2012年7月

2012/7/29

 

公園で練習。

公園への行き帰りの道は暑いが、いったん公園に足を踏み入れると、木々のおかげか、涼しく感じる。身体が開いて空気を吸い込む体勢になるのも分かる。

今日は風も少しあり、木陰での練習は心身開放される。暑い中出てきた甲斐があった・・・と思うのは私も生徒さん達も同じよう。

 

今日は男性の生徒さんが二人いた。

以前ある女性の生徒さんから、私が男性相手に教えると、女性相手の時よりも要求が高く、厳格になると指摘されたことがある。(だから、新入りの男性生徒さんが続かず、逃げてしまうのよ~、と言われた。)

確かに、無意識的に、男性ならこのくらい大丈夫だろう、という感覚があるよう。

どこかで、やはり、男は強くあるべし!というかなり保守的な意識があるのに気付き苦笑してしまった。

今日の男性生徒さん達はとても真剣で、コンスタントに練習に参加している。毎回新しい課題、新しい身体の使い方を発見し、一歩一歩、ゆっくりだが確実に進歩しているのが分かる。時に息子を育てる母親のような気持ちがしたりするのは何だろう?そのうち立派になって巣立っていけばよい・・・みたいな?

 

さて、最近中国のサイトである若手の楊式太極拳の先生(汤鸿鑫老師)のことを知った。

その先生が作っている3D教材が興味深く、早速連絡をとった次第。

サンプル画像で面白いものがあるので下に貼り付けます。

説明はここではしません。図を見て理解できるか・・・見て下さい!

 

2012/7/27 <夏の練習:「開ける」「流す」>

 

ここ数日はうだるような暑さ。

今年は7/22から8/6までが大暑のようだから、暑いのが当たり前。暑さのピーク。

8/7には立秋を迎えるから(といっても秋風を感じるのはお盆過ぎのような気がするけど)、もう少しの踏ん張り時!

 

この時期は汗をかいて、身体の中の老廃物やら何やらいらないものを排出する。体力が少々落ちるが、ここは”出す”に限る。ここで出さないと、冬の”溜める”時期に苦労する。

冷房の効いた室内でずっと過ごしていて体調が悪くなるのは当たり前。

巷では熱射病の危険性が叫ばれているが、だからと言って涼んで水分ばかりとっていてはいけない。

 

昨日、今日と教えるのはお休みにして、自分の練習をする。

室内で窓を開け放って1時間半のタントウ功。最近生徒さんを教える方に時間をとられて、ちゃんと集中して立てていなかったので、この2日間は思いっきり集中して立つ。

夏の自宅練習は全裸が基本。最初は抵抗があったが、慣れると衣服があるなしで、どれくらい身体の開放度が違うかが分かる。子供が裸で走りたがるのがよく分かる。

”心身ともに全部開放!”、というのは大人になるとなかなか経験できなくなる。うちの娘は「また裸~?!」と呆れた顔だが、せめて暑い夏、家でいる時くらいは開放感に浸りたいもの。

 

タントウ功の時に自分の身体がどうなっているのか、どう変化しているのかも時々目をあけてチェックしてみる。鏡も使う。右の膀胱経を通すことを意識。膀胱経は身体の背面を頭から踵まで走る左右の縦の経絡だが、これは最も長い経絡でその経絡上にあるツボの数も一番多い。

これは身体の陽面(背面)を使う際の要の経絡になる。

そして仙骨には4つの孔があるが、膀胱経はその4つの孔とその横にある4つのツボ、そしてその外側の2つのツボ、合計10個のツボを含んでいる。

仙骨あたりに何故こんなにたくさん?

その意味、重要性が最近やっと分かってきた。

タントウ功をしていると、ギシギシと仙骨あたりが緩んで関節が開いていく。時にはガクッと落ちる。すると、お尻の可動域が大きくなる。

お尻の可動域が大きくなると、そこから、背中や太腿裏のまだ意識したことがなかったような場所が使えるようになる。膀胱経の長い線が次第に使えるようになってくる。

ヨガのテキストの副題で「How to open hips」というのを見たたことがあるが、「お尻を開く」のは身体を開発する上での土台となる(Hipにはお尻も腰も股関節も含まれている)。ここが開かなければ、末端をいくら開いても力は届かないし、逆に末端だけを開くことは末端を傷めることになる。(例:股関節が開いていないのに、無理に膝を外旋させようとすると膝に負担がかかり膝を痛めることになる。)

 

このような”開ける”練習は夏が最適。冬はなかなか開かない。

 

また、今週屋外で生徒さん達と練習をした時に、生徒さん達が汗びっしょりになっていたのに、私がほとんど汗をかいていないため不思議がられた。

確かにタントウ功の時は汗がでるが、動功や太極拳の套路を練習している時はほとんど汗が出ない。もしくは少し涼しくなる。

これは夏の暑い日の練習の時には、すべて、即ち、意識、気、血液、力などを ”通す”ように動いているから。

力をこめず、すべて流す。凸凹がないような動き。

中国語で『結』というと”結び目”とか”わだかまり”を指すが、身体や心、意識の中に”結”を作らないように意識して動く。

これも夏に最適の練習。

 

このような練習をして日常生活に戻ると、面白いことに気付く。

焦ったり、力を込めたりと、自分の心や身体に”結”ができた時に汗が噴き出る。

歩いていても、周囲のせかせかに自分を同調させず、王様のように、ゆったりと、意識を身体に置いて、身体に意識がついていくようにすると、それほど汗がでない。

しかし逆に、あそこに行き着かねば、と、意識が先走りしてそこに身体がついていくようになると、汗だくになる。

 

意識と身体が合致する、というのが太極拳の約束事。

通常は「意識が身体を導く」が、この二者の間に距離がありすぎると緊張を生んでしまう。ほんのちょっとだけ先に意識が動くがほとんど両者は一致、というのが正しいのかと思う。

でも、私の経験上、知らないうちに成し遂げていた、という最上の時は、「身体が意識を導く」状態、もしくは「意識が意識できない」状態だった。

最高の境地が「無心」とか「無為」と言われるのはそのあたりのことなのかしら?

