々な老師の画像や動画を見てなぜ内側が分かるのだろう?と不思議に思うが、、実はダイレクトに内側を透視をしているわけではなく、外に現れている形が内側を示しているから内側(の力の使い方)が見えて(わかって)しまう。ある段階になれば誰でも見えてしまうことだけれども、そのような見える「目」を養うにはやはり本物を意識的に探して見ようとする努力が必要だ。

 

 ・・・と、中国のサイトで「楊式太極拳 大師」と画像検索して、これと思う画像があるかぼうっと見ていた。現代の楊式の形は大部分が直線的で背中が棒のようになっている(弓のようなしなりがない)・・・球の人はいないのだろうか? いや、いた! 見るからに大師なのは中央の白黒写真の老師。別格なのがすぐに分かる。集めた写真は下のようなもの。

 

 と、上の画像を見ていてふと思い出した言葉があった。

 「腰が落ちてはいけない」

 

 これはスポーツの世界ではよく聞く言葉。腰が落ちると身体が落ちてしまって速く動けなくなる。「腰を落とさない」というのは言い換えれば「骨盤(仙骨)を伸ばして立てる」「命門を開く」と同義で、内側からの内気で腰が膨らんでいる(ポン)の状態だ。同じことを異なる言葉で表している。

 

ちなみに「腰を落とさない」と検索すればたくさんのブログがあるのが分かる。

 左は陸上における「腰を落とさない」の記述(https://rikujo-ch.com/2020/05/21/sprint-ashihakobi/

 

 なぜ腰を落としてはいけないのか、調べれば他のブログにもいろいろ説明がある。

 

 私が学生時代にやっていた卓球もそうだし、バレエでももちろんそう。歩くにしても腰を落としてしまうと膝に負担がかかってしまう。裆の力がなくなる(骨盤底筋が緩む)のは言うまでもない。

 

 ところが、なぜか現在広く普及している太極拳は腰が落ちてしまっている形がメジャーになっている。とても不自然な形で動いていて、大会などでは不自然な形で普通の人以上に動けることが評価されているようにも映る。

 

 ちなみに私の師父は「気は落としても身体は落とすな」と言う。

 

 上の中国サイトにある画像を「腰が落ちている」「腰が落ちていない」という観点から振り分けると、それは「骨盤(仙骨)に伸びがあるか否か」「虚霊頂勁=身体に上下の伸びがあるか否か」という振り分けに他ならないことが分かる。

 腰が落ちてしまうと全身の縦のベクトルは下向きにしか走らない(内気で身体が膨らんでいない=ポンしていないのだから当たり前だが)。上の陸上のブログにもあるように、「地面からの反発力を得られない」ため、上向きのベクトルを得られない。結果として身体に上下の伸びがなくなる(弾性がなくなる)。そんな形で高くジャンプさせたりしゃがませたりしたら筋肉や関節に相当な負担を強いることになる。

 

 一般大衆化する前の楊式太極拳は上の白黒画像の3人の老師と推手をしている左側の女性のように腰は高く全身は球状だった。今の標準は不自然なくらい腰が落ちている。おそらく塌腰 敛臀を強調し過ぎて、円裆や提会陰を使って「抜背」が下だけでなく上にも引き抜くこと、結果として全身に張力(引っ張り合い)が働くことを軽視した結果だと思う。が、この問題もまずは腰や仙骨の伸び、骨盤の弾力性、という観点から調整すれば腰が落ちず股関節も使いやすくなり、背骨の伸び、全身の伸びが得られるようになると思うところ→だから「丹田」!(裏からいえば)ということだ。

2021/1/13  <日常的に骨盤を立てる 仙骨を広げる 丹田との関係>

 

 「骨盤を立てる」「仙骨を伸ばす」ということについてしばらくメモを書きましたが、それを読んで実践した生徒さんからこんなコメントをもらいました。

 

  『北川先生、ヤツギバヤのHPでのご指導、ありがとうございます。

  骨盤立て、まだ良く分かっていませんが、本日こちらは雪、先程まで雪かきしてました。

  骨盤を立てる意識を持って、雪かきをしてみました。

  今まで、雪かきの後は、腰痛あるいは腰の負担感が強かったのですが、本日は全く大丈夫でした。

  というより、普段、掃除機かけるだけで腰痛を起こすくらい、私は腰が弱いのです。

  私にとっては画期的一大事です。

  思わずご報告させて頂きました。ありがとうございました。』

 

  なんと、骨盤立てを意識して雪かきをしたとは!

