2014年8月

2014/8/28 <陳項老師へのインタビュー番組から>

 

 ここしばらく陳項老師の書いた文章や講演記録などを探して読んでいた。

 探していると少し前にアメリカ影したと思われる短いインタビュー番組が見つかった。

 

 7分ちょっとの短いインタビューだが、そのやりとりは以下の通り。

 

1.「太極拳と八極拳の違いは何ですか?」

      ・太極拳は文拳、八極拳は武拳です。『文有太極安天下、武有八極定乾坤』

2.「太極とは何ですか?」

   ・生命の本です。

    →これが分かるにはまず太極図が分からなければならない。

    これは無極(外枠の円)、太極(陰陽を分ける線)、陰陽二儀(黒白部分)から為る図。

    →太極図を身体で体現する。腹が無極、臍が太極、腎が二儀

     後天の方法を使って先天の状態をもたらす。

    →その方法が三性帰一。眼は見性、耳は聴性、心は勇性、三つ併せて霊性。

      ・初めに”心”と”意”を合わせる。

        (眉間の奥を指しながら)思考を収め、ここ、上丹田に置く。

      ・両眼で心と意が合ったのを見たら、それを中丹田、臍に送っていく。

        すると意と気が合う。練気、練神。

      ・臍を使って意と気を命門に貼り付ける。

       そのあと放松すると自然に(丹田が膨らむような身振りをしながら)戻ってくる。

3.「なぜ陳式太極拳を選んだのですか?」

    ・缠绕回环、缠绕勁が好きだったからです。

4.「太極拳は身体に対してどのような効果がありますか?」

    ・心身の健康に非常に効果的です。

    ・身体だけでなく特に心の健康に対して効果があります。

       太極拳は『内外兼修』の功夫だからです。『静以修身』です。

5.「太極拳には様々な套路がありますが身体に対する効果にどのような違いがありますか?」

    ・あるものは”養気”の拳、あるものは”練気”の拳です。

    ・養気のものは松柔、練気は吸貼捉閉吐(*初耳の話で聞き取り間違いの可能性もあり)     の方法を使います。

6.「鍛錬する身体の部位はどうなっていますか?」

    ・一身五弓(背骨と両腕、両脚で5つの弓)、18の関節の缠绕です。

7.「あなたの練習している太極拳は他の太極拳とどう違いますか?」

    ・私は陳式心意混元太極拳を練習しています。これは心意を主とする内家の功夫です。

             ・内三合(心と意、意と気、気と力)、外三合(上と下、右と左、手と手(?))

     ”合合一気”

8.「太極拳と他の武術との違いは何ですか?」

    ・心意を用いた功夫だという点です。

    ・道家の思想と中医の理論、拳家の方法。

     拳家の方法から入りますが主要な点は中医の陰陽五行の理論に従って鍛錬します。

     (左昇右降、左に肝、右に肺、

      肝(木)→心(火)→肺(金)→腎(水)→肝(木)の循環)

 

 以上だが、インタビュアーの女性が陳項老師の回答を軽く処理して次の質問に移っていく様が面白かった。陳項老師の一つ一つの回答は含蓄があり、どの一つの答えをとってもそれだけで10分以上しゃべれるのではないかと思う。

 印象的だったのは、インタビュアーが、「あなたは陳式太極拳をやっていますが・・・」と言いかけたところで、陳項老師がすかさず、「陳式心意混元太極拳です。」と訂正したところだ。単なる陳式太極拳と馮志強老師の創り上げた陳式心意混元太極拳は別物だ、という点を強調しているような感があった。

 混元の気を養う練習を忘れないようにすることが大事だと改めて感じたところ。

 

 

    

2014/8/24 <腸腰筋の引っ張り合い、足の背屈、土踏まずを保つ>

 

 この一週間の練習で注目したのは腸腰筋の引っ張り合いと足首の折り込み(に伴う土踏まずの形成)。

 

