2013年1月

2013/1/27 <直立歩行の難しさ、意識を使う、身体の外側から内側へ>

 

身体は歳をとればとるほど硬くなる。

昨日の練習でも、ある”身体の硬い”生徒さんがどれほど前屈ができないかを見せてくれたが、みな赤ちゃんの時はゴムまりのように柔らかい身体をしていたはず。

いつから硬くなったのだろう?と考えると、一番大きな要因は私達人間の直立二足歩行にあるように思う。

 

四足歩行から二足歩行への移行は人間の人間たる進化の証で、これにより、手が自由に使え大脳が発達するなど知能の面で飛躍的に発達したが、その反面、身体的には非常に操りにくいものになった。

姿勢一つとっても、無意識で暮らしていれば姿勢は次第に崩れていき、気が付けば、腰痛や膝の痛み、肩こり首の痛みなどに悩まされることになる。正しい姿勢をわざわざ意識して学ばなければならない動物は、人間をおいて他にはない。

 

ある意味、直立歩行は一種のアートではないかと思ったりする。

身体に負担をかけないで立ったり歩いたりするのは実はとても難しい。

特定の筋肉だけに負荷をかけず、あらゆる筋肉を均等に使うように歩行するには関節の可動域も最大限にしておく必要がある。そんな風に身体が維持できれば身体が硬くなることもないだろう。

 

人間の脳は2パーセント(だったかしら?)しか使われていないと言うけれども、人間の身体も同じようなもの。すべての稼働可能な組織を使い切っているような人はおそらく皆無に近い。通常は、自分が使っている部分を使いまわしているだけ。新たな場所を開発するにはそれだけの注意力がいる。

加えて、身体の機能は”使っていなければ次第に廃れて使えなくなる”ので、現状維持でさえも毎日の練習がいる。

つまり身体を開発するには、①注意深く意識を使って②日々練習を続けること、が必須。

 

ここで「静心慢練」という態度が肝要になる。

たとえ身体が思った通りに動いてくれなかったり、なかなか進歩が見えなかったとしても、がっかりしたり腹を立てるのではなく、今ある身体を受け入れてじっくり対話をしながら練習するような態度が大事だ。練習すればするほど自分の身体に慈愛の念を感じるような練習が正しい練習。自分の身体を酷使したり乱雑に扱うのは正しい練習ではない。

 

身体は無我でとても自然に近い存在だ。どんな修行もまずは身体から入るというのは身体の神秘を探ることは自然(存在)の神秘を探る門になるからだろう。皮膚、筋肉、骨といった身体の外側から始め、徐々にそれよりも内側に意識が及ぶようにする。練習が進んでいくと次第に動功よりも静功の重要さが増すのはそのため。身体の内奥に迫れば迫るほどその純粋さに感銘を受けることになる。

身体の内側、内側へと入っていく練習は自分の存在の深みを知ることにつながる。

身体の開発や浄化は内側への旅への準備ともいえる。

 

ともあれ、身体は四六時中休むことなく自分のためにずっと頑張って働いている。歳をとってどんなに衰えても最後まで自分の身体に愛着や愛情が感じられるような、そんな練習をしていきたい。

 

 

2013/1/25 <站樁功の要領 ①放松のために真っ直ぐ立つ>

 

站樁功について整理する、と宣言しながら、この二日間生徒さんを指導しながらまたまた悩む。

正しい立ち姿にしようと、站樁功の間中ずっと、”ああでもない、こうでもない”、と考える真面目な生徒さんの姿を見ると、形を追求し過ぎると心のリラックスができず、結局身体も緩まない、適当にやるやのも大事だなぁ、と、『有意無意是真意』(意識は有るよう無いようなところが本当の意識)の大事さを痛感する。

実は”正しい”立ち姿は相当の練習を積んでやっと得られるものだから、最初から全てを要求できるものではない。慌てず急がず『静心慢練』 (心を鎮めてゆっくり練習する)あるのみ。

 

このメモを使って私自身、站樁功のイロハに戻ってみる。

 

その①

站樁功で最も大事なのは、心身の放松。言い換えれば、心身の余分な力を抜いて自然な状態に戻すこと。心も身体も”自然”でいることが最良の状態。もっとも、これにはかなりの努力がいる。

 

