2020/10/20

 

 ある生徒さんから、二の腕を回転させて套路をしたら方向転換の時(第8式から第9式?)に全身がクルッと一斉に回って驚いた、というコメントをもらった。二の腕を回転させると広背筋がもれなくついてくる。腕の回転によって胴体がクルッと一緒に回転する。脚と腰が繋がっていれば全身が”時差なく”一斉に回ることになる。

 

 このような感覚が得られたのはとても良いこと。

 が、いつまでも二の腕ばかりを意識していてはいけない。

 二の腕を意識している、というところで既に丹田への意識が欠けてしまっている。丹田から意識を外してしまうと、次第に全身の繋がりが消えてしまう。最初に得られた魔法のような感覚が消え去ってしまうかもしれない。

 

 そこで私はその生徒さんには、(二の腕が分かったなら)次は太ももを回す練習をしてみるようにアドバイスをした。

 四肢で考えれば二の腕と太ももは本来同じもの。連動して当たり前だ。

 

 外三合では肩と胯、肘と膝、手と足、という大中小の関節のセットで考えるが、まず、肩と胯の合の感覚が正確に得られるようになるのはかなりの高レベル。

 私たちは身体の中心に近づくほど意識をすることが難しくなる。反対に、中心から離れた位置にある部位はよく意識することができる。手や足を意識するのは難しくないが、背骨を意識するのは難しい、というように。

 二の腕が意識できるようになったら、それと太ももを連携させてしまうのが練習方法としては理に適っている。なぜなら、二の腕と太ももの両方を意識することで内視した時の視野が広がるからだ。内側の視野が広がれば、身体の内側の空間が広がる。身体がポンする。丹田が大きくなる。

 

 

 左は以前紹介した馮老師の套路の中の披身捶。

 肩肘手首、胯膝足首、全てが一斉に内旋するのだが、それらを全て同時に注意することはできないので、二の腕、そして太もも、それから、二の腕と太ももを合わせて意識をして動作を行う練習をしてみる。

 

 生徒さんには、同じ披身捶でも、太ももを回そうとした時、膝を回そうとした時、股関節を回そうとした時で、どのような違いがあるのか感じてみるといいと言っておいた。

身体の中心に近いところ、二の腕と太ももで”合”をすると、肘と膝の”合”よりも体幹がしっかりするのでは? 

 

 「合」について言えば、手と足を”合”のようにするのは初心者でも感覚的には可能だが、本当の意味で「合」にさせるには、中心から手足までのラインを内側で思いっきり引き伸ばして置く必要がある(張力をきかせる。ハンマー投げの時のよう?) たるんだ「合」のようなものは「合」ではない。その間に張力がなければ、「合」とは言えない。「合の中に開あり」という言葉はその二点間の張力を示している。

 

 

 

 

 

 もう1つ、面白いのは呼吸。

 二の腕と太ももを合わせようとすると、息は、吐きながら吸っているような感じになる。ただ単純に吐いてしまうと二の腕が落ちてしまう、引っかからなくなりそうだ。呼吸はあまり意識しすぎない方がよいのだが、もしうまく繋がらなかったら、吸気でやってみるとうまくいく可能性が高いと思う。 (ただ前提として横隔膜呼吸ができるようになっていて、吸気で足まで息を通せることが必要だと思う。)

 馮老師の呼吸は吐いていても吸ってる(飲んでいる?)ようでやはり別格。このような呼吸や眼神の使い方のできる老師は現在なかなか見つけられないので、見て雰囲気だけでも覚えておくべきだと思う。呼吸がわかりやすい動画を載せておきます。動画があって本当にありがたい!

 

  

2020/10/18 <二の腕を胴体につなぐ要領の動画>

 

  こちらの師父の生徒さん達を見ていても二の腕をちゃんと使えている人はいないようで、上下相随までもっていくのはなかなか大変なのがわかる。師父にそのことを言うと、「ちゃんと松することができるようになれば、いつか繋がる。」と言う。それは確かに正しいのだろうが、”ちゃんと松”できるようになるのに一体どのくらいの時間が必要だろう? いや、時間が問題というよりも、”松”という雲を掴むような目標一本で練習をしてそこに到達できる人はどのくらいいるだろう? 「空になれ!」と言われてひたすら座禅をして悟りを目指す、そんな類の話だ。

 

 生徒さんがある段階に来たら、次の段階に進むための助言が必要だ。

 「松すれば自ずから通る」と言う師父ではあるが、実際には細かな指示を繰り返してその段階で止まらないようにしてきてくれた。

 確立されたメソッドはないとはいっても大まかな筋はある。

 

 腕と胴体を繋げるのが課題になるのは、腰(胴体)と胯(脚)がおおよそ繋がった後(=中丹田と下丹田が一つになった後)。腰から脚として動かせることがある程度できていることが前提になる。

 

  今日、師父の生徒さんに二の腕と胴体を繋げる要領を教えたついでに、動画を撮ってみました。

  15分ほどの長さになったので2つに分けました。

  前半は、腕を胴体にはめ込むための2つの方法。

  後半は、その腕を套路や推手で活かす例。

  前半の2つの方法を試してもまったく繋がらないとしたら呼吸を整えて腹圧をあげ丹田を作る必要がある。(もしその動作の呼吸の説明が必要なら教えてください。呼吸をもう少し詳しく説明します。)

 

 

  <補足>

 興味本位で、腕が胴体にしっかり入っているかどうか(=二の腕が使えているか、手が腰や足と引っ張り合いになっているか、張力が働いているか)写真で分かるのかどうか見てみた。

 面白いことに気づいた。

 二の腕が使えている人たち(上段)は腰の位置が高くて円裆になる。

 そうでない人たち(下段)は腰の位置が低くなり、上半身の重さで脚に負担がかかっている。裆に力がない(骨盤底筋が緩んでいる感じ)。腕を引っ張っられたら(リューされたら)躱すする)ことができず力づくて抵抗せざるを得ないだろう・・・

 張力という言葉を使うなら、上段は全身の張力が効いている。頭頂と足裏の引っ張り合い→頂勁がある。下段は下向きのペクトルが強くて上向きが少ない→頂勁が得られない(顎が上がるか、首筋を立てて頭を立てている)

 

 結局、たかが二の腕、が、されど二の腕。全身のアライメントが変わってくる。

2020/10/16 <結局は張力か?>

 

   一昨日のメモを読んだ生徒さんが、「突っ張った四肢を見て、今読んでいる本とつながりました。」と右の本を紹介してくれた。

 

  題名がまさに太極拳での身体の使い方。早速アマゾンで試し読みを見てみたら、既に前書きで深く同感。そして目次を見たら、どの章もキーワードだらけ。日本にいたらすぐに本を注文して読んだだろう・・・・(kindle版もあるがやはり紙の本が欲しい!)

 

   そしたらyoutubeにこの方の動画がありました。声を出すことで身体に空間を開け、エネルギーを貫通させる。身体を一つにする方法だ。発勁の時の発声の意義を再検討できそうだ。

 

 

 

 声を出している時と出していない時、どんな違いがあるか写真で分かるかなぁ?

 上の左側の写真は、静止で堪える練習か、このまま腕立て伏せに入る?という風だが、これに対し、右側は、エネルギーが前方へ移動しているように見える。望めばシュナウザーのように足を突っ張って身体を前方へ移動できるだろう。逆に、このような遠吠えをしながら腕立て伏せは不可能なはず(腕を縮めることはできない)。

 

  ところで、以前のメモを整理していたら、今年の8/16のメモで、「内側の気の膨らみ(ポン)には”後ろ足の突っ張り”が必要なのではないか?」と考察していたのに気づいた。

 

 

 内気が増えれば増えるほど後ろ足の突っ張りは大きくなる。

 後ろ足の突っ張りが大きくなればなるほど内気は増える。

 

 ・・・またまたよくある鶏が先か卵が先かの図式なのだが、それは

 後ろ足の突っ張り⇆内気の膨らみ

 と行ったり来たりするわけではなく、この二つを間をぐるぐる周ることにより、1周目よりも2周目、3周目となるごとに、後ろ足の突っ張りも内気の膨らみも拡大していく。

 太極拳は練習の仕方自体が円なのだ。

 

 

 ついでに、本のタイトルにある『張力』について検索をしたら、高校物理で分かりやすく説明しているページがありました。https://wakariyasui.sakura.ne.jp/p/mech/tikara/tyouryoku.html

 張力は引っ張り合い。師父がしょっちゅう言う”对拉”。

 このサイトでは、ロープのいたる箇所で引っ張り合いがなされて、結果としてロープの先端と先端の引っ張り合いの均衡が取られていることが説明されていた。

 なるほど〜

 ロープを背骨に置き換えるなら、全ての脊椎がその隣の脊椎同士と引っ張り合いになる必要がある。一箇所くっついていただけでも均衡が崩れて背骨は動いてしまう(下に動けば虚領頂勁ができないし、上に動けば仙骨や尾骨が使えない)。

 全身で言うなら、頭と足をそのまま引っ張り合いにすることは不可能で、途中の骨と骨の間で引っ張り合いをさせる必要があるということだろう。これが、上で紹介した本の、”関節の隙間を作る”ということに他ならない。

 

 そのうち、本を入手して読んでみたい。

2020/10/14 <足の踏ん張りから上下相随へ なぜ沈肩になってしまうのか?>

 

  10/4のメモでは腕を胴体と繋げる時のポイントとなる二の腕と広背筋、二の腕の回転について書いた。

  生徒さんの中には、二の腕を意識し続けて套路をしたら全身の協調性が高まり、苦手だった方向転換もすんなりできるようになった、という人もいた。

  

  身体を、腕(上肢)、胴体、脚(下肢)、と三つに分けた場合、太極拳の練習では、まず、胴体と脚を繋げる練功をする。

  胴体は中丹田、脚は下丹田が中心だ。(脚は骨盤の股関節ラインから下)

  タントウ功で中丹田と下丹田を合わせて一つの丹田とすることができると胴体と脚はほぼ連結する。言い方を変えれば、腰(胴体)と胯(脚)の連動だ。

  

 胴体と脚(中丹田と下丹田、腰と胯)がある程度繋がったら、次は、胴体と腕(上肢)を繋げる練功をする。

  ここで初めて、”二の腕”の話や、”肘を落とさない”、”身体を薄くする”など、最近書いたトピックがとても大事になってくる。

 

 胴体と脚、胴体と腕、がつながれば、いよいよ、脚→胴体→腕 となり、上下相随、が現れてくる。理想とする周身一家、全身が一つ、一斉に動く、ということの基礎ができる。

 

 先月から子犬を飼いだした。今年3月に逝ってしまった老犬と同じ、シュナウザー。しっかりした体つきと弾丸のような走りっぷりが好きだ。生後2ヶ月半で飼いだしたのだが、1ヶ月経ったら見違えるほど逞しくなって獲物を追いかけるハンターのように家中を駆け巡るようになった。そして小さいながらも、四つ足で踏ん張ったように立つその姿の頼もしいこと!

 

 と、シュナウザーは特に後ろ足の踏ん張りが顕著なことに気づいた。

 ついでに、今フランスで大人気の柴犬も。

 やはり後ろ足が突っ張っている。

  

 後ろ足が突っ張ることによってぐっと胴体が推し上げられ、前足に体重がのる、というような構図だ。結果、後ろ足の力が前足に伝わっている、と見えないだろうか?

 それはまさに太極拳で言う、上下相随、周身一家だ。

 

 

 では、これらの犬の立ち方を見て、それから以前(2017年6月)に載せた下の写真を見てみると?

 

 ん? 後ろ足を蹴って前に進めそうな人は、最後の二人だけ?

 最初の三人はドン!と言っても、前に進めなさそう・・・

 その差は後ろ足が突っ張ることによって上体が前に突っ込み、肩甲骨から指までまっすぐに力が落ちているか否か。

   机のように四肢がついていたら動けない。動物ではなく静物になる。

 

 もう一度下の二枚を見ると、左は肩甲骨から腕になっているのに対し(胴体と腕が一体化している)、右は背中がのっぺらぼうで肩甲骨が腕として使われていない(腕で胴体の力を支えようとして、後ろ足が胴体を前方に進ませようとする力にブレーキをかけてしまっている)のが分かる。

 左は頭のてっぺんまで一体化(全身が弾丸)、右は顎が上がって推進力を止めてしまっている。

 

 そしてハイハイをする赤ちゃん・・・ 上体がぐんと前に伸びて腕が下の方から出ている感じ。

 肩甲骨から腕として使っている→首筋が伸び、沈肩になり、二の腕・肘がしっかり使えている。そして手首から手のひらへ。

 左端の写真の子は足の親指で突っ張ってるかな?

定本 基本の動物デッサン
定本 基本の動物デッサン

 

これはデッサンの本の一部分だが、右下の四つ足の人が立ち上がっていくとどのようになるか考えてみると面白い。

 

 

 

  実際には上で見たように、長方形ではなくて、上体が前に出てくる平行四辺形のはず。

  後ろ足を踏ん張ることによってぐんと身体が前に出る。そうすると肩は沈み、首が長くなる。

  腕のつく位置は普段私たちが考えるよりずっと下だ。

 

 

  後ろ足を踏ん張ったまま立ち上がると、少し前のめり、ムーンウォークのようになりそうだ。

 

  短距離走でもスタートを切った直後は前のめり、次第に直立になって、ゴールする時には胸が開いて身体が反るようになる。

 

 スタートから身体が立ち上がるまでのダッシュの時間が動物のような周身一家になる時。完全に立ち上がると上下相随を維持するのは難しくなる→丹田の力、重さの必要性

 

 足の力を手に届けるには、足の踏み込みで身体を前に進ませる推進力、勢いが必要になる。

 腕と胴体を繋げる時(二の腕を広背筋で動かす時)、その前提として胴体と下肢の一体化が必要というのは、そのような足のつっぱりによる胴体の持ち上げ(直立の場合)が必要になるということに他ならない。胆経をつなげる、身体を薄くして立つ、も同じことを別の角度から言っているに過ぎない。

  にしても、私としては、沈肩が足の踏ん張りからきている、というのが大発見♪(ただ、そのためには前足に体重が落ちる必要あり=腕の重さ、手まで気を通す必要あり 前足がぶらぶらしている直立の私たちにはここは大きな課題かも?)

 

 ・・・と、人間としてスタートを切ってもう長い時間の経ってしまった私たち大人には、直立で四つ足の時の身体の使い方を再現するのはとても難しいのだが、たとえすぐに完璧に再現できずとも、犬のイメージはどこか頭の片隅に置いておくと良いと思う。これが太極拳の時、いや、理想の直立歩行、直立姿勢の基本になっている。

 ここまで書いて、ゆる体操の高岡氏の著書の中の四つ足歩きの練習のポイントもそこにあったことを今思い出しました(やらせてみると机が歩くように四つ足歩きをする人がとても多いのが事実。犬や虎のように四つ足になるには背骨の柔軟性も大事でした)。

2020/10/12

 

   やっと剣を習い始めた。

 刀は前回の滞在(2006-2009)の時に一通り習ったのだが、日本では公園で刀の練習がし辛くてそのまま放っておいてしまった。

 剣は刀よりは小ぶりで、畳むと小さくなる簡易剣もあるようなので、機会があれば習ってみたいと思っていた。興味を持ったのは、方角が拳以上に重要視されているように見える点と、剣を持たない手が常に”剣指”である点。

 

 方角は八卦で表され、太極拳においてもとても重要だが、正直言って私の方角に対する意識はまだまだ低い。馮老師や陳項老師、劉師父が套路をする時の歩法を注意して見ると、足を置く場所が正確で、身体の方角、拳の方角、目はどの方角、とぴったり決まるようになっているのが分かる。

 

『教拳不教步 教步打师傅』

(拳を教えても歩法は教えず 歩法を教えると師父は打たれてしまう)

 そんな言い方があるように実践では歩法が鍵になる。 足運びが悪ければいくら拳や蹴り自体に威力があっても意味がない。

 

 普段の生活では私たちはほとんど前進ばかりだ。後ろに進む(退歩)ことも滅多にないし、ましてや運手(雲手)のような横歩きや回転する機会はない。十字路で道を右に曲がったとしても、感覚的にはずっと前に向いて歩いている。十字路で急に身体を90度くるっと回して方向転換する人はいないだろう・・・ 套路の中では身体はずっと真正面(南)を向いているのではなくて、様々な方角に向いていく。これは敵が、ここにもいる、あそこにもいる、からで、どこに敵がいるかという想定は式ごとに異なっているからで、時には、自分の周りを敵がぐるりと囲んでいるということもある。

 前だけ見るなら二つの目で足りるが、死角になる方角までもを意識しようとすると、気配を察する耳と皮膚が必要になる。起式で南を向いていて、それから東を向いて、それからまた南、そして西、それから北・・と套路の中で身体が向く方向が変わっていく時に、南の感覚を残したまま東、それらを残して西、そして北・・・と方角を加算していけば、套路が終わる時には身体がぐるっと目になるようになるのかもしれない。全身の皮膚が活性化するかもしれない。南から東に向いたらもう南のことを忘れてしまって正面の東だけが自分の世界になってしまったとしたら、結局、ずっと前進しているのに他ならなくなる。それはあたかも携帯のナビに頼って目的地に向かうようなもの。ただ道をひたすら前進していくのはトンネルを進むようなもので、頭の中のセンサーは一方向にしか向いていない。それでは自分の意識が狭められ身体に拡がりが感じられないだろう(エーテル体:気の身体が広がらない)。パソコンやスマホ、読書でさえも、同様の目の使い方だ。そう考えると私たちは本当の意味での”目”を使っていない・・・

 

 まだ剣を少し習っただけだが、既にそんな方角に対する感覚が生まれてきた。

 剣は怖い。刺されたらそれこそ致命傷を負う。常に四方八方に注意しておく必要がある。刀よりも間合いが小さいから機敏に方向転換し続ける必要がある。早速今日も、右足と左足をそれぞれどこに置くのか、進む時にきっちりと45度の線を進むように厳しく教えられ、できないと何度もやり直しさせられた。方角も適当じゃだめ・・・身体が歪んでいるといつのまにか方角もズレてしまっている。

 

 左手の剣指の作用についても面白い実感があるのだが、またこれは次の機会に。

 指をどう使うか(手型)によって身体の使い方が変わるよい例だ。

 立って前屈をする時に両手を拳にしていたら・・・が、剣指にして思いっきり人差し指と中指を伸ばしながら前屈したら背中がぐ〜んと伸びるはず。なんで五本の指をパーで開くとそこまで伸びないのかなぁ?

