2020/3/31 <身体を揺すって胴体の中を二層に分離させる 抖の効用>
今日一人で動功をしながら、少し意識的に丹田を膨らまし帯脈いっぱいに広げていったら動功の動きがドラム缶のような胴体を揺する動きに集約されてきた。
丹田を腹部の胴体表面までいっぱいに広げてから胴体を揺すっていくと、胴体の表面(肉)とそれよりも内側が二層に分離してくる。
図で表現できるだろうか?、と挑戦。
左は腹の横断面。
はじめにあった丹田の気を外側に向けて膨らましていく。
オレンジの部分が気で満たされた場所。
そのオレンジが外に広がっていってあるところまでくると、
そのオレンジ部分を揺すればその外縁(赤線)に接した黄色のタイヤ(?)が動くような感じになる。
もし内側のオレンジ部分を揺すっても黄色タイヤが感じられないとしたらオレンジ部分の気が十分に詰まっていない。丹田の気を広げたために気が薄くなってしまっている。最初の丹田の気の濃度を保ちながら周辺に広げていければオレンジの外縁の赤線までが一つの丹田になる。
面白いのは、この広がったオレンジをぶるんと動かすと黄色タイヤが少しズレて動くこと。
あたかも、オレンジ丹田の一層目と黄色タイヤの二層目の間にわずかな隙間があるように感じられる。このズレ、ないし、隙間があることで、発勁ができるようになる。
少し前にYoutubeの黒帯ワールドで空手の中先生が初心者を教えている動画を見たが、その時に、「腰を切る」と表現していたのは、太極拳でいう発勁の時の腹腰の使い方だと思った。
ただ、ほとんどの人は”腰”を揺すって(切って?)しまい、丹田を膨らまして丹田で腰を切れている人はほとんどいなかった。腰椎を回転させて腰を切っていたら腰を痛めてしまうだろう。指導していた中先生は帯脈もしっかりしていてオレンジがしっかり詰まっているようだったから、本人は腰を切っているつもりで、実際には腰を切ろうとした瞬間に腰椎を囲てオレンジ丹田の気が腹部を満たしそれがクッションとなって帯脈全体(黄色タイヤ)が切れる(回転する)ようになっているはず。腹部を丹田で満たせないうちにあまりやりすぎると危ない・・・今ちょうど近くを通った空手歴だけは長い主人に、腰を切って見せてくれる? とやってもらったら、こうだろ?と2、3回やって腰が・・・と腰に手を当てて去っていきました。突然やるとマジ危ない(苦笑)
オレンジ丹田をギリギリまで膨らませる練習を手っ取り早くやるのが、震える、抖(dou)の練習。
最初教えてもらった時は、やるのも恥ずかしいし冗談のような練習だとやる気が全くなかった。ずっとやらずにいたけれど、最近になってやっとその重要さが理解できてきた。
帯脈が実感できるようになったら大したもの、と師父が言っていたことを思い出した。帯脈=黄色のタイヤが分かる、としたら、もう丹田オレンジはしっかり広がって腹を満たしている。
身体を揺らすという動作には、オレンジと黄色を分離する作用がある。ただそのためには前提としてオレンジの中核の丹田を作っておかなければならない。
丹田がないまま揺すっても、腹の中には何の分離もおこらない。
身体の外(筋骨皮)とその内側(内臓とか液とか・・・)の分離なのかなぁ?
感覚的なものと解剖学的なものをまだきちんと照合させていないけれど、腹圧、と表現しているのが近いのかしら?(右の図→)http://www.bini.jp/archive/1095/
ただ、腹圧、と表現すると、人は吐いて圧縮させる、と思い込んでしまいがちだから、吸って開いて圧をかけることもあることを知らないと勘違いしてしまうと思う。
実際には吐いても吸っているような感覚、合しても開いているような感覚が残る(でないと動きが止まってしまう)。(このあたりは一緒に呼吸をしながら動いて実験させてあげると大体の生徒さんは納得する。頭で考えるほど難しくはない。私たちは知らず知らずのうちにやっていることだから。気づいていないだけ。)
丹田→膨らまして→抖
まずはこれを試してみると良いかも?
抖しようとするといやでも丹田が広がる。
丹田が広がり上の図のようなお腹になったら、自然にチャンスーや発勁が生まれてくる。
慌てずゆっくり気を溜めていけば、自ずからできるようになってしまう、というのが少し信じられない道を進むのが面白いところ。
下の動画の14'14"あたりから抖(dou)の3つの練功法が紹介されています。
①抖动双膝 膝の揺すり
②前后抖动 前後の揺すり
③金鸡抖翎 鳥が羽をブルブル揺するような動き
馮老師の白い服にさざ波が立つのが見える・・・
こんな風に抖できるのは松が徹底して全身に丹田の気が広がって満たされているから。
胴体の中で第一層と第二層がしっかり分離、別の言い方だと骨肉分離。すなわち達人♪
2020/3/30 <視野の拡大と気の量 瞬きを堪えると?>
下に書いたブログに関して太極拳的な面から補足します。
タントウ功ではまず目を開けて遠くを見て、それを内側に引き込んでいく(と次第にまぶたが閉じてしまう)。そしたら一度頭頂に目を向け、そこから下に目を下ろして行って丹田を見る(内視する)。レベルが上がってくると、頭頂に向けた目を外さずに下の丹田、もしくは会陰近くを見ることができるようになる。視界の広がりが外側の気の広がりと連結しているよう。
最初のうちは頭頂を見たまま丹田を見ることができないから、頭頂は外して丹田に集中する。気の量が増えるにつれ次第に目が”落ちなく”なってくる。
このあたりはとても面白いからぜひ各自実験してみて下さい。
演武の時もその演武者の目を見るとレベルが分かるようになる。
ニュースキャスターなども同じ。
まず瞬きが多いのは丹田を外している証拠。
瞬きするたびに丹田から外れる。
獲物を狙う動物、賢そうなシェパードが座ってじっとしている様子
あれらの”目”が入った時の目。無駄に瞬きしない。
一度師父から目を大きく開けて瞬きしない練習を紹介されたけど、数回試して何の練習かわからずそれっきりになっていたのを今まさにブログを書きながら思い出した!
あ〜、瞬きしないように堪えるには丹田と目の奥を繋いで通路を開いておかなければならない!
なんと、上丹田と下の中丹田や下丹田を繋げる訓練だったとは。
師父、そう言ってくれれば私もちゃんと取り組んだのに・・・。
か、数回試して分からない者には言っても分からない、と思ったのかしら?(苦笑)
2020/3/30 <上丹田と手 ヒップから>
昨夜寝る前に思い出して辻井君の動画を見た。
彼のシャンゼリゼ劇場でのリサイタルに行ったのは昨年?と思ったけど、実は今年2020年1月だった。あれからまだ3ヶ月も経っていないのに随分前のことのように思うのは、絶対コロナのせい(苦笑)
今朝も引き続き辻井君の動画を見まくって、何度も感動で涙が出そうになりながら、改めて疑問が生まれた。何で彼はずっと身体を揺すっているのだろう?
よく見ていると、彼の立ち姿は頭頂(百会)がまっすぐ天に向かっている。
目が見えないと・・・と少し真似をしてみる。
確かに。目が使えないと頭頂でバランスをとるしかない。
目は頭頂を向いてしまう。
下には向けないのだ。
そしてピアノを弾く辻井君の姿をも一度見る。
ああ、目は頭の中を見ている。
上丹田を使っているのね。
そして馮老師のテキストに書いているように上丹田は手を操るというのだから、まさに理に適っている。脳は手。目はダイレクトにそこを見て脳の中の手を操っている。
私自身、中丹田は胴体、下丹田は脚、を操る、というところまでは身体の感覚として分かるけど、上丹田が手を操る、という域にはまだ達していない。ピアノがまだまだなのもそれが大きな理由(音楽性は差し置いて)。
上丹田を使うことと身体を揺することは関係があるのじゃないか?
と、たまたま関連動画で出てきた別の日本人の少年ピアニストの演奏を見ると、あ〜、これじゃあいずれ壁に当たるなぁ、突き抜けないなぁ、上手に弾けるだけになってしまうだろうなぁ、と直感的に感じてしまう。何が違うのだろう?何がそう思わせるのだろう?