そして放松(力を抜くこと)のための最も基本的な条件、それが「真っ直ぐ立つこと」。

曲がって立っているとそれだけで余分な力がかかってくる(身体のどこかに力をいれないと身体が支えられない)。

力学的に考えれば明確だが、筋肉への負担は最小限となるのは、身体の骨組みが地面に垂直に積み上がっている状態だ。そうなれば身体は放松し、その分、意識によって身体の平衡感覚がとれるようになってくる(”意識”についての説明は後に譲ります)。

 

ここで、人間の自然な立ち姿は背骨がS字のカーブを描いていることに注意。

真っ直ぐに立つ、とか、地面に垂直に立つ、と言った場合、このS字カーブが曲者になる。普通は命門の部分(腰椎3番あたり)が引っ込み過ぎているため、骨組み(背骨)を真っ直ぐに立てるには、命門を後ろに引き(お臍で命門を押すor腹筋で背骨を後ろに押す感じ)、身体全体の重心を後ろに移動させる必要がある。これは何も太極拳に限ったことでなく、バレエダンサー然り、全てのスポーツ選手の基本姿勢の要領になる。

 

 

頑張って図を描いたので以下それを使って説明に挑戦。

 

★站樁功の目的=心身の自然状態=放松 

            →真っ直ぐに立つ必要性(形の要求)

 

  ※真っ直ぐに立つための要領

      →背骨を真っ直ぐに立てる(体躯の要求)

        ①命門を出す<図1→図2> (腰が伸びる)

        ②股関節を緩める<図2→図3> (尾骨が地面に垂直に垂れる)

 

なお、命門のツボをちゃんと開けられるかどうか、これが站樁功の第1関門と言われています。命門を開けるために、練習を始めてしばらくの間は図②のような姿勢になり、却って姿勢が悪くなったのではないかと思ったりもしますが、あくまでもそれは経過時点。最初から股関節を緩めることも練習しておいて、命門が開いてきたら図③に進んでいきます。図①から一気に図③へと進むのは普通はまず無理です。まずは命門をちゃんと開けるのが大事。

命門を開けるには、最初はお臍を背中に貼りつけるような感じでやりますが、そのうち、腹に息を落として、腹圧で腰を後ろに押すようにしていきます。くしゃみをした時に腹に息が落ちてウエスト回りが太くなるような、そんな感覚です。これができるころには腹式呼吸がしっかりできているはず。

図③へ移行するにあたっては、その腹圧(腹に溜った気)をさらに尾骨の方へ落としていくようにします(・・・これは次の段階・・・)。

 

<注意点>

①赤色⇒の「命門を後ろに引く」ためには、緑色⇒の「含胸」(胸(正確には膻中のツボ)を少し引いて肋骨を収める)が必須になります。胸を張り出したままでは命門は出てきません。 (図①→図②)

②一方、命門を引くとお尻が巻き込まれたようになって鼠蹊部が真っ直ぐ(=緊張)になりがちです(図②)。命門を出そうとしてその下の仙骨・尾骨が内巻きになり過ぎない様、真ん中の図の青色⇒「松胯」(股関節を緩める、鼠蹊部を折り曲げた感じ)を心がける必要があります。(図②→図③)

 

つまり赤色「命門」と緑色「含胸」は同義。しかし、これらと青色「松胯」は矛盾します。

この二者間の矛盾の中から、その矛盾を解決、昇華するような絶妙な場所を見つけ出すことで身体の芯や力が生み出されます。実はここが醍醐味!

 

 

2013/22 <站樁功の練習方法を整理する必要性>

 

なかなか站樁功が分からない・・・。これは良く聞く言葉。

立つだけなら簡単なはず、なのだが、自然に”ストン”と立つのはとても難しい。

「自然に」立つというのは、重力に逆らわずに立つということ。

しかし、具体的にどうやればそのように立てるのか?

