2011年11月 練習メモ

2011/11/1 <放松と集中>

 

ベテラン夫人達は48式の練習に入る。二起脚の練習。所謂二段蹴り。女子は概して飛び上るのが苦手。私も得意ではない。ああでもない、こうでもない、と飛び上って練習する。あまりの不恰好さに笑いが止まらない。最後は飛び上らずに、”年寄”バージョンで足を上げてみる。それでも前に振り上げた足に手が届かない。脚の裏側の筋は固く、腹筋も足りない。これは基本功をやり込まねば!その後、旋風脚の予習をする。こちらの方がマシ。48式に入ると足技があるので、更に運動能力を高めなければなりません。またまた課題。

来週69歳になる大先輩の生徒さんは、毎週1時間足らずしか練習しないけれども、1年続けて確実に身体が変わった。姿勢が変わった。飛び出ていた肩甲骨が引っ込んで、腰に乗れるようになった。丹田の力がみなぎっている。毎日活き活きと暮らしている、そんな彼女の生きざまが身体に現われている。「私は自分に厳しいよ。」と言い切った彼女は私のお手本。自己コントロールがちゃんとできる人は見ていて気持ち良い。

 

私の課題。放松して集中すること。人は往々にして、放松すれば意識が散漫になり、集中すると緊張する。力を抜いたままで意識を集めることができるようになりたい。まずは太極拳で練習する。そのうち生活のいかなる場面においてもそのようになりたいと思う。

2011/11/2

 

生徒さんが来る前に站樁功を始める。杉の大木に囲まれた人気のない場所。すぐに身体が外に同調する。肩の力が抜け、丹田に気が溜るのも早い。身体の中の空間が心地よく、風が通り抜ける。丹田とそれを見ている自分がだんだん一つになる。一つになる場所は・・・胸の奥の奥のような気がする。自分がそこに一つに集約していく。底なしのようだけど、”回帰”していくような感覚。底をつくと広がり始める。自分の身体の境界線がもはやどこか分からない。大きく膨らむ。でも中心の粒(核)はしっかり残る。この粒があるからどれだけ膨らんでも離散しない。

途中で生徒さん達が来たのは分かっているが、(自分の)中に入っていると(自分の)外に出ていくまでにかなりの距離がある。言葉を作ったり、声を出すまでに”頑張り”が必要。今日はあいさつもなし。ひたすら立つ。生徒さん達にも勝手に立たせる。1時間で切り上げたけど、体内に気が充満したのが分かる。指まで膨らんで拳が握れない。このような静かな充電の時間が私にとってこの上なく重要になってしまった、そんな自分の変化に驚いたりする。まだまだ変わる!

2011/11/3 <AUMの響き>

 

今日は声楽家と二人で練習。雑談も多くなる。ふと以前やった、「AUM」の音を使って骨盤底筋から響かせて開いていく練習方法を思い出す。早速彼女に説明してやらせてみる。喉の奥と腰(命門)が少し通りが悪いが、少しは感覚がつかめるよう。息も「気」。これで体の中を開けることができる。ただ実際に声を出してしまうと気が外に漏れ消耗してしまう。そこで彼女に声を出さずに体内で声を響かせることをさせてみる。少しは手ごたえあり。ただ骨格(外枠)がまだ開ききっていないので、限界がある。あと、喉から頭頂にかけて貫くにはもう一つ別の練習が必要。これはおいおい・・・。

私自身も今日、ピアノのレッスンを受ける。来年の発表会に向けての準備開始。難曲に挑戦だが、太極拳の練習がピアノにどこまで活かせるか、それを自分自身試してみたくて今回ピアノに向き合うことにした。先生からの指示が前よりよく理解できる。太極拳の纏糸功が役に立つ。腕から手首、指に向けての螺旋運動。手首の使い方。手首を”通す”要領がつかめてきた。すると音色にも変化がつく。背中から肩、肘、手首、指へ、力が「抜けて」通る感覚。指先の微妙な感覚が音に伝わる。昔「リストは掌で音を響かせると言っているわよ。」と教えてくれたフランスのピアニストがいたが、その時は全く?だったのが今は少し分かってきたようだ。陽面(手と腕の表側)だけでなく陰面まで使えと言うことと解釈。先生から、「ピアノ、まだまだうまくなるわよ!」と言われたが、裏返せば「もっと練習して下さい」の意だったかも。

太極拳が別のところで活かせるのはとても楽しい。

2011/11/4 <「腰」は太極拳の命!「腰眼」を使う>

 

午後から赤ちゃん連れのクラス。腰痛の危険のあるママが数人いる。所謂「腰眼」(腎臓の位置)を使う練習をさせる。腰痛の人の問題は、背骨を反らして「命門」を閉じたままにし、背骨部分だけに頼っていること。「命門」両脇の「腰眼」の部分の筋肉で立つようになれば腰痛にはならない。

