2012年 3月

2012/3/22

 

3/23から4/1まで、中国河南省鄭州に行きます。

その間練習メモはお休みします。

もし書く状況がそろえば書くかもしれません。

みなさん、ちゃんと毎日、基本の練習とストレッチはして下さいね。

春・夏は身体を柔らかくするのに最適な季節ですので。

2012/3/18

 

週末に日本養生学会で20分間の発表をしてきました。

いろいろ書きたいこともありますが、大会二日前になって急に事務局から要請されて初めてのパワーポイントでの資料制作に挑戦したりなど、書く作業に多少疲れ気味。コメントは後日ということで、ここには発表に使ったレジュメとプレゼンテーション資料はこちら。

2012/3/16

 

今週末3月17日と18日に、日本養生学会という学会に始めて参加することになり、その発表準備に追われている。

今日は午前中、どうにか站樁功の時間をとり、午後はママクラスへ。

帰宅してから、昨日になって要請を受けたPowerPointの資料作りを始める。

いずれ学会の話は書くことになると思うが、興味ある人のために学会のプログラムは以下の通り。

宮本武蔵兵法二天一流第十一代宗家の方の実演やお話が有る等、面白そうです。

 

http://www.yosei.gr.jp/yousei2012-1.pdf#search='養生学会'

 

 

2011/3/14 <イメージを持つ>

 

久しぶりに24式のビデオ撮影をしてもらった。

前回夏に撮ったが、その録画を師父に見せたら、まだまだ上半身の力が抜けていないと指摘された。それ以降、上半身の力を抜くことを注意して練習してきたつもり。

また、コマ送りにして自分の動作を見た時に、まだ正確さを欠いていることにも気づいていた。その点も意識して練習してきた。

 

果たして、今回の録画を自分で見ると、股関節は以前より緩み、下半身がより安定したのが分かる。しかし、まだ気が頭頂に抜けていないのが分かる。さらに気を溜めなければ貫通しないなぁ、と思う。

まだ師父に見せていないが、23日より中国に行くので、その時に直に見てもらおうと思っている。

ふと、なかなか自分が思うようには行かないなぁ、と思ったが、問題なのは、自分の中にしっかりとした具体的な理想の形が描けていないせいかもしれない。

 

最近テレビで、若い女の子が太極拳の世界大会か何かですごい成績をとったとかで、彼女の演武が放映されていた。私の主人も娘もそれを見て、私に見るように言ったが、私はチラッと見て、ああ、あの太極拳風のアスレティック競技ね、と、瞬時に太極拳とは別物と判断。身体が良く動いてすごいなぁ、とは思うが、あれは若者のするスポーツだと見なしている。本当の太極拳の真髄は、如何に気を溜め、煉り、全身に流していくか、とか、如何に自然と調和し、一体になるか、というところにある。

そう考えると、確かに自分の中で、どうありたい、どう動きたい、という理想は漠然とはあるということ。これをもう少し具体化したイメージを持つことが、更に進歩するために必要だろうと感じた。

 

『創造は想像から始まる』という言葉を思い出した。

 

2012/3/11 <意念の持ち方>

 

生徒さんを教えていると、様々な身体があることに気付くが、それと同時に、その人の動き方、学び方からその人の性格も見えてしまう。

同じ動作でも、几帳面に小さく動く人もいれば、ちょっと形は崩れていても大胆に大きく動く人もいる。ずっと同じを練習したがる人もいれば、様々な動きを試したい人もいる。

 

筆跡でその人の感じが分かったりするが、動作は更に如実にその人を表す。

それも何気ない、意識していない動作が最もその人をよく表す。

お茶やお花や、その他マナー教室のようなもので、美しい動作を学ぶこともできるが、それがただの教養のため、人前で恥ずかしくないように、といった目的のためではあまりにもお粗末で、要は、そのような場所で学んだ意識的な動作を、次第に生活全般へ広げていくように努力することが、意識の拡大という、人間の無意識→意識への進化の道なのだろうと思う。

 

実は太極拳を学ぶ最も重要な点は、『意(念)』を鍛えること。

まず『意』があり、それから、身体がある。『意』が身体を司る。

正に、「意によって身体を調整する(意によって気を導く)」のがこの練習だ。

 