 

2020/10/9

 

  テニスが凶暴に見えたことに自分でも驚いて、私が若い頃に見たテニスはもっと優雅そうだったけど・・・、もしかしてテニスが変わった?と調べたら、まさにそのようでした。

 テクノロジーの進歩でラケット自体の性能も変わっている。今は高速、高回転(高スピン)が可能でオールラウンドで走り回るプレーヤーでないと勝てないらしい。昔は前に出てボレーとかで点をとることが多かったとか。(http://textview.jp/post/hobby/20696を参照しました。)

 要は、相手の球に”合わせて”いくよりも、パワー対パワーでぶつかっていくようになったから昔のプレーヤーよりも筋肉ムキムキだしとても過酷なスポーツに見えるのかなぁ?と。

 

 ただ、凶暴に見えた一番の原因は、打ち終わった後の怒り露わな表情だったのかもしれない。スポーツがもはや”気晴らし”(ラテン語のdeporte)ではなく”生きるか死ぬか”みたいな戦いになってしまったように映る。

 

 テニスプレーヤーが声を出すことに関して師父に意見を聞いたら、「気を通す作用がある。太極拳と同じだ」ということだったが、腹の気を手足に貫通するように発声しているのか(腹圧をマックスに高めていたのが拡散して多少下がる)、所謂”気合い”のように腹圧を上げるために発声しているのかは選手によって違うのかもしれない。

 

 と、この辺りは、私も初めて疑問として取り上げたばかりの点だから、師父に確認をしてみなければならないが、太極拳でも、まずは”気合い”のように腹圧を高めて発力できるような練習をするが、そのうちさらに丹田がしっかりしてくると、発力の前に丹田を満タンにしておいて(腹圧を上げておいて)打ち出したら丹田の気を手足へと広げて”打ち抜く”ように変わってくる。

 前者では呼気で発力、後者では吸気(っぽい)で発力になっている。

 

 これは何も打撃に限ったことではなくて、例えば、重い段ボール箱を持ち上げる時、「(せーの、)フン!」と持ち上げたなら、持ち上げると同時に息が止まって腹圧が上がる。これは最もぎっくり腰になりやすい持ち上げ方、全く素人の持ち上げ方だ。

 次に、同様に持ち上げる場合でも、フン!気張らずに「ハッ!」と声を出せば腹圧が瞬間的に上がって体幹が強張るのを防いでくれる。腰も多少守られる。これは気合いで打つような段階。

 さらに、段ボールに手を回して持ち上げる準備をした時に呼気で腹に力を入れてから段ボールを持ち上げようとすると、(呼気のままでは身体が動かないので)鼻から吸わずとも丹田は吸ったようになる。腹の範囲が広がって腹圧が拡散したようになる感じだ。これは丹田の広がりで打つ、打ち抜く時の気の使い方で、最も腰に負担をかけない持ち上げ方だ。(腰は空になる)

 

 力を使う前に腹圧をマックスにして(丹田の気を最大にして)、その腹の気を使って手足の運動をするのが最も身体に優しい身体の使い方だ。(というか、本来、そのように身体は作られている。→下の先天の気の話に繋がる)

 

 少林寺の「ハ!ハ!ハ!」はそもそも丹田の気が充実している若者たちの練習法。先天の丹田の気を使って手足を使っている。空手や外家拳も同様で、その場合は、上に書いたような第一段階の練習をせずにすぐに第二段階目の練習をすることができる。

 太極拳で言えば、巷に広まっている一路(混元太極拳なら24式と48式)は第一段階、丹田を充実させる練習。そして二路(炮捶 46式)は第二段階、少林拳などの外家拳と同格になる。単純に言えば、一路は気功(気を溜める)、二路が武術(気を発する)だ。

 ある程度の歳になったら第一段階目の練習が必須になる。

 先天の気だけに頼れるのは30歳過ぎまで(ほとんどのスポーツの選手が30そこそこで引退するのはそのため。イチロー選手のように選手生命を伸ばすには独特の練習が必要。)

 

  馮志強老師が個人レッスンで掩手肱捶を教えているシーンを思い出したので載せます。

 左の生徒さんと右の馮老師と、発力の仕方が違う。

 結果として、生徒さんは脱力ができず”打ち抜けない”。固まっている。(形が空手っぽい?)

 馮老師の場合は腰から鞭のように拳が出てくる。打ち抜く。(写っていない足裏も拳のように地面を打ち抜いているはず。)

 

 

 そして下は馮老師が(これではだめだと)丁寧に教えている場面。

 

 

 馮老師は、

 ①手を大きく広げて回しながら「息を吸って〜」、

 そして、②腹の前で両手を合わせた時に「合〜」と言っている。

 それから ③発力(発勁)。

 

 よく見ると、馮老師は①で息を吸って、②で息を吸ったまま保持、③で息を吐きながら拳を伸ばしている。

 しかし生徒さんは①で息を吸って、②で吐いて腹を固めてしまっているよう。だから拳を出す前にまた微妙に息を入れなければならない。せっかく馮老師が①の動作を大きく誇張して、その吸気によって②で丹田を膨らます(腹圧を上げる)要領を教えているのだけど、生徒さんは②で間違えてしまっている。②で丹田を膨らませられていないから、股が”尖裆“になっている(腰が落ちている=腰の力が使えない、下半身の力が上半身に繋がらない)。馮老師の股はアーチ型(円裆)=腰が高い。

 

 馮老師の③で拳が上あがりの弧線を描いていっているのは、呼気で打っても次第に吸気が混ざったようになっているからだろう。これは声楽家が声を伸ばし続ける時に吸気筋を使うのと同じだろうと思う。が、それは順を追って正しく練習しているとそうなっていくのであまり理屈にとらわれない方が良いかと思う。ただ、そんなことがあるんだと頭の片隅に置いておくと、いつかその時期がきたらピンとくるはずだ。 

 

 打った時に”ウッ”と苦しくなるのではなくて、馮老師のように舒畅(のびのびと)打てるようになりたいものだ。いや、それは(私の場合は)ピアノを引く時もそうなるのが理想だし、どんな動作をしていても同じことなのだろう。のびのびとした動作には、丹田の気と呼吸、そして心を高めに機嫌よくしておくことが必要かと、馮老師の姿を見て思いました。(憎しみで打たない、朗らかに打つ?)

 

2020/10/7 <息が止まるということ>

 

  最近テレビをつけるとテニスの試合ばかり・・・

 私がテレビをつけるのは、専らインドの古典ドラマの動画をテレビ画面で見るためなので、テニスの試合の放映には全く関心がなくずっとスルーしていた。

 昨日になって、なんで、こんなに毎日テニス? と思って調べたら、ああ、全仏オープンをやっていたんだ・・・錦織君、もう負けたのね、というか、フランスに来てたんだ・・・新聞もニュースも見てないから、毎日のフランスの新規感染者数以外は外界で何が起こっているのかよく分かっていない(苦笑)

 

 全仏オープンだと知って、今日は放映していた試合をちょっとだけ見てみたのだが、驚いたのはその凶暴さ。いや、驚いたのは、テニスの試合を凶暴だと感じた自分の感覚。以前はそんな風に感じなかった。が、今日見たら、ボールを打つ瞬間の力みと動物のような吠え声に怖ろしさを感じてしまった。選手の顔にも怒りが見える。格闘する二人を周囲から見ている観客達。ローマ時代の剣闘士を見物するローマ市民と構図は変わらない?なんて思ったりして。

 

 すぐに見るのをやめてしまったのだが、夜になって、なんであんな風に感じたのだろう?と思い起こしたら、呼吸?と思い当たることがあった。

 息を止める、堪えると、凶暴な、きつい、感じになるのでは?

 ボールを打つ瞬間に、ウッ!という感じになると、見ているこちらも、ウッ!という感じになる。選手がボールをウッ!とかオ〜!とか打つたびに、こちらの身体も収縮する。手に汗握る、というのは身体が緊張して収縮している証拠だ。

 

 じゃあ、太極拳は? というと、発勁する時に発する哼(heng) 哈(ha)は、息が体内に詰まる(憋:閉じ籠る)のを防ぐ目的と作用がある(hengは頭頂へ抜く、haは足へ抜く)。

 

 Haはハだけど、同じ”ハ”でも、もしため息をつくように”ハ〜”と言ったら力が漏れて打撃はできない。

 一方、少林寺の「ハッ!ハッ!ハッハッ!」は気を胸の方に上げる。見ている方は興奮して心拍数が上がりそうだ。今日見たテニスもこれに近い。スポーツ競技で選手が声を発する時は気を上に上げるため(=腕に力を届けるため)ではないかと思う。

 これに対し、太極拳の「ハ」は気を腹底、もしくは足へと落とすように発する。だから、師父は何度も、「haの時はしっかり舌を下に押し付けるように」と何度も私に注意してきたのだ(と今はっきり理解した)。中途半端に舌を下げても気は腹底まで落ちない。舌を引いてしかも舌に押し付けなければならない。

 

 見ていてこちらの息が止まるようなもの、身体が緊張するようなものは、その対象となるものが緊張している。凶暴さが内在している。ハエ(や生き物)を殺す時、私たちの呼吸は一瞬止まるし、怒った時も一瞬息が止まる。息を止める時、私たちは自然から乖離している。生活の中でも、ゴミ出しで息がとまり、電車で嫌な人が隣に座ると息が止まり、そしてこんな風にただパソコンを打っていてもしらないうちに息を止めていたりする。

 自然の中にいると身体がのびのびとするのは、息がのびのびとするからだろう。青々とした樹々、紅葉などを見て心拍数が上がる人はいない。心は平安になる。

 

 太極拳が自然との一体化を大事にするのは、自然と共にあれば呼吸は自然だからということが大きいのかもしれない。呼吸は私たちにとっての生命だ。呼吸が止まれば死んでしまう。呼吸は大らかであるべきのもの。呼吸はゆっくり。これは誰もが知っている心身の健康法だ。

 

 力むと呼吸が止まる。

 だから「松」、脱力、が重要になる。

 

 

 

 ここで、もしや?とイチロー選手の打撃姿を調べてみた。

 きっと、「ウッ!」という感じでは打っていないはず・・・

 

 と見たら、以前気づいた大谷選手のほっぺと同じ、頰を膨らませてインパクト、そして、走り出す直前にプ〜っと抜いてる?

 ああ、そうだ、頰を膨らませると、体内の気が膨らんで(ポンする)クッションができるから息が詰まらない(インパクト時の衝撃を内側で吸収できる)。そして、その後、頰の息を抜きながら気を蹴り出す足へと下ろしている。これがダッシュの速さにつながっているのね・・・ 原理は太極拳の呼吸と同じ。決して息を止めない(詰まらせない)(注:けれどホールドする)。それから息は通して抜く。(ホールド、と、通して抜く、については別の機会にまとめるかなぁ。)

 

野球選手はみなほっぺを膨らませて打撃するのかと思ったらそうではなさそうでした。

ほとんどは「ウッ!」と打っているのかしら?

 

大谷選手はイチローや松井選手の真似をしたのでは?というブログもありました。

 

いずれにしろ、インパクトの時にこのように身体の中を膨らませれば、奥歯を噛みしめる衝撃も減るしとても良いと思う・・・背骨は柔らかくないとできないだろうけど(含胸をとっさにしないと頰を膨らませられない。背骨の形を変えないで打ったら奥歯に力が入る=力む)

 

 いずれにしろ、力むとウッとなって見てる側がドキドキする。

 ドキドキ、血湧き肉踊る、が好きな人には快感(若い頃の私はそれがとても好きでした・・・)

 

 が、それを越えていくと、もっと起伏のない安定した開いた心身の状態を心地よいと思うようになっていくのかなぁ。ドロドロした演歌よりももっとスッキリしたもの。愛憎の絡まないもの。

 太極拳は本来見て興奮するようなものではない。だから、大師の練習を見ても退屈だと思う人の方が多いはずだ。見ていて平凡すぎて面白くない・・・いや、その平凡な動きの中に凄さが見え始めたら自分もその道を進んでいる、ということ。

 

 下は若い時にハマった「少林寺」

 息が止まるほど興奮しました!(笑)

 

2020/10/5 <イチローの筋トレ>

 

  昨日書きながら思い出したイチローの筋トレ姿。検索したらYoutubeに動画がアップされていました。

 初動負荷理論の小山氏については、以前懇意にして頂いたある太極拳のマスターから度々話を聞いたことがある。そのマスターと小山氏は意気投合してよく意見交換をしていたようだ。筋肉を分断して鍛えるような筋トレではなく、太極拳の全身まるごと一つとして使う「周身一家」を可能とするようなトレーニング法を考案し数々の有名スポーツ選手を影で支えているような存在とのことだった。

 

 イチローのトレーニングの様子は下の動画の8分53秒あたりから始まる。

   

お〜、チャンスーの時の全身の動きを誇張してやっているようなトレーニング。

足から腰、背中、そして脇、肩甲骨、二の腕から手まで、全てが筋肉連鎖で繋がって動く。

これを見ると、チャンスーをかけるには肩甲骨がしっかり動かなければならないのがよく分かる。

腰が気持ち良さそう・・・主導力は腕ではなくて腰。これが普通のジムにあるマシンとの違い。

 これは脚のチャンスー。

 捻りこみだ。

よく見るとわかるが、これも主導力は腰。腰の捻りが股関節の捻り、膝の捻り、そして足首の捻りへと伝わり、足裏が(地面に)捻じ込まれていく。

イチローのダッシュが人一倍速いのはこの捻りこみだろう。(膝と足首の回転が羨ましいほど美しい♪)

前進する時はこのような内旋の捻りこみが必要にある。斜行や搂膝拗步で前進する時の後ろ足はこのような捻りこみをすることによって地面からの反発力を得て結果として身体が前に移動することになる。

 

この開脚マシン、内腿で脚を開かせるようになっている。普通のマシンなら外側で開かせるようになっているのではないかなぁ?

 

内腿(内転筋)の力を使おうとすると同時に骨盤の中や腹の筋肉(丹田周辺)を使うことになる。

 

このようなトレーニングをすると身体に酸素が入ってくる、とイチローがコメントしているが、それはこのような身体の使い方をすると吸気が優位になるから。特にこの内転筋での開脚は呼気ではできない。いやでも吸わなければならない。太極拳も2路に進む頃には吸気で発力するようにしたりして吸気を優位にしていくが、そうすることによって体内のヘモグロビンの量が増えるのか・・・なるほど。

 

これも肩甲骨、上腕三頭筋(二の腕)、広背筋、そして脊柱起立筋などを動かすもの。太極拳で要になるラインだ。

 

どれも負荷がそれほど大きくなくて繰り返しできるようなもののようだ。やっていて気持ち良さそう〜

 

 

 

 これと似たようで非なるものが下のような筋トレ

 

 バーが前にあるものは肩甲骨を動かし辛く二の腕を長く引き伸ばして使えない。肩関節の可動域が広がらない(筋肉固めるので可動域がかえって狭くなる)。

 バーを後ろに下げるものでも、こんなに筋肉に力をこめたら肩関節が動かないだろう。

 上の2つとも、吐きながらしかできないような動き・・・いや、実際には吐きながら、ではなくて、息を少し吐いたところで止めてしまっているに違いない。すると筋肉は固まって一つ一つが分断したようになる。

 

これはイチローの上から2番目の筋トレのよくある版だが、これは脚を真っ直ぐ折りたたんでいたを押し上げている。こうすると捻りがないので、太ももの筋肉だけが頑張ってモリモリになる。腹腰とは無関係の一点集中型の筋トレ。

 

イチロー型だと捻って前進を繋ぐから細マッチョな感じになる。身体の仕上がりも変わる。

 と、それよりも何よりも、呼吸が違うなぁ〜と。

 息を止めない、というのはよく言われるけれど、知らないうちに止まっていることがある。

 このマシーンでも、身体の力を抜いてゆっくり息を吐きながら(吐き続けながら)脚を伸ばしていけば骨盤や腹の中の筋肉は作動する。

 

 下にYoutube動画を紹介します。

https://stretchpole-blog.com/upper-arms-stretch-21728
https://stretchpole-blog.com/upper-arms-stretch-21728

2020/10/4 <二の腕と広背筋、二の腕の回転>

 

 今日のズームレッスンでは、最初に、腕を胴体とつなげるための腕の回転を皆にためしてもらった。

 

 腕を胴体と繋げるというのは、以前(9/3)のブログで触れた”広背筋”を起動させるということを指しているが、広背筋によって腕が動くように腕を作ることによって太極拳の上下相従、足裏の力が脚、胴体を通過して腕から手へと伝わることが可能になる。

 

 でも、なぜ広背筋が腕に関係するのか? 

 が、下のような解剖図を見るとそれが明らかになる。

 広背筋の終点は上腕、もっと言えば、腋窩筋膜を通じて上腕三頭筋、すなわち、いわゆる”二の腕”に繋がっているのだ。

 

 

 なるほど、どおりで、太極拳の技の名前には 『肱』(二の腕、上腕)という文字の入るものがいくつかある。第10式の掩手肱捶はその代表例だが、ここでは拳が”二の腕”で出されることを技の名前が暴露している。第16式の倒卷肱も然り。

 

  解剖学的には腕は広背筋で動くようになっているのだが、実際にそうなっている成人はとても少ない。というのは、私たちは常に手を身体の前に出して様々な作業を繰り返すうちに(台所仕事、パソコンを打つ、読書をする、ものを持つ・・)直立の姿勢が崩れて”二の腕”が機能しなくなっているのが大多数の現実だからだ。二の腕が霜降りになったとかいうのは女性の会話ではよくあるし、男性でも上腕二頭筋で力こぶはできても裏側の上腕三頭筋はどうだか?

