2024/11/20 <肘という隙間の操り方 節節貫通を目指して アイーン>
『肘』というのは太極拳の八法の一つだ。(太极八法とは太極拳の基本の八つの動き。
捋、挤、按、采、挒、肘、靠)
文字通り、肘技、エルボーだ。
肘技の練習をすると肩や胸、上肢の使い方が身についてくる。
すると、普通に拳で打とうが、掌でジーをしようが、相手の攻撃をリューで躱そうが、手を使う時に自然に肘、二の腕が使えるようになってくる。
逆に言えば、そのような練習をしたことがない場合、多くの確率で”肘”は使えていない。
”肘”が分からないまま太極拳を続けても、四肢運動に留まり、ラジオ体操の域を超えない。
まずは自分の手腕の使い方を見直すべきだ。
そして、肘、二の腕が使えていないのが気づくことが大事だ。
私自身は、自分が肘や二の腕が使えていないことを自覚するのに何年もかかった。師父は、しばしば、「肘のポンができていない!」と注意してくれていたのだが、その根本的な原因が自分の肘の意識がぼやけていることだと気づくまでに時間がかかってしまった。
それに気づくと、太極拳のパズルが解けてくるようになる。
ああ、そうだったのか〜、と他の部位についても同じような意識をもって見直すことになるのだ。
肘関節は比較的扱いやすい関節だから、ここでその要領を知って、理解してしまえば、それが、膝関節でも股関節でも、肩関節、脊椎の関節・・・どの関節でも同じ原理が適用される。そうやって、身体中の関節が連動して体は一つのまとまりとして動いているのだ、と『節節貫通』が理解できるようになる。(たとえ全身が貫通していなくても、この延長線上にあるのだ、とはっきり分かる)
三つ目は上腕骨と尺骨をともにお互いの方向に向かって近づけるように動かす方法。この方法が最も理想的だ。太極拳のリューもこの方法で引っ張る。(①の方法でリューをしたら、引っ張った相手が自分にぶつかって終わってしまう。②の方法でリューをしたら、相手を引っ張ったら自分が相手に衝突します。)
太極拳に多いジー(推す)のもこの3つ目を使う。推手も然り。大事なのは、いかにジー(推す)をするか=腕を伸ばすか、ではなく、ジーをする前に以下に腕を畳むのか(肘を曲げるのか)だ。肘が正しく畳めていないと、腕を伸ばして推した時に腕だけで推すような小手先運動になってしまう。それでは全く威力がないし、何のために太極拳の練習をしているのか分からない。太極拳の醍醐味は、胴体のポンプ運動が手まで到達することで得られる。そのためには③のように畳む必要がある。それができると、肩甲骨も起動し、前鋸筋も使われ脇の力、胸の力、腹の力、足の力、と全身が連動するようになってくる。
二の腕を使う、というのは、思った以上に難しく、しかし手を胴体化する要であるため、他のスポーツでも重要視されるところだ。二の腕の使い方が下手だと上半身のコントロールができないので、上半身が塊として下半身に乗ってしまう→脚にとって負担、股関節や膝に負担がかかる。
バレエでもポールドブラと言って腕の動きだけの練習がある。これも二の腕をちゃんと使えるようにする練習だ。その腕がないと、ジャンプもピルエットも、脚を高く上げることもできない。
腰の王子の「とんがりコーン体操」も肘を正しく曲げる練習だ。アイーン体操というのもある。志村けんは天才♪と王子がポロッと言っていたが・・・本当のアイーンはどうなのか? と動画を見たら、確かに、ちゃんと二の腕を使っていました。「アイ〜ン」と言いながらやると二の腕が伸びる。この口の形が二の腕を引っ張るみたい。いろんな顔や口の形をすることで連動がかかる・・・とはいえ、太極拳ではこんな顔はできません(笑)要領を掴んだら顔芸なしでできるようにすれば良いと思います。
2024/11/13
胸椎の可動性、これは太極拳では見逃されがちだ。
胴体を真っ直ぐに保つ、という単純な認識でいると、胴体はあたかも一塊の箱のようになってしまう。塊の胴体から四肢が生えているのはロボットだが、人間も老いていくとそのような体に近づいてくる。それに追い打ちをかけるような練習をしてはならない。
各々の脊椎と脊椎の間は関節で可動性がある。
関節は、一言で言えば ”隙間”だ。
この”隙間”を意識して動いていくのが太極拳だ。
筋肉や骨を意識して動くわけではない。
私の師を含め中国のマスターたちは筋肉や骨で説明をしない。経絡と穴位(ツボ)で指導をする。「命門を開ける」という「命門」もツボの名前だ。背骨でいえば、腰椎の2番と3番の間。つまり、「命門を開けろ」と言われたら、腰椎の2番と3番の間の隙間を開ける、広げるようにする。脊椎間にはそれぞれツボがあるから、全部を開けられれば、どの脊椎も意識的に動かせるようになる。そこまでいけば達人(腰の王子レベル)。
<以下、題目のみ。時間があれ後で書きます>
①骨と骨の隙間を見つけるには?
