2023/3/21 <「おはようおやすみ」の本質 腹で動くことの具体例>

 

  丹田の立回転の練習は腹で背骨を後ろに押して軸を後ろで揃える練習になる。

 

  右の図は順回転の丹田の立て回転を表しているが、逆回しでも丹田を使って軸を後ろに揃えていく練習ができる。

 

  丹田を動かしたり、膨らましたり縮めたりすることで体の軸がはっきりしてくる。背骨をダイレクトで動かそうとすると軸はぼやけて分からなくなる。

 

 この丹田回しの運動は、腰の王子の『おはようおやすみ体操』と実質的には同じだ。もっと遡れば、チーターの走る時の胴体の動きと同じだ。つまり、体は ①前面が広がって背面が狭くなっている状態から、逆に、②背面が広がって前面が狭くなっている状態、この2つの状態の間で行ったり来たりする、ということだ。これが人間の動きの最も基本的な動きで、赤ちゃんが立ち上がるまでにずっと練習している動きだ。

 

 

←腰の王子の「おはようおやすみ体操」

 

①左画像が「おはよう」のポーズ。

前面が広がって背面が狭くなっている状態。

 

②右画像はの「おやすみ」のポーズは、いわゆる、「含胸」のポーズ。前面は凹んで背面が張っている。

 

 

この「おはようおやすみ体操」を切れ目なく連続で行うと丹田回しになってくる。

 

 ①と②の幅が広いほど体の柔軟性は高くなる。背骨の動き(脊椎間の隙間の動き)が滑らかだということだ。まずは骨盤と胸郭が時間差で波打って動くように練習する。


 

  そして、なぜこの練習が必要なのか?

  

  内功の練習では丹田の立回しはまず最初にやる練習だ。

  そして腰の王子の三種の神器の中でもこの「おはようおやすみ体操」(チーターの動きの原型)は他の二つの体操(「大腿骨はだいたいこのへん」と「コマネチスリスリ」)の上に位置付けられている。「おはようおやすみ体操」をできるようにするために、他の2つの体操をさせているようなのだ。(「大腿骨はだいたいこのへん」で上部胸椎を動かす練習をさせ、「コマネチスリスリ」で骨盤の前傾後傾の可動域を練習、それらを使って、「おはようおやすみ」を練習する、という仕組み。その前に練習させているところからも感じられるのだ。

 

    この動きを使うのは太極拳だけではない。ジャンプ一つをとっても必要な動きだ。

←ステファン・カリーのシュートフォーム https://youtu.be/f9evT6XrGYI

 

飛び上がる前に②の<おやすみ>(含胸)の姿勢。

そこから飛び上がっていくにつれ①の<おはよう>姿勢に近づく。

 

 

 

 下の大谷翔平君のバッティングフォームにも<おやすみ>から<おはよう>への体の変化が見られないだろうか? (右から左へと画像を見ていった場合、構えから打ち始めると<おやすみ>になり始め、ボールがバットに当たる頃に最も<おやすみ>になる。それから振り向いていくと次第に<おはよう>に向かう。 完全に<おはよう>になってしまうことはない。)

  タイガーウッズのゴルフのスイングも同じ。

  <おやすみ>で打って、最後は完全に<おはよう>。

 ボクシングや卓球などは殆ど<おやすみ>(含胸)のまま。打っても含胸を維持する。

 接近戦で動作が速くなると、含胸の姿勢が基本姿勢となる。私が卓球をやっていた頃は、「含胸」という代わりに「懐を広く」と教えられていた。

 

 太極拳の動き方は卓球に似たところが多々ある。中国卓球があんなにも強い理由はベースに中国文化の太極拳があるからではないかと考えて、積極的に太極拳を学んでいる全日本コーチもいたくらいだ。

 

 


 ともあれ、大事なことは、<おはよう>も<おやすみ>も、腹で行う!ということ。

 バッティングやゴルフ、テニス等のスイングを”背面の意識で”行うと簡単に腰や肘を痛めてしまう。腹側で行う意識が必要だ。

 

 特に、<おやすみ>(含胸)は要注意。「含胸」をして背面に乗っかってしまっては何のために含胸をしたのか分からなくなる。(腹に気を落とすために含胸をしたのに、ただの猫背になってしまったりする)

 

 左の画像のような太極拳の姿勢は何れも腹ではなく背中に乗ってしまっている(だから骨盤が後傾して脚に軸が通らなくなってしまっている。太ももの筋肉が肥大していたら注意!)

 

 上の卓球の、含胸の姿勢では、任脈に力がある(体の前面の任脈を使わないと球の回転や球筋のコントロールが効かない)。下の太極拳の姿勢は体の前面に力がない。速く動けないし中正がとれない・・・それ以上に、このような姿勢で練習していると膝などの関節に負担がかかる。

 


 <追記>

 検索中に見た動画。卓球のドライブ打ちの応酬を見ているとカンフー映画を見ているようでした。ずっと含胸して腹の気を保っていないとこんな応酬はできない。上に挙げたような骨盤が後傾した形では速く動けないし球を飛ばせない・・・卓球は無理だ、と思ったのでした。https://youtu.be/KomHagCAfyU

2023/3/19 <軸は腹側の開発で作る 腹なのか背中なのかの具体例>

 

  昨日紹介した動画の抜粋は、「腹なのか、背中なのか?」、ということを意識させる内容だった。腹は背骨より前。背中は背骨より後ろ。一応そういう定義にしている。

  いずれ「背骨を通す」という感覚を得るには、まず、背骨より前にいるのか、後ろにいすのか、を自分で判断できなければならない。始めは前と後ろの区別、それからは背骨より前(腹)の領域で気を前後に動かしながら軸を作っていく。

←左はイメージ図

 

まずは丹田に気を溜めて、それから後ろへ移動させ背骨を少し後ろに押す。それからまた臍の方へ移動・・・

このような運動をタントウ功や内功で行ながら、背骨から前の空間を次第に大きくする。そうすると腹の中で立てる軸がいくつか現れてくる。

 実は、その時、背骨より後ろにも腹側に対応した軸がその影として出来上がっている(陰陽の関係)。

 この作業を進めていくと、いずれ腹、側の背骨に近い位置を軸とすることができるようになった時に、背中側も背骨に近い位置に軸ができている。そこまでいけば背骨の中に入っていくのは後一歩。背骨の中で軸をとれると気配がなくなる・・・

 

といっても、それは達人の領域。相当な練功が必要だ。

  ただ、私たちはその方向に向かって練習していくのが体の健康のためにも有益だ。

  軸を無視して運動をし続けると関節に支障がでたり身体の歪みが拡張してしまう(経験則に基づいた話です)。

 

https://youtu.be/2EQsHpMNI6o

 

これは腰の王子の三種の神器の一つ、『おはようおやすみ体操』

この体操は、その前の『大腿骨はだいたいこのへん体操』と『コマネチすりすり体操』を踏まえた上で行う、最も難易度の高い体操だ。

骨盤の回転に胸郭や頭蓋骨、そして足首の回転を連動させる。それらの回転によって体は前に出たり後ろに引っ込んだりするのだが、これはまさしく、上の図の中の丹田(腹側)の軸を作る練習だ。太極拳の内功なら丹田の立回転に相当するエクササイズだ。

  丹田の立回転は身体の前後の軸を作る。

  これが人間の動きの最も基本的な動きになる。

  姿勢が崩れるのもまずはこの前後。左右に歪む前に必ず前後の軸が崩れている。

 

  上の王子の動きで気づくだろうか?

  体が前に起き上がっていく時(おはよう、の時)腹側が前に出ていく、というのは問題ないだろう。

  では、体が後ろに降りていく時は?(おやすみ、の時は?)と言えば、王子は最後の最後まで腹側にいる。背骨より後ろに落ちてしまうことはない。

 

  王子の弟子のような人たちが動画をアップしているので見てみた。

  「おやすみ」の最後の頭の位置、顔の表情に注目!

  

 左はhttps://youtu.be/LWQ7ZXZ0a0k

 右はhttps://youtu.be/nNeL9epLTTE

 

 左が正しくて、右は正しくない。

 「おやすみ」の時は左の人のようにする(と王子も教えている)。これが正しい連動だから、ということだが、私自身の感覚では、もし、右の人のよう顎を引いて頭を下げてしまうと、丹田が消えてしまって背骨の後ろに落ちてしまう。左のようにすれば、後ろに行っても丹田が残る(腹にいる)。この点はとても重要で、一度背中に落ちてしまうと、その次に起き上がってくる時にまた背中や腰を使うことになる→腰に悪い動きになる。(このことについては昨日紹介したレッスン動画の抜粋①で説明しています)

 

 腰が悪い人は必ずと言ってよいほど、右の人のような動きをしている。

 体に柔軟性のある人は左の人のように腹側で動いている。

 体が硬い人は無理に背骨や腰を曲げたり伸ばしたりするのではなく、腹側を積極的に動かす練習をするとよい・・・・

 このあたりは、私が太極拳で学んだ知恵です。それこそ「丹田」の意義です。

 常に「丹田」を外さず動く、というのは、そんな意味があります。

 

 腰の王子の三種の神器も同じ。

 「大腿骨はだいたいこのへん」も「コマネチスリスリ」も、腹側で動く。そのために王子はいろんな細かいしかけ(目線や口の形など)をしています。背中で動かないためのしかけ・・・ が、上の右側の人の動画を再度見たら、すべて背中で動いていた(苦笑) 王子のようななめらかさがなくギクシャクした動きに見えるのはそういう理由からでしょう。左側の人は王子の教えに忠実に動いている。息がしっかり腹に入り顔色も良く体に伸びが感じられる。太極拳も全く同じです・・・

 

 

2023/3/18 <腹なのか、背中なのか? これが大問題>

 

 週一で定期的に続けているオンライングループレッスン。4人の大体同世代の生徒さん達を教えている。各自が学んでいる太極拳の流派は様々だけど、体の基本的な使い方は同じ。外側の動きがなぜそうなるのか、内側から教えていくのが私の役目だ。

 

 先々週の回は「もっと後ろに立つ」ということを教えようといろいろ画策していた。

 背骨を通す、というか、全身の連動(関節の連動=節節貫通)を可能にするには、とにかく、思っているよりもずと”後ろ”に立てるようにならなければならない。それは私が最近ひしひしと感じていることで、私自身の課題だ。目を引くのも顎を引くのも,含胸や塌腰、股関節を緩めるのも、軸をもっと後ろにするための要領だった・・・そう気づくまでにこんなに時間がかかってしまった。

