2012年2月

2012/2/27  <太腿の負担をなくすには?>

 

太極拳を習い始めて、みな大変に思うのが、太ももへの負担。

私も第3式のランザーイーを習って、最後のポーズでしばらく静止させられた時、太ももがブルブルしていてとても辛かった。続いて第4式でも馬歩で左右の重心転換があるが、師父がいくらでも楽々とやるのに、自分は何故こんなに苦しいのだろう、何かコツがあるに違いない、と随分試行錯誤したことを覚えている。

 

站樁功の時に、どうしたらあの中腰で太腿が痛くなく立てるのだろう、という疑問の答えと共通するのだが、左右のどちらかに重心をかけた形は一段難しくなる。

師父には、第3式の最後のポーズで30分站樁功をするように、と言われたことがある。

 

套路中のそれぞれの式の最後のポーズ(定式)は、どれも站樁功ができる。

そしてどのポーズもそのポーズ特有の気の流れがある。それが分かると、ああ、そういう型だったのね、と先人の知恵に感動が込みあがってきたりする。

30分も静止していなくても、3分静止するだけでも、その型によって体内の気がどのように循環するのかが分かる。(もちろん前提として、そのポーズが正確でなければならない。)

 

いろいろ努力して、站樁功については随分早くコツらしきものをつかんだが、左右の重心転換については、まだ何かが残っていた。

それが、最近、「ああ、この位置ね!」と、霧が晴れるようにはっきりしたことがある。

 

站樁功でも左右の重心転換でも、太ももに負担がかからなくなるためには、股関節が緩む(開く)ことが鍵、というのはみな良く知っている。

しかし、それは本当はどういう状態なのか?

 

通常の人の身体の使い方は、①恥骨を前に上がれば(おしりを巻き込むようにすると)太腿前面の筋肉が使われ、逆に、②仙骨を上げておしりを突き出すようにすると、太ももの後ろ側の筋肉が使われるようになっている。

(ただ、ここで、②のようにおしりを後ろにあげても、太ももの後ろに何ら刺激が来ない人も案外いるので、その場合は、まず、どうにかして太腿裏の筋肉を目覚めさせる練習をしなければならない。)

 

そして少し股関節と膝を緩めた中腰体勢で①→②にゆっくり動くと、力のかかる部分が、太腿前から徐々に太腿裏に移行するのが分かるが、それを非常に注意深くやると、太腿前から後ろへ転換する点、ちょうど身体の真下に会陰が来たところで、一瞬無重力になる瞬間があることに気付く。(ただ、それには股関節が胴体と多少分離して動かなければならない。)

その点は上向きと下向きの力が拮抗している点であるようで、そのままドスンとしゃがみ落ちてしまうこともできれば、そのまま上にジャンプすることもできる。そしてここにいれば、中腰でも、太ももにほとんど力がかからない。左右に重心転換するのも楽々。

 

これが分かってから、師父や、馮志強老師、陳家壕の四大金剛の老師達の動きを見たら、まさに、皆その位置で動いていた!

自分が達したところまでは他人のことが見える。逆に言えば、見えるということは、その水準にまで達したということ。

 

それが分かってから、数人の生徒さんにやらせてみたが・・・、やはり皆、股関節がまだ固い。固いとその一点に入れない。まずは股関節を柔らかくしなくては!

左右開脚、前後開脚、そして左右開脚で上半身を前に倒して胸がつくようになれば、きっとあの感覚がとれるはず…基本条件を満たせば簡単だが、基本条件を満たすための道は険しい?!

下は左右重心転換が続いて出てくる24式の第3式最後から第6式始めの師父の演武。

2012/2/26 <そぎ落として正しくする>

 

自分の練習。

最近太極拳の練習であれ、ピアノの練習であれ、バイオリン演奏、歌い方、お茶での立ち振る舞い・・・どんな所作においても、「正しさ」が気になる。

本当に正しい動作、身のこなしには、奇をてらわない美しさがある。力みがなく、ゆがみがない。

大家と言われる演奏家、例えばピアノのホロビッツやアルトゥール・ルービンシュタイン、バイオリンのハイフェツの動きには、余計な飾りがない。

そこまでの域に達さない、そこそこの演奏家は、往々にして頭を振ったり、腰をよじったり、様々な表情を浮かべたり、と、ボディラングウィッジ付きの演奏をする。

 

太極拳でも、馮志強老師や劉師父の動きには余計なものがない。

先生の中には、多少肩や腰をよじって、あたかも強く見せるような演武をする人もいるが、実戦では、過度な動きは欠点となる。コンパクトで正確な動きが必要だ。

ピアノでも一本一本の指は鍵盤に真っ直ぐ入っていかなければならない。太極拳の一つ一つの動作も、すべて、”真っ直ぐ”入っていかなければならない。その”真っ直ぐ感”は、本当に共通するところがある。

最近、”純化”を目指すよう師父に言われたが、それは、常に心と身体から余計なものをそぎ落とし、「正しく」していく練習であると思う。何かを付け足していくのではなく、落としていく練習。