今日の生徒さん達との会話を通して、站樁功のABCについて再度まとめる必要があると痛感。

 

これまで練習の際、各々の生徒さんの必要に応じ必要なことを口頭で説明してきた。私自身が学んだ時も、ある段階に達すればその次の段階に至る練習方法を師父から提示された。一歩進めばまた次の一歩のための練習要領がある。最初は全く全体像が見えていないのだが、自分が進歩するとおぼろげに全体像が見えてくる。進歩すればするほどそのおぼろげな全体像がよりはっきりしてくる、そういう練習だった。

 

站樁功の際(動校、套路もそうだが)、どの段階にいるかによって注意する点が異なってくる。生徒さんの段階を見極めてその段階に適切な練習要領を示すのが指導者の役割だ。最初に最適だった方法がいつまでも最適である訳がない。徐々に変えていく必要がある。この手の練習を一人でやると、いつまでも効果が感じられないか、あるいはとても根を詰めてやった場合などは次第に誤差が大きくなり、しまいに身体に支障が出てきたりする危険性さえある。実際私は日本に戻ってその微妙な誤差に気付かず練習をしてしまい、パリの師父に会う半年の間に左肩と左首が動かせなくなるくらい、気をその箇所に滞らせてしまったことがある。師父に站樁功の形を直してもらったり練習要領を教えてもらって、その後その症状がなくなった。今でも半年に一回は師父に見てもらうが、それは一人ではなかなか気づかない練習中の誤差を正してもらう意味がある。

 

とはいっても、適当に練習するくらいであれば、進歩は遅いが身体に支障を起こすほどの影響も有り得ない(だからほとんどの人は心配ご無用?!)。練習をやり込めばやり込むほど、進歩のある代わりに練習方法がズレていると負の効果がでてきてしまう。薬になるものは毒にもなる。これはどうしようもない自然の法則。

 

いずれにしろ、站樁功にまつわる生徒さんの混乱を払拭する必要があることを実感。

一度文章の形で、站樁功の全体像、完成形を明らかにした上で、そこに至る過程を示し、段階段階に応じた練習の注意点を示せるようにしたいと思っています。

近いうちにブログにアップしますので少し待っていて下さい。

 

2013/1/18  <肛門を引き上げる養生法>

 

太極拳のベースには道教の養生法がある。

私自身、歳をとったせいだろう、最近養生法に興味がでてきた。

老化は誰も避けられない。自然の摂理。

決してもう20歳そこそこの時の身体に戻ることはないのだが、放っておけば衰える一方の身体に向き合うことで、若い時には無意識であった身体に対して意識的になることができる。

 

身体、それ自体は私達の想像もつかないほどの聡明さを持った有機体。自然にしておけば120歳は存続するというのが中国古来からの考え方。120歳を天寿とし、私達がどのくらい自然に逆らった生き方をしたか、で120歳の何割引きかの寿命になってしまうという。60歳なら5割引き、72歳なら4割引き、84歳なら3割引き、96歳なら2割引き、108歳なら1割引きだ。

 

もちろんただ長く生きれば良いわけではなく、その”質”がとても重要だ。

長く有意義に生きる、その術として中国では大昔から様々な養生法が探究されてきた。

ちなみに中国最古の医学書と言われる黄帝内経は養生法のバイブルだ。

 

養生法は単純なものが多い。単純で簡単すぎて、若いうちは見向きもしないような内容がほとんど。しかしその単純な中にも奥深い内容を含んでいたりする。

そのうちの一つが、道教の養生法でもあり、中国の皇帝の中で最も長生きした清朝の乾隆帝が実践していた養生法である”肛門の引き上げ”。

これは乾隆帝自身が努めて行っていたとのことで、気がついたら肛門を引き上げる、という養生法。座っていても、立っていても、ふと気がついたら肛門を引き上げる。排便の後は意識的に数度強く引きあげる。

これは太極拳の「提肛」や「提会陰」の要領だ。普通肛門を引き上げれば会陰も引き上がる。これらを引き上げていれば骨盤底筋も鍛えられ、内臓も引き上がる。歳とともに身体の全てが垂れ下がってくるが、これを引き上げる最も強力な方法が肛門や会陰の引き上げだ。

ここで”引き上げ”というのに要注意。決してぎゅっと締めるのではない。

”引き上げる”のが大事なのは、それによって会陰や肛門より内側の、身体の中の筋肉(インナーマッスル)を使って内臓を引き上げるため。もし会陰や肛門を”締めて”しまうと、その周りの表面の筋肉が緊張してしまい、内側の筋肉を鍛える効果が望めない。身体の内側にキュ~っと引き上げるようにして、身体の内奥に効かせるのがコツ。

 

