2025/1/12 <制定拳について 雑記>

 

  太極拳はもともと門外不出で継承されてきたが、それを国民の健康維持に役立てようと(中国)国家に制定し直されたもの(制定拳)が、現在中国国外に多く広まっている。私が最初にスポーツクラブで習ったのも、その入門編、簡化24式だった。

  

  太極拳を国家が制定する、というのは、流派がたくさん存在する太極拳の世界では考えられないことだった。日本の例でいえば、現在の空手には流派がたくさんあるが、それらをまとめて国家が認定する標準空手を制定する、というようなものだ。どの流派もそのような動きに反対するだろう。

  ただ、日本の柔道は空手のように流派が分裂せず、講道館という組織がまとめている。歴史的には、嘉納治五郎がそれまでの技中心の柔術に心身の鍛錬という要素を加え体育教育に資する「柔道」を制定したという経緯がある。

  制定された、という点では太極拳と柔道は似ているが、大きく異なるのは、制定された太極拳には攻防が抜け落ちているということだ。(柔道は2人で取っ組み合いになるもので、そこには、一人で演舞をする、ということはない。一人で型を練習する作業はあったとしても最終的には相手がなければ柔道はできない。これに対し、制定された太極拳のメインは一人で行う演舞で、遊び程度に推手をしてもこれまた示し合わせた演舞になっているようだ。示し合わせて力を出し合っても決まった運動神経を使う繰り返しで、新たな神経回路の開発の望みは薄い。つまり、身体開発、ができない。ほとんどの場合は腿を太くするだけの運動になってしまっている?)

 

  共産党支配による中国では、長い間、武術の師は国家からすると危険人物だった。実際、馮老師も国家にそのように目をつけられていて、堂々と外に出られないような状況があったという。一方、国家は、国家にとって脅威にならない太極拳、保健太極拳、スポーツ太極拳を作っていった。体育大学の教授に加えさまざまな流派の老師が呼ばれ、その編纂にあたった。民間の流派(陳・楊・呉・孫・武・和)の老師達からすれば、国家に貢献することで、その風当たりを弱める、という効果もあったらしい。馮老師も国家から表彰を受けた後、やっと胸を張って太極拳を広めることができるようになったという。(追記、中国国家体育部が、国民の健康を高め、中国武術文化の継承を図るために太極拳を統一しようという試みの最初の成果が1956年の24式簡化太極拳。その後、スポーツの要素も加味した様々な拳が制定されている。)

 

  師父の話では、中国国内においては、制定された太極拳は暫しの間広まったが、ほどなく人々は伝統的な太極拳に戻っていったとのことだ。(少なくとも武術のメッカ、鄭州ではそうらしい)人々は会話の中で、「自分は太極拳を学んでいる」、と言うと、必ず「で、何式?」と聞かれるそうだ。その時に、「国家のだ」なんて答えるのは恥ずかしいらしい・・・

  伝統的な太極拳に馴染んでいる人たちは、体育大学で学んだだけの人たちが教える太極拳には見向きもしない。太極拳が大学にいる4年で学べるわけがないことも知っている。形だけの真似になってしまうことも分かっている。結局、体育大学出身の老師達は海外で外国人に教えることで生計を立てることになる。日本にもたくさんの体育大学出身の老師達がいるが、私も太極拳の入り口でそのような老師にお世話になったことを考えるとやはりその存在意義は高いと思う。ただ、そこで真の太極拳を学べるとは思わない方が良いだろう・・・少林拳や長拳などの外家拳をやりながら太極拳までできる、というのはとても怪しい。陳項老師のように、もともと八極拳(外家拳)を極めた人が太極拳を学ぶと、八極拳自体が太極拳の体の使い方、力の出し方に変わる、というのが本当だ。外家拳の体の使い方、力の出し方では太極拳はできないが、太極拳の体の使い方、力の出し方で外家拳を行うとレベルの高い拳になる。

2025/1/11

 

  昨日の話題、『虚霊頂勁』 について追加。

 

虚霊頂勁ができているかどうかは、比較をしないと分かりづらいかと思うので、①本家本元の楊式太極拳の師と、②国家制定拳の有名な老師の形、動きを比べてみた。(民間派VS学院派)

 ①杨振铎 https://youtu.be/yyrOvfCYvM4?si=kJLQMgxrlf2hH5Bi

 ②李德印 https://youtu.be/RxQhocwB568?si=ZoBpYNC8xKULfok0 

 

  下はそれぞれの搂膝拗步の動きの一部。

 

  2人はどこが違うだろうか?

 

 私が感動したのは、上段の杨振铎の顔の向きが、右向きから正面へときれいにグラデーションで変化していっていること。

 すると、顔が正面を向いた時にはもう相手を打てる状態になっている。

 (下段の李徳印の動きでは、顔が正面に向いた時にまだ打てる状態ではない。)

 

例えばこの一瞬。

 

楊老師は右目の隅で右手を、左目の角で左手を見ている。

 

 

 

 上と似たような場面。

 

この時李老師の”両目”は下を向いている。右手も見ていないし、左手も見ていない。

 

 ついでに言えば、提膝にもなっていない。左の腿を上げているがために腿に力が入ってしまっている。腿に力を入れれば(股関節にロックがかかるので)背骨が硬直するのは必至。頸椎も硬直するので、上の楊老師のような微妙な動きはできなる。(演舞として成り立っても実践は無理)

 

  ↓ 搂膝拗步の最初のところの楊老師のクローズアップの画像

 

 全ての瞬間において左目と右目、各々が動いているのが分かるだろうか?

 

←例えば、この画像。

 

一見手を見ていないように見えるが、これは両手を視野にいれている目線。

目を後ろに引いている(常に目は後ろに引いています)

 

こちらは上の李徳印先生の娘さんでやはりとても有名な老師だが、やはり目線が落ちて手から離れてしまっている。

 

すると、虚霊頂勁も見事に失われてしまう。目が外れているのだから当然だが。

これはお父さんの李徳印も同じだ(↓下の画像)

 その点、杨振铎は終始一貫して頂勁を保っている。

 

 下の2人の画像を比較して見ると、李徳印の頭が下がってしまった、という以前に、彼が全く手を見ていない(視野に入れていない)というのに驚いてしまう。

 

 結局、このような目の使い方では、腰の王子の指摘するように、頸椎の1番、2番は働いていない。脳を支えるところの関節はほぼ目の高さにあるが、ここが動かなければ頸椎3、4、5番で頭を支えることになり、両目は十分に動かない。

 両目を後ろに引く、という要領は、頸椎1、2番を動かすための要領とも言えるだろう。

 両目をいろいろな方向に動かすことで脊椎関節が回旋運動をし捻りがかかる。

 冒頭の、杨振铎と李徳員の4コマの連続写真を比べると、実は、杨振铎の背骨には捻りがかかっている。捻りがかかることで全身の連動が可能になる。背骨をただ真っ直ぐにしているだけではロボットのような動きしかできない。

 


2025/1/9 <虚霊頂勁 首を立てない 上丹田と目 うがい体操>

 

  太極拳の基本姿勢を学ぶ時、最初に言われるのは、「虚霊頂勁」ではないだろうか?

 まず「虚霊頂勁」があって、それからその他の要領が続く。つまり、厳密に言えば「沈肩」をするにも「含胸」をするにも、「松胯」をするにも、「虚霊頂勁」が必要だということだ。

  が、実は「虚霊頂勁」は全身の気がある程度貫通しないとその感覚は得られない。最初はなんとなく、そんな感じ、で始めるしかない。そして体の上部から下部へとそれぞれの要領をある程度クリアして、足裏に気がしっかり落ちて根が張っると、頭頂の感覚はまた変化する。

 

  一般的に陥りやすい過ちは、「虚霊頂勁」の後ろ半分、「頂勁」だけをやってしまうことだ。そうすると、”首を立てた”感じになる。

首を立てると、私のイメージでは、左の画像の中にいる鶏冠を立てた雄鶏のような感じ。

 

以前私のところに練習に来た男性の生徒さんは八卦掌をやっているとのことだったが、内功をさせた時に何かおかしいと思ったら、頭のてっぺんを動かさないようにしているためか首が硬直してしまっていた。

 

 

 首は頭蓋骨と胸郭の繋ぎ目。

 腰は胸郭と骨盤の繋ぎ目。

 繋ぎ目である首や腰には力をいれない。

 

 

 「頂勁」の前に「虚霊」がついていることに注意する。

 「虚」というのは「実」の逆。てっぺんは「実」、ギュッと詰まっていてはいけない。空間がある。

 「霊」というのは中国語で「軽くて素早い」という意味。重くて鈍重であってはならない、ということだ。

 

 練習していくと、この、「虚」「霊」の感じは結局、目の在り方、使い方によるもの、すなわち、上丹田が定まっているか否かに関係するということが分かるのだが、その大前提として、頸椎と胸椎がある程度開発されないとその感覚や得られないだろう。

 

   下の馮志強老師のようなマスターは目が鋭く、動きのどこで一時停止をかけても目が鋭く外れていない(上丹田がしっかり定まっている)

 普通の老師レベルだと、目が時々泳いでいる(上丹田が入っていない)

 また、外家拳のような太極拳をする人たちは常に鶏冠が立っている・・・

 

 簡化24式を練習している人に多いのが、重心が後ろ過ぎることだが、それは目が眉間に集まっていないせいかもしれない。両目でただ手を追っていては頸椎の開発はできない=虚霊頂勁はできない。

 両目で手を追っているような動きの場合、一時停止でよく見ると、実際にはちゃんと手を見ていないということが多々ある。

 

 

 頭部に関連する骨は頸椎一番(環椎)から胸椎3、4番までで、首は胸椎から始まると思っている方が使いやすい。

 

 下にその辺りを説明した腰の王子の動画を紹介するが、これまた、学べることがいっぱい。

 立腰体操をしたらうがいがちゃんとできる体になる、と言うが、同じように、太極拳を練習してもうがいが上手になる。というのは、立腰体操は全ての脊椎関節のバラバラ化を図った体操で、太極拳は脊椎関節をバラバラにして貫通させる周天を前提として組み立てられている拳だからだ。

 動画で王子が説明しているように、脊椎関節は動かしやすい箇所と動かしにくい箇所がある。頸椎で言えば、頸椎3、4、5番は使いやすく、頸椎1番2番、胸椎1、2、3番はほとんどの大人は動かせない。結果として頸椎3、4、5番が過剰な負担がかかる。

 虚霊頂勁は頸椎の1番と頭蓋骨の間の関節(環椎後頭関節)が意識的に動かせることが前提になる。目はそのラインで動く。

 

 まずはうがいでその辺りの練習をするのも良いかもしれない。目もしっかり動くだろう。

2025/1/7 < 按(アン)の仕方から学ぶこと>

 

   毎週火曜夜に行っているグループのオンラインレッスン。現在は4人のクラスで進行中だが、その中に全くの太極拳初心者で参加した生徒さんがいる。

 スポーツクラブで簡化24式を習い始めたところ、というところで参加したのが2023年の10月。そこそこ太極拳をやった経験のある人たちに混ざっての参加だった。

 私が教えるのは内側から動くということ、スポーツクラブなどでは学べない太極拳の本当の体の使い方。だから、丹田とか、気とかがマストになる。

 最初はチンプンカンプンのようで、私も少し不安になったこともあったが、グループで他の生徒さん達のアドバイスももらいながら、よく頑張っていた。

 

 そして昨日のレッスン。

 腕を下げる動き(アンの動き)を厳密に教えてみたところ、きちんと気を腹底まで落とせたのはその彼女だった。

 太極拳の基本の動き、ポン・リュー・ジー・アンは、単なる腕の動きではない。内側の気の動かし方だ。

 ポンの時は、会陰を引き上げて内気を上方に動かす

 リューは、眉間のツボを引く、

 ジーは、両肩甲骨に挟まれた脊椎のツボを開く

 アンは、胸のダン中のツボから関元穴まで気を下ろす

 

 このような内気の動きが腕の動きとなって現れるのだ。

 

 この4つの中で最も単純な動きが、ポンとアン。

 簡化24式の起式にもある動きだ。

 

 が、ポンとアンがちゃんとできるようになるにはかなりの練習がいる。

 最初は上の動画のように形だけ真似をしたようになるのは当たり前。

 これはまだ太極拳とは言えない。

 

 アンができないとポンはできないので、私はまずアンだけ教えてみた。

 アンは上から下に気を下す動き。含胸をして気沈丹田を行う。といっても、この場合の丹田は臍下丹田ではなくて、関元穴、膀胱、あるいは子宮の高さのツボだ。ここまで気を下げられれば、両手は胴体の延長になる。

 上の動画のような動きでは、腕はいつまでたっても、肩から上げて肩から下げる、という、四肢運動を脱却できない。(せめて胸鎖関節から使えればよいが、胸鎖関節から腕を使おうとすると含胸をする必要がある・・・大衆に広めるために制定された太極拳では含胸の要領は削除されているように思う)

 

 オンラインに限らず対面でもこの気の動きを教えるのは難しい。

 気を下さなければならないのに、上の動画のように腰を下ろて体まで下ろしてしまうとお尻や腿に座ってしまう。体重は常に足裏に落ちなければならない。体を下ろさずに気を下す、というのが分かるまでに時間がかかるのだが、冒頭に紹介した初心者だった生徒さんが昨日見事にそれをやってのけた。

 うまくできた彼女に、そのままポーズをとらせたまま、「どんな感じがしますか?」と聞いたら、「きついです。汗が出ます。」と一言。これは、横隔膜を下ろして腹圧を上げて骨盤底筋まで気を下ろした時の感覚だ。

 太極拳の動きの中には、白鹤亮翅のように、片手は上にあるが、反対の手はアンをしている、というものがたくさんある。意識すべきは上の手ではなく、アンの手だ。アンを意識することにより、気が骨盤底筋まで沈み=足裏まで気が達し、それと同時に地面からの反発力を得て、上に上げる手の威力が増す。

 

 腕の動きは腕でやるのではなく、胴体の中のポンプで行っている。

 これが”分かる”ようになれば、太極拳に入門した、という。

 

 同じ生徒さんが、練習の最後に、「あのようなアンの状態をとった時に、股の奥に少し空間が空くような感じになります。」と言っていたがそれは下丹田(会陰を引き上げ、かつ、胸や腹の気を骨盤底筋の近くまで下ろしてきた時にできる空間)の感覚で、それがあると、股関節に隙間が開いて、脚が軽くなる。

 

  私も、タントウ功をしていた時に、「腿、脚も放松しろ!」、と師父に言われて面食らったことがあったが、脚に力が入っているようでは俊敏には動けない。師父に言われたことを以前男の生徒さんに言った時、「脚の力を抜いたら立ってられないじゃないですか?」と反発を受けてこれまた面食らったことがあったが、”脚の力を抜く”というのがどういうことなのか、もう少し自分で試行錯誤する頭や心の広さがあればその先に進めただろうと思う。

  結論から言えば、股関節の隙間ができれば脚は力が抜けるのだが、そのためには、気がちゃんと下丹田まで下ろせる必要がある。アンがちゃんとできるためにも、下丹田まで気が下ろせる必要がある、

  臍下の丹田だけでは足りない。

  丹田の大きさが伸縮自在になれば達人だ。

2025/1/4

 

 新年明けましておめでとうございます!

