2013年7月

2013/7/28 <真っ新な気持ちで毎日練習する>

 

 日曜日の赤坂スタジオクラスと新宿屋外クラスはどちらも男性が多く集まっている。

その日曜組の生徒さんの中に、私のブログ(練習メモ)を全て印刷、分析して、非常に短期間のうちに慢性的な膝の痛みを解消し、站樁功や動功も私も驚く程の早さで進歩している男性がいる。24式も動画を見て一通りは自分でできるようになっている。

 

 その男性はもともと運動をしたことがなかったようで、最初練習に来たときは、少し青白くて弱そうに見えた。站樁功をしてもすぐに膝が痛くなるし、片足立ちもできなかった。しかし3回目に来た時には、膝はもう大丈夫だと言い、片足立ちも問題なくできるようになっていた。

 師父にこの話をしたら、「学拳容易、改拳難。(拳を学ぶのは簡単だが、拳を変えるのは難しい」という昔から伝わる格言を一言。全くの初心者は心が真っ新で全てをスポンジのように吸収するが、以前他の拳を学んできたものはそこに引きずられてなかなか新しいものをそのまま吸収できない、と言う。そしてこの男性の場合は以前に特にスポーツをしてきていないので、身体にも心にもクセがなく、却って学ぶのが早いのだろうと言っていた。

 私もこれまで多くの生徒さんを見ていて、この道理はまさにその通りだと思う。子供が学ぶのが早く大人が遅いのも、単に脳細胞の数とかの話ではなく、私達大人はそれまで蓄積した知識や考えによって新しいものが入ってくるのを邪魔してしまうのではないか。いつも心と脳を開いておくように心掛けなければ、と自分自身思うところだ。

 

 が、だからと言って真っ新な初心者がみな早く上達するわけではない。それなりの努力、情熱が必要。この男性も聞けば毎日欠かさず練習をしているとのこと。

 「人は費やしたものだけを受け取る」と師父が私に常々言うが、努力をしないで結果を望むことはできない。努力は毎日毎日の積み重ね。

 

 さて、今日その生徒さんから質問があった。話によると、彼は毎日夜45分から50分站樁功をし、それから動功、24式をやって、それから飲んで(酒!)寝る、ということだが、站樁功をしてから寝ると夜中に目が覚めてしまいそれに困っているとのこと。どうしたらよいか?という質問だが、単純に朝か昼に站樁功をすれば?と言っても、時間的、状況的にそれは無理らしい(朝は早く起きるが、仕事前で心が落ち着かない、夜仕事が終わって心が解けた状態で落ち着いて練習したいということ)。

 私もすぐには回答ができなかったので早速師父に電話で聞いてみた。

 答えはというと、夜静功(站樁功や坐禅)をした場合は、それと同じだけの時間を動功(内功、24式)に充てるということ。静功をすると気が体内に蓄積するが、それを循環させたり発散させてから寝ないと、寝ているうちに体内に気が流動して目が覚めてしまう(これは私も経験あり。気が体内を“龍のように”立ち上ってきて身体がうねり、眠れなくなってしまう)。だから寝る前に動いて体内の気を流しておくべきということだ。

 そう言えば、小さい子供は寝る前に泣いたりわめいたり騒いだりするが、その後ころっと寝てしまう。もう小さくはないうちの娘も、夜寝る前にダンスを披露したり余計な動きをいっぱいしてそれから疲れて寝ているようだ。

 

 今日練習に来ていた数人に毎日站樁功をしているかを聞いたら、ほとんど皆、”している”と答えていた。私は師父のように会うたびに生徒さんに毎日練習するように口うるさくは言わないが、ちゃんと毎日欠かさず練習している生徒さんがいると自分の練習仲間が増えたようでとても嬉しい。感覚を共有するというのは心がつながるような喜びがある。教えることによってこんな嬉しさ、喜びを得られるのはまさに役得。

 

 

2013/7/25 <忍耐、腎と『志』、奥歯のかみ合わせ、下顎を引く、腎から気を入れる>

 

 屋外で練習。

 梅雨時のような天気で気温は幾分低いが湿度は高い。きっと蚊がいると思って蚊取り線香を持ってでかけたが、案の定、脚をむき出しにしている生徒さんたちは蚊の生贄状態。

こんな時生贄になるのは男性。男性がいればそちらに蚊が行くから、私はあまり刺されない。反対に最も刺されないのは、自称”お婆ちゃん”達。皮膚も固くて吸ってもおいしくないからだと言う。

