2016年7月

2016/7/22 <混元太極拳の継承の現状、今後の教え方の検討>

 

 北京の混元太極拳本部に行って館長及び館長をサポートする先生方と話してみると、馮志強老師がなくなって4年が過ぎた現在、馮老師が残した壮大な混元太極拳の世界をどのように継承していくのか、いけるのか、は切実な問題になっているのがよく分かった。

 馮志強老師を第一代目として、第二代目の老師方の水準はまちまちで、特に馮志強老師が高齢になってからは自らが育てた者でなくても簡単に弟子として認めてしまった感があり、馮志強老師を継承したとその世界で認められているのは私が会いに行った陳項老師だけなのかもしれない。ただ、その陳項老師も独自路線を歩いているから、核心は継いでも外形は馮志強老師とかなり変わったものになっている。

 その他の実力のある第二代目の老師たちは中国各地に散らばっていて北京本部の求心力はいささか落ちてきているようだ。

 

 馮志強老師は実践が強く、そこに鍛えた身体と身に着けた技、理論、そして人格の素晴らしさ、魅力が兼ね備わっていた。どの一面をとってもとても高いレベルで、そのうちのただ一つの面だけでも第二代目の老師達が継承するのは難しかったに違いない。馮志強老師の天性的な要因もあれば、当時の環境、師との縁など様々な要因が作用している。第二代目(現在大体60代から70代の老師達)ですでに薄まりつつあるものが、第三代目になると、資本主義国家以上に競争の激しい中国社会でゆっくり気を練る時間などなくなってしまっているのだから、馮志強老師に追いつくような人材はなかなか出てこないと思う。

 若い頃から武術の好きな若者は技と力に傾倒しがちだし、健康を損なって練習を始めたものは技とは関係ない養生気功としての太極拳を学ぶことだろう。

 武芸と気功法を共に制するのは至難の業。

 

 

 ただ、どんな老師達も歳をとるにつれ養生法としての太極拳に移行していく。馮志強老師も陳項老師も例に漏れない。

 陳家沟の4人の看板老師達も60歳を越えて立てつづけに新しいDVDを発売、どの老師も、それまでの発勁と剛のイメージから柔らかく力を抜いたイメージに変わっていた。

 歳をとってまで技を使って誰かをやっつけたいと思うようでは成長が足りないし、口には出さなくても老師達も腰痛や疲れなど身体の衰えを感じてくるはずだから戦闘よりも大事な養生に関心が高くなるのは当然のことだ。

 

 北京から戻って、さて、私自身はどのようにこの太極拳を学び、そして教えていこうか?、とスタートラインに立ったような気がしている。

 まだ学ぶべきものはあっても、もう頼るべき人はいないのかもしれない。

 基本的な材料はもう揃っている。

 自分でこれまで学んできたことを自分なりにまとめなければならない。

 学んだことをそのまま生徒さんに教える、という段階は卒業する時期なのかもしれない。

 

 と、そんなことを考えていたらふとアイデアが湧いてきた。

 これまでこのブログの読者で遠方に住んでいる方がわざわざ東京までレッスンを受けに来てくれることが多々あった。交通費がもったいないのは勿論だが、私にとっての懸念はたった1度や2度のレッスンで本当に収穫があるのか?ということだった。

 では、近い将来、そんな遠方の生徒さんを念頭にオンラインでレッスンをするのはいかがなものか?

 動画やスカイプを駆使して何かできないか?

 例えば内功編と套路篇(13式か24式)を作って、ある一定の期間内に一通り学べるようなカリキュラムを作る。そして前もってお手本の動画で予習しておいてもらい、その後スカイプでレッスンをする。週一とか不定期とか・・・。

 これをすることで私自身にもカリキュラム作成を真面目に考える、という、これまで避けてきた課題に向き合わなければならなくなる。

 合わせて、身体に具体的な不調のある人の場合はそれに合ったメニューを作る、ということも可能かも?

 

 まだアイデアの段階ですが、もしそんな形態のレッスンに興味のある方がいれば、どうぞ私にご一報下さい。いろいろな意見を頂ければありがたいです。真剣に検討しますので。

 

 

 

2016/7/21 <熱いけど暑くない、自分を自分の身体から引き離す>

 

 今日は雨で涼しいが、東京はまだ梅雨が明けていないとはいいつつも既に何度か気温が高い暑い日があった。梅雨が明ければ夏本番。

 