  いや、言われてみれば、掃除機だってゴミ出しだって子供を抱えるのも皆同じ。およそ全ての動作は骨盤を立てて行わなければならないのでした。

  そうでなければどこか身体に負担をかけてしまう。

  骨盤を立てるテクニックに気をとられてなぜ骨盤を立てなければならないのか、日常生活にまで引きつけて考えるのを暫し疎かにしていたかなぁ。

  報告をしてくれた生徒さんに感謝です。

 

  そもそも私たち人間は二足で立ち上がっているという構造上、胴体の重さは背骨の土台にあたる仙骨にのしかかり、そこから重さが左右の腸骨に分散され両股関節、足裏へと抜けるようになっている。胴体の重さがうまく仙骨に乗らずに腰で止まってしまったら腰を痛めることになるし、仙骨に乗った体重がうまく両股関節に分散させられないと股関節や膝を足首を痛めてしまうだろう。それを適正な位置に保つのが、骨盤を立てる、仙骨を立てる、仙骨を伸ばす、広げる、ということ。

 

 

左の図はバレエのチャコットのサイトで掲載を続けているダンサーの藤野暢央さんのブログのものだが、そこでは同様のことを別の表現で説明してくれている。

https://www.chacott-jp.com/news/useful/lecture/detail011886.html

 

 

 

「仙腸関節の隙間にいかにゆとりを与えるか?」

 

 

「骨盤内部から仙腸関節を押し広げるように仙骨が広がるイメージ」

「脚が長くなる」「背筋が押し上がる」

 

そしてご自身の身体で仙骨の広がった状態を見せてくれている(左の写真)

 

太極拳はバレエと違って基本姿勢が股関節を緩めているから、背骨はもっと緩んで腰椎のカーブもほとんどなくなる。

 

が、仙骨、骨盤を立てるということについて言わんとしていることは全く同じだ。

 

 仙骨を伸ばす、広げる、というのを、太極拳では『斂臀』と『円裆』の組み合わせで表現していると思うのだが(正確には『斂臀』と『泛臀』の組み合わせだろうが、中国でも『泛臀』はそれほど強調されていない)、これをもし『円裆』を無視して『斂臀』だけをやってしまうと、上の写真の左側、仙骨をギュッと押し込んでお尻を締めた形になり兼ねない。お尻の肉を締めると股間、骨盤底筋=裆の力が使えなくなる。仙骨の伸びが失われ衝撃を吸収できない。飛んだり跳ねたりできなくなる。

 

 そして興味深いのは「骨盤内部から仙腸関節を押し広げるように仙骨が広がるイメージ」という表現。

 ”骨盤の内部”から広げる・・・それは太極拳的に言えば「丹田を使って仙骨を押し拡げる」ということになりそうだ。

 ただ、タントウ功ですでに股関節を緩めて立っている時は、 丹田の気を命門の方に寄せて命門を開いた時に(腰椎の湾曲を少なくさせた時、寝た時に背中がべったり床につく感じ)それと連動して仙骨も押し拡げられることになると思う。(腰を緩めて命門を開いて斂臀、それから円裆、と上→下の順番。それとともに息も腹から股間に向けて深く入るようになる。)

 

 仙骨を見れば(意識すれば)丹田は見えない(意識できない)し、丹田を見ていると仙骨は見えない。

 太極拳には上は虚霊頂勁から始まって、今回の斂臀や円裆、下は足の扣までいろいろな要領があるけれど、練習では意識する場所を各所変えていったりするけれども、最終的には意識するのは丹田一箇所。丹田で全ての要領をクリアできるようにしていく。

 

 全ての要領は丹田のためにある。逆から言えば、各要領の裏側には丹田がある。

 沈肩の裏は丹田。舌貼上顎の裏も丹田。曲膝の裏も丹田。松胯の裏も丹田。全ての要領は丹田に繋がる・・・だから全ての要領の裏側は丹田・・・これはもう、だまし絵状態?

 全ての要領が丹田に結びつけば、丹田さえ見ていれば全ての要領は意識する必要がなくなる。

 丹田一箇所で全てをクリアできるようになったら、きっと最後は、その丹田をも無くしてしまう・・・そんな状態になったことが遠い過去にあったかも?自分の身体がないかのように動けた、後から振り返るとミラクルのようなひと時。

 

 と、向かう道筋は分かってきたのだけど、各所の要領を丹田に結びつける作業がなかなか終わりません・・・が、これが完結したらそこから先は自動で起こっていくような予感。

  一つ一つ丁寧にクリアするしかなさそうです。

2021/1/10 <内転筋=裆で骨盤を立てる まとめ>

 

 2020/1/5以降のメモの流れは

 

   ①骨盤を立てるとは? 

