2020年10月

2020/10/31 <チャンスーから逆算したら収功を見直すことになった>

 

 今日は久しぶりにzoomでグループレッスンをした。

 チャンスーで全身が繋がる感覚を少しでも味わせられないか、そこまで導くのが目標。

 集まってくれた生徒さん達の中には、日本で直接教えていた人達だけでなく、ビデオレッスンのみで教えている生徒さんも混ざっている。全くの初心者はいないけれども、レベルは様々だ。

 

 チャンスーがかかっている感覚を得られるには、前提として何が必要なのか? 

 

 

 

 まず全員にこの前の二の腕の動画①で二の腕と胴体を繋げる方法として紹介したチャンスーの動作をやってみてもらった。

 練習歴が長い人はなんとなく腕のチャンスーが胴体に絡んでいるが、練習歴の短い人は、ただの腕の回転運動になっていてスカスカになっている。

 

 ここからどうやって(胴体に絡む)チャンスーに持っていくのか?

 

 そこでチャンスーがスカスカの一人の生徒さんをターゲットにし、彼女の動きをよく見て、そこから逆算してみる。

 

 

   足裏の踏む力が全く使えていない・・・これではチャンスーはかかるはずがない。

 まずは足裏まで気を落とさせなければならない。

 

 そこで、動きをただの収功の動作(降気洗臓功の簡略版)に切り替えてやってもらうことにした。。

 収功は丹田に気を戻すための動作だが、その中には足に気を下ろす動作が含まれている。(丹田に気を戻すためには足裏まで気を下ろすことが前提条件となる。なぜ? 収功の動作の中にその回答が含まれているはず。)

   

第一段階。手を上から下に降ろす時に息を吐いて足裏まで気を届かせる。

何度も繰り返し、膝を通り越し、足首を通り越し、やっと”足”が現れて、

そして足裏が床にピタッと貼り付いたようになったら収功の第一段階が終了だ。

 

次に第二段階に進む。

今度は収功の動作の、吸気で手を下から上に上げる動作に意識を向けさせる。

 意識すべきなのは、呼気で足裏まで気を降ろしそれが反転して吸気に変わった瞬間。この時に息が吸気に変わっても足裏は引き続き地面を推し続けなければいけない。鼻は吸っているのに足裏は吐いているような、そんな感覚だ。両手が上がり膝が伸び身体が伸びていっても、ずっと足裏は床を推し続ける、ということだ。

 

 手が上がり身体が上に伸びていくのに伴い足が地面から離れていくのではなく、

 手が上がり身体が上に伸びていくのに伴い、全身が伸びをするように突っ張って足が地面を踏んでいくようにする。

 これはまさに”張力”を効かせるということに他ならない。

 

 この全身の上下の引っ張りあいの感覚が取れれば、この収功の動作を上のチャンスーの動作に戻していけば大まかな全身のチャンスーの感覚は取れるはず。

 

 が、実際に今日の生徒さん達の動きを見て気づいたのは、上の収功の第二段階の脚の突っ張りが皆不十分で、そのままだとチャンスー(のようなもの)がゆる〜く身体の一部分にしかかからないということ。(上の猫の収功のような感じではまだまだ不十分・・・娘がお遊びで作ってくれた画像 苦笑)

 zoomレッスンでは、皆に、いきなりジャンプ、の練習をさせたりしました。

 ジャンプは第二路(混元太極拳だと46式)ではとても大事になるし、第一路はそのための準備になっているのだが、ジャンプは結局、どれだけ脚が地面に向けて突っ張れるか、”蹴る”というのは突っ張ることに他ならない。そういえば、天突き体操というのがあるが、両足で地面を突っ張って踏んで両手が天井を突っ張って支えている、というように、自分が天と地の突っ張りになるようなものだ。この時、丹田が消えると突っ張りがなくなってしまう、というのは、張力の科学的な定義からも導かれそうだが、そのあたりはまた次の機会に。

 

 天突き体操は刑務所でやられている体操だそうで、ホリエモンがこれで痩せた、なんていう記事もあるが。動画検索して見てみたら、ほとんどは膝の屈伸運動になっているようだ。下の右側の動画の白いジャンパーの男性は突っ張り感ありそうな感じ(はっきりは分からないけれど)。

 

 最後に馮老師の動画の一部を載せておきます。(https://youtu.be/KSbx2eM-TnA)

 ねばさ、チャンスー、突っ張り・・・そのベースに丹田あり。

2020/10/28

 

  明日からとうとうロックダウンになってしまった。

 当たり前といえば当たり前、第一回目の春のロックダウンが終わった後、バカンスなど何やらなどと次第にコロナは消えた?みたいな生活をしていたのだから。日本のような”自粛”という言葉は意味をもたない。国が法律で罰則まで設ける必要がある。

 今日は最後の日、ということで、夕方の繁華街の人混みはものすごかった。車の渋滞もひどかったけど、一番長い行列があったのはおもちゃ屋だったことに驚いた。レストランも人で溢れて、引っ付き合って盛り上がっていた。最後の晩餐、みたいな悲壮感はなくて、わいわいガヤガヤ、なんだか楽しそう。このまま深夜に花火が打ち上げられそうな勢い。

 もし日本で明日からロックダウン、ということになったら、きっと「明日からどうするか?」という話で今日一日が終わってしまいそうだけど、こちらでは「どうやって今日一日を楽しみ尽くすか?」で皆忙しかったのでした・・・。

 

 さて師父との(最後の)練習は剣の第35式左右托千斤までの復習。

 私がいちいち、この動作は何をしてるのか? 何でこんな名前なのか? 何でここで一歩下がるのか?、とか聞いてしまうから思ったほど早くは進まない。けれど、歳をとったせいか、ただ丸暗記ができなくなっている。いちいち頭の中で意味づけが必要になる。拳の経験からも、套路には余計な動作がないことを知っているからなおさら意味が分からない動きが気になってしまう。

 剣は刀と違って中心軸を細くとる必要がある。仁王立ちになって真正面に向いてしまったら簡単に相手に斬られてしまう。両足を交差する動作が多いのもそのため。バレエでいうなら5番ポジション。軸を通すという意味ではもっとも合理的な立ち方(歩法)だと思うが、ただ丹田に中心を集めるよりも難易度は高くなる。左右の足の置き場と向き、それによって身体の使い方が大きく変わる。

 そこから思うのは、真っ直ぐ立った時に既に足が外向き(外八字)や内向き(内八字)になっていたりしたら中心軸を通すのはかなり難しくなるのではないかということ。脚が真っ直ぐではないのは生まれつき、と放っておかないで、歯の矯正と同じようにすべきなのか?

 

 

なんと、中国のサイトを見たら幼児用の矯正グッズが売られていた(苦笑)

チャンスーになってる♪

後ろ姿も見せてほしい・・・

 

日本のサイトで出てくるのはもっぱらインソール。が、インソールではガニ股や内股の根本的な解決は難しいだろう。

肋骨・腹から調整していく必要がある・・私自身、こちらに来てそのあたりを意識的に練習することで脚の形がかなり変わって来たことに鑑みると、6−10歳でなくてもまだ矯正は可能だろう。

というよりも、正しく太極拳をやろうとすれば、正しい身体になるはず。(そういうものだと私は信じている。)

 

 これから1ヶ月は一人練習で時間に余裕もできるので、いろいろ試そうと思っています。

 zoomで無料公開レッスンをやってみても面白いかもしれない。興味のある人がいたらお問い合わせから連絡をください。

2020/10/26

 

  「始める前は冷たくありませんが、とうろを終えた後手だけが凍えるくらい冷たくなる時があります。体を動かした後なのに冷えるのはどうしてでしょうか?」

 

 そんな質問をもらいました。

 私も似たような経験がある・・・と言っても、それは気温が零下での練習の話。

 ただ、原理は同じ? と、思い起こしながら書いてみることにします。

 

 東京の冬の練習はからっ風が厳しいものの気温が高めなので外での練習は夏よりずっと楽だ。冬の練習の醍醐味は、凍えないように気を溜め、かつ、それを漏らさないように動くことを知れることだが、そんな練習ができるのは5度以下、0度あたりだ。