 子供の頃は夏は暑いが不快感がそれほどではなかった気がする。

どちらかと言えば寒いのが嫌いな私は冬の思い出は暗く、夏の思い出は明るく楽しいもののようだ。

 昔に比べれば夏の気温が5度くらい上がってしまったから、この気温の上昇に耐えられない人も多いのは事実。実際、私の生徒さんの中にもこの数年、夏の時期は辛いので練習をお休みしたい、と言う人が出ている。35度で外の練習は私でも気を付けるが、多少冷房の効いた室内の練習でもダメだとしたら夏の間どのように過ごすのかしら?と気の毒に思ったりする。

 

 先日、ほっちさんが仲間のページに、熱いと思っても暑くなくなった、という投稿をしてくれた。

 私はそれを見てとても嬉しくなった。

 ほっちさんは練習を始めた頃は専ら屋内練習派で、屋外の練習には出たくないというオーラを出していたように記憶している。ところがある時から日曜朝の屋内施設が借りられなくなってしまい、仕方なく御苑の屋外練習に参加するようになった。最初は寒さや暑さを怖がっていたのかもしれない。が、実際に屋外で練習してみると、思っていた以上に緑の中で練習することが気持ち良く、心身に良い影響を及ぼすのを実感できたのだろう。結局は屋内練習の時よりも練習に意欲的に取り組むようになった。そして、コンスタントに週に一回の練習を黙々と続け、次第に、徐々に自信がつきどこか強さを感じる女性になっていた。

 一昨年の冬の練習日、とても風が強く他の生徒さんが皆欠席だった日、その中で唯一現れたのが彼女だった。こんなに悪条件の時に彼女は大丈夫なのだろうか?と私は少し弱そうな彼女を心配しながら練習した覚えがある。でも、その時既に彼女の強さが形成されつつあったのだろう。今思えば、当時の彼女の外から見る身体はか細く弱そうでも、それを補うだけの精神力があったに違いない。精神力、意の強さが身体を引っ張ってきた、彼女を見るとそんな風に思う。

 

 そしてそんな彼女が、今では熱さと暑さを区別できるようにまでなっている。これは身体だけでなく、心意を使って練習をしている証拠であり、効果でもある。あっぱれ、と思わず言いたくなった。

 

 ”太極拳の練習がスポーツではないのは、そこに意念の鍛錬があるから。

 意念の操作なく太極拳の形を練習すればそれはただの運動やスポーツ、若しくは踊りに過ぎない。丹田に気を溜める、という第一ステップには意識のコントロール、意念の集中が含まれている。頭の中が散漫になっていれば気を感じることはできない。

 内気が感じられるようになる頃には意を丹田に引きつけたままにすることができるようになっている(意を丹田から外せば気を見失ってしまう)。

 意を丹田に引き付けておくと(意と気を合わせておく)、自分で自分の身体をあたかも他人の身体のように内側から見ることができるようになる。”自分”(自分の中核)と自分の身体が分離したものとして感じられるようになる。自分は自分の身体の傍観者になる。

 こうなってくると、外の気温が高い場合、身体が熱く感じていることを、内側の自分が客観的に冷めて見ているような状態になる。身体と自分が分離せず、ぐちゃっとくっついてしまっていると、身体の熱さそのまま”暑い!”と感じられてしまう。

 

 気を感じる練習というのは自分は自分の身体でないことを知る第一歩目の練習だ。

 気の流れを冷静に見ている自分、その自分は誰?と奥へ奥へと突き刺していくと、そこに空なり無なりの空間が広がり、そこからすべてが現れてくるのだろうと思われるような場所を垣間見る。

太極拳の形は無極から生まれるという、それもそこから。そして私も、他の生命体も、なにもかもそこから、なのだろう。

 

 と、あまり形而上学的なことを言うよりも、まずは自分の中心と身体を分離できるようになり、自分の核が身体をコントロールできるような練習をしなければならない。

 そのような練習をしているうちに、次第に自分の思考を自分の核がコントロールできるようにもっていく。自分の核が自分の身体と同様、思考からも分離していることが見えてくればそれは可能。考えたくないことは考えない、考えたいことを考える、それが意識的にできるようになればストレスはゼロ!心身の健康にものすごくよい影響を与える。

 そして難易度は上がるが、自分の感情をも自分の核から引き離して見ることのできるようになれば、感情も自分でコントロールできる。どんなに嫌なことがあっても感情を不快にする必要はない。自分の好きな感情を自分で作り出せたらどんなに良いだろう。

 

 と、私の練習もまだまだ道半ばだが、ある程度身体が動かせるようになったら是非マインドや感情まで練習を広げたいもの。

 あるヨガのグルが、大人になってもまだ思考や感情のコントロールができないのは教育が間違えている、と言っていた。身体は老いとともに衰えるにしても、思考や感情のコントロール能力は上げていかなければならない。(ついでに言えば、この練習を続けても自分の思考や感情が野放し状態のままだとしたらやり方が間違えている。)