 

 今年最初に見た腰の王子の動画がまたまた素晴らしかったので紹介します。

 

 前半の「スリスリ体操」のコツは手にあり。

 普通の人は、股関節だけで体を倒す。それでは倒し始めの時は体は腑抜けの状態。

 「動き始めから動きたい」という王子の言葉、昔の私には禅問答のように聞こえただろう。が、初動から技になる太極拳もまさにその通り。ということは、初動からしっかりと関節を使っている必要がある。

 つまり、

 スリスリ体操だと、まず腰仙関節(腰椎5番と仙骨の間の関節)が起動しなければならない。それから、仙腸関節。そうすれば、脊椎の関節も動き出す。

 股関節が使われる前に、すでにたくさんの関節が動いているのだ。

 

 これは、とても単純な太極拳の馬歩や弓歩でも同じ。

 馬歩や弓歩などで腰を落とす時に、股関節しか使っていないような人は、王子の言葉で言えば、”達人”ではない。ましてや太極拳の場合は普通のスポーツよりもさらに関節を総動員することを特徴にしているので、股関節しか使えないようだと太極拳を教える資格はない。脊椎がバラバラに使えるような教え方をする師が求められるところだが、実際には背骨を固めてしまって股関節に頼っているような太極拳の方が出回っている。

 王子が動画でちらっと言っているように、股関節で曲げると腰に来る、が、仙骨で曲げれば(腰仙関節を使えば)腰に来ない、というのもまさにその通りだ。

 

 動画の後半は含蓄のある話。

 学んだことを活かそうとしてはいけない・・・

 これは前半の話よりもずっとずっと深い話。

 太極拳などを超えた普遍的な真理の話。

 それをこんなに分かりやすく説明できる王子はやはりすごいなぁ、と新年から良いものを見たと思ったのでした。

 

 今年はどこまで進むかなぁ?

 

2024/12/26

    さすが志村けん!
 浜ちゃんは腿上げ、志村けんは提膝。
 股関節をちゃんと折り曲げられるかどうか。


  https://youtube.com/shorts/ag2d3Jwmvpo?si=Mls5xH3HA0KrtY7W

2024/12/21

 

 今年のレッスンもそろそろ終わりに近づいた。

 

 レッスンメモを少し。

 

 頭に浮かんだ順。

 

 ①引き上げ 

  どのくらい引き上げるのか? 踵を持ち上げた状態(爪先立ち)で安定させる。できれば両足を交差した状態で。うまく導いて上げると臍下に力が集まるのが分かる。それが(中)丹田。それから踵をゆっくり下ろしていく、丹田が消えないように。地面に足裏が全部ついてもその状態が保持できていると、地面からの反発力を得る感覚が得られる。

  恥骨側を引き上げれば、背中側は気が降りる。順回転になる。

  女子は意識的に恥骨を上に上げるようにする。

 

  ちなみに、虚歩は爪先立ちだ。

  爪先立ちという言い方は正確ではないが、踵を上げても、踵と母指球、小指球の三点を使って立っている必要がある。(参考のyoutube動画あり)

 

 ②重心の移動

  足首の背屈の状態から足裏を地面につけていく。そのような動作は歩行時に限らず太極拳の時にも頻繁に出てくるが、背屈の状態の時は足首を開いて指を開く。そこから足裏を順々に地面につけていくと勝手に重心が移動する。

  あるいは、脛の骨、あるいは大腿骨の入れ替え運動をしっかりする。これはここでの説明は割愛。脛の骨がしっかり動かないと重心移動はできない・・・というのをレッスンでは試してもらいました。

 

 ③眼の使い方

  長い間太極拳を学んでいる人でも、両目で手を見ていたりする。

  両目で右手だけ見て、左手だけ見て・・・そんなことをすると体の中の引っ張り合いが起こらないので丹田もなくなってしまう。

  なんか上手く体の中が繋がらない、と簡化24式の中のいくつかの動きを質問してきた生徒さんがいたが、体の中のつながりを得るには、右目と左目は別々に使う必要がある。単純に言えば、右眼で右手を、左目で左手を、たとえ本当に見ることができなくても、見ようとする。それだけで随分動きが変わる。

  眼の使い方で頚椎、背骨の使われ方が変わる。

  右から左を見るにはどのように眼を使うのか?

  これもレッスンで試してもらいました。

 

 ④変顔

  レッスンをしてると、変顔になったりすることがありますが・・・・

  腰の王子の常套手段、変顔をしてみると、内側の気の流れが分かります。

  今日は、気づいたら猪木の顎になっている生徒さんがいたけれど、これは、志村けんのアイーンの顎。これを使うと含胸で気を下ろす(横隔膜を下げる)感覚が分かります。

 (これも参考動画あり。探し出したら載せます。)

 

 ⑤手、手首

  これも適当過ぎ。手型は太極拳の大事な要素。今日のレッスンでは半ば強引に生徒さんのポンの手の形を作ってあげましたが、皆、え〜、こんなにキツいの〜? と驚いた感じ。普段使っていない関節を総動員する必要がある。

2024/12/14 <軸を通すことと軸足 マイケルと馮老師>

 

 しばらくマイケルジャクソンの動画ばかり見ていたが、次第にその動きにはパターンがあって、それらはマイケルの身体が自然にそう動くからそうなっている、というのに気づいた。逆に言えば、マイケルのような身体でない人が真似をしようとするとぎこちなくなる。そういう身体ではないからだ。身体の在り方が身体の動きを決める、そんなことを思ったりした。

 あと、ダンサーがマイケルのように踊れない大きな要因は、普通のダンサーはマイケルのように唄いながら踊らないからでは?あの発声、リズムの取り方、合いの手のような発声や、ポー!、全てが動きに影響を与えている。そしてなんといってもあの軸!裏声を多用することと大いに関係ありだと見た。

 

  マイケルの動き、片足立の瞬間を見ると、アレっと思うことがしばしば。

 左と真ん中のマイケルの片足立ち、不思議な感じがしませんか?

 比較すればはっきりする。

 普通の片足立は、右端の人のようなもの。

 何が違う?

 

 私がマイケルの画像を見た時、よくこのバランスでは片足を上げられるなぁ、さすがだ、と感心した。普通の人ならバランスがとれない。というのは、軸足に体重が乗り切っていないからだ。

 普通は、右端の人のように、軸足に体重を乗せてもう片足を上げる。

 

 が、ここが達人と普通の人の差。

 軸足に体重を乗せてしまった画像を見ると動きが止まってる感があるのは否めない。

 

 実は似たようなことを感じたことがある。

 馮志強老師の動きだ。

 

 

https://youtu.be/J4w_62WX9Rk?si=Dn2H3GOEB8hB1-eu

 

上の動画から一番最後の震脚のところを切り抜いてみた。

 

これだけ見ると、そんなものかと思うかもしれないが、普通の老師はそうはならない。

 

 陳正雷老師は日本でも有名な老師だが、上の

馮老師に比べると普通な感じだ。

 体重が軸足に乗ってしまっている。

 

 実は片足を地面から離す時に、体重を全て軸足に移してしまうと提膝(抜き足)はできない。ただ腿上げになってしまう(股関節にロックがかかる)。

 

 上の馮老師の画像をよく見ると、老師の腿は股関節よりも高く上がっている。これに対し、陳老師の腿は股関節から水平ラインだ(膝が抜けていない)。

 陳老師のこの画像は明らかにカメラ目線で撮られているので、そもそも軸が通らないので仕方がないのかもしれないが、一応比較の材料として使わせてもらうと、この2人の比較は、上のマイケルと別のダンサーとの比較とよく似ているのだ。

 

 更によく見ると、馮老師の軸足はしっかり地面からの反発力をえているが(地面から上向きのベクトルの力が働いている)、陳老師の画像では、足は下向きに床を踏んでいるだけでもう片方の足が上がるだけの十分な反発力を得られていない。

 

 

  マイケルと馮老師の似ている点を見ていたら、たまたま腰の王子がこんな言葉を発しているのに出会した。

 「皆、軸足を作ることを意識しすぎ。軸足を作ったら軸は通りません。体重を両方の足にかけると重心は真ん中にくる。重心を動かさずに片足を動かせるようにならないと・・・」

 軸足を作ったら軸が通らない、なんて衝撃的な言葉!

 マイケルは軸があるから軸足がいらない。軸は両足の真ん中を通るのだから。

 武術においては、あからさまに軸足を作ると動きが止まってしまう、読まれてしまうのだろう。まだまだ奥が深いのでした・・・

2024/12/13 <軸、回旋、中正、含胸>

 

 前回のマイケルジャクソンから間が空いてしまいましたが・・・。

 きっと画像を比べて見ると本物とモノマネの違いがわかると思います。

 モノマネの方は、どこか、キマッていない、と感じる。

 理由は分からなくても直感的に分かってしまう、というのは面白い。

 

 服装や顔はともかく、マイケルジャクソンのポーズを正確に真似できる人(一流ダンサーも含めて)がほとんどいないが、それは、”軸”、脊柱起立筋ではなく多裂筋を駆使した”捻りの軸”が真似できないからだ。

   

 上の3枚はマイケルじゃないのが分かると思うが・・・

 

 右側の本物は、もっと捻れている!

捻れているから、軸が通っている!

 

左のモノマネは、頚椎から仙骨までに捻りがかかっていないので(そもそも含胸を全くしていない!)上半身と下半身が分断している。まっすぐ前を向いて股関節だけで股を開いているからどこかパロディに見える。

マイケルは頚椎のてっぺんから回旋をかけている。

 

 頭の向きが違うのが分かると思うが、マイケルの顔の向きが正面に近いのは、モノマネの人よりも回旋が多いからだ。

 

このポーズの下半身は骨盤が左に回旋しているが、モノマネの人は左に捻った骨盤に対して背骨を右に回旋してポーズをとっている。

が、マイケルは、左に回旋している骨盤に対し、胸椎下部から腰椎は右回旋、胸椎上部は左回旋、そして頚椎上部で右回旋、といった感じで数回捻りをかけている。すると背骨のコイルが巻かれるので軸がしっかりし安定する。

 

 モノマネの人の軸が2軸に見え(両足に重心がかかっている)、マイケルが1軸に見える(両足の真ん中に軸が落ちる)のは背骨の捻りをつかって軸を作っているかどうかの違い。

 そしてとても大事なのは、胸椎の捻りを入れるにあたって、含胸は必須だということ。

 モノマネの人はそもそも含胸ができていない・・・ということは胸椎を操ることができないということ。

 

 マイケルは含胸の名人だ。

 

 右のものまねは含胸をしていないので、頭部と胴体と骨盤の関係がちくはぐだ。(平面的な動きに見える)

 

 左のマイケルはやはり含胸をしていて、背骨が通って足先までつながっている。そしてここから回転もできるような3D的な構えだ。

 

 

 

 

普通に立っているだけでも、本物のマイケルなら左のようには立たないだろう・・・

これじゃあ普通の人。ちょっと間抜けな感じ(気が足に落ちていない)

やはり、右のように含胸をしているはず。足がしっかり地面に根を生やす。

 

モノマネのポーズに共通するのは、絵に描いたような平面的なポーズになること。本物は常に3次元、奥行きがあります。

含胸をしないと奥行きは出ない。

 

 

上のような比較はそのまま太極拳にも当てはまる。

 

中正ということを、背骨をまっすぐ動かさない、という意味に履き違えると、四肢運動になってしまう。

 

背骨を屈曲伸展、側屈、回旋させることで、体の軸はまっすぐに保たれている。

 

太極拳の入門として広まっている簡化や規定された太極拳では 含胸を省いて教えているようなきらいがある。脊椎を細かく動かさずに背骨を棒として使っているようだ。

 上のように比較すると、マイケルジャクソンとモノマネの比較と同じ帰結になると思うのは私だけではないはず。

2024/12/8

 

 いまさら、マイケルジャクソン!

 鼠蹊部の隙間について説明していたらマイケルジャクソン、ポー!のポーズになってしまったのをきっかけに、彼の体の使い方を再確認中。

 

 世の中にはそっくりさんがたくさんいるようですが、彼の動きを真似るのは不可能に近い。マイケルのバックダンサーよりもマイケルの方がダンスの質は格上だと昔から思っていたけれど、そもそも彼は"King of Dance "と呼ばれていたのですね。今になってそれを思い知るとは何と時代遅れ(苦笑)

 

 ともあれ、

 下の画像の中で偽物(ものまねの人)がどれか、分かってしまうと思うのですが、ポーズのキメ方に違いが出てくる身体の構造的な違いを説明できればと画像を見ています...