 

 二の腕は捻ると使える。イチローが特製の筋トレマシーンを自宅に備えてトレーニングしているのを見たことがあるが、彼は腕や脚を捻りながらストレッチして、この二の腕やその他の所謂”伸筋群”を起動させていた。太極拳のチャンスー練習と相通じるなぁ、と見た覚えがあるが、二の腕を起動させようとすると広背筋がもれなくついてくる、ということなのだと改めて知ったところだ。

 

 さて、この広背筋と二の腕の繋がりをどうやって取り戻し、どうやってその繋がりを四六時中保持し続けるか、というのが実際的な問題。

 日常生活では腕は腕、背中は背中、と分断して使っていたとしても、太極拳の練習で意識的に繋ぐ練習をするうちに次第に日常生活でも使えるようになるだろう。そうなるころには、理想的な直立姿勢にかなり近づいているに違いない。肩こりや首こりなどの不調もなくなっているだろう。

 ”二の腕”が使えているというのは直立の姿勢、アライメントがうまくできている証拠。

 

 二の腕が使える、というのは、脇が立つ、前鋸筋が使える、ということ。

 二の腕が使えるには肩甲骨も回転する必要がある。

 二の腕ー広背筋との連動から仙骨までつなごうとすると命門を押しひらく必要もある。

 そしてなんといっても、腹腔内圧=丹田の膨らみ=腹のポンの力、が必要になる。

 

 このあたりを、一つ一つ実感できるように練習していくのはどうしたらよいだろう?と手探りしながら今日も教えてみていた。

 

 二の腕を広背筋と繋げて起動させるためには、腕を内旋させてから外旋、というメソッドがある。太極拳で言えば逆纏から順纏、という動きだが、これで肩甲骨を動かして二の腕を背中と連動させる。

 ・・・が、これを教えても、? と何をやっているのかわからない人も出てくる。

 よく見ると、腕を回しても上腕、二の腕が回っていない・・・

 結局、二の腕を回転し続けられるか、というのが纏糸ができているか否かのメルクマールだとわかったのだが・・・

 

 

 生徒さん達には、右腕の二の腕を左手で握ったまま腕を一回転してもらって、その間常に二の腕が動くようにしてもらったが、逆纏→順纏の間は二の腕が回転できても、順→逆の間は二の腕が”落ちてしまって”回転が滞ってしまっている(右手の外旋なら上弧の間は二の腕は回転するが、下弧の時は二の腕が落ちてしまっている)。

 二の腕が落ちると回転はできない。

 二の腕が落ちる、というのは肘が落ちる、に等しい→肘が意識できない、ということになる。

 

 

 まずは下の馮老師の若い頃の半袖演武の動画を見てもらって・・・

 二の腕に注目してください。

 二の腕が決して”落ちない”。

 脇や肩甲骨と二の腕が一体化している雰囲気が感じられるかしら?

(肩甲骨も浮いて見えるような服装。腹横筋=コルセット筋もしっかりしているのが見える。身体の線が分かるような服装でやってくれているのは有難い限り。貴重な映像です。)

 

 次回は動画や画像でもう少しわかりやすく説明するつもりです。

 

 

2020/10/2 <抜背と脊椎の回旋 ”勢”の話へ>

 

  バレエで脚を後ろに高く上げるアラベスク。

 さぞかし股関節がよく開いて、腰もよく曲がるのだろうなぁ、と思ったら大間違い。実は解剖学的に見て、股関節と腰椎の反りだけでは脚の上がる角度は90度に遠く及ばないということだった(40度くらいだったかなぁ、具体的な数字を忘れてしまいました)。

 

 じゃあ、どうやってあの人たちは脚をあんなに高く上げているのかというと、実は、胸椎や腰椎の側屈を伴う回旋を使っているとのこと(解剖的な詳しい説明は省略)。

 

https://www.biteki.com/life-style/body-care/345978
https://www.biteki.com/life-style/body-care/345978

 

 

 左のように背骨を真っ直ぐにして脚を後ろにあげるとこの程度しか上がらない。

 (ちなみにこれはヒップアップのためのエクササイズの写真)

 

 これを見てから下のダンサー達の上半身を見ると、捻られているのが分かる(厳密には胸椎は側屈+回旋した上で、身体が開かないように肋を締めているらしい)。

 

 

 これを知った時、あ〜、そうだったのか、と目から鱗。

 アラベスクのような開脚の時に胸椎や腰椎を回旋させなければならないということは・・・・あっ!師父の圧腿はまさにそうなっていた! だから足裏から背骨が繋がってストレッチされていたのだ。ただ腰から折り曲げて脚裏だけをストレッチしているような圧腿ではなかった。

 

 下の左は師父の圧腿。写真ではあまり明らかではないけれど、普段見ている師父の圧腿は、上げた脚の足先が外に向いている→すると前に倒した胴体の脊椎は回旋する。さらに師父は身体を上げた脚の方向(下の写真なら右方向)へ捻っていき、身体を完全にべったりと脚にくっつけてしばらく静止している。

 これに対し右の老師の圧腿は背骨の回旋がないもの。この場合はハムストリングスや膝裏のストレッチになる。

 

 背骨の回旋が入るメリットは、回旋させようとすることで脊椎間の隙間が開くこと。これが背骨の力を抜く、ということに繋がる。背骨を固めると回旋ができないからだ。

 

 抜背は背骨を垂らすようにして脊椎間の隙間を開くことだが、結局、これによって、脊椎の回旋がしやすくなり、身体の可動域が大きくなる。無理のない動きが可能になる。

 

 じゃあ、しゃがむ時は? と閃いて、いつもやっている双腿昇降功で試して見たら、ああ、確かに、背骨は回旋している。自分の身体がどう動いているかは言われないと気づかないものだ・・・

 当然、套路の中の低くしゃがむ動作は、すべて脊椎を回旋させてやっている。そのために、そのような動作は片手は高く上げていたりして、脊椎間が開き回旋しやすいような腕の形になっている!

 

 太極拳の套路の動作はやはりとても賢く作られている!なぜ腕がその位置にあるのか、なぜ顔がその向きなのか、すべて計算済み、合理的。脚を上げるにしろ、深くしゃがむにしろ、そうできるような姿勢を全身で作っている。しゃがみたくなるような状態、脚を上げたくなるような状態を作って、初めてしゃがんだり、脚が上がったりするのだ。しゃがみたくもないのにしゃがまなきゃならない、とか、とってつけたように脚だけを上げたりはしないのだ・・・新たな発見!

 

 そうしてみると、前に一歩進むにも、進みたくなる姿勢になって初めて一歩進む、重心移動も右に行きたくなって初めて右に動く・・・動くためのモーメントを全身で先に作っていなければならないということだ。

 起式の最初のポンにしても、手を上げるのではなくて、手を上げてしまうようなモーメント、上げて終わざるを得ないようなエネルギの流れに押されて手が上がってしまう・・・

 その動きが始まる前にすでに青写真ができている、そんな感じだ。

 

 今では套路の第一式、第二式と”式”と書かれているものも、元は第一勢、第二勢、と”勢”と言われていたという(”式”と”勢”は中国語では発音が"shi"と同じなので口伝で”勢”が”式”となった?)。

第一式というと静的な”形”という感じがするが、第一勢というと動的なエネルギーの流れ、という感じになる。一つ一つの”勢”で学ぼうとしているのは、その中でのエネルギーの流れ。腕を上げたり、脚を上げたり、ではない、全身のエネルギーの流れの中で脚が上がってしまったり、脚が一歩前に出てしまったり、腕が回転してしまったり、拳が出てしまったり・・・そういうことなのだろう。

 

 脊椎の回旋から始まって、エネルギーの流れの中でその動きが出てくる、という”勢”の話までつながってしまったが、このあたりは生徒さん達に一つ一つ教えていく必要があるだろう。(動画も必要かなぁ)

 

2020/9/30 <足裏で地面を踏み込み続ける ”力は踵から”は”丹田で動く”こと>

 

   昨日書いた”身体を薄くして立つ”について動画で説明してみました。

 

 説明しながら気づいたのは、結局、”身体を薄くして立つ”というのは、”アライメントを正しく”とか”アスレチック・ポジション”と言われるものと同じで、足裏にストン、いや、ズドンと気を落として足裏と地面の間で力のやり取りをし続ける状態だということ。この地面と足裏の間の力のやり取りがそのまま身体、上半身、手へと連動して発力として現れる。

 

 ただ、このようにアライメントを正しく、身体を薄くして立つことを意識する前提として、まずは足裏に気を落とせないとならない。だから練習の第一歩は、身体の力を抜いて足裏に気を下ろすこと。これは初心者の練習という意味もあるけれど、熟練者でも毎日の練習の始まりはこの松して足裏に気を落とすところから始まる。

 足裏に気が落とせて足裏が地面に貼り付いたようになったら、第二歩目として、会陰を引き上げて丹田に気を溜め足裏から丹田を繋げる。

 (熟練者なら、松して気を足裏に下ろす時に同時に会陰を引き上げて丹田に気を溜めながら足裏に気を下ろせる。が、初心者の場合は、会陰を引き上げると足裏に気が落ち辛いので、第一段階で全身の気を足裏に落とし、そして第二段階で初めて会陰を引き上げて丹田に気を溜め始める=足裏と丹田を繋げる、とした方が結局は近道。)

 

 いずれにしろ、足裏が使えないと(足裏が地面を踏み込むことによって得られる地面からの反発の力を使えないと)丹田に気を溜めることはできない。会陰を引き上げる=足裏を引き上げる、になっている(身体の構造上そうなっている)。

 

 動画の最後の方に、足裏で地面を踏み込んでいる間だけ動ける、という話を少ししているが、これが太極拳で特に大事なところ。足裏で地面を踏み込める=丹田を使い続ける、ということになるのが実感として得られると、”力は踵から”と言われるのが”丹田で動く”と矛盾しないどころか、同じことだということが分かる。

 

2020/9/29 <身体を薄くして立つ、という意味>

 

  背骨のS字カーブを減らして背骨を真っ直ぐ引き伸ばすののは太極拳に限ったことではない。

 私たちが普通に立っている時、頚椎は前弯、胸椎は後弯、腰椎は前弯、仙骨は後弯、と、S字を二つ連ねたようなカーブを描いている。

 しかし、私たちが急に走りだそうとか、ジャンプしようとか、しゃがもうとかする時は、バネばかりを伸ばすかのように脊椎を引き伸ばす。これは一気に地面を踏んでバネを起動するための準備の姿勢だが、これを以前紹介したNBAのスーパースターのステファン・カリーは”アスレティック・ポジション”と呼んでいた。

 

 子供の時のかけっこの「よ〜い、ドン!」の「よ〜い」の時の姿勢。「ドン!」と言われたら一気に走りだすためには腹腰股関節に”タメ”を作って足に気を下ろしておく必要があるが、そんな構えはは先生から特に教えられる必要がない。猫でも似たようなことをしている。動物なら自然にやってしまう構えだ。

 

 ただ、この誰でもやる構えも上手下手がある。絶妙に構えられる人は運動能力が高くなる。

 

 時々太極拳の演武の動画を見て変だと思うのは、足腰のバネ力を増やすために背骨を引き伸ばしているのではなく、ただ背骨を真っ直ぐに硬直させている人が多いということ。これはきっと、なぜ脊椎を引き伸ばすのか、ということを考えずに、ただ”背骨は真っ直ぐに”と指導されてその通りやっているからだと思う。背骨を固めて棒のようにしてしまったら所謂老人の身体と変わらなくなってしまう。すぐに股関節や膝を痛めてしまうだろう。脊椎を構成する椎骨が関節として機能しなければ運動による衝撃が下半身の関節に集中してしまう。

 老人の股関節や膝が悪くなるのは下半身が弱くなるからではなく、上半身、背骨が硬くなるからではないか?100メートル走の選手がなぜあんなに上半身を鍛えるのか?太極拳で蹴りやジャンプやしゃがむ動作を練習すると良くわかるが、足の技は腕を含めた上半身の使い方が決定的な役割をもつ。

 下半身は上半身に依存し、上半身は下半身に依存する・・・

 

 そして脊椎のS字カーブを引き伸ばし全身のバネ力を起動させる準備をする時、身体は”薄く”なる。薄くなることで、重力に身体が邪魔されなくなる。ジャンプする時、しゃがむ時、ダッシュする時、私たちの身体は(前後に)”薄く”なる。

 馮老師や劉師父の套路を横から見ると、薄いのだ。後頭部から背中、踵までが揃っているのだが、かといって、膝もそれほど前に出ていない。

 実践をやっている人は”薄く”構えないと速く動けず不利なことを知っている。

 坐胯だからとお尻に坐って”居着いて”しまってはいけないのだ。

 静止して立っていてもいつでも動き出せるような足裏の”もぞもぞ”(虫様筋のイメージ?)を保持するには仙骨を収めて身体を薄くする必要がある。

 

 逆に言えば、身体を薄くしてすっきり立てるのは功夫が高い。丹田力がないと腰が反ってしまう。目指すイメージだけでも頭に置いていると役立つはず。間違えたお手本をお手本にしないように・・・

 

 <下の写真、ブルースリーと対戦者。対戦者もなかなかだが、比較すると、身体を”薄く”しているブルースリーの方が、構造物としてスッと真っ直ぐだ。足裏がペタッと地面に貼り付いている。(二人を揺れる電車に乗せた時、ブルースリーは身体の力を抜いて足裏でバランスをとるだろうが、対戦者は様々な筋肉に力を入れることでバランスをとろうとするのではないかしら?)

 

 

 そして下の馮老師の決闘(?)動画。馮老師が身体を”薄く”構えているのは他の人たちとの比較で分かるのではないかと思う。太腿に乗っからずに、あくまでも腹や腰という高めの位置でさばいている。套路ではもう少し低く練習するが、それでも太腿には乗っからない。ある程度丹田が使えるようになったら、素早く動くために身体を薄くする意識が必要になると思う。

2020/9/28

 

  2週間前から子犬を飼い始めた。今年三月に老犬が逝ってもう犬は飼わないと思っていたけれど、いつも寝ているようなまったりした成猫たちだけだと家の中に活気が足りない、散歩も懐かしい・・・それに、家の中に犬猫私(人間)の3種がいた方がバランスが良いよう(友達二人より三人で出歩いた方が楽しい、と以前マツコが言っていたけど、確かに、2は対立、3はトライアングルで安定)・・・と、無性に子犬に育てたくなってしまった。

 

 生後3ヶ月で引き取ってきたが、連れて来た時は足がまだよたよたしていた。けれど、1週間後には走ってボールを追いかけるようになった。そして2週間後の今は自分の身体よりも大きな靴を咥えて猛ダッシュしている。一日で人間の1ヶ月分くらい成長しているのでは?と思うくらいの成長の速さ。

 子犬は動くものを見るとダッシュして追いかける。

 猫は子犬に気づかれないように抜き足差し足でトイレや餌場に行く。途中で気づかれたら、子犬はキャンキャン吠えて追いかける。猫もこれまでの生活では必要とされなかったダッシュやジャンプを余儀なくされる。最後は高いところに飛び乗って終わり。犬はどうしてもジャンプ力が敵わない。

 

 

 最初猫たちは、訳の分からない動きをする子犬を恐れて姿を潜めていたが、そのうち、子犬がいくら吠えても大したことがない、と気づいてきた。至近距離で吠えられてもビクともせず知らんぷりをしていたり、時には、鋭い目で子犬を圧倒し、子犬は吠えながら後ずさりをしていることも。

 一戦を交えなくても、どちらが強いかは、ある程度わかるものだ。

 

 そしてこの週末には20代の娘が留学のために日本からこちらに引っ越してきた。

 子犬と娘が来たら、家がとたんに賑やかで華やかになった!

 

 子供や青年のエネルギーは消費してもすぐに元に戻る。

 一晩寝れば戻るのだ。

 朝起きて、疲れが残っている、なんてことを感じたことはなかった。

 コマーシャルなどで、”滋養強壮”という言葉を聞いても、なんでそんな薬が必要なのか意味が分からなかった。

 身体が鞠のように動く頃、小学校の体育の先生が、「これは腰の運動です。」と言っても、どこが腰か分からなかった。背中かお尻、その途中に腰がある感覚がゼロだった。ここが腰だ、と自覚できるようになった時は既に背骨は硬くなっている。

 

 身体に全く不自由がない時、私たちは身体に無意識だ。

 身体のどこかに不自由があると、その部位に対して私たちは意識的になる。

 身体全体が不調だと、私たちは身体に引きずられる。

 

 幼い犬や若い娘に接しながら疑問が浮かんだ。

 太極拳で目指しているのは、果たして、身体に全く不自由のない状態を作ることなのか?

 (太極拳で腕っ節を強くして勝ちたい、というような男の子の抱く幼い目標は最初から論外)

 ただ、正直なところ、どんな人の身体も老化する。歳をとればとるほど身体が若くなる、ということはあり得ない。

 

 身体が空になる時、私たちは身体に対し無意識か? いや、(限られた私の経験から言えば)超意識的、身体は意識で包まれる。その時、身体の輪郭はなくなり自分は光のようにその一帯を照らす。

 今の時点でおぼろげながら描けるのは、太極拳で練習しているのは意の操作、そして意識の拡大。意で気を丹田に集めてそれを動かしながら次第に大きくし、最終的には丹田が身体を包んでしまう。その時、丹田はないも同然だが、代わりに意識が身体を包むようになる。

 通常私たちの意識は頭の中に閉じ込められているが、それを身体に拡げる練習をする(精→気→神)。ここまでで終われば養生、健康目的=身体目的の練習になる(精気神の循環)。もしここから先に進み(神→虚→霊)身体を超えて意識を拡げられたら私たちは身体から自由になるのではないかしら?最終的には身体にとらわれないところに進もうとしているのではないかと思っています。

 

 ただ、意識を拡大させるにもパワーが必要。

 諦めたら身体の中に埋没してしまう。

 身体で遊びながら身体に拘泥しない 

 同志が集まって励ましながら進んでいけたら理想的だ。

 

 

2020/9/25 <アライメントが正しいとエネルギーが湧き出る?>

 

   公園に行ったら、赤ちゃん連れのママ達がエクササイズしていました。

 先頭に立ってお手本を見せるママの動きはお見事♪

 後ろのママ達が疲れてヘトヘトになっても、お手本ママは軽々とますます勢いづいて動いてる。

 ぼぉ〜と暫く眺めてから、ああ、そうだ、と動画を撮りました。

 

 先頭のママ(緑サークルで囲んだ女性)の姿勢、身体のアライメントがとても良い。(アライメント:関節や骨の並びのこと)

 しゃがんだ時は避雷針のごとく、頭頂から足裏へと力が抜けていくようだ。

一番後ろのママ(黄サークル)のママと比較すると一目瞭然。

 後ろで踊っていたほとんどのママが、黄サークルのママのように膝に落ちてしまっていた。先頭ママのような速さ、キレがでないばかりか、すぐにへたばってしまって脱落。最後列の黄サークルのママは最後まで食いついていっていた。

 

 先頭ママはしっかり股関節に体重を乗せていて、そそこにため(クッション)がある。股関節に落ちた体重は絞られて足裏へと流れていく。

 

 

 見ていて面白かったのは、先頭ママが、動けば動くほどノリノリで加速していくのに対し、その他のママは動けば動くほどへばって脱落していくこと。

 

 動いて消耗するのか?それともエネルギーが充填されるのか?