意識の勉強は始まったばかり。

 

下は膀胱経の図。

この上下の線が弓のようにハリがありしなやかに使えるようになるのが理想。

子供のうちはこの線がよく使えている(身体の前面の力よりも背面の力が強い)。

しかし大人になるにつれ、この線がところどころで断ち切れ、一本の太い線としては使えなくなる。前を歩く人の後姿から、そんなことも分かる。

 

 

2012/7/23 <会陰の引き上げ>

 

今日は声楽家を集めた特別クラス。うち男性が3人。初めての参加だった。

その他の女性生徒さん達は何度か私のクラスを受けている人達。

いつもの通り即興のプログラムで身体をいじっていく。

 

普段腹式呼吸を心がけている声楽家だが、頭で分かっていても、いざ実際に身体を使うとすぐに胸を使ってしまう人が多い。中には顔を上に上げてしまっている人もいる。

そこで、発声をしながら腹に息を落とす練習をする。

息は気でもある。普段の太極拳の練習では声を外に出して気を落とす練習はしないが(心の中で発声することはある)、実際に声を使うと気の動きが良く分かる。

男性生徒さんの腕を下に下げながら、発声とともに気を胸から腹に落とす練習をしてみる。

「ハー」の音の最後の「アー」の音を残し、徐々に音程を下げていく。低音になればなるほど気は下に落ちる。これが最低音、というところまで落としてもらう。気は臍下まで落ちている。そこで、もう一歩。更に音程を低くするよう要求する。とても意識的に頑張って発声してくれた・・・最後の低音の時は気は骨盤底まで落ちている。そこが「底の音」。

 

人間の身体は楽器で、縦笛の構造にも似ている。低い音を出す時は身体の底の方で音が生まれる、高い音の時は身体の上部で音が発するようになる。しかしいずれの場合も、音を生まれさせるためのエネルギーは、会陰を引き上げることで生まれてくる。

 

会陰を引き上げた時に生まれる力は、身体を上に引き上げる力で、ジャンプする時などは、脚力と合わせてこの力を知らずしらずのうちに使っている。

たまに練習で、坐禅をさせて、その形で上にジャンプしてもらうが、その時注意して身体をみていれば、ジャンプの準備のためにまず気(力)が会陰まで落ち、そしてジャンプの瞬間にそこが上に引き上がるのが分かる。

歳をとるとその会陰の引き上げ力が弱くなるし、疲れてもその力が弱くなり、脚がドロドロと重く感じられるようになる。また会陰を引き上げていない身体はどこかしまりがなく、だら~としている(最近の若者に多い?)。

 

と、声楽家の男性にそのような会陰の話をさら~としたら、「会陰ってどこですか?」「それは何の話ですか~?」とクエスチョンマークだらけになってしまった。

 

『提会陰』とか『提肛』というのは太極拳を学ぶ上で最も大事な身体の使い方の要領の一つだが、これは別に太極拳のための要領ではなく、人間の身体の使い方のとても大事な要領でもある。

重い内臓は骨盤底が支えているが、そのあたりの筋肉を上向きに引っ張りあげるには会陰や肛門が上に引き上がっている必要がある。意識していれば癖になるが、意識していないと、知らず知らずのうちにそのあたりが弛緩して、内臓が下がってきたり、失禁が起こったり、身体にしまりがなくなってくる。

身体にピリッとした感じがあるのは、会陰を引き上げることで『精』が刺激され、それが腹で『気』になり、さらには眉間の辺りで『神』になるから。『精→気→神』というのは気功法の基本だが、中国語で「元気がある」というのを「精神がある」と表現するのも、身体の最も下の部分で生まれる『精』が眉間のある頭部まで上昇し『神』となれば、目も輝き身体全体が活き活きとするからなのだろう。

 

会陰を引き上げる、という要領は男性の方が分かりずらいようだ。女性は膣があるので、そのあたりの筋肉の操作で案外簡単に感覚を掴むことができるよう。産後のママ達がすぐに感覚をつかうのもそのあたりと関係ある。

男性は陰嚢と肛門の間の凹んだ場所。ただ、ここを引き上げようとして、身体が強ばったり肩が上がってしまっては元の木阿弥。男性の場合は特に注意が必要。私の師父は男性生徒に対し、站樁功で身体がほぼ完全に「松」(脱力)の状態にできるようになって初めて会陰の引き上げを教えるが、これも会陰の引き上げによって「松」ができなくなるのを避けるため。

 

太極拳の練習では折に触れ矛盾するような対立する力を利用することを学ぶ。陰陽。これもその一つなのだろう。

 

身体を自然に保つ、即ち余計な筋肉の力を使っていない伸び伸びとした身体であるためにには、まず、四肢が重力に逆らわず地球に向かって下向きに引っ張られていているような感じがあり、その上で胴体のど真ん中のラインが上に引き上がっていることが必要。これで下向きと上向きのベクトルのバランスがとられている。

上肢の『沈肩』『墜肘』、下肢の『松胯』『曲膝』などは皆下向きのベクトルを作る要領。

胴体の『提肛』『提会陰』、『舌貼上顎』、『頂勁』(頭のてっぺんに力が達していること)などは上向きのベクトル。しかし上向きのベクトルを作る大元は会陰や肛門の引き上げにある。

 

このあたりの練習は焦らずゆっくりやることが肝要。

 

 

2012/7/21 <太腿の裏側の筋肉「ハムストリングス」を使う>

 

この数日少し涼しくなり練習がしやすい。

でもせっかく夏対応の身体になりつつあったところに、逆戻り。少し身体の開きが悪くなったかもしれないと思いながら連日生徒さん達を教えている。

 