そこで、あのロシアの天才坊やミーシン君のの動画を確認してみた。
彼がおかしい(?)のは、あの小さな幼い身体の中に巨匠が住んでいるようなところ。見ていて訳わからない。辻井君も私達通常の人には理解できない非尋常性があるけど、ミーシン君もそこらの天才少年少女ピアニストと一線を画す何かがある。
ミーシン君
そう、全身だ。
全身、全身がピアノを弾いている。全身が音楽で満たされている。
頭で弾いているのではない。
上手に弾いているのではない。
上丹田を開発する前に必ず中丹田と下丹田を開発しなければいけない、というルールが納得できる気がした。
下の2つの丹田(腹や骨盤の中、会陰まで)をおざなりにして上の方だけでピアノを弾いているといずれ腱鞘炎になったり精神病になったり、もしくは生命力のない退屈な演奏になってしまうだろう。
そう言えば私の好きな隠れた巨匠、キューバJorge Luis Pratsも、私はヒップで演奏する、と言っていた。一見山のように座っているのだけど本人の感覚はそうらしい。ホロヴィッツの座り方も似ていると思う。
パソコンを打つ時も腰やおしりでリズムを取りながら打てないかなぁ?と、少し身体を揺すりながら打ってみています。人目がなければいろいろ試せる(笑)
辻井伸行君のことは皆知っているだろうから、ミーシンとホセ・ルイス・プラッツの動画を紹介します。
2020/3/29 <チャンスーの使い道>
チャンスー(缠丝)歩きをしながらぼおっとチャンスーの行き着く先を考えていた。
にしても、チャンスーをかけようとすると、腰は緩めなきゃならない、と歩いている自分の身体を見ながら(感じながら)そう思う。腰がゆるゆる、腰とその内側の身体に隙間がないとチャンスーがかけられないなぁ、と確認。中をウネウネさせて歩いていたら、そのうち、46式の搬拦捶の時の発勁ができそうな感じになってきた。チャンスーの時は内側にかなり絞りをかけているけど、その絞りを広げていってその範囲をほとんど体表近くまで広がると発勁の時の力の使い方になるようだ。要領は同じ。気の量、膨らませ方の違い。
おさらいすると、チャンスーをするためには、腰が緩んでいなければならない。
腰が緩む、ゆるゆるになるためには、腰に乗っかかり過ぎてもいけないし(腰側が凸腹側が凹)、腹に乗っかかり過ぎてもいけない(腹側が凸腰側が凹)。
即ち、腹も腰も凸状態になる=胴体が球状に膨らむ、ことで腰は自由になる。
築基功というのはそんな身体を作ることに他ならない。タントウ功が大事になる所以だ。
この基本的な身体ができれば、あとは気の運用の仕方を学べば良い。身体の準備ができていればそれほど難しいことではない。
私自身も何度も経験しているが、套路の型などでいくら直してもらってもしっくりこないのはただ練習が足りないというのではなく、そのために必要となる身体がまだ作られていないから。肩の開きがまだ足りなかったり、肩と股関節がまだ繋がっていなかったり、未開発の身体の箇所が露呈される。そうしたらタントウ功や坐禅、内功でその箇所を繋いだり開くように意識してみる。しばらくはその箇所のことばかり意識しているのだが、なかなか套路の動きには繋がらない。不思議なのは多くの場合、もうその箇所のことを忘れてしまって他の箇所の開発をしている時に、あれ?できるようになってる!と以前できなかった動きができるようになっていたりして驚くことになる。そういう体験があると、太極拳の練習は簡単に止められなくなる。
話を元に戻すと、築基功がある程度完成してやっとチャンスーが生まれる。その先に、ドカン!と力を出す発勁がある。
「相手に接したら、接した所にチャンスーをかける」
これが相手の力を変化させて自分へのダメージを避け、ひいては守りが攻撃に変わる太極拳の極意。
相手の力から逃げることなく、接するか接しないかの時に(身体の内側で)小さなカールを描いて力を削いでしまう。そのためには相手の力をよく聴いてそれに合わせてチャンをかける必要がある。力には大きさと方向がある(ベクトル)。それに対応した細かな調整、鋭敏な感覚が必要だ。ただ力任せにやみくもに動けばよいというのではない。
相手の力をよく聴くためには、逃げてはいけない。逃げて目を閉じ耳を塞いだら相手の実態が分からない。怖がってはいけない。ひるんではいけない。”常に松”を練習するのはそのためだ。
師父に尋ねたことがある。相手に打たれるのは怖くないのか?と。そうしたら、「もし打たれたとしてもこちらも身体をある程度躱しているからそれほどダメージはない。自分の身体は気で覆っているし、毎日自分でも打って対抗力をつけている。」という風に答えたと思う。私が思ったのは、素早く躱せる自信と自分の身体に対する自信、即ち素早い動きと自分の身体の頑丈さに対する自信、が冷静さと松の背後にあるのだということだった。松し続けるにしても、それを裏付ける自信と努力が必要なのだ。
幸せな時に松できるのは大したことではない。
苦しい時、辛い時に松できるのは大したことだ。
太極拳の松はそこまで含んでいるのではないかしら?
そしてどんな状況に対しても逃げずに接してチャンして(纏わり付いて)状況を自分に有利に変化させられたらどんな状況からも得るものはあるのではないかなぁ?
嫌だ嫌だ、と不平不満を言うのではなく、どんな状況、どんな極限の状況でも、纏わり付いて方向を変化させられたら、その時は対象、状況と一体化してその波に乗って進んでいく波乗りパイレーツのように・・・なる? そう考えると無為の道とかいう道教の教えにも合っているような。
外出禁止令で閑散としてしまった街が今では普通になってしまった。
その時その時、合わせていく。
とは言え東京はこうなって欲しくないなぁ・・・あっという間に生活は変わってしまう。3.11の時もそうだった。いつ割れるか分からない薄い氷の上に立っていることに普段は気づかない。
2020/3/28 <Live配信>
お昼頃近くの公園の方へ練習に行った際に遊びモードで始めたLINEのLive。
たまたま見てくれていた古株生徒さんのチャット見ながら軽く教えるつもりで撮ってみました。
喋った内容はYoutubeの方に書いたので参照して下さい。
タントウ功で問題になる<拔背 塌腰 敛臀>から<松胯>の流れも少し見せました(12分あたり)。
昨日書いた、重心転換の缠绕も早速生徒さんに紹介してみました。
途中で後方に武術を練習する日本の男性を発見してしばし中断。外出禁止令下でも一人でやる健康のための短時間の運動は容認されているので太極拳や武術は屋外でも練習可能。大多数の人はジョギングで済ませています。
ライブ録画なので画質と音質が悪いのは仕方ない。
2020/3/27 <ポンの先 重心移動は缠だった>
師父に3/23に載せた私の動画を見せたら、「(日本語は)何と言っているか分からないにしても何を教えようとしているのかは大体察しがついた。教え方としてはとても良いと思う。」と言われた。その後、私が動画で何を言おうとしていたのか師父に説明したのだが、その先の会話は例によっていろんな話題に連鎖していく・・・そしてまた新たな一歩へ。
下に書き綴ってみると・・・
結局のところ、重心移動にしろ、しゃがむにしろ、跳ぶにしろ、胴体全体にに空気を含ませて気球のように膨らませることが大事で、それが、八法(掤捋挤按、采挒肘靠ポンリュージーアン ツァイリエヂョウカオ)のベースにある広義のポンと言われるものになる。
この身体の”掤ポン”が太極拳の基本の動きである八法ができないのだから太極拳にならない。
この身体の”掤ポン”を作る作業が築基功。昔は入門するとまず築基功をさせられ、それを終えないと套路は教えてもらえなかった。築基功では丹田の気を溜めてその内気の圧で体内に気の道を開通させる(周天)。全身に重要な幹線が通れば(細い道はまだ開通していなくても)築基功は完成。(百日築基功とも言われ、若い男性で約100日。毎日タントウ功をして気を溜める。この間精を漏らす行為は禁止。年齢が上がると精気が減るので築気功に要する期間が増える。その場合は気長にやる。)
全身に主要な気の通り道を開けられるならば、全身はポンになっている。逆に言えば、全身が膨らんでポンにならないと内側の通路は開通させられない。つまり、全身が膨らんで(丹田が膨らんで)ポン(空気の詰まった気球やタイヤのように張っている状態)になることと、体内のに気の道を作る(任脈督脈、そして主要な経絡を通す)ことは同義になる。
太極拳を練習すると嫌でも経絡上のツボを覚えてしまうことになるのは、内気を通す時に詰まって痛くなったり、ある場所から先に気が流れない時にその先にあるツボを教えてもらうことで通過できないツボを通過できたりするからで、身体で知った場所を後で経絡図で確認すると、ああ、ここが△△穴だったのかぁ、と納得することになる。鍼灸師がまず経絡図でツボを暗記してその後実践で体感を得るのとは反対の順序になる。
身体のポン、で難しいのは、腹側の丹田だけ見ていると腰側の命門が凹む。命門に空気をいれて膨らますと腹が凹む。臍と命門の間を一つの気の球でつなげられれば、腹も腰も凸になる→これでやっと太極図の円になる=太極拳の象徴は円。三日月でもダンボールのような直方体でもない。幼児の身体のようなもの・・・
そしてここから新たな展開・・・
私は動画で、重心移動は詰まるところ”身体のポン”だ、ということを言ったのだが、師父は頷きつつも、「詰まるところ、馮志強老師が言うように重心移動は”纏”(チャン)だ。」と言い換えた。
チャン? チャンスー勁(纏糸勁)のチャン?
何故に重心移動がチャンなのか? 纏わりつく?
