2014年1月

2014/1/26 <体重移動、肺経、小腸経、陽陵泉>

 

今週のクラスで気づいたこと、教えたことの覚書。

 

1.体重移動を正確に行う

 左右の体重移動でも前後の体重移動でも、体重が片足に完全に乗り、欲すればそこで片足立ちになれる位置まで移動してやっと反対側の足に体重が移動できる。「陽極まって陰に転換、陰極まって陽に転換する」の道理。”極まっていない”(=完全に体重が移動しきっていない)うちに反対側へ体重移動してしまうのは膝を壊す原因になる。

 体重が完全に片足に乗っかるのは胴体の重さが脚のどの部分にも引っかかることなくズドーンと足裏に貫通して落ちたところ。それには、例えば左足の場合は左腰が左踵の上に乗る必要がある。体重移動した時にそこで片足の上にしゃがむことができるかどうかで、ちゃんと移動できているかどうかがチェックできる。

 

2.タントウ功の時に腕の形をしっかりつくってみる。

 まずは肺経を使ってみる。前肩にある中府ツボを肘にある尺沢ツボでちょっと引っ張り下げ、そしてその尺沢ツボを手首の太淵ツボににつなぐ。中府→尺沢→太淵、となるが、肘の尺沢はあくまでも通過点として最終的には中府を太淵で引っ張り下げるようにする(と、中府が開き、前肩に隙間ができる。腕の可動域が上がる)。尺沢は通過点だからあまり曲げすぎて角をつくってはならないし、かといって真っ直ぐでは気が通らない。気を通すにはツボをちょっと引っ張り開けるようにするのがコツ。

 肺経のこのラインがうまく通るようにすれば、沈肩、含胸ができるようになる。逆に言えば肺経を通すことなく沈肩、含胸を完成させることはできない。

 親指側の肺経ができるようになったら小指側の小腸経を通す練習をする。こちらは後肩を使えるようにし、肩甲骨を活かす練習になる。日本人に多い前肩を治す訓練になる。小腸勁を通すように立つには背骨を垂直近くまで立てる必要があるから、更に体重を後ろ(踵側)に移動させる必要あり(腰を反らせるのはご法度!)。腹腰がしっかりしていなければそこで立つことは無理。難易度が高くなる。

 

3.脚の要領の追加

 膝下、脛の外側にある陽陵泉のツボ(胆経)を使って立てるようになれば理想的(目下私も練習中)。陽陵泉を膝のように使う、言い換えれば、膝を陽陵泉の位置にあると思って立つことができれば、脛は地面に対し垂直に立つことになる。膝への負担がなくなる。

 ためしに膝の悪い生徒さんにこの立ち方を試してもらったが、もしそこで立てれば膝は全く痛くならないだろうとのこと。ただ、陽陵泉に引っかけて立つには体重がさらに後方、ほとんど後ろにひっくり返るところまでいかないと無理。

 馮志強先生の教則本に脚の三節(根節=尻から膝、中節=膝から足首、梢節=足)を操る三つのツボが書かれているが、中節を操るツボは陽陵泉だった(ちなみに根節は環跳、梢節は湧泉)。私自身なかなか陽陵泉を使っている感覚がつかめなかったが、ここが一度意識的に使えるようになれば足の薬指に至るまで力が達するようになった。足の安定感が倍増。

 立つ時、套路の最中でも、微妙に陽陵泉を使っていられれば膝は喜ぶこと間違いなし。

 

とりあえず以上。

 

 

2014/1/21 <タントウ功の時の感覚、練習の変化、行かせる、通す>

 

 タントウ功は毎日新たな感覚がある。よ~く身体の中を注視していると、こんな部分があったのか、とか、こんな部分に空間があったのか、とか、様々なことに気づく。

 

 まだパリで練習していた頃、師父から毎日タントウ功の日記をつけなさい、と言われ、毎日その日の感覚をメモしていたことがある。今日は腕が痛かったとか、身体の足裏内側ラインと股関節内側のラインの対応を感じたとか、太腿内側を温かい水のようなものがザーッと流れ思わず漏らしたかと思って目を開けて確認したとか、その他にも体内で気が動いたラインを図で示したり、自分だけに分かるような形で記していた。

