2021/2/27 <内丹 80年代の陳家溝>
昨日のブログの話を師父にしたら、「中国では何千年にも及ぶ内丹の歴史がある。西欧の数十年の研究とは比べ物にならない。」と簡単にまとめられてしまった。
IPAと丹田の概念が大きく違うのは、丹田は変化し続けるということ。気=エネルギーは常に動いているからそれに応じて丹田も変化し続ける。変化し続けるからどんな動き、変化にも対応できる。腹圧というと腹腔という決められた空間で静的に存在するような印象をうけるが、丹田は一粒に至らないくらい極小にもなれば身体の大きさ、それ以上(宇宙なのか?)の極大にもなるという。太極拳の『太』という文字が『大』と『小』を組みわせたもので、”大より大きく小より小さい”というのがそれを表している。
丹田の中の気を常に動かして徐々に丹田を大きくしていく。まずは中丹田を開発徐々に下丹田とドッキングさせる。中下丹田が一つになれば鳩尾から足裏までが繋がる。その先に上丹田(肩や腕を含む)がある。
このあたりの話が太極拳の核心で、それなくしては太極拳になり得ないのだけど、中国において国家が制定して大衆化を図った(大学派の登場)時にその内丹部分は抜け落ちてしまった。
IPAは内丹を作る時の状態によく似ているけれども、それでもまだ十分ではない。それはなんだろう? そんな話を師父としていて、ぽろっと出てきた言葉が、”意識”。意の火・・・意が丹田(という空間)から別の箇所に逸れてしまうと(膝、たとえ腹筋であっても)、丹田は消えてしまう。雑念が出たら即アウトだ。常に丹田から意を外さない、というのが鉄則(たとえ相手を見ていたとしても)。(この点も取り出して説明が必要な箇所)
家に帰ってきて動画を見ていたら、ある意味懐かしい、80年代の陳家溝の動画がありました。日本人一行がこの地を訪ねた、という話は、当時、陳家溝に近い鄭州市にいた師父の耳にも入っていたそう。動画の後半に出てくる四大金剛。その中でトップの陳小旺だけがそこに映っていないのはなぜだろう? 師父の話では、70年代に噂を聞いて陳家溝にたどり着いた日本の武道家たちが複数で陳小旺と戦って悉くやられてしまい、それをきっかけに陳式太極拳が海外に知られるようになったということだ。このテレビ撮影がなされた頃はすでに有名になって多少やらせ的なものもあるかもしれないが、それでも、当初の農民発の太極拳の雰囲気は伝わってくる。体育館で衣装をつけて練習するのがそぐわない・・・山の中、森の中、自然の中だ。朝の鶏のけたたましい声・・・数年前に行った鄭州でもまだ鶏は健在でした。懐かしい・・・今いる石のパリよりもずっと好きな環境・・・
2021/2/26 <ドローイング ブレーシング IAP 再検討>
前々回に書いたドローイングとブレーシング。が、まだ数点疑問が残っていたのその分野の専門家に個人的に質問したりして私なりに整理してみた。
まず分かったのは、トレーニング界において、ドローイン→ブレーシング→腹圧(IPA) の順で提唱されてきたということ。
①ドローインは吐いた時にお腹を引っ込める。
お腹のコルセットである腹横筋を収縮させてぽっこりお腹が凹む、そんなキャッチフレーズで登場したけれど、そのうち腹横筋はそんなに収縮していない、これでは腰は守れない、という声が出てきた。
現在では、ドローイングでは腰を守れないものの、腹筋群を緩めることで胸椎や腰椎のつなぎ目を柔軟にし、背骨の柔軟性を促したり、内臓マッサージの役割もあるという見解が主流のようだ。ヨガや整体で使われる。
②ブレーシングはドローイングでは姿勢が制御できないという批判から生まれてきた呼吸法。息を吐いた時にお腹にぐっと力をいれて固める。お腹をパンチされそうになった時にお腹をグッと固める、そんな動き。これによって腹横筋だけでなく、腹直筋、内外腹斜筋、多裂筋、脊柱起立筋がが収縮する。
野球の松井選手はこれを使っていたようだし、同じようにテニスやゴルフでも球を打つ瞬間に腹筋群をグッと収縮させるだろう。腹囲は大きくなる。 ピラティスやバレエでも使われると言われる。 (前回ブログを書いた時は太極拳はブレーシングを使っているのか?と思ったけれど、太極拳では外側の筋肉を固めるわけではないからブレーシングではない、との結論。)
③その後メインになってきたのがIAP(腹圧呼吸)。(IAPについては以前ブログに書きました。)
ブレーシングだと息が止まる。
これに対して、IAPでは姿勢維持をしつつ呼吸も確保、両立をさせる。また、脊柱を守り、外部に力を発揮する時の力の通り道を確保する効果がある。
が、ここでIAPについて調べてみると多少バリエーションがあるよう。
例えばスタンフォード式のIAP(左図)。
図の中の矢印の方向をよくを見ると、ん〜太極拳だとこうはならないかなぁ?
底辺の矢印が下向きで終わってしまうと腹圧は高まらないのでは?
と、どうしても会陰の上向きの矢印が必要になると思ってしまう。
横隔膜を下げ、骨盤底筋も下げたら痔病持ちになってしまいそう。
また、これだと腰椎もカバーできない(腰が弱い、命門の力が使えない)。
一方、これに対し、同じ IAPでも、矢印の向きが全て内向きになっているものもある(右図)
はて?どちらなんだろう?いや、こんなに単純か?
太極拳では状況に応じて丹田を大きくしたり小さくしたり動かしながら腹圧を保っている(化勁の時でも腹圧は絶対に抜かない、と先日師父にはっきり言われた。腹は空気がパンパンに入ったボールのようになったまま。練習をしているている自分が丹田に気を溜めて開合の開をした時のお腹の構造を探ってみた。
内視すればするほど複雑になっていくのだが、自分の頭で整理できる程度だと右図のような感じだ。
丹田は大きくも小さくもできる。極小の粒から極大は全身を包んでしまうが、腹腔内に話を絞る。
丹田を大きくしていく(開)の時は中心の核のような点を保持したまま(紫の中心の円)、ピンクの第2の円の部分を広げていく。ピンクの円が広がれば広がるほど、中心の円内の内向きに引っ張る力(緑の矢印)が強くなる。中心円内の内向きの緑の矢印と、第二円内の外向きに広がる紫の矢印の力は拮抗している(引っ張り合い)。
第二のピンク円を広げていくとそれに対抗して水色の胴体の外周(腹筋群)が収縮してくる(紺色の内向きの矢印)。内側から広げているのだけど(ピンクの矢印)外側から絞られてくる(紺色矢印)
私の探ったものが完全に正しくなかったとしても、上の二つの図のようにただ一つの円の中での話ではないことは明らかだ。
そこでIPAの概念の発祥地であると思われるアメリカのサイトで検索したらそれらしき図がありました。
https://mikereinold.com/core-stability-from-the-inside-out/
coreを鍛える時に、左図の右のようにただ外壁を締めても中央のcoreは強くならない。core自体に圧力がかかるようにする必要がある(左側の図)「空洞のあるチューブのように考えてはいけない」
ここから先はどうやってそれを実現するのか、というメソッドの議論になって、関係する筋肉ごとにどう使うのかと難しい説明に入っていくのですが、結果的にはお腹の中に相反する(拮抗する)力がバンバン働いて腹圧が増していく、という点は変わらない。外壁の筋肉の締めを強くするとcoreの内圧が上がらないから、外側の締めは20パーセントくらいに止める・・・要は放松?・・・というような記述もあるのだけれども、西洋的に頭で色々考えるとこんがらがって大変。丹田のタネを作ってそれを育てれば自然に腹圧は上がるのだけど・・・とメソッドについてはこれ以上深入りしないことにしました。
ここまで調べてみて、太極拳の練習をするとドローイング、ブレーシング、をどこかの時点で通過して、IAPが自然にできるようになること、そしてIAP以上にきめ細かな息の調整ができる可能性があることを確認したのでした。中国の古代の知恵は素晴らしい!(未だ西洋的知識ではでは解明できていない)
ただ、練習の過程で、ドローイングやブレーシングをやってみて、それでは丹田が作れないことを逆説的な意味で確認するのも役立つのかもしれなません。
ちなみに、太極拳で腹をパンチされる時(自分で自分の腹を打つ練習をする時)は、ハッ!という声を出す・・・これによってブレーシングになるのを回避している。発勁も同じ。声を出す意義、必要性、「ちゃんと腹から声を出さんか!」と随分注意されたその意味がやっと分かりました。腹を一層にしない、何重かの層に保っておく、腹の奥行きかなぁ。
2021/2/25
やはり現在の自分自身の関心は推手。師父にむりやり肩甲骨を引っ張り出されたり痛い思いをしながらも次第に肩の隙間を空ける感覚が掴めてきた。うまくできないと師父は、「なぜできない!こうだろうが。」とやって見せてくれるが、見せてくれても分からないものは分からない。たとえ裸になって見せてくれたって分からないものは分からない。眼だけで分かるものもあれば眼では分からないものもある。私は、「それなら私の身体に手を置いたまま肩の隙間だけで連続で推してみて下さい。」と頼んだ。師父はすぐに分かったと、私の小胸筋のあたりに手のひらをつけたまま、何度も繰り返し推した。(遠くからみたらどつかれていると思ったかも? )
ふーん、師父の力を感じると、肩から力が出ているのは分かるのだけど、それより下の力が不明だ。そこで、私は「今度は腰の力で推して下さい。」と頼んだ。師父は「分かった、けど、力は大きくなるぞ。」と言って今度は腰で推してきた。ああ、腰を使うと、肩に腰がプラスされて、推し幅がさらに大きくなるんだ、別に肩の力(肩の隙間の力)が消える訳ではない。これにクワ(股関節、骨盤)の力も加えたらさらに力が大きくなるのは目に見えている。さらに脚の動きも使って、膝、足首、それから踵も足していけば「整勁」(身体丸ごと全部の力)になる。
今日の師父の力の感じを図で表してみようとして、はて、どこから説明したらよいのか?と悩む。というのは、そこに達するまでに経なければならない段階があって、私が現在理解できる師父の段階を説明して役立つのはその一歩手前の段階にいる人だけかもしれないからだ。だけれども、巷で言う所の丹田(腹腰の丹田:中丹田)だけではまだまだ完成しないということ、まだ先があることを知っていたら、練習の仕方も変わるかもしれない。
とりあえず私が描いた図を見せて、そこから遡って説明してみたい。
まず一番左が師父の力の出し方、真ん中が私の力の出し方。
師父がジーの時に手と肩甲骨を引っ張り合いにしろと私に教えようとしているのは、実は単に肩甲骨の話ではなく、気を足裏から頭頂まで繋げ、ということ。最初の頃はそれが分からず、肩甲骨をどう動かすのだろう?と肩や胸、そして背中あたりをいろいろ操作していたが、ある時師父が「含胸をもっときつくやれ、会陰を肩まで引きあげろ」と言ってそんな風にやった時に初めて師父からOKサインがでた。腕が胴体のように自分でも面白いほどくるくる回って、師父の腕とぴったり魚が戯れるように動いていた。腕が腕でなく胴体のよう、と感じながらも、一方で自分の腕が他人の腕のようでその動きを他人事のように見ていた。自分の意思とは無関係に身体が勝手に師父の動きに随っている。ぴったり吸い付いたように二本の腕が絡んでいるとお互いに攻撃をしかけるような気持ちがおきない。師父は「やっと粘连粘随ができたな。」と言った。私が思っていた粘连粘随とは随分感覚が違う・・・身体が自分から乖離してしまった、いや、自分が身体から乖離してしまったような感覚だ。手を通して自分の身体の中を見て見たら、内側が空間になっていた。実(内臓とか骨とか肉)がなくなってしまったようだ。手を通して師父の身体の中も見てみる(感じてみる)と同じように空間になっていてどこに力があるのか分からなかった。
比較をして分かったのは、普段の私の気の使い方は足裏から中丹田までは常に気で満たしている上の②ようだということ。師父は①のように足裏から頭頂まで”常に”気を通してしまっている。私は打つ時(ジーの時)に中丹田から手に向けて力を出すが、師父は肩甲骨から力を出す。肩甲骨から突っ張って出された力は真っ直ぐ突き出された棒のように相手に届く(直力)。相撲の突っ張りと同じはず。肩甲骨から突っ張って真っ直ぐに出された手は戻って来る時に出された時以上の速さで戻ってこられる(輪ゴムを伸ばして手を離すとピチンと瞬間で戻るようなもの)。推す時はゆっくり、戻る時は速く、という推手の要領が自然にできてしまう。
もし私のように、中丹田から力を出していると(足裏から中丹田までは既に気で満たしている=足裏で地面を踏めば同時に中丹田から発勁ができる状態)中丹田の力が手に届くまで時差がありその間にスキが出てしまう(肩甲骨、上腕、肘がちゃんと使えないから突っ張れない)。戻るのも意識的に戻らなければならない。腕が自動巻きにならず自分で操作しなければならない。套路の練習だとこの②の状態でもそれほど困らないかもしれないが、推手になると、中丹田よりも上まで気で満たす必要があるのが実感できる(ただし、相手のレベルのよる・・・)。
①のように肩甲骨を気の停留所(貯蔵池)としてそこから発勁するには、その前提として足裏から肩甲骨、胸あたりまで気で”満たす”(上図の水色の部分)必要がある。そのためには、既に頭頂まで気を通しておく必要がある(薄緑部分:虚の状態で溜めておく感じ?)ようだ。(頭頂まで満たすと脳梗塞や脳溢血になりそう・・・ 太極拳では虚霊頂勁というように胸から上の気は虚状態に置いている) ①のような状態だと腰でも腹でも股関節でも発勁できる。気の停留所がたくさんある。
②だと①に比べて停留所が減る。
そしてまずいのは③状態。よく見かける俗称武術太極拳がこの状態。足裏から股関節(下丹田)までしか気が満たされていない。これだと腰が落ちて下半身が重く、上半身と下半身が分断する。手の力は足裏の力と無関係だ。脚が太くて立派になるが、推手をすると脚力が活かされない。
そして、ジーをした手と反対の手(この図だとアンの右手)に自動的に力が出るのが①。②は意識をしないと片手打ちになりがち。③では無関係になる。引き手で打つ、という原理を体現できるのはやはり①・・・。
以上、現段階の私の問題意識を綴ったけれども、私の生徒さんを含め読者の方に注意してもらいたいのは、気を通すとか、気で満たすとか、という以前にやらなければならない作業があるということ。
それは、左図の紫のラインで示すような大まかな通路を作ること。
上の図から色付き部分を取り除いたもの、原型だ。
つまり、その後気を通したり、気を満たしたりすることのできる”空間”を身体の中に作る必要がある。
水道管を作ってしまえばあとはそこに水を流すだけ。
蛇口(丹田や肩甲骨、その他関節などの気の停留所)をひねれば常に蛇口から水(気・力)が出て来るような状態、それを、水道管が水で満たされている、という。師父のような①の状態だ。
一方、もし、蛇口を捻っても、水が出てくるまで時間がかかるとしたら水道管は水で満たされていない。捻って初めて水が通ってくる。これは②の状態だ。足裏で地面を踏んでから手で発勁するまでに時間が存在する。
しかし前提として、身体の中に空間、管がないと、気を満たすどころか、気を通すにも通す場所がない。
その通路開通のための作業を「築基功」といって昔は男性が100日間精を漏らすような行為を謹しみ毎日タントウ功を行った(師父の師はそのようにして築基功を成し終えたものだけを弟子にしたらしい)。今ではそこまでやるのはかなりマニアックな人だろうが、通路を開けるにもある程度の気の量が必要だ。ダムに溜まった水の量が多ければ、それを一気に流せば土を押し分けて川が作られるだろうが、溜まった水の量が少ないといざしきりを外して水を流しても障害物を押し分けて川を切り開いていくことができない。
通路を開通させるにも気を溜めて流す必要があるから、結局、通路が開通するころにはかなりの丹田力(気の量)がついている。つまり、開通してしまえばその後の作業は開通のための作業ほどは難しくない。気の量を減らさない=身体のポン(膨張力)を失わない、身体を萎ませない、そんなことが太極拳で最も大事なことだと分かってくる。
結局はそれしかない・・・とうっすら分かるのだけど、その認識はまだまだ馮老師や師父とは比べ物にならない。そのあたりが功夫の差になって現れる。
<追記:通路を開通するにあたって誰もが一度は失敗する点について>
気の通る道を開けることによって気は通る。気を通そうとしても気は詰まるだけ、通らない。
気を通そうとしてはいけない、というのは何度も注意されるのだがそれでもやってしまう落とし穴。気は放っておく、自分は離れていなければならない。気の中に入っていってはいけない。これは古来から伝わる『力者折、気者滞、意者通』という言い方に表現されている。馮老師の本にもあるものだ。
練習を積み重ね気の動く感覚が分かってくるとどうしても気を動かして詰まっているところを気の勢いで開けてしまいたくなる。その誘惑は強い。しかしそれをやると結果は詰まってしまう。気だと滞る、と表現されている通りになる。結局は意で通すしかないのだが、その”意”の使い方が分からない。その時キーワードになるのが、運気ではなく行気だ、という言葉(本来は中国語)。運気というのは気を運ぶ、ということ。行気というのは、気を行かせる、ということ。つまり、気を運ぼうとするのではなく、気を行かせてあげるように自分は(放松して)内側を開いてあげる、通路を作ってあげる、ということだ。隙間を開けてあげる・・・それが女性的といえば女性的で、馮老師が晩年、太極拳を長年やって自分も幾分女性らしくなった、と言って周囲の人を絶句させたという逸話もある。
2021/2/23 <ドローインとブレーシング>
昨日は会陰の引き上げ・引き下げの観点から分析をしてみたが、実はそれも呼吸の仕方の違いなのかもしれない・・・と、なんとなく検索していたら、ボディトレーニング界において以前は吐きながらお腹を引っ込めるドローインが主流だったのが、今では吐いてお腹を固めるブレイシングへ移行してきていることを知った。
ドローインという言葉は聞いたことがあったけれど、ブレーシングというのは初耳。英語だとbracing。braceとは支える、補強するという意味で、brace yourself! というと自分自身を支えろ→準備して身構えろ!→覚悟しろ!という意味になる。ブレーシングをすると呼吸によって胴体全体が支えられるようになる(繋がる)。
ブレイシングは相手にお腹を殴られそうになった時の反応。ぐっとお腹に力を入れてお腹をパーンと張って固める。もしお腹を殴られそうになった時にドローインしてお腹をぺちゃんこにしてしまったら・・・内臓がやられてしまう。危険。
同様に、スクワットをする時やベンチプレスを持ち上げる時、間違えてドローインしてしまうと腰を痛めてしまう。腰を守るのはブレーシング。
普通に考えても、卓球でもテニスでも球を打つ時は呼気とともにお腹は張って固まる。ボールを投げる時だってお腹は膨らむ。つまり発勁の時は呼気とともにお腹は膨らんで硬くなる(注:お腹というのは胴体周り一周。前も横も後ろ=背中側も膨らむ。前方にだけ膨らむのはブレーシングができていない)。
太極拳やその他のスポーツをしていると普通にブレーシングをやってしまっているから、今更、ドローインか、それともブレイシングか?と悩むことはない。というか、ドローインをする場面が思い浮かばない(相手の力を躱す時などに一瞬腹を凹ますことがあったりしてもそれは動きの流れの一部分→<追記2/26>その後、師父に確認したら、凹ますことは絶対にあり得ない!と断言されてやり方を見せてもらいました。ここは訂正してください)。しかし筋トレ業界では タックインorブレーシング? と議論がなされていたするようだ。検索をしていて知ったのは、かつて松井秀喜選手のトレーナーが彼にドローインのトレーニングを勧めたそうだが松井選手自身、それがバッテイングのどこで使うのか分からずずっとブレーシングの練習をしていたという話。理屈は分からなくても自分の感覚としてドローインじゃ打てない!と分かっていた。が、その当時のトレーナーはことごとくタックインをさせていたという。今ではドローインでは腰を痛めてしまうことが理屈上も分かってきたのでボディビルダーとか腹筋を割って見せたいという人たち以外はそれほど使わないのかもしれない。
ドローインとブレーシングの呼吸の仕方については検索をすればいろいろと出てくる。
説明が分かりやすいと思ったのは
https://ameblo.jp/tasuku3809/entry-12523617518.html
ドローインは腹横筋だけの収縮、ブレーシングは体幹に関わる筋肉が同時に一斉に収縮、とある(左図)これに横隔膜と骨盤底筋も関係するはず(横隔膜が下がって骨盤底筋が上がる)
ペットボトルの例もよく出される。
ぺしゃんこのペットボトルはしなやかに動きやすいけれど外圧に弱い。
上のブログの方の動画もある。
ぎっくり腰の癖のある人や腰に自信のない人はブレーシングができていない(=体幹の円柱がしっかりしていない)。太極拳の練習で腰が強くなるのはタントウ功で次第にブレーシングができるようになってしまうからだと思うが、逆にブレーシングができているかどうか動画などを見てチェックしてみるのも良いかもしれない。
私が見てとても参考になったのは下の動画。上の動画よりは少し専門的になるが前半の解説も興味深い話が多かったし、7分半あたりからのクランチの実技はドローインとブレーシングの違いがはっきり分かる。
←このようにクランチした時に腹直筋(腹の真ん中の縦のラインの筋肉)が盛り上がるようならドローインになっている。
←ブレーシングだとお腹は全体的にぺったんこのまま。横に広がっている。
太極拳的にやるとこちらになってしまう。上のようなドローインだと力まなければならない=息が通らない。不自然な感じ。
以前腹斜筋のトレーニングや骨盤を立てるエクササイズの時に同じような体勢をとったが、それも全て同じ原理だ。動画では全く言及されていないけれども、私の感覚としてはブレーシングの時は会陰や肛門を少し開けて引き上げる(風通しを良くする)必要がある。ドローインだと肛門を完全に締めてしまう(同時に鼻もつまんだ感じ・・・息できない!)。ブレーシング、ある意味腹は固めても風通しがいい(鼻から会陰までがスースー通る)。ドローインは鼻も会陰もつまんで閉じている=無呼吸。
そう言う意味では、昨日のブログの冒頭の紐トレも、肩甲骨を完全に上げてしまった万歳は鼻で息がし辛いし会陰の感覚も消えてしまって息が通らない。やはりどこか通じているところがあるなぁ、と思うところ。
ブレーシングには横隔膜の収縮が必要、という観点からの記事も多い。(例えばhttps://hoopcom.net/article/%E7%A5%9E%E8%A9%B1%E3%81%AE%E3%82%A6%E3%82%BD%E3%80%8C%E3%83%89%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%80%8D.html)横隔膜の収縮は含胸の一つの作用だと今では理解できる。腹は緩めて横隔膜と骨盤底筋で挟み撃ち、結果的に円柱の壁面にあたる腹筋群が内側からストレッチされるのでは?(ん?上で紹介したブログでは収縮としてたけど、どうなんだろう?感覚的にはストレッチだけどアナトミー的には収縮とか言ったりするのだろうか? このあたりの専門の生徒さんに聞いてみよう♪)
<追記>2021/2/26のメモに再度整理しました。訂正事項もあるのでそちらを参照してください。
2021/2/22 <腕を上げる 会陰の引き下げ 周天へ>
昨日のパドリングのための肩甲骨の鍛え方のブログを見ていて思い出したことがあった。
手の上げ方。
以前、紐トレについて書いた時に使った写真。紐を使って両手を上げると紐がない状態よりもずっとスムーズに上げることができる。筋紐で心地よく引っ張られることで筋膜ストレッチに似た現象が起こって筋肉の連動がうまくいくからだと思うのだが、両手を上げた写真が興味深かった。
紐トレをする人たちはことごとく左写真の右側の女性のように肩甲骨が持ち上がっているのだが、なぜか考案者の小関氏だけは太極拳の時のような腕の上げ方。中正を崩していない。
何も意識せずにこのように両手を上げる人は素人ではない・・・いや、両手の上げ方というよりも、その力の使い方が素人ではないのは一目瞭然だ。
これは少し前に話題にした会陰の引き上げと関係があるのだが、少し話がややこしくなるのでその時には書かなかった。が、昨日のサーフィンのブログの中の写真を見て思い出してしまった。書いてみようと思うけどうまく説明できるかどうかは書いて見ないと分からない・・・
左は昨日紹介したブログの中の画像に私が矢印をつけたもの。(https://surfinglife.jp/technic/14929/)
サーフィンのパドリングでは右が◯で左が✖️とのこと。右の方が肩甲骨の可動域が大きくなるというのが理由。あら?太極拳なら左が◯で右が✖️なのに・・・何故に?
