2016年5月

2016/5/31 <肘関節を使う>

 

 今週は肘に注目。

 

 肘は八法の中の一つで太極拳の大事な技だ。

 私自身は二路(炮捶)を習った時に肘技のオンパレードに少し面食らった覚えがある。(正直言って、あまり格好良いものと思えなかった。)

 

24式にも肘技が数個あるのだが、それほど特別なものとは感じていなかった。が、ひとたび肘を注目するようになってそれまでの見方が一変、手、腕を使うのにどれほど肘=墜肘が大事か、そしていかにそれまで肘をおざなりにしていたかということに気づいた。

 馮志強老師が肘法だけでわざわざ本を一冊出している意味も少し分かるような気がするし、何と言ってもそれまで見るのも気恥ずかしかった肘技の姿が恰好よく見えるようになった(のだから人の感覚って可笑しなもの)。

 

 肘技の時に意識するツボは肩井穴だ。

 肩井を下に引いておく(つまり沈肩)にしていないと、肘の先まで力が達しない。

 生徒さん達を見ていると、肘を使っているつもりで、肘関節よりも上の上腕部分で力が止まっていることが多々ある。それを指摘して肘の先まで気を通すように導くと、大体の人が、肘は思っているよりも遠くにある、という感想を持つ。そしてそこまで気(力)を通すにはぐっと我慢が必要(疲れる?)というのが実感のようだ。

 

 肘を使うのは何も肘技の時だけではない。

 手首を使う時、手の平、拳、指を使う時、すべて一度肘関節を通るのが鉄則。

 指を使うためには、(足裏→→この間についての説明は省略→)腰→脇・肩→肘→手首→指という経路を辿る必要がある。脳から指へはバイパス的な神経の使い方があり途中を通過しなくても動かせるのだが、これを中枢神経という太い神経からより細い神経へ、順々につないでいくのが太極拳のミソだ。これを『節節貫通』と言ったりする。

 その時、盲点になりやすいのが肘。

 

 太極拳に限らず、他のスポーツや楽器演奏、お茶のお点前、お箸の使い方、歯磨きの仕方、等々、私達が手を使う時には肘を使っているべきなのだが、よく観察していると、肘を上手に使っている人は少数派だ。一つの関節を飛び越して手を使っていれば当然別の箇所に余計な負担をかける(か、余計な筋肉をつけなければならない)。

 

 今週の練習では第5式単鞭の最後の左手の動作や、第3式や第12式の人の手を吊り上げるような動作で肘関節を使いきる要領を体験できるように心がけた。分かった人は、きっと肘に対する意識が一段変わったはず。

 

 ここで少しテスト。

 下の写真の左と右の肘の曲げ方、どちらが太極拳的に見て正しいですか?

 違いは分かりますか?

 

 第一式しょっぱなのポン(手を上げる動作)も同じ理屈。

 左のような末端からの(手首の関節で肘関節を曲げるような)手の上げ方では相手にも自分の動きが初動でバレてしまうし、なんといっても肘の支点がブレているので力んだ割に大した持ち上げる力はでない。

 

 肘関節は上腕骨と前腕の二つの骨の連結点。

 だから、肘関節を使うということは上腕の骨を使いきるということともいえる。一般の人は使いやすい前腕を使いがちで上腕はほとんど意識していないよう。腕立て伏せをして初めて上腕に気づいたりするのかもしれない・・・。

 

 肘関節を使うためにはツボを意識することがとても役に立つ。

 太極拳は経絡やツボを意識して動くもの。以前私が師父に筋肉で説明を求めたら、「我々は筋肉では説明しない。」と一言で片づけられてしまった。

 確かに筋肉では面が広すぎて細かく意識をとれないなぁ、と今の私なら師父に同感。

 

 参考のために下に肘のツボ6つが分かる図を載せます。

 名前とかを覚える必要はありませんが、それらのツボが”関節”、即ち、骨と骨の間にあることを覚えておけば良いと思います。骨と骨の隙間が開けば、自ずからツボに感覚をとれるようになるので。

