2018/12/13

 今日初めてドイツに住む生徒さんとビデオレッスンをした時に書いた図。
  ドイツで簡化24式を習っているとのことでしたが、こんなイメージで太極拳してるのでは? と書いたのが上側、下側の一見しょぼいのが周身一家の太極拳、柔らかく秀美な本来の太極拳です。

ついでに書いたのはお馴染みの丹田図

2018/12/12

 

 先週末は年に一回の皆の集まり、忘年会を開いた。

 本当は時々皆が集まれる機会を作れば良いのだろうが、私が面倒くさがりかつ組織嫌いだからなかなか音頭をとれない。練習の曜日が違うと会う機会があまりないのだが、もう4、5年練習している生徒さん達も増え、いつの間にか気を張らずにしゃべれる仲間になってきた。これならそのうち私が不在でも皆で集まって練習も可能だろう、と嬉しくなった。

 

 練習は相変わらず核心に迫るための寄り道のような練習ばかりしている。

 套路の型も催促されないと教えるのを忘れてしまう。

 毎回毎回、新しいことに気づいてしまうから、一週間経って練習に来ると私がまた違うことを教えていてこんがらがってしまう・・・という声もあるが、もう、それが当たり前、と諦めてしまった生徒さんがほとんどでは?(苦笑)

 

 太極拳の練習は学校の勉強と違って、ステップ1ができなければステップ2に進めない、というものではない。虚霊頂勁ができないと沈肩墜肘ができない、とか、含胸抜背ができないと松腰や松クワができない、とか、全ての要領がマスターできなければ丹田ができない、というようなものではない。全ての要領は円でグルグル繋がっているから、どこからでも始められるし、どこから初めても不完全にしかできないのは仕方がない。どこか仏教の十二縁起のようではないかしら?

 

 

 (図がうまく描けない・・・)

例えばAが虚霊頂勁、Bが沈肩、Cが墜肘 Dが含胸、E抜背、F斂臀、G曲肘、H垂指、I提会陰、J提湧泉・・・

 

などと様々な要領を掲げた場合、最初はなんとなくそれっぽくして全ての要領を回し(一番内側の小さな円)、すると再度同じ要領の練習に戻った時には以前よりももっとしっかりできた感覚が現れる。そして二周目、三週目にやると、あら?これまで思っていた含胸と今回の含胸の感覚が違う、と理解がまた更新され、こうやって、ぐるぐる回しているうちに、全ての要領の感覚がしっかり確実なものになってくる。実際には要領を”クリアした”ということはあり得ないのだろう・・・まだまだ更新される・・・

と、それが面白いところ。

 

 だから同じ練習を初心者とベテランが一緒にすることが可能になる。理解の深さはその人それぞれ。

 昔師父とパリで練習している頃、並んで一緒に動功(双手揉球)をしていてら師父がおもむろに私の方を向いて、「私達は一見同じ動作で練習しているが、やっていることは全く違う。」と言ったことがあった。そして、「同じ練習をしていて、今日と一か月後の感覚が全く同じだったら、それは全く進歩していないし、今と一年後、同じ練習をしているとしたら、進歩どころか退歩しているかもしれない。」と言っていた。

 今はその師父の言葉がとても良く理解できる。

 

 先週、今週、太極拳を練習する人(先生、老師レベルの人も含めて)に多い”脚のねじれ”に注目していた。

 それはまた時間があれば書くことにして・・・

 

 と、今日のビデオレッスンで、ひょんなことからラジオ体操第1の2番目の動作は本当にあれでいいのか?と疑問が起こった。一体あれは何の運動だったのか?太極拳的には、提会陰で身体の軸を整えるタントウ功への準備運動のように思える。このまま手を上げていくと自然にしゃがめてしまう・・・なんて良い運動♪

 と調べたら解説があった。

https://www.jp-life.japanpost.jp/aboutus/csr/radio/abt_csr_rdo_dai1.html#infoBlock2

 

 太極拳をやる人ならこんな屈伸運動はできない・・・身体が拒否する(苦笑)

2018/12/7

 

  気功とは気を操ること。気の身体、エーテル体、第2身体を操ること。

 これに対し、通常の運動は肉体、フィジカル体、目に見える筋肉や皮や骨などを操ることに主眼をおいている。

 

 気が分かりだすと、フィジカル体を動かすのはエーテル体だということが見えてくる。

 フィジカル体が動いていない時にすでに自分の、そして相手のエーテル体が動き出しているのも見えるようになる。

 武術や武道では相手の動きを読む、一足早く知る、自分が相手に察知されないうちに一足早く動く、ということが非常に重要になるから、このような”気”の鍛錬が行われるようになったのも理解できてくる。

 

 20年ほど前に初めてスポーツクラブで太極拳を学んだ時、24式の型を覚えた後知りたくなったのは”意の使い方”だった。その時教えてくれていたのは北京体育大学卒の先生方で、毎日日替わりで3人の先生方が気功や太極拳を教えに来ていた。私はその3人の先生全てと仲良くなって、日課のようにスポーツクラブに行ってはご飯を一緒に食べたり、マッサージ室で雑談したりしていた。

 ある時、もっと先を教えてもらいたい、と一番年配の先生に相談したら、スポーツクラブでは無理だから、自分たちの道場に来なさい、と言われた。が、当時私は子供を産んだばかりで、東京まで通う時間はなかった。仕方ない、と諦めて、そのうち、もっと派手な少林拳に憧れるようになってしばらく太極拳から離れてしまった。

 その後パリで劉師父に出会って本格的に一から太極拳を学ぶことになったのだが、築基功(タントウ功で気を溜めて身体の基礎を築く功法)という日本ではやったことのないキツイ修練からやらされて、肉体の修練でいっぱいいっぱい、やっと気が分かるか分からないか、の時期が続き、昔疑問に思った”意の使い方”などは頭に浮かぶ余地もなくなってしまった。

 

 意のことが改めて浮上したのは5年ほど前。

太極拳には身法、手法、歩法、眼法、があるが、そのうち身法と手法はメジャーだが、歩法となると”師は弟子に歩法は教えず”というほど、真髄を学ぶのが難しくなる。そして眼法になるとさらに学ぶのが困難になる。巷の太極拳の教室では眼は手を見る、などと教えたりしているようだが、眼は意を導くもので、眼法こそが意の使い方なのだから、眼(意)が手を追う、なんていうことはあり得ない。実際、そんな太極拳の演武を見ると目がおろおろして隙だらけ。舞踏にはなり得ても武術にはならない。

 が、目が手を導くと理屈は知っていてもなかなかうまくはいかない。ある時期、自分なりに研究して眼=意を使って動いていたら、師父に気が上に上がって下半身が浮いてると叱られ、間違えたことをするくらいなら、自然にできるまで待とう、とそれ以降、特に眼法の練習をすることはなくなってしまった。

 

 今年パリで師父に学んだ時に、運手の時の目の使い方を修正してもらい、その時眼が身体と引っ張り合いになることを知った。その時はそんな目の使い方がまだ慣れなかったが、その後、静功、瞑想の意の使い方には2種類、サマタ瞑想(1点集中型)とヴィパッサナ―瞑想(観察型)のあることを仏教の勉強から知り、太極拳で使う意の使い方はまさにヴィパッサナ―だと気づいたら、一気に目の使い方、意の使い方がクリアになった。

 そして昨日、一人で練習したら、意で身体を導く感覚が初めて明確に分かった。

 太極拳は気功風にも武術風にもできるが、まず気功風 、即ち、サマタ瞑想的に丹田に集中して気を増やし、丹田が起動し出したら丹田を外さないように丹田と身体の末端を気でつなげて套路をやっていくと、一遍二遍やるうちに気が全身に充満し、身体中の細胞が開いた(身体で周囲の気配が感じられる、身体中の細胞の眼が開いた)感じになる。すると不思議なことに、全身眼になったその時には上丹田の位置に全身の眼を総括したような眼ができている。そうなれば、その上丹田の眼で意を使って套路をすることができる。

 

 昨日は初めて二路の46式を意を使ってやってみたが、そうしたら、これまでの46式とは全くキマリ方が違う! 二路は気ではなく意で動かなければ二路ではない・・・と劉師父に昨夜、そんな話をしたら、一路も本来は意で動くもの、気で動くものではない、と言われた。

 確かに、「力者折、気者滞、意者通」という。

 力で動くものは折れる、気で動くものは滞る、意で動くものは通る・・・

 なぜ気で動いてはいけないのか?とよく思っていたけど、今は気が分かるようになった生徒さん達が気をうにょうにょ操って動く姿を見ながら、それでは頭頂(百会)を失ない上丹田を外してしまうから気が届かない部位が出てくるのが客観的に分かる。気も分からず身体を動かしている(力で動いている)段階よりは高い、が、それは一つの進歩の課程。気の先には意がある。

 意気力、精気神、三つの丹田、

 これらがなければ太極拳、いや、身体が成り立たないのがやっと分かってきたのが嬉しい。

 

 今週のレッスンでは生徒さん達に、少しだけでも眼法、眼の使い方の大事さを教えられたら、と思う。

 

 

2018/12/5

<以下グループラインへの投稿 貼り付けます>

 

今週のレッスン課題は

①馬歩における含胸の意義

②肘は肋骨で押し出す

そして番外編として

③足の指の股は足裏

 

いずれもA君のところで学んだ内容が基本になっています。

解剖学的な見地から見た身体の合理的な使い方が太極拳の要領とピッタリ一致しているのはとても嬉しい😊

 

①②の課題を深めると手や腕の力は足脚の力、上半身は軽く下半身は重く、それで全身が一つになるのだと分かります。

普段から足で手を使えればとても健康的。血圧も上がらないだろうなぁ。

 

さっきのビデオレッスンでは太極円の練習をしながら手から足までの勁を繋げることに挑戦しました。

手足の連結は胆経の路線が要になります。

頭の中に少し図を入れておいて下さい。(胆経のイラスト図入り)

 

 <補足>胆経の太腿の横ラインを使えるかどうか、脇が使えるかどうか、足の薬指に力が入るか、このあたりが盲点。太極拳、膀胱経がある程度通したら、胆経を通す。ここを通せないと股関節や膝、腰を痛めてしまう。

2018/12/1

 

 しばらくソウルにいたりして、何だか慌ただしい。

 

 足の扣の話は私の中で大きな広がりと混乱をもたらしたが、、先週、私の生徒第一号のカイロプラクティショナーであり鍼灸師でありその他諸々の資格をもつ身体のスペシャリストの男性が数年ぶりに練習に参加してくれたことで、思いがけない展開に・・・。

 扣だけでなく、含胸、墜肘、塌腰、敛臀、抜背・・・様々な太極拳の要領が実は太極拳の要領なのではなく、身体の構造上、そうせざるを得ない、そうしなければ身体のどこかに負担をかけて傷めてしまうのだ、ということが分かってしまった。

 

 中国の古人は、筋肉や骨や神経や筋膜やらの解剖学的知識がなくても、身体の中の気の走行やツボの感覚を見ながら、身体はこう使うべき、という知恵を得て、それを後世に言い伝えてきたのだろう。現代では身体の使い方が医学的、解剖学的に骨や筋肉、スジや筋膜の観点から説明できるが、それを自分の身体の内側を見ることで解読していったのは凄いことだ。

 

 私達が主体的に身体を動かすときに意識するものは何だろう?

 例えば右手の親指を動かす時、もし、”親指”をあげようとすると、脳から親指に直接命令が送られたようになる。その時私達が意識するのは親指の外枠。

 では、親指の”骨”を動かそうとするとどうか?

 すると、私達はまず親指の中にある親指の骨を探さなければならない。この探す作業の時、私達の感覚は親指の内側を探る、即ち、意識は親指の内側に入り込むことになる。そして実際に親指の骨を動かすときは、内側(の骨)から親指を動かすようになる。

 

 私たちの身体の動作は全て、意(動け、という脳の指令)→エネルギー →パワー(その部位が動く)、即ち、太極拳で言うところの、意→気→力、となっている。

 朝起きた時にまだ身体がだるくて、起きなきゃ、と思っても起き上がれないのは、意があっても気が足りないから。目覚ましが鳴っていよいよ起きなければ遅刻してしまうという時になって、マジで起きるぞー!と意が強くなった時に気(エネルギー)も動いて身体を起き上がらせることができる。しかし、もし首より下に麻酔がかけられていたら、どれだけ意を強くしたところで気が流れないから身体は操作できない。

 神経が損傷していたり、動かしたい部位へのエネルギーの道が開通していなければ(例えば耳たぶ)その部位を動かそうと強く念じても動かない。また、意識できない箇所は動かせない(例えば命門などのツボ。意識できなければ気を届けることも動かすこともできない。)

 

 また、日常生活で慣れた動作を行う時は往々にして身体を外側から動かしたようになっている。この時、意や気については無意識なので、動作は雑で滑らかさに欠けスキがある。心もこもらないものになる。重いものを持ち上げてぎっくり腰になるのは外から身体を動かした時。なぜなら気を十分に腰に送り込む前に物を持ち上げてしまったから。意と気を意識していれば、重すぎるものは持たないと身体が自動的にストップをかけてくれる。

 

 太極拳においては身体は全て内側から動かすのだが、そうすれば全ての動きが、意→気→力となっているのが見える。そして更に見ればその”意”の出どころは脳内の上丹田であることも、エネルギーの気の出どころは腹の中丹田であることも、下半身を動かすには下丹田が必要となることも、全て古来から伝わる通りだ、と納得できる。

 

 現代は医学がものすごく発達しているから、親指を動かすのに私達の脳や身体の中でどのような動きが起こっているのか、非常に詳細に説明ができるようになっている。しかし、それらの知識は医者や治療家が使えても、動く側の私達にとっては細かすぎてその知識を使って身体を操作することは実際不可能に近い。今回、治療家の生徒さんから身体の動きのメカニズムについて様々な話を聞いて分かったのは、結局、太極拳などの実践家は、最終的には丹田を操れば身体の隅々までが操れるような体系を作り出したということ。全てを丹田に結び付けるために個々の要領がある。どれかの要領を外すと体系が崩れてしまうということになる。

 

http://www.nmnweb.net/exercise/makuchokin.html
http://www.nmnweb.net/exercise/makuchokin.html

 最後に私が治療家の生徒さんから聞いて目から鱗だった話を一つ。それは、太極拳を真剣に学ぶ人に多い膝や股関節の故障の原因は馬歩にあるのでは、という意見。

 多くの太極拳をする人が馬歩の時に背中を真っ直ぐピーンと立てて含胸をやっていない。しかし、含胸をせずに馬歩をすると中殿筋と大腿筋膜張筋が癒着したように固まって股関節が回転しなくなる。お尻や太ももが硬くなる。このまま練習しているといずれ故障が起こる。(左の図:http://www.nmnweb.net/exercise/makuchokin.html)

 ここで大事なのが含胸。含胸をちゃんとやれば、抜背 敛臀が起こって不思議なほどにお尻(股関節)が緩んで回転してくれる。全身も一つになってしまう。

 

 

              その他にも目から鱗がいくつかあったのだが、続きはレッスンで。

 

2018/11/18

 

 <練習で扣を教えたら思った以上に難しい要領だったようで生徒さん達が辟易とした表情をしてしまった。教え方、間違えたかなぁ?・・・それを受けて以下LINEへの投稿・・・>

 

 扣の話、一応今日でひと段落。皆をかき回した感ありますが、扣が完璧にできる頃には達人になっています....

 

 太極拳は"松に始まり松に終わる" と言いますが、太極拳は松から始まらなければならないけど、本当に松ができたらもう太極拳は修めてしまっている。

 練習の仕方までリニアではなく円、循環しているのかと面白く思います。

 

 似たようなのが虚霊頂勁。

 虚霊頂勁は正しい姿勢の第一番目の要領ですが、この要領を絶対に外さないように練習を始めたらどこも動かせなくなってしまう。結局、虚霊頂勁を目指して練習をしていっているようなもの(真の二本足立ちを目指している?)