 

 

2024/11/29 <立ち方 坐骨と踵の関係、膝裏の力>

 

  立ち方について、今更ながらまた説明してみました。

 

  太極拳の外見的な立ち方の特徴は、体を倒さずに頭頂を真上に保つことですが、それは単純な筋力(力)に頼るのではなく、全身の経(経絡)を通すことによって内気(勁)を使う、という力の使い方が根本にあります。

  全身を繋ぐ、経を通す、ためには、足裏得られる地面からの反発力を最大限に得ることがとても大事になります(地の気を得る、と表現される)。

 

 太極拳の基本姿勢の馬歩や弓歩では膝が曲がっていますが、今週のレッスンで行った肘の構造がそのまま膝に当てはまります。

 肘は、前腕を上腕に、上腕を前腕に、同時に近づけることによって、強い肘になる。

 同じように、

 膝は、ハムストリングスを脹脛に、脹脛をハムストリングスに、同時に近づけることによって、(ただ伸ばしているよりも)強固な膝になる。

 肘がしっかりすれば腕が、膝がしっかりすれば脚がしっかりする。

 その感覚はレッスンで試してもらいました。

 

 そして膝。

 ハムストリングスを脹脛に近づけることはできても、脹脛をハムストリングスに近づけるのは難しいかも? そのためには足の中も動かさなければなりません。また、そもそもハムストリングスの感覚を得るのが難しい人も多いような。

 別の言い方で言うと、脚を曲げる要領は、坐骨を踵に近づけるようにする、ということ。

 随分前のブログでそれについて詳しく書いたことがあると思います。

 発生学的に根拠のある原理だそうです。

 

発生学的に踵と坐骨は近位にあった、と聞いてなるほど、と思ったことがありました。

(聞いた話で、ウラはとっていません)

 

『踵から力が出る』と太極拳で言われるのは、地面からの反発力を足裏で得た後、踵→膝裏→(ハムストリングス)→坐骨

という経路で、アクセル筋のハムストリングスが起動するからだと解釈しています。

 

踵と坐骨を近づけると膝が曲がりハムストリングスが収縮する。足首は背屈になる。

ここで膝裏と足首にエネルギーが溜まる。

そこから足裏が地面を蹴ることによって、足首や膝裏のエネルギーが爆発してジャンプ、前進する。

 上の右四つ足動物の骨格図を見るとそれが想像できるはず。

 

そして、私達人間の体も構造は同じ。

 膝を曲げる、いや、坐骨と踵を近づけて膝が曲がることによって、膝や足首にエネルギーが溜まり、伸ばすことによって力が発揮できるのだ。(よーい、ドン!です)

 

 太極拳の立ち方、腰を下ろした立ち方は、エネルギーを溜める立ち方ですが、脚に関して言えば、そういうこと。

 坐骨の下には常に踵があるように立つ。

 それは高い姿勢でも低い姿勢でも同じ。

 

 タントウ功、基本姿勢を作る時に、坐骨と踵が近づくようにすると膝が曲がるが、それでもって頭を足裏の上に置いておこうとすると、嫌でもお尻を中にいれる必要がある。

 お尻を出すと坐骨と踵の位置関係が崩れてしまい、上半身と下半身が分断され、太極拳の動きはできなくなる。

 

 ということで、レッスン中の動画をアップします。

 (坐骨と踵の関係について動画では詳しく説明していないので、ここに書きました。)

2024/11/28

 

  気づいた方もいるかと思いますが、X(旧twitter)にちょっとした呟きを投稿するようになりました。そのリンクは左コラム上のカツラ猫写真の上にあります。普段ブログにしっかり書き込めないようなことが多々あるので、そのメモ代わりに使おうと投稿を始めました。

  覗いてみて下さい。

2024/11/27 <しっかりした強固な肘を作る>

 

 前回の肘の隙間の使い方に関して。

 実際にレッスンで教えてはっきりしたのは、

 肘は<前腕を上腕に近づけると同時に、上腕を前腕に近づけるようにする(肘を圧迫するようにする)>とある地点で肘がしっかりと強固になる、ということだ。

 

 私達は”肘を曲げる”と表現するけれども、本当は肘という隙間を曲げることはできない。

 やっているのは、前腕を上腕に近づけるか、上腕を前腕に近づけるか、もしくは両者を同時に行うか、そういう運動だ。そうすると、”肘が曲がる”。

 

 日叙情生活でも肘を曲げて行う動作はとても多い。

 今私がパソコンに向かってキーボードを叩いて文章を書いているが、この時も当然肘が曲がっている。

 


 普段肘の曲げ具合なんて気にもしないかもしれないが、太極拳では肘を無造作に曲げたりはしない。肘を真っ直ぐ伸ばしているよりも曲げた方が腕自体が強くなるからそうしている。それはテニスでも野球のバッテイングでもバレエでもピアノを弾くのでも同じだ。肘が曲がることで腕の関節(手首、肘、肩)が貫通し、腕が胴体からぶら下がっている付属物ではなく、あたかも胴体のような主体性を持つのだ。太極拳で五弓、と言えば、背骨と両腕両脚を指すが、背骨と左腕や右脚が同列に並んでいる、というのも面白い。しかし、腕はそのくらい存在力と威力があるのだ。

 

 例えばパソコンに向かってキーボードを使う姿勢として、肘の曲げ方の観点から見るとどうなるのか?

 

上の左の図は https://miki-site.com/pc-goodposture

右図は https://support.nec-lavie.jp/navigate/application/prevent/useful/20140304/index02.html

 

 

 上の二つの図は肘の曲げ具合が違う。

 左は鈍角、右は90度だ。

 まず、普通は90度の場合は肘自体に力が出ない。上腕と前腕は肘で分断する。 

 実は、冒頭の赤字で書いたように、普通は上腕と前腕、双方向から肘を圧迫するように折りたたむと肘は鈍角にしかならないのだ。90度に近づくと肘の力が抜けてしまう。(肘の力を保持したまま90度よりも狭くしたければ、思いっきり丹田を腹底に押し込まなくてはならない。)

 

 そういう観点から言うと、普通は左の図のようにパソコンから少し離れた感じで肘を90度以上開いている方が良い。上腕と前腕が一体として使えるからだ。

 もし、右側のように肘を90度に固定するならば、肩を沈め、胸を抑えて(含胸をして)、気を下っ腹の奥まで沈み込ませる必要がある。そうすれば90度、それ以下もありだ。

 丹田が臍あたりなら、90度以上開いている方が妥当・・・

 

 この肘の角度と丹田の位置の関係は練習しているうちに自然に得ていくものだ。が、それには眼法を含めた内側の意識の鍛錬が必要だ。

 

 太極拳は防御が攻撃になる、ということは、防御が前提だ。腕が強くないと、腕で相手の攻撃を止められない。つまり、強い腕がいる。その要になるのは肘かもしれない。『墜肘』というのも、冒頭の要領で作っしっかりとした強い肘が前提だ。というか、『沈肩』をしてそのように肘を作れば『墜肘』になってしまう。(本当は、しっかり沈肩をしてから、前腕を上腕に近づけようとすれば、強い肘が作られてしまう。万が一、間違えて沈肩をせずに圧迫した肘を作った場合はそこから沈肩をすれば墜肘になるはず。)

 

  と、レッスンでこれを教えたが、それを套路にすぐに適用させる前に、簡単な動功や食器洗いや拭き掃除、荷物運び、など、簡単な日常生活の動作で、強い肘を作って行う練習が必要だと思った。套路で練習するなら、単式を集中して練習すること。

 

 実は、この肘の使い方はそのまま膝に当てはまる。

 膝を曲げるのではなく、膝は曲がるのだが、それは、太ももを脹脛に近づけると同時に脹脛を太ももに近づけることで起こる。肘と同じ原理だ。

 中腰になる時、腰を下げてお尻を床に近づけたりしているようでは膝は正しく曲がらない。強固な膝を作るには、ハムストリングスと脹脛、あるいは、坐骨とアキレス腱、の意識が必要だ。ハムストリングスを脹脛、アキレス腱に近づける、というのはやりやすいかもしれない。が、脹脛やアキレス腱をハムストリングスに近づける、という下から上向きの動作はどうだろう?この上向きの動作は結局は足裏のアーチ(湧泉)の引き上げによって行われることになるのだが、これができないと、正しく膝は曲がらない。太ももを脹脛に、そして脹脛を太ももに、双方から近づけることで、膝はキュッと力が出るのが分かるはず。そう、膝裏です!膝裏が強い、これが膝が曲がることで得られる効果です。

 膝を自分から曲げてしまうと、膝上の前腿だけ鍛えることになるので注意。

 

 

 

2024/11/20 <肘という隙間の操り方 節節貫通を目指して アイーン>

 

 『肘』というのは太極拳の八法の一つだ。(太极八法とは太極拳の基本の八つの動き。

捋、挤、按、采、挒、肘、靠)

 文字通り、肘技、エルボーだ。

 

 肘技の練習をすると肩や胸、上肢の使い方が身についてくる。

 すると、普通に拳で打とうが、掌でジーをしようが、相手の攻撃をリューで躱そうが、手を使う時に自然に肘、二の腕が使えるようになってくる。

 

 

 逆に言えば、そのような練習をしたことがない場合、多くの確率で”肘”は使えていない。

 ”肘”が分からないまま太極拳を続けても、四肢運動に留まり、ラジオ体操の域を超えない。

 まずは自分の手腕の使い方を見直すべきだ。

 そして、肘、二の腕が使えていないのが気づくことが大事だ。

 私自身は、自分が肘や二の腕が使えていないことを自覚するのに何年もかかった。師父は、しばしば、「肘のポンができていない!」と注意してくれていたのだが、その根本的な原因が自分の肘の意識がぼやけていることだと気づくまでに時間がかかってしまった。

 それに気づくと、太極拳のパズルが解けてくるようになる。

 ああ、そうだったのか〜、と他の部位についても同じような意識をもって見直すことになるのだ。

 肘関節は比較的扱いやすい関節だから、ここでその要領を知って、理解してしまえば、それが、膝関節でも股関節でも、肩関節、脊椎の関節・・・どの関節でも同じ原理が適用される。そうやって、身体中の関節が連動して体は一つのまとまりとして動いているのだ、と『節節貫通』が理解できるようになる。(たとえ全身が貫通していなくても、この延長線上にあるのだ、とはっきり分かる)

 

 

  肘は尺骨と上腕骨の繋ぎ目だが、その位置は思っているよりも上腕側にある。二の腕の一番下、肘頭の少し上に指で確認できる凹みがあるが、そこが、尺骨が上腕骨に組み込まれている場所、肘関節だ。

 

  

 が、普通、「肘を曲げて」、と言われると、どこに肘関節があるのか意識しないまま、私達はなんとなく前腕を上腕骨に近づくように動かしている。なんとなく前腕を動かして肘を曲げても、その時に上腕や肩を無意識的に動かしてしまっているため、関節が連動して全身運動をもたらすような”肘”の使い方にはならない。腰の王子の言い方を借りれば、「小手先運動」になってしまっている。 それでは太極拳にはならない。

 

図で説明してみる。

 

肘関節は上腕骨と尺骨の間の隙間。

この肘という隙間を隙間を使って、その次の隙間(関節)である、手首(前腕と手の隙間)や肩関節(上腕骨と肩甲骨の隙間)に影響を与えられるようにするには下のような3つの動かし方がある。

 

一つ目は、上腕骨を全く動かさずに尺骨だけ動かす(上腕骨に近づけるように)方法。ちゃんとできれば、二の腕が伸ばされて、肩関節の隙間が広がる。

 

二つ目は上腕骨を尺骨に近づけるように動かす方法。(前腕を動かさない)

これは腕立て伏せで体を床に近づける動きの時に使われる。(肩関節に力を入れず開いておけば、胸や腹に連動がかかる。)

 

三つ目は上腕骨と尺骨をともにお互いの方向に向かって近づけるように動かす方法。この方法が最も理想的だ。太極拳のリューもこの方法で引っ張る。(①の方法でリューをしたら、引っ張った相手が自分にぶつかって終わってしまう。②の方法でリューをしたら、相手を引っ張ったら自分が相手に衝突します。)

 太極拳に多いジー(推す)のもこの3つ目を使う。推手も然り。大事なのは、いかにジー(推す)をするか=腕を伸ばすか、ではなく、ジーをする前に以下に腕を畳むのか(肘を曲げるのか)だ。肘が正しく畳めていないと、腕を伸ばして推した時に腕だけで推すような小手先運動になってしまう。それでは全く威力がないし、何のために太極拳の練習をしているのか分からない。太極拳の醍醐味は、胴体のポンプ運動が手まで到達することで得られる。そのためには③のように畳む必要がある。それができると、肩甲骨も起動し、前鋸筋も使われ脇の力、胸の力、腹の力、足の力、と全身が連動するようになってくる。

 

   二の腕を使う、というのは、思った以上に難しく、しかし手を胴体化する要であるため、他のスポーツでも重要視されるところだ。二の腕の使い方が下手だと上半身のコントロールができないので、上半身が塊として下半身に乗ってしまう→脚にとって負担、股関節や膝に負担がかかる。

   バレエでもポールドブラと言って腕の動きだけの練習がある。これも二の腕をちゃんと使えるようにする練習だ。その腕がないと、ジャンプもピルエットも、脚を高く上げることもできない。

 

  腰の王子の「とんがりコーン体操」も肘を正しく曲げる練習だ。アイーン体操というのもある。志村けんは天才♪と王子がポロッと言っていたが・・・本当のアイーンはどうなのか? と動画を見たら、確かに、ちゃんと二の腕を使っていました。「アイ〜ン」と言いながらやると二の腕が伸びる。この口の形が二の腕を引っ張るみたい。いろんな顔や口の形をすることで連動がかかる・・・とはいえ、太極拳ではこんな顔はできません(笑)要領を掴んだら顔芸なしでできるようにすれば良いと思います。

2024/11/13

 

 胸椎の可動性、これは太極拳では見逃されがちだ。

 胴体を真っ直ぐに保つ、という単純な認識でいると、胴体はあたかも一塊の箱のようになってしまう。塊の胴体から四肢が生えているのはロボットだが、人間も老いていくとそのような体に近づいてくる。それに追い打ちをかけるような練習をしてはならない。

 

 各々の脊椎と脊椎の間は関節で可動性がある。

 関節は、一言で言えば ”隙間”だ。

 この”隙間”を意識して動いていくのが太極拳だ。

 筋肉や骨を意識して動くわけではない。

 私の師を含め中国のマスターたちは筋肉や骨で説明をしない。経絡と穴位(ツボ)で指導をする。「命門を開ける」という「命門」もツボの名前だ。背骨でいえば、腰椎の2番と3番の間。つまり、「命門を開けろ」と言われたら、腰椎の2番と3番の間の隙間を開ける、広げるようにする。脊椎間にはそれぞれツボがあるから、全部を開けられれば、どの脊椎も意識的に動かせるようになる。そこまでいけば達人(腰の王子レベル)。

 

 <以下、題目のみ。時間があれ後で書きます>

 

 ①骨と骨の隙間を見つけるには?

 ②その隙間を広げるには?

 ③頭を回す運動がチャンスー功の第一番目の練習として挙げられている。

 それは何故か?