 

 結局、姿勢が崩れてくるのは軸が前に寄ってしまうからだ。幼児の頃のまっすぐ立ち上がった姿勢、あの全身のバランスをとった姿勢が「周身一家」に必要だ。太極拳に欠かせない姿勢になる。

 赤ちゃんが立ち上がって二足歩行になるには大きなお腹に蓄えられた”気”(空間)が必要だった・・・丹田の気(腹圧)は、バランスをとってまっすぐ立つのに不可欠になる。

 

 受講している生徒さんからレッスンの録画リクエストがあったのでそうして見てみたら、私にも新たな発見がある。レッスンは一人一人の出来具合をみながら進むので、講義のように一直線には進まないが、紆余曲折を経てあるところまで連れて行っている感がある。

 「もっと後ろに立つ」という意味について文章で論理的に書くこともできるだろうけれど、レッスンでやっているようにいろいろな面からアプローチするしていくのが回り道のように見えて頭と体に浸透させる早道かと思うのです・・・

 

 ↓レッスンの一部抜粋 ①「もっと後ろで前に立つ」の前提お話

2023/3/14 <肩がなくなり鎖骨もなくなる・・・? 沈肩と含胸>

 

 ブログを書く時間がなくてしばらくとんでしまった。

 書くのが追いつかないので詳しい説明は割愛して要点だけ。

 

 前回、空手と太極拳の師、二人の画像を比較したが、そこで分かるのは、太極拳の「沈肩」は空手の肩のラインよりもさらに撫で肩だ、ということ。肩はなくなっていく。

 

 

 肩のラインの違いは、丹田の位置の違いでもある。

 空手の場合は(臍下丹田というけれども)胃のあたりにあるようだ。ウエストを回して打ったり蹴ったりする高く蹴るのが得意な拳は重心が高くなる。これに対し太極拳は受動的な拳。相手に攻めさせて引き込んでいくタイプだ。気を腹底に沈めることでブレない安定感を得る。「気沈丹田、ここにも「沈肩」と同じく「沈」が使われている。

<少し話を戻しますが>

 

←人間の肩はそもそも撫で肩。(うすい色のライン)

そして、鎖骨はまっすぐだ。

 

肩を下げると鎖骨はまっすぐに近くなる。

まずはここまで肩を下げれるようになることが大事。

世の中に出ている「鎖骨美人」の中には、→の怒り眉のような鎖骨が多い。(https://www.youtube.com/hashtag/%E9%8E%96%E9%AA%A8%E7%BE%8E%E4%BA%BA)

これは姿勢が正しくない証拠。(頭や首の位置が前すぎることが多々ある)

 では、右のようなまっすぐ一文字なら良いのか? といえば、ここまで骨が目立っているのも不自然。

 

 なんで不自然なんだろう? と理由を見つけようとしていたら、腰の王子の動画に当たりました。どんぴしゃ。

 

 

 

そういえば劉師父のデコルテ写真があった・・・と、探して見たら、やはり、鎖骨はあまり見えない。胸鎖関節のボッコリは全く見えない。もちろん撫で肩。

 

・・・この丸みのある身体は、空手の人の体型ではない。

 腰の王子も同じだ。(空)気を含んだ丸い赤ちゃんのような体に近くなる。

 

 王子が上の動画で言っているように、上部肋骨が動いて正常な位置に戻れば、鎖骨は浮き出てこなくなる。それで初めて、冒頭に載せた、人体模型のような骨格になる。鎖骨がまっすぐで肩がなめらかに下がった状態だ。

 

 そして、この状態から行うのが、「含胸」。

 肋骨を内側から引っ張って広げるような圧のかけ方になる。

 単に胸を後ろに引けば良い、というものではない。まさに「気を胸に含む」そんな感じ。

 

 「含胸」はとても理解し辛いのだけど、裏声で声を出そうとすると少し感覚が分かるかも。胸の中で”陰圧”がかかる感じだ。そのけっか、胸は後方へ引かれるようになる。

  これができてやっと背中と腰がつながり始める・・・

 

 

 

大谷翔平君のバッティングフォーム(https://youtu.be/074Ii2WE-3I)の中で、「含胸」をしているのは左の2枚の写真のあたりのところ。

 

 骨盤を回転させて腰を回転させた後、胸郭が回る時に「含胸」が必要になる。ここで「含胸」を維持できずに胸が開いてしまうと体が解けて最後まで打ち切ることができなくなってしまう。胸をぺちゃんこにして後ろに引くのではなく、胸の中で吸って(陰圧をかけて)後ろに引いている。

 

(参考)

陰圧は左図の吸気の図を参照。説明はhttps://www.kango-roo.com/learning/1619/#:~:text=%E8%82%BA%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E7%A9%BA%E6%B0%97%E3%81%AE%E5%87%BA%E5%85%A5%E3%82%8A,%E3%81%AF%E3%81%95%E3%82%89%E3%81%AB%E4%BD%8E%E3%81%8F%E3%81%AA%E3%82%8A%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82


 

 

2023/3/8 <太極拳と空手の肩の違いから学ぶ>

 

 続き

 

 では太極拳と空手における沈肩と含胸は同じか否か、違うとしたらどこが違うのか?

 

 まず、沈肩を「肩を下ろす」「肩を上げない」ということであれば、太極拳や空手に限らずそれは当然のこと。「肩が上がる」ということ自体が不自然で異常だからだ。

 「肩が上がっていない」という状態が普通だと捉えれば、「沈肩」というのはそれ以上に下がっている(沈んでいる)状態だ。

 

 空手界と太極拳界のレジェンドの二人の画像を比べてみました。

 ↓国際松濤館 金澤弘和宗家 と 馮志強老師

 

←まず二人の肖像写真。

肩のラインに違いがある

宗家は肩のラインがまっすぐ、馮老師は肩のラインがなだらかに落ちている(撫で肩)。

 

 

 

 


 ↑二人のポーズ

 やはり、太極拳と空手では肩のラインが違うのが分かる。

 

 空手の肩は全く上がっていない。

 が、太極拳の肩は、それ以上に落ちている。肩は丸みを帯びた撫で肩、肩と腕のつなぎめが分からない。

 

 腰の王子は、肩は”ない”のが理想、というが、馮老師の肩は本当にそうなっている。ほ

 どこまでが”肩”でどこからが”腕”か・・・肩と腕の境目が分からない。これが「節節貫通」「周身一家」の現れ。

 

←相撲と空手のイラスト。とてもよく特徴を捉えていると思う。

 

相撲は太極拳と同様、肩が”沈んでいる。

空手は、まっすぐ、だ。

 

そしてさらに下のようなラインが見えてこないだろうか・・・


 

馮老師の体は上のお相撲さんイラスト、もしくは左のような着ぐるみ(ロンパース)を着た赤ちゃんみたいだと思う。全身が一つにまとまっている。

たとえ腕で推しても、どこから力が出てきているのか分からない。全身がひとまとまりになってしまっているからだ。これが円や球を象徴とする太極拳の特徴だ。

 

これに対し空手は直線的だ。柔道や相撲のように相手の体に密着して転ばしたり倒したりすることがなく、パンチや蹴りなどの四肢の技に特化しているのが特徴だ。太極拳は相手と接近すればするほど優位になる。胴体の使い方に長けているからだ。そういう意味では柔道や相撲に近く、空手からは遠くなる。

 

 つまり、腕を胴体化しようとすると肩は”なくなる”方向になる。撫で肩になる。

 腕を腕として独立して使おうとすると肩がはっきりする。

 「沈肩」は肩がなくなっていくように肩を沈めていくことだ。

 「肩は下がったと思ってもまだ下がる」と師父はいうが、実際、丹田に気が溜まれば溜まるほど、肩はますます下がっていく。「沈肩」をしなければ「気沈丹田」ができない(気が丹田に沈まない)。そういう意味で、「沈肩」は「気沈丹田」の条件だ。

  が、しかし、丹田の気で肩を引き下ろさなければ、本当の意味で「沈肩」にはならない。そういう意味では、「気沈丹田」は「沈肩」の条件にもなっている。

  じゃあ、どうするのか? といえば、それはいつもの循環・・・

  まずできるだけ肩を下げて気を少しでもいいから丹田まで下げる。

  そして少し丹田に気が溜まったら、改めて、また肩を下ろせばいい。そしてさらに丹田に気をため、そしたら、また肩を下ろす。その繰り返し。ぐるぐる回る・・・これも太極拳的。

 

  ただ肩を下ろすくらいなら胸の操作はいらないが、肩がなくなって腕が胴体と一体化するように肩を沈めていくなら、「j含胸」が必要になってくる。「含胸」は肩が下りて、そしてさらに「沈めて」いく段階に必要になってくる。

 

  続きはまた書きます・・・

2023/3/5 <背骨を後ろに推す 空手・外家拳との違い>

 

 「含胸が足りない!」とこれまでどれだけ師父に言われたことか。

  最初はことあるごとに、「肩を下げろ!」と注意された。たとえ練習中はある程度沈肩ができていたとしても、練習が終わって油断すると忘れている。そんな時に不意打ちのように注意される。カフェで友達と喋っていると、沈肩が外れているのに気づく。そんな時期が随分長く続いた。

  沈肩がある程度癖づくようになったら、今度は「含胸」。これを定着させるのはなかなか難しい。

  今から10年ほど前だったと思うが、当時、私は師父に質問したのを覚えている。

 「あなたは常に沈肩と含胸をしているのですか?」と。

 これに対し師父は、「沈肩は問題ない。含胸は時々できていない。まだ努力がいる。」と答えた。

 師父が興奮して喋っている姿などを思い出すと、その時は「含胸」にはなっていない、と納得したりした。

 現在の師父は当時よりも「含胸」が常態化している。毎日1時間半以上のタントウ功を欠かさない師父でさえも、太極拳の要領を身体に落とし込んで平時からその状態にいられるようにするにはそれだけの年月が必要なんだと知る。

 

 <ここからが本題・・・>

 

 気を溜めるには「沈肩」が第一歩。これができないと丹田に気は溜められない。

 

 丹田に気が落ちない、降ろせない、ということは、前回のブログで書いた「背骨を後ろに押す」ということができない、ということだ。

 

 <<ここで前回のブログの補足>>

 

 背骨を後ろに押せないと、前に張り出す力が出てこない。

 太極拳で、前に打つ、とか、推す、というのは、基本的に相撲の突っ張りと同じような体の使い方だ。

 

 

 上の左は陳発科の弟子の潘詠周老師。(https://youtu.be/Lx7texf-YbE この動画は見てほしい)

 右は力士のてっぽう。

 二つの形、力の使い方がそっくりなのが見て取れるだろうか?