1,2か月前に練習を始めた生徒さんが数人いる。

誰でも最初に突き当たるのが、站樁功の時の太腿前面の痛み。

これは大腿部の前面だけに身体の重さをかけてしまっていて、太腿の他の部分、即ち、裏側、内側、外側がつかえていないことに起因する。

 

日本人の歩き方はきっと世界中で最も歪でおかしくなっているといっても過言でないと私は思う。ちゃんと膝裏を伸ばして歩いている人はめったにいない。大体は着地の際に膝を曲げていて、歩行の間大腿部の前面しか使っていない。たまに公園で遠目から見て良い歩き方をしている人がいるなぁ、とよく見てみると、これまでの経験では皆外人。前に振り出した脚の膝裏が伸びて踵から着地し、体重が踵からつま先に移動するに伴い前進する、そんな単純な動きでも、きちんと行うには太腿の筋肉を全て駆使して行わなければならない。それには、身体の陽面(背中側)である、背骨、腰、お尻、太腿裏、ふくらはぎ、アキレス腱、踵に対して、かなり意識が通っていることが必要になる。

 

しかし、人間の眼は身体の前面にあり、しかも前を向いているから、通常、身体の陽面(背中側)の意識は身体の陰面(腹側)の意識ほど開発されていない。目に見える、顔や腹や太腿前側などには意識が行き易いが、後頭部や背骨、おしり、かかと、等の鏡を使わなければ見えないような部分は意識が届きづらい。

身体の陽面はパワーの源。ここの開発なくしては身体を全体的に使うことは不可能。

 

太極拳の練習で初心者のまず最初の課題は、身体の陽面の開発になる。

命門のツボを開けるのが第一歩と言われるが、その練習と同時に太腿裏側(ハムストリングス)を使って立つことも練習していく。

 

站樁功の時の太腿前面の痛みから始まり、それをどのように回避するか?という模索を通じ、太腿の裏側や別の部分を使えるということを頭で理解する。頭で理解してすぐに使えるようになれる人は稀で(私も含めてそんな人はまだ見たことがない!)、どうやれば実際に身体がそうなるのか、と試行錯誤し、股関節の開き度(緩み)に問題があることを知り、徐々に開きながら、太腿の使える部分を増やしていく。

 

先日100m世界記録保持者のウサイン・ボルト選手の身体をテレビ番組で見たが、そのハムストリングス、お尻、引き締まった腰は美しかった!思わずビデオを一時停止して彼の筋肉に見入ってしまったほど。(もちろん、日本人の身体はどう鍛えてもああいう風にはならないだろうし、太極拳で作り上げられる身体とは随分違うし、養生の点から見れば少し問題もあるのだろうが・・・単に個人的に好きな身体!)

 

話が思わず逸れたが、ハムストリングスが使えるためには、お尻(尾骨)が少し上がっていなければならない。日本人は黒人に比べてお尻が下向きだからよけいハムストリングスが使いにくいようだ。

お尻は歳とともに下がってくる。子供にはお尻がプルンと上向きの子が多いが、加齢とともに下を向いてくる。これは動物も同じ。犬でもおしりを見れば年齢が分かる。産後のママのクラスで、多くのママ達が、出産後にお尻が下がったことを指摘していた。そのため太腿の裏側の筋肉(ハムストリングス)が退化してしまっていて、「太腿がお尻化してしまいました~!」と表現するママもいたほど。

 

ハムストリングスが使えるようにするために私もいろいろなアドバイスや練習方法を考えている。

まずはお尻の先(架空の尻尾)を上げる練習。身体を90度に倒した状態でお尻を上げたり下げたりして、ハムストリングスが伸びたり縮んだりするのを意識する。

前屈してハムストリングスを伸ばし、少し引っ張られる感じを残しながら、徐々に上体を起こしてくる。完全に上体を起こしたところでもまだハムストリングスが使えているようになればシメたもの。

動く練習方法では、四足で歩いてみるとか蛙飛び、雑巾がけの動作などがあるが、ハムストリングスの使えない人は、腰を高く上げてしまい、やはり太腿の前面で歩いてしまうのでなかなかうまくいかない。本当は、背中が床と垂直になったまま、お尻の先がちょっと上に向いているくらいでないと太腿の裏で蹴ることはできない。

なかなかきれいにできる人がいない・・・私の娘を含め、最近の子は学校で蛙飛びも雑巾がけもしないようで、若い頃から既に足腰の使い方が退化しているようだ。

 

正しい雑巾がけの仕方の動画はないものか、と探していたらこんなギャグの動画がありました。

・・・競輪選手なら、ハムストリングスを使うのはお手の物!

 

2012/7/17

 

今日は暑かった!

ゆるゆるとした練習だが、腰や臀部の骨やスジが一段と開くのが分かる。

夏の練習は「開く」!

秋までにもう一段身体を開くのを目標に練習している。

とりあえず私の目標は、180度左右に完全開脚で、脚を開脚のまま後ろに抜けるようになること。站樁功や坐禅の時も、その開脚を意識してやっている。お尻はまだまだ開く余地があるのが分かる。

仙骨の上にちゃんと腰骨が真っ直ぐ立つ感覚がはっきりした。

ここが原動力の源。かなり後ろ。確かに背骨は身体の随分後ろ側にある。

「抜背」の要領は、頸椎から尾骨までが牽引されているかのように、脊椎一つ一つの間にちょっと隙間ができることと実感。これは気持ちいい。

馮志強先生が太極拳は一人でやるマッサージだ、と言っていたのが分かってきた。

夏には夏の練習がある。その時その時の季節を満喫した練習が可能。

 

以上は個人的な練習の感想。

夏は体調を崩す生徒さんが多いので、夏の養生法について中医学の古典『黄帝内経』を参照し、コラムにまとめました。

簡単なまとめですが、是非目を通してください。

古来から、言うことはずっと変わらず、です。 

ただ、簡単で単純なことほど、なかなか実行できないのが、人間の性かしら?

