2016年3月

2016/3/30 <『身』と『体』、纏糸功の意義>

 

 ここ数日、乙武氏の不倫事件について度々報道がなされている。

 『五体不満足』と言われる同氏が、複数の女性と関係を持てるなんて、なんと"健康”なこと!

 が、もちろん、この報道がどこか人の意表を突くような、矛盾があるような感がするのも否めない。これは一体どういうことなんだろう?と、改めて中医学、太極拳的観点から人体を考察してみた。

 

 中医学によると身体のうち、『身』は躯幹、『体』は四肢を指すとされる。そして生命を司るのは胴体部分である『身』だ。『体』は『身』を前提として活動のための部位と位置づけられる。

 四肢がなくても生きていけるが、脳や内臓のある『身』に問題があると生命が危うくなる。

 だからまずは『身』を養うことが養生法の基本になる。

 

 通常身体を鍛えるというと、走ったり、ジムに行ったりスポーツを始めたりすることが多い。これらはどれも主に『体』(四肢)を鍛えるものだ。四肢部分の筋肉は随意筋でできているので動かしやすいため鍛えるのも比較的容易だ。

 他方、『身』の部分については、体表近くにある随意筋は鍛えられたとしても、内臓周囲の不随意筋は動かすことができない。神経やリンパ、内分泌なども含めて生命にとって核心的な『身』の部分はどれも”作為”によってどうしようもできないように作られている。勝手な”我儘”で操れないようにした天の計らいだと思うけれども、このあたりの調整に関しては、不作為、忘我の境地で、余計な手出しをせず、ただ自然に任せるしかない。

 古来からタントウ功や坐禅が養生法の基本とされているのはそんな理由がある。

 

 病気は『身』に発生する。

 健康とは病気がないことだとすれば、手足のない人の『身』が手足のある人の『身』よりも健康だったとしても不思議ではない。いや、手足があることで却って手足に注意が奪われ『身』の保全がおざなりになってしまう、という落とし穴も存在するのかもしれない。手足がなければ余計なエネルギーを使わず全てのエネルギーを『身』に蓄えられたりするのかもしれない。が、いかに『身』が立派でも動けないのでは不便すぎる。やはり”両立”させたいところ。『体』を『身』に有利に働かせる方法はないものか?

 

 下の図の左側のモデルさんの身体で、『身』と『体』の区別を示してみた。

 右側は、太極拳の四法、即ち、身法、手法、歩法(腿法)、眼法の部位を現わしている。

 

 右側の太極拳の手法、歩法において、腕や脚は胴体部分に入り込んでいる。

 胴体部分は横切りに三つに分けることができ、上から上焦(肺、心臓の位置)、中焦(胃の位置)、下焦(腸、生殖器の位置)、合わせて三焦と呼ばれている。

 太極拳の纏糸功の練習をしていとく次第に腕は上焦から、脚は下焦から生えているのが実感できるようになる。さらに意識的に練習すれば、腕も脚(腿)も各々、中焦(帯脈部:丹田≒臍、腰のある場所)までつながるようになってくる。こうなれば中焦(丹田部)の力を手足の末端に伝えることも、逆に手足の動きによって身の中心部分を練ることもできる。

 

 今週は腕の纏糸功を多少大げさな動きで練習してみた。ほとんどの生徒さん達が手・腕の動きによって『身』を活性化させられているようだった(そのうち腿の纏糸功も練習しましょう!)。

 

 纏糸功は太極拳特有の動き。

 これによって太極拳は『体』=四肢が『身』を養えるような動きになっているのだった。

 『身』と『体』の両立。正確には陰陽の補完関係にあるのだろう。ここでも太極の原理が働いている・・・。

 

 さらに意識的に、『身』と『体』、共に協調し養い合えるような練習をしていきたいものだ。

 

 

2016/3/27 <背骨が立つ、椅子坐りの姿勢>

 

 骨で立つ、というのは良く言われるところだが、それが本当に難しい。

 立ち上がって間もない幼少期ならともかくも、それ以降筋肉が徐々に鍛えられ、私達は骨よりも筋肉をどこか硬直させて立つようになってくる。

 放松、というのは筋肉の余計な緊張をほどくことだが、これがなかなかうまくいかない。

筋肉にインプットされた緊張は瞬時にほどけるわけではなく、毎日毎日の癖付け、リセットが必要になる。

 