 背中を張り出しながら前方へと力を出す、そんな力の使い方だ。

 (体の内気を膨らませて力を出している)

 

 では、次に空手の突きを比べてみる。

 右は空手の中達也先生(https://youtu.be/d97sXCAgY68)

 

 2つの違いが分かるだろうか?

 

 

 太極拳と空手では力の出し方が違う。

 外形的には、背中が弓になっているのが太極拳。空手は背中がまっすぐだ。

 

 力の使い方としては

 前者は(丹田を広げて)内気で推している(打つ時も同じ)。

 後者は丹田を固めて筋力で打っている。

 

 空手のような力の出し方は少林拳や長拳のような外家拳的な体の使い方だ。これは”締めて”力を出す。まだ先天的な気の量の多い(体の空間の多い)若者的な体の使い方だ。もともと体の中にスペースがあるから”締めて”(息を止めてグッと踏ん張るような感じで)力を出せる。が、年齢が上がると体のスペースが減るので、このような体の使い方をしていると次第に故障が多くなる。外家拳の老師でもある程度の年齢になると内家拳的な体の使い方に転向するのはそのためだ。

 

 太極拳のような内家拳的な力の使い方は内気で力を出す。だから、内気を育てるのが第一条件になる。つまり、丹田の形成だ。

 丹田を拡げる=開、丹田を収縮する=合

 この『開合』を繰り返すことにより、丹田で内気を煉っていく。

 これが太極拳の核心だ。打つ時は<開>だが、そのためには、その前にしっかり<合>ができていなければならない。この膨らみ縮み=開合が分かるか否かが太極拳に入門できるか否かを決定する。

 

 (但し、現在普及している太極拳の多くは上の空手的な体の使い方をしています。特に大会で競技としてやられているものは、「太極拳」と銘打っていても、実態は外家拳だ。アクロバティック的なものは間違いなく太極拳とは別物。実際、内気を使って動くと、観客が感動するようなアクロバティックな動きは出てこない。もっと自然な地味な動きになる。内気を育てて使う練習をしているうちに、その地味な動きの中に凄さを見ることができるようになってくるから不思議・・・目が肥えてきます!)

 

<ここで話を戻していきます・・・>

  

 最初に書いていた、「沈肩、そして「含胸」の話。

 では、太極拳と空手において、「沈肩」と「含胸」に差異はあるだろうか?

 

 続く

 

  

2023/2/27

 

  何で後ろで立たなければならないのだろう?

 私自身はっきり頭で理解しているわけではなかった。

 ただ、そうしないと身体が”繋がらない。力がうまく伝達できない。

 背骨が使えない。

 

 幼稚園生はまだ真っ直ぐ後ろで立っている。猫背や前肩の子を見た記憶がない。

 小学生になると次第に前肩の子が増えてくる。大きなランドセルをしょって猫背になって歩いている子も出てくる。ゲームにはまって首が曲がって近視になっている子もいる。

 私自身の記憶を辿ると、中学生の時に授業中、手をどこに置いておけばよいのか分からなくなった思い出がある。ノートをとっている時はよいにしても、ただ先生の話を聞いている時に両手をどうしてよいのか分からなくなったのだ。その時の記憶はとても鮮明なのだが、どうしてそんなことが気に掛かったのかずっと分からなかった。が、太極拳の練習を進めていく内にその理由が分かった。つまり、あの時期に私の身体は既に『周身一家』を失って前肩になってしまっていたのだ。

 前肩になると腕が胴体(胸)から離れてしまう。腕がぶらぶらしてしまって収まりが悪くなる。卓球を無我夢中でやっていた頃だ。当時はただ勝てば良い、という練習だった。 そのうちその前肩が固定して気にならなくなるのだが、体の歪み(癖)はそこから次第に蓄積されていった。大学生の時、足の親指に力が入らなくなって卓球をもうやめようと思った。外反母趾だ。やはり卓球で正しい身体の使い方をしていなかったのが原因(外反母趾は靴の問題ではありません!)。

 

 それでも運動は好きでその後もいろいろやったが、太極拳を本格的にやるうちに、結局、この練習は、それまでの歪みや癖を取り除こうとしているのではないかと気づいた。

 腰の王子は「身体開発」とか「身体のゼロポジションを取り戻す」という。太極拳の無極は「ゼロポジション」のイメージだし、太極は「身体開発」のイメージだろう。結局、「周身一家」、全身が連動して一つとなる、ということだ。それには、歪みをとる必要がある。達人とは、歪さのない人をさすのだろう。達人は曲芸師ではない。

 

  そして最初の質問に戻る。

 「何で後ろで立たなければならないのか?」

 

 まず、「後ろで立てないと身体は連動しない。」

 これを裏返すと、「後ろで立っていない人は歪な体の使い方をしている。」ということ。

 全身を満遍なく使っていない(特に背骨を使えていないのが致命的)ため、どこかに過度な負担をかけて立っている。

 大人で頭が理想的な場所にある人はほとんどいない。(私も不完全)正しい位置に置いていれば、首こり肩こりはない。師父や腰の王子などは肩こりゼロ。肩が凝っている時点で身体に歪みがある。

 

 このあたりまでは分かっていたことだが、今週生徒さんたちを教えながら発見したことがあった。この発見↓は我ながらすごいと思う(笑)

 

 なぜ幼児はみな後ろで立っているのか?

 それは、四つ足から二足歩行になったばかりだから。

 

  上の図を見て想像できるだろうか?

  自分がしゃがんで雑巾掛けをしていて立ち上がるところを観察しても分かると思う。

  四つ足の上体から立ち上がるには、お腹側から背骨を押さなければならない。

  背中の筋肉だけでは起き上がれないのだ。

  つまり、腹圧で背骨を推すことで2本足で立ち上がれる、ということだ。

  

 (チーターが走る時に背骨を畝らせるのも、背骨を動かしているのではなくて、腹が背骨を動かしているということ。背骨は腹で操作する!背骨は決して背中側から操作しません。)

 

  私の祖母は腰が随分曲がってしまって最後は乳母車を押して歩いていたが、腰が曲がってしまうのは背骨が曲がってしまったのではなくて、腹圧が足りなくなってしまった、ということだろう。

  幼児はまだ二足歩行になった時のバランスで立っている。大きなお腹は”腹圧”だ。

  そのうち、腹圧のかわりに、背筋やその他の筋肉で背骨を立てられるようになる。背骨自体ではなく筋肉に頼って立ち始めると体の統一感が失われ歪さが出始める。

 

 

 

 

 

太極拳の練習ではまず腹に気を溜めて腹圧の素を作る(丹田)。

そして丹田(腹圧)で背骨を後方に推す。

これによって”ゼロポジション”、本来の立位のバランスを取り戻す。

周身一体に近づく。

 

 

そして作り出されるのが

左の図のような力だ。

 

体が膨らんだようになるのは、後ろに張り出す力に対抗するような前に張り出す力が生まれてくるから。

これが太極拳の体の使い方の基本になる。

中正が常に保たれる理由がここにある。

 

前方に拳を出す時、ジーをする時、リューをする時、アンをする時、いつも背面は「撑」:張り出している。常に「对拉」:引っ張り合いの力が働く。

 

 

 

体の歪みは腹が背骨を推す力が失われることから始まる。

膝が痛くなるのも腰が悪くなるのも、背骨を後ろに推す力の喪失が大元の原因だ。これに気づかず、あるとき、故障に気づく。

 

 本当に体を調整したければ、まずは背骨を後ろに推す、その推す力を育てることだ。

 私自身、そうやって少しずつ調整してきた。

 時間はかかるが、身につければ一生ものだ。

 左は師父。右は一般的に良い姿勢と言われる基準で作った姿勢(https://ar-ex.jp/ueda/647219715501/%E6%AD%A3%E3%81%97%E3%81%84%E5%A7%BF%E5%8B%A2%E3%81%A8%E3%81%AF)。

 

 師父の立ち方は背骨を後ろに推して腹圧を高めているのが分かるだろうか?

 気が足に落ちていて、どっしりしているのに地面に浮かんでいるようにも見えたりする。

 体の使い方が上手なアスリートたちも同様な立ち方をしている。

 

 右側の良い姿勢は体がこわばっていてすぐに動ける姿勢ではない。

 体の中には空間(=気)が必要だ。

2023/2/25 <後ろで立つ、を教える難しさ>

 

  今回の動画で私が言いたかったのは、いかに私達が<前に立ち過ぎている>のか、ということ。<前に立ち過ぎている>というのは、<脚だけで立っている>ということ。二足歩行の私達の理想的な立ち方は、<背骨を使って立つ>ことだ。

 

  結局、そんな立ち方ができてしまえば、太極拳の核心部分ができてしまう。掤、捋、挤、按、采、挒、肘、靠の八法もすぐにできるだろう。逆に言えば、そんな立ち方ができないならば、八法も中途半端だし、技もかからないだろう。だから、そんな立ち方ができるようになるためにタントウ功や坐禅をするのだ。内功も必要になるのだ。というのは、内気が少ないと(体が膨らんでいないと=体がポンしていないと)<背骨を使って立てない>からだ。

  ・・・このあたりが、今回動画を撮ったり生徒さんに教えたりしながら私自身が気づいたことだ。私もまだ完全に後ろで立てていない。不完全だけれども、ゴールが見えている。生徒さんたちはまだ、なぜもっと後ろで立てなければいけないのか、という理由がわかっていない。私も「もっと後ろ!」と何度も言われたけれど、当時はそれがなぜか分かっていなかった。「もっと後ろ!」と言われ続けて、あるところから「もっと前だ!」と言われたりする。なぜそう注意されるのか分からない、そんな時期があった。が、振り返ってみると、ある程度「それ』ができるようになってからでないと、「そう」することの意味を教わっても理解し難いのだと思う。頭で理解するのではなくて、腑に落ちるところまでくるには、何らかの体感が必要になるだろう。

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 太極拳の基本要領、虚灵顶劲,含胸拔背塌腰,沉肩坠肘松腕垂指,曲膝园裆松胯 ・・・などの要領は<背骨を使って立つ>ためのガイドラインになる。

 

 さて、<脚で立つ>のと<背骨で立つ>のはどう違うのか?

