2016年6月

2016/6/27 <心意を念頭にいれた練習を目指して>

 

 以前から、機会があれば一度北京の馮志強老師の武館を訪問して、老師亡き後同師が創り上げた混元太極拳がどのように継承されているのか、どう継承していこうとしているのかを知りたいと思っていた。そして今月、黒猫の一件からそれまで躊躇していた自分が突き動かされるような行動を取り出し、結局来月とうとう懸案だった北京に行くことが決まった。

 

 馮志強老師が創り上げたこの太極拳の最初の名称は、陳式心意混元太極拳。馮志強老師の二人の師、陳発科先生の陳式太極拳と、胡耀贞先生の心意拳を組み合わせた名称になっていた。

 その後陳式太極拳の本家本元の陳家沟の人達から異端的な目で見られたりした時期もあったりして、”陳式”という冠がはずれ、そのうち”心意”もなくなり、今では馮志強宗師の『混元太極拳』、ということになっている。

 

 混元太極拳の核心は何か?

 ただの武術としての太極拳ではなく、ただの健康法でもなく、ただの気功法でもない。

 いや、武術でもあるし、健康法、養生法でもあるし、気功法でもある。精神修養も兼ねているし、そして、最終的には、霊性の開花までも念頭に置いているようだ。

 

 そもそも解脱や悟り、といったことに関心のあった私は、まずは、身体意識の開発から、という気持ちで太極拳を始めた。

 身体の開発が一体どのように精神の開発に結び付くのか、最初はそれさえもよく分からなかった。

 身体が開けば心が開く?本当か?・・・疑心暗鬼ながらも黙々と身体の練習をしていった。

 身体と心が密接に結びついているのがはっきり分かるようになったのは随分経ってから。

 心は身体が微細になった物質的なもので、ひょっとしたら手で掴むことができるのでは、とも思えたりするくらい実体のあるものだ。

 では”意”は?

 意は心のようには実体がつかめない(現時点での私の理解、感覚)。

 意で心をコントロールする。意で身体をコントロールする。

 でも意はどこにあるのか、どこから来るのか、狭い一点にしてしまうこともできるし、その場所を移動させることもできるが、逆に意を広く、身体より広く広げてしまうこともできるたりして、結局、心のようには掴めない。

(意を意識できるなら意を見ている自分がいるはず、と意を見ている自分を探しに行った瞬間、頭の中が開いて真っ白になってしまうことを発見。頭の中がショート、あるいは無効化してしまうのか?・・・・まあ、こんなことは太極拳の練習範囲外。)

 

 少し前、生徒さん達の練習用に24式を一式ずつビデオに撮って解説文をつける作業をしたが、動作を文章で説明するのがとても難しかった。ある式の最初の動作。まず、手を上げるのか?いや、脚から動くのか?いや、腰?丹田?・・・と迷って、最後は馮志強老師のテキストを参照。すると、「まず心意を・・・」と身体の動作に先立って”心意”が動くことを心意が身体を導くことを明記していた。

 ”心意”が身体を導く。”心意”は『神』=上丹田の動きに現れる。

 下の(腹の)丹田の前にまずは上丹田ということ?

 臍や臍下の丹田を練っても上丹田につなげていなければ単純な動き一つでさえ未完に終わる。

 腹の丹田で精、気を煉って眉間の奥にある上丹田までつなげるには周天が必要になるが、こんなせわしない世の中で一体どれだけの人がこの地道な練習をしているのだろうか?