そして落としていくためには、その前提として、落とすべき何かが既になければならない。師父は私に、そろそろ落とす段階に入るような力量がついた、と言った。

 

そぎ落としてやっていけるというのは、実力があるということ。

実力がないうちは、いろいろ付け足さざるを得ないのかもしれない。

世の中の様々な場面でその真理を目にすることができるようだ。

 

2012/2/24 <おしりは締めてはいけない!>

 

ママクラス。

最近ママクラスは前半の初心者組と後半の経験者組の2クラス制でやっている。

出産後間もないママ達は、少し身体を触ってみると、身体の中が空洞に近い感じがする。出産で大量の気を流出し、まだ回復していない証拠。それが1年もすると、身体の中の力が戻ってくる。

出産直後は体力回復がメインになるが、その後は、腰痛や肩こりの緩和や、体型の回復を目的にクラスに来るママが多くなる。

 

今日の前半クラスには、腰痛に悩むママが来ていた。痛い場所はというと、ウエストあたりの腰ではなく、おしりの少し外側部分。ここは坐骨神経の通るところ。よく年配の人が痛みを訴えるが、何故若い女性のここが痛むのかしら?と私も少し疑問に思う。

その後練習を始めて彼女の動きを見て、やたら力が入っていることに気が付く。

もっと力を抜くように言うが、力を抜くことができない。後ろから彼女を見ると、おしりも、キュっと締まっている。・・・ああ、これね、と原因が分かる。

「おしりの力を抜いて!」と彼女に指示を出すと、「おしりの力を抜くのですか~?」と納得できない様子。

 

話を聞いてみると、出産後おしりが垂れたことに気付き、ずっとおしりを締めるように努力してきたとのこと。彼女のおしりを見ると、たしかにおしりが真ん中に寄って、両脇にえくぼができている。

「おしりの筋肉を固く締めていたら、気血の流れが悪くなり、神経も圧迫されるから、坐骨神経の走るおしりのワキ部分だけでなく、そのうち、太ももや膝裏も痛くなりますよ。」と教えると、「実は最近、太ももから膝裏まで痛みが走り出しました。」と言う。

 

肛門は「提肛」と言って、上に引き上げなければならない。しかしこの時、間違ってもおしりの筋肉を締めてはいけない。下半身と上半身が分断され、下半身に気が回らず、俊敏に動けなくなる。

しかし、世の中では変な考えもあるようで、おしりを締めて運動した方が良いとしている指導者もいるようだ。実際、太極拳の先生でも、おしりを締めて演武している動画や写真を見たことがある。

しかし、もしおしりを締めて走れるか?ジャンプできるか?と試してみれば、何が正しいかはすぐに分かる。おしりの肉はゆるゆるでなければなければ、実際には使い物にならない。

 

では、おしりは垂れるのか?

否、ちゃんと使っていれば、筋肉は柔らかくても垂れることはない。

要は、普段の生活でちゃんとおしりを使っているか?歩行の時も、一歩一歩歩くごとにおしりの筋肉もちゃんと使えているか、という問題。

 

今日のクラスでは、実は出産後のおしりの垂れを気にしているママがほとんど。

・・・確かに皆、おしりと太ももの境目が、ない。

「太腿までおしり化してしまいました~!」と笑って言うので、私は「いやぁ、本当はおしりが太腿化しなければいけないのですが・・・」と苦笑い。

 

お尻を使うには、体重をちゃんとかかとに乗っけて、脚の裏側を使わなければならない。膝の裏や太ももの裏側(ハムストリングス)が使えなければお尻を使うことはできない。

女性はヒールのある靴を履く機会が多く、どうしてもつま先の方に乗りがち。これでは脚の前面しかつかえず、気が付けばおしりと太ももの境目が曖昧になりかねない。

歩く時も一歩一歩かかとから着地し、かかとの衝撃がおしりの方に届くような感じにならなければいけない。

そう言えば、日本に戻ってきたとき痛烈に感じたのは、日本人の歩き方が、身体に障害があるのか?というくらい、歪になっていること(世界の歩き方番付があるとすれば、たぶん最下位ではないか?!)。皆がそうだからあまり気づかないかもしれないが、本来の人間としての歩き方からはほど遠く、歪な歩き方でどれだけ歩いても、心拍数を挙げたり太腿の前の筋肉を強めることは可能であれ、理想的な全身運動には程遠く、膝を痛めても仕方がないのではないかと思ったりする。

理想的な歩き方を実現する靴なども売られているが、それはちゃんと歩けないからといってすぐに松葉杖をつかせたり、視力がちょっと悪くなったからと言ってすぐにメガネをかけさすが如くで、本当は自分の身体を訓練して正常な状態に戻す努力をまずする必要があるのではないか、と私は思う。(蛇足だが、同様の理由で、自分の筋肉の代わりにガードルやコルセットに頼るのも考えもの。)どうしてもダメなら、器具に頼るのも仕方がないと思うが、最初から頼っていては身体は衰える一方ではないかしら?

