2020/2/21 <なぜ開胯をしなければならないのか?>

 

 「開胯を重視しないわけにいかない幾つかの理由」

 というタイトルの中国語のブログを発見。

 なるほど、確かにその通り。

 https://zhuanlan.zhihu.com/p/75676457

 

 google翻訳で読めるかしら?

 と見たら、日本語訳がひどい・・・

 時間があれば抜粋だけでも紹介したいところ。

 

 なお、昨日のブログ、少し修正しました。

 

 

 2020/2/20 <松胯、開脚と開胯の違い>

 

  昨日ビデオレッスンをして、”胯”(kua)について気になったことがあったので念のために整理。

 

 まず前置き

 

 太極拳の命は腰胯(ヤオ・クワ)。

 松腰と松胯で丹田を作ってそこから力を爆発させる(発勁の場合)。

 普通に身体を動かす時も松腰と松胯で作った丹田の気を導いてその気で内側から動かすようになる。

 

 丹田を作るためには松腰と松胯がマストになる。

 丹田を想定しない(学院派の)太極拳はもはや太極体操だ、と民間派は揶揄するけれども、国家主導で太極拳を国民の健康維持のための体操として制定した際に、習得に時間のかかる丹田の概念がごっそり抜け落ちてしまったのも仕方がなかったのだと思う。が、松腰、松胯、丹田、気、という太極拳の核心抜きで行うそれ風のものは、身体に負担をかけて多くの愛好者が身体を痛めてしまっている現実がある。「太極拳は身体に悪い」とオフレコで言い切った有名な日本の老師もいたが、それは太極拳で最も大事な要素を抜いて練習したからだと今では理解できる。

 

   松腰の後に(注:実際には松腰と同時に、時には松腰の前に)やらなければならないのは”松胯”。

 

 (繰り返して言うが、松腰の”腰”は、日本人の想定する”腰”の場所ではない!

 と、何度も何度も注意を促すが、私たちは知らず知らずのうちに、腰を骨盤の上縁あたりだと思ってしまう。中国人の腰はもっと高いのだ!!私たちにとっては”背中”に近いかもしれない。肋骨が終わったところ、胸椎のすぐ下がもう腰!ウエストの位置が腰の高さの中心だと思うべき。)

 

 では、”胯”は一体どこなのか? それにもよ〜く注意しなければならない。

 

 股(クワ)が硬いから開脚ができません! と言って、開脚の練習をすれば良い、と思っている人がいるようだが、たとえ180度開脚ができたからといって、必ずしも胯が開いていない(緩んでいない)ということはこれまでもよくあったケース(開脚ができるのにタントウ功の時にクワが緩まない)。特に女性の場合は脚の付け根の箇所がゴムのように伸びて180度開脚ができてしまうことがある。武術的に言えば、どれだけ高く脚が上がったとしても威力のない、蹴られても痛くないような舞踏的な脚のあげ方は、クワの力を使わずにただ脚を上げただけに過ぎない。

 

 < 中国の開股に関するブログで下のブルースリーの蹴りの動画が紹介されていました。http://truthtaichi.blogspot.com/2012/12/blog-post_30.html

 クワが開いて脚が長〜くなり鞭のようになります。開脚ストレッチだけではこうはならない。>

 

 

 太極拳で(だけでなく中国語で)”胯”という時は、股関節を構成する骨全体、すなわち、大腿骨骨頭とそれが接する寛骨(腸骨+恥骨+坐骨)を表している。

 左の図で示されているのは、左胯。右側にも対となる大腿骨骨頭+寛骨がある。この左右のセットが胯を構成する。

 

 

  


  私たちがしっかり意識しておかなければならないのは、関節は2つの骨のつなぎ目だということ。

  ”股関節”というのは、寛骨と大腿骨(骨頭)のつなぎ目。この股関節を緩める、開く、というのは、2つの骨の作用によるべきもので、決して、片方の大腿骨だけを引っ張ったりしてはいけない(左の図)。

  

 

 安易に180度開脚をめざして、骨盤(寛骨)の方は何も変えずに、一方的に大腿骨骨頭周辺(左図の青丸)の靭帯を捻ったり引っ張ったりするとスジを痛めたり、大腿骨骨頭の寛骨臼への入り具合が浅くなったりしてその後股関節が不安定になる可能性もある。

 

 松胯を狭義で言えば、大腿骨骨頭と寛骨の隙間を開けること。そのためには二つの骨、寛骨と大腿骨骨頭が共に動かなければならない。

 

 ただややこしいのは、寛骨には仙骨がくっ付いて、寛骨が動くためには仙骨と寛骨のつなぎ目(仙腸関節)も少し動いてくれなければならないということだ。

 実際には、左の図で示している3つの関節(仙腸関節、恥骨結合、股関節)が全て緩んで動かなければならないくなる。

 → 結局、松胯は骨盤を緩めること。

 

(仙骨には腰椎がくっついているから仙骨が動くには腰椎が動かなければならない→松腰が必要)

 

 大人になると骨盤を構成する骨たちがすべてがっちりくっ付いてしまい鋼鉄の檻のようになってしまいがちだ。全身の弾力性は骨盤の弾力性だと言っても過言ではない。子供の時に腰や骨盤を意識しなかったのは今のように固まっていなかったからで、そのような流動性、弾力性のある骨盤を蘇らせる最初の一歩が松胯だ。

 松、は”気”を集める方法。

 丹田に集めた気を骨盤の中に下ろしていってその圧で骨盤が徐々に開いていくと”開胯”になる。

 

 そして、通常わざわざ言わないことだが、骨盤内の気(下丹田の気)を上にあげたり、足におとしてしまえば、また骨盤は元の状態に戻る。つまり、骨盤を開くことができる、ということは、その裏側として、合する(締める)こともできる、ということ。胯は開合できなければならない。胯が開きっぱなしは絶対によくない(女性は特に注意!開胯の際に会陰、内側の引き上げを忘れない=中丹田を抜かない)。それは本当に大事なこと。日本ではあまり見かけないが(そもそも開胯をしている人が少ないから)、中国に行くと、胯が開きっぱなしになってしまっている老師(特に女性)をよく見かける。太極拳が最終的に目標とする身体は弾力性、バネだ、ということを忘れずに練習することが必要だと思う。

 

調べていたら、180度開脚ストレッチに警鐘を鳴らすような記事も多くあった。

 

左の記事の標語は言いたかったことを言い当てている。

そう、股関節ではなく、お尻!

https://dot.asahi.com/wa/2017112900007.html?page=1

 

 中国語で開胯と検索すると、下のような写真が出てきてギョッとした(苦笑)

 開胯は開脚の先にある?

 開胯の練習をしていればそこそこ脚は開くようになってしまう。

 

 そして何よりも、開胯を練習していれば、必ず、肩関節が開いてくる。私達の身体は、構造上、胯が開けば肩関節一帯が開かざるを得ないように作られている。

(右の写真は肩甲骨ストレッチ&開脚ストレッチ【日経ヘルス17年4月号】より)

 

 もし開脚をしても肩関節に何ら影響がでないとしたら、胯、骨盤の運動ができていないということ。

 

 太極拳はこの胯と肩の関係を使って勁を通している。胯、骨盤の開合、ポンプのような動きがなければなにも始まらない。

 

 太極拳を練習している女性が注意しなければならないのは、開くことばかりに気を取られて合を忘れてしまうこと。開の中に合あり、というように、どれだけ(骨盤を)開いても、中心は締めていなければならない。このあたりは指導者にしっかり見てもらったほうがいい。

 

 では最後に、どうやって松胯、開胯の練習をするか?

 ・・・それがいつもの内功、動功。

 いずれにしろ、”気の重み”をつかうのがミソ。だから前提として気を溜める練習(タントウ功などの築基功)が必要になります。

 なぜ、”気の重み”が必要か? 

  生徒さん達、分かるかなぁ?

 

2020/2/19 <閃通背 その2>

 

 第19式閃通背の最初の”閃通背”の用法解説。

 ①拦lan、②砍kan、③贯guan

   1、2、3で終わりです。

 

 ③の喉を突き刺す技は『白蛇吐舌』と言われています。

2020/2/18 <閃通背 その1>

 

  第19式『閃通背』はその昔『三通背』と言われていたそうで、背中を通す技が3つある、ということだったらしい。今では第19式の最後の背負い投げのように見える部分のみを”閃通背”と呼ぶようだが、師父は、この式に含まれる3つの(閃)通背を順番に説明してくれた。

 

 動画に字幕をつけるとどうなるだろう?と面白半分でやってみたら、案外自分の頭の整理、復習になるよう。

 まずは字幕をつけた、第3番目、最後の閃通背の説明部分を載せます。

 

 最後のこれは、背負い投げでもなんでもなかった(他の老師による背負い投げのような用法も見たことある)。

 さっと相手の拳を避けてつかむ、と同時に自分の攻撃の手が相手の肩に届いていなければならない。動画を見ての通り、私がえらく戸惑ったのは、これまでよくやってきた、相手の外に回り込みながら相手の拳を躱すのではなく、そのまま内側から相手の拳を躱して掴まなければならなかったから。このように躱した場合、相手のもう片方の手(ここでは左手)で打たれる可能性があるから、反応がとても速くなければならない。瞬間技になる。

 

 帰り道に師父と話していたら、”芸高人胆大”という言葉を教えてくれた。

 技芸の高い人は胆が大きい。 

 この3番目の用法はそんな技です。

 

2020/2/17 <肩靠>

 

  自分のためにも24式の用法解説の動画を撮っておきたい、と師父にお願いして、第19式の閃通背をやってもらいました。

 動画、4分割。

 1番目は閃通背に入る前の肩の靠の説明。

 靠は第二路の46式に入ると頻出しますが、24式ではまだ少ない。とても重要な太極拳の八法の一つ。貼身靠! と言われるように、接近戦で使う技です。

 靠はまだ良く分かっていなかったのでしつこく聞きました。

 

 動画に字幕を入れながら、かなり笑いました。

 自分の動画を見てこれだけ笑えるのは幸せ?

 

 その後の動画は後でアップします。

2020/2/16 <太極拳的圧腿の仕方>

 

 圧腿については数人から問い合わせがあった。

以前ブログに書いたことがあったようだが、こちらに来て改めて師父の指導を受けたところ、これまでの理解が甘かったことが判明! なるほど、そうだったのか、とやっと腑に落ちた。

 よく見かける圧腿のどこを師父が不満とするのか、なぜ不完全なのか、それはまさに太極拳の『周身一家』(身体丸ごとで一つになる、身体が分断されない)と深い関係があった。

 

 通常やられている圧腿では、太ももとお尻の境界線にある承扶のツボから太もも裏、膝裏にかけてが集中的にストレッチされ、ともすると、その部分の筋に負担をかけすぎて痛めてしまうこともある。実際、私も圧腿で左腿裏とお尻のつなぎ目のところの筋を伸ばし過ぎて痛めそうになったことがある。やばい、と思ってそのあと一週間ほど伸ばすのを止めたが、その後、師父から再度正しい圧腿の仕方を学んだ結果、一箇所の筋が集中的に伸ばされて痛めてしまいそうにされてなる時は、その部分の筋が硬いというよりも、その他の部分の筋が伸びないからその一点が伸ばされてしまうのだということを知った。

 圧腿で、腿だけではなく、仙骨や腰、背骨の方まで筋を伸ばせるようになると、それに比例するかのように、膝下の脹脛やアキレス腱周り、そして足(フィート)の中(足指)がストレッチされるようになる。足指まで拉筋するには仙骨にあるさらに広範囲に満遍なく筋が伸ばされるような圧腿の方法をとればもっと安全に筋を伸ばされることになる

 

それには、左の図にある仙骨の左右、それぞれ4つあるツボを縦につないだラインもストレッチして、膝裏や太もも裏のストレッチをお尻から腰へと繋いでいくことが必要だ(おそらく仙骨のこのラインが意識的にストレッチできるならその上の腰部分のストレッチはそれほど難しくないだろう。膀胱経の線を進めば良い。)

 

(左の図は

http://www.aimy-ss.jp/BOUKOU.html

より転載させて頂きました。)

 


  この後、師父にお願いして撮らせてもらった圧腿の動画を紹介するが、これと一般の老師が教えている圧腿の違いは、承扶ツボより上をストレッチできるか否か(左の図の中のツボたちを総動員できるかどうか)。

  

 脚を上げる時に承扶のツボ以下で脚を振り上げるようなことは太極拳では決してやらない(というか、普通に歩いていてもそのようには私たちは歩かない。骨盤を動かすことなく脚を振り出して歩いているとしたら相当身体が悪いに違いない・・・)

 

 

 

 詳しくは下の動画を見てもらいたいが、下段の師父の一番左の写真は良くない例。これではお尻が割れない(仙骨の2列が引っ張れない)。左右のお尻の輪郭が、くるん♪と浮き出てくるような圧腿ができたら完美(中国語で完全、の意)。

 コツは、立てた軸足をできるだけ前方に(師父の写真で言えば、左足をできるだけ木に近いところに置く)、そして上げた足の踵はできるだけ身体の方に引きつけること。するとお尻の面が身体と平行になって仙骨の中心の2列を使い切ることができる→脚の内腿側、陰経も使いやすくなり身体が総動員される。 

  軸足と上げた足の距離を開けば開くほど(コンパスを開けば開くほど)身体の中心軸を使いづらくなる。逆に狭くすればするほど(ストレッチされるラインが)身体の中心軸(会陰と頭頂を結ぶ線)に近づいてくる。

  私はこれで足首からFeet内のストレッチができるようになり(足が熊手化!)、足裏の力が格段にアップ。他に特別な練習をしていないのにジャンプが前より楽になった。脚はただ高く上げれば良いわけじゃない(高く上げるには脚の付け根の筋さえ伸びればいい。腰や膝裏、足首、足指の筋の伸びとは無関係)。脚に力があるというのはどういうことなのか・・・ただ太ももの筋肉をつけても膝を痛めるだけ・・・・私にとってはそんなことも分かるようになった目から鱗の(そしてキツイ!)圧腿でした。

  圧腿はくれぐれも無理をせず、毎日、少しずつやる、それが大事です。最初から完美は目指さない!

2020/2/14 <弓歩の重心移動>

 

 早速お問い合わせからいくつか質問をもらったので今日はその一つを説明。

 

 <質問>

 弓歩の重心移動の仕方について、2019/4/18の劉先生の「弓歩」動画で「身体を落とすのではなく,気を落とす」という話があったが、そこに至るための「弓歩への動きだし~途中動作」を教え欲しい。ちなみに自分の先生は「腰を前に,仙骨を立てて!」と言います。別の言い方をする先生もいるようです。

 

 <回答>

 単刀直入の回答

 「丹田を作ったまま後ろ足裏で地面を推せば身体が(腰が)立ったまま自然に身体が(腰が)前方に移動します。」

  ①弓歩で後ろ足に乗った状態で丹田を作っておく(後ろ足にのったタントウ功の状態)

  ②後ろ足の足裏で地面を推して(※あたかも後ろ足裏で丹田を推しているかのように)丹田を前方に移動させる。

  ③足裏が地面を推している間は丹田が前方へ移動し続ける→身体がタントウ功の状態で前方に移動 

  

  結局、最初から最後まで丹田を失わないで動ければ重心移動はできてしまう。

 脚(股関節や膝や足首など)は問題にならない。

  丹田がない状態から動き始めるからややこしくなる。

  

   下の写真は2019/4/18動画の場面を切り取ったもの。

 師父の後弓歩も前弓歩も胴体の重さは股間から下に抜けている(=丹田があるとそうなる)。

 動画冒頭で師父が生徒さんの胴体を調整して含胸させていたのは、他でもない、(胸の気を腹に落として)丹田を作らせるため。

 丹田が作れないと両脚’(両腿)で胴体の重さを支えなければならなくなる。

 両腿に乗っかると脚が重くなるから(膝に負担がかかるから)速く動けなくなるし負担が大きくなる。

 胴体の重さはストンと直接両足裏に抜けてしまいたい!(両足裏から地面に抜ける)

 そのためには丹田が必要になる(どうして丹田、身体の中の隙間が必要になるのか、だれか物理的、数学的に分析して教えて欲しい!私は感覚的にしか分からない(苦笑))

 

 

   巷の先生が「腰を前に、仙骨を立てなさい」とかいろいろ難しいことを言わなければならなくなるのは、やはり、太極拳の動きの、いや、人体の動きの大前提である”丹田”をしっかり作っていないからではないかと思わざるを得ない。

 

 太極拳が中国国家によって一般大衆にに広めようと”制定”された時点で、習得に時間のかかる”丹田”は切り落とされてしまったのだからそれは仕方ないかもしれない・・・が、息抜きに体操程度でやる程度ならともかく、試合に出てまでやろうとすると身体に対する負担が大きくなり過ぎる。太極拳は身体を痛めるスポーツになってしまうだろう(実際なりつつある,,,)。

 

 とは言っても、丹田がしっかりなければ太極拳ができない訳ではない。太極拳を練習しながら徐々に丹田を作っていけばいい。丹田の重要さが分かり始めたら率先して丹田を作る練習をし始めるだろう。

 

 私にビデオレッスンを依頼してくるほとんど全ての人は陳式非経験者。丹田もよく分からないし丹田を回すなんてどういうことか分からない、という人ばかり。

 楊式は陳式から派生したけれども、丹田の内側の動きが見えない。私から見ると、丹田を回す必要もないくらい丹田が身体全体に広がって身体の中が丹田でくり抜かれて空洞になってしまった人だけが可能な動きのように思う。外の動きが他の太極拳の流派に比べて簡素だが、外の動きが簡素ということは内側がものすごい。いわゆる巨匠レベルの動きだ。問題は、内側が何もない人が巨匠の動きを真似すること。巨匠は内側は絶対に見せないのだからどれだけ上手に外側を真似ても内側は分からない。内側の手がかりが掴めない。

 私のところにくる楊式経験者はみな”内側を知りたい!”という思いが特に強い。

 ただ初めて太極拳を習いにくる人は全部がよく分からないから何が外で何が内かも分からないままただ練習をする・・・それとは大違い。

 

 内側のない外側はない。私がビデオレッスンで教える楊式を練習している生徒さん達に教える時も、最近はまずその楊式の動きをやってもらう。そして内側が分かりそうな箇所を選んで、実はその動作の内側(丹田の動き)がこうなっているから外側がこうなるんだ、というのを実感できるように導いてあげられるようにしている。”内側”が実は普段やっている楊式太極拳の動作の中の隅々に埋め込まれている。ただ本人がそれを知らない、習ってこなかっただけ。

 

 前置きが長くなったけれども、上の単刀直入の回答、丹田を移動させる!、では意味が分からなかった人のための補助的な練習動画。本当なら一人一人に対し手を替え品を替え教えるのだけれども、一度はこれを試してみるとよいと思います。股間に降りる、のがポイント。太ももに乗っかってはいけない。どうやったら太ももに乗らずに一直線に股間に降りていけるか、試行錯誤したら、上半身の力を(諦めて?)抜くこと、へなへな〜、とがっかりして腰の力も抜けてしまったような感じもなきにしもあらず?ほんのちょっとした自由落下? 落下しそうなその時に身体を支えているものが・・・実はそれが丹田。 そこまで見えなくても良いですから、ただ真似してみて下さい。股関節を緩めるにも実は丹田が必要、というか、股関節を緩める、ロックを外そうとするとちょっとした丹田ができていまう、はず。

 

↑下列左側の写真のように両太腿に乗るには上半身をギュッと締めなければなりませんでした・・・。ということはその他の時はお腹、上半身をほわっとさせていた、ということ!