 

 日本のテレビの天気予報は、雨だと悲しそうに伝え、晴れなら嬉しそうに伝える。少し暑いと大事件が起こったかのようなトーンで原稿を読み、少し寒いとご愁傷さまのような寂しいトーンを使う。私が知っている他の国々の天気予報はただの報道。寒かろうが暑かろうが大風だろうが、一定のトーン。天気で一喜一憂はしない。

 外の環境の変化に敏感なのは良いことだが、それは決して感情を揺らすことではなく、身体をそれに適合させるための敏感さ、と捉えるべきだと思う。

 

 ほっちさんも言っていたが、これからの気候変動では適合できない者が淘汰されてしまう。

 身体と意(俗にいう気概のようなもの)を鍛えなければならない。

 

2016/7/18 <陳項老師とのタントウ功>

 

 北京から戻ってこの3日間、生徒さん達に早速、陳項老師から学んだタントウ功を試してもらった。

 これまでのタントウ功と全く違う立ち方に、どの曜日の生徒さんも、しっくり派とうまく馴染まない派に二分されたようだ。

 

 陳項老師のタントウ功は歩幅も狭く内股気味。現地では、陳項老師は私を武館の隅っこに連れて行きそこで至近距離で向かい合いに立たれた。そしておもむろにタントウ功が始まったのだが、こんな風に接近して向かい合ったまま立ち続けるのは初めて。しかも相手は陳項老師ということで最初は少しドキっとした。が、老師は間髪入れず入静状態に入るための身体の要領を見せてくれたので、私も緊張する間もなくすっと安静状態に入ることができた。

 

 その後老師はある音と呼吸を使って心意を丹田まで降ろす方法を教えてくれた。私はただ言われるがままにやったのだが、これは本当に効果があった!帰国して試せば試すほどその方法の含みがより明らかになってくる。結局、今回私が陳項老師に会って知りたかったことが、言葉の回答としてではなくこの要領でほとんど答えられてしまっているのではないかと思うほどだ。

 

 陳項老師との向かい合ったままのタントウ功は一時間ちょっとになったが(30分程立った後は次第に微動が始まり最終的には太極円につながっていった)、後で知ったところによると、その間、何度か馮秀芳館長や他の若い先生達が私達二人の様子を見に来ていた。練習後の雑談で、館長は私達二人がずっと入静状態に入っていたのに感動した、と言い、それを受けて陳項老師は私の『定性』(入静状態に入ってからぶれずにいる集中力)と気の感覚が良いと褒めてくれた。

 私は陳項老師に、「うまくいったのは陳項老師と一緒に立ったからではないでしょうか?」と尋ねたら、「もちろんそれもあるだろう。」と答えて、老師はその場に居合わせた館長等に向かって、タントウ功前に私の質問に答えてくれた際の”性”(道教の『性命双修』の”性”、一般的には”心”と同義に解されたりする)の話を再度説明し出した(私は練習に、”心”、”意”。”神”、”性”の関係、違いを質問していた。その回答についてはここでは割愛)。

 私は何故老師がその話を持ち出したのかその場では分からなかったが、後で話をつなぎ合わせると・・・”性”には多少男女感に起こる感覚も含まれていてそれが丹田に降りた際には”愉”や”楽”の感覚が生まれる(それが気の元になる?)、男女が一緒に練功を行うとお互の気が交流し”愉”や”楽”の感覚を生まれやすくなるため一人で練習するよりも気をより増やすことができる・・・ということらしい(この手の理論は劉師父からも聞いたことがある)。

 確かに二人で向かい合って行うタントウ功は横で並んで行うタントウ功とは心理的にも生理的にも違う作用があった。

 そう言えば陳項老師は、練功が正しいか正しくないかは生理反応があるかないかで判断できる、と言っていた。生理反応がないような練功は間違えているということだ。

 

 今回学んだタントウ功は私にとっては大きな転換点になるようなもののような気がする。

 陳項老師は計三回、私の目を見て、「一日たりともこの練習を怠ってはいけない。(生徒さんを教える時間とは別に)毎日一人で1時間はやりなさい。」と同じことを繰り返し念を押すように言った。

 約束は果たさなければならない。

 

 

 

2016/7/14 <北京から帰国>

 

 昨日、一昨日と北京の馮志強老師の武館を訪ねた。

 

 訪問の経緯、レッスンの詳細はまた後で書くことにして、何といっても今回の目玉は陳項老師とのマンツーマンレッスン。

 陳項老師は馮志強老師の一番弟子だったが馮志強老師亡き後武館を継承することはなく、武館のメインの教練として名を連ねているもののどちらかと言えば一人独自の練習と活動をされているらしい。