「腰」は太極拳の命だが、その中でも腎臓の位置にあたる部分は「腰間」とか「腰際」、「腰隙」と言って、特別に重要視している。”腰は緩んで(「松」)その中に虚の空間がなければならないが、それは左右の「腰隙」を自由自在に転換させることで得られる”という。経典内の格言に、『命意源頭在腰際』、『刻刻留心在腰間』というのがある。太極拳を真剣に学ぶものなら暗唱できて当然のような言葉のようだ。

腰についての太極拳の観方についてもそのうち整理してみたい。

2011/11/5 <「胯(パンツの脚ぐりのライン)」を開く重要性>

 

保土ヶ谷で練習。站樁功をやらせる。なかなか入静できない生徒さんがいる。試行錯誤している。体が、スポッと入るとそこから入静できるのだが、その入り口が見つけられないと、しっくりこないまま堂々巡りになる。もう一人の生徒さんは静かになっている。でも、腰が踏ん張っていて固い。

しばらく開きそうで開かなかった右側の内胯(股関節)がやっと開いた。足の安定感が一段増す。「胯(クワ)」は股関節と訳されるが、中国語では脚の付け根のぐるっと一周した部分を指す。いわゆるパンツの足ぐりのライン。前もあれば、おしりと太ももの境目のライン、内腿のラインもある。この一周するラインが開くと胴体と脚の間に微妙な隙間ができて、脚の可動域が増す。「股割」ということをする人もいるけれど、若いうちに無理にこじ開けて歳をとって痛みが出てくるケースは多い。長い目で見れば、”こじ開ける”より、力を緩めて開いていくのが正解。無理は禁物。站樁功をすると、少しずつ少しずつ開いてきて、気が付くと開脚も難なくできるようになる。

あと、「胯」が固いと、必ず膝を傷める。膝が悪い人には股関節の柔軟性を高める練習が必要。

今日は腰の緩みが顕著に感じられる。腰の力が抜けゆるゆるになってくると、どこからが背中でどこからが腰、脚なのか、といったことが分からなくなってくる。ただの原子生物、一本の管になったよう。確かに、腰の意識がなくなると、上半身と下半身の区別がなくなる。全裸で站樁功をしてみろ、と師父に言われてやったことがあるが、そうすると「上」「下」の区別はなくなる。パンツをはいたとたん体は上と下に分かれるみたいだ。本来人間の体は「一」だったのね~、と思う。そう言えば子供の頃、大人が「腰が痛い」と言うのを聞いても、「腰」がどこかよく分からなかった。あの頃はせいぜい、背中の一番下がおしり、くらいの感覚。体の感覚がないのが最高の状態!

2011/11/6 <圓襠:股の力!>

 

今日は訳あって公園練習取消し。自宅で自分の練習をする。

昨日開いた内胯の感覚が更に定着。太極拳で要求される『圓襠(圓:丸い、襠:股の内側)』の意味、感覚は、ああ、これだったのね、と感動する。太極拳の時の股の形はあたかも馬に乗っているがごとく丸くなければならない、尖がっていてはダメ、(つまり、『圓襠』であって『尖襠』ではいけない)というのは大事な要求事項。片方の内股から会陰を通って別の内股に至る、このラインを意識的に使えるかどうかで脚の可動域と脚と胴体部の一体感に歴然とした違いがでる。

以前、おしりはちゃんと右左に分かれて太腿同様にならなければならない、と書いたが、正確には左おしり・仙骨部・右おしり、と3つの部分に分かれることにより、右と左が完全に独立して動くようになる。同様に今度は、内股が股下と分離することにより、左脚・股・右脚と三つに分かれ、股は骨盤底筋の運動として大きな力が出せる場所となるとともに、右脚と左脚が内側からも完全に分かれることになる。

『松胯』と『圓襠』はセットで、まずは胯(脚の付け根一周するライン)が緩まなければ『圓襠』はできない。それにしても「股」の力はすごい!確かに動きが最も流暢な時の自分の重心は股関節ラインにある。決して腰ラインではない。腰ラインでは重心がまだ高すぎるようだ。

2011/11/8 <立冬:『圓襠』についての重要な考察>

 

 今日は立冬。24節気の中でも立春、立夏、立秋、立冬はとても大事。絶対に練習しなければならない。パリにいた時は立春に太陽の方を向いて師父と3時間站樁功した。

今日は早めに公園に行って1時間立つ。すぐに下半身に気が巡る。また『圓襠』の意識。股関節がさらに折り込まれたようになると、『圓襠』が直線的に弧形なのではなく、螺旋的に弧形(メビウスの輪の一部分のような感じ)であることが分かる。ああ、こうだったのね、とまた感動。股関節がただ開いてしまっては力が逃げるし、締まっていては脚が使えない。股関節が開きながら、脚に向けて「合」(締まり)があると、股から足裏まで螺旋の力が働く。「開中有合」「合中有開」だ。