2020/2/10 <松胯に入っていく時に意識しておくこと、弹簧力!>

 

 『松腰』なしに『松胯』をしてはいけない。

 

 それを書こうとして『松腰』を書いたところで話が中断したままになっていた。

 腰を緩めてから股関節を緩める。

 腰を緩めずに股関節を緩めてはいけない。

 

 これは、私が観察する限り、太極拳(中国武術)と日本の武道の大きな違いだ。

 

 日本では背骨を本当にまっすぐにする、ことに重きを置く。文化的にも、背骨がぐにゃぐにゃ動いたり、腰を回したり振ったりすることはタブー視されている。私は小学生の時に背中に長い竹製の定規を入れられたまま授業を受けたことがあったけど、そのくらい(昔の?)日本は背骨の真っ直ぐなことが重要視された。

 空手の動画などを師父に見せると、腰を使わずに胯だけ使うんだなぁ、と不服そうな顔。だって日本の武道ですから、と私は思うけど、中国から沖縄に唐手が伝わったころはそうでなかったのかもしれない。

 

 私はこれまで何度か国内でも有数の空手家の人たちに会ったことがあるが、彼らは若いうちは良いにしても歳をとると決まって背中が板の入ったように真っ平らになっている。この前会った人も、前回の滞在の時に会った人も、微妙に歩き方がおかしかった。よく見ればこの人は右股関節、あの人は左膝、と負傷しているのが分かった。空手は本当に打ったり蹴ったりするから怪我はつきものだから仕方がないのかもしれない。養生と武道は必ずしも両立しない(のかな?)。

 

 これに対し、太極拳の根っこは道教。不老不死、仙人思想の教え。師父と話していると、長寿であればあるほど価値が高い、みたいな価値観を埋め込まされそうになる。いや、長生きに越したことはないけど長けりゃ良い、訳ではないでしょう?と何度も反駁を繰り返したが、長寿信奉は骨の髄まで染み込んでいるのか全く変わることはない。

 太極拳がただの武術ではなく養生法となったのもそんな文化的背景があるだろう。いくら強くても格好良くても身体を痛めてしまうのは論外。空手のように胸のすくような技でなくとも、最小限の力で賢く敵を蹴散らせればそれでよいのだ。

 

 太極拳が背骨を自由自在に操るその様は蛇に例えられた。

 そこには肩も腰も股関節も存在しない。全身が一つになる。

 

 ここで松腰から松胯の話に戻るけれども、この松腰→松胯はそんな蛇のような身体を作る第一歩。

 一般的には、虚霊頂勁で頭を吊っておいて、その下の背骨を下に牽引して引き抜くようにする(それぞれの脊椎の間を広げる)と説明されるけど(→背骨の調整)、なぜ太極拳ではこんな要求があるのか、その意味をはっきり意識しておくべきだと思う。

 でないと、松腰の後の松胯の意味がはっきりしないから。

 

 かなり昔、師父に、太極拳で最も大事な運動の要素は何か? みたいな質問をしたことがある。

松、とか、沈、とか、柔、とか、霊、とか、虚、とか、そんなことを言うのかなぁ?、と思っていたのだけど、なんと答えは単刀直入、「弾性」その一言。

 弾性? と私が繰り返したら、「弹簧力!」と言い直してくれた。

 

 

弹簧とはバネ、スプリングのこと(左図参照)。

太極拳で目標にしているのはバネ力。

 

当時そんな話を聞いた時は、まだ二路も学んでいない段階。二路で本格的に学ぶ発勁もまだ分かっていなかった。跳んだり跳ねたり、そんな太極拳とは無縁の練習をしていた頃だったから、バネ力、と言われても全然ピンとこなかった。私が知ってる太極拳はただの地面を平行移動してるだけ・・・。

 

 が、それから随分経った今、師父の当時の言葉はまさにその通りだと納得できる。

 このバネ力は背骨のバネ力に他ならないのだけれども、このバネ力がなかったら発勁もジャンプも素早い動きもできない。

 普段延々と練習しているタントウ功や基本功、そしてゆっくりと気を巡らして太極拳(一路)を練習するのは、そのうち二路に進むため。二路こそが太極拳の出来上がり図で、一路はその準備という位置付けなのだ。

 

 発勁ができるようになる、とか、ジャンプができるようになる、という武術としての目的に限らずとも、バネ力、というのは加齢とともに目に見えて衰える身体能力。基本功ではジャンプの練習はしないでしゃがむ練習をする。その場でストンとしゃがめるならしゃがんだ状態からそのままジャンプができる。タントウ功や基本功は、そんな、ストン、と身体のどこにも引っかからずにしゃがめるような身体を作る練習。その、ストン、としゃがむ、その動作を超スローモーションにしたら、腰が緩んで股関節が緩んで、とグラデーションで緩んでいくことが分かるだろう(幼児などの”達人”は一気に全部同時に緩められるだろう)。

 

 身体の中に強力なバネがあれば、呼吸もしっかりし、気血の流れも良く、とても健康な身体になるのは間違いない。

 背骨のバネ化、それを忘れずに練習すれば大きく道を逸れることはないはず。

 

 松腰から松胯に入っていく時も、背骨がぎゅっと棒にならないよう、背骨がボヨヨン、とクッションのあるバネのようなつもりでやってみるとよいと思う。股関節緩めてドドド、と背骨が一気に落ちてくるようだったら、バレエのバーレッスンのように、手で手すりを軽く握ったり壁に手を置いて手で身体を支えた状態で、背骨が塊で落ちてくる直前で何度も股関節あたりでバウンスを繰り返してみたりするのも一つの手(文章ではわかりづらいかな?)。

 

 続きはまた今度。

 

 書いた後にふと思い出して見直した玉三郎の動画。4'50"あたりで中腰になるところがある。

腰は緩めたまま、脚の筋肉も緩めたまま、このままで24時間いられる・・・。タントウ功と同じ。

これが可能になるのは玉三郎の腰と股関節の柔らかさ。が、ここでは爪先立ちだけど、踵を下ろして中腰になると股関節はとても緩み辛くなる。踵を下ろしたまま足首を関節化させることが必要→feetについての記述を参照。

 

2020/2/8 <思いがけず『舌抵(貼)上颚』が分かってしまった>

 

 2日前から喉が痛くて多少風邪気味。パリの道を歩くとタバコの煙を吸わずにはいられない。歩きながらタバコを吸っている人がとても多く、公園で練習をしていてもどこからかタバコの匂いがするし、師父の所にはしょっちゅう通りがかりの人がタバコをもらいにきたりライターを借りにきたりする。そう、だから、喉が痛い時はマスクをしたい。が、できない!

 

 日本でも大騒ぎのはずだが、ここフランスでもコロナウィルスに対する警戒心はとても強いようで、中国人と見分けのつかない日本人や韓国人、総じて、アジア人を危険視するフランス人がいるようなことを聞いてしまった。

 こちらではマスクをつけている人がまず見当たらない。少し前にデパートに行ったら中国人の観光客がマスクをしていて、私でさえ一瞬、危ない!と思ってしまっただから、もし私がマスクをして歩いていたらフランス人の中にも私を危険人物だと思う人がいても不思議ではないだろう。

 予防のためにマスクをしているのか、自分の病気を移さないようにマスクをしているのか一見分からないところがややこしいところ。今回のコロナウイルスの場合は感染者がマスクをつけて公園で太極拳の練習をしていたり、堂々とデパートで買い物していたりするわけがないのだけど、つけている人がアジア人だと怪しく思われてしまう(のでは?)と余計なことを考えたりしている。

 

 一昨日はベテラン生徒のドミニックが来ていたから、なぜフランス人はマスクをつけないのか聞いてみた。「そもそもマスクは売ってるの?」と質問したら、「何を言ってるんだ? 今やフランスのドラッグストアのマスクは全て売り切れだよ。」と笑いながら答えた。「へぇ〜? でも、誰もマスクしてないじゃない!」 と返したら、「皆必要になった時のために買い込んで家にストックしてるんだよ♪」と笑ってる。えぇ〜?!ひどい! トイレットペーパーの買い占めみたいだ! というか、フランス人も日本人みたいなことをするのね、そりゃ人間だもの、みな存在欲で生きている・・・頭の中で エゴと存在欲の関係はどうなってたっけ? と考え出したところで、会話が止まってしまった。

 

 そんなことで喉が痛いけどマスクをしていないで練習していたのだが、そうすると、鼻と喉の間(その通路)が乾燥してその結果喉が乾いてくるのが分かる。鼻と喉の間(調べたら上咽頭というらしい)が乾燥しないようにするには・・・、と恒例の拍手功をしながら模索していたら、舌の根っこを喉に添わせてそのまま上に貼り付けていればよいことを発見。そうすれば鼻と喉の間に舌で蓋ができてそこに水分が保持できる。そういえば、最近イギリス英語の発音をおさらいしていて、実はイギリス英語の発音の際の基本の舌の位置がフランス語に近いことを知ったばかり。舌の奥が上咽頭あたりにくっついている(舌がとても後ろの方に引かれている)。だからフランス語は鼻音が基本になる。ボンジュ〜ル♪も、日本語読みのように音が口から”出る”のではなく、ボンで口から吸ってジュ〜(フ)は鼻から出る。日本語は口から音が出るけど、フランス語やイギリス英語のRPアクセントでは、口から吸って鼻から出る。だから口が引っ込んで鼻が出る、そんな骨格になるんだ!! 

 これに対して、日本語は鼻をつまんでいても喋ることができる。口から声(息が出る)。舌を上顎にくっつけていたら発音ができない。逆に、医者に行って喉を見てもらう時のように舌を下顎に貼り付けて喉を開けた状態で発音ができてしまう。つまり喉が全開の音で、たしかにこれでは鼻から入った空気(菌)が一旦上咽頭で水を混ざることなく一気に喉へと落ちて来てしまう。・・・・ああ、だから特に日本人はマスクをしないといけないんだ、と、一人妙に納得。

 欧米の一昔前の映画に出てくる中国人や日本人などの喋り方は、アーアーヤーヤーギャーギャー、みたいに真似されるけど、アジアの言葉は鼻音が少なくて喉が開いたような音が多い。鼻と喉の間を舌で蓋するような発音の言語がヨーロッパに多いのかどうかは検証していないが、少なくともフランス語はその典型。そして、まさにそれこそが、太極拳の『舌抵上颚』なのだ!

 

  このように舌の根っこを上咽頭に添わせて貼り付けるのは人間として正しい舌の位置。歯医者さんもそう勧めている。が、実際にそれをしようとすると、かなり顎を引いて首を立て、頭部を後ろに位置させなければならない(実際には頭蓋骨をクルんと前回転させる、骨盤の前傾と連動)。日本人にはなかなかとれない姿勢。馬に乗って馬が急発進した時に身体がとりのこされそうになって手綱をグッと握って首を立てざるを得なくなった、そんな体勢。この時の舌はかなり後ろに引いて上顎に貼り付いているはず。

 

 マスクできないならトローチを、とトローチを舐めながら歩いていたら、あれ?、トローチは舌の奥と上顎の間に挟まれた状態で自然に溶けてきているだけ。舌でペロペロ舐めてるわけではなくて、舌と上顎の間に含んで舌を吸盤のように吸いつけているだけだった。しかも、放っておくと舌の一番奥のあの位置、上咽頭に近い位置にトローチがある。舐めてる間は鼻と口の間は蓋をされているんだ〜(当たり前か?)。(おっぱいを吸うのもこんな舌の使い方。吸う、という動作は唇ではなくて舌を上顎に貼り付けて吸う。口の中が”陰圧”になる。これ以上書きませんが、”陰圧”がキーワード。引く、吸う、で作る陰圧、丹田にも陰圧がある。会陰も肛門も陰圧=合。吐く、出す、の陽圧だけでは太極拳にならない。)

 

 誰かこの舌の位置、舌を”引く”ことについて説明してくれていないかなぁ?、と調べたら、こんだ動画がありました。見て見てください。舌が自然にこの位置に来るように全身のアライメントを調整できたら太極拳の要となる基本の身体作りは成功したも同然。

 

 

 本当に吸盤にします! 慢性上咽頭炎の人だけの話ではなくて、普通の人もそうあるべきの舌の使い方。最終的には首は首で立てるのではなく舌で立てるようになるはず。舌の上には延髄、そして脳が広がる。舌から耳と目、上丹田、その基礎は中丹田と下丹田。できなければ下から順番に調整し直します。

 

 下の動画はRPアクセントの典型例。(RP=received pronunciation)

 

 そしてBonjour♪ の発音

 この動画の中にあった「R」の発音の図(舌の左側の図)。のどちんこの前、「が」に近い位置・・・ここが上咽頭の位置。ここに隙間を開けないで舌を貼り付けると、『舌抵上颚』(『舌貼上颚』とも言う)。

 「L」の発音の舌の位置(舌の右側の図)ではないので要注意!(誤解している人が多そうなので)

2020/2/6 <三人不言道>

 

 今週は久しぶりにビデオレッスンを2つした。

 パリに来てから午前中は毎日師父との練習があるため、時差8時間の日本にいる生徒さんとのビデオレッスンの継続が難しくなった。レッスン希望の生徒さんを随分待たせたのち、この前やっと、オーストラリアに住む生徒さんとはこちらの夜20時半(向こうの朝6時半)、今週はドイツに住む生徒さんとは夕方(時差なし)、そして日本に住む生徒さんとはこちらの朝9時(日本の17時)にレッスンをした。

 

 時間を工面するのは一苦労だが、一度レッスンをすると毎回手応えがあって教える充実感が感じられる。いや、手応えがないのは許せない、生徒さんに”感じさせられない”と気が済まない私は、これでダメならこれ、それでもだめならあれ、と執拗に迫りがち。どこをどうすれば生徒さんをそこに持っていけるのか、それをその場で考えて試すのは、自分の能力をフル回転させることになる。それは”ない”ところからほじくり上げるような感もあるが、それが、ほじくり上げずとも生徒さんの動きを見ていたら”ない”ところから自然に湧き上がってきたように感じられる時は、不思議なくらいうまく生徒さんを導くことができる。どうすれば生徒さんが分かるだろう?と一度考え始めたら、ドンピシャにはならない。ごりごり導くことになる。

 毎回毎回、一期一会で教えるしかない。

 太極拳を教える、とはいうが、大事なのは”教える”のではなく”導く”こと、学ぶ側はただ”習う”のではなく、導かれたらその境地にその後自分一人で逹することのできるように身につける自分一人の練習、試行錯誤が必要になる。”修得”することが必要になる。

 

 「先生と一緒にやるとできるのに、一人ではできないのです。」というような言葉をよく聞くが、”先生”は生徒が一人では逹することのできない一つ先の境地を見せてあげる(体験させる)のが仕事だから最初はそれは当たり前。が、いつまでも同じところで足踏みしていてはいけない。先生に習って、一週間放っておいて一週間後に思い出したように練習しても(天才的に身体記憶が優れていない限り)一週間前に得た身体の感覚を再現することは困難で、また一週間前と同じところから出発することになる。学ぶ側はただ”習う”のではなく、導かれたらその境地にその後自分一人で逹することのできるように身につける自分一人の練習、試行錯誤が必要になる。”修得”することが必要になる。

 

 私が最初に師父に習い始めたころは、一週間に一回のレッスンだったけど、その一週間の間次のレッスンのためにどれだけ準備(練習)をしたか分からない。練習をしていかなければ師父は一眼で見破って喝を入れてくるし、それが続けばそのうち見放されてしまうと思って必死だった。

 

 ビデオレッスンの良さは、一対一で教えられること(学べること)。

 一対一だから私はその人の課題だけに集中して、その課題を克服するための方法を提示することができる。そしてその次のレッスンまでの宿題を明確に示すことも可能だ。

 これは複数の生徒さん相手のレッスンではなかなかできないこと。

 一人一人の課題を指摘してあげることはできても、その克服のための方法を何通りも示すことはできないし、ましてや一人一人に別々の宿題を出す時間がない。

 屋外での集団練習は直に触れたり、直に見ることで、生徒さんが感じることができるし、一緒に動いて身体全体で感じることができる。大きく学ぶことができる。一対一では細かい点を学ぶことができる。

 

 三人不言道 道不传六耳

 

 これは最近師父から聞いた言葉。

 三人いるところではタオの話はしない。

 6つの耳(=三人)にタオは伝えない。

 

 つまり、タオは二人、一対一の師弟間のみで伝える、ということ。

 もともと太極拳もそのようにして学ぶ。集団では学ぶのは無理なもの。それが学校での勉強、学問との違い。

 

 ビデオレッスンは止むを得ずやり始めたが、やってみるとタオの伝え方にも似た面があり、生徒さんたちの進歩の様子を見ていると予想していた以上に効果があるようだ。 

 

 

2020/2/3

 

  先日紹介した踵、脚前掌(足掌)の使い方が可能になるには、丹田から踵、足先までしっかり勁をつなぐ、という土台作りが必要だ。その土台作りがタントウ功だが、これも漫然と同じ形で立っていたのでは身体の中を通すことはできない。石のようにたち続けたら硬い身体になってしまう。少しずつ、少しずつ、気の量が増えるごとに形を変えていかなければならない。それには通常微調整の仕方を教えてくれる老師が必要になる。

 

 丹田から最も遠い足(feet)まで勁を通せれば、タントウ功は成功したも同然。

 その完成形は実はバレエダンサーの足と同じ。

 とは言っても、バレエダンサーも皆が皆成功しているわけではなく、相当注意しないとすぐに負傷してしまう。

 このサイトにその完成形が詳しく説明されていました。

 太極拳にも、こんな足(feet)が必要!

 

 私の見る限り、このブログの中で間違えた例、として描かれているような足で太極拳をしている人の方が多いはず。だから太極拳で膝や股関節、腰などを痛めてしまう。(虚歩もただつま先をちょんとしているだけで踵の力が皆無だったりする。)

 なぜ会陰を引き上げなければならないか、なぜ上向きの力ではなく下向きの力を重視するのか、このブログを見て納得。

 

 https://www.chacott-jp.com/news/useful/lecture/detail001692.html

 

 足の使い方については他の回にも掲載されているようなので参考にしたいと思いました。

 

 なお、上の中足骨に着目したブログでは、「小趾側のくるぶしの引き上げが大事」だと言っているが、太極拳では同様のことを、外くるぶしの「崑崙」と胆経上の膝下に「陽陵泉」を意識する、という表現をする。「腿と股関節は均等の力で離れる」というのは、太極拳の「会陰を引き上げる」というのと同じ(もし会陰を引き上げて腿と股関節の距離が縮まるような感じがするとしたら間違えている→、会陰を引き上げる前にしっかり放松して足裏まで気を落とす、タントウ功の第一段階をクリアする必要あり。会陰を引き上げるのは第二段階。)

 

 このような足の使い方はバレエや太極拳に限らず、どんな運動(ただの歩行)でも必要になるが、子供の時はそうだったかもしれない身体の使い方を取り戻すための功法が基本功だとも言える。

 

<今日の新しい不思議な身体の感覚>

 

 今日の練習は師父が用事でおやすみで一人練習だったが、一人だからいろいろ試すことができた。昨夜久しぶりに馮志強老師の動画を見て、やはりすごい、と思ったが、その映像が頭に残っていたので、少しそんな感じで立ったり動いたりしてみた。師父もそうだが、馮老師の立ち方を見ると、首が子供の時のように背骨からそのまま立ち上がっている。頭は後ろの方にある。頭はもっと後ろ!と何度も直されたが、頭を後ろにして立ち上げるには丹田の重さがさらに必要になる。

 今日は一人だから、少々変でもこんな感じ?と自由に試せた。重心ももっとさげなきゃ、と一通り練習して帰り道、道を歩いていたら、あれ?私が私の身体より後ろにいる!

 自分が自分の身体より後ろにいる! と瞬間的に思って、頭の中で、それ、どういうこと?

と一人問答が始まる。

 歩きながら、いや、自分の身体が自分の前にあるんだ、と納得。

 ん?私の身体全体が私の前(私より前)にある、ということは・・・

 ああ、以前師父が、何気なく、踵は身体の真ん中にある、とか言ってたなぁ。と思い出した。

 確かに、踵は私より前にある。だから師父は踵は身体の真ん中にあると言ったのだ!

 身体が自分よりも前にある、ということは、そう、私は身体をすべて操作できるということ。身体の中で私より後ろにある部分が広ければ広いほど、自分で操りづらくなる。腕や脚は完全に私の前方にある(ハムストリングスも私より前方にある)。すると自分で脚の後ろの面まで操ることが容易になる。

 背中の薄い肉と皮のみが私より後ろにあるような感覚。初めての身体感覚。

 

 明日早速師父に報告してみよう♪

 

<追記>

 そうそう、それは大太鼓を身体の前にしょって(抱えて)行進するブラスバンド部員のよう。大太鼓が私の身体。私が私の身体(大太鼓)を抱えていました。明日も再現できるかなぁ?

