2019年3月

2019/3/31
 昨夜書いたブログ、師父に写真を見せながら話したら、お尻に坐ってるか否かの問題、と一言で済まされてしまいました。
  確かに。随分簡単(苦笑)

2019/3/29 <”膝はつま先より前に出ない”≠”膝をつま先より前に出してはいけない”>

 

 今日の練習でびっくりしたこと。

 恐らく日本の太極拳界に蔓延している大きな誤解・・・

 

 私が生徒さんの弓歩の前足を形を直していたら、その生徒さんが一言、「でも、先生、膝はつま先より前に出てはいけないのですよね?」

 そう、その通り。だから直しているんだけど・・・・

 彼女の弓歩の前足は、膝の上の太腿の筋肉を固めて体を支えている状態。これでは上半身の力が足裏に落ちず太ももの筋肉だけで体重を支えてしまい、内側の勁がつながらないので脚と腕が全く無関係になってしまう。太極拳の醍醐味が全く失われてしまっている。膝や股関節を傷めてしまうのも時間の問題。

 ・・・と、私が彼女の膝の向きを少し外側に向け、膝裏から彼女の膝を前方に推し出そうとする。すると、「いいんですか、こんなに膝を出して・・・?」と恐れおののいた表情。

  いや、大丈夫。どれだけ深くしゃがんでも膝がつま先より前に出ないのが太極拳の下半身の使い方・・・と心で思いながら彼女に深い弓歩をさせていく。

 「えええ~~」と言いながら彼女の姿勢が低くなっていく。彼女は以前全国展開している××連盟の太極拳を習っていたからそこで叩き込まれた掟に背いてしまうのではないかと気が気でない様子だ。

 そして、私が彼女に尋ねてみた。「どう?膝がつま先より前に出てるかしら?」

彼女が自分の身体を確かめる。「いや、ここ(太ももの裏側の付け根)が伸びていったから膝は出ていません。」

 

 ここで気づいた。

 彼女は膝をつま先より前に出してはいけない、というルールに従うために、(上から見て)膝がつま先にくる直前で膝(太もも)を止めてしまっていた。

 あ~、そんなことをしたら、身体にブレーキがかかって膝上に過剰な負担をかけてしまう。一生懸命太極拳を練習すればするほど太ももが太くなるか膝や股関節が悪くなる(両方とも起こる)のはそんな不自然な力の使い方をするからだ・・・と納得。

 

 「膝がつま先から前に出ない」

 というのは、「膝がつま先から前に出ないようにその手前で止めましょう!」という意味ではない。

 それは、「どんな姿勢でも(タントウ功でも深い弓歩でも馬歩でもしゃがんでも震脚でも)身体が太極拳的に正しく使われていれば、膝がつま先より前に出ないような使い方になる。」ということだ。

 結局、膝がつま先より前に出てしまうというのは全身問題で、丹田を作って腰や股関節の使い方を調整しなければならないということだ。

 膝がつま先より前に出ないということは太もも(前側を特に)固めない、伸筋として伸ばして使う、ということだ。会陰がしっかり上がって両脚の付け根が腹奥にあり、それが腰(命門)と結びついていれば、深くしゃがめばしゃがむほど骨盤の中の両脚の接点が上方に持ち上がるから(会陰が更に上がるようになる)、太ももは付け根に向かって長く伸びたようになって結果として膝はつま先より前に出ることはなくなる。両脚の付け根が腰と結びつかないまま弓歩や馬歩をすれば、力が身体の中に向かって引き上がらず、逆に体内の力が両ひざの方に落ちて抜けてしまうようになる。

 しゃがんでいく時に前面の太腿がギュッとふと短く収縮したら、たとえ”膝がつま先より出てしまう”前に動きを止めたとしても、それは”膝がつま先より前に出てしまう”動きに他ならない。

 

 中国語は一見自動詞か他動詞か分からないことがある。

 『松胯曲膝』

 も、”クワを松して(緩めて)、膝を曲げる” 

 と読んでしまうと大半の人は大失敗してしまうだろう。

 ”クワを松すると(緩めると)膝が曲がってしまう”

 と読むべきでないかと思う。膝を曲げる、と曲げに行った時点で、丹田の感覚を得て内気を養い使う練習をすることは不可能になる。

 

 膝はつま先より前に出ない

 という要領を馮志強老師の本で見たことがないのは、そんな外形の話はしなくとも、丹田を作ってそれを失わないように動けばそうなってしまうから、だろう。

 正確には、”(丹田を失わないように動けば)膝はつま先より前に出ない。”

ということではないか?