 頭を横に向ける時に頚椎しか使わないのであれば、チャンスー功として取り上げられている意味がない。

 

 

  胸椎上部と頚椎は頭と同じ方向に回転するが、胸椎5番以下と腰椎はそれと反対に回る。つまり、背骨に捻りをかけている。

 

 ④胴体が真っ直ぐに見えても内側では捻りがかかっているのがミソ。

 ⑤眼法の基本 目が動き出す時に目玉と瞼を分離させる。太極拳の套路で目が手を見るのはその眼法の練習。内視と同じことになる。

 ⑥胸椎が硬いと腰に負担がかかる

   例えば、このブログを参照 https://ekoc2020.com/column/%E8%83%B8%E9%83%AD%E3%81%AE%E5%8F%AF%E5%8B%95%E6%80%A7%E3%81%8C%E6%9C%80%E3%82%82%E5%A4%A7%E5%88%87%E3%81%AA%EF%BC%95%E3%81%A4%E3%81%AE%E7%90%86%E7%94%B1/

 

 ⑦太極拳の「含胸」は胸椎の可動域を増やすための要領  これをしないと胸椎を動かせない→四肢運動になる。また、「含胸」をする時に体を落とさない、引き上げておくことが大事。胴体は中に風船が入って浮いたようになるのが理想(上の写真の馮老師のように)。含胸は胸を凹ませることではなく、胸郭に空気を含むこと。沈肩とセットで行うことによって脇で呼吸できるようになる(外から呼吸が見えなくなる)。(含胸がきちんとできている老師はなかなかいないので、それができている老師に出会えればラッキーです。)

 ⑧女性は特に、体が落ちないように引き上げを注意する必要あり。太極拳は下に落ちるような姿勢をとるのでますます体が下がってしまう危険性がある。

 「気は落として体は引き上げる」

 足裏まで気を落とせないと体は引き上げられない。地面からの反発力を得るのが引き上げのコツ。地面を踏みしめているようでは反発力は得られない。これも馮老師のようなお手本的な動きをしっかり学ぶこと。

2024/11/2 <スポーツと養生法 四肢運動から内側へ 内視の重要性>

 

  健康で体に故障がなければスポーツを楽しめる。

  スポーツの語源は、”気晴らし”、”気分転換”。体を動かして楽しむ、ゲームをして楽しむ、観戦して楽しむ。

  スポーツの語源には健康を増進する、という概念はない。それは後から付け加えられるようになったものだ。”体を動かして気分転換をすることは、心身の健康を促進する”、といったように。

 

  日本の学校にある「体育」という概念は独特だ。心身の鍛錬をする、そういった目的が入っている。気晴らし、ではすまされなものがある。

  日本のような「体育」という授業のある国は珍しいようだ。私がいたフランスには「体育」という授業はなく、スポーツをさせたかったら親が自分でクラブなどを探さなければならなかった。アメリカやシンガポールも球技やゲームをさせるくらいで、中国ではスポーツは選抜組が行うもののような位置付けのようだ。(参照:https://haa.athuman.com/media/japanese/culture/2154/)

 

  ただ、中国には独特の概念がある。

  それは「養生法」だ。健康を保持促進し、疾病を防ぐための方法だ。体の弱い人もそれによって健康を取り戻す。

  養生をして長寿を目指す、というのは中国文化の根底にある道教的な概念で、中医学の基礎。ここから気功法も生まれてくる。

   

  太極拳が養生法になり得るのはそのベースが気功法だからだ。平たく言えば、呼吸を使って気血を全身に巡らせるものだからだ。横隔膜呼吸、丹田呼吸が必要になるのはそのためで、それができるようになると、背骨がバラバラになって(脊椎間の隙間ができて)体の中心から動くことができるようになる。

   

  病気は内臓に現れるもので、呼吸によって内臓が活性化すると働きが良くなる。体の内側が強くなる。よくある腰痛や膝痛も胴体の内側が動かないために胴体が塊になってしまっていることが根本原因で、背骨を使えるようになれば”浮身”がかかり、腰や股関節、膝への負担が減る。腰痛や膝痛の場合は積極的に”回す”と治りやすいのは、そこを回そうとすることでその部位周辺に”隙間”=ちょっとした浮身がかかるからだ。病院に行くと昔は動かさないように、と勧められることが多かったが、今では積極的に動かすことを勧める医者も増えてきた。

 

 (私は30代にスポーツ中左膝の前十字靭帯を断絶し、手術直前に担当医師が転勤してしまったため手術するのを諦めてしまった。うまく体重を乗せないと膝が滑って腫れてしまうため、それまでやっていたスポーツはできなくなってしまった。できるのはゆっくり慎重に動く太極拳だけ。この怪我をきっかけに運動は太極拳に絞られるようになった。結局いつの間にか膝は治っていて、10年ほど経った頃には、どちら側の膝を怪我したのかを本当に思い出せなくなって、病院に電話をして問い合わせたほど。

  靭帯の手術の名医を探して手術の日程まで決めて、それが直前にそれが流れてしまいがっかりしていた私。その時その医師に、「(手術をしなくても)、切れた靭帯が繋がってしまったりすることはありますか?」と聞いたら、「人体は神秘だからなぁ〜。」と答えたのを自分の都合の良いように受け取った。今、昔のことを思い出しながら、身体はうまく使えばちゃんと回復するんだなぁ、と思う。)

 

 太極拳は体を内側から鍛える作用があるけれども、それはあくまでも内側の練習をした場合。

 昨今広まっている太極拳は、ゆっくり動いているが、四肢運動にしかなっていないもの、もしくは、カンフーのアクロバットの見せ物になっているものが多い。

 

 ”内側の練習”と言って、何が”外”で何が”内”かが分からないで太極拳の練習をしている人は、まず、内側の練習はできていない。

 内側から動くためには、まず、内側を見ることができなければならない。

 だから、まず、『内視』の練習をする。

 太極拳は『内視』をしたまま行うし、その癖がつけば、ラジオ体操も腰の王子の体操も、みな『内視』で行ってすべてを内功にしてしまう。(そもそも腰の王子の体操はすべて内功です。ラジオ体操は内功ではありません。)

 ”道”とつくもの、はそもそも内視が基本。形は内視して内側から作られた形。形、型だけを外から真似している段階は入門以前だ。形から中に入って、やっと入門だ。

 

 内視は坐禅や瞑想で行うものと同じ。

 内視ができないまま練習を続けてもいつまでたっても外縁をぐるぐる回るだけ。養生法としては効果が薄いだろう。

 

 スポーツは勝敗や記録に気を取られやすく内視がしにくい。

 気晴らしをしている時点で内視は無理だ。

 体を酷使して鍛錬している時は、筋肉を意識したり疲れ、どこかの痛みを意識したり、もしくはそこから意識を外そうとしてみたり、と、やはり内視ができない。鍛錬している、と思った時点で内視が外れる。

 

 最近レッスンをしていて気づいたが、内視を導いてそれを維持させたまま動けば、目が正しい位置に定まるため、目の動きによって脊椎が上から順番に連動して動くようになる。腕の動きが全く変わってしまう。それが維持できれば、四肢運動になってしまっていた簡化24式が本格的な太極拳の動きに変わりうる。そのくらい内視は大事だ。

2024/10/25

 

  構える時に、「腰を落とす」という言葉を使うのを時々耳にするけれど、その度にトリッキー表現だなぁ、と思う。

  

  「腰を落とす」と聞いたら、「腰を落として」しまう。

  そうしたら、腰が塊でどかっと落ちてしまう。

  腰は落ちてはいけない。

  なんなら腰は浮いているべきだ。

 

  太極拳では「腰を落とす」という言葉は使わない。

  『塌腰』(ターヤオ)という言葉を使う。

  ”塌“という漢字の意味は、「崩れ落ちる」だが、それは、『松腰』の延長線上にある。

 

  太極拳を行う時に、まずしなければならないのが、『松腰』だと馮志強老師は書いている。しかしこれは太極拳に限ったことではない。運動をする時は必ずまず腰を緩める必要がある。「よ〜い、ドン!」と走り出す前の、「よ〜い」の姿勢。この時、無意識で腰を緩めている。腰は前弯から後弯に向けて形を変えているはずだ。

  

  腰を緩めるには、まず、生理的前弯(前方に沿った形)から後弯方向に変えられる必要がある。つまり、腰椎を動かすことができなければならない。

 

  では腰椎を後弯すれば(丸くすれば)『塌腰』になるのか?というとそうではない。

 

  <上の図>

  腰椎は前弯の時(腰を反った状態の時)、椎骨の腹側は伸び、背中側は縮む、緊張が残る。後弯の時(腰を丸めた時、前屈の時など)はその逆になる。

 

  前弯姿勢は椎骨の背中側が緊張して腹圧が抜けやすい。また、後弯では椎骨の背中側が伸びるのだが、この時に、腹圧が抜けてしまうと椎骨の腹側のラインが突破されたようになって椎間板ヘルニアやぎっくり腰を発症させたりする(くしゃみでぎっくり腰になったという身近な例あり。)

 

  共に一長一短あるため、理想は前弯でも後弯でもないところを目指す・・・五つの腰椎をまっすぐに並べるように・・・と、やろうとすると、結局は、仙骨を立てる(骨盤を立てる)ということになる。

  が、すぐにその境地に至らないので、まずは、腰を緩める(松腰。ほっとして息が深く入る時の腰が丸くなる方向へ”:腰の王子の「おやほうおやすみ体操」の「おやすみ」の方向へ)。

  この時、ただの”猫背”になってしまわないように注意!

  腰を丸くして前肩になってしまったら猫背だ。その時はきっと頭が前に倒れているだろう。こうなったら腹圧が抜けてしまうし腰にも悪い。行き過ぎだ。

 

  腰を緩めようとすると、他の部分も弛緩してしまってただのだらしない姿勢になりがちだ。ではどうするか?というと、息を使う。

  息を通すことで腰を緩める。

  横隔膜を動かす必要がある。

   

  このあたりは様々な努力が必要だ。

  腰の王子の三種の神器も然り、私がずっとやってきているタントウ功や内功もそれを可能にするものだ。

  腰椎の前弯と後弯を繰り返す動きを行ううちに、それが、行ったり来たりの往復運動ではなく、循環運動(円運動)になることが分かってくると、自然に、腰の緩んだ感覚、松腰の感覚が掴めるようになる。一言で言えば、”隙間”の感覚だ。

 

  そのような腰の隙間感覚があって初めて腰が引き伸ばされながら垂れ下がる感覚=塌腰の感覚が生まれてくる。そうなれば仙骨の意識も生まれているだろう。

  

  まとめると、「腰は落とさない」。腰は「下向きに引き伸ばして垂らす」。そうなるためには、”腰の隙間”の感覚が必要で、”隙間”を見つけるには”息”が必要だ。 

  そもそも丹田を作るのは内側に隙間を作って内側から脊椎と脊椎の隙間を作るため。

  腰の王子は丹田を作っていない人でもそれを可能にするメソッドを編み出している・・・おかしな発声や表情はバイタルになる。

 

2024/10/21

 

 歩く時に抜き足と差し足が入れ替わる(スイッチする)というのは武術ではとても大事だ。なぜ両足に体重を乗せてはいけないかというと、両足に体重が乗っている時は、”居ついて”しまうからだ。とっさに動くことができない、躱すことができないからだ。

 たとえば両足に体重を乗せて立っている時に、前から人が当たってきた時、体を回旋させても躱せない。片足に体重を乗せていれば体を回旋させて躱すことは簡単だ。(混雑した駅で前から来た人と衝突しそうになった時にどうやって躱すかを想定すると分かると思います。)

 

 私は若い時に卓球の選手だったので、その感覚は分かりやすいです。

 レシーブに入る前は、体重を右左右左、と左右の足に振ってから徐々に動きを止めてレシーブの構えに入る。構えても決してどっしりと両足に体重を乗せることはありません。静止中も重心移動を目に見えないくらい高速で行っている・・・これはタントウ功と同じです。

 

 ここで馮志強老師の運手(雲手)の動きを見てみます。本来の伝統的な太極拳(民間派)の代表。


 そして、世界武術選手権でチャンピオンだったことのある老師の雲手。(現在普及している規定太極拳の動き。)https://youtu.be/6bZdHwPUxw8?si=IVSnKotEa1V5DlBO

 そして2つを比べてみます。

馮老師は動画をどこで一時停止させても両足に体重のかかっていることはありません。

隙がない。

 

一方規定の動きでは両足に体重がかかっている姿が目をつきます。

右足に重心を移して左足を左に出した時の動作。

 

規定の老師の方は体が浮いて左足が胴体から断絶している。ここで左足をとられたらどうすることもできません・・・

本来は馮老師のように、右足と左足は常に股(骨盤、丹田)を介して一本につながっています。『圆裆』と呼ばれる要領です。股が緩むと規定の老師のようになります。(腸腰筋が使えていない、という言い方もできます。)

 

この2人の画像が面白いのは、同じ動作なのに目線が真逆、というところ。

 

全身の連動をさせると、左の馮老師のようになります。

 

理論的に説明するよりも実践で力の出方を試すと分かりやすいのですが・・・

 

簡単にいうと、頭部と胸郭と骨盤は頭部が右回旋なら胸郭は左回旋、骨盤は右回旋、となると、軸が通ります(脊柱運動、一軸、軸が真ん中に通ります。)

もし全てが右回旋になると重心が真ん中から右に移動してしまい不安定になります。(背骨は殆ど使われない、ニ軸運動、右、左と軸が移動する。)

このあたりは、私もよく知らずに劉師父から言われるがままやってたのですが、後に腰の王子の講習を受けてそれがとても合理的なことを知ったのでした。(日本の文化は二軸が多く左右運動、欧米系は回旋運動の一軸運動、と言っていた人もいますが、検証はしていません。 スワイショウもよく見るのは二軸運動ですが、劉師父にやってもらったら見事な一軸運動でした。太極拳は背骨の回旋がメインの一軸運動です。)


 上の馮老師の動きをみるとダイナミックで活き活きした感じがして、規定の方をみると平面的で息のとまった感じがするのは連動の違いです。連動すると呼吸も深くなる。体を固めて四肢で動くのは老化を加速させることになる・・・

  中国で当時国家が太極拳を国民のために制定した背景には、それまで国家にとって危険な活動だとされてきた気功や武術を国にとって安全なものにする意図があったとも言われている。実際、馮老師も国から認められるまでは肩身の狭い思いをしたことがあったようだ。国が制定したことによって太極拳は全世界に普及したが、結果、核心は抜け落ちてしまった。広く一般大衆に普及させようとするとレベルを落とす必要があるのは仕方ないが、そのうち、本物を知りたくなる人も少なくはないはず。私もそうやって徐々に学んできたが、その結果分かったことは、どの分野でも一流、達人と呼ばれる人たちは皆共通する体の動きをしているということだった。太極拳の核心は、単なる太極拳の核心ではなくて、全ての身体運動、心理運動、意識運動の核心だったということだった。太極拳だけにしか通用しないものは太極拳ではないのかも? 「太極は万物に通じる」という言葉が今はよく理解できます・・・

 

 ということで、下に画像で比較を表そうとしました。

 馮老師の動きだと、サッカーや他の競技にも通用しそうです。

 

2024/10/17

   椅子に座って坐骨で座面を推す練習から立位へ。
 踵で地面を推すには坐骨が踵を推す必要がある。所謂、ハムストリングスの起動。

 これができないと正しくは歩けない。

 前足が着地と同時に後ろ足は地面から離れている。両足同時に着地している時間がない。小さな子供はそう歩く。常に片足着地だ。

 大人は前足が着地してから後ろ足が地面から離れる。後ろの蹴り足が流れてしまって本当には地面を押せていない。根本的には坐骨が使えない、ハムストリングスが使えていないから。

  上の子供と大人の歩き方の違いが分かるだろうか?