 

ということで、今日の前半クラスでは、徹底的に太腿の裏側に意識を通す練習をした。

ママ達の集中度は高く、真剣そのもの。私も教えるのに熱が入る。

また一緒に頑張りましょう!

 

2012/2/21 <形の正しさの効用、悟性>

 

火曜のベテラン組の夫人が24式の第2式(金剛搗碓)の最後、右手と右膝を上げるところで、何故かそのまま停止。

振り向いて私に、「師匠、これは脚が先ですか?手が先ですか?」と聞く。

突然の質問に、一瞬、何が問題なのか私もすぐには分からない。

まずは、彼女に再度その動作をさせてみる。

 

右手と右膝を同時に持ち上げて左脚片足立ちになるポーズ。確かに、彼女の動作には手と足の間に何のつながりも見えない。・・・ああ、だから、どちらが先か?と質問してきた訳ね、と私も納得。

どこから説明を始めるか、ちょっと考える。

 

太極拳のどの動作においても、足先や膝、腰、肩、肘、手首、頭等、「ここでなければならない」という位置がある。しかし、それは、全身が一つ(『周身一家』という)に使えて、然るべきところにきちんと気を導くのであれば、「ここでなければ無理」という場所である。

つまり、実際は内側の感覚で身体の正しい位置が決まるのであって、身体の外枠を正しい位置に置いたとしても必ずしも内側の感覚が得られるとは限らない。

ただ、正しい位置に身体の位置を外から直してあげると、時に、内側の感覚が得られることもある。一旦、内側の、「あるべき」感覚が得られればしめたもの、その後は、その内側の感覚が得られるように動作を作っていけばよい。

 

練習の順序としては、①身体の型(外)が内側の感覚を導く(『外帯内』)段階から始まり、次第に内側の感覚を強めるよう練習していって、最後は、②内側が形を作っていく(『内帯外』)ようにしていく。

①の段階で注意しなければならないのは、外の形(型)が正しくないままだと、内側の感覚も得られないか、得ても間違ったものになってしまうということ。

だから、形は正しくなければならない。

『形が正しくなければ、心も正しくない(形不正、心不正)』というのも、そんなところから来ているのかもしれない。

 

今日の夫人の動作では、上げた右腕の肘や手首の位置が本来あるべき場所になかった。

本来この動作では、右膝を持ち上げる時に右下っ腹を引き上げ、その引き上げた力が右胴体を貫通し右腋を通り、それが右腕を下から支えて持ち上げるようになっている。

しかし、彼女の場合は、右膝は右太腿で持ち上げ、右腕は右肩と上腕で持ち上げる、という風に、脚と腕がそれぞれ独立していた。胴体部分のつなぎが皆無なので、脚と腕になんの関連性がなかった。

太極拳では、腰や腹の力を使わずに四肢を使うことは有りえない。

丹田は全ての力の出発点。指一本動かすにしても、丹田から力が出てこなければならない。

 

夫人はその後しばらくいろいろ試して、遂に、「腕は”下から支える”」という、太極拳の一つの大事なポイントを掴み、えらく一人で感動の声(?)を上げていた。

この、「腕は下から支える」が体得できるということは、腋に気を通す(胴体と腕をつなぐ場所として)とか、肩を沈めるといった要領も会得できていると言える。

私も教える身として、言葉にはなかなかできない身体の感覚を生徒さんに体感させられると大きな達成感が感じられる。だからか、とても嬉しかった。

後でお茶をしながら彼女にその感想を尋ねたら、「え~、これまでウソばっかりやっていたのが分かりました!」だとか。

 

真実を知ると、自ずから偽物が見えてくる。

どんなに小さな真実でも、それに気付いたときの感動は格別。その気付き、閃きは、一種の小さな「悟り」。師父は太極拳の練習で大事な要素の一つに「悟性」を挙げていた。

そう言えば、私も毎日毎日、何か新しい発見があるから、この練習をずっと続けているのだろう。毎日何かしらの気付き、感動がなかったら・・・ただの身体の鍛錬だったら、きっと練習を続ける気にはならない。

太極拳を練習する時は、身体も精神も全感覚も、自分の全てがフル回転。すると、閃く!