 決して”膝がつま先より前に出ないように動く”ではない。強いて言えば”膝がつま先より前に出ないように身体全体(腹腰クワ)を調整しなさい(できないなら気を溜めて基本功をやりなさい)”ということだろう。

 膝がつま先より前に出ないように・・・と脚で調整して動いていたら、太極拳の門には入れないどころかその前に身体を傷めてしまう。気を付けなければならない。

  

 武術大会は内功ではなく外形を見せるものだから膝に負担のかかるような目立つ派手な姿勢をとっていることが多いようだ。歳とってやるものじゃない。

 膝に負担をかけないような坐り方ができればかなりの功夫。腰と腹とクワの開きに尽きる。

 

 上の中の大会系の選手たちは膝がつま先から出ないように股関節を広げてお尻に坐れているが、丹田を作っていないため股関節に多くの負担がかかりそうだ。内功系の太極拳はともすると丹田(腹)の意識が強くてなかなか坐れない(重心が下がらず、股関節やお尻が開かない)。

  

 なお、下のイチロー選手のストレッチは究極の馬歩や弓歩。

 このように身体を使えば、どれだけしゃがんでも”膝はつま先より前に出ない。”

・・・・お尻のはっきりとした割れが印象的。

2019/3/28

 

 やっと胸、小胸筋の使い方が分かってきた。含胸がないと立甲(肩甲骨が立つ)しない。含胸と力行で胸、肩、胸郭が決まる。

 ・・・と師父に報告をしたら、「じゃあ、そこの動きは・・・。」と少し考えて、この馮志強老師の動画を見れば良く分かるから、と勧めてくれたのがこの動画。

 

 馮老師はいつも手がぶらぶらしていたけど、それは胸や肩がきちんと決まっていて肩関節が自由に動くから。若い時に通背拳をやっていたこともあり人一倍肩関節が緩んでいる。肘技の名手だったのもそのため。

 が、今見ると、その肩関節の抜きのためには極めて強固な体幹、丹田、が必要なことが分かる。

そして胸郭がしっかり丹田とつながること。

 46式、炮捶の練習をすると胸郭の重要性がとても良く分かる。

 そして震脚。

 太極拳で炮捶を知らずに一路だけ練習するのはもったいない。

 以前は炮捶は女性がするのはかっこよくないと実は思っていたのだが(優雅さ、優美さに欠ける?)、教えてみると思いの外女性にウケがいい(男性にウケがよいのは当たり前としても)。

 気を溜めてばかりでなく、発散も大事。

 花見も始まる季節。春はことのほか発散が大事。こもると五月病(心身症)やら身体がだるくなる。

 ・・・がこんな炮捶の練習をしていたら小胸筋が盛り上がってぴくぴく動かせるようになってしまいそうで心配(苦笑)。

 

正しい直立姿勢を忘れてスポーツばかりしているとスポーツをしない人よりも身体のズレが大きくなる危険性は大きい。実際私もかなりずれていた。

 

詳細は省くにしても、足を揃えて正しい直立姿勢を練習(?)してみると、びっくりするほど胸を盛り上げなくてはならない。(左の図を参照)。そこから胸の気をぐっと丹田まで落とし込めば(含胸)、子供と同じような自然な直立姿勢ができる。この含胸の感じは胸をぺったんこにするのではなく、逆に胸筋を鍛えることになってしまう勁の流れだ。これまで思っていた含胸と全く違う感覚にびっくり。胸筋ぴくぴくさせる男性スポーツ選手の姿が頭に出てきて、なんだかなぁ~、と微妙な感じ。

 

 いずれにしろ、この姿勢を維持するにはずっと丹田に息を注ぎ続けなければならず、身体の中はビンビン勁が通るような感じになる。そのビンビンした感覚を失わないように更に丹田に気を溜めていこうとすると、股関節を緩めたり膝を緩めたり、身体の各所を緩めなければならなくなる。するとその姿勢はいつでも伸びて元の姿勢に戻りたくなるような構えの姿勢になる。それはあたかも猫がとびかかる前に身を小さくして気が逆立っているような感じ。

 結局、太極拳の構えをして全身の毛が少し立つかのような、全身のビリビリ感、電気感がないなら、真の構えとは言えないだろう。

 真剣で勝負する時に構えた姿、あのビリビリ感、を一人の套路練習で持たせるのは無理にしても、潜在的にそれにつながるような内側の勁の流れがある。それにはちゃんとした直立姿勢をもう一度見直すのが良いのではないかというのが最近の私の大きな気づき。

 実際に私自身が直立姿勢を見直してみたら、それに伴い腰、膝、太もも裏、足指、胸、肩、喉、顎、舌・・・と様々な部位に連鎖反応のように変化が出てきた。人体がどのように二足で立つのか、立てるのか・・・いろんな箇所の引っ張り合いが一線、一点に集約する・・・と自分の身体の感覚を感じていたら、空に飛ばす凧を思い出した。凧はどのように作ると高く舞うのか?糸のかけ方はどうなっていたっけ?・・また余計なことを考え出してしまった。

 タントウ功はまず直立姿勢を学んでからやった方が良いのではないかしら?

 

 それにしても本当に身体はうまく作られている。本来は最小限の力、最小限の意識で立ってしまえるようになっている、アライメントが正しければ。が、アライメントを正しくするのに、中身をその位置にもっていかないと、外から作ったアライメントはすぐに崩れてしまう。正しいアライメント(形、器)を教えてもらったら、そこに自分の中身を合わせて中身の感覚を覚えてしまうと、中身の方から外向きにアライメントを調整していくことが可能。そうすれば馮志強老師や子どものような柔らかい正しいアライメントができあがる。形だけ正しくすると無理をしているので疲れるし身体が硬直してしまう。そしてその中身の位置を自分で確かめて調整するのに不可欠なのが丹田。丹田の感覚なしに中身の話は始まらない(それは何故なのかが分からないけど、丹田無くしてしまうと中身の感覚がゼロになるから不思議。丹田なくして手首の”中”の感覚はとれないなぁ。)