 できた頃には超人かも?(百会、サハスラーラチャクラが開くのだから)。

 丹田から一番遠いところの部位の調整は最も最後になるかなと思います。

 今回の扣も同じ。足の末端だからそこから始めてそれを目指す。

 完璧にできるわけではないにしても目指さなければならない。

 命門が意識的に使える頃には扣がそこそこできるようになっているはずです。

 ということは丹田の気を溜めるのが先決。

 結局、帰丹田・・・。

 

 

 

2018/11/17

 

  扣について。

  昨日レッスンの一部を撮影してみました。(今回は一旦ここにアップしますが後に仲間たちのページに移す予定。)

 下はその時の動画の一コマ。

 自分でも知らなかった、実は自分の足指は猫のようになっていた・・・。

 足指を開いてしゃがんでいる人がいたなんて、、、考えたこともありませんでした。

 

 足指開いて太極拳をしていたら、そりゃあ、膝や腰を傷めるし、脚も太く短くなって鈍重な身体になってしまう・・・。

2018/11/17

 

 その後、扣の足を生徒さん達に教えるうちに、その意味するところが想像もしなかったほど壮大な広がりを持つことに私自身面食らうまでになってしまった。

 扣を知らずに、もしくは勘違いして運動(スポーツ)をしてきた人は最大限の能力を発揮できないどころか、関節を傷めたり、余計な部分に力が入って、負傷の絶えない身体になってしまうだろう。スポーツ選手よりも何もしない人の方が健康だったりするのはスポーツにより身体を傷めてしまうからだが、競うことが念頭にあると基本的な身体の使い方を間違えたまま突っ走ってしまう。

 また、本当に正しい身体の使い方をしている人が必ずしもコーチであるわけではなく、その種目だけを念頭に頭で考えて教えている場合は、身体の本来の自然な動き方を無視して自然な身体の使い方を矯正してしまっていることも往々にある。

 

 以前バレエを習っていた娘にプリエをしてもらったら、足指が伸びたまましゃがんでいる。

私が「どうして足指を伸ばしてるの?」と聞いたら、「先生に絶対伸ばすように、と言われた。」と答える。私が、「足の指の先端の腹を床に付くようにしてやってみて。」と扣で彼女にプリエをしてもらったら、「え~!、むちゃ簡単!これなら全然楽。なんでもっと早く教えてくれなかったの?これならもっと踊れたのに。」と責められてしまった。その後、その扣の足のまま片脚立ちをしてもう一方の脚を高く上げてもらったが、当然のことならそれだと脚は軽々と高く上がる(太極拳の蹴り技も同じ)。「これなら腰にも自信がでる!」と腰痛持ちの彼女も嬉しそうだった。

 

 トウで立てば同じ作用があるのだが、トウで立たなくても扣をしていれば関節は開いて股関節は簡単に開くようになる。その結果、腰なり腹なり腸腰筋なり、要するに丹田で下肢を操ることが可能となる。(注:今知ったことだが、つま先立ちを生徒さん達にさせた時、本当に”つま先”で立っていた人はほとんどいなかった・・・。皆足指をべったり地面にくっつけていた・・・なんて知らなかった。なんだか皆ゆらゆらするなぁ、と思っていたけれど。片足立ちも足をコウにしていないと安定しない。)

 足先までが丹田と直でつながれば、丹田につなげた手先と足先がつながり、これで全身は一つの気でつながる・・・全身は一つの家=周身一家、身体が太極となる・・・いずれは。

 

 バレエで足指をピンと伸ばさせるのが間違いなのは、足の指の小さな二つの関節を無視しているから。ピアノを弾く時の指と同じように足先も足指腹まで気を通さなければならない。そのためには指の第一関節、第二関節をすこし湾曲させなければならない。真っ直ぐ伸ばした指ではピアノも弾けないしパソコンも叩けない。足指も同じ。

 スポーツで母指球に力をいれろ、というのも誤解をうみやすい。母指球に力をいれて親指がピンとなっていたら指でブレーキがかかって、関節が締まり、代わりに余計な筋肉を多くついて硬い身体になる。整骨院などでは、勁がきちんと通っているかどうかは親指先端にどのくらい力が達するか、親指先端の力の強さでチェックしている。母指球では中途半端。

 

 手や足指の先端は経絡の陰陽転換点。陽の経絡は身体の中心から末端(足指、手指先端)に流れ、陰の経絡はそれをうけて末端から中心へと気を運ぶ。末端まで行かなければ中心には戻れない。

 経絡も末端まで、骨も小さな骨まで最後まで使い切らなければならない。

 

 幼児のうちは筋力がないから扣で立ち扣で歩いている。昨日新宿御苑で、幼稚園児を観察していたが、すでに足裏アーチが下がってペタペタ歩いている子がほとんどだった。都会の子はコンクリートの上ばかり歩いているからか? 小学生の頃、コンクリートの上で走ってはいけない、筋肉が硬くなるから、と土の上で運動させられたが、今改めて考えると、地面が土だと足裏がしなりやすい。それは子供の身体に大きく影響するのではないか、と思う。コンクリートの上やタイルの上で歩く時と土の上を歩く時の足裏の状態は私達の意識しないところで微妙に変わっている。相手が硬く冷たい無機的な物体だと、それを触れる私達の身体は幾分硬くなる。相手が柔らかいもの、暖かい生命のあるものだと、触れる私達の身体は柔らかくなる。赤ちゃんや子猫に触れようとする時の私達の身体は瞬間的に少し溶解したようになる・・・放松する。どんなものに触れるか、どんなものに囲まれているか、私達の身体は刻刻と変化をしている。

 

 扣の話はキリのないくらい書けてしまう。

 整理して書ければとても良い本が書けるだろうに、整理する時間があったら自分が練習したい、というのが本音(苦笑)

 

 待ちゆく人を見ても扣しているかどうかが分かってしまう。

 太極拳の演武も然り。命門がちゃんと使えている人は必ず足は扣になっている。

 このブログの左に見える本の表紙の馮志強老師の第三式の定式の姿。足は扣になっている。

 太極拳を練習して膝を傷める人が多いのは単に扣ができていないからではないかと思う。

 なんだ、そんな単純なこと!、と目から鱗、と感嘆の声を上げるのは身体がそこそこできている人。扣自体ができない人は扣ができるようにタントウ功でしつけなければなりません。

 

 

2018/11/15 のLINEへの投稿

 

  昨日の”扣”はまずパーに開けないと”抓”になってしまう怖れ大かもしれません。

この違いで目から鱗になる生徒さんはそのまま使えば良いですが、今一つの人はあまり深く考えず、土踏まずを上げる、という程度で良いかもしれない。個々人の身体の開発段階に合わせてやらないといけない。

 

  まずしっかり開いて親指側小指側の足裏の台がしっかり形成され、足裏の底もしっかりして甲がちゃんと出るようにする。

その上で”扣”をすれば足指がしっかり伸びて弧を描く(背骨と同じ。骨と骨の間が開いて湾曲を描く)けれども、それができないでやると、足指が縮こまって丸まり”抓”になってしまう。

難しい・・・上級者レベル?

 

左側はダメ=抓。

足前側だけ縮めている。

足裏全体がおわん型になっていない→踵、アキレス腱が使えていない。

 

右側は扣。

(といっても左の図の上に描いているので足指が鈎のように曲がっているのは間違えている。本当は足指からアーチを作って甲が高くなり踵がつく。)

力は踵先端から足先先端まで貫通する。足の横のアーチも出現する。

 

 これらの写真はチャコットのHPを参照にしています。(https://www.chacott-jp.com/news/useful/lecture/detail001174.html)

 

 このブログでは続けて、左は×で右は〇だと言っている。

 

 左側は前半分を縮めた抓で×。一方右側は途中までは扣だが最後の指で突っ張ってしまっている。指の第一関節第二関節で湾曲を描けていない(関節としての要をなしていない)。このままトウで立ったら足指先が足首に繋がらず、その分指の付け根の関節に過剰な負担をかけてしまうだろう・・・と、画像検索をしていたら、さすが、ギエムとザハロワ。

 

 左はシルヴィーギエムの足の銅像。

 足首から足指先までしっかり弧線を描いている。

 

 太極拳は五弓の身体で行う(背骨と四肢はそれぞれ弓状)。

 足の弓は足指先端まで含めて弓状になる→身体のバネ力!

(太極拳が一番目指しているのはバネ力。バスケットボール選手が理想?)

 

 扣を刑させる道具はたくさんあります。よく考えられたインソールもその一つ。

 

 つま先の方に注目してしまいがちですが、大事なのは踵付近。

 なぜそうなのかは、練習してみると分かる・・・。

 本当は踵があるからつま先ができるようになる。踵がしっかり”入る”感覚が分かれば扣はできているはず。踵にただ”乗って”いても扣にならない。

 

 (その後、バレエと太極拳で混乱してしまったという生徒さんのコメントを受け・・・)

 Kさんが混乱するのも仕方がない。昨夜は劉先生に上のバレエ関連の画像を見せたら原理が共通するのは当たり前、と言っていました。

 が、中途半端な指導者に指導を受けると間違えた躾を受ける可能性も大。

 ザハロワやギエムのレベルまでいけば原理通り、巷のバレエダンサーの足はきっと傷つき壊れてしまっていると思います。私の足も卓球で壊しました....スポーツは競争の要素があるので悠長にやってられない、というのもあるかもしれません。

とにかく、疑問、混乱はレッスンで追い追い解消していきます。

 

 

2018/11/12

以下LINEへの投稿
昨日のクラスでは、足を"扣" することを教えました。
"扣"はしても"抓" はしてはいけない、と昔から劉先生に口すっぱく言われてきましたが、先週私の足首回しの動画を先生に見てもらった時のコメントで、全てがはっきりしました。
"扣"にするのは体中の関節を開放して可動域を高めるため。中でも股関節が関節として機能するかどうかは"扣"できるか否かに関わっているといっても過言ではありません。
"扣“はお椀を伏せたような形。すると足指先先端までがドーム状に丸くなる→指先先端まで気が通り、陰陽転換が起こる。
"抓"は足指先端第一関節が伸びて第二関節から丸くなった状態。気が指先末端まで通らない。足指に余計な踏ん張る力が入り、筋肉も僵硬になる。
なぜバレエダンサーが爪先立ち、トウシューズを履くのかも同じ理由でした。とても合理的。
三節回しの時はキツイですが足は扣でやるべき....私は毎日100回力を入れて回りにくい右膝を外回しするようにノルマを課されてますが、2日目の朝既に股関節の位置が上がり、4日目には足首のホールド感が変わり、6日目には足裏に乗る場所、今日は体全体の重心位置が変わってきました。
ただの膝回しですが、正しい位置で回すと物凄い効果がある。タントウ功より矯正力は遥かに高い。キツさに耐えられるなら(苦笑)
→”足裏に薄皮一枚”、という言葉で説明する先生方もいます。同じことをいろいろな言葉で説明できるのが面白い。

<この投稿を受けての生徒さんのコメント>

 これまで何かおかしいと思いつつも、ずっと抓にしていた事が今わかりました。

扣が出来ているかは不明ですが、抓にならないように足をお椀状になるよう意識すると、崑崙など踵のツボが途端にはっきりした感じがします。

  抓をする時は足を床に押し付けてから、無理やり指で丸さを作ろうとしてました😓

そうすると足首のツボの感覚は、ちょっと動くとすぐ消えてしまっていたので、何かおかしいとは思っていたのですが。。

 水曜教室でも是非お願いします!!

 

 さっきからは、中足骨と足根骨の継ぎ目のあたりから、じわーっと吸い上げるようにして、お椀を目指す感じにすると、指先を殺さないで済むようになりました。タントウ功も違う!!

 

 

 (私)抓ではなく扣するには崑崙や太溪、解谿などのツボが要になります。水曜日に説明しまう。

 

<11/14練習後の投稿>

 

 

 O君

 そういえば、以前ボルダリングをやった時、靴は足のサイズからマイナス1センチから1.5センチのものを選んで履くようにとありました。

 その時は意味が分からなかったのですが、あれは扣を作り出すための措置だと今日分かりました。(画像) ボルダリングシューズです。足指の第1関節を完全に丸めないと履けない。。

 

 私  納得です。

2018/11/7

 

  昨日の練習中にとった動画。

 説明し出すとまた長くなる・・

 言いたかったのは、命門(腰側)だけ意識していると頭まで真っ直ぐには立てないということ。

 臍の方に向けて推し出す前丹田が必要。

 (中丹田は、命門側の丹田=後丹田や臍側の丹田=前丹田へと移動できるが、この前後をつなげられると腹まで腰になる・・・帯脈ぐるっと回った胴体のが全て腰化する→奥の手写真参照?)

 

 この胴体の筒(中丹田が満タンに膨らんだ感じ)を真っ直ぐ下丹田に押し込んでいくときれいにしゃがんでいける。力士と同じ。これが太極拳の中腰の基本。

 決して脚を曲げにいってはいけない(膝が痛む)。胴体の気で関節が押し広げられて脚が折りたたまれていく。

 太極拳を練習して膝を傷める人がとても多いのは腹の気(丹田)を使って中腰になっていないから。脚力に頼ると膝を壊す。胴体に頼る。これが内家拳の基本、奥義でもあり、養生法の基本(四肢を失っても生きていけるが胴体が無くなったら生きていけない。五臓六腑を養う→太極拳は胴体運動。

  いずれにしろ、中腰姿勢をとる太極拳は中丹田の気の量が十分にないと、真剣にやればやるほど身体を傷めてしまうから注意が必要。套路と並行して内功が必要になる理由はそこにある。

 

2018/11/4 
<練習後のLINEへの投稿>

結局Hさんのリクエスト答えられぬまま時間切れ....三節回しやると話が広がり過ぎて収拾つかなくなります。
 
(太極拳では)動きは関節を回すことによって行います。
骨や筋肉で関節を回すのではなく、関節を回すことによって骨が回るようにします。(子供も達人もこの動き方。中枢神経から末端に向けて順序正しく神経が繋がっていけばそのような動きになる。)

それは当たり前のことなのだけど、
私達は無意識のうちに筋肉(の太いところ)に力を入れて骨を動かしがち。すると筋肉の末端=スジが十分に伸ばされず、骨の末端=関節が十分に動かなくなる→可動域が狭まり伸びのない縮こまった硬い身体になります。ボディビルダーはその典型。

太極拳で最も大事なのはバネ力。発勁は身体中のバネを総動員したもの。
バネはスジの伸び=関節の隙間=その隙間を可能にするだけの丹田力(気の量)です。

関節に気をめぐらして回せるようになるためにも気をためる必要がある。

踵(足首)の球が回りそれが膝に連動→股関節→尻→腰 腹→胸→首 と一気に全18個の球(関節のようなもの)が回転することにより気は節節貫通=関節から関節へと貫通、していき、周身一家=全身が一つ、と、身体が出来上がります。

練習は少しずつしか進みませんが、その行き着く先を雰囲気だけでも知ってもらおうといろんな生徒さんの身体を掴んで矯正しました(苦笑)

今日見せた膝回し、腎経のラインは復習しておいて下さい。膝の裏が伸びるよう毎日膝裏伸ばし(圧腿をすれば良い)をするのはマスト。認知症防止の本にも膝裏伸ばしが勧められていました....。

肩の球の位置も思い出して→股関節の球の位置と合うはず。
この計4つの球の連動が分かれば四正勁や四隅勁が分かります。

今日冒頭で練習したリエは四隅勁の1つ。斜めの腰回しは毎日必ず練習して下さい。これはやって慣れるしかない。

<関節を回すコツ>
使いたい関節に気を押し込む→関節の球の周りを気のクッションで巻く→関節周りに隙間ができる→関節が回せる

以上

2018/11/1

 

 昨夜のレッスンでは奥の手を使いました。

 例の三節回し。

 膝回しの甘さは二人組で膝を交えて転腿(推手の脚バージョンのようなもの。足相撲?)をすると暴露される。

 膝を内旋させる人も外旋させる人も、相手の膝で自分の膝を入れ込まれて倒れないような場所で膝を回転させなければならない。膝を推されてガクッと押し出されてしまうような位置は正しくない。

 一人でやろうが二人でやろうが、正しくやれば皆が気づくこと、それは、回転軸がもっと後ろ側にあるということ。

 そのまま後ろに体重を乗せていく(踵の方に乗って行く)と後ろにのけ反って倒れてしまうだろう。この時に必要になるのが丹田の重さ。

 後ろにのけ反りそうになる時に背中を緊張させて一枚板のようになってしまうと身体はそれ以上動かなくなってしまう。逃げ場なし。後ろにのけ反って背中を固めたくたなったその時に、背中の力を抜いて幾分猫になったつもりで丹田に瞬間的に力を寄せられるか、そこが正しい重心、身体の軸を得るコツになる。

 

 大事なのは、まず重心、それから軸。

 重心(丹田)が決まれば軸は自ずから現れる。軸は絶対に取りに行ってはいけない。

 小学校の時に背中に物差しを背中に入れられて授業を受けさせられたことがあったけど・・・

 背骨を絶対に曲げない、なんてバカなことをしているとしゃがむことさえできない。背骨をまっすぐに立てて太極拳の演武をしているのをよく見かけるけれども、そんなことをしていると大腰筋(命門の裏あたりから始まっている)が作用せず、太ももの筋肉ばかりが太くなって短足になるか膝が壊れてしまう。

 丹田の位置が決まって徐々に軸(身体をMRIで輪切りにしたときの一つ一つの輪っかが水平回転するその中心点をつないだもの)が現れてくれば、自然に背骨は立ってくる。

 

 が、そのためには、下から順々に積み上げていかなければならない。辛抱がいる。

 下半身、腹からしたがバーンと決まってくれば、次第に肋骨の位置や脇の位置、肩、首の位置が決まってくる。

 最後は百会の位置が決まる。天とつながる(のか?)

