2017年7月

2017/7/24 <『腰』と『胯』、矛盾解消の先に生まれる丹田>

 

 身体は建築物と同じで土台から造り上げていく。

 そして土台と言えば下半身。

  下半身というと、=脚、と思う人が多いようだが、脚にどれだけ肉をつけても下半身はしっかりしない。粘土や石で大きな像を作ることを想像すればよいが、とても太くした二本の脚の上に胴体を載せても、地面が揺れればすぐに胴体は滑り落ちてしまう。 

 下半身を安定させるのに大事なのは、脚が胴体に入り込んだ部位の強化。

 

 脚と胴体の接合部分は股関節。これは骨盤の中に入り込んでいる。太極拳用語ではこの股関節回り≒骨盤を『胯』(クア)という。(練習が進めばさらに細かく、前胯 后胯 内胯 外跨、と分けて、股関節回り一周を意識できるようにしていく。)

 股関節の高さには下丹田がある。(関元、膀胱、子宮、そのあたりの位置)

 下丹田は精の溜まる場所、脚の動きを司る。

 

 骨盤の上、肋骨の下縁までは『腰』と呼ばれる。日本ならウエストの位置、もしくは胃、背中の感覚だ。臍の位置に中丹田がある(少し下げれば気海:臍下丹田)。中丹田は気が溜まる場所、胴体の動きを司る。

 

 この股関節を胴体にしっかり埋め込ませることが下半身強化のカギを握る。

 これを太極拳では『腰胯』(ヤオ・クア)と一セットにして呼ぶ。

 ”腰(ヤオ)”と”胯(クア)”、が、しっかり”一体化”すれば、太極拳の核心部分、土台作りは完了とも言える。

 

 が、ヤオとクアは相矛盾する。

 このあたりは練習で身体を使って実感してもらいたいところだが、股関節=クアをしっかり使おうとすると、四つ足動物に近づいた姿勢を取らなければならない。かなりの前傾姿勢になってしまう。これでは前足=腕がつかえず、人間たる象徴の頭脳と手の器用さが発揮されない。この時ヤオ(=腰)の意識はほとんどない。

 そこから、頭をもたげて二足歩行、直立姿勢へと立ち上がっていく。すると、立ち上がりきる前に股関節の感覚が消えてしまう。その分ヤオを使っている感覚が増える。実際、ヤオが使尾えなければ立ち上がれない。寝たきりの人が上体を起こしたまま坐り続けることができなくなるのも、ただ腹筋という一部分の問題ではなく、このヤオ全体の力がなくなるからだ。人間が立ち上がる、起き上がる、にはヤオの力=気、が必要だ。

 ざっくり言うと、四つ足ならクア、直立なら腰。どちらかをとればどちらかを失いがち。

 四つ足動物の運動能力を重視するか、直立歩行の人間の頭脳を重視するか、下手をすればそんな選択にもなりそうだが、もちろん、ここで双方を手に入れる、という贅沢な選択肢もある。そのあたりの研究は間接的に太極拳や武道の世界で行われてきたのではないか?

 

 ヤオを使い、かつ股関節も使う、という姿勢、腹(ヤオ)=中丹田に気がしている若い頃は比較的簡単に保つことができるが、気の量が減るとヤオ、クア、どちらかだけ、下手をすればどちらも使えないような姿勢になってくる。(じゃあ、どこで立っているのかといえば、おそらく膝周辺。だからお年寄りには膝の悪い人が多い。健康体ならヤオで身体を保っているが、年を取ってくると特に女性の場合はお腹の力がなくなりお尻にどかっと坐ったようになる→股関節を傷める)

 