 10数年前にパリで練習していた時は、冬の気温が大体2、3度〜零下2、3度のことが多く、しかも雨が降っていたりしてかなり寒かった。タントウ功をすると気が溜まって身体が暖かくなるのだが、袖から出た手はどうしても凍えてしまうのが辛かった。風が吹くと手が痛くて耐えられない、ということもあった。が、そのうちそれにも慣れ(袖の長いジャンパーを着て少し手を袖の中に隠したりする技も使ったが)、タントウ功なら零下8度までなら耐えられることを経験した後、次に問題になったのは、タントウ功で暖まった身体で動功を始めるとみるみるうちに身体が冷えていくことだった。

 

 2006年に始まったパリでの師父との練習の1年目の冬の課題は、タントウ功で手を凍えさせないこと、そして2年目の冬の課題はその後の動功で寒くならないこと、だった。そして3年目の冬の課題は套路で手が凍えないこと、そう進んでいった。

 

 なぜそうなるのか、当時師父に質問をしたことがある。

 それを今、整理しながら書くと次のようになる。

 

 まず、タントウ功で気を丹田に溜めると、自分の中心に熱が作り出される。発電機なのか発熱機なのか、そんなものが丹田なのだと分かるのが冬の練習。(夏では身体が開いて熱が外に逃げるので丹田で発熱している感覚はそれほどない。)

 ただ、タントウ功で気を丹田に集めようとすると、身体の末端の気が中心に引き戻されるので、一時的に手が冷えてしまったりする。すぐに丹田からの熱が手の末端まで送り届けられれば良いのだが、そもそも中心の気の量が少なかったり、途中の通路に障害があったりするとなかなか手まで届かず手が凍える経験をする。しかも、手が外気に晒されていると手の熱は始終失われ続けているから、それに見合った量の気が中心から補充されない限り、手が暖かくはならないことになる。

 

 タントウ功で丹田にある程度の気を溜められるようになり、それをある程度末端までコンスタントに送り届けられるようになった後、第2年目で動功時の寒さが問題になった点について。

 身体が動き始めると、筋肉で熱を作り出し始める。

 が、それと同時に、動いた分、体内の(丹田の)エネルギーが失われる。

  

 動功の場合は、運動量自体は大きくないので、筋肉で作られる熱は多くない。

 しかし、動いてはいるから、体内のエネルギー(気)は消費されていく。

 こうして、全体として、失われたエネルギー(熱)の方が多ければ身体は冷えていく。

 ここで学ばなければならないのは、動功をしながら、せっせと丹田に気を溜めて発熱させること。もしラジオ体操のように筋肉体操をしてしまったら、相当元気よく号令でもかけて発憤させて動かない限り零下の環境で身体を暖かくはできないだろう。

 動功でゆっくり動いて(エネルギーを消費しながら)、同時に丹田で気を練って発熱させ続ける。丹田で発熱させられる量が増えれば増えるほど身体は暖かくなる。

 

 そして最後に問題になった套路の時の手の冷え。

 套路は動功に比べて動きがダイナミックなので筋肉による発熱量が増える。特に下半身には全身の筋肉の7割があると言われる(どこから下半身?腰以下?という疑問は残るのだが)、下半身を動かすと発熱量が多くなる(寒い日に走ると暖かくなる、静止して上半身だけを動かしてなかなか暖かくならない)。 

 ただ、套路は動功以上に動くので消費される体内のエネルギー(丹田の気)も多くなる。しかも気温の低い時は外に奪われる熱も多くなる。

 第3年目の冬、零下8度の中で練習をした時は、タントウ功では鳩のように丸く膨らむことで熱を作り出し、動功ではその熱(気)を漏らさないように丸くなったまま動き熱を保てたものの、套路になったら身体が開いて熱が逃げ、24式を一度やり終えたら手は凍え寒くなってしまった。その後48式を続けてやり、運動量が増えて筋肉発熱が増えたせいか身体は暖まったが、手は凍えてジャンパーのジッパーを握ることができなかったのを覚えている。

 当時はまだ套路をしながら丹田で気を錬ることができなかった頃。

 套路はもっぱら筋肉発熱に頼っていたと思う。

 もう1度か2度、套路を繰り返せば、筋肉発熱の発熱量で手までカバーできたかもしれない。(できたはずだと師父は言っていた)ただ、もう疲れてしまって(零下8度の中で既に3時間近くいた)もう1度套路を繰り返して暖かくなるよりも、早く家に帰って熱いお風呂に浸かりたかった・・・

 

 筋肉発熱で手先まで暖かくするには、下半身の大きな筋肉による発熱が手に届くまで運動量を増やす必要がある。手を動かせば動かすほど手先から熱は漏れていく。それを上回る以上の熱の算出と伝達が必要になるが、そのために失われる中心のエネルギー量はとても多くなる。状況によっては手先まで暖かくなる前に中心のエネルギーが枯渇してしまうこともある。

 そうは言っても、スパルタな先生なら、まだ手が冷たいのか、じゃあ、もう一回! とさらに套路をさせたり、走らせたりして運動量を増やすかもしれない。先天の気がまだ多い若者ならその手も使えるが、年配の人にその手は使えない。

 

 これに対し、丹田で発熱させながら動くというのは、末端(手先足先)から中心(丹田)に気を引き戻し(これを合という:順纏でやる)、丹田で呼吸を使って発熱させ(気を煉る)、それをまた末端に送り返す(これを開、逆纏を使う)、この繰り返しで動くことだ。こうすると、手先から外に漏れる気が最小限になり、かつ、中心から呼吸に乗って確実に末端(手先足先)に気が運ばれる。

 太極拳の套路はこれができるように作られている。開合の繰り返しだ。

 

 最初の質問に戻ると、考えられるのは、①運動量、特に下半身の運動量が足りない。②丹田で気を煉ながら動けていない(丹田を使わずに動いている)、③丹田から手先までのルートが開通していない、ということ。

 そして②に関連して、④開合ができていない、⑤呼吸の強さが足りない(か、呼吸と無関係に動いている)ということも考えられる。

 ①はしっかりと重心移動をすること。腰を膨らませて、足裏まで気を下ろすこと。

 ②については、丹田に気を溜められるようになったら、次の段階として動功で気を錬る練習をしてそれを套路に活かしていくことが必要だ。以前紹介した内功はそのような気を錬る練習をしている(開合や呼吸が大事になのがやってみると分かると思います)。

 気を溜めるのはもっぱら静功(タントウ功や座禅)でやります。

 ③については拍手功がおすすめです。

  特に手足の冷えが気になる人はやるべき。

  動画を撮ったことがあったかなかったか忘れましたが、近いうちに撮ります(明後日からロックダウンとの報道がさっきあったので、そうすれば動画撮る時間ができそう・・・)

 

 以上、自分の経験からはそんな回答になりました。

 

 

2020/10/23 <眼で頭を回す 首と胸椎の連結>

 

   胸椎から首を立てる要領は眼法を使って首を動かしてみると分かりやすい。

 

 太極拳の眼法には、『左顾右盼』というのがある。

   顾も盼も”見る”という意味だが、左を見て右を見て、警戒態勢を保つような状態を指している。

 そんな両側に注意を怠らないような眼・・・そんな眼をイメージ。

 

 左、右、ん? 左に怪しい影が・・・なんだ?

 と、さっと咄嗟にそちらに向いて対峙する。

 

 套路の中には顔の向きを変えて方向転換をするそんな場面が数多くある。

 最初の方なら、第2式金鸡独立、第5式单鞭。

 それまで正面なり右前を向いていた顔を、急に左に向ける。

 この時の顔の向け方が問題。

 

 やってはいけないのは、顔や頭をそのまま左に向けてしまうこと。

 顔や頭、首から回すと首でねじれて顎が上がるだけでなく、首から下が繋がらなくなってしまう。

 まずは目を左に向け、それから頭を回す。

 眼で頭を回し、それから手や身体を引っ張ってくる。

 

 眼をしっかり左に寄せて左方向を見てから頭を回すと首が胸あたりまで繋がるのが分かるはずだ。姿勢も良くなる。

 

  しっかり眼から動かす!