 私はやっと肩や首のあるべき位置が分かり、後頭部、玉枕の位置が分かりかけたところ。百会まではまだ届かない・・・

 虚霊頂勁はタントウ功、太極拳を始めるにあたっての第一の要領だが、実はそれが最後に完成する要領、というのも、ある意味、円運動の太極拳らしいなぁ、と思う。

 練習を始めた頃は虚霊頂勁ができるはずもないのだが、本当にはできていないにしろ、そんな感じでやるしかない。腰以下の要領が一つクリアされると、他の要領についての感覚も更新されてしまう。

 数年前に含胸をどうしても知りたくて随分研究してブログを書いたことがあったが、今見ると、決して間違ってはいないし、我ながらよく書けてる、と思うものの、でも、理解がちょっと浅いなぁ、なんて思う。でも、今もう一度書け、と言われたら躊躇してしまのは、理解が深く、広範囲になりすぎて、含胸だけで本一冊書けてしまう・・・と思うから。結局読んだ人が更に混乱するハメになるだろう。

 

 と、最初に書いた”奥の手”とは、私の丹田写真を見せること。

 そもそもは、師父から丹田呼吸をしている写真、即ち、丹田を前に出している時と後ろに移動させている時(命門を開けている時)、の2種類のものを撮って見せて欲しいとの依頼に答えて撮ったもの。チェックの意味が大きいが、ものによっては中国で練習している人達の教材にもなり得ると思ったらしい(私の身体は脂肪が少ないから丹田が分かりやすい。脂肪が多いと脂肪なのか丹田なのか一見分からないことがある。)

 自分でもなかなか腹を見ることはないから、写真に撮ってみると、いつの間にかこんな身体になってしまったのか、とびっくりした。劉師父と練習し出した頃のぺったんこで胃の部分がへっこんでいた腹とは全く違う。

 

 先週自分に近い生徒さん数人にこっそり見せたら、其々見る場所が違うようでコメントも様々。

 私の娘は、パンツの広告のようだ、と言ったが、そんな風に見ていては何も得るものはない。

 昨夜注目してもらったのは、お腹の左右の斜めの線。このラインは腸腰筋が発達すると出てくるものらしいが、股間から斜めに腰骨の上に出てくるラインをイメージして股関節回しをしてもらったら、生徒さん達の股関節の周りが断然良くなった。横向き写真では股関節の車輪の上縁が見えているが、それが中国語で言うところの傍胯。これが車輪のように回転する。

 胯は前、後、内側、外側、と、4方向から操作できるようになれば、関節まわりの隙間が開いてスムーズに回転するようになる。

 

 写真を見た後で股関節回しに再挑戦した生徒さん達。腹を必死に上に引き伸ばさなければならないのがとてもキツそうだった。

 関節は骨と骨の連結点。スムーズに回すためには、骨と骨を引き離さなければならない。

 膝の場合は脛骨と大腿骨を引き離せば周りが良くなる。股関節の場合は大腿骨と骨盤(腹)を引き離さなければならない。感覚的には、お腹をぐっと上に持ち上げたようになるが、それはとりもなおさず、提肛、提会陰の要領で、そのためには足の裏(湧泉や足芯)もかなり持ち上げなければならない。肚はたるんでいる場合じゃない。

 

 師弟関係になると中国の老師でも少し身体を見せてくれたりする。普通マスタークラスの老師達は決して身体をみせない。劉師父がバミューダパンツで練習に現われた時、脹脛が丸見えだったので、私は必死に膝下の動きを見た。見ると分かることがたくさんある。

 私が知っている中国の少林寺系の老師も劉師父も、この腸腰筋のラインはしっかりはいっていた。丹田を作っていくと必ず腸腰筋が鍛えられてしまうので、このラインがないと太極拳の老師とは言えないだろう。

 腸腰筋についてはいろんなブログがありますが、この方のブログは簡潔で分かりやすい。

 https://taikan.hamazo.tv/e5987775.html

 

 奥の手の丹田写真は→仲間のページ(心を鎮めてから開けて下さい・・・)

 

 

2018/10/30

 

 下肢の三節回しを引き続きやっていますが・・・

 やればやるほどそのが重要度が分かり、これができずにして二本足で立ち上がっていたこと、立ち上がっていることが恐ろしくなってくる。

股関節、膝、足首(踵)が回転できない場所で立ち上がっている、ということは、土台が傾き崩れたまま建物(胴体)を積み上げているようなもの。

土台となる下半身がしっかりしなければ、そのうえに乗る胴体が放松するはずがない。

結局、腰に負担がかかったり、肩、首に負担がかかる。

腰痛や肩こり首こりが絶えないのは下半身、土台の軸のズレだったのか・・・と今更ながら知る。

 

 まずは膝回し。

 ここで、膝裏の、委陽、委中、陰谷、この3つのツボでしっかり回れるようにしつける。

 この3つのツボを外さないように膝を曲げるのが非常に大事なところ。

 この3つのツボを外さないように膝を曲げ続けていけば、太腿の筋肉を縮めて太い塊にすることなく、余裕でしゃがみ切れてしまう。下に坐っていけばいくほど、腕が上がってしまう、はず。下にしゃがんでも腕がなんら影響を受けないとしたら、膝裏を使ってしゃがめていない。

 ・・・・これは太極拳の中腰体勢の基本となる。

 だから節節貫通となって、最終的には足と手が繋がってしまう。

 

 基本功ではそんな身体づくりを目指す。

 丹田の気の量がないと膝裏のラインで立ち上がることはできないから、丹田の気を徐々に増やしていくことになる。

 タントウ功で身体の内側が貫通した身体を作るのだ・・・とやっと全体像がクリアになった。

 

 今日のビデオレッスンの生徒さんには、踵、膝裏、股関節の球を回した後に、そのうえの、お尻、腰、腹、胸と、胴体部分を下から繋げていくことに挑戦してもらった。

 馮志強老師の18の球が一斉に回る、という話。ここに来てやっと現実味を帯びてきた。

 球とは紛れもなく、関節。

 関節は球のごとく回る。折れないし折らない。

 股関節とお尻の球の違いが分かるか?お尻が回ればそのうえに腰がある。そして腹は腰の前。そして胸(胸椎)はその上、そしてその上に首の球。

 胴体部分の関節、は腰、腹、胸、首。これらも関節。回る!

 

 関節を意識できるか?

 まずはそこが最初のハードル・・・。

 

 

2018/10/26

 
<LINEへの投稿>
 
 今日の練習もたくさん言うことがあって時間が足りませんでした。口が2つあれば同時に2つのことが喋れるのに、と、途中もどかしく感じたほど(苦笑)
下肢の三節の回転は太極拳の、というよりも、実は人間の下肢の使い方の基本。関節は回転=隙間なしには機能しません。関節を折りたたむものとして使っていると直ぐに磨耗して傷んでしまいます。
1つの関節を動かす((回す)とジャラジャラと連動して身体中の関節が動く(回る)ことになる。これが太極拳で言うところの『節節貫通』です。
 パリで映した劉師父の準備運動。
 実はこれがチャンス―の基礎になる。
 下肢の根節(クワ、股関節)、中節(膝)、梢節(踵、足首)を、中節から順番に外旋、内旋100回ずつ、クワ外旋内旋100回ずつ、踵外旋内旋100回ずつ廻す。
 膝がちゃんと回るか(膝裏の3点、委陽、委中、陰谷をちゃんと使えるか)がポイント。
 回す、のは見たほど簡単ではない。こんなに後ろですか~?というのが生徒さん達の共通した感想。結局、タントウ功でしっかりとした丹田を作る必要があることが分かることになる。
https://hanakomama.jp/topics/25156/
https://hanakomama.jp/topics/25156/

2018/10/25

 

  帰国してから通常の練習に戻り生徒さんを教えていると次から次へと課題が出てくる。

 劉師父がいとも簡単に普通に、なんの凄さもなくやっていたことが、いざ私達が再現しようとするととてつもなく難しいことになってしまう。

 

 劉師父の動画を見て、どこが凄いのか分からない、とか、動作が地味過ぎて内側(内気)の動きが分かりません、という感想を発したのは5年近く練習をしているベテラン系の男性生徒さん達。

 本当に功夫の高い老師は、普段の練習の時はとても謙虚な動きでどこが強いのか分からない。陳項老師もそうだった。(玄人ではなく一般人から見て)初めから明らかに強そうな人、は、実は弱い・・・というのは時代劇でも同じでは?武術の中でも特に太極拳はそんな感がある(少林拳等の外家拳との大きな違い)。

 私のバイブル漫画の『スワン』の中で、マーゴットフォンティーンか誰かが「技を隠すには技を見せる以上の努力が必要です」と言ったセリフをよく覚えているが、派手に技術をアピールするよりも正確さを極めることの重要性に気づいた真澄が一見地味な踊りでコンクールに臨む姿は印象的だった。

 

 そして今回の師父との練習で、形を正確に作るためには、それを内側から形作るための内気が必要なこと、即ち、外形というのは外枠の線をなぞるのではなく、内側から内気で身体を膨らませて正しい形を作るのだということ、それはあたかも、動物型の風船を膨らまして動物型に仕上げるに末端まで空気を吹き込むようだ、と分かった。だから、内気の量を増やしておかなければならないのだ!(→冒頭写真を参照!)

 一般の人用に広まった太極拳の練習では内気を増やす練習はしない(できない?)から、とりあえず外形を正しく動かす練習をする。これは太極拳の形を使ったゆっくりとした体操になる。

 が、真の太極拳は内気で行う。内気が身体の形、動作を作る。内気が足りなければ身体という風船が膨らまないから関節(骨と骨の隙間)も開かずに動けば動くほど磨耗してしまう。

 

http://korikiku.com/?p=2514
http://korikiku.com/?p=2514

 

 ところで、一週間旅行をして日本に戻って愕然としたのは、私達日本人の萎んだ身体だった。まず、肩がない!

 肩が肩先まで(上腕骨とのつなぎ目、肩ぐうや巨骨のツボまで)意識を通している(=空気を吹き込めている)人はまず皆無(が、外人でも完璧にはできていない、がまし。沈肩が本当にできるのは修行している人だけ・・・?)一般的な日本人は腕が肩井あたりからぶらさがっているような感覚のよう。だから前肩、猫背で貧弱な身体になる。

 

https://www.oricon.co.jp/news/52765/full/
https://www.oricon.co.jp/news/52765/full/

 

 ・・・が、という私自身が若い頃卓球ばかりしていたせいかどうか、えらく猫背で前肩だった。その頃はそんな意識はなかったけれどこも、太極拳の練習をする課程で星飛雄馬の大リーグボール養成ギブスをつけているのではないかという想いを随分しながら(苦笑)、徐々に徐々に肩の位置を矯正していった。それでもまだ劉師父から見れば沈肩が不十分。沈肩とは肩をただひげダンスのおじさんのように下げることではなく、肩関節を全て(幾つある?その全て!)を開けた状態だと分かったのはつい最近・・・。

 

 そして、肩関節、を開くにも内気が必要。中でも、肩の末端まで空気を吹き込むには相当な腹の気(丹田)が必要になる。

 大谷選手やイチロー、松井選手がバッティングの時になぜ揃って頬を膨らましているのか・・・ やってみると分かるが、こうすると首や胸、肩関節まで息が入って膨らみ、重い球に対抗できるような身体になる(本当は肺を空気でいっぱいいっぱいにしている)。

 肩に空気がはいるような呼吸も必要なのではないか?(とすると頭を上げても少し後ろに引く必要あり。携帯見て立っていては肩に空気がはいらない・・・)

 

 ・・・このあたりはタントウ功で徐々に躾けていく予定。

 

 その他、お問い合わせで馬歩の時の足先が前を向くのか外を向くのか、という質問がありましたが、これについては脚の三節の旋回、チャンス―で説明した方が良さそう(文章よりもデモンストレーションした方が分かりやすいはず。近いうちに説明の動画が撮れれば撮って見ます。)

 似たような質問に、手足の順纏、逆纏の関係、というのもありました。

 そして、坐禅の要領。坐禅とタントウ功の要領は同じか?なぜ坐禅をするのか?坐禅の効用は?というような問いもまだちゃんとは答えていないでそのまま。ただ、これは答え出すと本一冊書けそうなテーマ・・・。

 

 丹田呼吸、即ち、丹田を臍の方に膨らまして(前丹田)、それから中間、そして後ろ丹田(命門)へ、というのをやって見せろと師父に言われ写真を撮ったりしていました。

 

 それはそのうちLINEの仲間のページにアップするかどうか・・・。

2018/10/19

 

 昨夜ソウル経由で帰国。

 たった1週間の旅だったのに1か月は留守にしていた気がする。そのくらい密度が高かった(チコちゃんで、大人になると時間が経つのが早くなるのはなぜか?、というのをやっていたけど、まさに子供の時は時間の流れが遅いというその状態!)

 

 後半3日間の劉師父との練習では非常に細部に至るまでチェックを受けたが、ここまで正確にやって初めて真の功夫になるのか、とその正確であることの難しさを痛感した。正確であることには派手さがなく、一見ふつうにしか見えないのだが、いざ真似してみようとするとできない。漫画のスワンの中でもそのようなことが描かれていた場面があったことを思い出した・・・どんな芸術、職人技でも同じだろう。

 

 細かい練習内容については追々にして、48式の動作を直された時に、私の動作がなぜいけないのか?を私に納得させるために師父がやってくれたその動作の実践的用法。太極拳はその動作の実践的意味が分かっていないと原理を外してしまう。それにしても、強い!(強くなければ太極拳とは言えない、と私は師父に出会った第一回目の練習で言われました。”強さ”は武術家(あるいは男性?)にとって一番得たいもの(らしい))

2018/10/17 続き

 

 そして最後はマウリッツハイツ。

  もちろんフェルメールの絵、2点。
 
 この2点を鑑賞するためにデルフトに行ってきたばかり。
 そしたら、なぜフェルメール、そしてレンブラントが光にこだわったのか、分かってしまった!
 