 

 実はそれこそが、太極拳などの内家拳とスポーツの違い。

 眠っている(dormantな)先天の気が刺激されて活用されるような身体の動き方をすれば運動前よりも運動後の方が体内のエネルギー量は増えるが、今体内にある気(エネルギー)を使うだけの運動は消耗するからそのあとに休息が必要になる。

 運動によってエネルギーを充填する、これを可能にするのが内功だ。太極拳自体が内功になるように練習を進めていけば、最終的には、「太極拳は休息だ」と馮老師が言っていたとおりになる。

 

 先頭ママの動きは、良く見ると、腰を落とすたびに下丹田を刺激している。ははぁ、だから、ポンプのようにしゃがむ動作を繰り返せば繰り返すほどますます力が湧き出てくるのね〜。股間をすり抜けてすぐに膝に落ちてしまうようなママは会陰の引き上げをしっかりやる必要がある・・・・以前随分たくさんの出産後のママを教えたけれど、出産したらお尻が下がって太ももとお尻の境目がなくなってしまった、と言うママが多かったことを思い出しました・・・。確かに、一番後ろのママのようなしゃがみ方をしていたらお尻(股関節)が流れて太ももとの境目がなくなってしまうだろう・・・会陰を命門に向けて引き上げる練習が必要(私はよくママ達に後ろ向きに歩かせて引き上げるコツを教えていました。)。

 

 犬や猫も歳をとると腹が大きくなってお尻(股関節)が退化する。これは人間でも同じなのだけど、私たちは意識的に身体を使うことができるから、可能なかぎりお尻(股関節)を柔軟に使って下半身の衰えを遅らせたい。

 下丹田は股関節ラインにある(関元ツボの奥)。dormantなエネルギーは会陰付近まで広がる下丹田に存在するから、そのあたりを刺激するような身体の使い方を意識的にする必要がある。太極拳なら、気沈丹田で坐胯、円裆 敛臀/泛臀などで常に起動させている。普段の生活なら、椅子に座っている時に”そこ”(下丹田)で腹腰を立ち上げておくように意識する。骨盤を立たせて坐る、というよりも、下丹田で骨盤を立ち上げるような要領だ。これはヨガで「クンダリーニが蛇のように立ち上がる」という発端の練習だ。

 

 ということで、今日のママを見て気づいたのは、アライメントが正しくないとエネルギーが消耗する、ということでした。けれども、アライメントが正しければ必ずエネルギーが増えるのか?というと、どうだろう? (身正心正(身が正しければ心は正しい)という言葉があるけれど、果たして”身が正しければ本当に心も正しいのか?”と問うのに似たようなところがあります。 まあ、そもそも、身やアライメントが申し分なく正しい、という人はなかなか存在しないので、そんな屁理屈は言わずにせっせと身を正しくするように精進すべきかなぁ。)

2020/9/24 <手の松ではなく手首の松、松には正しいアライメントが必要>  

 

 昨夜のメモは書きすすめるうちに収拾がつかなくなってしまって自分でも気持ち悪いので少し整理を。

 

 <9/23付けのメモの要旨>

 ボール練習から、手の松には肩(脇)を開ける必要性があることに気づくこと、そして脇肩を開くには胸も開かなければならないし、腰も開かなければならない、そしてその先の骨盤の中の股関節、これを”松する”(空間を開ける)必要がある、というところまで辿りつけたらしめたもの。

 週末教えた生徒さんの課題は、その”股関節の空間の開き”とはどういうものか、というのを実感として分かることだった。脇を開くために股関節を開く(開く、というのは、空間を開ける、隙間を空ける、という意味)というのが分かると、股関節(胯)の”松”の感覚がそれまでのものとはまた一段変わってくる。

 脇の空間と胯の空間が連動する、あるいは繋がる、これが肩と胯の合。外三合の一つだ。

 これができると四正勁の基礎ができる。(起式はこれを練習)

 

 <そしてここから先が別の論点>

 

 どんなに手を”松”するために手首を開いておこうと努力しても(注:実際には手を松するのではなく、手首を松する。その結果、指は垂れる。松腕垂指)、手、掌の力を抜、肘の位置、肩の位置が然るところになければそうはならない。そういう意味では、松(余計な力を抜く)というのは、気持ちの問題(だけ)ではなくて、アライメントの問題がとても大きい。

 

  ボールを握って試すとわかりやすいが、実際には、手、掌を”松”しようとすると手首がジワっと開く。ボールは掌に吸い付いたようになる。大事なのは”手首”の”松開”。手首が締まっていたら手は松(垂指)にはなっていない。”松”した気になっているだけ→假松:偽の松。松したら開いて通りがよくなる。ボールを握ってから注意深く少しずつ握った力を抜いていくと、最初は手首の中、それから徐々に前腕の中、そして肘の中、うまく肘の位置が調整できれば(正しいアライメント)肘を貫通して上腕、脇の中が開いていくのが分かる。勁の通路が開通していく過程。この通路を使って動くのが太極拳、だからこそ、”松”が必要になる。表面的な気持ちの”松”では中の通路は開通しないとボールを使えば分かるのではないかと思う。

 

 松をして通路を開けていくにはその時その時に応じた正しい位置、アライメントを見つけることが必要だが、上の例で言えば、肘で松が途切れてしまった時に、肘の位置を変えながら、同時に脇の中や腹の丹田の位置を調整することによって、ああ、この体勢なら通る、という場所を見つけられる。最終的には丹田の調整(腹腰の中の調整)に尽きてしまうのだが、その結論に至るまでに自分で試行錯誤する必要がある。試行錯誤してうまくいかなければそれが分かる

 

 松には正しいアライメントが必要、ということに今になって気づいたが、そもそも、日本の”整体”というのはそれをやっている?(中国語で”整体”というと”全身”という意味になるので師父に日本の”整体”を説明するのは困難。按摩だろう?と言われても、それだけじゃない・・・)

 

 外反母趾などの足の歪みを治すには全身(胴体)を整える必要があるけれど、反対に足の中のアライメントを整えることによって全身のアライメントに影響を与えることも可能。

 ただし、自分のこれまでの練習と教えた経験から言えば、中心から周辺へのおおまかな通路を開通しておかないと周辺から中心に影響を及ぼさせるのは難しいのではないかなぁ? まずは中心→周辺へとエネルギー:気の力で大まかな通路を開け、ある程度周辺まで達したら、周辺→中心へと通す練習をする。中心→周辺への開通工事には丹田の内気の馬力が必要。これで周辺まで大きな通路をつけてしまえば、周辺→中心には”松”で道を開けられる。

 まだ中心→周辺へと突貫工事ができていない場合は、そちらを先にやる必要がある。

 秋冬は丹田に気を溜めやすい(気が外に漏れにくい)のでこの時期に内気を増やして、春に一気に貫通させてしまえれば・・・これは春に芽が出て一気に成長する植物の現象と同じ・・・ああ、これが昔中国で行われていた百日护基功(冬の3ヶ月間毎日タントウ功をして気を溜める。男性はその間射精禁止。これで内気を倍増させて一気に内側の通路を開通させる=周天)!

 

2020/9/23 <手首の松から股関節の松へ 上下相随 肩と胯の合>

  

 週末、東京の生徒さんからボールを使った練習を見て欲しいと言われビデオレッスンをした。

 彼女とは長い付き合い。太極拳を始めた頃は虚弱体質のようだったが、続けているうちに確実に身体が変わるのを実感したらしく、とても意欲的に練習を続けている。

 

 さて、彼女のボールを使った練習を見てみたら、問題は腕に起因するわけではなかった。

 ボールを使った練習で握った手や手首に力が入ってしまうのは、”上下相随” ができていないからだと彼女を見て気づいた。

  

 ボール練習で目指せるのは、肩や脇を開けて腕を胴体に差し込んでしまうこと、腕を胴体と一体化させる、腕を胴体にしてしまう、ということ。どこからが腕なのか、境目が分からないようになるのが理想だ。そのうち脚もどこからかが脚かわからなくなれば、全身が胴体なのか、腕なのか、脚なのか分からない、一つの”塊”として感じられるだろう。それが周身一家だ。

 

 この周身一家を実現するにはまず”上下相随”をやる必要がある。

 この上下相随をするための具体的な要領が、肩と股関節の合、だ。

 外三合は”肩と胯の合、肘と膝の合、手と足の合”だが、上半身と下半身の動きを連結させるには、肩と胯の合、が最も大事だ。

 

 私たちは身体の中心から離れれば離れるほど意識をしやすくなる=中心に近づくほど意識がしづらくなる→手は肩よりも意識しやすい、足は股関節よりも意識しやすい。背骨は肩よりも意識しづらい。

 手と足の合は肩と股関節の合よりも意識しやすいが、手と足を合わせても、中心軸はまだまだぶれてしまう。中心に近い、肩と股関節を合できれば中心軸はほとんどブレなくなる。

 

 私の生徒さんの課題は、この”肩と股関節の合”にあったのだが、では、どうやれば、”合”の感覚を得るれるのか?

 通常のボールを持たない練習だと、脇を徹底的に松して胸の中を抜いて、松した股関節の空間と合わせることによって(四正勁を作る)肩と股の合が得られる。肩と脇の中、そして股関節の徹底的な”松”が必要だ。

 しかし、ボールを持った練習をすると、ボールをもった手の腕が、ろくろっ首のように伸びて脇を通過して股関節(鼠蹊部)まで達するような感覚を作り出すことも可能だ。ボールを持った手の力を、さらに松、さらに松、と何度も何度も繰り返し松しようとすることによって、しだいに腕が胴体の中に侵入してろくろっ首のように伸びてくる。もちろん、含胸をして胸を横に広げ、股関節も広げていかなければならない。

 うまく股関節に達すれば、股関節→脇→手、で、途中の”脇”がノンストップだから、股関節→手と直通するようになる。直通してしまえば、脇と股関節の合を見る(感じる)ことができる。 

 これは野球のピッチャーが股関節から投げる、と言うような理屈と同じはず。

 と、少し調べたら、やはり、股関節の可動域が狭いと手投げになってしまって肩を壊すとか、股関節の可動域が広いと速い球が投げれるとか、投球と股関節は切っても切れない関係があるのがわかる記事がたくさんありました。ただどのくらいの投手が本当に肩の中を抜いて投げているのかは不明・・・・その点、昔見た通背拳の基本功はすごかったけど、その動画を探し当てられるか自信がありません・・・・

 

 レッスンをした私の生徒さんは胯に坐れていない(坐胯ができていない)ために、胯の松が不十分→股関節の開き(空間が足りない)ので、股関節の(空間の)球が回らない。股関節の開きが足りなければ脇も開かない、ということで、まずは、股関節の球を回転させる練習方法を教えました。鼠蹊部にテニスボールを置いてくるくる回してみると松して回りやすくなるかと。

 

(自分の頭の中の整理)

 アライメントを整えるにあたって肩と股関節の合が達成できれば大枠はキマる

 どうやって肩と胯の合を達成するか?

 前提として、坐胯が必要。

 胯の開の力で肩・脇を開く(股関節が開かなければ肩・脇は開かない)

 胯の球が回る→肩の球が連動して回る 

 胯の空間と肩・脇の空間が連動する

 

 or 四つ足で這うのが最も手っ取り早い?

 

 

  

2020/9/20 <顧留馨の本 チャンスーと肋骨>

 

  昨日書きかけて放ってしまった本の話。

 

 『陳式太極拳』顧留馨著 

 あるマスターから勧められて入手した太極拳のバイブル本の一冊。

 馮老師の本の内容と重なるところも多々ある。この本を読むと、馮老師の本の内容は馮老師が考え出したものではなくずっと以前から伝わってきた太極拳の奥義なのだと分かる。

  

 チャンスーについては

「上肢の旋腕転膀 (手首の旋回と肩甲骨の回転)

 下肢の旋踵転腿 (踵の旋回と脚の回転)

 胴体の旋腰転脊 (腰の旋回と背骨の回転)

 の三者結合によって作られる。」と書かれている。

 

 やはり、旋回の”旋”と、回転の”転”の組み合わせだ。

 腕だけがチャンスーということはありえないということ。

 全身がチャンスーになる。

 

 なお顧留馨についてはhttps://takeichi3.exblog.jp/25426423/参照。

 太極拳を国民的体操になった経緯が書かれています。こうしなければ、太極拳は途絶えていたかもしれない。馮志強老師も当局にいつ取り締まられるか分からないような時期があったようだし、実際、馮老師の師の顧耀贞は文革四人組によって迫害死している。太極拳は国家に脅威を与えるとして一時練習を禁止されたが、それを国民の健康維持のための体操として組み替えたからこそ、日本にいる私達にも楽しめるものになった。その分、国民体操になる以前の、国家に危険視されたような太極拳の真髄は伝承が非常に難しくなったということだろう。

 

 この本の中のこの図は有名(?)

 

 頭の中でやると頭が狂いそうになるけど、身体を使ってやってみると、確かにそうなっている・・・

 が、手がこのように翻るには身体がかなりうねって翻る必要あり→全身チャンスー

 

 

 

 胴体のチャンスー(腰の旋回と背骨の回転)をしようとすると胴体がうねるようになる。

 そのうち、「胸腹折畳」という太極拳の一つの特徴の現象も現れてくる。胴体がポンプのようになる。

 

 ちょうど最近、肋骨を締める必要性、という点についていろいろ文献を見ていたが、肋骨は開きっぱなしでもよくないし、縮んだままでもよくない。普段は程よく締まっていて、必要な時に開く、という柔軟性のある肋骨が健康上必要だ。

 肋骨というと全面の胸の下あたりをイメージしやすいが、背中側も肋骨だし、喉からみぞおちまでは肋骨だらけだ。このあたりをどのくらい動かせるか、が呼吸の強さ、生命力の強さに繋がるだろう。

 腰痛やその他の問題もこの肋骨の硬さから起因するのでは?という下のブログは興味深かった。

 https://minkyu.co.jp/archives/3887

 

 


 太極拳で四正勁というのがあるけど、両肩と両股関節を結んだ線が長方形になるとはいっても、これが固定されてロボコンのようになってしまってはいけない、はず。

 しなりのイメージについて

 https://www.nikkei.com/article/DGXMZO43068160Z20C19A3000000/

 チャンスーをかけると、(このブログの筆者が言うように)シャツに斜めの線が入りそう・・・ 

 

 意識的に肋骨を動かすようにしてチャンスーの練習をしてみると、チャンスーもうまくできるし、肋骨も動くし、とても効率が良さそうだ。それに嫌でも含胸になる・・・生徒さんを実験台に試してみよう♪

2020/9/18 <チャンスーで関節を開ける 節節貫通へ

 

   ボールを持って腕を回転させた時に力が入ってしまう箇所は順→逆、逆→順の転換点。

 この転換点こそが相手の力を削いで攻撃へと反転する(化勁)の場所なのだけど、身体の中では足踏みポンプを踏んで急速にエネルギーが湧き上がるような現象が起こっている。

 陰極まって陽が芽生える(冬至、子の刻、新月など)、陽極まって陰が芽生える(夏至、午の刻、満月など)といった陰陽の転換点は自然の摂理においてもとても重要視される場所。順纏⇆逆纏の転換点で自分の身体の中がどうなっているのか、何が起こっているのかを観察すると、それらに共通する現象の重要性を哲学的にではなく体験的に知ることができそうだ。

 

 ボールを持った練習をすると、無意識的に力が入ってしまっていることに気づくことができる。転換点では特に、肩や胸、腰、股関節、膝、足首の中など、いたるところの関節の中を意識的に開く必要があるのが分かる。これを”松開”と言うのだと気づいたりもする。

 ひたすら松して関節を開く、という練習もありなのかもしれないが、身体の中の関節を開く(=関節を構成する骨と骨の隙間を拡げる)には、チャンスー(纏糸)という力の使い方をするのが効果的だ。

 チャンスーという回転ドリルの力を使って気の通る経路を押し開くことができる。

 ただ”松”しただけでは開かないような場所も、チャンスーの力で通路を開通させることができる。

 関節を折り曲げたり伸ばしたりしていては関節を超えて力が伝わらない。全身の骨や筋肉を一つとして使うには関節を折り曲げず、回転させることが必要だ。

 

 チャンスーを意識的に強めにかけたり、かけなかったり、様々なスタイルで套路をやるうちに、年月とともに、身体の中の関節が開通して、”柔若無骨”(骨がないかのように柔らかい)となれば、チャンスー(ドリル)をかけることなしに、足で地面をふめば掌まで力が達してしまうのだろう。自分の身体は空となり 無職透明になる。身体の内と外の境界がなくなりまさに自然と一体化する。・・・楊式太極拳はチャンスーを使わずに最初からその境地を目指しているように見受けられるのだけど、ただ形だけ真似していては内側の通路を開通するのは不可能に近いだろう。ひょっとするとチャンスーではない隠れた秘伝の開通法が存在するのかもしれないが。

 

  と、このあたりを動画で説明しようとしたら、案の定、こんがらがりました。

  理路整然とは説明できない・・・

  1つ目の動画の旋回と回転の違い、2つ目の順纏と逆纏の定義、は知っておくとよいと思います。その他の話は適当に聞いてもらって、参考になることがあったら参考にしてください。

 

2020/9/17 <旋回と回転 順逆チャンスー 転換点>

 

  主人にテニスボールを持たせて、指を軽く立てたまま腕を一周外旋してもらい、どこで指に力が入るのか試してもらった。二箇所だと先にヒントを与えたら、「ここ(腕の下降時)のボールが落ちそうになるところと、腕が上昇する時に手がひっくり返る際二の腕に力が入るところだね。(それがどうした?)」とあまり興味なさそうに答えてくれた。

 

 思った通りの場所を指摘してくれたけど、理由は、そうなんだ〜、ととても興味深かった。

 馮老師の第三式懒扎衣の定式の形を借りて説明すると・・・

 上の写真の形から、右手をぐるりと外旋した時、腕が一周する間に、右の図のような現象が怒っている。

 円は、ポン、リュー、ジー、アン、で成り立っているが、この右手の外旋の場合のそれぞれの技の場所は図示した通りになる。円はどこでも技になる、という利点がある。これは太極拳の特徴であり醍醐味だから、逆に言えば、円の練習をする時は、一周、どの点をとっても意と気が繋がっていなければならないということになる。

 それを可能にするのが螺旋纏糸の動きだ。

 直線で平面的に(手旗信号やラジオ体操のように)腕を回すと、必ず、スキのある部分が出てしまう(技として使えない場所が出てくる)。

 だから、腕を一周旋回させる間に、腕を一周回転させる。

 旋回とは円の軌跡を描くように回ること、回転とはある軸を中心に回ること。すなわち、前者は公転で後者は自転だ。

 上の図では、腕が円を描いて一周する間に、腕自体が回転する。

 

 頭の中にジェットコースターが浮かんだのだけど、

 右のは公転があっても乗り物の自転がない。

 ひねりながらぐるりと一回転するジェットコースター(メビウスの輪のようなもの?)がありそうな気がするけど、どうなんだろう・・・?