 

 私の心の中に”心意”のパワー、その重要性への関心がこれまでになく湧き上がってきて、そのような目で現代の太極拳の老師達を思い浮かべたところ、この点で突出しているのは当の馮志強老師であることは明確。巷のほとんどの老師は上丹田までは開発していないようだ。(恐らく、身体、心身の健康のためには腹の丹田を活性化させれば事足りるのだろう。頭脳の明晰さ、そしてその上の霊性を開花させるには上丹田が必要になる。)

 馮志強老師は道家であったから自身の組み立てた太極拳の中にはその修行法が色濃く残っている。

 これをそのまま継承できる弟子がいるのかどうか分からないが、弟子の中で真の継承者と言われている北京の陳項老師に一度直接会っていろいろ話をしたい・・と、願い、頼んでみたら、来月、北京の武館を尋ねた際に直接レッスンを受けられることになった。

 

 話がこんなに簡単に決まるとは思わなかったので少しびっくりしているが、とりあえず一対一で会う時間が取れるのだから、"心意”を始め、修行の段取り(練習の進め方)についても老師のを聞き話を聞きたい。馮志強老師の太極拳の世界をどう継承しているのかもきっと感じることができるだろう。

 そしてやはり、基本の、タントウ功、内功、はしっかり基本から教わり直して、それを套路にどう活かすのか、というところまでは最低でも押さえたいところ。時間が許せば、推手もしたいけれど・・・これは大人と子供以上の差がありそうで・・・・いやいや、だから少しはやってもらおう!

すごーく楽しみ!そして既に緊張気味。

どうぞ事がスムーズに運びますように。いい出会いがありますように。(と、ただ願うのみ)。

 

 

2016/6/17 <太もも内側のツボを意識する>

 

若い時は細い脚にどれだけ憧れたか分からない。最大のコンプレックスが太い脚だった。

 

が、この歳になると、見た目よりも使い勝手、実用性が最優先事項になってくる。脂肪でたるんだ脚では困るが、脚は前面、側面、内側、外側、どの面の筋肉もバランス良く発達していなければならない。

経絡的に言えば、脚の内側は三本の陰脈(脾経、肝経、腎経)、外側には三本の陽脈(胃経、胆経、膀胱経)が走っている。私達が通常使いやすい筋肉は太ももの前面(胃経ライン)、そして次に太ももの裏側(膀胱経)で、ともすると太ももの内側の筋肉を駆使せずとも歩けたりしてしまう。

 

今週の練習で注目したのが脾経の箕門(きもん)というツボ。

身体を沈めていくとすぐに膝に体重が乗りがちになるが、そこを注意して膝まで落とさず箕門にひっかけて身体を支えるようにする。

このツボはちょっと教えてあげれば感覚的につかみやすい場所のようだ。

ここに"引っかけて”しゃがんでいけば、膝も痛くないし腰がとても安定する。膝に力が溜まらない(引っかからない)ので、上半身の気が足裏にズドンと落ちるようになる。

 

 

このツボを意識して立つようにすると、これまでよりも更に後方に重心を移動させなければならないことに気づく。(膝を上に持ち上げるような立ち方になる。)

ここに乗れるようにするには、腹奥の力(インナーマッスル)、もしくは会陰の引き上げ力が更に必要となる。コアの練習にはもってこい。

昨夜の練習では、外からは分からないくらいの微妙な姿勢の調整なのに大粒の汗がポロポロ出てくる生徒さんもいた。

 

太ももの内側の陰の経絡は血を司るもの。

女性にはとても大事で、婦人科系の疾患と密接な関連がある。

男性でも内転筋を含め脚の内側の筋肉の発達が少ない人は身体が虚弱、貧血気味になりやすい。

歳をとると腹ばかり出て脚が細くなってきがちだが、脚、それも特に内側の筋肉は痩せさせてやいけない。

 

タントウ功では最初に背面の膀胱経を開発して、その後、身体側面の胆経、そして胃経、と前面に進んでいくが、実はそれに対応して表裏になる陰の経絡も開発していく。

中医学では病はまず膀胱経で防げるが、これが突破されると胆経、そして胃経が防壁となるが、それも突破されると、脾経、腎経、肝経へと病が身体の深部へ浸透し、重病化してしまうのだというような説明をしたりする。

これを逆から言うと、老化に伴いまず衰えるのは膀胱経、そして胆経、そして最後まで残るのは肝経ということになる。陽の経絡は五臓六腑の六腑、袋、につながっているが、陰の経絡は五臓につながっている。生命維持に死活的な問題となるのは五臓のほうだ。