 パリに出てくる前、ちょうど上野でフェルメール展が始まったので、それならマウリッツハイツに行く前に見ておこうと予約をして見に行ってきた。9点集まった!という史上稀なる展覧会、ということだが、貴重過ぎるのか、9点が一つの真っ暗な部屋に閉じ込められ、人だかりの中、監視されながら見る絵は呼吸もままならない。ただ息を呑むばかり。絵はこんな風に鑑賞するものなのかしら?と、狐につままれたような気持ちで会場を後にした。
 が、ここハーグの美術館はこじんまりとした宮殿を美術館にしたもの。明るく柔かな光の中で見るフェルメールの絵はとても自然で、見て微笑ましい気持ちにさえなった。デルフトでフェルメールハウスを訪れた時、初めて彼の作品の中にはウィットがあるというのを知ったが、そういう目で見ると、午前中に見たエッシャーにまで繋がってしまう?、オランダ人はそもそも陽気・・・(ゴッホはパリに行っておかしくなった?)なんてと勝手に想像して可笑しくなってしまった。
 
 ハーグからデルフトへはトラムで20分足らずだが、その途中、線路に並行して水路が流れているのを見ていた。と、あれ?と今更ながら気づいたのは、水位がとても高いこと。オランダは土地が海面よりも低いのだから当たり前といえば当たり前なのだが、改めて見ると、日本なら避難勧告がでかねない水位の高さ。ちょうど午後の日差しが水路の水に反射して明るく輝いていた。
 デルフトも水路が張り巡らされた町。日光が水に反射してとても明るく感じられる。
 そう言えば、私がロンドンで2年研修をした後オランダに移動して感じたのは、明るい!ということだった。緯度は高いし天気も変わりやすいのだが、ロンドンのような陰鬱感、パリのような陰湿感がない。その時は国民性?とか思っていたが、いや、それはこの”水”、水に反射する光のお陰かもしれない。
 そう気づいてハーはりグのビネンホフの前の池を見ると、や。はりキラキラしている。子供の時に好きだったキャンディキャンディの終わりの曲で”キラキラ光る~風の向こうで~”の時に画面に宝石のようなキラキラが出るのがとても印象的だったが・・・似てる。キラキラがさらに目立つ理由は緯度が高いから日光が傾斜して水面に反射するから?
 フェルメールも、そしてレンブラントも、デルフトという当時の大海洋国オランダの最も先進的な場所に集まった画家達がその”光”をどうにかして絵に描き込もうと一生懸命になったのも不思議ではない気がする。ここには至る所に光がある・・・・パリではフェルメールもこうは描けなかっただろう。
 人は時と環境の産物、改めてそう思いました。
 デルフトの風景は柵も何もないので一人ビッタシくっついて見ることも可能。真珠の耳飾りの少女だけ柵があったが、それでもかなり近くで見える。乳母車で普通に見に来られる、それほど絵が身近にあるのは羨ましい。
  
2018/10/17

 パリに戻って練習始まったら既にオランダが遠い過去になりつつある....
  とりあえず写真だけアップ
   2日目夜明け前に(といっても7時!)ホテルで自転車を借りて昔住んだ家、そしてその向かいに広がる森(クリゲンダールの森)に行く。これがこの度の最大の目的。
   出勤の前によくジョギングをしに行った....


   太極拳の練習をすることさえ不自然に感じられた森の中。キリがない感動でいつまでもここにいられる、し、いたい。けれどもその日の中で回らなければならないところがまだある....
   後ろ髪を引かれながら自転車を飛ばしてホテルに戻る。その後、贅沢な朝食→エッシャー美術館→フェルメールの故郷デルフトへ→フェルメール ハウス→ハーグへ戻る  生ニシンのサンドイッチ!
   
2018/10/14

  思い出のハーグは思い出以上だった。
  20年以上経っても変わらない街に対して自分自身は本当に変わったと再確認。見る目が違う。

  何故か格安で泊まれた憧れのホテル デサンデ。ここは昔から憧れていた格式の高いホテルだった。当時既にアメリカ系列の高級ホテルがハーグに進出して来ていて偉い人はそちらに泊まっていたが、私は曽祖母の兄にあたる元東京芸大の総長の正木直彦氏の自伝で、1900年のパリ万博時に三年間パリに派遣され滞在していた期間にハーグを訪れこのホテルに滞在した際、お金が全然足りなくて大使館に助けて貰ったとエピソードを知るに至り、いつか泊まってみたいとずっと思っていた。
  今回ハーグで一泊するのにネットで検索したら、何と値段が通常の五分の一以下、パリの三つ星程度の値段で泊まれる。これは絶対に行かなければ、と心踊る。
  果たしてホテルはクラッシックで、でも重苦しくなく、ゴージャスだけどフランスのような煌びやかさがなく、私が最も好きなタイプ。家の部屋がこんな風だったらこんなガサツにはなっていなかった....自分の荷物を部屋で開けてひっくり返した途端、部屋の格調高さに"ヒビ"が入ってしまったのには愕然とした。いや、私がこの部屋に入った時点で既にヒビが入っていたのかもしれない....。朝の朝食時にホールに集まった人々は全て西洋人。中国人が1人もいない場所なんて今時滅多にないのだけど....
  格式高くてもフレンドリーで素朴さが残るのはやはりオランダ人、オランダの風土だからだろう。
  自転車もすぐに貸してくれました。
  これで今回一番行きたい場所に行ける!

  下の写真、ホテル、そしてホテル周辺の光景。
思い思いの自転車姿の人々が目立つ中、東インド会社の名残りがちらほら....エキゾチックなアンティーク、ブティックのマネキン、夜の街でポーズをとる鮮やかな色の女性、そして夕食に食べたのは、やはりインドネシア料理♪
  


2019/10/13 その四
 ロッテルダムからハーグへ
 車内→市内中心 ビネンホフ→ホテル デサンデ(インドホテル)
2018/10/13 その三  
 パリからハーグへ。
 その途中。
電車出発して1時間半でBruxelles。落書きだらけの電車が隣を走る。
そしてなんか暗い駅....と思ったらアントワープ。それっぽい感じ。
そしてタリスをロッテルダムで降りる。ここで国内線に乗り換えるのだけど、この先の作戦練るため暫し駅で休憩。
国内線の切符をどう買うのか、トイレはどこなのか、軽食はどこで取れるのか....構内をうろうろ。
2018/10/13 その二

以下LINEへの投稿

 昨日の疲弊極まり熟睡。7時ぴったりに目が覚めました。時差ボケ、ゼロ?

 午前中北駅に向かってそこからオランダ行きの新幹線(タリス)に乗る。
 ホテルから北駅までスムーズに行けば40分、だけど何が起こるか分からないパリの交通。
30分は早めに、と1時間早くホテル出ましたが最初のトラムの駅で、あ〜〜。
   トラムいつ来るか分からず(苦笑)

掲示板になんて書いてるか分からなかったけど、皆が待ってるから来るんだろうと信じて待つことにした。

  
   その後不思議なほど順調に北駅に到着。中国人が私にロンドンに行くユーロスターはどこだ?と聞いてきた(苦笑)
人助けしてる場合ではないのだけど。
   私の電車の乗り場はまだ決まってない模様。早く着いた!
  どこかで待とう....と辺りを見回したら人が箱の上に集まって座っている場所あり。


   
2018/10/13

 昨日パリ入り。
空港では市内行きの電車のチケットを買った直後にロストバゲッジのためパリ行きの電車は全てキャンセル、とのアナウンス。駅中が大きなスーツケースを持った人々で大混乱。別ターミナルからパリ行きの電車が出てるという情報が入り、そのターミナル駅へ移動する電車のホームに人が殺到した。私も遅れまいと頑張りながら、疎開するのか? と第二次世界大戦やロシア革命の頃の、電車に人がしがみついて乗っている画像が脳裏に浮かぶ。
  汗だくで電車に乗り込み、どうにかパリ市内に入りホテルに着いた時には着陸から4時間以上経っていた。
  いつもながら当てにならない交通....
  まあ、人生は本当はこんなものかもしれない(苦笑)
  

2019/10/10

 

 最近一番私の中でヒットした書籍がありました。

それに関連した10/8のレッスン後のLINEへの投稿・・・

 

 『今日は平日、日曜、水曜の生徒さんがちらほら集まったミックス感のあるレッスンでした。最初どこに焦点を置いて良いのか戸惑いましたが、やはり基本中の基本、最も難しい、"腰"(中国語の腰!)を使う要領。

太極腰、という言葉もあるくらい、太極拳はこの腰(=後丹田、命門、腎)が要。これ無くしては太極拳になりません。

 

会陰や湧泉を引き上げるのはそのための要領ですが、それを更に極端にやると、爪先立ち、トウシューズで立った感じです。

今日は爪先立ちからやって、その"腰の高さ"を落とさないように片足の足裏をそろそろ降ろして虚歩になり、さらには虚歩の足の裏までも下げていく、そんな練習をしました。

結局は、薄皮一枚!

 

薄皮一枚、という言葉は最近目にしたある本でうまく説明していました。

太極拳の要領が、薄皮一枚だ、と一度でも身体が分かったら、その後の練習がとても楽になります。』

 

 『身体の使い方が太極拳と同じ観点から書かれている本です。凄い!と思って見たら、同じ学部卒....先輩なのか後輩なのかは分からず(苦笑)

 

 私がこのくらい明確に説明できれば・・・と羨ましくなるような本ですが、この本の内容と太極拳の原理がぴったし合うことが、生徒さん達にもピンと来るかしら?

 太極拳の原理は日常生活に生かせなければ太極の理念に沿わない。今時太極拳で本当に闘おうなんていう人はいません。本当の太極拳の醍醐味は身体、心、その先(超越!)へと繋がって”真理”に目覚めていくところにあるはず。それにはまず出発点の身体を正しく理解しなければならない。

 と、まずは身体の使い方の”真理”からスタート。という意味で、この本やゆる体操の高岡氏の初期の書籍などは太極拳を学ぶ私にとってもとても参考になります。

 

 今ここでこの本の中身を紹介する時間がないので(旅行の準備をしなきゃ!)省きますが、重要なポイント何点かは近いうちに極拳に引き戻して説明できたらと思っています。

 大事なキーワードに、”薄皮一枚”とか、”トンボの眼”とか”身体は水風船”とか、”感覚器官の緊張をとる(眼、鼻、耳、口等)”とかがありますが・・・・

 そうしたら、以前から不思議に思っていたこれらの人達の口の謎が解けました!

 

 

 

2019/10/10

 

 私の問題意識の移り変わりはとても早くて生徒さんもなかなか付いてこられない(苦笑)

 →最近のLINEの投稿を少しまとめてアップしました。

 時間の節約のため、ほとんどコピペです。 →ラインの仲間のページへ

 

 

2019/10/10

 

 明日には日本を発ってソウル経由で久しぶりにパリの師父のところに行く。ついでに若い頃暮らしたオランダのハーグに行こうと欲張ったのが混乱の原因。短期間の旅行でどう予定を詰めるのか目下奮闘中・・・。

 オランダと言えば・・・

 先週上のでフェルメール展が始まったばかりだが、オランダにいた20代の頃の私は絵画に全く興味なし。ゴッホもフェルメールもどうでもよくて、ひたすら平らな路を自転車で走り回り、お気に入りのカフェで定番のアップルパイを食べ、朝は林の中を走り、昼休みは初めて飼った子猫にえさ(牛生肉のミンチ!)をあげ、ついでにスポーツクラブに行って泳いだり踊ったりしていた。明るい水色の絨毯の弾き詰められたアパートの部屋の中でオランダのしっかりとした明るい色の家具に囲まれて暮らした思い出は、ロンドンやパリでの暮らしよりもトーンがずっと高く、私の人生で最高ランクに位置する。何もかも達成しピークに達したと同時に絶望して辞職を決めたのはこの時。オランダがなかったら私はぐずぐずと仕事を続けたかもしれない。仕事には上下はなくて、大使であろうが靴屋であろうが自分の好きなことをしなくてはならない、と、当たり前のことを普通に教えてくれたのはこの国だった。自然でいることの心地よさ。自分でいることの心地よさ。上下関係がないことの心地よさ。男性も女性も大きくて男性と女性が身体的にも対等に見えて、日本のような陰湿な性感覚がないさっぱり感。オランダ人の開放的で明るい進取の気質。そんなオランダの自由さ、ナチュラル感に私はピタッとハマり、いつも間にかそれまで抱えて来た日本的な悩みが取るに足らないものになるくらい勇敢になっていた。

 その頃の仕事は化学兵器禁止条約の発効前の準備開合に出席することだったが、会議場の大きな円卓について真っ赤な顔をしてったいるのは決まって私とオランダとドイツの外交官だった。真冬の零下の時でも車を使わず会議場まで自転車を必死に漕いでくる。環境に優しい健康的な暮らし方を志向する国。私はエコロジストではなくて単に車嫌いというだけだったが、会議場で赤い顔の三人が顔を見合わせて笑っていたのをよく覚えている。

 オカルトに興味を持ったのはロンドン+オランダ。

 週末のアンティークマーケットはミステリアスな物を探しに良く足を運んだ。開放的な国だけど、どこかに敬虔さ静謐さが垣間見られたりするのは、先日フェルメールの絵を見てそうか、と腑に落ちた。

 ロンドンにいた時に大学の教授がイギリス人が唯一尊敬する国はオランダだ、と言った意味はオランダに住んでよく分かった。ものの考え方、開き具合がイギリスよりも更に先を行っている。北欧は行ったことがないけど行ってみたい地域。個人が個人としてしっかりとものを考えられる、流されない、といったところは日本と真反対。なぜそうなるのか・・・と歴史や生活の仕方を調べていけばそこには因果関係があるのだけれども、その頭の理解に止まらず、そこを実際訪れ自分の身をそこに置いてみるとその場の”気”を全身が掴むから頭の理解が一気に深まる。そういえば、以前カラマーゾフの兄弟を何度トライしても読めなかったのが、一度サンクトペテルブルクに行ったらどのセンテンスもありありと情景を示す活きたものになって、面白いほど夢中になって読めてしまったという経験がある。ただ行っただけでこんなにも理解が進んでしまうのか?と自分でも驚いたが、おそらく、見知らぬ土地の一人旅で全身のセンサーがビンビンに敏感になってその土地のあらゆる情報を知らない間に吸収してしまったのだろう・・・覚醒状態か?。慣れてしまったり、人と一緒にいると、そうはいかない。

 いつもフレッシュでいられるなら、毎日が驚きの連続!(→子供!)なのだけども、歳をとってくると何をみても感動しなくなる。旅行に行くのはそのフレッシュ感を呼び戻したいからなのか?

 

 それにしてもパリは観光シーズンなのか、手頃なホテルの空きがない!

 ただ1泊のオランダ旅行の計画に没頭していたらパリのことがおざなりになって今になって焦ってる・・・明後日から泊まる場所、見つけなければ。思い出に浸ってる場合ではない!