 

 (上の図はhttps://stretchpole-blog.com/slight-stoop-causes-10410からのもの)

 正しい直立姿勢における内側の勁は子供達のジャンプ姿から見ることができました→次回に。

2019/3/27

 

 

 練習していなくても毎日何かしらに目が留まって、なるほど、と気づきがある。もうそれは癖。

 それが練習材料になってしまうのだからキリがない。尽きない。

 一週間ぶりに練習に来るともう次の話題に移行してしまっている。生徒さん達も大変・・・。

 

 ここ1週間余りの中で、うわっ、なるほど、そうだったのか・・・と思った材料で覚えていものを列挙してみよう。

 

 

➀7点を支える枕 

 youtubeを見ようとして流れた広告動画。およよ・・・肩はともかくも、肘!

 タントウ功の時にここを軽く使うんだ、と昔師父が押さえてくれた場所。調べたら三焦経の天井あたりだった。その時はそこのツボをどう使ってよいのか分からなかったが、なるほど、肘のここが決まらないと上半身、肩、首が決まらない・・・。

 待ちゆく人は歩いている時に肘の感覚が皆無・・・肘が分かっている人はある意味、曲者、ただ者じゃない。

 

 

 

  

②日本人と欧米人の頭の形、顔立ちの違い

 

 日本人と欧米人の骨盤の傾きが違うこと、日本人の骨盤は後傾しているから背骨の本来のS字カーブが少ないこと、それなのに太極拳でさらに背骨を真っ直ぐにするのはとてもおかしいこと、は知っていた。

 まずは背骨のS字カーブをちゃんと取り戻してから背骨を弓のように下に引き下げないと(抜背)、何のために背骨のS字カーブを緩やかにして引き伸ばしているのか分からない。弾力をもたせるためにやっている抜背が、ただの硬直した板状の定規のようになってしまっている。

 なぜ背骨を真っ直ぐにしなければならないのか?

 それを知らずに真っ直ぐにしている人の如何に多いことか・・・(ほとんどチコちゃん  笑)。

 本来はS字。それを真っ直ぐにさせるとはどういうことなのか?(各自考えてみて下さい。)

 

 太極拳では真っ直ぐにとは言わず弓にすると言います。その含意は?

 

 

 

 

 そしてその先の話。

 このブログを見ていたら、なんと、この骨盤、背骨カーブの違いで頭の形も変わってしまうのが分かった。https://www.cosme.net/beautist/article/2023796

 気を逆回りに周天(督脈上がり任脈下がる)させると、たしかに欧米人のようになる。

 

 順回転で周天させると(任脈上がり督脈下がる)、日本人のようになる。

 

 太極拳での攻撃に限らず、馬に乗って前に突進するとか、100メートル全力疾走、卓球で打球する時、スキーで滑走する時、などはどれも気を逆回転させる。すると骨盤でだけでなく頭蓋骨も後ろ上がり前下がりに回転、結果として目は下方に(目と耳が同線上)、顎が引ける。眉間の位置に両目が集まる(から目の焦点がきっちり合う。)攻撃系の身体の使い方。

 通常人体の気は順回転。のんびりしている時は顕著。すると前上がり後ろ下がりで、日本人のような顎が上がって目の位置が上がり後頭部が凹む頭部になる。

 気がどう流れるかによって時間の経過とともに外形が作られてくる。

 洞窟の中の水の絶え間ないしたたりで岩が削れていくようなもの・・・かな?

 

 道教で修行者は逆回転で周天させるが、それは人間の通常の回転は順回転だからそれを逆回しにすることによって時間を逆回しして赤子に戻る・・・なんて説明を聞いたことがある。

 逆回転させて若返るかは疑問が残るけれども、運動的には逆回転は攻撃系(前歯で噛みつけるような肉食系の顎になる)、交感神経優位、覚醒系、順回転は守備、リラックス、副交感神経優位、怠惰?になるようだ。

 

③ピアニストに見る気の使い方 修練度

 大師とは何かがはっきりした劉師父との会話

④子供のジャンプ 足

 

 ③④はまた日を改めて書きます。

 

 

 このような形で動いていると肩甲骨が開きやすく、肩甲骨がクワに乗って、肩こりがなくなってしまうのではないか?と思ってしまう。が、踵を地面につけると、とたん、いつもの姿勢にもどり、肩の解放感がなくなってしまう。

 地上から2階身体を引き上げて股関節を回す。そんな感じだとうまくいく。

 が、太極拳は両足が地上についていることの方が多い。その時股関節を回すにはどうしたら良いのか・・・・と、いつもの動功をやってみたら、なんだ、足の裏を地面の中に埋め込ませてしまえば股関節に隙間が空いて、クワがスルスル回転している。

 

 早速生徒さん達に、足の裏から地面に気を落とすことを教える。

 が、ほとんどの場合、足の裏に落ちているようで、足の甲で気が止まっている。

 足の甲ではなくて足の裏!

