2016年1月

2016/1/31 <頸椎から延髄へ、推手、おたまじゃくしの身体>

 

 今日の練習が終わって家に帰る途中、じわじわっと大発見らしきものがあったことに気づいた。

 

 そう、延髄!

 延髄が通らないと首は立たない。

・・・こんな説明では皆は分からないなぁ~。

<もう少し分析してみる>

 延髄を立てて開くようにすると、首に力が入らずすっきり立つ。

 ああ、これがないと『虚領頂勁』あるいは『虚霊頂勁』は完成しないなぁ~。

 

 これまで随分生徒さんの首の姿勢を直してきたけれども(私自身も苦労してきたけれども)、頭が前や後ろに倒れて首が曲がっているのはよくある状態で(これは徐々に直していく)、たとえ真っ直ぐに見えても首の後ろの筋肉を硬直して首を立てているような生徒さんもいたりした。特に武術や武道、バレエを練習してきたような生徒さんにそのような不自然な首の立て方が目立つ。

首は大きな関節。全身の運動に連動しなければならない。

 首は立てるのではなく、立つもの。

 これば『虚領(霊)頂勁』の内容に含まれるはずなのだが・・・。

 

 と、最近は寒いからまた推手をやりだした。

 去年の冬から1年近くご無沙汰だったが、やってみると、なんと、昨年より良く分かる!

 ああ、こういうこと、そういうこと、と気づきがいろいろ出てくる。

 通常の練習を1年積み重ねると、久しぶりに推手をしても昨年よりは随分進化しているのが分かる。不思議~(師父は当たり前のこと、と言うけれど)。

 

 推手の最初構え、搭手、で動かずにそのままお互いの力を見ながら(いや、本当は”聴き”ながら)、自分の姿勢を調整し気を丹田に鎮める。これをするとなぜタントウ功をするのか、タントウ功で何をつかもうとしているのか、それが頭ではなく身体で分かる。そのあと推手をし出すのだが、やればやるほど、ああ、タントウ功をちゃんとやらなきゃ、という気になる。どんなに関節を緩めようが技を学ぼうが、身体の力(内気、ポン勁、整勁)が相手に及ばなければ手を合わせたとたん推し飛ばされてしまう。

 どんなに身体が柔らかく技を知り尽くしていても、5歳の男の子がお相撲さんの相手にはならないのと同じ道理だ。(お相撲さんまで持ち出さなくても一般の成人男性なら5歳の少年は脅威にならないはず)

 

 推手をして相手の力を躱す(”化”する)練習をしていくと、自分が蛇のように動いていることに気づく。力がますます中心により、外側の力が抜けている。

そういえば・・・と思い起こすと、タントウ功をしていても、そんな感覚になることがある。

 通常の身体の形から徐々の膨張して大きくなるような感じ(雪だるまのようになっていく)こともあるが、それと反対にますます細く内側に収束していくような感覚になることもある。

それは下の図のような感じ。

 結局私はただの線?

 が、この頃になると自分の身体が液体、流体になったような錯覚が生まれる。

(そういえば、卓球で絶好調の時は自分の身体が液体のようだったなぁ~。)

 と、脊髄の図を見ていたら、脳脊髄液が仙骨まで流れていることを再認識(上の一番左の図の水色部分)。

 

 以下、脳圧整体についてのHPで少し学ばさせてもらった(http://budouno-eda.net/cranial/theory.html)。

 

この脳のクッションにもなっている脳脊髄液は、脳をぐるっととりまく脳部分をキッチンのシンクとすると延髄以下尾骨までは排水管のようなものだとか。排水管のどこかの部分が詰まると流れが悪くなり頭痛がしたり他に問題が出てくる。

 脳脊髄液の流れを潤滑に行わせるためには脊柱管を広げるよう、おたまじゃくしの尻尾のような脊髄を背骨の中で自由に動かすのがよいようだが・・・あれっ、これは毎日やっている!どの腰回しもこれが基本だ。

 

 首を立てる時も心なしか延髄を広げたようにしているのは、脊柱管を広げる動作だったのだろう。

 あくびをしても広がるというし、目を思いっきり開いて舌を思いっきり出してもそのあたりが開く感覚がでる。

 この部分で首が立つのが本当なのでは?