 

 今日は男性が二人いて、普通に站樁功をしたり、動功をしていた。一人脚を出していた女性が蚊に刺されて少し辛そうにしていたが、男性は平然としている。途中で蚊に刺されていないのか聞いたら、「いや~あちこち刺されてますよ~。」と口を揃えて答える・・・蚊にさされても平然と練習し続けるなんてすごいなぁ、と私の方が感心してしまう。

 

 私はかねがね日本の男性は総じて我慢強いと思い敬服している。

 どちらかと言えば女性は天気が悪かったり、体調が今一つだったり、気持ちがのらなかったり云々で、うだうだしてしまったりするが(少なくとも私はその類)、男性は女性ほどは気分で行動しないようだ(これも総論。理性VS感情で理性的な女性もいれば感情的な男性もいます)。

 パリで練習していた頃も、站樁功でどんなに脚がブルブルして辛くても、先生が「よし、終わり!」というまで我慢していたのは日本人の男性だった。見ている私の方が可愛そうになってしまうこともあった。それに比べ、フランス人の男性は5,6分して脚がちょっと痛くなると、自ら「fini!(終わり!)」と言って立つのを止めていた。

 余談だが、そもそもフランスでは日本人ほど”我慢をする”という躾けをしていないように見受けられ(例:子供がお腹がすけばすぐに食べ物を与える、体育の授業もない、スーパーでもレジに行く前にお菓子の袋を開けて食べている・・・)、だからなのか、”耐える”ということにはあまり慣れていないようだ。

 

 猛暑でもスーツを着て外回りをしていたり、配送や工事の仕事をしている人達を見ると、私はただ公園で涼みながら練習しているだけで、なんという道楽人生”!と申し訳ない気がしたりする。きっと、「働かなくてはならないから文句も言えない」というのが実情なのだろうが、その責任感が人の芯を作るのではないかと思う。その芯がなくなると、人はとても脆く弱くなってしまうのではないか(例:よく聞く定年後の男性の姿)。

 

 この心の”芯”のようなものは、中医学で言うところの『志』。『志』は腎臓の神(目に見えない機能の現れ=精神の一要素)と位置づけられている。

 ちなみに、腎臓は『志』だが、心臓は『神』(精神全てを統率するもの)、脾臓は『意』(物事を結びつける作用、閃き、頭の回転)、肝臓は『魂』(生まれながらにして決まっている性質、性癖もこの現れ)、肺は『魄』(無意識化で働く機能、自律神経や免疫機能などもここに含まれる)、と五臓それぞれに対応する要素がある。

 

 腎臓の『志』は、想いをずっと保持し続ける機能だが、例えば脾臓の『意』が強く、腎臓の『志』が弱い人は、頭の回転が速くアイデアがいっぱい出るが、それを保持、深化させて現実化する粘りにかける。逆に『志』が強く『意』が弱い場合は、頭の回転はゆっくりで取り掛かりが遅いが、一度決めればカメのようにひたすら進んでいく、ということになる。

 五臓は相関関係にあるので、どれかが傷つけば他の臓器にもいずれ影響が出てきてしまう。そして、腎臓は「先天の本」と呼ばれ”精”を蓄えている循環の出発点のような場所であるから、腎臓が弱くなり『志』の働きが落ちてくれば、『意』をはじめとする他の機能はすぐに落ちてきてしまう。

 私自身も、風邪で熱があった時、何か考えようと思っても”まっ、いいか。”と諦めてしまったのを覚えている。これは体力が落ちて腎の気も減っているから、思いを保持できず頭も起動させられない、ということなのだろう。

 

 中医学では「腎は骨を司る」とか「歯は骨の余りである」と言うから、歯と腎の関係も深く、気功法の中には奥歯をカチカチっと噛むことで腎を鍛える、というものもある。排尿をする時も、腎の気を不必要に消耗しないために、必ず奥歯を噛んですること!、という教えもある。奥歯を噛むことで腎の精を固める(固精)ということだ。

 そう考えれば、私達が”奥歯を噛みしめて”やるような類のものは、みな”きつめ”のこと。私の母親の世代より以前の人の身体が堅固で芯があるのは、苦しい時代を”奥歯を噛みしめて”頑張ってきたからかもしれない。逆に、若い子がほとんど口を開けっ放しで滑舌の悪い日本語をしゃべっていたりするのを見ると、ゆる~い楽な時代なのかなぁ、と思ったりする。

