「見る」ことと「考える」こと

2011/11/16 「毎日の練習メモ」より

 

 風もあり少し寒くなったので日当たりの良い芝生で練習。私一人で立っていると、後から私の母親と同じ年の生徒さんがやってくる。何も言わずに横で立ち出す。最初の頃は立つのが嫌で、10分もすれば十分という感じだったのが、今ではまず立たないと気持ち悪いと言うようになった。すぐに足裏が地面にぴったりと張り付く状態を作り出せるようになっている。

 ただ、まだ現役で何かと忙しく、立っていても雑念がなかなか減らないというのが悩み。案の定、眉間に皺が寄っている。何か考えている証拠。

 

 考えている時は内の眼が前頭葉の辺りを見ている。だから外から見ると眉間に皺が寄ったように見える。反対に、内の眼が後ろ(後頭部)の深いところを見るようになると「考える」ことができなくなる。つまり雑念も湧かない(湧きようがない)。ただ「見る」だけの状態になる。

 

 自分で立っていても、時々気が付くと内の眼が前頭葉付近を漂っていることがある。その時はやはり何かをぼおっと考えていたりする。はっと気が付いて意識的に内の眼を後ろに引くと、無理に考えようとしても考えられない。言語が出てこない。この状態で眼を開くと、外界がとてもはっきり見える。何の思考もない状態でものを見る時、やっと人は本当の視力を得るのだと分かる。「考える」と「見る」ことはできないし、本当に「見る」時は「考える」ことはできない。「ただ見る」状態は、生死を賭けた戦いに挑む時、そこまで極端でなくても対戦競技の際に自然に表れる状態。瞬間の判断が必要とされるときに「考える」時間はない。

 

 ここである話を思い出す。西洋では哲学者のような「思考家」をあたかも頭の良い人のように扱ってきたが、東洋では決してそうではなかったという話。東洋では「ものを見る眼」のある人」即ち「洞察力のある人」を尊び、そのような「眼」のない人が思索するという。つまり、”見て分かるなら、何故考える必要があるだろう?考えなければいけないのは、見て分からないからだ”、という。

 分からないのに考えても堂々巡りをするだけ。考えても本当に「分かる」ことはない。「分かる」時は「考える」を突き抜けた時。

 例えば・・・

 古来からどれだけの哲学者が「愛」について考えてきたことか?けれども考えれば考えるほど分からなくなってくる!結局分かるには一度恋愛を経験してみるのが一番ということ。確かに食べたことのない食べ物の味について百冊の本を読んでも分かるはずはなく、一回食べてみれば考えずとも自ずから分かる。

 

 今日のもう一人のベテラン生徒さん。私が右腰に力を溜めるように指示をすると、「私、力を溜める、っていう意味が分からないのよね。」と言ってくる(私より年上で姉のような人なので言葉遣いも少々きつめ)。私も「力を集める」とか「そのあたりを収縮させる」とか、以前私がやっていた卓球を例に、打球する前に一旦重心をずらしたり、落としたりして身体の一点に力を集中させること、とか説明するが、いっこうに理解できない様子。そのうち、「じゃあ、それは筋肉を緊張させるという意味?」と聞いてくるが、筋肉よりももっと中の話なんだけど・・・ともう言葉尽きて私もギブアップ。   

 

 最近、24式を一通り学び終えた生徒さんの中に、丹田の感覚が自分でとれるようになったり、動作の途中で力の流れ具合の「しっくり感」が得られるようになったり、身体が開いて「活き活き」動く感じが分かるようになったり、という進歩が見られ始めている。これは、「太極拳の『門』に入る」ということなのだが、このような身体の内側の感覚を掴んだとき、生徒さん達は「ああ、これ?!」と言って軽い感動や満足感を表現することがある。

 

 ・・・しかし、今日のベテラン生徒さんについては、今まで他の生徒さんのそのような光景を目の当たりにした時にも、「私には分からないなぁ。」と口をすぼめて不満気。彼女の身体を見ている限りでは、いい線まで行っているのだが、本人には「これ!」という感覚がないらしい。

 今日も議論尽きて、私も彼女に、「小学生に大学で学ぶ内容のものを教えても理解できないのと同様、分かるには時期があります。もう少し待ってくださいね」と言ってその議論に終止符を打った。

 

   その後24式の練習をする。

 そして第8式「提手」の動作を復習した時のこと。

 その生徒さんの片足を上げたポーズ(定式:最後のポーズ)が絶妙なバランスを保っているのを発見!

 第8式最後の腰から下弧を描いて前の丹田に至る腕の動きとともに、彼女の「気」も移動し、最後のポーズでは、上げた左脚と前に伸ばした両腕によって、丹田一点に力が集まっている。これなら全くぐらつかない。

 私も思わず目を見張り、うなってしまいそうになる・・・。

 

 彼女にポーズをとらせたまま、「これでも、『力が集まる』とか『力が溜る』感覚は分かりませんか?」と聞く。すると、照れたように笑いながら、「ああ、これね。」と一言。次いで、横で同じ練習をしている男性生徒さんのポーズについて、彼女にコメントを求める。「上半身と下半身がつながっていないわ。それに、手と足もバラバラ。力がお腹に集まっていないわね。」

 

 そう言われた男性生徒は、それまで彼女に「力が溜る」とはどういうことかを、私と一緒に彼女に説明していた人。結局、「分からない」と言っていた彼女が体現でき、「分かる」と思って言葉で説明していた彼が体現できないということになってしまった。

 そして面白いのは、いったん自分が「分かる」と、他人を見てもその人ができているかどうかが、一瞬にして「分かる」ということ。そこに「考える」余地はない。

 

 そう言えば、英語で「I see.」という。まさに「見る」ことは「分かる」こと。

 

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2012/3/20

日本養生学会第13回大会で研究発表をしました。

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