 メビウスの輪も大いに気にかかる・・・

 

 が、頭を元に戻して、もう一度上の図に戻って説明すると、円の半分は順纏、残りの半分は逆纏、になる。

 

 順纏は、小指主導で動く手の動きだが、簡単に言えば、動く時に掌が自分の顔に向かってくるような動きだ。人差し指の腹側が自分の顔を指すように動いている間は順纏、これは開合の”合”の動き、すなわち、気が丹田に戻ってくる動きになる。

 

 これに対し、逆纏は、気が丹田から末端へ出て行くような手の動きで、掌が外に向いて動く。人差し指の腹が自分の方を向かずに外へ向いていく動きだ。逆纏は親指主導で動く。

 円はこの順纏と逆纏がセットで成り立っているのだが、ボールを持ってゆっ〜くり腕を旋回させた時に気づくのは、この順→逆、逆→順の転換点(図の中の①と②)の自転でともするとボールを握りたくなってしまう。

 転換点と言っても、実は順から逆、逆から順へは、突然切り替わるのではなくて、円一周を通じて徐々に変わっているのだが、感覚的には上のような2つの位置で転換点が現れる。この二つの中でも、難しいのは②。ここは穿掌とも呼ばれて、特別に練習をする箇所だ。推手の時も最初はこの動きがややこしく皆混乱するのだが、慣れてくると、この動きの”妙”にかっこよさを感じてしまう。(馮老師が生前、「ジーポン(ジーからポンの位置)で技がかけられたら命は要らない。」とオフレコで言ったという話があるが、これはまさに②の難しさを語っている。)

 順逆の転換点は陰陽の転換点、転換点をどう捌けるか、どう転換させられるか、ここに功夫が現れる。

 この2点で、あっ、力が入る!、と気づけば、その先の練習に入っていける。

 まずは気づかないとどうしようもない。

2020/9/16

 

  私がボールを使った練習をしてるのを知って、真似してやってみた生徒さん達からのコメントから気が付いたこと。

 

 最初に聞いたのは「指が痛くなった」とか「指がつりそうになった」というもの。

 どうしてかなぁ?と確かめてみたら、最初は指を放松させて掴まないように持っていても、腕を一周させる時に、内旋外旋に関わらず、二箇所、無意識的に指に力が入ってしまいそうになる箇所がある。

 ははぁ、ここで気が詰まって指(手)が強ばるのね・・・

 でも、こここそが、肩・脇の中を貫通させて手を胴体の中まで繋げるかどうかの腕の見せ所。チャンスーができているかどうかはこの二箇所がクリアできるかどうかで明らかになる。

 

 元々私がこの練習で狙っていたのは、手の根っこ(掌根)にある骨をばらばらにして、前腕の橈骨と尺骨の隙間の骨間膜を開き、前腕のねじれをとって手をすっきり肘・肩へとつなぐこと。

 

私の頭の中のイメージは左の掃除機のようになっている。

 

手が掃除機のヘッド、パイプが腕、ホースの部分が腋・肩、掃除機の本体が胴体。

 

節節貫通は通常胴体の中の気の勢い(流れ)を使って、胴体→肩→肘→手首→手の中の関節 と中心から末端へと関節を開けていくが、ある程度練習したら、これを逆向きに末端から中心へと関節を開けていく練習も有効だ。

 

 例えば・・・

 もし肩にあたる掃除機のホースの部分にゴミが詰まっていたら、胴体側から勢いよく風を送ってパイプの方へ吹き飛ばしてしまうことができる。胴体から出てくる風圧がさらに大きければ、肩のホースの中だけでなく、次の肘のパイプの連結部や、手首というパイプとヘッドの連結部の詰まりも吹き飛ばしてヘッドからめでたくゴミが出てきたりする(=手の労宮ツボから邪気が出る)。  

 これは、通常の練習で(タントウ功や坐禅の周天で)胴体から末端に向けて関節を開けていく「節節貫通」の順序。(もちろん、掃除機は胴体に向けて吸うことしかできない。ヘッドからゴミを吐き出すなんてできません!)

 

 一方、手首にあたるヘッドとパイプの連結部分が詰まっている場合は、手(ヘッド)から開けるのも有効だ。拍手功などはそのような狙いもある。手(掌)の衝撃や開きによって、手首を開き詰まりをとる。その部分を開く時に、掌根に連結して付いている橈骨と尺骨の間の骨間膜を開くように意識していればそのまま肘も開けることができる。

 肘は肩の方からも開けられるが、その先の前腕から手首の調整は一方向からだけでは難しいので、肩からと手首からと二方向から調整していくのが効率的だと思う。

 なお、太極刀や剣などの武器を練習すると、手から肘、肩、という方向に節節貫通させる使い方を学ぶことができる。(でないと、腕が痛くなってしまう。)

 

 ということで、話を戻すと、私が元々狙っていたのは、掌根の骨の開きが悪くて前腕にねじれのある右腕の調整だった。が、この右腕の調整は右半身の調整にもなるし、ひいては全身の調整になりうる。

 

  生徒さん達のボール(や卵!)の持ち方を見たら、一番左の図の青丸の位置だった。

 最初はそこから始めて、徐々に真ん中の図の赤丸に近づけて、右端の図のように、前腕の二つの骨の隙間を開くようにしていくと、手首が開く=松腕、の感覚が体感できる。指が”掴む”ことはない。(掴むのは手首と掌、いや、掌は指なのだと分かる)

  橈骨と尺骨の間の膜が開いて使えると、肘もしっかり張り出てくる。それにつれて腋が深くなる。

 

 が、そこまで練習を進めるためには、ボールを使って雲手(外旋)や披身捶(内旋)の動きをした時に指に力が入らないように気をつける必要がある。

 最初の話に戻ると、

 外旋、内旋に拘らず、指に力が入りそうになるのは一周のうちに二箇所ある。

 まずは、それがどこなのかに気づくのが必要。

 太極拳がゆっくり練習をする理由は、力が入りそうになる瞬間に気づく、見極めるため。雰囲気でゆっくり練習しているのではなく、ヴィパッサナー瞑想をしているかのように気づいていなければならない。

 その点に気づけば、その力を削ぐように動くように、一つ内側、奥に入り込んでいくことになる。

 

 一周のうちの二箇所。

 これがミステリアスな場所であり、チャンスーの核心、太極拳の醍醐味になる。

2020/9/13 <手を開くということ 末端から節節貫通させる練習へ>

 

  ”墜肘”とか”肘を下げない”とか”肘を使う”ということは、、太極拳の『節節貫通』の側面から言えば、”肘の中を通す””肘の中を開ける”、ということに他ならない。

 

 私自身、右半身の開きが悪いのだが、最近家にあったテニスボールを、右手首を開くように持ってしばしタントウ功をしてみたら、いつもよりも短時間で、肘ー肩ー腰ー股関節ー膝ー足首 が連動して調整されるのを感じた。右手首の開きの悪さは、ピアノを弾く時には大問題で、無理して使うと腱鞘炎の原因になってしまう。五本の指が平行になるくらい手首をしっかり開けるのが腕に負担なくピアノを弾くためには重要なのだが、そこそこの練習ではなかなかそこまで手首が開かない。

 ピアニストでなくても、日常的にしっかり手を開いて全身を使うような仕事をしている人は手首が開いていて、とても良い手をしているなぁ、と目が止まってしまう。

 以前紹介したかどうだか忘れたが、フジ子・ヘミングのラ・カンパネラに感動して全くの初心者だった海苔の漁師が7年かかってラ・カンパネラを弾けるようになったという話があったが、あのおじさんの手は本当に開いていた。フジ子・ヘミングも彼の手を一目見て、「いい手してるわね。」と褒めていた。ピアノを弾く人は人の手を一目見ればだいたいのことが分かる。

 私が以前、某私立の音大のピアノ科の教授の家に招かれておしゃべりをした時、その教授はおしゃべりしながら私の手をちらっと見て、「いい手をしているけど、右手が惜しいわね。開きが足りない。」とぽつっと言ったことを覚えている。その時はどこが開いていないのかさえよく分かっていなかったけれど、後々、その教授の指摘がその通りだったことを実感することになった。

 自分の手が開いているかどうかは、開いていないことを実感して初めて分かるのかもしれない。そうすると、人の手を見て、開いているか開いていないか、が分かるようになってくる。手が開いていること(ということは手首が開いているということ)は、肘が開いている、肩が開いている、胸が開いている、腰が開いている・・・ということで、全身が開いている、ということに他ならなくなってくる。手(手首)が詰まったまま手をむりやり開いているとどこかに無理がでて、腱鞘炎になったりテニス肘のようになったりしてしまう。そのくらい、手(手首)を開くことはとても大事だ。これが太極拳の『松腕』の要領。(”腕”は中国語で、”手首”の意味。)

 

 と、手のことを書き出したらキリがなくなりそう・・・チャンスーの話に行き着かないかも?

 

 手が開いている、と言えば、ショパンの手。五本の指が平行でそのまま手首から前腕につながっていく感じ。普通の成人は右のように手の中と手首の中でねじれたようになっている。すると指の先端の関節が曲がってしまい勁が先端まで貫通しない。力がこもってしまう。(幼児の手はバーンともみじのように広がったりするよう。)

 興味のある人はこちらの番組をどうぞ。https://youtu.be/5jribFOthfI

(うちの母親は番組を生で見ていたそう。)

 そしてミーシン君の手。

 巨匠の手を小さな身体に取り付けたようで不思議な感じ。手の中の骨がばらばらに動いてる=開いてる。

 (そう、開いてる、ということは、骨がばらばらに動くということです!) 

 

 こんな風に手の中の関節を動かして手首も開きたい!とやってみたテニスボールを使った練習でしたが、やってみると、これはチャンスーの練習に他ならない。

 自分の生徒さんたちにも試してもらったら指が痛くなったという声あり。そこで、ボールを手に乗せる位置、指で掴んじゃいけない、とかいう注意点を混ぜて動画をとりました。

 指に力を入れないように動こうとすると節節貫通させてチャンスーをかけざるを得なくなる・・・。

 説明など、続きはまた書きます。

 

2020/9/11 <肘を使うための準備 腹圧 内気で胴体を膨らませる 墜肘の意味>

 

  昨日紹介したバスタオルを使ってしゃがみこんでいく動作をしてみると、腹圧がとても大事になることが分かる。

 空手で、「気合い!」と言う時、卓球で、「よっしゃ!」と言う時、そして「わ〜い!」と嬉しくて思わず拍手パチパチしてしまう時も、私たちの身体にはこのような腹圧がかかっている。

 

 今ではローウエストのスカートやズボンが多くなって一昔前ほど女性のウエストの細さが協調されることはなくなった。私はウエストを締めつけるような服はもともと好きではないのだけれど、中学高校の時の制服のスカートはまさにジャストウエストだった。食べ盛りで太りがちな時期、給食を食べた後、スカートがきつくて授業中ホックを外していたこともあった。ある時、生徒会室で憧れの先輩と立って話をしていた時のこと、急にくしゃみが込み上がってきて抑えきれず、「くしょん!」とやってしまった。と、その時、スカートのホックが腹圧で吹っ飛んで、スカートがスルッと落ちてしまった。下には体操服のブルマーを履いていたけれど、本当に恥ずかしくて、その後どう取り繕ったかは覚えていない。

 今あの時のことを思い出すと、恥ずかしい、というよりも、今自分が多少きつめのスカートを履いてくしゃみをしたら、あんなに勢いよくホックを引きちぎれるだろうか?という疑問。平時のウエストと腹圧をかけた時のウエストのサイズの差がもうそれほどないだろうし、何と言っても勢いが違う。

 そう考えると、はやり、腹圧というのは歳とともに減っていくのだろう。

 

 で、この腹圧と少し前に書いた”広背筋を起動させる”というのは大いに関係がある。

 腹腰周りには、後ろ側に、腰方形筋や広背筋、側面に内・外腹斜筋、前面に、腹横筋や腹直筋などがある。

 これら全てを同時に連動して使って身体を全体的に動かすのが均整のとれた身体の使い方。

 後ろ側が強すぎると前側が使えないし、前側ばかり使うと後ろ側が使えない。だから、太極拳やバレエでは筋トレとは無縁だ。

 

 ではどうやって前も横も後ろも満遍なく使うか、というと、腹部の腹圧、丹田の気の量を増やして、内側から外向きに胴体を膨らまして内気で内側を満たしてしまうこと。内側から胴体の外周へと内気を膨らましていくとその内気に押されて全ての筋肉がストレッチされるようになる。筋肉が内側からストレッチされることで、動くたびに筋肉が総動員される。そんな感覚だ。

 

 命門を開かなければならない、というのは、後ろ側(腰側)を内気で膨らませられないと、腰側の筋肉、広背筋や腰方形筋、多裂筋などが十分に稼働しない。背骨の柔韧性も高まらないし、腕が胴体と繋がらない。レッスンなどでテクニック的に広背筋を起動させて腕が広背筋で使える感覚を一時的に得られたとしても、内気で内側を満たせなければ(その新しい外形を保持できるように内側を気で満たせなければ)、その感覚を自分一人で再現することはできないだろう。が、もし、その時に、ああ、この感覚を保持する”気”が足りない!、と自覚が芽生えれば、それに向けて気を溜めていけばよいだろう。

 生徒を導く者の役目は、その”新しい感覚”を体験できるように導くことだが、もしうまく導けても、それを体得できるかどうかは学ぶ側のその後の反復努力が必要だ(そうやっているうちに内気も増えてくる。)

 

 命門を開くとはどういうことか?

 と質問してくる生徒さんがいるし、実は、私も以前、何度かそんな質問を師父に投げかかけたが、今分かることは、その質問が出てくる、ということはまだ命門が開いていない、ということ。

命門を開ける人は、開いた感覚とそうじゃない感覚を区別できる。

 命門を開くと腰が開いてくるが、命門を開かずに腰を開くとそれは開合のできないのっぺらぼうの腰になって腰のポンプが使えなくなってしまう。

 そういう意味では、日本人に多い平腰の人は、まずちゃんとS字カーブの背骨を作れるように指導しなければならないと、これまでの失敗した経験から学びました。開いた身体の人は合できるように練習しなければならないし、身体が閉じている人は開けるようにならなければならない。最終的には、開合のメリハリがちゃんとつくようになるのが理想。

 

 広背筋を含め、胴体一周の筋肉が総動員されて使えるようになってくると、”墜肘”の感覚が分かるようになる。バレエでは「肘を下げない」「脇が立つ」というような言葉で表現されるようだが、なぜに太極拳は”墜”肘? 

 墜は落ちるという意味では?「肘を下げない」とは真反対のように思うけど? と師父に質問をしたら、あらあら、中国語の”墜”は、ほんの少し日本語のニュアンスが違う?というよりか、墜肘は肘が墜落しているのではなくて、肘に何かが”墜”してぶら下がっているためにそれを支えなければならない”肘”だったよう・・・ひょっとして勘違いしていたのは私だけ?

 

 右の首飾りの名前は「水晶墜」。

 

・・・ひょっとして微妙に勘違いしていたのは私だけかもしれないけど(苦笑)

 

 垂れ下がった石が肘なのではなくて、石を引っ張り上げているのが肘。

 あ〜、なら、「肘が下がらない」というパレエでの表現と同じ意味だ。師父は、当たり前だろう、落ちてはいけない、しかし上がってしまってもいけない。石をちゃんとぶら下げておけないといけない、と言った。(バレエだと肘を上げきってしまうこともあるだろうが、太極拳では肘を上げてしまうと腕を相手に取られてしまうのでどんなに上げても石を垂れ下げたような形になっている。)

 自分の生徒さんようにざっと撮った動画を参考までに載せます。

2020/9/10 <丹田でしゃがむ練習方法、股関節の緩みは足で変わる>

 

 昨夜のオンラインレッスンで使った練習法を紹介します。

 丹田でしゃがむのと、脚の折り曲げでしゃがむのと違い。

 丹田で股を押し分けていかないと、全身が協調して動けない。スポーツの基本姿勢の基本(?)

です。

 幼児達のかけっこを見ていても、よ〜い!の時の構えで走るのが早いか遅いか分かってしまう。

 スポーツが苦手な子は、丹田に気を集めるのが上手じゃない。ブレる。

 私たち大人は理屈で自分の身体を調整できるのが子供よりも優位なところ。

 丹田(腰の後丹田も含む)で堪えられないと、早いうちから漏れが始まる。頭の働きも悪くなる(気が下から漏れるから頭まで昇って循環できない。)

 

 バスタオルを使うときっと違いが分かると思います。

 

 あと、股関節の開きが悪いのは股関節だけのせいではなく、足首が硬い、足の中の関節が使えていない、ということが往々にしてあります。そのチェックもしてみて下さい。

 足首や足の中の関節を開く練習方法は、ん〜、太極拳では足首回しくらいで大したものがない・・・考えます。

 いずれにしろ、足にどかっと体重を乗せて足が一塊の石のようになったらアウト。足首を開ける(パイプにする)には足の関節(26個)が起動する必要あり(が、難しい・・・これが完成したらマスター級)

2020/9/8

 

  生徒さん達を教えていて苦労する一つの問題点は、腕が胴体と繋がらないこと。逆からいえば、腕が胴体と切り離れてしまっていること。

 太極拳の技の中には ”肱”(gong)(=上腕、二の腕)という言葉が使われているものがいくつかあるが、この”肱”が使える、ということは、”腕が胴体と繋がっている””、腕と胴体が一体化している”、ということに他ならない。

 

 最近身体の仕組みについて勉強していて、”腕が胴体と繋がっている”ということが、具体的には、”広背筋によって腕が動いている”ということだと知った。

 そう言われると、確かにそうなっている。

 広背筋は骨盤にもくっついているから、足からの力が骨盤経由で腕、手へと繋がっていくのね、と、身体の中で行われていることを外から種明かしをされて納得。

 

 じゃあ、広背筋をどうやって起動させるのか?

 肋骨を締める、背中を広げる、脇を立てる、肘を下げない、などという表現をバレエやスポーツの世界ではするようだが、どれも腕を胴体化させるための表現だ。

 短距離走の選手も、バスケットの選手も、テニスの選手も、水泳選手も、ゴルファーも、ピアニストも、バイオリニストも、指揮者も、そのように腕や手を使っている。そうでないと、速く走れないし、正確なパスはできないし、テニス肘になって痛めてしまうし、水を掻けないし、楽器を弾いたり指揮をすることで腕を痛めたり身体のバランスを損ねたりしてしまう。

 広背筋を使って腕を使うのは、人間本来の身体の構造からしたら当たり前の話。広背筋がそのように作られているのだから。

 

 腕を動かそうとしたら広背筋が起動してしまうのが本来自然なこと。

 料理をする時も、パソコンを打つ時もそうなって然るべき。

 が、私たちの多くはそうなっていない。

 なぜか?