と一瞬思ったのだが、パドリングの映像を見て納得。
まず右側の写真では、肩甲骨(肩)が上がっていて、矢印は全て上向きに走ることになる。パドリングは板の上に腹ばいになってひたすら前に進むものなので、このような上向き(寝ていれば前進)の力が必要になる。足は根ざさない、脚は軽く尾びれのようになる。魚の感じだ。
これに対し、左側の写真は手を上げているが肩甲骨が下がったまま。太極拳やその他の陸上スポーツで必要になる力の使い方だ。この時下向きの力と上向きの力が共に存在するのだが、手を脇より上に上げる時に意識的に必要となるのは下向きの力だ。
順番に話すなら、腕を下に垂らした状態から上に上げていく時の力(気)の使い方は二段階存在する。
まずは腕を垂らした状態から脇の高さまで上げる第一段階。
太極拳は手を高く上げるのを嫌うから多くの動きはこの範囲内で行われる(ポンは腋下の高さまで、リューもジーも腋下の高さが多い)。
腕を垂らしたところから上げていく時は(ポンする時は)会陰を引き上げていく。ポンは会陰、と言われる所以だ。腋下の高さでリューやジーをする時にはすでに会陰が引き上がっている。この会陰の引き上げの矢印が上の左側の図のお尻の三角内にある上向きの矢印だ。それに伴い両足の内側も上向きの矢印が現れる。(注意が必要なのは、腕を垂らした状態、ポンをする前に、すでに頭頂から足裏まで落ちる下向きの矢印がベースとして存在しているということ。下向きの力、気の流れを前提にしてのポンの上向きの力)
問題なのは脇下よりさらに高く腕を上げる時。第二段階目。
この時は上げた会陰を引き下げていくことで腕が上がっていくようにする。
試してみると分かると思うが、腕の高さが腋下に達した後も引き続き会陰を引き上げたまま腕をさらに上げていくと肩甲骨が上に逃げていって肩が上がってしまう。それに伴い足が地面から引き離されていってしまう(根っこがなくなる)。これは人さらいに腕を引っ張られて連れて行かれてしまうような体勢だ。しかし、この万歳状態になる時に会陰を思いっきり引き下げるとそれに伴い肩甲骨が下がり足が根付く。人に手を引っ張られても簡単には引っ張っていかれない。
按でも引き上げた会陰を引き下げるような力を使う。腕を腋下より上に上げる時と按の時の内気の使い方が似ているのはとても面白いのだが、ここで会陰を引き下げるというのは、会陰を落とすことでないことに注意を要する。
引き上げた会陰の先を保持したまま引き下げる。ポンの時に会陰を命門まで引き上げていたなら、命門を掴んだまま会陰の方へ気を引き下げていく。腋下からさらに手を上げていく場合は会陰を落としても腕は上がらない(腕の動きと連動しない)が、会陰をゆっくり下げていくと腕が連動して上がっていくようになる。逆に言うならば、腕が上がっていくように腹の中の気を会陰の方へ下げていけたなら(足はさらに根付いていく感じ)ならうまく行っているはず。
言い方を変えれば、会陰を引き上げて作った丹田(上から下げた気とドッキングさせて作る)を失わないように会陰を下げていくということだ。
こうすると下向きの力が働き、その下向きの力が腕が上に上がる力と常に拮抗しているので中正が崩れない。が、意識は二つの力の拮抗に置くのではなく、引き下げる方に重きをおく(二つの力は同時には意識できない)。引き下げれば上がる、そんな道徳経的な言葉が体験できる箇所だ。
(なお、上の左図の下向きの力は通常陽面=背中側、上向きの力は陰面=前面、内腿側に現れる。)
会陰の引き下げは会陰の引き上げを前提としているので、レベルとしては少し高くなる。混元太極拳なら円の下弧が下丹田を使ってちゃんと描けるようになった後で練習するようになる。
これが無意識でできるようになると上の紐トレの小関氏のようになる。太極拳の老師も万歳をして肩甲骨が上がってしまうようなことはまずありえない(腹がすかすかになって気持ち悪い→丹田がなくなるということだなぁ)。
最後に私がよくイメージする注射器のピストンを例に使うと・・・ピンとこなければスルーしてください。
引き下げは左の図のように内筒を引いていくような感じ。血を抜く時の感じ?注射針はしっかり血管に刺したままにしておく。
一方、引き上げは右図のように内筒を推していく感じ。通常の注射の仕方だと思うが、会陰はダイレクトに推すというよりも巻き込んで推していく感じかなぁ(以前玉ねぎ袋で説明しようとしました。)
いずれにしろ、大事なのは注射針の先をどこに刺すのか。下丹田を養うなら子宮・前立腺につなぐが、それだけではその他の部位と繋がらないので築基功ではまず命門に刺して中丹田と下丹田をドッキングさせるようにする。これで小周天の基礎を作る。
注射針を内側から命門に刺して会陰ー命門を開通させる。 図に書くと分かりやすいが、会陰ー命門間の引き上げは逆回転(督脈↑任脈↓)、引き下げは順回転(督脈↓任脈↑)ということになる。
垂らした腕を上げていく時、会陰を命門へと引き上げている。その時任脈側は下がっている(ヘソ→会陰)が意識は会陰の引き上げにある。
また、腕を腋下より上に上げるときは命門→会陰へと気を下げる(通路は開通させたまま下げる、命門を失わない)。この時任脈側は会陰→ヘソへと気が上がっているが、こちらの部分は通常意識しない。
熟練すれば、会陰を真上に上げたり前に上げたり左右に上げたり自由自在だが、まずは命門にしっかりと上げられること。会陰と命門、この2駅を作ってその間を開通させられればその後の練習はとても簡単になる。
2021/2/21 <立甲を使うのか?>
昨日の立甲についての疑問を父に尋ねてみた。
結論から言うと、立甲でジー(推す)はできないということ。
というのは立甲の時の力は肩甲骨を突き出す方向に働くから推す手の力がなくなってしまうから・・・(右のGIF画像はジーの時の手、指先の力を示している。説明は最後にします。)
と言われてもすぐにピンと来なかったのだけど、図で示すと下の左の図のようになる。
矢印で示したのが立甲の時の力の方向。(写真にリンクが貼ってあります)
確かにこれでは手で推せない。(上の師父のような手の力は使えない。)
じゃあ、ジーの時、肩甲骨はどうなっているのか? と師父の背中をチェックした。肩甲骨は立甲の時のように外側にスライドして多少立っているが、立項の時のようには両肩甲骨の間が窪んでいない。なだらかだ。
師父は「夹脊を出せ!肩甲骨を意識するのではない。」と言う。
経穴では夹脊穴とは背骨沿いの複数のツボを指すようだが、太極拳もしくは道家の修行法言うところの夹脊とは、胸のだん中の裏側、ツボでいえば神道穴のあたりだ。
ここを出せ、ということは、結局、含胸をしろ、ということになる。
が、含胸と言っても、これまたピンキリ。
含胸ができているか否か、という二者択一的ではなくて、含胸が全くできていなくて胸に気が溜まって腹に落ちないという状態から、少しだけ含胸ができている状態、もう少し含胸になっている状態、もっと含胸の状態、・・・とあって、完全に含胸の状態、とグラデーションになっている。
今になってみれば、1年前の私の含胸の状態はまだまだ甘かった。含胸だからといって胸から含胸をしても対した含む胸にならない(ともすると猫背のようになってしまう)。本当は眉間から含胸をかけていかなければならない→目を内収するのも舌を上顎に貼るのも、そして含胸も、大きな意味での開合の合の働きだ(いずれ開合について面白い話を書きます)。
含胸をする、というのは軸を通すということだから、やはり昨日のサーフィンの人の立甲に関するブログの記述と共通するのがわかる。肩甲骨を肋骨から話して自由に動くようにするには、まず身体の軸を通す必要がある→これがタントウ功や坐禅の役割なのだろう(動く練習ばかりでは気を中心に集められないので(丹田を作る:合:求心力がかかりにくいので)軸を通すのが困難。)
そしてジーの話に戻って、師父に下の写真を見せて撑(引っ張り合いにする)というのはこういうことなのかと聞いてみた。
https://surfinglife.jp/technic/14929/
このサイトもサーフィン。パドリングに肩甲骨の滑らかな動きが必要らしい。
トレーニングの仕方はサイトを参照してもらうにして、左の写真をみると、肩甲骨を後ろに引っ張り出した(夹脊を撑した)下側の写真は上側よりも腕が長くなっている。
男性の身体は全く前に傾いていない。中正を保ったままだ。
肩甲骨を後ろに突き出すとなぜ腕が長くなるのか? 私の頭の中ではそのあたりの解剖学的な身体の構造が不明でなんだかスッキリしない。
そしたら師父がこの男性のような姿勢で実際に私を推してくれた。それが冒頭のGIF画像。
実際のジーの時は重心移動をしたり、もっと全身をしならせて使うからさらに飛ばされることになる。拳で発勁する時も最後の寸勁はこの力が入っている。
足腰はかなり鍛えてきたけれど肩甲骨、胸は未開発ゾーン。足が腰に繋がり足腰の連携ができたら体側、脇、肩甲骨ゾーンに入っていく。腕が本当の意味で使えるようになるのはその後だ。
2021/2/20 <肩甲骨打法?>
師父との推手の練習は毎日最後の20分から30分行なっている。最もシンプルな単推手の平円で力の使い方をチェックし、双推手からは簡単な技をかけてもらってその捌き方、すなわち化勁の基本を教えてもらっている。師父のように相手がどう出てきても咄嗟に身体が反応して捌けるようになるには昔の卓球並に対練をする必要があるかも・・・ちょっとそれは無理?なんて頭にふと雑念が起こったりするのだけど、とにかくチャンスのあるうちにやれるところまでやるのみ。
もともと右腕の右半身との繋がりが悪く師父にそれじゃあ力が混ざっている、と駄目押しされていたのだが、今日はお互いの右手を合わせて動き出した瞬間に師父が「おや、どうしたんだ?全くちがうじゃないか!」と驚いた声を出した。私も、あら、今日は楽!、いつもの師父の腕の重みが自分の脇で支えられているのを確認できた。師父になぜ肩を引っ張り出せないんだ!と無理やり引っ張られたりしていたけれど、師父がやらせようとしていた肩甲骨を後ろに引き離しながら手を前に引き伸ばす(撑 突っ張る)、そんな動きの出発点は肩甲骨の三角形の下の角を自分でコントロールできるということだと実感した。
ツボなら肩貞穴だと思うのだが、腕を使うにあたってこの場所の重要性を論じている人はいないかしら・・・とざっと調べたら、いました! コントラバスを弾く鍼灸師さん? 「肩甲骨下角ロックを解除するとコントラバスが弾きやすくなる」と左図を載せていました。https://www.btune-hariq.com/contrabass/13545/
言われれば今日は確かにその角をゆるゆるにしたまま推手をした・・・でもそこをゆるゆるにしておくには自分で操れなきゃならない、というか、そこを肋骨から剥がしておかなければならない。
立甲ができる人なら簡単?
とここまで書いて、はて?と疑問が。
以前師父が見事な立甲を見せてくれたことがあったのだが、それを真似できない私が師父に、「立甲は太極拳で使うのか?」と聞いたら「使わない」と答えたのだけど、本当にそうなのかしら?
というのは、ここ2週間で私の肩甲骨は確実にニョッキっと出てきた。今はまだ肩甲骨の下の角付近をゆるく(肋骨から引き離しておく)ことができる程度だが、もう少ししたら、肩甲骨の内側の縁を肋骨から引き離して推すことができるようになりそうだ。が、これは立甲とは違うのか?
そもそも立甲はいつ使うのだろう?立甲で肩甲骨が肋骨から引き離されたらどんなことが可能になるのだろう? (これまで「立甲のやり方」という観点でしか調べたことがなかった)
そうしたら、とてもよく説明してくれているサイトがありました。今度はサーフィン♪https://www.revwet.com/%E7%AB%8B%E7%94%B2%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%A9%E3%82%93%E3%81%AA%E6%99%82%E3%81%AB%E4%BD%BF%E3%81%86%E3%81%AE%EF%BC%9F/
以下抜粋
立甲すると肩甲骨と肋骨が分離して動く。
右手を上まで上げた時に肋骨まで動くなら肩甲骨と肋骨は分離していない。立甲すると肋骨はそのままで腕が上がる。
立甲は肩甲骨がそれぞれ外旋して離れている状態。前鋸筋が使える。
肩甲骨が寄っているとアウターマッスルやみぞおちにに力が入りやすい。
立甲ができると肩に負担がかからない、インナーマッスルを繋げて使える
<そして最後に書かれているのが>
立甲は軸を通さないとできない!
みぞおちは腕と股関節を繋ぐ要の場所。
まずは最初の基本である軸を通してみぞおちを緩めること。
あら〜、結局はタントウ功の話のようだ・・・ が、サーフィンまず軸を通さなきゃ始まらない。けど、きっと波の上で軸を通そうとする時にみぞおちを固めてしまう人もいるのだろうなぁ(と自分がサーフィンをしたらどうなるか?と想像)。ここでみぞおちの力を抜いて、代わりに足から頭頂まで繋いで軸にできたら(周身一家)・・・そこで初めて立甲が可能になる・・・
立甲は腰が反っていたり胸を張っていたらできない、とも書いている。
実際、師父には推手の時にこれでもかというくらい含胸をさせられた。感覚的には鼻の付け根(眉間)から含胸をかけるくらいでやっとOKがでる。が、眉間から含胸にすると頭頂が現れ全身一つにまとまる→つまり、これも立甲への道筋。
前回3枚の赤ちゃんの写真をアップした時に気づいたけれど、③の赤ちゃんくらい立ち上がって=軸が通って、初めて肩甲骨がフリーになる。①や②では肋骨に貼り付いている。(もちろん赤ちゃんだから貼り付いてはいないけれど、大人がずっとこのままの姿勢なら前肩で肩甲骨が貼り付いてしまう。) 馮老師や師父の肩(肩甲骨)は③の赤ちゃんのようだ。前足と後ろ足の四足動物のようだ。①②は二足でピョロんと二本の腕が生えている・・・恐竜?
