2014年4月

2014/4/26 <含胸の考察>

 

 鄭州滞在中に注意を受けた点は更に『含胸』と『斂臀』を徹底させることだった。

 ある程度はできているつもりだったので、まだ足りないのか~、とちょっとがっかりしたが、修正した形で動作をしてみると丹田に集まる力が増大するとともにそれが足裏まで貫通するのが分かった。その姿勢をずっと維持したまま動き続けるのはかなり苦しかったが、そうしてみるとこれまで知らず知らずのうちに胸とお尻(肛門)から気が漏れていたことも判明。

 

 身体の力を如何に丹田に集結させそれを体外に漏らさずに身体の隅々まで運用できるようにするか、これが太極拳を学ぶ大きな意義。それを可能にするための先人から伝わる様々な要領を表す言葉はとても多い。

 その中で身体の外形的な要領だけでも、頭、項(うなじ、首)、肩、肘、胸、背、腰、脊椎、臀、胯(股関節)、膝、等々、各部位ごとにその適切な状態を指し示す言葉がある。

『虚領頂勁』、『沈肩』、『墜肘』、『含胸』、『抜背』、『松腰』、『垂脊』、『斂臀』、『松胯』などが代表的なものだが、これに眼法や意念の持ち方の要領などを加えれば非常に多くの言葉が伝わっている。

 

 今回改めて『含胸』の”含”の意味を考えることになったのだが、よく考えてみると確かに思ったほど自分がちゃんとは理解していないのを認めざるを得なかった。

 言葉の意味はそれに対応した実感があって初めて理解できる。

 実感がない時にはその言葉の意味は中身のないただの音、もしくは頭の中で自分勝手に推測した意味を付加した別の言葉になってしまう。

  (例えばにんにくの味を伝えるにしても、食べたことのない人には”にんにくの味”は何の意味ももたず、仮に想像したとしても本当のところを知ることはできず、相手の伝えようとした意味、実感をその通り理解することはできない。)

 つまり言葉はシンボルだから、そこから相手が伝えようとした実感をどれだけ正確に掴み取れるか、というのが非常に大事になる。特に太極拳の世界で伝わる言葉は漢字一字一字に深い意味が付与されているから、その深みを実感できなければ真に理解できたとは言えないのだと思う。そのためには自分の感覚を日々磨き続ける必要がある(そしてそれがこの練習の醍醐味!)。

 

 果たして『含胸』の”含”にはどんな意味があるのか?

 今回直された姿勢をもとにこの一週間タントウ功やら座禅をしながら『含胸』をかなり注意してみた。胸の奥が落ちて、(トイレに行きたくてやっとトイレを探して坐った時に感じるような、あの、)ほっと安堵感が広がるような感覚、胸の気は腹の方に落ちて、だけども、胸の真ん中に空洞があるような状態、きっとこれなんだろうと思う。

 これなら喉も、鎖骨も緩み、肋骨も軽く閉まって、喉(もしくは鼻上奥)から丹田まで、胸を素通りして息が届くようだ。これはまさに腹式呼吸。含胸にすれば腹式呼吸になると言われているから正しいはず、と解釈。しかも、「”含胸”とは”挺胸”(胸を張り出すこと)でもなく”凹胸”でもない」というよく見る定義にも反していない。「含胸とは胸の力を抜くこと」とか「胸の奥を気持ちよく開いて気の通りをよくすること」という(あまりちゃんと”含”の意味を説明していない)説明にも合致する。

 しかし私がそう、これだ、と感じた根拠は鄭州で聞いた現地の生徒さんの言葉。

私が一体”含”ってどんな意味なのか?と師父に詰め寄っていたら、横にいたインテリ系の生徒さんがこう説明してくれた。

 「口の中に飴を入れたままにしておくのが”含”。もし口の中の力を入れすぎたら飲み込んでしまうし、ゆる過ぎれば飴が口から出てしまう。そういうこと。」

 ああ、また”中庸”の話?あの微妙なバランス?開中有合、とか松中有緊、とか、つねに相反するものの引っ張り合いの中でバランスをとるあの話だ・・・。

 その時はそんな頭の理解だったが、それからずっとそればかり練習してやっと実感がでてきたところ。胸の奥に空間があってそれが軽く何かを包み込んでいるような感じ、収束の中にも空間が残されている、それを先人は”含”の漢字で表したに違いない。

 この『含胸』をすると『抜背』になり、それに『斂臀』を加えて項を軽く立てれば(『虚領』)『頂勁』になり、尾骨から頭頂までが一本の線でつながる。

 ・・・これはバレエの基本姿勢と同じはず(ということでバレエの身体テクニックについて定評のある本を入手することにした。西欧のバレエ研究は解剖学を基礎にとても科学的だから、そこで含胸や抜背、斂臀などをどう説明しているのか見てみたいと思った次第。)

 