  

  太極拳の眼法では、目が全てを先導することを学ぶ。実践であれば当たり前のことでも、套路の一人練習では忘れがちになる点だ。

  

  卓球でもテニスでも、目標とするところに球を打つ時は、まずそちらに目線を定めて、それから打つ必要がある。バスケやサッカーのシュートでもそうだし、弓道やアーチェリーはまさにそれを使っている。

 

 眼の位置は頚椎のてっぺんにあるから、眼から動かすことで頚椎が上先端から回旋しまっすぐ胸椎へと繋がりやすくなる。眼を意識せずに頭から回すと頚椎2番3番4番という途中から回旋し回旋が胸椎まで連動しなくなる。

  

  左90度に頭を回す時に、上の図の上段のように”頭を回す”のと、下段のように”眼から回す”のと2つを試してみるのがお勧め。”眼から回す”、”眼で頭を回す”には、まず顔の向きはそのままで両目だけ左に向けてしっかり焦点が定まったら、眼が頭を引っ張るようにゆ〜っくりと顔を左に向けていく。首筋がぐぐっと回転しながら伸びて胸近くまでつながれば成功。

  

 これは何も太極拳に限った話ではなく、日常生活上でもそうやって眼を使わなければならない、ということだ。が、日常生活では、なんて無意識に動いていることだろう! がっかりするほど全く眼を使っていない! 眼から動いていたらそう簡単に視力は落ちないのではないか?

 良く見ていると、子供は眼から動いているが、大人になると、眼でしっかり見ずに感覚的に適当に物を掴んだり、パソコンを打ったり、改札でタッチをしたり・・・眼で最初から最後まで見届けられると全てが意識的な動作になるのだが。太極拳で学んだものを日常生活、24時間に広げて練習していかなきゃならない。頭では分かっているのだけれども・・・また初心に戻る必要ありだなぁ。

 

2020/10/21 <胸椎から首を立てる>

 

  今日は娘を師父のところに連れて行った。彼女はこちらに留学にやって来てから毎日ものすごい量の課題に追われていてほとんどゆっくり外に出ることもできない。他の国の学生達に遅れを取りたくないと自分で自分にプレッシャーをかけ続けて体調を崩してしまった。

  今日は彼女自らが私と一緒に公園に行ってタントウ功をしたいと言い出した。(彼女は以前に少しやったことがある。瞑想も

 

  せっかくなら師父に直接直してもらおうとお願いした。

 

  横で先生が調整しているのを見ていたが、たまたま撮った連続写真を見たら、見事に胸椎から首を立てる調整をしていることに気づいた。実は含胸が首を立てる鍵になる。

  含胸は胸の気を丹田に沈める(胸椎の下半分が下向きに引き伸ばされたようになる)だけでなく、それによって胸椎上部から頚椎を引き伸ばす作用もある。これはこれまでメモに書いたことはない点。胸椎上部から頚椎の調整はかなり上級者レベル、と思っていたけれども、師父が初心者の娘に行なっていたから一応メモに載せておこうと思う。

 

 上の二枚の写真は左の写真を一部拡大したもの(3枚とも同じ写真)。

 

 

娘のタントウ功の姿勢が大体整った後に首の調整をしている。

  

 

 

 ①で胸を後ろに推すと、頭が垂れて②の部分が盛り上がって来そうになるのを(ここが盛り上がると駝背になる)、師父が掌根で止めている。

 同時に頭が前に垂れそうになるのが、それは次のステップで調整・・

 

 この調整によって胸椎上部が上下に引き伸ばされるのが狙い。

 ただ、娘がそれを感じたかどうかは疑問。

 というのは、ここでキーになるのは、師父が②で首下を前方に押し込むように支えているのにたいし、娘がその部分(胸椎1、2番)を師父の力に逆らって押し返すような力を働かせられるかどうか。(しかも胸椎の背中側からではなく胸側から押すことが必要)

 もしそれができれば、胸椎1、2番から下部の頚椎が引き伸ばされて、胸椎上部から頚椎下部が引っ張り合いになる。

 

 

 

 

そして仕上げ。

 

上の写真で頭が前に垂れて行ったのをおでこを抑えて元に戻している。

 

この時、上の写真の②の手を効かせていることに注意。

この支えがないと、おでこを押さえられたことで娘の首が後ろにカクッと曲がってしまうかもしれない(顎が上がってしまう)。それをさせないように師父の右手が彼女の胸椎1番、2番あたりを押して支えている。

 

 これによって頚椎の上部が伸び、結果として頚椎が胸椎と合体、首が胸椎からすっと立た頭が乗ったようになる。

 胸から首にすると首に負担がかからない。

 首が胸椎から始まるような頭の位置を探す必要がある。

 

 頭の位置を探すには、眼を先に動かして身体をつけていく、という練習をしてみるといいと思うのだが(太極拳で言えば、『手は眼に従う』(目が先、手が後)という眼法)、これについてはまた近いうちに紹介します。

2020/10/20

 

 ある生徒さんから、二の腕を回転させて套路をしたら方向転換の時(第8式から第9式?)に全身がクルッと一斉に回って驚いた、というコメントをもらった。二の腕を回転させると広背筋がもれなくついてくる。腕の回転によって胴体がクルッと一緒に回転する。脚と腰が繋がっていれば全身が”時差なく”一斉に回ることになる。

 

 このような感覚が得られたのはとても良いこと。

 が、いつまでも二の腕ばかりを意識していてはいけない。

 二の腕を意識している、というところで既に丹田への意識が欠けてしまっている。丹田から意識を外してしまうと、次第に全身の繋がりが消えてしまう。最初に得られた魔法のような感覚が消え去ってしまうかもしれない。

 

 そこで私はその生徒さんには、(二の腕が分かったなら)次は太ももを回す練習をしてみるようにアドバイスをした。

 四肢で考えれば二の腕と太ももは本来同じもの。連動して当たり前だ。

 

 外三合では肩と胯、肘と膝、手と足、という大中小の関節のセットで考えるが、まず、肩と胯の合の感覚が正確に得られるようになるのはかなりの高レベル。

 私たちは身体の中心に近づくほど意識をすることが難しくなる。反対に、中心から離れた位置にある部位はよく意識することができる。手や足を意識するのは難しくないが、背骨を意識するのは難しい、というように。

 二の腕が意識できるようになったら、それと太ももを連携させてしまうのが練習方法としては理に適っている。なぜなら、二の腕と太ももの両方を意識することで内視した時の視野が広がるからだ。内側の視野が広がれば、身体の内側の空間が広がる。身体がポンする。丹田が大きくなる。

 

 

 左は以前紹介した馮老師の套路の中の披身捶。

 肩肘手首、胯膝足首、全てが一斉に内旋するのだが、それらを全て同時に注意することはできないので、二の腕、そして太もも、それから、二の腕と太ももを合わせて意識をして動作を行う練習をしてみる。

 

 生徒さんには、同じ披身捶でも、太ももを回そうとした時、膝を回そうとした時、股関節を回そうとした時で、どのような違いがあるのか感じてみるといいと言っておいた。

身体の中心に近いところ、二の腕と太ももで”合”をすると、肘と膝の”合”よりも体幹がしっかりするのでは? 

 

 「合」について言えば、手と足を”合”のようにするのは初心者でも感覚的には可能だが、本当の意味で「合」にさせるには、中心から手足までのラインを内側で思いっきり引き伸ばして置く必要がある(張力をきかせる。ハンマー投げの時のよう?) たるんだ「合」のようなものは「合」ではない。その間に張力がなければ、「合」とは言えない。「合の中に開あり」という言葉はその二点間の張力を示している。

 

 

 

 

 

 もう1つ、面白いのは呼吸。

 二の腕と太ももを合わせようとすると、息は、吐きながら吸っているような感じになる。ただ単純に吐いてしまうと二の腕が落ちてしまう、引っかからなくなりそうだ。呼吸はあまり意識しすぎない方がよいのだが、もしうまく繋がらなかったら、吸気でやってみるとうまくいく可能性が高いと思う。 (ただ前提として横隔膜呼吸ができるようになっていて、吸気で足まで息を通せることが必要だと思う。)

 馮老師の呼吸は吐いていても吸ってる(飲んでいる?)ようでやはり別格。このような呼吸や眼神の使い方のできる老師は現在なかなか見つけられないので、見て雰囲気だけでも覚えておくべきだと思う。呼吸がわかりやすい動画を載せておきます。動画があって本当にありがたい!