 

2020/2/2 <閃通背の歩法  『梢节领中节随根节催』の”催”> 

 

 生徒さんから第19式閃通背の中にある『白蛇吐舌』の時の足の向きがはっきりしない、という問い合わせがありました。早速師父に確認したら、ああ、そうだったのか、と目から鱗。

 

 白蛇吐舌は、まさに蛇が舌をチロっと出す動きのごとく右手を相手の喉に向けて刺し出す技。指先の一突きで相手を殺してしまう、というくらい一瞬の指先の力が必要になる。この指先の力をもたらすのは踵(から脚、身体を通って指先まで達する勁の道)。

 「梢節(手)は”領”、中節(腰)は”随”、根節(踵)は”催”」

 という中で、踵の”催”、という”催”という意味がずっと良く分からなかったけど、今回師父がやってくれた、踵の押し込みに”催”の駆り立てる、せき立てる、促す感じがよく現れていると思った。もしこれを(私が間違えてやっていたように)踵を支点に足先を南に開いてしまったら、蛇の舌のような速さで腕を差し出すことはできない。師父のように足掌を支点に内踵を前方へ押し出すと腎経など陰、身体の内側の勁(脚の内側、身体の中心、脇から腕の内側、掌へ)が主導になるのに対し、踵を支点に足先を開くと、足の小指側から胆系や膀胱系の身体の外側の陽の勁が主導になる(手は甲側が主になる)。そして、勁の距離の短さ、速さで後者は前者に敵わない。蛇の舌の動きのような鋭い動き、寸勁には内踵の勁が不可欠なのを痛感。

 踵は全ての勁の出発点。

 踵を活性化させて鋭く使うためにはそれなりの練習が必要。

 そのあたりの補足は日を改めて。

  

 馮志強老師の閃通背を見たら、白蛇吐舌の前の右足の上歩で直接足先を南東に開いて着地。そのまま右足を動かさずに白蛇吐舌をしていました(3'40"あたり)。

 良く見ると、右足内側、内くるぶしから腎経、陰の勁を使っているのが分かる。このようにしっかり陰の勁を通せるならこのような歩法も可能。直接足先を南東に開いて着地して、股間がすかすかで心配(金的の心配あり)と感じるなら陰の勁が使えていない(苦笑)。最初は劉師父のように足を使った方が勁がとりやすいと思います。

2020/2/1

 

 転腿を一人で練習したいので動画が欲しい、というリクエストメールをもらいました。

 早速動画を撮りましたのでご覧下さい。

 

 先生(師父)との動画を見て改めて気づいたこと。

 太極拳をしなくても転腿の動きを見れば功夫の差は一目瞭然。師父の動きは全くブレがない。腰=帯脈、胯、膝、足首の回転がそれらをつなぐ筋肉の螺旋運動(床屋のあれのような)と完全に繋がっているので、関節の回転が滑らか。関節が均等に回転している。ここまでいくと左右5・5で転腿できるのだと動画を見て知りました(結局、私、相手がいようがいまいが、関係ない⁉️)ああ、師父に近くにはもっともっと丹田の気を増やして股間(裆)までパンパンにする必要あり。

 

 

 そして一人転腿の説明。

 順回転(外旋)では気が腰から足へと螺旋を描いて降りていく。

 逆回転(内旋)では気が足から腰へと上がって行く。

 陰昇陽降、に従って、順では脚の陽面(外側)の下降、逆では脚の陰面(内側)の上昇を意識する。

 最後に腰=帯脈と胯を繋ぐための回転の練習の仕方を紹介。ここが太極拳の要所。ヤオ・クワ、ヤオ・クワ、腰・胯、と何度も何度も言われるところ。

   転腰でクワを回す練習をして、次第に丹田とその外側の腹(のタイヤ≒帯脈?)の間に隙間ができるてくると、丹田を撼わすとズレを伴って帯脈が回るようになる。これが拧腰(ニンヤオ)で発勁の原理。(→昨日紹介した馮老師の肘法の動画がその完成形。発勁した時に腹が、ブるん♪)。

2020/1/31

 今日の練習、たった今終了。
 転腿、拍手功、動功、そして24式、48式、46式を1回ずつ。そのあとドミニックと一緒に46式の前半やって師父に直してもらった。

 新しい言葉、新しい発見。忘れないうちに。(説明は後で追加。)

 <轻盈>
       46式内にある私のジャンプを見て褒めてくれた師父の言葉。昔は"笨 "で、最近"轻灵"になったと思ったら、今日は轻盈、驚いた、とのこと。

   

  昔は笨(ben)・・・間抜け?格好悪かった、という何ともストレートな表現。確かに、以前はジャンプの時の上半身、特に腕の使い方が分かっていなかった。ある時、翻花舞袖で(ジャンプして)身体の向きを180度回転させる時は、軸足側の腕(後から回転させる腕)を思いっきり使って重い軸足を引き上げるのだと気づいてからジャンプが随分楽になった。

   一路の24式や48式にはジャンプ(蹦)はないが、48式で様々な蹴り技を学ぶと、蹴り技には腕と上半身が大事だと気づく。脚は上半身? ん?、とその時頭の中は24式まで巻き戻る。ああ、24式で腕は力を抜け、足で地面を蹴れ!上虚下実だ!、としつこいほど言われたのは、腕の動きは下半身が決める、ということだったのだ。

  腕は下半身、脚は上半身・・・・太極拳でコサックダンスはしないのだ! と思い浮かべて可笑しくなったのを覚えている。太極拳では上半身だけ使ったり下半身だけ使うような、身体に負担をかける不自然な動きはない、ということ‼️ 

  

 自然界の動物で不自然な動きをしているものはない。人間は創造的だから、いろんな面白い動きを編み出せる。ブレイクダンスを初めて見た時、なんて変な動きだろう、と感じたが、それ以上に、そんな動きができるなんて凄い!と思った。凄い!と思わせるものの中には自然の延長上にあるものと、自然と逸脱した我の強さからくるものがあるようだ。自然の延長線上にあるものからは力みが感じられない。どこか涼やかだが、凄い、いや、素晴らしい、と思わせるものがある。力みがある凄さからは努力と汗、きつい鍛錬が滲み出てくる・・・・とは言っても、最初から自然な動きができるはずはなく(天才でない限り)、普通は不自然なことをしながら次第に熟練して力を抜けるようになって自然になっていくのだと思う。少しだけ自然な楽さが分かりだしたかなぁ。少し放松が進んだよう。

 

 と、ジャンプに不自然さがなくなったら、軽快になって、師父は少し前の私の状態を、”軽霊”だったと言った。軽く、素早い(=霊)という意味。軽いと素早いは同類の言葉。

 そして、今日の私のジャンプを見て、”軽盈“と褒めてくれたが、 ”盈”は月が満ちる時のように、溢れ出る、豊満な、という意味がある。軽快で豊満? すっからかんの軽いジャンプでなくて、中身がぎっしり詰まっているけど軽快だ、という意味だろう。単純にいえば、軽くて重い。これも太極拳らしい言葉。

 


  <没有拧腰没有発力>
         肘法、なんかしっくりこない、と思ってたら、なんだ、そーだったんだ... 

   発勁する時は必ず拧腰(腰をひねる、というか、帯脈の回転・ひねり・震え)がある。

   肘や肩ばかり気にしていたけど、拧腰使ったら一気に師父の動きに近づいたよう。

   家帰って早速調べたら、馮老師、拧腰のオンパレードだった。

  (拧腰をどうやるか・・・丹田が充実して松腰が徹底して基礎ができれば真似したらできてしまう。真似してできるなら基礎ができてる。説明はここでは割愛。)

2020/1/28

 

  太極拳の練習には太極拳で使われる特有の用語の理解が不可欠になってくる。用語が練習の手がかりになり、また、それが練習の答え合わせになる。ヒントであり回答であるなんてどういうこと?と思うけど、ああ、それが太極拳! 円なのだ。

 

 「太極拳は松に始まり松に終わる」というのはまさにその代表例。

 太極拳の練習の第一歩は”松”だが、最終的に出来上がるものも”松”だという。

 じゃあ、何も変わっていないじゃない?と思うかもしれないが、そうではない。ただの珍問答、頭の体操でもない。

 こんな一見変な言葉が、あ〜、そうだったんだ、とある時突然理解できたら、その他のものも同じこと、ああ、これもか、ああ、あれもか、と気づきが広がってくる。そこにぐるぐる螺旋の太極拳の道が見えてくる。

 

 今日の練習でもまた一つ。

 これまで何度も何度も言われてきた「脚后跟要用劲!」(かかとの力を使え!)

 太極拳では「力起于脚跟」(力は踵から起こる)と言われるくらい踵はとても大事だ。

 踵をしっかり踏まないとつま先も使えないし、(実は)つま先がしっかり分からないと踵も限界まで使いきれない。(この辺りの試行錯誤の日々については昔のメモでも書いたので省くとして、)パリに来てから半年間、毎日のように師父と1時間以上の転腿をしてきたら、足(feet)

の感覚が以前には考えられないくらい細かくなってきた。以前頭でお勉強した、MP関節やらリスフラン関節やショパール関節などが、今度は足の中で実物となって現れてきてどの関節のどの部分がくっついていて動かないのか分かるようになってきた。

 そして、今日、いつものように転腿しながら、次第に姿勢を頚椎まで調整してほとんど理想的なタントウ功の形になった時、突然、地に貼りついた両足の踵が、左右交互にペコペコ動き出した。

ペコペコ動いているのだけど、踵は決して地面から離れない。踵の中で足踏みをしているかのよう。師父が「転腿していても、あなたの力がどこから来るのか分からなくなった。」と言ってきた。私自身、踵から頭頂までが内側の細いピンと張った糸で繋がっている感覚がある。実際、百会の少し左のところに軽く内側から刺し上げる感覚が出ていた。

 

 そしてふと気づいた。この状態が正しいのだとしたら・・・踵は、踵は決して地面を踏みしめてはいないじゃないか!もっと自由に動いている! 、と師父に尋ねた。「あなたがいつも踵の力をもっと使え、というのは、ぎゅっと力をいれて踏みしめることではなくて、踵の中がこのように動いている感じなのですか?」。

 すると師父は、「力を使うには虚実虚実、と運動してなきゃならない。ずっと実では力は使えない。」(当たり前だろう!)という顔つきで答えた。

 え〜〜!ショック! 

 力使え、というから、まじで一生懸命力を込めていたのに! それならそ〜いう風になんでいってくれなかったのだろう? と、一瞬師父を責めたくなりかけて、いや、師父は、勁を用いる、と言っただけで、力を込めろ、とは言ってなかった、じゃあ、私の勝手な思い込みなのか? と頭の中が高速回転。

 

 いずれにしろ、師父にとっての、「踵の勁(力)を使え!」は「踵の中を活性化させて動かせ!」ということだった、と自分の踵を見て理解した。確かに虚実虚実虚実、と動くたびに虚実の転換がされている。この状態でやっと「踵の勁が使えた」と言うのか・・・としたら、これまで必死に力を使っていたあれは何だったのか?

 

 結局、師父が要求していた、「踵の勁を使え」の真意は、それを達成しない限り理解できる余地はない。けれども、最初からそれに向けて、分からないなりに「踵の勁を使って」練習し続けなければならない。振り返ると、最初は明らかに「踵の”力”」を使っていた。踵がごちごちになりながら踏ん張って頑張っていた。それがやっとfeet全体に勁が通りだしfeetの中の関節が動き出したら、踵の中の関節も動き出したに違いない(おそらく、踵骨、距骨、舟状骨、立方骨の間に隙間ができて関節として動き出したのではないか?)。癒着していた骨と骨の間に隙間ができればそこに勁が通る。骨と骨がくっついている時は塊として外側から力を加えてそれでも動かそうと頑張るしか内側の小さな骨と骨を引き離すことはできないのだと今は分かる。

 そうすると・・・、腰回しの時の「用勁(勁を用いる)」も同じこと。私たちは力を入れろ!と言われていると思って力をいれたりするが、実は腰の力(筋肉)ではなくて腰の勁(骨の隙間を通る力)を使わせようとしている。練習では腰の隙間を見つけられるように力を使う、という指導でそこに連れていこうと私はしているが、ひたすら腰の力を使い続けたり、同様に、丹田にひたすら力を入れたり、していたら、力を入れたその部位が固まってしまって動きに支障が出てしまう。

 勁を使う、ということは動きがある、ということ、虚実があるということ、それは経験しない限り理解できないのだが、一度経験すればそんなもの、と当然のことになってしまう。

 

 「松から始まり松に終わる」

 最初の松は最後の松から見れば松をは言えないのだろうけど、それでもその時のできる限りの松をしなければならない。いつまで言ってももっと松が可能・・・。松が極まることはないから松で終わってしまうのかしら?

 またあのぐるぐる渦巻き、そしてそれは上昇螺旋。

 

2020/1/27

 

  このHP、そろそろ手入れをしないと雑草生え放題の庭のようになっている・・・

 TOPページも長らく開けたことがない。

 

 最近お問い合わせでレッスンを受けたいというメールを何通かもらったのだけど、私が今日本にいないことを知らなかったよう。HP整理しなければならない。一番苦手な整理整頓(苦笑)

 TOPページに付け加えようと書いた文章。

 HPの構成をもう一度考え直すべし。

 

 <2020年1月追記>

 

 「HP開設にあたって」で書いたように、私は2011年にこのHPを書き出しました。その後HPを見て習いに来てくれる生徒さんが増えました。生徒さん達を教えながら、私が教えようとしている身体の”内側”の世界に入る(=太極拳に入門する)までには平均2年の内功の練習が必要なことを知りました。一度入れば自転車に乗るのと同じで一生その感覚は失われないでしょう。たとえ太極拳の套路の順序や動作を忘れてしまったとしても、内功で得た感覚は一生残ります。

 私は生徒さんの数を増やすよりも、太極拳の核心となる”内側”を知ってもう引き返すことのない太極拳の門をくぐる生徒さんを作ることに最も力を注いできました。内側を知ってその世界に入れば、一緒にその話題で盛り上がれる自分の仲間ができる! というのが本音でしたが。

 

 2009年春に師父と別れて日本に帰国し教え始めて10年経った2019年春、突然再度パリに行くことが決まりました。せっかく育てて来た生徒さん達と別れるのは悲しいことでしたが、これは神様が再度師父のところで学べと仕組んだに違いないと瞬時に心が切り替わりました。もうこんなチャンスはないかもしれない・・・いずれにしろ、もっと太極拳を学べと言われている、と理解せざるを得ませんでした。

 

 2019年夏にパリに引っ越し、それ以来、毎日午前中は師父と公園で練習しています。東京や横浜では生徒さん達が自主練をしています。生徒さん達、私なしで大丈夫かなぁ、と最初は不安でしたが、次第に何人か核となって練習をするようなスタイルができてきているようです。練習会に参加しなくても個人で練習を続けている生徒さんもいるようです。あと1年か2年後に帰国する時の私の功夫、太極拳の理解は、渡仏前に比べて数段格上げされているに違いありません。帰国後私がどんな教え方をするのか自分自身興味津々・・・ 将来の自分に教える機会を与えてくれる生徒さん達との縁を楽しみにしています。

 

 なお帰国するまでは、一時帰国中のレッスンに加えて、スカイプでもレッスンをしています。また、双方録画形式で質問とそれに対する動作の指導をすることも可能です。書面での質問に動画で答えることも可能です。興味のある方はお問い合わせから連絡を下さい。

 

2020/1/26 <松腰から目指すもの、松腰から松胯へ>

 

 松腰から始めて私たちが最終的に目標にする身体は周身一家。全身が一つになった身体だ。

 

 が、その一つの身体、というのは一つの塊、という意味ではない。全身の内部がくまなく網の目、ネットワークで繋がり、どこで感覚を受けても適宜瞬時に的確に反応できる身体、外に発揮する力は身体の中心からそのままロスなく発揮される、そんな身体だ。

 中国語の疏通(shutong)、通顺(tongshun)と言われるような、水道や排水溝が詰まりなく流れ、農地の灌漑のように全身にくまなく気血が行き渡った一つのネットワークとなった身体。一般のスポーツと異なり、太極拳の練習が内臓を養う養生法になる所以はここにある。ネットワークがよければ歪な姿勢や動きにはならないから部分的に筋肉を使って関節などを痛めるという危険性もない。

 

 そのためには身体の中に見えない通路を作らなければならない。それが気を通す練習で、本来太極拳の練習では筋肉で説明を経絡で説明をする。経絡は気の通るルートだが、これは目に見えないが感じることができる。最初は経絡上のツボを意識する(できる)に過ぎないが、その点が増えていけば次第に線として意識できるようになる。

 

 松腰から周身一家へ、とは言っても、そこへ到達するためには一歩一歩進んでいかなければならない。経典にはそのメルクマールとなる言葉がいろいろ書かれている。太極拳の師ならその時々に適切な太極拳特有の言葉を言ってくれる。

 松腰で丹田を少しばかり作れたら、その丹田に頼ってさらに松腰、そしてさらに丹田の気が多くなりさらに松腰・・・・となると腰は「塌(ta)」、するっと抜け落ちたようになる。これが『塌腰』。腰が抜けちゃった状態になる一つ手前、ああ、腰が抜けちゃうかも?、みたいなところ。

 この時、私も含めて大部分の人は、頭がふっと下がってお尻が内側に入るように(突然後ろから膝カックンされたような感じに)なるのではないかしら?この時頭のてっぺんだけ吊っておいて首筋や背骨が長〜く引き伸ばされたようになればすごいけど、最初からそんな風にはなかなかいかない。腰より上が一つの塊になって腰と一緒に落ちてきそうになる。その時にもし慌てず、冷静に、しっかり自分の身体を観察して、腰が抜けそうな自分を首や肩や背中の筋肉で支えないで代わりに出来立ての丹田、腹の空気で自分を支えるように意識できれば、さらに丹田の気が増えて丹田がしっかりする。そうなれば腰は抜けずに引き伸ばされた形で丹田で自分を支える状態になる。

 

https://croissant-online.jp/health/66463/
https://croissant-online.jp/health/66463/

 

この塌腰になる瞬間に丹田の方に力を移動させる要領が、『斂臀』。お尻、正確には仙骨を前に少し押し込む動作だ。最初は仙骨だけ動かすことは無理だけど、それでもできるだけお尻をすぼませないように意識しながら仙骨を前に入れる。すると腹の方に力が篭るはず。

仙骨を前に入れすぎると、電車でよく見かけるスマホをやっている人の姿勢になるから要注意。(左の写真)

お尻がすぼんで骨盤が後傾し鼠蹊部(前胯)が緊張し恥骨にのっかたようになる。せっかく作ろうとしていた丹田はなくなってしまう。

 

 ここまできたら、胯(kua)、骨盤・股関節を緩める(松胯)要領が必要になってくる。

 松腰から松胯へ・・・  <続く>

2020/1/25

 

  空手のことをブログで書いたばかりだが、今日明日はパリで空手の世界大会が行われているということで主人がその大会を観戦をして帰ってきた。

 私が批判混じりで出してしまった動画の女性、型の世界チャンピオンの宇佐美さんは今回コーチとして、動画の男子組手の荒我さんは選手としてやってきて、荒賀さんは今日準決勝まで勝ち進んで明日決勝戦に臨むことになったとのこと。(空手の大会がパリで行われるのも昨夜知ったばかりだが、二人の動画を取り上げていたのも先見の明あり、か?苦笑)

 宇佐美さんは実際に会うと普通のかわいらしい女の子であの動画と同一人物だとは全く思わなかったらしい。演武の時とは全くの別人、だと言っていた。(もう一度動画を見たら、上丹田が内収していない(眉間にシワが寄りそう)から実践ではなく演技、演武だと分かる。演歌歌手の表情とも少し似ている?)

 

 帰宅した主人が一言、10年前に比べるとますます本来の空手とは別物になったなぁ、と漏らした。すごいし、面白い、けど、自分が道場で稽古してきた武道の空手とは全く違うなぁ、と。空手界ではもはやスポーツ空手と武道の空手は別物と思った方が良いらしい。試合に出る人はそれ用の空手を練習する。武道として練習する人は試合とは無関係に稽古を積む。太極拳もそうなってきているのだろうなぁ、と思う。

 ひとそれぞれ目標が違う。追求するものも違う。年齢によって興味も変わってくる。

 その時の自分のニーズに合ったものを学べる場所、先生が見つかれば、もう半分以上は成功したようなもの。あとは信頼して付いていくしかない。

 

2020/1/24 (松腰から骨肉分離へ)

 

 先週は、太極拳の最大の特徴が腰であるという『太極腰』という言葉から、太極拳を練習するにあたって第一にしなければならない「松腰」ということについて書いた。

 

 「松腰」、腰を緩める、ということは何も太極拳に限ったことではなく、運動をする時、動く時はまず腰を緩める、というのが基本中の基本。猫が獲物を狙って飛びかかろうとする直前に、毛を逆立てて腰をブルブル、ブルブル、とさせているのをよく見るが、まさに腰を緩めて背骨を緩めようとしている動きで、それによって身体が一つの弾丸のようにまとまって一気に動き出すことができるようになる。アスリートが走り出す前にも、身体を揺すったり軽く跳ねたり足踏みしたりいろんなことをしているが、それも腰から全身を緩める動きだ。

 私たちだって急に”かけっこ”をすることになったら、その前に準備体操をして少し身体をほぐすだろう。ほぐす、緩める、これらの言葉はどういうことを意味しているのか?私たちは無意識にどんな動きをするのだろうか?

