2016年9月

2016/9/23 <自然と一体になる、外の自分、神、虚、霊>

 

 今日も朝から今にも雨が降りそうな天気だったが、”古い”生徒さん2人だけが参加するということだったので、思い切って御苑練習にした。

 いつもの場所は案の定、水溜りだらけ。小雨も振り出したので御苑奥の方にある大きな東屋に移動した。

 

 雨の日の御苑は人が少なくてとても風情がある。

 といっても、最近は外国人観光客がとても増え、彼らは暑かろうが寒かろうが雨が降ろうが観光を貫徹させるべく御苑にやってくる。

 雨の日に日本庭園と池を見渡しながらの練習は人を沈静化させる。

 見渡す限りの緑と空と池の青色。

 私達、人がいなければそれだけで風景は天国のように美しい・・・。

 

 私達三人がシーンと立っていると、後からその建物を訪れた観光客も思わず小声になったり、話すのを止めたりする。

 気遣ってくれているのか、その場の神聖な空気を感じているのか、はたまた、そこに”日本”を感じているのかは分からないが。

 が、私達やその場の雰囲気に拘わらず、大声でしゃべりながら入ってきて騒いで帰る観光客もいる。大抵は私にとても馴染みのある国の人達だが、その場の雰囲気を読む、なんてしていたらその国では生活できないのを私も知っているから、まあ、仕方がない、と思う。

 

 が、観光客より何より、その場で一番恐れているのは蚊だ。

 今日もまだいた!タントウ功中、あっと思ったら蚊が腕に止まっている。

 その後動功をしていたが、やはり蚊の攻撃が絶えない。

 と、外を見るとそれほど雨は降っていない。

 フランスなら傘をさしている方がおかしく思われるような小雨だ。

 よし、芝生に行こう!、と生徒さんを誘ってその場を去った。

 

 さて芝生。いつもなら日差しを避けて木陰を探すのだが、今日はその心配もない。大胆に芝生のど真ん中に陣取る。

 以前ロンドンのハイドパークで、だだっ広い芝生の中、上はただ空、雷が落ちるのはこんな場所?と思いながら練習したことがあったが、今日の場所はややそれを縮小したような場所だった。

 かなり広い空間で、三方は緑、南一方だけが開けて四谷のビル群が彼方に見える。

 

 最初はセオリー通り南を向いて24式をやってみた。

 第10式までやったところで、ダメだ~、ビルの風景が悪すぎる!、と正面の方角を変えた。

 視界というのは無意識的に身体の感覚を変えてしまう。

 木々の緑を視界に入れ、木々の呼吸、気、そのリズムに自分を合わせる。

 木と芝生と空、そこに自分を馴染ませ溶け込ませていく。

 溶けてしまうと自分の身体の輪郭が曖昧になり、誰が身体を動かしているのか分からなくなる。

 自分はいるのだが、自分はもはや身体の中にはいない。

 身体の外、上方から自分を見ている自分。

 その時自分はそこら一帯に広がっている。

 

 久しぶりのこの感覚。

 以前一人で御苑でタントウ功をしていて、木々やそのあたりの自然の精のようなものに同化していたら、人が来た時に思わず「あっ、人間が来た!」と感じたことがあった。

 本来の自然に戻った時、人間が如何に自然から浮き出てしまっているかがはっきり分かる。

 武術の技や表演会の練習ならずっと室内でも構わないのかもしれないが、養生法となると自然の中に身を置くのが最も効果的だ。何もしないで坐っているだけでも身体は自然に本来のペースに戻っていく(頭の中でごちゃごちゃ考えていないことが前提。うわ~っ、きれい、と自然に感嘆したらその感嘆を持続させて言葉が出てこないようにするのがコツ)。

 

 太極拳の”太”は”大”と”小”を組み合わせてできている。

 意味は、大より大きく、小より小さい、即ち、極大~極小、だ。

 丹田が針の先より小さくなるように自分の意識が自分の内奥に引っ込んでしまうこともあれば、丹田が自分の身体を超えて広がって自分の意識も外に出てしまうこともある。

 見取り図としては、下丹田=精、中丹田=気、そしてこの腹の精気が上丹田(眉間奥)に届くと”神”となり、ここで心身を操る”神”=意、が活性化する。

 雑念を無くすのも、身体を動かすのも、この”神”の命令による。

 この”神”が弱い(活性化していない)と、好き放題に思考が浮かび、好き放題の身体の動きが表れてしまう(貧乏ゆすりや不注意な言葉など)。

 動物的な身体の頑丈さは”精””気”が大事だが、ここに人間的な意識による心身のコントロールを加えるなら”神”まで念頭に置いた練習が必要になる。私達の病気の大半が心的なものだったりすることを考えれば、心のコントロールは何にも増して大事だろう。