私が訳分からない様なのを見て、師父は、「無処不纏」と一言。
無処不纏?また二重否定だ・・・と頭の中で漢字を書く。ああ、どこも纏わりつかない箇所はない、どこでも纏わりつく、ということね、と理解。「相手に接した処は全てチャンできる。」と師父が捕捉してくれたものだから、ああ、だから相手の力を削いでそのまま攻撃に転じることができるのね(化勁)、となんとなく納得。チャンは何も四肢の話ではない。胴体のどの部分もチャンできるようにする・・・なら、確かに、その前提として身体は膨らんでいなければ纏わりつけない(と身体の感覚として納得)。馮老師と弟子の肘の推手の動画を思い出した。推手も転腿も実はチャンの練習だった。
師父が教えてくれたのは「転換如缠绕 开合似抽丝」。
太極拳のバイブル的存在である陈鑫の太極拳図説の中に「太极拳,缠丝法也。」という有名な言葉があるが、重心移動が纏绕だとは思ったことがなかった。本当かなぁ?と師父と会話を続けながら軽く身体を動かして試してみる。確かに、そう言われれば、中で気を畝らせてる。畝らせないと行ったっきり戻ってこれない。缠(chan)はどこでやってるのだろう?と身体の中をよく観ていると腰のよう。丹田でチャンは出来なさそう... 绕(rao)は胴体の外側の8の字を描くような動きをさしているのだろう。いずれにしろ、その動力の源は腰(馮老師の文献の中には腰脊とある)。どうりで太極拳は腰が命になるはずだ。腰が畝らせなければ太極拳にならない。ぎっくり腰なんてやってるようじゃ太極拳は無理なんだ・・・・と、料理中も腰回しをしている師父の姿を思い出した。太極拳をやる物は腰を錆びつかせてはいけない、四六時中ゆるゆる解して蛇や猫のような動きができるような腰を維持したいのだ。
会話の後考えたことだが、太極拳の重心移動は、行ったら戻ってきて、戻ってきたら行かなければならない。後ろから前に行って終わり、なんていうことはあり得ない。打ったら打ったで、前に出した手を取られないように戻ってこなければならない。実践練習では打ったらその勢いで下がる、というのもある。卓球でさえ、トドメだ、と思ってスマッシュしても返されることがあるのだから、打ってもすぐに基本姿勢に戻らなければならない。
後ろ重心から始まって前重心になったところからバックに転じるその転換点、そして後ろ足重心になってまた前進に転じるその転換点、それらの転換点で力の断絶がないよう(隙がないよう=身体に余計な負担のないよう)あたかも身体の中で小さなタイヤの向きを変えるように小さな円を描いてスムーズに行うためには、身体の中で缠丝劲をかけることが必要になってくる。内側に缠丝劲がないと転換点が行ったり来たりでバッタンバッタンして、その度に膝や股関節に負担がかかってしまうだろう。現時点での感覚では、缠丝劲はある意味、前進中にいつでもバックに転じることができるような身体の中のエネルギーの畝り、車のアイドリング状態のようなエネルギーを引き伸ばして使おうとしている時に感じられる劲のようだ。
ともあれ、ポンの先にチャンがあったとは・・・未知の世界はどこまで広がっているのだろう?
2020/3/25 <胴体に空気を入れる>
今日行った3コマのビデオレッスンでは、どの生徒さん(グループの場合は生徒さん達)に対しても一貫して、身体に空気を含む、ということを課題として、そこからいつもの動きをやってもらった。
身体(胴体)に空気を含んで、それを圧縮させたり膨張させることで身体を動かす。
太極拳の動きは結局そういうことなのではないかと思う。
”丹田で動く”という言い方をもう少し具体的にしたもの。
しゃがむときは、しゃがむ=膝を曲げる、という意識ではなく、まずは空気を胴体に入れて、それを骨盤の中に圧縮して押し込む。さらに股関節に向けて押し込んでいくと、その胴体が打ち込まれてくる重さで股関節が押し分けられて内側から開いてくる。無理して股関節を開こうとしないで、腹の気の重さで自然に門が開くのを待つように、しばらくそこに圧をかけたまま待っている。無理しないでいると、ある時、ほわっと(あるいは、かくっと)股関節が開いたりする。狙わずに待って入ればいい。腹の気が多くなって下方に圧縮できる気の量が増えれば増えるほど股関節を押し分けらやすくなる。
站桩功の”桩”は杭(くい)という意味だが、胴体がサンドバックもどきの”エアバック”となりそれが下方向に打ち込まれることで太極拳の姿勢が完成する。站桩功は動かない杭だから”死桩功”、24式や48式のような套路は杭が杭のまま動くから”活桩功”と呼ばれる。いずれにしろ、桩=杭(≒エアバック?)を作ることが大事。
今日の生徒さん達各々にはバスタオルを胴体に巻きつけて胴体の膨らみを感じ取りながらいろんな動きをしてもらった。バスタオルを巻きつけるのは女性の着物の帯の位置。和室で男性三人がバスタオルを巻きつけている格好は着付け教室のようで笑ってしまいましたが。
実は先日アップした重心移動もこの胴体の膨らみを意識してやれば対して難しいことではない。しゃがむ時も、ジャンプする時も、平常時よりさらに空気を含ませて胴体を膨らませる必要がある。胴体が(空)気で膨らむと軽くなる(上虚)ので股関節に重くのっかってしまうことがない→股関節を痛めない(上記の、胴体の杭の圧で股関節を押し分ける、ということに矛盾するようだけど、自分の感覚で言うと、圧で押し分ける際も、胴体と股関節の間にはいつも埋まらない隙間があるから、胴体がべちゃっと股関節に乗っかってしまうことはない。胴体を膨らましてると胴体は重くて沈むけど軽く浮く、書くと不思議。やってみるとそんなものだと分かる:生徒さんたちにはそんな矛盾する感覚を体験してもらいたくて時にムキになって教えてしまう 苦笑)
胴体を膨らますというのは言い換えれば丹田を膨らます、ということ。でも丹田、という概念を最初は持たずに、胴体をポンプのように使いながら内側の空気を感じていけば次第に丹田らしきものが分かってくるようだ。
The 丹田!
と固定したものはない。だっていっつも動いているし常に膨張収縮を繰り返しているから。
大きく広がれば自分の身体を超えて膨らませることも可能(なのが分かる。まだその域に達しないにしても)小さくすればゴマ粒以下になる(ことも分かる。まだその域には達していないけど)
宇宙の膨張と収縮、もそんな感じなのか?
身体の中への空気の取り入れ方、これを分析すればタントウ功の発展段階とダブってきそうだ・・・最初はあまり空気を入れられない。タントウ功のレベルが上がるにつれ空気をたくさん取り入れられるようになる。
空気をたくさん取り入れられるからタントウ功(=功夫)のレベルは上がるのだけど、
タントウ功(功夫)のレベルが上がるから空気をより取り入れられる、というまたまた太極拳お得意の循環論のようだ。
どこから始めるのか、どう進むのか、どうレベルを上げていくのか・・・
実際にはオーダーメイドで練習せざるを得ない部分が大きいのだが、ある程度の概略は示せるかなぁ。
2020/3/23
3/19のブログに載せた質問に関して動画を撮りました。
外出禁止令の下、健康のための軽い運動、という理由で閉園中の公園の門の前で撮影しました。 小さい声で早口になってる・・・ 引け目が感じられます(苦笑)
説明必要そうならまた書きます。
下の動画は重心移動だけでなく3/21ブログの3枚の図の説明(特に左端の周天)も兼ねています。
2020/3/21 <斂臀と周天>
昨日は春分。屋外でタントウ功を長めにするのが理想的だけれども、外出禁止令が出ているので坐禅で済ませる。
坐禅後に身体を伸ばしたくなってしまったのは、やはり春! ここから秋冬に溜めた気を使って身体を伸ばしていく季節だ。随分身体が縮こまってるなぁ、と思いながら痛キモで伸ばした・・・
さてお問い合わせでもらった質問。
「斂臀は丹田や腰を固めてしまうのでしょうか?」
私が最近書いたブログを読んでそう思った方がいるといけないので補足します。
斂臀はS字カーブを描いた背骨を下に引き伸ばすことで腰を緩め丹田に気を溜めるもの。
これが大前提。
2020/3/20 <重力から解放される 柔から霊へ 上虚で浮く>
重力から解き放たれるのは人間の夢。
クラッシックバレエではそれを目指した身体の動きが見える。
地球の引力に解き放たれ、天の世界に入ってしまったかのように見えるその瞬間、観客の私たちの胸は広がり何とも言えない次元の感覚を得る。
引力に逆らいながら一生懸命高くジャンプするのではなく、引力が諦めてしまったかのように浮き上がれるダンサーはなかなかいない。
伝説のニジンスキーはそのようなダンサーだったのかと思うけど、あのツィスカリーゼの動きを見て、初めてそれが可能なことが分かった。
浮き上がってほんの一瞬そこに止まれる。力を感じさせない余裕の安定感。
私のバイブルマンガ本「スワン」の中のリリアナやレオンがその類のダンサーだったのだろう。
主人公の真澄は重力に引っ張り続けられもがき苦しみ、そして最後のリリアナとのみにくいアヒルの子の共演で、やっと重力から解放される感覚を得る。