加えて、今日は骨盤底の意識が拡大する。骨盤底の筋肉がさらに分かる。会陰を引き上げるとか、肛門を引き上げる(『提肛』)というのは太極拳で非常に大事なポイントになるが、これは年齢とともに骨盤底筋が弱くなり締まりがなくなるのを考えると通常の養生法としてもとても重要な要領になってくる。(出産後の女性はこの練習が第一。ここがうまくいかないと、出産後体が弱くなったり、失禁に悩んだり、いろんな問題が出てくる。)

私自身もこれまでそういう意識をもって練習してきたが、今日になって、会陰と肛門の連携に新たな発見あり。今日の私の発見は、球海面体筋(女性は膣の縁、男性は陰茎を取り囲む位置にある筋肉)と肛門括約筋が合わせて8の字を描いているということ。そして、その8の字の交差点がまさに”スポット”で、そこに力が入れられるということ。本で調べてみたら、その交差点は、会陰腱中心で、骨盤底にあるすべての結合組織と筋肉のそうはここでつながっていて、骨盤底の強さが集中するポイントとか。ああ、肛門の後ろまでを包み込んだ場所を「骨盤底」と意識しなければ、会陰のこの場所は正確には把握できないのかもしれない、と思ったのでした。まさに骨盤底は胴体の『底』。それは平円でかなりの面積がある。そしてその交差点(会陰腱中心)に力を集約すると頭頂の百会に真っ直ぐ気が貫通する。古代に経絡の発見をした人達はこんな練習ばかりしていたのだろうか・・・・よほど時間と根気があったに違いない。すごいです。

 

<顧留馨『太極拳術』より>

圓襠は以下のようにすることで自然に作り出すことができる。

① 両股関節を左右に引っ張りながら開いた時、両膝は微妙に内側に締める。

②両膝を外に開いた時、股の外側を内側に締める。

2011/11/9 <白熊の如く、肩はないと思え!>

 

生徒さん5人一緒に練習。笑いが絶えない。笑うと体が開く。詰めて練習して体が閉じがちな人にはとても良さそう。

ベテラン生徒さんには、首から指先までのつながった線を教える。途中に「肩」が存在してはいけないということ。熊のように肩甲骨がなければ、腕はグルグル回せる。そのパンチはものすごい威力がある。きっとそれがお手本。

自分の練習。この2日間ほどは頭を使った練習をし過ぎた。分析し過ぎ。頭を使うと体が開かない。頭を使うと放松しない(大脳皮質が活動していたら放松するはずがない!)。もっと体を信じて体主体で練習しなければならない。

生徒さんに説明しようとしてあまりにも頭と言葉を使っている。本来は、言葉なし、見て盗ませる、というのが太極拳の教え方だった。師弟関係のあるものはすべてそうやって学ぶ。それが先生・生徒の関係との違い。

言葉は助けになるけれど、落とし穴がいっぱい。頭を使っているうちは、中に入れない。周囲をうろうろするしかない。中に入って初めて味が出てくる。そのためにはまず体を開かなければならない。安心して、体が開けるように、練習ではそのお膳立てをしているのかもしれない。安心感、信頼、愛、一体感、このようなものが感じられるような練習をしたいもの。体を超えた練習をし始めると更にその奥行に驚くようになる。(そしてやはり中核は『愛』!)

2011/11/10 <今日の腰回しは明日の腰回しと違う、ましてや一年後は・・・>

 

体に問題を抱える生徒さん2人をまず教える。症状が軽くなったという生徒さんは、やはり動きも以前と違う。死んだ人形のようだった体が、血の通う活きた人間の体になってきた。本人も嬉しそう。私もとても嬉しい。このまま頑張って続けてほしいところ。

ベテラン組は、一つ突っ込んだ練習をする。24式を最後まで一通り覚えて、やっとそれからが太極拳の本当の練習になる。同じ一式や二式を練習しても、初心者と、一年練習した人、三年練習した人では練習している内容の深さが全く違う。それに気付くと太極拳の魅力がさらによく分かる。今日の二人もそのことに気付いてきたよう。学ぶことが楽しそう。

師父に言われたことがある。「一年後も今と同じ練習をしているとしたら、それは退歩しているということだ。」と。同じ腰回しのあの単純な動功でも、今やっていることと、1か月先にやっていることは異なっていなければならない。それが進歩。外から見ていれば毎日同じ練習をしているようでも、毎日新たな発見がある。それには注意深さが必要だけども、それが面白くて飽きずに練習を続けている。私にとって体は飽くことなき最高のおもちゃかも?!