 

  

2020/10/18 <二の腕を胴体につなぐ要領の動画>

 

  こちらの師父の生徒さん達を見ていても二の腕をちゃんと使えている人はいないようで、上下相随までもっていくのはなかなか大変なのがわかる。師父にそのことを言うと、「ちゃんと松することができるようになれば、いつか繋がる。」と言う。それは確かに正しいのだろうが、”ちゃんと松”できるようになるのに一体どのくらいの時間が必要だろう? いや、時間が問題というよりも、”松”という雲を掴むような目標一本で練習をしてそこに到達できる人はどのくらいいるだろう? 「空になれ!」と言われてひたすら座禅をして悟りを目指す、そんな類の話だ。

 

 生徒さんがある段階に来たら、次の段階に進むための助言が必要だ。

 「松すれば自ずから通る」と言う師父ではあるが、実際には細かな指示を繰り返してその段階で止まらないようにしてきてくれた。

 確立されたメソッドはないとはいっても大まかな筋はある。

 

 腕と胴体を繋げるのが課題になるのは、腰(胴体)と胯(脚)がおおよそ繋がった後(=中丹田と下丹田が一つになった後)。腰から脚として動かせることがある程度できていることが前提になる。

 

  今日、師父の生徒さんに二の腕と胴体を繋げる要領を教えたついでに、動画を撮ってみました。

  15分ほどの長さになったので2つに分けました。

  前半は、腕を胴体にはめ込むための2つの方法。

  後半は、その腕を套路や推手で活かす例。

  前半の2つの方法を試してもまったく繋がらないとしたら呼吸を整えて腹圧をあげ丹田を作る必要がある。(もしその動作の呼吸の説明が必要なら教えてください。呼吸をもう少し詳しく説明します。)

 

 

  <補足>

 興味本位で、腕が胴体にしっかり入っているかどうか(=二の腕が使えているか、手が腰や足と引っ張り合いになっているか、張力が働いているか)写真で分かるのかどうか見てみた。

 面白いことに気づいた。

 二の腕が使えている人たち(上段)は腰の位置が高くて円裆になる。

 そうでない人たち(下段)は腰の位置が低くなり、上半身の重さで脚に負担がかかっている。裆に力がない(骨盤底筋が緩んでいる感じ)。腕を引っ張っられたら(リューされたら)躱すする)ことができず力づくて抵抗せざるを得ないだろう・・・

 張力という言葉を使うなら、上段は全身の張力が効いている。頭頂と足裏の引っ張り合い→頂勁がある。下段は下向きのペクトルが強くて上向きが少ない→頂勁が得られない(顎が上がるか、首筋を立てて頭を立てている)

 

 結局、たかが二の腕、が、されど二の腕。全身のアライメントが変わってくる。

2020/10/16 <結局は張力か?>

 

   一昨日のメモを読んだ生徒さんが、「突っ張った四肢を見て、今読んでいる本とつながりました。」と右の本を紹介してくれた。

 

  題名がまさに太極拳での身体の使い方。早速アマゾンで試し読みを見てみたら、既に前書きで深く同感。そして目次を見たら、どの章もキーワードだらけ。日本にいたらすぐに本を注文して読んだだろう・・・・(kindle版もあるがやはり紙の本が欲しい!)

 

   そしたらyoutubeにこの方の動画がありました。声を出すことで身体に空間を開け、エネルギーを貫通させる。身体を一つにする方法だ。発勁の時の発声の意義を再検討できそうだ。

 

 

 

 声を出している時と出していない時、どんな違いがあるか写真で分かるかなぁ?

 上の左側の写真は、静止で堪える練習か、このまま腕立て伏せに入る?という風だが、これに対し、右側は、エネルギーが前方へ移動しているように見える。望めばシュナウザーのように足を突っ張って身体を前方へ移動できるだろう。逆に、このような遠吠えをしながら腕立て伏せは不可能なはず(腕を縮めることはできない)。

 

  ところで、以前のメモを整理していたら、今年の8/16のメモで、「内側の気の膨らみ(ポン)には”後ろ足の突っ張り”が必要なのではないか?」と考察していたのに気づいた。

 

 

 内気が増えれば増えるほど後ろ足の突っ張りは大きくなる。

 後ろ足の突っ張りが大きくなればなるほど内気は増える。

 

 ・・・またまたよくある鶏が先か卵が先かの図式なのだが、それは

 後ろ足の突っ張り⇆内気の膨らみ

 と行ったり来たりするわけではなく、この二つを間をぐるぐる周ることにより、1周目よりも2周目、3周目となるごとに、後ろ足の突っ張りも内気の膨らみも拡大していく。

 太極拳は練習の仕方自体が円なのだ。

 

 

 ついでに、本のタイトルにある『張力』について検索をしたら、高校物理で分かりやすく説明しているページがありました。https://wakariyasui.sakura.ne.jp/p/mech/tikara/tyouryoku.html

 張力は引っ張り合い。師父がしょっちゅう言う”对拉”。

 このサイトでは、ロープのいたる箇所で引っ張り合いがなされて、結果としてロープの先端と先端の引っ張り合いの均衡が取られていることが説明されていた。

 なるほど〜

 ロープを背骨に置き換えるなら、全ての脊椎がその隣の脊椎同士と引っ張り合いになる必要がある。一箇所くっついていただけでも均衡が崩れて背骨は動いてしまう(下に動けば虚領頂勁ができないし、上に動けば仙骨や尾骨が使えない)。

 全身で言うなら、頭と足をそのまま引っ張り合いにすることは不可能で、途中の骨と骨の間で引っ張り合いをさせる必要があるということだろう。これが、上で紹介した本の、”関節の隙間を作る”ということに他ならない。

 

 そのうち、本を入手して読んでみたい。

2020/10/14 <足の踏ん張りから上下相随へ なぜ沈肩になってしまうのか?>

 

  10/4のメモでは腕を胴体と繋げる時のポイントとなる二の腕と広背筋、二の腕の回転について書いた。

  生徒さんの中には、二の腕を意識し続けて套路をしたら全身の協調性が高まり、苦手だった方向転換もすんなりできるようになった、という人もいた。

  

  身体を、腕(上肢)、胴体、脚(下肢)、と三つに分けた場合、太極拳の練習では、まず、胴体と脚を繋げる練功をする。

  胴体は中丹田、脚は下丹田が中心だ。(脚は骨盤の股関節ラインから下)

  タントウ功で中丹田と下丹田を合わせて一つの丹田とすることができると胴体と脚はほぼ連結する。言い方を変えれば、腰(胴体)と胯(脚)の連動だ。

  

 胴体と脚(中丹田と下丹田、腰と胯)がある程度繋がったら、次は、胴体と腕(上肢)を繋げる練功をする。

  ここで初めて、”二の腕”の話や、”肘を落とさない”、”身体を薄くする”など、最近書いたトピックがとても大事になってくる。

 

 胴体と脚、胴体と腕、がつながれば、いよいよ、脚→胴体→腕 となり、上下相随、が現れてくる。理想とする周身一家、全身が一つ、一斉に動く、ということの基礎ができる。

 

 先月から子犬を飼いだした。今年3月に逝ってしまった老犬と同じ、シュナウザー。しっかりした体つきと弾丸のような走りっぷりが好きだ。生後2ヶ月半で飼いだしたのだが、1ヶ月経ったら見違えるほど逞しくなって獲物を追いかけるハンターのように家中を駆け巡るようになった。そして小さいながらも、四つ足で踏ん張ったように立つその姿の頼もしいこと!

 

 と、シュナウザーは特に後ろ足の踏ん張りが顕著なことに気づいた。

 ついでに、今フランスで大人気の柴犬も。

 やはり後ろ足が突っ張っている。

  

 後ろ足が突っ張ることによってぐっと胴体が推し上げられ、前足に体重がのる、というような構図だ。結果、後ろ足の力が前足に伝わっている、と見えないだろうか?

 それはまさに太極拳で言う、上下相随、周身一家だ。

 

 

 では、これらの犬の立ち方を見て、それから以前(2017年6月)に載せた下の写真を見てみると?

 

 ん? 後ろ足を蹴って前に進めそうな人は、最後の二人だけ?