だから、正しい「意念の持ち方」は最重要課題になる。

 

ここで、3/7付のメモでアップしたイチロー選手の動画の後半部分を思い出す。

彼は、インタビュアーとおしゃべりをしながら練習をした方が身体の調子が良い、と言っていた。

これは、太極拳で言う『有意無意真意』の道理。

 

生徒さんの中には、練習の時にとても集中して、目を閉じて自分の世界に入り込んでしまう人もいる。しかし、意念(心)と身体は連結している。だから、意念の『集中』は、視野のみならず、身体までも狭く閉じさせてしまう。体内の血管等も狭めて気血の流れが悪くなり、筋肉は緊張する。

しかし、一方で、意念が散漫なまま練習することは、意念の身体に対するコントロールを欠いたまま練習するということ。つまり、身体の野放図な動きを制し正しい方向へ導く術を身につけることができず、練習しても進歩がほとんど望めない。

 

簡単に言えば、正しい意念の持ち方は、①『集中』と『弛緩』の間、と言える。しかし私自身は、②「焦点を当てながら、”引き”気味にして意識を拡げていく」というのがより正確なように感じる。

 これが太極拳の真髄の一つである、『有意無意真意』の意味するところでもある。

(意念が『有る』のと『無い』との”間”が『真の意念』、と読めば、①に対応するし、『有る』とも言えるし『無い』とも言える状態が『真の意念』、と読めば、②に対応する。中国は助詞がないので、そのあたりがいずれにも読めてしまい、解説も多々ある・・・いずれにしろ、これは静功(瞑想)を深めるには最も重要な要領です!)

 

太極拳の経典にはこの意念に関する記述も多く、解説をし始めればきりがないほど。

それにしても、さすが、イチロー選手は自らの感覚で正しいところを掴んでいると敬服したのでした。

 

2012/3/9 <小学校の体育の授業で学んだこと>

 

ママクラスでは太極拳までは教えることができず、専ら身体づくりのための基本練習をしている。

通常の太極拳の練習ではしないようなことも、いろいろ試している。

そして気が付くのは、子供の時(小学生の頃)に体育の授業でやっていたような運動が、笑えるくらいできなくなっているということ。

 

まずよくやるのが、座って180度近く開脚をして、手を前についておしりを持ち上げてしばらくそこに静止する動き。マット運動の開脚前転の最後のポーズだ。

殆どのママ(のみならず他の生徒さんも)は、おしりを持ち上げることができない。

 

次に定番のブリッジ。

寝た状態から身体を持ち上げるだけだが、つぶれてしまう人がほとんど。

立った状態から後ろにそらしてブリッジをして、また戻ってくるなんて、想像を絶するくらい難しくなっている(ちなみに、私の小学校では、これができないと、居残り特訓だった。)

 

そして何度が紹介した四足歩き。

この後ろ足の動きは、雑巾がけの時にやった動き。廊下の端から端まで、何度も往復し、競争したこともしばしば。片足ずつ走るように動かすこともあれば、蛙飛びのように、両足ではねて進むこともある。

この動きも、生徒さんにやらせてみると、愕然とする結果となる(もう、雑巾がけはしなくなってしまったのか?)。

 

そして今日新たに試してみたのが、四足歩きの仰向け版。手の先を頭方向に向けると、肩関節がよく開く。人間テーブルのような恰好だ。四足歩きでもそうだが、胴体を床と平行にするのがコツ。もともと、この状態で前後左右に歩き回ってみるつもりだったが、お腹を引き上げてその場で状態を維持するだけでも大変そう。すぐにお腹が下がってくる。

これは、会陰を引き上げて、丹田にぐっと力を入れておかなければならない。

丹田の力がなくなると、胴体が崩れ、四肢に過度の負担がかかり、歩き回ることは相当困難になる。

また、肩関節が開いていないと、この動きは苦痛になる。大部分の人の肩関節の可動域は狭く、そのせいで、腕をどれだけ回しても肩甲骨まで連動させられず(ましてや、通常の歩行の時に肩甲骨まで稼働させることは更に不可能に近くなる!)、いつのまにか、背中にこんもり肉が付くようになってくる。

 

その他、縄跳びや鉄棒の動きの中にも、大事な要素が隠れている。

その昔、小学生の頃は二重跳びはもちろん、三重跳び、そして男子の中には四重跳びまでできるのもいた。鉄棒も、前後どちらも連続回転していたし、握り方を一回転ごとに変えて回ったり、さまざまな技を練習した。・・・・あの頃の身体は一体どうなっていたのだろうか?何故、昔できていたものが、できなくなってしまうのか?子供の身体と青年、中年、老年の身体は何が違うのか?