 なお、上のような太極拳の要領をきちんとクリアしていれば猫背になったり首が前に出たような姿勢になるわけがない。しかしながら巷の太極拳の大家と言われる人達の普段の姿勢を見てみると、思いのほか高い割合で背骨に変な湾曲、癖が出ていたりする。背中を見ればその人の生き様が分かると誰かが言っていたが、人の姿勢、背骨の状態は、その人の職業や嗜んできたスポーツ、趣味、生来的に出やすい癖などでかなり変わってくる。太極拳を教える立場であればまず背骨はすっきり真っ直ぐなのが当然というところだろう。

 しかし背骨をすっと通った状態に保つには常に意識的に調整しなければならないのも事実。一度できたからといって放っておくと知らず知らずのうちに崩れてくる。特に教える立場になり誰からも注意を受けないとそうなりやすい(気功の有名な先生で、深い腹式呼吸をしましょう、と生徒に教えながらも自身は明らかに胸式呼吸になっていた人もいた )。とても注意しなければならない。死ぬ直前まで背骨は真っ直ぐでありたいもの。

 

 

 

 

 

 

2014/4/23 <鄭州から戻って>

 

今回の鄭州での滞在は結局ちょうど一週間だった。

毎日8時ごろから11時半過ぎまで公園で練習していたが、日を重ねるにつれ、私達の練習場所に集まる人の数が増えていった。

そのほとんどは公園内の別の場所で別の老師に同じ混元太極拳を習っている生徒さん達で、私の師父(劉老師)や私の動きを見て何かが違うと聞きつけてやってきていたようだった。

彼らの第一の関心事は如何にして身体の内側の力で動けるようになるか、ということ。ただゆっくり動くだけの”老人太極拳”とは明らかに違う私達の動きにとても興味を抱いていた。

 

私は皆から”師姉”と呼ばれた。皆が驚いていたのは私の脚と腰がとても強くよく動くということだった(そのせいか私は30代に見えたらしい)。また、ある人は私に、身体は放松しているのに同時にタイト(緊)な感じがあるのは何故か?と質問してきた。私が即答できなかったのを横で師父が「それが内勁というものだ」と答えたのを聞き、私自身、外の人には内勁が何等かの緊張感を感じさせるのだなぁ、と納得した。大らかで優しそうな中にも引き締まった感じのする人物というのは昔から私自身の理想だったから、なんだかそれに少し近づいているのかと思いとても嬉しかった。

 

ほとんど毎日、昼、夜とご飯に呼ばれ、酒とタバコと大声の会話に囲まれていた。

公園も人でひしめき合っていて、静寂はどこにあるのか?とも思ったが、皆の中国語の会話がすべて聞き取れるわけではないので、時々それらをただのバックミュージックのように聞き流して自分の中の静寂でお休みする術を身に着けた。

 

19日夜に帰国して翌朝からまた通常通りクラスで教えているのだが、まだ頭の中で様々なことが整理できていない。

少ししたら学んだことをここに書く予定。

 

 

 

 

2014/4/9 

 

前回のメモに載せた王老師の24式の動画に対して数人からコメントをもらった。

その中に練習を始めて1年足らずの生徒さんから、馮老師のテキストに詳細な説明のある24式各動作の『意気の運行路線』が一体どういうものなのか馮老師自身の24式の動画を見ても分からなかったのだが、今回王老師の24式を見て初めてそれが見え興奮した、というコメントがあり、私は正直言ってとても驚いた。

 

 一概に”太極拳”といっても様々だ。楊式、陳式、孫式、呉式、武式などの伝統拳以外にも健康目的や競技・表演用に編成された制定拳というのもある。

そして同じ陳式の中でもまたまた様々な流派に分かれているのが事実だ。

 また、未だに太極拳は老人の健康法と思われている節が強いが、人の太極拳の見方も様々。

太極拳を純粋な武術としてみれば、どの流派が最も強い(敵を倒せる)のか?という観点から見ることもできるし、太極拳を健康法と割り切ってしまえば、どれが最も身体に良いのか?という観点から見ることもできる。どれが一番かっこいいか?と”カッコよさ”を基準に見る人もいるだろう(私はそもそもこのタイプ)。

 

 私は『少林寺』の映画を見てリー・リンチェイ(現ジェット・リー)のファンになり中国武術の動きに興味を持った。仕事を辞めてから気功や簡単な武術の練習を始め、少林寺出身の先生の下でしばらく武術をベースにした気功や少林拳(もどき?)を習っていた。静功をやり始めたのもその頃。2004年、指導員の資格認定のために少林寺に行くのに合わせて鄭州で行われた第一回世界武術大会に団体演武で出場したのだが、その時に別のフロアで行われていた太極拳に心が奪われた。いつまでも飛んだり跳ねたりアクロバティックなことばかりしているのは幼稚かも?と疑問が湧き、帰国してから太極拳の先生を探し求めた。初めは北京体育大学出身の先生方についていたが、日本人の気功の先生の所にも通っていた。するとその気功の先生のクラスの中に馮志強老師の陳式混元太極拳も併せて教えてもらえるクラスがあり、そこで馮老師と直接面識のある別の女性の先生とも出会いうことになった。その先生とは家が比較的近かったこともあり個人的にレッスンを受けることもできた。2005年夏、主人の転勤で急にパリに行きが決定。折角太極拳の練習が軌道に乗り始めたのに・・・、とパリに行ってもしばらく腐っていた。が、ほどなく現在の私の師父、劉老師と出会うことになる。これも偶然だろうが劉老師が教えていたのは馮老師の混元太極拳だった。それから3年間は毎日ただ練習だけの(夢のような?!)日々になった。