練習中にこの要領をつかんでもらいたくて様々な説明をするが、生徒さん毎に身体も感覚も異なり、なかなかうまくは伝わらない。

坐禅をしてジャンプをさせてみたり、よーい、(ドン、)と走る直前の体勢をとらせたり、垂直跳び直前の体勢とか、卓球やテニスのレシーブの体勢とか。

どれも身体を上に持ち上げようとする瞬間だが、この時、胴体は上半身を上に引き上げるべく、自然に会陰や肛門を引き上げている。こうすると上半身自体が軽くなり、脚への負担が減り、脚力が最大限に活かせるようになる。

 

ここで、よーい、(ドン)と走る直前の体勢の時に意識的に肛門を締めてみる。すると身体はストップがかかったようにして走り出すことはできなくなってしまう。ジャンプする構えやレシーブの構えも然り。

このようにすぐに動き出せる体勢の時は、おしりの筋肉は緩んでゆるゆるのはずだ。そして肛門(や会陰)は締めているのではなく、微妙な隙間がある状態で上に引き上がっている。

 

このあたりの感覚は微妙~なのだが、年始に公園の鉄棒で遊んでいて一つ発見。

鉄棒を両手でつかんで鉄棒に上がった時(上のイラスト)のおしりや肛門、できれば会陰の状態をチェック!

おしりは緩み、股が少し開き、会陰や肛門に空間がありつつ上に引き上がっている。

これは放松した状態での「堤肛」「堤会陰」。理想的な状態だ。

早速生徒さん達に試してもらったが、かなりの確率で感覚を掴めているよう。

もちろんその時に感覚が掴めても、地上に降りてくるとその感覚を維持し続けるのは至難の技に近かったりする。だからまず站樁功の静止状態で同様の感覚を探し、ある程度感覚を保持できるようになったら徐々に動功や套路の練習の時にも維持できるようにしていく。千里の道も一歩から、で、本当に少しずつ少しずつしか進まないかもしれないが、日常的にも心がけられるようになれば最強の養生法になるはずだ。

 

2012/1/15 

<雪の日メモ:発熱と気を足裏まで落とすこと>

 

昨日は大雪。

交通機関が混乱し、四国から上京していた母親も羽田で足止めを食い、かと言って途中電車も止まっていたりしてなかなか逆戻りもできず、と全てが混乱状態。

 

と、こんな中で、寒~いプラットフォームで電車を待ちながら、「今こそ練習の成果を試すべし!」、と、密かに站樁功状態を作り体内の熱を作り出してみる。

気をずんずん下(下っ腹)へ下げていくのだが、自分が落ち着いてきて辺りを見回すと、周囲は肩を上げ震える人でいっぱいなのに気づく。

これは、肩や胸、背中の上部を緊張させることで熱を作り出そうとする自助作用。

一般の人は寒い時このように身体の上部の緊張で熱を作り出す。

が、これは表面の筋肉の緊張で熱を作り出すので、作り出せる熱量も大したことがないし、肩や背中が凝り固まってしまう。持続もできない。

 

本当に熱を作り出せるのは下っ腹。もしくは腰といってもいい。くしゃみをしたときに腹圧で腰回りが膨らむが、そのような要領で腰回り(帯脈)を空気(気)で膨らましておく。この時にはもちろん会陰を引き上げて、”下の栓”をちゃんとしておく(ちなみに、くしゃみの時に尿漏れが起こるのはこの”栓”がしっかりできていない証拠)。

このような腹圧をじっとかけ続けていると(注:呼吸は自然にしておく)、身体が内側から次第に集まってくる。これが站樁功の気を溜める原理。発熱の原理と言ってもよい。

 

その後、めでたく自分の家の駅まで辿りついたのだが、そこからまた一踏ん張り。しっかり積もった雪の坂道や階段を上がっていかなければならない。

隣で大喜び、おおはしゃぎで歩く娘を片目に、私は靴の中に雪が入らないよう、ただまっすぐ自分のことだけ考えて歩く。が、そんな自分は、自分の身を守ることに精一杯で視野が狭くなってしまう年寄りのようかも・・・、と、列をとばしているのに気づかないで割り込んでくる老人や、電車を乗り降りする時も自分の乗り降りだけを考え早い時間から準備体勢に入っている老人の映像が脳裡に浮かんだりする。自分の心身に余裕がないと他人のことまで思いやってあげるのは至難の技だなぁ~。

 

雪道を見ながらしばらくはそんなことを考えていたのだが、そのうち歩くのに慣れてくると、身体がほかほかして何だか楽しくなってきた。娘も、雪の中の方が雨の時よりも暖かく感じる、温度は低いのに何でだろう?としゃべりかけてくる。

確かにそうだなぁ~、と思い注意してみると、雪の日と雨の日では歩き方が全く違う!