 

 全力でかけっこをする前にどんな準備動作を行うかは人によって違いはあるだろうけど、おそらく首を回したり、膝や足首を回したり、腰を回したり、腿上げしたり、アキレス腱を伸ばしたり、前屈したり・・・そんなことをするだろう。

 このうち、筋を伸ばす動きは筋を切らないためのストレッチ(拉筋)。

 関節を回すのは関節の隙間を開けて関節がなめらかに動くようにするため。

 そして腰を回したり、上体を回したり、軽くジャンプをしたりして身体を揺すったりするのは、筋肉をほぐすためだが、さらに揺すったり、(犬が水に濡れた後のように)ブルブルすることで(抖ドウ)肉を骨から引き離すことをする人もいる。

 骨を肉から引き離す、肉を骨から引き離す、と、骨と肉の間に隙間ができてさらに動きやすくなる(身体がギュッと固まって重くならずに軽く伸びがよくなる)。動物は天性でそれを知っているが、私たち人間の多くは幼児期あたりでその感覚を失ってしまうのではないか?(背骨に限っていえば、四つ足のころは背骨が地面に平行で腹が下にたるんでいるから背骨をゆすると背骨と腹が分離するのがわかりやすいが、二本足で立ち上がってしまうと背骨を脱水槽のように回転させないとなかなか背骨とその周辺の肉が分離しないのだと思う。腹ばいで身体をずりずりすると背中が緩むのはその原理。)

 

 太極拳では”骨肉分離”という言い方があるが、これは身体が松してほぐれた上体、出来上がり図だ。人体は5つの弓でできているが(背骨、上肢と下肢)、背骨をその周辺の肉から引き離していく、その最初の一歩が、”松腰”だ。

 松、は隙間。

 どれだけ身体の中に隙間をとれるか。

 いずれはその隙間に気が流れ、勁が通るようになってくる。

 

 松腰と表裏になっているのが丹田だと書いた。

 丹田がなければ腰に隙間はとれないし、腰に隙間がなければ丹田はできない。

 

 日本で主流の丹田の作り方は、往往にして丹田を固めてしまい、腰に全く隙間ができない。

腰に隙間がない=松ができていないなら、全身を松することは不可能。

手足だけ力を抜いて肝心な身体の幹、根の松ができない。

 ゆっくり動いて雰囲気だけ松しているような太極拳を見て、「假松」(嘘の松)とコメントしていたのは馮老師だったと思うが、そんな言い方があるのかと驚いた記憶がある。

 

 太極拳の目的は松ではない。丹田が目標でもない。

松や丹田は、気を身体の末端にまで勁として通して、最終的に身体が一つの気の塊になり、水道の蛇口をひねればすぐに水が出てくるように、意気力が時間差なしで発せられるようになるための条件だ。

 そう聞いてもイメージもできないそんな現象が、一つ一つ体現されていった時、ああ、先人が伝えてきたことは嘘ではなかった、と自分で確認することになる。

 

 まずは松腰と丹田。

 なぜ丹田に気を溜めることが必要なのか、なぜ、松で骨と肉の間に隙間を作ることが大事なのか、その先に広がる見取り図についてはまた日を改めて書きたい。

 

 <下の動画の3分あたりの動作が”抖”。保健功と銘打っているがとても大事な基本的な練習。これが発勁の基本。2路炮捶でとても大事になってくる。>

 

2020/1/20

 

 週末こちらに教えに来ていた著名な空手の先生にお会いする機会があった。

歳は私よりも少し上で海外を飛び回って教授している。お会いしたらやはり武道家、付かず離れず淡々と心が明るい。さっぱりしていて一緒にいてとても気持ちが良かった。

 

 が、一つ気になったのは歩き姿。左足を微妙にひきずっていて痛めているようだった。後ろから膝か?と見ていたが、左足が外回りして着地するところをみると股関節に違いないと思った。先生自身も教えてばかりでなかなか自分でじっくり練習する時間がとれない、と言っていたのを思い出して少し不憫に思った。

 

 今日の練習で師父にその空手の先生の話をして、その空手の先生の動画を見せた。師父は、「空手は腰ではなく胯(クワ)で動くからなぁ。」とぽつっと言った。

 あら、空手も? 太極拳の ”松腰なしに股(クワ)を使ってはいけない” という原理に反しているのは・・・。

 そういえば以前代々木公園で行われた空手の全国大会を見に言った時、年配の空手の先生たちの背中がどれも板のように動かなくなっているのを見て驚いた。あんなに背骨が硬くなったら足腰が悪くなってしまうだろうと心配になったのを覚えている。背骨が固定されて動かなくなったら動物としては致命的。背骨をまっすぐに立てる、という要求が、背骨をまっすぐに”固定させる”結果になってしまうのは、腰を締めたままにして腹底まで息を落ちないためだろう(帯をぎゅっと巻くから腰が締まるのか?)。

 

 背骨をまっすぐに固定させたまま運動をしたら身体を痛めるのは自明の理。そもそも”背骨”という一本の骨はない。脊椎は椎骨が連結したもので椎骨と椎骨の間は関節になっている。

 腰を緩める、というのは、それによって脊椎の椎骨間の隙間を開いて椎骨と椎骨の間の関節が滑らかに動くようにすること。腰をぎゅっとしめたら脊椎は動かなくなる(腰をぎゅっと締めたら腰を回せない)。動かないドラム缶のような胴体を下半身で支え続けたら下半身は悲鳴をあげてしまう。胴体はうまく形を変えて下半身に過剰な負担をかけないようにしなければならない。これが、太極拳で学ぶところの”身法”だ。

 

 太極拳には、身法、歩法、手法、眼法、の4つがあるが、初心者は手法ばかりに目がいきやすい。それから歩法に意識がいくのだが、盲点になりがちなのは身法だ。(眼法はさらに高度なのでここでは割愛)。

 広く普及した太極拳に欠けているのは”松腰”=”丹田”、すなわち、身法、と言えるだろう。

 手足の四肢運動にしてしまった太極拳はもはや”周身一家”になるはずもなく、”太極”でも何でもなくなってしまうだろう。

 

 少し興味が湧いて空手の大会の動画を見たら、先週見た太極拳の演武の動画にそっくり(苦笑)

 

 なんか”凄い!” が、腰(丹田)の力を意識的に通して使っている訳ではないので先天の気が減ってくるとどうもならないくなる。師父に動画を見せたら、凄い、凄い、と褒めていたが、私が「で、これが何のための練習か分かりますか?」と聞いたら「不知道(分からない)。」と一言。スポーツ競技になると武道の核心部分が抜け落ちてしまうのは太極拳だけの話ではないようだ。それにしても丹田が充実している若いうちはスポーツとして遊べるが、歳とったらこうは遊べない(苦笑)養生とは両立しない。

 組手も今では、ぴょんぴょん跳ねて、腰の力ではなくて股関節以下で蹴りをしていた。一瞬、空手?と違和感を感じたのは私だけだろうか?

 ここで思い出されたのが、つい2ヶ月前に亡くなってしまった金澤弘和国際松濤館宗家。空手を世界に普及させた人物で「東洋のブルースリー」とも言われていた。

 蹴りの名手、と名高いから、やはり胯(股関節)の人だったのだろうか?と動画を検索したら、ああ、これこそ私のイメージしていた空手。腹(丹田)がすごい。だから腰、背中が影響を受けない。腹側にいるから返しが早いし、何と言っても拳と蹴りに重さがある。一発が致命傷になり得る。上のテコンドーのような空手とは全く違う、というか、空手はテコンドーのようになってしまったのか?

 相手のASANO先生は背中側で立っているから腰が危ない。金澤先生よりも胯が開いていて腹腰ではなく股関節以下で動いているのが分かる(やられ役だからわざとそうした?)。

 いずれにしろ、金澤先生の動きをみたらドキドキしてしまった。やはり地に足ついてどっしりして重くて素早いのはカッコいい。

 

 腰をとれば股が落ち(脚の素早さに欠ける)

 胯をとれば腰が落ちる(どっしりした重さに欠ける)

 

 卓球でも若いうちは脚(歩法)でかせいで、中年以上になると台に貼り付いてあまり動かず腹腰で巧妙な打ち方(身法)をしたりするなぁ。

 

 腰と胯をともに使えるようにするには(天才でない限り)地道に一歩一歩丁寧に進んで行かなければならないと思う。

2020/1/19

 

 昨日師父と一緒に48式の動画を撮ったのは、私がこの半年でどのくらい自分の太極拳が変わったのか見たかったからなのだが、実際撮ってみたら私は師父の身体に隠れて後方に小さくしか写っていない。一方師父は久しぶりに自分自身の拳のチェックができるということで、公園で真剣に動画をチェックし出した。自分なりに第三式のここの肩が上がっていたとか、あそこがああだったとか2、3箇所不満な点を見つけたようだが、総じて良いだろうとまあまあ満足していた。動画の中の私にはそんなに興味がないよう・・・。

 

 が、その日、夜遅く師父からメッセージが届いた。

 あの動画の中で私の青龍出水は”打的有味道了(味がある)”との褒め言葉。やった!初めてそんな風に褒められた!

 が、ん? 1箇所しか褒めてくれる箇所はなかったのかしら?

 なんて頭に浮かんだりもしたが、まあ良いだろう。

 

 と、今日公園に行ったら、師父がすぐにあの青龍出水は良かったと褒めてくれた。

 「味がある、と言ったのは、きっと最後の膝横で打つ右拳のことですね?」と私が聞いたら、「違う、最後だけでなくその前から、腰や胯、拳の出し方がとても良かった。」と言う。え〜、そんなに良かった⁉︎ と小躍りしかけたら、師父が「うん、一番最初の左拳を除いては。あれは腰が入っていない。」と冷静な顔で一言。

  青龍出水は文字通り自ら龍が立ち上ってくる様を表しているから、くねりのある陳式太極拳にもってこいの動きだ。左拳、右拳、左拳、右拳、と1、2、3、4と腰で動きをつなげながら打っていく。最後の腰を捻りながら落ちて右拳を右膝横に出す動きは最も難しく、肩と胯が松してつながるまではなかなかしっくりこない。最近やっとそれができるようになって自分でも進歩を感じていた。が、最初の左拳?腰、入ってなかったかしら?、と師父に指摘されてその場でやってみたら、ほんとだ、腰が取り残されてる! そのあとの右拳左拳は大丈夫。

  師父はパソコンを持っていないから携帯で動画を見ているのだが、よくもあの小さな画面で私の腰が入っていないところが見えるものだなぁ、と感心しきってしまった。私が動画を同じように携帯で見たら、そう言われればそう見えるかな、程度にしか見えない(パソコンで見たらかなりはっきりしたけれど)。師父になんで見えるのか?と聞いたら、あなたの師父だから、と笑って答えた。

  レベルがそこに達すればそれが見えてしまう。

  見えないということはまだそこに達していない、ということ。

 

 参考までに該当部分の動画はこちら。その下は48式全部。

 

2020/1/18 <松腰→丹田 or  丹田→松腰?>

 

 今週は腰について随分書いたが、こうやって、なぜ『太極腰』と言われるほど太極拳で腰が重要になるのか、を順序立てて考察してみると、結局、それが丹田の表裏の関係であることがはっきりしてくる。

 

 腰を使う(自由自在に蛇のようにうねったり膨らんだり凹んだりする)ためには、腰が緩んでなければならない(松腰)。

 松腰が徹底して、どこが背中でどこが腰か自分でも分からなくなった時(虚腰)、尾骨から頚椎まで勁が貫通するための障害がなくなる。腰で上半身と下半身が分断されることなく周身一家が達成される(子供の時のような身体になる)。筋肉ごとに力を使うのではなく、全てを連携させた最も身体に負担をかけない理想的な身体の使い方が可能になる。

 

 私たち直立する人間にとって一番のネックになるのが腰。腰に力がかかり硬くなるのは避けられないというが、その負担を最小限に抑えるのが丹田の気の膨らみだ。

 腹側の丹田の気が膨らんでいてクッションとして機能していれば腰への負担はほとんど感じられないのだが、年齢があがるにつれ子供の時はパンパンだった丹田が小さくなっていき腹に力がなくなってくるととたんに腰痛に悩まされることになる。腹筋や背筋の問題というよりも腹の中のクッションの問題。

 松腰は丹田の気が充実してこそ可能になる。

 丹田が感じられないと腰のあたりの筋肉を緊張させて身体を立てるしかなくなる。

 丹田→松腰

 だから、練習では丹田の気を溜めることから始める。

 

 が、以前もどこかで書いたように、丹田の気を溜めるには腰をリラックスさせないとならない。

 松腰→丹田

 

 ということで、太極拳お得意の、循環論法がまた現れてしまう(苦笑)

 松腰が先なのか、丹田が先なのか・・・

 

 答えは簡単。左のような渦巻き図。

 そんな風に練習していけばよい。

 

 最初、自分で可能な限り全身をリラックス、放松させる。息が次第にゆっくりなって、さらにほぉ〜とリラックスしていって、だんだん安静状態が深まっていくとほんの少し腹が膨らんでくる。

 そうしたらそのちょっと膨らんだ腹を頼りにさらに放松、腰を緩める。

 するとその分だけまた少し腹が膨れる。

 そうしたらまたそのさらに膨らんだ腹に頼ってさらに腰を放松させる。→その分だけまた腹が膨れる→その分だけさらに腰を緩める。→その分だけ丹田の気が増える→・・・・・ 松腰→丹田→松腰→丹田→松腰→丹田→・・・・

 と、松腰の度合いと丹田の度合いは際限なく広がっていく。

 全身が一個の丹田になった、というような感覚はその延長線上にある。全身が一個の丹田になったのなら、もう腰はないだろう。(松腰の程度を高めていくと背中や肩や脚は胸や腹など、身体全体を放松させていくことになる:全部膜としてつながっているから腰を弛めようとしているうちにいつのまにか他の部分も緩めていることになってしまう。)

 

松腰→丹田、はい出来上がり! 

と単純にいかないのが太極拳の面白さ。

松腰にも丹田にも程度がある。

そしてそれにはキリがない!

 

静功はそんな自分の身体の中の変化を傍観者として見て楽しんでいる作業かもしれない。

 

そして気づくかしら?

丹田を見れば松腰は見えないし、

松腰を意識していたら丹田は意識できない。

そう、それは老婆と若い娘、と同じ関係・・・・(師父にそれを言ったらニヤっと笑っていた)

2020/1/17 <腰の虚実のない太極拳は太極拳なのか?>

 

 腰を緩めて開く(腰の松開)ということを知らずに中腰の姿勢を続けたら身体を傷めるのも時間の問題。しかし今では本家本元の中国でも腰を緩めることをしっかり教える老師も減ってしまったよう。特に大衆化されて広く普及した楊式太極拳はその傾向が甚だしい。

 腰は太極拳の命だが、腰を虚にして(虚にできるようになって)自由自在に使えるようにするには丹田の気をしっかり溜める必要があり、それには地味な長期間の練習=功夫(ゴンフ)が必要になる。大衆化させる時に手間と時間のかかる功夫を落とし、筋骨皮の運動として太極拳を使ったのは仕方なかったのかもしれない。

 ただ、一生懸命やればやるほど負傷者が増えていく事実は軽視できないと思う。

 

 下の動画は中国の老師のようだが、典型的なよく見かける楊式太極拳。

 腰が全く使えていないから足に気が落ちず足の力が掌に伝わらない。太極拳のことをほとんど知らない人にこの動画を見せたら、ダンス?、と答えた。まさかこの原型が武術だとは信じられないようだった。

 

 このような腰は”束腰”と表現される。キュッとコルセットで閉めたような腰だ。丹田を使っていないから腰は締まって脚だけで動いている(違う言い方をすると、腸腰筋が使えていない)。腰が使えていないと短足に見える。

 

  ここまでくるとアクロバテッィク競技。いずれにしろ、太ももがパンパンで上半身と下半身が別人のようになりがち・・・股関節か膝か腰か、いずれかを傷める可能性が大。丹田の気を貫通させてないから打撃にも蹴りにも重さがない(まあ、本人も武術だとは思っていないだろうけど)。

 中国のサイトを見ていてもなかなか腰を緩めて使えている老師は少ない。健康法として大衆化せず武術という原型を保っているものの方が<腰を虚にすることの重要性>=<丹田の重要性>(両者は裏表の関係)を認識しているようだ。

 

 打撃が足、腰から、というのがはっきり分かるのは・・・そう、これ! 


 彼のパンチ力は足裏から発しているのがよく分かる。腰でターボがかかる。

 太極拳の力の使い方とほぼ同じだ。

 

 偶然にも今日師父が生徒さんと推手をしているところを撮ったところ。太極拳の推手はとりもなおさずパンチの練習。勁を繋いで重いパンチになるよう、推す動作で勁のつながりを確認しながら練習している。村田選手の身体の使い方と同じで、勁が足裏から手に達するよう、縦ラインで通じている。腰がターボになる点も同じ。

 

 

 私はボクシング選手のことはほとんど知らないのだけど、続きに出てきた下の選手のパンチは村田選手と異なり、いわゆる”横勁”、肩甲骨から腕へと横向きに伝わる力を使っている。上半身と下半身は腹腰の位置で分断。腕は腕、脚は脚。空手や少林拳など外家拳の力の使い方、と聞いたことがある。これは若者向きの力の使い方。35歳すぎたらこの力の使い方はキツくなる(先天的な気が減って丹田力が弱くなるから)。その後は丹田開発に励む?

2020/1/17 <腰の虚実なしに重心移動なし。腰の虚実転換なしには歩けない?>

 

 腰についてあれこれ考察してきたら、以前一生懸命まとめた、ここに戻ってしまいました。

  →コラム 馮老師のテキストより『虚実の転換は腰にあり』

 

 今読むと理解度が全く違う! 当時あんなに何回だった文章が簡潔明瞭に感じる。

 記述に合わせて身体を操作できるようになったのは、頭じゃなくて身体が分かるようになった証拠♪

 

2020/1/16  <転腰松胯へ>

 

 そしてやっと”転腰松胯”の話。

 なんでこんなに前置きが長くなったのか、もう一度思い起こしてみると・・・

 

 そもそもは、先週、東京にいる生徒さんの起式とタントウ功の動画を見たことがきっかけ。

 <以下、私の中での一人会話>

 ありゃ〜、脚が固まって居ついているし(松股が足りないから足裏に気が落ちていない)、それに(腰が緩んでいないから)お尻が突き出ている。

 じゃあ、頭からストンと足裏へと体重が落ちるようにするためにはどこから手をつける?

 まずお尻の三角形(=仙骨)部分をもう少し前に押し込まなければならないなぁ(斂臀)。

けどこの生徒さんの感じだと、仙骨を押し込んだら、きっと両脚の鼠蹊部まで前に移動して途端に身体の重さが太ももの前側にかかるだろう。(前太ももに力こぶができるか膝が痛いと言い出すか。)でもそれだとそれでは足裏に体重が落ちない。太ももと膝で体重を支えることになる。

 両脚はそのままで仙骨を前に押し込めなきゃならない。ん〜それには仙腸関節がも少し緩んでくれなきゃならないなぁ。

 <とここで下のような骨格模型が頭に浮かぶ>

 

 <そしてまた独り言>

  こんな骨格模型を見せたら分かってもらえるかしら?

 カップの形をした骨盤を動かさずに(股関節に影響を与えずに)仙骨を動かそうとするなら、仙骨と腸骨のつなぎ目(仙腸関節)に少し隙間がなければならないということを。

 加えて、S字になった腰椎部分を少し後ろに押し出すように動かせばそれに応じて仙骨は前方向に移動する、というのもイメージ可能かな? もちろんそうなるためには腰椎一つ一つが蛇腹のように動いてくれなければならないけど。(※実は腰が模型のようにS字になっていない平腰の人が日本人には案外多いこと注意しなければならない。腰が蛇腹として機能していない。そのような場合は最初に背骨のS字カーブを取り戻すために一刻も早く丹田の力を増強して腰に乗っからず腹に乗っかる癖を身につけそこから腹を使って背骨を動かす練習をしなければならない。平腰の人がさらに腰を押し出すようにすると腰を痛めてしまう。)

 腰椎と仙腸関節、ということは腰椎と仙骨、結局、腰とその下の仙骨、骨盤を丹田の力を使って動かす練習が必要だ・・・。

 

 で、彼の股関節はどうなっているかというと・・・

 ん?股関節に乗っかってるから股関節より下に気が落ちない。

 股は開いているのだけど何で通り抜けていないのだろう・・・

 そもそも股関節を緩める、ってどういうことだったっけ?

 

 <と、以下、股関節を緩める、について考察>

  股関節を緩めるのは仙骨まで落ちてきた体重が左右の脚に流れて足に落ちて行くために必要。それはトイレに行きたいのをずっと我慢していてやっとトイレに座ったときの感じ。腹のちからをほっと抜いて骨盤もほっと開く必要がある。(骨盤をほっとリラックスさせる!)この骨盤の開きのないまま、骨盤を閉めたまま股を開くと、仙骨まで落ちてきた体重は股関節で止まってしまう。もしここで止まったまま運動を続けたら股関節を傷めるだろう。

 股関節、大腿骨が骨盤に差し込まれた部分は球状なので、鼠蹊部の方の前側だけでなく、外側、内側、そしてお尻側にも隙間を開けられなければならない。これが不十分だと膝に負担がかかる。(尻側が開いていない)。でっちりにすれば股関節は緩んで使いやすいのだが、そうすると腰が閉まる。重量挙げの選手のように腰に強力なベルトをしない限り腰は傷んでしまうだろう。

 

 ということで、股関節を緩めるには骨盤の開合ができなければならない。

 そして骨盤の開合を可能にするのは丹田の気の膨らみと収縮。それが仙腸関節の開合も可能にする。

 <では、どうやって練習するか?>

 まずは丹田に気を溜める。(=タントウ功)

 そうしたらその腹の気を使って腰や骨盤の中を回転させる。(=動功)

 →仙骨を腸骨を縦線で引き離すような動きは腰の縦回転。腰椎から仙骨を一緒に縦回転させることで徐々に仙腸関節を引き離して行く。仙腸関節と腸骨を横向きに引き離すのは腰の横回転。斜め回転ができれば一番効果的。斜めに引き離すから一番距離が大きくなる。

  いずれの回転も腹側の丹田の気を使って内側から外側に背骨(腰椎や仙骨)を押すようにするのがコツ。背骨を動かそうとするとあまり回らないし脊椎に無理な力をかけることになりやすいから、丹田の気が使えるようになったらその気を使って腰や骨盤を回転させる。

 

 <整理すると>

 まず丹田の気を溜める

 →(丹田の気を使って)腰・骨盤の回転で腰椎、仙骨が動くようにする

 →仙腸関節に隙間ができると骨盤の開合(丹田の開合)が可能になる

 →股関節が自然に緩むようになる

 

 そして以前書いたことがあると思うが、丹田に気を溜めるには、腰を緩めればいい!