 

 今回は武館の現在の館長、馮秀芳老師(馮志強老師の長女)、その長男の高原老師、そして馮志強老師の4女の長男の馮彦博老師、これら武館を切り盛りする3人がお世話をしてくれた。

 若い馮彦博老師には内功と八法のおさらいをしてもらい、高原老師には尺を教わった。

そして陳項老師とのマンツーマンレッスンの実現に向けては馮秀芳老師が仲介役をしてくれた。

 

 陳項老師は弟子以外にはほとんどレッスンをしないらしく、武館の老師達も前日まで、「ひょっとしたら陳項老師は来られないかもしれないから、その時は・・・」と私に理解を求めるような口ぶりで話すことも何度かあった。次第に分かってきたのは、陳項老師に直接コンタクトをとることができるのは馮秀芳老師だけで、他の若い先生方にとっては陳項老師はやはり師であり格上の存在だということだった。

 「私もよくもまあ、名指しで陳項先生と個人レッスンをしたい、なんて言ったものだ・・・。」と気恥ずかしさが増しに増したが、それでも一応陳項老師がOKを出してくれたのは、私が日本人だから?、と、よく分からないまま、とりあえず当日老師が現れるのを皆で待っていた。

 

 そして約束通り陳項老師はやってきた!

 最初に私が質問したいことを質問する、ということで坐って話をした。

 道教の修行法について、心、意、神、性の違い、意味について、話は道教から儒教、陽明学、仏教、そしてキリスト教まで及び、話を聞いているだけでも頭の中で世界が広がった。

 その後、じゃあ、一緒に練功をしよう、といって至近距離で向き合ってタントウ功から始めた。

 立ち方、息の仕方、意念、の指示があり、そこからは、ただひたすら老師に合わせていった。

 ・・・このあたりはまた改めて書くことにしよう・・・。

 

 初めての感覚。老師に引っ張られたのかもしれないが、丹田の膨らみが自然にこんなに出てくるなんて。”自然”にやることの大事さを知ったのだが、”自然”とやるためにはそれなりの方法があることも知った。

 続きはまた後で。

 

 

 

2016/7/6 <『松』、『鬆』の意味>

 

 この練習で当たり前のように使っている『放松』(ファンソン)という言葉。

”松”という状態にする、という意味で、『松』(ソン)自体に、リラックスするとか余計な力を抜くとか、そういう意味がある。

 

 太極拳においてこの『松』は決してダラ~っとした脱力状態ではなく、単純にリラックスとも言えないのだが、その説明を始めると泥沼化しそうなのでここでは立ち入らない(私自身、完璧に『松』が分かっているとは言えないと思う)。

 

 とは言っても、何でそもそも”松”に力を抜くというような意味があるのか?日本語の”松”にはそんな意味は見当たらない。最近練習を始めた生徒さんが『放松(ファンソン)』を『放村?』と当て字をしていたなんていう話を小耳にはさんだので、私も改めて『松』の語源を調べてみることにした。

 

(以下、『象形字典』を参照した結果の大体の説明)

 植物の”松”の漢字から成り立った文字に”鬆”という漢字があった(発音は共にsong)。

 ”鬆”は”髪”と”松”を組み合わせたもので、当初の意味は、髪の毛が松の針のような葉のごとく逆立つ様、髪を振り乱す様を表していた。この、髪がほつれて乱れている、ばさばさな感じから次第に解釈が拡大し、緊張のない寛容な様、という意味を持つようになった。

 現在では”鬆”は簡体字化され”松”になってしまったため、植物の”松”も緊張のないという意味の”鬆”も共に『松』で表されるようになっている。

 

 と、鬆の説明を改めて知って、そういえば、春の健康法の中に、「髪の毛をほどいて心身を開放する」というようなものがあったなぁ、と思い出した。髪の毛をきつくギュッと結ぶと身も心も引き締まり緊張感が出る。髪を解いて垂らせばリラックスモードになる。

 髪型と緊張の関係。

 几帳面な人の髪型とルーズな人の髪型ははやり違うだろうし、同じ人でも髪型によって気分を変えられる。

 ”髪の乱れは心の乱れ”と言って私の小中学校では髪型に厳しいチェックが入っていたが、それも一理あったのだろう。”髪を乱してリラックスしましょう~!”なんて教育は、今でもあり得ないかしら?

 

 

 

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 『陳式太極拳入門』

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2012/3/20

日本養生学会第13回大会で研究発表をしました。

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