 

 <前足に体重が乗った瞬間、>

 子供の後ろ足は完全に抜けている。(踵も膝も抜けている)。片足立になっている。

 大人はまだ後ろ足に体重が残っている。踵を上げていてもつま先まであげることはできない。膝が抜けていないからだ(後ろ足が後ろに流れている)。この時はまだ両足に乗っている。

 

左のような歩き方はごく普通だが、どちらも両足に体重が乗っている時間がある。

 

↓下の画像へ

 

 

ちょうど、「人」という漢字のような両脚の形。

横断歩道の青信号の中の人もこのような歩き方だが、実は、これは本来の人間の歩き方ではない。後ろ足のハムストリングスで蹴って歩いているのではなく、前足の前腿で歩いているからだ。

 

太極拳では特にそれを戒めて、「双重の病」と言う。

体重が両足に乗るということは、どちらにも動けない、ということだ。

 

左は興味深い映像。

やっと歩けるようになったばかりの子供の歩き方は、片足ずつしか歩けない。

まだ太ももの筋肉が発達していないから、足裏から頭までを真っ直ぐに立ててバランスをとって歩くしかない。

 

このように、右足と左足が重なることなく歩くことはサッカーでは当たり前の話。

下のような動画がありました。

 

このような歩き方は「スイッチ」と呼ばれるのかな?

 

太極拳を含め、足捌きが大事になる武術や武道の師達は必ずそのような歩き方をしています。上の普通の大人のような歩き方をする師はいません。

ある動画で大谷君が歩いている姿がありましたが、その時は、左足が前の時はきれいに歩けていましたが、右足が前になると前腿に乗っていて両足に体重が乗っていました。

この時だけがそうなのかな?

 

両足に体重がかかる時(右側)は前肩です。そう、前肩だと前腿に乗ってしまうのは必至。わざと疲れた感じで歩いていたのかもしれません・・・

 

ただ、足捌き、という点ではサッカーの選手の方が参考になります。

2024/10/9

 

  足の運び方(歩法)を正確に行う、行おうと努力する、というのはとても大事だ。

  歩法を正しく行おうと細かく動きをさらっていくと、姿勢、構え、重心、脱力、呼吸等の、根本的な問題が明るみに出てくる。今まで自分はなんて適当にやっていたんだろう、と気づく。街で見る人々が本当に無意識で歩いているのが不思議にさえなる。

  

  姿勢が崩れていればどうやっても正しく足を運ぶことはできない。

  裏返せば、正しく足を運ぶには、まず姿勢を直さなければならない。

  ここでいう”姿勢”とは、ただ”真っ直ぐ立つ”とかいうようなものではない。

  重心、脱力、呼吸、なども含めた、体の中で血やリンパなどが循環し、内臓が常に働き、神経が張り巡らされた、体の中身も含めた”在り方”だ。

 

  制定された簡化24式が面白いのは、同じ歩法が繰り返されるところだ。

  簡単に言えば、抜き足、差し足、この連続だ。

  起式と第三式までの歩法が正しくできるなら、簡化24式の8割以上は正しくできるだろう・・・

 

  と、今日、実際にオンラインのグループレッスンで簡化24式の起式から第三式あたりまで細かく歩法を見ていこう!とやってみたのだが、正しく足を運ばせる以前の準備に時間がかかって套路の動きまでつながらなかった。来週続きをやる予定。

 

  正しく足を運ぶ、というのはどういうことか、という一例を文章で書いてみる。

  例えば、起式の最も最初の

   <閉歩から右足に重心を移動して左足踵が地面から離れていく動き>

  ①<閉歩(両足を揃えて立った形)>から

  ②<右足に重心を移動>して、それから

  ③<左足を踵から持ち上げる>

 

  この動きのミソは②と③が同時に起こるということ。

  しかも、胸から上は動かない(相手と両手を組んだ状態で、こっそり右足に重心を移動して左足を地面から浮かせても相手に察知されない、相手の背後に不意打ち的に回り込む方法)

  日本武術太極拳連盟の『太極拳実技テキスト』の記述を見ても

 「重心を徐々に右足に移しながら、左足をかかとから徐々に持ち上げる」と書いているから、②と③は同時になされるのは分かると思う。問題はどうして②と③が同時に起こるのか?しかも、”徐々”に?

 

 youtubeでいくつか動画を見ると、①から②③になる時になぜか体が下に落ちて少し背が低くなるのが決まりのよう。それは、”重心”を右足の上に移動させているつもりで、”体の重さ”を右足にかけてしまっているからのようです。結果として骨盤が落ちて右膝から左膝への重心移動のようになってしまいます。

 

 問題は”重心”の捉え方。

 重心を感じられなければ、それを移動させることはできません。

 重心は左足と右足で地面を突っ張った結果、腹の中に感じられる点(範囲)です。通常はこれを”丹田”と呼びます。

 単純に②で右足に体重をかけてしまうと、体は下方へ落ちて、重心は消えてしまいます。もしくは、重心は膝にある?なんてことになってしまったらとてもおかしなことになります。重心は腹の中のどこかにあるべきで、腿や膝にあることはありません。

 

 そして、重心を右足に移動させるときは、必ず左足は地面を踏み込んで蹴る必要があります(背屈限界から底屈へ転換)

 ③で左足の踵が持ち上がってしまうのは、右足に重心を移動させようと左足が地面を蹴るからです。左足は蹴って右に重心を送ったらそのまま地面から離れてしまいます。一方、右足は重心が送られてくるにつれ踵を踏み込んでいくような動きになります(背屈がキツくなる)。

 左足は蹴り足で、抜き足です。右足は差し足です。抜き足がないと差し足はできません。

 差し足を先にしてしまうと重心は落ちて(消えて)前腿、膝で体重を支えることになってしまいます。

 

  左足が頑張るから右に重心が移動します。

  

 

 今気づきましたが、そういう意味では、「右足に重心を移動する」というのも正確ではなさそうです。「右足の土踏まずの上方に重心がくるように、左足で腹の中の重心を右の方へ移動させる」と言った方が正確かも。

 

 結局、ここの動きは普段の歩行と同じです。③で上がった左足をそのまま下におろして、今度は右足を蹴り足にして左へ重心移動すれば、右足が上がります。左右繰り返せば、その場歩きの練習。

 また、蹴り足が上がっていって踵で止めずに、踵を使って膝も抜いて上げてしまえば、『提膝』になってしまう。股関節の屈曲がしっかりできます。こうやってできた『提膝』は腿で膝を上げる『腿上げ』とは違って骨盤が後傾しないので片足立の安定感が段違いになります(腸腰筋を使えるというメリット)

    

  

2024/10/8  <抜き足 差し足 モデルウォークから>

 

  バレエの先生のブログが興味深かったので紹介します。

  https://ameblo.jp/balletstudiobeat/entry-12820927385.html

 

  ここで紹介されているモデルウォークのレッスン風景の動画はこれ。

 

 動画を見れば、誰がちゃんとできているのかは一目瞭然。

 この動画を見たバレエの先生のコメントは太極拳にもそのまま当てはまる。

 

 ポーズとポーズの練習になってしまって、繋ぎの練習になっていません。

流れをポーズに分解する練習は良くないです。」

 

 そう、ちゃんとできている1人の人を除いて、他の人たちは、足を上げて止まることに気を奪われて、そこに至る過程を一つづつクリアすることを忘れています。

 平たく言えば、片足立でそこでふらつかずに静止できるかどうかは、片足を上げてみてからどうにかするのではなく、上げようとする時には既に大丈夫だと分かっていなければなりません。

 上のモデルウォークも抜き足、差し足の連続ですが、後ろ足をどのように抜くか、うまく抜けるか、で、ぐらつくかどうかが決まる。抜いていく時に完全に軸足の上に背骨が乗らなければ抜き切った時に片足立ちは安定しない。

 

左の画像 

右足(後ろ足)をこれから抜くところ。

この姿勢でもう結末は見えています。

 

左端の女性は完璧。背骨も肩の位置も頭の位置も申し分ない。

彼女をお手本として右側の4名を見るとわかりやすい。

 

左から2番目の女性はそもそも体が捻れているし、前足(左足)の上に左腿が乗っていて上体が後ろにそっくり返っている。背骨のコントロールが足りない。

 

 左から3番目の女性は仙骨を前に入れようとしているのだが、その分上体が後ろに反ってしまっている。腹筋(丹田)が足りない。

 左から4番目の女性は腰が反ってしまっている(腰椎を足でホールドできていない)。

 一番右側の女性は胸が前に出ている=胸椎が反っている=含胸ができていない。一番左側の女性と比べると胸の感じが違うのがわかると思う。

 

 実際には背骨を正しく立てることはとても難しいので(私も不完全)、かなりの訓練が必要。だけどもそれは、頭を真上に立てて行う運動(普通の暮らしもそうでは?)には必要な訓練だ。訓練をしなければ、シナリオ通り、加齢とともに姿勢は崩れ、杖をついて歩くようになる。そのくらい、二足で立つのは難しい。立つには絶え間ない訓練が必要だ・・・

2024/10/7 <抜き足 差し足 和の所作から 仙骨を中に入れる意味>

 

  足に着目してのは、そもそもは『提膝』からだった。

  

  実は、提膝というのは、”抜き足”から作られる形で、簡化太極拳であれば起式の閉歩から右足に体重を移して左足の踵をそろりと”抜いて”膝が曲がった形、ここが”抜き足”だ。そのままつま先まで抜いて膝が高く上がると”提膝”だが、起式ではそこまで膝上げずに左足のつま先を地面に下ろしていく。つま先が着地してそこから徐々に足の骨がバラバラと踵まで着地する、これは”差し足”だ。

 

  抜き足と差し足の説明は、例えばhttps://hina.sakura.ne.jp/noh/?p=849 を見てもらえれば良いかなぁ。

  <上のブログで紹介されている練習方法>

  ①右足重心で左足を上げて(抜き足)それから下ろす(差し足)、左足重心でも同様。それができたら、

  ②右足重心で左足を上げて(抜き足)前方に着地(差し足、)そこから抜き足をして後方に着地(差し足)。左足重心でも同様。

 それができたら③左右交互に抜き足差し足で歩く・・・〜忍び足へ

 

  但し、抜き足差し足忍び足の前提は、構え! ようは立ち方! https://hina.sakura.ne.jp/noh/?p=824 に説明があります。正座からの立ち座りで構えの要領を身につける。私たちがしゃがむ動作(双腿昇降功)で立ち方を学んだり、バレエダンサーがプリエで立ち方を学ぶのと似てるかなぁ。

 いずれにしろ、抜き足差し足の説明で上のブログに書かれているように、

 しっかり右足に乗り重心が前にかかっているのを確かめてから、左足の踵をゆっくり上げます。」

 というところが大事。

 

 軸足に乗った時に”重心が前にかかっている”

 というのは、言い換えれば、仙骨が中に入っている、ということ。

 仙骨が後ろに出ている(仙骨にもたれかかったようになっている)とお腹が引けて腹に丹田を作っていられない、という言い方もできます。

 

 下は以前6/24のブログで使った画像ですが、

 

 

 この6月のブログでは腸腰筋に着目して放松との関係で2人の弓歩を比較していましたが、これを仙骨が中に入っているか否か、に着目しても似たような結論になります。

 

 右側の赤い服の方は仙骨が内側に入っていて重心が腹(前)にある。

 左側のグレーの服の方は、仙骨が入っていなくて腹が後ろに引けている。重心が後ろに残ってしまっている。

  そうすると、ここか前進しようとした時に、赤い服の方は、そのまま腹にある重心を前に運べば、自然に後ろ足(右足)が抜き足になるが、グレーの服の方は前に移動しようとすると前足の太ももに引っかかってしまう(=右足の骨を使えない)。腿に体重を乗せてしまうと後ろ足も抜けず腿から動くことになってしまい悪循環。

 

 仙骨が中に入っていると、足の骨で立つことになる。

 仙骨が入っていないと、腿で立つことになる(足裏まで気が通らない)

 

 そういうことです。

2024/10/7 <足の骨と背骨との関係>

 

  先週も引き続き”足”を焦点にレッスンをしていたが、教えれば教えるほど、”足”の奥深さに驚く。

  対面のレッスンでは、”どこ”に立つのか、強制的に修正してみたが、すると、皆、これまで使ったことのない足の骨、部分を使うことに驚いていた。そう、師と呼ばれる人たちは皆、”足”を大事にする。腰の王子も足の骨全て(28個)を全てバラバラに使う、と言っているが、それは本当だと私は今は分かる。

 

  足の中にある骨を使うには、まず、そこに体重をかけられなければならない。

 つまり、重心が正しい位置にないと、足の中の骨の全てを使うことはできない。ほとんどの大人はすでに重心が後ろの方にあるので(=仙骨が後ろに飛び出てしまっているので*最近の腰の王子で仙骨についての動画がありました。)、足の中足骨を含め、多くの骨が癒着したまま動いている。

 足の中に重心を置けるようになると、足の骨が背骨と対応していることに気づく。

 仙骨や腰は足根骨、胸椎下部は中足骨、頚椎は足の指の腹より先っぽだ。

 