つまり、フル回転してこその「悟性」ということ。

 

 

 

 

2012/2/18 <自分の身体を慈しむ態度>

 

保土ヶ谷クラスに新しい女性が練習にくる。

子供の頃から運動をあまりしたことがなく、数年前になってヨガを始めたが、引っ越し等もあり続けられなくなったとのこと。知人から私のことを聞いて、一度試しに、と思ってやって来たという。

 

運動音痴ですから・・・、と何度も申し訳なさそうに言う。

確かに、太極拳の一種独特な動きを覚え、しかも武術として学ぼうとすれば、運動神経が良い方がいいに決まっている。

しかし、実のところ、私のところに習いに来る生徒さんは、ほとんどが運動は得意ではない。

 

ただ、これまで経験として分かるのは、スポーツをやり込んでいる人程、身体を痛めていたり、身体に癖があるということ。私自身も若い時随分卓球をしていたせいで、右の肩甲骨あたりのゆがみやコリがあり、その部分を修正するのに随分時間がかかった。

健康という観点から理想とされる、ゆがみの少ない、筋肉の緊張のない、気血の通りのよい素直な身体、は、必ずしも個々のスポーツで要されるものではない。

やはり、スポーツは身体を使った楽しみだったり、ゲームだったりする。決して健康第一目的でやるものではない。だから、スポーツ選手は自分の競技の練習以外に、身体の修正、補正のための練習や筋肉を緩める練習を必ず行っている。

 

ちょっと話が逸れるが・・・。

運動選手だからと言って必ずしも健康で長寿でないのは、医者が必ずしも健康ではないのと似て、一見矛盾しているように思える。しかし、その目的が決して自分の健康維持にあるわけではないのだから、実際には何の矛盾もない。

しかし、東洋医学の医者や太極拳・気功の先生が、もし不健康だったり、人格に問題があったりするのは、非常に説得力に欠けることになる。それは、養生法(心の在り方も含めて)を教える人は、まず自らが養生法を実践して、その良い効果を自らの身を以て証明していなければならないということなのだろう。

 

今日の新しい生徒さんは、これまで身体をそれほどいじってないせいか、身体にかえって癖が少なくバランスがとれていた。そんなに自分の身体のことを卑下しなくても良いのに・・・と思う程、私から見れば、バランスの良いきれいな身体だが、いかんせん、本人に自信がない。これから身体を内側から”活き活き”させて、自分で自分の身体を慈しめるようになれば、外からの見た目も全く変わることだろう。

植物でも愛情を注げばきれいな花が咲くという。自分の身体も同じ。愛し大事にすれば美しくなる。虐げていれば醜くなる。

 

練習中に少しでも自分の身体を好きになるきっかけを与えられるようにしたい思う。

 

2012/2/16 <『聴く』こと、雑なものを取り除く(純化)

 

今日はいつもより寒かった。この冬初めて厚めのダウンを来て公園に向かう。

 

フランス(パリ)にいた頃は、冬は寒く天気が悪いにも拘らず、氷点下5度でも、雨でも風でも雪でも、毎日何の躊躇なく気が付けば公園に練習に行っていた。3年余りの間、一度も、「今日は練習したくないなぁ~。」なんていう気持ちが起こったことはなかったし、ただ練習する、のみで、他のこと、他の人のことを考えることもなかった。

 

それが、最近は、天気が悪くて寒い(と言っても5℃ある)と、生徒さんが屋外でちゃんと練習できるかしら?、から始まって、いろいろ余計な心配をしたりして、気持ちが濁ってしまうことがあった。余計なことを考え出すと、自分の練習に対しても気持ちが十分に入らない。しかし先日、「生徒が来ようが来まいが、あなたは自分のやるべきことをやるだけ。」と師父に戒められ、これを改めることにしたところ。人はどうであれ、自分は自分の道を進まなければならない。雑なもの、濁ったものを更に取り除いていって、更に『純化』させる、それが今の私の課題。

 

さて、今日は朝、一人の生徒さんがキャンセルの連絡をしてきたが、もう一人の年配の生徒さんからは何の連絡がない。そのまま公園に早めに行って、自分一人で立ち始める。

公園は人も少なく、周囲にしばらく人影のない時には、植物の世界でいるかのような感覚になる。鳥の鳴き声以外には、風の音・・・そして次第に耳も身体の中を聞くかのようになってくる。

站樁功の時に『三性帰一』という要領がある。それは、丹田を目で見て(『内視』)、耳で聞いて(『内聴』)、心で想う(『内想』)こと。丹田へ集中する要領であるが、その中でも「耳で聞く(内聴)」が最もやりずらい。

 

普段の生活で、目と心は酷使するほど使っているが、耳をそこまで十分には使っていない。

耳は、目以上に広範囲のものを捉えられるし、また、深く感じることができる。

太極拳では、相手の力を「見る」とは言わず「聴く」という。確かに目をつぶって相手と手を合わせただけで相手の力が分かるから、それは「見る」ではなく「聴く」と言える。

そして、相手の力を「聴く」時、自分の全神経が研ぎ澄まされ、目も耳も内側方向に向き、その二つが交差する一点(脳下垂体?)に全てを集中するようになる。

その時、聴けば聴く程、耳を澄ませば澄ますほど、神経をそこに集めれば集めるほど、感覚が鋭くなるとともに、自分が収斂し、『純化』してくる。この時の絶妙な感覚!できれば四六時中そこにいられれば良いのに、と思う。

 

その後生徒さんがやってくる。

しばらくは自分の外に出ていけなくて(出て行きたくなくて)、挨拶もせず立ち続ける。生徒さんはそれを知っているので、私の邪魔をしないように、しずかに傍らで立ち始める。私は、ただ一言、「こじんまり立って、上半身の力を全て丹田に下げ、丹田で発火させるように。」と言って立ってもらう。