 まず腸腰筋(大腰筋プラス腸骨筋)の話から。

 

 練習中には、右と左の腸腰筋(ヒレ肉)をしっかり引き離し、たるまないように左右に引っ張り合いさせる、という感覚を伝えようとした。

 大腰筋は腰椎の前側から出発し骨盤で腸骨筋と合わさるような形で小転子につながっている。ここが脚の第一関節(と私が勝手に名づけて言っている)。脚はここで動く。太もも(股関節以下)で動かしていてはいつまでたっても四肢運動の域を出ない。太極拳がただの筋骨皮(=外側)の体操になるか五臓六腑を養う内功になるかの大きな分かれ目になる。

 肋骨と骨盤に挟まれた腹腰部は唯一の骨である腰椎に過剰な負荷がかかりがち。これを守るのが腸腰筋だ。所謂インナーマッスルであり体幹を形成する要。太極拳の動きはまさに腸腰筋の動きといっても過言でない。


 クラスの中では腸腰筋の図を見せられなかったので、ここに載せます。

 

 ①左右の腸腰筋を引っ張り合いさせたままにする

  ⇒股関節微妙に外旋

  ⇒陰廉穴や気衝穴を内側から外側に向けて開くような要領、が必要。

   ※つまり『圆裆』

 

 ②一本一本の腸腰筋が張りを保つようにする(前後の引っ張り合い)

  ⇒命門を開けておくと同時に股関節を緩める(折り込んでおく)

  ⇒命門と小転子での引っ張りに合いになる

    ※『塌腰』と『松胯』の要領のせめぎ合い

 

以前6月に載せたネイマール選手の写真。

改めて見ると腸腰筋の引っ張り合いからその戻りでキックが繰り出されていくのが分かる。脚が腹まで入り込んでいるのが見てとれるかしら?

この、”緊張感を持った”腹の開き、がミソ(股関節が柔らかくなければならないが、ただ開けばいい、というものではない)。

 次は足首の折曲げの大事さ(正確には背屈という)。以下クラスで教えたことを箇条書き。


 足の背屈よって土踏まずが上がる。足の三つのアーチができる。

 足首の前面の三つのツボをしっかり引き込む。

 土踏まずは土を踏んではいけないから”土踏まず”という。

 足首を引き込んで土踏まずが上がっていれば会陰も自ずからあがる。


 以下、関連する画像を載せるのでクラスの中であまり良く分からなかった人は適宜参照して下さい。


 

 なお、上の要領を使わず、足を偏平足のようにして中腰姿勢でタントウ功を長時間すれば太ももは太くなるし、膝は痛くなるし、関節が固くなって動けなくなってしまう。この類の細かい要領がタントウ功が成功するか、失敗するかの分かれ道。この辺りは微妙なので明師について行う、というのが昔からの教え。内功、特に静功(タントウ功や坐禅)は非常に微妙な調整を加えながらやる必要がある。本を読んで独学で行うのは成果がでないばかりか、時に偏差が大きくなって害が及ぶことさえあることに注意。

 (タントウ功がうまくできるようになった~、と思った頃にはもう形を少し変えなければならないので、タントウ功が好きで家で毎日やっている生徒さんは時々クラスに出てチェックさせて下さいね。老婆心ながら。)

 

 

付け足し。

 

足の背屈の反対は底屈。トウシューズの中のバレリーナの足。バレエダンサーはトウで立つために日頃背屈を念入りに練習する。背屈ができなでればこんた底屈は無理。

それにしてもなんだかショッキングな写真・・・。


と、ここまで書いて、今週やった爪先立ちの練習を思い出しました。足首の甲がちゃんと出た爪先立ちのできる人がとても少なかったような。


タントウ功の際に身体のセンターの軸は爪先立ちの要領だという話、それは次回に。これもタントウ功の成否を分ける大事な要領です。

2014/8/20 <子猫の観察、舌抵上顎、任督二脈貫通、収眼神>

 