 

一人の生徒さんが聞いてきた。

「子供の頃はあんなに柔らかかったのですが・・・。もし、あの頃から今まで、毎日欠かさず柔軟体操をしていたら、今でも前屈はできたはずでしょうか?」

確かに、ある日突然、昨日までできていた開脚や前屈ができなくなることは有り得ない。とすれば、毎日毎日努力をしていれば、その努力していた箇所に関しては、今でも子供の頃と近い水準を維持できていたに違いない。

つまり、ずっと休まず続けていれば、年齢とともに徐々に下降線をたどるものがあったとしても、突然できなくなってショックを受けることはないということ。

 

私が中学生の頃、卓球部の練習はかなりきつかったが、『1日休めば3日分戻る』と言われていたので、試験期間中たとえ体育館が使えなくても、家で壁打ちをしたり、フットワークをしたり、お風呂につかりながら砂を入れたビール瓶を振り回したり(?!)、毎日休むことなく練習していた。

そして今また、劉師父からも同じことを言われる。『一日休めば自分に分かり、三日休めば師父に分かる。七日休めば皆に分かる』・・・だったかしら(ちょっとうろ覚え)。

 

またまた、毎日続けるという、簡単で難しいことの重要性を思い知るのでした。

 

追伸:

48式の練習で、皆が苦手な第32式「擺脚跌叉」の動画を以下に載せます。

「擺脚」は右脚を外回しにする動作、「跌叉」は下にしゃがんで前後開脚をする動作を指します。

すぐ下の動画の中の、馮志強先生の動作は年配バージョン、若いお弟子さんの動作は、少林寺バージョンです。この若いお弟子さん程のことはできなくてよいですが、私が通常教えている劉師父のバージョン(その下の動画を参照)はいずれできるようになって下さいね。

 

 

 

2012/3/7 <イチローの肩関節と股関節>

 

午前にママクラス。

股関節が固く、脚裏側の筋の伸びないママが多い。柔軟体操に重点を置く。

 

後に大学時代の卓球部の先輩と連絡を取り合う。

先輩が日曜日に練習に来たときに、股関節と肩関節が固いことを指摘していた(3/4の練習メモ参照)。

そして、今日ひょんなことから、イチロー選手のトレーニング動画を発見。

マシンを使った練習(開始から1分半程のところ)を見ると、彼の肩関節と股関節がとてもよく開いていることが分かる。これには先輩も「すげえ~!」の一言。(帰宅した私の主人も釘づけになっていました。)

やはり、肩関節と股関節を「打開」するのは運動の基本。避けては通れません。

 

ご参考までにその動画を下に貼ります。

2012/3/6 <演奏と太極拳の接点>

 

午前中の天気が不安定で、結局屋外の練習をキャンセル。

思いがけず自分一人の時間が増えた。

一通りいつもの練習をした後、ピアノのレッスンに行く。

随分音色が良くなったと褒められた。これはたぶん、「聞く」能力が向上したため。

 

1か月ほど前にスマホに買い替えてから、移動時間に専らクラッシック音楽を聴くようになった。

そして、そもそも声楽家との交流で、それまでは縁のなかった声楽に少しでも近づこうと様々な歌手の歌を聞き始めたのだが、太極拳の身体の使い方の観点から声楽を聞くようになったせいか、気が付くと、”身体が聞く”ようになっていた。

 