 

             ★コラム「夏の養生法(黄帝内経より)」はこちら から

 

 

 

2012/7/15 <夏の練習についての雑感>

 

ここ数日かなり気温が高くなってきた。普通に生活していても汗が出てくる。

昨日は午前、午後と室内での練習。

多少冷房が入っているのだが、站樁功をするとジワジワ身体の中から汗が出てくる。

それも丹田に気が集まるよう、ちゃんと正確に立つと、より汗が出てくる。

一人の男性生徒さんの立つ姿勢を直し、丹田に力が集まったところで静止させ、そこでしばらくじっとしているように言う。ほどなく、その生徒さんが、「なんでしょうね、この汗。背中の方からじわじわ流れています。」とコメントを発する。

站樁功の後、みなで動功をする。すると、もうそれほど汗は出て来ない。

 

「なぜ静止しているとあんなに汗が出て、動くと汗がでないのだろう?」と不思議そうな生徒さんもいる。

 静止して丹田に気を溜めている状態は、身体の中で発熱させている状態。身体の外枠を丸く閉じているからエネルギーが外に漏れない。だから身体の中が熱くなりそれが汗となって外に出て行く。

 一方動いている時は体内の気が筋肉などの運動に使われて消費されている。体外に気が散じていくため、それほど汗はでない。もちろん、これも動功のやり方による。ゆるく気を流すような動き方なら汗は出ないが、丹田で気を煉りながら動けば、体内で発火させているため汗がでてくる。そして丹田を煉らない外枠(筋肉や骨)の動きでも、ある一定の線を越えれば熱を発して汗となって出てくる。

 

 太極拳では体内の気を逃がさないことを特に重要視する。

 夏は季節がら汗をかくのが正常で、汗を出すことで体内の熱がこもらないようにするのだが、汗とともに気も逃げてしまうので、そのあたりの調整が必要。炎天下で走り回るようなことはこの歳になれば普通しないが、必要以上に汗をかくと後の疲れがはなはだしい。気持ちよく汗をかく、という程度が良いはず。要は、なんでもバランス、「中庸」が大事。

 

 今日の練習は屋外。杉の大木で囲まれた日陰は真夏でも爽やかで、汗もそこそこにしかかかない。実はそこに辿り着くまでの駅からの道を歩く時の方が汗を多くかいてしまう。

 日本の夏の練習は冬よりも大変だと思うが、ちゃんと練習に参加してくる生徒さんを見ると私も頑張ろうという気になる。そして少しずつでも太極拳の核心に当たる部分が生徒さんに伝わっていっているのを見ると、何とも言えない嬉しさや充実感を感じる。

 日本に戻ってきたばかりの頃は、人に教えるのをとてもためらったが(自分一人で練習したかった)、今になってみると、人を教えることでどれだけ自分自身が学んだか計り知れない。生徒さん一人一人が私にとっては良い研究材料になっている。人の身体は千差万別。だけども、同じ構造の身体。身体のメカニズムは合理的、科学的であるようだが、身体自体の神秘もある。

 

 気功や太極拳の練習は究極的に身体の一つ一つの細胞にまで意識を通すのを目標とするが、その「意識」とは何か、ということを考えると太極拳の練習はまた一つ奥に深まることになる。

 「意識」が「身体」に与える影響は計り知れない。

 「寒いのは嫌い」とか「暑いのは嫌い」とか、「犬は好き」とか「嫌い」とか、人間には様々な好き嫌いがあるが、好き嫌いという単純な気持ち一つでもそれが「身体」に影響を与えてしまう。

 ある人の体験談で、子供の頃から「肉は食べてはいけない不浄なもの」と教えられてきて、大学の合宿で初めて肉を食べた時、真夜中に腹痛に悩まされ死ぬ思いをした、というのがあった。しかし、彼は、一緒に肉を食べた彼の友人達は何の問題もなく横ですやすや眠っているのを見て、なぜ自分だけがこのような思いをするのか、と悔しい思いをしたそうだ。これはまさに彼の「意識」が引き起こした身体の反応。

 私達の身体はそのくらい敏感に「意識」に反応する。

 

 「身体」を操作できるよう、「身体」が無意識で勝手に動くことのないよう、「意識」が司令塔となって身体全てを御せるように訓練していく。これは普段の生活で訓練できること。常に「意」を外さず生活する。これは最も単純そうで、最も難しい訓練。これが「坐立行臥(座っても立っても歩いても寝ても)不離練功(練習から離れない)」という意味。

 夏は気を引き締めて生活しないと、すぐに体調不調になる。(例:無意識的に冷たいものを飲んだり、無意識的に冷房に当たったり、無意識的に夜更かししたり・・・。)

 このような過ごしずらい季節ほど、「意」を使って「身体」を躾けていかなければならない。

 

 

 

2012/7/11 <乗馬、『左右の坐骨と恥骨のトライアングル』>

 

最近練習を始めた新しい生徒さん達の中に一人、最初からタントウ功の姿勢がとても良い女性がいる。

普通はなかなかタントウ功をしても、ただ太腿の前側が痛いだけで、正しい場所に重心を見つけられるまでにしばらく時間がかかるものだが、彼女の場合は、第一回目からかなり良いバランスで立っていた。

一体これまで、何をしてきた人なのだろう?何のスポーツ?

