2018年12月

2018/12/31

   

  今年も何を教えたのか分からない一年だった。

  初心者用のレッスンを設けていないので初心者にはついてくるのが大変なはずなのだけど、それでもしがみついてきてくれた生徒さんが今年も数人いた。教わりたい気持ちが続く、中国語で言うところの、恒心、のある生徒さんを教えるのはとてもやりがいのある仕事。

 丹田が分からない、気が分からない、と言い続けていた生徒さんが、あるところから何も言わなくなって、違和感なく丹田やら気やらの操縦をしているのを見ると嬉しいとともにおかしな気持ちになる。

 テレビの中身がどうなっていて、どうしてテレビが映るのかが分からなくても操作することはできる。丹田や気が一体何なのか、ははっきり分からなくても、自分で操作することができるようになる。

 それ自体を知ることと、それを操ることには違いがある。

 学者は一体それは何なのか、と知りたがり、修行者はそれを操る術を学ぶ。操っているうちに分かることも多いが、それが知り得ないことであることも分かってくる。なぜならそれは限りのない深淵だから。

 太極拳の練習をしていてとても面白いのが、深く進めば進むほど、いろんな分野のものとのつながりが出てくるから。最終的には全てのものが集約されていくその方向に向けて練習は深めていくのだろう。

 来年はも少し落ち着いた練習、口数の少ない練習を目指したいところです・・・。

 

 

2018/12/28 <今年最後の練習の後のLINEでの独り言>

 

 年末最後の御苑練習はポカポカ陽気の中でとても気持ちよくできました。

 

 ♂一匹の参加のお陰で、力む原因は鼻の奥にあり、と気づいたのは大収穫。吸ってるといいながら実は止めていました、と皆、衝撃を受けた様子。これをみて、私もこの原理は♂だけでなく皆に当てはまると確信が持てました。弁は全開、鼻のホースは腹まで直結。

やはり最後は呼吸、息に集約されそうです。

 

 ♂さんが帰った後もさらに練習は展開し、48式の第26式小擒打を教えながら、"浮きながらしゃがむ"ということまで発見。肺に沢山空気を入れなければしゃがめない。肺の気(宗気、狭義のプラーナ)を多くするには鼻の奥を開けてかつ含胸にして左右の肺を引き離しておく必要がある。

 

 要領が分からなければ、両腕を広げて双方の腕を左右に八つ裂きの刑のように引っ張ってもらうと良い....肩の外し方(剥がし方)、丹田へ気の落ちる様、足が仁王様のようになること、腕が鉛のホースになること、などが体験できる。

 

 放松は結局重力に乗っかること、他者があっての放松、外界→上丹田(目)→丹田(腹)、そんな引っ張り合いの話、それが丹田に没入せずに意で気を操る要領であることもざっと説明しました。

 

 あと、着地に用心♪

 脛はいつでも相手の膝崩しができるようなスネに。要は脛の棒は立てておく。

 これは膝に自信がない人にオススメ

 

最後に。

 

気の種類分けはインドのものを見た方が分かりやすかったりする。ヨガの人達にはお馴染み。

(画像の出典:http://moyashiken.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/post-45b5.html)

 

プラーナ 肺 宗気 

サマーナ 中丹田 中気 

アパーナ  下丹田 の気 (脚を含むことに注意)

ウダーナ  上丹田の気(腕はここの気)

ヴィヤーナ  衛気

 

このインドの語を昔は中国でも漢字にして使っていた。気功法の原理、インド由来かなぁ?

2018/12/26 のLINEの独り言

 

 太極拳では残念ながらフォースを使うものは"折れる"(苦笑)

 

 気を使うものは"滞"り、意を使うものは"通"ります。

 

 力者折、気者滞、意者通

 

 これは今朝Hさんにも教えたばかりですが、気が分かるようになった生徒さん達の次のハードルは気を扱いにいかない、気から離れて傍観者になっておく(=意を使う)練習です。その段階にいる代表格は松本君、穂苅さん、しーさん。気を動かせるがために動かしにいってしまうと失敗する。放松の放、放っておく、仏教の捨、どれも同じ態度です。

気は運んではいけない、気は行かせる。

let go

無我

これらと同じ

 

 Sさんが火曜の練習で肩を開けた状態で肘を使わせたらとてもうまく動けていましたが、私が褒めたら、「自分では何もしていません....」と戸惑っていました。実はそれが正しい。自分で正しくやってやろうという時(我がある時)はうまくできない。うまくできる時はうまくできてしまっている....