雪の上では足の裏全体がズボズボ雪を踏みつけながら歩くので、知らず知らずのうちに足裏まで気が落ちている。

 

「足裏まで気を落とす」、という際、それは丹田の気(腹・腰の気)を一段増やして足裏まで届かせることを意味する(決して丹田の気を足裏に、”移動”、させてしてしまうのではない)。これは太極拳の練習では站樁功の際、そして套路の際も心がけていなければならないことだ。安定して、かつ、速く動けるようにするには、足裏はしっかり地面を掴まなければならない。スポーツをしていて調子が良く感じられる時は間違いなく気が落ち、足裏が床や地面に張り付いたようになっている。しかしこれを意識的にやろうとするとなかなかうまくいかなかったりする。

が、雪の日の歩き方では多くの人が無意識の内にこれをやってのけている。そうせざるを得ない、というのが正直なところ。このように丹田から足裏まで気を”通す”と下半身全体が丹田化する。足を動かすことで本来の丹田も活性化し、更に発熱するようになる。身体全体がとても熱くなる。(注:丹田から足裏まで気が”通って”いる人は足・脚が胴体としっかりつながっている。だから多少足が滑っても胴体(=腹・体幹)の力で持ちこたえられる。逆に、足元だけに意識が移動して丹田と足が気でつながっていない人は、足がちょっと滑ると転んでしまう。老人が転びやすくなる原因の一つでもある。)

そう考えれば、アイススケートやスキーなど、足裏に意識(気)を通していなければできないものは寒い場所でやっていてもずぐに発熱、発汗する。サッカーも然り。

 

本来「気」は放っておくと上に上がっていく。子供の頃は丹田にあっても、成人になる頃には胸、老人になれば肩や頭に上がっていて、足元が浮いたようになってくる。このまま上がって身体から抜けてしまえば、「死」につながっていくのだろうと私は見ている。

だから道教の養生法の流れをくんだ太極拳の練習では、常に「気」を引っ張り下げておくことを最重要視する。気を上げないための方法として、「沈肩」「墜肘」「含胸」「塌腰(ターヤオ」「松胯」「屈膝」「松脚腕(足首)」などの様々な要領がある。

 

今日の道路は凍っているところも多く皆滑らないように注意深く歩いていた。

雪にしろ氷にしろ、このような時に歩く人の姿は、本来あるべき歩く姿に近い。一歩一歩足裏全面を使い、左右の重心移動も確実にやって、腰の力(体幹)も使いながら歩いている。気も下がっている。普段からこのくらい意識的に歩ければ歩くだけでもかなりの練習ができるはず。

 

※上の犬ぞり兄弟の写真

足先までしっかり気(力)が達している様を見てもらおうと載せてました。

 

 

 

2013/1/11 <塌腰(ターヤオ):たったこれだけで腰痛解消?>

 

夕方、私の最初の生徒さんの一人である女性よりメールが送られてきた。

表題は『感謝です!』。

以下抜粋。

 

 「最近ずっと練習をさぼって怠惰な生活を送っていたら昔患った腰痛が再発。腰が鉄版のように固まって痛さも半端じゃない。夕飯の支度もそっちのけで30分站樁功をし、夕飯作った後にまた30分、そして夜の洗濯干しの後にまたまた30分、計1時間半の站樁功でどうにか乗り切り、恐れていたぎっくり腰にもならず、今日は仕事に行けました。・・・今また腰が重くなってきたのでまた家に帰って站樁功をします。

 この腰の痛みは暮れからサボった罰でしょう。反省が長続きしないのが反省点。

 站樁功のやり方が正しいのかどうか自信はないのですが、とりあえず私の腰には効くようです。本当にありがとうございます。」

 

 彼女は初めて練習に現れた時、とても腰を反らして歩いていて、見てすぐに腰痛持ちだと分かった。腰を伸ばす(塌腰※下で再度説明します)ことを教えたのだが、彼女にしてみれば ”良い姿勢=胸を張り腰を反らす”、と思い込んでいるので、私が教えるような姿勢は”猫背”の何物でもなかったようだ。「こんな猫背で良いのですか~?」と何度も聞かれたのを覚えている。