 ちょうど一週間前、家の近くで一匹の子猫を拾ってしまった。

 廃墟となった家の床下で生まれたと思われるが、その近辺で土木工事が始まったため親猫は避難してしまったようで一匹取り残されて鳴いていた。

 

 実はその前の週、別の場所で道に出てきた目のまだ開いていない子猫を見かけ、親猫がいると思われる家の庭先まで運んだのだが、翌日通りがかりにその庭を見たらその子猫は横たわって死んでいて周りに蠅が飛んでいた。その光景があまりにも哀しく、その命を救えなかったこと、どうしようもなかったことにやりきれなさを感じていたこともあり、今回また同じような場面に遭遇し、思わず廃墟の塀を乗り越えて子猫を取り出し家に持ち帰ってきてしまった。

 

 翌日獣医さんにつれて行き身体の状態などをみてもらった。

 生後2週間経つか経たないかというところ。哺乳瓶でミルクをあげるように言われ早速哺乳瓶を購入。私と主人と娘の三人プレーで面倒をみることになった。

 

 最初は小さなネズミのようだったが、みるみるうちに大きくなっていく。半日ですでに大きくなったのが分かる。ものすごい細胞分裂の速さ。一週間前のやけどの傷がなかなか治らない私には羨ましくて仕方がない。

 

 子猫の営みは、飲んで、出して、寝る、ほぼこれだけ。最近になってこれに少し”遊ぶ(じゃれる)”が入ってきた(じゃれられた私の愛犬が逃げ回るのが面白い)。

 

 最初は前足のみの力でよちよち転がりそうになりながら歩いていたが、この一週間で随分後ろ足(とお尻)がしっかりしてきた。後ろ足はネコでも鍛えなきゃ使えないのね~、と、彼女の下半身を観察しながら、ふと、ここから後ろ足だけで立ち上がった私達人間は本当にすごい!と思う。

 

 さて、彼女の一日の営み、飲んで、出して、寝る、これらの姿から日頃の練習に関連して気づくことあり。

<飲む>

 吸う時にちっちゃな舌が舌打ちするように動く。

 『舌抵上顎』という要領があるが、舌が上あごを支えるように多少突っ張った感じになっている、そんな状態を思い起こす舌の動きだ。”舌打ち”直前の舌、即ち、舌が少し後ろに、上あごのてっぺんへ向けて引いたようになったところが基本の舌のポジション。

 こうすると喉の奥の方が開き、(本来は食物の通り道であるが)気の通りが良くなる。 

 督脈の首付近のツボを開けるためにはこの要領がマストになる。これができていないと舌から上がってきた気が首あたりで詰まって、肩や首が硬直して動かなくなってしまったりする(私はこれで1年以上辛い想いをした)。

 私自身の経験談だが、首は道が狭いので、ここを開けるのはかなりの苦労をした。当時パリの師父から離れていて半年に一度しか見てもらえず、その間自分一人で練習(タントウ功)をしていたら知らず知らずのうちに偏差が拡大していた。偏差が小さいうちに調整する、というのが特にタントウ功等の静功の鉄則。ズレたまま練習を続けると身体に問題が出てくることもある。明師の下で練習すべき、という言葉を思い知った一件。

 その当時声楽家と交流するようになりオペラ歌手が高音を頭の頂点から抜いて出すのを見て、裏声の要領⇒『舌抵上顎』、とつながり、徐々に首あたりの気を通し、問題を解決していった。

 

 もう一点。

 子猫がミルクを飲んでいると、後ろ足と尻尾が軽く痙攣している。

 毎回毎回そうなる。目をつぶって飲むこと(吸うこと)に集中。するとその刺激は足先、尻尾の先まで貫通するということだろう。

 これは『任督二脈貫通』とか『節節貫通』、『気息貫通全身』とかいう、”貫通”状態。

 私達はいくら美味しいものを食べてもその快感で”全身が震える”、ということは皆無かも?! 