②その隙間を広げるには?
③頭を回す運動がチャンスー功の第一番目の練習として挙げられている。
それは何故か?
頭を横に向ける時に頚椎しか使わないのであれば、チャンスー功として取り上げられている意味がない。
胸椎上部と頚椎は頭と同じ方向に回転するが、胸椎5番以下と腰椎はそれと反対に回る。つまり、背骨に捻りをかけている。
④胴体が真っ直ぐに見えても内側では捻りがかかっているのがミソ。
⑤眼法の基本 目が動き出す時に目玉と瞼を分離させる。太極拳の套路で目が手を見るのはその眼法の練習。内視と同じことになる。
⑥胸椎が硬いと腰に負担がかかる
⑦太極拳の「含胸」は胸椎の可動域を増やすための要領 これをしないと胸椎を動かせない→四肢運動になる。また、「含胸」をする時に体を落とさない、引き上げておくことが大事。胴体は中に風船が入って浮いたようになるのが理想(上の写真の馮老師のように)。含胸は胸を凹ませることではなく、胸郭に空気を含むこと。沈肩とセットで行うことによって脇で呼吸できるようになる(外から呼吸が見えなくなる)。(含胸がきちんとできている老師はなかなかいないので、それができている老師に出会えればラッキーです。)
⑧女性は特に、体が落ちないように引き上げを注意する必要あり。太極拳は下に落ちるような姿勢をとるのでますます体が下がってしまう危険性がある。
「気は落として体は引き上げる」
足裏まで気を落とせないと体は引き上げられない。地面からの反発力を得るのが引き上げのコツ。地面を踏みしめているようでは反発力は得られない。これも馮老師のようなお手本的な動きをしっかり学ぶこと。
2024/11/2 <スポーツと養生法 四肢運動から内側へ 内視の重要性>
健康で体に故障がなければスポーツを楽しめる。
スポーツの語源は、”気晴らし”、”気分転換”。体を動かして楽しむ、ゲームをして楽しむ、観戦して楽しむ。
スポーツの語源には健康を増進する、という概念はない。それは後から付け加えられるようになったものだ。”体を動かして気分転換をすることは、心身の健康を促進する”、といったように。
日本の学校にある「体育」という概念は独特だ。心身の鍛錬をする、そういった目的が入っている。気晴らし、ではすまされなものがある。
日本のような「体育」という授業のある国は珍しいようだ。私がいたフランスには「体育」という授業はなく、スポーツをさせたかったら親が自分でクラブなどを探さなければならなかった。アメリカやシンガポールも球技やゲームをさせるくらいで、中国ではスポーツは選抜組が行うもののような位置付けのようだ。(参照:https://haa.athuman.com/media/japanese/culture/2154/)
ただ、中国には独特の概念がある。
それは「養生法」だ。健康を保持促進し、疾病を防ぐための方法だ。体の弱い人もそれによって健康を取り戻す。
養生をして長寿を目指す、というのは中国文化の根底にある道教的な概念で、中医学の基礎。ここから気功法も生まれてくる。
太極拳が養生法になり得るのはそのベースが気功法だからだ。平たく言えば、呼吸を使って気血を全身に巡らせるものだからだ。横隔膜呼吸、丹田呼吸が必要になるのはそのためで、それができるようになると、背骨がバラバラになって(脊椎間の隙間ができて)体の中心から動くことができるようになる。