 

 

2019/10/6

 

 先日、坐禅とタントウ功の要領は同じですか?という生徒さんの質問あり。

 実はタントウ功は坐禅をしてみるとその要領がはっきりする。クラスではタントウ功を教えるために坐禅をさせてみたりする。

 また、別の生徒さんとビデオレッスンしていてタントウ功の要領、気を溜める状態に入るまでのプロセス、溜め出してから先のプロセス、が今一つ分かっていないのだなぁ、と思った。そういう私もやっと全体像が見え出したばかりなのだから無理はない・・・。

 全体像を言ってしまうと自分の位置するレベルでの練習に集中できない可能性が高いから、通常師は先のことは話さない。ただ今すべきことを言うだけ。次の段階に移行できるレベルに達したら、しらっと、その次はどうしろ、と言う。あら?これまでさせてきたことと違うじゃないか?と思うこともあったりするが、その先に進むと、なぜ師がそこで支持を変えたのかが分かる。師の言葉、指示の意図がはっと分かるまでに2、3年経っていることもしばしば。本当はそんな練習だ。

 ただ日本で普通に暮らしながらそんな練習をするのはなかなか難しいから、私はできるだけ生徒さん達を最短であるレベル(理が分かって自分で練習ができるようになるレベル)に達せられるようにと思って、頭の理解の助けを使おうとしている。

 坐禅とタントウ功の比較、という角度、そしてタントウ功のプロセス、進度のレベル分け、この2点についてきちんと文章でまとめる必要があるかもしれない、と思い始めた。が、少し荷が重い(苦笑)

2019/10/2

 (グループLINEへの朝の投稿)
今日は清々しい練習日和。
最近教えている内功の中に、日月旋転功というのがあります。心と肺の気を回すものですが、これには
肋骨の解放→肩甲骨の解放→肩関節の解放→肘の位置の新たな認識→上腕"肱"の意識の目覚め→腕に対する誤解が解ける
そんな働きがあります。
これを呼吸面から見ると、肺にいっぱい空気を入れる重要さ→腹式呼吸に対する誤解、というのが見えてきます。
たまたまYouTubeでこんな動画に今朝巡り合いました。
この人何者?私より日本語上手。
秋は空気が澄んで肺を養う時期。
参考にしてみて下さい。
https://youtu.be/VG31bqKCuJE

2018/9/30

 

 一昨日休憩に入ってそのまま放ってしまった練習メモ。

 2日も経つとその時の記憶があいまい・・・

 が、ラッキーなことに生徒さんからその日目から鱗だった点についてメールが来た。

 そう、”虚歩”。

 

 練習で24式をやった後にどこかしっくりしない所がないかと皆に尋ねたら、一人の生徒さんが、第15式三換掌の時に、左足が虚歩のためか左腰が入らない、と言った。そこでその動作をやらせてみたら、あら、虚歩が見せかけの虚歩、ただ踵を上げているだけになっている。この脚では左足裏から腰へと勁を上げられない。

 

 虚歩の原理、意味について説明してあげなければ・・・と、虚歩がいかに素晴らしいか、を具体的に説明した。できることなら、両足虚歩→つま先立ち=脚を最大限に使う動物の立ち方の基本、で24式をやらせたいくらい・・・。そうすれば脚が腰まで繋がっているのが用意に分かる。私達は踵から地面に足をつけてしまったがために、脚が股関節までで分断してしまう(日本人の場合は脚が股下止まりのこともしばしば)。バレエダンサーがトウで立つのは非常に合理的だが、それには会陰の引き上げでトウになれるようにちゃんと指導を受ける必要がある。会陰が引き上がり、それが下腹に届けば、下丹田と中丹田がつながり、その丹田に重心を置くことにより関節の可動域が広がる。(逆に会陰=下丹田の引き上げはなく、下半身の筋肉を硬直させてトウになった場合は身体が硬くなり関節が締まって故障しやすくなる。)

 

 

 

 練習では皆につま先立ちをやってもらったが、そのつま先立ちがただ足の甲の面だけで行われている場合は私が想定するところのつま先立ちとは言えない。足の裏の面において、指先から踵まで、そして踵をぐるっと回ってアキレス腱、脹脛、膝裏の筋、太もも裏・・・と勁が繋がって初めて正式なつま先立ち、そして虚歩が出来上がる。

 つま先立ちや虚歩になると、私達は4節足動物(*)になる。

 踵を降ろしている場合は2節足になってるのではないかしら?

 

 *4節足の私的意味

 第一節 足指つま先から足首

 第二節 足首から膝

 第三節 膝から股関節

 第四節 股関節から腰(帯脈位置)

 

  2節足だと 足首から膝、膝から股関節、これだけ。

  (自分の脚をどう意識するか、どのように意識できるのか。

 4節足として意識できるようにするためには、それらを内勁でつながなくてはならない。)

 

 

 脚は腰までつなぐ(4節足(?)になる)ことは太極拳の核心を形成する。

 ここを間違うと本当の丹田は形成できず、ゆる体操の高岡先生が言うところの”拘束丹田”(偽の丹田)しかできない。拘束丹田とは吐いて固めてできた丹田だが、これでは身体は硬直してなめらかな動きはできなくなる。一般的に日本の武道はこの拘束丹田を作るきらいがあるように見受けられるけど何故だろう?・・・丹田を”臍下丹田”といって臍下一点に固定させるためかしら・・・丹田はそんな”固い”ものではない。自由自在に伸縮可能。一粒から身体全体を包む、その場を包む・・・極小から極大まで。それが太極の”太”、大より大きく、小より小さい、の意。

 

  下はビヨンセのSingle Ladies 。”4節足”? 一昔前ハマって見ていました。

 当時はヒールで良くしゃがめるなぁ?と不思議に思っていたら、師父と一人の生徒さんから、ヒールだからこそしゃがめる、と指摘されて目から鱗。スニーカーだとこうはいかない。股関節や腰の可動域が全く違う。

 このくらいの体型だと4節足の意識が出やすいかなぁ・・・(苦笑)

2018/9/28  <練習後のLINE投稿用のメモ>

今日の御苑は清々しく気持ちの良く理想的なの練習場所。
遅れて到着したらまだ立ってる人と、もう内功を始めてる人がいました。

最初に目がついたのがHさんの立ち姿。腰が低い! と、一度踵を上げて腰を引き上げてから改めて踵を下すことを提案。
足の裏、ソールは分厚く膨らませておかないと腰(腎)に気が届かない→ぺちゃんこな足裏では太極拳はできない。
通常、土踏まずを上げろだの湧泉を引きあげろだの言うのは、足裏、いや足全体を盛り上げて高くするため。甲高にする....バレエで甲を出すためにかなりの努力するのと同じかもしれない。
練習の後半に虚歩についての質問があったが、虚歩もまさに足長腰高にするための要領。ただ踵を上げても虚歩の意味がない....のは、今日の生徒さん達には分かったかしら?

トウロによくある足の扣(コウ 足首から爪先を内旋)や 摆(バイ 足首から爪先を外旋)も、これによって全身の方向転換が可能になるわけだから、足(足首以下)は少なくとも腰(腎の場所)まで繋がっていなければならない。

足爪先から足裏、踵、アキレス腱を経由して膝裏、お尻(股関節 環跳穴) 、そして腎、ここまでが線で繋がるか否かが内家拳としての太極拳になるかならないかの鍵を握る。丹田なし、内勁なしの動きは外形的に太極拳に見えたとしても別物....

この辺りの要領は馮老師の内功の三丹吐納功の下丹田の吐納功をしっかりやると良さそうです。中丹田の吐納功もポイントは後丹田(命門)に持って行ってしばし腎で溜めておくこと。
この腎(腰)での溜め(固精....)がパンチ(打)、ジーに、蹴り、チャンスー、全ての元になる。
しかし、実は下丹田にはもれなく脚、足が付いてくる。足、足裏で地の気を引き上げることなしには下丹田は機能しない(立位の場合。坐禅の時には骨盤底筋が足裏の機能を果たす)


ここでしばらく休憩....

2018/9/28

  暫くブログを書くのをサボっていたら、読者(⁈)の方から催促(!)のメールを頂いてしまいました。
  ここ数日はソウルに行っていて思いの外忙しく、書く時間がなかったのですが、そもそも最近の練習のことは文書にし辛い。
  一層の事、10分足らずの録画にしてYouTubeで配信するのはどうかしら?なんて大胆な案も浮かんだが、そうなると顔やら喋り方やらが気になって、これじゃあ恥ずかしくて映せない....なんて、はぁ、本当に男性だったらその辺りのハードルが低かっただろうに....と羨ましく思ったり。
  チコちゃんみたいな被り物で太極拳教えたら楽しいだろうなぁ?なんて冗談で言ったら、既に被ってるじゃないですか? 、とか言う巫山戯た生徒さんもいたりして絶句。
  
  ビデオで教える、というのはこの先の目標にして、とりあえず書けることは書かねば、全て流れていってしまう。

   この2週間くらいは、馮志強老師の12の内功に焦点を当てた練習をしています。
   昔、まだ丹田やら何やら全く分からなかった頃にやった時はその良さが全く感じられなかったですが、今やると全く違う。感動モノです。これが太極拳の基礎になっているのがよく分かる。
   それが生徒さんに感じられるように、解説を加えて練習してもらうと、皆の反応は予想以上。が、妙に疲れるとの感想。
  私としては内功の謎解きをしているようで楽しい。

  また追い追い紹介します。

2018/9/11

 先週の結末....

カメに乗っていざ出発。
まさか竜宮城には着かないだろうなぁ、とは思っていたけれど....


2018/9/6

 

 カレンダーを見ながら・・・ 

 今月17日と24日は共に月曜祝日。

 初心に戻って初心者用の練習会をやっても良いかなぁ、と思い始めました。

 タントウ功と動功だけ、もしくは24式套路のみ、どちらかにしぼって午前中、新宿御苑か新宿内の会場で練習するのはどうだろう?

 タントウ功や動功は天気が良ければ御苑が最高。

 24式の型を覚える練習は鏡がある室内の方が効率的かなと思います。

 参加者が集まれば実施します。

 興味のある方はお問い合わせから連絡を下さい。

 希望の練習メニューを教えて頂ければできるだけ調整します。

 

2018/9/6

その後の展開.... 
10秒ごとにスライドします。
そして明日の結末は?

2018/9/4

 

 台風近づく中、今日は和室で少人数の練習。

 

 48式ゆっくりで身体を解した後、推手の形で前(鼠蹊部)と後ろ(お尻)から股関節を別々に意識し操作する練習をしてみた。

 前回パリで劉師父と推手をした時、「手の力(勁)は股関節から来るのだ」と何度も注意された。それまで腰から勁をつなぐものと思っていた私はとっさにそうはできなかったが、「馮志強老師も股関節と手がつながると書いているから確認しておきなさい。」と言われ課題を残したままになっていた。

 その後、練習の時にそのことを特に思い出すこともなく、生徒さんを教える以外は自分では家で坐禅をして気を溜めるくらいしか練習していなかったが、次第に腹に溜まる気が増えていて、いつのまにか腹の気が股関節に達するようになっていた。

 腹の気が股関節に達する、ということは、言い換えれば、股関節まで腹になるということ。

股関節のラインは脚の付け根、胴体と脚の境界。鼠蹊部、脚の付け根まで気が溜まると、その腹圧で骨盤底筋をぐっと押せば(跳び箱で跳ぶ時に手をぐっと跳び箱に推すような感じ?)骨盤がぐるっと前回りして立ち上がる。胴体が地面に対して垂直に立ち上がったようになる。(ここまでいけば坐禅の時に坐骨で坐れるので尾骨がフリーになる。すると尾骨裏の長強穴から気を吸い上げ頸椎まで通すことができるようになるので背骨を固めて上体を持ち上げ続ける必要がなくなり坐禅もそれまでより随分楽になる。180度開脚やそこから上体を前に倒して床に胸をつけるのもそれほど苦でなくなる。)

 少し話が逸れるが、股割りや180度開脚などはストレッチでむりやり筋を伸ばすのではなく、腹の内気を膨らませて内側から筋を伸ばし関節を開けていくのが健康的で意味があるというのが私の経験からの結論。即ち、タントウ功や坐禅をしていれば、次第に股関節は開いて使いやすくなる。逆に、もしタントウ功をやればやるほど脚が上がらなくなったり開かなくなったとしたらやり方が間違えているということ。

 

 下はタントウ功の流れ(左から右へ。何年かかるかは個人差あり。)

 

 

 まず臍下の気海から溜め始めた気が次第に多くなる(上の一番左とその横の図)。この段階の目標は中丹田を下丹田とつなげること。

 そして下丹田まで届けば、股関節を巻き込むので気が脚を伝わって足底に落ちる。ここで足に気が落ちた、足に力が出た、足が根付いた、という状態になる。(左から三番目の図)ここまでは濁気を下へ下げている段階。第一段階。尾骨は内側に収める(犬のうんちんぐスタイルの尻尾)。

 

 ここまで十分にできたら、足裏(湧泉)を使って清気を引き上げていく。これが第二段階。

会陰も湧泉によってさらに引き上げやすくなる。尾骨も浮き気味(尻尾が上がり気味)になる。

足裏に降ろす時の腹圧が強ければ強いほど反射作用として足裏から上がってくる気の量が強くなる(ウォータークーラと同じ。下のペダルを強く踏めば踏むほど水が勢いよく出る)。

 

これを日々続けて、上の肋骨から肩、そして首、最終的には足裏から頭のてっぺんまでが一つの気の球となると、マスタークラスのレベルになる。

 

 冒頭に書いた、手と股関節をつなぐ、というのは、股関節から肩が一つの気の球でつながるレベル。そのためには腹から腹底、足裏に向かう腹圧が相当必要(再度、ウォータークーラの原理…?)

 

 今日の練習では皆とどのくらい腹が膨らんでいるか触り合いして遊んでいたが、私はこの夏痩せてしまったにも拘わらず、腹と腰回りの膨らみだけはすごくて、ベテランの男性生徒さんも、腹を私のように膨らませると腰が膨らまなくなる、どうしたものか、と横でああでもない、こうでもない、とやっていた。あるところまでいくと、木の幹と同じような胴体になるので腹と腰ではなくて胴体ぐるっと一周一斉に膨らんで、ドーンとした感じになるのが分かるようになった。

 こうなると最早、脚は胴体だ、とも言えるし、胴体は脚なんだ、とも言える。(私はまだそこまでできていないけれども)腕も然り。

 最終的には、四肢も含めて全部胴体(四肢も胴体)と言えるだろうし、逆に、胴体が四肢化してしまって胴体は四肢、とも言えるかもしれない。

どこから脚、どこから腕か、というのは結局自分の感覚。短くするのも長くするのも自由自在・・・。

 

 以下、四肢もが胴体になってしまったマスター級の老師の推手。

 

 これらの老師の推手は私達が練習でやるおきまり推手と随分違う。

 が、私達が練習している推手がいずれは下の動画のような実戦と結びつくことを知らないと、なぜ気を溜める必要があるのか、何故全身を胴体化しなければならないのか、なぜタントウ功が必要なのか、套路で何を学んでいるのか、が分かって来ない。

 

 一見技一つ一つがバラバラに見えても、要領は内側で一つになっている。

 股関節や肩関節が胴体の中にあることが分かると、老師達が一見脚を使っていないように見える動きでも内側でしっかり陰陽転換をしているのが見えるようになる。脚がやたら動かしても体重移動にはならない(弟子達はだいたいそうなっている)のが理解できてくる。

 体重移動とは腰の移動、股関節肩関節の移動、即ち胴体の陰陽転換運動であり、足裏移動では決してないということ。

 理屈は分からなくても、ぱっと見てどっしり感、真っ直ぐ感で誰が強いか分かる。自分で練習していくともっと見えるようになりもっと面白くなる。

 

 

2018/9/3

今朝の掲示板 
 
カメすくいなんてあるのを知らなかった私は、このイラストに描きこまれた皮肉が分からなかった。説明を聞いて、なるほど....(月曜から金曜、5回で1話完結になるはず)
同じものを見ても何を感じ、どんなメッセージが読み取れるかは受け手の経験、知識、感受性等によって大きく変わる。
太極拳で腕を回して一つ円を描く、そこにどれだけの意味....技、要領、身体の構造、力の伝達系統....を感じられるか、と似たようなところがあるなぁ、と思いました。
一つ円を描くことの畏れ多さ。
....そう言えば身体が動く、呼吸をする、だけでもはや神秘でした。

掲示板は私の悪友のもの。ただのヨッシースタンプファンだと思ってたら、こんなのをさらっと毎朝描いている。
センスが独特で毎回小さな驚きがある。
せっかくなのでここで共有させて頂きます。

2018/8/30

 

 今日はお義父さんの49日の法要である有名なお寺に行くことになった。

 着いてみると何とも大きく立派なお寺で、沢山のお坊様が一斉に祈祷をしていた。豪華絢爛。

 法要まで少し時間があったので、私達はお坊様が参拝の方々へ短いお言葉を差し上げるところに同席することができた。

 

 ここしばらくは初期仏教の長老の説法ばかり聞いていたので、別の宗派のお坊様がどのような話をするのか私は興味津々。よーく耳を凝らして聞いてみた。

 すると・・・話の内容が残暑お見舞い程度で何の中身もない!儀式の壮大さとは対極的。短いお話とは言え、お坊様のお話は聞けば少しはこちらが賢くなるはず、気づきがなければならない、と思っている(思い込みか?)私にとっては何とも肩透かしにあったような気持ち。これなら小学校の校長先生が朝礼でしてくれたお話の方がためになったかもしれない・・・。

 

 ヴィパッサナ―瞑想は観察瞑想。しっかり観察をし続ける。

 が、こんなんで、無常や無我を悟れるのかしらん?と多少疑心暗鬼になったりもして、6月の合宿以来、ヴィパッサナ―は専ら朝の忙しい時、道を歩いているとき、そして太極拳を練習している時に行う程度になっていた。

 

 が、今日のお坊様のお話で、しっかり観察しなさい!、という長老の言葉が少し分かった気がした。

 今日のお坊様のお話の一部はこんな風だった。

 「今日もまだ暑いけれども、昨日までうるさく鳴いていたセミの声は今朝は見事に消えてしまった。代わりに鈴虫の声に変っている。セミはどこに行ってしまったのでしょうかね~、確実に秋になり、季節は移り変わっています。これを仏教では無常といって時の移り変わりとともに生きていくことを釈尊は教えられています。・・・残暑の折、お体に気を付けて。」

  セミはどこに行ってしまったのでしょうかね~?