 

 先週一人の生徒さんをビデオで教えていて、腕を胴体に繋げさせようと様々な試みをしたが効果はいまひとつ。下半身がそこそこできてきたから、もう教えられるだろう、と教えてみたのだが、本人もピンとこないようだった。

 結論からいえば、含胸、塌腰、敛臀で、背骨が上から下へと抜け(抜背)、足裏にしっかり気が落ちないと(足裏でしっかり地面を押せるようにならないと)、上半身の肋骨や肩甲骨、腕の調整ができないというのが分かった。

 塌腰、敛臀で気を丹田に沈み込ませて初めて広背筋が起動する。含胸、塌腰、敛臀で背骨を下方に引っ張って長くすることで広背筋もピンと張ったシーツのように広がるからだろう。

 

 太極拳で身体を作っていく時はまず膀胱経から始める。これが含胸、塌腰、敛臀で調整される背骨沿いの部位。

 これができたら、身体の側面の胆経を繋げる作業に入る。肋骨、肩、腕を繋げる段階だ。

 

 ということで、もう一度、含胸、塌腰、敛臀をしっかりやって気沈丹田、足裏まで気を落とす練習をするように生徒さんには指示したのだが・・・

 たまたま最近見ていたバレエ整体の動画に、太極拳の『敛臀』は実はこういうことだったのか!と目から鱗のものがあった。

 これだとはっきりする。

 腸骨はタックイン、坐骨は引っ張り出す(注:これは圆裆にあたる。骨盤底筋を広げる要領。本当に出っ尻にするわけではない、尾骨がまっすぐになる)。

 太極拳をやっている私たちの多くが誤解している点かもしれないので、ここでその動画を紹介します。この人の動画は本当によく作られている。勉強させてもらって感謝しています♪

 

 ちなみに、肋骨を締めることは、太極拳では『束肋』という要領で表されるが、これは肋骨を雑巾のように絞ってほそ〜くすることではない。下の動画で言うように、背中を広くして肋骨が上がらないようにする(それによって肩甲骨の下側が肋骨に密着して腕が胴体の一部として動かせるようにする)ということだ。

 腕のチャンスーを使うと分かりやすいのだが、下の動画ように、内側でネジで示されているような気の動きができればそれで広背筋が起動するようになる。ただ、この動画を見て、そのようにできる人がどのくらいいるのかは疑問(内気を動かせない人でもできるのか?)。一応参考までに載せておきます。

 私も以前、肱を使うための動画を何度かアップしているようだけど、今見ると、説明が下手くそ。肋を締めて広背筋を使うということを言えればよかったのかなぁ?それでも伝わらないものは伝わらない・・・か。今度はチャンスーで繋げるような動画を撮れたらよいなぁ。(私的にはチャンスーが一番簡単に繋がると思っていたら、なんと、上のバレエ整体の方も、有料サイトではチャンスーのような動きで腕を肋骨に繋げる方法を伝授していた!やはりチャンスーは賢い!平泳ぎの腕の動作のチャンスーが使いやすいかと思うのだけど、平泳ぎを教えている動画をいくつか見たら、どのインストラクターも、肘だの、脇だの、をなんども強調していました。皆伝えたいことは同じなのだろうけど、伝えるのに苦労している・・・身体の動きを誰にでも分かるような言葉で伝えるのは不可能。どこでピンとくるかは人それぞれ。一対一で習っているのでない限り、自分にピンくるものがあるところだけを採用して、ピンとこないものはどんどんスルーすれば良いと思います。)

2020/9/7

 

  股関節の内旋、外旋について補足。

 私たちが前に向かって歩く(進歩)の時、股関節は内旋。後ろ向きに歩く時は股関節は外旋。

 なので、9/1メモの搂膝拗步は当然内旋。

 股関節が内旋、ということは、腕(肩)の動きも内旋になる。

 前に向いて進む時の腕のぐるぐるは内旋(身体の側面で回すなら縄跳びの前回しのような動きになる)。もし背泳の時のように腕をぐるぐるすると(外旋になる)身体は後ろに進む(退歩)。股関節と肩関節は同じ方向に動く。

 進歩の内旋は逆チャンスー、すなわち、力は丹田から末端へ。

 退歩の外旋は順チャンスー。力は末端から丹田へと戻ってくる。

 

 回転する時は外旋。雲手(運手)で身体は360度回転できる。搂膝拗步の内旋では回転は不可能。

 しゃがむ時も外旋。内旋(例えば披身捶)をしながらしゃがんでいくのは無理。

 雀地龙や摆连跌叉で一気にしゃがむ時も腕は外旋。腕(肩)の外旋で股関節の外旋が自然に行われてうまく身体を沈ませることができる。しゃがむ時は腕(肩)の外旋を使って身体が落ちないようにするのがこつ。太極拳にはコサックダンスのような下半身だけを頑張るようなきつい動きはない。

 

 上下相随。しゃがんだり、跳んだり、素早く前後に動く時などは、腕(肩)の動きで下半身の動きを助けてあげられる。身体内部のつながりを知れば知るほど、太極拳の身体の動かし方がとても自然で合理的なことが分かる。不自然だったら間違えている。人工的なとってつけたような動きはない。すごい!と思わせるような派手な動きは太極拳的ではないはず。

 アクロバット的な動きを見て、すごい!と思う時、私たちの息は止まっている。見ている人の息を止めてしまうような動きは自然ではない。見ている人の呼吸が調い、心や身体が開くような、そんな動きのできる人は本物だろう。それは絵画でも音楽でも同じこと。究極的なものは真・善・美(Satyam Shivam Sundram)のどの面からも覗き見ることができるというが、美しいもの、は自然であること、と関連深いのではないかなぁ? 

 ともあれ、太極拳のベースは自然との一体化。身体の自然な動きを活かすものであることは間違いない。肩(腕)と股関節(脚)の連動は自然な働き。腕を止めて脚を動かすのは不自然・・・こうやって手指でパソコン打ちながら、足指が動いていないというのも不自然か?

2020/9/5 <股関節の動かし方を見直す 動かしてはいけない場所>

 

   股関節について新たな疑問が次々と・・・

 最初に見たこの動画。股関節の外旋、ってこういうことだったんだ、と目から鱗だった。

https://sada-official.com/blog-entry-277.html
https://sada-official.com/blog-entry-277.html

 

動画で丁寧に説明されている通りだが、白丸の股関節を外旋させるには、大腿骨の骨頭を坐骨の方に近づけるようにするということ。お尻を固めることなくインナーマッスル(深層六筋)で外旋できる。

 

私がそうだったのか、と改めて知ったのは、この時、腸骨を動かしてはいけない、という事実。ここがブレると股関節がスムーズに回転しない。骨盤が傾いて(左右、前後)股関節自体や膝、足首などに負担をかけることになる。

 

動画での指導通り股関節を動かしてみると、あれ?思ったよりずっと下を動かしている感じ。しかし、そうすると、内腿から内踝、内踵、そして親指へと螺旋状に経が通り(脾経)足裏にしっかり気が落ちるのがわかる。足裏の細かな筋肉がブルブルして効いてる感じあり(虫様筋か?)

 

  太極拳の動きの中にも股関節が外旋をするところが多々あるから参考にすべき。内旋させるにしたって、内旋に伴い腸骨が前に倒れてはいけないのは上の模型図を見ても明らかだ。

  動画では片手で腸骨の縁を押さえて股関節を外旋させていたが、この片手の押さえを外して股関節を外旋させると、それに伴い腸骨の上の縁が開いたり、後ろに傾いてしまいがちではないか? と太極拳の動きでチェックしてみたのでした。

 

  結論としては、このように腸骨の上縁を動かさずに骨盤を立てたままにして大腿骨を動かすためには、中丹田から下丹田まで気が充満していなければならないようだ。

  もし、中丹田だけだと、腸骨は安定しているが、股関節を開いた時に股関節がカクッと外れたような形になってしまう。すると腹の気が股関節を迂回して膝に落ちていくようになるため、太ももや膝に負担がかかることになるだろう。

  もし、中丹田の気が少なく下丹田のみだったら? 例として想定できるのは、とてもとても低い姿勢でスパイダーマンのように動ける太極拳の選手達の動きだが、通常このような動きができるのは若者。低姿勢でずっと動けるというのは中丹田も下丹田も充実している証拠。ただ中年になる頃には随分先天の気が減ってしまっているので、気を補充する練功をせずにただ同じ様に動いていたら、上半身の重みに股関節や脚、膝が耐えられなくなる可能性が高いだろう。

  

 <下に3パターンを描いて考えてみました>

 左:中丹田と下丹田 ともにあると、左右の腸骨はポンの力で安定。下丹田の気で股関節を操作可能。

 真ん中:中丹田で骨盤上縁は安定。が、股関節は自分でもどこにあるかはっきり分からないまま操作することになりがち(その結果、股関節がすっこぬけた感じになる。)

 右:下丹田は脚(股関節)を操作するが、中丹田の浮力がないので身体がズドンと下がった感じになる。地と繋がるが天と繋がれない(虚領頂勁にならない。頑張って背骨、頚椎を立てなければならない→虚ではなく実領?頭頂が開かないから天の気を得られない。地を這う動物のようになるような。そもそも下丹田は”精”の場所。肉体、地に引っ張られる。若者にありがちといえばありがち。精を気化してさらに神へと変容していくのが人間の進化の道:精気神、下丹田→中丹田→上丹田。ただ、下丹田が弱くなると肉体が弱くなる。精が減った中年以降は中丹田(気)を使って下丹田(精)を補充する。) 

 

 と、そんなことを考えながら街に出ていたら、またまたマネキンに目が惹かれた。

 そうそう、こんなパンツ。

 このパンツはまさに下丹田の領域。

 こんな下の下の下っ腹に力がある、というのが理想(と以前師父に言われたのを思い出した。)

 歳をとると臍付近の腹ばかりが大きくなってこのパンツあたりの腹が貧弱になってしまう。

 ここに力があると、股関節もよく動くし脚も強い。

 

 歳とって足腰が弱くなった、といって、1万歩歩いたりスクワットしたりする中高年がいるようだが、この下丹田の気を増やすのが大事ではないかなぁ。

 

 最初に紹介した動画で指示されたように動くと、このパンツ部分に力がこもる・・・バレエダンサーって上へ上へと軽く動くイメージがあるが、実はこんなにも地に足ついたどっしりとした身体を作っていたとは。股関節もさらに見直しが必要だなぁ。

2020/9/3<捕捉:上下相随のための広背筋>

 

 前回書いた上肢と下肢の連関について。

 

腕は右の赤い広背筋を使って動かすことになる。

丹田で内側を膨らませ、かつ丹田を移動させながら経をつなぐと、結果としてそうなるのだが、腕が胴体として動くような感覚を得るために広背筋で腕を動かしてみようとするのも一つの練習になる。

 

  広背筋は腕にも腰にも骨盤にも付着しているから上肢、胴体、下肢のつながりが得られやすい。

 

 ではどうやったら広背筋を使えるのか?

 といって筋トレで広背筋を鍛えるのはナンセンスだろう

 やはり息吹き込んで丹田作り、それを後ろに移動させて腰を膨らませ、肩甲骨と肋骨を併せて稼働させなければ腕が広背筋を使って動いている感覚は得られないだろう。

 ・・・実はこれは太極拳の練習で胆経をつなぐ練習に他ならない。胆経をつなぐ以前に気を足裏に落とし、気沈丹田ができるようになっていないといけない理由が、この広背筋のつき方(腰、骨盤まで覆っている)のを見てはっきりした。

 

 上下相随には広背筋が欠かせない。

 ジーだけでなく、ポン、リュー、アン、ツァイ、リエ、肘、カオ・・・すべてこれなしではできない。

 

 陳式だとチャンスーで比較的簡単に広背筋を起動させられる。

 チャンスーを使わない楊式は身体の内側を空洞にしないとなかなか難しい。息と放松を徹底する必要がある。前回紹介した中国の老師の動画で、老師が微妙な説明をしていた(手から回さずに肩から回す、など)のはその現れ。推し続ける腕の動力はその内側を流れる重いドロドロした液体・・・そんな感覚が得られたらよいのだけれど。

 生徒さんたちに教えていてもここをクリアするのがなかなか難しいのが分かる。

 ここができると、内勁が感じられてますます太極拳がおもしろくなる。

 

 そこまでどう教えていくのか? コツだけではどうにもならないところが多分にあるので、各々の生徒さんの現時点での身体の状態に応じて、一つ一つ積み上げてそこまでもっていく必要がある。もう次の段階に移行できる状態になっているのに次へと導いてあげられない教師も問題だけれども、他方、教えても届かないものを一生懸命教える教師も問題だ。頃合いを見て、ここ、という時に教えれば生徒さんは”悟”できる。本質的には二人三脚的な練習が必要になる。

 

2020/9/1 <上肢で腰と下肢を繋げる>

 

今日ある生徒さんのzoomレッスンで最後の最後に発覚した問題点。

 

 前後の重心移動が苦手だというので、具体的な動きを見せてもらった。

 彼女がやってくれたのは楊式の搂膝拗步。陳式なら斜行拗步に相当する。

 

 見ると、推掌で前足に体重が乗り切ったところ(右のGIF画像参照)で、ガクっとくる。続けてそのガクっときた脚を軸足にして後ろ脚を引きつけてくるのは本人ににとって辛いのがよくわかる。

 

 この動作のどこに問題があるのか?

 足の運びのどこに問題があるのか? 彼女はそこが知りたいらしい。

 

 ちなみに右上のGIF画像(https://youtu.be/scvGP-AliCY)では

 ①二人が同時に推掌している画像の左側が正しい動作。(推し切ったところで後脚も地面を推し切れている。)

 ②二人画像の右側は間違い。脚が地面を推し切った時に手がまだ推し切れていない。

 ③一人画像も間違い。手は推し切ったのに後脚が推し切れていない(余っている)。

 ということを言っている。

 

 ではどうしたら①のようになるのか?

 実はこの鍵はその前の搂膝の動作にある。

この左の動作で手から足まで経をつないでしまう。

この動作が終わって、いざ推掌へ、と右肩の上(右耳の横)に右手をセットし左足を惹きつけた時には、既にその後の推掌(前進の出来不出来も含めて)の運命は決まってしまうのだ。

それはあたかも、ミサイルを発射する前に、そのどのくらいの威力のあるミサイルをどの方向にどのくらいの距離を飛ばすのか、というのを全て計算、準備してミサイルをセットするようなものだ。

セット完了すれば、あとはスイッチを入れるだけ。セットされたように飛ぶ。ミサイルが飛んでいる最中に軌道修正をかけるのが不可能なように、一度、体重移動=推掌が始まれば動作の修正はできない。

 

 ミサイルの威力に相当するのは丹田(内気)のパワーだが、どの方角にどのくらいのパワーでどのくらいの距離を推すのかはこの搂膝の動作で準備する。

 ただ意味もなく右手と左手を振っているように見えて、実は、節節貫通させた身体の軸が上肢の振りで捻りがかかり(上のGIF画像の動きで言えば、まず左へ少し捻り、それからその左捻りを”残したまま”右捻り)、最大限の捻りでセット完了。推掌はその捻りが解けて元に戻る動きで自然に発されることになる(重心移動も捻りが解けて行く動きに他ならない)。注意を要するのはこの捻りが雑巾を絞るような捻りではなく、丹田を潰さないような胴体の表層部分(バームクーヘンの外側の方の層)で行う捻り(旋回)であるということ。だから搂膝の時は更に放松して気を腹に落とす必要がある。

 

 今日の生徒さんはレッスンでさんざん上腕(肩から肘まで)を腰まで繋げる練習をさせた直後だったので、上のような捻りの説明ではなく、搂膝、推掌の時に一瞬たりとも肘と腰の連結を外さない、という教え方をして、推掌(打撃、発力)にはその直前の動作がとても重要な意味を持つこと、重心移動は下半身だけで行うものではないこと、腕の動きが下半身の動きを助けることに気づいてもらった。

 ジャンプをする時、腕を下に降ろしたまま脚だけでジャンプする人はいない。腕で身体を引き上げようとするのが自然な動きだろう。走る時、私たちは腕を振ってしまう。太極拳で前進する時もできるだけ効率よく素早く前進するなら腕はどう動くか・・・いつもスローな練習ばかりしていると身体全体をひと塊りにして動く感覚を忘れてしまう。たまに動物としての本来の素早い動きをやってみる(思い出す)必要がある。ピアノの練習でも、正確さを増すためにゆっくり練習する必要があるが、ゆっくりばかり弾いていると本来の曲のイメージ、フレージング、力の配分、などがわからない。ボクシングの真似事をすると拳や掌が身体の一部として胴体や下肢と連動して動くのがわかりやすいかもしれない。連打の練習は二路で行うことになるが、一路の練習でも蹴りや連打やジャンプを少し取り入れると、上半身が下半身を軽くすることが早く分かると思う。腕は前足、前輪。私たちは直立した四つ足動物?