自分の両脚と両腕のバランスはこの恐竜みたいなものかもしれない。
もともと脚に比べて腕(上腕)が貧弱・・・それは②の赤ちゃんくらいの状態でずっと腕を使ってきたせいかもしれない。③になれば嫌でも二の腕(肱)が使える=肩甲骨が腕になっている=肘がコントロールできる=体側が立つ=骨盤が立つ
卓球をやっていたあの頃にこのことを知っていたら・・・と今更悔やむことはないけれど、改めて現在の日本と中国の卓球選手のフォームを見てみると、今でも肩甲骨で打てる選手は日本にはいない。みな腰打ち=腕打ち。
左は日本の張本選手 右は中国の馬龍選手。
日本の選手は腰と胯を同時に回転させて打つ→肩(肩甲骨より上)が遅れて合わせたようにして打つ:球を比較的身体の近くで打つ 腕の伸びがない(腕が短い感じ)
これに対し馬龍選手は肩甲骨打法とも呼ばれるだけあって、胯、腰、肩甲骨までが一斉に回転。胴体がねじれることなくブーンと回る。
馬龍選手の場合バックスイングを取った時にすでに肩甲骨の下角=脇に支点を設定済み。後はそこを支点にブーンと振る。
一気に振り抜ける=全身の力を一気に使った整勁となる。
一方張本選手を始め多くの日本選手はまず腰・胯。バックスイングの時にはまだ肩は繋がっていない。(バックスイングの時、馬選手は腕が伸びきって四肢状態VS張本選手は恐竜状態?)
で、ここで腰股の回転を肩に合わせている。肩甲骨が思いっきり外旋していない(立甲していない?)から腕の伸びが馬龍選手ほどはない。
ただ、卓球の場合、この打ち方にも利点はある・・・
様々な使い分けができるのが理想
馬龍選手と水谷選手の名ラリー。
馬龍選手の打ち方が師父の卓球のフォームにそっくり。師父のフォームを見た時、最初それは違う、と思ったのだけど、軸を頭まで通すと腕は私たちが思っているよりも外にある感じだ。身体の中の軸が中心に一本ではなく、左右に二本のようにも見えるし、中心に円柱のように太い空間的な軸があるとも見える。
一方日本人の水谷くんの腕の付け根はかなり内側→軸がぐにゃぐにゃ けど、それはそれで相手にとっては打ちづらい。
最後に馬龍選手の練習の時の打ち方。
脚から肩甲骨下側、脇まで繋いで打つ基本練習。こうすると肘(=二の腕)が安定する。
足裏の力がダイレクトで肩甲骨まで達するのが中国的打法。太極拳も同じ。
ただ、ここまで達するには足裏から腰までが完全に繋がっていなければならない。
以上、馬龍大好きなのでたくさん書きました。馬龍みたいに打ちたい! いや、今は卓球ではなくて太極拳・・・
2021/2/18 <坐禅で気を下ろす→引き上げる>
最近の会陰の引き上げについてのブログを読んだ読者の方から、「会陰を引き上げようとすると腹が凹んで力が入ってしまいます。どうすればよいですか?」という質問をもらった。
結論からいえば、まだ気が下まで落ちきっていない(立位なら足裏、坐禅なら坐骨あたりの臀部)段階で会陰を引き上げようとすると腹が凹んでクッと息が詰まったようになる。
身体の気を下げる(重力に随う)ための要領としては、まず、呼吸をゆっくり深くすること、呼気がヘソよりも下、気海穴、そして理想的には関元穴近くまでまで届くようにするのが目標(先月に書いた腹圧についてのメモも関係します)。
そしてそのためには沈肩や松腰、松胯が必要になるはず。身体は長く伸ばすのではなく少し丸めにして鼻から会陰までの距離を縮めるようにする(←左の赤ちゃん①の座り姿)
棒立ちやしっかり背筋を伸ばして座った姿勢では息が関元穴(膀胱、子宮、前立腺の位置)まで届かない。
ここまで息が通れば、会陰は目と鼻の先。少し会陰を内側に引き込めば(内収)関元穴で上からの息とドッキングして下っ腹が安定する。眠気がなくなる(坐禅で眠たくなるのは放松して会陰が緩むから。左の赤ちゃんのような坐禅をするとウトウトしそうだが、これで会陰を引き上げればウトウトは途端に消える。が身体は放松したままになる。
ここまで緩んだら、会陰をさらに引き上げていく。すると・・・
上の赤ちゃんよりもお尻の割れ目が沢山見えている。上の赤ちゃん→左写真の左の赤ちゃん②→右の赤ちゃん③ の順番で会陰が引き上がって行っている。
それに伴い骨盤も立っていく。最後の赤ちゃん③は座っているけど立ち上がっている(?)ようなもので、頭頂の頂勁が現れ、肩関節が自由になっている。
タントウ功や坐禅で周天を行えるようにするための築基功は、まず最初の赤ちゃん①のような丸くしょぼい形から始めて、次第に最後の赤ちゃん③のように立ち上がっていく。それはヨガでクンダリーニが上がっていく様子を蛇がとぐろを巻いて頭を擡げる図で表すのと同じだ。(道教の修行法はヨガに由来しているだろうから当然といえば当然)
ヨガではムーラダーラチャクラ(第一チャクラ:会陰)からダイレクトに上に向かって開発していくが、道教の修行法では下丹田(精 ヨガの第1第2チャクラ)を補充するために中丹田(ヨガの第3第4チャクラ)の後転の気(食べた物と息)を一旦下向きに落として使う。そのため道教の修行法では坐禅は上の赤ちゃん①のように丸い状態から始める(一番上の赤ちゃんが俯いて行なっている作業は、放松、つまり、胸の息を下向きに、腹の穀物の気を第1第2チャクラの方へ落としている)。しっかり坐骨まで落ちたらここから改めて上むきに気を上げていく(会陰を引き上げていく)。第1、2チャクラを立ち上がらせたのが赤ちゃん②。頭頂まで引き上げると赤ちゃん③のようになる(最も開いた状態)。そしてまた最初の赤ちゃん状態に戻ってぐるぐる循環する。無極から太極へ、そしてまた無極に戻って太極へと循環を繰り返す。
これを初めから最後の尻で立ち上がった赤ちゃん③のような姿勢で練習しようとすると失敗する。仏教の道場でよく見かけるのがそのタイプ。ただ、仏教の坐禅は周天が目的ではないのでそれ以上なんともいえないが、タイやビルマの僧侶の坐禅姿に比べると日本のお坊さんの坐禅は背骨がえらく真っ直ぐだ。。日本の武道も背骨を棒のように真っ直ぐにする嫌いがあるけれど、それは日本の文化なのかしら?(小学生の時に学校で背中に30センチの物差しを入れられて授業を受けさせられたことがある・・・) 背骨はしなって真っ直ぐにもなる、という中国武術と、背骨はいつも真っ直ぐ、という日本武道と、ん〜、何か国民性の違いも感じるところ。
けれど、背骨という骨はないから、脊椎の全ての関節が動くのが理想的なのは今では常識。背中に物差しを入れられたままだとしゃがむこともできないし走ることもできない。
なお、冒頭の読者からの質問に対しては、「まだ気が十分落とせていない、すなわち、腰が緩んでいない、あるいは股関節が緩んでいない可能性が大きいと思われます。」と答えたのだけど、それに対しては「腰を緩める」「股関節を緩める」とは具体的にどういうことか?という疑問を提示されてしまったのでした。きっとこれまでにもメモで書いたことがある要点だと思うのだけど、現時点でどのように説明できるのか、初心者の人たちがきっと苦労する点なので近いうちにそのような基本要領を簡単に動画で説明できたらよいと思っています。
<追記>
一休さんはどんな坐禅だったっけ?
と見てみたら、やはり子供だから丸い坐禅。
面白いのは、左のように頭を両手でくるくるさせながらとんちをひねり出そうと真似してみると・・・会陰が上がる! 試してみては?
下の一休さんのように真面目に坐禅すると会陰は下がりがち(この目の感じだとおそらく下がっている・・・漫画ですが 苦笑)。
上のように手を上げて頭をくるくるすると目も上に上がる。目が上がると会陰も上がる。目を上げる要領は目の内収、上丹田(眉間の奥のツボ)に収める要領で表されています。
2021/2/16 <会陰の引き上げについての補足>
昨日の玉ねぎネットを使った画像を師父に見せたら、很好!と言って、そこからまた会話が始まった。
私:「無極タントウ功は気を丹田に溜めるものではなく足裏、湧泉まで落とすものなのに、やはり会陰は多少引き上げて内収するのですね?」
師父:「そうだ。会陰は上げた方が気がよく落とせる。会陰を緩めてしまうと気が太ももや膝のあたりで止まってしまう。」
私:「けれども初心者に会陰内収を意識的にさせたら身体に力が入ってかえって気が落ちなくなりませんか?」
師父:「それはそうだ。ある程度練習をしてからの方がいいかもしれない。人それぞれだから適切な時期に適切な指示をするのが良い。一律的に練功はできない。」
私:「以前、男性は会陰を引き上げようとすると女性よりも身体に力が入りやすいから、その時期を遅らせる、というようなことを言っていたと思いますが・・・」
師父:「女性は身体の特徴として会陰(膣)が緩みやすいから早いうちから引き上げさせた方がいい。男性はしっかり放松する必要がある。」
それから玉ねぎネットで私が気づいた点を話した。
私:「この模型を作ってみて、改めて、会陰を引き上げるにはまず全身の気を下げなければならないことが分かりました。」
師:「それは良かった。身体の四方八方の気が落ちて会陰が引き上がっていく。そして会陰を引き上げることで身体の気が下がる。循環になる。」
昨日のブログではそこまでは書かなかったので補足、いや、加筆・・・
会陰の引き上げをするにはまず放松して気を下げること。
慣れてくれば気を下げる作業(下向きベクトル)と会陰の引き上げ(上向きベクトル)が同時にできるようになる(から、馮老師のテキストで無極タントウ功は最初から会陰内収で行う)。
もし自分が会陰内収ができているかどうか分からなかったら、逆に会陰内収を外した状態を作ってみるといい。会陰を上げたり下げたり、両方できるのであれば上げた状態が作れるということだ。
どんな要領でも、”それ”とその反対ができるのであれば、”それ”は大体のところできている(完璧でないにしても練習の方向性は合っている)
例えば”抜背”にしても、”抜背”とそうでない背中を両方やってみせることができるなら、おそらく分かっている。含胸、塌腰、松腕・・・すべてそうだ。その反対が分からないものはそれも分かっていない。もちろん、反対が分かったからといってそれが完全に合っているとは保証されないのだけど・・・ が、会陰の場合は上げる下げると単純なものだから分かりやすいはず。
会陰の引き上げについてネットで検索をしても使えそうなものがないので、最も原始的で日常的にできる中医学的健康法を紹介します。
それは、大小に関わらず排便をした後はそこ(小なら尿道口、大なら肛門)を9回引き上げてからトイレを出てくるということ。
会陰はこの二つに挟まれているから同時に引き上がる。
そして特に大の時はしっかり引き上げる。これは提肛の練習。
排便は身体が放松して気を下に落とさなければできないので、その後に肛門を引き上げると上の玉ねぎネットの画像のように、空間を保ったまま引き上げられる(直腸が引き上がる)。巷では肛門を締める、といって肛門の入り口だけを締めてお尻を固めるような要領が教えられていたりするが、それは全く意味がないので、その過ちを避けるのにとても良い方法だ。
肛門の入り口を締めるのと、肛門を引き上げる(提肛門)のと、両方ができれば両者の違いがはっきりする。ひょっとしたら昨日のブログに載せた空手の表演者や多くの太極拳の愛好家は肛門の入り口を締めているのかもしれない・・・?
提肛門の要領がわかれば提会陰の要領も同じなのでそこから入るのも一つの方法。
もう一つのおすすめは、坐禅を組んで、そこから飛ぼうとすること。飛べなくてもよいので飛ぼうとして、その時に自分の身体と気がどう動くのかしっかり観察する。「じゃあ、今から坐禅で飛びます。」と言うと生徒さんたちはびっくりするのだけど、まずは坐禅をして、「さあ飛ぶので用意して・・・」というと、皆、身を小さく丸めるようにして飛ぶための準備の体勢をとる。よ〜い、の姿勢だ。この時は皆、急速に身体の気を下に落としている。そして私が「はい、飛んで!」と号令をかけると、ほとんどの人は上に飛ぶことに意識を奪われてお尻や会陰を見るのを忘れてしまうのだけど、飛び上ろうとする時に自分のお尻や会陰がどう動いているのか、あたかもスローモーションで見ているように観察できれば、まず自分のお尻が床を踏んでそれからすかさず会陰が引き上がって床からお尻が離れるのが分かる。お尻が床を踏み切り板を踏むように打つのが身体中の気がお尻まで下がってそれが床の反発力を得ようとしている状態、そしてその反発力は会陰や肛門で受けて身体を持ち上げる。
左のお坊さんのような坐禅姿のままでジャンプすることは無理だ。このまます〜っと身体が宙に浮いたら奇跡だ。この世の人ではない。
しかし、たまたま画像検索で見かけたこのタイの僧侶の坐禅姿、これならこのままの姿勢から少しジャンプ(浮く)することも可能そうだ。奇跡ではない。
なぜそう思えるのか?
分析してみると、上のお坊さんは気が下に落ちていない→会陰内収が弱い。これに対して下の僧侶は気が下に落ちている→会陰がしっかり内収している。
では、なぜ上のお坊さんは気が下に落ちていないと分かるのか?
まず最初に目線が違う=目が内収していない→肩が’(本当の意味で)沈んでいない。含胸ができていない・・・息が胸かせいぜい腹までしか届いていない。
一方、下のタイの僧侶は目の内収がしっかりできていて、沈肩、含胸で息が腹底(会陰近く)まで落ちている(会陰の引き上げと息が合体している)。
実は太極拳でよく出てくる「内収」という言葉。これは皆連動している。目を内収すると会陰も内収になる。足裏も内収になるし手のひら(労宮)も内収になる(もっとも、目の内収をかなりしっかり、奥の方までする必要があるけれど)。 そのあたりはまた別の機会に。
2021/2/15 <会陰内収と提会陰の違い>
昨日のメモに関して生徒さんから下のような質問がありました。
<無極タントウ功の時は会陰は引き上げていないのでしょうか?>
以下、この質問に関連することを書いていきます。
総論からいえば、”会陰の引き上げ”、といっても程度がいろいろある。ある意味、ピンキリ。
①まず、馮老師の無極タントウ功(下の左端の写真)の説明には『会陰内収』という言葉が使われている。
[・・・松腰下榻 尾闾微向下 向前收敛 会阴内收 裆开圆 后腰命门处松开・・]
腰を緩めて下に垂らし(塌) 長強穴(尾闾)を僅かに下、前方向に収め、会陰を内側に収める。(すると)股(裆)が丸く開き、腰の命門のあたりが緩んで開く
②そして下の真ん中の中丹田に意を集中させる中環タントウ功もそのあたりの要領は上の無極と同じ。会陰内収だ。
③しかし、右端の下丹田に意を集中させる下環タントウ功の場合は要領が少し違う。
{・・・塌腰敛臀身微坐 提尾闾 提会阴 ・・・}
身体は座ったような形になり、尾骨と肛門の間にある長強穴と会陰を引き上げる(提)。
つまり、どれも会陰を少し引き上げているのだが、その程度は③が最も大きい。
下丹田は精を煉る場所で会陰を引き上げて生殖器官を刺激する必要があるから、写真のようにしっかり股関節を緩めて少し椅子に座るようにする。
(もう少し深入りしていえば、馮老師のテキストにも書いているように、下丹田は”会陰穴の深いところ”、すなわち、男性なら前立腺、女性なら子宮口の位置にある。会陰を引き上げるのはその場所を刺激するためで、それはヨガの第1チャクラ(ムーラナーダチャクラ)を刺激する方法と同じだ。
会陰は骨盤底筋を引き伸ばした方が引き上げやすい。(180度開脚に近づけば近づくほど会陰は上がりやすい。会陰を上げずに筋だけを伸ばして開脚をするような練習をするとコアの筋肉が使えず腰痛などに悩まされることになる。女性のヨガ愛好家に以外と多い問題のよう。) そのため、上の①のような棒立ち姿勢や②のように股関節がしっかりと開いていない姿勢では会陰は上がり辛い。そこで、会陰の引き上げの時のポーズはヨガのように坐禅の形で行うか、立って行う場合は③のように両尻を割って姿勢を低くする。
以前師父が会陰の引き上げについて網袋でイメージを教えてくれたことがあった。
面白そうなので、家に玉ねぎの入っていた袋があったので、それで『会陰内収』と『提会陰』のイメージを早速作ってみた・・・
左端が会陰が下がっている、落ちている状態。何も意識していないとこうなっている場合が多い。
そして真ん中が少し引き上げた『内収』、そして右がもっと引き上げた『提会陰』。
そして提会陰がもっともっと進むと、それで身体の中に空間の柱が立っていくようになる(最初は下丹田を刺激していたものがそのうち中丹田と合体し会陰を引き上げるとどこまでも引き上げられるような感覚になる。これで喉や頭頂まで達するのがマスタークラス。)
私たちが練習をする時は、まず普段から会陰内収を心がけること。時々自分の会陰が落ちていないかチェックしてみる。横断歩道の赤信号で立っている時、椅子に座っている時、掃除をしている時、テレビを見ている時・・・とチェックして意識的に引き上げる。椅子に座っている時は最もわかりやすい。
会陰の状態は外から見てもだいたい分かる。
左のような姿勢では意識的に上げようとしても上がらない。骨盤を立てる必要がある。
また、本当に腹から笑っている時は会陰が上がっている。怒っている時不機嫌な時、口がへの字になっている時は下がっている。口角を上げると少し上がる。嫌々ながらする、気持ちを重くすると会陰は下がる。ウキウキすると会陰は上がる。会陰を上げていると怒れないのでは? 悲しくなろうとしてもなれないかも? (是非試して見てください)
ジェットコースターに乗って漏らすのは恐怖で会陰が落ちるから。咳やくしゃみでも会陰は瞬間的に落ちる。
中国では相当高い割合の坊さんが痔を患っているという統計が出ていたことがあったようだが、坐禅をする時に会陰を上げるのを忘れていると痔になりやすい。同様に、中国のサイトでは、太極拳をすると痔になる、という書き込みもあって驚いたことがあるが、確かに、低い姿勢で気を下ろしているのに会陰を上げていなければ痔になる可能性もある。
普段の生活では会陰内収を心がけることにして、練習では、毎日少しは③のように深く座って意識的に会陰を引き上げる練習をするべきだ。会陰の引き上げを保持してしゃがむ練習(双腿昇降功)もとてもよい。そしてイチローがよくやっていた肩入れストレッチ、これは股割り、会陰の引き上げの練習にもってこい・・・が、股が割れないと会陰の引き上げは難しのかもしれない。
下は気になった画像(以前ブログに載せたことのある画像を含む)
上段2枚はイチローの肩ストレッチ、といっても身体を割っている。会陰、肛門が開いて引き上がって、それが頭頂までつながっているようにもみえる(→上の玉ねぎネットの理屈)
これに対し下段の2人の有名な空手選手達の型の姿は、同じように大股開いても会陰が落ちているように見える(なぜだろう?)呼吸が違うし、身体が石のように硬くなっているから会陰が落ちていると分かるのかもしれない。しかし最後の1枚の写真、顔は写っていないけれど、これは会陰が上がっている! 誰だろう?と調べたら大山茂という極真会館の最高師範だった。実践の人はやはり会陰は上がっている・・・
開脚、股割りのコツは会陰を引き上げていくこと。会陰を引き上げることで股関節が内側から使いやすくなる。しゃがむ時、座る時は意識的に会陰を引き上げること。無意識に座ると会陰は下がりやすい。座った状態で会陰を上げたり下げたりする練習は中医学の養生法の定番。そして両脚を大きく開いて意識的に肛門と会陰を引き上げる練習もマスト。高い姿勢では骨盤底筋がストレッチされ辛いので低い姿勢でも練習してみる。両脚を閉じても『会陰内収』程度は引き上げられるようになるように。癖がつけば、無意識、放松状態でも内収になる。寝ている時に内収が外れないようになったらマスタークラス。
2021/2/14 <気沈丹田の意味 天の気と地の気の合流>
前回紹介した推手の重心移動に関する動画を撮った時に、しゃべりながら、あれ? と思った箇所がある。それは『気沈丹田』という言葉。
動画の中で私は、「気沈丹田と言って息を腹まで落としているのに会陰を引き上げていない場合は(重心移動をすると否応無しに膝に乗っかるような動きになる)」といった言い方をしたのだけど、それを言いながら、「あれ? 気沈丹田の中には既に提会陰(会陰を引き上げること)が含まれていたんじゃなかったっけ?」と思ったのだった。
そして今日師父にそこを確認したら私の思った通りで、『気沈丹田』のためには会陰が引き上がっていなければならない。息を腹(ヘソ下)まで落としただけでは『気沈丹田』とは言わない。が、今では丹田と言う言葉が一般単語のように広まっていて、ただヘソ下に力を入れただけで”丹田を使っている”と思っている流派(おそらく外家拳のことを念頭に置いた言葉だろう)も多くなっている、と師父はぶつぶつ言っていた。
ともあれ、丹田は気を煉る場所(丹:仙薬を作り出す田んぼ)。丹を作り出すには相反する気を合流させて火を加えて煉る必要がある。最初に作る中丹田(ヘソの丹田)でいえば、中医学で心腎相交(水火相済)というように、心の神と腎の精をドッキングするすることだ。中医学において『心』は脳も含んでいて、意(神)を下方へ向け息を深する一方で、先天の精が宿り生殖器官と密接に関わる『腎』に対し、会陰を引き上げて内側から下丹田の場所(前立腺、子宮口)を刺激することで腎の水と心の火が中丹田で合流して新たな気の渦(流れ)が発生することになる。
具体的には、①眉間(鼻の頭)から息を腹の方へ落としていき(心の火を下ろす)、それと同時に②会陰を引き上げて腎(命門)を内側から刺激する(腎の水を上げる)のだが、ここで注意を要するのは、会陰を引き上げるには足裏の力が必要ということだ。というのは、心の火と腎の水、と形容されている2種類のエネルギーは、もっと大きな視野で見れば、天の気と地の気という2種類のエネルギーに他ならず、心の神(火)を下ろすというのは天の気を身体に落としてくること、腎の精(水)を上げるというのは地の気を身体に引き上げてくること、そして地の気を身体に取り入れるには実際に地に接している部分を使う必要があるからだ。
つまり、会陰を引き上げる、というのは、立位の場合、足裏を引き上げる、足裏で地面の気を吸い上げる、ということ。足裏は左のようなトイレのスッポン(ラバーカップというらしい)状態になる。
これを、私は初心者には”土踏まずを上げる”とか”上がる”と表現しているが、注意が必要なのは、上の①の過程(息を下ろす過程)で土踏まずを意識的に上げてしまうと、息が十分下まで降りなくなってしまうため土踏まずを上げても地の気を吸い上げることができない。ただ足が硬くなるだけだ。身体が十分脱力してドロ〜っとするくらい重くなって(死体のように)地面に身体がひばりついたようになってから土踏まずを上げるべきだ。
もう少し練習が進んでいれば、土踏まずとは言わずに湧泉を引き上げるようにと言うこともできる。
①の過程がちゃんとできていれば、湧泉を引き上げればダイレクトで会陰が引き上がるはずだ(逆にいえば、会陰を引き上げようとしたら湧泉が引き上がってしまう)。この連動が起こらないとしたらまだ①の気を下ろす過程がちゃんとできていないので気を落ち着けてゆっくり立ち続ける必要がある。(タントウ功のまま寝ようとしたら気はすぐに落ちるのでは?)