五臓を強くするには陰の経絡を通す必要がある。

 

脾経は比較的分かりやすいので最初はここから手を付けるのもよいかと思った。

 

脾経は足の親指から上がってくるが、同じ太陰の腕の経絡は肺経。これは手の親指へとつながっている。

脾経の箕門と似たような感覚のツボが腕の天府(もしくは侠白)。

何で感覚が似ているんだろう~と思って本を調べたら、なるほど。二つの筋肉の接合点にあるのがこれらのツボの共通点。だから私達がその辺りを使うと、一瞬そこで止まれるような引っかかる点(ツボ)が意識できるのだろう。(生徒さんの中でまだもし分からない人がいれば練習の時に聞いて下さい。)

 

 

太極拳の体重移動の時は必ず箕門を通して行い、腕の回転も必ず天府を通すようにする。

股関節と膝(腕なら肩と肘)の間に一つツボを意識できるようになると動きが断然なめらかになるし膝(肘:中節)に余分な負担をかけない。

 

この要領を教えたら、目から鱗!、と喜んだ生徒さんが数人いた。

 

なんでもっと早く気が付かなかったんだろう~。

 

下はお相撲さん、バレエダンサー、そして羽生君。

冒頭の大鵬の土俵入りの姿は最高に美しくて驚いた(この写真だけでも語れることがたくさんある)。

みんな内腿をよ~く使っている。

(片足を挙げている白鵬の足首の”背屈”の角度に注意!このくらいすれば陰の経絡が伸び通りがよくなる。震脚も同じ。立ち姿(タントウ功)、すべての動作の基本。)

 

(一枚、千代の富士の後姿の写真を入れてしまいました。これは今日のメモに直接関係ありません。腰割り、股割り・・・個人的に目が引きつけられたので載せました)

2016/6/11 <猫の死から>

 

 今朝明け方、私の愛猫が逝った。

 

 フランスに住んでいた時に買い始めた雑種の雄の黒猫で、欧米猫体型なのか、胴体が大きく手足、尻尾が長く、体重は6キロ近くあった。

 動作が悠然としていて目がきちんと合い、会話ができるような感があった。

 私が犬の散歩に出かけると、しょっちゅう一緒についてきて私達を追い越したり犬に体当たりしたり、まるで二頭引きで散歩しているようだった(ただ猫には縄張りがあるのである一定の範囲までしか着いてこられないのだけれども)。私の家の帰り道もよく途中で待っていて、一緒に家に帰ってきた。私が昼寝をする時も、一言、「寝るよ~。」というと、「ニャンニャン!」と言って寝室のある二階に上がってきて枕元に寝ていた(私は頭を黒猫と犬にはさまれて寝ていた。どちらも雄!)。

 

 うちには猫が3匹いたが、この黒猫は一番人間に近く、同時期に飼い始めた猫は標準的な猫、最後に拾った野良の猫はともすると鳥か爬虫類に近い意識レベルのように見えた。目は心の窓、あるいは魂の窓とか言うが(後に書く『神』の窓でもある)、まさにそれぞれ目が違った。

 同じ猫同志でも意識の発展段階は様々なのだなぁ、とよく思ったもの。人間ならなおさら・・。

 

 一番力強く健康で、身体を震わすと太く長い尻尾の末端までビリビリ電気が通る(気が通る)ようなこの黒猫が、先月あたりから何をあげても餌に不満のようなそぶりをみせだした。食べたいようなのだが食べない。そもそも食べ過ぎのきらいがあるネ猫なので、最初はダイエットにいいかなぁ、なんて軽く考えていた。がしばらくしてよくみるとお腹が妙に膨らんでいる。ここで異常を察し獣医さんに行った。数回の検査を経て、結局末期がんだと判明。もう手のほどこしようがないだろうということだった。

 