 

<出す>

 獣医さんからおしっことウンチのさせ方を教わった。

 ただティッシュでその出口あたりをチョンチョンと刺激してあげるだけ。するとほどなくおしっこが出てくる。

 これだけの刺激ですぐに出てくるなんて感度が良いなぁ~、と毎回感心。

 

 面白いのはその時の表情。

 目が奥に引っ込んで、”あっちに行っちゃった”ような恍惚状態。声のトーンもいつもの”ミャー!”から、”フゥ~ン♡”に変わる。

 横の写真がおしっこをしている時のものだが(首を絞めているのではない!)、目が〝イッちゃってる”のが分かるかしら?

 

 前回の陳項先生の講話の中にもあった『凝神』の要領の第一歩がこのような感じ。目が後ろに引けていき(これが写真のネコちゃんの状態)、これがもう少し中で収まると『眼神を収める』状態、更に奥で焦点が合うと『凝神』になる。瞼も次第に閉じたようになっていく。

 と、私達が用を足す時も、テキトーにやるのではなく、その快感、開放感をよ~く味わおうとすれば知らず知らずのうちに『凝神』に近いことをしているはず。身体の内側の感覚を味わうには『内視』、『凝神』をせざるを得ないが、これは丹田を内視する際も同様だ。

 

 ちなみにこの右の写真はネコが前を見ている状態。眼神が出ている(ごく普通の状態)。

 上の写真との違いが分かればよいけれど。

<寝る>

 

 丸くなった胎児の恰好。こうすると全身が一つの円になる。太極拳の象徴の円。

 命門を出す(腰を丸くする)のはこの円環を作るため。円環ではエネルギーが漏れないが、直線ではエネルギーが漏れる。

 寝る時はこのような”弓状”で寝るのも練習の一つ。

 

 以上、子猫の観察から感じたことを記しました。

 

 前回紹介しかけた陳項老師の講話は読めば読む程難しくなり、簡単に訳せなくなってしまいました。

 体験が伴わないと読んでも表面をなでる読み方になってしまい、せいぜい頭の中の知識を増やすだけ。体験と照らし合わしながら読んでいくと、一言一言立ち止まったり、味わったり、身体の中の感覚を再現してみたり・・・と、なかなか前に進まなくなってしまいました。

 時間があり、気がむけば、自分のためにぼちぼち訳します。

 

 

 

2014/8/15 <陳項老師、本物を見抜く目、講話の紹介>

 

 前回(8/11付)紹介した陳項老師の動画を一目見て、その功夫の高さはただ者ではない、と見破った人は本物を見る目のある人。

 この動画を見て驚愕した、としたら中国武術の見識がとても高いに違いない。

 

 陳項老師は馮志強老師の実質的な後継者で、「雄沈大気な様、推手、散手とも敵なしで、その身法と歩法を見た人は驚き驚嘆する」と中国国内でも評されている。

 練習はあの動画の通りゆっくり力を抜いて行っているが、実践になれば滑る様に動きものすごい力が出る。

 

 陳項先生の動きを観察して「数十年の功夫が見てとれる」とある先生が評していた。

 数十年の努力が積み重なっていく、それは単なる”スポーツ”とは確実に一線を画するところだろう。やり込んで積み重ねていくというのは芸事に通じるところがある。そこにはアンティークの一品に秘められたような深さまで感じられる。

 

 少し前に太極棒の紹介をした時、陳項老師が生徒さんを率いて太極棒の表演をしている動画を載せた。実はその動画は出産直後のママ達が集まるクラスでママ達に見せたものだった。彼女らは出産後の身体の回復のために練習をしているだけで、太極拳やら武術やらに全く興味がないのだが、この動画を見たとき、皆口をそろえて、「何か分からないけど、すごそう。強そう。」と言っていた。

