2015年10月

2015/10/30


練習メモ、少しサボっています。仲間のページ(掲示板)に最近、ほほ~っと思う投稿がありましたのでご覧下さい。



2015/10/23 <スポーツと武術・武道>


 先日真夜中に主人が『アスリートの魂』という番組を見ていたので、私も横から拝見。それは将来空手がオリンピック競技になれば金メダルを獲れるだろうと言われている若手選手を追った番組だった。


 ヘルメット(?)とグローブをつけてピョンピョン跳ねながら打ち合う姿は私のイメージする空手の姿からはかなりかけ離れていて、正直言って最初見たときはそれが何の競技が分からなかった。

 ボクシングを和風にしたような・・・テコンドーのような・・・。これはもはや武道ではないでしょ?スポーツでしょ?

 と、ぶつぶつ言う私に長年空手をやっている主人は、「競技化するとスポーツ化してしまうのは仕方ないよ。外人にも勝たなきゃならないし。だからオリンピック競技にするのは反対なんだけどね。」と、それでも打ち合い(殴り合い?)には心躍るものがあるのか、主人はじっと番組に見入っていた。


 そもそもボクシングやプロレス、その他諸々の殴り合い、蹴り合いの競技には全く興味のない私は、番組半ばで見る気がなくなり寝ようとしていた。が、その時、その若手選手がパンチの速さを増すために沖縄武術の泊手の継承者を尋ねるシーンになった。継承者が登場。ああ、この継承者は武術家だ!一目で違いが分かる。

 寝るのをやめ、テレビに見入る。

 すごい、一発打たせただけで若者の欠点を指摘。その場でパンチを改良させた。


 この20代の若者と泊手継承者の二人を比較してみるとスポーツと武道、武術の違いがはっきり分かる。

 主人も横で、「この子、競技のための対人練習ばかりやっていて、型をちゃんとやってないんじゃないの?」とつぶやく。股関節も開きが悪いし、下半身が坐っていない。下半身が坐っていないから丹田がない。丹田は武道の核心。これがなければ武道とは言えない、だからスポーツ?

 かたや泊手の継承者は腹が坐っている。ゆったり、そして鋭い眼ざし。

 そうそう、これが武道、武術よね~。美しい・・・・。


 本当はこの継承者のように実践ができないと本物の武術家、武道家とは言えないのだろうから、私は全く武術家ではないなぁ~。

 でも、具体的な実践方法は知らなくてもその底辺にある原理は理解が進めば進むほど面白くなってきている。私の知りたいのはまさにそこ。この原理は何にでも適用可能。しかも外向きに適用するだけでなく内側に向かって適用すれば自己の核心から変革が可能。

 『太極は万物を包含する』、万物には自分も含まれる。そういうことだろう。


 丹田がある、なしで、人の様相はこんなにも違ってしまうのか・・・、とテレビの中の二人を見ながら思いは複雑。テレビで特集されていた若い選手はやはり”選手”。若い”空手家”とは言われていなかった。


 練習、修行を重ねて丹田を練り全身に気を巡らした人の体つき、顔つき。今ならはっきり分かる。

 眼が肥えてきたのは進歩した証拠のはず。 がんばろう~!


2015/10/20 <日常生活への応用、坐立行臥不離練功>


この練習をしていると次第に日常生活での動作にも変化が出てくる。いや、日常生活の動作、坐立行臥(坐る、立つ、歩く、寝る)を含めて、全てが練習になってくる。

練習を積んでいけば、人の歩き方、身のこなし、顔つきで、その人が太極拳を学んでいる同志かどうかを見極められるという。


以前紹介した3D教材を作っている中国の汤鸿鑫老師が面白い動画をアップしていたので紹介します。

タイトルは『このように携帯で遊べば、永遠に老いない!』。

要領は命門を開いて背中、後頭部を壁につけるようにすること。

タントウ功の要領と同じです。


付け足しで、汤先生を取材した地方テレビ番組の抜粋も紹介します。

パソコンで3D教材を作る汤先生。子供が回りで遊んでいますが、実は先生、椅子に座らず馬歩でした。

仕事中も鍛錬、のよう。

2015/10/14 <中をつなぐ>


 しばらく書きたいと思って書いていなかったことがある。

 それは「中をつなぐ」ということ。


 先月末2週間近く練習をお休みして帰国した時、ある生徒さんから、私の不在中、家でしゃがんだ作業をしていた時に腰を少し痛めてしまったというメールをもらった。せっかく腰の調子が良かったのに残念・・・とメールを読み進めていたら、最後にこんな文章でメールは終わっていた。