 師父はいつかそのメモを使ってタントウ功の深め方、進化、進歩の経緯をまとめればよいというつもりだったようだが、毎日毎日新しいことが出てきて、いつまでたっても過去を振り返ることができない。昔撮った写真を見るの時間がないように、昔記したそのメモも結局見る時間のないまま突っ走っていくのだろう。

 

 ただ脳も含めて身体というのはとてもよくできていて、生徒さんがタントウ功をしているのを見ていたり、その時の感覚を伝えてくれたりすると、昔自分が経験した感覚が呼び起されてくる。そうそう、こういう感覚だった、だからその次はこの部分を少しこう変えて立たなければならない、などと次の手順が見えてくる。

 

 タントウ功は一度完成すれば終わり、というものではなく、その時々、進度や身体の状態、季節などによって微妙に調整していかなければならない。一旦うまくいったからといって、そのまま同じ格好で立ち続けたらどこかで問題が出てくる。

 パリにいた頃交流のあったフランス人の男性が、独学で小周天を行おうと毎日坐禅をしていたが、ある時心臓を突き刺すような痛みを感じ、それから怖くなって坐禅をやめてしまったと話していた。これは含胸をきちんと行っていなかったのが原因だが、練功によって気の量が増えれば増えるほど、少しでも間違ったことを行うと致命的なダメージが出てしまうという良い例だ。内功は本やDVDで独学できるものでなく、必ず師について行わなければならないと言われる所以がそこにある。

 

 最近定期的に個人レッスンを行っている生徒さんがいるが、私が毎回毎回練習方法を少しずつ変えていくので、どうして前回はこうだったのに今回は違うのか?と腑に落ちない様子だった。私も同じようなことを師父に感じたことがあったが、師父によれば「去年と同じ練習をしていたとしたら、それは退歩しているということである」ということだった。極端に言えば、今日の練習と昨日の練習が全く一緒であるわけがない。同じ腰回し一つをとっても、レベルに応じて様々な感覚、意念の用い方の練習がある。可動域も異なる。それを少しでもさらにレベルアップしていくためには惰性は禁物。ちょっとずつ負荷をかけたり難しいことをしなければならない。楽々に簡単にできることばかりをしていては進歩はしない。

 

 この冬にはいってからタントウ功の最中に感じるエネルギーの量がとても増えた。下丹田、中丹田に溜った気が胃や胸を押し分け、喉も押し分けて目と耳の交差点を押し分け頭頂を押し上げるような感覚がある。人に言うと??かもしれないし、自分でも何がどうなっているか理屈は分からないのだが、体験したことのある師と話せばその状態を頭で理解できるように説明してもらえる。次の段階にいくための注意点も先に教えてもらえる。

 内気によって身体の内側に空間がとれるようになると、丹田は身体に触らないように内側でコロコロ(?表現が分からない)回るようになる。すると身体の動き自体が、筋肉や骨に触らないで行えるような、そんな感覚になる。動いている身体と自分の間に隙間のあるような感じだ。

 そしてまたまた不思議なのが、身体の中に空間がある時、とりわけ、胸に空間がとれる時は心がすっきり、透明に感じられること。この状態で人を批判したり、起こったり、悪いことを考えたりすることはできない。実際に試してみたのだが、少しでも邪念を抱こうとするとその胸の空間が閉じてしまう。その空間がある限りは”良い人”でいざるを得ないよう。

 太極拳を習い始めたころ、「身体が開けば心が開く」と言われ、ほんとかしら?とかなり疑問視していたが、今になってやっとそのことが分かってきたよう。

 

 馮志強老師は「力で気を運ぶ(運気)のではなく、意で気を行かせる(行気)のが大事」と言っていたが、気を行かせてあげるには身体の中にそのためのスペースをとってあげなければならない。これが身体を内側から開くことなのだと理解した次第。

 “行かせてあげる”というのは”通す”とか”流す”とか”順(随う)”といった類のもので(厳密に言えば、”通させてあげる”、”流れさせてあげる”、といったあくまでも受動的な姿勢)、これらはどれも太極拳の”対抗しない”という理念の範疇のものだ。