 無為を創り出す?というこの矛盾は、身体を内側から開けることでクリアしていくのかなぁ、と試行錯誤中です。

 でもその辺りが実は太極拳の醍醐味ではないかと私個人は思っています。

 頭ではどうしようもない身体の世界、いや、頭も身体の一部だから頭を含めた身体から始めてどこまで内側を掘り下げられるか、探求の面白いところ。

 

 と、話を発展させてしまいましたが、明日は今年最後の御苑練習。予定では美系(?)女性3人が練習に来る予定....ゆっくり練習できそうで私も楽しみです。

 

 <追記>

 その後、A氏より生体マトリックス、テンセグリティ理論との相似を指摘されました。

 

2018/12/21 その2

 

 結局、松腰よりも丹田が先、ということで、再度、胡耀贞先生のテキストを見直しました。

馮志強老師のもう一人の師父。気功法の父とも言われている胡耀贞先生。そのベースは道教の修行法。そしてこれが混元太極拳の核心をなしていると言っても過言ではありません。

 胡耀贞先生については津村喬先生のブログに少し紹介があります。http://www.kikoubunka.com/1-4.roushi.html

 

 内丹術、やはり教えるのに苦労するんだ・・・・だから日本の気功は導引ばかり・・・納得(苦笑)

 

 胡耀贞先生のテキストの築基功の部分を生徒さん達に紹介しましたが、その素晴らしさと効果を実感するには毎日たゆまない努力、継続が必要。

 私が1981年に初めて北京に行った時は空気がピンと張りつめた広大な土地の彼方で、朝、気功をしているらしき人影を見たけれども、今の中国は資本主義国家と同じくざわざわしていて、落ち着いて静かに練功するのがなかなか難しくなっていると思います。

 

 

2018/12/21 (Lineの独り言)

 

 今日の練習では私のこれまでの理解の訂正をしました。

 松腰、腰を緩めること、と丹田に気を集めること、この関係。

 劉先生と話したら、まずは丹田に気を溜めろ、松腰は丹田に気が溜まってから、ということでした。

 それを聞いて私はびっくり。先生は私に最初から命門を開かせて腰を緩めることを教えたのになぜ今になって?と、その点を尋ねました。

 

 私がパリで初めて先生のワークショップに参加した際、30人くらいいる生徒さんの中で私の身体は気が充満していたのですぐに先生の目に止まったらしい。(が、上丹田、神がふらふらしてるなぁ、と思ったらしい)

 私は当時38歳。その前に日本で気功や太極拳の練習をすでに7、8年やっていたし自分では意識していなかったけれどもそこそこ基本的な丹田の力はあったよう。

そこで劉先生は私には最初から命門を意識する練習をさせた、ということでした。

逆に言えば、丹田がない、腹に気が溜まっていない、虚弱な状態で腰を緩めさせると、さらに腹が凹んでしまう。

だから最初は真っ直ぐに立って少し身体を緩め、心を腹に置くかのように意念を使って腹に気を落として溜めていく。

ある程度溜まって自然に動くようになるまでは頑張って溜めなければならない。

そのうち自然に丹田が前後に動いて命門に届き出せば命門を意識する練習、そして松腰を行う、との手順でした。

 

 この基本的な気を溜める功法(腹と腰を一個の大きな丹田で繋ぐ、中丹田と下丹田を1つの丹田にする功法)を築基功といい、昔は冬に入門して寒い時期3ヶ月、100日で行う(毎日1時間以上立つ)というのが習わしでした。

(100日というのは30代前半の男性の標準期間。)

今はそこまで真剣にやる武術愛好者は....ドイツ人くらいだ、と馮老師は苦笑いしていた....今の中国でもそんなことをする余裕のある人はなかなかいない。

 