 最初の三人はドン!と言っても、前に進めなさそう・・・

 その差は後ろ足が突っ張ることによって上体が前に突っ込み、肩甲骨から指までまっすぐに力が落ちているか否か。

   机のように四肢がついていたら動けない。動物ではなく静物になる。

 

 もう一度下の二枚を見ると、左は肩甲骨から腕になっているのに対し(胴体と腕が一体化している)、右は背中がのっぺらぼうで肩甲骨が腕として使われていない(腕で胴体の力を支えようとして、後ろ足が胴体を前方に進ませようとする力にブレーキをかけてしまっている)のが分かる。

 左は頭のてっぺんまで一体化(全身が弾丸)、右は顎が上がって推進力を止めてしまっている。

 

 そしてハイハイをする赤ちゃん・・・ 上体がぐんと前に伸びて腕が下の方から出ている感じ。

 肩甲骨から腕として使っている→首筋が伸び、沈肩になり、二の腕・肘がしっかり使えている。そして手首から手のひらへ。

 左端の写真の子は足の親指で突っ張ってるかな?

定本 基本の動物デッサン
定本 基本の動物デッサン

 

これはデッサンの本の一部分だが、右下の四つ足の人が立ち上がっていくとどのようになるか考えてみると面白い。

 

 

 

  実際には上で見たように、長方形ではなくて、上体が前に出てくる平行四辺形のはず。

  後ろ足を踏ん張ることによってぐんと身体が前に出る。そうすると肩は沈み、首が長くなる。

  腕のつく位置は普段私たちが考えるよりずっと下だ。

 

 

  後ろ足を踏ん張ったまま立ち上がると、少し前のめり、ムーンウォークのようになりそうだ。

 

  短距離走でもスタートを切った直後は前のめり、次第に直立になって、ゴールする時には胸が開いて身体が反るようになる。

 

 スタートから身体が立ち上がるまでのダッシュの時間が動物のような周身一家になる時。完全に立ち上がると上下相随を維持するのは難しくなる→丹田の力、重さの必要性

 

 足の力を手に届けるには、足の踏み込みで身体を前に進ませる推進力、勢いが必要になる。

 腕と胴体を繋げる時(二の腕を広背筋で動かす時)、その前提として胴体と下肢の一体化が必要というのは、そのような足のつっぱりによる胴体の持ち上げ(直立の場合)が必要になるということに他ならない。胆経をつなげる、身体を薄くして立つ、も同じことを別の角度から言っているに過ぎない。

  にしても、私としては、沈肩が足の踏ん張りからきている、というのが大発見♪(ただ、そのためには前足に体重が落ちる必要あり=腕の重さ、手まで気を通す必要あり 前足がぶらぶらしている直立の私たちにはここは大きな課題かも?)

 

 ・・・と、人間としてスタートを切ってもう長い時間の経ってしまった私たち大人には、直立で四つ足の時の身体の使い方を再現するのはとても難しいのだが、たとえすぐに完璧に再現できずとも、犬のイメージはどこか頭の片隅に置いておくと良いと思う。これが太極拳の時、いや、理想の直立歩行、直立姿勢の基本になっている。

 ここまで書いて、ゆる体操の高岡氏の著書の中の四つ足歩きの練習のポイントもそこにあったことを今思い出しました(やらせてみると机が歩くように四つ足歩きをする人がとても多いのが事実。犬や虎のように四つ足になるには背骨の柔軟性も大事でした)。

2020/10/12

 

   やっと剣を習い始めた。

 刀は前回の滞在(2006-2009)の時に一通り習ったのだが、日本では公園で刀の練習がし辛くてそのまま放っておいてしまった。

 剣は刀よりは小ぶりで、畳むと小さくなる簡易剣もあるようなので、機会があれば習ってみたいと思っていた。興味を持ったのは、方角が拳以上に重要視されているように見える点と、剣を持たない手が常に”剣指”である点。

 

 方角は八卦で表され、太極拳においてもとても重要だが、正直言って私の方角に対する意識はまだまだ低い。馮老師や陳項老師、劉師父が套路をする時の歩法を注意して見ると、足を置く場所が正確で、身体の方角、拳の方角、目はどの方角、とぴったり決まるようになっているのが分かる。

 

『教拳不教步 教步打师傅』

(拳を教えても歩法は教えず 歩法を教えると師父は打たれてしまう)

 そんな言い方があるように実践では歩法が鍵になる。 足運びが悪ければいくら拳や蹴り自体に威力があっても意味がない。

 

 普段の生活では私たちはほとんど前進ばかりだ。後ろに進む(退歩)ことも滅多にないし、ましてや運手(雲手)のような横歩きや回転する機会はない。十字路で道を右に曲がったとしても、感覚的にはずっと前に向いて歩いている。十字路で急に身体を90度くるっと回して方向転換する人はいないだろう・・・ 套路の中では身体はずっと真正面(南)を向いているのではなくて、様々な方角に向いていく。これは敵が、ここにもいる、あそこにもいる、からで、どこに敵がいるかという想定は式ごとに異なっているからで、時には、自分の周りを敵がぐるりと囲んでいるということもある。

 前だけ見るなら二つの目で足りるが、死角になる方角までもを意識しようとすると、気配を察する耳と皮膚が必要になる。起式で南を向いていて、それから東を向いて、それからまた南、そして西、それから北・・と套路の中で身体が向く方向が変わっていく時に、南の感覚を残したまま東、それらを残して西、そして北・・・と方角を加算していけば、套路が終わる時には身体がぐるっと目になるようになるのかもしれない。全身の皮膚が活性化するかもしれない。南から東に向いたらもう南のことを忘れてしまって正面の東だけが自分の世界になってしまったとしたら、結局、ずっと前進しているのに他ならなくなる。それはあたかも携帯のナビに頼って目的地に向かうようなもの。ただ道をひたすら前進していくのはトンネルを進むようなもので、頭の中のセンサーは一方向にしか向いていない。それでは自分の意識が狭められ身体に拡がりが感じられないだろう(エーテル体:気の身体が広がらない)。パソコンやスマホ、読書でさえも、同様の目の使い方だ。そう考えると私たちは本当の意味での”目”を使っていない・・・

 

 まだ剣を少し習っただけだが、既にそんな方角に対する感覚が生まれてきた。

 剣は怖い。刺されたらそれこそ致命傷を負う。常に四方八方に注意しておく必要がある。刀よりも間合いが小さいから機敏に方向転換し続ける必要がある。早速今日も、右足と左足をそれぞれどこに置くのか、進む時にきっちりと45度の線を進むように厳しく教えられ、できないと何度もやり直しさせられた。方角も適当じゃだめ・・・身体が歪んでいるといつのまにか方角もズレてしまっている。

 

 左手の剣指の作用についても面白い実感があるのだが、またこれは次の機会に。

 指をどう使うか(手型)によって身体の使い方が変わるよい例だ。

 立って前屈をする時に両手を拳にしていたら・・・が、剣指にして思いっきり人差し指と中指を伸ばしながら前屈したら背中がぐ〜んと伸びるはず。なんで五本の指をパーで開くとそこまで伸びないのかなぁ?

 

2020/10/9

 

  テニスが凶暴に見えたことに自分でも驚いて、私が若い頃に見たテニスはもっと優雅そうだったけど・・・、もしかしてテニスが変わった?と調べたら、まさにそのようでした。

 テクノロジーの進歩でラケット自体の性能も変わっている。今は高速、高回転(高スピン)が可能でオールラウンドで走り回るプレーヤーでないと勝てないらしい。昔は前に出てボレーとかで点をとることが多かったとか。(http://textview.jp/post/hobby/20696を参照しました。)

 要は、相手の球に”合わせて”いくよりも、パワー対パワーでぶつかっていくようになったから昔のプレーヤーよりも筋肉ムキムキだしとても過酷なスポーツに見えるのかなぁ?と。

 

 ただ、凶暴に見えた一番の原因は、打ち終わった後の怒り露わな表情だったのかもしれない。スポーツがもはや”気晴らし”(ラテン語のdeporte)ではなく”生きるか死ぬか”みたいな戦いになってしまったように映る。

 

 テニスプレーヤーが声を出すことに関して師父に意見を聞いたら、「気を通す作用がある。太極拳と同じだ」ということだったが、腹の気を手足に貫通するように発声しているのか(腹圧をマックスに高めていたのが拡散して多少下がる)、所謂”気合い”のように腹圧を上げるために発声しているのかは選手によって違うのかもしれない。