 タントウ功の時も関節の間を開ける意識で立って下さいね。

(最初肘関節で試してみて、できそうだったら、肩関節や膝関節、などでトライしてみても。難関は股関節かなぁ。)

 

2016/5/28 <しゃがむ(腰割り・股割り)、圆裆の重要性>

 

 年に何度か関西の方から定期的に個人レッスンに通って来る生徒さんがいる。

 2.3時間の練習のためにわざわざ始発で東京まで出てきてそのまま戻っていく。

 

 遠方から来る生徒さんは年に数人いるが、時間と費用をかけて来てもらって、何も収穫なしに帰らせるのだけは避けたいところ。

 が、私が教えるのは外形よりも内功、内側の気の動きで、その練習はただの”コツ”でどうすることもできない。(そのため、私のところには別の流派の人や、ヨガの先生、整体の先生、そして音楽家などがよくやってきたりする。)

 時間をかけて段階を追った地道な練習が必要になる。

 本当なら週に一回は一緒に練習して軌道調整しながら練習させるのだが、遠方からの生徒さんの場合は3か月、あるいは半年、放っておくことになる。その間一人でうまく練習し続けられるのか、それは私の懸案事項だ。(私自身、今でも半年に一回は師父に見てもらって逸れていないか、進歩しているかチェックしてもらっている。)

 

 今日の生徒さんはもうすでに何度も上京してきているが、これまでタントウ功にも手応えがなく(ただ脚がつらいだけ)、丹田や内側の気の動きを感じられないできた。私も半ば申し訳なく思ったこともあった。そして前回、少しスパルタ的にしゃがませたり、アヒル歩きをさせて、最後にこのような彼の一番苦手なしゃがむ、しゃがんで動く練習を宿題にして帰した。

 果たして,今日の練習に現れた彼のタントウ功の姿勢は大きな変化があった。

股関節が緩み、『圆裆』になっていた。

 ここまでいけば、タントウ功はきつくないはず。やっと筋肉の練習から気の練習に入ることができる。

 丹田がしっかりしてくれば、胸にあるダン中のツボを使って(含胸)両腕を一本につなぐ練習が可能。沈肩は自ずからついてくる。(このあたりの説明は機会があれば書きます。)

 

 練習の最後に彼が普段練習している制定拳の套路を少しやってもらった。

 その型を使って、気を丹田から末端までつなぐ練習をしてみる。

 話を聞くところによると、制定拳というのは必ずしも気功をベースにやっているのではなく、丹田や背骨から動くような練習はしていないらしい。ともすると手足主導で動く、一種のゆっくりした中国武術風体操のように見えたりする。それはひとえに内側の動きがないから。型は制定権でも中に”気”を吹き込むととたん活きた本当の太極拳になってくる。

 

 以前、バレエダンサーがラジオ体操をするとこういう風になる、というようなDVDか何かがあったが、同様に、もし、太極拳の内側の気の動きを使ってラジオ体操をしたとすると、内側から力がにじみ出てくるような、これまた摩訶不思議な何とも言えないラジオ体操になる(生徒さんの前で少しだけギャグでやったことあり)。

 

 内気を動員するには、まずタントウ功で丹田に気を溜め、この気の量を増やして背骨(督脈)を通す(活性化する)必要がある。

 全ての動きは脳が指令して中枢神経である脊髄を通り手足の末端神経へと流れていく(運動神経の流れ)。

 この流れを無視して、手や足の末端を先に動かすようなことをし続けていると、イップス症候群や腱鞘炎、その他の障害を起こしてしまう。見た目の所作も美しくない。

 

 ・・・と、このあたりの流れ、練習のステップについてもまた書かなければならない。

 まずはタントウ功、と言いたいところだが、これまでの例を見ていると、しゃがむことのできない人はただタントウ功をしても脚の痛さ以外何も感じないよう。本来はタントウ功で腰や股関節を開いていくのだが、その感覚を掴む前提として、しゃがむ練習などをして”股割り”、もしくは”腰割り”をしなければならないだろう。(結局これが『圆裆』として現れてくる)

 ただ180度開脚ができてもそれが内腿のストレッチに過ぎなければ、腰割り(腰を開く)や股割り(股関節を緩める)になっていないのでそこにも注意する必要あり。

 