 ヤオは犬がウンチをするときのように尻尾を内側に丸めたようにすると力が入りやすい。

 一方、クアは、ご主人様が帰ってきて大喜びか、別犬に遭遇して血気盛んに闘いを挑む時の犬のように、尻尾を立ち上げたようにするとよく使える。

 尻尾を上げるのか、下げるのか・・・上げながら下げる、もしくは下げながら上げる・・・このあたりの塩梅がうまくいったところに、丹田が見えてくる、のだから面白い。(ヤオの要領だけ=尻尾を下げるだけ、で作った丹田らしきものは、拘束されて動きようがなく気を煉ることができないので、真の丹田ではないと思います。)

 

 丹田は作りにいくのではなくて、ヤオクアの矛盾解消の過程で浮き出てくるもの、と言っても良いような気もします(私の生徒さん達にも意見を聞いてみよう・・・)。

 

 

 

2017/7/17

 

今週クラスで教えた項目の簡単なメモ。

・運手の足の運び(偷步)から、脚をクロスにすると丹田がはっきるすることを確認。

 十字手と併せて、クロスと丹田の密接な関係を実感⇒臍(丹田)を✖と意識すると丹田がぶれない。

 (注)十字手は万能の手 (両手をクロスにすると丹田の力が発揮しやすい・太極拳には十字手が至る所に隠れている。)

・偷步からバレエのボレロを思い出す。足を交差させて、両手を身体の前で按。これを連続して行うのはまさに煉丹、気を煉る動作。後ろ足の踵を浮かせてやると、前丹田が活性化する。

 ・前丹田の作り方、使い方。

  →まずは命門(後丹田)を作ってから(でないと腰が反ってぎっくり腰の危険あり)

   腎に気を溜めるのが先決。

  →推手では特に前丹田が大事。初めから後丹田で立つと劣勢になる。

   (前回のメモの2人の老師の推手でも、前丹田を維持している陳小旺が優勢。)

 

・腰胯の話

 腰(日本語のウエスト部分:肋骨と腸骨で挟まれた部分)VS 胯(骨盤)

 この2つの矛盾をどう解決するかが太極拳の鍵。この矛盾の解決した証が丹田の形成?

 (これは別にちゃんと書かなければならないかも)

 

 

足裏のしなりも丹田形成に欠かせない・・・・

2017/7/3<推手による丹田探し、

丹田の形>

 

最近見た陳小旺老師と台湾の廖白老師の推手の動画。

 

 これをアップした中国のサイトでは、優劣については批評しないこと、という注意書きがあったというが、どちらが優勢かは下半身の安定感を見れば一目瞭然。陳老師は終始タントウ功のまま、気沈丹田を維持している。丹田の沈み方、重さ、大きさ、これで既に勝負がついているようなところがある。

 

 この動画ではお互いの手を絡ませてお互いの気を読みあっている。

 通常の陳式の双推手の練習では肘まで使って(前腕全体を使って)いるのとは幾分違っているのだが、先日、単推手をする際、相手の気を読むという目的意識をもって片手をこの動画のように絡ませて小刻みに動かしてみたら、思っていた以上の相手の丹田の様子がはっきりと見えて驚いた。

 普段の単推手の練習では、ジーやリュー、そして化(ホア:相手の力を変換させて無効にする)の仕方や腰、脚の回し方、など、外形を意識した練習をしがちで、前後の体重移動もしっかり行うため、相手の丹田の気まで感じることがなかなかできなかった。

 が、この動画のような実戦形式で、”型”がないまま手を合わせると、練習経験の少ない生徒さんでも(上手く導いてあげられれば)相手の丹田を感じることが可能だ。あとは揺さぶりをかけて、相手の丹田が失われるような場所を探せば、そこ(が、まさにスキ!)を一気に攻め込むことができる、ということになる。

 どこで相手の丹田(の気)がなくなるのか、を、お互いしっかり見つけようとしていると、逆にどこで自分の丹田(の気)が危うくなるのか、にも気づくようになる。推手が『知彼知己』と言われる所以がやっと分かってきた。

 