病気は内臓に現れるもので、呼吸によって内臓が活性化すると働きが良くなる。体の内側が強くなる。よくある腰痛や膝痛も胴体の内側が動かないために胴体が塊になってしまっていることが根本原因で、背骨を使えるようになれば”浮身”がかかり、腰や股関節、膝への負担が減る。腰痛や膝痛の場合は積極的に”回す”と治りやすいのは、そこを回そうとすることでその部位周辺に”隙間”=ちょっとした浮身がかかるからだ。病院に行くと昔は動かさないように、と勧められることが多かったが、今では積極的に動かすことを勧める医者も増えてきた。
(私は30代にスポーツ中左膝の前十字靭帯を断絶し、手術直前に担当医師が転勤してしまったため手術するのを諦めてしまった。うまく体重を乗せないと膝が滑って腫れてしまうため、それまでやっていたスポーツはできなくなってしまった。できるのはゆっくり慎重に動く太極拳だけ。この怪我をきっかけに運動は太極拳に絞られるようになった。結局いつの間にか膝は治っていて、10年ほど経った頃には、どちら側の膝を怪我したのかを本当に思い出せなくなって、病院に電話をして問い合わせたほど。
靭帯の手術の名医を探して手術の日程まで決めて、それが直前にそれが流れてしまいがっかりしていた私。その時その医師に、「(手術をしなくても)、切れた靭帯が繋がってしまったりすることはありますか?」と聞いたら、「人体は神秘だからなぁ〜。」と答えたのを自分の都合の良いように受け取った。今、昔のことを思い出しながら、身体はうまく使えばちゃんと回復するんだなぁ、と思う。)
太極拳は体を内側から鍛える作用があるけれども、それはあくまでも内側の練習をした場合。
昨今広まっている太極拳は、ゆっくり動いているが、四肢運動にしかなっていないもの、もしくは、カンフーのアクロバットの見せ物になっているものが多い。
”内側の練習”と言って、何が”外”で何が”内”かが分からないで太極拳の練習をしている人は、まず、内側の練習はできていない。
内側から動くためには、まず、内側を見ることができなければならない。
だから、まず、『内視』の練習をする。
太極拳は『内視』をしたまま行うし、その癖がつけば、ラジオ体操も腰の王子の体操も、みな『内視』で行ってすべてを内功にしてしまう。(そもそも腰の王子の体操はすべて内功です。ラジオ体操は内功ではありません。)
”道”とつくもの、はそもそも内視が基本。形は内視して内側から作られた形。形、型だけを外から真似している段階は入門以前だ。形から中に入って、やっと入門だ。
内視は坐禅や瞑想で行うものと同じ。
内視ができないまま練習を続けてもいつまでたっても外縁をぐるぐる回るだけ。養生法としては効果が薄いだろう。
スポーツは勝敗や記録に気を取られやすく内視がしにくい。
気晴らしをしている時点で内視は無理だ。
体を酷使して鍛錬している時は、筋肉を意識したり疲れ、どこかの痛みを意識したり、もしくはそこから意識を外そうとしてみたり、と、やはり内視ができない。鍛錬している、と思った時点で内視が外れる。
最近レッスンをしていて気づいたが、内視を導いてそれを維持させたまま動けば、目が正しい位置に定まるため、目の動きによって脊椎が上から順番に連動して動くようになる。腕の動きが全く変わってしまう。それが維持できれば、四肢運動になってしまっていた簡化24式が本格的な太極拳の動きに変わりうる。そのくらい内視は大事だ。