しばらく2人で無言で立つ。

私は十分身体が温まり、ダウンジャケットを脱ぎたい程。隣の生徒さんを見る。

今年(私の母親と同じ)70歳になる女性。立ち姿を見ると、ちゃんと丹田に力が集まっている。そこでに声をかける。彼女も、暑くて上着を脱ぎたい、と言う。

 

彼女が言うには、去年まではカイロが手放せなかったが、今年は全く必要ないとか。早朝の散歩の時も、しばらく立てば、指先が暖かくなるという。

毎回短い練習時間だが、確実に成果が出ている。そう話す生徒さんのとても嬉しそうな姿を見るのは、この上なく嬉しく、また頑張って教えよう!と思う。

2012/2/14 <『腰際』を使う>

 

今日は朝から陰鬱な空模様。午後から室内の会場で練習する。

メンバーは古株女性陣と黒一点(?)の男性。

 

前回の室内練習では坐禅から始めて、股関節を開く練習をしたが、今日の室内練習では、背中の腎臓のある辺りを使うことに集中。ここは、命門のツボの両脇にあたるが、肋骨と腸骨にはさまれた内側に骨がない柔らかい場所。外腹斜筋や内腹斜筋があるが、日常生活ではなかなか使うことができず、この部分のお肉がたるんでいる人はかなり多い。中年男性の後姿で、パンツのウエストのゴムの肉が盛り上がってはみ出ているのは、よく見かける(どこで?!)。

 

ともあれ、この部分を使うのは、命門(後丹田)を使うことでもある。

今日は刀も用意したので、みんなに振り回してもらう。下から斜めに切り上げる連続技をさせるが、この腰の部分を踏ん張って切らないと、本当に人体を切ることはできない(はず!)。

背中の腎臓部分に両手の掌を当て、両手に圧力をかけるようにその部分を膨らませる。かなりの腹圧が必要。この状態を保持したまま、站樁功をしばらくし、その後、左右の重心転換や竪円の腰回しをさせる。

 

実は24式等の套路中も、ずっと、この部分は張り出していなければならない。

あたかもエラ呼吸のように、この部分で呼吸をすることができる。

第15式の「三換掌」はまさに、この腎臓部分をパクパク呼吸させるのがコツ。ここを使わないと背中側から手に向けて気を流すことができないので、パンチ等に威力がでない。

 

経典では、腰は全身を司る『主宰』と表現されている。

そしてその中の有名な言葉に、『命意源頭在腰際』とか、『刻刻留心在腰間』というのがある。

ここで、『腰際』とか、『腰間』と表現されている部位はまさにこの腰の両脇の部分。

腰は上半身と下半身をつなぐ場所。この部分をちゃんと使えるかどうかで、背中から腕、手に至る上半身の陽面、そしてお尻から太腿裏側、膝裏、ふくらはぎ、かかとにいたる下半身の陽面が使えるかどうかが決まる。

 

と説明したけれども、「ちゃんと使えばその部分の脂肪を落とすことができる」、と言ったのが女性陣を奮起させたか、何時にも増して皆かなりの集中度。注意を「腰際」から逸らすことなく、套路を3回やった後、かなりお疲れのご様子で床に座っておしゃべりタイムに入ってしまいました・・・。

 

男性は「強くなりたい」、女性は「美しくなりたい」、が古来からの人間の欲求だとしたら、太極拳の練習はどちらにも使えるということ!

2012/2/12 <丹田の力がなせる業?>

 

ギターを弾く生徒さんが練習に来る。

站樁功の要領が分からないようなので、いつもギターをどのように弾いているのかポーズをしてもらい、そこから徐々に直して站樁功にもっていく。

站樁功における丹田への集中の要領は、テニスや卓球の構えであったり、走り出す直前やジャンプする直前の身体の感じであったり、バレーボールのレシーブの要領であったり…実はみなどこかで知らないうちにしている動作の中にある。

ただ通常それを無意識に、かつ、少し正確性を欠いたままやっているので、年取るごとにいつの間にか、下っ腹に力が入らなくなり踏ん張りがなくなってくる。

 

丹田の力は別に肉体的なパワー(エネルギー)にとなるだけではない。

知的な作業にも丹田の力が必要。

実際、風邪をひいて体調が悪い時は丹田に力もなく、何か考えようと思っても考え続けられない。「まあ、いいか!」と諦めてしまう。学校の勉強でも、最後まで粘り強く考え続けられる生徒は間違いなく丹田の力(精力)が強い。

人間のエネルギーは一種類しかない。それが丹田にある。エネルギーが多ければより多くのことができたり、深く追求できる。

 

ヨガの世界でも、無限のクンダ(エネルギーの貯蔵庫)を呼吸で刺激して、クンダリーニ(生命エネルギー)を会陰から頭頂に上げていく修錬がある。

気功の世界では、きっと、その「クンダ」が「先天の気」で、「クンダリーニ」が「気」と表現されているだけで、やっていることは同じ。

 