 こうやって二人組で推手もどきの丹田探しゲームで遊びながら、次第に揺さぶりを大きくかけていくと、いつもの典型的な単推手の形になってくる。なんだ、丹田探しゲームのマックス版が教科書的な単推手だったんだ、と知って、推手の練習の意味が初めて本当に理解できたような気がする。これは双推手でも同じ。

 

 いろいろな生徒さんと手合わせしていくと、それぞれ丹田の大きさ、形、重さが違う。

 ある人は石のように動かない丹田。ある人は薄く広がった丹田。ある人は伸びのある丹田・・・。

 薄く広がってしまって”締まり”のない丹田の生徒さんに、”一粒”の丹田を作るように指示してみた。

 「一粒?」とその生徒さんは驚いていたけれども、そこで気づいたのは、”丹田”というと、ひとそれぞれイメージする形が違うということ。イメージが固定されるとそこに丹田も固定される。

もちろん、最初からイメージなんて持たないほうが良いのだが(丹田が動く、成長するとそれに従って自分の”丹田観”も変化していき、日々更新されることになるから)、少し丹田が分かると、人は往々にしてそこで自分の丹田イメージを形成して、”分かった”と思ってそのイメージを固定してしまう。

 きっとこの生徒さんも、こんな感じ、という丹田を作ってしまってそれ以上更新していなかったのだろう。丹田をげんこつ大の石、のように思っている人も多いのかもしれない。

 が、実は丹田は、太極の『太』の漢字で表されるように、”大より大きく、小より小さい”、即ち、極小から極大まで自由自在に広がる可能性のあるもの(厳密には丹田で作り出される”気”の拡がりですが、気の拡がり=丹田のように感じられるのでここでは単純に丹田と言っています)。

 

 下丹田と中丹田とつながり、またそれが上丹田とドッキングすると、結局は身体全体が一個の丹田になるし、これがもっと広がると天人合一にまで発展してしまう。

 また、逆に、臍の方へ集約させていけば、針の先ほどの一粒の深くて思い密度の高い丹田(まさに”種”)になる。

 そしてこの練習ではまず体内にその”一粒”、経典で言われるところの『一粒混元気』を作り出すことが大事になる。このしっかりした”種”があって、初めてそれが身体を包み込む、もしくは天まで達する気の木に成長する、そんなカラクリになっている。

 

 最初はポワーンとした曖昧な丹田かもしれないが、それをもっと中心の一点に集約させていく。この作業に思いの外、推手が適しているというのが今回の発見。その一点が作れているか否か、外れていないか否かは手を合わせている相手が察知して知らせることができる(相手のレベルにもよる?)。

 また、石のような丹田は、高岡英夫氏の言葉を借りれば、”拘束丹田”ということになるが、これは、ただ息を吐き込んで腹圧をかけて作った丹田で、足が重く軽快な動きがとれなくなる(前回書いた、”居つく”という話になる)。しかも、息を吐いている時は相手の気を聴く(見る、読む、感じる)ことができないから、この丹田の人はただ自分が推す、という独りよがりの動きになってしまい太極拳の妙が感じられなくなる。吐きこんで丹田を作るのではなく、吸って(会陰、湧泉を引き上げて)丹田を作れるようにしなければならない。推手をやってみるとこのような問題点がはっきり浮かび上がってくるし、その解決方法も身体が教えてくれる。(吸って作る丹田、吐いて作る丹田、この二者の違いについての説明はまた別の機会に試みたいところ。)

 

 推手は何をやっているのか分からない、という状態から脱して、推手で自分の丹田の状態、身体の癖を知って、それを日頃の一人の練功で調整する、という練習の流れに持って行けそう…推手で遊べたら練習は格段と楽しくなる!

 

 

 

 

 

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『今日のメモ』毎日の練習は気づきの宝庫。太極拳の練習の成果が何に及ぶかは予測不可能。2012年9月〜のアーカイブは『練習メモアーカイブ』へ

練習のバイブル本

 『陳式太極拳入門』

   馮志強老師著

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2012/3/20

日本養生学会第13回大会で研究発表をしました。

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