 

 そしてそれはなにも身体のことだけではない。気持ち、心も常に”行かせて”、”通して”あげなければならない。心が貼り付くとそれは執着になり、わだかまりになり、”結”(結び目)になり、中医学によればそれが次第に身体で癌やその他の悪いものになって現れてくるという。

 執着や私の大きな欠点で、私の心はすぐにペタッとある事柄に貼りついてしまう傾向が大有り。2歳の時から1枚のタオルケットを肌身離さず持ち歩き、出産の時も病院に持ち込んでいったのに退院と当時にそのタオルケットがなくなってしまって大騒ぎしたことがあった。その時は娘と引き換えにタオルケットを失ったのだと自分を慰めたりしたが、それだけに限らず、いろんなことにかなり執着するタイプであることに間違いない。

 最近、女性にフラれた男性がストーカーのようにつきまとって最後は殺人にまで至ったというような事件があったが、「もう別れて欲しい」と言われた時に、「うん、分かった、これまでありがとう、じゃあね。」とさっと心が離れられるような人ばかりだったらこの世界はどんなに平和になるだろう?恨みや報復とは無縁のはずなんだけど・・・。

 心の修行は苦しいけど面白い。心を透明にしたいもの。

 

2014/1/15 <寒い日の練習、生命力、苦手を克服する>

 

 今日は気温が3、4℃で空がどんよりと曇り、パリでの冬の練習を思い出すような天気だった。数日前から今日の天気予報は雪となっていたが、私はこの日に屋外で練習するのを楽しみにしていた。

 1月に入ってからの東京の気温は8℃~10℃あたりだったが、そのくらいの気温だと身体がピリッとするほどの寒さには感じられない。5℃以下になると下手な練習をすれば寒くなってしまうというような緊張感がでる。今年に入ってのパリの気温は東京とほぼ同じのようだが、劉老師と電話で話していた時に、老師がもう少し気温が下がらないと身体がちゃんと収縮しないので良くない、と言っていた。冬にきちんと収縮させておけば夏に大きく身体が開く、「大開大合」の道理だ。

 

 人間の身体はよく植物に例えられる。根は脚、幹は胴体、枝は手。そして温室育ちの植物よりも自然の中で雨風にさらされ寒さも暑さもくぐり抜けた植物の方が断然強い。動物でも野生のものとペットとして飼われているものの生命力は異なる。

 私達人間もオフィスで一日中パソコンに向かっている仕事をする人と、一日外で肉体労働する人の違いは一目瞭然。文明の発達に伴い私達の身体はますます省エネ化する傾向にある。気持ちはすぐに楽な方に流れがち。

 

 今日の練習には生徒さんの中でも最も寒さが苦手と思われる2人が参加した。2人とも華奢な身体つきでそのうち1人はこれまの練習でも既に寒さで血の気が引いたような顔色になっていたことがあった(これは朝ご飯も食べずに早朝から一仕事してから練習に来ていたということが後に判明。飢えた状態ではどんなに正しく練習しても身体は発熱できません)。

 聞けば2人は今日がとりわけ寒いと知っていてだから特に今日を選んで練習に来たということ。いつもよりもたくさん服を着て暖かい恰好をしている。私は少し2人のことが心配ながらも目を閉じてタントウ功を続けていた。私自身ある程度立ってから後ろを振り返ってみる。すると丹田まで気が落ちとても気持ちよさそうに立つ2人の姿があった。頬もかすかに赤みがさしている。今日は大丈夫でした~、と嬉しそうに1人が言う。もう一人も気持ち良かったと言っている。

 練習後三人でカフェに行って温まりながらおしゃべりに興じたのだがその中で、自分の限界を一度打ち破ることができるとそれはその後の大きな自信になると2人が口を揃えて言っていたのが印象的だった。だからこそ敢えて今日練習に来た、という2人は、初対面ながらすぐに意気投合し結局おしゃべりは3時間以上に及んでしまった。2人は其々様々な経験をしてきた個性的で独立した女性だが、さすが気概があると私も大いに感化された。

 