 

 なお、下の老師は搂膝を随分細かく注意して教えている。これは中を繋ぐことが分かっている老師の教え方。「搂膝の時は”手”を先に降ろさない・・・」(動画の”間違い動作”の解説 1"20あたりから)肩(や脇)を放松してそこから降ろすのが正しい・・・その通り。手から足まで内側で繋げるための要領の表現は人さまざま。老師によって言い方は違うけれども、同じことを言っているのが分かる。

 搂膝の段階でちゃんと繋いでしまっていれば、推掌はそれほど考えなくてもうまくいくはず。

 

 

 下の老師は(いつも)よく研究されている。

 搂膝の時に左脚がゆらゆらしてはいけない、というのは、そうするとせっかく振った腕が脚まで繋がらず胴体のネジがまけない。ネジがまけないと推掌がうまくできない(重心移動が失敗する)。背骨の旋回は丹田の回転と裏表。太極拳の動きの核心になる。四肢に心を奪われない。奪われてもすぐにそれを背骨(→腎)や丹田に引きつける癖をつけよう。(太極拳の動作は隅々まで意味があるのだけれども、全て丹田と関係付けるようにすれば間違いは起こらないはず。頭を使う手間が省ける。)

 

 

 なお中国の老師でも経を繋がずに動いている老師はたくさんいる。

 下のような教え方だと不自然な体操にしかならないだろう。

 左側の搂膝の動作は全身を見るまでもなく、彼女の目線を見ただけで経が繋がっていないのが分かる。目が手を追っていては経はつながらない(目が前に出て泳いでしまってる)。目は手よりも先に動く(手が目を追う)。これは眼法だが、なぜ目が手を追うと経がつながらないのか・・・やってみると繋がらないのが分かるのだけれども、それを理屈で説明するのは難しい(というかちゃんと考えるのが面倒くさくてやっていない)。まあ、生徒さんたちに試してもらって各自その違いが分かればそれでよいと思っています。

2020/8/31 <気功と内功、調身・調息・調心、息>

 

   六字訣をやって、久しぶりに『気功』という言葉を使ったが、ふと『気功』と『内功』はどう区別されるのかしら?と疑問に思った。

 

 例えば四大気功と呼ばれるの六字訣、五禽戯、易筋経、八段錦。

 六字訣は其々に対応する臓器を想定していて内臓を調える効果がある。これに対し易筋経は”易”=変わる、”筋”=スジ、すなわち拉筋の要素が強く、主に筋骨皮、に効果を発揮する。そして五つの動物の動きから成る五禽戯、八つの一連の動作から成る八段錦は拉筋とともに内臓を調える効果がある。どれも動作に呼吸を合わせることが要になる。

 

 『内功』という言葉は、武術の世界において主に(筋肉ではなく)内気をパワーの源として使う内家拳の修練で使われる言葉だ。「内練一口気、外練筋骨皮」と言われるが如く、”内”とは”気”(エネルギー”を指している。ここでは”筋骨皮”は”外”の練習と位置付けられる。(内臓は物質と見れば”外”になるのだろうが五臓の”気”をターゲットにすれば”内”と捉えられるのかと思う。確認の必要あり。)

 呼吸をエネルギー(気)に変え、そのエネルギーを体内で増やすこと、そしてそのエネルギーを使いたいところに届けられるようにすること(身体の”節節貫通”を完成させること)、これらを狙っているのが内功だ。

 

 気功には3つの側面がある。調身、調息、調心だ。

 今この「調身、調息、調心」という言葉を見て思い出したのは、ヨガにはそれぞれのためのヨガがあるということ。

 

 調身はアーサナ・ハタヨガ(フィジカル体=第1身体のための修練)

 調息はプラーナヤーマ:呼吸法(エーテル体=第2身体の修練)

 調心はラージャヨーガ:瞑想(アストラル体・メンタル体=第3、4身体の修練)

 

 気功の場合は、どの気功法にも調身、調息、調心のどれもが含まれているとされるが、厳格に見ればやはり気功法ごとにターゲットとする調整箇所は異なるように思う。

 例えば、八段錦や易筋経は調身:フィジカル体の調整の色合いが強いし、六字訣は調息の側面が最も強い(もともとは動作もないし、最終的には声を出さずにやるというから、そうなればエーテル体そのものの修練になる)。調心にターゲットをおいているのは静功だ。

 

 内功は調息にはいるのか?

 文字通り「息を調える」というだけでは内功のダイナミックなエネルギーの発現は得られないが、この”息”という言葉を呼吸がなくなったような”胎息”だと読めば内功は『調息』だといえそうだが・・・

 すなわち、吸って吐いて吸って吐いて、という鼻から肺までの呼吸(”外呼吸”)をいつまで繰り返してても息からエネルギーを取り出す感覚は出てこない。肺にとりいれられた酸素が血液に溶け込んで心臓から送り出されて隅々の細胞にある届いてはじめてミトコンドリアでエネルギーが取り出される。この”内呼吸”を調整するのが調息だと厳格に定義すれば、調息は内功そのものになるだろう。

 同じ”息”と言っても、呼吸を意味しているのか、呼吸の先にある”息”を意味しているのかで、エネルギーに関わるのか否かが変わってくるようだ。

 

 呼吸は意識と無意識をつなぐもの、意識的に無意識につなぐことができるもの、操作することができそうでできない、びみょうなもの。六字訣などで、一度、意識的から無意識的な呼吸に変わるところを見極めることができれば(その妙を知れば)、呼吸を使って作為から無作為へ、意識的世界から無意識的世界へ、有為から無為へ、と、努力から無努力(お任せ)へ、という身を任せて流れていくTAOの世界が垣間見られるようだ。

 

2020/8/30 <六字訣を教えてみた>

 

   予定通りにzoomで六字訣を教えた。

 今回は1時間半のレッスンで、中国体育総局作成の動画(昨日紹介したもの)を理解させてその後各自動画をみながら練習できるようにする、ということを目標にした。

 

 この動画は大きく3つに分けられる。

 1、各音の発音と吐気の方法 (5"30~14"40)

 2、各音を出す時の動作(14"40~30"15)

 3、通し練習(30"15~ )

 

  前提として理解すべきことは

 

五行と五臓の関係 (東西南北と中央)

 →左の図

 

 五臓と五腑の関係ー表裏の関係

→肝ー胆

 心ー小腸

 脾ー胃

 肺ー大腸

 腎ー膀胱

 (六腑の一つ三焦は心包と対応)

 

 

 

六字訣は木火土金水(もっかどこんすい)の順 (東から陽が昇る 季節は春から開始)

 ①木=肝②火=心③土=脾④金=肺⑤水=腎臓、そして⑥三焦 の順。

    

<発音>

①嘘(xu)   牙音  肝    木

②呵(he)   舌音  心  火

③呼(hu)   喉音  脾    土

④呬(si)   歯音  肺  金

⑤吹(chui) 唇音  腎  水

⑥嘻(xi)   牙音  三焦

 

 詳細は動画を見ると良いが、注目すべきは、牙音と歯音があること。牙音は奥歯の隙間から音を出す。歯音は前歯の隙間から出す。

 ①のXUのUの音はイの口型でウと言う感じだが、この発音をした時には左右の奥歯の隙間を通って息が出て行くようになる。日本語で「シュー」というとshuの発音になり前歯から息が漏れてしまうので注意。

 ②のheのhは問題ないだろうが”e"はエではない。喉の奥のほうで軽くアかオかわからないような曖昧な音を出す。英語のshuwa母音(/ə/)を長く伸ばしたような感じ。舌音となっているのは舌の奥が少し盛り上がりそこを息が通る時に音が出るため。実際にhe~と音を出した時に、気管から心臓あたりが開くように感じられたら成功。やはり口の奥は少し横広にする必要がある(でないと舌の奥が上がらない)。

 ③は喉の音。唇を丸く突き出す。hu~と音を出したらケーキのロウソクを消してしまうのではなく、お腹が膨らむようにする。

 ④前歯の隙間から音が出る。siと書いているけれどシではない。私たちにはスに聞こえるけど、日本語のスではない。口をイの形にしてス〜と言うとうまく前歯から息が出て行くはず。(スイカと速く言う時のスに近いかな?)

 ⑤は唇の音。chuと言った後、唇の皮を素早く動かして”i”を発音する。chuの時は唇が丸く突き出ている。舌は舌打ちするような感じ。その勢いで素早く i に移動する。滑舌よくやること。曖昧にイを言わない。

 ⑥は奥歯の隙間から出る音。xiはシだが日本語のシよりももっと奥の方で発音する。左右の奥歯を使ってシを言おうとすればよいかと思う(口の奥を左右に開くことが必要)。

 

 いずれの音も、喉を締めたら効果なし。

 喉を開いて行う。喉を開くということについては7月あたりにいろいろ書いたような気がする。

 今日生徒さん達の発音を聞いていたら喉を開いて発音することが意外に難しそうだった。日本語は喉を開かずにしゃべれてしまう(こそこそばなしがとてもしやすい言語だと思う)ので、オペラ歌手になったつもりですこし大げさに真似をしてやってみると良いかと思う。

 姿勢も大事。

 

 が、今回やってみて、やはり、座ってただ発音するだけでなく、この動画のように動作をつけた方が効果は何倍も高いだろう。

 しかも、この動作は、とてもよく考えられている!

 隅々まで丹念に研究されて考案された動作で無駄がない。

 太極拳をやっているからよけいにそれが分かる。

 

 すなわち、

 六字訣は音を出す時にその該当する臓器を調整するのだが、音(声)を出す、ということは吐気。

 太極拳で考えると分かりやすいのだが、太極拳で息を吐くのは打つ時。発力の時。

 理論的に言えば太極拳は套路のどこでも発力が可能とはいっても、実際には発力の前には息を吸って、そして溜めて(蓄)、という準備が必要だ(連打するならその前には単打以上に気を溜めておかなければならない)。

 そして、太極拳の套路で学んでいるのは、いかに発力するか、という以上に、いかに発力に備えるか、ということ。その準備なしに発力はできないのだ。準備がちゃんと整っていれば、あとはスイッチをいれれば発力してしまうようになっている。

 つまり、この六字訣の動作を見て分かるのは、音を出す時の動作自体よりも、その前後の動作がとても大事だということ。

 

 例えば②の心のheの動作を見てみると、he~~と言う時は単に両手を胸から下へ按していっているだけだ。とても簡単。でも一連の動作では、按した後に腹の前で両手を回したり、その後に両腕を揃えて両手を胸へと持ち上げたり、と、何をやっているのか? と思うような動作がくっついている。これをはしょってやったらどうなるのか? と、私は好奇心でやってみたけれど、そうしたら案の定、ターゲットの”心”に効いている実感がほとんどない。あの一見余計な動作があるからこそ、最後に按しながらhe~-と言うと、確かに心の気がスッキリ通るのだ。

 理屈で言うと、按した後に腹の前で両手を回しているのは、そこにある小腸の気を掬うため(小腸は心と表裏)。そして両腕を揃えているのは、心経と小腸経(ともに小指の経絡)を合せるため。そして小腸の気をすくい上げたようにして心まで持ち上げ、やっと、he--が始まるのだ。心の気が降りたらまたそこで小腸の気と混ぜる・・・そんな動作だ。

 どの動作も経絡の表裏を使っている。

 

 ・・・とそんなことを解説しながら生徒さん達にやらせていたら、1時間半いっぱいいっぱいだった。生徒さん達は初めての六字訣で細かいことまで言われて消化不良だったかもしれないけれど、私は教えながら随分学びました。太極拳が役に立つ、し、太極拳の役にも立つ。

 随分昔、太極拳と気功の関係は?と聞かれて師父に尋ねたら 「気功の老師は必ずしも太極拳を教えられないが、太極拳の老師は必ず気功を教えられる。」と教えてくれた。気づいたらそうなっている。気功は太極拳に含まれている。

2020/8/29 <六字訣と星野稔先生>

 

   明日の生徒さん達とのzoom練習では、リクエストのあった『六字訣』の六字全てをやってみる予定。

 私が六字訣を学んだのは、太極拳を学ぶ前。日本に気功を広めた立役者の一人の星野稔先生から教わった。私にこの太極拳をやるように勧めてくれたのは星野先生でした。(と、今、日中健康センターのサイトを見たら、今年5月に亡くなられたようです。しばしショック・・・)

 

 星野先生の真の師父は焦国瑞先生だったのだけど、師父亡き後は馮志強の混元太極拳も学び、馮老師が来日の際には通訳をしたりどう老師の日本語訳本を制作されていた(日本語訳の本は現在なかなか入手できない。が一度借りて中を見たら、その文体が星野先生の文体そのものだったので笑ってしまったことがある。)星野先生は1982年に北京体育学院に1年間留学をしていたのだが、当時中学生だった私はその年の3月に2週間足らず卓球遠征をしていた、そんな偶然の一致を会食の時に知って、それから星野先生との縁を感じるようになったのは事実。娘を出産後気功を始めたのも星野先生の本を読んだことがきっかけだった。中でもオレンジ色の本(題名を忘れた)に書かれていた、「気功はインデックス付きの悟りへの道」という言葉は決定的で、これで、これをやろう、と決めたのでした。

 先生からは気功法をいろいろ学びました。タントウ功、丹田のことも随分学んだ・・・それが本当に分かるようになったのは劉師父に学んだ後でしたが。思い出せば懐かしい思い出がいろいろあります。(星野先生、どうぞ安らかにお休み下さい。この道を教えてくださり深く感謝しています。なお星野先生のプロフィールはhttp://ohyama-museum.com/kiko.html

 

 六字訣の話に戻ると、

 星野先生の六字訣は坐禅の形で目を軽く閉じて、息の続く限り長く音を出し続けるものだった。

 呼(HU)〜〜〜〜〜と声を一斉に出すのだが、毎回、最後まで星野先生の声だけがU〜〜〜と低く鳴り残っていた。私なんてとっくのとうに息が途絶えてしまっているのに。

 なんでこんなに息が長いのだろう?ととても疑問に思ったのを覚えている。

 その後、太極拳の練習を随分積み、ある時生徒さん達と同じように六字訣をやってみたら、あれ?なんだか私の声がずっと最後まで残っている・・・あの時の星野先生のようだ、と驚いたことがあった。丹田を使って発声すれば自然にそうなるのだが、それが自然にできない時には根比べのようになって辛くなる。

 

 中国の中国体育総局が制作したのはこの動画。こういう風に動作をつけると該当する部位の気が整えられるのがより分かりやすいのだろう。明日はどういう風にやるかな?

 

2020/8/28 <無極タントウ功 無極について>

 
 8/24の馮志強老師の無極タントウ功について、バカンス中の劉師父と話したら、私の大きな誤解があったことが発覚。無極タントウ功でも僅かに松胯、屈膝をします。師父との会話は以下のようなものでした。
 私が、「馮志強老師の無極タントウ功は股関節や膝を緩めずに棒立ちでやるのだけれども、それで本当に命門が開くのか?」と尋ねたら「松胯曲(屈)膝なしでは命門も開かないし気は落ちない。無理だ。」と師父の一言。私が「でも馮志強老師は棒立ちで無極タントウ功をやっているけれど?」と言ったら「どこに松胯曲膝なしでタントウ功する者がいるだろうか? あり得ない。」と言う。そこでテキストの馮老師の写真を見せたら、師父はふ〜ん、と見て、「こんな馮老師の真似をしたって何にもならない。誰が真似できるだろうか?」と笑われてしまった。私は少し気分を害したのだけど、まあ、それもそうかも、と納得。
 そしてその後、もう一度テキストの記述を見たら、最初に、”両膝を僅かに屈し両股関節(胯)に僅かに坐る”と書かれていました。なぜ見落としたのだろう? 馮老師の棒立ち写真に気を取られすぎたよう。あれで屈膝坐胯してるようには見えなかった(今も見えないけど)。
 そしてもう一つの誤解は、馮志強老師の無極タントウ功は、あくまでも気を頭頂から足裏、上から下へと下ろすもの。
 
 テキストには
 『意を祖窍穴(眉間の奥にあるツボ)から下ろして中丹田から下丹田へ、それから両腿を加工して足裏の湧泉穴へと至る。
 全身の骨と関節は、上から下へと、経絡やツボを通過しながら放松して開いていく。
 全身の筋肉・皮膚・体毛は上から下へと放松して開いていく。
 あたかも炭酸水が上から下へと体内や体表をさらさらと四肢へと流れていくように。』
 『その後、入静状態に入り、無物無我、無形無象(形もイメージもない)、無声無息、空空洞洞(空洞くうどう)、という無極の境地に至る。』
 と書かれている。
 意念を丹田に持っていって気を集めるようなタントウ功は、この無極タントウ功の後で紹介されている。すなわち、中環2種類(中丹田、後丹田)、下環(下丹田)、そして上環(上丹田)のためのタントウ功だ。
 今になって初めて気づいたが、無極タントウ功は入静状態に入ると記述されているが、それ以降の丹田に意念を集中して気を溜めるタントウ功は入静状態に入るとは記述されていない。
 が、確かに、意念を丹田に集中させていたら入静状態に入るわけがない。
 ということは、これまで入静状態に入った時は丹田への意が消えていた、ということだ・・・(なんと、そんな単純なことさえ気づいていなかった・・・。) 

 と、ここまでくると、今更ながら、なぜ、無極タントウ功、入静状態に入ることが、太極拳に必要なのか?という疑問が湧いてしまう。
 そして、ああ、と、思い出したのが、かつて私が最初の数行でリタイアしてしまったあの最初の章の表題。
『練拳須従無極始』
(拳を練習するなら無極から始めなければならない)
その章では、
『万物が生まれる前の静的な何もない状態(=無極)から、動きの兆し(有極)が生まれそこから陰陽が展開を繰り返し万物が創生されてきた。その”無極から生まれた有極”を太極と呼ぶ。』
 『静的な無極が動的な有極に転じ太極が生まれ、その太極の動静により陰陽が分かれ、陰陽開合により万物が生まれる。それは途絶えることなく循環する。
 これが太極の陰陽の理で、この理に沿って個人は太極拳を編み出しこの理論の指導によって練習することを求めてきた。』などと書かれている。
  ともあれ、太極は無極から生まれるので、太極を知るにはまず無極を経験してそこから生まれてくる太極を経験するしかない、だからまず無極を練習しろ、ということなのだろう。
  今どれくらいの人がそうやって練習しているのかは謎(馮老師がぼやいていたようにドイツ人くらいか? 苦笑)
  以前、私がこの馮老師のテキストを、馮老師が初来日したお世話に当たった陳発科の孫弟子にあたる日本人のマスターにプレゼントしたら、中身をざっと見て、「これは太極拳の本ではなく道家の修行法の本だなぁ。」と大笑いしていた。馮老師のテキストにある上丹田の祖窍穴は道家に独特なツボ、普通の陳式太極拳の人たちは祖窍穴は使わない、印堂穴を使う、と教えてくれたのもそのマスターだった。
  私は道家の修行法だと聞いてとても嬉しかった。宇宙、この世における自分の存在、そんな壮大なスケールまで念頭に置いて練習できるのは光栄なこと。劉師父も最初から「私は太極拳を通じて太極をあなたに教える。」と言っていた。太極拳が目標だと、細々とした技や戦法まで学ばなければならない。楽しいけれど、きりがない。実際の使い道がない。本当に使えるもの、死ぬ時でさえ使えるもの、その先にまで持っていけるもの、そこまで念頭に置くなら、太極を学ぶのはとても意味があると思った。
  が、そのためには、何度も無極に戻ることが必要だった。
  また一から始めよう。
 

2020/8/25 <欧州少林寺のマスター>

 

  無極タントウ功の話の続きを書くべきかと思っていたら、今日、こんな動画を見てしまい、そちらに心が奪われてしまった。

 欧州少林寺のマスター、释恒義老師のドキュメンタリー。私が知っている中国の少林寺の僧侶達とは顔つきも雰囲気も違う・・・

 静功を深くやっている人だとすぐに分かる。それに説明もとても理論的。理知的。英語もドイツ語も話す。功夫も高いし、一体何者なんだろう?と調べたら、少林寺の第35代に属するけれどうまれも育ちもドイツでドイツの少林寺で修行をした人でした。もともとは親の期待に沿って学歴を積みMBAまでとったらしいが、やはり何かが足りない、自分はまだ自分を知らない、と少林寺で僧院生活に入ったという。

 現代の中国で生まれ中国で育つとなかなか目は精神性を高めるところに向き辛い。社会の環境がそうさせない。その点、ドイツはフロイトやユングが出た国で、メンタル、スピリチュアル面に非常に関心が高いから、馮志強老師が生前、「タントウ功を教えても真面目にちゃんとやるのはドイツ人くらいだ。(中国人はやらない)」と言っていたというのは納得がいく話だ。

 現代の中国人には年金暮らしの人でない限り、毎日ただ何時間も立つなんていう暇はない。もっと手っ取り早く結果を手に入れて、それで生計を立てなければならない。経済を自由化する前のようなのんびりと練習するような暇はなくなってしまった・・・と師父も言っていた。

 

 いずれにしろ、上の释恒義老師は、そんなお金や地位に興味を持つ段階を超えた人の境地。

 欧州少林寺のサイトも見てみるととても参考になり面白そうなのですが、TEDで講演をしている動画を発見。彼自身の生い立ち、考え方が分かります。

 

 上のドキュメンタリーの中で、「人間は身体と心から成っているが、”心”は仏教・道教・儒教の三つから導くことができる、一方、”身体”は功夫・太極拳・気功、の三つから修練することができる。」と言っていたのが興味深かった。少林寺でも太極拳をやるのか?(私が知っている中国の少林寺のマスターは太極拳のことを相当バカにしていた記憶あり(苦笑))と疑問に思ったけど、欧州少林寺オリジナルかなぁ? 