例えば、腹の底から頭頂を貫通して声を出している歌手と、胸を使って発声していたり、頭まで上げず口から声を出している歌手の場合などでは、自分の身体の反応が全く違う。貫通していれば、私の身体も同様に貫通するし、胸から声が出ていれば私の胸も苦しくなる。自分で自分の身体を観ているのが面白いほど。芸術性としてどうかは良く分からなくても、発声がどこで行われているかは身体がキャッチできるようになった。

 

その後、元々好きだったピアのノやバイオリンの曲を聞いてみた。すると、以前とは全く違った聞き方ができる。音、それ自体で、その演奏家のレベルが分かるようだ。

身体のどこで聞いているのだろう?と、聞いている間、自分の身体の中を探ってみる。

耳の奥は喉の奥とつながっていて、それが身体の下まで達して、結局子宮(丹田)付近までつながっている。いい演奏家の奏でる”音”は子宮(丹田)まで達してそのあたりを打つ感じがする。そこまで達さない”音”も多く、そのあたりが、私にとっての一種の、良いか否かの判断基準になっているようだ。

丹田を打つ音は気かこもっている。一種、スパゲッティのアルデンテのような芯がある。それでいて、固くも柔らかくもできる。音のニュアンスの層が分厚い。陽(表)の音のみでなく、陰(裏)の音がとても印象深い。そしてそれは決して、演技のように外につけた表現ではない。それは「感情表現」などというようなレベルの話ではない。『その人自身』がその演奏に表れる。

 

もちろん、その前提としてほぼ完璧に近い演奏テクニックが必要。

演奏家は技術がなければ演奏家とは言えないが、技術だけでは芸術家にはなれない。

芸術家は、あちらの世界を垣間見せてくれるような、あちらの世界につながっているような何等かの資質(一時的なものにしろ)が必要なのかと思ったりする。生来のものもあれば、後天的な環境(時代背景、家庭環境、場所、交友関係・・・)、そして本人の自覚や努力など、様々な要因が絡み合う。俗に染まっていては、あちらには行けない。何を見、何を聴き、何を考え・・・と、一瞬一瞬の生き方がその人を作っていく。

 

「テクニックだけでもこんなに大変!ピアニストはどのようにしてこんな難しいことができるようになるのですか?」とピアノの先生に聞いたら、「のぶえさん、ピアニストまでいかずとも、音大のピアノ科の学生でも毎日一日中練習していますよ。」と当然顔で言われた。確かに、一日おきに1時間の練習では、全然足りないということ。太極拳だって、同じでした。毎日数時間数十年続けて練習して当然の世界。センスだけではなく、地道な努力が必要。

 

ともあれ、無意識に生活していると、知らず知らずのうちに自分の中にゴミを溜めてしまう。私の毎日の午前の太極拳の練習も、そんな溜ったゴミを排出するために、とても重要な役割を担っていることを改めて感じた。

2012/3/4

 

大学時代の卓球部の先輩が3か月ぶりに練習に来た。

11月末に始めて站樁功や動功を教えたが、それから自分で毎日站樁功30分と動功を練習していた。3か月でどのくらい身体が変わっただろうか?と私も興味津々。

他の生徒さんを教えている間、一人で立っていてもらう。

 

パリで師父について学べば、間違いなく最低1時間は立たされる。男性の場合は1時間半コースもざら。

私はその点甘いのか、普段そこまで生徒さんを立たせることがない。教え始めて、この点はすぐに妥協してしまった。站樁功が苦痛で太極拳の練習が嫌になってしまってはもともこうもない、と。

 

ただ、本当にやる気の人には妥協したくない。以前熱心に練習に来ていた総合格闘技をやっている21歳の若者にはかなり高い要求をしたことがある。その効果もあり、彼の身体は本人も驚くほどみるみるうちに変った。本人が身体の変化に気付けば、またやる気もでるというところ。好循環が始まる。が、その好循環が始まるまでが辛いところ。結果を急がず、結果を求めず、ただ、やり続けなければならない。それが、無心。

 

さて、先輩の立ち姿を見ると、随分、楽ちんに立っている。年配の人ならそれでも良いのだが、アマチュアであれ運動選手である中年男性には、いささか負担が軽すぎる。もう少し意識的に力(気)を足まで落とし込めなければならない。いつでも飛びかかれるくらいの、潜在的なエネルギーが感じられる立ち方で立ってほしいところ。