 

 そういえばこの前刀の練習をして気づいたが、遠いところを作用点にしようとすると、そのための支点はさらに一段階遠いところにとらなければならない(この説明は不十分です。きちんと理論的な説明ができていませんので、いずれ力学的理論が自分の中ではっきりしたら書きます)。

 首を立てるためには、首よりも先の場所(ここでは延髄)にポイントをとらなければ立つはずがない。延髄を広げようとすると、いつのまにか直腸や膣を広げようとしているように感じるのも、脊柱管の最上部と最下部が連動しているからだろう。

 

 延髄、脳幹までくると話はついに(やっと)上丹田の話とつながってくる・・・。

 まだまだやらなければならないことは多そうだ(人生暇なし、なら万々歳!)。

 

 とりあえず、文章はここで終わり。

2016/1/25 <タントウ功の練習と背骨の湾曲>

 

 太極拳で作る姿勢は何も太極拳特有のものではない。

 沈肩、含胸、塌腰、虚霊頂勁とかいろいろな要領があるけれど、最終的には頸椎7個、胸椎12個、腰椎5個、仙椎5個(!)、尾椎3~5個をそれぞれ動かせるような背骨にする訓練になっている(椎骨が癒着している仙骨や尾骨をどれだけ動かせるようになるかは??)。

 しかし、すべてのパーツを一気に稼働させることは無理なので、まずは腰椎から始めていくことになる。

 

 タントウ功の第一段階は上半身の力を抜き、腹に気を落として(腹式呼吸にする)腹を膨らませ、その気で背骨を後方に押し出し命門を開く作業だ。

 この第一段階をクリアするだけでもかなりの時間がかかる。

陥りがちな問題点は以下のようなもの。

 

①上半身の力、肩や胸の力が抜けない。

 →胸と腹が出て腰が反る<右図の右端>

 

 ※胸式呼吸から腹式呼吸にする際、胸は”含胸”にする必要がある。胸を突き出していては腹に息が届かない。ほっとしたとき、まさに、ほっと胸を撫で下ろした時、そのような胸の状態を作り出さなければならない。

 

②もし含胸にしたとすると骨盤が後傾して太ももが前に出る。

 結局肝心の命門は開かず背中の上部だけが突き出たようになる。 <右図の左から二番目>

 (理想的な姿勢は左端)

 

 そもそも背骨の湾曲は4つある。

 首(頸椎)の前湾、胸椎の後湾、腰椎の前湾、仙椎の後湾だ。

 タントウ功では命門を出して腰椎を円く伸ば頸椎すことにより、結果として頸椎から尾骨までが牽引されたようになるのだが、その牽引されたような感覚が出る前提には、背骨にバネがある、即ち、これらの湾曲がしっかりできているということがあるのだろう。

 上図の右から二番目の黄色の人のようなそもそも湾曲のない平背(ストレートバック)の人がこれ以上腰を真っ直ぐ伸ばしても意味がない(どころか害がある)。

 

 

 これらの4つの湾曲がきちんと作り上げられる過程は右のようになっているとのこと。

 

①胎児、新生児期に背中のCカーブができる。

②首が坐る頃に首の前湾ができる。

③立ち上がってから小学生の時期に腰の前湾が形成される。

(出典:トコちゃんベルトの青葉)http://tocochan.jp/contents/mother/backbone.php

 

 その説明によると、最初のCカーブ(一次性湾曲)がしっかり形成されていないと、その後の首と腰の湾曲(二次性湾曲)に問題が出てくるというということだが・・・・なるほど~、だからこの練習でも最初にこのCカーブを作るような立ち方をするのね~、と一人納得。

 太極拳の練習は若返りの練習(?)、嬰児をお手本とするようなところがあるから、きっとこれもそうのはず。

 

 が、タントウ功の第一段階がC字カーブを作ることだとしても、そこで終わってはいられない。

その次の段階は”立ち上がる”段階。即ち、股関節を使う段階。

 股関節を緩めて、腰を”反らない”ように、自然な腰の湾曲を作る。

 そうすることによって、仙骨や尾骨が使えるようになり脚の付け根である臀部に力が出てくる。

 

 このあたりの要領についてはその段階にある生徒さんに追々説明することにして、最後に臀部が死んだ例と活きている例を示す写真があったのでここに紹介。背骨のバネ、湾曲の違いでこんなに差が出るとは!