そして不思議なことに、この修錬を深めれば深めるほど、今まで見えなかったものがはっきりと見えてくるということ。

昔、師父が、「太極拳をちゃんと練習すれば、占いをしなくても、ちゃんと”観れる”ようになる。」と、かつて占いマニアだった私に言ったことがある。

その時は、何故太極拳が占いと関係あるのか全くチンプンカンプンだったが、最近になって、その意味するところが分かってきた。

少なくとも、”普通の”人については無意識の部分が非常に多いため、少し見たり、(声を)聞けば、その人について大体のことは分かる。ただ、何らかの修錬をして、意識的に生きている人については、そんなに簡単には分からない。

 

この練習が関係してくる場面が時とともにますます多くなり、つくづく、おもしろいなぁ、と思うところ。

2012/2/10 <首・肩、正しい姿勢>

 

午後からママクラス2つ。

 

初心者クラスの中に腰の痛いママが2人いた。

腰の悪い人はちょっと見ればすぐ分かるが、腰は比較的簡単に治る。腰は身体の中心で丹田の位置に近い。言わば幹の最も太いところ。正しく動かしていれば直に治る。これまでも、ぎっくり腰経験者の人たちがすっかり治ってしまった例がたくさんあり実証済み。

しかし、肩や首は手ごわい・・・。

 

ベテランママの中にさすがに腰痛持ちはいない。(太極拳の練習をある程度していて腰痛持ちだとすれば、その練習法は間違っているに違いない!)

しかし、肩こり、首のこりに悩むママは半分以上。

確かにマッサージである程度こりを和らげることはできる。しかし問題は根本から解決していない。背骨が下から上まで、真っ直ぐに立たなければ、重い頭を支えている首・肩部分にはすぐに過度の負担がかかる。肩が前に出ている日本人の一般的な姿勢では、肩こりがない方が不思議かもしれない。

 

首・肩は身体の中心から離れている。背骨を下から調えていって、ブロックを積み上げるように上に進んでいき、やっと頸椎にたどりつく。先ず腰椎がちゃんとしていなければ胸椎も整わない。その長い胸椎を下から一つ一つ正しい位置に置いていくだけでもそんなに簡単ではない。

 

・・・こんな説明をママにしていたが、私のように四六時中練習していられるわけでもなく、站樁功で内気を溜め、内気の圧力で骨の位置を変えていくなど・・・まず期待できない。

そこで、まずはイメージだ!と正しい姿勢をイメージする動画を見せてみた。

それは世界的に有名な声楽家(歌の神の域!)の若い時の動画(下の動画。是非ご参照下さい)。

この姿勢なら、足かかとから頭のてっぺんに至るまで一直線になり、息が身体を貫通する。まさに站樁功でやることと同じ。

注目すべきは首と頭の位置。

かなり後ろに引く!

世界のどこかの地域で、水瓶を頭に乗せて歩く女性たちがいるが、頭にものを載せて落とさず歩けるような首の位置が本来の位置。

 

日本人は、奇妙なほど、おかしな姿勢、歩き方になってしまった!

しかし、哀しいかなぁ~、そこに暮らしていると、いつのまにかそれが”うつって”しまう。

無意識に生活していては、変な癖がつく。

やはり、”意識的に”、良いもの、正しいもの、美しいものを目にするよう、生活しなければならないと思った次第。

 

 

2012/2/9  『息』は『気』

 

久しぶりにヴォイストレーナーをする声楽家が練習に来る。

今日の生徒さんの中に映画監督をしている方がいたこともあり、声楽家の発声や役者さんの発声についてなど、おしゃべりがはずむ中での練習になった。

 

声を出す、というのは普段何も意識せずにしているが、これに真正面から取り組むとなると、想像を絶するほど奥の深いことが分かる。

声は息が音になったもの。

そして息はまさに『気』。

中国語では、息は「気息」、息が絶えるは「断気」、息が切れるは「喘気」と表現する。つまり、『息』=『気』という感覚。(ただ、『気』は『息』を含む、より広義の意味がある。)

 

だから、「息をどう溜めてどう運用してどのように使うか」、という問題は、私達が気功や太極拳で練習している、「気をどう溜めてどう運用してどう使うか」ということに直接かかわっている。

 

気功や太極拳では、気を溜めた後、その気を必要とされる身体の各部位に意念によって届ける訓練をする。他方、発声においては、溜めた気を声帯を通らせてさらに上に飛ばしていく。

正しい方法で声を出せば、かなり高齢になっても歌い続けることができるが、日本の音楽大学ではまだ発声法専門の先生がいないこともあり、ほとんどの声楽家が比較的若いうちに喉を傷めて歌えなくなってしまうという。

 