 「でも原因は分かっているのです。中をつないでいなかったからです。」


 「中をつないでいなかった」、何気なく書いていたその一文の私はびっくり。そしてすごく嬉しくなった。ああ、中をつなぐ、つながない、が分かるようになったのね・・・・。

 彼女に練習で会った時、そのことについて尋ねてみると特に意識して書いたものではなかったよう。現場で、中をつないでみて、と言うとそのようにする。じゃあ、中をつながないで腰回ししてみて、というとそのようにする。なんだ、本当につなぐ、つながないが分かっているじゃない!いつの間に?


 そこから、もしや?と思って、ある程度練習を続けてきている生徒さん達に、「中をつないでみて」とやらせてみた。すぐに分からない場合は、私が目の前で、つなぐ、つながない、のON,OFFをやってみせた。すると、ああ、そういうこと、と真似できる生徒さんも案外いる。


 タントウ功では中をつなぐ感覚を身体に覚え込ませる。

 けど、そう簡単にはいかない。動功(時に二人組になって)も使って、手足などの末端の力が丹田から出てくるように、つなぐ感覚を養う。その時核になるのが肋骨下縁から股関節部分、中丹田と下丹田を合わせた部分で、この辺りがしっかりつながることで身体のしっかり感が出ることを十分に味わう必要がある。中でも肋骨下縁と骨盤上縁の間の、骨が腰椎しかない部分は、自分の身体で内側からベルトを作り上げていかなければならない。所謂巷で言うところの”体幹”がこの部分を示すのかどうか知らないが、この部分がふにゃふにゃだと腰椎に過度の負担をかけ腰を痛めやすい。腎の働きにも大きく影響し、腎が圧迫されれば身体の原動力が失われてしまう(太極拳用語で腰間、腰隙ともいわれる場所、腎の重要性についてはまた別の機会に書きたいところ)。

套路の起式では、”中をつなぐ”作業をすることで構えに入る。

 そして一般的な太極拳の套路では、最初に一度つないだら最後の収式までつなぎっぱなしにする(私のやっている馮志強老師の混元太極拳では途中に意識的に放松をいれるから、つないだり切ったりすることになる)。

 つなぐ重要性が分かりだすと、改めてタントウ功の重要性が分かり、タントウ功をしたくなったりする。


 私が生徒さん達に試したところ、「中をつなぐ」と言って身体でそれができるようになるのは、大体2年半近く継続している人達のよう。個人差はあるのだろうが、1年くらいだとまだ怪しい。2年半以上やっている人は知らないうちにそうなっているようで、本人達も大して自覚していないから面白い。

 

 クラスで突然、「はい、中をつないでくださ~い」と指示したら、「えっ、何の話?」というのが普通の反応だろう。「はい、腕を上げてくださ~い」というのなら第一回目の受講者でもできるだろうが、「中をつないでください」ではきっと分からない。

 これが内功と体操の違い。

 中の話ができるようになって初めて太極拳は入門できるという。入門するのに10年かかるとかかからないとかいろんな話があるけれども、門の回りを一生グルグル回って最後まで門に入れなかった、ということも多々ある話。


 太極拳の要領はいろんな言い回しで伝えられているが、それが一種の隠語のようになっていることが多い。身体の内側の話は、分かる人(体験した人)にしか分からない。それを「これはどんな感覚ですか?」と聞いてくるのは、実は、ナンセンスだ。

 ある時ある言葉を読んだり聞いたりして頭でなんとなくしか分からなくても、ずっと練習を続けて、また別の時期に同じ言葉に出合った時に、ああ、そういうこと!と突然分かったりする。そしてもっと練習を続けると、それまで分かった、と思っていたよりもさらに深く、あるいは別の理解に達したりする。理解は常に更新される。