 

 太極拳の練習では歯は軽く合わせるが(噛みしめてはいけない)、歯を合わせようと意識するよりは、下顎を収める(顎を引く)ことで頭蓋骨が少し前回転し、結果として奥歯は自然に合わさるようになる。

 下顎を収めれば頭のてっぺんの百会も天に向き、首筋も自然に伸びる(これが『虚領頂勁』)。

 また下顎を収めれば胸が突き出たりお尻が突き出たりすることはない。『含胸』や『斂臀』ができるようになる。

 腿上げのトレーニングでは顎を引くのが鉄則だが、それはとりもなおさず、気を胸や尻から抜かずに全て腹(丹田)に集めるためで、それは太極拳でも、普段の生活上の動作(歩いたり、料理をしたり、坐って本を読んだり、パソコンをしたり・・・)全てに共通する要領だ。

 

 思いつくままに書いていると話題が流れに流れてしまうが、最後に、ブログのために検索をしていて知った中医学上の呼吸の要領がこれ。

 『肺主出気、腎主納気』

     (肺は気の吹き出しを、腎は気の吸い込みをつかさどる)

 夏になって気が下がらずいつも呼吸が浅くなって顔の赤くなってしまう生徒さんがいるが、呼吸の要領としてこれは良い!と思い早速引用したくなったところ。

 腎で吸って肺で吐く、もしくは、腰で吸って胸から吐くということだが、”吐く”や”吸う”という言葉を使うとすぐに口と鼻の呼吸を連想してしまうので、ここでは気を”出す”、”入れる”で表現している。

 ”腰から気を入れる”要領は、会陰を命門方向に引き上げ、内側から命門を外に押し開くことで帯脈を膨らませること。これで腰に気が入ったようになる(実際には鼻から息が入っている)。会陰を命門方向に引き上げるのがコツ。

 ”胸から気を出す”のは、胸をほ~っとぺったんこにして下に落とすようにすることで息が下向きに出て行く(実際には鼻か口から下向きに息を落とし込んでいる)。

 下向きに気を出したら(落としたら)それが会陰につながり、それを引き上げて腰に気をいれる。そういう胴体内部での逆回転(背中側を上がり腹側を落ちる循環)が行われている。

 (参考:腰から胸の連結は、腰から入れた気が背中を通り胸の裏側に達したら(ツボとしては胸椎5番の神道)それを身体前面にある膻中穴(左右乳首を結んだ線の中心)の方に回していく。そしてそこから膻中を下に下げるようにして気を落として吐き出す。ツボの循環としては、会陰→命門→神道→膻中→会陰。)

 太極拳の時は腹より下だけで呼吸をしたような感じにするが、これもその感じをつかむ一つの方法なので試してみる価値があると思う。

 

2013/7/23 <高架式VS低架式>

 

「站樁功の時、高い姿勢で立った方が良いのか、それとも低い方が良いのか?」という質問があった。高い姿勢(高架子)か低い姿勢(低架子)か?というのは站樁功だけでなく套路の際にも問題になるようだ。

 

低い方が脚に負荷がかかり鍛錬になると思って低い姿勢で立つ人もいるし、低い姿勢でいられることが功夫が上!の証とばかり低姿勢で太極拳をする人も多い。実際巷の試合で良い成績をとりたい人などは頑張って低く構えていたりするようだ。

確かに低姿勢をとり続けるのは脚力もいるし、見た目も”強そう”に見えたりする。

  

 ここでこの話題に関わるエピソードを少し紹介。

陳式太極拳の発祥地である陳家溝ではもともと低架式の太極拳をやっていた。しかし北京の馮志強先生は陳発科老師(右上写真)から学んだ陳式太極拳に胡耀贞老師から学んだ気功法を加味しため、姿勢も高めで行うことになった。陳家溝からすれば、馮志強先生の太極拳はもはや正統ではないように映っていた(ちょっとした確執あり)。しかし、陳発科老師自身が陳家溝から北京に出て胡耀贞老師と交流するようになって姿勢(架式)をやや高めに変えたという事情があり、晩年弟子の馮志強先生に対しても、陳家溝にいる弟子達に会う機会があったら、姿勢をもう少し高くするよう伝えて欲しいと言っていたらしい。その後姿勢を高めに変えた陳家溝の先生方もいたようだが、それを変えなかった先生の中には膝を故障して手術した者がでたとのこと。陳発科老師の息子である陈照奎老師(左上写真)は50歳過ぎに他界してしまったが、もし姿勢をもう少し高く練功していけば気の漏れも少なく寿命は延びていたのではないかと馮志強先生が言ったとの話もあるようだ。