あ〜、そういうことだったんだ、と今になってやっとそのマンガのラストの意味が分かった。
スワンの後半の主題はとても難しい。
前半は単なるバレエ漫画なのだが、後半は深い芸術論になっていく。
まずは身体の土台づくり。基礎、基礎、基礎、基礎を繰り返す。
そして動き。
それから感情表現。
ここから感情を超えた感性の世界。
そして、この後から何度読んでもはっきりしていなかったのだが、やっと理解できたのが、
重力からの解放・・・これが身体、肉体からの解放につながる。
そしてその先が真澄とレオンの課題として残されたまま話は終わってしまうのだが、
意識の世界。
意識からの解放。
日々の生活における意識の使い方、それ自体が問題になってくる。自律、という言葉を使っていたかと思うけど、きっとそれを言い換えればヴィパッサナー、常に今、ここ、を”観る”開いたままの意識の話だろうと思う。
太極拳の修練の段階の
松→開→沈→柔 の後に、”霊”という段階があるけれども、この”霊”は非常に軽くて速い、という意味だから、まさに重力からの解放を含んでいる。
何でも同じような段階を踏んで進歩していくのかもしれない。
柔までは地上。霊で天上に向かう。
7つの身体論においてフィジカル体、エーテル体、アストラル体、メンタル体までは地上的・人間的だが、そこから先のスピリチュアル体に入るには垂直的に上がり人間を超えなければならない(そのための技法がアジュナチャクラ・祖窍: 上丹田を見つめるもの)と言われるのも同じことを言ってるに違いない。
そしてアジュナチャクラ(上丹田)への集中をする前に下位の身体(下の丹田)がしっかり構築されていなければ精神病・精神分裂を起こす可能性があると言われるのも、以前、眉間ばかりに集中させるような気功を学んでいて心身を病んでしまったと言って太極拳を習いにやってきた生徒さんのことを思い出すと納得がいく。
だから、柔から霊、上の丹田へ、気から意へ、と重力から自由になるためには、ロケットや飛行機と同様、非常に精密でしっかりした装置(身体)が必要になる。だから地上でせっせとその装置を作らなければならない。材料は地上にある。いざ打ち上げたらすぐに落下した、ではダメなのだ(・・・このあたりはまさに独り言。)
ダンサーの話に戻るけれども、あのLa Bayadereを踊る男性ダンサーだけを集めた動画があった。ざっと見て、これも脚力アスリート、これも、これも・・・と見ていたら、重力から一瞬解放されたように見えるダンサーがいた。6番目のCarlos Acosta。ロイヤルバレエにいたすごいダンサー。そしてやはりツィスカリーゼ。他にも高く跳んですごいと思うダンサーがいるのだが、重力から自由に見えるダンサーは、踏切きった時に足を踏ん張らず、また、着地する時につま先から足裏がしなっているので音がしないようだ。着地するので浮いている人は着地が全く違う。(そう言えば、スワンの中のリリアナも、その男性パートナーを務めた葵がリフトして降ろした時にいつ着地したか手応えが感じられない、と恐れおののいていた。)えい!と踏み切って、ドン!と着地するのはアスリート系。アスリートからアーティストになると(男性の場合は)女性的になるのか?太極拳が”秀”で形容されるのは女性的な要素があるからで、あの馮志強老師も太極拳によって自分は女性的になったと周囲の人達に言っていたという。剛ではなく柔、陰の要素が強くなる。
と、いろいろ書いたけど、要は、上半身(胴体)の中に気を溜める(含ませる)ことが大事。
上半身が気で少し浮いてくれないと重い鉛のような上半身が下半身を圧迫して股関節や膝を痛めてしまう。上半身(胴体)は上半身(胴体)自身で引き上がってくれていると下半身は自由に100パーセントの力を発揮できる。
上半身を軽くして(上虚)、下半身をしっかり使えるようにする(下実)。
上半身に力を入れて筋肉を固めたら重くなってしまう。
上半身の力を抜き、中に空気を含ませるようにする。
私達が水に浮こうとする時は知らず知らずのうちにやっていること。だけど地上で立ち上がると重力に筋力で対抗してしまう。
松をするのは筋肉の緊張を解いてその分体内の空気を増やすため。
松をした分だけ空気は増える。一気に松すると崩れ落ちてしまいそうになるから、崩れないように少しずつ少しずつ、おそるおそる力と抜いていく。そのうち松すれば気が増えるのを実感できる。そのうち、「なるほど、”松するには勇気がいる(敢松)”と言われるのももっともだ。」と実感できる。
2020/3/19 <弓歩の重心移動 圧縮した丹田から伸ばして作る丹田へ>
最近もらった質問の中に弓歩に関するものがありました。
<2/24付のブログ「弓歩の重心移動のコツ」を見て練習をしている方から>
”最初から最後まで丹田を失わない”ことを意識しているのですが
弓歩での移動の始まりと途中は分かったので、移動の終わりを教えて欲しい。
さて、”弓歩で前足膝が流れてしまう”とは?
頭の中で想像してみると・・・きっとこんなタイプ?(右の図→)
丹田を維持して動き切ったら重心が前に行き過ぎてしまうのは、
一言で言えば、命門が開いていないから。
移動の時に腹の気で内側から命門を押し続けることが必要。
丹田の気の量が少ないうちは、その気で背中側(腰側)を推すように使うと腹が凹んでしまう。腹の方に寄せると腰が凹んでしまう。
丹田を腹に寄せてしまって腹腔内での腹と腰の引っ張り合いがないと弓歩で重心移動した時に前に行き過ぎてしまう。
徐々に丹田の気を増やして腹腔を満たすような丹田を作ることを目標にすべき。
吐いて丹田を作ることしか知らないのでは世界が狭すぎる。
吸って息を丹田にキープして帯脈全体を膨らますように丹田が使えるようになると(→昨日のツィスカリーゼのお腹のように)前後の体重移動は胴体内での腰→腹への気の移動になる。身体の内側の伸びが全く変わってくる。太極拳の松→開→沈→柔、の柔の段階に入る。(固めた丹田の頃は沈の段階)
真の問題は中心にあって、クワや膝、踵はその結果の問題。
が、伸縮する丹田をどうやって作れるようにするか、が問題。
昨日ビデオレッスンでバスタオルを使ったのはまさにその感覚を得させるためだったけど、生徒さん達は随分苦しそうだった・・・気の量が足りないと指導のしようがない。タントウ功や坐禅で各自増やしてもらうしかない。
これについては後日動画を撮ります。文章では説明が難しい。
そう言えば・・・
たまたまYoutubeで見かけた”逆腹筋”。林先生の番組で紹介されていたようですが、実は丹田も次第にそのように腹を伸ばして作るようになっていきます。吐いて圧縮した丹田一辺倒では身体の動きが拘束されてしまう。吸って伸張した丹田は氾臀系で馮志強老師はもっばらこっちで動いています。高度ですが、それを目標にして練習をすべし。固めた丹田で出来上がり、ではなくて、そこからその”タネ”を使って練っていって大きな伸びのある丹田を作っていきます。
逆腹筋を少し分かりやすく説明していた動画がありました。肋骨と骨盤を引き離すように使う。動画では「上、上、上」と上方向に伸ばすことを強調していましたが、私なら、肋骨の方を固定させて、骨盤の方を「下、下、下」と伸ばすようにするだろうなぁ、と思いました。いずれにしろ、これは腸腰筋を鍛えてる。腸腰筋がしっかりすると腰腹が同時にしっかりする。腹の一部に固めた丹田は腰が弱くて、逆腹筋(反らす)と腰を痛めてしまう。
斂臀、腹筋を割る、丹田を固める、腰が硬くなる・・・は一つのグループ
氾臀、腹が柔らかい、丹田を広げる、腰にしなりがでる・・・ツィスカリーゼ・・・はもう一つのグループ。
丹田の気を”煉る”ことで気の量を増やし、斂臀グループから徐々に氾臀グループへと移行していくようにするのが練習の過程。
本来は、陳式太極拳の一路でその準備をし、吸って丹田を作る(吸って打つ)ことができるような身体になったら二路を練習する、ということだったよう。炮捶にはしなやかな腹と腰が不可欠で拘束丹田では発勁ができない。(このあたりの練習は通常中国では師弟間の個別指導で行われるもの)
2020/3/19
特にホリエモンが好きとか言うわけではないですが、この対談相手の研究者の話がすっきり簡潔で改めて”知”の大事さを実感したのでここに紹介します。
ちゃんと”知る”。知りたい、という研究努力の積み重ねの上に私たちの生活も成り立っている。
祈りも大事かもしれないけれど、やはり”知”は暗闇を払拭する明かりになる。
いつ収束するか?の問いに、それはコロナがどの程度社会で受け入られるか、の問題になると説明していた。・・・なるほど。頭脳明晰な人の話は聞いていてとても気持ち良い。
欧米は今パニックが始まったばかり。まだまだ時間がかかりそうだ。
2020/3/18 <胴体力の中心=中丹田を膨らませる>
ツィスカリーゼの腹を見たばかりだったせいか、今日のビデオレッスンでは生徒さんたちの胴体ばかりが気になった。
気が足りない!=息が足りない=呼吸が足りない→吸えない!!