 今週の対面レッスンでは、それぞれの生徒さんの背骨の状態を見て、たとえば猫背(胸椎の後弯)なら中足骨を踏むこと、逆に肩甲骨と肩甲骨の間の胸椎が落ち込んでしまっている人には、足の指末端の力を抜かせてその代わりに中足骨のアーチを高くすることを提案してみた。案の定、足の骨の使い方を変えれば背骨のアーチは変わった。自分の足で自分の背骨を踏んでいるような感覚が取れるようになると、自分で調整することも可能だが、最初のうちは、気づきを増やしていくしかない。

 その気づきをタントウ功や基本の動功に取り込めば、それらの練功の質が一変する。

 少なくとも、私はそのような経過を辿ったが、そうなるためには、足の骨がそこそこ動いて強くなければならない。動く、ということは癒着していない、ということだ。まずは、丹田を作ってそれを回しながら、足の中の骨の癒着を取っていく・・・ということになるだろうか。

 そして、その丹田を作った時に積極的に仙骨を前に入れられるようになること、それが非常に大事だ。私自身は若い時に仙骨を後ろに出して卓球をやりこんでしまい、外反母趾になってしまった。仙骨を後ろに出してしまうと、足の前の方にしっかり体重をかけられなくなるからだ。が、仙骨を前に入れる重要性を知って少しずつ矯正していくと、足の指も使えるようになってきた。すると、背骨が足で踏める、足の骨で支えられることが分かってきた。背骨が的確に自由に動かせるには、その下に対応した足の骨が必要だ。ただクネクネさせても、動くところが動くだけで、動かないところは死ぬまで動かない。もし胸椎4番と5番の間を動かしたいなら、足で胸椎5番の上部を固定しておいて、胸椎4番を動かそうとすればその二つの間の関節は動く。二つの骨を適当に動かしても関節は動かない。関節をピンポイントで動かすためには足の中の骨が非常に細かい作業をする必要があるようだ。

 

  最後に仙骨を内側に入れる、ということの大事さを指摘している王子の動画を紹介します。(最後の最後に言っています。結局、背骨周りが硬くなるのは仙骨が飛び出ているから、という論理構成。 ただ、残念なのは、どうすれば仙骨を中に入れられるのかについては”秘密”にされているようです・・・)

 

 <続く> 

 

 

2024/10/1 <ある生徒さんの質問に答えるためのメモ 餡子の話>

 

  頭の中を整理するためのメモ。

  あるオンラインレッスンの生徒さんからある提案を受けて思案中・・・

 

  その生徒さんは、動功を学びたいということで、動功だけの個人レッスンを不定期で行っているのだが、本人はなかなか上達しないと感じ、「実際には動功は套路と共に学ぶ必要があるのではないか?」と考えだしたという。「動功と套路は相乗効果があるに違いない、ならば、套路(24式)も学ぶ必要があるのではないか?」ということで、私に意見を聞いてきた・・・・

 

  簡単に答えれば、その通り。ぜひ24式も学びましょう!、ということになる。

  が、んん? 彼の問いにはどこか立ち止まって考えさせられるところがある。どこだろう?

 

  実は、動功だけ学ぶ人、というのは滅多にいない。

  通常、内功を学ぶ人は、タントウ功と動功をセットで学ぶ。混元太極拳のベースは気功法なので、本国では気功法だけ学んで套路はやらない人もいる、と聞いたことがあった。気功法というのが、ここでは”内功”(内側、丹田の開発)と呼ばれ、静功(タントウ功)と動功を指す。

  太極拳の套路というのは技を連ねた動作の流れで、一路と二路があるが、二路は実践、一路はその基礎をなすという位置付けがあり、一路は気功法的に学ぶ。気功法的に套路の動作を行うことができるようになるのが一路を学ぶ目的で、その基礎ができた上で二路をやれば、太極拳の実践的な動きになる。が、もし一路で気功法的な動きを学ばずに二路をやってしまうと、少林拳や長拳、空手などの外家拳と変わらないような力の出し方になってしまう。つまり、内功があるからこその太極拳で、内功なしに太極拳をやっても太極拳の技にはならないから、太極拳もどき、にしかならない。

 

  ということで、内功(静功と動功)は套路の動作の”餡子”のようなもの。

  そしてこの”餡子”自体は、そもそも太極拳だけに使うものではない。この”餡子”は道家が養生法として編み出した功法、中医学の核心に位置付けられるものだ。

  中医学における人体の三宝「精気神」、これらのエネルギーを蓄え、循環を行うのが内功の目的だが、これが太極拳の”餡子”になる。形ができても餡子が少なければ威力がない。生命力が少ない、ということだ。

  端的にいえば、生命力を上げる、威力を増す、というのが内功。これなくして武術をやっても踊りにしかならない・・・

 

 

  AI による概要

中医学における「精気神」は、人体の生命活動の根本を示す「三宝」として知られています。

「精気神」のそれぞれの意味は次のとおりです。

「精」は人体を構成する基本物質で、成長や発育のための生命エネルギーを指します。両親から授かり腎臓に貯蔵された「先天の精」と、飲食物を消化・吸収して得られる「後天の精」があります。

「気」は生命活動の原動力(エネルギー)を表します。気の種類には「元気」「宗気」「衛気」「営気」などがあります。

「神」はすべての生命活動の統率者(こころ)を意味します。広義には人体の生命活動の外的な現れ、狭義には精神・意識・思惟活動を指します。

 

 

  このように太極拳の練習のあり方を思い出した上で、冒頭の生徒さんの問いを考えると、動功を上達させるために必要なのは、まずは静功だということになる。

  動功がただの”動き”にしかならず、餡子が感じられないとしたら、餡子を増やす必要がある。これが静功だ。

  ただ、立つ、座る、という功法だが、外側の動きを止めることにより、内側の動きが活発になる。深く眠っている時に新陳代謝、免疫作用が活発になるのと同じだ。疲れた時、病気の時に静かに横になる、眠るのはそのためだ。動いていては傷もなかなか良くならない。  

  外側を止めて内側の動きを高めて、意識も内側に集中させる。

  これが一番の養生法であり、内側のエネルギーを高める方法だ。

  そうやって丹田の気(餡子)を増やしてから動功をすると丹田の動き、気の流れを感じられるだろう・・・

 

  が、かといって套路が動功に役立たないとは言えない。

  通常は動功→套路、で、動功をやることによって套路の動きが理解できるのだが、套路のある動きがどの動功をベースにしているのかを意識して行うことで、套路自体が動功になる。同じ理屈で、最終的には套路自体が、タントウ功になる(という)のだが、どちらにしろ、その境地に至るにはかなりの年月がかかるだろう・・・

 

  では私はその生徒さんにどうアドバイスをすべきなのか?

  まず、タントウ功を積極的にやることを勧める。坐禅も併用するとさらに効果的。いずれにしろ静功はマスト。

  その上で24式を学ぶかどうかは、本人の興味次第。太極拳自体に興味があるなら学べばよいし、興味がなければ無理して套路を学ぶ必要はないかなぁ。もしくは、套路を全て学ぶのではなく、練習している動功に関連した式を取り出して、単式を教えてもよいかも。そもそも太極拳の套路は流してやるのが目的ではなくて、単式で取り出して技も研究しながらやるもの。単式をいくつか学んでいくうちに太極拳の套路がどういうものかも分かってくるだろうし。

  ということで、結論としては、まず静功、そして興味があれば単式練習。

  これでいきましょう!

 

 

 

2024/9/30

 

  足を使うにも丹田が必要・・・というのは、体が落ちてしまうと足の骨も一塊になってしまうからだ。

 王子の最近の「浮見」に関する動画はとてもレベルの高い内容だが、「浮身」は太極拳的に言えば胴体の中で丹田が広がった状態だ。丹田を作ることによって内側から骨をバラバラにする、その結果、”浮く”。胴体が気の体となった状態だ。

 胴体が浮くときは足に根が生えたようになってどっしりする。上虚下実となる。そして動きは俊敏になる。

 王子のような体使いができるのは達人だ。

 が、私たちが最初に知っておきたいのは、上の動画の6’45”あたりで話している、腰椎5番と仙骨の癒着、これがあると腿は骨盤と癒着し股関節はうまく機能しない。大人の大部分はそうなっている。だから、太極拳の練習では、まずこのあたりの癒着をとっていく練習が必要になる。これができないまま太極拳をし続ければいつか膝や股関節に支障が出てくる。

 太極拳の内功はそのための準備をするものだ。丹田を回すことで、内側から骨と骨の癒着を引き剥がしていく。そしてその前提として、丹田をつくる功法がタントウ功、坐禅だ。気を溜めるにはしばし静止するのが合理的。 20代前半までならタントウ功は少なめでいい。先天の気がまだ多いからだ。・・・<続く>

2024/9/27

 

   体重を足に落とす。当たり前のことのように思うのだけど、それが難しい。

 「足に気を下ろせ!」と言われて、それがすぐにできるようになればかなりレベルが高い。最初のうちは、足に気が下りているのか否かが自分で判断できない。

 

 

 2019年のレッスンでは、師父が生徒さんの弓歩の姿勢を直しながら、最後に、「身体を落とすのではなく、気を降ろせ!」と言っているのが印象的だった。

(https://youtu.be/Qn9a2kLPnpU?si=xP2wUFrcoT9zSvt-)

 

 本人は足に気を下そうとしているのだけれども、そうするとズンズン背が低くなる。体が落ちている。

 どうしてよいか分からない・・・

 

 

 師父の弓歩はこちら。

 両脚の張りが上の生徒さんとは違うのがわかるだろう。

 脚は弓になる。(五弓:背骨と四肢は弓になる)

 弓はしなっている。

 =上下に引っ張り合いになっている。

 

 師父の両脚は、上(頭)→下(足裏)の流れだけでなく、下(足裏)→上(頭)という地面の反発力を使った気の流れも合わせもっている。

 上の生徒さんには頂勁はないが、師父には頂勁がある。

 

 丹田という観点から見れば一番簡単かもしれない。

 上の生徒さんは丹田を失っているが、師父は丹田を保持している。

   丹田というのは、上→下と下→上という気の流れ、呼気と吸気を併せもっていないと形成されない。丹田を失わずに体を落としていけば気は簡単に足裏に落ちる。

 

   

簡化を練習している人は、「膝をつま先よりも前に出さない」と言われているせいか、前足の膝が前に出るのを故意に止める癖があるようだ。

 https://youtu.be/K4K2oekjPkQ?si=P77qVLQKNhJW-UG1

 Youtubeにたくさんの動画をアップしているこの先生も「膝で止めるように」と指導している。

 が、これは大問題だ。

 陸上の短距離走の選手や、サッカー選手が走る時に、前足が着地するたびに膝で止めていたらすぐに膝を壊してしまうだろう・・(というよりも、そんなバカなことを考える人はいない。卓球の重心移動でもテニスの重心移動でも同じだ。)

 

 このような下半身を見れば、これはちゃんとした弓歩での歩法だと分かる。

  (https://youtu.be/SYCxT-CUYzQ?si=Pj9TofH-va-ZNh1d)

 

  上の先生の体重は前腿に乗ってしまっていたが、この先生の体重は足に乗っていっている。脛下がしっかり使えているのは上の劉師父と同じ。

 上の先生は脛下が使えていなくて足裏から反発力を得られていない。

 大きな問題は股が開いていない(円裆)

になっていないこと。股が開かなければ内側ハムストリングスは使えない(運動するのにそこが使えないのは大きな失点になる)。股を開くには仙腸関節が使える必要があるし、仙腸関節を使うには腰椎と仙骨を引き離しておく必要がある・・・・各々の脊椎をできる限り分離させておく必要性(だから丹田を作って練習するのは合理的)。脊椎が癒着している状態で腿だけ使って太極拳をするのは危険かと。

 

  上の4枚の写真の、それぞれの人の靴の中を足の状態を見ようとすると、最初の生徒さんと3枚目の黒いズボンの先生の靴の中の足はのっぺらぼうのようだ。

  これに対し、2枚目の劉師父と4枚目の先生の足は靴の中で開いている(足に張りがある)。

  弓歩の前足も後ろ足も、その足の足底筋膜は張っていて、中央が引き上がり、全体として吸盤構造になる。これを師父は「足裏を扣にする」というし、腰の王子はそれを「浮き足」という。手の平も労宮を引き込んで”空”にするというが、足裏も手のひらも”空”、”浮かして”おくことができるのが達人だ。

  最近のレッスンではもっぱら足首と足、手首と手の関節の開発の重要性が分かるように教えていたが、それは私自身がその重要性を痛感するようになったからだ。

  実は、足裏(足底筋膜)がしっかり起動するようになると、腰椎や仙骨が伸び癒着が取れるような感じになる。足裏がドラえもんのようだと、脊椎は癒着してしまっている・・・というように、足と背骨は面白いほどの相関関係があるのだ。

  背骨の開発から足を開発できるし、足の開発から背骨の開発もできる。

  この対応関係はタントウ功で明らかになるし、そもそも太極拳はゆっくり動くので、足裏を着地させていきながら、自分の足があたかも自分の背骨を踏んでマッサージしているような感覚を確かめることもできる。

  師父は、「足裏は体全てを知っている」と言っていたが、タントウ功、内功、套路、いずれも、足裏の感覚は丹田と同様、失うことはない。そのためにも、くれぐれも膝で止めないように。足の中の骨をバラバラにしていけるような攻めの練習ができたらよいなぁ。

  

2024/9/24

 

  足の関節について説明したレッスンの一部を動画にアップしました。

  足の中を動かすのは難しいので、手で導くのがおすすめ。

  ということで、手で要領を理解してから足へと進みました。

 

  足・足首が子供のように動くようになれば、膝は足で操作することが分かります。

  私たち大人はもはや足・足首が不自由なので太ももで膝を操作している・・・これが膝を痛める理由です。(改めて解説します。)

2024/9/18

 

 前回のメモの続き。

 そろそろ結論に入りたいところ。

   AさんとBさんの中腰姿勢、注目してもらいたいのは脛から下です。

 

 

上半身はほぼ同じようでも、脛の立ち方、即ち、足関節の背屈がどのくらいできて踵を引っ張り出されるかで、立位のバランスは全く変わってしまいます。

 

しゃがもうとした時に、まず足関節を動かせるかどうか。

小さな子供はとっさに足関節を動かしますが、大人になると足関節は最後の最後。

前に倒れそうになると、腰を曲げてしまって、股関節でさえ動かせない。股関節にロックがかかっているからですが、股関節にロックがかかっていれば、足首はさらにロックがかかっています。

 

 

 子供を含め体の操作が上手な人は、股関節を使う前に足関節が使えています。

 足関節→膝関節→股関節、という感じです。

 上の動画の子を見てみると、しゃがむ時に、頭から会陰まで、つまり「胴体」は杭(円柱)のようにまっすぐなまま。円柱の胴体の形を全く変えないまましゃがもうとしているのが分かります。

 もう少し大きくなれば、前屈みもできるのでしょうが、最初は前屈みになれないんだ〜(なるほど)

 

 まさにタントウ功のタントウは『站桩』(杭のように立つ)という意味ですが、やっと立ち上がった子供の体は杭にしかならない(折り曲げられない)ようです。

 そうすると、どうやってしゃがむのか?