2011/11/12 <脚の螺旋・順回転と逆回転>

 

保土ヶ谷会場。生徒さん2人の身体を直し、いろいろ話すうちに、脚の螺旋について新たな理解あり。脚の螺旋の順回転と逆回転、数日前(11/8)に調べた顧留馨の『太極拳術』からの圓襠についての記述、これらが站樁功の時の「入り方」(丹田に自分が収まり、ここ!という場所へ入り方)と密接に関連していることを発見。生徒さんとともに妙に納得して小さな感動がある。「ねじれ」(螺旋)はキーワード。これがなければ力は集まらないしうまく伝わらない。(この発見については後日整理して記すつもり。)

 

昼食時に、音楽談義に花を咲かす。そこでもやはり「ねじれ」「うねり」の話になる。その後、美術、建築、そして文学にまで話が広がってくると、自分があまりにも文学について無知なことを痛感!でもそんな仲間達と話をするのは充実感がある。いろんなことに共通点がある。太極拳を学んで得たものは「視点」かもしれない。

2011/11/13 <活樁功と死樁功>

 

 男性の生徒さん、第一回目。マンツーマンのレッスンとなる。站樁功30分やらせる。汗が噴き出ている。最後まで頑張るが太ももがかなり辛そうだ。動功の際も太ももが張って痛いとのこと。太極拳の練習に入るまでにかなり疲れたよう。太極拳の練習がこんなにハードだとは思わなかったとのこと。これ以上ハードだったら続けられないかも・・・とぽつっと一言。最初が一番辛い(特に股関節の固い男性の場合)のだと説明したけれども、私の教え方も詰め過ぎたかも。反省。

 

 その後一人で48式を練習。丹田の感覚が強い。最初から最後まで身体の内奥の感覚を逃さずにできたのは初めて。かなり遅い速度でなければまだ無理。静功の站樁功を「死樁功」と呼ぶのに対して、太極拳の套路を「活樁功」と呼ぶ意味が今日初めて身体で理解できた。それは、動いていながら、動きのない站樁功同様の感覚(瞑想状態)に留まることは本当に可能なのだという理解。(今まで師父にそう言われても、どこかで自分にはできないのではないかと思っていた。)やっと一つの大事なドアを開けたよう。これからそれをもっと定着させるよう練習を深めていきたい。

2011/11/15 <身体が覚える>

 

若い人でもなかなか套路(24式)を覚えられないが、歳をとると更に覚えが悪くなる。日頃「頭」を使っていても加齢による「身体能力」の低下にはなかなか打ち勝てない。20代の若者は総じてすぐに動作を真似できるし、覚えるのも早い。40代になるとやや苦闘する様相が出始め、60代に入るとかなりの意識的な努力をしない限り覚えることはできない。

 

歳をとると次第に頭と身体の連結が悪くなる。頭と身体がバラバラになり、身体が頭の命令を聞かなくなってくる。太極拳では、絶え間なく「意(念)」を使って身体を動かす練習をする。「意」なしに勝手に身体が微動だりしてはならない。ここで「意」、即ち「頭」と「身体」を連結させる練習をすることになる。

 

加えて歳をとると、「身体が覚える」までにとても時間がかかる。「身体が覚える」ためには、前提としてまず頭が覚えていなければならない。つまり、①まず頭で覚え、②それを身体に伝え覚えこませ、③最後は頭を使わずに身体に勝手にやらせるのだが、「身体が勝手に動く」ところまで持っていくのは至難の業。③の状態に入って初めて、馮志強先生が言うところの「太極拳や休息である」という境地に至るのであるが、「休息」と化すまでにどれだけの鍛錬が必要なことか!

 

生徒さんの中には、最初から覚えるのは無理!と諦めてしまう人もいるが、頑張って、一つ一つ何回も復習して覚えようという生徒さんもいる。その意欲に私も触発される。

今日ベテラン組4人は48式の足技の練習を自主的に始めていた。二起脚(二段蹴り)、旋風脚(回し蹴り)、蹬脚(横蹴り)と、汗をかきながら練習している。確かに女子は跳ぶのが苦手で二起脚はなかなか様にならない。足技を練習すると自分の身体の重さや融通の利かなさに改めてショックを受けるのだが、みんなこれも諦めずに練習。

学ぶ意欲いっぱいの人たちに囲まれると私までが元気になる。気場もいい!感謝!