吸えないと気は入らない。
けど、本当に吸えるようになるためには一度足裏まで気を下ろして足裏から吸い上げる必要がある。
斂臀で足裏まで気を下ろすのは、その先に氾臀で足裏から気を吸い上げて胴体を気でいっぱいに膨らませるためだ。
レッスンではバスタオルを胴体に帯のように巻いて、胴体が気で膨らむのを確かめながらしゃがんだり動いたりしてもらった。
胴体が膨らんでいないのにしゃがむと膝に直撃してしまう。
胴体が膨らめば膝はスルーしてしまう。
そんなことも確かめてもらった。
胴体=中丹田は、ツィスカリーゼがラ・バヤデールを踊っていた時の衣装で露出されていた部分。胸椎10番あたりから腰椎5番まで。
息は入れる場所によって要領が違うけれども、胸椎の位置する背中には鼻から肺の下葉まで息をいれれば膨らむ。(マスクをして立位前屈するとしないでするよりも用意に前屈できるが、その理由は、マスクによって前屈途中で息を吐き続けられず呼吸を吸気に変えざるをえないから。吸気に転じると身体がさらに伸びて曲げやすくなる。この吸気に転じたときに自分の身体のどこに空気が入っていくのか観察すると、それが背中に入っていくのがわかるはず。この要領を使って胸椎10番あたりを膨らまします。)
その後、腰椎に向かって息を下げていくのだけれども、その時は放松が必要になる。少しずつ少しずつ、息を抜かないように外側から、玉ねぎの皮を向くように放松していく・・・。
(このあたりの要領は指導を受けた方がよいところ。)
胴体、中丹田、太極拳で言うところの帯脈、の位置をもう一度おさらいすべき。
思っているよりも随分上にある。
私たち日本人が思う”腰”ではないのに注意。
この部分の空気でパンパンになったドラム缶をぐるぐる動かすことで、脚や腕が回る。
(右のスピンも露出された帯脈ドラム缶が回転することで全身が一気に回る。)
これが太極拳の動きの原理。
だからタントウ功でドラム缶作りが必要になる。
下の骨格模型を見れば一目瞭然だけども、私たちがまず空気を詰めなければならないのは骨が抜けてしまっている見るからに弱そうな場所。
魚の頃はこんな隙間がなかった・・・
犬になると隙間がある。
隙間は空気で埋める! ぺちゃんこにしてはいけない。筋肉で固めて過ぎてもいけない。脂肪でぶよぶよにするのはもってのほか(苦笑)
(腹を空気で充実させると体幹がしっかりする→腸腰筋がしっかり使えるようになっている。)
2020/3/17 <La Bayadereに見るダンサーの 胴体力 VS 脚力>
寝る前に・・・とツィスカリーゼをもう一度見ていたら
胴体部、帯脈が良く分かる映像があった。
やっぱり、そう! 腹筋が割れていない‼️
踊った後、お腹が波打ってる。
お臍しっかり呼吸している。
丹田呼吸どころか臍呼吸にさえ見える。
だから伸びがあって柔らかい動きになる。
腹筋割れてるダンサー(→力を使う)はアスリートになる。(力を使う)
腹の肉が滑らかで柔らかいダンサー(→気を使う)はアーティストになる・・・と推定。
この続きに出てきた同じ演目を踊っているダンサー、彼一人で見ればとても上手なんだけど、ツィスカリーゼを見た後に見ると重くて高さ速さがない。彼は脚力で飛んで、脚の力でスピンをしてる。ツィスカリーゼは胴体、まさに帯脈、腹腰部分のドラム缶で飛んで回転してる。
翌日、またYoutube見てたら、ツィスカリーゼのように胴体がしなやかなダンサーが。Ivan Vasiliev ・・・誰だろう?と調べたら、元ボリショイのスターダンサー。なんとあの(私の大好きな) Osipovaの元フィアンセ。2010年に二人でボリショイを去って世界に飛び立ったらしい・・・。胴体の開きと柔らかさ。けど、中心軸のキマリ方はツィスカリーゼに及ばない。脚の筋肉のつき方、使い方を見るとまだ脚力、力に頼るところがあるのは、ツィスカリーゼに比べて身体の陰面/内側の使い方が感性してないからだろうか? とみると、陽面を主導は筋肉=力、陰面を使って初めて内気、内側から身体を動かすことができるということのようだ。
こう見ると熊川哲也氏は脚力の人。胴体の膨らみ、伸縮で踊っている人ではないなぁ。
日本人は概して脚力依存体型。胴体が細くて脚が太くなる。
2020/3/17
とうとうパリも静かになってしまった。
19時。
最近ぐんぐんと日が伸びていっている。
スーパーに行った帰り道、ほとんど人が見当たらない。
スーパーも客の人数制限をしているので、一人出たら一人入れる。
入るまでに列に並んで随分時間がかかるのだけど、一旦入ってしまえば他の客に煩わされることなく優雅さでゆっくり買い物ができる。
時間がゆっくり流れる。
余計なことをしないと一つ一つが丁寧になる。
不便だけど忙しなさがなくなったのは嬉しい。
人間が忙しかろうが暇であろうが、自然はいつも同じように泰然と流れていた。
コロナがあろうがなかろうが自然は何も変わらない。騒いでいるのは人間だけ。
うちの猫も犬も何も変わらない。
風景が変わって見えるのは心が変わっただけ。
アリの行列がせかせかてんてこ舞いしながらあっちっこっち方向転換しながら進んでいく様を上から眺めているように、私たちも上からはそう見られているのだろう。
自然全体のあり方は何も変わっていない。
自然自体が常に小さな変化を内包している。
気功・太極拳の基本の基本は自然に戻ること、帰自然、だった。
自然から離れないこと。
自然に息、呼吸を合わせること。
忘れそうになったら耳を済まして自然の音を聞こうとすればよさそうだ。
よく見ようとすれば聞こえる。
ただ見たら聴こえない。
合わせるときには聴くことが必要になる。聴けないと合わせられない。
これが推手で学ぶ”聴力”。
実際には上丹田の鍛錬になる。
1日に一回はちゃんと耳を澄ますべき・・・。
澄ませばそこにいつも自然がある。
2020/3/16
今晩のマクロンのテレビ会見でとうとう実質的な外出禁止令が発令されてしまった。
生活必需品の買い出しと仕事以外は外出禁止。散歩もダメのよう。警察10万人が投入されるよう。公園で練習はもう無理だ・・・ここまでひどくなる前にどうにかできなかったのだろうか? と、今日既に品薄になったスーパーに行ったら、マスクなしで堂々とゴホゴホしてる人がいた。日本なら顰蹙ものだけど、こちらではスルー。手もちゃんと洗っているのか疑問。外出禁止も仕方がないか・・・ 幸い家が広いのと中庭があるから一人で練習は可能。
ということでしばらく午前中の師父とのレッスンもお休みなので、日本時間の17時以降ならビデオレッスン可能になります(skypeもしくはLINEを使用)。単発でもOKです→お問い合わせから連絡を下さい。
2020/3/14 <斂臀の注意点>
このブログの愛読者からタントウ功と基本功のチェックをしてほしいと頼まれて送られてきた動画を見たら、ちょうど書いたばかりの”斂臀”が行き過ぎて、身体の背面の力が使えていないことに気づきました。(多少右のイラストに近い感じ。後ろから見ると腰に力がないのが丸わかり。命門が開いていない。)
<以下、整理しようとしながら書いています・・・>
斂臀・氾臀は厳密には尾骨の操作の話だが、相当練習を積まない限り尾骨を操作することができないので、通常は仙骨を操作することによって尾骨を操作するようになる。
というのは・・・
そしてそもそも斂臀は虚霊頂勁→下顎内収→含胸→抜背→塌腰ときた後の要領。
これら一連の要領の目的は、背骨を長く引き伸ばすことにより、身体の伸縮、身体の弾力性を高めることにある(伸ばして戻らないような身体では元の木阿弥)。
<背骨を引き伸ばしていく過程>
①下顎内収で頚椎のカーブ
②含胸で胸椎上半分のカーブ
そして
③塌腰で胸椎下半分から腰椎のカーブ
が引き伸ばされ直線に近くようになる。(ざっくり言えば)
そして最後残った④仙骨のカーブ(お尻の盛り上がり)については、
(※ここから右の図をよく見てイメージしてほしい!)
もし、尾骨の先端を内側に入れられたら、傾斜していた仙骨が地面に垂直に近くまで立ち上がり、そうすればその上の腰椎と仙椎が直列に並ぶようになる。
これで背骨の上、頚椎から、下、仙骨までが直線に引き伸ばされた状態が完成する。
が、問題は、通常、私たちは尾骨を意識的に操作することができないということ。
狙っているのは、腰椎と仙椎をまっすぐに並べることなのだが、ここで間違えて仙骨を前方向に押し込んでしまうと骨盤が後傾してしまう→鼠蹊部が緊張、股関節が自由に使えなくなる。これが大問題!
<この問題の回避方法>
一言で言えば、腹の気!