2016/1/20

 

今日のママクラスでやった伸び~る練習(左写真)。

さらに脇の極泉のツボを奥に引き込むと爪が出てくる(右写真)。(引掻くような指先:指先に力が集中する→下段の抓、 采へ)

お手本はこちら

 

 昨日の刀を使っての練習をした後に皆で味わった、指先まで気が届く感覚。

 完璧にやれば指先の力は半端ない。”采(cai,ツァイ)”の最初の”抓(zhua :掴む)”はこんな感じ。

 

 最後に、室内で行った四足練習。前足(腕)は前からみるとこんな感じに作るべし。

 肘が外に開いて"ガニ股”になってはいけません。肘は締めて(両肘が”合”)伸ばすこと。

 お行儀よくお座りした感じです。

 天突のツボがちゃんと引けているのが分かるかしら?)

 天突が引けると鎖骨が腕化(腕の一部になるということ)、右腕と左腕は天突でつながり、右手から左手は一つの円になります(右手が動いたら左手が動くのは当たり前!)。

 鎖骨が腕になると小胸筋が開いて胸毛が豊かに見えます。(鳥もこんな感じだなぁ。)

 

 

 

 追加で、昨日書いた”身体を円くして伸ばす”の極限の例。

 対比として黒猫の”反って伸ばす”も載せます。

 当たり前ですが、円くして伸ばすと督脈が伸び、反って伸ばすと任脈が伸びます。

2016/1/19 <脚の四節、冬天練松、呼吸の四相 気息、不練気、運気、行気>

 

 この1,2週間の関心事やひっかかった点。思い出したものだけ書き出してみよう(と自分に言っている)。

 

・生徒さん達を見ていて感じること。

 立ち始めたら足裏まで気を通すのが松の第一段階。

 この時、足首でストップしている人が多い。本人は足裏まで通しているつもりだろうけど。

 脚は4節からできている。

 ①腎の位置(帯脈)から環跳(股関節)、②環跳から膝、③膝から足首、④足首から足指。

 ④を使うには①が使えなければだめ。これは旋風脚の練習の時に明らかになったこと。

 タントウ功でも然り。

 

・お尻を開こうすると腰が反る。腰を松するとお尻が閉じる。

 この矛盾を解消するのは丹田の気。丹田の気の量を増やして下押し込んでいけば(毎日毎日少しずつ)、いずれ内気で内側から外側に身体が開く。腰も開きお尻も開く(股関節も開く)。

 ようは筋肉や骨という”外”の力を使うのではなく、内気という”内”の力を使うこと。

 (くしゃみでぎっくり腰になった、という人がいることを聞いたが、これも内気が骨を外側に押す一つの例)

 

・冬は松を練習する。(以下、春は柔、夏は静、秋は力、を練習する。)

 冬は寒くて身体が緊張しやすい時。気が付くと肩が上がり、腰が反る。

 だからこそいつもよりも更に注意して松を心がける。

 松、即ち腰を円く伸ばす。(としか言いようがないのだけど:塌腰)

 (松はまず腰の松から始まる)

 

・ここで改めて呼吸に気づく。

 松は呼気が断然やりやすい。

 <1>まず息を吐いて松していく。(高血圧、眼圧が高い、心臓病の人は特に吐くのを重視)

 吐いて吐いて息を腹に落とし込んでいく。

 <2>その後会陰(肛門)を引き上げて(股関節を更に緩め少し仙骨や尾骨を押し出すようにして:前段階までは骨盤が後傾気味なので、ここで骨盤を立てるようにする)丹田に気を溜めていく。→この時の呼吸は吸うのが主。

 <3>しかし吸ってばかりいると胸や肩まで気が上がってきそうになるので、また上から吐き込んで<1>の状態を思い出す。→徐々に<1>と<2>を同時にできるように目指す。

 <4>上から吐き下から吸う?

    →これが平衡状態になると吐いてるのか吸っているのか分からなくなる

    → ”息”ができあがる。(日本語の"息”とは意味が違う)

 ※”息”は吐いてるのか吸っているのか分からない状態。呼吸が次第に”息”になる。

  「有声為風、無声為息」(声が出るのは”風”、無声は"息”)

  呼吸の四相: 風→喘→気→息

  風は声が聞こえる呼吸。最も粗い外に漏れた呼吸。

  喘は肺での不規則な呼吸。腹まで届かない。

  気は腹まで届く細く長い呼吸。

  息は胎息。無音。呼吸が分からない。

  気を溜めるには気→息にしていく必要あり。風と喘では溜まらない。

 

・「練意、不練気」「練息、不練気」(意若しくは息を練習する。気を練習してはいけない)

 これらの言葉は師にも言われたし、馮志強老師の本でも見たけれど、これまでなんだか意味が分からないなぁ~、と頭の片隅に残していた。

 今週少し解けてきた!