 腰割り、股割りについてももう少し正確に説明できるようにした方がよいかなぁ。

 きっとほとんどの人はぼや~っと何となくしか分かっていないよう。完璧に割れたり開いたりできなくても、少しだけでもその片鱗を実感できたら進むべき道が分かるかもしれない。

 いずれにしろ、これが丹田の感覚形成(タントウ功で丹田に気を溜める)にとって鍵を握る箇所になっているのは間違いない。

 

 

 

2016/5/20 <浮くように立つ>

 

 タントウ功についてはこれまでいろいろ書いてきたと思うが、どれだけ説明しても本人の模索なしには会得できない。それは自転車に乗れるようになることや泳げるようになることに似ている。

 

 子供でカンの良い子は誰にも教わらずに自転車に乗れたり苦も無く自然に泳げるようになるが、中にはどれだけ教わってもなかなかできない子供もいる。

もし、30歳くらいになって初めて自転車に乗る練習をしたり泳ぐ練習をしたらどんなものだろう?会得できない人が半分以上になってしまったりするかも?(きっと私もそのうちの一人・・・)

 やはりこの手のシンプルな身体の使い方、体感としての学びは、心や体に癖のない子供の時に学ぶのが最適なのだろう。

 

 さて、泳げない人、水に浮かべない人に解説本を渡してお勉強させてもなかなかできるようにはならない。ある程度の理論は手助けになることもあるが、逆に、事を不必要に複雑にしてしまうこどともある。まずは水の中に入るのが第一。それからアドバイスを受けて後は試行錯誤。一旦浮いてその感覚がとれれば門を突破したのも同然。そこからはその感覚を再現、深化させていけばいい。

 

 タントウ功=私達二足歩行動物の正しい立ち方、の会得についても実は同じようなことが当てはまる。

 魚がうまく泳げないとか、鳥がうまく飛べない、という問題を抱えることはないと思われるのに、なぜか人間についてはうまく立つ、歩く、ということは非常に難しくなっている(本人の自覚があるかどうかはともかくも)。どこかに余計な負担をかけないと立ったり歩いたりできない、というのが私達の普通の状態。生まれて20年、30年も経てばあちこちにゆがみが出る。

 これを調整するのがタントウ功。別に脚だけを鍛えるものではない。

 重心やら呼吸やら筋肉の状態、血液循環、精神状態等を重力を使って自然に調整していく。

 

 そして(ここからが本論なのだが)、タントウ功の出来上がり図は、水に浮く時の身体の使い方によく似ている。仰向きに浮こうが、うつ伏せに浮こうが、その時私達は身体の力を抜き、少し腹を引っ込めるようにして命門を開いている(腰椎の反りを少なくする方向)。

 どうやって浮くのか、については肺の位置にある浮心と臍位置にある重心を近づけること、とかいう議論があるよう。以下の二つのサイトを参照。

 

http://smart-exercise.net/how-to-swim-easily

http://www.page.sannet.ne.jp/yamato99/tech_fusiuki/fusiuki_6.html

 

 これは結局、含胸にして肺の気を腹に落とし(腹式にし)、会陰を引き上げる(腹の奥の奥が引き上がる)という要領と同じよう。こうすることで胴体部が少しコンパクトになる。

 

 と、上の二つのサイトの分析を読むのが大変だったら、身体が水に浮くような姿勢でタントウ功をする、と思えばよい。(顎を引く、腰を反らない、脚を軽く(脚を空にする、という言い方あり。脚を空にできるのは相当な功夫))

 タントウ功の最中で、あれ、このまま身体を水の中に横たえたら浮くかしら?沈むかしら?なんてチェックするのはどうだろう?