2011/11/17, 18 <股関節を内転させて立って分かること>

 

自主練習のみ。站樁功で股関節を内転させて(順転)立つ。両おしりが内側から外に向けて離れる感じになり、おしりと太ももの接合ライン(後胯)の中でも最も内側の所が使えるようになる。それまで、太腿裏の中心線がおしりと交わるところ(膀胱経の承扶というツボ)は意識していたが、内側にも同様に”使える”場所があるとは知らなかった。この場所は内踵と直接つながり、脚の螺旋の力が強く働く。足裏の内側(親指から内踵)の弧線の力が、ねじりながら、おしりを左右に内側から引き離す力となって上がってくる。歳をとってくると、おしりが中心に集まってしぼんだようになってくるが、その一つの原因はこの場所の力が使えないからだろうか・・・と先日見た、20代、30代、40代、50代と女性のおしりの写真を並べて比べていたテレビ番組を思い出す。これは雑念!

2011/11/21 <声楽家の発声法は大周天!><裏声と玉枕>

 

午前中カルチャーセンター。新しい女性の生徒さんは胃の部分が『虚』で老人の立ち姿。ここを今後次第に改善していくよう、練習を始める。

 

 午後は声楽家の生徒さんが、自分の声楽の師匠のところにレッスンを受けに行くのに同行。彼女の師匠は80歳で、その大先生はこれまでたくさんの声楽家を育成してきたが、中でも、無理な発声で喉を傷めた声楽家をどれだけ救ってきたか分からないと聞いていた。足の裏をいつもモゾモゾ動かし、高齢に拘らずものすごい声がでると言う。耳も自ら難聴と言いながら非常に敏感。私の生徒さんが太極拳の練習を初めて3回もたたないうちに、大先生は彼女の声の大きな変化を指摘し、彼女が太極拳を習い始めたことを打ち明けたところ、大先生も大いに興味を持ったとのことだった。

 私としては、80歳の大先生が彼女をどう教えるのか興味津々。そして、発声方法と太極拳の基礎(站樁功、それに伴う大周天、小周天)の関連性は前から気づいていたので、それをさらに深く理解したいと思っていた。

 果たして、大先生にお会いすると、初めからその先生がしきりに太極拳的な観点から発声方法について質問してくる。彼女自身の立ち姿、歌う姿を私に分析させ、さらに改善できるところを指摘するように促してくる。しかし見てみると、彼女は無意識で常に会陰を引き上げ、足裏から一気に頭頂まで声を”抜いて”いた。それも背中側を通して。これは天性で大周天をしていることになる。

 大先生は生徒さんに、声(気)を頭頂に抜かす際のスピードの重要性を教えていた。スピードがなければ、(あの宇宙に届くような)高音はでないという。それがピアノ(弱い音)ならなおさらのこと、と言う。そのスピードで声帯を打たなければ、頭頂から抜けるような声にはならないとのこと。

 私は聞いていて、そのスピードを生まれさせるには、まず丹田に気が溜っていなければならないし、足を下に地面にねじ込んでいくことが必要と指摘。大先生の身体はまさにそのように使えているのだが、本人はすべて無意識で行っているので、そのように説明することはできないという。そのうち、私は大先生の無意識で行っていることを言語化して生徒さんに伝え、私と大先生が二人で生徒さんをいじって教えるようになっていった。そして、生徒さんの声が”抜けた”時、思わず、私と大先生で顔を見合わせてニンマリ。そうそう、これこれ!

 発声法と太極拳の共通点があまりにも多いことに大先生も感動し、是非このような身体の使い方を、定期的に彼女のお弟子さん達にも教えて欲しいという。しばらく相談した結果、近いうちに弟子の声楽家達を集め、一斉に私が基本的な身体の使い方を教えた後、一人一人実際に歌わせてそれを大先生と私の二人で直していき、それを他の生徒さん達に見学させる、という形式でレッスンを進めていくことにした。

 結局4時間もお邪魔してしまった。

 それにしても、この大先生の更なる進歩に対する貪欲さ、飽くなき追求の姿勢は敬服の一言に尽きる。太極拳も決してゴールはなく、死ぬまで更なる前進のために努力し続けるというが、今日はまさにその姿勢を大先生に見せて頂いた。

 

 技術的な話だが、私としては、首から頭頂への気の抜き方がこれまで曖昧だったのが、今日のレッスンを目の当たりにすることでかなり理解が進んだ。舌の重要性、何故それを上顎の歯の裏につけるのか、目を後ろに引く意味とコツ、その鼻や耳との連結、・・・・「鍵」になることがいっぱい。”ウィーン!”と抜ける高周波の声(音)の手助けで、見学をしている私ですら、頭頂が開く感覚を得られた。