 腰の力を思い切って抜いてみるとその分、腹側の気(空気)が増える。(うつ伏せになった時に腹の方に腹圧がかかるのと同じ。ただやりすぎると腰が反るので注意。腰が凸にも凹にもならない中庸のところを見つける。)

 

 ということで、腰の力を抜く”松腰”→丹田の気を溜める→・・・・・→股関節が緩む”松胯”。

 すなわち、松腰→松胯

 だから、松腰なしには松胯しない、という結論になる。

 

 とてもくどくなってしまいましたが、下の動画を見て下さい。

 この動画を見せればそれで済む話だったかもしれませんが、こんな単純なことにとても重要なことが含まれている、太極拳を間違えて練習して身体を故障しないように、と敢えて長々と書きました。

2020/1/14  <”曲膝” から無為の道?>

 中国語は漢字一文字で表現するから自動詞か他動詞か分からないこともしばしば。「曲」と書いて、「曲げる」とも「曲がる」とも読めてしまう。私は”曲膝”の要領は”膝を曲げる”のではなく”膝は曲がる”のだと解釈している。前提には、(松すれば・・・)もしくは(松したければ・・・)が隠れている。

 ”(膝を松すれば)膝は曲がるはず” ”(膝を松したければ)膝は曲がるはず”。

 決して”膝を曲げれば膝を松できる”わけではないことに注意しなければならない。

 

 その他の要領のほとんども同様に解釈できる。

 例えば「虚霊頂勁」。これも”虚霊頂勁すれば勁が頭頂を貫通する”訳ではなく、丹田の気が膨らんで頭頂に達する頃には”虚霊頂勁になっている”ということだ。

 古来のマスターたちは完成形、理想形に達した自らの身体の状態を観察しそれをパーツに分けて表現したに違いない。ああ、この時、頭頂はこうなっている、肩はこうなっている、肘はこうなっている、胸はこうなっている、腰はこうなって、クワはこうなって、尻はこう、膝はこう、足首は、足指は・・・、という具合に。そのレベルに達した人たちは皆自分の身体がその表現のようになっているのを確認した。そしてそれば今ではあたかも、身体をその状態に導く”条件”のように伝えられてきている。それは確かに道しるべになるのだけれども、やろうろするとそうはならない、そこがもどかしいところ。そうなるようにもっていかなければならない。

 

 太極拳は自我の道ではない。やろうとすればするほど力が入って緊張してしまう。コツは、たまたまできた時にその感覚を覚えておくこと。本来身体はそのようにできている。意志で身体をコントロールしつくそうとしないこと。身体が持っている知恵を丁寧に聞くこと。忘れかけている、もしくは埋もれた身体の知恵を引き出すように自分は従者となって従わなければならない。太極拳が無為の道、というのは何も雲をつかむような話ではなく、身体の自然治癒力を引き出すのと同様、身体の自然な動きを意志(自我)で邪魔しないこと、そういうことのはず。自分の思い通りに動いてくれない身体を罵るのではなく、ここまで自分を連れてきてくれた相棒だと思って労をねぎらってあげなければならない。身体は本当に限界まで頑張ってくれる。愛馬と同様、メインテナンスをして無茶をさせなければ、元の資質に応じてそこそこ良いところまで連れて行ってくれる。身体を奴隷のように扱う人は太極拳には向かない。身体の知恵を敬い感謝できる人がこの道に向いていると思う。そして練習すればすぐに気づくけど、実は完成というものはない。だから焦る必要もない。身体と対話をしているうちに知り得ないことを知るのだから。

2020/1/13 <さらに松腰について>

 

  昨夜は腰とクワの調整についての重要な注意点を書こうと思いながら、そのための大前提となる”松腰”の話で尽きてしまった。

 

  結論だけ書けば、「松腰なしに松胯をしないこと」。

 

  それは当たり前だ、とすぐに分かる人に説明する必要はないのだけれども、一般的に広まっている太極拳は腰を緩め開く(松開)ことなく股を開かせているから、練習すればするほど太ももがカチカチになり、膝か股関節、ひいては腰まで痛めてしまう。必死に練習して太極拳の試合に出る頃にはどこか負傷してしまっている、というのはよく聞く話だ。

 

 松腰、というのは何も太極拳に限ったことではない。

 私たちが一歩足を踏み出して歩き出そうとする時は、片足をあげたその瞬間に腰を少し緩ませている(無意識だが)。もし腰をコルセットで固めて微塵たりとも動かないようにしたら軸足の膝を曲げない限りもう片方の足を持ち上げることはできない。科学未来館で見たASIMO君の動きは素晴らしかったが、膝は決して伸ばせない!なぜなら、腰の柔軟性が皆無だから。脊椎、腰を関節化させたロボットを作るのは至難の技らしいが、ASIMO君はロボットだから、ずっと膝を曲げて作業をしても膝を痛めない(もともと人工関節?)。でも私たちがASIMO君のような動きで生活し続たら間違いなく膝を痛めてしまうだろう。

 

 

 私達の胴体には33個の椎骨があり、それが蛇腹のように関節として動くようになっている。そのS字の並びとその形の変形により、様々な運動が可能になっている。下半身だけで歩いたりしゃがんだり飛んだりしているのではない。歩き出す時には歩き出す前に胴体の椎骨が微妙にアライメントを変えて脚が前に出るようにしている。しゃがむ時も膝を曲げる前に椎骨の並び具合が先にS字から弓状に変形する。高い塀から飛び降りる時、背骨をまっすぐにしたまま飛び降りる人はいない。どれだけ猫のように丸くなれるか・・・それが股関節や膝への負担を軽減する。

 

 つまり、運動するにはまず、椎骨が自然に自由に動けるよう、椎骨と椎骨の隙間を少し開けてあげなければならない。関節をうまく使うには、関節を構成する2つの骨が擦れてゴリゴリしないよう、2つの骨を引き離してあげなければならない。通常、それを関節を”緩める”と表現している。

 

 腰(椎)を緩める、という感覚をとるのは最初は少し難しいかもしれない。

 そんな時、私はまず、生徒さんに膝回しをしてもらう。 

 膝を伸ばして、気をつけ、の姿勢から、膝を回そう・・・とする時、そこでストップ‼️

 「なんで膝を曲げたの?」と尋ねてみる。「えっ、でないと、膝は回せません・・・。」

 でもかと言って、膝を深々と曲げて膝を回そうとする人はいない。皆、ビミョーに膝を曲げている。そう、そこの微妙に曲げた、その位置が、膝関節が最も緩んでいる位置。大腿骨と脛骨の接着面の隙間が最も広い位置だ。

 頭で考えると難しいけれども、私達の身体は知っている。ここなら回せる、と言う位置を。

 太極拳の要領の中に「曲膝」と言うのがあるけれど、これは単純に膝を曲げるという意味ではない。膝関節が緩んだ状態は外から見れば膝が曲がっているから曲膝、と言っているだけで、本質は、松膝だ。だから、タントウ功をしようが、套路の定式でポーズを決めている姿勢であろうが、そこで膝を回せなかったら「曲膝」の要領をクリアしていないことになる。いつ何時でも膝を回そうと思えば回る位置に膝関節の位置を調整していなければならない。膝関節の緩みを保つためにどのくらい膝を曲げなければならないかは、その時、その時の姿勢に応じて変わるのだから(頭で考えると発狂しそうになるが、身体は最も負担のない自然な場所を奥底で知っているから、意識的に余計な力を抜いていくうちに自然にそのようになってくる。)

 

 膝関節で、関節の緩み、の感覚を少し掴んだら、それを身体の他の部位でも試していけば良い。

膝回しをしようとして少し膝を緩めた時、ふっと、急に落下してちょっと浮いたようなそんな感覚はないかしら?(私は遊園地で乗った急落下する乗り物に乗った時、車に乗っていて急に下に沈んだ時の感覚を思い出します・・・)。そんな感覚が、関節の隙間をとった時の感覚だと掴めたら、それを腰で試してみる。あ〜、びっくりして腰を抜かした、なんて経験はないにしても、きっと腰を抜かす感じが松に近いのではないかなぁ。

 実際に腰の松の感覚を会得するには、バレエのバーレッスンのようにバーを両手で握って立ち、手のひらに頼って腰を丸く(弧線で)伸ばすように少し沈む(しゃがむ)動作を繰り返しやるのが効果的かと思う。バーを握った手のひらの感覚を敏感にして、手のひらであたかも腹を掴み続けるように、腹で沈んでいくのがコツ。腹ではなく、腰に当たりそうになったら上がってくる。もう一度手のひらで(バーを握りながら)腹を確かめつつ身体を沈めていく。そして腹の感覚がなくなったらまた立ち上がる。これを繰り返して、腹で降りれる距離を増やしていく。(文章で説明して分かるのだろうか?)腹で降りる(=腰を緩めて降りる)と膝に負担がかからないのが分かるはず。

 

 バーを持たずにただ直立した状態からしゃがむとすぐに膝に負担がかかる。手は腰をうまく使うためには欠かせない。(手と丹田の関連についてはここでは割愛)腰が緩められなければ膝に負担がかかる。

 

 最初の命題、松腰なしに松胯をしてはいけない、に話を戻すと・・・

腰を締めたまま(関節化しないまま)股関節を緩めると、そう、ASIMO君になってしまう。

私達の膝はその荷重な負担に耐えられないだろう(膝が耐えられたとしたら負担は腰にかかるだろう)。

 松腰せず松胯もしなかったら歩くことさえできない。

 脚を使うためには股関節(胯)を緩めて動かさなければならないのだけど、股関節を緩める前に腰を緩めなければ下半身の関節を痛めてしまう危険性が高くなる、ということ。

 そのくらい松腰は重要だ。その重要性は何も太極拳に限ったことではない。

 人間の身体の動きの根本だ。

 

 

 

 

2020/1/12 <太極腰 タイチーヤオ>

 

 太極拳の練習には ヤオクワ ヤオクワ ヤオ(腰yao)と クワ(胯kua)が欠かせない。

師父と練習していて最もよく聞く言葉はファンソン(放松)。そしてそれと並ぶのが、ヤオ(腰)。クワ(胯)はその次? 

 

 『太極腰』という言葉がある。それは『太極腰・八卦歩・形意拳』と、よく他の拳法との比較で使われたりする。

 太極拳を太極拳足らしめるもの、それはその”腰使い”。柔らかくしなやかな強い腰が太極拳の動きの要になる。だから腰はさびないように毎日毎日回して練って弾力性を保つようにする。師父は歩く時も料理中も腰を回している・・・腰は放っておくと固まる(最も固まりやすいのは座った姿勢)。どんなに整形しようと若作りしようと、腰の動きで年齢はバレてしまう。活腰(イキのよい腰?)を目指す。

 

 腰という漢字自体が腰は身体の要だと言っている。

 けど、要、ということは必ずしも力を使う、という意味ではない。

 腰を活性化するということは、腰が自由自在に動くようにすること、すぐに躱せる、腰に負担がかからないように動きに応じてとっさに形を変えられる、そんな猫のようなしなやかな腰にすることだ(腰がしなやか→背骨がしなやか=脊椎が蛇腹のように動くように作っていく)。

 そんな腰に仕立て上げるには筋肉でガチガチにしてはいけない。腰を締めて力を使っていると筋肉が硬直してしなやかさがなくなっていく。ボディービルダーのような身体になってはいけないのだ。

 だから太極拳では、放松、放松、と、力を抜くことが求められる。

 

 腰は力を抜いて使う。

 腰に力がかからないようにする。そして腰に”当たらない”よう、極力を抜いてタントウ功なり腰回しなり套路をすれば、そこで気づくことがある。そう、腰に寄りかからないためには腰の前側、腹の方に空間(気)がなければならないということだ。腹側の空間はまさに丹田の気が膨らんだもので、結局、丹田の気が少ないと腰に負担をかけてしまうことが分かる。

 ぎっくり腰をよくする人は腰の筋肉が固すぎて丹田の気が広がらない。

 腰の筋肉を緩めれば緩めただけ腹側の気が増える。(実は腰だけに限らず、今、私がパソコンを打っている、その手や腕の力を少し緩めて抜こうとするとその分だけお腹の気が増える。意識的にどこかの力を抜いて代わりにどこに力が溜まるのか、よく観察すれば放松と丹田の関係がわかる。これが開合、ひいては発勁にまでつながる。)

 

 腰は虚であれ!空であれ!

 そう聞いた時、えっ?腰は”実”ではなく”虚”や”空”なの?と思った記憶がある。

 けれども、思い起こせば、子供の頃は腰がどこか分からなかった。小学校の体育の授業でラジオ体操第2をやっていて、何をやっているか分からない動きがあったが、先生はしきりに腰の運動だとかなんとかと言っていた。腰ってどこだろう?と聞いたら、背中だった。その頃の私は、首の下からずっと背中でその下はお尻になっていた。腰と背中の違いが分からない、それが子供の時の身体意識だった。

 いつからだろう?腰が分かりだしたのは?

 人が腰がどこか分かるようになった時点で、既に腰は硬くなっている。違和感が出ている証拠だ。

 幼児の時のような背骨の柔らかさを少しでも目指すなら、腰を”無くす”方向に進まなければならない。そして腰を無くすためには・・・腹が必要になる。腹の空間、丹田の気のくっしょん)が必要になる。

 子供の背骨が柔らかいのは腹側のクッションに頼っているから。成長するにつれ腹のクッションがなくなっていき、その分背筋やら何やら筋肉に頼るようになってくる。小学生や中学生が大きなランドセルやリュックを背負って歩いている姿を見ると、こうやって筋肉を使うことを覚えていくんだなぁ、とかわいそうな気もする。けど、気を消耗してでも筋肉を発達させなければならない時期がある。10代後半から20代前半は内気の量と筋肉量のバランスが取れたとても良い時期かもしれない。その後はだんだんと身体の弾力性が失われてくる。ゴムまりのような弾ける身体ではなくなる。内臓を守るクッションが減ってくる。このあたりで太極拳に移行する人が多いのも頷ける。

 

 太極拳の練習、まずは松腰。腰の力を抜くこと。

 どうやって力を抜くが分からなかったら・・・私は最近、下の2枚の写真を思い出している。

 

 これはある中国の動画で”命門外撑放松”(命門を外に張り出して放松させる)という説明の中ではっとしたことなのだが、左の幼児と右の大人の背中を比較した時に、幼児は背骨が見えず、両腰の横にぷにょっと肉がはみ出ている。対して大人は背骨部分が彫り込んだようになって、腰が閉まっている。大人が左の子供のようにお尻の割れ目があのように見えた状態で、腰が締らず幼児のように筋肉をリラックスさせて座れる大人はなかなかいない、ということだ。

 お尻の割れ目が見えなくなった状態で座ると背中や腰は緩むが、その時は前肩、猫背になってしまって百会がまっすぐ天をさしていない。虚霊頂勁を失わずに幼児のように座るには相当な丹田が必要になるが、それは、少しでもその状態に近づけてみようとするといろいろなことが分かってくる・・・なぜ含胸が必要なのか、なぜ沈肩になるのか、なぜ松胯が必要なのか、なぜ斂臀なのか・・・。お手本は幼児の身体にある。発勁で勁を貫通させるにもそんな身体が必要だ。左のような身体だと、筋肉のつなぎ目(関節)で勁が分断されてしまうから。筋肉で打つのではなく、”意”で勁を通して力を使うにはそれ用の身体を準備する必要がある。そしてそれが身体に優しい自然な使い方になるのみならず、心の健康、意識の拡大にも資するのだから挑戦する意義は大きい。身体の美意識、少し転換させなければならないかもしれませんが(苦笑)

 

 <付け足し>

 こちらでももっぱらバッハの練習をしていますが、バッハはやはりチェンバロ、ハープシコード、と見ていたら、掘り出し物に出会いました。意で弾く、松の仕方が半端ない。調べたらフランス人の奏者でした。早速に師父に見せたら、(ここまで放松できるとは)天才だなぁ、と唸ってた。そして、私のピアノの先生のヴィヴィアンがバッハはロックだ♪と言ってたけど、本当、その通り!バッハってこんなノリが良かったんだ〜。キレキレに弾けるのはまさに放松して身体の奥(丹田)で弾いてるから。ヴィヴィアンはお尻で弾けって言ってた・・・師父が言うことと全く同じ(腰は空になると尻、裆で操作ができる)。

 

 ※腰とクワを使う順番について書くつもりが話が逸れてしまったので、それはまた次回に。

2020/1/6 <含胸 それから抜背へ>

 

  ストライキが始まって1ヶ月。まだ終わらない。私は無人電車を使って公園に行けるのだけど、師父は朝6時半から9時半までだけ動くメトロでやってきて、帰りはバスを乗り継いで帰っている。

 

 生徒さんから含胸について質問を受けたが、私自身、最近やっと師父にちょっと注意されればその状態を作れるようになったばかり。含胸をして胸骨を下げれば胸骨の終わった鳩尾から腹がぷくっと膨らみがはじまり、恥骨までが一つのなだらかな丘のようになる。

 家に帰って鏡で改めて自分の身体を見ると、どこかでみたような・・・そう、子供の時の身体だ(→昨年実家に戻った時に見つけた昔の写真。そう、こうなる!)

 ここまでたどり着くのにこんなに時間がかかるんだ〜。

 それに、通常の美的感覚なら女性はこんな身体を目指さないだろう(苦笑)

 もちろん、含胸をやめれば、お腹も凹んで人様に見せられる身体になる。

 

 含胸には程度がある。

 初心者のうちは猫背にならない(前肩にならない)ようにすると、ほんの少ししかできない。

 様々な練習をして背骨や腰、股関節、胸郭が動きだすと、前肩にならないままでもう少したくさん含胸ができるようになる。

 徐々にしか進まないのでごりごり毎日練習するしかない。

 

 含胸がある程度できるようになると、含胸は肩を引っ張り下ろすことがわかってくる。含胸は沈肩だった。そして含胸がしっかりできて丹田の気が増えて丹田が大きくなれば、含胸は抜背を導くとわかってくる・・・抜背は背骨を上に引き上げることでも、引き下げることでも、背中をテントのように押し拡げることでもない。丹田の気が自然に広がって内側から背中側を広げていく現象・・・含胸と抜背の関係、ちゃんと説明している人は少なそう。抜背は筋肉や骨をどうにかするのではなく気の作用。無理に広げたら丹田がなくなってしまう、試してみればすぐに分かる話。このあたりは中級者以上にしか説明できないかなぁ。

 まずはできるだけ含胸をして丹田の気を増やす。それしかない。

 

2020/1/2

 

  2020年、元旦の出会い!

 

 気功・太極拳で日本→中国、と来ると、その延長線上にインドが見えて来る。

 ツボも経絡も丹田もインドが発祥の土地ではないかと思えてくる。

 ツボはマルマ、経絡はナディ、丹田はチャクラの一つ。どれもインドの方が詳細で理論的だ。

 太極拳で必要となる『節節貫通』は、丹田の気を身体の隅々まで流し通すことで作られるが、その大本となる督脈任脈の開通、周天はインドのヨガでいうところのクンダリーニの覚醒とそれによるチャクラの開花に他ならない。ヨガも気功も修行法の中核は同じ。が、ヨガの目的は”解脱”なのに対し、気功は道教の仙人思想を反映した”不老長寿”。早く身体を捨てたいか、いつまでも老いない身体が欲しいのか、このあたりは微妙、好みかなぁ〜。

 

 ともあれ、インドは私にとって近くて遠い国。行ったこともない。けど、30代から今まで、毎日のように聞いているのはインドのグルと呼ばれる人たちの様々な講話。それは太極拳関連の中国系のインプットをはるかにしのぐ。英語ができて良かったと思うのはそのような貴重な話をダイレクトで聞けること。以前スマナサーラ長老が自分のインプットはもっぱら英語、日本語はアウトプットだけです!、と言っていたが、私も随分それに近い。智慧の宝庫はインドあたりにありそうな気がする。

 

 そして昨日、一人で公園で練習していたら、通りがかりの男性に何をやっているのか、と声をかけられ、太極拳、と言ったら、少しでいいから教えて欲しいと頼まれた。これは練習に時間がかかるからすぐに教えることはできない、とあしらって逃げようと思ったが、彼がにこにこしながら横で一緒にモノマネのように動くので、仕方なく第一式と第二式を3回繰り返してあげた。そのあと彼にどこから来たのか?と聞いたら、インド、と返答。ん?インド?と興味が出て、まじまじと彼を見る。インド人ならグルのことを知ってるでしょう?とけしかけたら、サドグル?オショー? ・・・え〜!ドンピシャ!、とびっくりしたら彼が笑っていた。インド人のコモンセンス?

 彼に何をやっているのか?と聞いたら、今年パリの有名なビジネススクールに留学する予定でその最後のエッセイを書くのに欧州を回っている、と答えた。学生?じゃあ、一体何歳?と聞いたら、22歳!え〜、私はてっきり35歳くらいかと思ってた。22歳なら私の娘と同じ年。なんだ・・・と言ったら、向こうもびっくり。私の歳を二十近く間違えていたよう。

 彼が娘と同じ歳だとわかったら、心がど安心、バスでコペンハーゲンに行くまでに1時間ちょっと時間があってどこかで昼ごはんを食べたいというものだから、行きつけの中華街のお店に連れて言ってあげました。その間、いろんな話を聞きました。22歳とは思えない成熟度。聡明、その一言。脱帽でした。さすがインド!奥が深い!