練習を積んで慣れてくれば①と②をほぼ同時にできるが、それでも毎回短時間でも①をやってほっとしてそれから②をして気を溜めていくことになるはずだ。
タントウ功、太極拳の要領は下向き=重力に随うものがほとんどだ。沈肩、墜肘、松腕、含胸、塌腰、松胯・・・これらは全て①の過程に使う。これに対し、上向き=重力に逆らうもの、は、提会陰、湧泉の引き上げ、舌貼上顎、頭頂の頂勁、と数が少ない。これらが②の過程で付け加えるものだ。
地の気を吸い上げるためにはまず地に根ざす必要がある。
上に上げるためには下に下げる必要がある。下げとは重力に随うこと、重力に逆らわないこと。これが放松だ。重力に随い地に落ちていくと思ったら反転して天に向かう。相手の力に逆らわない動きから反撃が生まれる・・・太極拳の化勁の原理そのものだ。
逆らわなければどこかで反転が起こる。最も自然でよいのは①をやっていたらいつのまにか②に移行していた、という流れ。身体に任せていれば自然にそうなるはずなのだろう・・・昔の人たちのように時間をかけてゆっくり修行できれば。 静心慢练。
2021/2/12 <身体に備わった機能を最大限に利用する 会陰の引き上げと重心移動>
零下での練習3日目。今日はマイナス3度。風があったので手が冷たくなるが体内の気が流動しだすと内側からじんわり暖かくなる。太極拳の練習を始めてから手袋をすることがなくなった。このくらいの気温で手袋をすると手袋の中で却って手が冷えてしまう(経験済み)。師父と練習を始めたその年に、冬でもマフラーや手袋は付けないように言われた。男性は帽子はつけてもいい、が、女性はつけないのが好ましい(男性は足が暖かくて頭が寒い、女性は真逆。もし男性なのに足が寒いとか、女性なのに頭が寒いとしたら健康に問題あり。中国の諺にあるそうだ。)
これまで師父になぜ手袋をつけてはいけないのか?とダイレクトに聞いたことがないが、経験的に手袋を付けない方が手が内側から暖かくなる(表面は冷たかったとしても)から、付けない方が良いのだと思っている。たまたま主人にそのようなことを言ったら彼も手袋をつけると手が冷えるというからそのように感じる人は案外多いのではないかしら?
そういえば寝る時に靴下を履いてはいけない、と子供の頃に言われずっとそうしてきた。冬など、最初足が冷たい時は靴下を履きたいと思ってそうしたこともあったけど、どこかで気持ち悪くて脱げ捨ててしまっていた。
でもなぜ寝る時に靴下を履いてはいけないのか? そんな質問をしたことがなかった。太極拳の練習の時に手袋をしてはいけない、というのと通じる回答があるのかも?
と、早速検索したら、頷ける回答がありました。https://epark.jp/medicalook/remove-socks-when-you-sleep/
足指を自由にうごかせなくなり、ますます足先に血液が届きにくくなります。
また皮膚感覚が麻痺し、脳からの体温を調節する司令が伝わりにくい状態になります。
睡眠時に体の中心の温度を下げるために熱を放射しますが靴下はそれを妨げてしまいます。
汗が足の皮膚の温度を外へ逃し、ますます足が冷たくなります。
上の回答の中の”皮膚感覚が麻痺し、脳の司令が伝わりにくい”というのは私が想定してたもの。冬はただでさえ分厚い衣服を着ていて露出されている部分が顔と手のみ。顔には目鼻耳口がついていて、手は脳の延長と言われるほど敏感なセンサーを持っている。これらのセンサーを働かせることによって外界に身体を適合させる調整を行なわれる。もし顔も覆って手袋までしてしまったら、身体のセンサーは眠ってしまいメリハリのない鈍感な身体になってしまうだろう・・・。温室の中で育つ野菜と外気に晒されて育つ野菜、活き活き感は全く違う。太極拳の練習の中にはそんな基本的な身体の鍛錬が含まれているということだろう。
自然との一体化、天人合一、などというのはまず外気に触れないと始まらない。室内練習だけではテクニックは学べても身体の真の強さ、功夫はつかない。春夏秋冬全ての季節を味わうのが身体を鍛えることになる。
と、書き始めたら話がズレてしまいましたが、今日の練習の後に重心移動について動画を撮りました。会陰を引き上げる重要性を再確認してもらうのが目的。話が退歩に及んだあたりから雑談のようになっている嫌いがありますが、それらを知っているのと知らないのでは重心移動の仕方が変わると思います。 動画に関する話はまた後日書きます。
2021/2/11 <胴体を使って推手をする練習 どの部位の力を重点的に使うのか>
今日は私の方から単推手の練習方法について師父に提案をした。
それはできるだけ近づいて前腕を接した状態で適宜押し引きをしながら自由に動く練習から始めるということ。いつも同じように手首を接した状態での推手ばかり練習をしていると肝心の胴体の力で推し引きしている感覚が取りづらい。かなりレベルが高くない限り、お互いの腕の力だけを感じ合うような結果になりがちで、結局四肢運動で終わってしまう。四肢運動を打破するには、究極的にいえば、二人でおしくらまんじゅう状態の推手ならぬ推体(?)に近いことをすればよいのでは?と思ったからだ。
昨日久しぶりに馬龍のフォアハンド打ちのフォームを見て、ああ、こんな世界チャンピオンもまずは肘を固定して(足ではなく)腰から打つ練習から始めるのだ、と感動した。腰(胴体)があっての足(脚)。まずは定歩、それから活歩、腰がしっかりできてから足(腿)を動かす練習をする。足(腿)のことばかり考えていると腰がおろそかになる。体重移動は足のように見えて実は腰(胴体)で起こっている。だから推手もそのような順番で練習した方が誤解が減るのではないか? ・・・師父に馬龍の画像を見せながらそんな風に話した。私の話した師父は、私の言うことも筋が通っている、じゃあそうしよう、と言って接近してお互いの前腕をくっつけたまま動く練習をしてくれた。
肘から先を使わないで推し合うと相手の身体の力がとてもよく分かる。手首を合わせた時には分からなかった師父の身体の中の気の動きも肘のあたりをつけていればよく分かる。よく分かるとそんなに怖さがない。(そこから推されたにしても、掌で突然推されたり掴まれて引っ張られたりした時ほどのダメージがないのが感覚的に分かるからかな?)
そしてお互いの身体の動きがシンクロし始めてきてから徐々にお互いの距離を広げていった。最後はいつもの推手の位置へ。身体の中の動きのリズムが壊れないように注意する。自分の足が今どう動いているんだろう?と観察しようとするとリズムが崩れてしまいそうなので今日はただ師父の身体のリズムに合わせて動いただけ。途中、師父が、「肩の撑をやれ」とか「膝を回せ」とかいろいろ言うので 「腰ではダメなのか?」と聞いたら「もちろん腰は常に使っているけれども、重点を変えていくことはできる。例えば、今私は肩で推している」と肩を押し広げてグイグイ直線的に推してきたと思ったら、「そしてこれは腰の力だ」と言ってさっきとは違って塊のような重さで推してきた。「そしてこれは膝だ」と言った時には、腰の重い力は消えて私がいくら推しても力がどこかに消えてしまうような感じになった。 「膝の回転を意識的に使うと相手の力を消せますね?」と私が言ったら、「そうだ、力の重点を置く場所を変えていくことでいろいろなことができる」と師父は答えた。
常に、足裏から力を発して腰で打つ、というわけではなく、それができるようになるのがまずは先決だけれども、それ(整勁、身体全身の力を使う)ができるようになったら、気を自由に移動させてどこでも使えるようにする(関節はどこでも発力できる)ということのようだ。随分前にも同じような話は聞いたことがあったのだが、その時はスルーしてしまった。ただ当時師父が「例えば仰向けに倒された状態で相手を打つ時にどうやって足裏の力を使うというのか?それは無理だ。そんな時は肩を根節として発勁ができる。」と語った話は覚えている。そして「少しの力で済むところを全身の力を使うなんてバカなことはしない。」といったことも言っていた。その話を聞いて、私は、家のタンスの引き出しを開ける時にてっきり中身が詰まっていて重いものだと勘違いして思いっきり引っ張ったら引き出しがすっこ抜けて私も尻餅をついたことを思い出したのだった。相手に対応した力で臨まないとかえって自分が怪我をする羽目になる・・・なんでも力任せにやればいいってものじゃない。これが相手の力を聞く、ということなのか、と。
家に帰ってきて、今日師父とやった密着系の推手は実は肘の推手に似ていると思い出して、馮老師の動画を再度見てみた。これは胴体のみならず肩と二の腕を使う練習にもなる。明日これを師父にやってもらおう。(上段は外肘の挤捋,下段は内肘の挤捋 https://youtu.be/OXJgqLo9gkk)
2021/2/10 <卓球から思い出したこと 楊式2つのタイプ>
体重移動の際の8の字は足で描くのではなくて腹腰、帯脈で描く。
今朝、卓球ではどうやって重心移動していたっけ?と、卓球の推手ともいえるフォアハンド打ちの連打を思い出してそんな基本的なことを思い出した。相手に合わせて打つ時は思いっきり振り切ったりはしない。合わせて打つことができるようになったら(1000本ミスせずに打ち続けられるとか)相手に隙を突いて打ち込む、というような練習もあった。合わせている時は特に、そして打ち込んだ時でさえも、すぐに基本姿勢に戻る、というのがお約束だった。打ったらもう戻っていなければならない。師父が「推すのはゆっくり 戻るのは速く」と言ったあの言葉は何も太極拳に限ったことではなかった。な〜んだ。
上の青色シャツの馬龍選手。左はただ相手に合わせるフォア打ち。肘をしっかり腰に合わせ腰で打つ練習(これこそ基本練習)をしている。体重移動は?とみると、足の動きはあんなもの。腹腰で体重移動してそれを腕に伝えている。では足の役割は? と見ると、足裏はしっかり床に貼り付いて(気が足裏まで落ちて)床からの反発力を得ている(足裏から胴体に向けて気が跳ね返ったようになっている)。『力は足から』と言われる通りだ。(『力は腿から』でないことに注意 腿に力が入ると足裏からの反発力が使えなくなる。)
そして右側の画像は、合わせる練習から攻撃を仕掛ける練習に変化したところ。定歩推手が活歩推手になった感じか?振り抜くようになると歩幅も大きくなるし腿の動きが重要になる。しかしどんなに足が動いても打つ時の支点は腰。これは変わらない。 私が大学生の時に伊藤繁雄元世界チャンピオンから「お前は腿で打っとるな。」と言われたことがあったけれども、それは「腿で打たずに腰で打て」ということだった・・・と知ったのは太極拳をかなり練習した後のこと。当時はもう卓球で全日本を狙おうという気も全くなかったから伊藤さんも私には適当に笑って声をかけてくれるくらいで真剣に教えるという関係ではなかった。「腰で打て」と言われても当時の私にできたかどうかは怪しい・・・
久しぶりに卓球の動画を見ていたらハマりそうになったので意識的に太極拳に戻る。そういえば今日師父が中国サイトにある太極拳の動画を送ってくれていたような。と開けてみたら、その中に楊式だけれども、あれ?これは馮老師や師父の推手の動きに通じるものがある、と思うようなものがあった。体重移動が終わったと思われる箇所からさらに少し腕が伸びるような感じのものだ。
この二人を見てから、巷でよくみかける楊式の動きを見てみると・・・
あ〜、なんで下段のタイプが普及して上段が普及しなかったのだろう?
上段の動きは丸みと伸びがあってまさに太極拳。体重移動が終わっても肩がさらに伸びでいく・・・転換はgraduallyに行われる。転換点が折り返し時点になってしまったら太極拳ではなくなる(陰陽図で陰陽転換がどのように行われるか? 転換点も円か球、決してとんがってはいない)
下段は腿や膝で詰まってしまうのと同時に肩や肘も詰まってまったく伸びがなくなっている。
師父はその原因を、下段が四肢運動で胴体運動になっていないからだという。
胴体が箱のように動かない。上段の二人が前進しながら命門を意識的に後方に推している(腹と腰の“撑“=引っ張り合い、を作る)のと対照的だ。下段の二人は後ろから腰を蹴ったらすぐに前につんのめってしまうだろう(腰、背中が隙だらけ)。上段の二人は後ろからも攻めにくい。
そして、胴体で動くといやでも内腿を使って重心移動をすることになる。(命門を開いて仙骨を引き伸ばすから内転筋が起動する)四肢運動にすると内転筋は使えない。どんなに注意しても前腿運動にならざるを得ない。
胴体で動く→命門を開く+会陰を引き上げる→内転筋で動く
命門を開いて腰で発勁できるようになれば腕の発勁(腕のしなりと伸び)はその沿線上にある。まずは命門の張りを失わないまま体重移動する練習が必要かと思う。命門の張りを失わないように移動し続けると、常に進歩の中に退歩が含まれてくる。前進中いつでもバックできる状態を維持し続ける・・・推手にはそれも含まれているのではないかしら?
最後に馬龍の命門の発勁によるバックハンドをお見せします。(https://youtu.be/Kzyl6-owLB0)
相当な腹圧がかかっています。腹の気が多くないと腰痛めそう。馬龍の馬歩、かっこいい♪
そして蛇足ですが、太極拳的には左のようなスクワットは無意味。馬龍の馬歩と比べれば違いは一目同然。
これは腿を鍛えるだけで腹圧が高まらない→腹腰を鍛えられない。
どんなに下がっても腰は落とさない。
最初に揚げた楊式の2つのタイプも腰の高さに違いがあります。
2021/2/9 <推手 転換点の動きから8の字=2つの円をを推測>
昨日の単推手の練習で師父が少し褒めてくれたこともあり、今日は練習の最後に確認用に動画を撮ってみた。今日はマイナス3度。套路よりも推手の方が暖かくなって楽しい・・・
撮った動画をみて、あれ? 師父と体重移動が違う、何かおかしい、と気づく。師父は撑が少しできていると褒めてくれたけど、そのやり方が師父と比べて間違っているのが分かる。私は身体全体を後ろに引くことで腕を前に伸ばしてしまっている(身体全体と手を引っ張り合いにしてしまっている)。そのため前後の体重移動が消えてしまっていた。
師父に、私は間違えている、と撮った動画を見せたら、「そうだな。間違っている。けれど、松はできているし身体の力も使えている。ただ肩から撑ができていない。」と言った。
師父の動きを動画で見ると、馮老師同様、前方へ重心移動しながら腕も前方に推していくのだが、最後のフィニッシュの時には足(身体)はすでに後方へ退きつつある。
ん〜、どうなっているんだろう・・・と家に帰ってから動画をスローで再生してゆっくり真似をしてみた。
要は、ジーからリューへの転換点(前方から後方への転換)、そしてリューからジーへの転換点(後方から前方への転換)の力の使い方の問題だ。
師父のようなタイミングで動くには・・・ああ、8の字だ! あのような動きになるには8の字を描かざるを得ないはず。
下のように整理をした。
8の字と言っても2つの円が引っ張り合いになるように重心移動がなされている(開合、中心から共に離れ、中心に向かって戻ってくる)。
進歩になると股(裆)がますます開き、退歩になると股が狭くなるはずだ。
これが進歩の時はゆっくり(軽く)、退歩の時は速く(重く)、といわれる所以だとおもうのだけど・・・
丹田、胴体の切り口がみな8の字、それも遠ざかる2つの円と近づく2つの円(でないと撑にならない)・・・
もう少し練習して確かめる必要あり。(読者の方、まだ鵜呑みにしないでできれば8の字で試してみてください)。
2021/2/8 <今日の推手の練習>
2021/2/7 <紐トレ 中正と全身のポン 遠心力と求心力>
紐トレ(ヒモトレ?)と検索すればどんなものか分かると思う。紐の使い方としては、ただ身体に巻いておくというものと、紐を両手にかけて運動をする、という2種類のものがあるようだ。
ただ身体に巻いておくタイプのもの(左の図の中の「へそひも」や「お尻ひも」のようなもの)は経絡や筋膜の繋がり、アナトミートレイン等と関係がありそうだ。
例えば「へそひも」は八脈の一つである「帯脈」を起動させる。身体を地球に例えるなら帯脈は赤道。赤道を垂直に走る経線は身体でいえば経絡だ。中医学で帯脈が重要視されるのは、それを開通さえればそれに交わる12経絡を起動させることができるから。だからまず腰回し(帯脈回し)から運動を始める(と中国の気功の先生がテレビ番組で言っていたのを聞いたことがある。)
身体のいろんな箇所に紐を巻くとそれぞれ違った効果が現れるようで、試してみるととても面白い。
紐を巻くのと巻かないのと、どうしてこんな差が生まれるのだろう? と不思議に思うのだが、その理由を科学的にしっかり説明している人はいないようだ。分かるのは、皮膚のセンサー、神経が反応して身体、脳のAIが私たちの意識とは無関係に勝手に働いているということだ。スイッチを入れればそうなる、身体はそんな風に作られているところが多分にある。そのスイッチを入れる役割をするのが紐の刺激のようだ。
紐を使ったエクササイズをすると更に紐トレの核心的作用、太極拳との接点が見えてくるようだ。
例えば上の図にある、両手首に紐の輪っかをひっかけて両手を上に上げ、紐を左右で引っ張り合いさせたまま身体を横に倒すエクササイズ。
(https://youtu.be/u3LkkPXQCH8)
紐のテンションを使うと身体の中正を保ったまま身体を倒すことができる。 私も試してみたら、なるほど、こうすると左右の手首陽面が引っ張り合いをする結果、そこから面で繋がる両脇、両腰、うまくいけば両お尻、両腿、両スネ、両足首が引っ張り合いになる。身体の中で左右の引っ張り合いが起こるため結果として中正が生まれる・・・中正を作ろうとすると中正はとれない、中正は身体のポン、あるいは、撑(膨らんで左右、上下、前後、全てにおいて引っ張り合いをする)の結果生まれてくる・・・太極拳の原理がこの簡単なエクササイズで体験できる。
と思ったのだが、画像検索したら、あれ? これでは中正はとれない。ムムム、どれだけ肩甲骨を上げられるか、そんなエクササイズになっている・・・?