 ある私の生徒さんはそれほど練習期間が長くなかったが、あの動画を見るなり、「この先生の動きを見ているとすべての動きがタントウ功になっているのが分かります。」と私もはっとするような洞察を述べてくれた。

 人は経験の多少に拘わらず、何だか分からないけど「良い」「すごい」といった共通した感覚を持つことがある。この”何だか分からにけれど”という部分がミソで、単に高く跳んだり速く動いたり人にできないような大道芸人的なことをやる、といったことではない。理由を述べようと思えば述べられないこともないが、それでは言い尽くせない何かがある。それが内側から来る深み、パワー、磁力、まさにこの太極拳の内功で培う質であり、太極拳に限られない何事にも通じる質だと思う。

 

  陳項老師には数年前に北京で数回学んだことがある。といっても、陳項は非常に物静かで私達生徒の方には目もくれず、ひたすら自分の練習に打ち込んでいるようだった。ただただ見て。感じるだけの練習だったが、その時の陳項老師の姿は頭の中に映像のように残っている。

 

 陳項老師の比較的最近の講話記録と雑誌に掲載した文章がある。

 陳項老師は若い頃から中国相撲や八極拳を学んでいたが、馮志強老師の弟子になってから『混元太極』を学びその功夫の厚みと深さが格段に増した。馮志強老師が心から教え込んだ弟子で、陳項老師もその文章の中で、師父に対する絶大な信頼とこの上ない感謝の念を表している。

 

 陳項老師の文章を時間があれば翻訳して紹介したいところだが、それができるかどうか分からないので以下に講話の第一部の要点を箇条書きにしてみる。

 

学ぶにあたっては明確な理念と方法が必要。

<理念>

『混元太極拳』は力気を使うのではなく意気を使う。(意気を使えば骨と肉が重く沈んだようになる。)

『混元』とは天地人の和のこと。

<方法>

①三性帰一(眼:見性、耳:聴性、心:勇性、三性帰一:霊性)をする

→三性帰一はどうやるか?

  静かにして男性は前立腺の前面の一点、女性は子宮口の前面に集中する(嬰児に戻るということ。凝神(両目を眉間の奥へ収めていく)ところから初めて徐々に丹田まで降ろしていく。講話ではその過程を詳細に語っているがその部分は割愛。)

②三性帰一ができたらそこで形を守る。意念は強すぎない。淡々と。方法がない、つまり無極。

 次第に丹田で心気と腎気が交わり和気となる。五臓六腑が健康になる。次第に熱を発生する。そこで気を蓄積する。

 臍と命門が動き出したら”脈”ができている(神と気が和した状態)。そうしたら脈と気を和させて経絡に入れていく。その時無理やりやらない。次第に尾骨を開けていくようにする。

 人によって練習時間は異なる。ある人は一時間、ある人は二時間、ある人は八時間。具外的には何も言えない。

 

続き(第二部)の紹介は次回に。

 

 なお、陳項老師の24式はある境地に達した老師自身の動きなので私達が真似すべきものではない。まずは正確に動けるようにする。雰囲気だけで動いては乱れた自己流になるだけ。まずは形を正しく。

 

 下は陳項老師の八極拳。

 前回の動画を見て「下手何だか上手なんだか分からないなぁ~。」とコメントした私の主人(空手を習っています)も、これを見たら「これはすごい!」と言っていた。

 発勁しなくても凄さが分かるようになるのが”本物の目”、なのだけど・・・。

 本当に良いものを見抜く目を持ちたいもの。これにも意識的な努力が必要。

2014/8/11 <静と放松、感覚、イメージの力、感じさせる>

 

 静かになる、と、放松(ファンソン、余計な力を抜く)は切っても切れない関係にある。

 『太極拳は松に始まり松に終わる』とも言われる。

 結局太極拳を学ぶ最終的な目的は『静』と『松』なのかと思う。

 