 これについては生徒さんたちに長座をしてもらって、そこから脚を上げてもらうとある理解が生まれる。

 

長座の姿勢で脚を上げてもらう(片脚でかまいません)。

胴体を動かさずに脚だけ持ち上げることはできるだろうか?できない(はず)。そうするなら左上の画像のように手で捕まえておく必要がある。

 

 もし手を使わないで片足をあげようとするなら、左下画像のように、胴体は後ろにスライドさせる必要がある。

 このとき、どこで脚を上げているのか、自分で確認するといい。(両足を上げると腹筋ばかりが強調されるので片足でやるのがおすすめ。足先は軽く伸ばしていた方が股関節が緩んで脚が上がりやすい。)

 きっと仙骨や腰椎を使って脚を上げているのが確認できるはず。これがポイントだ。脚は少なくとも、腰椎から使う。踵から腰椎までを脚にして立つ。これが、<命門を開けて立つ>という意味だ。背骨を弓にする時の大事な要領になる。

 

 


 

  腰椎や仙骨は背骨の一部だ。ここから脚にして立てれば、すでに背骨の一部で立っていることになる。腰椎より上の胸椎や頚椎も脚に繋げるには胸郭や腕、肩、頭の位置の調整がいるが、それは一歩一歩進んでいく。まずは、腰椎を脚にする必要がある。

 

 

 

  書くと難しそうだが、私達は皆そうやって立っていたはずなのだ。立ち上がったばかりは筋力がないので、そうやって全身を繋いでバランスをとらないと立てなかった。

 

  ←後頭部から踵まで一直線!

 歩く時に軸脚の膝が伸びて、脚が突っ張っているのがわかる。

 欧米人は日本人よりも後ろに立っている。

 (というより、日本人は膝が曲がって脚が弛んでしまっている。前肩、上体が前に出てしまいがち。)

 

 しっかり後ろに立てると肩も開いて首も立つようになる。

 

 

 

 

  現在週一回行っているオンラインのグループレッスンには様々な地域から太極拳を学んでいる4人が参加している。4人の相性もよく、レッスンを始めてから1年が過ぎ、4人それぞれの課題もはっきりしてきた。が、やはり、共通して言えるのは、この立ち位置が甘いこと。ここをクリアせずに24式、48式、刀や剣・・・とやっていってもどこか何か足りない気がする・・・そんなことに薄々気づいているからこそ私のところに来てレッスンを受けてくれているのだと思う。ただ套路の形を学ぶだけだと物足りなくなる、その時に見直すべきなのは、この立ち方だ。

 

 

 今週のレッスンではその立ち位置について皆の反応を見ながらいろんな角度から教えてみた。いろんなことをしてもらった。果たしてどのくらい伝わったのだろうか?と少し不安だった。

 そしてレッスン後、みなとみらいのショッピングモールで等身大の野球選手のボード(→画像)に遭遇。早速この写真を4人の生徒さんに送って見てもらった。どんな反応があるかしら?と。

 

  すると、生徒さんたちから、「分かります、後ろですね。」「ほんと、後ろで立ってますね!」というメッセージが。

  ああ、それが見えるならレッスンは成功。見える、というのは本当に分かっている証拠。レッスンでいろんなことをやらせた甲斐があったというもの。言葉や図で説明してもなかなか腑に落ちない。ああ、これが(私の言っていた)<後ろ>の意味なんだ、と分かるということは、そのイメージがしっかり脳に刻まれているということ。たとえ今の自分がそうでなくても、見えれば進んでいく方向がはっきりする。(ちなみに、一流のアスリートはみな後ろで立っています。)

 私自身がなかなか分からなかった部分だから、ブログや一方的な動画だけでは分かってもらいにくいかもしれません。やはり、そのあたりが、手取り足取りのレッスンが必要になるところなのかも。

 とはいいながら、もし、私の動画や文章で腑に落ちてしまう人もいるのかもしれない・・・とほんのり期待して書いています(続く)

2023/2/24

 

  続きの動画をアップしました。

 重心移動を説明しています。

2023/2/22

 

  最近のブログに関して動画を撮りました。まず前半。

2023/2/21

 

 どこで軸脚が蹴り足に転換するのか? (そもそも、軸脚と蹴り足が常に存在しているのだろうか?)

  (執筆途中です)

  下のように分析すると陰陽分明している重心移動とそうでないものとの違いが理解できるかと思います。(拡大して見て下さい。)

 

 結局、陰陽分明している(軸脚と蹴り足が常に存在している)ためには、頭頂から脚が繋がっている必要があるのが分かります。(頭頂まで勁が達している必要がある)

 脚を腿から使っていてはダメだということ。

 ほとんどの大人が腿から振り出して歩いているという現状。そこから変える必要がある。

 脚は胴体で操る。まずは丹田(あるいは腰:骨盤ではなく、背中)から脚を使う癖をつけるのが大事→丹田回しで歩く練習は有効

2023/2/18 <歩き方から学ぶ その3>

 

  太極拳の重心移動は『虚実分明』で、それがはっきりしないのを『双重の病』と言う。文字にすると抽象的だが、昨日の動画の説明のように常時動きながらボールを蹴るサッカー選手の歩き方から説明するととても理解しやすいと思う。

  

  いつでも脚が使えるようにしておく、という点ではサッカーも太極拳も同じ。特に太極拳は腿法が豊富で、套路の中にも腿法が潜んでいる。虚歩が蹴りの隠れた姿だというのは分かりやすいが、そのほかにも、膝のひっかけ、膝や胯、臀のカオ(体当たり)などもある(と言っても私が知っているのもその一部)。腿法を学ぶには一式一式その招数を学ぶ必要がある。24式で学ぶ前後や左右の重心移動は腿法の基礎になるが、それだけでは『虚実分明』がはっきりとは分からない。48式や46式でさまざまな腿法を学ぶことで重心移動が実は全身の話だと分かってくる・・・(参考:11の腿法 太極拳の蹴りは常に相手を掴んでいるのが分かります。 太極拳は接近戦。 李小龍のような華やかな蹴りではない・・・ https://mp.weixin.qq.com/s?__biz=MzI5MTAzMDYzNQ==&mid=2650419672&idx=2&sn=e83af902da647ed7fe13d9b5f5879118&chksm=f41842dcc36fcbca196080a1881bd8518d2372ff1a1b4f4c78296badcf6dadf74201b06a28b5&scene=27

 

  蹴りやジャンプ(跳)の面白さは、蹴りの練習をすることで上半身の使い方がうまくなることだ。

 腕を含めた上半身の助けなしには蹴りやジャンプはできない。

 上半身と下半身が一体になって動くことを最初に実感できるのは蹴りやジャンプだ。

 腕は簡単に腕だけで動かせてしまうので、パンチ(打)やジーが下半身の助けなしにはできないという実感はなかなか生まれない。

 『虚実分明』が必須となる蹴りやジャンプの練習を通ることで、シンプルな前後左右の重心移動が上手になるのかもしれない。軸脚と蹴り脚、それがはっきりとした重心移動には全身の繋がりが必要だと気づいた時、「ああ、だから、『気沈丹田』なのだ」と悟るだろう・・・結局タントウ功に戻る。

 

 タントウ功が続きにくいのは、それが何の役に立つのかなかなか分からないからだろう。「タントウ功で丹田に気を溜めて任脈督脈を開通させる」、と言っても何らかの実感が生まれるまでにかなり時間がかかる。私が生徒さんたちを教えてきた経験からすると2年から2年半で内側の感覚がしっかりするようだ。丹田や気の感覚については、半年もかからずに得ることができるだろう。私のところに習いに来た時には「丹田って何ですか?」と聞いていた人も、そのうち、そんな質問はしなくなる。私がからかって「丹田って何?」と逆に質問したりするとにたにたしている。言葉にはできなくても分かっているのが分かる。「電気って何ですか?」と大学時代、理系の先輩に聞いたら「嫌な質問をするなぁ〜」と言って答えてくれなかった。丹田も電気も、言葉で説明できなくても使えればいい。「気」も然り。

 「丹田を回せ!」とか「気が上がってる、気を降ろせ!」とか、「丹田」や「気」が分からない私に最初から言っていたが、頭で分からなくても”そんな風に”やっているうちに何となく分かって来る。分からなくても使おうとしているうちに使えるようになるから面白い。

 

 話がなんだか外れてしまったが、昨日のブログを書いたあと、思い出したことがあった。

それは、これまで数回あった感覚。道を歩いている時に、「ああ、これなら水の上を歩ける!」という感覚になった経験。あれは軸脚と蹴り脚が完全に分離していたから起こった感覚に違いない(普段はそんな風には歩けていません)。思い出せば、その時は腹の底まで気が落ちていた。左足と右足の踏み方が、足踏みミシンがうまく進んだ時のようだ、と思った記憶もある。左右の脚がくっついて連動しつつ、右足が水面(実際には地面)を踏んで右足が沈みそうになる前に右足は上がって左足着地に変わっている。片方の足が沈む前にもう片方に変わっていれば水の上を歩けるのではないか?と真剣に思ったほど。キリストを含め中国の仙人も水の上を歩いたという逸話があるけれど、修行者なら歩けるのかも???