 と何度もしつこく言わないとピンとこないよう。

 足の甲と足の裏の違いがはっきり分からないと足の裏に気は落とせない。

 足の裏が鮮明に分かれば、その気が地面に潜った後戻って上がって来るところを足の裏で捉えてそれによって動くことができるようになる。

 ジャンプにしろ体重移動にしろ、地から戻ってきた力を使わずに自分の筋肉だけで行っていると身体が強張ってしまう。放松するのもその微妙な感覚を使うため。まずは足の甲まで気を落として、そこからひと踏ん張り足の裏に落とすことを学ばなくてはならない。(通常タントウ功で練習する。)

 ここにいればクワはスルスル回転する。

 この状態はあたかも地下一階に降りたような感じ。

 結局、二階か地下一階で動かないと関節は回らない。グランドフロアーで動くことはご法度なのだと理解(これを劉師父に語ったら、そんな風に考えたことはなかったと苦笑いをしていた)。

 

 二階で動くのがクラッシックバレエやベリーダンス。そもそもは天に届こうとしたり、天や神に捧げようとした踊り。

 地下一階で動くのは、タンゴやランバダかなぁ。下に落ちて動くと、クワとともに臀部が回る。

お尻を強調するなら地下一階?

 

 なお、ハイヒールを履くのは二階に上がることになり腰の可動域が増える。が、その分腹の丹田がしっかりしていないと腰を痛めてしまう。

 

 冒頭の絵は馮志強老師の言うところの18の球のうち胴体部分のもの

 二階に上がると腹、腰からクワが回転。

 地下一階だとクワから臀部、脚(膝、足首)が回転する。

 二階から地下一階まで通してしまえば、腹腰(丹田)から足裏までが貫通し、太極拳の要の下盤は完成する。(18の球のうちの胸と首に関しては頭蓋骨の回転の話題を書く機会があればその時に。周転は頭蓋骨の回転をもって完結すると最近体感したばかり。)

 

 ランバダってどんなかったかなぁ?と写真検索してみました。地下一階系はお尻や太ももを強調するなぁ。

ハワイアンはどうだったかなぁ?、と見たら、踵外してた。二階系。

2019/3/22 <胯の回転、二階か地下一階か、虚歩の意味、足の甲ではなく足の裏

 

  その後クワを盛って肩甲骨とつなげることを生徒さん達に試してもらいながら、いろんなことに気づいてきた。

 

 クワ(股関節)を回転させるには、まず股関節、即ち、太ももの先端の円い骨と骨盤の接触するところに隙間を空けなればならないが、ここに隙間を空けるための一つの方法が虚歩、即ち、踵を浮かせることだ。隙間を空けずにゴリゴリ関節を擦り合わせて使ってしまうと当然関節が痛んでしまう。年寄りになって股関節や膝の関節がダメになってしまうのは隙間を空けておくために身体(内臓)を引き上げておく力(会陰の引き上げ等の力)が減ってしまうから。 

 武術には虚歩というすばらしい歩法があり、これを使えば股関節がスムーズに使えて素早く動けるようになっている。踵を両足とも上げてしまうと身体が不安定になってしまうところを、片足だけ上げることによって、機敏さと安定を兼ね備えることができる。

 

 タントウ功で踵を少し浮かせたり、踵に薄皮一枚挟んだようにしておく、というのは股関節をつぶさないために有効な方法。そうすれば腰に隙間ができ、身体が固まらない。ここを間違えると硬直した石のような身体になってしまう。タントウ功で失敗するのはここ。

 

 で、生徒さん達にクワを盛って回転させる動作をさせていたら、あたかもベリーダンスのようになってきた。クワを浮かして(隙間を空けて)回転しようとすると、それに連動して腹が回転する。ベル―ダンスの時にダンサーが虚歩(片足を前に出してつま先をつけている)になっているのは、そのようにしないと腹が回らないからで、腹を回そうとすればクワが回ることになる。クワを回そうとすると往々にしてお尻や太ももが回ってクワが回らない。膝を回す時は膝の上の太腿を回しているはず。関節を回す時は関節の上の骨を回すようにするのがとても大事(肩を回す時は肩を回そうとすると腕が回ってしまう。胸から肩を回そうとすべき。)

 

 (ベリーダンスのイメージが浮かばない人は下の写真をご覧ください。)

 

 

 太極拳は二階も地下一階も合わせてやる・・・そして全身を一つの気で包んでしまう。

 ”大気は大師の印” ・・・・これについては次の独り言に書こう。

 

 

2019/3/18 <胯と肩甲骨の連結←胯の回転←胯を緩める←胯に空気を入れて盛る?>

 

 <昨日の練習後のグループLINEへの投稿>

 

今日の練習の要点は、後ろの股関節(後ろの胯kua、お尻の上部。)の上に肩甲骨を乗せ、後ろの股関節の回転で肩甲骨を巻きつけて腕を使うことでした。

自然にできてしまうのが望ましいですが、少し意識した方が良いかと思います。

 

クワ(股関節、骨盤)と肩、が合う、というのは大事な太極拳の要領。

股関節を使う、股関節に乗る、というのは感覚的にはお尻の中を使うこと。関節を回して身体を動かせば関節は痛まないが、関節と関節の間の骨から動かそうとすると関節が傷んでしまう。筋肉の太いところから使わずに関節に付いている筋肉のスジから使うような細かな意識が必要になります。

 

股関節、お尻がよく使えているのは馮老師と陳項老師。お尻(クワ)と腰のつながりが幼児並。

 

  赤丸の部位に注意して動画を見ると身体のバネ、柔らかさ、力強さがよく分かる。

 

  馮老師を見てから普通の老師を見ると違いが一目瞭然....見えるかしら?