 タントウ功は立つ練習、坐禅は坐る練習、どちらも尾骨から頸椎までがすっと立つように一歩一歩練習していく。

 背骨は立てるのではなく、立ち上がってくるようにする。

 立てようとすると、またまた筋肉が緊張する。

 丹田に気を落とし込むことによって、下から上へ背骨が立ち上がってくるようにするのがミソになる。

 

 中国の太極拳の先生でも頸椎まで自然に立ち上がっている人はそれほど多くない。

 多くは首を立ち上げている。

 立ち上げているのと立ち上がっているのは雲泥の差がある。

 坐禅やタントウ功で周天(気を循環させる)できるには背骨が尾骨から頸椎まで”抜けて”いなければならない。首の筋肉を硬直させていては周天はできない。

 

 頸椎を通すのは難関だが、そのためには尾骨を通す必要がある。

 命門から始めて下向きに背骨を通していき、最も下の尾骨が立つ頃、やっと頸椎が立つようになる。尾骨が使えるようになるとお尻が”坐る”。

 

 この意味で最近見かけたアイススケートの宇野昌馬君の坐り方は、私が北京で馮志強老師の隣に坐った時に見た老師の坐り姿を思い出させるものだった。

 自然に腹に気が沈み込んでいて骨盤が立ち、その結果すっと背骨が伸びている。

手が膝あたりにあるのも、膝と腰を守る気功法として推奨されている形。馮老師もそんな感じで坐っていた。

 

 好奇心からスポーツ選手の椅子坐りの姿を比べてみた。

 姿勢はそれぞれのスの特性が出るのかもしれない。(引退すると丹田の気が減って腹が潰れてしまうような・・・)

 椅子坐りは腰にとって最もつらい姿勢。丹田の力がないと骨盤を立てることもできない(丹田の感覚なしに骨盤を立てると腰が反ってしまうので注意)。

 うまく坐るのは誰にとっても難しい。が、意識的にやれば練習になる。

 

2016/3/20 <中国から戻ってきて>

 

今日中国から戻ってきた。

噂通りの開発につぐ開発。人は多く、車は多く、空気が悪い。

景勝地に行っても、公園に行っても、静寂に出会えない。

以前会った知人達がこの2年でかなり老いてしまったように見えたのは単に年齢が増したせいだけではないかもしれない。

健康第一、を思い知らされる旅だった。

 

健康は生まれつきの要素に加えて、その後の生活習慣が大きく関与する。

いくら先天的に強い身体を持っていたとしても、酒やたばこ、大食い、偏食、不規則な生活などを続けていれば当然健康に問題が出てくる。

が、今回特に大事だと知ったのが個人ではどうしようもない外的な環境。

空気や水、その土地、場所の気場など、人をとりまく環境が知らず知らずのうちに人の心身の状態に多大な影響を与えるということを再認識した。

 

ラッキーなことに、日本の空気や水はそれほど悪い状態ではない(これ以上悪くなりませんように・・・)。

そして探せば身体に良さそうな場所もある。

ある中国人の知人は、土地はやはり山と水がなければ良い土地とは言えない、と私の滞在していた杭州を褒め、彼の出身地である河南省の都市を嘆いていたが、日本はまさに山と水の土地。(杭州を見て、あら、なんだか日本チック、と感じたのは山と水のせいだった。)

それに加え日本には今や中国ではなかなか見つけられない”静寂”が残っている!

 

身体に良さそうな場所、というのは自然のある静かな温かみのある場所、というのが私の直感的な理解。

恐らく練習に適した場所をイメージしているのだろうけど、それは自然にちょっと人の手が加わった静けさの感じられる場所だ。

せっかく自然があっても人が大騒ぎしていると自然が台無しになる。

この世でうるさいのは人だけかもしれない。

動物は声を出すけれども、その他は沈黙している。

 

馮志強老師はその著書で、まず第一に”虚静”の大事さをとりあげ、「静に始まり静に終わる」「虚静の程度が太極功夫の程度を反映する」と言っている。

これからは『静』を真剣に練習の課題にしなければならないようだ・・・。

 

 

 

 

2016/3/10 <中国の腰>

 

 先日テレビで世界卓球の決勝を見た。

 打倒中国を合言葉に頑張ってきた日本選手の打法も、30年前(!)に私が習ったものとかなり変わっている。

 現在では中国人のコーチも数多く日本で教えていて、当時の"純和式”から中国的なものが随分とりいれられている。

 以前、今の卓球界を引っ張っているコーチの一人である平岡氏と話した時に、彼が取り入れている打法が円形の太極拳的な動きだったのを覚えている。また全日本チャンピオンを育てたことのある別の女性のコーチも中国の卓球の強さは太極拳にあるに違いないと自ら太極拳を学び、馮志強老師が来日した際にドライバー役をしたりしていたと聞いている(国際審判もなさるので中国語も堪能)。