が、本格的な武術家や修行者にならなくとも、毎日立ったり座ったりして少しずつ気を溜めるのは心身の健康にとってとても大事。

 

....と、話は長くなりましたが、本当は練習に来られないO君に書こうと思って書き始めたものをここに載せました。

冬は気を溜めるのに最適な期間。年がら年中暖かかったら気を溜める意義や感覚もなかなか分からない。

 年末年始、一人で練習する場合は是非気を溜めることを念頭において練習してください。(以上、O君を思い浮かべて書きましたが、もし、食べて寝てばかりで動きが少ない人は是非外で動いてください。)

2018/12/19

 

  昨日の練習では腰を緩めることが今一つ分からない生徒さんにそれを理解させるのに四苦八苦。

 そして今日のビデオレッスンでは、練習が進んでいるにも拘わらずタントウ功をしても脈拍が下がらない、という生徒さんの問題に直面。かなり気のことも分かっている生徒さんなのに一体どんなタントウ功をしているのか?と不思議に思い、ビデオをつないだまま30分立ってもらった。

 すると、30分立っても、そのまま!

 腰も緩んでいない、から、気も落ちていない(気沈丹田)。

 これでは入静どころか安静にもなれない・・・。

 

 最近実験的に生徒さんにやらせていた、意で身体を足裏まで包む(意で身体を包み込みながら足裏を内視できれば気が付いてくる)練習にしても、腰が緩まないと、腰より下を見る(内視する)ことはできない。

 

 馮志強老師のテキストに、まず”松腰”から始める、というフレーズがあったのを鮮明に覚えているが、松腰ができなかったら丹田に気も溜まらないし、丹田に気が溜まらなければ更なる松腰もできない。松腰が進めば進むほど丹田の気は増える関係にある。が、松腰を進めるためには丹田の気を頼りにしなければならない。

 鶏と卵の関係?のように思えるけど、おそらく、スタートは松腰、のはず(これは夜にでも師父に確認してみよう)。

 もし丹田から始めたら、うまく松腰につながるかもしれないけれども、間違えた丹田(ギュッと力を入れた丹田、高岡英夫さんの言うところの”拘束丹田”、私の感覚では黒い塊丹田)を作ってしまう可能性もある。丹田は白抜き空間。最初は点のような粒だったりするがそれが膨らんで空間になり、時にはそれがまた一粒丹田に戻ったりする。気の量がとても多ければ大きさは自由自在に変えられ得る(少ないと膨らませると薄くなって分からなくなってしまう)。

 

 今晩の練習でもう一度原点の”松腰”を試してみよう。

 生徒さん達の理解が以前より進んでいますように・・・。

 

2018/12/18

 

 今日は12月中旬とは思えない暖かさ。

・・・と、生徒さん達の丹田への集中は弱くなってしまう。

 

 この前の週末、特に土曜日は北風が吹いてかなり寒かった。子供が現れて元気に走り回ってくれるとほっとする。どうやってサバイブするか・・・そんな練習をすると丹田のありがたさが一気に分かる。頑張った後の生徒さん達のコメント。そして私のメモ。

<以下グループラインから>

 私:今日のイコット広場の練習、強風の中皆よーく頑張りました....強くなった(は)(ず)

 

Tさん:先生のおかげで北風の中でも元気に遊ぶ子どものようになれました!イコット広場に感謝💕

 

Aさん:途中で跳んだ!

まさか、この歳になって、北風に立ち向かう術を習うとは、思いもしませんでしたー。

強くなった私を誰かに見せたい!^ ^

 

私:太極拳の功夫が上がるのは冬。冬の練習があってこその太極拳。自然に立ち向かうと身体は自然に強くなる。温室育ちでは植物も動物も弱くなる。

寒い時に、寒い、ではなく冷たい、で止まれればどうにかなります。丹田に止まれれば自分と冷たいと感じる自分の表面との間に距離がとれるので、寒い、と感じなくて済むはずです。