 馮志強老師は常々、太極拳は地上の水泳だと言っていた。

 

追記

 最初の浮く練習はダルマ浮きだそう(右図)。

 

 胎児の状態。命門が開いて背骨がCカーブ。立ち上がって背骨がどんなにS字カーブになってもどこかにCの力が残っていなければならない。これが背骨の弾力になる。『C⇔S』

2016/5/17 <客観的に動きを見る、意識の拡大、癖に気づいて直していく>

 

 美しい所作というのは男女問わず理想とするところだと思うが、これができるには相当な修練が必要だとつくづく感じる。

 何気ない動作が美しいというのは、その人の人なり、精神状態、そして肉体の状態、すべてが良い状態にあるということだろう。

 外見はカッコいいのにふと見たら貧乏ゆすりをしていたとか、食べ方がきれいでなかった、とかでがっかりしたという経験があるのは私だけではないのでは・・・。

 昔はそれが単に親のしつけのせいかと思っていたが、人生半ばも過ぎたこのくらいの歳になると親のせいにもしていられない。今更ながら食べ方や身のこなしを注意してくれる先生や親のような人を探すわけにもいかず、また、他人は気づいても遠慮して指摘してくれないだろうから、すべては自分の意識一つにかかってくる。それには、自分を如何に客観的に見られるか、自分を観察できるか、が鍵になってくる。

 

 今日は2時間弱かけて24式の第2式から第5式までの復習をした。 

 もう2年以上学んでいる人達のクラスで、第5式までの動作ならそれほど考えなくても身体が覚えて動いてくれている(はず)。

 身体が自動的に動く段階になれば、自分であたかも他人の身体の動きを見るように、自分で自分の動きを観察できるようになる。少し遠くから(といっても自分の内なる眼で)自分の動きを眺めていく。

 

 とは言っても、正確には自分の身体の動きを”眺める”ことができるのはとても高いレベル。

 最初は注意すべき点、注意された点、などその箇所、箇所を意識的に動く。

 それは肩だったり、肘だったり、膝だったり、踵だったり、命門だったり、内腿だったり・・・といろいろあるけれど、ある動作の時のその場所を意識する、というのが最初の段階。

 ある動作の時に同時に二か所意識しなければならなくなると少し難しくなる。

 それが三か所、四か所に増えていけばもっともっと難しくなるが、そのうち、複数の箇所を同時に注意する=”見る”には、内なる眼の視野をぐっと広げなければならないことに気づいてくる。(例:肘と膝を同時に意識するには、意識を肘→膝と移すのではなく、眼の奥なり脳の中をぐぐぐっと押し広げて意識を移動させることなく二か所を包み込んで意識できなければならない。)

 

 意識する、注意する、というのは"見る”に等しい。

 目は通常自分の外側の世界を見るのに使われることが多いが、ここでは自分の内側を見るように使う。内視と呼ばれるのがその使い方だ。お腹が痛いとき、どこが痛いのかと尋ねられて自分で痛みの在りかを探す時、私達は無意識で内側を探ってその場所を見ようとしている。目を閉じたままでも左手の人差し指を感じることができるが、この時も目は無意識的に人差し指を内側から見ようとしている。逆に、もし眼球を全く動かさないようにして人差し指を意識しようとしてもなかなか意識ができない。中で目が動きたがっているのが感じられるはず。

 もし眼球を動かさずに人差し指を意識したかったら、目の奥を後頭部の方へずっと広げていって脳を内側から押し広げるようにすると次第に人差し指が視野に入ってくる。

 

 太極拳でゆっくり練習するのは様々な意味があるが、その重要な一つが視野の拡大。自分の身体全部が包み込めるような大きな視野ができる頃には”覚者”になっているのかもしれない。

 動きながらそれをするのがとても難しいから、タントウ功で動いていない時に丹田を中心に視野を拡大する練習をしたりする。自分の身体を包み込むよりもさらに視野が拡大していくと、その延長線に所謂"天人合一”とか”天地人”とかの境地があるに違いない。

 

 今日の第5式までの練習でも私自身注意点が多々あり、身体を正確に動かすのは大変だなぁとつくづく感じる。すぐに直せるものもあるが、指摘されてもその場ですぐに直せないものは身体の”癖”になっているところだから、気長にとりくんで癖をとっていく必要がある。