 なぜ気を練習してはいけないのか?

 今日の生徒さんにも言ったけれども、気の動きが分かるようになった生徒さんはともしてそれを動かしたくなる。肩が気持ち悪いと肩の方へ、背中のある部分の開きが悪いとその部分へ・・・それは「運気」と呼ばれる。しかし気を運ぶと、決まってそこで詰まってしまう(これは私も痛い経験をした)。ここはぐっと我慢して丹田に集中。気は行かせるだけ。「行気」。「運気」は「練気」と同義だと思うが、馮老師も書いている通り、「練気」をすると詰まる。

 実はこれは呼吸とも関係あるかもしれない。

 気を運ぶ時、気を練習する時(操作する時)は呼吸の力を使っている(空気の力を使っている)。

 気を行かせる時は丹田に集中して沈黙状態に入っているかのよう。この時は”息”になっている。もはや空気の力を使っていない。これは”意”を使うということにもなっている。

 

 うわぁ~っと、とっても大事な問題が解けだしたようで内心ドキドキ。

 もう少し、見つめてみよう。

 

・・・・これを書いたら他の雑多な事柄は飛んでしまいました。

 今日はここまで。 

 

 

 

 

 

2016/1/16 <入静状態、混元の理解に向かって>

 

 今日、昨日のクラスではタントウ功に”はまって”しまった生徒さんがちらほら見受けられた。

 タントウ功に”はまる”というのは”入静”状態に入るということだが、この状態になれば、ずっと立っていても身体のギクシャク感や痛みがないし疲れも感じない。ほわ~んとした、しかし、散漫ではなく内側一点に収束したような、そんな感覚だ。きっとそれを、あの、”松”、と言うのだろうが、この意識状態を動きながら作り出すのは非常に難しいから、馮志強老師の混元太極拳ではまず静功をすることがマストになっている。

 

 入静状態はいわば、覚醒状態の睡眠状態とも言われる。

 自然治癒力は睡眠中に最大化する。身体も脳も休めることで身体をrejuvenate(若返らせる、元気を回復させる)する。

 深い睡眠状態では残念ながら私達は意識を失っているので、その時自分の身体や心やその他がどんな風に働いているのか見ることができない。身体はそこに横たわっていても自分は外に出て行ってしまっているかもしれないほどだ。しかし、静功の入静状態では身体から離れた自分の存在を意識することができる。身体の中の空間も見る?(感じる?分かる?)ことのできる。

 

 馮志強老師のテキストは『練拳須従無極始』(拳の練習はまず無極から始める)から始まる。

「まずは無極」というのが私の師の口癖だが、それは馮老師をはじめその高弟である陳項老師や王長海老師が常に言ってきたことでもある。

  混元太極拳の『混元』というのは万物生成の”初始本元のもの”という意味だという。陳項老師の講話によると、これを体現するための練習がこの混元太極拳だという。

 私にはまだまだ全貌は見えないが、これと”無”は密接な関連があるらしいことは感覚的に分かる。数あるタントウ功の中でも馮志強老師がまず”無極”タントウ功をやらせたのはその関連だろう。

 無極タントウ功ですぐに混元や無が分かるかどうかは?だが、私自身、身体の中の”空”の感覚は出てきている。丹田に気を溜めていきその気が体腔に充満すると体腔が”空”のようになるような、そんな感じだが、いずれにしろ、気を溜める、という作業が全ての鍵になるようだ。

 

 ”空”の感覚が出る以前に”開”の感覚も出る。

体内の気の外側に押し広げる力で身体が開くことが、次第に心も開き、ひいては心が”空”になるということも次第に実感できるようになってきた。心が”空”だと心身が透明になる。透明感、はその副次的な効果かもしれない。

 

 タントウ功をある程度楽しめるようになった生徒さん達は、その”味”を知っている。その味を知っている人はどこか温和で落ち着きがある。太極拳を練習しても依然戦闘的だったり怒りっぽいのは肝心な静功を練習していない証拠、と馮老師が語っていたが、今はその言葉が良く分かる。静功をやっている人、いない人の差は一目瞭然。