 

 なお、現在の陳家溝の四大金剛と呼ばれる老師達は60歳を過ぎたころからみな姿勢を高く変えている。そして拳も柔らかくなっている。最近それぞれが出した新しいDVDではその変化がとても顕著に見て取れる。この路線は紛れもなく馮志強先生が進んだ路線で、馮志強先生の先見の明が感じられるところだ。

 

 さて、なぜ低姿勢があまり良くないのか?

 

 第一に膝を痛める可能性が高い。特に初心者の場合は股関節が緩められず、どうしても太腿の前面に体重を乗っけてしまいがちになる。すると膝頭に過大な力がかかってしまい膝がダメになってしまう。膝頭はつま先より前に出てはいけない、というのが鉄則だ。

 太腿の前側の筋肉(大腿二頭筋)がとても強ければ膝の故障は免れるが、人間として不自然な状態で立っていればどこかに過剰な負担がかかるのは免れない。

 太極拳の先生方の中にも膝を傷めたり、股関節、腰を痛めている人が案外いるようだが、それは股関節が十分緩んでいないのに無理をして低姿勢になっているのが原因。太極拳愛好者は往々にして太腿前面の筋肉がよく発達していてるが、中国でも日本でも、大会で優勝してメディアに出てくるような美人の女性選手の太腿が、顔や上半身と不釣り合いなほど太かったりするのを見ると(表演服だと分かりにくいが注意すれば分かる)、やはり大会でい良い成績をとろうとするとそうならざるを得ないのかなぁ~、と思ったりする。

 昔ある日本の著名な気功・太極拳の先生がオフレコで、「太極拳は身体に悪い」と言っていたことがある。その先生は若い頃、得点を稼ぐために腰にバスタオルを巻いてその上に表演服を着て大会に出場していたそうだ。姿勢もかなり低くして頑張っていたら結局足腰を傷めそうになり、それ以来大会にでるのはやめて、自分流の太極拳をするようになったとのことだった。

 

 第二に、姿勢が低くなればなるほど会陰を引き上げるのが困難になる。会陰が落ちて開いたような状態では丹田に力をためることができず、脚を鍛えることはできても、肝心要の丹田が鍛えられない。脚力はついても身体の真の力である”胴体力”がつかないと、技の威力云々以前に身体の抵抗力、免疫力もそれほどで、見かけによらず案外弱い身体になったりする。会陰が落ちて開いた(緩んだ)状態で運動をすれば、気の消耗度は激しく、かえって何も運動していない人の方が健康、長生きになったりする。

 ちなみに、相手と向かい合って立ち、相手の両手を掴んでこちら側に引っ張った際、丹田の力の強い人は引っ張られまいとお腹の力を使って抵抗するが、丹田の力がなくなるとしゃがみこんで引っ張られまいとするようになる。これは丹田の力のなさを太腿の力で補おうとする反応だが、これまで私が試したところでは、20歳過ぎまでの健康な人ならしゃがみこまなくてもお腹の力で相手の手を引っ張り返すことができるようだ。それ以降は男女共々お腹の力よりも太腿や腕といった四肢の力に頼るようになる。老人が倒れまいとしゃがみこんだようにしてそこらの物に掴まっている姿がその究極の例。

 また、中国の太極拳関連サイトなどを見ると、太極拳をやると痔になりやすいとかいう懸念も書かれていたりするが、これも低姿勢をとって会陰や肛門の引き上げがちゃんとできていない場合の問題。

 会陰の引き上げは低姿勢でもできるが、高姿勢よりも難しい。高姿勢でちゃんと立てるようになってから、徐々に姿勢を低くしていって、脚力をつけていくのが正道。低姿勢で”ちゃんと”立てれば高姿勢よりも更に身体は鍛えられる。

 