 

 そして通常はあまり真剣に練習しないが、その”神”の先に”虚”と”霊”がある。

 これはいずれも頭頂の百会ツボより上にあるツボだ。

(インドのあるグルの講話を聴いていたら、頭頂のサハスラーラチャクラ(百会)の外に更にチャクラが2つあると言っていた。その後少し調べたら、2つどころか、4つや、6つ、仏教では32個だとか、しまいにはチャクラは身体の上方にも下方にも無限にある、とも言ったりする・・・これは人間の進化段階と関係してくるような話になってくるよう。)

 今日のタントウ功では”神”の意思なり意志(will power)をさらにコントロールしている何かが自分の外(上)にいるのを感じていたが、それが霊=spirit なのかもしれない。

 とすると、その後芝生で24式をやった時に自分が自然と一体化したのも納得がいく。

 

 室内練習は自分の内側の核心(魂:soulみたいなもの?)が分かりやすいし、自然の中での練習は、外の自分(霊:spirit?)が分かりやすいのかもしれない、と感じた一日。

 少しずつパズルが解けていくようで面白いが、感覚がかなり主観的になるので頼りになる文献などを参照しながら慎重に進んで行かなければならないと思う。

 

2016/9/21 <韓国でみた姿勢>

 

 前回から随分時間が経ってしまった。

 その間、事実上初めての韓国(ソウル)滞在をしたりして、そこでは私にとって衝撃的とも言える、韓国人の”腰”を見てしまった。

 

 最初に違和感を感じたのは地下鉄の中。

 一見日本の地下鉄と変わりがないのだが、幾分男性が大きめで坐っているのもなんだか窮屈そう。

 噂には聞いていたが、韓国人男性は日本人よりガタイが良い・・・と、坐っている列を眺めていると、なんだか凸凹感がある。何か変・・・更に良く見てみると、坐っている男性の半数は背もたれを使わず身を乗り出して、所謂”腰をかけるように”坐っている。いつぞやのブログで紹介した、アイススケートの羽生君や宇野君の坐り方、即ち、骨盤がしっかり立ち上がった坐り方だ。

 

 その後ご飯を食べに近くの焼き肉屋に行く。

 店内を見ると、やはり、”腰かけて”坐っているおっちゃん達がマッコリを飲みながらご飯を食べている。大男4人が一つのテーブルを囲んでいたが、みなしっかり骨盤が立ち上がって真っ直ぐ坐っている。椅子の背もたれはもはや不必要。

 中国では炉端の食堂のみならず5つ星ホテルの中のレストランでさえ、身をかがめて猫背になってご飯をかき込む中国人の姿を見ていたから、この韓国人達の姿勢の良さにはビックリ。

 この姿勢を自然に維持するには腹の気が相当充実していなければならない。

 腹が強いから腰も強くなる。後ろから見た彼らの腰の安定感は(老人でさえ)日本人の比ではない。

 

 市場を観察。

 しゃがんで野菜を洗っているお婆さんの腰が立派なこと!

 しっかり股を割って腹・腰を立てたまましゃがんでいる。そのまま相撲部屋に行って突きや押し出しができそうな足腰だ。

 このしゃがみ方は中国や東南アジアで見かける、背中を丸くしたしゃがみ方とは全く違う。後頭部からお尻までが一直線、のしゃがみ方、だ。

 

 街角で見かけたそんな”模範的な”姿勢をカメラに収めようと思ったのだが、なかなか写すタイミングが掴めず今回は断念。

 

 百貨店の洗面所で見かけた若い女性2人は、ともに腰に片手をあて、両足をバレエの第2ポジションのように大きく横に広げ、腰を伸ばし気味にして腹・腰まで脚を引き上げるようにして立ったまま歯を磨いていた。後ろから見ていて、日本ではあり得ない姿だ・・・・、と似ているようで似ていない韓国人を興味深く思った。

 

 日本に戻ってくると、ほとんどの女性の骨盤は後ろに落ちて腹が凹み、膝が曲がったまま歩くような光景になる。男性はまだマシだがそれでも女性のようになっている男性も少なくない。

 外国人が日本に来ると日本人の(特に女性の)歩き姿に違和感を感じるようだが、どうして日本人は腹を立てて堂々と立ち、歩けないのか?