 とお坊様が言った時、私は心の中で、死んだでしょう、と言っていた。実際、外にはたくさんのセミの死骸がある。うちの犬は何故かセミを食べるのが好きなので、散歩の時にそこから引き離すのにこちらが苦労しているくらいだ。

  ちゃんと観察していればセミが最後どうなったのかははっきり分かる。そしてその死を見ることで無常、自分も無常、そのうち自分もセミと同じ運命になることがはっきり見える。だから限られた短い人生をしっかり生きなければならない・・・・と長老だったらそういう風に説法をするだろうなぁ、と思うし、そちらの方が本当に人のためになる説法だと思う。最も大事なこと=死、から目を背けさせるような説法は仏教のものとは思えない、観察が足りない、というか、観察が必要なのだ、しっかり観察していれば真理は見える、というヴィパッサナ―の手法が少し納得できた一瞬だった。

 

 人は大事なところで目を背ける。本当に、一番大事なところで目をつぶる、意識を外す、それはこの数か月の太極拳の練習で気づいたことだった。

 生徒さん達との練習、チャンス―でも円でも大事なそころで意を外す。でも本人は気づいていない。指摘してあげると本人も気づく。(私も自分の動画を見たり、師父と練習をしていると無意識部分に気づく)。それほど私達は通常、無意識で生きている。

 

 今日のお坊さんはこんな話もしていた

 ・・・こちらでは動物の供養もしております。犬でも鶏でも、蛇でも・・・私は蛇は嫌いなのですが、やれと言われれば蛇でも供養を致します。・・・・

 実は動物供養の話をする中で、「蛇が嫌い」と言う言葉を3度も繰り返した。

 隣に坐っていた娘が思わず私に小声で「(お坊さん)普通の人だね。」と軽く言った。

 普通=俗人?私も思わず笑った。 蛇と犬の何が違うのか?生命を見れば同じ生命。一体どの程度の修行のレベルなのだろう・・・?

 少なくとも、足の指でゴキブリと遊んであげる、という長老とは全く違う。

 

 同じ仏教といえども中身は千差万別。太極拳も似たようなところはある。到達しようとしている場所の違いかしら?(まだまだ良く分からないことがたくさんある・・・)

 

 

2018/8/26

 

 「太極拳とは空気中の水泳である。」は馮志強老師の有名な言葉。

 クラスでも以前そんなことは教えたし、ブログでも書いたことがあったから、何度も繰り返す必要はないかと思っていたが、先日アジア大会で池江選手の見事は6冠達成の泳ぎを見て、馮志強老師のあの言葉が”膨らんで”しまった。 

 

 日曜クラス、早い人は私の到着1時間前からタントウ功なり動功なり自分の練習を始めている。昨日も私が着いた時は銘々準備が終わっている様子だった。それなら、とそのまま24式から練習を始める。そのあと48式をやって皆の動きがぼやっと見えた時、ああ、そういうこと?と水泳関連でアイデアがひらめく。

 

 一通り動いた後で、ベテランの生徒さん一人に第17式第18式あたりをやってもらい、途中定式になったところでストップをかけてみた。なお、套路の定式(各式の最後のポーズ)はそのままタントウ功ができるようになっている(あるレベルになったらタントウ功は馬歩だけでなく弓歩でやってみる。最終的には套路中どこでストップをかけられてもタントウ功になっているのが理想。)

 

 套路中のあるポーズをとったところで一時停止をかけられたM君。それを見てもらいながら皆に質問してみた。

 「このM君をこのままの形で海に放り投げこんだら、浮くと思う?沈むと思う?」

 皆がギョッとした顔をした。(意外な質問で一瞬頭が真っ白になったような顔・・・脳は一瞬開くが丹田を外してしまっているのでスキができてしまっている状態。でもそんな顔を見るのは楽しい。(笑))

 

 「沈むと思う・・・。」

 そう誰もが思う。M君本人だって、このまま海に投げ込まれたら沈んで死んでしまうと思ったに違いない。

 「じゃあ、少しでも浮くように身体の中を変えられる?」

 M君が身体の中をもぞもぞ動かしている・・・彼なりに精一杯、空気を入れて身体を膨らませようとしている。

 振り返ると、他の生徒さんも真似をして身体を膨らませようとしていたりした。

 「命門を開くという意味が分かったかしら?」

 皆に聞いてみたけど、ピンときた人はどのくらいいただろうか?

 

 水中で浮く時の身体の要領と太極拳の基本姿勢の胴体部分の要領はとても似通っている。ポイントは腰の隙間(命門や腎)に空気を入れること。そして最近の肋骨を意識する練習から気づいた点と重なるが、肺にそれなりの空気をいれておくこと。『含胸』とは胸から空気を抜いてぺっちゃんこにすることではなく、それによって二つの肺を右左にきちんと分割し、それぞれにきれいな空気がたくさん入るようにすること、というのが現在の私の理解。(だから脇や体側部分が膨らむようになる。腹圧をかけるため肋骨は閉じ気味にしておくのに、内側の空気量が増えるからこそ、”束肋”(肋骨を束ねた感)が出てくる。ただ肋骨を締めただけでは胸がぺっちゃんこ→そこから下腹が満タンになり、じょじょにその蒸発した気が胸へとあがって肺を満たすような経路をたどる:タントウ功がかなり進んで中丹田、下丹田が満タンになった人の練習の経路))

 

 水中で浮く時の身体の状態については以前書いた覚えがあるので、検索してたら2013年12/13付けの記事に、腰痛のある人へ、という文脈から以下のように書いていた。

 

 腰が反って腰痛になりがちな人に一つのアドバイス。

歩いているときに、頭の中で背泳ぎで浮く時の身体のイメージを再現してみる。浮ける人なら分かるはずだが、その時お腹が少し引っ込み(腹筋が使われている感じ)腰(命門)が開いたようになっている。もし腰が反っていたら沈んでしまう。逆に腰が丸くなりすぎていても沈んでしまう。

水面で働く浮力は水平方向の面積が広い方が強くなるから、背骨が通常のS字カーブよりも直線的になると浮きやすくなる。それが命門を開いた感じだ。

背浮きでも伏し浮きでも同じだが、水中で浮く時の身体の使い方はとりもなおさず上の①の要領。

今日生徒さんにもアドバイスしたが、歩いていて命門を開く要領を思い出せなかったら、水中で背泳ぎをする自分をイメージして、その姿勢のまま歩く、というのも好い練習になる。

日常のちょっとした意識の使い方が積もり積もれば大きな成果につながる。普段の生活でどれだけ意識的になれるか、それは太極拳の中で最も大事な修行だと思う。

 

 (ちなみに、検索がてら自分の以前のメモを読んだら、思った以上にちゃんと書いている!復習になるので、生徒さん達は図のあるところだけでもざっと眼を通してみて下さい。今なら理解が簡単、あるいは、使える!はず。https://www.studytaiji.com/2013/12/01/2013%E5%B9%B412%E6%9C%88/)

 

 昨日の、水中に放り投げられて浮くか、という視点を置くと、命門だけでは足りないのが分かる。関節の隙間も必要、力みもとらなければならない、空気を身体の中に蓄えなければならない。

完全にはできないにしても、そんな雰囲気が分かると、会陰を上げなければならないことも分かるはず。しゃがむような動作でも浮きながらしゃがもうとするとどうしなければならないのか?

是非やってみて下さい。(今週の練習では生徒さん達にやらせてみます!)

 

 下の馮志強老師や他の老師の動画。浮きそうかどうか、身体の中の空気量の違いが見えるでしょうか?

 (全部見なくても少しみれば雰囲気は分かると思います。もちろん、どうやったって、実際には沈みます(苦笑)感覚的な説明です。実践系、演武系の人の目指す方向は違うのでその感覚は減るかもしれませんが、太極の道”に行くなら間違いなくこの方向でしょう。)

 

 

 

 番外編。アジア大会も凄かったよう。が、これはどう見てもアクロバティックな体操競技。身体能力がとても高い。

 いつの日かこの中から太極拳に入門する人が出てくるのかもしれません。

2018/8/25

 

 暑くてサバイブするのが精いっぱい。家族行事もあってメモが遠のく。記憶も遠のきつつあるので書き出し作業。

 

 ①結局はタントウ功

  24式、48式内の技の説明。技を丁寧に教えてもかけられない、痛くない!のはなぜ?

  結局、タントウ功がしっかりできていない。

  そこを注意させて補助してあげると、タントウ功をやってきた生徒さん達はクリアする。

  肘技やカオ(体当たり)、膝崩しだって、全てはタントウ功をきつくやればよいだけ。

  打つのも同じ原理。

  中正不偏が太極拳の核心。一瞬たりとも崩れない。そのための腹の気(丹田)。

 

 ②会陰→舌→百会(眼)

  身体を上に持ち上げる3点。

  舌が落ちたり、眼が落ちては、虚霊頂勁はできない。

  (ここから派生すること…多し)

 

 ③眼法

  眼が手を追いかけてはいけない(眼がくらくらする…当たり前)

  手が眼を追いかける。(実践すれば当たり前の話)

  無駄に瞬きしない(そのためには丹田で上丹田を引き込み続ける必要かあり。

  眼で脳を開ける(詳しくはいずれ)

 

 ④肩関節と股関節、四つの珠の隙間を開ける。四つの珠は四輪駆動。

 

 ⑤息

  息で決まる! 自分の息が分からなければ、人の息を見てみるとよい。

  転換点にスキあり。そこがチャンス―のミソにもなる。

  「スタンフォード式」で説明されてた腹圧呼吸ではその転換点をどうするのかの説明なし。

  尺八奏者が使う密息にはその転換術があるような気がする。

  転換点で気が煉られ、力が増強する。

  ・・・・説明難しい。

 

 ⑥肋骨

  肺にはプラーナ(軽い精妙な気)

  タントウ功のした姿のまま海に堀投げられても浮いてられるか?

 

 

<LINEの仲間たちのページにもチャットを貼り付けました→仲間たちのページへ

 

2018/8/14 その二

 

 先ほど明日のお盆特別レッスンの生徒さんから、明日は彼が参加できなかった半年ほど前のクラスで私が教えたという『含胸』の要領を教えて欲しいとリクエストあり。

 半年前の含胸?

 一瞬面食らって、彼に、もう少し具体的に私が何を教えていたのか分かれば教えて欲しいと頼んだ。すると彼はそのころのブログ(?)から該当部分を引用してくれた。

 

 『喉を無事通過すれば、胸のダン中つぼ。裏は肩甲骨間の神道ツボ。

 ここを開く、いわば『含胸』の要領。

 今日はここを中国風お祈りポーズで開く感覚を掴んでもらった。

 この場所は魂が住んでいるから、特別のお部屋が用意されている(心包)。中の住人をつぶさないように、私達も胸の奥に隙間をあけておかなければならない(中医学の説明)。

 両手を胸の前で合わせるポーズはそもそも胸の中を開けて胸の気を腹の方へ降ろすようにできている。

 太極拳的には上肢は胸のど真ん中、肩甲骨のど真ん中から生えているように使う。含胸ができないと上肢、肩がうまく使えない。』

 

 確かに私の文章だけれど、いつ書いたのか覚えていない。

 これじゃあ、どうやって当時『含胸』を教えたのか分からない。

 更に手がかりを探してもらうと、彼から、”ストロー”と”打人如接吻”、があがってきた。

 ストロー? 最近知ったLINEの検索機能を使って検索。今年の2月にその会話があった。

 

 『今日の練習には重要課題の息と心の第4チャクラの開発が含まれていました。

第1から第3までは身体のベース、この基礎を元に第4から上の開発に進みます。

呼吸は第6→第5→第4(鼻口付け根から肺)ですが、息は第4→第3→第2→第1まで行って"翻る"なり他の場所に動かす...と感じられますが最後までまだ追いかけられません。

息は血管の流れでもあるから、実は人体の壮大な地図を描くような話にもなり得る...。

 

ハート第4チャクラの開発は、胸前面のダン中のツボと背中側の神道穴を貫通させてストロー一本突き刺さったままストローを潰さないように腕を動かすことから始めました。要はこれが"含胸"。

(ハートが)開いても"乱開"しないためにとても重要な要領です。普段ハートに蓋をして生きているとある刺激で突然キレてしまう、というのも、普段この場所のストロー一本分の隙間が塞がれているから。ここの練習は芸術表現とも密接に繋がっていて個人的にはとても面白い。

 

今日Mさんが本当にきれいに含胸のまま第4を開いたり閉じたりしてくれました。これをすると丹田に気が溜まり足裏に気が落ちていて、あー、そういうこと、と私も見て納得。

静けさが美しい。

息がきれいに通ってる。

私も参考になりました。』

 

 

 と、私も今読んで、参考になりました。

 この時、既に、”この練習は芸術表現とも密接に繋がっている”なんて書いているのに、肝心のピアノの演奏ではそんな”ストローの隙間”なんて完全に忘れて表面的なところ(俗世界?)であたふたしてました。

 過去の私がその様子を見たら、さぞかしがっかり・・・せっかく教えたのに・・・と(苦笑)

 

  ともあれ、明日どのように『含胸』を教えるかは明日の私のみが知っている。

この半年間での気づき、そして生徒さんと直に相対して出てくる気づき、それに過去の蓄積、全てが一緒になって何が出てくるか、は明日のお楽しみ。

 

 Mさんの動画、顏をぼかせたら載せます・・・。今見ても、きれい。

 

 

 

 

 

2018/8/14

 

 今日の御苑練習。

 昨年熱中症になってしまった男性が参加。用心しているが途中首元が熱く少しヤバくなったようでしばししゃがんで休憩。大丈夫かと私も心配で気が気でなかったが、その後も休憩をはさみながらゆっくり動き続けました。最終的には首に気が貫通したとたん、首の熱がとれ、頭もすっきりしたらしい。首の気の通りが悪かったのが問題だったんだ・・・と納得して帰りました。

 首に気を通すのはとても難しい。

 

 首がすっと、子供のように自然に立っている大人はほとんど見かけない。

 太極拳の先生方の中でも首を”立てず”に”立って”いる人は少なく、筋肉や骨ではなく、気で立ち上がっているならその先生のレベルは非常に高い。それができて初めて本当に湧泉(もしくは会陰)から百会まで気が貫通する。真の意味での『虚霊頂勁』が完成する。

 『虚霊頂勁』は太極拳(タントウ功)をする上での一番最初の要領だが、実はこれが完成するのは一番最後かもしれない。

 