日常生活上の身体の癖や心の癖に直接取り込むのは非常に骨が折れるが、太極拳の練習で癖に気づくことによって普段の生活での意識の使い方が変わってくる。

 こんな癖があったんだ~、とか、ここが使いずらい、と新たな発見があるのは嬉しかったりするが、それを直していく過程は遅遅としていて、なかなかうまくいかないと落ち込んだ気分になってくる。が、気を取り直して試行錯誤しているうちに、また新たな発見があって、他の部分と連結させて問題が解決に向かうこともよくある。

 問題がないと向上しないのかもしれない。

 

 私は墜肘がまだ身体に染み込んでいないよう。

 太極拳だけでなく、ピアノを弾いても、パソコンを打っても、お箸の使い方、歯磨きの仕方、包丁の持ち方・・・みな同じ癖が出てくる。

 肘、がこんなに奥深かったとは・・・(肩とも腰とも連動する)。

 技でもパンチの前に肘技が隠れている。相手へのダメージも拳より肘の方が断然大きい。

 馮志強老師が肘技だけで一冊本を出している意味が今になってやっと分かってきた。

 肘の意識なしにこれまで生きてきたのが信じられないほど。

 

・・・と、美しい所作、これは永遠の課題になりそう・・(まずは肘技をもっと極めたい!)

 

 

 

2016/5/13 <生徒さん達へ、24式の練習>

 

 生徒さん達には動画入りの24式解説を一式ずつメールで送信しています。

 現在までに、第2式、第3式、第4式、第5式、第10式、第15式、第16式、第17式、第20式、第21式を送信済みです。(足りない方は私に連絡を下さい。)

 文章での解説は複雑ですので、まずは正面、背面の動画を真似して、うまく真似できない箇所については文章を参照してください。

 

 来週各生徒さんごとにチェックをしてみますので、送信済みの式から1つ選んで練習してきて下さい。

 

 24式は、馮志強老師が第一路を当初48式に簡易化したものを、老人や女性、身体の弱い人を念頭に足技を抜いて更に簡易化したものです。

 太極拳の醍醐味は足技にある、という言い方もあるくらいですから、是非48式をちゃんと練習したいところ。ただ、基本である24式になんの手ごたえもないまま48式に進んでもただの難易度の高くなった体操にすぎなくなるので、24式で内側の気の動きを多少つかんでから48式に進んでいきたいと思っています。

 24式を一度学んでいる生徒さんについては7月か8月の終わりまでに24式の細かいチェックを済まし、そのあと48式に専念していきたいと思っています。

 

 24式を覚えていっている最中の生徒さんについては、一週間に一式覚えていく作業をきっちり行って下さい(半年で24式を一通り覚えることになります)。毎日自分で反復練習するのが大事です。(教わって終わり、にしませんように。)

 

 太極拳の動きを覚える作業はとてもよい脳の鍛錬になります。

 歳をとってボケないように、がんばって覚えて、脳の命令するように身体が動けるように日々修練していきましょう。

 

 

 

 

2016/5/10 <正確に動く練習>

 

 先週から24式を一式ずつ見直す作業をしている。

 

 私との練習ではタントウ功や内功に時間が割かれることが多く、24式についてはどうしても手薄な練習になってしまう。覚えが良い生徒さんならそれでも覚えていけるのだろうが、通常、一式一式を確実に覚える時間がとれないまま次回の練習になってしまい、いつまでたっても覚えられないという生徒さんも少なくない。あまりにも覚えられないとそのうち練習に足が遠のいてしまう。

 

 24式を一通り覚えた生徒さん達については、そこからがやっと本当の練習が始まるところ。

覚えるという第一段階が終わったら、次の第二段階は動作を正確に行うこと(これは前回劉老師が来日した際指摘したていた点)。

 指摘されてすぐに直せる箇所もあるが、頭で分かっても身体でできない場合はその部分をタントウ功や動功なので開発していかなければならない。正確にできない場所をチェックする、というのも大事な作業だ。でないと永遠に使える箇所だけで動くことになり身体が開発できない。また、なんで手の高さがこの高さなのか、なぜ手心がこちらの向きなのか、足がこちら向きなのか、眼がこちら向きなのか・・・などなど、動作を直されてもなぜそうすべきなのかその意味が分からない箇所も出てくる。そこには技術的、内功的ななんらかの意味付けがあるはずだから、そこを先生に尋ねていかなければならなくなる。