 

 こう振り返ると、私は別に中国武術についてそれほど詳しいわけでもなく、流派ごとの差異についてあまり意識したこともない。見た目が派手で”かっこいい”武術から太極拳に転向したのは、内側から出てくる身体の動きの美しさ、内省的な美、というものを追求してみたかったからだった。そして紆余曲折あり、ただゆっくり動けば太極拳になるのではないことが分かり、次第に丹田の気を溜めてそれを練って運用して内側から身体を外に開いて行く、ということが身を以て分かるようになったのはごく最近。・・・身体は竹のように筒になっていなければならない。身体の内部がぎっしり詰まっていては気が通らない。だから放松、なのね~・・・と、いろいろな道理のつじつまが合ってくる。

 以前、そもそも何故『混元』太極拳というのか?と調べていて、『混元一気』という言葉がキーになっているのは分かったものの、何が『混元一気』なのか今一つ分からなかった。それがはっきりしたのは先月中国から戻ってきてから。

 そういう意味で、冒頭に書いた、練習を始めて一年足らずの生徒さんがそこを見てとれる、というのが驚きだった。

 

 陳式太極拳の有名な中国の老師達の動画を改めてみると、『混元一気』で動いている老師は極めて少ないのが分かる。詰まった”肉”(筋肉?)が動いているのがほとんど。これが身体の中を”抜いている”(筒にしている)か否かの違い、とその歴然とした差に感動さえ覚える。

 そのような観点からピアニストやオペラ歌手を見てもやはり同じような現象がある。身体を”抜いている”演奏家、歌手は一握りしかいないが、一般的に演奏家や歌手達はそのような身体になりたいという理想、目標をもっていろいろな研究をしていたりする(ある意味、音楽家の方が武術家よりも身体について深く細かく熱心に研究している、と言う声もある)。

 

 身体の中を開ける、というのは身体をうまく使うためでもあるが、その先には、それによって自分と身体の非同一化がある。自分(意識)が身体ではないということ、身体を見ている私(意識)は誰?・・・人間の究極的な問題に徐々に向き合っていくことになる。

 禅の世界で”竹”はよく悟りの象徴とされるが、まずは身体を開けて、それから心を開けて(もちろん頭をすっからかんにしておくのが大前提!)自分が本当に”竹”になってしまったら全ては自分を流れて起こっているだけだということが実感できるだろう。

 Let go (行かせる、いじらずそのまま起こるがままにさせる)は太極拳の極意でもあるとともに人生の極意でもある。今はそのための通路作りの段階かもしれない。

 

 

2014/4/3

 

先月鄭州に行った際、私の師父、劉紅旗老師の師父、王長海老師の書籍を入手。残念ながら今回は直接お会いできる機会がなかったが、帰国して改めて王老師の24式の動画を見ている。

王老師は陳発科の実子である陳照圭に師事していたが1981年に陳照圭が亡くなった後、1982年に馮志強老師の弟子となった(王老師当時42歳)。その後馮志強老師の高弟として馮老師からも格別の信頼を得ていた。

王老師の本の前書きには馮志強老師の家を訪ねて弟子入りした時の様子が描かれている。

 

これからどのような絶技が学べるのかとわくわくしていていたところ、馮老師が教えてくれたのはタントウ功のみであった。これが功夫を高める役に立つのかと内心随分疑心暗鬼だった。最初は立っても雑念ばかり、30分も立つことができなかった。やっと1時間立てるようになり、数か月立って次第に肩や胸が放松、次第に脚の力が強くなってきた。・・・これこそ長年自分が求めていたものだった。

 

王老師は馮志強老師の教えを忠実に引き継いで教え続けている。

以下王老師の24式。

人に見せるための”演武”ではない、自身の心身を清め調える練功としての套路であることが見てとれる。

 

 

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『今日のメモ』毎日の練習は気づきの宝庫。太極拳の練習の成果が何に及ぶかは予測不可能。2012年9月〜のアーカイブは『練習メモアーカイブ』へ

練習のバイブル本

 『陳式太極拳入門』

   馮志強老師著

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2012/3/20

日本養生学会第13回大会で研究発表をしました。

発表の抄録、資料はこちら