  

 同じマスターでも太極拳と少林寺はかなり異なる風格がある。

 太極拳は道教ベースで、快楽的。節制が少ない。陰陽原理から男女の交わりも可。何もかも含めて大きな腹になる(例えです)

 少林寺は仏教。僧侶生活で世俗を捨て、節制。削ぎ澄ましていく。

 久しぶりにこの釈恒義老師のようなシャープでストイックで真っ直ぐな老師を見たら自分もも少し真面目に生きなければと思いました。歳下から学ぶことが増え始めている・・・。

 

2020/8/24 <無極タントウ功を再考>

 

  陽陵泉を引き上げて坐骨と繋げることを試した生徒さんから、「そうすると足裏のアーチも引き上がりますね。」というコメントをもらった。

 全くその通りで、逆に言うと、足裏アーチが引っ張り上げられてなかったら陽陵泉と坐骨は繋がっていない。

 足裏アーチが上がるということは会陰が引き上がるということ。舌も奥へと上がるし目も後ろに引いたようになる(収まる)・・・結局、タントウ功の要領そのもの? 

 

 が、ここで馮老師の無極タントウ功の姿を思い出した。

 私自身が試していて気づいたのは、私たち(大人)は、”引き上げる”ためにきちんと放松して気を足裏まで下ろさなければならないということ。いつも私が師父に「下!下!」と叱られるのは、欲張ってすぐに気を上にあげてしまうからだ。気は放っておいても上に上がるから、意識的に落として循環させなければならない、という。

 

 自然に膝も曲げずに立って、ゆっくり気を天から地(頭から足裏)へと落としていく。

 これが『無極站桩タントウ功』。ただ上から下へと落とすだけ。丹田に気を溜める意はない。全身の筋骨皮毛などが上から下向きに放松して広がっていく。(あたかも炭酸水が上から下へと体内体表をさらさらと末端へ流れていくように)

 

 私が師父から最初に学んだのは「無極」とはいいながら実はもう既に「極」が出現しているものだった。そのことを一度北京の馮志強武術館で指摘され、そのことを師父に言ったら、それはまだ30代で腹の気が多かったから最初から「下環混元桩」を「無極タントウ功」に少し混ぜて教えたと言われた。

 その頃は分からなかったことが今では分かるのだが、腹の気が溜まっていない状態で股関節や膝を曲げると気がすっこ抜けたようになり身体が落下してしまう。(頭の”領”もなくなるし)膝を痛める格好になってしまう。

 

 姿勢を低くする時は、腹の空気(丹田)に掴まってそれを大きくするように腹底に沈める。すると股関節や膝が曲がってしまう。意識は腹の空気に鼠蹊部が押された時に、そのロックを外す、それだけだ。膝もロックだけ外して上げればいい。

 このあたりの練習は動きながらはできないので、直立の無極タントウ功から、意識と気を操作して丹田のタネを作って、そこからどうやって股関節が緩み膝が緩むのかじっくり自分の身体を観察する必要がある。腹の気が下に押されて胯(股関節)が緩んだのであれば、その時点で、陽陵泉と坐骨はほんのりとつながっているはず(足裏のアーチも少し出てくる)。それは腹の気で股関節が緩んだのか、もしくは腹の気とは無関係に股関節(や膝)を緩めたのか、のメルクマールになる。

 

 いろいろやってまた経典に戻ると、前よりも理解できる箇所が増えているようだ。最初は全くチンプンカンプンだったことを思えば大きな進歩。それに、今「無極タントウ功」を思い出したのはとても良かった。また降り出しから一歩一歩やるべきということだろう。

 

<下の写真>

 左から無極站桩功、中環站桩功、下環站桩功。

 私もおさらいしたいのでテキストの訳文を書くかなぁ、と思いながら、このサイトにある『タントウ功の考察』を見たら、すでに書いてました(苦笑)

  続きはまた書きます。

2020/8/21 <胴体と脚を鼠蹊部で切り離す 上半身を軽くして浮かせる>

 

  <陽陵泉を引き上げて坐骨とつなげる>というテクニックは、バレエを整体として使っている方の動画で知ったことですが、試してみたら、バレエの動きに止まらず、タントウ功や、しゃがんだり、片足立ちになったり、重心移動したり、太極拳の動きでも常にそうなっているべきだということに気づきました。普段の生活の中での姿勢でもそうなっているべき・・・と、今パソコンを打ちながら自分の座っている姿勢を見たら外しまくっている・・・これを四六時中やろうとするのはとても良い(厳しい)修練になりそうです。椅子に座ってやってみると会陰が引き上がり、叶姉妹座りのようになる。足裏がピタっとするのが心地よい・・・。

  動画を紹介します。陽陵泉の位置、その坐骨との関係等、とても丁寧にわかりやすく説明されています。この方の動画はどれもおすすめです。

 

 動画を見ながら、脚を後ろに上げるポーズをやってみたら、上げた脚の鼠蹊部(前胯)が伸ばされたのですが、これがまた、大きな気づきにつながりました。師父から何度も何度も言われてきた「前クワ(胯)の力で打て!」という言葉。 「前クワの力?」と尋ねたら「前クワを緩めて(松して)力を出せ!」と説明してくれたのだけど、それが身体ではっきり分からない・・・が、この要陵泉を坐骨に繋げて脚の後ろ上げをしていたら、少し前のzoomレッスンで生徒さんの一人がヤムナボールを使った鼠蹊部のストレッチを教えてくれと時に言っていた「胴体と脚を引き離す」という言葉を突然思い出しました。

 ああ、太極拳で言う(師父などが言う)「前クワを松しろ」というのは、「(鼠蹊部で)胴体と脚を引き離せ」あるいは「胴体と脚の間に隙間をとれ」ということだった・・・胴体の一番下(股間、鼠蹊部)で下弧を描いて胴体を上に浮かばせる、脚は下向きに重力で垂らす、胴体は上、脚は下へ、それによって胴体と脚が引き離されて鼠蹊部に空間が生まれる。 ただ、この感覚が生じるには、胴体の一番下まで気を下ろしてこなければならない。気が中丹田にある状態では胴体が浮上しない。胯(クア)や裆近くまで膨らまして下ろしてくる必要がある。(関元穴からさらに曲骨に向けて気を下ろしていくと鼠蹊部が回転し始めて胴体と脚の間に隙間が発生するようだ。)

 

 便宜上、図の中の丹田の回転は竪円(左右)で表示したが、タントウ功だと最初は立円の逆回転(任脈下がる)の時にこの感覚が得られると思う。動功では主に竪円、立円でこの感覚を掴める。套路では例えば、第1式では立円、第2式から第4式は竪円の右回転だ。

 いずれにしろ、丹田を回す、というのは、胴体を浮かせる(胴体を軽くする)作用がある。これによって脚が胴体から引き離れ、脚が俊敏に動くようになる。(そして、胴体と脚が引き離れると、その隙間を使って鼠蹊部でも発勁ができるようになる。発勁は隙間のある関節の足し算。ツボがその指標になる。自分で意識的に使えるツボが増えるとその分発勁の威力も増す。)

 

 この丹田の気の球の回転がないと、胴体が脚に重くのしかかり股関節や膝に負担がかかってしまう。歳をとってくると膝が悪くなったり足腰に自信がなくなる(ジャンプしたりしゃがんだり走ったりできなくなる)大きな原因は、上半身の空気の球が減って脚に重くのしかかるからではないかと思う。 

 私が練習している公園で毎日集まって気功の練習をしている高齢者グループの動きを見ていると、姿勢はとても高いのだけど上半身がどしんと重く脚にのしかかっている。上半身の軽さがない。子供は下半身が重くて上半身が浮いている。大人の私たちが子供と全く同じようにはなれないが、雰囲気を知っているといいと思う。

 上半身を軽くする第一歩は気持ちを軽く、上むきにすること。仏頂面をしないこと。坐禅や気功の秘訣に”微笑をする”というのもそのための要領だ。胴体を脚と切り離す練習をする以前に胸を軽くしておかなければいけない。子供のように楽しく、生き生きと。深刻になり過ぎない。

 "Playfulness" がキーワードかな。

 

 <下は今日写真で撮った写真>

 左は大人と子供の立ち姿の違い。大人の身体は全部下向き、重力に引っ張られてる。子供は上半身が浮いてる、上向き。子供は頭頂(百会)の”領”が見て取れる。

 右は二人の子供のplayfulな走り。見てるだけで笑美が溢れてくる・・・オリンピックで金メダル取りたい、なんて大人が仕込んで言わせる前の無邪気な心。目標のない遊びを無邪気というなら、目標があって行う行為は既に”邪気”が入っているのか?(苦笑) いずれにしろ遊びとして遊べないと気持ちは重くなってしまう。にしても大人がこんな風に走っていたら・・・精神病かと思われるかなぁ(苦笑)

2020/8/20 <陽陵泉を引き上げて坐骨とつなげる>

 

 先日紹介したバスケットボールのステファン・カリー選手が使っていた”athletic position"という言葉。これは太極拳の基本姿勢でもあり、文字通り、どんなスポーツにも共通する基本姿勢だ。

 力強く、かつ、敏速に動くために、私たち人間はこんな姿勢をとる。

 

 太極拳をスポーツのようにする人たちは重心を低くして膝に負担をかけがち。一方、養生のためと高い姿勢で雰囲気で動いていると下半身の力が使えず上半身だけの踊りのようになってしまう。

 

 カリー選手が言っていたように、足裏アーチの力はダイレクトでお尻に伝わる必要がある。

 途中の膝で遮断されてはいけない。

 足裏の力がダイレクトでお尻に伝わる・・・そんな感覚を確認するために、膝にある陽陵泉というツボを引き上げて坐骨とつなげてみる練習を生徒さんたちとやってみました。効果を感じられた人がいたので、動画で紹介します。

2020/8/19 <腹の中の動きについて生徒さんからのコメント>

 

 昨日のメモと合わせて描いた2つの図について、生徒さんの一人に意見を聞いてみました。

 私よりも腹の中の気の動きをよく観察していてびっくり。

 さすがに腹を④のように気でパンパンに膨らませることはできないから、通常は気を溜めて③の状態で練習している(この③の状態になるまで気を溜めるにもそこそこの練習時間がいる)。

 

 <以下コメントを引用>

 前後に割る?のではなく、先生と同じく胴の内側と外側、オレンジと白で動く感覚です。むしろ割るの意味がわからないです。

 私の今の感覚では、まず図のオレンジが常に上向きに引き上がり、周りの白の部分が下向きに引き下がっていることが前提条件としてあり、それがないと何も起こらないかなと思っています。

 前に行こうと思ったら、オレンジが一瞬早く前に膨らみ(または引き上げのベクトルが前傾し)ほぼ同時に白の後(背中側)が引き下がる(地面を押しているとも言える)ことで移動もしくは腹を回しています。他の方向も同様。

 オレンジと白がほぼ同時に動くことで、結果的に、胴が垂直に保たれる。オレンジだけまたは白だけで動くと崩れてしまう。

 オレンジの膨らみで動いている感じと地面を押している感じが同時にありながら、頭はオレンジの位置を追っているだけで胴が水平に移動していく他動的な不思議な感覚です。

 あくまで現段階での感覚ですが。

 

 

 ・・・私よりずっと細かく正確に描写している。白の空間が下向きに引き下がっている(按をかけ続けたようになっている)、ということは気づいていませんでした。これは含胸や塌腰を使って横隔膜を下げたままになっているのがそう感じられるのだと思う。そしてその中に気を少しずつ溜めていくと白の空間の中で自由に動けるオレンジの気の球(丹田)が現れる。動き方も上の生徒さんが言う通り。言われればその通りだなぁ、と。

 敢えて自分の身体の中を観察すればそのようになっている、というだけで、普段はそんなことを考えては練習しません。頭が狂ってしまう(苦笑)

 丹田に気を溜めて、それを動かして身体を動かす。

 ただそれだけでは外の形が歪になるので適宜外も修正してそれに合わせて内側も修正したり発展させたりします。

 内気の動きが分かるようになると、分かった人同士で内側の会話ができる。これが楽しい。

 一人でも多く内側の世界を知ってもらって自分の会話相手になってほしい・・・一人だけ分かっても何も楽しくない・・・と、日本にいる時は一人ずつかなり突っ込んで教えてきました。手間はかかるけど、頼もしい仲間を育てられた時の嬉しさは格別。

 これが継承というものにつながっていくのだろう。

 

2020/8/17

 

 昨日の散漫なメモについて。

 

 <前から後ろ、後ろから前>、という話は、周身一家、即ち、全身を一つの気で丸ごと取り囲む、を実現する過程で行う作業だ。一度周身一家になれば前も後ろもない。が、その状態を四六時中保持できる人は滅多にいない。どんなにレベルの高い老師でも毎日地道に調整をする。

 

 周天で任脈と督脈を通すのが王道的な方法。が、いきなり周天はできないから、中丹田で気を前後に動かす練習から始める。そうやって気の量を増やしつつ、気の圧で身体の空間を開けていく。昨日紹介した六字訣などはまさにそのための一つの方法。後ろ向き歩きやバスタオル歩きはそれによって自分の内側の気の状態に気づくきっかけになる(これを繰り返しても気の量は増えない)。

 

 身体を割って分けていくのではなく、分断されている身体をひとまとまりにしていくのが太極拳の練習方法。身体を外側から操作すると身体は分断する。身体を内側(の感覚)から操作して内側から身体の空間を一つにまとめる。内側で一つにまとまれば、分断されていた外側(筋肉や骨など)も連携プレーで動いてくれるようになる。

 

 内側からそのように作った身体は万能。何にでも使える。

 外側から作った身体は、その競技、その目的にしか使えない。

 太極拳を練習して太極拳にしか使えないことを学んでいるとしたら太極の意味に反している。

 

 実際、どんな分野でも一流の人は、太極拳の原理に沿った心身の使い方をしている。

 以前、声楽家の生徒さんに馮老師の動画を見せたら、「この先生は一流のオペラ歌手みたいですね。」と言われた。

 一流の人たちには共通点がある。それは立ち姿、動き、佇まい、などに現れてくるのが面白い。

 

 最近娘から絶対に見るべき、と一押しされたのが、NBAスーパースターのステファンカリー選手の動画。なぜに今バスケット?と思ったけど、私が視聴しているマスタークラスでカリー選手が講師として講座を担当しているのを知ってとりあえずそちらの動画を見てみた。そうしたら・・・

 バスケットの試合の動画を見ずとも、立ち姿だけで只者でないのが分かる。

 ああ、すごい。この立ち方はただのバスケットボールの選手ではない・・・。

 

 立っているんじゃなくて立たされているよう。

 足裏ばビッタリ床に吸い付いてる。

 中心軸がまっすぐ。全くブレない。

 虚領頂勁

 身体の松

 

 下のドリブル姿は圧巻。

 

 そして彼が”アスレチック・ポジッション”と呼ぶのが太極拳での基本姿勢。

 シュートの時は脚の力を腕に伝える。

 ということで、膝は前に出てはいけない、ヒップに力を伝えられなくなるから、とデモンストレーション。腰が高くなる。

 そして脚の力でベースのなるのは足のアーチだ、と言って、足の使い方をスローモーションで見せてくれた。足のアーチのバネを連鎖的に下から上へと全身に伝えていく。足のアーチのバネを効かせるには踵からつま先までめいいっぱいに使う必要があるのが見て取れる。

 

 最初の立ち姿で周身一家、シュートの映像で昨日のメモの後半の要点(推進力、後脚の突っ張り)が見て取れる。

 周身一家のまま動こうとすると、膝は前に出られないし、足のアーチは潰せない。動きはそうならざるを得ない。

 

 総論<周身一家>

 各論<虚領頂勁 沈肩墜肘 含胸抜背 塌腰松胯 曲膝圆裆 扣脚 などなど>

 

 各論の全要領が同時にクリアされると総論が実現し「気」の世界に入る。

 練習を重ねて言ううちに「気」を整えれば各論が揃うようになってくる。

 

 ともあれ、彼のシュートの時の身体はクレーン車のよう。

 節節貫通、そのもの。

 そして足、脚、股関節、腰、背骨、肩、のバネ。身体がどっしり軽そうなのがバネのある身体。

 太極拳の命は弾性。

 参考になることがたくさんある。

 

 娘から見るようにと言われたyoutube動画。まさに”自由自在”に身体を操っている・・・若さっていいなぁ〜、なんて既に他人事のように見てしまっていた私でした。

 

 あ〜、これが扣だ!(左の写真)

上のチャコットのグーの写真との違いは分かるかしら?

きっと足(foot)だけ見たらどちらも同じに見えてしまう。けれど、気の流れは全く違う。

左の足は指先からうっすら気が流れ出て行くような使い方。

チャコットのグーは気の逃げ場がなく足にこもってしまう。

 

 

『今日のメモ』毎日の練習は気づきの宝庫。太極拳の練習の成果が何に及ぶかは予測不可能。2012年9月〜のアーカイブは『練習メモアーカイブ』へ

YouTube『スタディタイチ』チャンネル→こちら

 

練習のバイブル本

 『陳式太極拳入門』

       馮志強老師著

お問い合わせはこちらから

ようせいフォーラム2017プログラム
3月4日(土)にパネリストとして参加しました。
ようせいフォーラム2017プログラム.pdf
PDFファイル 3.1 MB

 

2012/3/20

日本養生学会第13回大会で研究発表をしました。

発表の抄録、資料はこちら