好奇心ありありで尋ねてみると、「大学時代に乗馬クラブにいました!」との回答。

 

「坐骨を鞍に当てて”でっちり”のようになりながら、でも腰は少し前に締めるような要領がとても似ています」とタントウ功の姿勢についてコメントしてくれた。

私も頭の中で乗馬を想像。ああ、確かに身体の使い方、特に腰から下はそっくりだ。

だから、あの立ち方を「馬歩(マーブー)」と言うのよね、と、当たり前すぎて深く考えていなかったことを改めて考える必要性を認識した。

 

太極拳の要領の「圓襠(丸い股ぐら)」というのも、馬の背中の幅はかなりあることを思い起こすと、かなり股ぐらを開いていなければいけないのが分かる。左右の内股関節間の距離が引き伸ばされて最大の長さになっている。そしておしりは桃のようにぱかっと割れ、内腿で馬の背中を締めている。

 

馬に乗る要領を少し調べてみたら、「お尻の左右の坐骨と恥骨、3点のトライアングルの中心に重心がくるように乗る」という言い方もあった。・・・ここにいう「トライアングルの中心」とはまさに会陰。会陰に乗るようにすれば、頭までが真っ直ぐに立つ。なるほど、全く同じだ。

タントウ功では股間が宙に浮いているので、なかなか「坐骨と恥骨のトライアングル」を意識しずらい。しかし馬に乗る際は、股間のまさにその3点が馬の背に密着し、そこと腰の微妙な動きで馬を御すことになる。まさに下丹田と中丹田の力が馬の動きを決定する。

 

タントウ功を練習する際に、少し馬にパッカパッカ乗っているようなイメージをすると、上半身が緩み、腰が柔らかくなり、中丹田(臍下)や下丹田(会陰)に意識が集まるのではないかと思う。(本当に少しそのように動くのも効果的だと思うが、人に見られると少し恥ずかしいかも?)

 

私は残念ながら、メリーゴーランドの固くて狭い馬の背中にしか乗ったことがない。近い将来、どこかで本当の馬に乗ってみたいもの。

 

2012/7/9 <「松」をまた違った角度から考察する>

 

昨日、今日と自分の練習をする。

普段生徒さんを教えている時に自分も動いているのだが、やはり自分の身体にはあまり集中できていない。気が付くと、自分の身体の”誤差”が大きくなっていたりする。師父が毎日見てくれていた頃とは違い、今は自分で自分の調整を自分なりにしていかなければならない。たまに一人で家にこもって、鏡を見たり、文献を見たり、いつもの練習メニューと違うことをするようになった。

 

太極拳に関する中国の書籍や文献の量は日本の比ではない。

日本では24式や48式のような套路の説明をした太極拳の本がメインで、中国で見るような内功の本や、太極拳の要領を深く論じた本、技の本、太極拳的養生の方法に関する本などはまだ多くない。

 

今日たまたま目にしたのは「松(ソン):力を抜く」に関する簡潔な記述。「松」に関してはたくさんの文献があり、この題目だけで本が一冊かけてしまうのではないかという程、深い内容なのだが、今日読んだ論文は通常目にする哲学的な議論ではなく、より科学的に説明されていて、とても良く理解できた。

 

その要点を紹介すると以下のようなもの。(汤鸿鑫老師による武術教材より)

 

1.<上肢、下肢、胴体の各部分の関節を放松する必要性>

 まず、人が「松」の状態にある、という大前提は「身体が松であること」。そして「身体が松」であるためには「関節が松、即ち、緩んでいる」ことが必須となる。

そこで、関節を緩める訓練が必要となるが、それは上肢(腕)→下肢(脚)→胴体(背骨、骨盤)の順番で難しくなる。

 私達は関節というと四肢にある関節をすぐに想像するが、「背骨」や「骨盤」をゆるくすることが非常に大事である。(ここでそれぞれの部分を緩める興味深い訓練方法が紹介されていた。)

2.「松」にはどういう意味合いが含まれているか?

①平衡(バランス)

 真っ直ぐ立っている人と、傾いて立っている人を比較。

地面に対し垂直に骨組みが積み上がっていれば、それほど力を使わなくてもバランスをとっていられる。他方、傾いて立っている場合は、バランスをとり続けるために余計な力を使わなくてはならない。

 つまり、骨組みの配置が正しければ余計な力は使わなくてすむ、即ち「松」に近くなる。

②全身の協調性

 上肢だけで100キロの石を動かそうとするよりも、上肢、下肢、胴体を同時に協調して用いれば、相対的に力を使わず同じ仕事ができる。

 つまり、全身を協調させて使えば、相対的に「松」の状態に近くなる。

③血液と神経が素早く滞りなく流れていること

 血液は身体にエネルギーを与え、神経系統は身体に正確な信号を送る役割を担う。

これらがうまく流れていることが「松」の大前提。

 身体にエネルギーが不足していれば、「軽く」動くことはできない。また、神経系統に不具合があると、身体に強ばりが出たり、不必要な力が出て「松」は不可能になる。

④伸び伸びと開いていること。

 筋肉が萎縮せず、伸び伸びとしていて、全身の各骨と骨の隙間、関節と関節の隙間も少し引き伸ばされたようになっている。(首の牽引の時に骨と骨の感覚が少し開くようなそんな感じ。このような感覚が背骨や肩、肘、など、全身の関節に起こる。これにより、体内の気やその他の液体(津液)、血液などの流れがよくなる。)

⑤能力の範囲内であること。

 100キロのバーベルを挙げられる人が50キロのバーベルを上げるのはそれほど力がいらない。しかし、120キロのバーベルを上げるにはものすごく力がいる。

同じ人が訓練の結果、200キロ挙げられるようになったとすれば、120キロのバーベルでさえ、軽く挙げられる。

 つまり、自分の能力を高めれば高めるほど、「松」でいられるようになるということ。

 

 ざっとこういうものだが、私にとっては最後の⑤の「能力を高める」と「松」の関係の話が、なるほど、と興味深かった。

 ボリショイの私の好きなバレエダンサーOsipovaの練習をテレビで見た時に、脚の前後開脚は、地面と壁を使っての270度(!)開脚だった。実際ステージの上で270度の開脚をすることはないのだが、これだけ開けると、ステージ上でジャンプして開脚した時に余裕で(即ち「松」で)180度の開脚ができる。肩関節も完全に360度回っていた。