 太極拳の練習をしてきてよく感じるのは、問題から逃げない、ということ。寒さが苦手なら寒い日に練習する。腰痛がある時は全く動かないのでない限り痛くてもちょっとずつ回して動かす。肩こりや首のこり、痛みも回して治す。高血圧だから寒い冬は練習できないと言っていた生徒さんがいたが、そんな状態だからこそ力を抜いて身体を動かす練習をして少しずつ血管の弾力性をとり戻し、かつ、タントウ功で気を腹に落とす練習をする。・・・それら全てが所謂”お医者さん”(西洋医)の指示と真っ向から対立する。しかしこれまで腰痛のあった生徒さんは動かすことでほとんど腰痛を解消しているが、中には医者の言うことを信じて動かさないようにしていたら結局は手術せざるを得なくなったという話もよく聞く。最後は手術という手段は必要になったりするが、できるだけ自分で治すというのが本筋。自分の身体は自分で躾け守り鍛えるしかない。他人任せにはできないものだ。

 

 思えば猛暑の夏の練習はきつかった~。外の暑さと電車の冷房のギャップは身体にはかなりきついものがあった。そう思うと冬の方が楽かしら?厚い服を着てれば良いのだから・・・と思いながらも少し春を心待ちにしていたりする。

 春夏秋冬、常に移り変わるし、同じ冬でも一日一日毎日が異なる。その日、その時を味わえるような練習をしたいもの。 

2014/1/13 <下丹田と中丹田のつながり、前丹田ー後丹田ー下丹田>

 

前回の話にでてきた下丹田と中丹田(前丹田、後丹田を含む)の関係のイメージ図を描いてみた。

 

最初の図は会陰を引き上げ先の変化。

電車で立って手すりを持たずゆらゆらしてみると分かりやすいが、後ろに転びそうになって踵に重心が移った時は<会陰→命門(後丹田)>のラインが顕著になる。

逆に前につんのめりそうになって足の前の方に重心が移った時は<会陰→臍(前丹田)>のラインが出てくる。

会陰の引き上げ先の前後の幅は臍を最前部、命門を最後部として、その間どこでも可能。

(同様に会陰の引き上げ先は左右にも移動する。左足重心の時は中丹田は腹部左側に移動、右足重心の際は腹部右側に移動。)

中丹田の動きが可能になるとその範囲一帯が大きな丹田と感じられるようになる。

 

 

参考までに丹田の順回転と逆回転の図を下に載せます。

この三点をつなぐ円を大きくして上半身まで広げれば小周天、下半身も含めた全身にまで広げれば大周天となる。

この三つの丹田間で気を回す練習は内功の基本の一つとなっている。

2014/1/11 <会陰と命門をつなぐ、前丹田、後丹田>

 

 今年は1月4日より練習を開始し一週間が過ぎた。

 どんな気づきがあっただろう?どんなことを教えただろう?

 

 先週土曜日はフランス人の男性が日本人の奥さんと一緒に体験に来た。

 これまでも何度も感じてきたことだが、腹(丹田)の力が強いかどうかは対面でお互いの手を持って引っ張り合いをしてみるとすぐに分かる。引っ張られた時に引っ張られまいと即座に膝を曲げて姿勢を低くする人は腹の力が弱い。腹の力がないからしゃがんで太ももの力を使おうとする。腹の力があれば姿勢が高いままで対抗できる。

 私のこれまでの実験によると20代前半までは姿勢が高いまま腹の力で対抗してくる(私の16歳の娘や21歳の運動歴ゼロの女性がそうだった)。年齢が高くなればなるほどしゃがんでしまう。おばあちゃんがよろけまいと手すりやそこらにしがみつくような恰好をその先に連想してしまうのは私だけだろうか?