 しかし、その後腰痛から解放され、「腰には自信があります!」と豪語するまでになるのだが、そこで、本人も認める持病の”サボり癖”が発症。喉元過ぎれば熱さを忘れ・・・練習もサボりサボり、水が低きに流れるよう、安易で怠惰な生活に陥りがちになった模様。私達の練習が終わった頃にやってきて練習後のお茶だけに参加、ということもあったりした。

 が、今回、またあの辛いぎっくり腰を再発するような瀬戸際になって、自助手段として站樁功で凌いだとの話。

 

 腰痛は腰椎の反りを真っ直ぐに整えることで大方は解消する。

 そのためには站樁功でその状態を作って、しばらく漬物を漬けるがごとく、身体に重しをかけたまま(=重力に逆らわない=放松)じっとしておくのが効果的だ。身体が次第にその姿勢に慣れていく。力を抜いて息を止めずにじっと腰のあたりの開きを感じておく。

 そうやって力を抜いて開いた後に、腰回しをして腰椎あたりの柔軟性を増すようにする。

 まずは站樁功で”開き緩めて”(松開)、それから動功で”揉んで柔らかくする”、その2段構えが大事。

 緩んでいないのにいきなりストレッチしても効果が薄く、無理やり引っ張れば筋を痛めてしまう。

 

 腰痛に悩む人は思いの外多いが、そのような人は腰が反っていて、腰椎の両側から体側にかけての筋肉(内腹斜筋だと思う)があまり発達していない(ただの”お肉”になっている)。だからお腹も緩んでぽっこり。

 これを解消するのが、塌腰(ターヤオ)の要領。

 以前コラム「無極站樁功の要領①」の中に書いた要領だ。

 そこではこのように説明した。 

 

 5.塌腰(ターヤオ)、斂臀(リエントゥン)

 腰が下に垂れ下がったように引っ張られ(塌腰)、腰の椎骨節や皮膚、腱が真下に向けて伸ばされた状態。

 この時おしりは少し前方に巻き込んだようになる(斂臀)。所謂「でっちり」の反対。

 

 この要領は、床に仰向けに寝っころがって、腰と床の隙間がなくなるよう、腹圧で背中を内側から床に向けて押してみると分かりやすい。背骨が全て真っ直ぐべた~っと床についている時は、お腹も引っ込んでいる。力が身体の中心(=下っ腹)に集まる。

 もしこの状態のまま背伸びをすれば、その中心に集まった力が、手の先から足の先まで達し身体に力が充満するのが感じられる。身体の外に力が漏れない(これが太極拳の際の身体の使い方)。

 逆に、腰を床から浮かした状態で背伸びをすると、力が”すっこ抜けた”ような感じ、言い換えれば、身体の外に力が漏れてしまってうまく手足に伝わらないのが分かるはず。

 

 私達が直立している時も、上のように腰が床を押しているような力が常に働いていなければならない。これが、今流行の言葉で言えば”体幹”を作る。

 最初は、ぐっと力をこめてお腹で背中を押さなければならないかもしれないが、これを站樁功で練習すれば、実はそれほど”力任せ”にするものではなく、腹式呼吸を腹、腰の胴体全体で行うとそうなることも分かってくる。会陰も自然に引き上がる。

 

 完璧な站樁功をしようとしても、そんな簡単にできるものではない。一つ一つの要領をクリアしていきながら、徐々に完成形を目指していく。

 そして站樁功の最初の関門が、「命門を開けること」即ち、塌腰(ターヤオ)だ。

これが第一。これができなければ、他の要領をクリアするのは不可能。

 ちょっと立って、腰を伸ばしたまま静止する。

 これは電車の中でも、レジに並んでいる時でもできるので、腰に問題のある人は特にしょっちゅう実践したら良いと思う。

 

※背骨の調整についてコラムに参考資料を載せました。

 画像で示していますのでご覧くださいコラム「背骨の調整」へ

 

 

 

 

 

 

2013/1/9 <身体の源泉に触れる=先天の気を刺激するような練習>

 