これだけの基本功があるからこそ、彼女はあんなに軽々と踊れるのね、と感心したもの。

 太極拳で対練においてても、”「松」できた者が勝つ”と言われる。最初はなぜ?と疑問を持ったが、反対から見れば、「力を抜ける(松ができる)」ということは、相手との比較で既に実力が上ということ。能力がより高いと力が抜ける。五分五分ならそんなに力は抜けない。

 

 太極拳の練習においては、冬の一番寒い時期(三九:冬至以降の3×9日の27日間)と夏の最も暑い30日間(三伏:夏至のあと3番目の蚊の庚の日から30日間、今年は7/18から30日間)は必ず練習しなければならない、と言われる。これが何故かは師父に尋ねたことはないが、一番寒いのと一番暑いのを克服できれば、その他の時期は「松」で過ごせるのかもしれない。

 私自身は昔、寒いのが本当に苦手だったが、パリで-8℃くらいで練習をした経験が自信につながり、今では零下にめったにならない日本の冬は楽勝!になった。

 これから暑~い夏になるが、うまくこの季節を利用して身体の適応能力を高めるようにしたいもの。

 太極拳を練習する第一の意義は『生命力』アップ!全てはここにつながる、と再認識した次第。

 

 

  おまけ:久しぶりにバレエのことを思い出した。すぐ下はOsipovaのダイジェスト。ジゼルの最終幕の亡霊なって飛ぶところもすごいです。これこそ「軽松(チンソン)」!このような体重を感じさせない軽々とした身体の動きのを裏には、ものすごい訓練があるのだろうなぁ。

なお、ジゼルの動画は

http://www.youtube.com/watch?v=VzdOBx_cRvE&feature=results_video&playnext=1&list=PL693D679F9A3D54DD

2012/7/4 <聴力、お手本はイルカ、そしてイップス>

 

昨日、今日と公園で練習。

 

 昨日はベテラン4人組+最近入った生徒さんで、とても自由な練習。

少しずつ推手も取り入れ、自分の力、相手の力が実際にどう使われているのかを、『聴く』練習を始めた。

 相手の力を読む(感じる)力を『聴力』という。

「感じる」ことは「聴くこと」に似ている。決して「見ること」ではない。

 実際、相手の手首に接する自分の手首の感覚に全神経を注ぐとき、かえって目をつぶった方がその感覚により集中できる。もし目を開けていたとしても、その時目の奥は耳の奥、言うなれば脳の奥(後頭部の方)を指している。

 

 私自身の感覚では、目の奥を後ろに引っ張っていき、両耳をつなぐ線と交差した辺りに神経を軽く集約させると、一気に下の丹田のあたりと感覚がつながる。すると頭と丹田(下腹部や会陰)の距離がとても短くなり、入静が深ければ、しまいに頭と腹が一つになってしまう。

 この現象を少し調べて見ると、感覚を研ぎ澄ませる際に無意識的に集中する点、即ち、「目の奥を後ろに引っ張った線と両耳をつなぐ線が交差する点」は、脳の中の視床あたりのようだ(このあたりが上丹田)。視床は間脳の一部だが、大脳と脊髄と脳の他の部分を結ぶ電話交換台のような働きをしているという。

 とすれば、ここに意識を集めた時、それが脳幹、脊髄を伝わって丹田や会陰に届いたとしても不思議ではない。また、手などの身体の感覚が脊髄を伝わって視床に伝わったところを、「聴く」ことによってその感覚を掴みに行こうとしている身体の使い方にも納得がいく。

 

 人間は脊椎動物で、いろんなものをはがしていくと、私達の身体は脳と脊椎でできているような感じになる。これがまさに中枢神経を構成するのだが、脳と脊椎をつなぐ要の位置にあるのが視床のよう。だから、「目を後ろに引く」とか、「耳を澄まして両耳の通りを良くしておく」といったことが、気功や太極拳の練習の大事な要領として言われてきたに違いない。

 

 先日、「太極拳のお手本は魚」それも「海豚(イルカ)」ということを思い出したが、これには大事な意味がある。

 

 まず気付くのは、太極拳は「体」=「胴体」の力を強くすることを最重要視するということ。腕でも脚でもなく、胴体自体に力がなければ始まらないという態度。

 内臓は全て胴体の中に入っている。手足がなくなっても生きていけるが、胴体がなくなったら…有り得ない!手足はあくまでも胴体に付随したものという位置づけ。

 そして次に、スピードも方向転換も自由自在に、なめらかに動くことができる。「緩急」があり「柔中有剛」もある。これには背骨の強さ、しなやかさが必須。

 また、頭から尻尾の先までが「一つ」になっている。これは「周身一家」(全身一つ)で分断がなく、気が上から下まで「貫通」していることの現れ。身体全体が「一つの肉の塊」で無関節のようになっている。

 

 ここから、先日の「卓球と太極拳のコラボの会」で話題になった「イップス」という病気について少し思い当たることがあった。

「イップス」というのは、突然手が思いもよらない動きをするような症状で、ゴルファーや野球選手、卓球選手やピアニストなどによく見られるものだという。

 話によれば、案外多くの卓球の選手もこの症状に悩まされているとのことだった。

 

 ラケットでボールを打つ際、初心者の頃は慣れていないので、頭も体も総動員して、とても慎重に打たなければならない。しかしある程度慣れてくると、それほど頭を使わなくても、身体(腕)が勝手にボールを打ってくれるようになる。それは車の運転をし始めた頃は全身全霊で運転しなければならないのに、熟練の境地に達すると、おしゃべりしたり、電話をかけたり、はたまたテレビを見ながら運転できるようにまでなるのと共通する点がある。

 これは身体の末端が脳の力を借りずとも無意識的に反応してくれるようになったということなのだが、これが度を過ぎると、そのうち、末端が暴走して、脳の指令を聞かない状態に陥ってしまう。

 