 

 後で彼からインスタの投稿写真が送られて来ました。

 パリ→コペンハーゲン→ブタペスト→ウィーン→ミラノ→ワルシャワ→クロアチア、で計1ヶ月、そんな旅だとか言ってたかなぁ。元気でインドに戻ってまた今年の秋に再会できることを楽しみにしています。その頃はきっと娘もこちらに留学してきているはずなので次回は娘と一緒にラグジュアリービジネスについて語り合ってください・・・。

 若い子が目をきらきらして将来を語る姿はとてもきれい。透明感は心の開きと一途さのコンビネーション・・・開の中に合あり、だなぁ。

2019/12/29

 ある番組で観光客のとても多いタイで、タイの人達がどうやって日本人を見分けるかをインタビューしていた。日本人を韓国人や中国人から見分けるポイントは、言語と姿勢、というのがダントツだった。そうだろうなぁ〜。日本にいると気づかないが、日本人の姿勢は驚くほど独特だ。謙遜してお辞儀ばかりしていたからそうなってしまったのか? と思ったりしたけど、現天皇陛下の姿勢を見ると世界基準。やはり外国で一時期暮らしたからだろうか。
 ともあれ、太極拳をするにはまずちゃんと姿勢を本来のあるべき位置、自然な位置に戻さなければならない。大人になればクセがあるのは万国共通。皆が通る道。
 まずは便秘や腰痛や肩凝り頭痛など身体のマイナス要因を解決できるような姿勢、身体を目指す。
 肩凝りがあるということは既にどこか姿勢が間違えているという証拠。子供の時のように肩凝りがない状態に戻すにもやはり丹田(で気を引っ張り続けること)が必要だと分かる。気を抜くと戻ってしまう。まだ足りない..,
 
  四足から二足に立ち上がるということは本当に画期的なこと。脳を発達させ意識を拡大させるには立ち上がらなければならない。(寝てばかりいるの脳が働かなくなる。ちゃんとした思考をするには起きなければならない。)
     今月一時帰国して帰ってくる飛行機の中でディズニーのライオンキングを観た。CGでリアルに作られているのでライオンの動きをそのまま見ているようだった。
  ライオンの胸毛の立派なこと。うちの白猫の胸毛も立派。鳩もそう。
  でも、何で太極拳では含胸と言って鳩胸はダメなんだろう..? 映画を見ていても頭はすぐにそっち方向に言ってしまう。全く映画鑑賞になってない。ディズニーさん、ごめんなさい(苦笑)
<以下、含胸の考察メモ>
 (説明が面倒いので思いついたまま。
思いがけない壮大なシメで自分もびっくり。)
 含胸しないと腰が立たない。
 自分が四足動物だとして立ち上がるところを想像 
 が、含胸してそのままだと腰が反ったまま。
オラウータン 膝裏伸びない
  首を立たせるにも含胸がいる。
が、この含胸は喉、舌が関係する。舌が上がって喉が開くことで含胸になる。舌が上がらないと首は立たない。
 乳児がおっぱいを吸いながら練習
 理想的に無理なく立つには身体中の至る場所を総動員して使わなければならないのだろう。
 鼻の骨も必要、眼球の引きも必要、唇も使う、耳、耳の穴も...。舌の引き、そして全ての骨、たとえ、足の小指の先端の一節、爪、でさえ使わないと理想的には立てない。
 現実的に難しいにしてもそれに近づけば近づくほど、どこを使って立っているのか、歩いているのか自分でも分からなくなる。自分が分からないのだから相手も分からない。自分の力の出所が相手に分からなくなる。これが太極拳の仕組みだ。
 だから太極拳はそんな身体づくりが要になる。それなしでは太極拳にならない。
 全て使うことでどこを使っているか分からなくなる。(画鋲を踏むと足裏一点に刺激が集中するけども、全身に同時に刺激があるとどこが痛いのか分からないのと少し似てる?)
   無限大♾がゼロ0と同じようになる。
 極大より大きく極小より小さい、太極の意味がやっと現れる。
 

2019/12/27

 

  パリは12月5日から鉄道、バス、メトロの一斉ストライキが始まり交通マヒ状態が続いてる。通勤通学はもちろん、クリスマスの帰省にも随分支障が出た。学校も閉鎖。

 そんな中で迎えたクリスマス。

 撮った写真をまとめてアップしました。

 

   まずはクリスマス前の公園での練習風景。

 ジュリアンが10歳の愛娘を連れてきた。ストライキのせいで学校が休みらしい。

 ジュリアンに面と向かって尋ねてはないけど、師父の話では彼は離婚をして娘を育てているらしい。そういえば、ジュリアンを紹介してきた練習期間が私以上に長いフランソワも離婚をして子供を育てている(練習に来てもお昼に子供に食べさせなきゃ、と早めに帰ることがしばしば)。フランスは共同親権を認めているから、夫婦離婚後も子供はお母さんとお父さんの間を行ったり来たりしてるのだとは思うのだけど。

 

  で、ジュリアンが連れて来た女の子。忍者になりたい♪ と言いながら、2時間半、ずっと木の上で読書をしていた。時々降りて来て公園を一周走っていたのは寒くなったから?

 ジュリアンは娘のことが気になるらしく、ただでさえ覚えが悪いのにこの日は最悪。師父に叱られていた。

 娘はお父さんが近くにいるので安心しきっている様子。読書に没頭。

 やっとお父さんの練習が終わったら、木から降りて来て、ここまで読んだのよ、と本を開いてジュリアンに見せていた。ジュリアン、満面の笑顔でこう一言。

 「ストライキのおかげで娘と一緒にいられる時間が増えてラッキー。ストライキ万歳!」

 ・・・・さすがだ。

 

 

 うちはオスマン通りにあって、そのまま東に10分ちょっと歩くとデパード街、ギャラリーラファイエットがある。

 パリでの買い物に興味がある時代はとっくに過ぎ、日常品以外の買い物にでないのだけど、夜、散歩がてらラファイエットに行ってみた。

 あ〜、さすがの飾り付け。

 スケールと色合いが・・・・これもさすが。

 

 24日お昼。イブに向けて最後の食材買い出しに出かける人も多い。

 モノプリの前を通りかかったら、屋台が出てる。赤い魚介と生牡蠣の箱が並ぶ。前菜だ。

 牡蠣は大きさ、産地で等級がある。師父の奥さんの実家はボルドー近くの海辺なのだけど、毎年クリスマスが終わるとそこでとれた生牡蠣を持って来てくれた。今年もくれるはず。

 牡蠣はレモンが必需品。スライスなんてしない。四つ切りでたっぷり絞る。

 ネットに入ったレモンが売られていたけど、これだけ入って2ユーロ弱。普段は2個で1ユーロ超えてたと思うけど。せっかくだからレモンは買おう。そういえば師父は起き抜けに、レモン半個を絞ってレモン水を飲むと言っていたなぁ。私ははちみつ入れよう。

 モノプリの中に入ったら、食材コーナー入り口はサーモンとフォアグラ。これも前菜。そのあとのカモも前菜。

 数軒先の冷凍食品専門店ピガールではアペリティヴの食材がたくさん売られてた。エスカルゴも手軽に食べられる。やはりシャンパンやワインを飲むつまみがメイン?

 七面鳥の丸焼きは見かけなかった・・・・ メインはもう売り切れていたのか?

  

 

 25日クリスマス夜のSt.Augustin協会でのオルガンリサイタルは人はまばら。やはり多くは家で大人しく過ごすよう。と、終わって外に出たらなんとも微笑ましい二人組の後ろ姿❣️

 左右に身体がぶれながらよたよたと歩く二人の姿がなんともかわいい。そのまま彼らはオーブンを陳列するショーウィンドウを手を繋いだまま見入っていました。も少し動画を撮り続ければよかったかなぁ。

 こんな老年期を迎えられたらどんなに幸せ..

2019/12/20

 

 日本帰国中の怒涛のレッスンの一コマ。

 

 足は全身(のチャンスー)で作るのだけど、とりあえず脛以下の巻きで体験してもらいました。

 幼児の足はこうなっている。

 足首以下だけで簡単にジャンプができてしまう、そんな強いバネのあるfeetが太極拳の力の元。

 力起于脚跟

2019/12/3

 

 明日日本へと発つ前に、と、お願いして撮らせてもらった煞腰压肘。

 煞 (sha)という漢字、辞書で調べたことがあったけど、 煞腰って?とイマイチはっきりしなかった。

 昨日帰り道、師父と雑談していて私が、「概してフランス人はウエストをシェイプしている服が好きみたい。女性もさることながら、男性のスーツもウエストシェイプしてピタパンの細長いシルエット(ルパン三世の漫画みていな感じ)、日本のおじさんたちと違う。」と言ったら、師父が、「煞腰だね。」と相槌を打った。「えっ?煞腰?」  と驚いて聞いたら、「そう、あの煞腰。」と返答。え〜、煞腰ってそんな意味だったの〜? ああ、じゃあ、私は教え方が甘かったかも、と生徒さんたちのあのガッツポーズのような格好が頭に浮かんだ。

 んー、確かに、腰に坐ってしまったら肘の力が使えなくて圧肘にならない。腰をひねりながら腰を引き伸ばすように気をお尻の方へ落としていったら・・・・ほんとだ、足の力が肘まで伸び伝わってくる・・・とその場で身体で想像してみた。なんだ、そうだったのか〜。

 ということで、今日実演でやってもらいました。

 最初は義務的に教えてくれていたけど、そのうちノッてきて、後半は次から次へと目から鱗の実演が出てきた。ああ、そうだったのか〜、と、なるほど続きでしばし翻訳忘れてました。

 敢松,敢进去 

  敢gan は勇気をもってやる、という意味。

 打たれるのを怖れてたら相手の懐に入っていけない。

 

 人間の行動の根っこにあるのは欲と怖れ(ラジャスとタマス、貪と瞋)。

 この練習は怖れに立ち向かう意味もあった・・・松できないのは怖れがあるから、怖れがあるから緊張する、まあ、これもあたりまえかぁ。

 

 と、またまた意味深い練習でした。面白い!

2019/12/1

 

 ヨガの動画。最近流行のヨガは西洋の影響でアナトミー(解剖学)を意識して練習しているようだ。

 https://yogaanatomy.net/lock-knee/

 膝はロックすべきか、すべきではないか?

 

 これは日本人にはほとんど無縁の問題。というのは、膝小僧を押し込んで膝の後ろを伸ばしきって立っている人は非常に少ないから。おそらく90パーセント以上は膝が前に出て膝裏の筋が伸びていないまま立ったり歩いたりしている。

 この動画の中に出てくる女性のような立ち方はこちらフランスでもしょっちゅう見かける。昔娘をこちらのバレエのレッスンに連れて行った当時も、先生が子供達に、膝を伸ばしても膝を入れすぎてはいけません、と注意しているのをよく耳にした。

 動画でデモンストレーションしているように、膝を入れすぎるとちょっとした外力でバランスを逸してしまう。だから先生は彼女に、膝のロックを外して少し緩めるように指導している。

 

 そう、これが太極拳でいう、”膝を緩める” という話。

 結果的に膝は曲がるが、膝を曲げているのではない。

 膝を意識的に曲げてしまうと、外力に対し、今度は太もも前面の筋肉を固めて対抗しなければならなくなる。膝を曲げて、太もも前面の筋肉がこんもりと固くなったら間違っている。筋肉が肉の塊にならないような位置を探さなければならない(→会陰の引き上げ、腰の調整、足裏土踏まずを引き上げること等が必要になるだろう・・・)。

 

  総じて私たち日本人の脚が身体に比べて太い、脚に筋肉がこんもりつきやすいのは、正座のせいではなくその基本姿勢、歩き方にあるのではないかなぁ。

 筋肉は筋状につくのが理想。肉の塊のような筋肉は瞬発力が出ない。→チャンスーの練習につながる。

2019/12/1

 

 ひたすら転腿の3ヶ月間。足の形が全く変わってしまったのには師父もびっくりしていた。

生まれた時の足脚のまま、無理に圧をかけることなく、櫛で梳かすように流れに沿って使っていればあそこまで変形することはなかっただろう、と今は分かる。太陽系が宇宙の中心と想定されている場所から最も遠い場所にあるというカリ・ユガ期を脱してはいるというが、やはりまだ、”力”でねじ込める風潮は続いているだろう。生まれてから私たちはずっと力を使う練習をしてきている。紀元前3000年あたりから始まるカリ・ユガ期も一言で言えば戦争の歴史、誰が最も力があるか、mightyか、力の争いの歴史だった。この”力”が”意”に変わっていくのが地球規模でのアセッションだろうし、私たち個々人にとっては意識拡大・上昇の道になるはず。いかに力を使わず意を通すかhttps://yogaanatomy.net/lock-knee/、それが太極拳の核心、だからこそ太極拳は太極、高次元の境地(?)の道になる。(意は力で使わない。力を使って意を使うとそれは”集中”、火、になる。意を通すには、水を通すのと同様、まず身体の中の通路を開け、意が自然に流れるようにしなければならない。この身体の中の水路を整備するのに放松が必要になる。開いていない水路を開通するには高圧で気を流し詰まりを粉砕することも必要で、これには丹田の気の量と圧力が必要になる。)

 

 放松が強調されるのは、力を使わさないため。力を使わせないようにして初めて意を使う要領を把握していくことができる。

 物事は一歩一歩進む(この三次元の世界では)。

 最初から意を使うことはできない。(最初から使うと力の意になってしまう=集中の意。集中の意は燃やしてしまうから通すことはできない。一点集中の火ではなく、大海のような意。老子は火よりも水のイメージ。)

 武術家、武道家が修練を積んで意で戦えることが分かった頃にはとっくに戦闘心は消えてしまっているだろう。闘うのが馬鹿らしくなり技に対して淡白になる。いつまでも闘いたいとしたら”力”の世界を抜けてはいない。

 

 転腿から帯脈ツボの開合(もしくは回転)の感覚がはっきりしてきたら、腹側の腸骨沿いのツボが意識できるようになり、それらとお尻の環跳ツボと合わせておおまかな三角形を認識しながら股関節の回転ができるようになった。前回転(=内旋)、後ろ回転(=外旋)、結局、回転は2種類しかない。あとはその組み合わせ。

 帯脈ツボを引っ掛けて転腿ができるようになれば、胆経のラインを脇の方につなげて足、脚、腿、尻、腰を腕につなぐことができる。

 

 今日の練習で、師父に、最近右肩が開きそうで開かないから寝ていると痛くなって仕方がない、と相談したら、転腿を俄かに止め単推手をさせてきた。推手はパリに来たばかりの時に少しやらされて、それではダメだ、ときっぱり言われてそれっきりになっていた。案の定、回し出したら、肩はもっと沈めろ手はもっと上げろ、手と肩を何で対撑しないのか?、と真剣顔で怒られまくり。うわ、どうしよう?と思った瞬間、あれ?この動きはこの1ヶ月間やらされてきた、双手揉球の、手と腰を半周ずらして回転させる(=引っ張り合い、太極図のように動く)動きではないか?、とその腰の動きを取り入れたら、ああ、師父の推手の動きに近くなってる! 師父の顔がやっと穏やかになって満足そう。「そうだ、そうやって推手をするんだ。推手は実は推脚なのだから。」

 帯脈ツボが使え出したことに感謝。これがなかったら下半身と上半身はつながらない。

 師父と推し合ってもどうにか対抗できる。腕は身体だった・・・が、まだ後肩がへばついてるなあ〜、と推手をしながら次の課題が分かる。

 20分ほど推手をしたあと、師父が、このように動くと相手はあなたの力点が探せない、だから優位になる、と言った。確かに、以前のように、手を前に押し出す時に腰も前に押し出してしまうと相手に簡単に引っ張られてしまうし、引っ張られまいとすると一瞬身体に力が入ってしまう。しかし、手と腰を引っ張り合うように動かす(それには丹田の隙間、丹田の練り練りが必要)と、突然推されても影響を受けない(実際、推手の途中に突然師父が私を強く押そうとしたが、知らないうちに力が削がれて師父の方が重心を失していた。もちろん、それは師が私にその効果を体験させようとしたからだけど。)。

 不思議不思議。本当はこんな風に推手をするんだ〜。

 生徒さんに教えられるかなぁ。練習を積んで丹田を練られるようになっている生徒さんならその一歩めを教えられそう。帰国したら何人かを実験台にするかなぁ。

2019/11/20

 

 実は3日前に師父を驚かせる進歩があって、昨日今日は、それが偶然、まぐれの進歩だったのかどうかをテストされていた。

 

 師父は今年の春、私の股関節や背骨に歪みがあることを発見。これをどうにかしないと更なる進歩が難しい、が、一人で直すには大変・・・と話していた矢先、突然夏からパリ行きが決定。師父は、なんて強運な奴だ!と笑って私に言ったけど、それはこの機会を使って私の身体の歪みを修正しようと真剣に考えてくれていた。それが、タントウ功なしの徹底的な転腿という練習プログラム。

 転腿はいわば推手の下半身版。陳式に特有の練習メニューだ。

 二人の膝下を合わせて、粘连粘随をする。これを実力互角の生徒同士でやると、自分の力を感じるのが精一杯で相手への気遣いがゼロになってしまうのだが、実力差のある師父とやると、師父は私の力を感じてそれに対し私の身体の内部の力の出方が変わるような方向に推し返してくれる。それまで使ったことのない部分を使えるようにうまく力の向きや強さを変えてくれる。

 最初は師父の力についていくのが精一杯で、一生懸命頑張って脚を回していたが、師父が何度も言う「让我拨开你」(私にあなたを開けさせてください)という言葉に従って、ひたすら師父の力に乗っかるように自分を無くして(頑張って頑張らないようにして、自分を消していく・・・無我?)いったら、あら、なんか身体の中が気持ち良い。任せると楽ちん。で、身体の内側のへばりついたところをピンポイントで回し広げてもらってしまう。私はもっぱら受け身で、師父の身体の中を探る余裕がないけれども(いや、探そうと何度かしたけど、どこから力が出てくるのか探し当てられなかった)、実際にはお互いに探り探られ、がやれれば二人の練習になる。

 

 と、こんな転腿を毎日1時間半続けてちょうど3ヶ月。

 この数週間で骨がめきめき動いて、夜も起きてしまうほどだった。首や肩に限らず、股関節や腰、そして脚、と、朝起きて歩き出した瞬間にあら?昨日と違う、の連続。毎日毎日新しい感覚(だから同じ地味な練習でも飽きない)。

 そして最近、一番の課題だった、足、の感覚、形が変わって、足首が回り出した! と思ったら、師父が突然真顔で、信じられない!どうしたんだ?!、と驚いたのが3日前。「昨日までとは別人じゃないか! 脚の力が昨日の2倍になっている、これでは私もちゃんとやらないとあなたに押されて立っていられない・・・」

 言われた私は力を使っている感覚がないから、師父のリアクションがよく分からない。ただ、これまでと違うラインで線を長くつないで立って脚を回しているだけ。位置が変わるとそこまで出力するパワーが変わるのか・・・・。力を筋肉で出そうとすると力を出している自覚があるが、位置(骨や筋肉のアライメント)を整えて、その内側を開けてトンネルを長くつないでいくと、トンネルが長く太くなればなるほど相手にとって強大な力が出てしまう。本人が力を使っている自覚はない。

 以前第19代の先生が、改札から走ってでてきたおばちゃんに正面からぶち当たったらこっちがふっとびそうになった、あのおばちゃんの状態が太極だ、と言っていたのを思い出す。全身が一つの水袋のようになって当たってくると相当な衝撃がある。当たってやろうと当たった時以上の衝撃になるのは、当たってやろうと身体を備えた瞬間に身体が緊張して収縮し身体の表面は凸凹、局所的にしか当たれず身体の全体の力は無駄になってしまう。当たった時にビチャ〜っと水袋のように当たると丸ごとの力が相手に推しかかってくるのとは対照的(太極拳ではその丸ごとの力を整勁という。)

 

 私のこの進歩は師父にとって想定外だったようで、何度も首をひねっていた。けど、最後には、自分もちゃんとよく教えたし、私もよく練習したから、進歩するのは当たり前だ、と一人で納得していた。私は力が云々よりも、長年の悩みだった外反母趾の足の形が徐々に変わって、足自体の認識、使い方がガラッと変わってしまったのが嬉しい。バレーダンサーの足も同じだ!やっと分かった、”足”の奥深さ!!

 足について書き出したらキリがなさそうなので、今日はここで止めよう。

 

2019/11/20

 今朝は1℃。日中も4℃までしか上がらない。
久しぶりに晴れて青空が見えると心がスカッとする。東京だと天気予報で、今日は寒い一日になります....と、ただでさえ怯えやすい日本人をさらに怯えさせるかしら?(苦笑)
  寒いから風邪をひく、という因果関係はない。
 怕什么 来什么
 恐れたものがやって来る

 怖れ、fear は人間の最も深いところにある心理。怖れから敵を倒し、怖れから貯蓄をする。
怖れを刺激して物を買わせるのは商売の常套手段。
 怖れで身体で心は強張る。
 結局松できないのは根深く染み付いた怖れから。
 恐れ知らずの子供は伸び伸びとしている。
 冬の練習は怖れと向かい合える。
 自信がつけば怖れも減る。

2019/11/17

 

 第28式前後招(前招+後招 招zhao=招手は”技”の意味)と第35式指裆捶の動画をアップしました。

 師父に昨日私が書いた独り言の内容を話したら、「それはその通りだが套路に含まれる技(の解説)も秘伝だ。」と言っていました(苦笑)。

 

 現代ではもはやその技を盗んで使って相手を負かしてやろう、なんて思っている人はいないはず。ピストルが普及してから実践としての武術の役割がガクッと落ちてしまったと師父も言っていた。中国国内も今や警察機能が完備されて、師父が若い頃の文革期のように自己防衛のため実力行使をするという必要性もなくなってしまった。それでもやはり秘伝、内緒にしておきたいという心理は何なのだろう?