腰をもう少し落とさせたり、少し体勢を直して、また立ち続けてもらう。・・・1時間弱立ってもらって収功。後で知ったが、最後はかなり辛かったとか。

 

その他動功をやってもらうと、身体が随分開いて動くようになっているのが分かる。脇腹のあたりの筋肉も以前よりしっかりついていた。

ただ、しゃがむ動功をしてもらうと、ちゃんとおしりを割ってしゃがんでいないことが判明。(自分一人では、気付かずに正確性を欠いたまま練習し続けてしまうのは良くあるところ。やはり時々先生に見てもらって直してもらわなければならないのは私自身がとてもよく知っている。)

そこから股を開く(割る?)ための練習を数個やってもらう。

股関節が固いとおしりや太ももの裏側が使えない。同様に、肩関節が固いと、背中の力を腕(の陽面)に伝えることができない。

 

「股関節と肩関節をまず『打開』しなければならない」・・・これは、運動選手への第一要求というのは常識だと師父はよく言う。

股関節と肩関節を開かなければ、始まらないことが多々ある。

肩関節のためには纏糸功が効果的。

股関節のためには、坐禅や四股が効果的。

ただ、開くためには、まず、緩ませなければ(放松)ならない。つまり「放松」→「放開」で、だから練習ではまず站樁功で身体を緩ませる(站樁功で間違っても身体を緊張させてはいけないということ!)。

 

昔四足で動き回っていた頃(?)、どう歩いていたかを想像してみると、股関節は緩み(折れ曲がっていて)おしりと太もも裏で蹴っていた。そしてその力が背中に伝わり、肩関節を回すように動かすことで背中の力が前足に伝わっていた(トラの歩き方を参照)。後ろ足と前足がちゃんと連動していて、まさに全身一つになっていた。

それが、立ち上がって二本足になってくると、まず股関節がピンと伸びてしまい、おしりや太ももの裏が使えなくなってきた。歩行の時に肩関節を使う必要もなくなり、肩の可動域が減り、結局、脚(後ろ足)と腕(前足)の関連性が失われてしまった。

 

四足で歩く練習(おしりを上げず、ちゃんと背中を地面に平行にしたままで歩く!)はハンマー投げの室伏選手も取り入れているようだが、これは全身の運動感覚を目覚めさせるのにとても効果的・・・・この練習を今日先輩に教えるのを忘れたと後で気づいた。

 

人間は立ち上がることで背骨が脳を刺激して頭脳が発達したが、その反面、四足の時の全身の協調した運動の感覚を失ってしまったのかもしれない。得るものもあれば失うものもある。でも努力で失われるものを最小限に食い止めることができるのも、人間の頭脳のなせる技だと思う。

 

 

2012/3/2 <イメージは16歳の男子>

 

午後からママクラス。

午前中自分の練習をする。頭の中には明確な理想的な身体の感じがある、それは、高校男子。

 

朝たまたま入ったコンビニのレジで数人の高校生の男子学生に囲まれたのだが、その時、自分の身体か直観が、あるすごいものをキャッチしたとことが分かった。

何だろう~?と、よく見てみる。すると、ああ、彼らの精気がすごいのだ、と理由が判明。文字通り、ムンムンしている。

すごいなぁ~、これが生命力!と一人感動(もちろん、表面にそれは表れないようにしています。でないと、へんなおばさん?!)。

 

彼らの体つきをまじまじと見る。それはもう、透視に近い。

胸が凹んでいて下腹部(もしくは股間)の方に重心が落ちている。脚に気が落ちていて、足裏がしっかり地面を踏んでいる。ともすると、足を地面に擦るような歩き方。

こんな歩き方は老人には決して真似できない。老人は、かかとを地面にしっかり着地させることができず、浮足立って歩く。真反対だ。

 

胸を開くな開くな、とこれまで何百回言われたか分からないが、彼らの身体を見ていて、これこそ、師父が私に伝えようとしていた太極拳で目指している身体に違いないと感じる。(その後師父に確認するも、その通りとのこと。ただ、精気が多くても、気をコントロールする術がなければ片手落ち、と付け足していた。)

 