上で言ったように、斂臀は含胸→抜背→塌腰の後の要領なので、斂臀をする頃には腹に気が落ちている! 塌腰までやってまだ気が胸にあるはずがない。
そこで、斂臀する前には腹におちた気を一度背中側の方に誘導して、腰のほうにも気を巡らすことが必要になる(命門を開ける、という表現で言われること。)
具体的には臍と命門の間で気を行ったり来たりさせて、腹腔内の気を膨らましていく作業をする。
腰が内気(内圧)で膨らんできたら、いよいよ斂臀の出番。
腰が膨らむと仙骨が後ろに押されるから、それを押し戻すように、しかし腹の空気が抜けないように注意して押し込むと、腹側に丹田がしっかりと収まるのが感じられるはず。
腰の膨らみが強くなればなるほど、仙骨を押し込んだ際の丹田の気の量が増えるから、この作業は何度も繰り返すようになる(普通は意識しなくても繰り返してしまう・・・呼吸と連動しているから)。
ということで、斂臀は自分の腹の中の圧を感じながら注意しながらやる必要があります。
押し込みすぎると仙骨が前滑りしてしまう→お尻がすべって、お尻と太ももの境目がなくなる→ハムストリングスの力、ふくらはぎの伸びる力が使えない(これらは伸筋として力を出させる!太極拳の特徴)。
巷でよく見る武術太極拳(?)系の人の動きは、どちらかといえば斂臀よりも氾臀のタイプのような気がします。斂臀で深くしゃがむ、低姿勢はとても難しい。低姿勢の演武をする人たちは元気な氾臀,筋肉のある若者タイプです(←外家拳の長拳の演武)
一方、年配になればなるほど腹の気が減って斂臀が行き過ぎ、しょぼいお尻になりがち。
腹腰を十分に気で満たしてから斂臀すればしっかりとした丹田が作られ腰を守ることができます。それから腹腰の気を足裏に落とし、そこまで行ってから上向きにひっくり返して氾臀をすると脚力が倍増する、という流れ。少しずつ練習するしかない。静心慢练。
動画を撮ってみたので見てみてください。普段生徒さんに教えている時のようなノリでやっているので整理されていませんが、参考になるところを見つけて下さい。
2020/3/13 <抜背 斂臀と氾臀>
昨日の動画でも尾骨の操作について少し説明をしましたが、尾骨は気の上げ下げの弁(バルブ)になるし、太極拳の”抜背”の要領とも関連するので補足的に動画を撮りました。
一昨日の膝についての記述とも関連します。
背骨は伸縮させて使う。だから”弓”と形容される。
”棒”ではないことに注意。
直立の時のS字カーブの背骨の1番下(尾骨)をバネばかりのように下へ引っ張り下げれば"伸びる"。尾骨を元の位置に戻せば”縮む”。
実は尾骨を動かすには丹田の気で尾骨にローラーをかける必要があって、そのためには丹田の気を股間近くまで下ろせなければならない。
陳項老師の講演録で、丹田の気が尾骨まで下りれば築基功の完成、というようなことが書いてあったが、そこまで気を下ろすにはそれなりの練習の期間が必要。尾骨まで気が達するようになっていれば股関節(胯)は自由に動くだろうし、裆力も出ている。
太極拳は彫刻を彫っていく時のようにいろんな面から取り組んでいくものなので、この尾骨についても完璧にクリアしなければ次に進めないわけではない。しばらく取り組んで見て何が難しいのか、何が必要なのか、がはっきりしたら、そちらに練習課題をシフトして良いと思う。
抜背は斂臀と氾臀に密接に関わっている。
尾骨を前に抜いたようにするか、後ろに上げたようにするか。
尻尾(尾骨)が舵取りをする。
進みたい方向にまず尾骨が動く(準備する)。
日本では斂臀だけが伝わっているのか、氾臀(中国語では泛臀)については認知度が低いよう。
斂臀は気を足裏に下げるもの。
丹田に気を溜めるには少し尾骨を持ち上げなければならない。
走り出す直前、ジャンプの直前には氾臀がマスト(短距離走のクラウチングスタート。これで丹田に気を溜めてから一気に歛臀して蹴り出す。)
斂臀で尾骨をしっかり前に入れたまま走ったりしゃがんだりしていたら膝や股関節を痛めてしまうだろう。尾骨を少しだけでも後ろに引き上げて氾臀できると息と身体の動きが全く変わる。
退化した私たちの尾骨がそんなに簡単に動くものではないけれど、ほんの少しでも使えると身体の動きが全く変わる。
ある骨は全て使う、使えるようにする。無駄な骨はない、無駄な関節はない、というのが太極拳。
太極拳は陰陽二義で成り立っているから、常に相反する二つの動きが存在する。
斂臀と氾臀、2つで1セット。
まず意識的に歛臀をして丹田に気を溜めてからその気を苗にして氾臀を練習していく。
歛臀がちゃんとできれば足裏に気が落ちて、氾臀に変えた時に足裏から気を吸い上げることができる。中途半端なところで氾臀すると腰が反って痛めてしまいそうになるから注意。
腰回しの前回転(逆回転)は氾臀、後ろ回転(順回転)は歛臀を使う。これは周天の原則。
そして前回転の方が難しいのは氾臀だから(だから"逆")。後回転はそれほど難しくないはず(尾骨が前方へ動く歛臀。"順")
が、歛臀も氾臀も、仙骨は地面に対してほぼ垂直
で、前に押し込み過ぎて滑ったようになったり、逆に出っちりになってもいけない。
太極拳の二路には氾臀が欠かせない。一路は主に歛臀で基礎づくりになっている。歛臀が全てではないことを知っておくべきだと思う。
2020/3/12 <タントウ功 ステップ①ステップ②>
東京の生徒さんから、「タントウ功で足裏まで気を落として足裏が地面に貼りついたような感じになるのですが、その後、気を引き上げても足裏がべったりくっついたままで紙一枚の隙間が空く感じがしません。会陰の引き上げが足りないのでしょうか?」という質問をもらった。
タントウ功は太極拳の動きの基本を作るために欠かせないが、丹田に気を溜めるためには、2ステップに分けて丁寧にやるべきだと思う。ただ漫然と立っていても何も起こらない(し、何をやっているのか分からなくなる。我慢比べになってしまう?)。
以前にも書いたと思うが、
第1ステップは、放松して気を足裏に落とすこと。
これができるようになって始めて第二ステップに進む。
概して男性は放松が女性よりも苦手なので、この第一ステップで3ヶ月以上(長ければ1年以上)かかることも珍しくない。女性、中でも身体の弱い女性は、あっという間に第1ステップを通過する。
そして第2ステップ。
足裏から気を引き上げ(吸い上げ)丹田に気を溜めていく。
やれば分かるはずだた、足裏から気を吸い上げるということは会陰を引き上げるということに他ならない(第1ステップがちゃんとクリアできていれば)。
あたかも植物が根っこから養分を吸い上げるように、足・脚をつかって地上の気を丹田へと吸い上げていく。丹田には足裏のペダルが付いていて、ペダルを踏めば丹田に、そしていずれはパンチ(打)の時には足裏から丹田経由で拳まで勁が貫通するようになる。
この第2ステップに引き上げでつまづくのが女性。中の力が足りなくてなかなか引き上げられない。第1ステップを苦労してクリアした男性は第2ステップはそれほど難しくないようだ。このあたりは性差、個人差がある。
質問をしてきた生徒さんの動画を見たら、ああ、これじゃあ引き上げられないなぁ、という姿勢でタントウ功をしていた。胆経が使えていない。
放松して気を下ろすには胆経はそれほど必要とされないけれども、引き上げる時にはマスト。
最初は膀胱経から開発していくようになるけど、そのうち側面の胆経を繋がなくてはならない時期がくる。胆経が意識できるようになって始めて身体はまっすぐ立つ。前から見てだけではなく、横から見てもまっすぐ、横姿はとても大事。私たち日本人は平面文化で育っているからそこは強く意識しないと目が前ばかり向いて横、奥行きをおざなりにしてしまう。
と、また前置きが長くなりましたが、はじめに劉師父に無理やりやってもらったタントウ功のステップ1とステップ2、そして師父の身体でははっきり分からないだろうところを私が説明し直したもの、2つの動画を撮りました。
質問した生徒さんに答えるつもりで撮りましたが、他の生徒さん達の参考にもなるはず。
2020/3/11 <膝が痛くなるのは何故か? しゃがむ 背骨を弓にする>
海外で太極拳を習っている日本人は案外多いようで、そんな人達からビデオレッスンを頼まれることも多い。
最近レッスンしている生徒さんはドイツで楊式太極拳を習っているが、しゃがむと膝に痛みが出るというのが問題だ。ビデオレッスンで一緒に動いている時はうまくいくのだが、一人で練習するとやはり痛みがあるという。
太極拳で一番痛めやすいのは膝ではないかと思う。
膝が傷まなかったら、股関節か腰を痛める。
腰、股関節、膝が絶好調♪ という人は実際には少ないのではないか?