 

 すると、次の第三段階目は動作の技術的含意を学ぶことになる。どういう風に技をかけるのか、それを学ぶことによって動作の意味および力の使い方が分かる。第二段階までではペラペラの人形のような動きだったところに、”力”という活きた要素が入ってくる。

 

 そして第四段階目になると、そのような”力”を導くための内気の使い方を学ぶことになる。私が教えているようなタントウ功や内功を積み重ねていると、この第四段階目の練習は案外自然にできてくる(はず)。混元太極拳の場合は、技とは関係ない内功のための内気の運用をしばしば行うが、やはり太極拳である以上、第三段階の技と結び付けた内気の使い方を学べるようにしていく必要がある。

 

 ここまでいくと、24式の最初から最後まで、何一つとして無駄な動作がないことに気づいてくる。手を少し上げるにも、踵を少し浮かせるにも、身体の端々まで意味が充満しているので、身体を動かすにあたっては身体全てを包み込むくらい意識を拡大させなければならなくなる。

 套路の時に右手を意識していたら左足裏へ意識が届かなかったとか、命門を意識したら手の意識がなかった、というのでは、身体全体をひっくるめて一つとして操ることはできない。このあたりから、眼法とか心意の練習が始まってくる。(混元太極拳はもともと心意混元太極拳、その前は陳式心意混元太極拳、だった。)

 

 といっても、どんなに練習の段階が上がろうとも、やはり折に触れて第二段階の形の正しさに戻ってくることが大事だと思う。傲慢になりがちな心を謙虚にさせるにも形の練習は有効ではないか?

 芸術方面でもある域に達して形が自己流で乱れてくる場合があるが、それを個性というのか、乱れというのか・・・いつまでも職人気質を失わないことが道を外さず正道を進むためによい方法だと考えている。

 

 太極拳の動きの内側は太極図を基本とする気功法。それが武術の型として外に現れたのが太極拳。

 だから形は丸みがある。球のような形=入れ物をつくれば内側の自分も円くなる。

 『水は方円の器に従う』、だから形も大事。

(内側の練習が大事なことは言うまでもありません。内⇔外。”内外双修”です。どちら一つだけでは片手落ち。陰陽原理=太極に反します。)

 

 

 漫然と24式を流すのではなく意識的に単式練習を練習をすると形や意識が整います。

第16式の第一動作(肘地捶)とその後倒巻肱へと移る第二動作を自撮りしたものがあるのでご参考までに貼り付けます。このくらいの長さのものを見ると自分でも課題がはっきりします。

 

2016/5/2 <関節80個あるフィギュアの動きから学ぶこと>

 

 自分が自分の身体で感じる感覚を客観的に裏付けるような理論はないのかしら・・・とはこれまで何度も思ってきたところ。身体の感覚すべてを総体として取り扱う理論はないのは当然としても、個別の感覚についてはきっと理論付けができるはず。

 

 

 最近特に知りたかったのが、脚の陰の経絡を上げていく際、なぜ、足先から始めると丹田まで上がるのに、足首から上げると股関節までしか上がらないのか、ということだった。足先から始めると、足先から足首までで第一節、足首から膝で第二節、膝から股関節で第三節、股関節から丹田(おそらく腸腰筋のラインが関係している)で第四節、と脚が四節になる。足首から脚にすると、脚は1節少ない3節になるが、これでは実は股関節から丹田(腰)までの胴体に入り込んだ部分の”脚”の節が使えない。これはどういうことなのか?