 太極拳で学ぶものは他の武術でも日本の武道でも、楽器演奏でも日々の暮らしの中でも、ためになることがたくさんある。普遍性をもつ道理があまりにも多くて驚いてしまう。真理に近くなればなるほど何にでも応用が可能となる。そんな智慧は是非とも多くの人に共有してもらいたいもの。

2019/11/16 <套路の実践運用の動画について>

 

 私がこちらで師父に習ってアップしている動画について、心配の声が届いた。

それは、套路の各式に含まれる実践的意味に関する動画は一般公開すべきではないのでは?というもの。

 私からすれば、套路はもともと技を繋ぎ合わさせたものだし、その実践技撃は本や動画でも公開されている。別に秘密でもなんでもない。ただ、全くの初心者、気の流れ、丹田の使い方が分からない人に教えても意味がないからすぐには教えないだけで、ある段階になれば(使わずとも)知らなければならない。知らないと各式の動作における正確な身体の使い方、気の運用の仕方が分からず、ただの武術的ラジオ体操や武術的ダンスになってしまうからだ。

 技自体は秘技でもなんでもない。秘伝となるのは技自体ではなく、技がかかるための身体作りにある。

 太極拳の核心は、丹田に気を溜めて量を増やし、その溢れる気の圧で内側から関節を突破して(節節貫通)、結果として全身を一つの袋のようにしてしまう(周身一家)、そんな身体を作るところにある。そんな身体ができれば、技自体は知ってしまえばできてしまう(と、それが分かるようになるにもかなりの年月の積み重ねがいるのが厄介なところだが)。逆に、技を知っても身体ができていなければいくら努力しても技を会得することはできない。技を学んだのにその通り相手に技をかけても効き目がない、としたら、自分の身体作りがまだできていないのだ、と悟って、タントウ功や他の基本功を見直してさらに功夫を積む必要がある。技を知ったらできる、なんて思ったら大間違い。技を知ることで自分の足りないところを知る、そこに大きな意味がある。

 

 技を一つ一つ覚えていくのは、数学で模範解答を一つ一つ横に並べて暗記していくようなもので応用が利かない。核心にある重要な定理の導き方をきちんと理解していれば、解答は暗記する必要はない。ある程度解けば定理から発展させられるパターンがいくつか見えてきて、実はパターンはそれほどたくさんないことがわかる。あとはパターンのバリエーション。

 このあたりがちゃんとわかると師父のように、技のことなんて忘れて基本功だけしていれば実践に対応できてしまうはず。身体が太極拳的に反応してしまうのだから。

 

 師父は私に、技は知っておくに越したことはないが、大したものじゃない、という。

私はまさかそれを実践で使おうなんて思ったりしないが、技を知ると、なんて太極拳って賢いのだろう!と心の奥がワクワクしてしまう。基本功でそこまでワクワクすることはないなぁ〜。技を学ぶのは楽しい。でも学んだのに師父と同じようにはかけられないのが分かるとがっかり。まだまだだなぁ、と思う。技がうまくかかると、ああ、やはり、ここはこうなっていたんだ、と自分の身体の開発が進んでいることを確認できる。師父に思いがけずうまく技をかけてしまった時は、やった!!と小躍りしたくなる(苦笑)

 

 表面に見えるものだけ見ていては練習にならない。その下、それを支えているものに気づくかどうか。そうやって核心から始まり核心に戻っていくのが太極拳の醍醐味。

 

 ちなみに、秘伝だからと言って本当に内緒にする老師もいるが、私の師父は全く違う。

 師父は全部教えてしまう。全部言ってしまう。なぜか?というと、一言。

 「教えてもどうせできないから。」

 そう、秘伝というものは、教えたところですぐにできる人はいない。相当な”身体の悟性”があれば別・・・。

 が、哀しいかな、”身体”の悟性は身体を開発しないことには現れない。

 結局、太極拳の練習は身体の悟性を発現させるものに他ならない。

 

 

2019/11/13

 

 第32式 摆脚跌叉→第33式金鸡独立

 第34式十字摆莲

  の動画をアップしました。→パリの練習動画

 

  

  第32式

 摆はここでは振り回す意。摆脚→脚を振り回す。

 跌はつまづく、下降する意。

 叉は二股に分かれる、とか、フォークみたいなもので刺すと意。(フォークは叉子)

 下降して股割りのようにするから跌叉か?

 跌叉の動作の際、師父が大事なのは下に下降することではなく、左足で”ツー"することだと動画の時に何度か言っていたのに漢字が浮かばず意味が分からなかった。あとで調べたら”蹴”でした。

 左足の足裏かかとで相手の足首を蹴る、ということです。

 

 第33式は上下に開く。

 

 第34式

 出だしの方向転換の際の足の運び方がややこしい。けど、このようにしないと左半身の背中側の勁がつながらずスムーズに身体の方向が変えられない。左内かかとの力を左肩までつなげられるかがキーになる。

 ちょこちょこ間違いを指摘されました。動画を見てください。

 

2019/11/9

 

  昨日が立冬。ぐんと冷えた。

昨夜は自宅で大規模な宴会を開いて夜中に片付けをしたから今日の練習は思いっきり寝不足状態。

運動量を抑え気味にする魂胆で師父に技の説明の動画撮りを頼みました。

 

 技を最初に学ぶ時は頭は使うけど体力は使わない。

 技を習得するとなると気を運用してマジでやらないといけないから慣れないうちは消耗する。

 気の運用の仕方がわからなければ技を習っても会得できない。

 会得しても何度もやって身体に染み込ませないと使えない。

 

 私は技に対してはまだまだ頭の段階・・・

 

 <第26式、第27式の撮影>

 第26式の出だしの拧腰は太極拳の基本。とは知っていても、実際に相手との関係でどう使うかは分かっていない!相手の攻撃を交わして(化してから)反撃、は太極拳の戦い方だけど、交わすためには腰が素早く回転しなければならない。そう、毎日の基本練習は、そんなとっさに交わすための動き、腰の回転とともに全身が一斉に回る、そのための身体を作るためのものでした。応用できないような基本練習じゃダメだ・・・。

 第27式、技の原則は相手の力を利用する(借力)こと。相手の力の出方でこちらの技が変わる。

其々の式には相手がどのように攻めてきているか、という各々の場面設定がある。だから技を教える側としては相手に”そのように”攻めてきてももらわないと技をかけることができない。

(最も困るのは攻めてくれないこと。女性の生徒さんを相手にすると往往にして全く攻める意思がなくてふにゃふにゃの手で握ってきたりするので、すごい先生でも技はかけられなくなる。攻めてこない人相手に打ちに行くことはありえない、のが太極拳。攻めなければ攻めてこられない・・・先手必勝とは真反対・・・ある意味平和的な拳法。)

 で、私はここで師父の手を握って自分の方へ引っ張ろうとしたものだから、話がおかしくなった。そんなバカな自分に不利になる動きをする奴がいるか! 分かれば確かにそう。だけど、実践度素人だとそれさえ気づかない(苦笑) やはり経験則が必要だ。

 

 <第43式雀地竜 第44式上歩七星の撮影>

 この2つの式は実践的につながっている。途中で切れない。套路で2つに分けるのは第43式の定式の箇所で一旦丹田に気が集まり(合)、その力を使って第44式の技が繰り出されるから。気を丹田に集め戻すことをおざなりにしてそのまま第44式に流れ込むと上歩(前に一歩進むこと)した後の打撃に威力が出ない。

 これら二つの式のネーミング、なぜ雀なのか、なぜ7つの星なのか、がまだいまいち分からない。分かったら追記します。

  

2019/11/5

 

 雨の降らない日がなくなってしまったパリの秋。

 毎日の基本練習はこなせても、プラスαー的に師父にお願いしている動画撮影はなかなかしづらくなった。

 

 今日は雨じゃない!続きを頼もう、とやってもらった48式の中の第41式連珠炮。

 46式の中にも入っている技だ。なんで、珠が繋がる、みないなネーミングなのか?

 そんな疑問から切り出して教えてもらったら、なんと、たちまち第42式の白猿献果(白い猿が果物を捧げる、ような形の技)へと突入してしまった。ああ、連続技だったんだ・・・。

 

 連続技にすると師父のようにスムーズに機敏に動けなくなってしまう。もどかしい。

が、待て、よく考えれば分かるはず。套路での練習は、この連続技がスムーズにできるようにするためのコツを学んでいるはずなのだから・・・。と、混乱してしまった頭を落ち着け、套路での動作を、放松を入れて丹田の気の流れを確認しながらゆっくり再確認。ああ、ここで一旦丹田を回して気を下に落とし込むんだった。

 それに気づけば、師父のやってくれたような連続技へと応用が可能。もちろん、あのレベルになるにはもっともっと練らねばならないが。

 

 私の呑み込みが遅くて随分長い動画になってしまいました。(途中どこからか電話がかかってきて動画が切れた。)その3は納得した瞬間。身体はまだまだ躾が足りないけれども、道理が分かった(分からない問題が解けた)のは良かった!

 

 

2019/10/30

 

 第7式斜行を使って弓歩での体重移動を説明してもらいました。

丹田を使って常に中正を失わず体重移動できるようになるには相当な練習が必要ですが、それに少しでも近づくようにタントウ功の個々の基本の要領を見直しながら練習し続けることが大事。

 関節は回る。関節は折り曲げない。普段の歩行でも膝は回転(前進なら内回転)している。チャンスー、螺旋は人体のとても自然な動き。

 

 (以下はLINEで書いたコメント)

 下半身の動きは 拧腰旋膝(順、外回転)   拧踝旋膝(逆、内回転)

 どちらも膝は踵や腰の捻り回転につられてぐるっと一回転回る。

 歩く基本でもあるけど、膝や太腿には力を入れない。

 膝や太腿で踏ん張らない。腰と踵で踏ん張る。

 これができたら太極拳の真髄を掴んだのも同然

   (なぜならそれをするにも丹田が必要....と分かるはず)

2019/10/28

 

 劉先生に習っている様子を動画に撮ったものは今後ここにアップします→「パリでの練習動画」

 私の生徒さんのために、と動画を撮ったのですが、撮ってみると実際には私の復習のための動画になってしまったようです。套路は奥が深い。基本功を実践にまで結びつけるのはまだまだだ(苦笑)。

2019/10/28 <お問い合わせの質問に対しての回答>

 

 先日、このHPの中の『站桩功の考察』の記述についてお問い合わせのメールがありました。

 質問は、「無極タントウ功の形での2番の膝と股関節を緩めると、6番の松胯、屈膝が重なっているのは何か意味があるのでしょうか?」 というものでした。

 

 この部分は随分前に書いたもので私自身それ以来読み直していない。馮志強老師のテキストの記述を参照して書いたから間違えてはいないはずなのだけど・・・と読み直したら、確かに2.の虚霊頂勁と6.の松胯 屈膝、二箇所に”膝と股関節を緩める”という記述がある。

 ふ〜ん、文字をよく読んでいるなぁ、と感心しつつも、この記述はその状態になった時(虚霊頂勁の状態になった時)は身体の各部はこのように調整されていた(膝と股関節が緩んでいた)という経験から書かれたもの、言い換えれば、Qになった時にはPだった、という身体の感覚を書いたもので、必ずしも、PをすればQになる、というものではないからタチが悪い・・・と太極拳を文章で学ぶ難しさを思い出してしまった。

 

 ともあれ、虚霊頂勁をするには、まず、まっすぐ立って頭のてっぺんまで気を上げて(頂勁)頭を”実”にした上で、それから頭に上った気を下に引き抜いて頭を”虚”にしなければならない。そのためには少し股関節と膝を緩めなければならない。膝と股関節を伸ばした状態では気が頭に上ったままで”実”のまま。これではその先の丹田が作れない。

 (虚、霊の深い意味、頭頂の上、外にある2つのチャクラについては割愛。余談ですが下敷きで頭頂をこすってその後下敷きを引き離すと髪が立ち上がるけど、その時の感覚が虚霊に近そう。)

 

 6の松胯屈膝はその上5の要領で中丹田に気が落ちたところを、下丹田にさらに押し込む際に必要となる要領。2の膝と股関節の緩みはちょっとしたものでよいけど、6では本格的に意識的にさらに深く行う。この時くれぐれも会陰を落としてしまわないように。会陰の引き上げを失って股関節を緩めて膝を曲げると丹田が形成されず、(丹田の浮き袋がないので)膝や股関節に負担がかかりそれらを痛めることになります。6の股関節と膝の要領は、5で中丹田を作ったのを前提にそれを失わないように(会陰を引き上げ続けて)慎重に気を下丹田に沈めていきながら行います。

 

2019/10/23

 

 あれから二週間弱。やっと体力(気の量)があの日直前の状態に戻った。

 師父に一ヶ月分の功力(功夫の力、量)を失ったとがっかりさせた出来事、それは、ある夜主人の仕事の会食に付き合った時、うっかり歯医者で処方された抗生剤とお酒を同時に服用してしまったことで引き起こされた。

 

 今月初め、一本残っている親知らずが動きだしているのか奥の歯茎に違和感があり歯医者に行ったところ、CTやレントゲンをとった上でそれでも原因が分からないということで、とりあえずしばらく抗生剤を飲んで下さいと言われた。処方された抗生剤はトローチと同じくらい大きく、見た瞬間、こんなのを飲んで良いのか?と疑問に思った。けれども、私に向かって、何度も「食事をしている時に服用するのですよ。食前でも食後でもありません。」と念を押した歯医者の顔が何度も頭に浮かんで、仕方がないかなぁ、と嫌嫌ながら飲むことにした。

 飲み始めて3日目、主人がこちらのアメリカ大使館のカウンターパートの夫妻(女性が外交官、男性は主夫、と言っても米大使館では配偶者の仕事を大使館内で見つけて働けるようにしてくれるらしい。)と日本食レストランで会食をするとのことで同行。が、抗生剤の服用のタイミングが気にかかる。どうしよう?食事の間に気づかれないように飲んでしまわなければいけない。歯医者は食前でも食後でもいけないと言ったのだから・・・、と考えたあげく、ズボンのポケットにトローチのような抗生剤を裸のまま忍び込ませて出発した。

 日本食が好きだという相手の旦那さんに合わせてレストランを選び、コース料理を頼んだ。ワインと日本酒 計4種のペアリング付き。どうせ私はあまり飲めないからどれも一口ずつだけ・・・と、会話と食事が始まった。会話がこなれてきた頃、隙を見てポケットの抗生剤を素早く口に入れて飲み込んだ。これでOK♪ と気がかりが減って一安心。終了したのは23時でそれからタクシーを呼び店の前で立って車を待っているその時だった。何だか頭がぐるぐる回っている気がする・・・料理があまり美味しくなかったからかなぁ、なんて今思えば酷いことを考えたりしながら壁にもたれてどうにか立っていた。早くタクシー来ないかなぁ〜。

 やっとタクシーがきて急いで乗り込む。お店のあるオペラから内までは自転車でも15分かかるかかからないかの距離。が、パリの道は一方通行が多く、大通りに出るまでにタクシーは細道をぐるぐる回る。そのうち私の目も回ってきた。ただでさえ車に弱くすぐに酔ってしまうのにこんなにぐるぐるしたらダメかも・・・やっとオスマン通りに出てギャラリーラファイエットが見えた時にはいつもの車酔いの程度を超え、頭の中の平衡感覚がなくなり三半規管が機能していないのがわかった。もうダメかも・・・、と隣の主人に言って、急いで車の窓を全開にする。そこからはデパート街の照明と車のライトが横滑りする夜の暗がりの中に頭を出して何度も嘔吐を繰り返した。タクシーの人に申し訳ない・・・どうしよう・・・と思いながらも身体の奥から込み上げて来るのを止めることができない。家はすぐ近くなのになかなか着かない。そしてやっと着いたけれども立ち上がれない。立ち上がると頭がくらくらで倒れてしまいそうになる。まるで酔っ払いのようだ、運転手は酔っ払いだと思っただろうなぁ〜、とその時やっと、もしやあの薬?プラス酒?と朦朧としながら気づいた。

 

 主人に助けてもらいながらどうにか家に入り、玄関先でまずは服を脱ぎたい!とよそいきの服を脱ぎ捨てた。その中には前日に買ったばかりの黒のベルベットのジャケット。日本ならメルカリやヤフオクで安く買うのに・・・と悔しい思いで(?)定価で買ったイタリアのジャケット、きっと汚してしまったに違いない。おニューなのに。が、服にこだわってる場合じゃなかった。とりあえず着替えて歯を磨く。それだけでも大変なことだった。フラフラでベッドに倒れ込んだ。そうだ化粧・・・もう一度起き上がってふき取りだけやる。これが限界。

 一晩寝れば治るだろう、と思っていたけど甘かった。水を飲んだだけでも吐いてしまう。下からも出てしまう。師父に連絡をして事情を話して練習に行けない、と言ったら、できればナイロン袋を持って練習に来なさい、という。たくさん水を飲ませて吐かせたいらしい。でも立ち上がるとふらふらで外出どころではない。師父の提案はスルーする。大使館の医務官に電話をして事情を話したら、吐き気止めと胃薬を出してくれるという。毎度のことだけど、師父の言うことと医者の言うことは相反する。師父は吐いて全部出せ、と言う。医者は吐かないように薬を処方してくれる。私の直感は師父を支持。そう、吐くことを恐れてはいけない。身体の自助作用なのだから。

 吐くものがないのに吐くと緑色の液体しか出てこない。もう空っぽなんだと分かる。

 その日は朝も昼も夕方も、2、3時間づつ、ずっと寝ていた。その夜も寝倒した。

 三日目、まだ恐る恐るしか歩けなかった。前日は何も食べられなかった。そろそろおかゆのようなものは食べられるかと口に入れるともう嘔吐感がなくなっていた。良くなっている。が、まだ恐る恐るしか歩けない。その日も練習はお休み。

 その翌日に公園に行く。私を見て師父が、また痩せたなぁ、と言う。体力なくなると口数も少なくなる。余計なことも考えないし、余計なこともしない。自分がとても静かな人になった気がする。肉体の力が落ちた分、相対的に意、肉体の中にある自分の意識、の力が強くなったよう。いや、本当は肉体の力の減退とともに意の力も落ちているのだけど、肉体の力の激減に比べたら意はそこまで急激に失われていないので強くなった気がしているのだと自覚ができる。修行で苦行をしたり断食をして肉体の力を失わせると一時的に意が強くなって悟りに近くなった錯覚を与える、というカラクリと同じだ・・・。

 余計なことができないから余計な反抗もしないし、とても従順な私。

 師父は私以上に心配していたようだ。というのは、なんと、中国にいた頃、抗生剤とお酒の組み合わせて知り合いが3人命を落としていたから。(抗生剤を点滴や注射で入れて、そのあと会食で酒を飲んだという例。皆男性でお酒もそこそこ飲んだらしい。)私は全部でグラスに半分くらいのお酒の量だったけど、あの時、料理が美味しくてお酒がもう少し進んでいたら、本当にやばかったのかもしれない。

 

 その後はいかに体力を戻すか。食べる!

 師父は私のために牛テールのスープや牛すじ、雑穀のおかゆ、そしてウコン丸ごとを用意してくれた。食べるのがこんなに大事だと思ったことはなかった。が、一週間、身体の気の損失を補う食品を多くとっていたら、みるみるうちに回復。いろんなことに対するやる気も戻ってきた。ハァ〜。

 昨日は踵のホールドの良い新しい靴で師父と転腿をしたら、自分の脚の力がこれまでになく強くなっているのにびっくり。私が優勢?なんて錯覚をしたほど。

 身体が弱って気の量が減るとどんな症状、どんな感覚になるのか、身を以て知った一連の経験でした。

 もう同じ間違いは繰り返しません・・・薬も酒も薬=毒。触らぬに越したことなし。

 

 

 

2019/10/7

師父との練習、約1ヶ月半。
毎日転腿と拍手功を繰り返し、さてどのくらい変わったか? まだどこが足りないか?
自分で確認しなさい、と撮ってくれました。
やはり右肩、右半身....
中が貫通してないからよじれる部分がある。
結局、腰奥開ける→踵アキレス腱まで巻いて引っ掛ける....タントウ功やトウロを漫然と繰り返してもここまで繋がる、節々貫通は無理だなぁ。
完璧は狙う必要ないとしても、やはり師の引導は必至。
追記
 午前中この独り言をメモって、午後はこちらでVIVIANEに初めてピアノのレッスンをしてもらいました。彼女については以前練習メモで紹介したことがある。詳細省くにしても、気持ち悪いくらい師父が指摘する箇所と同じところ、同じことを指摘された。腹からどこにも当てずに指先、爪の際の指先から垂直にピアノの中に力を届けこむ(バッハの場合)。子供の時に砂浜で指を砂に突っ込んで穴を作って遊んだような感じで、と彼女は言った。
 そしてもしや、と思って彼女に身体の中と指先から出る力には時差はない?と聞いたら、そう、その通り。時差なし、と言う。先日師父との練習で足裏から力が出た瞬間に手は力が出ていなきゃならない、途中の気の流れを見てはいけない、と言われ、あれ?それじゃあ節節貫通ができないじゃない?と頭にはてなマークがついてしまった。家でお相撲さんの突っ張りみたいな格好を壁相手に試して静止してみて、確かにもし内側が完全に開いてしまえば身体の内側は一つの無の空間となり、一つの場所で起こったことは同時に別の場所で起こりそうだ・・・と思ったけれど、まだ完全には理解できていない。手先で打つ(弾く)のと腹(身体の奥)から手先に気を送って打つ(弾く)のと、どちら(の反応)が速いのか? 前者の弾き方をVIVIANEもシフト同様、”筋肉で”弾くと表現していた。筋肉で弾かれてきたピアノを弾こうとすると全くピアノと繋がらなくてうまくいかない、なんて話もあったほど。筋肉で打たない、弾かない、で、意で打つ、弾く。そのために身体の中を開ける練習が必要になる。筋肉は関節ごと、あるいはいくつかの関節を跨いでごとついているから、筋肉を使って打ったり弾いたりすると筋肉疲労が起こる上に、脳の指令から筋肉が動くまでの時間がかかってしまう、ということなのか?時差なし、とは身体の内側でワープしているのか?この練習はワープの道を作る練習なのか? なんかとても重大なことに迫っているみたいなのだけど、私にはまだはっきりしない領域・・・。
 いずれにしろ、内側を極めていくと、道は違っても皆似た様な事を言うようになる。とてもおもしろい。
追記2
 そう、最近の練習で革命的だったのは、首、腰、足首は立つ!ということ。
 いや、立たなければならない。
 中国の中医学の講義だったのか馮志強の本の中で見たのか忘れたけれども、「人には腰が3つある。それは、頚、腰、足首。これらは皆、身体の枢軸だ。」というような表現があったけれども、それらはトイレットペーパーの芯の様な形(細長い円柱)という意味だろうなぁ、と思っていた。 
 が、脚回し(転腿)で、自分の足首がちゃんと回っていないことを痛感して、それを治すために股関節、骨盤の中を開く様に転腿をし続けたら、やっと先週半ばから足首、足指が安定してきだした。足首が完全に回れば、足の5本の指からものすごい力が出ることだろうことも判明。足首はアキレス腱を絡め取って回して初めて回っていることになる(→5本の指も絡め取ることになるから結局足=フィートを全て絡め取ることになる)。結局、足裏の力は足首がちゃんと回るかどうかにかかっている!
 そして足首が回ると足首は立つ!立って初めて今まで寝ていたのが分かる。
 立つ、とはこういう感覚だ、と足首で知ったら、それを腰で、そして頚椎で同様にやってみると、腰や首を立てることができる。ああ、本来、こうやって立っているべきなんだ〜、普段は寝てる=立ってないことを発見。
 でも、この首と腰と足首を立てたら、結局タントウ功の要領、虚霊頂勁から沈肩墜肘、含胸抜背・・・・をクリアしていくのと同じことになる。詳しく説明できたら面白いのだけど、またいつか。

2019/9/27

 

 この10日間も毎日毎日新たな気づきがあったのだけど、言葉にしてみようかと思ったその時に言葉に変えないと言葉にする契機を失い記憶は自分の身体に残って行くのみ。真のマスターはブログなんて書かないし、HPを開設するはずがない。見せてくれるかせいぜい短い単語で示してくれるのみ。そのくらい言葉はこの世界から乖離している。

 が、もし誰もその体験を言葉にしなかったならば、本当に貴重なものは伝達することなく消えてしまうだろう。言葉にしても本当には伝達できないことを知りながら敢えて言葉という記号に変えて伝えようとする努力、それは何も太極拳に限ったことでなく、まさにお釈迦様や老子がそうだったのだと、沈黙に浮かぶ意識的な言葉の美、というようなものがあるのを知る。

 

 とは言え、私にはまだまだそんな言葉の使い方ができないので、ああやこうやとまどろっこしい説明をするしかない。言葉にする前には頭の中に画像があるのだが、もしその画像がそのまま頭の中から取り出せたら言葉にするよりももっと分かりやすいのに、と思う。画像を言葉にする作業は立体を線に、あるいは繭を糸に変えて行くようなもので、リニアに変えてしまった瞬間にそこに時間の流れと因果関係が現れてくる。本当は全部同時なんだけど・・・いや、全部同時にに違いない!