 その日も私よりかなり身体の大きい男性を相手に手を持って車輪のように両腕を回す練習をしてみた(動功の双手揉球の二人版)。私が引っ張り始めたとたん男性はしゃがんでしまい背丈が私と変わらないくらい低くなった。これでは会陰が引きあがらないし命門の力が使えない。どれだけしゃがんでも簡単に引っ張られてしまう。彼もどうして良いか分からない。私が姿勢を高くさせて腹と腰の力を使えるようにするとしばらくはうまくいく。が、ほどなく疲れてまたしゃがんでしまう。一方、隣にいた奥さんは要領をすぐに飲み込んでうまく腹の力を使って動作を続けられた。腹の奥にものすごく力が必要でとても疲れる、というのが彼女の感想。

 

 丹田にギュッと力を集結させたままにしておくというのはとても疲れる作業だ。

 タントウ功の時も動功の時も套路をするときもすべてその状態を保持したまま行うのだが、初めは相手がいる状態で練習をした方が力の感覚がとりやすい。相手の力が負荷としてかかるので自分の力が認識しやすくなる。どうしても腕や肩の力で相手を引っ張りたくなるが、徐々にその部分の力を抜いて丹田の力だけで引っ張るようにしていく。

 

 丹田に力(気)を集めるメカニズムはタントウ功の要領そのものだ。会陰を引き上げるとともに含胸によって肺の気を腹の方へ押し込むことで丹田に気が集まる。下からと上からの挟み込み+圧縮、という感じだ。

 詳しく言えば、会陰を引き上げる方向は臍から命門に至るまで前後の幅があるし、同じように左右にも幅がある。会陰(下丹田)を引き上げた先は中丹田で一般的には気海ツボあたりをさすが、中丹田の中でも前にあるのが臍(前丹田)、後ろにあるのが命門(後丹田)と言われている。

 上の引っ張り合いをした時、相手を引っ張ろうとして踵に体重を乗せた時に顕著になるのが後丹田の命門の力、相手に引っ張られて体重が踵から前足部に移動した時に踏ん張る際には前丹田(臍付近)の力が必要になる。加齢とともに衰えるのが顕著になるのは前丹田の力。これは一般に腹筋の衰えと称されたりするが前丹田は腹筋のような表層にはない。

 最終的には臍ラインの帯脈一帯すべてを丹田化するように練習していくのだが、最初に取り組むのは会陰を引き上げて命門につなげる動作。下丹田と後丹田の連結だ。これによって腰の力が使えるようになる。タントウ功の第一段階で尾骨を多少内巻きにして命門を出すようにするのはそのためだ。

 

 もし会陰と命門の連結がないままただしゃがんでしまうと腰の力が全く使えなくなる。でっちりにしてお尻と脚の力で対抗しようとしても、お尻を含めた両脚の力を足しても胴体(腰・腹)の力に勝ることはない。これが先週の練習で大きなフランス人の男性が全く私に太刀打ちできなかった理由。

 

 話をもう一つ先に進めると、タントウ功の第一段階では前丹田が使えていない(お腹が凹んでいる)。だから第二段階では会陰と命門の連結を保持したまま股関節を緩めていく(後ろに引いていく)。すると次第に下っ腹が立ってくる。後ろも前も使えるようにしておくのが基本姿勢になる。

  ・・・文章だけだとイメージしにくいかもしれないので図を書いた方が良さそう。これは明日にでも。

 

 一週間を振り返るつもりが最初の一日の話で終わってしまった。

 その他、足の裏の話(お椀型にする、足指を使う、湧泉で吸い上げる)、腕や脚をホースにする話、腋の重要性など。その他気温が下がって身体が固まりやすくなっている。が、今身体を収縮させておけば夏は大きく開く。身体に全ての季節を体験させることで身体は自然に鍛えられる。そうそう、季節によって練習が変わるのと同様に進歩に応じて練習も変わる。師父によく言われたが、昨年やっていた練習と同じことをやっていたらそれは即ち進歩がないということ。昨日と今日も違って当たり前。変化しないものは変化だけ、とはうまく言ったもの。

 

2014/1/3 <お正月を終えて明らかになった自分の課題>

 

 お正月が終わってほっと一息。日常に戻れるのはとても嬉しい。

 

 毎日自分のペースで決まったスケジュールをこなすのが好きな私は子供の頃からお祭りや行事、旅行がとても苦手。自分のペースが乱されるとたちどころに弱~くなる。登校拒否を繰り返したり、登庁拒否(役所に入ってから)をしたりしたのも、新しい環境に馴染みずらい頑なな心が原因。高校時代は遠足や文化祭をボイコットしたりもしたが、お祭り騒ぎをする時間があったら自分の勉強をしていた方が良いと思っていた。学級委員のくせに全くクラスのことを考えていなかったし、クラスの中で今でも名前を憶えているのはせいぜい2、3名。他人はほとんど眼目になかった。超自己中心的だった。