  →仙骨を立てる=仙骨を引き伸ばす

  →腸骨側からtuck in(斂臀) 坐骨側から出っ尻(泛臀)のためのエクササイズ

  

 ②内転筋の股間に近い部分(裆)を使うと骨盤が立つという事実

  →内転筋の感覚を得るためのエクササイズ

 

 ③そして①に②をはめ込むことで腹筋に頼らずに仙骨を伸ばすことができる

  →斂臀+泛臀+裆 を同時に実現するエクササイズ。

 

というようなものでしたが、整理とまとめも兼ねて動画を撮りました。

 前半は上のエクササイズの説明、後半はその太極拳への適応例です。

 

 裆にあたる内転筋を使うには股関節から内踵まで気を流して内踵を使う必要があります。立位でやるとわかり辛いのですが、寝た姿勢でタオルを挟むと簡単に分かります。寝て得た感覚を立って再現すればうまくいく・・・感覚を失わないようにうまく立ってやってみて下さい。太極拳でなぜあれほど内踵が強調されるのか、動画で紹介したような動きを試して分かればしめたもの。

 内踵がないと内腿(裆)がない

 内腿(裆)がないと骨盤は立たない(仙骨は伸びない)
 仙骨の伸びと丹田は表裏の関係

 仙骨の伸びがなければ太極拳はただの体操になってしまう

 

 動画で説明したエクササイズで内腿(裆)の力を感じとったら、その時、腹はどうなっているのか、仙骨はどうなっているのか確認するとよいと思います。仙骨は腹の気で伸びている・・・タントウ功や坐禅で得る感覚と同じ。

  

2021/1/8 <裆の力を感じるエクササイズ 裆劲に必要な要領とは?>

 

  今日のzoomグループレッスンの内容の一部と補足。生徒さんたちへの課題・・・

 

 仙骨をストレッチして骨盤を立てるためには股間に近い内転筋の力を使うとよい。

 それを前提として、そのような内転筋の感覚を得るための簡単なエクササイズを今回もやってもらった。

 なお、内転筋の中で股間に近い部分に力が出る時は会陰が引き上がり骨盤底筋にも力が出る。このような股間の力を太極拳では裆劲という。したがって下の内転筋エクササイズは「裆劲の準備のエクササイズ」とも言えると思う。 

https://kaigo.news-postseven.com/9643/4
https://kaigo.news-postseven.com/9643/4

 

 エクササイズの方法は、仰向けに寝て両足首を揃えたまま膝を立て(右図)、太ももの間にタオルを挟んで”Vラインの内転筋” を起動させる、というシンプルなもの。

 そう言って早速皆にやってもらって、おもむろに質問してみた。

 

 「さて、太ももにタオルを挟んだだけで股間に近い部分の内転筋は起動したでしょうか?」 

 

 前回のレッスンでは要領を教えながら一緒にこのエクササイズを試したのだが、生徒さんたちはその後自分一人で試してみたのだろうか? 誰も質問に答えられないくて、真には理解していないことを確認。今回再びこの同じエクササイズをとりあげる価値はある。

 

 答えは、息を深く吐きながらタオルを挟まなければならない。

 この息がないと体幹の一部である股間(裆)の筋肉は作動しない。体幹(コア)を使うには必ず”息”が必要だということは頭の片隅に置いておくべき。

 

 では次の質問。

 このエクササイズではタオルを太ももで挟んでいるため、息を深く吐くと自動的に股間まで息が届くしかけになっている。

 が、もしタオルを挟んでいなかったら同じようにVラインの内転筋、股間の感覚は得られるだろうか?