 以前パリで師父について学んでいた頃、一緒に帯脈回しをしていて、師父がおもむろに「外から見て同じ腰回しでも、あなたと私の腰回しは全く違う。」と言ったことがあった。

 ただの腰回しでも中を意識すると常に進化する。だから面白い。


 「中をつなぐ」という言葉が生徒さんとの間でつながるようになってきた・・・。

 中の会話をできる仲間が少しずつ生まれてきた・・・。それがとてもとても嬉しい。


 生徒さん達へ。どうぞ踏ん張って下さいね。この練習は、能力やコツではなく、継続が一番のようなので。




2015/10/9 <上半身の力、青年期に戻る、上半身の力を抜き周身一家になる>


 パリで師父に生徒さん達の24式を撮った動画を見せたときに、最も多い指摘は、足から動け、というものだった。ただ生徒さん事に指摘の仕方が少しずつ異なっていて、ある生徒さんに対しては、「肩から動かすな。肩は沈めたまま、肩をうねらせてはいけない。下半身から動け。」という言い方だったり、「上半身から先に動くな。先に下半身が動いて上半身はそれに随うだけだ。」というのもあれば、「重心移動が甘い。膝から膝ではなく、足(裏)から足(裏)まで重心移動しろ。」というのもあった。


 太極拳で理想とされる姿は上虚下実で、上半身、特に胸の力を抜かなければならない。上半身は風でしなる樹の枝のようでなければならない。相手(人間だろうが自然だろうが)に合わせて臨機応変に対応するには上半身はいつでも躱せるようにしている。が、練習すると分かるけれども、上半身の力を抜くというのはとても難しい。というのは、私達は通常、二本足で立ち上がって動くために無意識で相当な上半身の力を使っているからだ。


 やっと立ち上がったばかりの子供は上半身の筋肉も未発達で、やっと少し使えるようになった下半身の力でどうにかゆらゆら立っている。青年期、15,6歳までは胸郭も狭く胸の筋肉もあまりついていないので下っ腹あたりに力を集めたような形で立っている。腹式呼吸主流の時代だ。

 その後徐々に胸郭が広くなり胸の筋肉がついてくると下っ腹にあった気が胸に上がりやすくなり、20歳になる頃には肺呼吸が主流になってくる。体格が立派になり筋肉量が増えパワーがつくのは(男性なら)20歳を越えてからだが、その一方で10代後半の疲れ知らずの持続的パワーは失われてくる。(高校野球で投手が連投していたりするが、20歳越えてからは無理だろう・・・。高校野球の球児を見ていると、精が充満していて底なしの持続力が感じられる。)


 私達が立ち上がっているためには腰を固め、首も立ち上げていなければならない。腰と首がふにゃふにゃだと立っていられない。これは二本足立ちの定めで、その結果、四足動物にはないと思われる腰痛や首・肩のコリが発生する。

 できるだけ筋肉を固まらせないように立つ。そのためには、沈肩、含胸で腹に気を落とし込んで上焦(肩から胸下まで、肺、心臓のある位置)をすぼませておく太極拳の練習方法がとても理にかなっている。こうすると首筋も下に自然に伸ばされて首の力も抜ける(アンメルツヨコヨコですりすりする左右の首筋が伸びる)。(最終的には花が満開になる前の青年期の身体が理想のよう。)

 

 このあたりの姿勢は日本の伝統文化でも同じ。

 美しい写真があったので、下に参考がてら、日本VS西欧、腹中心(腹式呼吸)VS 胸中心(胸式呼吸)を載せます。

 

 全身を一つ(周身一家)にするには中心は腹。胸中心は上半身と下半身を分断させます。

 平和な感覚、安堵感をもつには全身(脳も含めて)を一つにまとめなければなりません。上半身と下半身、もしくは脳とそれ以外の身体を分断してしまうと精神が分断され常に焦燥感にかられます。


 なお、最近練習で積極的に単腿(片足立ち)をしていますが、これも、上半身の力が抜けてくるととたん、それまで簡単だった片足立ちがぐらついたりします。それは進歩の証拠。上半身の力を借りず下半身だけで立てるようになる経過でおこる現象です。

 まずは、上半身に力が入っていたんだ~、と気づくに至るのが第一歩。(上半身に力が入っているのやらいないのやら、分からない状態から、入っていることに気づく、というのにそれなりの練習が必要かもしれません・・・。)

 

 