逆に、寒い、と思ってしまったら丹田から意識は外れてしまってる。

....そんな実験が冬の練習では可能です。

痛みや暑さや寒さと自分との間にクッションを作る、それが丹田を作ることとも言えます。仏教のヴィパッサナー瞑想では観察によって自分と感覚の間の隙間を発見しますが、太極拳、道教の修行法では丹田を作ることによって隙間を作ってしまう。

外側の身体を内側の私が見ている....外側の身体の中の気の流れをその内側の私が見ている....と、徐々にマトリョーシカのようになっていきそうです。

 

2018/12/13
 今日初めてドイツに住む生徒さんとビデオレッスンをした時に書いた図。
  ドイツで簡化24式を習っているとのことでしたが、こんなイメージで太極拳してるのでは? と書いたのが上側、下側の一見しょぼいのが周身一家の太極拳、柔らかく秀美な本来の太極拳です。
ついでに書いたのはお馴染みの丹田図

2018/12/12

 

 先週末は年に一回の皆の集まり、忘年会を開いた。

 本当は時々皆が集まれる機会を作れば良いのだろうが、私が面倒くさがりかつ組織嫌いだからなかなか音頭をとれない。練習の曜日が違うと会う機会があまりないのだが、もう4、5年練習している生徒さん達も増え、いつの間にか気を張らずにしゃべれる仲間になってきた。これならそのうち私が不在でも皆で集まって練習も可能だろう、と嬉しくなった。

 

 練習は相変わらず核心に迫るための寄り道のような練習ばかりしている。

 套路の型も催促されないと教えるのを忘れてしまう。

 毎回毎回、新しいことに気づいてしまうから、一週間経って練習に来ると私がまた違うことを教えていてこんがらがってしまう・・・という声もあるが、もう、それが当たり前、と諦めてしまった生徒さんがほとんどでは?(苦笑)

 

 太極拳の練習は学校の勉強と違って、ステップ1ができなければステップ2に進めない、というものではない。虚霊頂勁ができないと沈肩墜肘ができない、とか、含胸抜背ができないと松腰や松クワができない、とか、全ての要領がマスターできなければ丹田ができない、というようなものではない。全ての要領は円でグルグル繋がっているから、どこからでも始められるし、どこから初めても不完全にしかできないのは仕方がない。どこか仏教の十二縁起のようではないかしら?

 

 

 (図がうまく描けない・・・)

例えばAが虚霊頂勁、Bが沈肩、Cが墜肘 Dが含胸、E抜背、F斂臀、G曲肘、H垂指、I提会陰、J提湧泉・・・

 

などと様々な要領を掲げた場合、最初はなんとなくそれっぽくして全ての要領を回し(一番内側の小さな円)、すると再度同じ要領の練習に戻った時には以前よりももっとしっかりできた感覚が現れる。そして二周目、三週目にやると、あら?これまで思っていた含胸と今回の含胸の感覚が違う、と理解がまた更新され、こうやって、ぐるぐる回しているうちに、全ての要領の感覚がしっかり確実なものになってくる。実際には要領を”クリアした”ということはあり得ないのだろう・・・まだまだ更新される・・・

と、それが面白いところ。

 

 だから同じ練習を初心者とベテランが一緒にすることが可能になる。理解の深さはその人それぞれ。

 昔師父とパリで練習している頃、並んで一緒に動功(双手揉球)をしていてら師父がおもむろに私の方を向いて、「私達は一見同じ動作で練習しているが、やっていることは全く違う。」と言ったことがあった。そして、「同じ練習をしていて、今日と一か月後の感覚が全く同じだったら、それは全く進歩していないし、今と一年後、同じ練習をしているとしたら、進歩どころか退歩しているかもしれない。」と言っていた。

 今はその師父の言葉がとても良く理解できる。

 

 先週、今週、太極拳を練習する人(先生、老師レベルの人も含めて)に多い”脚のねじれ”に注目していた。

 それはまた時間があれば書くことにして・・・

 

 と、今日のビデオレッスンで、ひょんなことからラジオ体操第1の2番目の動作は本当にあれでいいのか?と疑問が起こった。一体あれは何の運動だったのか?太極拳的には、提会陰で身体の軸を整えるタントウ功への準備運動のように思える。このまま手を上げていくと自然にしゃがめてしまう・・・なんて良い運動♪