 

 

お尻(クワ)から動かずに太ももから動くと膝でつっかえてしまう。中正もとれない。

 

馮老師の場合はどこでもまっすぐ。

https://reraku.jp/studio/ariokashiwa/blog/38056
https://reraku.jp/studio/ariokashiwa/blog/38056

 

 

 

巻き上げるのは中臀筋位置https://reraku.jp/studio/ariokashiwa/blog/38056

 

 

 

 

 

  

   練習中、お尻のパットを入れたように、なんて適当に言いましたが、調べてみたら、巷のお尻パットは盛り上げる位置が違う! 用途が違う....(苦笑)

  こんなところもっても何の意味もない....肩甲骨が繋がらない。

 

 回転させて盛るのはここ♪

 

 

 股関節回転させるには少しかかとを持ち上げてペダルを踏んで回すみたいに・・・と思ったら、あれ?自転車が同じでは?と気づきました。競輪で検索してたら、あった!パンチの前に気を丹田に溜める前の動作はこんな感じ(縮めた方を上げる?と生徒さんが面食らっていますが、太極拳ならそこで”合”になって丹田に気が集まるようになる。このやろう~!と手を振りかざした位置?

2019/3/15

 

 下のブログ、昨日携帯で書きっぱなしにしていて、今日パソコンで読んでみたら、致命的な間違いを発見!!

 あららら・・・、と訂正しようかと思いましたが、あまりにも明白な間違いなのでそのままにしておきます。適宜直して読んで下さい(苦笑)

 

 修行系の経典にはわざと間違いを混ぜていて、弟子がちゃんと自分で修行しているか試すのだと聞いたことがありますが・・・。別に狙ったわけではないし、ただのコモンセンスのレベル(言い訳・・・苦笑)

 

 良い動画がありました。

 震脚はそもそも推力を増加させるもの。実践用途を知っていれば間違えない。

2019/3/14 <震脚 何が震えるのか?>

 一人練習していたら火曜日の御苑練習で出てきた震脚の問題を思い出してしまった。
地面から跳ね返らない震脚はもはや震脚ではないのだけども、少林寺の子供達の演舞の印象が強いのか、地面に脚を踏み落とした瞬間に頭がガーンとなって脳にダメージを与えかねないやり方が普及しているようだ。
   なぜ震脚というのか? 何が震えるのか?
まさか頭がガ〜〜ンと震える訳ではないだろう(苦笑)
    震脚は半身ごとに気を通して松させる作用がある。足裏まで気を下ろして邪気を抜く。   うまくできれば、足が地面に降りた時に、パーン!と公園に響きわたるような明快な音がする。ドスッ、とか、ベタッ、とした響かない音は失敗の印。
   震脚は自分の耳でよく音を確かめながら練習する。注意せずに漫然と繰り返しやっても益はないしかえって身体を痛めることになる。
 右足で震脚をする時は右足重心、左足の時は左足重心。右足を降ろした時に左足に体重を移すことは跺脚(duojiao 踏む)。これをすると上記のように、頭、特に後頭部にダメージが出る。震脚はそれとは別物。右足を地面に降ろした瞬間に右足が地面から跳ね上がってくるような力が働くのが震脚。地面から跳ね上がってくる力があるのに足を跳ね上がらせないからこそ、身体の中身が震える。しかも足裏は地面に落ちた瞬間だけでなく、跳ね上がった力が身体を震わせている時間ずっと地面を同じ圧力で踏み込み続けたようになる(倒れた相手を均等な圧で効果的に踏み続けられる)。
   
 右足で震脚をすれば、右半身を緩める(松)ことになる。左足やれば左半身の松ができる。
 何が”震”えるのか?といえば、それはもし右足で震脚をしたなら、右足、右脚の中身、右側の腰の中がワワヮンと震えるのが分かるはずだ。うまくいけば、右側の胸、肩あたりまでも内側で振動するのが分かる。(頭の中は振動しない。)このワワヮ~ンを味わうと、ああ、確かに内側がほぐれるなぁ、と分かる。踏み方をいろいろ調整すればいろんな箇所が震えるし、完璧な形で脚を落とせたなら、一発で、あたかもお寺の鐘を鳴らした後の余韻のように、身体の半分の中身が震えて、余分な力が足裏から抜けるのが分かる。
    地面の奥から跳ね戻ってきた気を掴むのはジャンプや歩行に必要だが、震脚はそれをしっかり意識する練習になる。
     地気を掴むには全身の気がまず地下に落ちなければならない。タントウ功でまずは足裏まで気を下ろすのはそのためだ。地の気を借りて立てれば自分で立っている感覚が薄れて立たされたようになる。自分でしっかり立っているうちは力が抜けない。
    ....立たされる、腕も挙げられてしまう、脚も挙げられてしまう、そんな他律的な動きの感覚の中で動けるのが太極拳の醍醐味。
    意から心へというのも自動詞から他動詞への移行。頑張るのではなく、信じて任せる意識。
   震脚も落とすのではなく落ちる!(と師父に何度も言われたのを今思い出した。)