2015/10/6 <眠る、天とつながる、受け身>


 先週金曜夜に帰国し、翌日土曜日からクラス再開。

 羽田に着いた直後からくしゃみが出て、着陸時に起こった耳の詰まりがとれないまま宅。何もかもがシーンとした中で遠くに聞こえる・・・日本ってこんなに静か?。夜寝る頃になって風邪の症状がはっきり表れ、なんだ、風邪ひいたんだ、と納得がいった。

 久しぶりの風邪。熱でないかなぁ~、と測ってみるが37度にはまだ届かない。


 身体がだるいまま、翌日の練習、翌々日と、練習をこなす。帰宅して大好きな昼寝。旅行中は一度しか昼寝しなかった。

 私にとって家に誰もいない時の昼寝は一番の体力回復、体力増強、気分転換法。

 1時間から時に2時間、シャッターを閉めて部屋を真っ暗にし電話もすべてオフにして昼寝に臨む。

 なぜか昼寝の深さは夜の眠りの深さの数倍。起き上がってきたときは、腰に気が溜まり、そのまま腰で跳ねて起き上がれる感じだ。

 が、跳ね起きてはせっかく溜まった気を漏らしてしまうので、そこからは腰→太もも→ふくらはぎ→踵→足指、と徐々に気を降ろしていく。腰や脚、足指まで、ピーンと伸ばしたくなる。すると関節がコキっと鳴って、骨と骨の間が開いたりする。腸骨のあたりや大転子、膝裏、足首、などそれぞれが開くと、全体では数ミリ?脚が長くなったような気がする。足指もピーンとなり、指も長くなる。

 といっても、それはとても調子が良いときの兆候で、毎回そんな風になるわけではない。

 また、季節にも多分に関係がある。夏の間は昼寝をしても下半身に気は溜まらないが、冬には腰から下に気が充満する(ちなみに、どじょうを食べた後も昼寝の後のように下半身に気が充満してびっくりしたことがある。”精をつける”とはこういうことだったのか~、と理解したのはその時)。


 風邪をひいて翌日の昼寝は起きた後もドロドロ。二日目、練習が終わって帰宅後昼寝。一日目よりはマシ。そして三日目の昼寝。来た~、あの感覚。下半身に溜まっている!脚が重い!(良い意味です。このままキックしたら鉄の棒で蹴り上げたようになるのではないか、みたいな感覚)

 春から夏、ここ数か月間なかった感覚なので、とても嬉しい。ああ、秋になって気を溜める時期が到来したのね~、と季節の移り変わりを実感。とともに、よっしゃ、回復した!、という充実感。


 と、私の風邪はおそらくほとんど治ってしまったのですが、やはり眠りは大事だという確信を強めたのでした。

 良く寝るために運動する。良く寝るためにストレスを溜めない。

 寝ているときに身体で起っている修復作業は、私達が到底意識的にできるようなものではない。

 大げさかもしれないけれど、まさに神の手を借りている。

 神の手の助けを借りずに自分で全部やってしまおう、なんて思う必要はない。

 どうやったらもっと神の手なり天の力なり自然の力を借りられるか、そのためには自分になにができるのか、そう考えて身体と向き合うのが良いのだろう。


 太極拳の練習の根底には多分にそのような受け身の姿勢がある。

 天の力、地の力、他者からの力、それらを如何に自分に取り入れるか。受け入れて変化させる。

受け入れるためには開いていなければならない。拒絶はご法度。心も広くなければならないし、とっさに閉じてしまわないよう、動じない心も必要。動じない心にはそれ相応の自信、強さが要求される。

 自分が弱いから受け身になるのではなく、自分が強いから受け身になれる。

 なんだか矛盾するようなしないような・・・これも太極拳チック。


 何を論じても太極拳的に語れてしまうから面白い。

 でもスジは一貫している。


 今日の練習の課題は足から動くことだった。

 これについてはまた別に書きます。

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『今日のメモ』毎日の練習は気づきの宝庫。太極拳の練習の成果が何に及ぶかは予測不可能。2012年9月〜のアーカイブは『練習メモアーカイブ』へ

練習のバイブル本

 『陳式太極拳入門』

   馮志強老師著

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2012/3/20

日本養生学会第13回大会で研究発表をしました。

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