私は太極拳を始める前に少林拳擬きの武術を習っていて、その練習中、ジャンプで着地した際に片足が滑って転び、その衝撃で前十字靭帯が断裂してしまった。痛みや腫れがひいてもちょっとした衝撃で膝がガクッと前に滑りでてしまう。当時子供が小さいこともあって長期間の入院は困難だったが、それでもやはり手術を受けて運動をしたい、と手術を希望したのだが、手術目前に名医と言われていた担当の先生の転勤が急に決まり、結局手術ができなくなってしまった。最後の診察の時、その担当の先生はもし本当に手術を受けたかったら自分宛の紹介状を書くから次の転勤先の病院に来ても良いと言ってくれたのだが、私は思わず「靭帯は一度切れたら絶対に繋がることはないのでしょうか?」と聞いてしまった。先生はえっ?という顔をしたが、少し目を逸らして「身体は神秘だから絶対とは言えませんね。」と答えた。ああ、そうか・・・私はその一言で手術を受けないことに決めた。
その後太極拳を習いはじめたのだが、中腰で左右に重心移動をすると、時々膝がカクッとなりそのあと腫れてしまう。本当にこわごわ練習していた。それまで遊びで習っていたベリーダンスは怖くて踊れなくなってしまった。それでも少しずつ動けるようになり、そうやこうやしているうちに、主人のフランス赴任が決まった。2005年の話。パリで劉師父と知り合って練習を始めた最初の時はやはり膝が心配だった。師父にその心配を伝えたら、没事!(大丈夫)と軽く躱されたが、その後は毎日のタントウ功が大変過ぎて膝のことを心配する間もなかった。言われたことをこなすのに必死でそういえば膝のことを忘れていた・・・と気づくまでに1年はかかったと思う。
気づいたら膝は問題ではなくなっていた。
2009年に日本に戻って教え始めて数年経った時、右膝になんか違和感がある、と感じた時に真っ先に頭に浮かんだのが前十字靭帯の損傷というあの古傷。前十字靭帯の問題だったら手術するしかないしやっかいだなぁ、と思ったが、ん? どちらの膝だったっけ? 真面目に思い出そうとしても右膝か左膝かが思い出せない。冗談でしょう?と自分でよ〜く考えてみる。どっちにサポーターしてたかしら? んんん・・・記憶喪失か?
笑えるやら情けないやら、複雑な気持ちで、それでもやはりどちらの膝かをはっきりさせたい。
と、あの時通っていた総合病院に問い合わせてみた。個人情報だし電話ではダメだろうかと思ったが、ただ右か左か、それだけが知りたい。随分頼み込んだら電子カルテを見てくれて、電話でこっそりと小さな声で「左です・・・。」と教えてくれた。ああ、左?ラッキー!右じゃない。
右膝に痛みがあるのが前十字靭帯のせいじゃないとしたら練習の時の身体の使い方のせい。そう知ったらとても気が楽になった。そしてその次にパリに練習に行った時に師父にタントウ功の姿勢をもう一度直してもらったら膝の問題がなくなってしまった。
それでも、日本に戻って教えることが多くなると右膝に負担がかかってくることがある。師父と練習していると膝は全く問題ない、どころか、今では膝はこんなに回る(いろんな動きができる)のかとおどろくほどだ。膝を単なる折りたたみとして使っていたら痛んでしまうのも今ではよくわかる。膝については私自身が試行錯誤した時間が長い分、生徒さん達には膝を痛めてもらいたくない気持ちが人一倍大きい。
膝の問題は、股関節と足首にある(もしくは太ももの筋肉?)というのが定説だが、私が経験上、最も大事だと思うのは、背骨。
膝が痛い、というのは通常しゃがむ時。
しゃがむ時に背筋に定規を入れて背骨をまっすぐにしたままだったら・・・やってみたらすぐにわかることだが、背骨をまっすぐ硬直させてしゃがもうと太ももの前側の筋肉が収縮し(ぎゅっと短く塊になる)、そのあと膝に負担がかかってくるのがわかる。
それに対して、しゃがむ時に頭も含めて背中を丸くすると(地震の時に防災頭巾を被って机の下に隠れる小学生のような格好? 左の図)、膝には負担がかからない。
右のような背筋を伸ばして筋肉をむきむきにするようなしゃがみ方もあるけれど、ちょっと不自然(武術では不自然な身体の動きをしている暇がない。合理的でないとやられてしまう)。
が、このくらい胸とお尻を突き出してしゃがめば膝は痛まない。
上の子供達と右のむきむき男女の共通点は背骨のしなり(曲線)。子供達のしゃがんだ背骨は脊椎の背中側が開いて伸びている、右の大人達は脊椎の腹側が開いて伸びている、どちらでもよいから、背骨が弓状に伸びていればしゃがむ時に膝に引っかからないですむ。
弓状に”伸びる”ことに注意。
背骨が伸びずに、長さが同じままで丸めると、”弓”にはならない。
”弓”の伸び、しなりをだすには、尾骨まで伸びる必要あり。
しゃがんでいく途中で膝に来た!という時は尾骨が下に抜けない(イカの骨を抜くように尾骨を抜き下ろせないと詰まって膝に負担がでる。尾骨を抜く時に首から頭頂の角度を調整して、尾骨から頭頂まできれいな弧線を描ければ完璧:股関節にしっかり降りられるから膝は問題にならない)。
※太極拳では身体は五弓から成る、と言われる。
四肢それぞれが弓、そして背骨が最も大きな弓。
大人が子供のようにしゃがもうとすると、踵がつかない。
股も開かなきゃならない。
そして尾骨が丸まって抜けないから、その分首が曲がって頭が前にでる。
子供と大人の大きな違いは首、頭のつき方。(その原因は脊椎と脊椎の間の隙間の伸縮性)
とても小さい時は頭が胴体と一体化しているけど、次第に首で頭部と胴体が完全に分かれてしまう。思春期あたりで既に背中が盛り上がり首が曲って頭が前に出る傾向があるよう。
腹底に沈んでいた気が大きくなるにつれ上がって散り散りになって身体の中心がわからなくなってしまう(丹田がわからなくなる)のと、背骨の伸縮性、弓状が失われるのは同義。
(尾骨を含めて)背骨を意識して伸ばそうとするよりも、丹田の気で内側から背骨にローラーをかけてあげるようにするのが背骨を最大限に使うこつ。
ということで、ここから先は、先日(3/3)にアップした私の動画で紹介したワオキツネザルのようなポーズの話にもどってしまう。
丹田の気が少ない→腹に乗れず背中に乗っかってしまう→背骨に乗っかるから背骨が動かない→背骨が動かないから腰が動かない→腰動かないから骨盤も動かない→股関節硬直・膝に負担・足首も硬直・首が背骨の一部として機能ぜず折れ曲がるetc.
やはり、丹田(の気)がないと、膝の問題は解決しない。
筋肉の問題よりも体腔の問題ではないか?
師父に調整してもらう時に毎回注意されること、それは、含胸と命門を開くこと。
含胸と命門を開くこと、これは背骨を弓状にするための第一歩だ。これを抜きにして丹田に気は溜められないし膝の問題は解決しない。
弓は直線にもなる。
直線は弓状の一形態に過ぎない。
背骨を棒状に真っ直ぐに立ててはいけない。
結果として真っ直ぐになる。
目下コロナウイルス騒ぎで集団練習ができない状況のようなので、各自、せっせと坐禅かタントウ功をして丹田の気を増やしてください。全ての身体の問題の根っこはそこにある。
<追記>
胸腔、腹腔、骨盤腔・・・三焦?
丹田は腹骨盤腔
この”腔”を動かすことで内臓も活性化される。
五臓六腑の六腑=袋の方を動かす。
肋骨にしまわれている五臓は六腑が動かされることで付随して動くようになっている。
立つのも運動するのもこの”腔”側。
背骨や背中の筋肉に乗っからない。
ワオキツネザルも腔側で座ってる(はず)
鳥の胴体も丸々と・・・腔が大きいから飛べるのか?
動物たちはみなそう・・・
腔を広く。
内臓をペタンコにしてはいけない。
2020/3/8
ツィスカリーゼのことを書いていたら興奮してしまって、やはりこの動画も紹介したいと思いました。
ザハロワと踊るシェヘラザード。
これを見て気づくのは、あのザハロワよりも男性のツィスカリーゼの身体の方が柔らかくしなやかでセクシーだということ。
ザハロワの方が脚は高く上がるしよく開くかもしれない。これは股関節の”開”がよくできている、ということ。
が、柔らかさ、重さのある柔らかさはツィスカリーゼに敵わない。
柔らかさは胴体からくる。
脚の開き、肩の開きは股関節と肩関節の開き具合からくる。
女性は骨盤の構造上、男性よりも開脚がよくできる。付随して肩も男性より開きやすい。
が、胴体の柔らかさは、第2身体に入った男性には敵わない。
女性の第一身体は女性、第二身体は男性
男性の第一身体は男性、第二身体は女性
男性は身体が男性的だが、その内側は女性よりも柔らかく愛情深かったりする、とOSHOが言っていた。それを読んだ時は、そんなもんかなぁ、と思っていたが、この練習をしているとだんだんわかってくる。師父にしても、あの馮志強老師にしても、外見はあんなにいかついのに身体が柔らかい、なめらかさがある。馮老師はこの練習をして少し女性らしくなった、と言ったことがあったようだが 身体に滲み出てくる柔らかさは、気、第二身体の身体だ。
以前知り合った女性の旦那さんが、元ベジャールのバレエ団で踊っていた男性ダンサーで、退団後自分の小さなバレエ団を作ってパリの小劇場で公演をしていた。面白いのは、その旦那さんはもう45歳くらいで頭は禿げ上がっていて体型も現役時代と同じではないのだが、小劇場で女性ダンサー達と一緒に上半身裸で踊ると、観客は最初こそは女性ダンサーの上半身ヌードを見ているが、しばらくすると彼女の旦那さんの踊りばかりに目がいってしまうようになると言っていた。禿げた中年男性の裸であっても身体の色気は若い女性達を上回るらしい・・・今回、上のツィスカリーゼの動画を見て、そんな話を思い出した。確かに、上の動画、男性の方ばかりに目が行ってしまう。雄の孔雀の方が華やかなのと似てる?動物界では派手で美しいのは雄?(話が逸れてるような?)