 と調べたら解説があった。

https://www.jp-life.japanpost.jp/aboutus/csr/radio/abt_csr_rdo_dai1.html#infoBlock2

 

 太極拳をやる人ならこんな屈伸運動はできない・・・身体が拒否する(苦笑)

2018/12/7

 

  気功とは気を操ること。気の身体、エーテル体、第2身体を操ること。

 これに対し、通常の運動は肉体、フィジカル体、目に見える筋肉や皮や骨などを操ることに主眼をおいている。

 

 気が分かりだすと、フィジカル体を動かすのはエーテル体だということが見えてくる。

 フィジカル体が動いていない時にすでに自分の、そして相手のエーテル体が動き出しているのも見えるようになる。

 武術や武道では相手の動きを読む、一足早く知る、自分が相手に察知されないうちに一足早く動く、ということが非常に重要になるから、このような”気”の鍛錬が行われるようになったのも理解できてくる。

 

 20年ほど前に初めてスポーツクラブで太極拳を学んだ時、24式の型を覚えた後知りたくなったのは”意の使い方”だった。その時教えてくれていたのは北京体育大学卒の先生方で、毎日日替わりで3人の先生方が気功や太極拳を教えに来ていた。私はその3人の先生全てと仲良くなって、日課のようにスポーツクラブに行ってはご飯を一緒に食べたり、マッサージ室で雑談したりしていた。

 ある時、もっと先を教えてもらいたい、と一番年配の先生に相談したら、スポーツクラブでは無理だから、自分たちの道場に来なさい、と言われた。が、当時私は子供を産んだばかりで、東京まで通う時間はなかった。仕方ない、と諦めて、そのうち、もっと派手な少林拳に憧れるようになってしばらく太極拳から離れてしまった。

 その後パリで劉師父に出会って本格的に一から太極拳を学ぶことになったのだが、築基功(タントウ功で気を溜めて身体の基礎を築く功法)という日本ではやったことのないキツイ修練からやらされて、肉体の修練でいっぱいいっぱい、やっと気が分かるか分からないか、の時期が続き、昔疑問に思った”意の使い方”などは頭に浮かぶ余地もなくなってしまった。

 

 意のことが改めて浮上したのは5年ほど前。

太極拳には身法、手法、歩法、眼法、があるが、そのうち身法と手法はメジャーだが、歩法となると”師は弟子に歩法は教えず”というほど、真髄を学ぶのが難しくなる。そして眼法になるとさらに学ぶのが困難になる。巷の太極拳の教室では眼は手を見る、などと教えたりしているようだが、眼は意を導くもので、眼法こそが意の使い方なのだから、眼(意)が手を追う、なんていうことはあり得ない。実際、そんな太極拳の演武を見ると目がおろおろして隙だらけ。舞踏にはなり得ても武術にはならない。

 が、目が手を導くと理屈は知っていてもなかなかうまくはいかない。ある時期、自分なりに研究して眼=意を使って動いていたら、師父に気が上に上がって下半身が浮いてると叱られ、間違えたことをするくらいなら、自然にできるまで待とう、とそれ以降、特に眼法の練習をすることはなくなってしまった。

 

 今年パリで師父に学んだ時に、運手の時の目の使い方を修正してもらい、その時眼が身体と引っ張り合いになることを知った。その時はそんな目の使い方がまだ慣れなかったが、その後、静功、瞑想の意の使い方には2種類、サマタ瞑想(1点集中型)とヴィパッサナ―瞑想(観察型)のあることを仏教の勉強から知り、太極拳で使う意の使い方はまさにヴィパッサナ―だと気づいたら、一気に目の使い方、意の使い方がクリアになった。