 様々な要領(虚霊頂勁、沈肩墜肘、含胸抜背塌腰、屈膝园裆松胯)などは一つ目がクリアできたら二つ目に挑むものではなく、ぐるぐる回しながら少しずつ会得していくようなもの。レベル1の習得度で一巡させれば全体としてレベル1、二巡めはレベル2の習得度で回して全体としてレベル2・・・いつまでやっても完全にはならないところでどこまで完成度を高められるか、そのようなもの。

  

 

2018/8/10

 御苑練習終了。
 百会の操 を作には眼が必要。
 身体を貫く上向きベクトルは三点で作る。
会陰、舌、百会。
それ以外は下げる。
沈肩、塌腰、抜背、含胸....これらは全て身体を地に引っ張り下げる働きをする。
今日はこれらを"束肋"の要領でクリアさせてみた。
バレエのリフトやスピンでは束肋が不可欠。その辺りの動作を真似て要領を教えた。
思った以上に手応えあり。
束肋すると足裏の力が使えるのが意識できる(足裏の力が得られないとしたら束肋はうまくできていない。)
最近読んだ『スタンフォード式 疲れない体』で紹介されていたIAP呼吸法(腹圧呼吸法)の要領を使えば分かりやすいかもしれない。実際、生徒さん達にはその呼吸法を簡単に試してもらった。丹田呼吸はその腹圧呼吸の先にある。
腹圧パンパンで極限に至ると、スーッと小さな粒のような丹田に変化してしまう。そしてそのうちその丹田が膨らみ極大化したと思ったらまた極小化している。極大がなぜ瞬時に極小になるのか分からないがそうなってしまうのが丹田の不思議....極大と極小は円で繋がってる?....ああ、陰陽図かぁ。
ちなみにこの辺りの奥妙な現象、太極拳の醍醐味はスタンフォード式の射程範囲外のようです。
2018/8/8

今日は台風接近で夜クラスは中止。
そろそろピアノの練習を再開....と、Sさんのアドバイスを思い出して"歌える曲"、とショパンのノクターンなどを弾いてみたりしたけど、のらない。どんな曲弾きたいかなぁ、と、YouTube探ってたら、あった!弾いてみたい曲! 
リスト、暗くて重くて超絶発散、爆発系(苦笑) 。どーしてこんなのばかり惹かれるのか、鬱憤溜まってる?....と、とにかく聴き続けてたら、上手い!し、エネルギーがすごい! カッコいい!やはりこんな曲は男性しか無理だ....と、よーく見たら、えらく美形な男性?いや、女性? ああ、女性だ‼︎
デカイ! これだけデカイとパワーもある。羨ましい。


身体を構成するものは全て"精"。単純に考えれば身体が大きい方がパワーがある。だから柔道やボクシング等の競技は体重別にする。
小さいのは不利。が、その不利なところを逆手にとって....いや、小さいからこそのきめ細やかさもある。でも、心だけは大きく広く全てを包み込めるように....太極拳の目指す境地。


キエフ出身かぁ。
アルゲリッチはアルゼンチン、スルタノフ(男性)はウズベキスタン、ホロビッツはウクライナ....なんだかパワー爆発系は土の香り。ヨーロッパ中心の洗練度に欠けるけど活き活き感がすごい。
....太極拳もそうだったのではないかなぁ。息押し殺して形をきれいに整える、そんなものではなかったはず。
意が強すぎると萎縮する。
意を少し軽くしろ、と一昨日劉師父から指摘されたのを思い出した。

2018/8/6

 

  劉師父にチェックしてもらうように48式を撮りました。暑い!けどやはり外は気持ち良い♪

⇒動画へ

 

 

2018/8/6

 

 先週末、娘は南仏トゥールーズから車で1時間ほど離れたBeauvilleという場所のミュージカル・キャンプに出かけた。そこには毎年主にイギリスから8歳から18歳までの子供が集まり、一週間キャンプ生活をしながらミュージカルの作品一本を仕上げる。土曜日集合で翌週金曜夜がパフォーマンス。その夜は父母や村の住人がパフォーマンスを見に集まり、そのまま夜中は村のお祭りになる。

 

 娘は8歳の時にパリに行き4年近くをそこで過ごしたが、実は彼女の人格形成にとって多大な影響を与えたのが、このBeauvilleスクールと『奥様は魔女』のDVD。

 パリのインターナショナルスクールに入った時、娘は全く英語ができなかった。渡仏する前に某大手英語スクールにも通わせたが何の意味もなかった。学校では英語だが、街はフランス語。テレビをつけてもフランス語。仕方なくCartoon networkをつけていたが、ある時本屋で懐かしい『奥様は魔女』のDVDを見つけ、私が見るつもりで買ったら娘が大ハマり。毎日毎日(そして20歳を過ぎた今でも)見ていた。サマンサ、そしてあの時代のファッション、暮らし方は彼女の理想になった。家でもきれいな服を着てヒール靴をちゃんと履いているような生活がしたい・・・実際、インターで仲良くなった外国の友達の家に行くとそうだったりするようだから、彼女にとってはとりたてて特別のことでもないようだ。英語は全くできないうちから母国語は英語だと自分で勝手に信じていたくらいだから、彼女はもともと英語が好きなのだろう。

 9歳の夏休み、6月から3か月近くも休まれたら困る!(太極拳の練習がし辛くなる!)と、私は娘を7月末まで日本人学校に通わせようと考えた。しかし希望者が多く抽選でみごとに外れてしまった。がっかりしたその日、たまたまアメリカンライブラリーの壁に小さな張り紙で、子供ミュージカルのサマースクールの募集をしているのを発見。南仏でかなり不便な場所、が、彼女なら大丈夫!と、娘に、行きたい?と即話を持ちかけた。もともと歌ったり踊ったりするのが大好きな女の子だから、すぐに、行く〜!!!との返答。即決! 慌てて手続きをして、瞬く間にパリのオルセーから一人で飛行機に乗らせて行ってもらったのでした。

 

 一週間後、車でBeauvilleまで南下。丘陵地帯の小さな村。夜のパフォーマンス(その時はロミオ&ジュリエットだった)を見にいったら、なんと東洋人は私達だけ。イギリス人の小さな男の子がパフォーマンスを見ずにずっと私の顔を横から眺めているのが変な感じだった。それほど私の顏は君と違うのか?同じ人間とは思えないのか?、英語ができるならそう聞きたいくらいだった。

 

 うちの娘は小さいながらもよく馴染んでいてとても楽しそうだった。一週間ぶりに会って彼女と話したら、一週間前の彼女と全く違っていた。英語もイギリス人みたいになってるし、ジェスチャーも、自信の漲り方も、英国化していた。

 その後彼女は毎年夏にはBeauvilleに行き、18歳まで10年間、多くの思い出と仲の良い友人を作った。19歳の時はスタッフとして呼ばれ、衣裳の着付けや練習の手配など、50人ほどのイギリス人の子供達をマネジメントしていた。自分の娘ながら、凄いもんだ、と感心。私には無理だなぁ、と今でも思う。

 

 今回21歳でスクールに参加。これは学校ディレクターの特別な計らい。他の先生方にも内緒でうちの娘を参加させたらしい。現地到着したら、先生方も含め、イギリス人の友人達が涙を流して喜んでくれたというから本当によかった。

 昨夜電話がかかってきて、本当に楽しい、と言ってたけど、ぽつっと、日本の彼氏に会えないのが辛い・・・(といっても彼氏はすぐに娘をおいかけて南仏入りするのですが)。

 彼女は中学生の時既に、パパに似た男の子がいて好きなの、と私に言っていたが、大学に入ってその子と再会。相思相愛になって付き合うようになった。本人同士は結婚を考えている。

 娘を見てると、「××君が好き」「△△ちゃんが好き」というのがあっても「●●ちゃんが嫌い」というのはこれまで聞いたことがない。

 好きな人がいるだけで咎められそうだった私の子供時代とは全く違う。

 真っ直ぐ捩じれず単純に育ったのは元々の彼女の質だろう。伸び伸びしていて娘ながらどこか羨ましい。

 

 

 

 

2018/8/2


  
  神の目なのかどうかはよく分からないにしても、なんて美しい....若き頃、一目惚れしてロンドンでフラット用に買った緞帳のようなカーテンの色合い、それが今年になってルドンの開花した色合いだったのを知ってびっくりしたけど、これは、そもそも神の目の色合いだった?
   ルドンが色に目覚めるまであれだけ黒で目玉を描いていたことを思い出すと、この爆発的な色彩は集約した黒、点、から生まれるのかもしれない。
   一粒の丹田が身体全体に広がり、更に身体を包み、更に果てしない空間に広がっていく様も、その次元を見る目があればこんな風に見えるのかもしれない。
   膨張と収縮、生命にはその運動しかないと長老が言ってだけれど、それはまさに太極拳、別名、開合拳の開合。無極から太極を行ったり来たり。
   私達はその中で生きている。
  (この膨張と収縮、開合を超えた境地が解脱やら涅槃の境地かしらん?)


瀕死の惑星から噴き出るガス
惑わす外形 謎の構造
蛇のトグロ? 螺旋? 
球状に閉じ込められたガス
水瓶座内!
瀕死の惑星が2つのディスクに物質を放射した?
2つの対称軸

  神の目の画像を待ち受け画面にすると願いが叶うそう。そんなこと信じてませんが、ダメもとでやってみよう、なんて、また長老のしかめっ面が(苦笑)

2018/7/30

 

 久しぶりに練習メモを書きました。

 懐かしい馬虹先生・・・こんな先生は中国でももう二度と出てこないだろう・・・

 75歳でもこの熱血ぶり!!⇒練習メモへ

 

2018/7/28

 台風近づいてきてますが....
 今日は戸塚で推手試してみる予定。

 友人が毎日会社の掲示板に描いてたというイラスト....画才が全くない私から見れば天才の境地。

ソーメン、毎日出される、というシチュエーションが把握できていなくて最後笑えなかったのは、ひょっとして私くらいかもしれない。(自分で注文してるか、作ってるかと無意識のうちに思ってた。)
先入観は恐ろしい....(苦笑)

このくらい隙間があると人生も涼しく生きられるのかもしれない。夏、いや、太極拳も熱血は似合わない(苦笑)

2018/7/23

 

 頑張った発表会。

 ピアノの発表会ほど緊張するものは何故だろう?

 単に実力以上のものに挑んでいるからだけではないと思う。どんなに簡単な曲でも人前で演奏するのは緊張するだろう。ミスが許されないから?途中で立ち往生しそうだから?

 太極拳や卓球の試合でそんなに緊張したことはない・・・し、学校の試験なんて間違えれば消しゴムで消せるし・・・。

 

 対人の試合は意識が相手にくぎ付けになっているから緊張する間もない。

 けれどもピアノ演奏の時は、演奏しながら頭の中でチラッと不安がよぎったりする。

 その意識のブレが問題。その解決策は中に入り込んでしまう(曲と一体になってしまう)ことだということは頭では理解できたのだが・・・。

 実際にやってみると、ミスタッチする度に意識が動きそうになる。どうにか曲の最後の方まで行きついた、と気が緩みそうになったらとたんに音符が分からなくなりそうになった瞬間もあってドッキリ。

 

 劉先生に演奏の動画を見てもらったら、「左手はとても素早く動くけど、右手がダメだ。最後の一分間は身体と手が一体になった(それまでは一体になっていない)。」とズバリ。動画、あの角度でよく左手の動きが分かるなぁ、と関心した。

 右肩が左肩ほど開いていない、胸の開きも悪いのが腕が硬く手の動きが良くない原因。

 この曲の練習をして右肩、右胸、右腰(そして右足の土踏まずから親指のライン)まで開けて通すことを知ったのだが、そこまで開かせるにはまだまだ鍛錬が必要。それはこれから太極拳の練習で徐々にやる予定。

 

 まあ、立ち往生しなくてよかった。ひと段落。ピアノのプロ、目指さなくて良かった・・・

2018/7/20

 

 ピアノの練習のためにせっかくお休みしたのに、弾けば弾くほど諦めムードが強くなり、かえって太極拳の練習がしたくなってしまった。

 以前は太極拳⇒ピアノ、と、太極拳をピアノに役立てようという気持ちが強かったが、最近はピアノを弾くことで太極拳でまだクリアできていない課題が見つかるようになってきた。ピアノ⇒太極拳。

 

 肩甲骨、腕、はまだクリアされていない。練習途中・・・

 (動画など撮ったので、続きはLINE仲間のページへ。)

2018/7/20

 

 週末のピアノの発表会に向けての追い込み(?)のため太極拳のレッスンはお休み。

 技術的にはもう向上させる時間はないけれど、せめて気持ちだけでも音楽へ寄り添っていきたい。

 ピアノの先生に「なぜ舞台で上がらないのか?」と聞いたら、一言、「自信」と答えてくれた。そして、その自信はどこから?というと、練習量、曲と自分が一体になったという感覚、その辺からくるらしい。「延江さんは絶対的に練習量が少ないわね。」、そう言われてしまうと何も言えない。毎日ちょこちょこ、っと撫でるようにさらっているだけではピアニストのようには弾けない。

 楽譜を見て曲が一通り弾けるようになったら、曲を分割して分割した一つ一つを細かいところまで注意を行き届かせられるように練習していく。指使いは本当に吟味して決めなければならない。フレージングにも注意し、テクニック的に難しい箇所はそこだけ取り出して反復練習、リズムを変えて練習してみたりする。

 ・・・と、実は太極拳の練習と同じ。

 套路が一通り通してできるようになったら、一式一式の単式練習を行う。単式練習がどれだけ精密にできるか、それで套路全体のレベルと質が変わる。

 太極拳の練習では単式練習が苦にならない、というよりも、そこには技があり、”妙”があるので、何度繰り返しても飽きないのだが(劉師父は第二式金剛捣碓だけで一生練習できる、とか言っていたことがある)、ピアノのパーツ練習は何故かすぐに飽きてしまう。パーツ練習の重要さが分かったのはつい最近で、よ~く細かく見ていくと、面白い和音だったり、絶妙なリズムだったり、作曲家が頭を絞ったのか直感的に思いついたのか分からないが、凄いなぁ、と思うところがボロボロ表れてくる。これまでどれだけザ~っと弾いていたのか・・・・ぼぉ~と生きてんじゃねぇよ~、とチコちゃんに怒られてしまいそう(笑)

  観察力、注意力、というのはまさにヴィパッサナ―瞑想で養われる質。あの瞑想合宿も無駄にはなってないのかもしれない・・・。

  観察力と技術が組み合わされると非常に安定感が出ることも分かってきた。太極拳やピアノ演奏はメインは肉体労働で技術はマスト。そこに観察力(上丹田)が加わると全体的に安定感がでる。ブレが少ない。

  昨夜の練習で生徒さん達の目線が正しくなくて、そのため頭がブレて中心軸を逸してしまうのが分かったが、眼がどこをみて、眼をどう使うのか、所謂”眼法”は身体全体のバランスをとるためにもとても大事だ。

  ピアノ演奏では演奏中何を観察してるのだろう・・・・ホロビッツのように、ほとんど目線を鍵盤から外さずしかも”収”している(目を後方に引いている:凝神)のが太極拳の眼法に合っている。

 

  昨夜になって発表会で弾く曲を男性以上にしっかり弾いているロシアの女性ピアニストの動画を発見。凄いなぁ~と見とれてしまった。ちょうど肩甲骨の外側と内側で操る指が違うことを気づいたばかりだったので、彼女の背中、坐る姿勢、柔らかい手を見て、まさに太極拳的演奏スタイル、と思った。丸く、身体がピアノを制す。天宗のツボからくる小腸経の小指の使い方をみればどのくらいピアノを包み込めているかが分かる。その域に達しているピアニストの演奏は、別格。安定感が違う。

  劉師父に彼女の動画を見せたら、「非常好。背很开。阳脉用的很好。下盘坐的很稳定。手指很灵巧。」とコメントをくれた。・・・運動的には太極拳の訓練がかなり有効。が、肝心な音楽性はどうする? 馬虹老師は太極拳は芸術でもあると言っていたけど、太極拳の練習で芸術的感性が磨かれるということが・・・あり得なくはないかも? 