 先ずはしばらく、『舌』を研究。大先生が指摘したように、日本語では舌が下あごに落ちがちで、「高いポジションがとれない」。確かに私の中国人の師父がしゃべっている時の舌の動きは上顎近くにあることが多く、その位置を保って站樁功をすれば、気も首や頭を抜けやすい。ああ、私が首であんなに手間取ったのは、この舌も一因であったのね、と今更ながら分かる。もう一段「高いポジション」が可能なはず!でも、舌は必ず会陰と連結させなければならない。

 

(後に師父と電話で話したら、裏声(脳声)の時に玉枕が刺激されることを当たり前のように語っていた。玉枕の位置、そんなに内側だったの・・・?師父には当たり前でも私にはわかっていなかった。日本語は下顎で発音するため、上顎での発音の感覚が分かりずらい。中国語は確かに舌が上顎にあることが多く、”上に抜ける”感覚がとりやすい。声楽の大先生が「下顎の力を抜いて!」と指示していたが、これが太極拳の際の「下顎を収める」に対応する。口を軽く左右に引っ張って口内の奥の部分を広げて発音することによって声を”抜く”のは、「舌を上顎につけ、少し笑顔を作る」という静功の際の要求に匹敵するようだ。とすると、静功の時、口内の奥は”開いている”。高音を出す際に目を後ろに引き、目、耳、鼻、喉からの息すべてを一点(脳下垂体)に集めて、脳下垂体の粒子(?)を云々・・・(ここははっきり覚えていない。また次の機会に聞く!)と言っていたが、これは、眉間の印堂穴を開ける感覚と同じのよう。

声楽の大先生は自分のことを右脳しかない人間と言っていたが、私の師父も直観人間。整理して文章にはできないと言う。なんだか二人も似ている。)

 

2011/11/22 <陳式心意混元太極拳と陳式太極拳の違い>

      <スローモーションで動く意味>

 

 朝遅れて公園に着く。杉の木の下で既に4人が立っている。私が近くに行っても挨拶なしでそのまま立ち続けている。

 站樁功をして内に入っていくと、外の気配は分かっていて誰か人が来たのは分かるのだが、わざわざ目を開けたり、声を出すのは大変億劫になる。外に出たくなくなる。以前は、生徒さんが先に立っていて後から私が着いた時、私が来たのに気付いて目を開けてニコッと挨拶をしたり、声を出す人が多かった。が、いつの頃からか、自分の内側に入ったままの人が増えてきた。そのままみんなの立ち姿を見て、少し直していく。みんないつから立っているのか知らないが、ずっと立ち続けている。私はいつ止めさせて次の練習に移るかのタイミングを図ることができない。少し前までは、10分くらいですぐに目を開け、私に目で、立つのをやめたい、という意思表示をしていた生徒さんも、今ではこんな風に立てるようになった。少しずつだが、みな着実に進歩している!

 

 第1式から第5式までを一セットとして練習した。初心者にとってはここまで覚えるのも大変な話。

 私達の練習している「陳式心意混元太極拳」の特徴は「陳式太極拳」に 「心意拳の混元内功(気功法)」を併せたところにある。陳式太極拳の発祥地である陳家溝でに伝わる純粋な陳式太極拳の套路は、技だけををつなぎ合わせてできているので、より単純で覚えやすい。私達のものは、太極拳の技に気功法としての円の動きが至る所に入っているので、長く複雑な動きになる。

 套路(24式)を覚えるのに苦労したりギブアップする生徒さんが多いので、私も一度、動きを単純化して教えてみようと考えてみたが、実際に、技だけを組み合わせた純粋な陳式太極拳の動きをやってみると、気の流れがそれほど良くないことを実感。無駄に「円運動」があるのではないことにその時気づいた。この方が体に優しく、自然であり、結局、太極拳の特徴であるところの『柔』を練り「以柔克剛(柔によって剛を制す)」がより可能になるのだと改めて知った。・・・やはりちょっと大変でも、みんなに覚えてもらうしかない・・・。

 

 初心者に混ざってベテラン生徒さんにも5式までの練習に参加してもらう。彼女は一通り24式を学び終えている。しかし、まだ、型を覚えただけ。ここからの練習が、太極拳の真の面白さを味わえるところ。彼女には気の流れも含めて細かい点を注意していく。第2式の単純な動きについても、スローモーションでやらせて、上半身と下半身が連結していないことを気付かせる。「上下相随」「周身一家(全身が一つになる)」という太極拳の要求がある。彼女の次の段階はその要求を徐々にクリアしていくこと。まずは「上下相随」という意味が分かりやすい箇所をつかまえて、彼女にその欠点を自覚させる。これには、スローモーションもしくはコマ送りで動かせてみるのが一番。上半身と下半身の連結が切れた瞬間にストップをかけると本人もそのことを自覚できる。

 

 という私自身も同様の練習がさらに必要。このホームページのために写真が必要となった時、動画から静止画を切り抜いていって写真を作った。その際、師父の動画はどこで止めても写真となりうる「ポーズ」が切り取れるのに、自分の動画では”どこで止めても”という訳には行かず、「ポーズ」として見せられる場所でストップして静止画を切り抜かなければならなかった。この時またまた師父との差違と自分の欠点をを思い知らされた。そう、更に注意深く練習する必要あり!