 

 どんな理屈でこうなっているのか知りたくて、ある日、高度な知識を持っていると思われる”理系”の生徒さんにそんな質問をしてみた。

 実際のところ、私の質問自体が的を得ないためその質問の意図が彼にちゃんと伝わったのかどうかは分からない。が、彼は、明らかに彼の専門範囲外である、ロボット制御工学に関する話を少ししてくれた(”理系”というだけで、”文系”以外のことは何でも知っている、と、とんでもない勘違いをしていた私)。

 その後ロボット制御に関する資料を送ってくれたりもしたが、数式がいっぱいでほとんどチンプンカンプン。唯一分かったことは、ロボットの手足の末端から動かそうとすると関節の動きが無限大(もしくは高速)になってしまったりしてうまく制御できないということ。やはり中枢から末端に向けて動かしていくのが正しいよう。(上の私の疑問は解決されたわけではないけど、まあそのうち・・・。)

 

 

 その後二人の話は次第にロボットからフィギュアに及んだ。

 以前、体育坐りのできるフィギュアは少ない、なんて聞いたことがあったけど、関節が多ければ多いほど人間に近い動きができる。 

 ロボットは全ての関節について制御をしなければならないから、関節を多くしていくとそのプログラミングが大変なことになってくるとのこと。一方、フィギュアは制御の問題がない分、ロボットよりも関節を多く作ることができる。実際、今ではかなり精密な構造をしたフィギュアが出て来て、人間顔負け?になっているよう。

 

 彼が見つけてくれたそんなフィギュアが関節80個の冒頭の写真のもの。(オリジナル稼動素体SFBT-3 http://mfield.b.la9.jp/sfbt.html)

左のようなデッサン人形と比べるとその差は歴然としている。

 

 ちなみに私達人間の関節数は230個から360個とか365個とか言われている(数え方によって幅があるよう)。

 

 80個の関節が動く右のSFBT-3の方が私達の動きよりも優っているように見えるとしたら、私達が実際に使えている関節は80個に満たなかったりするのかもしれない。関節があっても使えないのでは意味がない。

 

*補足<関節を動かすためには、脳からの指令がその動かしたい箇所までピンポイントで神経を伝わる必要あり。細かい箇所まで(ツボを含めて)神経を届かせるためには意識的な開発作業が欠かせない。漫然と動いていると使える神経だけで動くにとどまる。

意識→神経、これがなんらかのエネルギー(気)の形になって動き(力)が出てくる。

神経がそこに達しただけでは動かない。動かすためにはもうワンクッション必要で、それが”気”。太極拳の練習をゆっくり行うのは、その意(神経)の到達と、神経が到達して力が出る中間のワンクッション(気)をしっかり味わうため。『意到気到力到』意→気→力。ロボット制御でも同じような仕組みになっているのかしら?また質問が増えた!なお、大周天(タントウ功の形)とか小周天(坐禅の形)という気を巡らす功法があるが、意念で意をグルグル回しても本当の周天にはならない。意に乗せて気を回して初めて身体のツボや経絡が内側から開く。時に関節がバキバキいうのは気に伴って力が発生しようとしているため。意に気がついてくるのを待っていると”グルグル”は回せない。タントウ功のまま24式をやってみると実際に動くよりも数倍疲れるのはそのため。>

 

 

 素体の動きは下のデモ動画を見てもらいたい。

 冒頭の肩関節の動き、腕の”生え方”はとても参考になる。タントウ功の時も、こんな風に腕を胸から引っ張り出して立つのが本当。

 股関節も基本的には同じ原理。脚は腹から引っ張り出す。

 素体の肋骨から下の胴体部分(腹、腰部分)の関節が4つくらいに分かれていることに注意。私達も5つの腰椎がバラバラに動かなければ流暢な動きはできない。

 ”背骨”なんていう骨は存在しない。椎骨がつながって背骨のようになる。

 頸椎7個、胸椎12個、腰椎5個、仙椎5個、尾椎3~5個、計32~34個の骨があり、骨と骨の間の関節はどれも動かすことが可能(のはず)。

 膝の二重の関節のつくり、動き方も私にはとても参考になる。

 足首の可動域は、ほとんどの人が素体に負けるのではないかしら?

 

 フィギュアに負けないよう、動かせる関節をもっと増やしたいところ。

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 『陳式太極拳入門』

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3月4日(土)にパネリストとして参加しました。
ようせいフォーラム2017プログラム.pdf
PDFファイル 3.1 MB

 

2012/3/20

日本養生学会第13回大会で研究発表をしました。

発表の抄録、資料はこちら