 少し前のNHKの「ためしてがってん」で、脳梗塞の患者のリハビリがある一定の期間を経過した後まったく効果がなくなってしまう理由を調べていた。そしてその理由は、脳の指令が脳梗塞によってマヒした手足に届かなくなると、末端神経が脊椎との間だけでやりとりを始め、その神経回路が時間とともに定着、その後脳からたとえ指令が降りてきても、既に新しい神経回路が設立されてしまっていているため、脳の指令を受け取らなくなるとの話だった。(そして番組は、現在、末端の神経の指令を弱める薬があり、それを打てば再び脳からの指令を受けられるようになる!という朗報を伝えて終わった。以上、全て概略。正確さには多少欠けるかもしれません。)

 

 「イップス」は心理の問題とか、いろいろ言われていて治すのがやっかいな症状のようだが、上の番組の脳梗塞後の神経系統のやりとりと類似点があるように私は思う。

 脳からの指令を末端に伝えることを意識的に行い、脳からの指令があって初めて身体が動く、逆に言えば、脳からの指令がないところで勝手に身体を動かしてはいけない(貧乏揺すりはもってのほか!)、という練習を丁寧に日ごろから行うことが大事ということではないか。

 これはまさしく、太極拳の練習の根幹である『意到気到力到』、すなわち、意識があって初めてエネルギー(気)が動き、そして初めて身体が動く(力として現れる)、という三段階を意識した練習。だから通常、太極拳はあんなにゆっくり動く。無意識を許さない練習。指一本動かすにも脳からの命令が必要。

 このような「意識」を通すゆっくりな練習を日ごろしておくと、いざと言うとき無意識(身体のみの反応)で速く動いても、とても正確な動きができる(ピアノでも、超ゆっくりのピアニッシモ練習をしたりする。すると一本一本の指を意識的に動かすので、結果として指さばきのよい正確な演奏ができるようになる。)。

 

 ちなみに、「脳からの指令」は「丹田からの指令」と同義になる。練習で背骨に気を貫通させておけば、脊椎と脳がつながるので、「脳+脊椎」が広義の「脳(司令塔)」となる。身体全体が脳になる、といった比喩はこういう神経系統を練習によってつなげるところからきているというのが私の実感。

 

 話は「イップス」に戻るのだが、例えば卓球選手の場合なら、まずは、自分の身体を「腕のない」、魚のような身体とイメージして、両手を脱力してだらっとしたまま、しばらく立つ(卓球のレシーブの構えで、腕だけ体側に軽くつけて脱力しておく。)。そして自分の身体が背骨やお腹の力(胸や肩の力は使ってはいけない)だけで支えられているのを、よ~く味わっておく。

 そして次に動く時は、しばらくはラケットをもたず、同じように腕を体側につけて「腕のない」状態で、胴体だけで素振りをする。腕がないと身体の平衡感覚を得るのも難しい。

 実際、太極拳の練習もある程度進むとこのような「腕なし」練習をしたりする。「腕なし」、即ち胴体と脚だけで24式や48式を練習する。最初はなんだか恥ずかしいが、これをやると、下半身が更に強くなるし、丹田(お腹)の力をどう身体に届けるのか、どう腕に送るのかが次第に分かってくる。

 卓球であれば、これで脳(や丹田)の指令を肩先まで送る練習をしておく。そして最終的にラケットを持って打つ時でも、「腕なし」練習の時のように、胴体を意識して打つ。(ちなみに中国の卓球の国家代表チームはサッカーの練習をしているとのことだった。これも腕を使わない練習だ。)

 

 また、全ての動きに意識を通す練習としては、自分の意識がお腹(または頭)→肩→肘→手首と移動するのに合わせて、「肩、肘、手首」、と心の中でスウィングに合わせて小声でつぶやいてみるのも効果的。肩に意識が達したら「肩!」、肘に達したら「肘!」、手首に達したら「手首!」、とつぶやくことで意識(脳)と身体の動きを一致させる。

 まずは素振りでそのような練習をしてから、実際に球を打ってみる。でも、最初はできる限り、ラケットを持つ時間を短くした方がよいかもしれない。

 

 しかし、「なんといっても根本から治す最もよい方法はいつもの站樁功+動功ではないか?」というのが、過去にイップスを克服した経験のある卓球部の先輩の体験に基づくコメント。彼は短時間ながら仕事の間を見つけて毎日站樁功と動功を継続しているが、その効果は本人(や私?)が予想した以上だったようだ。

 その本人のコメントをここに引用させてもらうと、

「(自分が学生時代にイップスを克服するために実行した)『自律訓練法』は脱力するのみのためのものだけど、站樁功ほかはそれプラス正しい力を溜めるなどさらに一歩踏み込んだイップス解消法になりえると思う。学生時代これに出会ってたらもっと早く治せたのかなぁ…。」

 

 「正しい力を溜める」という指摘に私の方が妙に納得させられた。太極拳用語では、「正気」を増やすとか、「正気」を溜めるという。「気」や「力」にも正しいものと正しくないものがある。ゆがんだもの、力んだもの、強ばったもの、偏ったものなど、正しくないものを取り除いていき、正しいものを溜め、正しいものを正しく使う、というのが毎日の練習。

 

 

 と、最近考えたことをとりとめなく書きました。が、いろんなところに太極拳の要領、格言、練習方法が応用できるようで、私の頭の中はしばしグルグル~。 自分自身が何の練習をしているのか改めて考えさせられた。

 取りあえず一応頭の中にあったことを書き出したので、安心してまた頭の中を空っぽにしよう!