 

 師の中には全てが同時に現れているのだけど、弟子はそれを分けてい一つ一つ学んで行くしかない・・・

 

 で、今週は東京に残した生徒さんとの間で、太極拳の一つの大事な要領、『円裆』(丸い股ぐら)が問題になったので、それについて劉師父と話をした。

 円裆の反対は尖裆。股が三角形でとんがっているのはいけない。

 生徒さんは円裆を集中的に練習してたら腰が痛くなってしまったと私に連絡をして来た。

 ああ、股を開こうとして、会陰を引き上げ(提会陰)仙骨を入れる(斂臀)を忘れていたに違いない、とピンと来た。以前ヨガを真剣にやった女性に腰痛の人が案外いるのに驚いたことがあるが、それも同じこと。股だけ開いて提会陰と斂臀を忘れると、会陰から腰への気の繋がりを失うので腰が弱くなってしまう。180度開脚で内腿の筋だけ伸ばしてもなんの意味もなく、会陰を引き上げ腰からつなげて骨盤の中から股関節を回転させて身体を割らないと使える身体にはならない。

 この辺の、円裆、松胯、提会陰、斂臀、命門を開く、塌腰などの一連の要領を総動員して繋がらないと想定された効果が出ないどころか身体を痛めてしまう。一つの要領をクリアしたら次の要領の練習、という訳にはいかないのが太極拳の面白さ。一つの課題に長い間取り組まず、適当に回しながらぐるぐる様々な課題を練習して行く。AのためにはBが必要でBのためにはCが必要・・・最後にZのためにはAが必要、と戻って来てしまうのだから。いや、AのためにはBが必要でBのためにはAが必要、と隣り合わせでもそんな風になってしまっていることもしばしば。鶏が先か卵が先か、そんなことばかりが起こる。リニアなものはないと思っていた方が安心。

 (似たようなことで、もっと後ろ後ろ、とおもったら、前だった、とか、もっと左左、と思ったらもっと右だった、とかそんなこともしばしば起こる。思ったのと反対になる。感覚と客観のズレもしばしば起こる。)

 

 円裆について劉師父の説明を動画に撮りました。

 これを見てなぜ円挡にしなければならないのか分かるかしら?

 

 

 円裆にしないと気が下(会陰、骨盤底筋)まで沈みこませられない。

が、逆にいうと、気を下に沈み込ませると円裆になってしまう。

 

 円裆は正面から見て馬に乗っている時のように股座が丸い、というだけでなく、後ろから見ても、またを下から覗いても丸い。そのためには会陰の引き上げが重要(提会陰とともに”閉二便”:小便と大便の穴を閉める)。会陰を開いて円裆にすると気が下から漏れて腰を失ってしまいます。

 下の動画ではその流れで 拧腰坐臀という打撃の時によく使う腰の使い方に言及・・・師父に師範してもらったのを撮ったらもっとカッコ良かった。が、完璧でなくても私の身体の方が動きは見えやすい、かな。教材向き(苦笑)

 

2019/9/17

 

 劉老師は文化大革命前の生まれ。武術のメッカの鄭州で警察がまだ十分機能していない時代、本当の実践(決闘?)を随分やってきた。今でも鄭州に行くと、若い頃にお世話になったという男性達が、師父を見るなり「大哥,大哥,(兄貴、兄貴、)」と寄ってくる。弱いものイジメは許さない。敵討ちで一人または少人数で、複数、大人数を相手に闘ってきて負けなし。が、相手に負傷を与えたことも多く、その反省もあって今では全くと言って良いほど実践に興味がない。自分の身は守らなければならないが、手を出せばどちらかが傷つく。腕っ節を強くする武術から心身の修養に転換して行くのは自然の流れのように師父を見ていると感じるけれど、現代の中国国内の武術は必ずしもそうなっているようには見えない。

 

 とは言え、太極拳の練習で実践、技撃を知らないと、なぜ気を丹田に落とし込むのか、なぜ含胸抜背なのか、なぜ虚霊頂勁なのか、という基本的なことも真には納得できない。技を習うと、ああ、だからそうなのか〜、といろんなことが腑に落ちる。そして套路での意識も全く変わる。技を知らずにしている動きは踊りに過ぎない。套路は技をつなぎ合わせて後世に伝えるもの、技、技、技、のオンパレード。

 ビデオレッスンで生徒さんに套路を教えるときに最も困るのが技の説明。技は相手がいないと説明できない。

 と、そう、せっかく劉師父と毎日一緒に練習しているのだから、師父に頼んで一式、一式、時間のある時に技の説明をしてもらって動画にしてはどうだろう?

 ということで、昨日、第二式金剛捣碓の説明をしてもらいました。

 昔教えてもらった技じゃないのも教えてくれた。私は技を習うのは大好き。教わるたびに、太極拳ってほんと、賢い!と身震いするのです。

 師父に技かけられて飛ばされている自分を動画で見ると、これはお笑いか?と思ってしまうけど、師父の表情を見て分かるように、真剣な練習です!

 技を知ると動作が理解できるはず。

 

 ただ、技を師父のようにかけようと思っても、基本功やって丹田の力と節節貫通ができていないとかかりません。真似てかからない経験をすると、ああ、功夫が足りない〜、と分かります。

せっかく教えてもらった技がかかるように、またまた、タントウ功や坐禅、動功、といった地味な練習をすることになります。技の練習をいくらやっても技にならないことが分かるためにも技を学んで試してみるべき。・・・練習方法も、サークル(円)、さすが太極拳!

 

 (パリでの練習の光景は下の動画のチャンネルにアップして行く予定です。劉師父にリクエストあれば・・・可能ならやってもらいます。)

 

2019/9/13

 

 今週頭に師父から、21日でここまで身体が変化したのは予想以上のできだ、と言われ、褒められたことよりも師父が日数を数えていることに驚いた。

 が、師父からすれば、日本でついた私の身体の歪みを取るために毎日1時間は私と一緒に転腿をし、その後も基本功をじっと見てチェックして直してくれている。ここまでつきっきりで教わってそれで変化がなかったら申し訳ない。私はただただ、師父が言ったこと、直したことをそのままダイレクトに身体で聞いて身体に覚えてもらうことを心がけている。頭を使ったら覚えられない・・・いや、身体で覚えるのは得意のよう。師父に言わせれば、私の身体は頭より賢いらしい。

前日何を注意されたのか思い出せなくても、動いて練習しているうちに身体が思い出してくれる。

昨日から24時間経っても身体は覚えているものなんだなぁ、と不思議に思う。

こうして昨日の記憶を持った身体に今日の練習を重ね、その重なった記憶を持つ身体にまた翌日の練習を重ねていくという作業を繰り返すと、身体の記憶が立体的に書き換えられ新しくなってくる。

 身体の癖、神経の癖、意識の癖、癖を元から変えていくにはそのくらいしつこく同じことを繰り返すのが必要なのだと身を以て知る。

 師父の予定では約一ヶ月はひたすら同じ基本練習を繰り返し、ある程度大きな癖(背骨、骨盤の歪み、左右の体重のかけ方の偏り)を正した後に初めて套路のチェックをするらしい。タントウ功もそれまでお預け。代わりに基本功の合間、24式や48式を一通りやり終えた後に長めに意守丹田をやっている。

 

 生徒さん達との間ではしばしばLINEで様々な論点を出しているけれども、ブログで詳細を説明する余裕がなかなかない。

 書かなきゃ、と思っている話題は、舌の位置の誤解、陰圧の意味、男性の提会陰の段階(女性は厳密には提会陰できない)、沈肩の段階、旋腰・転腰・拧腰の違い、旋腰の効用、など色々ある。

今後書く時間があるのかは疑問。

 書きたい、と思った時に書かないと、みるみるうちに書く意欲が消える。

 食べ物と同じ、フレッシュなうちに書いてしまわないと・・・。

 そういえば、時機、という言葉を師父が話していたことがあったっけ。太極拳とどんな関係があったかしら? 明日また聞いてみよう。

 

2019/8/29

 
  師父に腕を掴んでみろ、と言われて掴んだら、「そんな外行(素人)のような掴み方じゃ(外し方の)練習にならないだろ。ちゃんと穴位(ツボ、急所)を押さんか!」と言われて逆に両腕をガシッと掴まれた。とその瞬間、手首に激痛が走った。「内関だ。どうだ、動けないだろう?」
 動けないどころか、動こうという気もおきていない。 
 
 ああ、十数年前もここで同じように師父との会話中に腕を握られ中指で内関を押し込まれたことがあった。師父は自分が私の手首を物凄い力で押し込んでいるのも忘れて、その時もそのまましばらく話をし続けた。私は心の中で「松、松、松・・・」と念じていた。痛い!といったら、松してないからだ、と叱られるのが分かっていたから絶対に痛い!と言ってはいけないと必死だった。痛みに耐えながら師父の話が早く終わってくれないかと待っていたが、そのうちその痛さで涙が流れてきてしまった。師父が私を握ったままだったのを気づいたのはその時。私の手首、内関の位置には爪痕がしっかり残っていた。その時師父がどう反応したのかもう忘れてしまったが、その日は夜もまだ痛みが残り、翌日はしっかり内出血していた。
 今日もあの時の再現のようだった!
 あの時と同じように松すれば良いのか?下手に動いても外せないことは身体が良く分かっている。外そうと手首を回そうとしたらさらに指を押し込まれるだろう。何も抵抗する気がない私をいきなり握ってどうさせたいのか? 痛さの中でそんなことを思っていた気がする。
   松したって痛いものは痛いし....と、もう痛さに耐えられずどうしようもなくなった時、突然怒りが爆発した! 私は師父に向かって、「何をしてよいかわからない生徒相手に脈絡なく本気で掴むのは不条理だ!」と怒鳴って腕を振り払った!(今思えば、怒りで相手を驚かせて腕を振り払えたのだ!)
 師父は、私は10年も日本で教えているのだから当然どう払えばよいかはわかっていると思ったし、私の気はちゃんと手に達しているからそんなに痛くないはず、しかも自分は本気で握ってはいない、せいぜい60パーセントの力だ、と弁明した。
 私はせいぜい回転させて解くことしか知らない、回転させたらさらにダメージを得るような握り方(それこそ玄人、武術家の握り方!)をされていきなり試されても凍り付くだけだ、先に道理を知ってから技をかけてもらいたい、と師父に言った。
 それから師父は、「これは太極拳の基本の理、借力、不抗不頂、とても簡単な道理。下から上向きに力をかけられているなら上向きに外せばよいではないか!」 と内関穴を押さえながらさまざまな向きに私の手首を握って、それぞれ振り解く腕の動作の方角を教えてくれた。
 私は私の悪い癖でしばらく不機嫌だったけど(苦笑)、説明を聞いているうちにその道理が、火を避けるのと同じじゃないか! だから本来は考えずにとっさにできるはずのことなのだ、と理解できて嬉しくなってきた。それを師父に言ったら、そう、その通りだ、と、内関穴以外にも、腕や手首を握る時に点する(押し込む)ツボをいくつか教えてくれた。リューもツボを点せずにすることはあり得ない。蹴りもちゃんと相手の急所を狙う。そう、本来はツボ、経穴、インドのマルマは攻撃する時の急所。どうやったら相手を効果的に倒せるか、という研究で知った身体の秘密をその後転換させて治療に使うようになったと聞いたことがある。としたら、兵器を開発することで副次的に科学技術が発達するのも同じ?人間が最も力を発揮するのは自分の生存のために相手をうちのめす場面?人間の哀しき性....
 そのあと、私は師父に怒ってしまったことを謝り、師父も先に説明すべきだったことを少し謝ってくれた。そして帰り道、二人で痛いツボを叩きながら歩いた。毎日痛いくらい叩いていれば、叩かれてもそんなに痛くなくなる、という。痛さをこわがってはいけない。武術の基本なのにそれを忘れて甘えていた自分が恥ずかしくなった。ヴィパッサナ―の観察によって自分と身体、自分と感覚を引き離す、という仏教の修行法よりも、今日のような練習で安全な痛さと自分を引き離す練習の方が私に合っているのかもしれない。
 でも、ツボは痛い。
 痛いからツボ。
 「痛くなかったら意味がないだろう?違うか?」という師父の別れ際の言葉がしばらく残った。
 
<追記>
 夜になってパリの東急ハンズ的なデパートBHVに電球の調達に行く。そしてまたお掃除グッズのコーナーでしばし遊ぶ。この一か月ですでに5回もここに来て遊んでいる。ブラシが素敵。毛並みがものすごくいい。掃除は苦手中の苦手なのに、なんでここのお掃除グッズコーナーはこんなに気持ち良いのだろう。日本の家では大きすぎる、本格的すぎる掃除道具。でもこんなグッズでお掃除したら楽しいだろうなぁ。ああ、魔女はこんな箒に乗ってたに違いない…。空想が空想を読んでブラシやはたきが動き出しておしゃべりしそうな気までしてくる。どこか生きてるお掃除道具たち。
 

2019/8/27

 

 劉師父と練習を初めてちょうど一週間。

毎日師父との練習は転腿で始まる。最初のうちは回転の悪い左足だけで1時間近くやっていたが、その後は両足で1時間ちょっと。その後、拍手功と足蹴り(歩きながら後ろ足の解ケイ穴で前足の承山穴を蹴る)を組み合わせて、公園を一周100回ペースで3周する。

 動功は柔勁を高めていくために、腕の動きと腰の動きが”对拉(引っ張り合い)”になるように、注意深く正確に動く練習をしていた。

 動功は単純な動きだけども、何を意識するかでいろんな練習ができる。

 クワの回転とは腸骨の回転・・・左右の腸骨をそれぞれ別々に回転させるなんて意識したことがなかった。

 

 24式と48式を師父についてゆっくりやる。

 動きが正確でないところの修正。

 

 今日の練習が終わって、師父が私に、なぜあなたにタントウ功をさせていないか分かるか?と聞いて来た。私が答えようとしたら、先に師父から、まずは二週間で集中的に癖を取る、それからだ、と言われた。一週間でもかなり修正はされつつあるのが分かる。マンツーマンでここまで仕込まれて上達しなかったら申し訳ない。2、3日前にNetFlixで見たジャッキーチェンの「ベスト・キッズ」を思い出した。師が心から弟子を育てようとする気持ちと、そして、外から見たら武術の練習とは思えないような練習をしているところがとても良く似ている。

 ここまで来るともう何故自分がこの練習をしているのか良く分からなくなっているが、これも流れ、運命、カルマ、業なのだろうと、せざるを得ない何か、という、明るい諦めでやるしかなくなっている。

 15年ほど前はあれほど学びたくて仕方がなかった太極拳。必死に師父に食いついて練習していたが、10年日本で教えて再びパリに戻って来ると、師父との練習も随分のんびりとしたものになって太極拳で目指す境地の一つ”太和“の”和”が少しだけ分かるような気がする。太極拳は本来はレッスンを受けるものでもなければ、練習するものでもなく、その流れの中でそうしているうちにそうなってしまうものだったのだろう。

2019/8/22

 

  今日は八法(八勁)のうちの采を学んだ。

 本気でやられてたら腕や指がちぎれてただろう。

 十三勢を会得して套路を練習している老師がどのくらいいるだろう?

 漫然と套路を練習していても十三勢は永遠に会得できないだろう。

 技を知らずに太極拳の練習をすることはできないが、技を知るとやはり功夫が必要だと分かる。

 功夫が足りないとせっかく技を教えてもらっても技にならない。

 また基本功に戻る・・・が、その時はその基本こうで足りない何を養うのかが明確になっている。

 基本功、套路、単式練習、技巧の研究、推手、武器・・・これらをぐるぐる循環させながら徐々に太極拳たるもののレベルを上げていく。

 

 

2019/8/20

 

 パリでの劉師父との練習開始。第一日目。

師父は案の定私よりも随分前に公園に着て、私が到着した時には樹に脚を引っ掛けて圧腿をしていた。挨拶もそこそこ、「もう自分は拍手功を脚付きで既に1000回やって済んでるから、あなたもやりなさい。」と言われた。

 拍手功は春に師父が来日した際に生徒さん皆に教えた基本功。全身の余計な力を抜き落とし、力を丹田に集中させられる。邪気を労宮から排出させ未病を出してしまうような効果もある。

 どうせなら手だけでなく脚も、と一方の脚のふくらはぎの承山のツボをもう片方の足の足首の解ケイ穴の部分で蹴る方法を組み合わせてやる。

 もっと強く!もっと松!と拍手を300回近くやると手が腫れて赤く熱を持った。

 「非常好!」

 手がじんじんする。今こそ腕を松して気の流れを感じる時。と、しばし軽くタントウ功。

 

 その後は転腿。回転の悪い左足だけで1時間近く。そして右足20分。

 師父とやると効果が全く違う。2時間やっても疲れない。やればやるほど体が馴染み、使ったことのない場所が開発されていく。二人で転腿しながらおしゃべりをする。ほとんど師父の話を聞いているのだが、質問もできる。十数年前にパリで習い始めたときは、こんな時に師父が話してくれる言葉を理解できないのが残念で、必死に中国語を練習した。今では松しながらおしゃべりもて練習もできる。そのぐらい余裕があると、気が流れやすい。集中し過ぎると、”頂”、”抗”となり、柔順という太極拳の原理に反してしまう。”道”から外れてしまうのだ、と師父が話してくれた。

 真面目すぎて硬すぎては失敗。意が強過ぎると硬くなる。頭は攻撃的。心で理解する。

 

 ”心平気和”

 今日学んだ言葉。

 心が落ち着いて気が和む。

 これが目指すべきところ。

 だから

 ”柔順” 

 柔らかく、順う。

 

 そういう意味ではパリはなにか柔らかい。

 東京は皆イライラして時間に追われてるけど、ここは時間にもっと余裕がある。

 昨日もスーパーでどのコーヒーを買おうかと迷っていたら私のせいで通路を通り抜けられなくなっていたムッシュがいたのだが、私が慌てて道を空けようとしたら笑顔で、どうぞゆっくり選んで下さい、と笑顔でジェスチャーをしてくれた。日本のおじさんはそうはいかないだろうな〜(苦笑)

 

 身体は柔らかくありたいけど、心ももっと柔らかくありたい。

 身体の硬さと心の硬さ、身体の柔かさと心の柔かさ、どのくらい相関関係があるのだろう?

 身体が柔らかくて石頭、身体は硬いけど心が柔らかく寛容、というのもあり得るのか?

 太極拳の練習では、身体の松→開→沈穏→柔→軽霊、の順で身体を開発していくが、おそらく、それと同時並行的(あるいは少し遅れて?)に、心の松(緊張していない)→開(心が広い)→沈穏(落ち着いている)→柔(柔軟性がある)→軽霊(執着がない)と進んでいくのではないか?

 いや進んでいかなきゃダメだ!

 結局は心の修行

 身体で終わってしまったら”道”とは言えない!!

 

 初日、スタートはそんな気づきと目標から始まった。

 

 最後は師父と二回、ゆっくり24式。柔らかく、そして、収功した後は5分間Iの意守丹田。

 時間に追われずに練習できるのはとても幸運なこと。

 師父といると時間が消えるよう。

 

 

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『今日のメモ』毎日の練習は気づきの宝庫。太極拳の練習の成果が何に及ぶかは予測不可能。頭の整理も兼ねた私のメモ。過去のアーカイブは『練習メモアーカイブ』へ

 

練習のバイブル本

 『陳式太極拳入門』

       馮志強老師著

ようせいフォーラム2017プログラム
3月4日(土)にパネリストとして参加しました。
ようせいフォーラム2017プログラム.pdf
PDFファイル 3.1 MB

 

2012/3/20

日本養生学会第13回大会で研究発表をしました。

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