 

 と、最後に話を昨日に戻して。

 師父に下の三人の画像を見せてコメントをもらったので記しておきます。

 

 私が馮老師と呉英華老師の歩き方が似ている、と言った所、師父は、「似ているが、呉英華老師の前胯(鼠蹊部)は放松していない。馮老師は前胯も放松している。」と指摘してきました。よく見れば、確かにそう。

 ならば、メッシはどうだろう?と見たら、さすば、前胯が馮老師のように放松していました。師父も、メッシは馮老師と同じく胯が放松している、とコメント。

 

 そういえば前胯(鼠蹊部)の放松を鼠蹊部を折り込むことだと勘違いしている生徒さんがいました・・・前胯の放松とはどういうものか、ということを上の画像から理解できると良いですが。

2023/2/17 <歩き方から学ぶこと その2>

 

  前回紹介したcの歩き方のどこが凄いのか、それは様々な角度から説明できるのだが、今回ありありと見えたのは、歩きが<”蹴り”の連続>になっているということだった。

 

 蹴りの原点は提膝。

 提膝の準備が整えばそこからどんな蹴り技も繰り出せる。

 

吴英华老師の場合、左の画像の時に提膝の準備ができている。

つまり、前の右足にしっかり体が乗っているので、後ろの左脚はこのまま膝蹴り(提膝)ができるし、膝蹴りを通り越して前方への蹬脚でも擦脚·でも可能な状態だ。

 

右脚が軸脚、左脚が蹴り脚。

すなわち、右脚が実、左脚が虚だ。

もし後ろの左脚が提膝をせずにそのまま前に出したところで止まれば、それは「虚歩」になる。

「虚歩」は蹴りを隠している形だ、と言われるのはそのためだ。

 

 この吴英华老師の画像の体勢から、膝蹴りが来るのか、虚歩で止まるのか、はたまた、前方への蹴りが来るのか、あるいは、単純に歩いてくるのか、それは予想できない。

 それは太極拳の歩法の秀でたところであり、『中正不偏』の身体と基礎に『虚実分明』の重心移動をするところからもたらされるものだ。

私達一般人の歩き方と比べてみると『虚実分明』の意味がはっきりするだろう。

 

例えば左の画像の場合、①はどっちが軸脚でどっちが蹴り脚かがはっきりしない。後脚で蹴れる感じがしないし、前脚も蹴った後とは思えない。軸足がどちらにもない。

 ②では前の右脚に体重が乗っているようだが、この状態では左脚で蹴ることはできない。というのは、体重がまだしっかり前の右脚に乗っていないからだ。つまり、ここでも軸脚と蹴り脚が作られていない。

③になると、しっかり前の右脚に体重がのったが、左脚は蹴る状態を逸している。ここから蹴ろうとしてもせいぜい膝を伸ばすことくらいしかできない。膝蹴りができない、ということは蹴ることはできない。

 

  ・・・ここまで書いて、私の説明がピンとこない人がいるかも?と不安になり、、サッカー選手なら吴英华老師のように歩くはず!、と調べたら、同じような説明をしている動画を見つけました!

  下の動画をサッと見てもらえば、太極拳の歩き方『虚実分明』が理解できるはず。

 

 動画の中で<スイッチ>と言われる瞬間が陰陽転換の時点。

 軸脚と蹴り足は左の陰陽図のように変化します。

 

 

 

 サッカー選手は走りながら蹴れなければならない人たちだから、重心移動の『虚実分明』は自然に身体の中に刻み込まれているのだろう。

 一見なんてことのない歩き方だが、真似をしようとするとできない(はず)。

 

メッシは左の体勢でもう蹴れる状態。

前足が着地して後ろ足の踵が少しだけ持ち上がった、前後の足の距離があるところで、もうしっかりと身体の重心は前足に降りている。

 

これは気を股間近くまで沈めて、裆を使って歩いている証拠。要は园裆のまま歩いている。

サッカーボールを蹴るには园裆はマスト。

园裆をしないで股関節から振り子のように脚をつかって蹴ると、はないちもんめ、のようになってしまいます・・・

 

  

ここで再度、吴英华老師に戻ります。

見方が少し変わっていれば良いですが。

2023/2/13 <歩き方から学ぶこと その1>

 

  昨日の吴英华老師の歩き方はどこかで見た馮老師の歩き方と似ていると思ったので、早速調べてみた。

  

 街で見かける歩き方とどこが違うか分かるだろうか?

 

 決定的な違いは、両足が前後になった状態での重心移動の仕方だ。

 驚くことに、馮老師と吴英华老師の足の運び方は全く同じだった。

 

 ①前に出た右足の踵が着地し(この時に後ろの左足裏はべったり地面に貼り付いていることに注意!

 ②それから前の右足裏がついた時に後ろの左足踵が上がり

 ③右足裏に完全に踏み込んだ時に後ろの左足はつま先になり

 ④左足が前に運ばれる

 

 この重心移動は運手(雲手)の両足を交差させる時のものと同じだ。

 

 普通街で見かけるのはというと

 3人サンプルをとったが、どれも両足の真ん中に重心はなく、1段目と2段目は身体の前の方に、3段目は身体の後ろの方に重心がある。

 

 つまり、馮老師や吴英华老師老師は常に身体の重心を頭頂から会陰を結ぶラインに保っているということだ。

 両足が交差する時にそれを保つには円裆が必要になる。

 逆に言えば、一般の大人は歩く時に裆を使えないから重心を真ん中に落とせず、腿や膝に乗ってしまう。

 

 上に注意書きを書いた通り、

 ①前足の踵が着地した時に、後ろ足が地面から浮かずにしっかりと地面を押している

というのが馮老師と吴英华老師。

 普通の大人は、後ろ足がぎりぎりまで突っ張っていられず浮いてしまう(地面から離れてしまう)。しかし、太極拳では『中正不偏』、馮老師や吴英华老師のような身体の使い方が求められる。

 

 馮老師や吴英华老師のように歩くには、上半身と下半身を繋げて一つにする必要がある。

 私たち大人の問題点は、脚で歩いてしまうことだ。

 おそらく私たちが幼かった頃は”脚で”歩く意識はなかっただろう・・・

 身体意識が変わるような身体を作れるかどうか、このあたりが太極拳の練習の奥深さかだと思う。

2023/2/12 <吴英华老師の内勁とその歩き方>

 

  太極拳の五大流派といえば「陈 杨 吴 武 孙」。 原点は陳式だがそれが枝分かれしていった。

  その中の呉式太極拳を少し覗いていたら、とても珍しい動画を見つけた。

  呉式太極拳宗師・吴鉴泉の長女の吴英华老師。

  伝わるところによると、吴鉴泉の弟子の中でもこの長女が抜群に秀でていたらしい。

  

  女性ですばらしい老師がいるというのはとても嬉しい。

  

  吴英华老師の動画はyoutubeにもいくつかアップされているが、私が見て感動したのは、同老師87歳の時の演武。(https://haokan.baidu.com/v?pd=wisenatural&vid=4686344035614015183)

 

  

   内勁がしっかりしているのが良く分かる拳。

 この体の内側を貫く内勁が太極拳の実態だけれども、現在普及している太極拳ではこの内勁が失われてしまった。外側の筋肉ではないところで出てくる力。内側の気、エネルギーの流れだ。

 

 上の吴英华老師の動きを見ていると、いつの間にか老師の息遣いにつられてこないだろうか? 息が細く長くなってしまうよう。静けさの中に力強さがある。どこか日本の能の動きを感じさせないだろうか。

 

 足から指先まで貫く勁。息を丁寧に通し内側の勁を操っている様が見られる。どこにも余分な動きがなく、内側の勁だけで動いている・・・

 

 

 現代の老師たちと比べると違いが良く分かるだろう。

 (右側:https://youtu.be/vNydJye8bnY)

 

 吴英华老師は内側の勁だけで動いている。それを見てから、右側の老師の動きを見ると、どこか雑な感じがする。その雑な感じは内側の勁とは無関係に体を動かしているところからくる。単鞭で左手を開くところなどは、手だけで動いているように見える。

 

(少し細かく分析)

吴英华老師の場合は足裏から手まで繋がる体の陰(前面)、陽(背面)の経をすべて繋いでいる。勁は前面背面で囲まれた中を通ることになる。

 

これに対し、上の右側の老師は、腕を動かす時に前面だけつかっている。背面の経が使えていない(膀胱系、胆経など)。背中の弓ができていないのがその原因だが、だから吴英华老師のように踵の力が脹脛を伝って頭や手まで貫通しない。

 

 体の前面だけを使って腕を動かしてもは作れない。

 勁には通り道が必要だ。通り道は空間、前後左右に撑(もしくはポン)して初めて通り道ができる。勁は息とともにその空間の中を押し出されていく。

 

 もう一つ注目すべきは、吴英华老師の膝下から足裏までの動き。

 全くスキがない。比べると右側の老師のスネから下は”流れて”しまっている。これでは足で勁を押し出すことができない。

 

 このくらいしっかりした動きを見ると、私自身もまだまだだと思う。

 太極拳を学ぶ目的は人それぞれだかもしれないが、ただ長生きするのではなく、死ぬ間際まで脳と身体がしっかり動き続けられたらと思うのは皆同じだろう。

 

 実は、吴英华老師の動画で一番感動したのは、最初の登場した時の歩き方だった。

 おっと、この老師は只者でない。そう思って続きの演武を見たのでした。

 演武後の歩き姿も然り。

 

 

←このように、足が前へ前へ、と運ばれる歩き方は今日の御苑のレッスンで生徒さんたちに教えたばかり。

足が後ろに流れない。(普通の人の歩き方とどこか違うのは分かると思います。)

この歩き方が虚歩、膝蹴り(提膝)の基本になります

馮老師や劉師父もそのような歩き方。

この歩き方を女性の老師がやっているのをみると私も勇気が湧いてきます。練習を続ける価値がある!

 

この歩き方についてはまたどこかで解説します。

 

 

2023/2/10 

 

   昨日最後に書いた『前去之中,必有后撑』について。

     <前方に行く時は必ず後ろに突っ張る>

  

  この原理は、太極拳のシンボルである円や球を考えれば理解しやすいだろう。

 

簡単に描けば左のような向かい合う点同士の引っ張り合いの力。

これが球なら、このような引っ張り合いの無数の線が、『棚』(peng ポン)の力になる。

私たちの体を膨らませている力だ。(広義のポン。狭義のポンは下から上に向かう力を指します。)

このポンの力は歳とともに失われていくから丹田に気を溜めてポンの力を補充する・・・というのが静功の役割。

 

  そして、この引っ張り合いの力(対拉)は太極拳の体の使い方の中に常に存在している。

.