 タオルを挟んでいるか否かで感覚の取りやすさは全く違う。一歩先に進みたい人はそういうことも考えて試してみるべきかなぁ。裆を使うのにいちいちタオルがなければできないのは困るし、実際、太極拳の場合は開脚の姿勢で裆劲を使うことがほとんどだ。

 

 この後のエクササイズの展開としては

 ①タオルを挟まずに冒頭の図のような体勢で裆劲を得る

 ②同じように寝た姿勢で、(タオルを挟まず)両足をセパレートしても同様の裆劲を得られるようにする

 ③立位になって両足を揃えてタオルを挟んで裆劲を得る (寝てやる形を立位にしたもの)

 ④ ③からタオルを除いて裆劲を得る

 ⑤立位で両足を開いて裆劲を得る

 

 ⑤ができれば太極拳で裆劲を使うことができるようになる。

 

 原型のエクササイズを立位にした③は比較的簡単かもしれないが、その他については息を恥骨まで吐き込む という要領以外に、もう一つ重要な要領を使う必要がある。そのもう一つ重要な要領に気づくかどうか?

 今日のレッスンの参加者はぜひ上の5つのエクササイズに挑戦してみてください。(ブログの読者の方も試してみて重要な要領に気づいたらメールを下さい。)

 

 なお裆の力が太極拳の中で具体的にどのように使われているのかはそのうち動画で示せたら良いとは思っています。

 裆の力は女性も男性も高齢になればなるほど重要になってくるので、日頃から衰えないように意識的に使う必要があります。寝る前にタオルを挟んでもよいし、昨日紹介した動画のように座って鍛える方法もあります・・・

 

 

2021/1/7 <内転筋で丹田を起動させる 内転筋で骨盤を立てる 股間の力>

 

  前回のメモの最後に、腹筋をぶるぶるさせずに両足を伸ばしていく方法について示唆したが、それはとりもなおさず丹田を起動することに他ならない。

 丹田の気を使った時は腹の中が「空」のように感じる。力を使っている気がしない。フン!と腹に力を込めた感じとは真逆で、これでいいのか?と思ってしまう。(この点について今日師父に尋ねたら、丹田の気を使っている時には丹田は感じられない、腹や腰は”空”、それに対して、丹田に気を戻した時(帰丹田)は腹に実体感がでる、ということだった。混元太極拳では毎式ごとに最後に「帰丹田」を行っているはそのため。丹田の気に関する最も基本的な原理を今日初めて頭の中で整理ができました。)

 

 丹田の気を使えば表層の筋肉だけに頼ることなく身体の中心に近い筋肉を内側から作用させられる。

 ではどうすれば丹田の気を使えるのか?というと、そこが微妙なところ。意識して使おうとすると腹が固まって却って気の流れが滞ってしまう。太極拳でも「踵から力を出す」という表現があっても「腹から力を出せ」という言葉は(聞いたことが)ない。腹や腰(中節)は”随(う)”という言葉で表現される。

 

 しかし最近、整体系の勉強をしていたら、身体の別の部位を使えるようにすることで間接的に丹田の気を使ってしまうことができることを発見!

 早速何人かの生徒さんに試してもらったところ手応えはまずまず。私自身も感覚的に丹田を使うよりもそちらを使った方がしっかり正確に丹田(下丹田)が使える。

 

 その部位は『内転筋』。

 けれども、私たちが”内転筋”と思って使える場所とは少しズレているかも?・・・そこがポイント。

https://skatto-seitai.com/archives/202
https://skatto-seitai.com/archives/202

左の図は https://skatto-seitai.com/archives/202

 

上のブログを見ていただければ内転筋についてだいたいのお勉強はできるはず。

 

この中で骨盤を立て丹田の気を使うのにとても大事になるのが股間に近い部分をキュッと使えるようになること。

 

最もわかりやすいのは、仰向けに寝て両足首を合わせたまま両膝を立て、両腿の間にタオルを挟んで息を吐きながらさらに挟んでいく、そんな動作。息を吐きながらタオルを挟んで行った時に力のかかる場所、そこが要。かなり股間に近くて、Vゾーン、と表現してくれた生徒さんもいました。

 ここに力が入ると、腹や骨盤がしっかり安定するのが実感できます。

 そしてタオルを挟んで得た股間に近い部分の感覚を維持したまま前回の例のエクササイズをやってみると・・・両足を伸ばして行く時に股間が頑張ってくれるので腹筋が辛くない。

 <ここからは箇条書き>

 股間=恥骨に力がある=任脈の末端(曲池穴)まで気が通っている

 周天の準備としてタントウ功をする(築基功 百日扶基功)時の目標が、督脈側なら命門から長強穴まで気を通すこと、任脈側ならヘソから曲池。この間が開通すれば、へそより上は自然に通る、下一寸上三尺といわれる。

 すなわち、恥骨に力がある、ということは周天可能(気を回すことが可能)ということ。

 