2019/3/9 <上虚下実の”虚”とは?>

  今日の練習が終わって書いたLINEの文面
<今日の練習では下半身を正しく使うには上半身が必要→上半身は浮く、という話から、『上虚下実』、なかでも"虚" の意味にはたと気づいてしまいました。
虚は無ではない....
とても大きな発見のような気がする....ドキドキするのを生徒さん達にバレないようにしていました(苦笑)>
   これじゃあ何のことか分からない。
「虚とは空ですか?」なんていうクイズをしてるかのような反応もあったが、虚にしろ空にしろ無にしろ、それが膝とか股関節などを実感するような感じで実感できなければ論じても意味がない。
   
   指を外からではなく内側から感じる、そんなところから始めて、腹の中の感覚をつかんでいく。腹の中に何か力の終結したような粘いものがある実感を掴むのは初めの一歩。肩を内側から感じたり肘を内側から感じたりするのは難しくなる。内側から動かすためにはその箇所の内側の感覚を知らなければならない。鍼灸のツボは治療目的、武術のツボは急所攻撃目的かもしれないが、太極拳で自分の身体を開発するにはそのツボを内側から感じて、それを使って身体を動かすから、まさにツボは内側の身体の地図になる。
   身体を内側から探索していけば、そのうちそこを流れるもの、気だの勁だのに気づくようになる。気が途中で滞ったり、消えてしまったりするのをどうにか流そうと試行錯誤していくうちに、ある時、"意"通すことを知る。
    意を通そうとするならば、その時、意を通そうとしている自分がいる。それが、太極拳では、心、というようだ。
     先日師父に意と心の隙間が分かったと伝えたら、なら、心が先で意はその後につけろ、と言われた。意が先ではいけない、あなたは特に注意する必要がある、と。
    言われた直後はピンとこなかったが、確かに意が先走ると視野が狭くなり特攻隊のようになってしまう。心を先に持っていけば、広い深海のような心の中に火の意が溶け込んだまま推し出すようになり冷静な自分の中心を失うことがない。
    この手のものは日常生活が良い練習の場になる。気づいていなければならない。
 
2019/3/8
 
  ほぼ2週間ぶりの櫟ちゃんのレッスン。
  前回は何をどうして良いか分からないまま、とりあえずは身体が動かせるようにと思いつく動きをアドリブ的にやっていきました。
  今回は、前回のレッスンで櫟ちゃんの身体のことが少し分かってきたので、その理解を更に深めようと、櫟ちゃんがやったことのない動きに挑戦しました。
  
   やったことのない動きをやる場合、意が決定的に重要になる。健常者の私達でも、右利きの人が左手で箸を持って豆を一個一個摘もうとすると、手が思うように動いてくれなくて歯痒くなる。"思うように"というのが、まさに"意の通りに"という意味で、"動いてくれない"というのが"力"の部分。
   すなわち、意(意思)が力(パワー)となって外部に現れない時、私達はとてももどかしく歯痒い思いをする。
    太極拳の練習は結局、どのようにして意を力へとスムーズにロスなく転換するか、それに尽きる。
   そのためには意→力へのドカンと開いた経路を開通させなければならないのだが、意はそのままでは力にはならず(指よ動け!と頭の中で思っただけでは指は動かない)、途中、その意(脳の指令)を、体内を流れるエネルギー(指よ動け!と思って本当に動かそうとした時に指に向けて流れていく体内の暖かなもの)=気の流れ、が必要となる。
   この気の流れる道が開通していれば、思えば動く、思わなければ動かない、というように、身体はいつも頭の指令下に統制される。身体がいつも頭の統制下に置かれていれば無駄な動きはないし、おかしな行動を起こすこともない。身体を修める頃には心も脳の統制下に置かれるから邪念も浮かばなくなる....というのが、本来の武道なり茶道なり、"道"と名乗るとものの修行法。
 
    話を戻すと、気の経路が開通すれば、身体の末端まで気を届けておきながら、外向きの力としては発しない、ということも可能になる。外に出さなければ体内の気は減らないし、ここで気の発生元である丹田をグツグツ練った状態にしていけば更に内気を増やすことが可能だ。武術であれば、溢れ出んばかりの気をギリギリでせき止めて、最後に爆発して出す(発勁)ということが可能になる。
常にちょろちょろ出していては必要な時に爆発的な力は出ない。35歳を過ぎたら溜める方に比重を置いた練習をするのはその頃までには生まれ持った元気を随分使い込んで減らせてしまっているからだ。
 