 

  右は挤をしているところだが、体が前方へ移動し手が前に出て行くとともに、それに対抗するように背中側が後ろ側に突っ張るようになっている。

 これが

 『前去之中,必有后撑』だ。

 

 

 勘が良い人は気づいたかもしれないが、これは実は丹田に気を沈める時に背骨が弓になることによって起こる現象。息を通しながら含胸・抜背・塌腰などをやって园裆になる必要がある。

 

 前去之中,必有后撑は別に太極拳に限った原理ではなくて、パフォーマンスの優れている選手の動きにもみることができる。 

 

例えば先月のブログで使ったメッシの画像。

足が前に出る時に、背中が後ろに張り出して前後の対拉を作り出していることが分かる。

 

サッカーの選手なら誰でもそうなっているのかとその時に使った別の画像を見てみたら・・・

  確か上の画像はメッシ本人と、メッシの蹴り方を分析して真似をしていたサッカー選手のものだったはずだが、横から見ると体のラインに随分差があるのが分かる。

  メッシは 『前去之中,必有后撑』が徹底している。前後の引っ張り合いが強い。

  比較すると右側の選手は后撑(後ろ側への張り出し)ができていない。

  この体勢で后撑をするのはとても大変なはず。前に蹴りだしたくてどうしても体全体が前に出て行ってしまう。それを内気でぐっと堪えて後方に体を残す。それがコントロールの良さと威力の大きさに繋がる。

  

  内側でぐっと堪えて体が前方に行ってしまうのを抑えるような力の使い方は、私自身、卓球をやっていた時に随分躾けられたもの。ボールをしっかり引きつけてから打つ。打つ瞬間もまだ溜めがどこかに残っている。この状態を外からみれば、『前去之中,必有后撑』になるだろう。野球のバッテイングやゴルウのストロークも同じ原理のはず。

 

ここで昨日の画像を再度見てみる。

左の二人は手は前方へ、背中は後ろへ張り出し、前後の対拉(引っ張り合い、突っ張り)ができている。

それに対し、これら二枚の画像では、背中の張り出しが全くなく、前後の引っ張り合いが全くない。

 

特に顕著なのは、二人の手だ。

腕、手が前方に張り出すことなく、何の意味もなく前に置かれている。

手先が幽霊のようなのは手先まで勁が達していない証拠。手を放松するのは手に気を通すためだが、膝を上げる時には同時に少なくとも肘までは気が通るようにしたいもの。膝をあげると時に気沈丹田をして含胸・抜背・塌腰をしていけば、おのずから連動がかかるようになる(外三合:肩とクワ、肘と膝、手と足の連動がおのずからできるということ)。

 

  メッシの画像でも分かるが、足が前方に蹴ろうとする時は同時に両手も突っ張るようになる。太極拳であれば、蹴りとジー、蹴りとリュー、蹴りと打、は同時に行われる。足と手は引っ張り合いになって連動する。至る所で引っ張り合いの力がはたらく。冒頭の『棚』の原理だ。

 

 メッシの画像を見ると動的な勢いを感じる。上の馮老師の提膝の画像では内側の勢いを感じはず。

が、左の二枚には勢いが感じられない。それは冒頭に書いた『棚』の力が見られないからだ。勢力は太極拳ではとても大事だ。

右側の馮老師の画像の中の矢印は内側の勁の流れ。

突っ張り合いの勁はおおまかな3本しか書かなかったが、其の他にもある。

 

対して、左側の女性の内側には勁がなく、ただ、太腿の筋肉を上げた力だけが見える。頭頂と軸足の間にも引っ張り合いがない・・・ だから軸足がビシッと馮老師のようなにキマらない。頂勁がないという言い方もできる。

 (ここからは、生徒さんをどう教えれば良いかなぁ〜、と思いながらの独り言・・・)

  まずは頭頂と足裏を結ぶ線の引っ張り合いを作らないと(=頂勁を作らないと)、『前去之中,必有后撑』や外三合は難しいかなぁ。逆に言えば大まかにでも頭頂から足裏の引っ張り合いのライン(体の縦軸ライン)が作れるようになれば、その他のことがそんなに苦労せずにできてしまうということ。結局師父の言うようにタントウ功が回り道のようで近道なのか?

 

 膝上げで見たことを摆莲に当てはめても同じです。

  左端と真ん中は后撑(後ろへの突っ張り)がない→脚の筋力で脚を上げている。脚上げに過ぎず蹴りにならない。

  右端は后撑を意識している。前後の引っ張り合いがある。頭頂と足裏の対拉。蹴りになる。

 

  基本的な挤(ジー)でも見方は同じです。

 

左は先月のブログで使った画像ですが、どれも后撑がなく太極拳の球(棚劲)がどこにも感じられないのが違和感の原因でしょう。

 

上二枚は背中に力が入り過ぎていて、后撑にならない。

下二枚は背中が緩すぎて(無意識すぎて)そもそも使えていない。

2023/2/9 <膝上げか腿上げか?>

 

 昨日のグループオンラインレッスンでは一人の生徒さんから摆莲など、蹴り技について質問があった。蹴る時に膝が伸びないという悩みだった。

 実践的には膝が伸びきってしまうことはなく、教室で先生から膝を伸ばすように注意を受けたとしたらそれは「内側の勁をちゃんと足先末端まで届かせなさい」ということだろうと私は思う。ただ膝を伸ばせば蹴りになる、というものではないからだ。

 膝がたとえ伸びたとしても、内側で勁が踵、足先まで貫通していなければ蹴りにはならない。ただ外形的に脚を上げたとしたらそれは脚を上げただけ。バレエなどの舞踏の上げ方になる。

 蹴りには威力が必要だ。その威力は内側の勁から生まれる。本当に蹴る意、蹴る気が必要だ。それが全身を貫通して足まで達して蹴りになる。脚や足を上げようという気持ちでは最初からダメだということだ。

 正しい意から正しい気の流れが生まれ、それは全身の伸縮(開合)によって勁として全身を貫通することになる。

 

 まず、蹴りの基本は『提膝』(膝蹴り)。

 ここからちゃんと理解すべきだ。

 

 

 多くの人が”膝”ではなく”太もも”を持ち上げている・・・

 

 

←左のような上げ方は、太極拳のいうところの『提膝』ではない。

太腿を持ち上げているだけだ。

これでは膝で蹴れない。

同様に、この体勢で膝を上げようとしていくと、上と同じく腿上げになってしまう。

 

↓下の4枚の画像

 

どれが”腿上げ”で、どれが”膝蹴り”だろうか?

 

←『提膝』のトレーニングとして、左のような体勢で膝に手を置いたまま数秒間”頑張る”というものを紹介している動画もある。

 

この”頑張る”というのは太腿を固くしてブルブルするのを頑張るということだと思うが、本来の膝蹴り(提膝)は太腿の筋肉は固まらない。伸びている。丹田の力が必要なだけで、別にどこも大変ではない(放松していられる)。

 

腿上げのまずいところは、腿の筋肉を硬直させているから、膝蹴りが躱された時に咄嗟に膝を伸ばして足で蹴ることができなくなることだ。実践的に練習している人は腿を固めて膝蹴りをすることはあり得ない。腿を固めて提膝をするのは表演用の太極拳や太極拳を体操(=四肢運動)として練習する人にありがちだ。

 

 外形だけで膝を上げようとすると腿上げになる。

 内側で膝をちゃんと探しあててから、”膝”を上げる必要がある。

 太極拳では特に、関節を探してそこを動かせるようにすることが重要だ。おおざっぱに身体を使うと使っていると思っている部分と実際に使っている部分に差異がでるので注意が必要だ。

 

  ともあれ、画像を見て、これが腿上げでこれが膝上げ、と大体わかってしまうのは、内側の勁の流れのあるなしが外形に現れているからだ。(時に微妙なのがあって、その場合は実際に動いているのを見なければならなかったりもする。)

 

  ここで、最近師父から学んだ、大事な太極拳(だけでなく中国武術全般)の原理を紹介したい。

  それは『前去之中必有后撑』

  「前に行く時には必ず後ろが張り出している」

  という原理だ。

 

  この原理を物差しとして使えば、上の腿上げと膝上げも簡単に見分けられるようになる・・・(続く)

2023/2/6 

 

  裆について動画を出したが、裆は胴体の底、小周天の底の部分、任脈と督脈の連結部分だ。動画では何種類かの動きをつかってこの部分を使う方法を紹介したが、実際にはタントウ功で丹田に気を溜めて裆まで開通させる、というのが昔から伝わる周天の方法だ。内気をそこに導くことができるようになれば使うのはとても容易だ。

  

 結論としては、裆を使うには気をそこまで下ろす必要がある、ということ。これが胴体の弓を作る。

 胴体の弓は形を真似てもだめで、息を通さなければならない。息によって脊椎と脊椎の間隔を引き伸ばす。その結果現れてくるのが頭から尾骨までの弓だ。

  弓の一番底が裆だ。

 

 弓を作るときに、含胸、抜背、塌腰が順々に現れる。

 息が肩甲骨のあたりまで降りれば含胸(胸椎上部)、肩甲骨の高さを抜ければ抜背(胸椎下部)、そして腰椎が引き伸ばされれば塌腰だ。

 ここまできて、膝を曲げれば(曲膝)円裆になる。円裆になってから胯(股関節・骨盤)を緩める・・・というのが太極拳の要領として口訣で伝わってきた要領。

 

 胴体部の”弓”を作る要領をもう一度整理して書くと

 

 <含胸・抜背・塌腰> この3つで1セット。

 そして

   <曲膝・円裆・松胯> の3つで1セット。

 

 ところが、私は長い間、<含胸・抜背・塌腰>の後は

 <松胯・円裆>  だと思っていた。

 

 あるとき、師父が上のように3つ、3つだと私を直したので、どうしてそうなのか?と質問したことがある。なぜ、ここで曲膝がくるのか? そしてなぜ、円裆が松胯より先にくるのか?

 師父は、理屈は知らないが、昔からそう伝わっている、だからそうなのだ、と言った。

 私は腑に落ちず、なんだかなぁ〜・・・・とその件は棚上げしていたが

 

 今回、裆についての動画を撮った後で、生徒さんたちから裆は難しい!と予想通りの反応があったので、ふと、以前の師父とのやりとりを思い出し、あの要領をあの順番でやってみた。なんと、円裆がちゃんとできるではないか!