 

 と、この辺りは、私も初めて疑問として取り上げたばかりの点だから、師父に確認をしてみなければならないが、太極拳でも、まずは”気合い”のように腹圧を高めて発力できるような練習をするが、そのうちさらに丹田がしっかりしてくると、発力の前に丹田を満タンにしておいて(腹圧を上げておいて)打ち出したら丹田の気を手足へと広げて”打ち抜く”ように変わってくる。

 前者では呼気で発力、後者では吸気(っぽい)で発力になっている。

 

 これは何も打撃に限ったことではなくて、例えば、重い段ボール箱を持ち上げる時、「(せーの、)フン!」と持ち上げたなら、持ち上げると同時に息が止まって腹圧が上がる。これは最もぎっくり腰になりやすい持ち上げ方、全く素人の持ち上げ方だ。

 次に、同様に持ち上げる場合でも、フン!気張らずに「ハッ!」と声を出せば腹圧が瞬間的に上がって体幹が強張るのを防いでくれる。腰も多少守られる。これは気合いで打つような段階。

 さらに、段ボールに手を回して持ち上げる準備をした時に呼気で腹に力を入れてから段ボールを持ち上げようとすると、(呼気のままでは身体が動かないので)鼻から吸わずとも丹田は吸ったようになる。腹の範囲が広がって腹圧が拡散したようになる感じだ。これは丹田の広がりで打つ、打ち抜く時の気の使い方で、最も腰に負担をかけない持ち上げ方だ。(腰は空になる)

 

 力を使う前に腹圧をマックスにして(丹田の気を最大にして)、その腹の気を使って手足の運動をするのが最も身体に優しい身体の使い方だ。(というか、本来、そのように身体は作られている。→下の先天の気の話に繋がる)

 

 少林寺の「ハ!ハ!ハ!」はそもそも丹田の気が充実している若者たちの練習法。先天の丹田の気を使って手足を使っている。空手や外家拳も同様で、その場合は、上に書いたような第一段階の練習をせずにすぐに第二段階目の練習をすることができる。

 太極拳で言えば、巷に広まっている一路(混元太極拳なら24式と48式)は第一段階、丹田を充実させる練習。そして二路(炮捶 46式)は第二段階、少林拳などの外家拳と同格になる。単純に言えば、一路は気功(気を溜める)、二路が武術(気を発する)だ。

 ある程度の歳になったら第一段階目の練習が必須になる。

 先天の気だけに頼れるのは30歳過ぎまで(ほとんどのスポーツの選手が30そこそこで引退するのはそのため。イチロー選手のように選手生命を伸ばすには独特の練習が必要。)

 

  馮志強老師が個人レッスンで掩手肱捶を教えているシーンを思い出したので載せます。

 左の生徒さんと右の馮老師と、発力の仕方が違う。

 結果として、生徒さんは脱力ができず”打ち抜けない”。固まっている。(形が空手っぽい?)

 馮老師の場合は腰から鞭のように拳が出てくる。打ち抜く。(写っていない足裏も拳のように地面を打ち抜いているはず。)

 

 

 そして下は馮老師が(これではだめだと)丁寧に教えている場面。

 

 

 馮老師は、

 ①手を大きく広げて回しながら「息を吸って〜」、

 そして、②腹の前で両手を合わせた時に「合〜」と言っている。

 それから ③発力(発勁)。

 

 よく見ると、馮老師は①で息を吸って、②で息を吸ったまま保持、③で息を吐きながら拳を伸ばしている。

 しかし生徒さんは①で息を吸って、②で吐いて腹を固めてしまっているよう。だから拳を出す前にまた微妙に息を入れなければならない。せっかく馮老師が①の動作を大きく誇張して、その吸気によって②で丹田を膨らます(腹圧を上げる)要領を教えているのだけど、生徒さんは②で間違えてしまっている。②で丹田を膨らませられていないから、股が”尖裆“になっている(腰が落ちている=腰の力が使えない、下半身の力が上半身に繋がらない)。馮老師の股はアーチ型(円裆)=腰が高い。

 

 馮老師の③で拳が上あがりの弧線を描いていっているのは、呼気で打っても次第に吸気が混ざったようになっているからだろう。これは声楽家が声を伸ばし続ける時に吸気筋を使うのと同じだろうと思う。が、それは順を追って正しく練習しているとそうなっていくのであまり理屈にとらわれない方が良いかと思う。ただ、そんなことがあるんだと頭の片隅に置いておくと、いつかその時期がきたらピンとくるはずだ。 

 

 打った時に”ウッ”と苦しくなるのではなくて、馮老師のように舒畅(のびのびと)打てるようになりたいものだ。いや、それは(私の場合は)ピアノを引く時もそうなるのが理想だし、どんな動作をしていても同じことなのだろう。のびのびとした動作には、丹田の気と呼吸、そして心を高めに機嫌よくしておくことが必要かと、馮老師の姿を見て思いました。(憎しみで打たない、朗らかに打つ?)

 

2020/10/7 <息が止まるということ>

 

  最近テレビをつけるとテニスの試合ばかり・・・

 私がテレビをつけるのは、専らインドの古典ドラマの動画をテレビ画面で見るためなので、テニスの試合の放映には全く関心がなくずっとスルーしていた。

 昨日になって、なんで、こんなに毎日テニス? と思って調べたら、ああ、全仏オープンをやっていたんだ・・・錦織君、もう負けたのね、というか、フランスに来てたんだ・・・新聞もニュースも見てないから、毎日のフランスの新規感染者数以外は外界で何が起こっているのかよく分かっていない(苦笑)

 

 全仏オープンだと知って、今日は放映していた試合をちょっとだけ見てみたのだが、驚いたのはその凶暴さ。いや、驚いたのは、テニスの試合を凶暴だと感じた自分の感覚。以前はそんな風に感じなかった。が、今日見たら、ボールを打つ瞬間の力みと動物のような吠え声に怖ろしさを感じてしまった。選手の顔にも怒りが見える。格闘する二人を周囲から見ている観客達。ローマ時代の剣闘士を見物するローマ市民と構図は変わらない?なんて思ったりして。

 

 すぐに見るのをやめてしまったのだが、夜になって、なんであんな風に感じたのだろう?と思い起こしたら、呼吸?と思い当たることがあった。

 息を止める、堪えると、凶暴な、きつい、感じになるのでは?

 ボールを打つ瞬間に、ウッ!という感じになると、見ているこちらも、ウッ!という感じになる。選手がボールをウッ!とかオ〜!とか打つたびに、こちらの身体も収縮する。手に汗握る、というのは身体が緊張して収縮している証拠だ。

 

 じゃあ、太極拳は? というと、発勁する時に発する哼(heng) 哈(ha)は、息が体内に詰まる(憋:閉じ籠る)のを防ぐ目的と作用がある(hengは頭頂へ抜く、haは足へ抜く)。

 

 Haはハだけど、同じ”ハ”でも、もしため息をつくように”ハ〜”と言ったら力が漏れて打撃はできない。

 一方、少林寺の「ハッ!ハッ!ハッハッ!」は気を胸の方に上げる。見ている方は興奮して心拍数が上がりそうだ。今日見たテニスもこれに近い。スポーツ競技で選手が声を発する時は気を上に上げるため(=腕に力を届けるため)ではないかと思う。

 これに対し、太極拳の「ハ」は気を腹底、もしくは足へと落とすように発する。だから、師父は何度も、「haの時はしっかり舌を下に押し付けるように」と何度も私に注意してきたのだ(と今はっきり理解した)。中途半端に舌を下げても気は腹底まで落ちない。舌を引いてしかも舌に押し付けなければならない。

 

 見ていてこちらの息が止まるようなもの、身体が緊張するようなものは、その対象となるものが緊張している。凶暴さが内在している。ハエ(や生き物)を殺す時、私たちの呼吸は一瞬止まるし、怒った時も一瞬息が止まる。息を止める時、私たちは自然から乖離している。生活の中でも、ゴミ出しで息がとまり、電車で嫌な人が隣に座ると息が止まり、そしてこんな風にただパソコンを打っていてもしらないうちに息を止めていたりする。

 自然の中にいると身体がのびのびとするのは、息がのびのびとするからだろう。青々とした樹々、紅葉などを見て心拍数が上がる人はいない。心は平安になる。

 

 太極拳が自然との一体化を大事にするのは、自然と共にあれば呼吸は自然だからということが大きいのかもしれない。呼吸は私たちにとっての生命だ。呼吸が止まれば死んでしまう。呼吸は大らかであるべきのもの。呼吸はゆっくり。これは誰もが知っている心身の健康法だ。

 

 力むと呼吸が止まる。

 だから「松」、脱力、が重要になる。

 

 

 

 ここで、もしや?とイチロー選手の打撃姿を調べてみた。

 きっと、「ウッ!」という感じでは打っていないはず・・・

 

 と見たら、以前気づいた大谷選手のほっぺと同じ、頰を膨らませてインパクト、そして、走り出す直前にプ〜っと抜いてる?