    そして櫟ちゃん!
    外向きに"力"としてエネルギーを出してきた量が少ない22歳の女の子の身体には、思った以上の気の量があった。
   今日は本格的に単推手をやってみた。まず準備として、手の順纏と逆纏を教える。発するのは逆纏(親指の根っこを出すようにする。丹田→末端への気の流れを導く)、順纏は小指の根っこを自分の方に向けるようにすることで気を末端から丹田へ戻す。太極拳はこの順纏逆纏の転換の連続。推手も然り。
   櫟ちゃんも私達同様、右手は推す動作(逆纏)の方が得意。一転して私が推す番になったら櫟ちゃんは右手を順纏に変えなければいけないのだが、それがなかなかできない。が、補助して覚えこませたら、徐々にコツを掴んだ! そこからは相手の気と自分の気を合わせる練習。
   普段車椅子にずっと座っていて、自分自身は自分の身体の奥深くに閉じ込められたようになっている。自分の身体を隅々まで動かせれば自分(という感覚、エーテル体)は肉体の大きさと同じところまで広がるが、本当にエーテル体(気の身体、第2身体)を喜ばせるにはそれを肉体以上に広げる必要がある。(自分が身体の内側にある限りは本当の自分が身体ではないことが分からない。自分が身体以上に広がり身体を突破できれば自分が身体でないことが分かる....自己と身体の同一視を打開するのはどの修行法も同じ。仏教系のように苦(無)で突破するか、道教系のように快感(広がり、無限大)で突破するか、は好みの問題)
 
   櫟ちゃんと気が繋がったのを確認して、櫟ちゃんが推してくる時は彼女に私の身体まで入ってくるように、私が推す時は私を彼女の身体の中に吸い込むように、一回一回声をかける。2人で1つの円、1つの身体のようになれば、彼女にとって私の身体は彼女の一部となる。彼女は普段の小さな身体から飛び出ることができる。
   手を推したり引いたりしながら、そのうち、推した時は私の身体を通り越して私の後ろの空間まで自分を広げてごらん、と、試してみた。私も彼女の後ろの空間まで自分を広げるように推していく。そうしたら、なんて櫟ちゃんの楽しそうな表情。横でお母様も喜んで写真を撮ってくれていた。
   

 

 
 櫟ちゃんを観察していて、やっとはっきりした"心意混元太極拳"の肝心な"心"と"意"の関係。
これまでどれだけ太極拳や仏教の経典を読んでも腑に落ちなかったけど、そう、あの、櫟ちゃんの気合いの入っ時の、これでもか!と見開いた目。あれが意のパワー。心が焦点を絞って意のパワーになる、その過程が彼女からははっきりと見て取れる。
   そう見ると、私達も心でいろんなことを思っても、それを、よしやるぞ!という熱い想いにまで昇格させられないことがよくあること。加齢とともに熱のある意が少なくなる。意は火。目の光。やる気。これが減れば気は当然減ってしまう。なんだそーいう単純なことだった....
   
 櫟ちゃんの意のパワーはものすごい。この調子だとそのうち彼女と推手をして新宿区まで2人を広げることも可能だったりしないだろうか?
  意のパワーはどうやってつけるのか?
  なまっちょろくぬるま湯で毎日生きていたら身体を突破出来るような意のパワーは生まれないだろう。なんだかやる気がでない〜 とか引きこもっている場合ではないのだ....なんだかまた別の課題を見つけてしまった。
 

 

 

特に動きの悪い左手を上げていくには、顔を右にして目も右方向。すると左胸が開き左肩が開いて腕が上げやすくなる。

檪ちゃんはいよいよ上げようという時になると顔が左から右に回転していって目が次第に大きくなっていました。

 

最近練習の時にもよく注意しますが、目線、はとても大事。背骨の自転(回転と旋回の違いに注意。説明ここでは省きます)と関連する。

2019/3/6

 

  昨日の御苑練習は一段レベルアップした内容になりました。

 丹田を作らない意識の方が重心移動がしっかりできるのは何故?と、狐につままれたような表情の生徒さんを見るのは痛快! 

 守破離の守から破に移行する段階に入りつつあるのか?いや、それもまだ丹田なのか?

 そのあたりはしばらく生徒さん自身に考えさせて追々話していく予定。

 

 

 以下グループラインへの投稿を貼り付けます。

 

 今日の久しぶりの御苑練習では、腿内側の勁の甘さが目立ったことから、虚実をはっきりさせて正確に重心移動する練習をしました。

 太極拳において虚実分明(分けて明らかにする)は基本中の基本。が、実際にやるのは難しい。

右足重心から左足へ移動するには、実の右足の力しか使ってはいけない。虚の左足の力を少しでも使えば、" 错!"(間違い!)と言われる。(注:なぜ虚の足の力を使ってはいけないのか→中正が失われるから。虚の足の力を使うと重心移動の正確さが崩れ膝や股関節などに余計な負担がかかる。これを正確にやるには二人組で練習するのが効果的。重心移動は非常に大事なトピックなのでどこかでまとめてとりあげたいところ。)

 

 普段の歩き方も、前に降り出した脚ではなく後ろ足で蹴るのが正しい。前に降り出した脚の膝裏は伸びているはず(伸びて、伸びたまま膝裏が緩む)。

 

 これと丹田がどう関係するのか....Hさんに試してもらいました。

 丹田を作って回すと股関節が引っかかる。丹田を作らない方がうまく重心移動ができる。

 ...なぜ?