 その順番通りすれば、裆は自然にできる。ちゃんと内腿に乗れて、前腿や外腿や膝に乗って太ももがカチカチになったりしないのだ。

 

 まずは<含胸・抜背・塌腰>をちゃんとやる。

 そしてそれから膝を曲げる。

 そうすれば円裆になる。

 それから股関節の力をぬけば、じわっと足に気が落ちる。

 

 これだけだ。

 これなら生徒さん達にもできるはず!と嬉しくなって、まずは師父に報告を、と、それを師父にやってみせたが・・・

  反応はよくなかった。まず、膝を伸ばしたまま(棒立ちになったまま)含胸、抜背、塌腰をする、というのが不自然だと言った。でも、口訣では膝を曲げるのは塌腰の後。ということはそれまでは膝は伸びているのでは?と私は思ったのだが、師父は、少しは緩めていた方がよい、という意見だった。

  確かに、膝を伸ばしたまま<含胸、抜背、塌腰>をするのはとても難しい。非常に強い息と内気が必要になる。少し膝を曲げた方がやりやすいだろう。けれども、本当に膝を曲げるのは塌腰の後。つまり骨盤が内気で満たされてしっかりした後だ。

  骨盤に気が入り込んでいないうちに膝を曲げるとただのガニ股になって、内腿がスカスカで外腿に乗ることになってしまう。膝の故障の原因にもなる。膝を曲げてもよいのは骨盤の中がしっかりした後だ。

 

  

  と、このあたりを明日明後日のレッスンで生徒さんたちに試してもらおうかなぁ〜

  そんな風に考えています。

  

 

<補足> 膝は伸ばす/むやみに曲げない・・・「加齢とともに嫌でも膝が伸びずらくなる、寝るときに膝を伸ばしたまま眠れなくなる。」そう言っていたのは腰の王子でしたが、今になって、膝が伸びることの重要性に気づきました。

猿やオラウータンは膝を伸ばして立てない。

 

人間は膝を伸ばしきって脚を突っぱることで二足歩行になった。

 

これが次第に”突っ張れなくなる”のが老化現象だ。

 

←子供

→馮老師


2023/2/2<円裆はどうやって作るのか>

 

  裆に関する続きの動画をアップしました。

  やはり太極拳の基本の要領に行き着いてしまいます。

  少し難しいですが、これが”弓”の全体像のはず。

  それが少しずつできるように毎日練習するのが太極拳の練習です。私もまだまだ完成には程遠いですが、太極拳の目指すところがはっきりしていると道に迷いません。

2023/1/29 <胯と裆の違い 動画後半>

   
  間が開いてしまいましたが、前回の動画の続き(後半)をアップしました。
  動画は撮っていたのに、編集ソフトの扱いが上手くいかず下手に時間を使いました・・・
  編集してテキストを追加してみると、自分の説明のアラに気づきます。
  編集しながら私自身も理解を深めているようなところがありました。
  撮りっぱなしの動画よりは伝えたいことが伝わりやすいと思います。
 今回の動画の面白さは、ストレッチの動作を使って裆を使うことの効果を明らかにすることで、何気なくやっている弓歩、そしてその重心移動を見直すことができることです。圧腿も見直すべきです。使える体とは連動する体。連動には裆が不可欠。動画からそのような理解が生まれると嬉しいです。
  

2023/1/21<胯と裆の違い 動画前半>

 

  裆と胯(股関節)の違いについて動画を作ったのでここに貼ります。

  編集で試行錯誤して気を消耗した感あり(苦笑)

 

2023/1/18 <円裆の意味 裆と足の関係 「小股の切れ上がった女」>

 

   前回の最後の2枚の写真で注目してもらいたかったのは、裆そして足、だった。

 

裆(股間)の開きは比較的見やすいと思う。

左の少年は円裆、右の男性は尖裆だ。

 

胴体部が尾骨までしっかり使われると骨盤底筋はストレッチされ股は丸く開く(円裆)。背骨が途中までしか使われていないなかで両脚を開くと尖裆になる。

  裆は体幹部の底にあたるので、体幹部(背骨)を開発する(使えていない部分を使えるようにする)必要がある。気をへそ下に落としただけでは円裆にならない。関元穴の高さよりさらに下まで(つまり骨灰的んまで)落とし込めるようになる必要がある。

     そうやって骨盤底筋(股)に力が出た時に円裆になる。

 

  上の画像の右の男性は、腰を締めて動いている。腰を締めると腰椎より下の脊椎が使えなくなる。上体の重さは腰からダイレクトに前腿に入っていく。

 

 

 

 

 

 

 

                                                             ←左の2枚

  おそらくこれが簡化太極拳の典型的な单鞭。

   上の元祖楊式(楊澄浦)と比べると”丸み”が失われてしまっている。

  丸み、円、球、こそが太極拳のシンボルなのだが・・・

 


   

 上の右列の簡化の形は、いずれも腰を締めているので気が骨盤底筋まで落ちず(円裆にならない)、胴体と脚が一体化しない。股が使えないから前腿に乗ってしまうのは仕方がない。が、これを続けると故障が出てくるので要注意だ(特に右側の画像の方は腰の締めがキツく膝に乗り込んでしまっているのでとても危険)。

 

 腰を締めない=命門を開く=弓にする

 

 この背骨の操作、背骨の丸さがないと気は骨盤底筋まで落ちない→円裆にならない

 

 そして、円裆にならないと足はぺったんこに潰れて踵の力は発揮できなくなる。

 

 裆と足には密接な関係がある。

 

 裆というのは骨盤底筋がピンと張って会陰や肛門が引き上がった状態。内臓が引き上がった状態だ。

 もし円裆でないとしたら内臓が下がっている。

 そのような胴体が脚に乗っかると脚は速くは動けない。

 歳をとると次第に胴体を引き上げる力が弱くなり脚への負担が増える。股関節や膝を痛める主要な原因だ。

 

 太極拳の要領の中で、体を引き上げる方向に使われるのはどれだろう?

 

 虚霊頂勁は引き上げる作用があるのは明白だ。

 

 沈肩や含胸、塌腰,敛臀 などは気を上から下向きに落とす作用がある。

 

 そのほかに引き上げる作用のあるものは?というと、舌を上アゴに貼り付けること、会陰や肛門を引き上げること、そして足の土踏まずを引き上げること(足を扣にすること)がある。

 

 先週末から少しずつ足の要領について生徒さんたちに教えている。

 足の要領は、一人ずつ足の大事な部分を触ってあげながら教えるのが最も効率がよいのだが、今日はオンラインで同時に4人の生徒さんに教えてみた。

 一人一人が自分の足の状態を感じて、今自分の足が

<ぺったんこ>なのか、それとも

<立ち上がっている(扣になっている>のか

それを確認できるようになれば第一関門は突破。

この違いが自分ではっきり区別できないと、いつまでたっても<足>が開発できない。

 

 ぺったんこの時は会陰が上がっていない

 足が盛り上がって足首がしっかりしている時は会陰が引き上がっている

 

 これもすぐに確認できることだ。

  

 各自、毎日気づいた時に足を立体にする。落ちていたら引き上げる。

 これを繰り返していると、いつか癖になってくる。

 すると、下のような2枚の写真を見た時に、あ〜、足が違う! と見えるようになるのだ。

 左は足が立体的、足首が立っている。右は足がペタンコだ。

 左は地面からの反発力を受けている足、右は地面を踏んづけた足(反発力が得られない)。

 

 

 

 日本には「小股が切れ上がった女」という表現があるが、この「小股」がどこか?というのは諸説あるようだが(例えばhttps://extraordinary.cloud/komata-meaning.html)、「小股」がそのまま「股」をさすとして、その股の引き上がった(会陰の引き上がった)状態がどこで分かるかというと、着物の裾から見ることのできるアキレス腱、足首、踵、あたりだろう。

 まさに、そこが立ち上がっっていると、会陰は上がっているのだ。

 

 そうしたら、偶然、娘が先月のVOGUEで特集されていた宮沢りえがディオールの昔のオートクチュールを着ている写真を送ってくれた。

 

およよ・・・

足が只者でない・・・

(ドレスよりも足にばかり目がいってしまいました。)

 

こんなに踵に力がある(扣になっている)なんて

 

扣というのは足全体がお椀を伏せたような形になること、だが、ようはバレエダンサーのように土踏まずが上がって甲が高くなり、踵がしっかり踏めるようになること。

足の中の筋が束として使えるような感覚になる。ドラえもんのような塊の足ではないのだ。

 

宮沢りえの足は羨ましい限り。

 

バレエでもしていたのかな?と生徒さんと話していたら、生徒さんが追加で画像を送ってくれました(↓下の2枚)

 

やっぱり凄い足でした。

まさに『小股の切れ上がった女』だ・・・

 

 

2023/1/16 <反復横跳びから学ぶこと>

 

  反復横跳びの話は我ながらとても的を得ていると思っていて、昨日の御苑の練習では皆に”その気”になってもらった。

  そう、皆にやってもらって気づいたのは、”その気になる!”のがとても大事だということ。マジでその気にならない限り、頭から足までは一つにならないのだ。上丹田の”神”を起動させるのは、”その気”だ。

←https://www.edu.city.misato.lg.jp/4827.htm

 

真剣に取り組む小学生たち。

皆斜め下を見ている・・・なぜ?

 

 

(画像にリンクつけています)

 

頭からお尻の底まで(背骨)のアーチを最大限に強くしようとしている。

結果、目は斜め下を見るようになる。

(バスケットボールや太極拳のように、正面に敵がいるような設定は体を更に後ろに引いて目線を上に上げられる形になります。)

 

左の写真の子は、頭から足裏までが一つの弓になっている。

 

子供の時は腿の筋肉などが未発達なため、体全体の繋がり(筋のつながり=弓)で足を操作している。

 

 

←この先頭の女の子の気合と体の纏まり感がすごい!

 気を腹底まで落として、足がいつでも動けるようにセットしている。

 頂勁も他の子供達の比ではない。

 体の安定感あり。中正不偏。

 天性のものだろう。

画像検索をしていて気づいたのは、小学生の時はまだ足が外旋したまま動いている子がいるということ。

これは赤ちゃんの時の体の名残。

蛙と同じで脚を畳んだ時に踵と坐骨が合うようになっている。

→バシリスクの走りのような感じ(そういえば王子もバシリスク走りをしていました・・・)

 

 


←https://www.edu.city.misato.lg.jp/4827.htm

 

←私の見つけた、とても運動神経高そうな男の子。

バシリスクの原理を残した上で体幹の使い方がずば抜けている。中正がブレない。

 

体の背面、ハムストリングスのつながりがとてもよく使えている。前腿のブレーキ筋の力が抜けるのですばしっこく動ける。

 ←https://give-take-tbou.com/hannpuku-yokotobi-boxing/

 

次第に成長して腿の筋肉が発達してくると、腿で動けるようになる。

 

 下半身の”筋肉を鍛える”ために反復横跳びをやっているというが・・・

 

 

 この二人、どこが違うか分かりますか?