 ということで、話を冒頭の質問に戻すと、初心者が立つ場合には、棒立ち状態からまず股関節を緩め(=鼠蹊部を”後方”へ折り込む、下方へ”しゃがむ”のではない)足の裏全体にべた~っと体重がのったのを確かめて、そこからさらに股関節を外旋しながら鼠蹊部を折り込んでいき足の裏にかかる体重が徐々に増えていくようにする(体重計に乗っていたら、徐々に体重が増えているような感じ。)。鼠蹊部を織り込むと膝は嫌でも裏側から曲がってくる。でっちりになっていたら、そこでお尻を収め腰を伸ばし(斂臀、塌腰)、頭をちゃんと上に向ける。この調整の時に膝が前に動かないように注意。鼠蹊部をどれくらい折り込めるかで姿勢の高低が決まるが、膝に負担がかかり出す直前で止めるのがコツ。その位置で全身の力を抜き、丹田に集中する(会陰を少し引き上げる)。

 師父によれば指標としては、実際の身長マイナス10センチくらい、というところ。高めだけど、お尻は斂臀で坐った感じになっていなければならない。

 この状態がなじんで、ますます股関節が緩んできたら、それに応じて更に力を下向きに抜いていく。すると姿勢が少し低くなる。後は緩んだら落ちる、緩んだら落ちる、の繰り返し。股関節が一段緩み、さらに一段緩み、・・・となっていくのを待って落ちていけば、膝を痛めることもないし、脚の筋肉に不必要な力もかからないので、脚に気が通って”活きた”脚になる。

 

 馮志強先生が書いているように、低姿勢は功夫をつけるため(鍛錬のため)で、高姿勢は実践用だ。相手がいる実践の時に低姿勢では動きが遅くなり技もかけられない(ボクシングは股を拡げてはできない)。高姿勢だと素早く動けるという利点があり、低姿勢だと安定性が増し重さのある技が可能という利点がある。

 実際、様々なスポーツにおいて素早さと安定性(重さ)が共に必要になるが、低姿勢で素早く動くことを目指すよりも、高姿勢で安定性を増すことを目指す方が現実的だ。股関節の可動域を大きくすればするほど、高姿勢でも両足の幅を大きくとることができ、低姿勢の利点も兼ね備えることができるようになる。

馮志強先生の写真をみると陳家溝の先生達ほど低姿勢ではないが、足元はしっかり開いているのが分かる。

 

<参考>

第17代伝承人 陳発科

第18代    陈照奎、馮志強

そして以下は陳家溝の第19代伝承人(四大金剛:左上から右へ陳小旺、朱天才、王西安、陳正雷)と同じく第19代の馬虹

 

膝の角度が90度に近い低姿勢をとっているのが特徴。

そして以下は馮志強先生。

膝の角度が緩やかで、脚が”弓”の形に近くなっている。

(「身体は胴体と四肢の四つの”弓”からできている」、に忠実な形)

 

これは番外編。

股関節が全く緩んでいない。高すぎ。膝上の筋肉をちょこっと鍛える以外は何の練習にもならない・・・。

2013/7/16 <立位排尿法と站樁功>

 

ある生徒さんから站樁功の手順、要領について質問があり、それに答えるつもりでメモを書きだしたが、頭がふと別の方向に動き、以前、卓球部の先輩(男性)としたやりとりを思い出してしまった。

その時私が先輩に質問したのは、立ちションはどのようにやる?ということ。

小便小僧の写真を数枚見せてどれが本当の姿に近いか見てもらったりした。

私は男性ではないから実践経験に欠けるのだけど、毎回毎回の排泄行為を身体を鍛える修練として行うのなら站樁功の姿で排尿するのが理想的なはずで、果たして世の中の男性はどのようにやっているのだろう?という疑問(好奇心?)から出た話だった。

 

実のところ、立って排尿をするというのは一つの練功法で、特に女性に対して体質強化、老化防止のために勧められている。

 

私もかつて師父から立ってするように言われたことがあるが、その時は冗談かと思って実践しなかった。しかし中国のサイトで調べていたら、女子の立位排尿は古来から伝わる健康法であることが判明。師父が言うのは冗談ではないのだと(そもそも師父は冗談は言わない!)その後しばらく実践してみた。実際、これを行うと、お臍から下向きに任脈の気が通り、腹が強くなる。これまで臍から下向きに力を使ったことがなかったからとても新鮮な感覚だった。

 

中医学では「女性は任脈、男性は督脈を大事にしなければならない」と言う。

実際、女性は任脈の衰えが早く、多くの女性のお腹は力がなく横線が入っている(男性で腹に横線が入る人は少ない)。これは任脈の気が衰えている証拠で、お腹の縦の線を通すには立位の排尿はとても効果的だ。かつ、尿を最後まで出し切り、下丹田の力を鍛え尿漏れも防ぐことができる。