 私の娘が4年フランスで暮らして小学6年生で日本に戻ってきたとき、あっという間に姿勢が悪くなった。彼女に尋ねたら、「堂々と真っ直ぐしていたら、生意気だと思われてしまう。」と答えていた。少し身をかがめるようにして自分を幾分低く見せるのが日本的な謙遜の文化なのかもしれない。

 

 背骨を真っ直ぐ立てて立とうとして、すぐに胸を張りだそうとする人もいる。

 胸を張り出しても背骨は真っ直ぐにならないし、それはシンクロナイズド・スイミングの登場シーン如く、とても不自然な空威張りのようになって日常では使えない。

 背骨を真っ直ぐ立てるにはまず骨盤を立ち上げること。

 骨盤をコロンと立ち上げるには腹圧が必要=腹の気が必要、になる。

 

 先週あたりから肋骨と骨盤の間を広げる練習をしているが、腹の気をため腹腰を充実させるには肋骨が下がってこないようにする必要がある。

 腹の気がある程度溜まってきたら肋骨にも通して内側から柔軟にしていくようにする。

 肋骨(胸椎)の柔軟性についてはまた別の機会に。

 

<写真について>

どれもソウルにある国立博物館で移したもの。

冒頭の写真の仏像の姿勢、腰つきが骨盤が立ちあがった模範的なもの。

下の仏像達は、背中が丸めだったり、首が出ていたり、後ろに倒れそうだったり・・・いろいろ。

 

2016/9/5 <纏糸勁の前提としての松、本能の改革、放下>

 

 前回書いたブログは迂闊な操作ミスから消えてしまいました。

 確か、混元円から纏糸勁による円への移行、一路から二路への移行についてちょっとした考察を書いたはず。

 

 陳式太極拳の一番の特徴といえる纏糸勁は丹田の気を四肢の末端へ素早く効果的に伝える技術。

(丹田からの力が)全ての関節を通過し、筋肉が”伸びた”時に爆発力となる、そのためには前段階として関節の隙間を空ける練習と筋を伸ばす練習をしなければならない。

 これが一路で徹底的に練習する『松』や『柔』の意義。

 

 私達は拳を握って生まれてくる。握って力む=筋肉を収縮させる、ことはDNAにインプットされた防衛本能からくるのかもしれない。

 何か危険を感じれば筋肉は収縮する。

 相手から急に殴られそうになったら当然身体はギュッと強張るだろう・・・・なのに、太極拳では殴られそうになっても(殴られても)”松”しておけという。

 とっさに起こる身体の自然な防衛反応を脳からの指令で変えてしまおうという意図のよう(最後にはそれば無意識で行われるようにまでもっていく)。

 

 「はーい、力を抜いて~」と注射の時には良く言われたもの。筋肉をギュッと収縮させないよう、”がんばって”力を抜いた(抜こうとした)覚えがある人も多いのでは?(出産でさえ、はーい、力を抜いて~、だったような?)

 力むと痛みは増える。力を抜けば痛みは減る。

 きっと太極拳は『暖簾に腕押し』の原理なんだろうと思う。

 柔らかければ刺激を内側に吸収できる。硬いと反射的に反応してしまう。

 武術の面で言えば、ツボを攻められてそこで痛みのため筋肉を収縮させていては相手にスキを与えてしまう。

 

 痛みなり刺激を内側に引き込んで白紙化してしまう技、それは身体自体の弾力性(クッション)に加え、意を中枢神経(背骨)なり丹田なりの中心に集めておけるか否かにかかっている。

 身体の表面の知覚神経に意識を散らしていてはこの技の習得はできない。すべてを中心奥深くで束ねる、これが進めばヨガ行者がやるような五感の制御も可能なのかもしれない。

 タントウ功はそんな意識の統御の練習も兼ねている。

 

 実際問題として、日常生活で急に身体を攻められる機会は極めて少ない。

 技が使えるのは注射や歯医者での治療、不快な身体の症状がある時などだろうが、これもかなりの修行。(麻酔なしで手術を受ける、なんていうのもこの技を極めたらできるようになるのか?)

 もっと一般的に使えるのは、社会生活において他人から言葉なり態度で一種の攻撃(ストレス)を受けた時だろう。ストレスを引き込んで無にしてしまう、そんな技が習得できたら怖いものなし、だ。

 

 要はいちいち反応しない。

 仏教においては『放下』:手を放す、捨てる、ことを強調するが、多少そんなメンタリティにならないと身体の力も抜けないし筋肉も伸長しないし、よって発勁もできないのではないか、と思ったりする。

 とすると、もしかして”松”の練習をしながら終には自我も消していくのかしらん?

 ・・・すごい太極拳のマスターは”気配がない”、とか言うから、それもまんざら論理の飛躍ではなさそうだ。

 

追記

1.私達は拳を握って生まれ、手を開いて死ぬ、という。

”放下”は通常死ぬ時になって起こるものだが・・。

 

2.どんな時にも”松”できるためにはそれを支える実力と自信が必要なのも事実。

  強くなければ”松”はできない。

 

 

 

 

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2012/3/20

日本養生学会第13回大会で研究発表をしました。

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