昨日より新宿での練習を再開。

久しぶりに暖かい日差しがある中で70歳三人組も勢ぞろい。そこに常連生徒さんも交えて、少し八段錦(中国制定4大気功の一つ)も試してみる。

最近中医学に基づく養生法を勉強していることもあり、その運動療法として進められている気功法に私の生徒さん達がどう反応するのか見たかった、というのが正直なところ。

が、いつものグルグル腰回し等の運動に慣れている私達には、八段錦の直線的で静的な動きは少し違和感がある。スジを伸ばす感覚はあるのだが、身体の奥から発熱するような感覚はほとんど皆無に近い。

 

中国政府が制定した四大気功とは、八段錦、五禽戯、六字訣、易筋経。どれも古くから伝わる由緒正しい気功法。私も気功を学びだした頃に一通り学んだことがある。

今改めてそれらを自分でやってみると、通常私が練習している太極拳の内功との違いが明らか。逆に言えば、太極拳の内功の奥深さ、幅広さに改めて感嘆してしまう。

 

まだ気功や太極拳を習い始めた頃、毎日のように教室に通いながらそこにいる複数の中国人の先生とおしゃべりをするのが楽しみだった。その中でボス格の先生といた時に、その先生がふと、「中国では朝零下10度以下でも太極拳を練習すれば身体が温まるが、あなた達の習っている太極拳では、無理だなぁ。」と言ったことがあった。私がすかさず、「それはどういうことですか?」と聞いたところ、「本当の太極拳はこんなものではないのだよ。」とだけ答えたのを覚えている。

本当の太極拳はどこで学べるのか?とその後他の中国人の先生達にも聞いたが、みな、それはなかなか無理だ、と言って、そのままになってしまった。

 

今になってその当時の会話を思い出すと、すべてつじつまが合う。

本当の太極拳、というのは、身体の中からエネルギーを作り出し、その中のエネルギーで内側から外向きに身体を動かしていくようなもの。その前提として、身体の中にエネルギー(気)を溜め、それを増やすような練習(=内功)をかなり積んでいなければならない。身体の中にエネルギー(気)を溜めていない状態で動いても、身体の外側が動いているだけで(骨や筋肉、皮膚はどれも身体の外側のものとの認識)身体の内側のエネルギーの源泉を刺激することはできない。

如何に身体の奥の奥にあるエネルギーの源泉に触れられるようにするか(=先天の気を刺激する)、そこが太極拳の練習の核心になってくる。

 

制定気功である八段錦などは、誰でも手軽にできる健康法として受け継がれてきたものだ。やればそれなりの効果はある。しかし、練習すればするほど明らかになってくる身体の聡明さに気付かせてくれるような奥深さには欠けるようだ。そういう意味では、太極拳の内功は一般受けしないかもしれないが、じっくり味わいながら練習の過程を楽しめる人には大きな魅力がある。反対に、巷でよく耳にする「たったこれだけで・・・」的な即効性や手っ取り早さを求める人には全く魅力がないのかもしれない。

 

站樁功、坐禅、各種腰回し等の単純な練功でも、毎日毎日感覚が違う。

師父と練習をしていた頃に、一緒に腰回しをしながら、「あなたの腰回しと私の腰回しでは外から見れば同じ腰回しだが、実態は全く異なる腰回しだ。」と言われたことがあった。まさにその通りで、功夫の水準により、身体の内側の使い方が全く異なってくる。「1年前の腰回しと今年の腰回しが同じだったとしたら、それは退歩しているということだ。」とも言われたことがある。進歩するということは、1年前と今の腰回しが異なっていて然るべきということ。

 

自分の身体の奥に意識が届くようになれば、他人の身体についても同じ程度だけ見えるようになってくる。ここに「見える」「見えない」という差が出てくる。

これは年末の平岡氏(卓球のコーチ)との、いかに「見える」ようになるか、という話題につながる。”見え”れば分かるし、”見え”なければいくら考えても分からない、という話。これは洞察力、とも言えるが、それを磨くには身体の感覚を磨かなければならない・・・と、この話は後に譲ります・・・。

2013/1/4 <寒い時期の練習、外気に接して先天の気を刺激する>

 

元旦は日帰りで里帰りをしたため練習はお休み。

2日から練習を開始したが、気温も一段下がり風も強く、本格的な冬の練習になった感がある。

 