 それからほとんど食べられなくなり、次第に弱っていくのを見守って3週間。

 餓死するのか癌で死ぬのか分からない・・・と思いながら無理やり食べさすこともできず、腹水で  膨らんだ腹以外は痩せに痩せていった。次第に意識が遠くなって眠るように死ぬのかしら、と見ていたが、どんなに身体が弱っても眼光だけはするどく、最期に近づけば近づくほど瞼を閉じることがなくなってしまった。覚醒状態になっているのか、目は開けていてもその視点は内向き、いわゆる内視の状態だった。寝てくれないかなぁ、と何度も思ったが、ほとんど寝ない。私も心配でなかなか寝れなくなった。

 昨日の朝は発作で胃液を吐いて苦しそうだった。安楽死という手もあるかと獣医さんに相談したが、できれば体力が尽きるまで自宅で看取ってあげてほしい、と言われた。10歳にならない体力のある雄猫だから体力が尽きるのに通常より時間がかかっているのだろうとのことだった。

 そんな会話をした後、私が二階で用事をしていたら、私を追いかけて黒猫が階段を2段ほど登ったところで座り込んでいるのを発見。ああ、まだこんなに意志がある、安楽死なんて浮かんだ自分はなんてひどい・・・。彼はまだ生きたがっている。

 

 蝕まれ衰弱していく肉体と行くまいとするその核心。

 彼の中での壮絶な闘いが外からも見て取れた。

 今朝、やっとその闘いに決着がついた。ものすごく悲しいのにどこかほっとした。

 侍のような猫だった。

 生前彼(猫)に時折聞いていた。「デビ(彼の名前)は前世で悪いことをして猫になったの?でもきっと、来世は生まれ変わって人間になるよね。」

 魂はどう旅をするのだろう?

 

 太極拳の練習は通常、精気神、の認識内で練習する。

 肉体を構成する物質(精)、それをエネルギー化(気化)したもの(気)、そして意(神)だ。

 道教の修行ではその『神』(眉間の奥のツボ、祖窍、所謂第三の目)の更に上、頭頂を抜けたところに、『虚』そして『霊』をとる。

 

 今回の経験で、死を超えたところまで知るには『神』を『霊』に結び付けられるところまで修行しなければならないことに気づいた。(つまり精→気→神→虚→霊、をすべてつなぐのだと思うが、このあたりについては更に研究必要。)

 心身の健康、長生き、など、”生”に関することなら『精』『気』『神』で十分対応できる。

が、死を超越するための魂の認識とそれと霊との結びつき、などを体感するにはその先の練習が必要になる。太極拳の練習がレベルが上がるほど静功主体になる、というのはこういうことなのだろう。

 

 これまで太極拳の師の中でそのレベルまで目指して練習した人はどのくらいいるのだろう?

 「解脱はそれほど難しくないが、生を知るのはさらに先の修練が必要、なぜなら生を知るには死をしらなければならないから。」とあるヨガの大師が言っていた。ヨガはそもそも解脱もしくはその先の究極を目指して構築された体系だが、太極拳はあくまでも武功。端的に言えば、強くて勝てばよしとする。そこからその肉体的な有利な条件を利用して更に先の、精神、意、魂、霊、まで進もうとする先例は少ないのかもしれない(私はまだ直接出会ったことはない。最も、太極拳をどうとらえるか、健康法に過ぎないのか、敵を倒す武芸なのか、舞のような身体芸術なのか、それとも解脱、それ以上を目指す求道者としての修行法なのか、それは人それぞれ。)

 もし人が究極を目指し本格的に魂を探すにしても、まずは身体を内側から開けなければならない。このあたりはヨガでも同じ。チャクラや丹田のような比較的濃厚なものさえ分からなければさらに微細で奥にある魂が見えるはずがないだろう。さらに内向きの視力を開発する、即ち静功(瞑想)をする必要がある。(暇があれば常に静功をする。できれば一日5時間以上やる、ピアニストで一日十時間練習するというのもあるくらいなのだから・・・という一節を最近ある本で目にしたばかり。)

 