 

  最初のトライは失敗。お尻を落とそうとしてひっくり返りそうになる。

  そして再度トライ。

↑画像①

 お尻を落とそうとして、胴体が足首の上にまっすぐ乗った時、よし、いける!、という感触。この時、脛下は準備完了(足関節と膝関節はこの位置でOKと確認)

 

 ↑画像②

 

 あとは①でセットした脛下を頼りにお尻を落とす(股関節の屈曲をする)だけ。


 

 

 そして下の4枚は、立ち上がり方。

 

 大人がしゃがむと左のような姿勢が途中に見られるが(https://youtube.com/shorts/HjMlQfNnTj4?si=NY1H6ym74sL97MIE)、赤ちゃんの姿勢の中に左のようなものはありません。

 赤ちゃんは裏腿(ハムストリングス)も未発達なので、もっばら”足”(脛は足指の延長です)で立ち上がっています。

 (「膝下はfoot , 腿はleg 」 by腰の王子)

 

 大きな違いは背骨の柔軟性。背骨が自由に動いているか否か。大人はしゃがむ時に背骨の形を変えられないので、”スクワット”になってしまいます。

 スクワットをすると体が分断し、膝下、足先まで気が通らないので太極拳では使いません。腹から足先まで経を通すようにしゃがみます(動功の双腿昇降功です。)

 

  上の大人のしゃがみ方では、”膝がつま先からでないように”という意識が強過ぎて、太ももに過剰な力をかけて膝を固めてしまっています。膝を固めれば足関節も固まる。股関節だけに頼ったしゃがみ方になってしまう。本当は赤ちゃんのように、膝関節と足関節のロックを外してから股関節を緩めるべき・・・  (急いて結論だけ書きました)

2024/9/13 <AさんとBさんのしゃがみ方から学ぶこと 子供と大人の違い>

 

  昨日の最後の問いに対し、私なりの回答を書いてみます。

 

 

 まず、昨日の左の画像を見て、

「Aさんはきれいにしゃがめるだろうけど、Bさんは途中で引っかかるなぁ。」

と直感的に感じます。

 なぜそう感じるのか、その正確な理屈を私は書けないのですが、「もしこういうポーズをとった人間像があったとしたら、このまま自立するか否か?」と問いながらAさんとBさんを見た場合の答えの導き出し方と同じだと思います。

 

  

 「自立しなか否か」という観点から見た場合、Aさん像は、自立するかも、しかし、Bさん像は尻餅をつきそうだと分かると思います。Bさんは重心線がまっすぐ足の裏に通っていないような感じです。。もし立たせるなら、足の踵をもっと後方に引き伸ばす必要がある・・・・踵の長さが足りない、とい印象。

 

  こんな印象を前提に、実際に二人がしゃがんだらどうなるのか予想して図を書いてみました。

 

 

 

まずAさん。

 

Aは子供的なしゃがみ方。

 

しゃがもうとすると頭は前に出ます。

 

 そしてBさん。

 

 Bは大人のしゃがみ方。

 

 しゃがもうとすると、頭は後ろに動こうとします

 

   太極拳に限らず、それなりに体を使おうとするなら、子供のようにしゃがめる必要があります。でないと、パフォーマンスがかなり下がります。Bさんがひたすらジョギングをしたらいつか膝や足首、その他に支障がでる可能性は大きいです

   

   太極拳の場合は、基本姿勢が”腰を落とした”姿勢なので、正しくしゃがめる必要は大です。

   腰を落としているつもりで、体を落としてしまっている(尻餅状態になっている)のが実際には多いのが現状。それはそもそも正しくしゃがめないからです。Bさんのようにしゃがんでいては正しい馬歩や弓歩はできません。しゃがむ練習はバレエのプリエと同じ、基本中の基本功です。

 

   ”しゃがむ”というのは、”体を緩めてエネルギーを溜めている姿勢”。

  

  太極拳の虚霊頂勁から始まる一連の要領は何も太極拳だけの要領ではありません。

  全身を連動させて一つにして動くための要領、すなわち、子供のような体の使い方をする要領です。

   しゃがむ時にも沈肩は必要だし、含胸、抜背、塌腰が必要です。

   大人はしゃがむという動作を下半身の動作だと思いがち。

   かがむ、とか、しゃがむ、という動作は全身の動作です。

 

   太極拳の弓歩や馬歩も全身動作です。下半身だけではどうにもならない・・・

   腕は上半身の動き、脚は下半身の動き、といつまでも上半身と下半身を分断して考えていると太極拳の動きにはなりません。

   

   最近、腰の王子の「ここからクルン♪」体操が、実は下半身で腕を回す練習でもあることを知りました。実はあの体操は太極拳の腕の動きにそのままなっています。

   『力は踵から出る』、すなわち、拳の力は踵、足から繋がっている。

   膝から下でしゃがめるようになると、とたんに質が変わります。

 

   下半身の力、というとすぐに股関節や腿を思い浮かべますが、脛から下を開発しないことには土台ができません。

 

   ということで、またここで問います。

 

  そもそも、AさんとBさんは、何を違えて描かれたものでしょう?

  上半身は全く同じです。下半身のどこを意識的に変えて描かれているのか? そこがポイントです。

2024/9/12 <背屈と底屈は下肢を制す 脛下で膝が曲がる しゃがみ方 その1>

 

  足の背屈・底屈が子供の時と同じくらいできれば、膝が痛むことはないだろう。

  股関節や腰が悪い人も必ずといってよいほど背屈と底屈が苦手だ。

 

  背屈と底屈は赤ちゃんの時に訓練してきたもの。手足のグーパー、グーパー、そしてずり這い、ハイハイなどで足の指や足底筋膜を鍛えている。これができるから赤ちゃんはその他の筋肉が未発達でも立つことができるようになるのだ。

 

背屈と底屈、というのは、左の図の「足底筋膜」を伸ばしたり、縮めたりすることに他ならない。

 

「足底筋膜」は踵の骨と中足骨の先端を繋いでいる。

だから、背屈や底屈をする時に、足の指を使って反らしたり、戻したりしてはならないのだ。

 

 

 太極拳の虚歩というのは、背屈と底屈に他ならない。

 この時、背屈の虚歩(踵をつけてつま先を上げた形)にしろ、底屈の虚歩(踵を上げてつま先を地面につけた形)にしろ、いずれにしても、踵がスッこ抜けてはならない。

 というのは、背屈で足底筋膜が伸びたにしろ、底屈で縮んだにしろ、踵の骨にはアキレス腱が付着していて、どちらもアキレス腱に連動し、それは膝裏まですぐに連動する。膝裏までいけば、そこにはハムストリングスが付着していて、それは坐骨まで繋がってしまう。

 つまり、足の背屈底屈という形は膝裏の操作の準備であり、すぐに坐骨まで、ということは股関節まで連動させてしまう形なのだ。だから、虚歩の足は相手にとって脅威になる。どこからどんな脚技が出てくるか分からない。(太極拳の中で虚歩は技を隠した”暗脚”になっている)

  


 太極拳の虚歩というのは、背屈と底屈に他ならない。

 この時、背屈の虚歩(踵をつけてつま先を上げた形)にしろ、底屈の虚歩(踵を上げてつま先を地面につけた形)にしろ、いずれにしても、踵は絶対にスッこ抜けてはならない。

 というのは、背屈で足底筋膜が伸びたにしろ、底屈で縮んだにしろ、踵の骨にはアキレス腱が付着していて、どちらもアキレス腱に連動し、それは膝裏まですぐに連動する。膝裏までいけば、そこにはハムストリングスが付着していて、それは坐骨まで繋がってしまう。

 つまり、足の背屈底屈という形は膝裏の操作の準備であり、すぐに坐骨まで、ということは股関節まで連動させてしまう形なのだ。だから、虚歩の足は相手にとって脅威になる。どこからどんな脚技が出てくるか分からない。(太極拳の中で虚歩は技を隠した”暗脚”になっている)

 

  背屈と底屈の練習の仕方もいろいろあるが、それは割愛して、話を進めて書いてしまいます・・・・

 

  背屈をすると、膝の裏は伸びる。”膝の裏を伸ばして背屈をするように”と言われることもあるが、本当は、”膝の裏が伸びるように背屈をする”。背屈で膝の裏が伸びる=連動するようになれば足から膝までは、まさに腰の王子が言うように 『foot』になる。膝から下は足の指で操作できる。

  背屈で膝の裏が伸ばせるようになったら、底屈も膝の裏が抜けないようにやる。すると、底屈で膝の裏が動くのが分かるだろう。実は、底屈をすると膝が抜けて膝が曲がる。

これを”膝抜き”と呼んだりするそうだが、これこそが『提膝』だ。

  膝は太腿で操作をするのではなくて足➕脛で操作する。

 

 膝を上げようと思って太腿で上げるからおかしなことになる。

 膝を曲げるのに太腿を使う意識は子供にはない。

 膝下を曲げればよいのだ。

 

  

 

  

←https://youtu.be/IcUvn7C9BHc?si=HSgnK5iii9ETlCBZ

 

 子供達が頭を倒さないようにしてそろりそろりとしゃがむ練習をしています。

 

 前にいる二人組の右側の女の子が上手です。降りる時に脛が前に倒れてしっかり背屈になっています。

 

  彼女の相手(黒いタイツの子)は途中までは良いのですが、最後にそれ以上脛が動かなくなってお尻が落ちてしまいました。(背屈:足の中の骨が使い切れていない)

  その後ろの二人組のグレーのタイツの子は、完全に尻餅をついています。

  よく見ると最初からつま先が浮いてしまっています。足がうまく使えていません。

  足の中が使えないと背屈ができないので脛が動きません→膝を動かせないので上体が落ちてしまいます。

 

  最近の子供はしゃがめない子が増えたといいます。もしかするとそれを憂えた大人立ちがこんな運動を子供達にさせているのかもしれません。が、実は私たち大人こそ、こういう練習が必要です。

  大人はうまくできても前列の黒タイツの子程度です。

 

  例えば https://youtube.com/shorts/-rPDnkMWXCc?si=LJcC-i7UXegDqsMb

  やはり背骨が硬いかな。もっと放松して自然に座れるようにしたいところ。

 

  私は絵を描くのが苦手なので伝わるかどうかわかりませんが・・・

  

 

 左のような、AさんとBさんがいます。

 途中までしゃがんでいるところを描いています。

 

 さて、この二人がそのまましゃがんでいったらどうなるでしょうか?

 

 少し考えてみてください。

 続きはまた書きます。

2024/9/10 <全てを緩めては行けない 健康法の原点>

 

 あるシニアの友人が子宮脱になったという話を聞いて、最近考えていたことの回答が見つかった。

 

    オンラインで教えている生徒さんの多くは現地で簡化24式を学んでいる。

 昨日のレッスンでは背屈・底屈を丁寧に教えていたが、そこから発展して、搂膝拗步の拗步の仕方を細かく見せてもらった。レッスン後もいくつか動画を見てみた。

 

 簡化の教える時には、「腰を緩める」とか「腰を落とす」、そして「付け根を緩める」(股関節を緩める)といった、”緩める”や”落とす”という言葉がよく使われている。

 なるほど〜

 ”緩める”とか”落とす”とだけ言われるものだから、ますます体が落ちていくのかも。

 肝心なところまで緩んでいるのだ。

 それは、そう、会陰や肛門だ。

 ここは絶対に緩めない。引き上げておく。

 引き上げができれば引き下げもできるようになる。

 引き下げは”緩める”のとは違う。

 

 結局、『放松』の仕方の問題。

 私が師父にタントウ功を学び始めたころは、師父は女性の生徒さんには最初から恥骨を持ち上げろ、と言っていた。私は日常生活で気づいたら引き上げる、落ちていたら引き上げる、という練習を癖がつくまで繰り返すように言われた。

 ただ当時の師父は男性に対しては、全身がある程度緩んでから、会陰や肛門を引き上げるように教えていた。最初から上げさせると力が抜けない、という理由だった。

 が、最近師父と話していたら、今は男性に対しても最初から提会陰や提肛を要求するらしい。そこだけ閉めて、それ以外の全身は緩める。そうすれば丹田に気が溜まる。

 

 実は、『提膝』も一番大事なのは会陰、下を引き上げることだ。

 ここが引き上がらないと腿上げになってしまう。

 

 下げたまま太極拳をやると、痔になったり膝や股関節を壊す結果になりやすい。

 ”緩める”という下向きのベクトルばかりが強調されるが、実は、その反対の”引き上げ”という上向きのベクトルの要領も多いのだ。

 

  先週は、眉毛を上げると提膝が簡単、腰椎が伸びる、と面白おかしく伝えたが、眉毛を上げると会陰は引き上がる。

  提膝には足の背屈底屈が正しくできる必要がある、と今週は教えているが、足の背屈底屈も会陰と連動する。もし足首を動かしても会陰の奥が動かないとしたら、背屈と底屈は正しくできていない。

 

  昨夜のレッスンで搂膝拗步をしてもらった時、「踏实」というような要領がある、と生徒さんから教わったが、この足を前に踏み込んで、しっかり踏んだ時は、必ず会陰は引き上がっている。というのは、しっかり踏んで足裏から地面へと気が流れる時は土踏まずは必ず上がっているからだ。土踏まずが下がっている時は会陰が落ちている。夕方になって足がむくんで大きくなるのは、体の力が減って会陰が下がってくるからだ。

 

  簡化でほとんど見られない『圆裆』も、言われてみれば、会陰を引き上げた結果できるものだ。ただ股を開いただけではどれだけ開いても『圆裆』にならない。

 上のいわゆる”師”というレベルの人たちは必ず会陰がものすごく引き上がっている。

上の崔老師や馮老師は、ぴちぴちのズボンを履いているから股間が見やすく、キュッと引き上がっていて美しい。下の劉師父は前後開脚をしているが、前後開脚をするには会陰をかなり引き上げる必要がある。

 私は以前、馮老師は睾丸を動かしてみせたことがある、と聞いたことがあるが、それを劉師父に言ったらそれは周天をしていれば自ずからできるようになる、と言っていた。私の勝手な憶測だが、男性は股間に意識がいくことが多いだろうが、女性は股間に比較的無意識なのでは?問題があって初めて向き合うようなところがある。日頃から背屈や底屈をしながら内側の筋肉を動かして子宮が落ちてこないようにするのはどうだろう?