そもそも紐トレの宣伝の出発点が「紐をかければ楽に手が上がる」というところだったようで、モデルさんも思いっきり肩甲骨を上げて腕を上げている。この状態で両腕を倒すと、上段右端の画像(これが本の表紙のよう)のようになり、肩甲骨から先の運動になってしまう。胴体は取り残されるので中正はとれない。・・・とちょっとがっかり。(身体を倒すことにより片方の体側が伸び、片方の体側が縮むのは中正がとれていない。脊椎のしなり=実は旋回、で身体を倒すと、片方の体側は凸、片方の体側は凹、で共に伸びるが、この状態を中正がとれている、という) ただ、肩甲骨が固まって動かない人には良い運動なのかなぁ、と気を取り直す。
が、右の画像の中にいる、紐トレ考案者の小関さん。腕を上げても肩甲骨は上げていない! そして最初にGIF画像で紹介したトレーナーの女性も肩甲骨は上げていないのだ。
このように肩を沈めたまま腕を上げれば、その後、紐の張力を失わないように腕を倒せば胴体から脚まで自然に倒れて中正を失わずに動くことができる。
また、両手に紐をかけた状態で、両手を腰の高さで前に伸ばしそこから左右に振るような動き(腰の回転)をしてみると、胴体が筒になってそのまま筒ごと回転するのが分かるはずだ。紐を外して同じ動きをするとウエスト捻りのようになる。
このように、多少運動の仕方に注意は必要だが、紐によって外向きへの引っ張り合い=外撑を使うと身体に膨らみが出て結果として中正が現れる。
太極拳で言えば、丹田を表皮まで広げた状態だ。
全身に均等に広げられれば大きな太極の球になる。
太極拳で言うところの全身のポン(膨らみ、緑の矢印)は、丹田(ピンクの丸)が大きくなることによって起こる。丹田の気が少ないと表面まで広げられず全身のポンができなくなる。そのため気を養うような生活、練功が必要になる。
紐トレは必ずしも丹田からポンさせるものではないが、身体の表層をポンさせることで身体の枠取り、アライメントを正しく整える作用があるようだ。身体の内側は手付かずだ(直接的に内臓を養うものではないが、外形を整えることで間接的に整えることは可能だろう。)。
昨日のメモで、足裏で地面を踏みしめないようにすることについて書いたが、実は、これは強制的に上図のような全身の(表層の)ポンを作り出させることになる。足で地面を踏みしめないように注意すると足裏と地面の間にほんのわずかな隙間があるような感じになる。これが足裏のポンになる。そして足裏のポンを意識的に作り出そうとすると全身はポンせざるを得なくなる。全身をポンさせたまま動くと膝一点に体重が乗ったりすることはあり得ない。全身を均等に動かさなければならなくなる。
ただ、この外側に張り出した力だけでは片手落ちで、これに拮抗する内側に引っ張る力、すなわち、丹田の吸引力も養う必要がある。遠心力に対する求心力、という関係だ。
それには、紐をこのように八の字にして上で紹介したようなエクササイズをしてみるといいかもしれない。紐をこのようにしてやると、外に向けてのポンの力に加えて身体の内側に絞る力を意識しやすくなる。こちらの方が太極拳的?
といっても、これで丹田の気を煉ることはできない。煉るならやはり太極棒がよい。労宮を使わないと練るのは難しそうだ。
なぜ労宮?
・・・また疑問が湧いてしまった。<続く>
2021/2/6 <足裏で地面を踏みしめないようにするとどうなるか?>
今日のビデオレッスンの最中、生徒さんから「・・・でも、足は杭のようにするんですよね?」と、私の教えていることがちょっと分からない、といった反応があった。
私が教えていたのは、弓歩の時にどうしても前腿に乗ってしまって、なかなか内腿や挡を使えないという、これまで楊式の太極拳のみ練習してきた女性。その姿はまさに前回前々回のメモで登場させた表演タイプの推手の弓歩姿だ。
左の水色の人のように前腿に乗って進歩(前進)していった場合、どこかで膝につっかえてしまう。そして膝につっかえて膝で前進へのブレーキがかかった途端、即座に足裏のつま先側がグッと地面を掴んで膝が前にでないようにブレーキをかけることになる。
気持ちや身体は前に行きたいのに、膝や足裏はブレーキをかける、そんな相矛盾した動きが生まれる。
膝は折り曲がり、足首も捻れる。足首が立っていないから足裏が垂直に地面を押せない→地面の反発力を得られない→身体が沈む(気を丹田に沈ませる、のとは違うことに注意。気沈丹田をすると身体は軽くなる、浮く、というのは、地面から反発力を得られるから。)
ではどうしたら内腿や挡を使えるか?
それには様々な入り口があって、各々の生徒さんがそれぞれ分かりやすい方法を使うのがいい。今日の生徒さんには、まず爪先立ちから脚を長く使う方法(腸腰筋から使う方法)や意識で脚の内旋や外旋をし続けながら重心移動やしゃがんだりするやり方を試してもらったが、最もしっくりきたようだったのは、バレエのrond de jambeのように足裏で床を擦り続けながら脚を自由に動かしてもらうエクササイズ(片手は椅子の背もたれなどを持って身体を支えて可)。
←rond de jambe
バレエではポワントで擦るが、これを足裏全体をべったりつけて行う。足裏のセンサーを全起動させる。
このような動きをすると、脚が股関節からではなく腹の中、あるいは腰の中から始まっているのが分かる→大腰筋が起動する。
ちなみに、「足裏で床を擦る、大腰筋」と検索をかければ必ず何かヒットするはず・・・とやってみたら、下のような記事がヒットした。すり足は能の基本の動きらしい。
https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20130728-OYTEW56573/
大腰筋は腸骨筋と合流しし(腸腰筋)、命門あたりから内腿にかけてつく胴体と脚をつなぐ筋肉となる。大腰筋はヒレ肉、とても強力な筋肉だ。大腰筋から脚として使えれば、腰、背中から脚となるので、冒頭のような問題点は解決してしまう。(腸腰筋を使うと内腿を使わざるを得なくなる。使う筋肉の経路が変わってしまう。)
ただ、上のようなエクササイズをして、腰(命門)から脚にする感覚を少し掴めたとしても、それを保持して太極拳の弓歩をするのはそれほど簡単ではない。膝を伸ばして直立姿勢で得られ感覚が、股関節や膝を緩める太極拳の姿勢になった瞬間に失ってしまう例はこれまでにもよく見かけた。(直立姿勢の時よりも会陰を引き上げたり腰を開く(緩める)必要がある。)
ということで、今日は別の角度から教えてみた。それは、床を擦った時の足裏の感覚を保持したまま弓歩で動いてみること。
足裏で床を擦った時の足裏は、床には接しているが決して床を踏みしめてはいない。ある意味、床を踏まないように立ち、床を踏みしめないように動く。足裏は砂つぶ一つでも気づく敏感なセンサーのある箇所、床を擦った時の足裏の感覚を保って太極拳の弓歩に移行するのはそれほど難しくない。
そうすると、身体全体が宇宙遊泳のようになる。
楊式太極拳は全体を膨らましたまま動くようなスタイルだから、とても合っている感じだ。(陳式だとそのようにもできるが、チャンスーをかけたりして凹凸が出てくることもある。)
全身を総動員して足裏が床を踏みしめない、踏みにじらないようにする・・・私が夏の頃ずっと試していた土の上で裸足で練習していた時のようになりそうだ。足裏をそのように保つと周身一家になる。するとどこか一点、膝や前腿に乗っかることがない。角がなくなる。
(ここから先に進むには、この宇宙遊泳状態=気が広がった状態から息を丹田に沈めていって気沈丹田する必要がある。気沈丹田しても身体は沈んでしまわないように気をつける→会陰をさらに引き上げていく必要があるのが分かるはず。)
今日の生徒さんはこのような動きがうまくできたのだが、そこで出たのが冒頭の質問だった。
「足(脚)は杭のようにしなくて良いのでしょうか?」
タントウ功のトウは杭の意味だが、それは脚を杭にするわけではない。脚が杭になったら動けなくなってしまう。杭になるのは胴体だ。けれども、胴体を杭にするわけではない。胴体を杭にしようとしたら胴体が硬直して広がり(ポン勁)引っ張り合い(撑)がなくなってしまう。
杭は身体の内側から外側への広がりと内側が外側を引っ張る、二つの相反する力の釣り合いで生まれるものだろう・・・
このあたりは、先日生徒さんからたまたま聞いた「紐トレ」(随分前に流行ったもののようだが私は全く知らなかった)のからくりと関係ありそうなので、続きはまた次回に。
2021/2/4 <松する順番 腰を緩める+股関節を緩める=骨盤が立つ=内転筋が使える>
下半身の使い方に関して、松する順番としては
①腰を緩める→②股関節を緩める→③膝が緩む→④足首が緩まる→⑤足裏に気が落ちる
となるのだろうと思うが、これを、①を省いて②から始めようとすると
①’股関節を緩めようとして膝が曲がる→②’足首が締まる
と二段階で終了。股関節と足首のクッションが効かないから腰や膝に負担がかかりそうだ。
上の左画像の馮老師は、腰を緩めることによって頭から足裏まで繋げてしまう(緩めた腰の赤弧線はピンクの緩めた腰の弧線は頭頂から繋がっている→目や顎の要領、含胸や沈肩の要領)。
これに対し右画像の二人は腰を緩めていないから股関節が緩まず膝にダイレクトに乗ってしまう(前腿に乗ってしまう)。前腿に乗ると膝と足首にブレーキがかかる。足裏に体重が落ちず大事な足裏のクッションが使えない。
股関節は骨盤と大腿骨で構成されるから、意識は股関節に置くのではなく、股関節より上、骨盤を意識する必要がある。
左図で股関節は緑色の丸で囲った場所。寛骨臼と大腿骨頭で作られている。
もしこの二つの骨の隙間を開けようとするなら、寛骨臼を構成する腸骨のアライメントが変わるから、それに伴いその上の腰のアライメントも変わる必要がある。
関節を緩めるにはその関節を構成する両側の骨に付着する筋を緩めなければならない。(例えば手首をぶらぶらさせようとする時に自分がどのように手首を緩めるのか観察するとそれが分かると思う。片方だけ緩めることはできない。)
もし股関節を緩めようとして、背骨(腰)や骨盤を固定して、大腿骨頭のみの動かしたら・・・これでは股関節を緩めたのではなく、その下の膝関節を曲げる形になってしまう。関節を緩めるには、その関節を構成する上部に位置する骨の方から緩める必要があるのでは?(このあたりは解剖学に詳しい専門家の人がよく知っているはず。)
そして面白いことに、この”腰を緩める”と”股関節を緩める”を同時に行うと骨盤(仙骨)が立つ。
腰を緩める+股関節を緩める=骨盤(仙骨)が立つ
逆に言うなら、骨盤(仙骨)を伸ばして立てれば腰と股関節は緩んでいる。
骨盤(仙骨)を伸ばして立てる、ということについては今年の1/5から1/14までのメモで考察をしたばかり。
結論的には、骨盤(仙骨)が伸びて立つというのは、①斂臀+氾臀、もしくは、②内転筋(Vライン)を起動させる、という2つの方向から実現できるということ。
そして、①の斂臀+氾臀というのが、上の、腰の松(斂臀)+股関節の松(氾臀)ということになりそうだ。
もし①がわかりにくいなら、②の内転筋から取り組むことも可能だ。
ここで、昨日私がちらっと書いた、「爪先立ちのまましゃがむ」という方法だが、昨日は股関節を緩める感覚(膝を曲げるのではなく膝が緩まる感覚)が分かると思って紹介したのだが、この同じ方法で意識する場所を変えれば、内腿(股間)を使う感覚、あるいは、骨盤を立てる感覚も得ることができるはず。
こんな簡単な方法、きっと誰かがブログに書いているはず、と調べたら、美脚を作るエクササイズとして紹介されていました。
https://news.mynavi.jp/article/20150525-a665/
太腿のボリュームを落として脚のスタイルをすっきりさせるのが目的らしい。
つまり、前腿の大腿四頭筋がムキムキにならないよう、内腿を使う、というエクササイズだ。
なぜ爪先立ちだと股関節が緩んで内腿が使えるのに、べた足で立つと即座に前腿に力が入ってしまうのか?
足首がフリーだと腰もフリーになる。以前、ビヨンセのbeautiful ladiesの動画を見て、あんな高いハイヒールでよく腰を回しながらしゃがめるなぁ〜、と驚いていたら、一人の生徒さんから、「いや、ハイヒールだからしゃがめるんですよ、平靴だとあんな風にはしゃがめない。」と言われてなるほど〜。師父もその生徒さんと全く同じコメントをしていました。足首フリー、足首を緩める、それは膝に乗っかってしまっては無理。足首を突破しないと足裏にまで体重は落ちない。
2021/2/3 <前腿 VS 内腿・ハムストリングス>
昨日一昨日のメモに関して頂いた読者からのコメントの中に中に私もなるほど、と思うような指摘がいくつかありました。(以下 ”・・・”の部分に読者の言葉を使わせてもらいます。)
そのうちの一つが体重移動の際に使っている脚の部位の違い。
表演タイプの推手(①)の場合は太ももの前側(大腿四頭筋)を使っていて、”膝から突っ込んでいく”感じ。馮老師に比べて体重移動の幅が大きく”行ったり来たりのギッコンバッタン”に見える。
一方、馮老師の実践型の推手(②)は、内腿を使って体重移動していて体重移動の幅が狭く見える。
一昨日の画像で確認・・・
後ろ足の踵と前足のつま先のラインを引いて水色の人と馮老師を比較しようと思った。
が、馮老師の画像にラインを引いた時に、すでに、あれ?と気づいた。
馮老師の身体は2本のラインの中にすっぽりと収まっている。
上段の攻撃(ジー)の時は頭から胸腹、膝まで、身体の前ラインがつま先のラインに近づかないような動きをしている。肩から先の腕を相手に突き刺しても身体はこちらに残っている、そんな体勢だ。これなら相手にリューされても身体を持って行かれない。相手を推しながら身体は既に退いている、そんな風にも見える。
そして下段の相手のジーを躱す動きでは、手は退いているけど身体は既に前に向かっている。後ろに退いても決して前を譲らない、そんな体勢だ。退いた時でも背中と踵のラインには隙間(余裕)がある。腹は凹ませない。
馮老師を見てから水色の人の動きを見るとその違いがはっきり分かる。
水色の人の身体(胴体)は2本のラインの端から端まで動いている。
太ももの前側で動くから前に弓歩になった時にどうしても膝が出てしまう。
太極拳の要領で、「膝はつま先よりも前に出ない」、というのがあるが、それは前方に体重移動して膝がつま先より前に出そうになるところを膝上の筋肉でぐっと堪えろ! ということではない。大腿四頭筋(太もも前側の筋肉)はブレーキの筋肉、ブレーキをかけながら前に動くのは故障の元だ。
「膝がつま先よりも前に出ない」の真意は、馮老師のように、内腿、内転筋、ハムストリングスで体重移動しろ、ということだ。内転筋については先月骨盤(仙骨)を立てる考察で登場したが、内転筋を使うということは仙骨を立てる=骨盤を立てる、ことにつながり、それは腸腰筋を起動させ脚と腰、胴体を結びつけることになる。ハムストリングスは背骨に繋がりをもつ。つまり、内転筋やハムストリングスで動けば胴体がもれなく付いてくる、ということで、それらを使って体重移動すれば(歩いたり走ったりすれば)どれだけ歩幅を大きくしても膝がつま先より前に出ることはない。逆に言うなら、体幹と結びつかない前腿を使って歩くと歩幅が狭くても膝がつま先より前に出てしまっている。
前腿で動いてしまう癖は特に私たち日本人に強くて、膝裏に伸びがない。膝は曲がっていても膝裏に伸びがある、膝裏のバネがあるのが正しい脚の使い方だ。それには膝ではなく股関節を起動させなければならないのだが、股関節を起動させるには腰を緩める必要がある。腰が硬直していると相当お尻を突き出さないと(よく見るスクワットのように)股関節が使えない。太極拳のように頭を真っ直ぐ上に向けた状態のままで股関節を緩めようとするなら、まず腰を緩めなければならない。頭頂を維持して腰を固めたまましゃがもうとしたらどんなに頑張っても前腿でしかしゃがめない=股関節は緩められない。
股関節を緩める、というのは太極拳の基本の基本で起式でそれを学ぶのだが、前腿、膝に乗ってしまう癖をとるのがなかなか難しい。感覚がとれなければ、一度爪先立ちのまましゃがんでみると股関節が屈曲してしゃがむ感覚=ハムストリングスや内腿を使う感覚が分かると思う(テーブルなどに手をついてやってみるのがおすすめ)。べた足で股関節を緩めてしゃがむのは案外難しい。爪先立ちで感覚を掴んだら、徐々に踵を下げていって、同じように股関節を使ってしゃがむ練習をする。うまくできれば、土踏まずが上がる、とか、股間が開くとか、腹の力が必要だとか、骨盤が伸びる必要があるとか、太極拳で必要となる様々な要領がそれに連動して分かるはずだ。
馮老師は太極拳でまず行うのは、腰を緩めること、と言っているが、腰を緩めないと股関節も緩まない。股関節が緩まないと内腿やハムストリングスが使えないから、体幹が使えず、丹田も作れない。そこからどれだけ套路の練習をしても体操の域から出られず、太極拳の醍醐味を味わうことができない。
このあたりは生徒さんと一緒に丁寧に実技を通して導く必要のあるところ。ここが押さえられればその後はとてもスムーズに進む。間違えると、やり込めばやりこむほど道が遠ざかる。
2021/2/2 <二つのタイプの推手>
今日は師父に昨日のメモの推手の画像を見せて、私の理解が間違っていないかを確認をした。
まず私が師父に、「私にやらせようとしているのはこの馮老師の推し方、腕の”撑”ですね?」 と聞いたら、「そうだ。その通りだ。」と答えて、「ほら、馮老師もこうやっているだろう。これが正しい。」と言った。それから私が、「この推手は?」と水色と白色の服の二人の推手のGIF画像を見せたら、苦笑して、「これは良くない。まったく松していない。こういうのを”假松”(偽の松)と言う。」と言った。私が、「これは身体が真っ直ぐだけれども中正が取れていないからすぐに引っ張られてしまうし推されてしまいますね?」と確認をしたら、「その通りだ。良く分かっているじゃないか。こうやって比較して学ぶのはとても良いことだ。」と言ってくれた。頭を使わずにただ言われた通りやることも必要だけれども、その一方で、果たして自分は何を学んでいるのか、どこに進んでいるのかを確認するには頭を使った作業も必要だと思う。
師父の機嫌が良かったので、その流れで、二つの推手がどのように違うのかやってもらいました。師父は馮老師のようにしか推手はしないので、表演会タイプのものはちょっと無理やりやらせた感がありますが(苦笑)
内功の双手揉球功は球を大きくしていけば推手の動きになる。
やり方は2つ。
まず練習するのは、下の動画で師父が初めに回数をカウントしながらやっているような、腕の回転とクワの回転が同時である”順”タイプ。
これができるようになったら、腕の回転とクワの回転をずらしていく。(後半に師父がやっているもの)
回転をずらすには丹田の内気がある程度以上必要・・・
表演タイプの推手は前半の双手揉球功の動き方がベース(丹田、腹のスペースがなくてもできる動き)で、馮老師や師父のような実践型推手は後半の双手揉球功の動きがベースになっている(丹田、腹のスペースが一定以上必要)。
動画を見て師父の動きを真似してみると分かると思うのだけど、後半の動きは見た目以上にやってみるとややこしい・・・見た目簡単でも実は簡単ではないのには理由があります。
動画に字幕はつけていませんが、師父の動作を見ながら、今師父がどちらの動きをやっているのか分かるかしら?