 そして昨日、一人で練習したら、意で身体を導く感覚が初めて明確に分かった。

 太極拳は気功風にも武術風にもできるが、まず気功風 、即ち、サマタ瞑想的に丹田に集中して気を増やし、丹田が起動し出したら丹田を外さないように丹田と身体の末端を気でつなげて套路をやっていくと、一遍二遍やるうちに気が全身に充満し、身体中の細胞が開いた(身体で周囲の気配が感じられる、身体中の細胞の眼が開いた)感じになる。すると不思議なことに、全身眼になったその時には上丹田の位置に全身の眼を総括したような眼ができている。そうなれば、その上丹田の眼で意を使って套路をすることができる。

 

 昨日は初めて二路の46式を意を使ってやってみたが、そうしたら、これまでの46式とは全くキマリ方が違う! 二路は気ではなく意で動かなければ二路ではない・・・と劉師父に昨夜、そんな話をしたら、一路も本来は意で動くもの、気で動くものではない、と言われた。

 確かに、「力者折、気者滞、意者通」という。

 力で動くものは折れる、気で動くものは滞る、意で動くものは通る・・・

 なぜ気で動いてはいけないのか?とよく思っていたけど、今は気が分かるようになった生徒さん達が気をうにょうにょ操って動く姿を見ながら、それでは頭頂(百会)を失ない上丹田を外してしまうから気が届かない部位が出てくるのが客観的に分かる。気も分からず身体を動かしている(力で動いている)段階よりは高い、が、それは一つの進歩の課程。気の先には意がある。

 意気力、精気神、三つの丹田、

 これらがなければ太極拳、いや、身体が成り立たないのがやっと分かってきたのが嬉しい。

 

 今週のレッスンでは生徒さん達に、少しだけでも眼法、眼の使い方の大事さを教えられたら、と思う。

 

 

2018/12/5

<以下グループラインへの投稿 貼り付けます>

 

今週のレッスン課題は

①馬歩における含胸の意義

②肘は肋骨で押し出す

そして番外編として

③足の指の股は足裏

 

いずれもA君のところで学んだ内容が基本になっています。

解剖学的な見地から見た身体の合理的な使い方が太極拳の要領とピッタリ一致しているのはとても嬉しい😊

 

①②の課題を深めると手や腕の力は足脚の力、上半身は軽く下半身は重く、それで全身が一つになるのだと分かります。

普段から足で手を使えればとても健康的。血圧も上がらないだろうなぁ。

 

さっきのビデオレッスンでは太極円の練習をしながら手から足までの勁を繋げることに挑戦しました。

手足の連結は胆経の路線が要になります。

頭の中に少し図を入れておいて下さい。(胆経のイラスト図入り)

 

 <補足>胆経の太腿の横ラインを使えるかどうか、脇が使えるかどうか、足の薬指に力が入るか、このあたりが盲点。太極拳、膀胱経がある程度通したら、胆経を通す。ここを通せないと股関節や膝、腰を痛めてしまう。

2018/12/1

 

 しばらくソウルにいたりして、何だか慌ただしい。

 

 足の扣の話は私の中で大きな広がりと混乱をもたらしたが、、先週、私の生徒第一号のカイロプラクティショナーであり鍼灸師でありその他諸々の資格をもつ身体のスペシャリストの男性が数年ぶりに練習に参加してくれたことで、思いがけない展開に・・・。

 扣だけでなく、含胸、墜肘、塌腰、敛臀、抜背・・・様々な太極拳の要領が実は太極拳の要領なのではなく、身体の構造上、そうせざるを得ない、そうしなければ身体のどこかに負担をかけて傷めてしまうのだ、ということが分かってしまった。

 

 中国の古人は、筋肉や骨や神経や筋膜やらの解剖学的知識がなくても、身体の中の気の走行やツボの感覚を見ながら、身体はこう使うべき、という知恵を得て、それを後世に言い伝えてきたのだろう。現代では身体の使い方が医学的、解剖学的に骨や筋肉、スジや筋膜の観点から説明できるが、それを自分の身体の内側を見ることで解読していったのは凄いことだ。

 

 私達が主体的に身体を動かすときに意識するものは何だろう?

 例えば右手の親指を動かす時、もし、”親指”をあげようとすると、脳から親指に直接命令が送られたようになる。その時私達が意識するのは親指の外枠。

 では、親指の”骨”を動かそうとするとどうか?