 左は本来の太極拳(民間派)の体の使い方、右は現代主流の太極拳(大学派とも呼ばれています)とも言えるだろう。

 

 

 『力を使わず意を使って気を通す』

  そう言われてきた本来の太極拳はどこか不思議なところがある。

  そもそも中国武術ってどこか神秘的・・・それは気の世界、意の世界を相手にするから。

 

  左の子供は意で動き、右の男性は体(筋肉)で動いている。

  それは具体的な体の使い方にも現れている。

  このブログの流れで気づくかもしれないが、すぐ見えるのは、『裆』。

 

      『裆』で力の世界から気の世界へに入っていけるのかもしれない・・ (続く)

2023/1/13 <股関節なのか裆なのか? 反復横跳びと円裆>

 

  最近はっきり言葉にできるようになったこと。

 「股関節に乗ってはいけない。」

 

  股関節に体重を乗せてしまうと股関節が自由に動かなくなる。股関節を使おう(動かそう)としてかえって体重を乗せてしまっているのがよく見かけられる。股関節にロックがかかったまま動くと股関節か膝が痛んでしまう。

  体重は頭から骨盤底筋(裆)に向かってまっすぐに下ろす。

  体重移動はこの頭から骨盤底筋のラインで行う。

  決して股関節で体重移動をしないように。

  股関節で体重移動をすると両脚が将棋のコマのように角ばる。

脚をhttps://www.gurusuvu.com/chalkiness/depletory1225491.html

 

←なぜか太極拳の服の広告に使われるモデルは往々にして角張った脚でポーズをとっている。

これは本来の太極拳の”球体”の形ではない。

背骨が弓になっていないから、平面的にポーズを作っている。紙人形のようにぺらぺらになる。

 

脚は股関節で動かすというよりも胴体で動かす意識が必要だ。ウエストの位置から脚を動かすことができれば脚は自然に動く。歩行の時も同じだ。股関節から脚を出すのではなく、ウエスト、腰から脚を降り出す。

 

  練習でよく引き合いに出すのが反復横飛び。

  小学生の時にやらされた動きだ。

  

  脚を素早く動かそうとすると私たちの体はどのような体勢になるのか?

 

  それこそが太極拳の構え(というよりも、スポーツ全てに共通する構え)

  脚が敏速に動かないような構えは間違えている、ということだ。

 

  今、この動きを(ゆっくりでよいので)やってみようとすると大事な原理が分かる。

 

 

 

 

 

  反復横跳びをしようとすると胴体をこじんまり纏め、かつ、胴体を軽くして足を運ぼうとする。これは丹田に気を沈め『合』になった体勢。弓のカーブが最大にきつくなる。

  それから体全体で動き出す。脚が胴体の一部のように動けた時に最も速く動ける。

 

 上の動画のような速く動ける人たち動画を見ると、みな上体は一かたまり(背骨の弓)、股が開いたまま(円裆のまま)動いているのが分かる。逆に、胴体がゆさゆさ上下に動いているような人は股関節から動こうとしている。俊敏には動けない。

 

 背骨の弓の下にはは裆(股座、骨盤底筋)がある。

 体重をそこまで下ろした時に(円裆になったとき)、足はとても使いやすくなる。

 円裆は股関節を自由に操作するには必須の要領だ。

 

 私が2020年に撮った動画の中に、既に円裆で重心移動をすることを説明しているものがあった。(https://youtu.be/NS7p4z_Asy4)

 左足の弓歩から右足の弓歩への流れ。

 常に円裆が保たれている。というよりも、円裆にしないと両足裏が地面を突っ張って動くことができない。上の反復横跳びの動きと同じだ。

 円裆と足裏はダイレクトで繋がる。

 そうしたら胴体を動かせば両脚がついてくる。

 

 股関節なのか、裆なのか、この違いをはっきりさせると脚の使い方、歩き方も変わるだろう。裆を使うことによって初めて両脚、ひいては四肢が連動する。

 というのも、股関節は体幹部ではないが、裆は体幹部だから。

 (続く)

2023/1/11背骨の弓はいつ、どのように作られるのか?>

 

  背骨の弓は「よ〜い、ドン!」の「よ〜い」の姿勢。子供の時にだれもがやったことのある姿勢だ。

  ただ、その出来栄えには個人差がある。

 上は駅に貼っている四谷大塚のポスター。毎日のように目にするが、見るたびにいろいろ考えてしまう。

 

 この4人の中で最もダッシュが速そうなのは誰?

 きっと皆、一番手前の男の子だと答えるだろう。

 じゃあ、なぜ、そう思うのか?

 

 比較していってみよう。

一番右端の大きな女の子はどうだろう?

 彼女は真剣に走ろうとしていない。楽しく走る姿を写してもらうことを意識している。ある意味、演技だ。それは表情からも分かるけれど、体が立ち上がって気が上の方にあり、足にまったく蹴る力がないこと真剣にダッシュしようとしていないことが分かる。

 

  彼女と手前の男の子を比べると、男の子の気はお尻あたりまで落ちていて、足首がしっかり折れ、足裏が本当に蹴っているのが分かる。上虚下実の状態だ。(女の子は上実下虚)

  そして、女の子の上体は立ち上がっているので弓になっていないが、男の子はしっかり頚椎から仙骨尾骨までが弓になっている。頭頂から足裏までが一つに纏まっている。運動神経がとても良さそうな少年だ。

 

  手前の男の子と、左端の男の子を比べるとどうだろう?

  この二人の目をみると、手前の子はキリッとしているが、左端の子はぼやっとしている。目が入っていない、ということは、上丹田まで気が達していないということ。つまり頚椎がうまく使えていないということ。左端の男の子は完全に顔を上げて正面を見てしまっている。顔を上げた時点で頚椎は折れる。手前の男の子は、顔を上げずに目を上げている。頚椎に気が通せている、ということは、仙骨まで気を下げられている、ということだ。(頚椎を立てるには仙骨まで気を通す必要がある。)

  左端の男の子の足が手前の男の子の足ほど地面を踏めていない(足首や足裏に力強さが足りない)のは、仙骨まで(下丹田まで)気を降ろせていない証拠だ。

  タントウ功で、帯脈(臍、ウエストの位置)から下丹田(仙骨や膀胱の位置)まで気を降ろす練習をするのは、それができないと足裏に気が降りず、かつ、首も立たないからだ。

  

  男の子二人の背骨の弓の状態をみると、手前の男の子は全身が弓状になって体全体にバネ力が蓄積されているのに対し、左端の男の子にはバネが感じられない。それは、首が折れてしまって胸椎と腰椎だけで背中を弓状にしているからだ。胸椎と腰椎だけで背中を丸くするとすぐに猫背になってしまう。体は下方に落ちていくから、脚が重くなる。脚が重いと上げづらくなる=走るのが遅くなる。 

  手前の男の子が軽々と足を上げて上体に引きつけられるのに対し、左端の子の足が全く上がっていない(上げられそうにない)のはそんな理由だと思う。

 

  上虚下実、というのは脚を重くするものではない。脚を鈍重にすると身軽に動けなくなる。上虚下実によって気が足に落ち、脚が素早く動けるようになるのが本当だ。脚を太くするのが下実ではないのは言うまでもない・・・

 

  最後に一番奥の小さな女の子。この子はそこそこ良い感じ。子供らしくバランスが取れている。

 

  一つ大事な点を付け加えると、なぜ手前の男の子が一番速く走れそうかという理由は会陰が一番よく引き上がっているからだ。体がこの子のように頭のてっぺんから足裏まで一つの弓になるには会陰が命門に向けて引きあがらないと無理だ。

 

今日のオンラインレッスンで説明したことだが、

 

  背骨を弓にするには、ただ形を弓にする、というのではなく、①含胸をしながら息を鼻口から恥骨近くまで下ろし、かつ、②会陰を命門にむけて引き上げる必要がある。

 

 この下向き、上向きの気の流れがあることによって、弓は弾力性をもつ。

 

 

 

先日載せたこの画像の場合は、一見背骨が弓になっているように見えるが、実は下向きの弓しか作っておらず、会陰を引き上げて命門を開くことをしていない。だから、股関節にロックがかかり裆(骨盤底筋)が開かずその分膝や足首に捻れが起こってしまっている。

 

股関節を回転させて使うには会陰を引き上げることはマストだ・・・股関節に乗らずに裆に向けて体重を下ろす。そうすることによって股関節は自由に使えるようになる。(このあたりはまたいずれ詳しく書きます。)

 

今日のレッスンでは、①と②を分けて練習。

①の含胸では息を腹底まで落として弓を作ることを練習、②は少し前のレッスンで随分練習してもらっていたので、今日は、①を教えたあとに、②をドッキングしてもらった。②の会陰を引き上げて命門を開く、というのは、足を上げたり爪先立ちになった方がやりやすい。金鶏独立で膝を上げると会陰が引き上がりやすく命門が開きやすいのを確認。王選手のバッテイングが、まさに、①②の合体での弓。片足を上げたために会陰がより引き上がり内側から腰が開いて弓がキツくなる。 今画像を見るとより納得の行くフォームだ。

2023/1/9 <背骨の弓 命門 腹圧との関係>

  

   背骨を弓にする、というのは何も太極拳に限ったことでなく、私達が運動する時はそうなってしまう。弓にすることで体にエネルギーが集まる。力を発散する時には背骨の弓が伸びて弾けるようになる。

 

↓スポーツでは背骨を弓にして動くのが当たり前。

 

「よ〜い、ドン!」の「よ〜い」の時に私達は背骨を弓にする。

  猫が獲物に飛びかかる前も同じだ。

 

  右のような姿はどこか獲物に飛びかかる前の動物のように見えないか?

 

 

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『今日のメモ』毎日の練習は気づきの宝庫。太極拳の練習の成果が何に及ぶかは予測不可能。2012年9月〜のアーカイブは『練習メモアーカイブ』へ

練習のバイブル本

 『陳式太極拳入門』

   馮志強老師著

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2012/3/20

日本養生学会第13回大会で研究発表をしました。

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