 

 下は私達の身体の中枢の絵。私達の身体、つまるところはこんなところ。胎児初期の、タツノオトシゴ時代を思い出します・・・。

 

2012/7/1 <身体の知恵、身体と遊ぶ>

 

今日はお休み。

実は、数日前のあの歌舞伎町でのコラボの会の帰り道から喉に違和感が出始め、翌日から身体がだるく風邪気味になってしまった。喉が痛く、声が枯れ、娘には「酒やけ?」なんて、私でさえ聞いたことのないコメントをされた。が、私はお酒をほとんど飲まないし、ただのしゃべり過ぎ、プラス、歌舞伎町での慣れない夜遊びで菌を身体に入れてしまったのだと思う。

 

私の平熱は36度3,4分だが、体温が36度6分に上がるとかなり風邪気味、36度7分になると”熱がある”感じ、36度9分になるとかなり重症でベッドで横たわらなければ・・・みたいな感じになる。 (しかし、38度超えると一転、ハイになるよう。)

主人や娘は私のそんな大げさな反応を無視している。主人は「37度代なら仕事にいくよ。38度5分を超えると休むかなぁ。」と言っていた。

 

 私は身体の感覚にかなり神経質な達だから、ちょっとした違和感でも我慢ができなくなる。衣類も化繊やチクチクする毛はダメで、幼稚園の時も母親に着せられたかわいいレースの下着を、幼稚園に着くなりトイレに行って脱ぎ、また下校前に着て家に戻っていたりした(母親をがっかりさせたくなかったのか、怖かったのか?)。それは今でも変わらず、Tシャツの首のタグも気になって仕方がないし、締め付ける服、下着もダメで、昔から本当は必要なかったのに義務感でつけていたブラジャーも、この練習を始めてしばらくしてつけなくなった。

 男性には分からないだろうが、ブラジャーは背中や胸回りをかなり締め付けている。これがなくなると、身体が開放されて背中で息ができるようになるのが分かる。同様の理由で、昔からタイツやストッキングはとても苦手。股間が気持ち悪いし、皮膚呼吸ができなくなるのが分かる。私は若い時のほんのひと時しか穿いたことがないが、あのガードルというのもすごい。なんであんな締め付けるものを穿くのだろう・・・と少し年配の生徒さんに聞くと、「先生、ガードルやボディスーツを着ないと肉がポヨポヨして仕方がありませんよ~。つけないと却って気持ち悪いです。」と言う。筋肉や骨の衰えをガードルやボディスーツが補っているのね、と妙に納得。じゃあ、それが必要ない身体を作りましょう!と言いたいところ。

 こう書いていくと、女性の身に着けるものは身体を束縛するものが多い。ハイヒールもなんて身体にとって不自然な代物なんだろう、と、どこかで纏足との共通点さえ感じてしまう。男性にアピールするのかしら?

 

 パンツも穿かなければどこまでが上半身でどこからが下半身か分からなくなる(注:たまに家では真っ裸練習もします)。上と下を分けていたのはこれだったのか!と、本来身体が上と下に二つに分かれるものでないことを実感。『周身一家』(全身は一つ)というのが簡単に分かる方法でもある。

  昨日、一昨日と赤ちゃんや小さな子供を連れたママ達のクラスがあったが、あの子達の身体の自由なこと!全身が一つになっていて、好きなように動いている。裸で走り回るのもなんの躊躇もない。そして見ていて自然でとても気持ちがいい。

 

 いつのころからか、人は自分の裸に自信がなくなっていく。

 「真っ裸で食事をしても恥ずかしくないような身体でいたいなぁ。」とずっと昔からそう思っていた。

 加齢とともに確実に身体は衰えていくけれども、その年齢なりのベストの機能を持った身体でいられれば良いと思う。それは別に60歳なのに30歳に見える、とか、そういう外見のものではない。私の感覚としては、青年期以降の筋力や内臓機能の下降速度をできるだけ抑えつつ、他方で、青年期よりもより感覚の研ぎ澄まされた、清潔で自然な、”賢い身体”を目指していきたいというところ。老人になった時に、赤ちゃんと同じくらい純真無垢な身体と心になれたらどんなに良いだろうと思う。

 

 太極拳は武術だったり気功法だったり、といろいろあるけれど、一番大事なのは”自然”と一体になること。『天人合一』とか言うが、人間の要素の中でその身体は最も自然に近い。いや、身体は自然そのもの。それを人工的な”心”や”意志”で操ろうというのがそもそも大きな間違いなのかもしれない。身体は自分の意志などお構いなく勝手に動いたりもする。しかしそれは身体に宿る大きな自然の知恵によるもの。人間の太刀打ちできないものだったりもする。

 

 この数日、自称”発熱”で、身体の中をずっと観察しながら、ずいぶん身体を労わった静かな生活をした。去年の秋の高熱の時(あの時は39.5度まで上がった!)にも面白い体験をしたが(一晩でほぼ平熱に下げたが、翌朝には身体がしょぼしょぼになった。体内の気が体内での菌との戦いに費やされたのが見て取れた)、今回のちょっとした体温上昇では、身体が内側から膨張し、外向きに骨が押し開けられていくのが分かった。ああ、身体が開いていく~、と寝ていても分かる。しかし、一方で、丹田に気を溜めるのがとても難しかった。体温が一度上がると×××、とか言う本があったが、一度も上がればかなりの違いが生じるだろう。

 たまに風邪をひくと身体がリセットされる。淀んだ気が発散され、また心機一転、やり直せる感じがする。ただ、気の量は減っているから、回復後は気を溜める練習を重点的にやる必要がある。

 こういう一連のアップダウンを含めて、身体に宿る自然の知恵の現れだという。

 

 身体は究極のおもちゃだと私は思っているが、川べりを散歩しながらふとフナに目を留める。「ああ、そう言えば、太極拳でお手本とする究極の身体は魚だった!」と、突然大事なことを思い出した気がする。

 四足動物の猿や馬もお手本になるが、太極拳を太極拳足らしめるシンボルは、あの太極図の中の陰陽魚(あの黒と白の勾玉の形のもの)。

 これはもう少しちゃんと踏み込んでやらねば!

 ・・・と話は次から次へと続くのだが、それにつれ、私の探究も次へ次へと続いていくよう。

 身体を使ったお遊びはエンドレス?

 

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3月4日(土)にパネリストとして参加しました。
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2012/3/20

日本養生学会第13回大会で研究発表をしました。

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