感動しながらコンビニを出て、駅に向かう出勤途中の男性達をチェックする。

若い背広族は、既に胸が開いていて、精気が減少傾向にあるのが分かる。20歳頃になると既に胸が開き始めているようで、私の感覚では、16、17、18歳が男性のピーク。

(女性も同様にピークがあるはずだが、外形的には男性ほどはっきりしない。若しくはまだ研究不足。)

 

太極拳や気功の練習は一種の若返りを目指すような練習でもあるが、どの時点に戻るかというと、高校男子の頃の体つきに戻るということかもしれない。「精満気足神旺」と言われるように、精気が満ちれば自ずから気は足り、精神もはっきりする。

まずは精気が満ちていなければならない。

胸を下げ、気を下腹部に押し下げて、会陰を上げ、そこで精を煉る。

そのためには坐禅や站樁功が必要不可欠。

 

 

 

 

2012/3/1

 

広場で一人で練習。

今日は暖かく、站樁功をしばらくすると、上着を脱がなければならなくなる。

女性は生理中は站樁功ができないので、私にとっては身体や心を調整する大事な術が奪われたようで、その間は練習時間が短縮され、その分他のことができるようだが、やはり何か大事なことが抜けているような気がする。

やっと站樁功が思いっきりできる日になると、身体も、待ってましたとばかり、新たな反応を示す。生理の終わった後は、身体の中の力は落ちているが、開き度が格段に上がっている。今日も早速、立ち姿勢になって1分も経たないうちに、喉から尾骨までが一気に通る。唾が驚く程出てきたのが分かる。

全てが下へ下へと落ちる。いや、自然に放っておくと気(力)が上に上がってくるのを、私が肩や胸で下に圧力をかけて落とし込めている。自分の身体の中での力の強い引っ張り合い。下に押し込めれば押し込めるほど、全身に気が循環する。「下に一寸いけば、自ずから上に一尺上がる」と言うが、まさにその通り。

 

「右に行きたければまず左に行け」とか、その反対もあるが、そう言えば、最近スマホに買い替えてから極端に目が痛くなり、慌てて、遠くを見る練習を始めたが、遠くを見れば見る程、目は奥に引っ張られる。逆に近くを見れば、目は前に出てくる。

目の焦点の合わせ方として当たり前のことなのだが、なんだか新鮮。これも、「前に行きたければまず引け!」というような道理のようで、みな共通しているなぁ、と面白く思う。

目の休憩も兼ねて、目を後ろに引いて遊んでみる。この話を師父にしたら、「印堂穴を後ろに引いて下まで通せ」と言う。そう聞いて、印堂穴(眉間のところのツボ)を意識して目を引くと、後頭部の玉枕やら、喉の奥から背骨を通って、下まで貫通するのが分かった。

 

今日立った時に、すぐに気が下に落ちる感覚があったのは、数日、目の操作についていろいろ試していたせいかもしれない。

站樁功中、ずっと身体の中を見ていると、自分は身体の中にいるが、身体ではなく、そのうち、自分が身体を包んでいるようになったり、何が内か外か、身体の境界も分からなくなる。外界というものはなく、全部つながっているんだなぁ、と、安心感。

站樁功の後、自分の中から外に出てくると、そこには站樁功前とは違った世界がある。

とても冷静な自分が、冷めた目で客観的に世界を見ているよう。巻き込まれない!

 

その後、動功をし、套路をし、結局、3時間近くきっちり練習をして帰途についたのだが、歩きながら、あれ、すでに太腿が筋肉痛? 練習中はあんなに脚も軽くスムーズに動いているようだったが、実は低姿勢で練習していたため、かなり脚を使っていたよう。

・・・ということは、先日書いた、「太腿の負担を減らす」というのは何だったのか・・・?と疑問が頭をよぎったが、「老化は脚から。脚はどれだけ鍛えても鍛えたりない」という師父の言葉を思い出し、これでいいのだ、と自分に納得させたのでした。

 

ちゃんと練習すると、気持ちいい~!(今更ながら)

 

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ようせいフォーラム2017プログラム.pdf
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2012/3/20

日本養生学会第13回大会で研究発表をしました。

発表の抄録、資料はこちら