 ああ、そうだ、頰を膨らませると、体内の気が膨らんで(ポンする)クッションができるから息が詰まらない(インパクト時の衝撃を内側で吸収できる)。そして、その後、頰の息を抜きながら気を蹴り出す足へと下ろしている。これがダッシュの速さにつながっているのね・・・ 原理は太極拳の呼吸と同じ。決して息を止めない(詰まらせない)(注:けれどホールドする)。それから息は通して抜く。(ホールド、と、通して抜く、については別の機会にまとめるかなぁ。)

 

野球選手はみなほっぺを膨らませて打撃するのかと思ったらそうではなさそうでした。

ほとんどは「ウッ!」と打っているのかしら?

 

大谷選手はイチローや松井選手の真似をしたのでは?というブログもありました。

 

いずれにしろ、インパクトの時にこのように身体の中を膨らませれば、奥歯を噛みしめる衝撃も減るしとても良いと思う・・・背骨は柔らかくないとできないだろうけど(含胸をとっさにしないと頰を膨らませられない。背骨の形を変えないで打ったら奥歯に力が入る=力む)

 

 いずれにしろ、力むとウッとなって見てる側がドキドキする。

 ドキドキ、血湧き肉踊る、が好きな人には快感(若い頃の私はそれがとても好きでした・・・)

 

 が、それを越えていくと、もっと起伏のない安定した開いた心身の状態を心地よいと思うようになっていくのかなぁ。ドロドロした演歌よりももっとスッキリしたもの。愛憎の絡まないもの。

 太極拳は本来見て興奮するようなものではない。だから、大師の練習を見ても退屈だと思う人の方が多いはずだ。見ていて平凡すぎて面白くない・・・いや、その平凡な動きの中に凄さが見え始めたら自分もその道を進んでいる、ということ。

 

 下は若い時にハマった「少林寺」

 息が止まるほど興奮しました!(笑)

 

2020/10/5 <イチローの筋トレ>

 

  昨日書きながら思い出したイチローの筋トレ姿。検索したらYoutubeに動画がアップされていました。

 初動負荷理論の小山氏については、以前懇意にして頂いたある太極拳のマスターから度々話を聞いたことがある。そのマスターと小山氏は意気投合してよく意見交換をしていたようだ。筋肉を分断して鍛えるような筋トレではなく、太極拳の全身まるごと一つとして使う「周身一家」を可能とするようなトレーニング法を考案し数々の有名スポーツ選手を影で支えているような存在とのことだった。

 

 イチローのトレーニングの様子は下の動画の8分53秒あたりから始まる。

   

お〜、チャンスーの時の全身の動きを誇張してやっているようなトレーニング。

足から腰、背中、そして脇、肩甲骨、二の腕から手まで、全てが筋肉連鎖で繋がって動く。

これを見ると、チャンスーをかけるには肩甲骨がしっかり動かなければならないのがよく分かる。

腰が気持ち良さそう・・・主導力は腕ではなくて腰。これが普通のジムにあるマシンとの違い。

 これは脚のチャンスー。

 捻りこみだ。

よく見るとわかるが、これも主導力は腰。腰の捻りが股関節の捻り、膝の捻り、そして足首の捻りへと伝わり、足裏が(地面に)捻じ込まれていく。

イチローのダッシュが人一倍速いのはこの捻りこみだろう。(膝と足首の回転が羨ましいほど美しい♪)

前進する時はこのような内旋の捻りこみが必要にある。斜行や搂膝拗步で前進する時の後ろ足はこのような捻りこみをすることによって地面からの反発力を得て結果として身体が前に移動することになる。

 

この開脚マシン、内腿で脚を開かせるようになっている。普通のマシンなら外側で開かせるようになっているのではないかなぁ?

 

内腿(内転筋)の力を使おうとすると同時に骨盤の中や腹の筋肉(丹田周辺)を使うことになる。

 

このようなトレーニングをすると身体に酸素が入ってくる、とイチローがコメントしているが、それはこのような身体の使い方をすると吸気が優位になるから。特にこの内転筋での開脚は呼気ではできない。いやでも吸わなければならない。太極拳も2路に進む頃には吸気で発力するようにしたりして吸気を優位にしていくが、そうすることによって体内のヘモグロビンの量が増えるのか・・・なるほど。

 

これも肩甲骨、上腕三頭筋(二の腕)、広背筋、そして脊柱起立筋などを動かすもの。太極拳で要になるラインだ。

 

どれも負荷がそれほど大きくなくて繰り返しできるようなもののようだ。やっていて気持ち良さそう〜

 

 

 

 これと似たようで非なるものが下のような筋トレ

 

 バーが前にあるものは肩甲骨を動かし辛く二の腕を長く引き伸ばして使えない。肩関節の可動域が広がらない(筋肉固めるので可動域がかえって狭くなる)。

 バーを後ろに下げるものでも、こんなに筋肉に力をこめたら肩関節が動かないだろう。

 上の2つとも、吐きながらしかできないような動き・・・いや、実際には吐きながら、ではなくて、息を少し吐いたところで止めてしまっているに違いない。すると筋肉は固まって一つ一つが分断したようになる。

 

これはイチローの上から2番目の筋トレのよくある版だが、これは脚を真っ直ぐ折りたたんでいたを押し上げている。こうすると捻りがないので、太ももの筋肉だけが頑張ってモリモリになる。腹腰とは無関係の一点集中型の筋トレ。

 

イチロー型だと捻って前進を繋ぐから細マッチョな感じになる。身体の仕上がりも変わる。

 と、それよりも何よりも、呼吸が違うなぁ〜と。

 息を止めない、というのはよく言われるけれど、知らないうちに止まっていることがある。

 このマシーンでも、身体の力を抜いてゆっくり息を吐きながら(吐き続けながら)脚を伸ばしていけば骨盤や腹の中の筋肉は作動する。

 

 下にYoutube動画を紹介します。

https://stretchpole-blog.com/upper-arms-stretch-21728
https://stretchpole-blog.com/upper-arms-stretch-21728

2020/10/4 <二の腕と広背筋、二の腕の回転>

 

 今日のズームレッスンでは、最初に、腕を胴体とつなげるための腕の回転を皆にためしてもらった。

 

 腕を胴体と繋げるというのは、以前(9/3)のブログで触れた”広背筋”を起動させるということを指しているが、広背筋によって腕が動くように腕を作ることによって太極拳の上下相従、足裏の力が脚、胴体を通過して腕から手へと伝わることが可能になる。

 

 でも、なぜ広背筋が腕に関係するのか? 

 が、下のような解剖図を見るとそれが明らかになる。

 広背筋の終点は上腕、もっと言えば、腋窩筋膜を通じて上腕三頭筋、すなわち、いわゆる”二の腕”に繋がっているのだ。

 

 

 なるほど、どおりで、太極拳の技の名前には 『肱』(二の腕、上腕)という文字の入るものがいくつかある。第10式の掩手肱捶はその代表例だが、ここでは拳が”二の腕”で出されることを技の名前が暴露している。第16式の倒卷肱も然り。

 

  解剖学的には腕は広背筋で動くようになっているのだが、実際にそうなっている成人はとても少ない。というのは、私たちは常に手を身体の前に出して様々な作業を繰り返すうちに(台所仕事、パソコンを打つ、読書をする、ものを持つ・・)直立の姿勢が崩れて”二の腕”が機能しなくなっているのが大多数の現実だからだ。二の腕が霜降りになったとかいうのは女性の会話ではよくあるし、男性でも上腕二頭筋で力こぶはできても裏側の上腕三頭筋はどうだか?