この動き方についてはまた後日整理するかなぁ。
2021/2/1 <推手 腕の撑に戸惑う>
今日から師父との推手の練習が始まった。
最初は単推手から。腕ではなく身体の力で推すことができるようにと身体をかなり接近させて右左100回ずつ。推し切った時に手のひらと肩を撑(引っ張り合いさせる)させるように注意される。肩から手までの距離を最大限に引き伸ばして推し切るということだが、なかなかうまくできない私の肩と腕の隙間(たすき掛けのひもが当たる場所)に手を差し込んでくる「ここを松して引き離せ!」と言う。それは突っ張って推し切りながら、同時に中正を保つために必要なことで、教則本型のお決まり単推手とは違っている。
(どう違うのか画像を見ながら頭の整理・・・)
上が国家に制定された太極拳の典型的な推手。下は民間派と呼ばれる本来の太極拳の推手。
うちの主人に二つを見せて何が違う?と聞いたら、下は武術で上はおままごと、上は体重移動の幅が大きくて膝に乗っているが下(の馮老師)は膝に乗っていない(足に乗っている)、と答えた。
上は推手の外形の練習だからか力が感じられないのは仕方ないのかもしれない。けれども伝統的な推手の練習は内外双修で内があっての外形、内がない外はない。内側の丹田の重さ、沈みが体重移動、腕の重さになって現れてくる。
推手では放松による腕の重みが決定的に重要になる。
二人が手を合わせた時に(搭手)、腕の重さで功夫の差(実力の差)がはっきり感じられてしまう。相手の腕の方が自分の腕より重ければ、もうこちらに勝ち目はない。推手をすればするほどこちらの腕に相手の腕がのしかかってきて辛くて仕方なくなる。下段の馮老師とお弟子さんの実力の差は歴然としていて、それは重さとブレで見て取れる。
また、今日師父に注意された腕の”撑”(肩から手までを引き伸ばすこと)は下段右の馮老師の右肩からぐいっと伸びていく腕に現れている。これを瞬間的にやれば発勁になる。
上段の推手では腕が伸び切る前に膝につかえてしまうから腕が伸び切る瞬間がない。発勁の可能性がない。馮老師が言うように体重移動を腰で行わず脚で行うとこのような結果になる。
馮老師の体重移動は他の人たちよりも小さく見えるのは体重移動を腰で行なっているから。その結果、他の人たちより重心が高く(身体が落ちていない)見える。丹田を沈ませることでかえって丹田に浮力が与えられたようだ。そしてこれが中正を保った重心移動なのだ。
上段の推手は二人とも胴体は真っ直ぐだが、推し切った時、後ろに引いた時に中正を失っている。↓下の写真の比較を参照
どちらも推し切った瞬間。違いを図示したつもり。
ジー(前に推す)した時は相手に手をとられてリューをされる可能性が常にあるのだが、右のようにジーをすると簡単にリューで身体をもっていかれてしまう(腰の隙間、腹の隙間=丹田を作っていないので脚が股関節から出発している。脚を短く作っているから膝で力がぶつかる。)
一方、左の馮老師のようにジーをすると相手がリューをしても身体はもっていかれない(背中や腰、肩を後ろに引いている→頭も含めて胴体が弓状になっている、丹田=腹圧もくずれない=腹がすっこぬけない、体重移動は丹田内。)
後ろに引いた時も同様の違いがある
左はこのままジーで本当に推されたら後ろに倒れてしまうだろう。身体を回転しきれない(胴体が後ろに行き過ぎている、背水の陣?)。
馮老師はというと、身体はまだ後方に余裕がある。この位置で身体を回転して攻撃に転じることができる。しかも、相手の腕が撑するよりも前に切り返すので相手は常に不完全燃焼、タイミングを完全に持っていかれる。
線を書き込みながら確認できたのは、違いはやはり丹田をしっかり作っているか否か。丹田がないと脚の付け根の位置が低くなり不必要に脚や膝に負担をかける。紫の線で書いた円裆が作れるのも丹田があってのこと。腹側と背中側が一つの球の中に入っているから腕の撑も可能になる。
・・・が、自分が実際に師父と推手をやっていると師父の力に推されて胸のあたりを守るのが精一杯、身体の中に奥行きをとれなくなる。
が、なんとなく撑のイメージができたので、明日再び挑戦してみよう・・・2021/2/27 <内丹 80年代の陳家溝>
昨日のブログの話を師父にしたら、「中国では何千年にも及ぶ内丹の歴史がある。西欧の数十年の研究とは比べ物にならない。」と簡単にまとめられてしまった。
IPAと丹田の概念が大きく違うのは、丹田は変化し続けるということ。気=エネルギーは常に動いているからそれに応じて丹田も変化し続ける。変化し続けるからどんな動き、変化にも対応できる。腹圧というと腹腔という決められた空間で静的に存在するような印象をうけるが、丹田は一粒に至らないくらい極小にもなれば身体の大きさ、それ以上(宇宙なのか?)の極大にもなるという。太極拳の『太』という文字が『大』と『小』を組みわせたもので、”大より大きく小より小さい”というのがそれを表している。
丹田の中の気を常に動かして徐々に丹田を大きくしていく。まずは中丹田を開発徐々に下丹田とドッキングさせる。中下丹田が一つになれば鳩尾から足裏までが繋がる。その先に上丹田(肩や腕を含む)がある。
このあたりの話が太極拳の核心で、それなくしては太極拳になり得ないのだけど、中国において国家が制定して大衆化を図った(大学派の登場)時にその内丹部分は抜け落ちてしまった。
IPAは内丹を作る時の状態によく似ているけれども、それでもまだ十分ではない。それはなんだろう? そんな話を師父としていて、ぽろっと出てきた言葉が、”意識”。意の火・・・意が丹田(という空間)から別の箇所に逸れてしまうと(膝、たとえ腹筋であっても)、丹田は消えてしまう。雑念が出たら即アウトだ。常に丹田から意を外さない、というのが鉄則(たとえ相手を見ていたとしても)。(この点も取り出して説明が必要な箇所)
家に帰ってきて動画を見ていたら、ある意味懐かしい、80年代の陳家溝の動画がありました。日本人一行がこの地を訪ねた、という話は、当時、陳家溝に近い鄭州市にいた師父の耳にも入っていたそう。動画の後半に出てくる四大金剛。その中でトップの陳小旺だけがそこに映っていないのはなぜだろう? 師父の話では、70年代に噂を聞いて陳家溝にたどり着いた日本の武道家たちが複数で陳小旺と戦って悉くやられてしまい、それをきっかけに陳式太極拳が海外に知られるようになったということだ。このテレビ撮影がなされた頃はすでに有名になって多少やらせ的なものもあるかもしれないが、それでも、当初の農民発の太極拳の雰囲気は伝わってくる。体育館で衣装をつけて練習するのがそぐわない・・・山の中、森の中、自然の中だ。朝の鶏のけたたましい声・・・数年前に行った鄭州でもまだ鶏は健在でした。懐かしい・・・今いる石のパリよりもずっと好きな環境・・・
2021/2/26 <ドローイング ブレーシング IAP 再検討>
前々回に書いたドローイングとブレーシング。が、まだ数点疑問が残っていたのその分野の専門家に個人的に質問したりして私なりに整理してみた。
まず分かったのは、トレーニング界において、ドローイン→ブレーシング→腹圧(IPA) の順で提唱されてきたということ。
①ドローインは吐いた時にお腹を引っ込める。
お腹のコルセットである腹横筋を収縮させてぽっこりお腹が凹む、そんなキャッチフレーズで登場したけれど、そのうち腹横筋はそんなに収縮していない、これでは腰は守れない、という声が出てきた。
現在では、ドローイングでは腰を守れないものの、腹筋群を緩めることで胸椎や腰椎のつなぎ目を柔軟にし、背骨の柔軟性を促したり、内臓マッサージの役割もあるという見解が主流のようだ。ヨガや整体で使われる。
②ブレーシングはドローイングでは姿勢が制御できないという批判から生まれてきた呼吸法。息を吐いた時にお腹にぐっと力をいれて固める。お腹をパンチされそうになった時にお腹をグッと固める、そんな動き。これによって腹横筋だけでなく、腹直筋、内外腹斜筋、多裂筋、脊柱起立筋がが収縮する。
野球の松井選手はこれを使っていたようだし、同じようにテニスやゴルフでも球を打つ瞬間に腹筋群をグッと収縮させるだろう。腹囲は大きくなる。 ピラティスやバレエでも使われると言われる。 (前回ブログを書いた時は太極拳はブレーシングを使っているのか?と思ったけれど、太極拳では外側の筋肉を固めるわけではないからブレーシングではない、との結論。)
③その後メインになってきたのがIAP(腹圧呼吸)。(IAPについては以前ブログに書きました。)
ブレーシングだと息が止まる。
これに対して、IAPでは姿勢維持をしつつ呼吸も確保、両立をさせる。また、脊柱を守り、外部に力を発揮する時の力の通り道を確保する効果がある。
が、ここでIAPについて調べてみると多少バリエーションがあるよう。
例えばスタンフォード式のIAP(左図)。
図の中の矢印の方向をよくを見ると、ん〜太極拳だとこうはならないかなぁ?
底辺の矢印が下向きで終わってしまうと腹圧は高まらないのでは?
と、どうしても会陰の上向きの矢印が必要になると思ってしまう。
横隔膜を下げ、骨盤底筋も下げたら痔病持ちになってしまいそう。
また、これだと腰椎もカバーできない(腰が弱い、命門の力が使えない)。
一方、これに対し、同じ IAPでも、矢印の向きが全て内向きになっているものもある(右図)
はて?どちらなんだろう?いや、こんなに単純か?
太極拳では状況に応じて丹田を大きくしたり小さくしたり動かしながら腹圧を保っている(化勁の時でも腹圧は絶対に抜かない、と先日師父にはっきり言われた。腹は空気がパンパンに入ったボールのようになったまま。練習をしているている自分が丹田に気を溜めて開合の開をした時のお腹の構造を探ってみた。
内視すればするほど複雑になっていくのだが、自分の頭で整理できる程度だと右図のような感じだ。
丹田は大きくも小さくもできる。極小の粒から極大は全身を包んでしまうが、腹腔内に話を絞る。
丹田を大きくしていく(開)の時は中心の核のような点を保持したまま(紫の中心の円)、ピンクの第2の円の部分を広げていく。ピンクの円が広がれば広がるほど、中心の円内の内向きに引っ張る力(緑の矢印)が強くなる。中心円内の内向きの緑の矢印と、第二円内の外向きに広がる紫の矢印の力は拮抗している(引っ張り合い)。
第二のピンク円を広げていくとそれに対抗して水色の胴体の外周(腹筋群)が収縮してくる(紺色の内向きの矢印)。内側から広げているのだけど(ピンクの矢印)外側から絞られてくる(紺色矢印)
私の探ったものが完全に正しくなかったとしても、上の二つの図のようにただ一つの円の中での話ではないことは明らかだ。
そこでIPAの概念の発祥地であると思われるアメリカのサイトで検索したらそれらしき図がありました。
https://mikereinold.com/core-stability-from-the-inside-out/
coreを鍛える時に、左図の右のようにただ外壁を締めても中央のcoreは強くならない。core自体に圧力がかかるようにする必要がある(左側の図)「空洞のあるチューブのように考えてはいけない」
ここから先はどうやってそれを実現するのか、というメソッドの議論になって、関係する筋肉ごとにどう使うのかと難しい説明に入っていくのですが、結果的にはお腹の中に相反する(拮抗する)力がバンバン働いて腹圧が増していく、という点は変わらない。外壁の筋肉の締めを強くするとcoreの内圧が上がらないから、外側の締めは20パーセントくらいに止める・・・要は放松?・・・というような記述もあるのだけれども、西洋的に頭で色々考えるとこんがらがって大変。丹田のタネを作ってそれを育てれば自然に腹圧は上がるのだけど・・・とメソッドについてはこれ以上深入りしないことにしました。
ここまで調べてみて、太極拳の練習をするとドローイング、ブレーシング、をどこかの時点で通過して、IAPが自然にできるようになること、そしてIAP以上にきめ細かな息の調整ができる可能性があることを確認したのでした。中国の古代の知恵は素晴らしい!(未だ西洋的知識ではでは解明できていない)
ただ、練習の過程で、ドローイングやブレーシングをやってみて、それでは丹田が作れないことを逆説的な意味で確認するのも役立つのかもしれなません。
ちなみに、太極拳で腹をパンチされる時(自分で自分の腹を打つ練習をする時)は、ハッ!という声を出す・・・これによってブレーシングになるのを回避している。発勁も同じ。声を出す意義、必要性、「ちゃんと腹から声を出さんか!」と随分注意されたその意味がやっと分かりました。腹を一層にしない、何重かの層に保っておく、腹の奥行きかなぁ。
2021/2/25
やはり現在の自分自身の関心は推手。師父にむりやり肩甲骨を引っ張り出されたり痛い思いをしながらも次第に肩の隙間を空ける感覚が掴めてきた。うまくできないと師父は、「なぜできない!こうだろうが。」とやって見せてくれるが、見せてくれても分からないものは分からない。たとえ裸になって見せてくれたって分からないものは分からない。眼だけで分かるものもあれば眼では分からないものもある。私は、「それなら私の身体に手を置いたまま肩の隙間だけで連続で推してみて下さい。」と頼んだ。師父はすぐに分かったと、私の小胸筋のあたりに手のひらをつけたまま、何度も繰り返し推した。(遠くからみたらどつかれていると思ったかも? )
ふーん、師父の力を感じると、肩から力が出ているのは分かるのだけど、それより下の力が不明だ。そこで、私は「今度は腰の力で推して下さい。」と頼んだ。師父は「分かった、けど、力は大きくなるぞ。」と言って今度は腰で推してきた。ああ、腰を使うと、肩に腰がプラスされて、推し幅がさらに大きくなるんだ、別に肩の力(肩の隙間の力)が消える訳ではない。これにクワ(股関節、骨盤)の力も加えたらさらに力が大きくなるのは目に見えている。さらに脚の動きも使って、膝、足首、それから踵も足していけば「整勁」(身体丸ごと全部の力)になる。
今日の師父の力の感じを図で表してみようとして、はて、どこから説明したらよいのか?と悩む。というのは、そこに達するまでに経なければならない段階があって、私が現在理解できる師父の段階を説明して役立つのはその一歩手前の段階にいる人だけかもしれないからだ。だけれども、巷で言う所の丹田(腹腰の丹田:中丹田)だけではまだまだ完成しないということ、まだ先があることを知っていたら、練習の仕方も変わるかもしれない。
とりあえず私が描いた図を見せて、そこから遡って説明してみたい。
まず一番左が師父の力の出し方、真ん中が私の力の出し方。
師父がジーの時に手と肩甲骨を引っ張り合いにしろと私に教えようとしているのは、実は単に肩甲骨の話ではなく、気を足裏から頭頂まで繋げ、ということ。最初の頃はそれが分からず、肩甲骨をどう動かすのだろう?と肩や胸、そして背中あたりをいろいろ操作していたが、ある時師父が「含胸をもっときつくやれ、会陰を肩まで引きあげろ」と言ってそんな風にやった時に初めて師父からOKサインがでた。腕が胴体のように自分でも面白いほどくるくる回って、師父の腕とぴったり魚が戯れるように動いていた。腕が腕でなく胴体のよう、と感じながらも、一方で自分の腕が他人の腕のようでその動きを他人事のように見ていた。自分の意思とは無関係に身体が勝手に師父の動きに随っている。ぴったり吸い付いたように二本の腕が絡んでいるとお互いに攻撃をしかけるような気持ちがおきない。師父は「やっと粘连粘随ができたな。」と言った。私が思っていた粘连粘随とは随分感覚が違う・・・身体が自分から乖離してしまった、いや、自分が身体から乖離してしまったような感覚だ。手を通して自分の身体の中を見て見たら、内側が空間になっていた。実(内臓とか骨とか肉)がなくなってしまったようだ。手を通して師父の身体の中も見てみる(感じてみる)と同じように空間になっていてどこに力があるのか分からなかった。
比較をして分かったのは、普段の私の気の使い方は足裏から中丹田までは常に気で満たしている上の②ようだということ。師父は①のように足裏から頭頂まで”常に”気を通してしまっている。私は打つ時(ジーの時)に中丹田から手に向けて力を出すが、師父は肩甲骨から力を出す。肩甲骨から突っ張って出された力は真っ直ぐ突き出された棒のように相手に届く(直力)。相撲の突っ張りと同じはず。肩甲骨から突っ張って真っ直ぐに出された手は戻って来る時に出された時以上の速さで戻ってこられる(輪ゴムを伸ばして手を離すとピチンと瞬間で戻るようなもの)。推す時はゆっくり、戻る時は速く、という推手の要領が自然にできてしまう。
もし私のように、中丹田から力を出していると(足裏から中丹田までは既に気で満たしている=足裏で地面を踏めば同時に中丹田から発勁ができる状態)中丹田の力が手に届くまで時差がありその間にスキが出てしまう(肩甲骨、上腕、肘がちゃんと使えないから突っ張れない)。戻るのも意識的に戻らなければならない。腕が自動巻きにならず自分で操作しなければならない。套路の練習だとこの②の状態でもそれほど困らないかもしれないが、推手になると、中丹田よりも上まで気で満たす必要があるのが実感できる(ただし、相手のレベルのよる・・・)。
①のように肩甲骨を気の停留所(貯蔵池)としてそこから発勁するには、その前提として足裏から肩甲骨、胸あたりまで気で”満たす”(上図の水色の部分)必要がある。そのためには、既に頭頂まで気を通しておく必要がある(薄緑部分:虚の状態で溜めておく感じ?)ようだ。(頭頂まで満たすと脳梗塞や脳溢血になりそう・・・ 太極拳では虚霊頂勁というように胸から上の気は虚状態に置いている) ①のような状態だと腰でも腹でも股関節でも発勁できる。気の停留所がたくさんある。
②だと①に比べて停留所が減る。
そしてまずいのは③状態。よく見かける俗称武術太極拳がこの状態。足裏から股関節(下丹田)までしか気が満たされていない。これだと腰が落ちて下半身が重く、上半身と下半身が分断する。手の力は足裏の力と無関係だ。脚が太くて立派になるが、推手をすると脚力が活かされない。
そして、ジーをした手と反対の手(この図だとアンの右手)に自動的に力が出るのが①。②は意識をしないと片手打ちになりがち。③では無関係になる。引き手で打つ、という原理を体現できるのはやはり①・・・。
以上、現段階の私の問題意識を綴ったけれども、私の生徒さんを含め読者の方に注意してもらいたいのは、気を通すとか、気で満たすとか、という以前にやらなければならない作業があるということ。
それは、左図の紫のラインで示すような大まかな通路を作ること。
上の図から色付き部分を取り除いたもの、原型だ。
つまり、その後気を通したり、気を満たしたりすることのできる”空間”を身体の中に作る必要がある。
水道管を作ってしまえばあとはそこに水を流すだけ。
蛇口(丹田や肩甲骨、その他関節などの気の停留所)をひねれば常に蛇口から水(気・力)が出て来るような状態、それを、水道管が水で満たされている、という。師父のような①の状態だ。
一方、もし、蛇口を捻っても、水が出てくるまで時間がかかるとしたら水道管は水で満たされていない。捻って初めて水が通ってくる。これは②の状態だ。足裏で地面を踏んでから手で発勁するまでに時間が存在する。
しかし前提として、身体の中に空間、管がないと、気を満たすどころか、気を通すにも通す場所がない。
その通路開通のための作業を「築基功」といって昔は男性が100日間精を漏らすような行為を謹しみ毎日タントウ功を行った(師父の師はそのようにして築基功を成し終えたものだけを弟子にしたらしい)。今ではそこまでやるのはかなりマニアックな人だろうが、通路を開けるにもある程度の気の量が必要だ。ダムに溜まった水の量が多ければ、それを一気に流せば土を押し分けて川が作られるだろうが、溜まった水の量が少ないといざしきりを外して水を流しても障害物を押し分けて川を切り開いていくことができない。