『夏練三伏、冬練三九』(一年の内一番暑い3日間と、一番寒い9日間の練習を欠かせてはならない)という言い方がある。

中国では昔から寒い時期を冬至から数えて9日×9サイクルの81日間として、その中でも、第3回目、第4回目の9日サイクルの時期(つまり当時から数えて19日目から36日目あたり)を最も寒い時期としている(今年で言えば1月10日~27日)。

上の言い方では第3サイクル目の9日間のみを指しているが、その含意は、最も寒い時期の練習を欠いてはならないということだ。

 

日本の東京近辺なら冬の寒い時期といっても日中零下になることはまずなく、冬に零下10度や15度になる中国の内陸部で練習することを思えばそれほど大したことではない。

しかし、身体というのはすぐに慣れてしまうもので、以前零下15度で練習していたような中国の人でも長い間日本で暮らしていると温暖な気候に慣れてしまい、久しぶりに本国に戻ると身体がついていかない、ということを聞いたことがある。

人間は楽な方向、安易な方向にはすぐ適合する。

 

私もパリにいた頃零下5度くらいでも練習していたが、日本に戻ってきてから暖かい冬に慣れてしまったよう。昨日、一昨日のように、気温が2,3度で風が吹いているとかなり寒く感じて、ちょっと外に出るのが億劫に感じたりする。しかし、練習をすれば温かくなるし、屋外での練習後の爽快感は屋内練習の比ではないので、やはり外に出て練習する。

寒ければ衣服を着れば良いのである意味では暑い夏よりも練習は楽。

ただ、昔から、「手袋はしてはいけない」と師父から言われていて、気温が低く風が吹いているときは、一言、手が辛い!。フランス人の中にはは師父の教えを無視して手袋をしている生徒もいたが、私はそうもいかず、1年目、2年目の冬は手の凍えに随分苦労した覚えがある。

 

練習1年目に「何故手袋をしてはいけないのか?」、と師父に聞いたことがある。その時の答えは「顔と手くらいしか外気に接していないのだから」というものだった。私はその時それ以上詰めて聞かなかったし(その頃はまだ片言の中国語だった)、それ以来再度聞いたことはないのだが、この正月、練習に行こうと家から外に出てたとたんに身体が内側から大きく呼吸しようとしているのを見て、「ああ~、そうかー。」、と分かった気がした。

 

身体はとても敏感で、皮膚が一部分でも外気に接すると、自分が”外”にいるのをキャッチする。室内の空気と屋外の空気は、例え温度が一緒でも、身体はその空気の違いを瞬時にキャッチする。新鮮な空気、澄んだ空気、酸素の多い空気、等の場合は、身体は安心して開こうとする。逆に濁った空気、淀んだ空気、二酸化炭素の多い空気、等の場合は、身体は自然の閉じようとする。それは私達の頭のなすところではない。身体が自動的に皮膚というセンサーを通して行っている。

 

冬でも手袋をしない意味は、手の皮膚を外気にさらしておくことで外界の気をキャッチしながら身体を外界に適応させていく能力を高めるのだというのが私の理解。

このように練習することで自律神経の働きや免疫力も高まるはずだ。

大木は屋外で様々な気候や天候を経験することによって作られるが、これは人間も同じこと。

 

太極拳の練習では、「先天の気を刺激して動かす」ことがとても大事だ。

先天の気は誰でも蓄えているが、脳と一緒で、ただ放っておくと不活性なままで使えないまま終わってしまう。かと言って、ただやみくもに動いてもエネルギーの浪費になってしまう。そのあたりを研究して編み出されたのが太極拳の練習だ。

太極拳の練習では、静功(站樁功、坐禅)→動功→太極拳、と手順を踏んで行っていく。それは、静功で先天の気を”刺激”し、動功でそれを”動かし”、太極拳でそれを”全身に送り拡散させる”ということだ。

先天の気が動くと、急に身体の奥の方からエネルギーが湧きあがってきてスイッチが入ったかのようにがんがん動けるような感覚になるが、そのような感覚を経験しやすいのは断然、冬の寒い日の練習だ。過酷な自然条件に立ち向かっていく、という態度自体が先天の気を刺激し動かす作用があるのだと思う。

寒い時には寒い時の練習がある。

身体の中に気(エネルギー、力)を蓄え、その蓄えた気が動くのを経験できれば、練習が一段と面白くなること間違いなし。

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3月4日(土)にパネリストとして参加しました。
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2012/3/20

日本養生学会第13回大会で研究発表をしました。

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