一方、男性の場合は先に背中側の督脈が衰えてくる。女性よりも腰痛が発生しやすいのはこのためだ。よって、排尿の時には腰を反らさないようにやるのが大事で、腰を伸ばし(塌腰)命門を張出し、腰(腎臓)の力を使って尿を勢いよく出せるように毎日練習するのが良い。これは中年以降患いやすい前立腺肥大の防止にも効果的だという。

 

命門や腎臓の力を使うことで腎の気を鍛錬するのだが、逆に言えば、腎の気が少ない人ほど、鼠蹊部が伸びた状態で腰が前滑りして右のような小便小僧の形になりやすい。上の有名な小便小僧の像も腰が前滑りしているが、右の像はその程度が更に進んでいる。この体勢では腰の力が使えず、尿も勢いよくでるはずがない。

尿の勢いの強さは若さのバロメーターでもあるから、しっかり足腰を踏ん張って腰から出せるように毎日意識的に排尿するのはとても大事なことだ。

 

・・・とここで、女性の中には自分の旦那や息子に座って用を足すように躾けている人が案外いると聞いた。トイレを汚して欲しくないからだそうだが、男性群の健康維持を願うなら、立って思いっきり出すように促すべきだ。

 

今回小便小僧の写真をかなり検索したが、理想的な姿の小僧が見当たらなかった・・・。

站樁功姿で行うにはかなり腰の深い場所の力が必要。楽にやるならやはり一般の小僧の姿になるのだろうなぁ。

日常生活には練功になる動きが数多くある。いや、一挙手一投足全てが練功になる。

楽な方向に流れない様、日常的な動作を意識的に行うことで身体を躾けることができるということ。

 

追記:排尿の際の身体の使い方と站樁功の要領は似ている部分が多い。排尿では気を上から下に下げていくから、息を吐きながら、肩を下げ(沈肩)、胸をすぼめる(含胸)。胸を拡げ、息を吸った状態では無理。大きな違いは、排尿の時は下から出してしまうが、站樁功の時は会陰を引き上げて下から漏れないようにしていること。

 

2013/7/13 <鏡の効用、形→気→心、外→内、内→外>

 

今日は保土ヶ谷クラス、初めての鏡のある部屋での練習。

これまで自分の姿を見て練習をしたことがない生徒さん達が初めて自分の姿を見ながら練習をする。私としても皆の動きに興味がある。

 

いつもは私が指摘したことを各々自分の内側の感覚で捉えているが、今回は鏡という客観的な目を通して、”外から”自分の身体を調整することができる。

皆しっかりと鏡を見つめて動きをチェックしながら動いていた。

 

気功や太極拳は本来鏡に向かってやるものではないが、時に鏡を見たり、ビデオに撮った自分の動きを見るのは、感覚だけに任せた独りよがりの動きにならないためにも有効な練習方法だと思う。形の大事さだけ追求するのも良くないが、感覚だけに頼って形が正しくないのも良くない。

 

『形不正、心不正』と言うように、”形が正しくなければ、心も正しくない”、というのは大方正しいはず。昔中学校の先生が、”服装の乱れは心の乱れ”、と言っていて、本当かなぁ~、なんていぶかしく思ったりしていたが、それも同じ道理だったかと今思ったりする(いや、心が既に乱れているから服装が乱れる、というのが本当か?その場合は、『心不正、形不正』ということになる。)。

ただそう言っても、何故”形”が”心”として表れるのか、(もしくはその逆に何故”心”が”形”として表れるのか)、少し論理の飛躍があるような気がしないでもない。

その時、もう一つの言い方、『形不正、気不順』(形が正しくなければ気はちゃんと流れない)をかませてみると、スジが通りやすくなるかと私は思う。

即ち、①形が不正なら、②気の通り方が滅茶苦茶になり、③心も乱れる。逆の場合は、『心不正、気不順』となり、心が不正だと気が乱れ形が乱れる、となる。

こう見ていくと、”気”は形あるものと形無いもの(ここでは心)の媒介をなしているように思える。そう言えば、『意→気→力』というのも意(形無いもの)と力(形あるもの)の媒介物として気が位置づけられている。

・・・”気”が何たるかはなかなか掴めなくて、ましてや言葉では言い表すことができない。そしてそれがこの練習の面白さかなぁ~と思うところ。

 