(ちなみに、かのマリアカラスも40半ばでダメになったという話を聞いたことがある。スポーツの世界でも年齢の限界がある。ちなみに、武術の世界では、空手や少林拳等の外家拳もせいぜい40半ばまで、それ以降は外家拳の先生であろうと、太極拳等の内家拳を練習するという。世界中にファンのいる国際松濤館(空手)の金沢弘和館長と一度会食をしたことがあるが、その時館長も、「52歳の時にこのまま若者達と同じ練習をしていてはいけないと気づき太極拳の練習を始めました。」と言っていた。)

 

無理な練習で身体を壊してしまうスポーツ選手や歌手はとても多い。

歌手生命であれ、選手生命であれ、寿命を長くするには、理にかなった地道な訓練が必要だ。

 

 

2012/2/7 <坐禅で跳ぶ(?)、骨盤を立てる>

 

朝から大雨。午後目黒区の会場で室内練習。

室内ということもあり、站樁功ではなく坐禅から始める。

 

坐禅と站樁功は静功の2本柱。どちらも大事な練習。私は公園では站樁功をしているが、午後や夜自宅で時間があれば坐禅をしている。

坐禅は站樁功よりも丹田に気をためる感覚がとりやすい。

 

まず、骨盤をきちんと真っ直ぐに立てることを教える。ということは、会陰が地面につき、肛門がほんの少し地面から離れ気味になるのであるが、腰はそらしてはいけない。仙骨を回し上に引き上げるようにしながら骨盤を立てるのがコツ。この姿勢がとれて始めて会陰から百会(頭のてっぺんのツボ)が一直線になる。これが小周天(督脈と任脈をつないで気を循環させること)の出発点となる。

・・・しかしながら、なかなかこの姿勢がとれないことが判明。まず、脚が組めない、と一人脱落!脚を手で引っ張っていないと、ゴロンと転がってしまう。そして脚が組めたとしても、骨盤を立てられない人がほとんど。腰がドスンと落ちたまま。この状態でも腰を開く練習にはなるが、会陰の引き上げができないので、気が下腹部に溜れば溜るほど身体が重くなり、気を循環させることができない。

正しい姿勢で会陰を引き上げつつ胸の気を下に押し込むようにすると、下腹部に気が溜っていく。これをじっと続けて、坐禅をしたまま上に跳びあがれるくらいになれば、かなりのもの。坐禅をしたまま跳びあがるには、まず丹田に気が溜っていなければならないし、会陰が引きあがらなければならない。・・・そんな説明をしながら、会陰の引き上げが今一つ分からない場合は、坐禅で跳んでみようとすれば良いのでは?と新たな練習方法を考え付いたりする。もちろん、普通のジャンプの時も会陰の引き上げが肝要なのだが、坐禅で跳んでみればもっとはっきりする。丹田の力が必要、というのも身に染みて分かる。

 

結局本当に跳びあがろうとして、あまりの自分の身体の重さにみな苦笑。

まあ、まだ、骨盤が立たない状態では、始めから無理なのは分かっていたのだが・・・。

ということで、骨盤が立たない大きな理由である股関節の固さをまずどうにかしなければならないと、そこから股関節を開けるための運動を数種類連続してやらせてみる。

開脚をして上体を前を倒すにしても、骨盤が起き上がってこなければ上体を前に曲げることは不可能。しかし、案の定、開脚をして座ると、みな、両手両足を開いた人形のように固まっている。

 

股関節が固いと膝を痛めるし、腰にも負担をかける。ひいては身体全体に強ばりができる。

股関節が柔らかくなれば、腰も柔らかくなる。どんなスポーツ選手も股関節の柔らかさの必要性を知っている。

ある気功の先生は、歯磨きをするように毎日股関節を柔らかくしなければならない、と言っていた。放っておけばすぐに錆びつく場所だ。

これも毎日の地道な努力が大事なところ。

 

今日かなり集中して股関節を”磨いた”から、きっと翌日はみな股関節あたりに痛みが走っていることだろう・・・。

 

2012/2/5

 

コラムを久しぶりに更新しました。

早朝、站樁功をして、動功をしてもそれほどではないのに、その後ジョギングをすると手先がかじかんで困る、との声を聞いたので、そのことについて書きました。読んで見て下さいね。

2012/2/5

 

代々木公園で男性生徒に刀を教える。

今日は第2回目。38式中、21式までをざっと教えたことになる。

 

彼が日本で購入した刀はジェラルミン製で、ペラペラしていてとても軽い。私がパリで購入した刀は鋼なのだか何なのか、かなりの重さがある。

刀を練習する時は、実際に人を切ったり、刺したり、相手が刀を振り落してきたときにそれを自分の刀で支え防御したり、と、場面をかなりリアルに想像することになる。カンフー映画の中で格好よくひらひら舞うように刀を操る役者の姿も見るが、実際に人を切るとなると、そんな”軽く”はできない。一切り、一突き、一刺し、刀に自分の身体の力すべてが籠められるよう、格別の意念の集中が必要となる。

 