 子供を見ると恥骨あたりのお腹に力がある。

 歳をとってくると力があるのは臍付近・・・下の下っ腹にどれだけ力を保持できるかが練功のポイント。エクササイズで一時的に恥骨あたりに力が出ても、起き上がってしばらくすると消えてしまう。立位で維持するのは難しい・・・これが太極拳の練習。

 

 下の動画はO脚解消のためのものですが、そのポイントになるのはまさに内転筋。

 こちらパリで観察して気づいたのは、脚の長いスタイルのよい男性はそこそこいてもよくみると結構O脚が多い!歳をとればとるほどO脚の確率は増えます。任脈の最終地点まで気が落ちなくなって股間に力がなくなり脚は開きやすくなる・・・その分、腹が出ます(苦笑) 

 O脚でなくても動画のように座れば骨盤底筋に力が出て骨盤が立ちます。

 

 

 動画では、①腹筋を使う ②股関節の回転を使う ③座ってやる と3種類紹介されている。

  

 ③は両足が開かないように両手で押さえる一方で、両膝を開こうと一人二役のエクササイズ。で両膝を開こうとした時に両腿の付け根(股間)がぺらっとめくれるように開くのが分かれば成功。膝を開こうとしているのになぜ股間が?なんて疑問は置いておいて、これが太極拳の 『圆裆』の核心になるのでとても重要です。

 内転筋の上の方が外旋する→すると股間、骨盤底筋に力が出る→これによって会陰の引き上げが可能になる

 そんなつながりです。

 

 ③で脚の付け根の感覚を掴んでから②をやると②の効果が分かりやすいかなぁ。

 ②の股関節の使い方は、楊式太極拳の起式で閉歩から左足を上げて左に広げて着地するところに使われているはずだと思うのだけど、それをちゃんとやっている老師の動画を探しだせるかどうか?

 興味本位で股間の力に注目してみた動画の断片・・・

 

  左上の馮老師は理想形でそれを標準と見做してはいけないのだけど、馮老師の股さばきを見たあとで、女性を見ると股間がとこにあるのか分からない。白い練功服の男性も股間近くの内転筋は使えてなさそうだ(太ももの上側が盛り上がっている=内転筋が使えていない)。右下の陳項老師はさすが。 ひょっとしたら今では内転筋を使って圆裆ができている太極拳の老師は少数派なのかもしれない。仙骨が伸びずに重心が落ちてしまいもはや機敏には動けない形(やりこむと身体を痛めてしまう可能性大)

  

<お口直し>

  ここ数日はまっている羽生くんの最新演技。内転筋、股間の力、という目で改めて見てみました。アイススケートはここが弱いと股裂きの刑にあってしまいそう・・・(苦笑)

  羽生くん、上半身の筋肉がとてもしっかりしたのが目立つけど、太ももの裏の筋肉もすごい(骨盤が立って体幹が使えている証拠)。

  太極拳の演舞を氷上でやっても滑らなさそうなのは上の馮老師と陳項老師。(自分でやるところを想像)・・・やはり股間付近の内転筋の力が地上以上にものすごく必要になるだろう。

  (↓ https://www.youtube.com/watch?v=XxxlkINbMls よりGIFを作成)

2021/1/6 <敛臀と泛臀を両立させる方法とその適用例>

 

 <昨日のメモのリキャップ>

  仙骨の上半分を上から下へ(敛臀)
  仙骨の下半分を下から上へ(泛臀)

 この二つを同時に行うと仙骨が引き伸びて立ったようになる。これが骨盤が立つということ。

 

 今日はどのような動作でこのような感覚が取れるのかという話。

 

 便宜的にヨガのガス抜きのポーズ(簡易版)のイラストを使って図示しました。(イラストはhttps://www.seirogan.co.jp/bf/yoga/basic.htmlより)

 斂臀と泛臀のエクササイズは両膝同時に、手を使わずにやります。

 ①寝っ転がって膝を抱えて身体に引き付ければ背中から腰がべた〜っと床につく。

 この時仙骨の上半分は、隣に接する腸骨のtuck inの動きに連動する(緑の矢印)。これが斂臀。

 

 ②そして脛を床に並行に維持したまま抱えた膝を伸ばしていくと、お尻は次第に床に近づいていく(オレンジの矢印)。これが泛臀。

 

 そしてこの2つを両立させるのは、①をやって②をやる際に、背中や腰が絶対に床から浮かないようにする、すなわち、斂臀を維持するということだ。

 