 

 二の腕は捻ると使える。イチローが特製の筋トレマシーンを自宅に備えてトレーニングしているのを見たことがあるが、彼は腕や脚を捻りながらストレッチして、この二の腕やその他の所謂”伸筋群”を起動させていた。太極拳のチャンスー練習と相通じるなぁ、と見た覚えがあるが、二の腕を起動させようとすると広背筋がもれなくついてくる、ということなのだと改めて知ったところだ。

 

 さて、この広背筋と二の腕の繋がりをどうやって取り戻し、どうやってその繋がりを四六時中保持し続けるか、というのが実際的な問題。

 日常生活では腕は腕、背中は背中、と分断して使っていたとしても、太極拳の練習で意識的に繋ぐ練習をするうちに次第に日常生活でも使えるようになるだろう。そうなるころには、理想的な直立姿勢にかなり近づいているに違いない。肩こりや首こりなどの不調もなくなっているだろう。

 ”二の腕”が使えているというのは直立の姿勢、アライメントがうまくできている証拠。

 

 二の腕が使える、というのは、脇が立つ、前鋸筋が使える、ということ。

 二の腕が使えるには肩甲骨も回転する必要がある。

 二の腕ー広背筋との連動から仙骨までつなごうとすると命門を押しひらく必要もある。

 そしてなんといっても、腹腔内圧=丹田の膨らみ=腹のポンの力、が必要になる。

 

 このあたりを、一つ一つ実感できるように練習していくのはどうしたらよいだろう?と手探りしながら今日も教えてみていた。

 

 二の腕を広背筋と繋げて起動させるためには、腕を内旋させてから外旋、というメソッドがある。太極拳で言えば逆纏から順纏、という動きだが、これで肩甲骨を動かして二の腕を背中と連動させる。

 ・・・が、これを教えても、? と何をやっているのかわからない人も出てくる。

 よく見ると、腕を回しても上腕、二の腕が回っていない・・・

 結局、二の腕を回転し続けられるか、というのが纏糸ができているか否かのメルクマールだとわかったのだが・・・

 

 

 生徒さん達には、右腕の二の腕を左手で握ったまま腕を一回転してもらって、その間常に二の腕が動くようにしてもらったが、逆纏→順纏の間は二の腕が回転できても、順→逆の間は二の腕が”落ちてしまって”回転が滞ってしまっている(右手の外旋なら上弧の間は二の腕は回転するが、下弧の時は二の腕が落ちてしまっている)。

 二の腕が落ちると回転はできない。

 二の腕が落ちる、というのは肘が落ちる、に等しい→肘が意識できない、ということになる。

 

 

 まずは下の馮老師の若い頃の半袖演武の動画を見てもらって・・・

 二の腕に注目してください。

 二の腕が決して”落ちない”。

 脇や肩甲骨と二の腕が一体化している雰囲気が感じられるかしら?

(肩甲骨も浮いて見えるような服装。腹横筋=コルセット筋もしっかりしているのが見える。身体の線が分かるような服装でやってくれているのは有難い限り。貴重な映像です。)

 

 次回は動画や画像でもう少しわかりやすく説明するつもりです。

 

 

2020/10/2 <抜背と脊椎の回旋 ”勢”の話へ>

 

  バレエで脚を後ろに高く上げるアラベスク。

 さぞかし股関節がよく開いて、腰もよく曲がるのだろうなぁ、と思ったら大間違い。実は解剖学的に見て、股関節と腰椎の反りだけでは脚の上がる角度は90度に遠く及ばないということだった(40度くらいだったかなぁ、具体的な数字を忘れてしまいました)。

 

 じゃあ、どうやってあの人たちは脚をあんなに高く上げているのかというと、実は、胸椎や腰椎の側屈を伴う回旋を使っているとのこと(解剖的な詳しい説明は省略)。

 

https://www.biteki.com/life-style/body-care/345978
https://www.biteki.com/life-style/body-care/345978

 

 

 左のように背骨を真っ直ぐにして脚を後ろにあげるとこの程度しか上がらない。

 (ちなみにこれはヒップアップのためのエクササイズの写真)

 

 これを見てから下のダンサー達の上半身を見ると、捻られているのが分かる(厳密には胸椎は側屈+回旋した上で、身体が開かないように肋を締めているらしい)。

 

 

 これを知った時、あ〜、そうだったのか、と目から鱗。

 アラベスクのような開脚の時に胸椎や腰椎を回旋させなければならないということは・・・・あっ!師父の圧腿はまさにそうなっていた! だから足裏から背骨が繋がってストレッチされていたのだ。ただ腰から折り曲げて脚裏だけをストレッチしているような圧腿ではなかった。

 

 下の左は師父の圧腿。写真ではあまり明らかではないけれど、普段見ている師父の圧腿は、上げた脚の足先が外に向いている→すると前に倒した胴体の脊椎は回旋する。さらに師父は身体を上げた脚の方向(下の写真なら右方向)へ捻っていき、身体を完全にべったりと脚にくっつけてしばらく静止している。

 これに対し右の老師の圧腿は背骨の回旋がないもの。この場合はハムストリングスや膝裏のストレッチになる。

 

 背骨の回旋が入るメリットは、回旋させようとすることで脊椎間の隙間が開くこと。これが背骨の力を抜く、ということに繋がる。背骨を固めると回旋ができないからだ。

 

 抜背は背骨を垂らすようにして脊椎間の隙間を開くことだが、結局、これによって、脊椎の回旋がしやすくなり、身体の可動域が大きくなる。無理のない動きが可能になる。

 

 じゃあ、しゃがむ時は? と閃いて、いつもやっている双腿昇降功で試して見たら、ああ、確かに、背骨は回旋している。自分の身体がどう動いているかは言われないと気づかないものだ・・・

 当然、套路の中の低くしゃがむ動作は、すべて脊椎を回旋させてやっている。そのために、そのような動作は片手は高く上げていたりして、脊椎間が開き回旋しやすいような腕の形になっている!

 

 太極拳の套路の動作はやはりとても賢く作られている!なぜ腕がその位置にあるのか、なぜ顔がその向きなのか、すべて計算済み、合理的。脚を上げるにしろ、深くしゃがむにしろ、そうできるような姿勢を全身で作っている。しゃがみたくなるような状態、脚を上げたくなるような状態を作って、初めてしゃがんだり、脚が上がったりするのだ。しゃがみたくもないのにしゃがまなきゃならない、とか、とってつけたように脚だけを上げたりはしないのだ・・・新たな発見!

 

 そうしてみると、前に一歩進むにも、進みたくなる姿勢になって初めて一歩進む、重心移動も右に行きたくなって初めて右に動く・・・動くためのモーメントを全身で先に作っていなければならないということだ。

 起式の最初のポンにしても、手を上げるのではなくて、手を上げてしまうようなモーメント、上げて終わざるを得ないようなエネルギの流れに押されて手が上がってしまう・・・

 その動きが始まる前にすでに青写真ができている、そんな感じだ。

 

 今では套路の第一式、第二式と”式”と書かれているものも、元は第一勢、第二勢、と”勢”と言われていたという(”式”と”勢”は中国語では発音が"shi"と同じなので口伝で”勢”が”式”となった?)。

第一式というと静的な”形”という感じがするが、第一勢というと動的なエネルギーの流れ、という感じになる。一つ一つの”勢”で学ぼうとしているのは、その中でのエネルギーの流れ。腕を上げたり、脚を上げたり、ではない、全身のエネルギーの流れの中で脚が上がってしまったり、脚が一歩前に出てしまったり、腕が回転してしまったり、拳が出てしまったり・・・そういうことなのだろう。

 

 脊椎の回旋から始まって、エネルギーの流れの中でその動きが出てくる、という”勢”の話までつながってしまったが、このあたりは生徒さん達に一つ一つ教えていく必要があるだろう。(動画も必要かなぁ)

 

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『今日のメモ』毎日の練習は気づきの宝庫。太極拳の練習の成果が何に及ぶかは予測不可能。2012年9月〜のアーカイブは『練習メモアーカイブ』へ

練習のバイブル本

 『陳式太極拳入門』

   馮志強老師著

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2012/3/20

日本養生学会第13回大会で研究発表をしました。

発表の抄録、資料はこちら