 

 

それ以前に聞いてた日本の女性ピアニストの演奏も雰囲気があって好きだが、身体の太極拳的完成度が上のロシア人女性に及ばない・・・余裕が違う。

 ついでにですが、この曲をテクニック的にも音楽的にも理想的に弾いているのはキーシンかなぁ、と思います。やはり、余裕・・・。天才・・・。

2018/7/17

  天宗穴を使って肩のゼロポジションを作る。
同時に天宗穴は腰へ引き込み丹田化する。
  この要領を保ったまま動けたら、もう私達はマスタークラス♪
  動かない状態で繋いだ感覚を掴み、それを崩さないように動くのがどれほど難しいか知るだけでも大きな進歩。あとはそちらに向かって地道に鍛錬すれば良い。
  
  私が仲間とやりたいお遊び→動画

  この要領がある程度できていないと遊びにもならない....頑張って早く遊び相手を作りたい!


2018/7/16

 今日は義父の葬儀で、予定していた24式特別レッスンは弟子M君に代行を頼んだ。
   結果はVERY GOOD!
   私が普段できない繰り返し練習や個々の生徒さんの動きの細かなチェックなど、形を覚える為の練習がしっかりできたようだ。
       
    ここ数年は生徒さん各々に一式ずつ教えることができなくなってしまったので、新しく参加した生徒さん達が24式を覚えるのが難しくなってしまった。
  「24式を覚えたい人は自分で進度を管理して、レッスンの際にどの式を学びたいか言って下さい。」とこれまで何度も頼んだのだが、やはり我々は日本人?、そこで手を挙げて、「第10式をやって下さい!」とか言う人は滅多にいない。他の人に気を使う前に自分をどうにかしなければならないのに、遠慮してもじもじ、もぞもぞ。いつまで経っても24式は虫食い状態。先生が教えてくれないから....なんて子供のようなことを言ってる場合でなく、お金払ってレッスン受けているのだから、全て先生の言う通りの受け身ではいけないと思う....が、ひょっとしたら私がいつ間にか妥協をして生徒さんに覚えることを要求しなくなったのも覚えの悪い原因か? 確かに最初はタントウ功についても動功についても毎日これだけやる、というノルマを課していた。約10年前に代々木公園で教え始めた頃は、24式も毎回一式ずつ、マンツーマンで教えていた。
  私の生徒さん第一号は今でも学び続けていてくれているが、彼女(と言っても私の人生の先輩)はこの10年の私の教え方の変化、変遷のアイウィットネス。自分の身体や意識の変化に応じて教える内容も内側重視になっていく。二度同じことを教えるなんて有り得ない私の性格なのか、毎回毎回展開して生徒さんが追ってくるのが益々難しくなる....
そんな中で、弟子の存在はとても重要なのかもなぁ、と薄っすら思い出した。
  彼らが私と新米生徒さん達の架け橋もしてくれる。
  
  私が何となく目指していたのは、歳とっても皆で太極拳して遊べる仲間作り。私も仲間の一人だから私と遊べる人がいないと面白くない。その遊び仲間の育成をしてるようなもの。その人達が更に彼らの仲間を育ててくれれば....なんだか楽しい。いつまでも、先生VS生徒達 では面白くない(苦笑)

  内外兼修。
  内も外も大事。
 気ばかり追って外形が崩れているのはダメだし、外形だけ整っていて内側がない(隙間がない)のもダメ。
  二元論。

 今日のトウロ練習は外をしっかりやって頂きました。M君ありがとう。今度私の24式も細かくチェックしてほしい。

2018/7/15  

 
(グループLINE用の説明)
昨日今日は肩の天宗のツボに注目しました。
肘を操るには肱(上腕骨)の意識が必要、肱を操るには肩、中でも天宗穴→上腕骨→肘、が一直線でなければなりません。
一般的に、肩のゼロポジション、甲腕一致ということを、太極拳的にツボの意識でやるなら天宗穴を外さないように腕を使えば良い。(更に肘のツボや手首のツボも使わなければならないけど、それについては追い追い....)
http://korikiku.com/?cat=87
http://korikiku.com/?cat=87

 

推手の時はここのツボ外すと一気に崩され崩れます。

套路の時も、動功の時も、いや、普段腕を使う時も、このツボを外さないように注意しなければならない・・・(と目下、私はピアノ演奏で練習中)

 

このツボからまっすぐに肘に向かう一直線の感覚は、両手を斜め上に上げた、ハンモックの姿勢、を取るのが分かりやすい。

 

ネットにはいろいろ資料があります。http://olivia.sports.coocan.jp/new/scapula/scapula02.html

https://ameblo.jp/yamatokawashima/entry-12355526527.html

 

 

 

  いずれにしろ大事なのは、そのように腕を使い続けようとするとずっと丹田が必要になる、ということに気づくこと。肩甲骨の意識は通過点に過ぎません。天宗のツボが腰とつながり、脚、足とつながることでやっと本当に使える肩、腕になります。(上の数枚のイメージの左上のものがそれを表しています。)

  このあたりは練習で少しずつ感覚を深めていきます。

 

  これに気づいてしまうと、今まで、どうしてこんな風に手を回していたのか、と恥ずかしくなります。

 

  甲腕一致、肩のゼロポジションは腕を斜め上に上げたところが一番分かりやすい。

  ではその腕を徐々に下げるとどうなるか?

  試してみて下さい。

  腕を下げようとするといとも簡単に天宗穴が外れてしまいます。

  これでは使い物にならない。

  では、どうすれば腕を降ろしてもなお天宗のツボが保持できるか?

  これが分かれば、功夫は必ず1レベルあがります。あとはそれを使っていつもの基本練習を繰り返せばよい・・・。

 

 <以下、肩のゼロポジションの資料>

 

2018/7/11

夏の発勁の続き

ある生徒さんから平日の鬱々した状態をさっぱり短時間で解消するための良い方法、できれば発勁を教えて下さい、とのリクエスト。
私は特別そのような練習をしたことがないので劉師父に聞いてみました。

すると、発勁は単にこもった気を発散するだけでなく、背中や肩、腕の陽気を活動させることで冷房にやられないためのバリアも作れるとのこと。....なら、私も真面目にやらねばならない。

先生が4種類やるよう教えてくれました。
双推手、采、肘、掩手肱捶。
これを左右9回ずつ(肘に関しては、前方、横方、後方3種類)、力を入れてやる(つまり発勁、発力)すると良いとのこと。
生徒さん用に撮った動画はLINEの仲間のページに後で貼り付けます。

追記
劉師父の足裏、どこが凄い? と聞かれました。
数カ所見るべきポイントがあります。
足裏は三次元の肉体を二次元の平面に投影したもの。足裏を見れば身体の状態はほとんど分かる。本当に見る目があれば身体の状態にとどまらず、心、その先の状態も分かるのではないかなぁ?
修行者は仏足に近くなる....



2018/7/11

夏の発勁
夏は気が上がって上半身に滞りがち。
劉師父に対処法を尋ねた。

回答後回し。

が、会話の途中で足裏ツボを教えてくれた時に見た師父の足の裏。
やはり....すごかった。

2018/7/5

  ピアノの発表会まであと3週間を切った。
  先月頭のヴィパッサナー瞑想合宿以来、肝心の我欲ではなく意欲が落ちてしまったようで、ピアノを弾くどころか音楽を聴く気もしなかった。テレビもつけた途端、雑音と雑電波で目がチカチカしてしまう。パソコンに向かう気もしない、ご飯も作る気がしない、人と喋るのも気合いがいる。身体の調子は悪くないのだが、エネルギー量、気の量が減ってしまった感じがしないでもない。
  
  太極拳はヴィパッサナーの導入になるはずなのに....なぜ太極拳→ヴィパッサナーにならないのか?と模索していた。そのうち、ヴィパッサナー→太極拳はいける!と確信。なら、ヴィパッサナー→ピアノもいけるはず.... 前回のレッスンで、暫く弾かなくても良いから楽譜をしっかり見てきなさい、と先生に言われた意味が分かった気がした。雰囲気で適当に弾いてはいけない。雰囲気で太極拳をやっていると詰めが甘くなるのと同じ。身体(小脳?)だけで動くのではなく、脳、それも前頭葉(大脳皮質、進化脳?)がしっかり身体の指揮をとり統率しなければならない。
  細かなところまで”気”の行き届いた動き、演奏ができるのか、ノリはよくてもノリが崩されたら復活不可能になるのか、実はスキだらけの動きなのか・・・太極拳でもピアノでもサッカーでも料理作りでも、仕事でも、結局みな同じことなのだろう。
  丁寧に細かく気を付けるとノリ(流れ、ダイナミックさ)が失われがち。
  流れ、ノリがよいと細部がおざなりになる。
・・・・・以下は本当に独り言・・
  流れ、ノリは気の世界。腹の丹田で動く。第二身体、エーテル体、生気体の中心。第一身体フィジカル体にエネルギーを注ぎ込む。
  細部まで行き届いた意識、統率、観察は上丹田。第三身体(アストラル体)と第二身体の架け橋。
  ヴィパッサナ―瞑想は方法としてまず第一身体(身体の動き)を観察し、その後第二身体(身体の感覚)を観察させる。それで上丹田(アジュナチャクラ)を機能させて、それから心(アストラル体)の観察に入っていく。
  第三身体アストラル体(心の身体)⇔第二身体エーテル体(気の身体)⇔第一身体フィジカル体(肉体)
  太極拳は丹田を見守る練習から始めて第二身体を活性化し第一身体とつなげる。
  仏教の解脱へ向かう道は、第一第二身体の観察から初めて第三身体へと意識を上げていく。
  身体の動き(第一身体)の観察には上丹田の前丹田(印堂穴)が機能するが、第二身体(身体の感覚、気の動き)を観察しようとすると、上丹田は少し後ろ(脳の中央辺り)に移動し、道教の修行で使う祖窍穴になる・・・(と、昔、陳発科の孫弟子のある先生に馮志強老師のテキストを見せたら「祖窍穴は使うとは・・・!これは道教の修行法だ!純粋な陳式太極拳では印堂穴を使う。」と驚いていたが、それはそういうことだったのだ!)
  そして私の感覚としては、第三身体を見ようとすると、上丹田はその祖窍穴からさらに後方か上方に移動させなくてはならない(というよりも、移動してしまう。それは今後見ていこう・・・)。
  (上位の身体になるほど繊細だから、上→下に応用できても、下→上への応用はできない。
だから、ヴィパッサナ―→太極拳→ピアノ、はあり得るけど、ピアノ→太極拳→ヴィパッサナ―にはならない、のかと・・・総論、各論の関係かなぁ。)
  今日のピアノのレッスンは普段の太極拳の練習よりずっときつかった。というのは、体力が枯渇する前に気力が枯渇してしまったから。
  音の中にずっと気を貫かせて弾く、ということはこれまで全くできていなかった。だから私のピアノはただのスポーツのようだった。太極拳の練習でその違いが分かるようになった後でも、それをピアノ演奏に入れ込んでいくのはとても骨の折れる仕事。小さい頃のピアノの習い方を間違えてしまい、身体だけで弾く癖をつけてしまったのだから、それを換えるのはとても難しい。
  他の場所でスポーツあるいは簡単な健康法として太極拳を学んできた人が私のところに来て最初大きくためらい、訳わからなくなるのも同じこと。拳を学ぶのは簡単、拳を換えるのは難しい、という。最初についた癖をまずとらなければならない。が、一旦除去すれば、その前に培った身体の使い方が活きてくる・・・ピアノも同じ原理だろう。
  それにしても、気で指を引っ張って弾いていく、と指のトロさが自分でも嫌になる。
  だからそれについていくだけの身体能力が必要になる。
  丹田(気)が身体を引っ張る。それについていけるだけの身体の開発は別途にしなければならない。だから皆訓練に訓練を重ねます・・・。

2018/6/30

 

 明日で最終日のターナー展。

3月頃駅の広告で見てとても惹かれていたのに、実際に足を運んだのはついこの前。

20代にロンドンで住んでいた頃、少なくとも3回はテート美術館に連れて行かれたけど、全くピンとこなかったターナーの絵。天気の悪いイギリスの気候のようなぼやけた絵ばかり・・・なんて思っていたくらい。当時の私はバレエの公演ととピアノのリサイタルが大好きで、絵画に対しては全く興味がなかった。

 が、今回ターナーの絵を見たら、そのすごさが分かる!と言っても、絵画の技術的な事は全く分からないのだけれども、その視点、ミクロからはいってマクロへ抽象へと向かっていくその流れ、それは4月に大感動したルドン展と同じ。

 微細な所までありのままに観察する。。。

 観察・・・最近挑戦しているヴィパッサナ―瞑想、そのものではないか?

 その目は我で汚れていない。

 ターナーの絵を見た後で、写実主義の言われるミレーの落穂広いや晩鐘を見たら、そこにミレーの意図、我のようなものが見えてしまって、そういう意味ではターナーの方が水墨画的な無我の境地に近い気がした。我がないのに、これはターナーの絵、と分かる個性はしっかりある。面白いなぁ、と思う。

 ぱっと遠くから見ると滲んだ色のグラデーションの絵に見えるのだけど、近づいてみると、とてつもない細かさと正確さで物や人を描いている。こんなに細かく、どうやって筆を使うのか?いや、視力が跳び抜けてよいのか?

 絵に顏をひっつけて見たくなる。あら~細かい・・・あらら、人の顔がピーターラビットになってる?

 そしてまた遠くから見てみる。そしてまた近づいて楽しむ。

 そうやって繰り返し見ていると、眼の体操をしていることになるのか、自分の目が良くなって焦点が合いやすくなった気がする。

 焦点が合う・・・ほんとに、ぴったりと焦点が合う。

 画家の眼の焦点がきっちり合っていたところに私の眼の焦点も合ったのか?

 ターナーの絵を見ると眼の焦点、いや、上丹田に焦点が集まる。目が良く見えるようになる。

 画家自身もそこに焦点を集めて描いていたのではないか?

 

  その美術館には常設でゴッホのひまわりがあったけれども、ターナー見た後でそれを見たら、大雑把過ぎて素通りしてしまった。おそらく上丹田で味わう絵ではないのだろう。焦点が合わなかった。去年ゴッホ展に行った時はとても感動したことを思うと、きっと見る絵に応じて自分をチューニングしているのではないかと思う。

 時代性、その背景もあるし・・・。

 

 でも、ルドンとターナーはフランスとイギリスの大きな違いはあるけど、私にとってはとても共通点がある。極小から極大まで、無為自然、太極拳的。

 

 

番外 4月のルドン展

 
番外
今年1月頭にパリのディオール回顧展最終日に駆け込んで写した写真。

直近の練習日程→こちら

12/17(月)女性限定の初心者用クラスあり

『今日の独り言』結局何でも太極拳に関連してしまう頭の中。その日の気づきや疑問点、頭の中のお掃除と整理。過去の独り言はアーカイブ

★NEW! 5/21

LINEの仲間の投稿あり

練習メモ』

毎日の練習は気づきの宝庫。太極拳の練習の成果が何に及ぶかは予測不可能。私自身の学びのメモ。

★2/14『LINEの話題』を新設。グループLINEにリアルタイムで書き込んだ内容。LINEだと情報が流れてしまうので適宜ここに移します。

(パスワードをかけますので閲覧希望の方は簡単な自己紹介をつけてお問い合わせ下さい。)

★初心者随時受付中

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 した 

練習のバイブル本

 『陳式太極拳入門』

       馮志強老師著

ようせいフォーラム2017プログラム
3月4日(土)にパネリストとして参加しました。
ようせいフォーラム2017プログラム.pdf
PDFファイル 3.1 MB

 

2012/3/20

日本養生学会第13回大会で研究発表をしました。

発表の抄録、資料はこちら