 上の図は片足バージョンだが、本当は両膝を抱えてやってみた方が①②を同時にやった時に何が問題なのかがよく分かる。

 ①から②で膝を伸ばし脚を伸ばしていくうちに腹筋が震え始めるはず。

 が、これを腹筋ブルブルで支えていたら仙骨は気持ちよく伸びない。腹筋をブルブルさせずにもっと楽に行う方法があって、それこそが仙骨を伸ばす、骨盤を立てるコツなのだけど、それは追々説明します。

 

 上の図を少し回転させると、膝上げ(提膝)、それから上げた足を下ろす動作になる。下ろす動作を発勁でやれば震脚になります。

 

 震脚も含めた発勁は、この①で溜めた気を②で爆発させるの丹田の爆発力で可能になる。

 

 ①→②に移行した時に、昨日揚げた右図のブーメランの角度が瞬間的にさらに開くような感じだ。

 

 「よーい、ドン!」、でかけっこをする際でも、「よーい」の時は斂臀、「ドン」の時に後ろ足を後ろにけることで泛臀を作っている。

 猫を見ていても敵に飛びかかる前は斂臀、飛びかかる時は泛臀だ。

 

 気を丹田に溜めるには斂臀が必要だが(上図の膝を抱えた感じ)、これでは手足が使えない(ダルマさん状態?)。四肢、末端へ丹田の気を送り出すには泛臀が必要になる。

 目指すのは斂臀と泛臀を両立させながら、溜める時は斂臀が強め、使う時は泛臀を強める。両者の割合を変える。決してどちらかをゼロにしない。発勁の時でも完全に斂臀を失ってはいけない。どちらかをゼロにしたとたん丹田が消滅し中正も失われる。

 (箱根駅伝を見ていても、最後までペースが乱れず余裕がある人は最後まで斂臀を残していられる人だ。疲れてきて斂臀が外れると(=息が腹底まで届かなくなると)泛臀のみの走りになって死に物狂いの形相になってしまう。ランナーは泛臀は当たり前なので、どこまで斂臀を維持できるか、巷ではそれをスタミナと呼ぶのか?

 

 太極拳の中には片足立ちがよく出てくるけれども、その時に、猫背になったり、あるいは抜背や斂臀にならないような足の上げ方(膝ではなく腿を上げてしまった場合など)をすると骨盤力が使えなくなる。床に寝っ転がって膝を抱えた時のような背中のべったり感を立位でもキープする必要がある(要は命門を開く!塌腰 敛臀結果として後頭部から踵までが一直線になる)。

 

 タントウ功で丹田に気を溜めていくと、順次、敛臀そして泛臀をしていくことになるのだが、上のようなエクササイズを行って骨盤の立つ(仙骨が引き延ばされる)感覚を味わっておくとタントウ功での微調整がしやすくなると思う。 

 

 ただ、上のエクササイズには注意点あり。

 寝て行う上のエクササイズで両足を床に水平のまま伸ばしていった時、腹筋がブルブルするような身体の使い方では仙骨は伸びない(骨盤が立ったとは言えない)。

 腹の中の空間が拡がって(=丹田に気が溜まって)楽に両足が伸ばせるポイントを探す必要がある。

 そのポイントを探すコツについては次回に。

 

2021/1/5 <骨盤を立てるとは? 仙骨の伸ばし方 敛臀&泛臀の理解>

 

  しばらく首や肩に注目していたが、複数の生徒さんから仙骨が気になると言われたこともあって関心は”骨盤”に移行。

 

 仙骨は背骨の土台でありながら、同時に、骨盤の要、楔でもある。

 いわば縦ベクトルと横ベクトルの交わる要所。

 頭の重み、身体の重みが背骨を伝わって降りてきたのを支えるのが仙骨。

 仙骨で受けた重みは左右の腸骨に分散され、そこから股関節を経由して両足へと流れていく。両足にしっかり落ちれば地面からの反発力=上向きの力、が働き、身体は張力を得ることになる。

 

 「骨盤を立てろ」と言われるのはなぜか? それはとりもなおさず上のようなメカニズムを働かせるため。それが良い位置にないと自らの頭や身体の重さでどこかに余計な負担をかけることになってしまう。

  

 では「骨盤を立てる」とはどうすることか?