通路を開通させるにも気を溜めて流す必要があるから、結局、通路が開通するころにはかなりの丹田力(気の量)がついている。つまり、開通してしまえばその後の作業は開通のための作業ほどは難しくない。気の量を減らさない=身体のポン(膨張力)を失わない、身体を萎ませない、そんなことが太極拳で最も大事なことだと分かってくる。
結局はそれしかない・・・とうっすら分かるのだけど、その認識はまだまだ馮老師や師父とは比べ物にならない。そのあたりが功夫の差になって現れる。
<追記:通路を開通するにあたって誰もが一度は失敗する点について>
気の通る道を開けることによって気は通る。気を通そうとしても気は詰まるだけ、通らない。
気を通そうとしてはいけない、というのは何度も注意されるのだがそれでもやってしまう落とし穴。気は放っておく、自分は離れていなければならない。気の中に入っていってはいけない。これは古来から伝わる『力者折、気者滞、意者通』という言い方に表現されている。馮老師の本にもあるものだ。
練習を積み重ね気の動く感覚が分かってくるとどうしても気を動かして詰まっているところを気の勢いで開けてしまいたくなる。その誘惑は強い。しかしそれをやると結果は詰まってしまう。気だと滞る、と表現されている通りになる。結局は意で通すしかないのだが、その”意”の使い方が分からない。その時キーワードになるのが、運気ではなく行気だ、という言葉(本来は中国語)。運気というのは気を運ぶ、ということ。行気というのは、気を行かせる、ということ。つまり、気を運ぼうとするのではなく、気を行かせてあげるように自分は(放松して)内側を開いてあげる、通路を作ってあげる、ということだ。隙間を開けてあげる・・・それが女性的といえば女性的で、馮老師が晩年、太極拳を長年やって自分も幾分女性らしくなった、と言って周囲の人を絶句させたという逸話もある。
2021/2/23 <ドローインとブレーシング>
昨日は会陰の引き上げ・引き下げの観点から分析をしてみたが、実はそれも呼吸の仕方の違いなのかもしれない・・・と、なんとなく検索していたら、ボディトレーニング界において以前は吐きながらお腹を引っ込めるドローインが主流だったのが、今では吐いてお腹を固めるブレイシングへ移行してきていることを知った。
ドローインという言葉は聞いたことがあったけれど、ブレーシングというのは初耳。英語だとbracing。braceとは支える、補強するという意味で、brace yourself! というと自分自身を支えろ→準備して身構えろ!→覚悟しろ!という意味になる。ブレーシングをすると呼吸によって胴体全体が支えられるようになる(繋がる)。
ブレイシングは相手にお腹を殴られそうになった時の反応。ぐっとお腹に力を入れてお腹をパーンと張って固める。もしお腹を殴られそうになった時にドローインしてお腹をぺちゃんこにしてしまったら・・・内臓がやられてしまう。危険。
同様に、スクワットをする時やベンチプレスを持ち上げる時、間違えてドローインしてしまうと腰を痛めてしまう。腰を守るのはブレーシング。
普通に考えても、卓球でもテニスでも球を打つ時は呼気とともにお腹は張って固まる。ボールを投げる時だってお腹は膨らむ。つまり発勁の時は呼気とともにお腹は膨らんで硬くなる(注:お腹というのは胴体周り一周。前も横も後ろ=背中側も膨らむ。前方にだけ膨らむのはブレーシングができていない)。
太極拳やその他のスポーツをしていると普通にブレーシングをやってしまっているから、今更、ドローインか、それともブレイシングか?と悩むことはない。というか、ドローインをする場面が思い浮かばない(相手の力を躱す時などに一瞬腹を凹ますことがあったりしてもそれは動きの流れの一部分→<追記2/26>その後、師父に確認したら、凹ますことは絶対にあり得ない!と断言されてやり方を見せてもらいました。ここは訂正してください)。しかし筋トレ業界では タックインorブレーシング? と議論がなされていたするようだ。検索をしていて知ったのは、かつて松井秀喜選手のトレーナーが彼にドローインのトレーニングを勧めたそうだが松井選手自身、それがバッテイングのどこで使うのか分からずずっとブレーシングの練習をしていたという話。理屈は分からなくても自分の感覚としてドローインじゃ打てない!と分かっていた。が、その当時のトレーナーはことごとくタックインをさせていたという。今ではドローインでは腰を痛めてしまうことが理屈上も分かってきたのでボディビルダーとか腹筋を割って見せたいという人たち以外はそれほど使わないのかもしれない。
ドローインとブレーシングの呼吸の仕方については検索をすればいろいろと出てくる。
説明が分かりやすいと思ったのは
https://ameblo.jp/tasuku3809/entry-12523617518.html
ドローインは腹横筋だけの収縮、ブレーシングは体幹に関わる筋肉が同時に一斉に収縮、とある(左図)これに横隔膜と骨盤底筋も関係するはず(横隔膜が下がって骨盤底筋が上がる)
ペットボトルの例もよく出される。
ぺしゃんこのペットボトルはしなやかに動きやすいけれど外圧に弱い。
上のブログの方の動画もある。
ぎっくり腰の癖のある人や腰に自信のない人はブレーシングができていない(=体幹の円柱がしっかりしていない)。太極拳の練習で腰が強くなるのはタントウ功で次第にブレーシングができるようになってしまうからだと思うが、逆にブレーシングができているかどうか動画などを見てチェックしてみるのも良いかもしれない。
私が見てとても参考になったのは下の動画。上の動画よりは少し専門的になるが前半の解説も興味深い話が多かったし、7分半あたりからのクランチの実技はドローインとブレーシングの違いがはっきり分かる。
←このようにクランチした時に腹直筋(腹の真ん中の縦のラインの筋肉)が盛り上がるようならドローインになっている。
←ブレーシングだとお腹は全体的にぺったんこのまま。横に広がっている。
太極拳的にやるとこちらになってしまう。上のようなドローインだと力まなければならない=息が通らない。不自然な感じ。
以前腹斜筋のトレーニングや骨盤を立てるエクササイズの時に同じような体勢をとったが、それも全て同じ原理だ。動画では全く言及されていないけれども、私の感覚としてはブレーシングの時は会陰や肛門を少し開けて引き上げる(風通しを良くする)必要がある。ドローインだと肛門を完全に締めてしまう(同時に鼻もつまんだ感じ・・・息できない!)。ブレーシング、ある意味腹は固めても風通しがいい(鼻から会陰までがスースー通る)。ドローインは鼻も会陰もつまんで閉じている=無呼吸。
そう言う意味では、昨日のブログの冒頭の紐トレも、肩甲骨を完全に上げてしまった万歳は鼻で息がし辛いし会陰の感覚も消えてしまって息が通らない。やはりどこか通じているところがあるなぁ、と思うところ。
ブレーシングには横隔膜の収縮が必要、という観点からの記事も多い。(例えばhttps://hoopcom.net/article/%E7%A5%9E%E8%A9%B1%E3%81%AE%E3%82%A6%E3%82%BD%E3%80%8C%E3%83%89%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%80%8D.html)横隔膜の収縮は含胸の一つの作用だと今では理解できる。腹は緩めて横隔膜と骨盤底筋で挟み撃ち、結果的に円柱の壁面にあたる腹筋群が内側からストレッチされるのでは?(ん?上で紹介したブログでは収縮としてたけど、どうなんだろう?感覚的にはストレッチだけどアナトミー的には収縮とか言ったりするのだろうか? このあたりの専門の生徒さんに聞いてみよう♪)
<追記>2021/2/26のメモに再度整理しました。訂正事項もあるのでそちらを参照してください。
2021/2/22 <腕を上げる 会陰の引き下げ 周天へ>
昨日のパドリングのための肩甲骨の鍛え方のブログを見ていて思い出したことがあった。
手の上げ方。
以前、紐トレについて書いた時に使った写真。紐を使って両手を上げると紐がない状態よりもずっとスムーズに上げることができる。筋紐で心地よく引っ張られることで筋膜ストレッチに似た現象が起こって筋肉の連動がうまくいくからだと思うのだが、両手を上げた写真が興味深かった。
紐トレをする人たちはことごとく左写真の右側の女性のように肩甲骨が持ち上がっているのだが、なぜか考案者の小関氏だけは太極拳の時のような腕の上げ方。中正を崩していない。
何も意識せずにこのように両手を上げる人は素人ではない・・・いや、両手の上げ方というよりも、その力の使い方が素人ではないのは一目瞭然だ。
これは少し前に話題にした会陰の引き上げと関係があるのだが、少し話がややこしくなるのでその時には書かなかった。が、昨日のサーフィンのブログの中の写真を見て思い出してしまった。書いてみようと思うけどうまく説明できるかどうかは書いて見ないと分からない・・・
左は昨日紹介したブログの中の画像に私が矢印をつけたもの。(https://surfinglife.jp/technic/14929/)
サーフィンのパドリングでは右が◯で左が✖️とのこと。右の方が肩甲骨の可動域が大きくなるというのが理由。あら?太極拳なら左が◯で右が✖️なのに・・・何故に?
と一瞬思ったのだが、パドリングの映像を見て納得。
まず右側の写真では、肩甲骨(肩)が上がっていて、矢印は全て上向きに走ることになる。パドリングは板の上に腹ばいになってひたすら前に進むものなので、このような上向き(寝ていれば前進)の力が必要になる。足は根ざさない、脚は軽く尾びれのようになる。魚の感じだ。
これに対し、左側の写真は手を上げているが肩甲骨が下がったまま。太極拳やその他の陸上スポーツで必要になる力の使い方だ。この時下向きの力と上向きの力が共に存在するのだが、手を脇より上に上げる時に意識的に必要となるのは下向きの力だ。
順番に話すなら、腕を下に垂らした状態から上に上げていく時の力(気)の使い方は二段階存在する。
まずは腕を垂らした状態から脇の高さまで上げる第一段階。
太極拳は手を高く上げるのを嫌うから多くの動きはこの範囲内で行われる(ポンは腋下の高さまで、リューもジーも腋下の高さが多い)。
腕を垂らしたところから上げていく時は(ポンする時は)会陰を引き上げていく。ポンは会陰、と言われる所以だ。腋下の高さでリューやジーをする時にはすでに会陰が引き上がっている。この会陰の引き上げの矢印が上の左側の図のお尻の三角内にある上向きの矢印だ。それに伴い両足の内側も上向きの矢印が現れる。(注意が必要なのは、腕を垂らした状態、ポンをする前に、すでに頭頂から足裏まで落ちる下向きの矢印がベースとして存在しているということ。下向きの力、気の流れを前提にしてのポンの上向きの力)
問題なのは脇下よりさらに高く腕を上げる時。第二段階目。
この時は上げた会陰を引き下げていくことで腕が上がっていくようにする。
試してみると分かると思うが、腕の高さが腋下に達した後も引き続き会陰を引き上げたまま腕をさらに上げていくと肩甲骨が上に逃げていって肩が上がってしまう。それに伴い足が地面から引き離されていってしまう(根っこがなくなる)。これは人さらいに腕を引っ張られて連れて行かれてしまうような体勢だ。しかし、この万歳状態になる時に会陰を思いっきり引き下げるとそれに伴い肩甲骨が下がり足が根付く。人に手を引っ張られても簡単には引っ張っていかれない。
按でも引き上げた会陰を引き下げるような力を使う。腕を腋下より上に上げる時と按の時の内気の使い方が似ているのはとても面白いのだが、ここで会陰を引き下げるというのは、会陰を落とすことでないことに注意を要する。
引き上げた会陰の先を保持したまま引き下げる。ポンの時に会陰を命門まで引き上げていたなら、命門を掴んだまま会陰の方へ気を引き下げていく。腋下からさらに手を上げていく場合は会陰を落としても腕は上がらない(腕の動きと連動しない)が、会陰をゆっくり下げていくと腕が連動して上がっていくようになる。逆に言うならば、腕が上がっていくように腹の中の気を会陰の方へ下げていけたなら(足はさらに根付いていく感じ)ならうまく行っているはず。
言い方を変えれば、会陰を引き上げて作った丹田(上から下げた気とドッキングさせて作る)を失わないように会陰を下げていくということだ。
こうすると下向きの力が働き、その下向きの力が腕が上に上がる力と常に拮抗しているので中正が崩れない。が、意識は二つの力の拮抗に置くのではなく、引き下げる方に重きをおく(二つの力は同時には意識できない)。引き下げれば上がる、そんな道徳経的な言葉が体験できる箇所だ。
(なお、上の左図の下向きの力は通常陽面=背中側、上向きの力は陰面=前面、内腿側に現れる。)
会陰の引き下げは会陰の引き上げを前提としているので、レベルとしては少し高くなる。混元太極拳なら円の下弧が下丹田を使ってちゃんと描けるようになった後で練習するようになる。
これが無意識でできるようになると上の紐トレの小関氏のようになる。太極拳の老師も万歳をして肩甲骨が上がってしまうようなことはまずありえない(腹がすかすかになって気持ち悪い→丹田がなくなるということだなぁ)。
最後に私がよくイメージする注射器のピストンを例に使うと・・・ピンとこなければスルーしてください。
引き下げは左の図のように内筒を引いていくような感じ。血を抜く時の感じ?注射針はしっかり血管に刺したままにしておく。
一方、引き上げは右図のように内筒を推していく感じ。通常の注射の仕方だと思うが、会陰はダイレクトに推すというよりも巻き込んで推していく感じかなぁ(以前玉ねぎ袋で説明しようとしました。)
いずれにしろ、大事なのは注射針の先をどこに刺すのか。下丹田を養うなら子宮・前立腺につなぐが、それだけではその他の部位と繋がらないので築基功ではまず命門に刺して中丹田と下丹田をドッキングさせるようにする。これで小周天の基礎を作る。
注射針を内側から命門に刺して会陰ー命門を開通させる。 図に書くと分かりやすいが、会陰ー命門間の引き上げは逆回転(督脈↑任脈↓)、引き下げは順回転(督脈↓任脈↑)ということになる。
垂らした腕を上げていく時、会陰を命門へと引き上げている。その時任脈側は下がっている(ヘソ→会陰)が意識は会陰の引き上げにある。
また、腕を腋下より上に上げるときは命門→会陰へと気を下げる(通路は開通させたまま下げる、命門を失わない)。この時任脈側は会陰→ヘソへと気が上がっているが、こちらの部分は通常意識しない。
熟練すれば、会陰を真上に上げたり前に上げたり左右に上げたり自由自在だが、まずは命門にしっかりと上げられること。会陰と命門、この2駅を作ってその間を開通させられればその後の練習はとても簡単になる。
2021/2/21 <立甲を使うのか?>
昨日の立甲についての疑問を父に尋ねてみた。
結論から言うと、立甲でジー(推す)はできないということ。
というのは立甲の時の力は肩甲骨を突き出す方向に働くから推す手の力がなくなってしまうから・・・(右のGIF画像はジーの時の手、指先の力を示している。説明は最後にします。)
と言われてもすぐにピンと来なかったのだけど、図で示すと下の左の図のようになる。
矢印で示したのが立甲の時の力の方向。(写真にリンクが貼ってあります)
確かにこれでは手で推せない。(上の師父のような手の力は使えない。)
じゃあ、ジーの時、肩甲骨はどうなっているのか? と師父の背中をチェックした。肩甲骨は立甲の時のように外側にスライドして多少立っているが、立項の時のようには両肩甲骨の間が窪んでいない。なだらかだ。
師父は「夹脊を出せ!肩甲骨を意識するのではない。」と言う。
経穴では夹脊穴とは背骨沿いの複数のツボを指すようだが、太極拳もしくは道家の修行法言うところの夹脊とは、胸のだん中の裏側、ツボでいえば神道穴のあたりだ。
ここを出せ、ということは、結局、含胸をしろ、ということになる。
が、含胸と言っても、これまたピンキリ。
含胸ができているか否か、という二者択一的ではなくて、含胸が全くできていなくて胸に気が溜まって腹に落ちないという状態から、少しだけ含胸ができている状態、もう少し含胸になっている状態、もっと含胸の状態、・・・とあって、完全に含胸の状態、とグラデーションになっている。
今になってみれば、1年前の私の含胸の状態はまだまだ甘かった。含胸だからといって胸から含胸をしても対した含む胸にならない(ともすると猫背のようになってしまう)。本当は眉間から含胸をかけていかなければならない→目を内収するのも舌を上顎に貼るのも、そして含胸も、大きな意味での開合の合の働きだ(いずれ開合について面白い話を書きます)。
含胸をする、というのは軸を通すということだから、やはり昨日のサーフィンの人の立甲に関するブログの記述と共通するのがわかる。肩甲骨を肋骨から話して自由に動くようにするには、まず身体の軸を通す必要がある→これがタントウ功や坐禅の役割なのだろう(動く練習ばかりでは気を中心に集められないので(丹田を作る:合:求心力がかかりにくいので)軸を通すのが困難。)
そしてジーの話に戻って、師父に下の写真を見せて撑(引っ張り合いにする)というのはこういうことなのかと聞いてみた。
https://surfinglife.jp/technic/14929/
このサイトもサーフィン。パドリングに肩甲骨の滑らかな動きが必要らしい。
トレーニングの仕方はサイトを参照してもらうにして、左の写真をみると、肩甲骨を後ろに引っ張り出した(夹脊を撑した)下側の写真は上側よりも腕が長くなっている。
男性の身体は全く前に傾いていない。中正を保ったままだ。
肩甲骨を後ろに突き出すとなぜ腕が長くなるのか? 私の頭の中ではそのあたりの解剖学的な身体の構造が不明でなんだかスッキリしない。
そしたら師父がこの男性のような姿勢で実際に私を推してくれた。それが冒頭のGIF画像。
実際のジーの時は重心移動をしたり、もっと全身をしならせて使うからさらに飛ばされることになる。拳で発勁する時も最後の寸勁はこの力が入っている。
足腰はかなり鍛えてきたけれど肩甲骨、胸は未開発ゾーン。足が腰に繋がり足腰の連携ができたら体側、脇、肩甲骨ゾーンに入っていく。腕が本当の意味で使えるようになるのはその後だ。
2021/2/20 <肩甲骨打法?>
師父との推手の練習は毎日最後の20分から30分行なっている。最もシンプルな単推手の平円で力の使い方をチェックし、双推手からは簡単な技をかけてもらってその捌き方、すなわち化勁の基本を教えてもらっている。師父のように相手がどう出てきても咄嗟に身体が反応して捌けるようになるには昔の卓球並に対練をする必要があるかも・・・ちょっとそれは無理?なんて頭にふと雑念が起こったりするのだけど、とにかくチャンスのあるうちにやれるところまでやるのみ。
もともと右腕の右半身との繋がりが悪く師父にそれじゃあ力が混ざっている、と駄目押しされていたのだが、今日はお互いの右手を合わせて動き出した瞬間に師父が「おや、どうしたんだ?全くちがうじゃないか!」と驚いた声を出した。私も、あら、今日は楽!、いつもの師父の腕の重みが自分の脇で支えられているのを確認できた。師父になぜ肩を引っ張り出せないんだ!と無理やり引っ張られたりしていたけれど、師父がやらせようとしていた肩甲骨を後ろに引き離しながら手を前に引き伸ばす(撑 突っ張る)、そんな動きの出発点は肩甲骨の三角形の下の角を自分でコントロールできるということだと実感した。
ツボなら肩貞穴だと思うのだが、腕を使うにあたってこの場所の重要性を論じている人はいないかしら・・・とざっと調べたら、いました! コントラバスを弾く鍼灸師さん? 「肩甲骨下角ロックを解除するとコントラバスが弾きやすくなる」と左図を載せていました。https://www.btune-hariq.com/contrabass/13545/
言われれば今日は確かにその角をゆるゆるにしたまま推手をした・・・でもそこをゆるゆるにしておくには自分で操れなきゃならない、というか、そこを肋骨から剥がしておかなければならない。
立甲ができる人なら簡単?