 

 私が初めて中国に行ったのは1982年。日本の中学生の代表の一人として北京体育学院で10日間ほど中国のコーチに卓球の指導を受けた(親善試合として向こうの”小学生"達と試合もしたが、日本側はほどんど誰も勝てなかった)。

 中国のコーチの指導では日本では当時ご法度とされている打ち方を習い、心の中で「これを日本に帰ってやったら先生に怒られるなぁ~。」なんて思ったりもした。

 

 そんな中学生の時に感じた矛盾が解消されたのは、この太極拳を学んでから。

 中国的身体の使い方の代表である太極拳。

 日本的身体の使い方との最も大きな違いは円(球)と直線。

 腰の使い方、腰の位置が全く異なっている。

 

 中国語で腰はウエスト位置(帯脈)。肋骨と骨盤の間の一帯だ。骨が腰椎しかない場所なので、ここをしっかり膨らませて”ずん胴”にする。(冒頭の馬龍選手の写真の黄色部分を参照。)

 一方、日本で腰というと、骨盤の上側一帯を示すことが多い、が、私の師父は骨盤の上端を”上胯”などと言ったりするから、中国人にとってはここはもう股関節地帯の認識のようだ。

 

 腰の前に臍を含む腹がある。

 この腹と腰をひっくるめた”丸太”を如何に形成するかが太極拳のミソになる。

 帯脈を線から面へするようなものだが、この形成のためにタントウ功などの基本功が必要になる。

 丸太にする、といっても実際には硬い中身の詰まった丸太ではなく、中が空洞の弾力性のある強い筒をつくるというのが正しい。腰は”実”ではなく”虚”でなければならない。(強い”虚”、というのは矛盾しているようだが、これは時間をかけて体感していくしかない。)

 虚だから柔らかく、虚だから変化ができる。

 腰が虚であれば柔らかくしなることができ、その結果背骨がしなり弓上になり、腰から手足が生えているような身体になる。

 

 腰の位置が高い(ウエスト位置)ということは脚が腹から生えているということ。すると脚は四節になる。胴体(腹・腰)から骨盤(股関節)が最も大きな幹となる節、そして骨盤(股関節)から膝が太い節、膝から足首までが中節、そして足首から足指までが小節。

 日本式腰位置だと脚は腰から三節になり、かつ、脚と胴体部の連結が弱くなる。

 

 中国選手と比べると日本選手の帯脈部分がよじれたようになるのはその部分の開発が及んでいないからだろう。

 が、胴体と脚をつなげるには会陰の引き上げが必須になるところ、日本では股間あたりの指導は躊躇されがち(社会的にタブー?)だから、なかなか内側から脚と胴体をつなぐことができないのかもしれない。

 

 腰を帯脈部にとれれば脚の力がダイレクトで腹に入るので、とても少ない動きで強く重い打球ができるようになる。打点も早くなる。

 

 と、このようなことが分かるような写真を、と思って以下、編集してみた。

 私的には中国選手と日本選手。構えだけでも違いは一目瞭然。やはり、円と直線。

 そして中国選手の帯脈(ウエスト部分)はベルトを巻いているような太さ。

 

 日本選手の中で中国選手に一番近い(腰位置と円の度合い)のは水谷選手のよう。

 下の二人の選手はまだまだ帯脈の開発の余地ありかなぁ。

 

(詳しい解説は書きませんが、分からなかったら聞いて下さい。)

 

2016/3/4 <独り言>

 

全くメモを書く気がしないのはどこか落ち着かないせいかもしれない。

興味のあるものが増えすぎているのか、3月中旬の中国行きを前にしてせわしないのか、春を迎えて心が浮くのか・・・?

そういえば、明日は啓蟄のよう。冬の間眠っていた虫がもぞもぞ出てくる。

私も冬の間寝てばっかりいたから、それが活動期に入ってきた、ということかしら?

 

この世界はいろんな分野で、いろんな場所で、キラキラ煌く人達が存在してきた。

過去にもいたし、現在もいるだろうし、将来も現れるだろう。きっとそれらの人達はみな同じものを見ている。いつかそんな人達の仲間になれるだろうか?

経験に経験を重ねて抽出していかなければならない。

・・・・そう、広げて(抽出作業で)狭めて・・・開合? やはり太極の世界だ。

 

 

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2012/3/20

日本養生学会第13回大会で研究発表をしました。

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