体が開けば心が開く?

師父には練習を始めた当初から、「体を開けば心が開く」と言われた。「そんなに私の心は狭く見えるのかしら・・・?」と正直言って不服な気持ちが無きにしもあらずで、しかもこの言葉はあまり太極拳自体には関係ないように思えたため、その頃は適当に聞き流していた。

 

身体を開くことの意義深さを知ったのは、自分が教える立場になってから。特別の鍛錬をしていないと、年取るごとに人の身体はこんなにも固く閉じてくるのか・・・とちょっとしたショックを感じた時、「開!」「開!」と何度も師父が発していたその言葉が蘇ってきた。

「ああ、そういうことだったの・・・・?」と今更ながら思った瞬間。

 

太極拳で目指す理想の身体は赤ちゃんのような身体。柔らかく、しこりがなく、全身が一つで、外界に対して開いている。私達はみんなそんな状態で生まれたけれども、立ち上がり、歩くようになり、胸を開き、気が上昇、上半身と下半身が分断され、上半身に力が入り下半身は力がなくなり、身体が強ばり閉じていき、気血の流れが悪くなり、枯れ木のようになって死んでいく。

太極拳は仙人思想の道教に基づいている。如何に若さを保つか、とか、如何に長生きするか、ということは当然重要課題であり、太極拳の得意分野でもある。

師父が「何も鍛錬をしていない人の平均寿命が80歳だとすると、外家拳(少林拳のような養生法には重きを置かない武術)を練習している者の平均寿命は70歳、内家拳(太極拳のような養生法に基づいた武術)を練習している者の平均寿命は90歳。」と言っていたことがある。もっとも、師父と話していると「長生きした者が偉い」ような言い方をすることがあり、「量より質ではないか?」と反論してしまったこともあるのだけれども、確かに『不老不死』は憧れのよう。

如何に老いないか、という観点から改めて太極拳の練習を振り返ってみると、確かに老いのメカニズムを遅らせたり戻したりするようなことをやっている。力を抜き(強ばりを取り)、身体を開き、柔らかくし、気を丹田に戻し、気血の流れを良くし、様々なホルモンの分泌を促すような練習。

 

その練習の中でも『体を開く』ことは、『力を抜く』ことに続く最重要要点。

以前『松』(力を抜く)ことについて書いたが、その中の『松開』がこれにあたる。あくまでも『松』が『開』の前提条件。力が抜けなければ開くことはできない。(逆に、『松』ができれば『開』はそれほど難しくはない。実は第一関門である『松』が、達人でもクリアし難い最難関になるという矛盾がある・・・これも練習の面白さでもあり深みでもある。)

 

力を抜くと次第に体が開いてくる。ただ、ここで開きっぱなしにしていては、気が漏れ、締まりのない、力のない状態になってしまう。だから、開いてきたら、ここで、開合の練習をして、体内(丹田)に気を集め『合』の状態を作り、そこから外向きに気を練りながら(ねば~く)開いていく。気を練ってその圧力で体の内側から外向きに体を開いていく。それは体の中の『空間』を広げるような感覚。こうすると体の中心(丹田)への求心力を残しながら、外向きに引っ張る力が作れるようになる。(蛇足だが、丹田の意識を外さずに身体を緩めて開放していくところに、私自身の現在の課題である「放松しながら(力を抜いたまま)集中する」秘訣がある。)

 

体を内側から開く練習は動功でやるのがやり易いけれども、体の隅々までもらさず開くには、站樁功が欠かせない。頭の先から足の先まで開いていくには、体の動きを止めて、身体の内側をじっと注視している方法が最も効率的なようだ。(馮志強老師は、站樁功によって、全ての経絡を貫通させ、全てのツボを開かせるという。)

 

実際には練習をして自分で『内から開く』感覚を体得するしかないのだが、自分の体の中が開いてくると、他人の体の開き具合も見えてくるようになる。

 

確かに一般的に老人の体は閉じている。そして体が閉じていると視野も狭く、レジで自分が横入りをしても周囲の人が視野に入っていないため何の罪悪感も抱いていない・・・といったような現象が出てくる。(これに気づいてから、老人が横入りをしても、ああ、私は視野に入っていなかったのね、と寛容な気持ちで見られるようになった。)

私の見た感じだが、体が閉じてくると、視野が狭くなる(眉間にしわが寄って、目が前だけを向いている)が、更には脳の可動域も狭くなっているよう。そうなると狭量になってくるのも不思議ではない。逆に体が開いてくる、即ち、身体の中の空間が大きくなってくると、眉間も広くなり視野が広くなる。そして脳も後頭部の方まで開いてくる。すると同じ事象についてもう一段大きな視点から考えられるようになる。寛容になる。

 

ここで「開き度合い」というのは、体の中の『空間』の広さを指していて、決して脚がどのくらい開くとか、背中がどのくらい反らせるとか、そういう意味ではないことに注意。気を丹田に溜め身体を循環するようになり、その後、気が束のようになって身体の中心を頭に向かって上がっていくと身体の中心軸が『筒』のようになる。その筒の中は(空)気があり、常に外向きに張り出すような圧力がある。そこに体の空間が生まれるのだが、その膨張する空間が、胸を押し分け、喉を押し分け、目の奥を押し分け、頭の内部を押し分けて行く。その「内から開く」感覚が文字通り、体を開放し、心を開放する。

 

確かに師父が最初から言っていた言葉、「体が開けば心が開く」は本当なのだと最近になってやっと実感するに至るまでになってきた。師父に得意げにそう電話で伝えたら、「まだ開く!」と喝を入れられてしまった!油断禁物( ̄ー ̄; ヒヤリ)

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2012/3/20

日本養生学会第13回大会で研究発表をしました。

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