 

いずれにしろ、太極拳は『内外兼修』というが、その方法には、外の形を正しくすることによって内側の感覚を正しくしていくという”外→内”と同時に、内側の感覚を正しくもつことによって形を正していくという””内→外”がある。

そして練習の順序はやはり”外→内”が先で、これである程度”内”の感覚ができてきたら、”内→外”にしていく。

定番の腰回しの動功にしても、最初は腰回しの形を正確にできるようにし(使うツボや経絡、筋肉等を注意して)、そのうち練習が進んで身体の内側、特に丹田の感覚が取れ出したら、丹田を動かすことによって腰を回すよう、”内→外”の練習をしていく。

そして、この”内→外”の動きができるかどうかが、所謂体操と太極拳の差。

いつまでやっても太極拳がゆっくりした体操から脱却しないのは、”内→外”がないからで、だから初心者が”形”の練習を始めたばかりの時から、常に内側の感覚を育てていくような站樁功や坐禅など、”内”の練習を同時並行的にやることが大切だ。

 

今日の生徒さんの課題。

Aさん:太腿裏を使う感覚がとれない。膝が伸びない。お尻が上がらない。前屈必須。

Bさん:内転筋が使えない。鼠蹊部を微妙に外旋させて会陰を引き上げるべき。

Cさん:含胸、塌腰ができるようになり站樁功の際、足に気が落ちてきた。次は背骨を緩めていくこと。背骨を緩めないと丹田の気の量が増えない、もしくは増えれば緩む。

Dさん:股関節がカクカクするのを治すためには丹田を多少上の方にとって中丹田を大きくすることが必要。腹の力を保持できるような体力も必要。

Eさん:会陰を引き上げすぎて足が浮いている。会陰の引き上げと足の地面への踏ん張りが引っ張り合いになるようにして脚、足に気(力)を落とす練習。

 

とそれぞれ課題があるが、鏡のある部屋で24式(套路)を5式までやってみたら、皆、とても上手になっていてびっくり。鏡があると私の動きが前からも後ろからも見えるためだが、腰から動いて手や足が後からついてくるような動きまで真似ができていた。

進歩したなぁ~、となんだかとても嬉しかった。

 

 

 

 

 

2013/7/4 <腰が中心>

 

たまたま電話で話していて師父からこんな一言。

「遠看頭、近看脚、不近不遠(仔细)看腰窝」

遠くから見るときは頭を見て、近くから見るときは足(元)を見る。遠くも近くもなければ(しっかり)腰を見る、という意味だ。

 

これは昔から中国で言われている言葉ということで、もともとは礼儀として相手のどこに目線を置くか、ということらしい。しかしそれが今では、男性が女性を見る時の順序だとかなんだとか、中国人の中でも意見が一定しないらしい。

師父としては、人の中心はやはり腰、腰を見ればその人が分かる、という意味合いでこの言葉を持ち出していた。といっても「腰」はまだ表面にすぎず、それを透視してさらに中を見るとのことだが・・・。

そういえば私も最近人を見るときに無意識に腰回りを見ているようだ。腰、腹、おしりを見れば、その人の年齢、生活状態、健康状態、緊張状態、機敏さ、活力のあるなし、等々、様々なことが分かるように感じる。

顔は化粧や表情を作ったりして装うことができるが、腰はその人をそのまま露わに現わしてしまうようなところがある。

 

太極拳の練習は自分の中心を頭から腰に下ろしてくることを最重要視しているが、それは本来の自分に戻ること・・・これも”自然”に戻ること。

 

2013/7/3 <太極拳で学ぶことは人それぞれ、自然になる>

 

夏至は過ぎたが、これから梅雨が明ければ本格的な夏が来る。

先日生徒さん達への一斉メールの中に、「夏に練習して冬に備えましょう!」という文を何気なく書いたら、それに対し、「どう夏を凌ぐかを考えているこの時期に、もう冬のことを考えて練習するのですか?」と少し驚いたような反応があった。

 

そう言えば私も練習を始めた頃、こんな話を師父から言われても「へぇ~、そんなものかなぁ?」とぼや~っとした感覚しかなかった。それは、「努力すれば報われる」みたいな、大人が子供によく言う説教めいた抽象論のように聞こえていたと思う。

師父と練習を始めて今年で7年になるが、気が付けば、以前師父が言っていた抽象的な話が実感として理解できるようになっていたりする。それは不思議だが自然な意識の変化。

 