 

2011/11/25 <腰回しは帯脈に沿って。中心軸を掴む>

 

赤ちゃん連れクラス。腰回し(帯脈回し)の新しいバージョンをやってみる。2年続いている生徒さんが、身体の中心軸を回転させることで力を出す感覚を掴む。開眼!今までどうしても身体を捻って力を出していたのが一気に改善。これができれば、彼女の趣味のゴルフの腕も上達するはず。

最後整理体操を兼ねて、普段できない太極拳の套路から、抜粋した動作をつなげて練習。

ベイビーがいなければ、みなどれだけ上達することか!

2011/11/26 <矛盾の中から気が発生する><筋、腱を伸ばす大切さ>

 

 保土ヶ谷で生徒さん2人を教える。とても真面目に練習する2人。一緒に站樁功を40分程行う。

 一人はかなり脱力(松)ができるようになってきたが、外からみると膝の力が抜けないために、今一つ足裏まで気が落ちていない様子だった。後ろから、”膝カックン”をしてみる。それでも彼女には私が何をしているのか分からないよう。いろいろ試しているうちに、膝小僧の上部で身体の重さを支えないで、膝がカクっとなった時のように膝の力を抜いてしまうと、嫌でも、ふくらはぎ下部(アキレス腱上部)で体重を支えなければならないことが分かったよう。ここまで気が落ちれば、踵も使える。難しいのは、膝カックンの崩れた体勢をとらなくても、ただ真っ直ぐ立っているだけの時にもアキレス腱上部に同様の感覚を維持していられるか、ということ。こうすれば、太腿裏の筋肉や膝裏の筋、そしてアキレス腱につながる筋が弾力性を持って使えるようになる。踵の力も使えるし、膝も傷めない。しかし、これには骨盤や股関節の可動域も関係するので、まだ鍛錬が必要。

 もう一人の生徒さんは、股関節の力を抜くと会陰の引き上げを忘れ、会陰を引き上げると股関節も緊張してしまう、というジレンマで悩んでいた。これもよくあるジレンマだ。このジレンマを解消しないとなかなか丹田に気が溜らない。いろいろ試した結果、小便を我慢するような要領で少し感覚を掴んだようだった。まだ感覚も安定していないので、さらに練習の必要あり。

 太極拳の面白さの一つに、矛盾(ジレンマ)の中から力(気)を発生させる、という原理がある。「開の中に合あり」とか「合の中に開あり」とか、「右に行きたければ先に左に行け」とか、その類の言い方が多数ある。站樁功で気を溜める時には、「心臓の火を下げ、腎臓の水を上げることで発火させる(気を発生させる)」という言い方をする。これは比喩も含んでいて、鼻からの息(気)を胸より下に下げ、会陰を持ち上げて下から気を上げ、それを丹田で合体させることで力(気)が生まれることを表している。この他、様々な身体の動きの中にも、いつもどこかに「引っ張り合い」(中国で「撑(チョン)」張り出して支え合う様)がある。それがあるからこそ、身体から力の張り出した状態(掤(ポン)の本来の意味)で中心軸が保たれることになる。

 矛盾、葛藤があるからこそ成長する、みたいな、人生哲学と通じるところがあるようで、面白い。

2011/11/27

 

 今日は特別な人を教えた。大学の卓球部の一つ上の先輩。少し前からfacebookで卓球絡みの身体の使い方についてやり取りをしてきたのだが、結局、一度実際に太極拳の基本の練習をやってみようということで、遥々東京まで出てきてくれた。

 約25年ぶり、つまり4半世紀ぶりの再会!私も緊張と興奮の入り混じった気持ちで公園に出かけた。が、顔を見たら、なんだかほっとした。確かにお互い歳はとったけど、中身が変わっていない。なんだか身内に会ったような安心感がある。

 めったに練習に来れないだろうと思い、私も先輩に詰め込みをかける。站樁功をやらせ、動功をやらせ、身体をいじりまわす。ずっと卓球を続けていただけあって、全体的に身体の状態はとても良く、その辺りの一般中年男性とは違うのがすぐ分かる。それでも腰の柔らかさや股関節の柔軟性はまだ足りない。

 あまりにもやり過ぎたのか、最後は眩暈を訴えられた。私も反省!過ぎたるは及ばざるが如し、と同意のことをこれまでも師父に何度か言われてきたのに。

 (練習内容については多岐に及んだのでここへの記述を割愛します。既にメモ魔の先輩から今日の練習についての報告文を頂きましたので、後々、それを見ながら、整理して書けることを書くことにします。)

 それにしても、昔に戻ったような、楽しいひと時。太極拳がつないでくれたご縁に感謝!