 

 加齢とともに内臓は落ちていく。太極拳が養生法と言われるのは、下を引き上げないとできない拳だからだ。会陰の引き上げというのは、健康法の原点だ。会陰を引き上げないでスクワットをしていたら意味がない・・・筋肉をどれだけ肥大化させても内臓を養うことはできないのだ。

 放松(力を抜く)というのはただ力を抜くのではなくて、体の内側が伸びるようにすること。それには上向きと下向きのベクトルが必要になる。ただ下に引っ張っても内側の隙間は開かない。

 

  ↓先月使った画像。

  上段のヨガのポーズ。

  左は会陰が引き上がっている。右はほとんど引き上がっていない。やはり左が良い。

  (引き上げないと背骨が伸びない。実際、左の方が背骨が伸びている。)

  下段の練功服の広告写真。ただの真似っこのポーズだと分かるのは会陰がみな落ちているからかも。

2024/9/8 <『提膝』から学ぶこと>

 

 今週は引き続き『提膝』絡みの練習。

 『提膝』を教えようとしていたら、結局、下肢全ての関節を総動員しなければならないことに気づいてしまった。

 

 結論から言えば、『提膝』がきちんとできるなら、

 

 ①骨盤(寛骨)と大腿骨を分離して使えている

 ②膝のお皿が大腿骨と分離して動いている

 ③足首の背屈と底屈が足の指の力ではなく距骨の動きで行われている

 

 つまり、股関節、膝関節、足関節が全て構造通りに動いている、ということだ。

 

 教えていて気づいたのは、練習をするなら、③の足首の背屈・底屈の練習からすべきだということだ。いきなり①をやろうとすると、そもそもそれができているのかどうかが自分で判断できない、という生徒さんが多い。

 面白いのは、「できているのかどうか分からない」という時は、ほとんどの場合ができていない。できている時は、できているのが分かる。(「私は悟っているのでしょうか、どうなのでしょうか?」と聞く人は悟っていない、というのと同じ?)

 

 ①ができているのかどうか判断する一つの方法が、②だが、これも、膝のお皿が動いているのかどうか分からない、という人がいる。この場合は、単純に膝回しをしてもらう。普通、膝回しをする時は膝のお皿と大腿骨や脛の骨の間に隙間をとろうとしているはずだ。膝をゴリゴリさせて膝回しをする人はいないだろう・・・

 

 

 『提膝』は歩行時の後ろ足の蹴り足の動きに他ならない。

 

https://www.tokushukai.or.jp/treatment/orthopedics/shitsugai-kansetsusyo.php

 

この図には、

「脛骨大腿関節」=いわゆる”膝関節”

と、

「膝蓋大腿関節」(膝のお皿と大腿骨の隙間)

の2つの関節が記されています。

 

詳しい解説は上のリンクの説明を読んで下さい。

 

膝のお皿が動く、というのは、「膝蓋大腿関節」が機能しているということです。

 

前腿(大腿四頭筋)の膝上あたりにいつも力瘤を作ったようにしていると、お皿が固定され動かなくなってきます。大腿骨も前へ前へと押し出されるので、次第にお皿と大腿骨の距離が近づき、膝を痛める原因になります。

  膝のお皿は上向きに引っ張っておく必要があります。

  大腿四頭筋(前腿)は上向きに引っ張る、ということです。

 

③の足首の背屈と底屈は、正しく行えば膝関節と連動します。

 

”正しく”というのは、距骨と脛骨・腓骨からなる「距腿関節」を動かす、ということです。

詳しくはこちらのサイト参照

https://mysole.jp/kyokai/column/archives/571/

 

残念ながら、左の図のように、つま先を剃り上げて背屈をすると、距腿関節はほとんど動きません。背屈が距腿関節で行われると、脛の骨が後方へ動くので、膝の中で膝が伸びるような動きが連動します。

 

 

 そして、その背屈を前提として、反対向きに動かせば(底屈をすれば)、膝の中で膝が曲がるような動きが出ます。

 

  この連動を使った有名なポーズが、マイケルジャクソン ポゥ!です。

 

  足首の底屈と膝の屈伸が連動すれば、自ずから、股関節も連動し体が安定します。

 

  底屈を足の指でやっているようでは連動はしません。

 

 

           

 

 

上の画像は、私が2024/6/11のメモで使ったものです。

 

  背屈・底屈に着目した場合、ここにでている大人は誰も正しく足首を使えていません。

”足の指を使って蹴る”という意識をもつと距骨はすっ飛ばされてしまうからです。

距骨は踵の骨の上にあります。

踵の中を使うような意識が必要です。

大人達の膝が不自然に伸びているのは足首と膝が連動していない証拠です。

 

  それに比べて、左上の子供が歩いている姿はお手本。

膝が連動で曲がって前に振り出されています。

 

  足首の距骨の運動で膝の屈伸が起こり、それによって大腿骨が振り出されると自ずから大腿骨と寛骨が分離して動きます(股関節が関節として機能します)。

 

  

 

 

左は2024/6/14のメモで使った画像。

 

ここで岡田くんは「お尻を落とすことで膝が前にでない」と説明しましたが、

言い換えればそれは、「骨盤を動かさずに大腿骨を動かす(屈曲をする)」ということです。

   

「膝を曲げると膝が前に出る」と言っているのは、「骨盤を動かして膝を曲げると膝が前に出る=膝のお皿と大腿骨が引っ付いてしまう=関節として機能しない」ということ。

 「尻を落として打つの武術的」の中の「尻を落として」というのは、「骨盤を立てたまま=仙骨を伸ばして気を下ろして」ということ。「尻を落とす」時は大腿骨を前方に押し出さないこと。大腿骨はそのままで、尻だけ落とす(つまり、骨盤と大腿骨を分離する)ということです。結果、大腿骨の付け根を後方に引いたようになるので、大腿骨の付け根から膝までの距離は長くなります=坐骨、ハムストリングスが使われます。

 

 そして、「お尻を落とした」時、カチッと足首の関節がハマる、といった関係になります。

 

 そういう目でみると、ボクシングの世界チャンピオンの形は本当に完璧です。

 

 今週は、上の①②③をそれぞれなんとかして理解させるのが私の課題。

 ①が分かる方法は今日の練習で発見したので試してみます。

 

 <追記>

  岡田くんと二人で写っている画像の二人の後ろ足をみると、世界チャンピオンの方がしっかり床を蹴っている(推している)のがわかります。岡田くんの後ろ足は膝で少し力が漏れているかなぁ?きっと腰の問題・・・(世界チャンピオンと比べるのは酷ですが、ついでに書くと、チャンピオンは命門(腰)が開いていて、足の力が背骨を貫通しています。岡田くんは命門が甘い。)

2024/9/3

    股関節を緩める前には必ず腰を緩める必要がある。腰と股関節は密接な関係がある。師父はいつも腰と股関節をセットで扱う。

 それは何故?

 腰の王子も、腰痛の原因は股関節がうまく使えないことだ、として、おじぎ体操を推奨する。

 今週のレッスンでは、生徒さん達に尋ねてみよう。
 
 なぜ股関節がうまく使えないと腰痛になるのか?
 そしてまた、なぜ腰が緩まないと股関節が使えないのか?

 自分でよーく考えてみるのも練習になる。

2024/9/2

 

  今週のレッスンの題目。

  先週からの流れで 『提膝』がらみ。

  提膝というのは、結局『単腿』(片足立ち)。

  ただ、”片足立ち”といっても、重心は体の中心。文字通り、”片足だけ”で立っているわけではない。

  結論から言えば、左右の腸腰筋が働いて重心を体の中心に通して立っている。

  

  <下の画像>

  右 https://mainichigahakken.net/health/article/32-1.php

  左 https://ourage.jp/karada_genki/exercise-stretch/346820/

  

 

  上のような片足立ちは太極拳では行わない。(やっても実際の運動の役に立たない。)

  というのは、

  左側は片足のみで立ってゆらゆらしながらバランスを取る練習。太極拳やスポーツでは(サッカーをイメージすると分かりやすい)、ゆらゆらするような立ち方はするわけがない。

  これに対し右側は、片足で立った時にバランスをとるために、上げた足の足首と前腿にロックをかけている。これは上げた足を固めることによってバランスをとっているのだが、こうすると、上げた足の股関節やその他の関節は自由に動くことができなくなる。上半身も固まっている。『抬膝』の典型的な姿だ。

 

  では下のような片足立ちはどうだろう?

  https://gooday.nikkei.co.jp/atcl/column/20/060500006/010600037/

  

  こちらは上に比べて随分安定している。特に右側の足のあげ方は足首も抜けていて上半身も放松していてとても良い。このように上げるには腸腰筋を使う必要がある。腸腰筋は左右についているので、右を上げようとすれば左は降りる(連動する)。

  ただ、右側の膝上げは、「90度に上げよう」と思ったせいか、膝を上げる軌跡を間違えてしまっている。『提膝』なら膝は胸に近づくように上げる(そうすると腸腰筋が使える)。

  左の画像に比べて右の画像の上半身の胸が前に出て放松がなくなってしまったのは、足の上げ方を間違えたせいだ。

  『提膝』であれば、上半身は放松したままのはず。

 

 

  と、このあたりは復習。

 

  気づいたかもしれないが、提膝の時は足首の力を抜くのがポイント。

  ここが固まると膝も固まる。膝が固まると膝のお皿が滑ってくれない。

  膝が上がる時にお皿が上に滑らないと、寛骨(骨盤)が太腿と一緒に動いてしまう。

  寛骨と大腿骨が引っ付いて動いてしまうということは、股関節が使えない、ということだ。

 

 

参考までに。

 

左はバレエの基礎レッスンだが、そこでは、股関節から足を上げる訓練を徹底的に行う。

つまり、骨盤を動かさずに大腿骨だけを動かす練習だ。

 

やってみると分かるが、そのためには、体幹部にかなりの力(内力)が必要だ。太極拳でいうところの、「丹田を失わない」ということと同義だ。

 

ゆるい体で足を上げると骨盤と大腿骨は分離できない。

 

ただ、”蹴り”の場合は、ただ太腿で蹴っても大した出力にはならない。

骨盤と太腿を分離して太腿を出した上で、その上に骨盤の力、そして胴体の力を乗せていく(加えていく)。

 

  力を乗せていく(連動させていく)には、まず、分離させておくことが必要。

 ←このような上げ方は(本当の)太極拳ではあり得ない。高く上げようとして骨盤を必要以上に動かしてしまい、相手を蹴るという、”出力”ができない状態になってしまっている。

 観客に見せる(何を?)ための太極拳?

 

 

 本当の蹴りを見たくなってブルースリーの動画を探しました。

 太極拳の蹴り方とは少し違うけれども、骨盤と大腿骨の分離は当たり前。でないと、こんな蹴りはできません。

 片足立ちのオンパレード。

 普段私たちが両足でしか立っていないのとは対照的。蹴りをしようとすると嫌でも体幹部を使います。腰は要。

 脚が腕のようだ・・・爽快!!

 

 (大腿骨と骨盤を分離することで、脚を使う時に大腰筋にスイッチが入ります。普段の歩きも同じ。 このあたりをレッスンする予定。 )

2024/8/31

 

  提膝の大元は虚歩だ。

  虚歩から膝の位置を高くしたのが提膝だ。

 

  どうやって正しく虚歩をするのか?

  虚歩を間違えると提膝はできない。

 

  簡化24式の起式、并歩から左足を虚歩にして膝を上げ、そして開歩になって着地、この部分に『提膝』が含まれている。

 

ランダムに動画を拾ってみました。

左上:https://youtu.be/XM5xnwPcNR4?si=T7WOB9cbu_4H0Ce8

右上:https://youtu.be/0DEc7anh2Ts?si=la8536eGjM4YL15a

左下:https://youtu.be/ILMj840r3sU?si=LpUxMcMI-my7X5pU

右下:https://youtu.be/RxQhocwB568?si=vy3aGTVIRMSr0uJ_

 

 この部分の動作は、相手と搭手(手を合わせた)状態で、相手に気づかれることなく回り込む時などに使われます。片足を動かした時に、合わせた腕や手を通して相手に察知されてはいけない。つまり片足を動かした時に体が動いてはいけません。

 骨盤が動くと体が動きます。

 だから、こここそ、大腿骨から動かす必要がある。

 

 上のクリップを見ると、右下の老師以外は、皆、左足を上げようとした時に体が右に動いています。これは骨盤が動いている証拠。骨盤から足を上げようとすると上げる前に体は反対側に移動させなければならない。骨盤を止めて太ももの付け根から動かせると、左足を上げようとする=虚歩になる(足首の底屈運動が起こる)と同時に、右足は地面を踏む(右足首の背屈)になる。右足と左足の入れ替え運動だ。

 

 右下の老師は左足を上げようとして背が低くなっている。これは骨盤を落としてしまっているせいだ。これでも正しく動けない。

 

 虚歩のなり方、虚歩については改めて書く必要があると思うが、とても大事な点は、虚歩になる時は距骨が滑る必要がある、と同時に、膝蓋骨も滑る。

 提膝の時も膝蓋骨が上向きに滑る。

 膝蓋骨が滑らないと腿上げになる。

 

 股関節を緩める、というのは、寛骨と大腿骨骨頭の距離を開ける、ということだが、そうすると、必ず、膝のお皿は上方に滑る。

 膝のお皿の滑りが悪いと膝を痛める。

 と同時に、動く時に、膝のお皿が動くように動く、というのも大事だ。

動画適宜アップ中! 

YouTubeチャンネル『スタディタイチ』→こちら

『今日のメモ』毎日の練習は気づきの宝庫。太極拳の練習の成果が何に及ぶかは予測不可能。2012年9月〜のアーカイブは『練習メモアーカイブ』へ

⭐️どのレッスンも単発参加OKです。お問い合わせへ

練習のバイブル本

 『陳式太極拳入門』

   馮志強老師著

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2012/3/20

日本養生学会第13回大会で研究発表をしました。

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