 すると、私達はまず親指の中にある親指の骨を探さなければならない。この探す作業の時、私達の感覚は親指の内側を探る、即ち、意識は親指の内側に入り込むことになる。そして実際に親指の骨を動かすときは、内側(の骨)から親指を動かすようになる。

 

 私たちの身体の動作は全て、意(動け、という脳の指令)→エネルギー →パワー(その部位が動く)、即ち、太極拳で言うところの、意→気→力、となっている。

 朝起きた時にまだ身体がだるくて、起きなきゃ、と思っても起き上がれないのは、意があっても気が足りないから。目覚ましが鳴っていよいよ起きなければ遅刻してしまうという時になって、マジで起きるぞー!と意が強くなった時に気(エネルギー)も動いて身体を起き上がらせることができる。しかし、もし首より下に麻酔がかけられていたら、どれだけ意を強くしたところで気が流れないから身体は操作できない。

 神経が損傷していたり、動かしたい部位へのエネルギーの道が開通していなければ(例えば耳たぶ)その部位を動かそうと強く念じても動かない。また、意識できない箇所は動かせない(例えば命門などのツボ。意識できなければ気を届けることも動かすこともできない。)

 

 また、日常生活で慣れた動作を行う時は往々にして身体を外側から動かしたようになっている。この時、意や気については無意識なので、動作は雑で滑らかさに欠けスキがある。心もこもらないものになる。重いものを持ち上げてぎっくり腰になるのは外から身体を動かした時。なぜなら気を十分に腰に送り込む前に物を持ち上げてしまったから。意と気を意識していれば、重すぎるものは持たないと身体が自動的にストップをかけてくれる。

 

 太極拳においては身体は全て内側から動かすのだが、そうすれば全ての動きが、意→気→力となっているのが見える。そして更に見ればその”意”の出どころは脳内の上丹田であることも、エネルギーの気の出どころは腹の中丹田であることも、下半身を動かすには下丹田が必要となることも、全て古来から伝わる通りだ、と納得できる。

 

 現代は医学がものすごく発達しているから、親指を動かすのに私達の脳や身体の中でどのような動きが起こっているのか、非常に詳細に説明ができるようになっている。しかし、それらの知識は医者や治療家が使えても、動く側の私達にとっては細かすぎてその知識を使って身体を操作することは実際不可能に近い。今回、治療家の生徒さんから身体の動きのメカニズムについて様々な話を聞いて分かったのは、結局、太極拳などの実践家は、最終的には丹田を操れば身体の隅々までが操れるような体系を作り出したということ。全てを丹田に結び付けるために個々の要領がある。どれかの要領を外すと体系が崩れてしまうということになる。

 

http://www.nmnweb.net/exercise/makuchokin.html
http://www.nmnweb.net/exercise/makuchokin.html

 最後に私が治療家の生徒さんから聞いて目から鱗だった話を一つ。それは、太極拳を真剣に学ぶ人に多い膝や股関節の故障の原因は馬歩にあるのでは、という意見。

 多くの太極拳をする人が馬歩の時に背中を真っ直ぐピーンと立てて含胸をやっていない。しかし、含胸をせずに馬歩をすると中殿筋と大腿筋膜張筋が癒着したように固まって股関節が回転しなくなる。お尻や太ももが硬くなる。このまま練習しているといずれ故障が起こる。(左の図:http://www.nmnweb.net/exercise/makuchokin.html)

 ここで大事なのが含胸。含胸をちゃんとやれば、抜背 敛臀が起こって不思議なほどにお尻(股関節)が緩んで回転してくれる。全身も一つになってしまう。

 

 

              その他にも目から鱗がいくつかあったのだが、続きはレッスンで。

 

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練習のバイブル本

 『陳式太極拳入門』

       馮志強老師著

ようせいフォーラム2017プログラム
3月4日(土)にパネリストとして参加しました。
ようせいフォーラム2017プログラム.pdf
PDFファイル 3.1 MB

 

2012/3/20

日本養生学会第13回大会で研究発表をしました。

発表の抄録、資料はこちら