 と、理屈は分かっているのだが、まだまだその境地には達さないのが現状。

 教えていても言葉が多すぎる。

 私のバイブル的存在のバレエ漫画『スワン』の中で、モダンバレエに転向したばかりの主人公真澄がどう踊ってよいか分からなくなってしまった時、後の恋人となるルシィが真澄にボレロを踊って見せるシーンがある。

 「見て!感じさせてあげる!」とばかり踊るルシィの姿を見て真澄がショックを受け開眼するのだが、この”感じさせてあげる”というところが私のまだまだ足りない部分。

 昨日のクラスでもさんざん言葉を尽くした上で、最終的にはそのお手本になるものとして陳項老師の動画を見せてしまった。

 その動画を見た生徒さんも、「ああ~、なるほど~。」と唸っていたから、やはりそれなりのインパクト、印象があったのだと思う。

 頭で理屈を知っても、それに対する”感覚”をもてなければこの練習は何の意味もない。

頭と感覚が一体になってバランスのとれた人間となる。これも太極拳の原理である陰陽バランスだろう。

 

 「・・・・な感じ」という言葉遣いは女性に多そうだが、そんな曖昧な”感じ”を使うのも練習の大事な要素。

 頭の理解は身体に直結しないが、感じることは身体に直結する。頭で考えると脳が内向きにタイトになり身体が緊張するが、感じようとすると脳は外向きに膨張したようになり、すると身体と脳が一体になる(ような気がする)。

 身体を使うには感じたり、イメージすることがとても大事(必須)ということのよう。

 

 実際、陳項老師の動画の冒頭の「降気洗臓功」を見た生徒さん達は、その後の動作が見違えるように、静かで力の抜けたものになっていた。

 私が10分説明してもできないところを、動画を1分見ただけでできてしまう、イメージの力というのはものすごいと思った。

 常日頃、良いものを見、良いものを聞き、良い思想に触れる、というのは本当に大事ということだ。

 

 私もあと10年くらいしたら、「見せて感じさせる」ことができるようになるかしら?

「分からせる」よりも「感じさせられる」というところに目標を置きたくなった。

 

以下は陳項老師の24式。

型自体は随分自己流になっているが、それは”行気”(気を行かせる、”運ぶ”のではないことに注意)を重視しているため。

冒頭の気を下げる動作(降気洗臓功)はこの季節特に念入りにやりたい練習。

どこか涼気を感じさせる動きだ。(尤も、雑音が酷すぎ!が、この、”やらせ”じゃないかと思う程の雑音の中で、静か~に涼しげに練習をする・・・このコントラストが実に良い!ブラボ~! 何にも影響を受けない、これが“修行”ということ。)

 

 

2014/8/5 <静功の意義、”静”>

 

 猛暑続きで心身へこたれそうになる時に一緒に練習をしてくれる仲間(生徒さん)がいるのはとても心強い。

 一人で練習するのもよいが、皆で練習すると”その気”になりやすく知らず知らずのうちに練習ができてしまったりする。

 

 ・・・と、一昨日の週末の公園での練習で初めて参加した生徒さんが暑さで倒れてしまった。立ち姿がそこそこできていたので私もそれほど注意をしていなかった。しばらく立って、それからそのままの状態で私が皆に話をしていたところ、ふら~っとしたかと思うと土の上に倒れていってしまった。生徒さんの中には鍼灸師もいて、私と彼女でツボを押したり、別の生徒さんが飲み物を与えたりして、ほどなくその生徒さんは回復した。

 

 大事には至らなかったが私には反省するところがあった。

  

  鍼灸師の生徒さんの一言ではっとしたのが、タントウ功で集中している時に私の話を聞くのは大変だということ。そう、私は皆にちゃんと収功をさせないまま話を始めていた。加えて、話が長かった! 話を聞いている間、私達の意識は頭に行ってしまいがち。気温や湿度の高い中で丹田から目を離し気が頭に上ってしまうと眩暈や立ちくらみをしてしまう。

 

 ただでさえ、私の話は”てんこ盛り”になりがちなのに、こんな猛暑の時に講話もどきの話をしている場合ではなかった!