 これについては様々な見解があるようだが、その中で私が腑に落ちたのは次のような表現だった。

 「骨盤を立てるとは仙骨を引き伸ばすように立てること」

 

 

 

 左が骨盤の図(https://www.nozomi-clinic-japan.com/senchokansetsu.html)

 

 私たちが真剣モードで身体を動かす時は無意識的に腹に気を落とすのだけれども、そのとき背骨の湾曲は少なくなり真っ直ぐ(弓状)に近づく(よーい、ドン!で走る時をイメージ)

 そんな弓状の背骨になる時、左図の仙骨の上部は後方へ、尾骨に近い部分は前方へ移動する。仙骨がそう動けば、骨盤も前側が多少上がったようになるだろう。

 

そして今回解剖学的なお勉強で知った新事実・・・

 

仙骨は5つの骨からできていて、子供の頃はこれらが別々の骨だった。今では5つの骨はしっかり癒着している。が、仙骨を立てようとする時は、左図のように、緑色の下向きの力と、橙色の上向きの力のような、相反する力を加えるということだ。すると仙骨は引き伸ばされたように立ってくるという。

 

 が、私は上の説明を聞いた時、矢印の向きが反対では?と思ってしまった。緑の矢印は上向きで橙の矢印や下向きででは?(左図の右側)

人によっては、単純に下向きに伸ばせばよい(左図の右側)と思う人もいるかもしれない。

 

 しかし、よく説明を聞いたら、伸びるのは仙骨の前側だという。そして自分の身体で、3パターンをやってみたら、確かに仙骨が伸びるのは一番最初の図。私が直感的にそうだと思った仙骨の真ん中から上下に力を分けるようなことはしようとしてもできるはずがなかった・・・。そして上から単純に下に引っ張り抜くような力をかけると、仙骨が際限なく寝てしまってズボンをお尻の割れ目より下までずり下げているような格好になりかねない・・・

 

何人かの生徒さんに上の図を見たら、直感的にすぐ理解できた人もいたからそのあたりは個人差もあるのかもしれないが念のため(自分自身のためにも)図を描きました。(フリーハンドで仙骨を描けないのでブーメランの写真で代用)

 

 

 

https://www.light-seikotsuin-morishita.com/2019/06/16/%E9%AA%A8%E7%9B%A4%E5%BA%95%E7%AD%8B%E3%81%A8%E3%81%AF/
https://www.light-seikotsuin-morishita.com/2019/06/16/%E9%AA%A8%E7%9B%A4%E5%BA%95%E7%AD%8B%E3%81%A8%E3%81%AF/

  仙骨は仙腸関節で腸骨に繋がっているから左の①の下向きのベクトルは分かりやすい。一方、②の上向きのベクトルに関しては、坐骨側には尾骨や恥骨があり骨盤底筋群が仙骨に繋がっている(肛門挙筋や××筋や△△筋・・・とりあえず図を見ます。)

 

  と、ここまできて、なぜ太極拳の要領に「敛臀「泛臀」という相反するものがあるのか、はっきり頭で理解できたのでした。

 ”仙骨を入れろ(内収)”=斂臀、という一方で、”尾骨を出せ、お尻を上げろ”=泛臀、と言われる。

 練習では、まず斂臀をして、それから気が股関節よりも下に落ちたら泛臀をすることになる。(瞬時に同時にできるのはマスタークラスだと思います。)

  そして泛臀は会陰の引き上げが核心的な要領になるのも今回のお勉強で確認できました。

 (ちなみに、私が見る限り、巷に広がっている太極拳は敛臀の段階で止めてしまっている。泛臀がないと骨盤がしっかり立たず身体が落ちてしまう。それが股関節やひざ関節を痛める原因になっているのだと思います。)

 

 仙骨の”前側”を引き伸ばすことで腹腔(腹の空間)が拡がるので、丹田がしっかりする感じがするのでしょう・・・それに、お勉強したところによると、多くの骨盤底筋が仙骨の前側に付着している・・・

 

 以上、「骨盤を立てる」ということについて理論的な説明を自分なりに整理しました。

 では、実際にどのようにしてそのように骨盤をたてるのか?

 それについての考察は次回書きたいと思います。

 

 

2021/1/1 <肩包体 いつも腰で打つのか? 相手に合わせる身体 >

 

 一昨日12/30付のメモで紹介した高岡英夫さんの提唱する『肩包体』。

 このような身体の捉え方に興味を持った生徒さんがいたようなので、元旦から動画検索・・・イチローの打ち方はどうなっていたのだろう?