 本人も納得がいかないようでした。

 

 あるレベルに達すれば、『有意無意真意』(意が有るような無いようなところが真の意)

の意味が身体で分かるようになる。

 

 そういえば日曜日のM君も腕に気を通そうとする意識を削がせることでやっと一段抜けましたが、本人は、「何にもやってないようで実感がない。」と言ってました。

 

 同時期に練習を始めてしばし一緒に練習していたHさんとM君が、現在練習日が離れても練習の進度、内容が何かとシンクロするのは教えていてとても面白い。

 

 <以下このHさんやM君のようなある程度内気を動かせる生徒さん達の陥りやすい罠、次への一歩に関しての記述>

 

  『気を操る者は滞る』『気を運んではいけない』(全文は『意通気滞力折』)という言葉も、丹田の感覚が得られ内気を動かせるようになった人達には納得のいかないところ。「気に関わってはいけない!気は放っておけ!」と何度言われてもやはり気を追いかけてしまう・・・そして気がつまってどうしようもなくなる痛い経験を私自身何度か繰り返した。”気”ではなく”意”を通せ、と言われても、その差異が分かるようで分からない。結局、目から鱗となったのは、昨年初期仏教のヴィパッサナ―瞑想合宿に行って長老に思いっきり叱られたことだった。仏教は”気”ではなく意の元となる”心”が出発点。心は常に気を観察していなければならない。気の中に心を溶け込ませて一種の恍惚感(サマーディ)を引き起こしてはいけない。(なぜなら実践だとその状態はただ無我夢中で戦っている状態。中心の冷静な自分の核を失っているから隙だらけになる。中心は冷めていつもその周辺(内気も含む)を観察、見守っていなければならない。)

  まずは身体の動きを内側から観察できるようになるのが初めの一歩。

  そして次の一歩は身体の中の動き(=気の動き)を観察できるようになること。

  更なる一歩は気が動く前の自分の意の動きを観察できるようになること。ここで、『意が通る』、即ち、心で意を操ることによって気、そして身体が動くようになる。

  (・・・・最後の境地はまだ実現していないので少し憶測が入っています。)

 

 なおHさんの重心移動の様子はLINEの仲間のページに動画で紹介します。

 丹田を作った重心移動と作らない虚実分明の重心移動。どちらがきちんと重心移動できているか、見れば分かると思います。

 

 

2019/3/2

      ソウルに4日滞在してこれから帰国するところ。こちらは空気が悪くて外での練習はきつかった。花粉とは違うケミカル物質で鼻は詰まるし目はチカチカする。毎日警報が出ているくらいだから事態は深刻。中国に近いからだと思うけれども、文在寅が習近平に控えめな指摘をしたら、韓国国内の汚染も酷いだろうとピシャリとやられたという。韓国は日本には強い態度は見せても中国には低頭を保つ。中韓の長い歴史を感じる。

 

     と、そんなこともあって、先週末のステキな出会いを独り言に書くのが遅れてしまった。

    先月独り言で女性クラスを開きたい、と書いた後に舞い込んだマンツーマンレッスン。相手は重度の心身障害のある22歳の女の子。

   彼女の写真や送られてきた動画を見ながら、果たして彼女にどう太極拳を教えるのか、何が教えられるのか、しばし頭の中で想像を巡らした。彼女は私の娘とほぼ同じ歳。お母様も同年代に違いない....私にこのような娘がいたらどうしたい、どうしてあげたいかしら? 私に依頼をしてきたお母様にはそれなりの意図があるはず。何とかして応えてあげたい....あとは行って会って、その時自分から出てくるものでやってみよう。

 

    その日のレッスンが終わった後に書いたグループLINEの投稿を以下に貼り付けます。檪(れき)ちゃんのお母様もFBに投稿して下さってました。檪ちゃんのことをもっと皆に知ってもらいたいというお母様の希望でここに紹介します。

 

 <LINEの文面>

 先週舞い込んだ個人レッスンの依頼。初めての体験でした。何ができるのか? その場でやるしかない。感染症が非常に心配なので少しでも風邪をひいたらキャンセルして下さいとの依頼でした。体調整えて....心配だった意思疎通。

大丈夫だぁ。蹴りやパンチを教えて最後は軽く推手もしてきました。

 

   実は前もって劉先生に彼女の動画を見せたのですが、当然太極拳は無理だと言われました。が、お母様は何か考えがあって私を指名したのだしこれも縁。レッスン料頂かずに私の体験だと思って遊んでこよう、うまく意思疎通できて遊べたら上出来、と腹をくくって行きました。

   結局、30分しか体力がもたないと聞いていたにも拘らず結局1時間近く遊んでいました。硬直して折りたためない腕や脚はツボを押すと難なく曲げられてしまう。動けると上機嫌になる。動くのがこんなに嬉しく楽しいんだ〜 動くことの意味を再認識しました。当たり前のことが当たり前じゃない。

  檪(レキ)ちゃん、やはり目が澄んでた...生まれてから一度も邪念を抱いたことのない目。

私まで気持ちが明るくなって帰途に着きました。

      

 

   (その後生徒さん達に檪ちゃんと一緒に写した写真を見せたら、私の顔がいつになく澄んでいると褒められました。これも檪ちゃん効果⁈  が、ということは普段は濁りまくっている?)

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『今日のメモ』毎日の練習は気づきの宝庫。太極拳の練習の成果が何に及ぶかは予測不可能。2012年9月〜のアーカイブは『練習メモアーカイブ』へ

練習のバイブル本

 『陳式太極拳入門』

   馮志強老師著

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2012/3/20

日本養生学会第13回大会で研究発表をしました。

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