 

2011/11/29 <外を開き中を閉める「開中有合」、ゴムのかかったような動き>

 

 早めに公園に行って一人で站樁功をする。人気がない時、植物の世界で站樁功をするのは格別。今日は腕の経絡を通すことを考えたりしてしまって入静状態も深くなかったが、もっと入った時には、人の気配が感じられると「あ、人間が来た」と、あたかも自分も木になってしまったような感覚になることがある。

 

 いつも下半身が安定せず後ろにひっくり返りそうだと言っていた年配の生徒さん。站樁功の時に、股関節を開きつつ、かつ、もっと”内側”を締める(あたかも小便を我慢するかのように)ことを教える。もう一人の元気な同年代の生徒さんが、「先生、股関節開いたら中だって開いちゃいますよ~!」と笑って言う。いや、そこが面白いところ。「どんな小さな部分にも陰陽がある」と言うように、股関節とその間(の陰部)は分離する。そこに、先日書いた、「矛盾、引っ張り合いの中から力を生まれさせ、かつ中心軸を通す」という道理がまた現れる。

 そのコツを教えたところ、生徒さんの下半身に安定感が生まれる。ずっとその状態を保持して動功もさせる。「これでも頭がふらふらしますか?」と聞くと、「今日は大丈夫だわ。」と答えていた。彼女にはちょっと前に家で坐禅の形で動く練習方法を特別に教えた。彼女曰く、その練習はとても良いとか。今日の彼女の進歩は家での練習の成果もあるのかもしれない。

 

 1年半程習ってきている男性は、周りの生徒さんも気づく程の身体の変化を見せているが、今日、また明らかな進歩を見て取れた。站樁功では、毎回確実に足裏が地面に貼りつくようになっている。これは気を足裏まで落とせるようになった証拠。そして今日は動功の時に、全身にゴムがかかったような、ねばっこい動きになっていた。これは丹田の気を全身に回しつつ、気を練れるようになった証拠。私が「やっていて気持ちいいでしょう?」と聞くと、ニタッと笑って「やっと分かりました。」と言う。ここまで来ると、本当に練習が面白くなる。実際、彼も最近面白くなって自分で練習しているという。太極拳の面白さを共感できると私もとても嬉しい。

2011/11/30 <第6式「下帯上」の例外、「形」の練習を越えて>

 

 初心者2人には第6式を教える。第5式まででワンセット。第6式から向きが南(正面)から東に変わる。第5式までは、重心の左右転換とそれに伴う竪円(身体の前面に沿って描く円)がメインとなっている。第6式からは斜立円が登場して、太極拳の特徴でもある斜めに前進していく動作につながっていく。

今日も,新たな慣れない動作に2人は戸惑いながら、何度も何度も繰り返し練習していた。まずは頭と身体をつなげる作業。

 ここで、ベテラン2人を呼んで、第6式を一緒に練習させる。動作の形はだいたい合っているが、力(勁)の動き方、かかり方はまだ分かっていない。

 第6式は、太極拳の規則である「下帯上」(下半身が上半身を連れてくる)の例外となっている。最後の動作の、右手を斜めに切り上げていく時は、その腕で左脚を引きずるように引っ張ってくる。これで右腕から背中を斜めに貫通し、左脚後側から踵にいたる勁(力)の線が出てくる。決して、左脚が独立して前に出てはならない。右腕に引っ張られて初めて動き出すその感覚がとれれば、「上下相随」「周身一家」、即ち、「上半身と下半身を別々に動かさず、全身を1つにして動く」という太極拳の大事な要領をつかんだことになる。

 24式等の套路の難しさは、まず、動作を覚えるのが大変なこと。そして覚えたとしても、「形」を覚えただけでは所謂「体操」にすぎず、太極拳に「入門」するには更に身体の「中」を学ばなければならないこと。形を覚えて、それからやっと、力の運び方や、丹田の使い方等にかかわる太極拳の鍵となる要領を学んでいくことになる。それが「内側」や「中」を学ぶということ。そこから本当の太極拳の世界が広がる。より面白くなる。

 普段力を入れている「站樁功」や「動功」はまさにその面白さを味わうための準備でもある。

 今日の初心者2人についても24式を覚えた後の面白さが味わえるところまでもっていきたいもの。

 

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2012/3/20

日本養生学会第13回大会で研究発表をしました。

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