とここまで書いて、はて?と疑問が。
以前師父が見事な立甲を見せてくれたことがあったのだが、それを真似できない私が師父に、「立甲は太極拳で使うのか?」と聞いたら「使わない」と答えたのだけど、本当にそうなのかしら?
というのは、ここ2週間で私の肩甲骨は確実にニョッキっと出てきた。今はまだ肩甲骨の下の角付近をゆるく(肋骨から引き離しておく)ことができる程度だが、もう少ししたら、肩甲骨の内側の縁を肋骨から引き離して推すことができるようになりそうだ。が、これは立甲とは違うのか?
そもそも立甲はいつ使うのだろう?立甲で肩甲骨が肋骨から引き離されたらどんなことが可能になるのだろう? (これまで「立甲のやり方」という観点でしか調べたことがなかった)
そうしたら、とてもよく説明してくれているサイトがありました。今度はサーフィン♪https://www.revwet.com/%E7%AB%8B%E7%94%B2%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%A9%E3%82%93%E3%81%AA%E6%99%82%E3%81%AB%E4%BD%BF%E3%81%86%E3%81%AE%EF%BC%9F/
以下抜粋
立甲すると肩甲骨と肋骨が分離して動く。
右手を上まで上げた時に肋骨まで動くなら肩甲骨と肋骨は分離していない。立甲すると肋骨はそのままで腕が上がる。
立甲は肩甲骨がそれぞれ外旋して離れている状態。前鋸筋が使える。
肩甲骨が寄っているとアウターマッスルやみぞおちにに力が入りやすい。
立甲ができると肩に負担がかからない、インナーマッスルを繋げて使える
<そして最後に書かれているのが>
立甲は軸を通さないとできない!
みぞおちは腕と股関節を繋ぐ要の場所。
まずは最初の基本である軸を通してみぞおちを緩めること。
あら〜、結局はタントウ功の話のようだ・・・ が、サーフィンまず軸を通さなきゃ始まらない。けど、きっと波の上で軸を通そうとする時にみぞおちを固めてしまう人もいるのだろうなぁ(と自分がサーフィンをしたらどうなるか?と想像)。ここでみぞおちの力を抜いて、代わりに足から頭頂まで繋いで軸にできたら(周身一家)・・・そこで初めて立甲が可能になる・・・
立甲は腰が反っていたり胸を張っていたらできない、とも書いている。
実際、師父には推手の時にこれでもかというくらい含胸をさせられた。感覚的には鼻の付け根(眉間)から含胸をかけるくらいでやっとOKがでる。が、眉間から含胸にすると頭頂が現れ全身一つにまとまる→つまり、これも立甲への道筋。
前回3枚の赤ちゃんの写真をアップした時に気づいたけれど、③の赤ちゃんくらい立ち上がって=軸が通って、初めて肩甲骨がフリーになる。①や②では肋骨に貼り付いている。(もちろん赤ちゃんだから貼り付いてはいないけれど、大人がずっとこのままの姿勢なら前肩で肩甲骨が貼り付いてしまう。) 馮老師や師父の肩(肩甲骨)は③の赤ちゃんのようだ。前足と後ろ足の四足動物のようだ。①②は二足でピョロんと二本の腕が生えている・・・恐竜?
自分の両脚と両腕のバランスはこの恐竜みたいなものかもしれない。
もともと脚に比べて腕(上腕)が貧弱・・・それは②の赤ちゃんくらいの状態でずっと腕を使ってきたせいかもしれない。③になれば嫌でも二の腕(肱)が使える=肩甲骨が腕になっている=肘がコントロールできる=体側が立つ=骨盤が立つ
卓球をやっていたあの頃にこのことを知っていたら・・・と今更悔やむことはないけれど、改めて現在の日本と中国の卓球選手のフォームを見てみると、今でも肩甲骨で打てる選手は日本にはいない。みな腰打ち=腕打ち。
左は日本の張本選手 右は中国の馬龍選手。
日本の選手は腰と胯を同時に回転させて打つ→肩(肩甲骨より上)が遅れて合わせたようにして打つ:球を比較的身体の近くで打つ 腕の伸びがない(腕が短い感じ)
これに対し馬龍選手は肩甲骨打法とも呼ばれるだけあって、胯、腰、肩甲骨までが一斉に回転。胴体がねじれることなくブーンと回る。
馬龍選手の場合バックスイングを取った時にすでに肩甲骨の下角=脇に支点を設定済み。後はそこを支点にブーンと振る。
一気に振り抜ける=全身の力を一気に使った整勁となる。
一方張本選手を始め多くの日本選手はまず腰・胯。バックスイングの時にはまだ肩は繋がっていない。(バックスイングの時、馬選手は腕が伸びきって四肢状態VS張本選手は恐竜状態?)
で、ここで腰股の回転を肩に合わせている。肩甲骨が思いっきり外旋していない(立甲していない?)から腕の伸びが馬龍選手ほどはない。
ただ、卓球の場合、この打ち方にも利点はある・・・
様々な使い分けができるのが理想
馬龍選手と水谷選手の名ラリー。
馬龍選手の打ち方が師父の卓球のフォームにそっくり。師父のフォームを見た時、最初それは違う、と思ったのだけど、軸を頭まで通すと腕は私たちが思っているよりも外にある感じだ。身体の中の軸が中心に一本ではなく、左右に二本のようにも見えるし、中心に円柱のように太い空間的な軸があるとも見える。
一方日本人の水谷くんの腕の付け根はかなり内側→軸がぐにゃぐにゃ けど、それはそれで相手にとっては打ちづらい。
最後に馬龍選手の練習の時の打ち方。
脚から肩甲骨下側、脇まで繋いで打つ基本練習。こうすると肘(=二の腕)が安定する。
足裏の力がダイレクトで肩甲骨まで達するのが中国的打法。太極拳も同じ。
ただ、ここまで達するには足裏から腰までが完全に繋がっていなければならない。
以上、馬龍大好きなのでたくさん書きました。馬龍みたいに打ちたい! いや、今は卓球ではなくて太極拳・・・
2021/2/18 <坐禅で気を下ろす→引き上げる>
最近の会陰の引き上げについてのブログを読んだ読者の方から、「会陰を引き上げようとすると腹が凹んで力が入ってしまいます。どうすればよいですか?」という質問をもらった。
結論からいえば、まだ気が下まで落ちきっていない(立位なら足裏、坐禅なら坐骨あたりの臀部)段階で会陰を引き上げようとすると腹が凹んでクッと息が詰まったようになる。
身体の気を下げる(重力に随う)ための要領としては、まず、呼吸をゆっくり深くすること、呼気がヘソよりも下、気海穴、そして理想的には関元穴近くまでまで届くようにするのが目標(先月に書いた腹圧についてのメモも関係します)。
そしてそのためには沈肩や松腰、松胯が必要になるはず。身体は長く伸ばすのではなく少し丸めにして鼻から会陰までの距離を縮めるようにする(←左の赤ちゃん①の座り姿)
棒立ちやしっかり背筋を伸ばして座った姿勢では息が関元穴(膀胱、子宮、前立腺の位置)まで届かない。
ここまで息が通れば、会陰は目と鼻の先。少し会陰を内側に引き込めば(内収)関元穴で上からの息とドッキングして下っ腹が安定する。眠気がなくなる(坐禅で眠たくなるのは放松して会陰が緩むから。左の赤ちゃんのような坐禅をするとウトウトしそうだが、これで会陰を引き上げればウトウトは途端に消える。が身体は放松したままになる。
ここまで緩んだら、会陰をさらに引き上げていく。すると・・・
上の赤ちゃんよりもお尻の割れ目が沢山見えている。上の赤ちゃん→左写真の左の赤ちゃん②→右の赤ちゃん③ の順番で会陰が引き上がって行っている。
それに伴い骨盤も立っていく。最後の赤ちゃん③は座っているけど立ち上がっている(?)ようなもので、頭頂の頂勁が現れ、肩関節が自由になっている。
タントウ功や坐禅で周天を行えるようにするための築基功は、まず最初の赤ちゃん①のような丸くしょぼい形から始めて、次第に最後の赤ちゃん③のように立ち上がっていく。それはヨガでクンダリーニが上がっていく様子を蛇がとぐろを巻いて頭を擡げる図で表すのと同じだ。(道教の修行法はヨガに由来しているだろうから当然といえば当然)
ヨガではムーラダーラチャクラ(第一チャクラ:会陰)からダイレクトに上に向かって開発していくが、道教の修行法では下丹田(精 ヨガの第1第2チャクラ)を補充するために中丹田(ヨガの第3第4チャクラ)の後転の気(食べた物と息)を一旦下向きに落として使う。そのため道教の修行法では坐禅は上の赤ちゃん①のように丸い状態から始める(一番上の赤ちゃんが俯いて行なっている作業は、放松、つまり、胸の息を下向きに、腹の穀物の気を第1第2チャクラの方へ落としている)。しっかり坐骨まで落ちたらここから改めて上むきに気を上げていく(会陰を引き上げていく)。第1、2チャクラを立ち上がらせたのが赤ちゃん②。頭頂まで引き上げると赤ちゃん③のようになる(最も開いた状態)。そしてまた最初の赤ちゃん状態に戻ってぐるぐる循環する。無極から太極へ、そしてまた無極に戻って太極へと循環を繰り返す。
これを初めから最後の尻で立ち上がった赤ちゃん③のような姿勢で練習しようとすると失敗する。仏教の道場でよく見かけるのがそのタイプ。ただ、仏教の坐禅は周天が目的ではないのでそれ以上なんともいえないが、タイやビルマの僧侶の坐禅姿に比べると日本のお坊さんの坐禅は背骨がえらく真っ直ぐだ。。日本の武道も背骨を棒のように真っ直ぐにする嫌いがあるけれど、それは日本の文化なのかしら?(小学生の時に学校で背中に30センチの物差しを入れられて授業を受けさせられたことがある・・・) 背骨はしなって真っ直ぐにもなる、という中国武術と、背骨はいつも真っ直ぐ、という日本武道と、ん〜、何か国民性の違いも感じるところ。
けれど、背骨という骨はないから、脊椎の全ての関節が動くのが理想的なのは今では常識。背中に物差しを入れられたままだとしゃがむこともできないし走ることもできない。
なお、冒頭の読者からの質問に対しては、「まだ気が十分落とせていない、すなわち、腰が緩んでいない、あるいは股関節が緩んでいない可能性が大きいと思われます。」と答えたのだけど、それに対しては「腰を緩める」「股関節を緩める」とは具体的にどういうことか?という疑問を提示されてしまったのでした。きっとこれまでにもメモで書いたことがある要点だと思うのだけど、現時点でどのように説明できるのか、初心者の人たちがきっと苦労する点なので近いうちにそのような基本要領を簡単に動画で説明できたらよいと思っています。
<追記>
一休さんはどんな坐禅だったっけ?
と見てみたら、やはり子供だから丸い坐禅。
面白いのは、左のように頭を両手でくるくるさせながらとんちをひねり出そうと真似してみると・・・会陰が上がる! 試してみては?
下の一休さんのように真面目に坐禅すると会陰は下がりがち(この目の感じだとおそらく下がっている・・・漫画ですが 苦笑)。
上のように手を上げて頭をくるくるすると目も上に上がる。目が上がると会陰も上がる。目を上げる要領は目の内収、上丹田(眉間の奥のツボ)に収める要領で表されています。
2021/2/16 <会陰の引き上げについての補足>
昨日の玉ねぎネットを使った画像を師父に見せたら、很好!と言って、そこからまた会話が始まった。
私:「無極タントウ功は気を丹田に溜めるものではなく足裏、湧泉まで落とすものなのに、やはり会陰は多少引き上げて内収するのですね?」
師父:「そうだ。会陰は上げた方が気がよく落とせる。会陰を緩めてしまうと気が太ももや膝のあたりで止まってしまう。」
私:「けれども初心者に会陰内収を意識的にさせたら身体に力が入ってかえって気が落ちなくなりませんか?」
師父:「それはそうだ。ある程度練習をしてからの方がいいかもしれない。人それぞれだから適切な時期に適切な指示をするのが良い。一律的に練功はできない。」
私:「以前、男性は会陰を引き上げようとすると女性よりも身体に力が入りやすいから、その時期を遅らせる、というようなことを言っていたと思いますが・・・」
師父:「女性は身体の特徴として会陰(膣)が緩みやすいから早いうちから引き上げさせた方がいい。男性はしっかり放松する必要がある。」
それから玉ねぎネットで私が気づいた点を話した。
私:「この模型を作ってみて、改めて、会陰を引き上げるにはまず全身の気を下げなければならないことが分かりました。」
師:「それは良かった。身体の四方八方の気が落ちて会陰が引き上がっていく。そして会陰を引き上げることで身体の気が下がる。循環になる。」
昨日のブログではそこまでは書かなかったので補足、いや、加筆・・・
会陰の引き上げをするにはまず放松して気を下げること。
慣れてくれば気を下げる作業(下向きベクトル)と会陰の引き上げ(上向きベクトル)が同時にできるようになる(から、馮老師のテキストで無極タントウ功は最初から会陰内収で行う)。
もし自分が会陰内収ができているかどうか分からなかったら、逆に会陰内収を外した状態を作ってみるといい。会陰を上げたり下げたり、両方できるのであれば上げた状態が作れるということだ。
どんな要領でも、”それ”とその反対ができるのであれば、”それ”は大体のところできている(完璧でないにしても練習の方向性は合っている)
例えば”抜背”にしても、”抜背”とそうでない背中を両方やってみせることができるなら、おそらく分かっている。含胸、塌腰、松腕・・・すべてそうだ。その反対が分からないものはそれも分かっていない。もちろん、反対が分かったからといってそれが完全に合っているとは保証されないのだけど・・・ が、会陰の場合は上げる下げると単純なものだから分かりやすいはず。
会陰の引き上げについてネットで検索をしても使えそうなものがないので、最も原始的で日常的にできる中医学的健康法を紹介します。
それは、大小に関わらず排便をした後はそこ(小なら尿道口、大なら肛門)を9回引き上げてからトイレを出てくるということ。
会陰はこの二つに挟まれているから同時に引き上がる。
そして特に大の時はしっかり引き上げる。これは提肛の練習。
排便は身体が放松して気を下に落とさなければできないので、その後に肛門を引き上げると上の玉ねぎネットの画像のように、空間を保ったまま引き上げられる(直腸が引き上がる)。巷では肛門を締める、といって肛門の入り口だけを締めてお尻を固めるような要領が教えられていたりするが、それは全く意味がないので、その過ちを避けるのにとても良い方法だ。
肛門の入り口を締めるのと、肛門を引き上げる(提肛門)のと、両方ができれば両者の違いがはっきりする。ひょっとしたら昨日のブログに載せた空手の表演者や多くの太極拳の愛好家は肛門の入り口を締めているのかもしれない・・・?
提肛門の要領がわかれば提会陰の要領も同じなのでそこから入るのも一つの方法。
もう一つのおすすめは、坐禅を組んで、そこから飛ぼうとすること。飛べなくてもよいので飛ぼうとして、その時に自分の身体と気がどう動くのかしっかり観察する。「じゃあ、今から坐禅で飛びます。」と言うと生徒さんたちはびっくりするのだけど、まずは坐禅をして、「さあ飛ぶので用意して・・・」というと、皆、身を小さく丸めるようにして飛ぶための準備の体勢をとる。よ〜い、の姿勢だ。この時は皆、急速に身体の気を下に落としている。そして私が「はい、飛んで!」と号令をかけると、ほとんどの人は上に飛ぶことに意識を奪われてお尻や会陰を見るのを忘れてしまうのだけど、飛び上ろうとする時に自分のお尻や会陰がどう動いているのか、あたかもスローモーションで見ているように観察できれば、まず自分のお尻が床を踏んでそれからすかさず会陰が引き上がって床からお尻が離れるのが分かる。お尻が床を踏み切り板を踏むように打つのが身体中の気がお尻まで下がってそれが床の反発力を得ようとしている状態、そしてその反発力は会陰や肛門で受けて身体を持ち上げる。