開と柔の話に戻すと
太極拳では、松(力を抜く)からまず”松開”
そして”松沈”があって、そのあと”松柔”になる。
松開→松沈→松柔
この順番で身体が開発されているから、自分が今どのあたりにいるかわかれば進歩のメルクマールになる。
松してタントウ功や動功をしていたら
以前よりも身体が開くようになった(脚が開く、肩が開く、など。)→松開
なんだか身体に重さが出てきた。足がどっしり。ブレない。→松沈
動きにねばりがでてきた →松柔
動きに軽快さや素早さが出るのはその先。
ツィスカリーゼ、後半のジャンプやスピンはさすが男性。ものすごい速さでした。
2020/3/7
今日ついにフランスのコロナウィルスの感染者数が日本を上回った。イタリアで広まっていたからフランスで広まるのも時間の問題、とは思っていたけれど、案の定、うなぎのぼり。それでもまだパリではマスク姿の人を見かけない。話によるとマスクはとうに売り切れているとか。昨日アルコール消毒液を買いに行ったのだが、私が手を洗うジェスチャーをしただけで、ああ、それは売り切れ、と行く店行く店でマダムに笑われた。スタートが遅かった。石鹸でしのぐかな。
イタリアやフランスでは挨拶の時に頰を合わせてチュッとしたり男同士なら握手をする。身体と身体の接触が多い(上に、衛生観念も低い)から広まるのも早いのでは? 犬の散歩でよく会う初老のおじさんは私と話すために英語の勉強を始めたらしく徐々に会話ができるようになったのだけど(相変わらずフランス語を学ばない私・・・)、いつもは会うと手袋を外して握手をしてくるのに、今日はさすがに握手はしてこなかった。少し距離をとって話をしたあとで、「コロナが去ったら今度はキスをするね。」と言ってきたのはさすが。やはり基本的に接触が好きな国民。私はフランス人が寄ってくると先にお辞儀をして接触を避けることが多い。日本人は総じて無意識的に身体の触れ合いを避ける(珍しい?)国民だと思う。
コロナはさておき、ここ一週間ほどはある人物に首ったけ。
それはYou tubeのおすすめ動画に上がってきたこの動画を見たのが始まり。
https://www.youtube.com/watch?v=qHPshionlNs&t=662s
(「ワガノワ・世界一過酷で美しいバレエ学校の世界〜ロシアが誇る伝統の”くるみ割り人形”が日本へ Bunkamura オーチャード・バレエ・ガラ特別映像)
この動画の1分半過ぎのところで、ワガノワ・バレエ学校の校長が生徒を怒鳴りつけてるシーンがある。
すごっ!と見たら、現役の頃の姿はなんて美しい・・・
そして、続けてその校長が、「46歳の僕がお手本を見せよう」とジャンプをする・・・
えっ? と目を見張ったら、彼の3つ目のジャンプ、なんか浮いたような。
この人、只者じゃない。現役時代の踊りを見なければ!
こうやって、ニコライ・ツィスカリーゼ氏の動画の追いかけが始まった。
最初は現役時代の踊り、そして次第に現在の彼の教授場面、そしてインタビューやテレビ番組。英語字幕があればわかるが、それがないものも多く、ロシア語が分からないのが残念。彼の言動はショッキングなものもあるけど、頷けるものばかり。ロシアの芸術のレベルが下がっている背景、それは中国国内の太極拳のレベルが下がっている背景と同じ。ちゃんとした教練がいなくなった。
ともあれ、彼の現役時代の踊り、力ではなく気。だから浮く。柔らかい。せーの、と筋肉で飛ぶようなことはしない(それじゃ体操、アスレティックになってしまう、芸術ではない、と彼自身が言っている)。太極拳にも通じる話。
ぜひ見てもらいたい彼のカルメン。中でも第2曲目の女性役には師父も、ピアノの先生も度肝を抜いた。
2曲目の一部。女性以上のしなやかさと細やかさ。息をのむ美しさ。
よく見ると、上虚下実、丹田に重心がしっかり収まり中心軸が恐ろしいくらい定まっている。
そして虚霊頂勁。
丹田を作った上で頭のてっぺんから会陰までの軸を通しているから、四肢が長く柔らかく解放される(放長、と太極拳では表現される状態)。筋肉がこんもりつかない。長くつく。(ボディービルダーのような塊の筋肉ではなく、筋状の筋肉がつく)
ここで誰もが気づくのが彼の足先。気が行き届いている。feetが女性のように(女性以上に)柔らかい→feet内の骨がバラバラに総動員されている(関節化されている)。
実は私がパリにきてから半年以上取り組んでいるのはfeet。
そしてfeetの中の骨がより細かく使えるようになればそれにともない腰や膝や肩など、身体のそれまで使えなかった部分が使えるようになる、という事実を発見した。身体がどのくらい使えるかはすべて足(feet)に現れてしまう。feetが開発されていない状態で無理に身体を使うと必ずダメーージがある。練習で腰や腕やなんやらを使うとき、まずは丹田に気をおろして足裏までつなげる、というのが必要なのはそのためだ。足裏に気を落として身体の各部分の練習をすれば、それが足裏に連動して足裏を同時に開発してくれる。足裏にしっかり落とさずに、足首で止めたり、膝で止めたりしていると、それより上の部分に負担がかかり身体の歪みがでてしまう。そういうからくりだ。
特に私のように若い時にかなりスポーツをやりこんだ人は身体を無理に使っている可能性が高いから、それを徐々に調整していかなければならない。が、それがとりもなおさず太極拳の基本功、内功、で、そんな重心の定まった柔らかい使い勝手の良い身体を手に入れてしまえば、あとは技を覚えればなんでもできてしまうようになっている。難しく時間がかかるのは、”そんな”身体を作って維持するところにある。
ツィスカリーゼというダンサーはロシアで最も有名なダンサーといっても過言ではない、という人もいて、私たち”西側諸国の人達”は”西側”に亡命したヌレエフやバレシニコフなどしか知らない”と彼も言っていた。ずっとロシアに残ってトップを20年間近く続けることは想像を絶するような努力がいる、という言葉を裏打ちするような素晴らしい身体の使い方が動画で見られるのは光栄なこと。彼自身、彼のようなダンサーは彼が最後だ、と言っているのは、現代は経済的な観点から大衆を動員するためにアクロバティックな動きが重視され、真の芸術を教えられる教師がいなくなったことが背景にあるようだが、それはバレエの世界に限らず、ピアノ、クラッシック音楽の世界、太極拳の世界でも同じことのようだ。
体操、アクロバット、サーカス、曲芸は”力”=フィジカル体、第一身体の世界。
芸術は”気”=エーテル体、第二身体の世界。
太極拳は、気の運動(=芸術)として行われるものだが、それを可能にするためにはまずフィジカル体、筋肉や骨をきちんと整えることが必要。気持ちだけで中心軸は定まらない。が反対に身体だけで中心軸は定まらない(身体だけで中心軸を定めると硬直してしまう)。そこに、丹田、気の作用が必要になってくる。
Feetの柔らかさ、Feetが完全に開発されているのは身体、第一身体がしっかり調整されて気で動くための前提条件が整っている証拠(節節貫通が完成して気の身体になっている証拠)
それは馮志強老師のFeetにも現れている。
重くて柔らかく真っ平らなFeet。
バレエと太極拳、似てないようでそっくり。いや、”本物”はどんな分野でも核心は同じ。
何をしても核心は同じ。何でも”道”になるということ。”道”にならないもの・・・道草はどこにも行き着かない。
2020/3/3
ビデオレッスンは生徒さんとの一期一会。
毎回いろんなものがでてきて面白い。
なぜ腕がうまく使えないのか、なぜ腕が一人歩きするのか・・・・元をたどれば丹田。
師父が生徒に教えず何気に一人でやってる練習には智慧がつまっている。
馮志強老師が最初来日した時に、朝一人練習をしていたのをこっそり見ていた日本の先生がいて、それに気づいた馮老師はその先生に口止めをしたとかいう話を聞いたことがある。
師の練習は生徒さんに教えるものとは異なることも多い(レベルが違うから当たり前)。
でも、師の一人練習を見て意味が分かると、その含蓄の多さに驚いたりする。
この動画で紹介した動きも昔私がこっそり盗んだもの(苦笑)
この動きから学べることは数多い(胯の回転、肩と胯の合に限らない)けど、まずは各自やってみて何が大変なのか思い知るのが大事。
背中だけで背骨を立てないで、背骨より前の”息の柱”で身体を立てる。
背中で立つと腰胯が動かない(回転しない)。
背中、背筋=筋肉でなく、背骨=骨でも立たない。
丹田の重要性が分かるはず。