 最後に、今回の件でもう一つの大事な(現実的な)気づきを記しておきたい。

 エネルギーが多い若いうちに死ぬのは苦しいということ。

 老衰と言われてもよいあたり、エネルギーを使い終わった後に死ぬのが最も自然で最も楽なのだろう。

 魂云々の話はともかくも、現実的な理想として、なるべく自然に死ねるよう、エネルギーが尽きるまで健康で生きていきたいもの。

 やはり毎日の練習を続けるのが大事だなぁ、と、振り出しに戻った結論に達した。

 

 

2016/6/1 <二の腕を伸ばして肘を曲げる、沈肩→墜肘>

 

 昨日の肘についてのメモの続き。

 「我々は筋肉の話はしない」と師父に言われたことがあるものの、やはり気になって筋肉をチェックしてみる。

 肘を曲げるというのはどういう風に筋肉を使うことなのか?

 肘を曲げる、と言った時に、肘関節そのものを折りたたむのではなく、まず手首を持ち上げることによって肘を曲げるケース(肘よりも手首が先に動いているようなケース)が多いのはどういうことなのか?

 

 少し調べた結果、肘を曲げるということは、上腕二頭筋が収縮し、上腕三頭筋が伸びて弛緩するというメカニズムであることを確認。

 それを確認したら、ああ、なるほど、と霧が晴れたようにすっきりした。

 整理してまとめたのが下図。

 つまり、多くの場合、私達は上腕二頭筋を収縮させることによって(力こぶを作る要領)で肘を曲げている。これは所謂屈筋を使うというものだが、これに対し、太極拳では筋肉を伸ばすように使うのを特徴としている(伸筋優位の使い方)。即ち、上の左図の青い線、上腕三頭筋を伸ばすようにして肘を曲げている。

 青い線のように上腕三頭筋(二の腕)を伸ばすようにしていくと、少海穴(心経)から小海穴(小腸経)といった肘先まで気が通る。

 一方、赤い線のように力こぶを作るように肘を曲げるには手首側から力を使わざるを得ず、肘が曲がるに従ってまず曲池穴が押し潰され、続いて少海穴も小海穴も潰れて気が通らなくなってしまう。これでは肘の意識はとりようがない。

 

 手首を捕まれた時の外し技は手首から力をいれてはダメ(相手に外そうとしているのが瞬時にバレてより強い力で握られてしまう)という練習をこれまで何度かやってきたが、それは言い方を変えれば、伸筋から動かすように、更に言えば、身体の中心(丹田)に近い筋肉から順番に周辺の末端の筋肉を動かしていくようにすることなのだと思う。

 力は常に丹田から発して波紋のように末端に広がる・・・。

 

 そしてこんな肘についての私の意見を師父に述べたところ、フーン、と頷いたあと、ただ一言。

「肘を使う時は肩井穴だけ意識すればよい。」

 

 そう、私もうすうす感じていた。

肘関節回りの細かいツボを意識するにはまず『沈肩』をしなければならない。(肘の数個のツボの意識は”肘を墜落させる意識”=『墜肘』で解決される。そして『墜肘』をしたければまず『沈肩』をしなければならない。)

 そして『沈肩』の具体的な要領は肩井穴を下に引き込むようにすることだ。

(そのためには『含胸』が必要で、『含胸』のためには『塌腰』が必要になる・・・)

 

 肘がちゃんと使えていない場合は肩井穴を沈み込ませていないところに原因がある。

とすると次のターゲットは肩井穴ということになりそうだ。

 

追記

 生徒さん達は何度も私に推されて痛い思いをしているから、肩井穴は身をもって分かっているはず。そこを下に引き込む要領もこれまでやってきているので、まずは、パソコンを打っている時、(まさに今の私!)に沈肩を練習してみて下さい。

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『今日のメモ』毎日の練習は気づきの宝庫。太極拳の練習の成果が何に及ぶかは予測不可能。2012年9月〜のアーカイブは『練習メモアーカイブ』へ

練習のバイブル本

 『陳式太極拳入門』

   馮志強老師著

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2012/3/20

日本養生学会第13回大会で研究発表をしました。

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