 

 

 

 今日も遠方から来た生徒さんにタントウ功につき延々と語ってしまったが、帰り道、ふと、「何のためのタントウ功?」と改めて考えてしまった。

 正しい姿勢を身体に覚えこませるとか、気を丹田に溜めるとか、ツボを開くとか、使えない身体の部位を意識化して使えるようにするとか、更に細かく挙げていけばキリがない。

 

 かなり昔の話になるが、以前、中国の少林寺出身の先生の下でかなり真面目に気功(武術気功と言っていた)を学んだことがある。数年学んだ後、おもむろにその先生に「何のために静功(坐禅)をするのですか?」と尋ねてみたら、あからさまに不機嫌になってしまった。生意気な質問だったのかしら?、と、怒らせてしまう理由がよく分からなかったが、その後しばらくして不躾に「超能力を獲得するためだ」という回答をもらい、心中笑ってしまった。

 常日頃”悟りの境地”云々を説いていて、いざ坐禅の目的はというと”超能力の開発”?

なんだかえらく俗っぽい答えだなぁ~と内心驚いて、それからその先生に対する認識がかなり変わってしまった。

 

 現在自分自身が教える立場になり、かつ、こうやって毎日タントウ功や坐禅をしていると、「何のための静功なのか?」と意識的に考えることはないに等しい。そしていざ自分で自分に問うと、一瞬、あの時の某先生のように少し戸惑うようなところもある。しかし、最も大事なことはなにか?と自問自答すれば、それは”静かになること”、それに尽きると言い切れるのが分かる(当たり前すぎ?)。

 

 『静功』は文字通り、身体も心も止まって静かになっているということ。が、私たちは俗に言う猿のように落ち着きがなく一瞬として止まっていられない。動きを止める一つの方法として身体の一つの部位に意識を集中させるという方法がある。が、一点集中はあくまでも静かになるための方法であって、心(頭)が止まってしまえば、集中も意味をなさなくなる。ましてや気をどこに運ぶやら、廻すやら、そんな意念も沸いてくるはずがない。

 ただ混沌とした宇宙のシーーーーーンとした中に入ってしまう(ような感じ。あくまでも私の感覚)。

 

 馮志強老師の太極拳入門の本は難解で、最初読んだときは漢字の上を目が滑っていくようで何も脳に反応しなかった。が、不思議なことに、練習を積んでいくと、理解できる部分が自然に増えてくる。

 今日は、馮志強老師が本の中でまず最初に”静”の大事さを強調していたことを思い出した。

 ああ、だから一番最初に書いていたのね~、と、まさに”気づいた”(悟出来)感じ。とても感慨深く嬉しかった(『練拳須従無極始』や『心神虚静貫始終』)。

 あの境地まで達した老師が私達にまず伝えたいと思ったのが”静”の意義。”静”に徹していれば変な道にそれることもないはず。

 

 心が静かだと身体も静かになるだろう。心が暴れていれば身体も暴れるだろう。

 ”静”は”動”以上に深みがある。私の師父も、練習して1か月の人の”静”と1年の人の”静”、3年、10年の人の”静”はその質も深みも全く異なると言っていた。

 まだまだ静かさが足りないなぁ~、と練習中にしゃべりすぎる自分を反省した次第。

 この暑いさなか、暑苦しくない、涼しい存在になりたいところ。(冒頭の絵はOsho

タロットの中の私の好きな一枚。自分の理想の姿?!)

 

 

 

 

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練習のバイブル本

 『陳式太極拳入門』

   馮志強老師著

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2012/3/20

日本養生学会第13回大会で研究発表をしました。

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