 

 そうしたら打って付けの動画がありました。

 イチロー選手と川崎選手と松井選手のバッティングをスロー再生で比較したもの。

 https://youtu.be/aWYavV4hUFw

 

 

 動画を見て、ああ、なるほど、と納得しました。イチロー選手と川崎・松井選手の違いは明らか。

 

 上2枚がイチロー選手、左下が川崎選手、右下が松井選手。

 イチロー選手が「肩包体」で打っているのに対し、下の二人は(セオリー通り)腰で打っている。

 ↑ 似たような高さの球を打っているイチロー選手(上段)と川崎選手(下段)

 川崎選手は打ち始める時にバットを肩甲骨より下の背中の位置に合わせ(1枚目)、下半身と腰の捻りでバットを振っている(2枚目、3枚目)。打球直後の姿勢は腰にウエスト絞りのような捻りが入っている。

 これに対し、イチロー選手は全身の関節をうまく使って中正を損なわずに球にバットを合わせ(1枚目)、腕を肩の高い位置から落とすことなく体を水平に回転させている(2枚目、3枚目)。打撃直後も中正のまま、重心は完全に前足に移動している。

 

 

 こう見ると、川崎選手は絞るように捻って打っているのに対し、イチロー選手は身体を水平に回転させている。

 

 身体の内部の回転はおそらく左の図のようなものだろう。軸(ピンク線)を回すことにより緑線のようにスライスされた身体が回る。

 そしてこの緑の回転面はそれぞれ独立している・・・どこからでも回転させられる・・・ピンクの軸には目盛りがあってイチロー選手はそのどの目盛りも意識して動かすことができるのだと思う。

 

 このような身体を作ると、相手(飛んでくる球)に自分を合わせることが可能になる。

 どんなにタイミングを外されても瞬時に身体の中がバラバラに動いて全体で中正を作り出すことができるのだ。

 

 師父が以前、「肩を支点にして打てるならそこから打てばいい。いつも足裏(踵)や腰を使わなきゃならないなんて思っていたら臨機応変な動きはできない。」と言っていたし、ピアノでも、ヴィヴィアン先生から、「手首から先だけで弾いたり、肘から弾いたり、いろいろな弾き方があります。いつも全身で弾いていると聞いている方も疲れてしまいます。」と言われたことがあった。

 

 上の松井選手は腰から打つお手本のようなフォームだが、これはいわば全身の力を使った打ち方。投手の一球入魂に対してこちらも”一発勝負だ!”とでかいのを狙う。

 付け加えていえば、川崎選手が中正を崩しているのに対して松井選手は軸がブレていない。前脚の回転が川崎選手よりスムーズで、腰で打つ大技の模範的な打ち方になっている。

 

 

 イチロー選手の打ち方は、緑の輪っかを全部揃えて打てば松井選手のような打ち方をすることも可能だが、相手(球)がどう出てこようとも吹っ飛ばすような馬力がないと不利になる。

 そして二人の比較で気づいたのは、松井選手のようにお手本的に腰で打った場合、体重は完全には前足に移動しない。これに対し、肩を独立して動かせるイチロー選手の場合は打ち終わった時に完全に前足に体重が移動しきっている(左の写真)→ここからすぐに走リ出すことが可能。イチローの場合は打つことに全てを賭けているわけではなく、その先の走ることも念頭に置いた打ち方になっている。

 松井選手の打ち方は極真空手、イチロー選手の打ち方は合気道や太極拳的。筋肉パワーで勝負しないならその分身体をきめ細かく意識して使えるようにする必要がある。脊椎33個、身体の関節をどれだけ意識して動かせるか・・・イチローのトレーニングはそれを裏付けるようなものだ。

 

 

 こう見てくると、「肩包体」というのも、結局は、自分の体をより細分化して意識的に使えるようになった時に現れてくる感覚なのだと分かる。とってつけたように「肩包体」を作るのではなく、頚椎から胸椎の上部にかけて意識的に内側から動かせるようになってくると現れてくるものなのかと思う。太極拳や気功で使う「周天」でいえば、関門である首の「大椎穴」を突破できるかどうか・・・本来なら、坐禅やタントウ功で丹田の気を溜めてその気で関門を突破させるのだろうが、そこまで根気よく静功を続けられる人は本場中国でもなかなかいないようだ。 ということで、最近私は科学的アプローチも併用すべきではと模索中です。

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 『陳式太極拳入門』

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2012/3/20

日本養生学会第13回大会で研究発表をしました。

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