 

 入静状態に入れるようになって、そこからが探求の本番。

 練習の最初の頃の、立ち方、姿勢の調整やその姿勢を作り出すための基本的な身体の開発は、その入静状態を可能にするための準備だ。kいだろう。

 

 この太極拳のベースにある道教、老子の教えなどは頭で理う?身体を脳化するということかしら・・・?(独り言です。)

2016/1/8 <疲れの正体、活力を取り戻す>

 

 新年は3日から練習を開始した。

 3日日曜はさすがに集まった生徒さんは少なかったが、普段人数の多い日曜日にしか練習に来られない生徒さんにとっては少人数で練習するまたとない機会・・・、と、彼らのやる気に私も押されたのか、気がついたらゆうにお昼を過ぎていて4時間以上練習していた。「あらあら、やり過ぎ、すみません。」と謝ったら、「まだできます。」との返答も。

 新年早々、ノリノリの練習だった。

 

 昨年も感じたことだが、冬場は気がよく溜まる。それも下半身に溜まりやすい。

 良く寝ると起きる時に腰から足先まで気が充満しとても重く暖かくなる。最高潮に溜まると腰が膨らんでクッションのようになり、ベッドを押して跳ね起きができたりする。同じ年齢の主人はすでに布団から”ガバ”っと起き上がれなくなっていて、横向きにゴロ~と転がってベッドから降りてきている。

 腰は疲れのバロメーターともいえる。若い頃は腰なんてどこにあるか分からなかったが(背中の下はお尻。腰という意識がない)、数年前、連続して海外旅行をした後、朝起きた時に初めて腰の重さや鈍いだるさを感じ、ああ、これが”疲れが溜まった”という状態なんだなぁ、と”分かった”ことがある。すると、”疲れがとれない”とか”滋養強壮”とか、その手のドリンク剤とか、それまでなんだか良く分からなかったことがたちまちに数珠つなぎのように理解できていった。

 腰(腎)には先天の気が宿る、というけれど、この精気を養うのはよく休む(寝る)のが第一。休まずに運動しても意味がない。いや運動すればするほど消耗するから鍛えているつもりで弱くなる。筋肉を鍛えても身体の活力を養えなければ健康にはなれない。

 

 健康になるために運動をするといってもそのやり方は千差万別。

 スポーツはその名のごとく”気晴らし”。身体を使った遊びで、どちらかと言えば健康な人がやる遊び。やればやるほど消耗する。痛めることもしばしば。だからスポーツ選手はトレーナーをつけたり健康管理のための特別のアドバイスを受けたりしている。

 中高年になって疲れがとれないとか身体が衰えたというのは単なる筋肉の問題でない。所謂”老化”だが、老化の正体は身体の中の活力、エネルギー量、気の量が減っていっていることにある。だから筋肉や骨も衰えるし、肌も艶たなくなる。髪も少なくなるし、声も小さくなるし、目も小さくなる。植物なら花が咲いた後萎れていっている状態。これを蕾から開花の時期、即ち青年期を目標に時計を逆回りさせるか、それが無理でも時計の針が進むのを遅らせようとする試みが古来から実践されてきたヨガや気功の修行法。

 これらの修行法を完璧に実践できないにしても、それを取り入れた功法を練習することで確かに身体の充実感が変わってくる。身体が充実してくれば心も充実してくる。心身充実すれば輝きも出てくる。

 

 私事だが、最近は体内の気の量が増えて身体がパンパンになることもしばしば。これ以上パンパンになると身体が爆発するか”自分”が身体の外に溢れ出て、”自分”が身体を包み込むようになるなぁ~、なんて感じていたら実際にそんな感覚も出てきた。

 身体はこんなにまる~い。おもむろに、自分の身体が地球と同じように見えてきた。私の身体の経絡(縦線)は地球の経線、帯脈は、なんだ、赤道か~。

・・・・こんな話を娘と主人にしたら、軽くスルーされました。

 

 また今年も面白い体験、探検がありそうです。

 

 

 

 

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『今日のメモ』毎日の練習は気づきの宝庫。太極拳の練習の成果が何に及ぶかは予測不可能。2012年9月〜のアーカイブは『練習メモアーカイブ』へ

練習のバイブル本

 『陳式太極拳入門』

   馮志強老師著

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2012/3/20

日本養生学会第13回大会で研究発表をしました。

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