 

 とは言っても中高時代は毎日規則正しい生活を送る絵に描いたような優等生だった。

 スケジュールは大体決まっていた。毎日6時に起床して英語のラジオ講座を聞いて朝食、30分ピアノの練習をしてから登校。放課後は卓球の部活が2時間半ほど、帰宅後19時過ぎに夕食、夕食後20時までピアノ、それから中学の時は21時まで、高校の時は22時前まで勉強。それからお風呂に入って就寝。そんな毎日だった。早寝早起き、規則正しい生活、そして文武両道の模範生徒のようだった。田舎にいたので遊ぶ場所もないし、今と違って携帯やゲームなどといった気を逸らされるものもない。私にとっては勉強、卓球、ピアノ、その3つしかやることはなかった。

 その後大学に入って上京してからは夜出歩く機会も多くなり、生活リズムの乱れからかそれまでできたことのないニキビが顔中に広がってしまった。このニキビ事件をきっかけに私の意識が一変、それまでろくに見たことのなかった自分の顔や身体(の醜さ?)を初めて意識するようになった。

 食事療法や漢方薬、美容法(?)に興味を持ち始めたのはちょうどその頃。凝り性の私は一時期ちょっとした”健康おたく”のようになっていたが、ニキビと格闘して試行錯誤した末出した結論は、下手に薬に頼らない、自然治癒力に任せる(手でいじらない)、普通に普通のものを食べる、そしてやはり、規則正しい生活をしてちゃんと寝る、ということだった(これはまさに太極拳的な養生法!)。

 

 しかし、社会人になるとそんな規則正しい健康的な生活を送るのは難しくなった。終電で帰宅する毎日で睡眠不足が当たり前。規則正しい生活を送るという私の長所は一転して私の最大の弱点となってしまった。

 今になってもなお、何故外務省を辞めてしまったのかと聞く人がいるが、その最大の理由は不規則な生活、睡眠不足に耐えられなかったから。情けない話だがこんなところで足元を掬われるとは思っていなかった。いっそのこと小さい時から不規則な生活をして睡眠不足を練習しておけば良かったと、学校の先生や親の言うことを素直に聞いてきたことを後悔したほど。そしてそれを機にこれまで学んできたこと、信じてきたことを一つ一つ再度検証する必要があると認識した。

 

 あれから20年近く、気がつけば私は心と身体の真の健やかさを追求し続けている。たまたま出会った気功や太極拳が私が無意識的に追い求めていた心身の健康、心身の統一への一つの道筋を示してくれていた。

 心身が自然であれば健康で美しい。そして心身を自然な状態に戻すには、自然に即した生活をするのが肝要。植物や動物、赤ちゃんや子供の姿を観察して自然本来の姿を思い起こし、そこからから大きくかけ離れないように心身を保つ修練も必要になる。

 私達は人為的なこの社会の中で生きざるを得ない。社会のルールと自然のルールは必ずしも一致しない。社会の中でうまくやっていこうとしていくうちに本来の自分の自然な姿を見失ってしまうこともある。おそらく、人に迷惑をかけない範囲内で自分に合ったことをしていく、という折衷案的なものが社会の中で自然に生きていくコツなのだろう

 

 太極拳の練習をしていると、A,Bの矛盾点があることで第3のCの力が生まれるというようなことをよく発見する。矛盾がなければその一歩先には進めない、そんな道理があるのかもしれない。

 上に書いたような規則正しい生活習慣は通常長所と見られているが、あまりにも融通がきかなければ短所になってしまう。長所は短所にもなり、短所は長所にもなり得る。常に陰陽は転換する。

 絶対的に正しいものはないし絶対的に誤っているものもない。

 ゆらゆらと臨機応変にかわしていくのが太極拳的生き方なのかもしれない。

 これはまさに私が学ばなければならないこと。この一年そこまで行けるかしら?

 

 

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2012/3/20

日本養生学会第13回大会で研究発表をしました。

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