もちろん、意念だけではどうにもならない。刀を振り回して刀に威力を与えるだけの、身体のパワー、重量感が何といっても最初に必要!刀に振り回されてヘロヘロしているようでは、実戦なら、すぐに相手にやられてしまうだろう。

 

ということで、男子生徒は、さらに身体のパワーをつけること、肩関節をもっと柔軟にすることが必要だと痛感したよう。

彼に刀を教えながら、次第に盛り上がって、身体の奥から殺気めいたもの湧いてくるのを感じ、また自分の奥底に眠る本能的なものに気付いたのでもありました。

基本の刀法 (とりあえずのもの、後追加あり。)

 

扎(zha) 真っ直ぐ前に刺す。力点は刀尖(刀の先)。

劈 (pi) 上から下に振り下ろして切り裂く。手首の力を使う。力点は刀刃の前前方。

撩 (liao) 下から上に斜めに振り上げて切る。左下から右上、右下から左下がある。

      (cf.太極拳24式の第6式に使われている)

斬 (zhan) 刀刃を使って水平に切る。

推(tui) 刀背に左手を添え、刀刃を外に向けて押し出す。立推、平推がある。

架(jia) 刀背に左手を添え、刀刃を上に向けて掲げ上げる。

 

 

2012/2/4 <丹田から離れない>

 

 今日は立春!立春は一年の始まりで、今日の練習は特別な意味がある。

 以前パリにいた時は師父と3時間、太陽に向かって立っていた。

 

 保土ヶ谷の広場で生徒さん達と一緒に立つ。日差しも強く、ほの暖かい。

 

 私は先月師父に指導を受けてから、立ち方を更に変えたこともあり、身体の中の収斂度が増し、下丹田に身体の力全てが集約されるようになる。

 股関節をできるだけ後ろに引きながら、かつ、仙骨を前に締めると、骨盤が前後から締まるようになる。すると、骨盤の中の丹田がより鮮明になる。そこをつかまえて(内視して)、じっと立つ。

 次第に丹田が大きくなる。胃を貫通し、胸を貫通すると、のどが丹田の位置にあるような感じになる。胴体の中に空洞ができ、かつ、上下の距離が縮まってのどと丹田が一致したようだ。のどの奥も開く。すると更に頭に向かって気が押し分けて上がっていくのが分かる。

 

 ただここで注意しなければならないこと。決して丹田の内視を外さないこと!上がっていく気に意識をとられて、それを内の眼で追いだすと、丹田での発火が少なくなるし、気を下に押え込む力が弱まり、浮足立った状態になる。

 「何があっても、何が起こっても、丹田(もしくは会陰)から意を外してはいけない!」とこれまで何百回言われたことか分からない。

 そしてこれは何も站樁功の時に限ったことではない。動功の時、套路の時、そして道を歩く時、人と話す時、料理をする時・・・結局24時間四六時中、丹田から意識を外してはいけない。それが、『坐立行臥不離練功』の意味。

  

 この修錬が身体の髄まで染み込んで、いつしか意識することなしにそのような状態になっている・・・そんな境地に向けて、日々努力していきたい。

 

 

2012/2/3

 

午後から子供連れママクラス。

3年目に入ったベテランママ達が新人ママ達の補助にあたる。

子供が邪魔をする中での練習で、とても良い練習環境とは言えないが、続けてきただけのことはある。丹田の力が強くなっていて、ちょっとした力で新人ママを振り回せる。

出産を経てより女性らしくなり、私からみても、きれいだなぁ、と思う若いママ達。

ただこれから、体型が崩れたり、身体の不調が出てきたり、と様々な悩みが出てくる年頃。

少しでも今の美しさを保持できるようにお手伝いしたいなぁ、と思うのでした。

2012/2/2 <松胯>

 

男性生徒さん、問題は身体が固いこと。男性はどうしても女性より柔軟性に欠ける。これは仕方がない。しかし、気功、武術を練習するにあたって、身体の柔軟性、特に腰・股関節の柔軟性は最重要課題。

 

「松胯(ソンクワ)」は気功、武術・武道に限らず全てのスポーツに要求される。股関節が固いと、すぐに腰やひざを悪くするし、脚の可動域も制限を受ける。

そして、気功や武術の先生であれば、180度の開脚ができて当たり前。もしできないとすれば、「松胯」はまずできていないと思ってよい(と師父も言っていた)。

空手を学ぶ主人に、「彼の空手の先生達は皆180度開脚ができる?」、と聞いたら、「もちろん!」と言っていた。

無理やり開くと腱を痛める。身体を緩めて脚を開き、所謂、イタギモ(痛くて気持ち良い)の点で、しばらくその感覚を味わって待っていると、じわじわ腱が伸びてくる。時間をとってゆったりとやるのがコツ。

 

男性生徒さんにストレッチの仕方を教え、毎日練習することを約束させる。

前後開脚、左右開脚、ともに180度開く頃には、かなり動きも変わるはず!

コツコツ続けるのみ!

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2012/3/20

日本養生学会第13回大会で研究発表をしました。

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