その一つが季節の移り変わりに伴う身体の変化であり、それとともに練習方法を変えること。

春夏秋冬は、「春生、夏長、秋収、冬蔵」と形容されるが、生まれて成長し収穫して溜める、というのは自然界に存在するものすべてのサイクルだ。一日の中にもサイクルがあるし、植物、動物の一生も同様のサイクルがある。

私達人間も動物であり生物であるから、本来人間はどのようなものか?と、人間の最も単純なあり方を知りたければ植物を見ればよい。

植物は春に芽生えて夏にしっかり太陽に当たることで秋に実が収穫でき、その後次世代を作る種がとれるようになる。

人間の場合も同様で、春に陽気が盛んになり(ウキウキ、ふわふわ、もやもやした気持ちもその顕れ)、夏で陽気が最高になる。気が身体の上部にこもりがちで、頭痛、のぼせ、立ちくらみ、心臓の異常、などが出やすい。身体の表面が開いているので、身体の気もすぐに外に放出されてしまい疲れやすい(スタミナ切れ)。秋になり陽気が下がって陰気が増えだすと、精神的に少し落ち着きが出て勉強しようか、というような気持ちにもなる(読書の秋?)。身体の表皮も次第に硬くなり乾燥してくる。冬に備えて食欲も出てくる。冬は陰気が多く何でも溜める方向に働く。身体も脂肪を蓄えて寒さに対抗しようとする。

 

ただ、現代の私達の生活は冷暖房完備で自然から乖離していたりするから、本来の自然な身体の変化が分かりずらくなっていたりする。”自然治癒力”というのはどんな薬よりも効き目があり(というか結局身体を本当に癒すのは自分自身のもつ自然治癒力でしかない。薬は自然治癒力を働かせる補助的な役割に過ぎない)、その力を最大限に発揮させるには、できるだけ自然のリズム、自然に従って生活するのが一番。

 

太極拳を練習する目的は人により様々で、養生法としてやりたい人、スポーツは苦手だが何か身体を動かす手段としてやりたい人、武術として技重視でやりたい人、身体の内部の構造を実感したいという医学的な関心のある人(鍼灸、整体系の人)、自然の中で身体を気持ちよく動かしたい人、などがいる。中国の太極拳の先生の中にも明らかに技(用法)重視の人もいれば、技はあまり重視しないで殆ど気功法として教えている人もいる。それはその人の関心がどこにあるか、という違いで、同じ「太極拳」と言っても学ぶ内容が随分異なっていたりする。

私自身は若いころ気功法を学んだり、簡化や楊式、孫式の太極拳もかじったことがあるが、気功法だけでは柔らかすぎて物足りなく、太極拳の型を通り一遍やっても深さがなく、相手を倒すような実践的練習だけでは猛獣化していくような惧れがあり、なんだかこれ、という手ごたえがなかった。今の師父に出会って学んだことが結局自分がずっと知りたかったこと、学びたかったことで、思えば人間のあるべき姿や意識について等は小学生の頃既に興味があった。が、残念なことにこのような勉強のできる機会は小中高大学とどこにもなかった。

もし大学あたりで、太極拳で学んだようなことを学んでいたら、その後それほど遠回りした人生を送らなかったかしら?とも思うが、この勉強は教室で講義を聞いて分かるようなものではないので、やはり学校で教わるものではないのだろう。

中国では体育大学で太極拳を教えているが、中国でも本来太極拳は師弟関係で教わるもので、そのような人たち(私の師父も含めて)は大学で学んだ人達を「学院派」と呼び、自分たち「民間派」と切り離して冷やかに見ている感がある。そこには大学で学んだぐらいでは太極拳の核心が掴めるわけがない、といった自負が隠れているような感がある。

 

実際、太極拳で自分の内奥に触れていくような練習をすると、それに比例するかのように、自分と自然との連結、一体感を感じるようになる(虫に対しての感じ方も変わる!)。確かにこのような意識の変化は数年大学で学んだという程度では感じられないだろうとも思う。

身体に染み込ませることで意識に染み込んでいく、身体→意識(頭)、という練習は、ともすると頭ばかりが一人歩きをする私達人間の歪みを正してくれそうだ。身体を総動員して本来の一番自然な姿を取り戻す、私が太極拳が好きな一番の理由はここにありそうだ。

 

 

 

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2012/3/20

日本養生学会第13回大会で研究発表をしました。

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